author:[[macaroni]] ---- フレンドリィショップを一度は利用した事があるのではないだろうか? 全国にかなりの数を展開するフランチャイズチェーンだ。 品揃えは豊富で、ポケモントレーナーに必要な道具からポケモンとは無縁な人達も利用できるように各種ドリンクやお菓子なども揃えている。 アルバイトを始めたばかりの頃はモンスターボールにこんなに種類があると思っていなかったので、全てのボールを把握するのが大変だった記憶がある。 今ではボールを投げるタイミングまでお客様に丁寧に指導できるまでに成長した。 突然だが、僕はポケモントレーナーという人種があまり好きになれない。 自分のポケモンをボールの中にちゃんとしまうというルールを守っている人はまだいい。 僕が嫌いなのが「のびのびとポケモンを育てるスタイル」を気取って、ポケモンをボールにしまわずに堂々と店内に入ってくる連中だ。 もちろんこのフレンドリィショップはポケモンをそのまま入店させてはいけないルールなどない。 僕以外の店員もそんなトレーナーに特に難色を示したりはしないし、店長だってお客さんのポケモンを可愛がる。 ではなぜ僕だけがそういう連中を嫌いなのか。 それは・・・ 「あの、これ下さい」 カウンターの前にドサリとカゴが置かれ、それまで妄想の世界にいた僕は一気に現実に引き戻された。 目の前にはポケモントレーナーと思われる人物と、その右腕にヒトカゲが抱きかかえられている。 ヒトカゲはキョロキョロと店の中を落ち着き無く眺めている。 「いらっしゃいませ」 僕はすぐに営業スマイルに切り替え、カゴの中の商品のバーコードを一つずつスキャンしていく。 カゴの中には傷薬やモンスターボールなどが入っており、いかにもトレーナーの必需品を補充しにきたという感じだった。 ピッ、ピッという少し間の抜けた音がテンポ良く店内に響く。 「このお店、暑くないか?」 ガラガラと喉に絡みつくような声が聞こえた。 僕はそれを無視して黙々と商品をスキャンする。 「俺さっきからずっとのどが乾いてるんだよなあ」 我慢我慢と、僕は自分に言い聞かせる。全ての商品をスキャンするまでの辛抱だ。 「1200円です」 レジスターに金額が表示されそれを僕が読み上げると、トレーナーは黙ってお金をトレイに置いた。 「あ、なんだお金もってるじゃん。さっきはお金がないからジュース買わなかったくせに!」 ガラガラ声が一段と大きくなる。 僕は自慢の営業スマイルが引きつっていないか心配したが、トレーナーは特に気にする様子もなくレジ袋を持って店を後にした。 「ありがとうございました。またお越し下さいませ」 マニュアル通りの台詞をすらすらと読み上げて任務完了。 店内に客が一人も居ない事を確認すると僕はカウンターに肘をついて楽な姿勢をとり、小さくため息をついた。 「ジバン君」 どこからか僕の名前を呼ばれ、僕ははっとする。 「しんどくないか?君の生き方は」 今度ははっきりと足下から声がする。 さっきの声よりは幾分年齢を感じさせる声だ。 店長は昼食を食べるため、ついさっき出て行ったばかりだ。 今このお店には僕と、店長のポケモンであるリザードンのアレキサンダーしかいない。 すなわち、僕に話しかけることができるのは一人・・・いや、一匹だけだ。 僕は仕方なく自分の足下を見た。 ひんやりとしたコンクリートの床に、とぐろを巻くようにして器用に体を折り畳み寝そべっているリザードンが僕を見上げている。 「たまには私にするように、話しかけてやったらどうだ?」 ハスキーな声で、アレキサンダーがもう一度僕に言う。 僕は小さく首を振った。 「冗談じゃない。うるさいから僕に話しかけないでくれとでも言えばいいのか?」 僕の返答にアレキサンダーはくっくっと含みのある笑い声をあげた。 「間違いなく君は変人扱いだろうな」 わかっているくせに。 もう一度さっきの話に戻そう。 僕がどうしてさっきの様なトレーナーが苦手なのか。 それは僕の特異な体質と関係がある。 僕は幼い頃からポケモンの言葉がわかる。 一般の人間はポケモンの言葉がわからない、らしい。 優秀なトレーナーはポケモンの気持ちがわかるというが、僕の場合はそういう曖昧なレベルではない。 普通の人間には鳴き声にしか聞こえない声も、僕にははっきりと言語として認識できる。 町を歩けばそこら中でポケモンの声という声が聞こえてきて、散歩するだけでまいってしまう。 最近は雑誌やテレビの影響でポケモンを放し飼いにするのが流行っているが、僕にはいい迷惑だ。 会計の度にポケモンが話しかけてきたり、トレーナーに甘えたり愚痴をこぼしたりしているのを聞かされる身にもなってほしい。 なぜ僕にだけこんなおかしな能力があるのかはわからないが、これが普通でない事を知って以来僕は極力ポケモンとの接触は避けて来た。 今までポケモンを育てた事もなければ、友達に触らせてもらった事もない。 フレンドリィショップをアルバイト先に選んだのもポケモンとの直接の関わりが少なそうだからという理由だが、まさかリザードンがカウンターに常駐しているとは思わなかった。 彼は僕がポケモンの言葉が理解できる事を知らないのをいいことに、毎日のように話しかけて来た。 しかもその内容というのが僕を口説いているとしか思えない台詞なのだ。 毎日話しかけられるだけでも気が滅入るというのに、それが男色なポケモンとあれば尚更だ。 僕は1週間も経たないうちに根を上げてしまい、今まで無視し続けてきた彼の方を向くと、とうとう僕は言ってしまったのだ。 「いいか、僕はそっちの趣味はない」 突然僕に話しかけられてアレキサンダーもかなり驚いたようで、いつもは眠たそうに半分閉じている目が一瞬大きく開かれたかと思うと、その次にはニヤリと笑って彼はこう言いのけた。 「そっちのほうが燃えるじゃないか」 幸いまだ僕の貞操は守られている事はここではっきりと伝えておこう。 僕は店長に「ポケモンの言葉がわかる事」を打ち明け、アルバイトをやめさせてもらう様進言した。 すると店長は快活な笑い声を上げて、「いいじゃないか!アレキも話し相手ができて喜ぶよ」と僕の申し出を一蹴した。 結局僕は、もう少しだけ稼いだらやめよう。もう少しだけ...と思っているうちに1年もこのバイトを続けている。 まぁ、夏は冷房が効いているし、冬は休憩室のコタツでゴロゴロできる。 店長は少しいい加減だけど優しい人だし、給料も悪くない。 ゲイのリザードンの熱い視線も適当に流していれば身の危険は無いし。 つまり何が言いたいのかというと、僕はこのお店が居心地がよくなってしまったのだ。 「おぅい、ジバン君!」 今度は店長の声だ。 店長がいつの間にか昼食を終えて、休憩室の暖簾をくぐって出て来た。 ペタンペタンとスリッパの音をさせながら、右手に何かを持って近づいてくる。 「どうしたんですか?」 「これ、新商品のポスターなんだけどうちで取り扱っていない商品だから、ジバン君にあげるよ」 欲しいと一言も言っていないのに店長は僕にポスターを押し付け、しゃがみ込んでアレキサンダーの背中を撫で始めた。 相変わらず適当な人だなと思いながら僕は丸まったポスターをカウンターの上に広げた。 どこかの砂浜だろうか? 波打ち際でシャワーズが仰向けに寝そべり、ぽってりとした艶のある無防備なお腹を晒している。 お腹には新商品と思われるサイダーの瓶が乗っていた。 このポスターを撮影した人物はきっと変態だなと思いながら、僕はもう一度ポスターをしゅるしゅると丸めた。 「あ、それアレキに見せたら駄目だよ。発情しちゃうかもしれないから」 店長はアレキサンダーの背中を撫でながら言った。 「いや、それは絶対ないと思いますけど」 僕はすかさず訂正する。 5時を告げるメロディが店内に鳴り響いた。 「店長、時間大丈夫ですか?今日奥さんのお見舞いに行くんでしょう?」 店長の奥さんは現在町の病院に入院中で、週に何度かお店を早く閉めて店長はお見舞いに行っている。 確か今日も早上がりの予定だったと思い、僕は店長に確認した。 「そうなんだけど、今日は配達の注文が入ってるんだ。もうすぐ業者さんがくるはずなんだけど」 うちの店はお客さんからの配達の注文も受け付けている。 僕は車の免許を所有していないので遠くまで配達には行けないが、同じ町内であればしばしば配達に行く事もある。 「近くの配達なら僕が行きますよ」 「本当?助かるよ!実はルイス博士への配達なんだけど」 配達先を聞いて僕はしまったと思った。 僕のもう一人の苦手な人間、それがルイス博士だ。 僕がポケモンと会話ができる事を知っている人はそんなに多くない。 僕の身内以外では店長とお店にもう一人いる店員のサカイ。リザードンのアレキサンダー、そしてルイス博士だ。 幼少の頃、僕の特異な体質をどうにかしようと思った時、この町で一番頭が良いと言われていたルイス博士に相談に乗ってもらったので、博士は僕のこの体質を知っている。 さすがの博士も今までに例のない症状だったので画期的な解決策は無く、その代わり合うたびに僕を使って色々な実験をしたがる。 悪い人ではないのだが、自分の知的好奇心を満たすためなら他人の事は気にしないというまさにマッドサイエンティスト。 この配達もまさか仕組まれたものなのではないかとすら勘ぐりたくなる。 「それじゃジバン君よろしくね!」 店長は僕に店の鍵を渡し、水色のゴム引きコートを羽織って店を出て行ってしまった。 「最悪だ」 店内に僕とアレキサンダーしかいなくなったところで、僕は不満を述べた。 「私が付き添おうか?夜は野生のポケモンも多いぞ」 アレキサンダーが上目遣いで優しい言葉をかけてくる。 しかし僕はその手には乗らない。 「お前と夜道を歩く方がよっぽど危険だよ。大丈夫、草むらは避けて行くから」 アレキサンダーが舌打ちをするのとほぼ同時に、業者が配達物を持ってやって来た。 納品書にスタンプを捺印し、配達物を受け取る。 「モンスターボール・・・だよな、これ」 博士への配達物は一個のモンスターボールだった。 梱包も全くされていない。 スイッチの部分が点灯していないところをみると、どうやら中になにかポケモンが入っているようだ。 「まぁいいや、早く済ませちゃおう」 僕は店の札をオープンからクローズに切り替え、全ての窓に施錠をした。火の元の確認と軽い掃き掃除を終えて、最後にカウンターの上のモンスターボールを手にとり自分のトートバッグに入れようとしたところで僕は少し迷った。 トートバッグの中には本や着替えなどが詰まっていて、さすがにこの中に客への配達物を入れるのはまずいだろうと思い、結局僕はモンスターボールをジーンズのベルトループに取り付けた。 こうしてみるとポケモントレーナーにしか見えない。 つかの間のトレーナー気分を味わった後、お店の蛍光灯を消灯して裏口から出た。 アレキサンダーは店長がお見舞いに行く日は基本的にお店で寝泊まりしている。 僕がお店を出る時に彼は少しだけ寂しそうな顔をするが、できるだけ気づかないふりをするようにする。 博士の家はお店からさほど遠くない。 この町の中心にある広場を通って行けば10分ほどで着くだろう。 しかし広場は野生のポケモンが生息する草むらが茂っているので、ポケモンを持っていない僕は夜には近寄りたくない。 いや、今はポケモンを持っているんだっけ? とにかく広場を通るルートはやめて、少し遠回りになるが民家の並ぶ路地を抜ける事にした。 まだ時刻は午後6時を少し回った程度だが、既にあたりはほの暗く、街灯のオレンジ色の明かりが路地を照らしている。 気温も少し肌寒く、秋の訪れを感じる。 そういえば店長がコートを着ていたのを思い出して、僕もそろそろクローゼットからコートを出そうかな、などと考えていた。 その時である。 「あんた、ポケモントレーナーだな?」 確かに何か聞こえた様な気はしていたが、それがまさか僕に向けられた言葉だとは思わずに僕は無視して路地を歩き続けていた。 「おいおい、無視すんなよ!あんたに言ってるんだ」 その男は一度通り過ぎた僕を追いかけ、肩をつかんで来た。 「え、何ですか?」 いきなり知らない男に話しかけられたものだから、僕は心臓が飛び出すかと思った。 どうやら男はポケモントレーナーの様だ。腰にモンスターボールを装着している。 歳は20代後半といったところだろうか? レザーのライダースジャケットと膝の破れたジーパンという格好で、いかにもやんちゃな印象を受けた。 相手を観察しながら冷静さを少しずつ取り戻してきたところで、僕は自分のミスに気がついた。 博士への配達物であるモンスターボールを、僕は腰に装着している。 これではポケモントレーナーと間違われても仕方が無い。 「あぁ~、すみません。これ、僕のポケモンじゃ無いんです」 既に戦闘態勢に入っている男に対し、あくまで冷静に答える様務めた。 しかし男は全く聞く耳を持たず、自分の腰に装着したモンスターボールから今にもポケモンを出そうとしている。 「いやだから、僕はトレーナーじゃないんだってば!」 「ごちゃごちゃうるせぇ!男は黙ってポケモン勝負よ!」 だめだ。全然話を聞いてない。 こういう場合にどうやって対処すればいいのか全く思いつかず、半ばパニックに陥ってしまった。 こんなことならアレキサンダーについて来てもらえば良かったなぁ。 もうどうにでもなれと、僕はモンスターボールに手をかけた・・・ 白い閃光が眼前に広がった。 モンスターボールを使うのは初めての経験で、こんなに眩しいものなのかと面食らった。 目が慣れてくると同時に、次に視界に入って来たのは黒い物体だった。 最初マントかなにかが出て来たのではないかと錯覚したが、すぐにそれは誤りである事がわかる。 真っ黒な中にも光沢があり、翼はよく手入れされている。 夜の闇に吸い込まれてしまいそうな程黒い。 全身黒なのかと思えばそうでもなく、胸元に生えた豊かな毛は対照的に純白で、触ると手が沈み込んでしまいそうな柔らかさを感じさせる。 眼光は鋭く、黄色い嘴はどんなものでも貫いてしまうかのようだ。 ボールから飛び出して来たのはドンカラスだった。 ドンカラスは両翼を大きく広げ、その場で上方へ飛び上がった。 その場に激しい風が巻き起こり、僕は思わず目をつむった。 その直後、右肩にいきなり鉄アレイを落とされたかの様な重量を感じた。 「お、重っ・・・!」 上空に飛んだドンカラスが僕の肩をとまり木にしている。 「あら、また新しい人間?」 外見とは裏腹に、そのポケモンの声はキンキンと甲高い。 また、とはどういう意味だろうか? ドンカラスは自分がとまっている人間が知らない男だとわかると、再び上空に飛び、僕の横に着地した。 重みから解放された僕は、右肩をさすりながらそのポケモンを睨みつけた。 「もう少し・・・ダイエットした方がいいんじゃないか?」 「どこの誰だか知らないけど、レディに対してその発言はないんじゃないかしら?」 ドンカラスはツン、とそっぽを向いている。 「レディって・・・お前、メスだったのか?」 僕の言葉を聞いて、それまですました顔をしていた彼女は信じられないとでも言う様な表情に変わった。 「あらやだ・・・あんた、あたしの言葉が・・・わかるの!?」 「今はそんな話をしている場合じゃない。見てくれ、この状況を」 僕は目の前にいる男をあごでしゃくると、彼女もそれにつられて前を向く。 男も既にボールからポケモンをくり出している。 相手のポケモンを見て彼女は鼻をフンと鳴らした。 「・・・エレブーね。まぁタイプ的に相性は悪いけど、あたしの敵じゃあ無いわね」 「そうなのか?」 「あんたもしかしてバトルは初めてじゃないわよね?」 いつの間にかドンカラスは僕と会話をしているという事実をすんなり受け入れている。 「バトルどころか、あのポケモンの名前すらわからない」 彼女は呆れるとも落胆ともとれる表情で僕を見下ろした。 なんだかだんだん自分がダメな奴に思えてきた。 「何ごちゃごちゃ言ってんだ!来ないからこっちから行くぞ!」 エレブーが地面を蹴ってこちらに飛び出して来た。 「どうしよう!?こっちに来るぞ!!」 「バカ!早くあたしに指示を出しなさいよ!」 「そんなこと言われても、技の名前なんか知らないって!」 「早く!!!」 エレブーはもう僕たちの目の前に迫っている。 右の拳を振り上げ、攻撃のモーションに入った。 「あいつを倒せ!!!!」 僕は叫んだ。 小さく、だけどはっきりと彼女が「了解」と呟くのが聞こえた。 その後は何がおこったのかわからない。 気がつくとエレブーは地面に突っ伏し、目の前から彼女は消えていた。 後ろを振り向くと、黒い羽を優雅に広げ、勝ち誇った表情のドンカラスが立っていた。 「これが『ふいうち』。よーく覚えときなさいよ、ヒヨッコ」 それは僕に言った言葉なのか、それともエレブーに向けた言葉なのかは不明だが、彼女はふいうちという技を食らわしたようだ。 その後もドンカラスは僕の「あいつを倒せ」というたった一つの命令に従い、ほとんど一方的にエレブーを嬲った。 僕はただそれを呆然と見ている事しかできなかった。 バトルなんてした事が無い僕でも、これだけははっきりとわかる。 「レベルが違いすぎる」 詳しいことはわからないが、おそらくドンカラスとエレブーの間には相当な力量差がある。 それに気づかず、相手の男はタイプの相性で勝っているエレブーを戦わせ続けている。 エレブーは全身傷だらけでまさに防戦一方だ。 「もう、いやだ」「ご主人助けて!」と何度も言っているのに、彼の主人にはその言葉は届いていない。 「ドンカラス、もういい」 気がつくと、僕はそんな言葉を発していた。 彼女はしぶしぶ攻撃をやめ、エレブーのそばを離れて僕の横まで飛んで来た。 「どうしてよ。もうすぐあいつを倒せるわ」 彼女は呼吸一つ乱さず、ボールから飛び出した時と変わらず奇麗な容姿を保っていた。 「負けてやってくれないか?」 「は・・・?」 「終わったらすぐに傷の手当をしてやるから、このバトルわざと負けてくれ」 彼女はてっきり反抗すると思ったのだが、意外にも無表情で僕の顔を眺めている。 僕は彼女が何を考えているのかわからなかった。 彼女も同様に、僕が何を考えているのか推し量ろうとしているのかもしれない、と思った。 いくらレベルが違うとはいえ、無防備に相手の技を受けろと命令したのだ。 一方的に殴られろ、と命令されたのだ。 「それは、命令?」 彼女は無表情を顔に貼付けたまま僕に聞いた。 背筋が寒くなるのを感じた。 なんとなく、この質問への答えを間違えてはいけないような気がする。 「一身上の理由・・・かな」 なんだその答えは、と自分でも呆れてしまったが、今はそれ以外表現しようがない。 「ふぅん」 彼女はたった一言言っただけで、もう僕の方を見ていなかった。 その横顔は少しだけ笑っているようにも見えたが、気のせいだったかもしれない。 「ドンカラス、ごめん」 「・・・ヴィヴィアンよ」 「え?」 「それがあたしの名前。他の事はどうでもいいからそれだけ覚えて頂戴」 「ヴィヴィアン・・・・」 彼女の名前を噛み締めるように僕は一度だけ呟いた。 ヴィヴィアンはやはり僕の命令に忠実に従い、エレブーへの攻撃を一切せず、ただ一方的に攻撃を受け続けた。 彼女の急激な変化にエレブーは戸惑っていたが、彼の主人はチャンスとばかりに次々と攻撃を叩き込む。 何度も電撃に打たれるヴィヴィアンを見るのは辛かった。 だけど、これは今ままで自分の事を見て見ぬふりをしてきた罰だ。 目をそらしてはいけないと思った。 何度目かのエレブーの攻撃で、ついに彼女は地面に崩れ落ちた。 僕らの負けだ。 僕はヴィヴィアンに歩み寄ると、彼女を抱き起こした。 あんなに奇麗だった羽は所々毛羽立ち、体中は土ぼこりで汚れていたが、そんな事は気にせず彼女の体を強く抱きしめた。 「ヴィヴィアン・・・」 「何よ、変な顔・・・して」 さっきまで彼女にいろんな言葉をかけるつもりだったのだけど、今は何の言葉も浮かんでこない。 こんなに傷だらけになるまで戦ってくれたんだ。 何か言わないと…。 「・・・痛かった?」 考えた挙句、とっさに出て来たのはそんな言葉だった。 彼女は一瞬目を丸くした後、プッと小さく噴き出した。 「当たり前でしょ、バカ」 僕は彼女に促されるまま、ぎこちない手付きでモンスターボールを取り出しスイッチを押した。 あっという間にヴィヴィアンはボールの中に吸い込まれ、その場には僕だけが取り残された。 僕は立ち上がってジーンズについた土を手で払うと、大きく深呼吸を繰り返した。 こんなにポケモンと会話したのは久しぶりの事で、僕自身もかなり疲れを感じている。 とにかく、博士の家に向かわなくてはならない。 博士なら彼女の傷を回復させる方法を知っているはずだ。 僕は急いで博士の家のある方角へ走り出そうとしたが、さっきのエレブーがまだそこに立っており危うくぶつかりそうになった。 彼もまたヴィヴィアンと同じくらい傷つき、疲弊している。 エレブーの肩越しに、彼の主人であるトレーナーが鼻歌まじりに歩いているのが見えた。 「なんだ、お前まだいたのか。主人に置いて行かれるぞ」 「どうして・・・?」 エレブーが聞く。 僕は質問の意味を理解しようと首を傾げた。 どうしてわざと負けたのか、と聞きたいのだろうか? それともどうしてポケモンの言葉がわかるのか気になっているのか? そういえば、ヴィヴィアンもいつの間にか僕と普通に話していたな。 「君が助けてって言ってたから」 他にも理由はあるが、まぁこれも間違いではない。 僕は簡潔に答えて、エレブーの肩をぽんと叩いた。 エレブーはまだ納得していない様子だったが、黙って彼の主人の元へ走り去って行った。 博士の研究所は研究所と呼ぶのが恥ずかしいくらいみすぼらしいアパートの一室にある。 そのアパートの201号室のブザーを鳴らした。 ブザーはもともとは違う音だったが、ピカチュウの鳴き声を録音した物を博士が勝手に改造してあると先日自慢げに話していた。 音質が非常に悪いので僕が聞いてもピカチュウが何と言っているのかまではわからない。 家主が出てくるのを待っている間、僕は親指で腰元のモンスターボールをなぞった。 出来るだけ早く彼女の傷を癒してやりたい。 ギイ、という錆びついた音がして扉が開き、ルイス博士が顔を出した。 いつも通り長身の身体をグレーのスーツに身を包み、一見するととても研究者には見えない。 ルイスは僕を見ると、まるでおもちゃを前にした子供の様に顔を輝かせた。 「ジバンじゃないか!今度はまたどんなトラブルを持ち込んできてくれたんだ⁉」 失礼な、と思いながらもそこは大人の対応で堪えて、僕はモンスターボールを博士の鼻先に突き出した。 「フレンドリィショップからお届けものです」 僕は博士へのお届けものであるはずのポケモンを勝手にバトルに使い、あまつさえ人のポケモンを傷だらけにした事を詫びた。 博士は僕の話を聞いている間、「ほう!」とか「それで?」などと相槌を入れ、僕を咎めるどころか終始好奇心に満ちた表情だった。 「それで、どうやってポケモンを回復させればいいのかわからなかったから、博士に教えてもらいたいんだけど」 「その前に確認させてくれ。ヴィヴィアンは本当に君の命令に従ったのか?」 僕は彼女の名前を博士には言っていないので、博士はやはりヴィヴィアンの事を知っていたのだ。 「命令といっても、僕はほとんど何もしてないけど」 あれを命令と呼べるのかわからないが、戦闘中確かに彼女は僕の言った事を守り続けていた様な気がする。 「ジバン、ヴィヴィアンをボールから出してくれ」 博士に従い、僕はボールのスイッチを押して彼女を外へ出した。 たちまち博士の狭いワンルームがさらに狭くなる。 姿を表したとたん、ヴィヴィアンは僕の頭を翼ではたいた。 「痛っ!何するん…」 「バカ、回復ならポケモンセンターに連れて行くのが普通でしょうが!」 ポケモンセンター。そうか、そういう施設があったんだった。 ポケモンを持たない僕にとっては勉強をしない学生にとっての図書館くらい縁のない場所だったのですっかり失念していた。 「しょうがないだろ。ポケモンの事全然知らないんだし」 「あんたポケモンの言葉がわかるんならどうしてトレーナーやんないのよ」 「そんなの関係な…あれ、お前傷治ってないか?」 よく見ると彼女の身体は相変わらず汚れてはいたものの、身体中に痛々しくついていた傷はすっかり消えている。 「あの程度の傷、ちょっと羽を休めればどうってことないのよ。それをあんた、あんなに心配して…」 「…ヴィヴィアン?」 途中で彼女の言葉が詰まったので不審に思った僕は彼女の顔を覗き込んだ。 「べっ、別になんでも無いわよ!それより、ここはどこなの?」 そこで始めて彼女は辺りを見回すと、僕らのやり取りをニヤニヤと楽しそうに観察していたルイスを視界に捉えた。 「やあ、久しぶりだね、ヴィヴィアン」 「なんだ、クソ博士の家か」 彼女は顔を歪め、ルイスに向かって悪態をついた。 どうやら彼女の方も博士とは初対面じゃないらしい。 「何て言ってるかわからないけど、久しぶりに会えてヴィヴィアンも嬉しいみたいだね!」 対象的にルイスはニコニコとしている。 「どうだい、ジバン。彼女と一緒に過ごしてみる気は無いか?」 「ちょっと待って下さい。なんでいきなりそうなるんですか?」 「その子は今ちょうど貰い手が居なくて困っていたんだ。一時的に私が預かることになっていたんだけど、ご覧の通り私は研究に忙しくてね」 あまりに唐突すぎる申し出だ。僕がポケモンと暮らすだって⁉ 僕は首を左右に振った。 「僕は今回の事で思い知ったんです。僕はやっぱりポケモンと関わるべきじゃないって。ポケモンの言葉がわかっても何もいいことなんて無いんです」 「そこなんだよ」 博士は人差し指を僕に向かって突き出した。 「君は今までポケモンについて無関心過ぎた。私は今まで君がどれだけ苦労したかなんて知らない。私はポケモンの言葉がわからないからね。だけど君はポケモンの言葉がわかるというだけで、ポケモンの事を全てわかっているつもりでいるんじゃないのかな?」 「そんな事っ!」 「言葉なんて飾りに過ぎない。実際に私達人間は言葉が通じるが、それだけでお互いに分かり合える事はない。平気で嘘もつくし、言葉で相手を傷つけたりもする。だけどそうやって少しずつ相手の事を理解していくものなんじゃないのか?」 僕は博士の言葉に反論できなかった。 博士の言っている事は正しいけれど、今すぐにそれを受け入れることはなかなかできない。 それは今までの僕を否定するみたいで、気分が悪い。 僕は本当にポケモンと分かり合えるのだろうか? 「だったらヴィヴィアンに聞いてみるといい。彼女が君と一緒にいたいかどうか、ね」 僕はヴィヴィアンを横目で見る。 彼女は僕の視線を感じ、少しだけ姿勢を正した。 「私は別に構わないわよ。それに…」 「それに?」 彼女は急に顔を赤らめ、僕と合わせていた顔を逸らした。 「…あんたの事…なんていうか…」 彼女の言葉はボソボソと小さく、うまく聞き取れなかった。 「何だって?もう一回言ってくれ」 ヴィヴィアンは一層慌てた様子になり、何か雑念を振り払うかの様に首をブンブンと左右に振った。 「なっ、何でもないわよ!それより今日のバトル、あれは貸しだからね!」 「はぁ?何だよそれ!今更そんな事言い出すのかよ!」 はっはっはっという大きな笑い声が僕らの言い争いを遮った。 突然笑い出した博士を僕とヴィヴィアンは胡散臭いものでもみる様な顔で見つめた。 「いや、失敬失敬。君達のやり取りが面白くてね」 何が面白いのか博士はまだ笑いを堪えている。 「帰るわよ」 ヴィヴィアンは踵を返し、のしのしと狭い廊下を歩き出した。 「待てよ、帰るってどこに?」 「あんたの家に決まってるでしょ、バカ。あたしは早くシャワー浴びたいんだから」 僕はぽりぽりと頭を掻いた。 ポケモンと生活するのもそこまて気負うことではないのかもしれない。 少なくとも退屈はしなくて済みそうだ。 「ジバン、私はポケモンの言葉なんてわからないがね、彼女が君に何と言っていたのか当ててやろう」 博士がなにやら自信ありげにニヤリと笑った。 「帰ったらわたしのケツにキスしろ、だ」 「全然違います」 こうして僕とヴィヴィアンの奇妙な生活が始まった。 ---- お久しぶりです。macaroniです。 このお話は2〜3年くらい前に一度投稿した事があるのでもしかしたら覚えている方もいるかもしれません。 当時は謎のページ消失が起きてそれ以来書く気力を失ってしまったのですが、プロットを気に入っていたので今回リメイクという形で復活させました。 ここまでお付き合い頂きありがとうございます。 #pcomment(フレンドリィコメントログ,10,) IP:49.133.86.231 TIME:"2013-05-26 (日) 22:45:40" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?guid=ON" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Macintosh; Intel Mac OS X 10_8_3) AppleWebKit/537.31 (KHTML, like Gecko) Chrome/26.0.1410.65 Safari/537.31"