#include(第十一回仮面小説大会情報窓・非官能部門,notitle) 「オーマイゴッド! この子はバトルに出られないのかい!?」 「残念ですが規則ですので……」 いかにも今の今、週にいくつもない国際便でたどり着きましたという出で立ちの、周りの人間から見れば明らかに浮いている風体の男は、その足でクチバシティのポケモン協会に向かった。 「でも、ここにある149匹なら公認の大会に出られます。ノーマンさんは国際免許ということで、人の方の資格には問題ありません」 天井に突きそうなくらいひょろ長い手足と首を大げさに振り回し、自分の連れてきた相棒たちが活躍できないアンラッキーをアピールする。受付嬢や他の利用者が注目し、そしてバツが悪そうに目を背けた。 「ああ~……ま、しょうがないヨネ。下調べの足りなかったボクが悪イ」 ワックスでぴっちりと整えられた赤みがかった髪を台無しになるほどぼさぼさし、しばらく殻にこもったカメックスのように縮こまってうんうんうなると、突然砲台からハイドロポンプを噴射したように飛び上がり、納得した表情をする。 受付嬢は目の前の奇妙な外国人に怯み、綺麗な青い目を合わせないようにしていた。 「とりあえずスケジュール表と書類をもらおうかナ」 受付嬢は安堵の表情を浮かべて書類を渡す。どうやら無事に切り抜けられそうだ。 書類を受け取ると例の注目の的はさっきまでの大げさなアクションは何だったのかというほど穏やかに退出していった。 あれだけオーバーなことをしたから、誰もついて来ない。それでもまだ誰か覗きに来るようだったら、母国語で捲し立ててやろうかと思ったが。 彼は誰もいない海辺の休憩所で書類を開ける。カントー人は余計なものまで付けるのか。まず最初に出てきたのは、クチバシティジムリーダーのマチスとピカチュウが表紙でポーズをキメている観光案内だった。ガラル語だ。 「クソヤンキーが見たいんじゃねェっテの」 彼はぐしゃりと案内を握りつぶすと、足元に捨てて踏みつける。入り込んだ海砂と土の付いた運動靴ですぐに無残な姿になったのを、彼は見届けなかった。 「ちっ、カントーは遅れてる」 公認大会で使えるポケモンたちを眺めて、すぐに呟いた。ルールブックを読めばもっと遅れてる。未開だ。非文明国だ。という感想しか出てこないと分かっているので、その場では見ない。 「ビジネスのためだ。適当に数匹捕まえて、それで回すシカないナ」 腰のボールに手を回すと、中のポケモンたちを叩き起こす。いずれもカントー地方ではまるでお目にかかれない珍種ばかり。研究者ならさすがに知っていてほしいが、市井の人間は名前すら知らないだろう。それがアドバンテージになると思ったんだが、と彼は溜息をついた。 「獲物はあとから探ス」 彼は夕暮れに向かって歩き出す。ポケモンを一匹繰り出して。危険な夜の海や、整備されていない道も、彼にとっては夜景付きのスイートルームで一泊するのと何一つ違いはなかった。 もっとも、カントーごときのホテルで、というのもあったのだろうが。 ---- ポケモンリーグ。それはポケモンとともに生きるもの憧れであり、夢である。こう語っている間も、ポケモンリーグに出るためだけに厳しい鍛錬を詰んだり実戦を重ねているポケモンとそのトレーナーがいるのだろう。 名誉がある。実力が認められる。何より賞金が高い。目指す理由は多々あれど、全て皆同じ終着点へと進んでいるのだ。 ところで。 ポケモンリーグに出場と言えば、公認のジムバッジを8つ集めて予選を勝ち抜く方法が有名であるが、実はそれだけではない。 それしか方法がないとわざわざバッジを集めるために長い旅のできる一部の特別なトレーナーを除けば、どれだけ実力があっても参加不可能になってしまう。ポケモンリーグの課題の一つは門戸解放だ。 だから、カントー中枢の都市ヤマブキでは、カントー地方の協会に所属するポケモントレーナーの志願者全員に対してポケモンリーグにふさわしいトレーナーと決めるための大会が、この時期にはほぼ毎日のように行われていた。ポケモンリーグトライアルシリーズと呼ばれる。 普段別の仕事をしている者や学生の身分の者も休暇を取ってヤマブキに詰めかけている。それを眺めて楽しむ観客たちも。休暇を取るのも楽ではないが、長い旅に出るよりはいくらもマシである。 何より、トライアルシリーズと言ってもそれなりに賞金が出る。 ノーマンはそこにいた。ビジネスのために。ビジネスといっても、ポケモンバトルだけがビジネスじゃない。ポケモンバトルに関する、相手が必要なビジネス。 その相手を探して、わざわざ混雑の極みにあるポケモンセンターにやってきたのだ。ただ、その中でも体格と風貌からかなり目立ってはいた。 「下村ァー!」 「うわっ」 ヤマブキシティのポケモンセンター。大会参加者が多すぎてここのところは常にパンク状態だ。移動手段のある人は近隣のタマムシまで出かけたりする。泊まる部屋も当然満杯、別に宿を取れればラッキーな方、ヤマブキに来てから聞いた話では野宿というトレーナーもいたとかなんとか。 壁に貼ってあるジムリーダーナツメの超能力付きトークショーを威圧するように貼られた無数のポケモンリーグに関するポスターが現状を象徴していた。 「なんだ、桐山か」 「なんだとは何よ、せっかく一人で緊張してたのをほぐしてあげたのに」 人を人で、たまにポケモンで洗うような混雑の中で知り合いに会えた幸運のボーイミーツガールの場面だった。 (へェ……) 下村と呼ばれた少年トレーナーに対して、少女がハイタッチをする。古い知り合いなんだろう。少年の緊張を解くには一番の薬となる。少女のほうも少年に緊張を解してもらいたかったようで、少しだけ頬が紅潮していた。少年のほうは逆に土色になっていたのだが。 ノーマンは、もしかするとこの二人のうちのどちらかをビジネスの相手に出来るのではないかと考えた。 「どう、自信のほどは? 私はもう当然バッチリ! 見てよ、私のリザードン、怖くなったでしょ。単純な力を強くするのはほどほどにして、炎の威力を上げたんだよ」 少年が苦笑する。 「ここで出すなよ、ただでさえ狭いんだから」 ハイテンションでまくしたてる桐山。なんだか緊張か不安でうまく話の出来なさそうな下村にすればありがたいように見えたが、混雑するポケモンセンターの中にリザードンを繰り出さんとする勢いにはたじろぐしかない。大げさに両手を挙げて肩をすくめる。 「それにイーブイはサンダースに進化したんだ!」 ハイテンションでまくし立てる桐山と、ついにムッとなって語調が荒らぐ下村。 「……いいの? そんなに手の内見せて。僕たち当たるかもしれないんだよ?」 「え? そんなの関係ないよ。お互いいい勝負が出来れば!」 ほう、これはこれは…… とんだビジネスの種に出くわしたものだと、ノーマンは舌なめずりした。ノーマンにとっては外国語で書いてある月刊誌に四苦八苦しているフリをして、聞き耳を立て続ける。 「ところで下村のリザードンはどう?」 下村がはっとしたように一つのモンスターボールを背中に隠す。しばらく沈黙して、下村が答えた。 「えー、あんまり変わってない」 「そうなの? バトル見に行くね! あっ、前島さんだ。挨拶してくるね。夏からスポンサーになってくれてる薬の会社の人!」 そうして桐山は下村から離れていく。見たところ、下村の方は市販品のバッグに量販店の旅着、モンスターボールには何も装飾は無い。 モンスターボールを握り締め、じっと見つめた後、はぁ、とため息をついてうな垂れる。 一方で桐山には企業ロゴ。特注品のモンスターボール。マエジマサン。明らかに特別待遇だ。 ノーマンの頭の中でストーリーが出来る。 少女は昔から地域の子供たちの中で一番強かったし、少年は何度も挑んで返り討ちにされてきた苦い思い出がある。 あるいは、少年は昔は地元の同世代の中では一番強かったが、大きな大会に出て少女にコテンパンにされた。 こっちの人間はみな幼く見えるが、おそらくハイスクールを出て数年たったくらいか。 ハイスクールを卒業してからプロのポケモントレーナーとして活動するというのはカントーのチャンピオンを狙ったり外の地方で立派にやっていく一部の才能に恵まれた人たちに比べれば遅すぎるくらいだが、それでも飛び出した桐山という少女はよくやっているし、下村はそれを追いかけて一緒にこの世界に飛び込んだ同級生の数少ない生き残りである。 まあ、経歴はどうでもいい。 お互いに調子を尋ねたリザードンは、プロライフを始めたときからの知り合いでエースだろう。 モンスターボールを隠したのはリザードンが入っているから。きっと彼はボールの中で何で隠すんだよと怒っているだろう。 きっと、何も変わっていないのだから。努力をサボったつもりもないが下村とリザードンはまったくレベルアップできていない。 スポンサー。知らない大人。会社の人。どれも今の下村には無いものだ。これまでも一度としてめぐり合った試しがない。正当に旅をしてバッジを集めてでもポケモンリーグに進めるような有望な少女と、一発逆転を夢見てなけなしの資金を握り締めてヤマブキにやってきた少年には、痛いほどの差がある。 桐山という少女に夢を見てその背中を追ってきたが、その追いかけっこもついに限界に来ているとでもいうことだろう。 「チョット作家過ぎタかナ」 重要なのは、下村が桐山を追っていること。のっぴきならない現状であること。何が何ででもチャンスを掴まないといけない状況であること。 そう結論付けるにはヒントが足りないし短絡的過ぎるって? それはない、とノーマンには断言できる。 ここにはチャンスがある。夢がある。ポケモンリーグに出ればスポンサーたちの目にも留まるし、賞金だけで食いつなぐことも出来る。 ノーマンは知っている。これまで何人もそうして夢に賭けたトレーナーを見てきた。そのバックボーンだって知っている。 よくある話だ。プロの世界では。 下村からは、そのニオイがぷんぷんする。 そして、そういうトレーナーこそ、ノーマンが好むビジネスの相手だった。 ――一匹目のキツネ、決まり ---- 「強い! 強すぎる! カントーから遥か遠く9000キロメートル、ポケモンリーグの本場ガラルからやってきた一人の紳士!」 特設スタンドのショースタジアム、よもやカモネギなんぞで相手に全く触れさせずに勝ちを決めた外国人は、陽気に観客席に向かって両手を振った。 「ジェントルマンのノーマン、圧勝でベスト8を決めています!」 珍しいガラル地方からの遠征トレーナー、カントーの人間からしたら珍しい容姿で出身地に対する畏怖の念もある―マチスに対するカントー人の反応がそれを先に証明していた―という要因もあり、ノーマンはヤマブキで話題をさらった。そしてノーマンはそれを望んでいた。 勝利に浮かれてニコニコとサインに応じる彼の姿は、整えられた容貌とわざわざ選んできた服装もあり、どう見ても高貴な騎士で、同時にガラル紳士だった。警備員が観客を止めても握手やサインに応じていて、次の選手が入場するまでそれは続いた。 「ふんっ」 ところがノーマンは控室に戻ってドクターにポケモンを提出すると、周りに誰も、何者の気配もないことを丹念に確認すると、憮然として溜息をついた。 「カントーの連中が弱すぎるのサ、バカ」 無人のロッカールームほど愚痴に適した場所はない。他の選手はライバルの動向視察に行った。日程がだいぶ進んできているから、どうしても負けたくないのだろう。 ここならどれだけ毒を吐いても空気に溶けて消えてしまう。マタドガスの毒とは違う。 「ダイタイ全員にチャンスを、ナンてバカそのものだヨ。しかもいくツも大会をやってヨリ多くポイントを集メロとか、選び方もマヌケだ」 遠くから歓声が聞こえる。花火でも上げてるのか、それともポケモンの技か、爆発音もだ。 彼の地元からはとても考えられないほど呑気でゆったりとしたバトルの流れをしていた。誰もいないのをいいことに、 「それじゃあ、ビジネスの時間と行こうかナ」 ただし、それだけヌルいとこちらとしては助かるというもの。 既に騎士然とした紳士の皮を脱ぎ捨てたノーマンは再び皮を被りなおす。人の良さそうな笑顔を作り、背筋を伸ばして堂々と振舞う。それだけで相手が騙されるのだから、チョロいモノだ。 ---- 下村は明らかに緊張していた。ドキドキが収まらない。これからバトルがあるわけではない。むしろ逆で、今日の試合が終わってもうしばらく経つ。 人のいない選手控え室と関係者用入り口への通路で、一人胸を押さえて座り込む。 勝った。 何に? 負けたら終わりのトライアル、相手は8年前のリーグ出場者。今年限りでスポンサー契約が切られると言っていた大ベテランで格上の相手。齢30を超え、次のキャリアを探さなければいけない彼は、下村の目にも悲壮感と焦燥が認められた。 互いに2匹が倒れて最後の一匹になったところで、相手の研究不足が災いした。ラフレシアを迎撃する下村のリザードン。しわの増えた顔を歪ませて歯噛みする相手を心臓を握りつぶされんばかりに興奮物質を分泌していた。 相手を自分と重ねてセンチメンタルになっていたのもある。ここで勝てなきゃ一生次に進めないと思う反面、ここを抜ければポケモンリーグにあと一歩まで迫ることができる。 腕を抱え込み、ガタガタ震える。熱い。熱いのに、寒い。こんな気持ちは初めてだ。手持ちのポケモンたちは全てメディカルチェックに行って、今は自分ひとりだ。一人じゃなきゃ、こんなことはしない。 最後の場面、ラフレシアのはなびらのまいを切り開いて勇敢に飛び込み、渾身の一撃を決めてから、ここでこうして奮えるまでの記憶がほとんどない。 勝利者インタビューで何を言ったか、ドクターに何を言われたか、誰にあって何とやり取りしたか…… ようやく呼吸が整ってきた。遠くからマイクのハウリングが聞こえる。またひとつ戦いが終わったんだろう。そろそろポケモンを返してもらって、明日の準備をしなくては。 「ヘイ、下村クン」 今まで自分の世界に入っていたから、こうしてよく知らない外国人がしゃがみこんだ自分を覆うようにして壁に手をついているのに全く気づかなかった。 「下村クンは、もうポケモンリーグ出場が決まってるんダッケ?」 流暢なことばだった。ところどころ電波の悪いラジオのような異様さはあったけれど。 「まだです。明日勝って、明後日も勝てば……」 勝利に浮かれいたのもあっただろう。わざわざ自分に近づいてくる知らない人間に、善意ばかりがあるとは限らないことを完全に忘れていた。 外国人が立ち上がり、大げさに額を叩きつつ天を仰ぐ。デカい。自分がへたりこんでいるのもあるが、カントーのトレーナーの中でこれくらいあるのはほとんどいないはずだ。 「オォ~残念。ワタシ、アナタのポケモンに勝ってしまう!」 向こうの人は感情表現が豊かなのだろうか。大げさに頭を抱えて肩を落とし、やれやれと首を振る。こっちの人間なら、大男がかがんでわざわざ何をやっているんだと言われかねない。 気づいて、衝いていたいた手をどけ、握手に変えて差し出す。 「明日の、相手だよン。ノーマンてんだ。がらる地方から来た。ヨロシク」 そうだ。このよく知らない外国人はしかし知らない相手じゃない。今回の大会には外国人が出ていると聞いた。今年から入ったばかりの新人で、向こうでの経験があるからかなり強いと。 話題になっていたから何度か見たことはある。トーナメントが出た時もわざわざ名前を探して、しばらく当たらないと分かってほっとしていた。それが、もうここまで来たなんて。 ようやく自分のことが誰だか伝わったと感じたノーマンは、ひとつ咳ばらいをする。そして、今日はいい試合だったと褒めた。しかし自分の敵ではない。そういう意味だった。下村もそういったニュアンスを感じ取ったのだろう、褒められてもニコリともせずに、何も言い返さなかった。 「そこで相談ダ」 どん。両手で、下村の首を挟むように、壁を衝く。そして、濃紺でつやの強い背広の胸ポケットからメモを取り出して、下村の旅着にの胸ポケットにねじ込んだ。 「今ならコレで負けてあげるヨ」 下村にはこれまでそんなことをされた経験はない。何のことかと思い、ねじ込まれたメモを見る。 インクで、数字だけが書かれていた。ご丁寧に、単位まで添えられて。おカネの単位だ。そして、それはこのトライアルでこれまで得られた下村の賞金より高くて――いうなれば、ちょうどノーマンに勝って得られる賞金とほとんど同じ額が記されていた。 それが意味するところは一つしかない。今まで知識としては知っていたが、そんな発想はなかった。その原因を人間に求めたくはないが、しかし。嫌悪感が、下村を襲う。 「八百長しろって言うんですか!!!」 「そうしなきゃ君は勝てないヨン。我ナガラ良心的な価格ダト思うガね」 自信満々に、下村など眼中にないと言った感じで、ヘラヘラと肩を竦めるノーマン。それが下村の、実力に裏打ちされない張りぼてのような自尊心に火をつけた。きっと、ノーマンは見透かしていたし、下村だってこれさえなければ立場をわきまえて黙りこくっていたに違いない。 それだけ、いうならノーマンにとっては話にならない雑魚だとしても、下村にとっては許せないことだった。 「勝負はやってみなきゃ分からないでしょう!!!」 「ンン~……ソレもソウダ」 茶色がかった透き通った目でノーマンは下村を値踏みするようにじろじろ眺める。率直に言って嫌悪感しかない。 「でもきっと、ボクが勝ツ。そうすると、キミはポケモンリーグに出られなイ」 ノーマンにとって、下村は狩られるキツネ。勝利買取のメリットを懇々と説くより、自分の頭でじっくり考えさせる。もちろん、一つの結論へいたるよう誘導しながら。 賞金が出る。スポンサーが出る。名誉がある。結構なことではないか。人間だけが浴するのなら、いくらか考える余地はあれども、ポケモントレーナーにとってはそれが直接世話をするポケモンたちの福祉に直結しているのだから。 だからこいつは、ある意味で幸運で、ある意味で不幸な、まだ無知なプロトレーナーだったと、ノーマンは結論付けざるを得なかった。 「……こんなに遅れていたとハ、認識を改めるシカないようだゼ。ボクはたぶんまだチャンスはあるが、キミはどうかな? ここまでたどり着くのもやっとだったロウ?」 ノーマンの物言いが変わる。 「夢が、すぐ掴める所にあルんだぜェ?」 ここで、ふざけるな。そんなことはないと言い返せなかったことが、情けないことこの上ない下村の実情だった。 でも、少なくとも下村というトレーナー一人に対する評価には言い返すことは出来なくても、それを離れて一人のトレーナーの義務として、なんとしても言わなくてはならないことがあるのも事実。 下村が立ち上がる。立ち上がっても相変わらずノーマンが下村を見下す構図は変わらない。 「……ポケモンバトルを、バカにしないでください」 「ンッン~……マァ、考えておいてくれヨ。今なら料金後払いもヨシ」 そんな見え透いた挑発には乗らないだろうと、ノーマンは手をひらひらさせる。耳を澄ませば、スタジアムで試合の終わったトレーナーが帰ってこようという時間だった。 仕方がない。今度の交渉はこれで終わりだ。一つだけ追加する攻撃はあるけれども。 「ああそうそう……キミに勝ったらセミファイナルは桐山チャンとか……」 ノーマンは性根が腐ってもプロなのだろう。プロを半分あきらめた人間に、夢を託した人間の名前を出して脅すだなんて、負け組の、尊敬するトレーナーには勝ち進んでもらいたい心理を突いてくるなんて。 幸か不幸か、下村の心について相談に乗るような手持ちポケモンは全部ポケモンセンターだ。手持ちがいたところで一緒に激昂して控え室で選手襲撃なんて事態にもなりかねないのだが。 クソッ、と、下村は心の中でだけ悪態をついた。すでに下村は背を向けて、スタジアムそのものを後にしようとしていた。 他のトレーナーたちが戻ってきたのはノーマンの無礼極まりない態度がまるで考えられなくなる紳士の皮をもう一度被ってからで。 「下村、どうしたの! 顔色悪いよ! 何かあった!??」 戻ってきた中に桐山がいた。廊下に呆然と突っ立っている知り合いの様子がおかしい。 桐山が肩を揺する。額に手を当てて熱を見るが、異常は感じられない。下村は大丈夫だよ、と搾り出すようにつぶやいた。 「ちょっと、下村!?」 自分で大丈夫と言い出す人が本当に大丈夫なことはほとんどない。桐山を振り払って会場を後にする下村の背中を、ほうっておくわけには行かないと思った。 「桐山ちゃん桐山ちゃん、今日これから食事会でしょ。早く早く」 「え……あ……」 しかし彼女には彼女のしがらみがある。この人はどの企業のなんて人だっけ。今それどころじゃないんです。下村は聞こえていないフリをする。そのほうが都合がいいから。 「下村!」 下村の足が止まる。背中しか見せていないが、今桐山が見たらどんな顔をしているだろう。 彼女はちょっと迷って、ひらめいたように叫んだ。 「明日もがんばれ!」 桐山はそのまま接待へと拉致された。下村はわずかに右手を上げて去っていく。 知り合い?高校の同級生です、という話が途切れ途切れに聞こえてきたが、下村は耳を塞いだ。 下村はチェックを終えポケモンを受け取り、そのまま宿へ。いつもと様子の違う主人の様子に、ポケモンたちは戸惑っていた。 ---- 翌日。どうやらカモは健康的な睡眠時間を確保することができたらしい。その質が好ましいものかあるかどうかは別として。 根拠のない自信を健康的な精神が後押しして、やたらすっきりした顔をしていた。 「さァ、一応答えを聞こうカ」 戦闘開始前のフィールド中央での握手にやってきたノーマンは、やはり最後の意思確認をした。 「お前を、倒す」 バカを言うな、とノーマンは思った。 ヌルい環境にいるか、追われた経験がないからか……いずれにせよ、どちらも経験のあるガラルのトレーナーは失笑するしかない。やってみなきゃわからない勝負ってのは、一部のトレーナーに許された特権のようなもの。 やらなくてもわかる勝負なんて、本来この上なくありがたいことなのニ。 お互いの右手と右手、ノーマンが下村を見下ろす形。ノーマンは組まれた右手に左手をそえ、ガッチリ握った。ノーマンにしてみれば、モンスターボールも握りなれていない、ド素人の手となんら変わらない。 「……イイ勝負をシヨウジャナイカ!」 ◇ ガラル地方で幼いころを過ごしたノーマンは、同じ地域の同じ世代の子供たちと同じように、ポケモンバトルに夢中な少年だった。フットボールにも興味はあったが、ポケモンと一緒であることを選択した彼は、大きくなったらポケモンたちと一緒にリーグを制覇したい!という当然の欲望を持つ。 ガラル地方の子供達でも優秀なものが貰えるリーグへの挑戦状こと推薦状を無事受けた彼は順調に夢へと進んでいった。推薦状に適わず脱落した者。旅には出たものの落後した者。その他の要因で脱落した者。 音には聞いていたが、彼にとってはすべて遠い世界の話だというくらいには、縁がなかった。 さて、一つの勝利がその後のトレーナーの人生を変えることがある。 逆に、一つの敗北が変えることもまた然り。 10数年ほど前の記録だろうか。 ノーマンの名前と、その対戦相手に、のちのチャンピオンになるトレーナーの名前がある。当たったのは1回戦。最高の舞台であるポケモンリーグの1回戦。 そんな通過点に過ぎない舞台でも、傷を負ったほうはしつこく思い出すものだ。 お互いに5匹を消耗した後の6匹目。相手はよく知っているし、自分も相手によく知られているから出した、お互いに最後の手段になる一番付き合いの長いポケモンたち。相手はリザードンで、ノーマンは自分の始めてのポケモンだったネギガナイトだった。相性が悪さなんて関係ない。自分が一番よく知っているポケモンに、最後は託したかった。それだけ。 盛り上がる場内と冷静になる両者、 しばしの攻防を経た挙句、最後はネギガナイトがリザードンの急所を看破した。 リザードンの生態をちょっと知っていればすぐに逆転はないと分かる。袋火炎を突かれ、喉が潰された。羽は度重なる槍の猛攻に打ち据えられもう動かず、のこる武器は腕力だけ。 ところがガラル地方のカモネギは、空を飛ぶ夢を諦めた代わりに強靭な肉体を持っている。なんど突きをつぶされ、翼で打たれても立ち上がる強靭な精神も魅力的だった。体格は微妙に劣るとはいえ地上でのドッグファイトなら負けるつもりは無い。 槍と盾を扱うために異様な骨と筋肉の発達したネギガナイトは、リザードンの抵抗に焼け焦げたながねぎはもはやトドメを刺すには力不足。 「ネギガナイト!」 振り返らずに槍も盾も捨てる。そして、突撃。武器を捨てての突撃に、リザードンも身一つで抵抗した。地上戦で有利なのは飛ぶことを諦めて覚悟を決めたネギガナイト。勇敢に突っ込んでいく姿に観客のボルテージが上がる。 ただしこれは無謀ではない。十分勝ち目を持って挑んでいるのだ。リザードンに比してやや小柄なネギガナイトがなりふり構わぬ爪の猛攻を皮一枚で、否、羽毛一枚で凌ぎきって後ろをとっとたき、観客もノーマンも、呑気にももろ手を挙げて拍手していた。 後ろをとれば何をするかなんて一つしかない。こいつはもう飛べない。翼の間に飛び乗って、首を持ち上げればもう大丈夫。羽をむしられボロボロになっているネギガナイトがこちらを向く。そうだ、それでいい。 勝った! このまま首を捻り倒せば試合は終わる。観客のノーマンコールが始まった。 ◇ 下村の二匹目、マルマインも手も足も出ず、いや、手も足もないのだが、相性では圧倒しているはずなのにカモネギに一蹴されてしまった。 観客席はノーマンを讃えるのを通り越して、情けない下村にあきれ始めていた。下村も下村で、自分があまりにも弱すぎることに絶望していた。 ノーマンはイライラしていた。 なぜマルマインがこんなに動きが遅いのか。なぜ電撃がこうもよけやすい軌道を描いているのか。追い詰められたから自爆で道連れを狙おうなんざ、見え見えすぎて笑いすら出る。 故郷ではあるまじきこと。 「……デ、エースの出番だろウ?」 下村は自分が弱いことは十分理解しているつもりだった。カモネギを攻略して桐山への援護射撃をすることすらできそうもない。 きっとこれが最後になるから。感情的にもなるさ。せめてやりたいことはある。 ノーマンの側からでも、下村がボールを見つめているのがわかる。反吐を吐こうと思ったが、ここは衆人環視のスタジアムの真ん中。ぐっと飲み込んで、叫ぶ。 「カモネギ!」 マルマインが赤い光に包まれると同時に、カモネギは動き出した。ボールから出された直後を狙う。勝者のアドバンテージ。試合開始の合図とペナルティが曖昧なこの地方では非常に効果的だった。 とはいえ、相手が何を繰り出してくるかわからなければ効果も半減だが、今回は違う。 「絶対、そうだろう?」 赤い光が指したところに走りこませる。中のポケモンが実体化するところでネギをぶん回し。カントーのカモネギはガラルとは勝手が違うし非力だが、これを食らって何もないことはないだろう。 ネギの振りが大きすぎないかって? いいや、これでいい。だって下村はリザードン以外出さないだろう。それならちょうど顎に入る。 バコン、と軽いながらも鈍い音がした。出てきたばかりのリザードンは何が何だかわからず視界を揺らす。下村は離れろと叫ぶが、先手はこっちのものだ。 やっぱりネ! フーリッシュ!! 審判がようやく戦闘開始をコールした。 ◇ 確かにひねり倒せば試合は終わる。 その代わりに、リザードンの頸椎はどうなるかわからない。戦闘不能どころか再起不能だ。ノーマンは最後の指示を送れないでいた。 これは6匹目同士の戦いだ。相手のトレーナーがリザードンをボールに戻しさえすればリタイヤになる。助けてやれよ、視線を送ったが、やつは信じるような目でリザードンをただ見つめていた。 (バカ野郎……! わかんねえわけじゃねえだろ……!) 首が取られてるのだ。締め上げて窒息させるにはネギガナイトの羽では不器用すぎる。リザードンがいくら暴れようとも羽の間に入られてはどうにもならない。地面にこすりつけたところで離れるようなタマではないのだ。 「審判!!! 止めろよ、審判!!」 審判はまだ未熟だった。リザードンはまだ動けているじゃないか。早くトドメをさせ。ほら、観客だって望んでいるだろう、と目で訴えかけている。 「くそおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」 観客席の最上段まで届く悲鳴だったらしい。ノーマンは、そのままひねり倒していれば次のステージに進めていたはずの試合を、自分の良心から放り捨てて敗北を選んでしまった。 このまま突き切れば頸椎を壊して永久に現場には立てなかった、未来の王者のリザードンを、みすみす逃すという愚策。 「締め上げをといてそのままブレイブバード!」 そうだ。これが決まれば相手は倒れる。何も再起不能にすることは無い。 ネギガナイトが飛び上がる。リザードンの目は死んでいなかったし、そのトレーナーも全く諦めていなかった。 愚策。 ブレイブバードの体勢を作るために、リザードンを完全に自由にしてしまった。狙っていたのかどうかはわからない。ぐるりと振り返って、空中にいるネギガナイトを睨む。 まずい、とノーマンとナイトが思った瞬間、もうすべてが終わっていた。 炎と翼を奪ったら、リザードンの武器は腕しかないという趣旨の発言をしたが、実際は違う。まだある。 咬合。 ネギガナイトの利き翼の付け根。向こうも必死で手加減できなかったのだろう。気のせいだったかもしれないが、ガラスが砕ける音が―きっと砕けたのは骨だろうが―スタジアムをつんざき、みちみちと翼を引きちぎりながら地面へと叩きつけられる。 悲鳴は歓声に早変わり。地面にたたきつけられたネギガナイトに、さらに追い打ち。あまりの事態にノーマンは自分のすべきことを忘れていた。 「リザードン、もういい!」 察した相手のトレーナーがリザードンを止めるが、既に興奮状態で聞こえてはいない。今の今まで自分を追い詰めていた敵にとどめを刺さんと、振り下ろされた尻尾が瀕死のネギガナイトを文字通り粉砕した。 「おいノーマン、戻せ!」 この一言がなかったら確実にいっそうの追い打ちを食らっていただろう。大腿の踏みつけがネギガナイトの頭を踏み砕く寸前で、ノーマンはネギガナイトをボールに戻すことに成功した。 高潔なポケモンバトルは凄惨な破壊現場になり、血と破壊に会場は大熱狂。 審判が高らかに相手の勝利を宣言する。ほっとしたようにリザードンを戻し、フィールドに降りていく相手。 そんな場面を見る余裕もなく、ノーマンはドクターのもとへすっ飛んで行った。 ネギガナイトは現場への再起不能を宣告された。わざとではなく、試合の流れ上どうにもならないことだったと運営からは結論付けられた。この試合だけが原因ではないが、ルールはいくつか改正されたらしい。 いうまでもなく、ノーマンは二度とこの舞台に立つことはなかった。リザードンのトレーナーが史上最も追い詰められた試合を出そうにも、すぐに彼は観客に対する不義理でガラルリーグを追放された。わざと自分の勝利を捨てて自分の敗北を選んでしまったことが原因ではない。 ◇ カモネギは三匹目を相手にしても優位に戦いを運んでいた。 祈るような下村の目と、今にも泣き出しそうな指示。リザードンが何とか応えようと力を振り絞るが、ノーマンのカモネギは受け流してしまう。 「舐めてんじゃあ、ネエぞ」 しかしイライラしているのはノーマンの方。カモネギの攻撃が面白いように当たる。次に何をするか手に取るようにわかる。 うっかり攻撃に触れても、まるでカモネギにきいていない。しっぽの炎は燃え上がっているか? 煤が出てるのではないか。 「おレの前に、こんナニ弱いリザードンを出すんじゃねぇ……ッ!!」 ◇ 見ている人が見れば、敗北の原因はすぐに分かる。ノーマンは数日後、その心優しさを買われ、ほとんど絶対にポケモンが再起不能になることのない安全なポケモンバトルをしている集団を紹介された。 彼らだけで興行を行っているのではない。同じポケモンリーグの傘下でありながら、彼らが勝手に行っていたことだ。 そしてその集団が単なる事故防止のためだけに働いているわけではないことを理解したころには、ノーマンは完全にそちら側の人間になっていた。 勝敗をやりくりすることでプロのトレーナーとして安定する。ポケモンだってそっちの方がいい。実力だって兼ね備えていないとそんな芸当は出来ない。全員が弱いからこんなマネをするんじゃない。 強いチャンピオンの首を取るチャンスを万全にするために行うもの。一家の稼ぎとしてどうしてもしがみつかねばならないもの。虐待や遺棄にあったポケモンの復帰先として活動をPRするもの。 信念だけは誰にでもあった。 真剣勝負が見たいという不義理こそ働いていたが、安全なところから見世物を見るだけの客に言われる筋合いはないと思っていた。 ただ、その信念が騎士道精神と興行精神に合わせて正統なものかどうかという判断は、当然彼らではないほかの人間が下すものである。 彼らは揃って追放された。散り散りになった連中がお互いどうなったかは誰も知らない。関わりたくないというのが本音だった。 ◇ リザードンはボロボロだった。 瞼と目じりが切り裂かれ、血で目がつぶれている。翼はところどころ破れ、体は打たれまくって腫れだらけ。 意識はまだあるのか、それとも主人の期待に応える気力だけで立っているようにしか見えなかった。攻撃に力はなく、吐く炎はぶすぶすと不完全燃焼している。狙いも全く定まっていない。 ノーマンが審判を見る。さすがはカントーの審判だ。コトの深刻さが分かっていない。おまけに、リザードンの持ち主もだ。とっとと戻して荷物まとめて帰れと言ってやりたかった。 ところが持ち主はあろうことか。あろうことか手を組んで目を閉じ、じっと項垂れていた。 何してるんだ……? 祈ってるのか? こうしている間にもリザードンは急所を攻撃され続けているのに。指示を出せ。ポケモンを見ろ、と、指導者がノーマンなら言っていたはずだ。 お前がソレをしたら、だめだろウ……! 「フィニッシュ!」 カモネギがリザードンの後ろに回る。これで決めようとしていることは観衆全員がわかった。 ノーマンががばあ、と天を仰いで、怒りをため息とともに吐き出す。 狙いはリザードンの後頭部。ここを強打すれば、戦闘不能は確実、悪くすれば、再起不能。死。 人間もポケモンも同じだが、頭部への攻撃はリスクが高い。攻撃される側のリスクが。できることなら何としても避けなくてはならないのだ、本来は。 …… 「チッ」 カントーのカモネギの力では、残念ながら再起不能に追い込むほどではない。 「そこじゃない、腹を打て!」 ばちぃいいん、ときれいな音だった。ついに崩れ落ちるリザードン、終わる試合。下村は拷問から解き放たれたように力を失った。 ノーマンのビジネスは失敗に終わった。それはいい。また獲物を探すだけだ。 だが、この試合で得た不快感は完全に解消されたわけではない。胸がざらつく。なんなら、カントーに来てからずっとだ。 ---- 翌日。手ひどくやられた下村のポケモンは、一晩の入院が必要だといわれてポケモンセンターに預けられていた。 トライアルのために全国各地から集められた優秀なドクターとジョーイ一族、そしてラッキーがせわしなく動いていた。 時刻は昼過ぎ。会場はいよいよ試合が進み、ぼちぼちリーグ出場者が決定し始めていたので熱気がすごいことになっているのだろうが、ポケモンセンターは野戦病院とばかりにこれまで敗退したポケモンたちであふれていた。 トレーナーはわずかにポケモンのお見舞いと一般診察、そして回復したポケモンを取りに来たトレーナーだけだ。 「下村さんですね。お言葉ですがもう少し預けておいた方がいいかと思います」 受付のジョーイさんは申し訳なさそうにボールを差し出した。 「そんなに重傷なんですか?」 「そうですね。かなり危なかったです。リザードンは目にねぎが入っていれば失明でした。首もかなりダメージを受けています。頭も何度か叩かれたでしょう。最後の一撃がお腹に入っていて良かった」 下村は直感した。わざとだ。 八百長に乗らなかった自分に対する制裁であり、何か対処した場合の警告だと。 「分かりました。もうしばらく、よろしくお願いします」 頭を下げて足早にポケモンセンターを出る。けがや病気で苦しむポケモンが集まるところだから走れない。 「桐山が危ない!」 苦しいポケモンセンターを飛び出して、下村はすぐに走り出す。向かう先は当然スタジアム。できることなら、試合前の控室にいる桐山に一言かけないといけない。 大会参加者だから、今週が終わるまでは選手の扱いでスタジアムに入れる。 「今誰と誰がやってます?」 「えーっとね、桐山とノーマン。お互い3匹目だね」 観客席に向かう通路に警備員がいたので尋ねてみれば、もうとっくに始まっていた。ダメだ。アドバイスは間に合わなかった。 それでも3匹目まで持ち込んでいるのはさすが桐山。いい勝負をしているらしい。ひょっとしたら勝つかもしれない。 まさか再起不能にされたりなんてことはないだろう。観客席はほとんど埋まっていたが、立ち見ならなんとかなりそうだ。 ---- 「本当は休ませてあゲても良かったんガ……」 ノーマンと桐山は同時に3匹目。だからわざと出端に攻撃を入れるなら考えないといけない。 ノーマンには、いや、現場にいる観客やスタッフのほとんどに至るまで、両者がこれから繰り出すポケモンが何かわかっていた。 ここまで、二人ともエースを使っていない。 「カモネギ、ゴー!」 「リザードン、お願い!」 解放が早かったのはわずかにカモネギ、リザードンの姿を認めるなり大地を蹴ってネギを構える。れんぞくぎりの一撃目。 審判が戦闘開始を宣言する。 しかし軌道が直線だ。簡単に弾き返せる的でしかない。迎え撃って。指示を受けたリザードンがしっぽで叩こうとする。 「お前は、飛べるダロウ?」 しかしカモネギはひるまず突進する。少しの間空を滑ればよいだけだ。しっぽも空へ逃げれば当たらない。しまった、と思った時にはすでに脳天に直撃を受け、カモネギは向こうへ。 「八艘飛び……」 「ナニソレ? カモネギ!」 「距離を取って! 空に逃げなさい!」 空を飛ばれるのはあまりよくない。こっちのカモネギなら追撃できるとはいえ、遠距離での決定打は持ち合わせていないのだから。 距離があれば炎に翼に飛び道具の多いリザードンが有利。 「カモネギィ!」 ノーマンが叫んだ。リザードンはすでに空の旅。 ならばとノーマンは十字を切るようなサインをカモネギに見せると、カモネギもまたリザードンを追って空を飛ぶ。桐山はしめたとばかりに檄を飛ばした。 「かえんほうしゃ!」 「コッチは小回りガきクんだ」 決して速度は早いわけではないが、的は小さい。自動追尾機能があるならともかく、威力があっても当たらなければ意味はない。確かこのかえんほうしゃはご自慢の武器だったようだが、果たして効果があったか。 ガラルの空には厄介な戦闘機がたくさんいたから、これくらいなら、ガラルの空を知らないポケモンでも、ノーマンが誘導できる。 「リザードンのはるカ上マデ」 「えっ……追って!」 ところがいよいよリザードンに肉薄するというところで、カモネギはさらに高度を上げた。 炎をあきらめきりさく、かにらみつけるか、いあいぎりか、出るのが早く、狙いのつけやすいカウンターを狙っていたのであろう桐山はあてが外れた。 空中でのドッグファイトならまだ戦える。少なくとも、スタミナはリザードンのほうが上。 ところがその判断が命取り。 地上からはるか上空、人間を乗せて空を飛ぶよりもさらに上層だろうか。スタジアムからはかろうじて一つの大きな影ともう一つの小さな影が取っ組み合いをしているのが見えるだけ。 「リザードン、カモネギに遠距離技はないわ! なんかしてきたら返り討ちにしてやりなさい!」 「指示、聞こエテなイよ」 遠すぎてね。 しかしノーマンにはまるで心配することはない。何故か。さっきの、リザードンに追いつくまでの戦闘で、相手のレベルがわかった。 放っておいても、ドッグファイトならカモネギが勝つ。焦ることはない。 そもそもリザードンに、トレーナー抜きでバトルした経験はあるのか。 「リザードン! 戻ってきて! リザードン!」 まだまだカントーのレベルは低い。 時期に高度を保てず二匹とも降りてきたころには、既にリザードンはしこたま打たれ、切られた後だった。 しかしカモネギも消耗している。あまり時間はかけたくない。 「地面に降リロ」 「追わなくていい!ほのおのうず!」 命中率がもともと低いとはいえ敵に背を見せたところで、炎の中に閉じ込める技。ノーマンはヒヤリとした。いや、脱出手段はあるしからげんきだってある。とどめを急いで無駄なダメージを受けるのは良いことではない。 間違いなく当たると思った。渦をまいた炎が現に降りようとするカモネギのせせりまでは捉えていた。捉えていたのだ。 少なくとも片目、見えていない。 「距離を取レ! しばらク何もしなクていい」 「よし、少し休ませてもらいなさい」 カモネギが渦に捕らわれることはなかった。カモネギのほうは羽が乱れてはいるものの大した傷は見受けられない。問題はリザードンだ。まぶたが切れて出血してる。 やはり見えていないのだろう。桐山は気づいているか。 「まァ、関係なイネ」 ---- 「まずい!あいつはやるぞ!」 下村は叫んだが、歓声に消されて桐山に届くわけがなかった。 次におこる惨状を予想して、下村は両手で顔を覆った。 が、指の間からどうしても戦況を見てしまう。 観客は血を見れば興奮する。ポケモンバトルを興行にするということは、そういうことだ。 ---- 「スクラッチ! いケルか?」 だってこれは真剣勝負だから。見えない目を狙うのは至極当然の話。 それが嫌なら、俺みたいになる。 「近づいてくるよ、リザードンの左側!」 鋭い爪がぶうんと唸る。見えてないのが幸いした、カモネギのくちばしを掠って空を切る。 まだ駄目そうだと判断してカモネギが後退。ノーマンもそれに何も言わない。 恐らく桐山は狙っていたのだと思う。リザードンが半端な攻撃でカモネギを追う。 「逃げれバイいぞ」 スタジアムの端は場外である。あるいは機材だったり壁だったり、障害物で閉鎖空間を作っている。 「そこ! 追い詰めた」 「目が開いテル方ダ! すなかけ!」 「すてみタックル……!」 目つぶしはうまくいった。リザードンはもう暗闇の中。それでも主人の指示に従おうと体を投げてくる。 両目ふさがった状態ですてみタックル? どこにぶつかるかわかってんのか? そもそも、ネギに自分から突っ込んでくんだぞ? どこに刺さるか考えてんのか? 「カモ…………!!!」 一瞬の逡巡の末、ノーマンが心を決めた。カモネギに受け止めさせるか、それとも逃がしてリザードンを見殺すか。 観客が静まり返る。覚悟を決めたカモネギが翼を広げ、縮こまっていた。 ところが何も起こらない。 ノーマンはそれ以上言葉を紡げなかった。 モンスターボールから飛び出したキャプチャーネットがリザードンを捉え、ボールに戻すまでほとんど間はなかったが、ノーマンの目にはコマ送りのように写っていた。 「最後に砂かけで右目も見えなくなった時点で、私にはこうするしかありませんでした。カモネギごと機材に突っ込んで二匹とも大けが。よくてカモネギが逃げてリザードンだけ大けが……私には、まだこのステージは早すぎたようです」 桐山は特製のアレンジをされたあのモンスターボールを差し出していた。リザードンは、ボールの中。 「次は負けませんから!」 悔し涙か、最後は何か光るものをふりまき、深々と礼をして去っていく桐山。あっけにとられていた審判が動く。しーんと静まっていた観客もだ。 3vs3で最後の一匹をモンスターボールに戻せば、交代するポケモンがいないので負けとなる。 この規定が採用される。審判がノーマンの名前を呼び上げた。 「ア……」 ノーマンも、しばらく何が起こったのか理解できなかった。 ---- 「あ……」 「どうした兄ちゃん」 下村は一人で震えていた。この試合に感動したわけじゃない。いや、桐山の敗者の弁に胸を打たれたといえば事実だが、それは決して感動したという意味ではなく。 ノーマンは悪者だ。悪者には違いない。悪者なのに……。あいつに致命的な欠点を教えられてしまった。 何で僕は、リザードンをカモネギに殴られるままにしておいたんだ? ◆ ◆ 「待ちなさい!」 ジョーイさんが差し出すボールをひったくり、すぐに駈け出そうとするのを呼び止めた。呼び止めたなんて生ぬるいもんじゃない。 ジョーイさんが怒鳴るなんて初めてのことだ。他の職員は動じずに自分の仕事を来なしている。 あまりのことに怯んでしまった。……怒っている。明らかに。バツが悪くて逃げ出したいくらい。 「下村さん。あなたにも、責任があるのです。分かっているのですか」 そのことです。そのことに、いまさら気づいたのです。下村は言えなかった。 「あなたがもう少し早く試合を止めていれば。もう少し早く負けを受け入れていれば」 ただし、そんなうわべだけの欠点ではなく、もっと本質的な。僕はポケモンバトルに弱いのではなく、トレーナーとしての資質に欠けるということに。 「まあ、難しいことですし、わかっていてもなかなかできることではありません。今回は大事に至らなくてよかった、と思いましょう」 自分にも責任があるとはいえ、あいつが悪人であることに変わりはないんだ。あいつが悪いことには……。 いいや違う。あいつが悪人とはいえ、こうなったのは僕のせいだ。 ボールの中のリザードンは、入院は開けてもまだぐったりしていた。 「大丈夫です。もう、僕はトレーナーをやめますから。いえ、やめるべきだったのを、ずっとごまかしていたのです」 とにかく息が切れて、涙が枯れて、血反吐を吐くまで走りたい気分だった。 ---- ノーマンはポケモンリーグの出場権を手に入れた。こんなに簡単に手にしていいものか、とも思ったが、正当な過程を経て手に入れた切符なのでありがたく受け取るべきだろう。 やはりカントーはレベルが低い。 「まァ、だからと言って思い通りにナルわけじゃねェナ」 ビジネスは失敗した。他の獲物も探してみたが、もう公式戦が終わってしまった。みなポケモンリーグに向けて調整するか、来シーズンに向けて休養をとるか、それとも辞める決断をするかしていた。 ノーマンにはポケモンリーグがある。 「仕方ねェよな、出られルってんだから」 今日は別の特訓中のトレーナーに声をかけてゴーストをゲンガーにした。 来週はラプラスを探しに行く予定だ。 それなりに賞金が出たので、あとは野良バトルで巻き上げればこんな生活をしばらく続けていても大丈夫そうだ。ポケモンリーグ開幕まで数週間。 会場はセキエイ高原特設競技場。 「セキエイ高原って、ドコか知らないンだけどネ」 地図は買ったがどうにも道が狭かったり整備されていなかったりで読みにくい。地図記号も元の国とは全然違う。夕暮れのまだ明るいうちに明日の道程を調べておきたかったが、なかなかどうして、これでは地図を見るほどかえって迷子になってしまう。 焚火にくべた鍋がボコボコうなり始めた。やばい、カレーが焦げる。 いつの間にかカントーのポケモンにもすっかり慣れてしまった。始めは自分のいた地方で使っていたポケモン。バタフリーとかイーブイとかだ。その時は捕まえられなかったが。次にリージョン個体でも元の地方で知っているポケモン。カモネギだった。 「はいはい注いであげルから待ってネ~」 まあ、こうしていちいち誰に声をかけて、誰に頼んで、誰の耳に入ったらヤバいというのを考えずに旅をするのは、それはそれで楽しい。ベタなところでは知らないポケモンとの新しい出会いか。 いまさらまっとうに戻るつもりはさらさらないけれど、騎士道精神か紳士の意地か、どうやら自分には出来ない悪事もあるらしい。まあ反吐が出るぜ。そう言おうとしたノーマンの表情は緩んでいた。 カレーがうまく出来上がったからということにしておこう。 ヤマブキシティで感じたざらつきは、不思議なことに大きく和らいでいた。 ――ガラじゃねエナ 「さァ、次のビジネスを考えようカな」 断罪されるまではこれを楽しんでみるのもいいかもしれない。 ――regretは……自戒はしネェけどナ!!! ---- あとがき 書きたいものが書けて楽しかったずら #pcomment()