Writer:[[Lem>Lem]] ---- *shadow [#p9a9bf04] 狂ってしまえばいいと思う。 壊れてしまえばいいと思う。 少なくともこんな、歪んだ僕の魂なんかは。 けれどそれは叶わない。どんなに自分が望んでも、自らの手で己を壊す事は出来ない。 どれ程に自身を傷付けた処で、それは表面上の傷でしかない。 心を。魂を。僕は僕の手で粉々に打ち砕きたい。 でも駄目なのだ。無駄なのだ。 それを可能とするのは僕じゃない。他という存在のみが僕を滅ぼせる。 だが誰が僕に縋り付こうか。僕が誰に縋り付けるのか。 僕は永遠に独りきりだ。 誰も僕の本質を理解する事はできない。自分自身ですらも僕の本質を探る事ができない。 僕は闇で。影で。暗黒で。 明けない夜そのものを具現化した象徴の存在。 人々は僕を見る前に眠りにつく。 僕はそんな愛らしい人々の寝顔を見る事すら叶わない。 近寄ればそれは苦悶に変わり、触れれば悪鬼の如き形相を浮かべ、語り掛ければ死の言葉を漏らす。 それが己の所為である事も、そこに居場所は無い事も。 童心が気付くよりも早く、陽炎の如く僕は消えた。 距離を奪い、体温を奪い、存在意義を奪って。 残ったのは虚無だけだ。 僕には何も無い。 僕の心には空虚の如く、底抜けの孔だけが広がり続ける。 他者に抱く想いも、希望も、願いも。 全てが宇宙へ飲み込まれていく。 だがそれらは消滅なんてしてくれず、綺羅星となって残り続ける。 抉る様に。焼き切る様に。 絶望の色を撒き散らす様に。 誰も僕の本質を知らない。 僕も僕を見抜けない。 狂っているのかも。 壊れているのかも。 図る事もできない侭、僕は僕を鎖された空間に閉じ込めた。 そこから何年が過ぎたのだろう。 世界は未だに暗黒であるにも拘らず、月明かりが幽鬼を照らしていた。 眠りの内に地殻変動が起きたのかもしれない。洞穴の頂きから射し込む月光は日に日に大きく広がり、やがては自然のスポットライトを造り上げるまでに檻が瓦解している事に気付く。 ふと思う。地上はどうなっているのか。 思い至るよりも早く幽鬼が月光に影を乗せ、そのまま射線を伝って地上を目指す。 暗黒を抜け、目が眩んだ。 地上は深夜であるにも拘らず、あらゆる&ruby(いろ){色彩};で埋め尽くされている。鼻腔を擽る花の香りが影の命に彩りをつけていく。 数分程度は。そう、数分程度は。 棒立ちの侭に影は花を愛でていたが、足元の花の様子を見るや影の顔に翳りが落ちた。 足元の花々は萎れ枯れ、影を中心に花の彩りが失われていく。影は植物の生気ですら散らすのであった。 悪夢が影に憑いているのか。影が悪夢そのものなのか。 応える花々は全て闇に呑まれて地に伏した。 月光だけが影を包んでいる。 出るべきではなかったと落胆の色を強く残す影の目に、萎れた花畑の中で未だ失われていない色彩が映った。 それは鮮やかな萌黄色に包まれ、影とは対極にある淡い乳白色の毛並を備えていた。 見るだけでも柔らかそうな被毛に加え、垂れた大きな耳の先には雄々しき翼が収められている。 だが。それ以上に異質に映るのはその者の顔の、瞳に宿る色彩だ。 元は若葉色のそれが見る影も無い程に充血している。鮮血が垂れ、滲んで出来た染みが塗られてる様にも見える。 そして血珠に宿るその色彩は。 影と同じく、絶望に染まっていた。 絶望が一歩を踏み締めた。 影の半分の身の丈も無いそれの足元で、色彩を失っていた花々が急激に表情を伴って天を仰ぎ出し始めた。 一歩、一歩と絶望が影に迫り寄る度、花の道が広がっていく――が。 その花々にかつての色彩は無い。 吹き零れる絶望の首元から生える紅い花弁が伝播する様に――朱色が通る道を埋め尽くしていく。 生命を蘇らせる神秘を垣間見ているはずなのに、影にはとてもそれが天の使いとは思えなかった。 それは今にも死に掛けている様だった。 首筋よりの花弁から吹き零れる血の色を、血を撒きながら影に這い寄る様は亡者のそれにしか映らない。 宛ら影は死神といった処だろうか。 現に、地の亡者が影へと呟くそれは告白にも近い形であるばかりか、この世のどんな絶望よりも昏い木霊を影の表面に貼り付けた。 亡者は影に「ねぇ」と呼びかけてから。 「アタシの赤ちゃんは何処」と、うわごとの様に繰り返しながら、花弁を撒き散らすのだった。 肌寒い風が世界を撫ぜた。冷徹な気温は蘇りし花々に生命の終わりを告げ、黄泉へと還らせようとしていた。 急速に散り逝く花弁はより紅く、風に鮮血を乗せて何処へとも無く消えていく。 最後に二弁の花が残った。 影の手の上で。 亡者は変わらず、同じ言ノ葉を影に吐き続けていた。 やがて影も亡者も地に吸い込まれる様にして暗黒へと消え、辺りには死という色彩が満ちていた。 月だけが全てを見ていたが、毛ほどの関心も無いのか雲間に隠れ、残るは闇のみぞ知るが。 地表の何処にも入口は無く、全ては幻に包まれ、忘れ去られていった。 光陰も宿らぬ空間にせせらぎが流れた。 その中より雑じる水泡の弾ける音が方々から発しているが、何の水泡であるかも分からない。 だが聞き馴染みのある者ならば、それが何であるか判別できよう。 ――それは口腔より漏れる淫音でもある。 ――それは花弁より垂れる蜜を吸い食む淫音でもある。 ――それは花弁を押し広げ、その奥の蜜室へと絡む淫音でもある。 影が何処に居るのかは分からない。 音の発生源の傍らともすればこの空間に満ちる暗黒そのものが影かもしれぬ。 それに呑み込まれた萌黄色の亡者もその形姿を納められない。 再びせせらぎが空間に満ちた。 音は先とは違う空間から流れた。 狂ってしまえばいいと影は願った。 壊れてしまえばいいと影は祈った。 ――まだ満ち足りぬか。 手元に抱く亡者に影が囁いた。呟きかどうかも分からぬ意思だった。 闇に囲われた亡者の顔に影が貼りついた。 咥内の味は当の昔に全て雑じり合い、同じ味しかしなかった。 手指より伝わる彼女の被毛も従来の柔和さが失われ、どちらのものともしれぬ淫水がこびり付いていた。 執拗に口腔を舐りながら、影は花弁を弄る手指を抜き、欲望の肉塊を花弁の奥に突き入れる。 虫の息の嬌声が零れるものの、影にはそれが催促を欲するものとしか映らなかった。 亡者は壊れていた。 亡者は狂っていた。 影の手によってではない。馴初める前から終っていた。 全てが鎖されていた。 亡者が影に再び呟いた。途切れる言ノ葉を影は特に気にも留めなかった。 それもまた同じ事の繰り返しであると判っているが故に、聞く必要すら無いからだった。 亡者は妄執に取り憑かれていた。 草花を蘇らせ、芽吹く生命を愛でる彼女が妄執に拘る原因とは何なのか。 辺りに死を振りまく影とは対極にあるといってもいい彼女が、何故影に囚われているのか。 ――どれだけ産もうが孕もうが。お前の望む願いとやらは形にならぬ。 影の言葉は届かない。 届こうが届くまいが影にはどうでもよかった。 影にとっても亡者にとっても。 互いが互いを埋める存在で在りながら。 互いに決して満たされず。 全ては予定調和の侭に執り行われた。 幾度に影の欲望をその腹へ納めたもうか。 膨張した腹部から申し訳程度に覗く臍を手指でぐい、と押し込むと、下の花弁同様に影の指を呑みこんでいく。 嬌声が狂乱のそれに変わった。 されど影の種子にどれ程塗れようとも溺れようとも、亡者が新たな生命を授かる事は永遠に訪れぬ。 萌黄色の&ruby(うまずめ){石女};((生殖機能に障害を持つ女の事、不生女))は自らの妄執をその腹部に宿し、形にもならぬ赤子を産み落としては孕み続けた。 再びせせらぎが流れ落ち、周囲の色彩が濃く染まる。 滝の音を耳にする度、憐憫の情を抱くものの、自身もまたそれに含まれるものと気付くかどうか。 相も変わらず世界は暗黒に満ちていた。 愛も変わらぬ世界は深淵に満ちていた。 広大な宇宙が新星を生み出すまでの、悠久だけが果て無く広がるばかりである。 ---- 後書 一応特徴らしいものは書いたつもりだけれどそれでも何のキャラかわかんねーよ!と仰る読者の為にネタバレ書いちゃいます。ドラッグしてね→&color(White){ダークライ×スカイミ}; さて短編三作目なわけですけど、もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんけど、まぁ書いちゃったものは仕方ないので声を大にして告白しちゃいますね。 「ま た 妊 婦 か !」 いえ、違うんですよ。ちょっと聞いてください。 一作目は元妊婦で、二作目は現妊婦で、三作目は想像妊娠の妊婦です。 同じ妊婦でも方向性は全く違いますからセーフですよね?ね? でも書いた短編小説が全部妊婦物ってのはちょっとどうなのか。 このままじゃ妊婦の人とか呼ばれかねないので次回作の短編小説は違う物を仕上げたいものです。 前回は私にしては分かり易いと友人から評価を頂いたので「それはいけないなぁ、いけねぇよそれは」ということで又一回では解り難い作風ができあがりました。進歩しないね私。 それじゃあ次回作は妊婦以外という事で、また御愛読頂けると嬉しいです。 妊婦じゃなきゃ見ねーよ!とか言わないでね。好きだから書いちゃうけど。 ---- #pcomment