ポケモン小説wiki
雪中月下 の変更点


 都会から、電車に乗って数時間、自動車で舗装されていない砂利道をゆれながら進むことまた数時間、さらに歩いて数時間かかるような、今となっては逆に珍しい山の奥の小さな小さな集落。治安を守るのは歳食った駐在さんがひとり。バスは一日一度来る。電機、ガスはかろうじて通っているが、心なしかテレビの画面がよく乱れる気がする。お隣さんまで歩いて数十分……ということはさすがにないが、それでも数えるくらいの家族しか住んでいない、寂しいところである。住民の平均年齢は出したことがないが、若い者は便利と娯楽とカネと刺激を求めて片っ端から外に行ってしまうので、相当高いことは間違いない。
----
 空気がうまい。飯もうまい。そして何より人間がほとんどいない。そんなことを考えながら田んぼと畑に囲まれたじゃりんこ道を、大きな尻尾をゆらゆらさせたイーブイと一緒に家に帰る。特に用事がないので外に出てみたら、一緒についてきただけだ。隣のイーブイはたまにくすぐったいように首の白い毛に頭をうずめてぶるぶる震える。季節が季節なので田んぼには誰もいない。もともとの数が少ないというのもあるが。のどかというのはこのことなのだろう。俺の体毛は薄いほうなので北風が体に沁みるが、一年のこの時期ぐらいはそんなのに悩まされるのもいいかもしれない。代わりに、毛の色のおかげもあって夏涼しい。
「さむいね」
「そうだな」
 大風が吹いたので思わず目をつぶると、イーブイが首を傾けて顔を覗き込んできた。触ってみたりはしないが、きっともふもふして暖かいのだろう。俺の白くてもふもふというよりはさらさらとした毛は冬には向いていない……気がする。空では黒味がかった雲が青い空を完全に隠さんと膨れ上がっている。上ばかり見ていると爪の間に小石が挟まりそうになった。
「ね、あしたゆきはふるかな?」
「さあねえ」
 雪が降りそうなのがうれしいのか、イーブイは先に行ってしまう。後足の傷跡はそこだけ毛が生えていない。それを見てなんだか悲しくなると、自分の腹や背中や、一番ひどい顔に斜め一直線に入った傷跡なんかがズキズキしだした。今はなんとも無いが、額にもでかい傷がある。
「お、いたいた」 
 後ろから声をかけられると、イーブイは振り向いてとたとたとそちらへ歩いていった。うちニンゲンが見つけたのだ。見回しても他にポケモンも人間も見当たらないのだから当たり前といえば当たり前である。
 ニンゲンはイーブイの頭を数度なでる。そのたびにイーブイはえへへ…と笑うのだが、頭のてっぺんにも大きな傷跡があって。そして、右耳の付け根に噛み千切られたように傷。思いなしかニンゲンはそこを隠すように撫でていた気がする。俺は少しだけニンゲンの後ろに下がった。
 ニンゲンは俺とイーブイのトレーナーになった。といってもモンスターボールに入れてゲットした、という意味ではない。俺は一度球に入ったことはあるがすでにその球は処分されているし、イーブイだって見た限りでは入れられていない。
 二匹とも保護されたというのが正しいか。
「早く帰って温かいものでも食べようか」
 冬の冷たい風に背中を押されながら、鎌ごと大きく頭を振って、イーブイとニンゲンと、俺たちの家に向かった。
----
 何年前かは正確に覚えていないし、覚えていてもあまり関係の無いこと。今のニンゲンと出会ったのは、どくどく流れ続ける血に蚊がたかりまくっていた記憶があるので夏だったような気がする。
 人間に捕獲または保護されていないポケモンは、いやたとえその類であってもまともに生きる価値が無いらしい。街中で、といっても大した街でもないが、その中でも特に迷惑かけないように人通りも無いような道を歩いていたら、明らかに髪の毛の色と日常生活と素行のおかしそうな男女数人に囲まれて、腹を蹴り、尻尾を踏みつけ、顔面、腹、背中など数箇所を切り裂くなど、半死人にされた。横ではヤミカラスであったであろう肉の塊が異臭を放っていた。他にもいくつか臭気を立ち上らせる物体転がっていたが、自分がその仲間になると思うと恐くて見られなかった。鎌と足だけは折られないようにしつつ死んだフリを決め込んでいたらじきに人間たちは帰っていったが、その理由がまたひどい。アブソルは災いを呼ぶから暴行する、というのはまだ可愛げがある。いつぞやはそれで人里から追っ払われた。今度は、”イイカゲンアキテキタガ、マダマダイイヒマツブシ”だと女が言っていた。こんなのにも彼氏がいるのには少々驚きあきれた。こうして表現すれば大したことなさそうだが、それは仕方が無い。綿密に伝えようとすると怒りが腹の底から沸々沸いてきてそれどころではなくなると言えばいい言い訳になると信じる。そのときにライターがあったら首から下の毛が焼かれていたが、運がよかったのか彼らは持ち合わせていなかった。金属か堅い木の棒があれば足を折られていたが、運がよかったのか彼らは持ち合わせていなかった。ナイフで刺されたけど。抵抗はするもんじゃない。縛られてなぞの薬をあおられて頭の骨から砕かれて死にたくなければの話だが。針だってつぼじゃない所に刺すし。
 耳に入る音が餌を求めてやってきた小さい虫の羽音しか聞こえなくなったところで、ずるずる体を引っ張りながらその場をあとにした。痛いなんてもんじゃない。憎かったり腹がたったり、でも何にぶつけりゃいいのか分からなかったり、そもそもそんな元気が無かったり。どこをどう歩いて獣道の真ん中で倒れることになったのかは覚えていないが、歩くたびに生暖かい液体が腹から足と、額から頬を伝ってぬるぬるの真っ赤に目の前と体を染めたのは頭から離れないし、動くたびに味わう死にたくなるほどの苦痛も生憎忘れきれてはいない。
 気づいたら、夕日で真っ赤に染められた林の中の獣道で、血と脂汗にまみれながら人間に介抱されていた。今までも人間という生物がポケモンをいじめる悪い奴ばかりではないということは承知していたが、どうも人間は好きになれなかった。そもそも、俺に情けをかけるような人間は一人もいなかった気さえする。投げ出された前足に、顎から垂れた血が落ちたが、既にそこは夕日か血かで染まっていた。額から流れた血が左目に入り、涙が出た。多分目の色と同じ色をしていたんだろう。ニンゲンも汗びっしょりで俺の血を止めていた。自分をこうした奴と介抱する奴の種が同じことに多少の嫌悪感を覚えた。
「俺は人間は嫌いだ」
 ちらりとこちらの目を見たが、予想に反してニンゲンの手は止まらない。ニンゲンは臆することも無く言い放った。
「そうか。俺も人間は嫌いだ」
「お前も人間じゃねえか」
 するとニンゲンはいきなり顔をゆがめて目をしかめると、怒ったような泣きそうな声で叫んだ。
「人間を嫌いになることだってあるんだよ」
 一緒にするな。吐き気がする。とも言っていた。
 そのときのニンゲンは俺にとって嫌な目をしていたが、どこかこの目を見るのは初めてではない気がした。
 一部はすべての生物に生きる権利をと叫びながら、俺は災いを運ぶと信じてやまないメクラ共。また一部は災いを運ぶのは迷信だと理解しておきながら、自分の欲求不満からくる攻撃願望や破壊衝動を満たすために敢えて知らん顔をして、我こそが秩序なり言わんばかりの良い身分共。そんな奴らといっしょくたにされることで不快感で吐き気をもよおす目の前のニンゲン。
 相当同類にされることに抵抗があるそうで、以来、こいつのことは人間と呼ばずにニンゲンと呼んでいる。音は変わらないが、俺の精一杯の工夫を評価しているんだと思う。一度も「ニンゲントヨブナ!」と言われたことは無い。
「こりゃダメだ。モンスターボールで診療所まで運ぶぞ。暴れんなよ」
 これを聞いた後に意識は途絶えた。数日後にニンゲンの家の畳の上で目を覚まして、今に至るわけである。
----
「ゆーきっ!」
 次の日は雪が降った。朝、田舎の一軒家の小さな畳張りの寝室で一家二匹と一人は危うく凍え死にしそうになった上、寒い寒いとニンゲンが訴えるので俺の朝食はいつもより数刻遅い時刻にもなった。ニンゲンはストーブの灯油がなくなってきたから入れに行こうなどといっておきながらなかなか外に出ようとしない。ストーブの前はニンゲンより先に占領して座っていたが、とうとう切れてしまった。
「イーブイは進化の兆候すら?」
「残念ながら」
「うーん……今年中にはと思ったが……ダメか」
 イーブイだというのに、図体は一番小さい進化形の中の小くらいはあった。つーか、ある。らしい。俺はその進化形を見たことがない。それほど成長しても、まだ進化が訪れないのはニンゲンは、一つは進化のいしという選択肢が用意されていないのがあるだろうが、完全に心を許していない方が大きいのだろう、とニンゲンはいう。
 イーブイがやってきたのは数年前のこと。
 当時としてはいつもどおり帰りの遅いニンゲンを待つ気など毛頭無く、さっさと灯りを消して寝てしまおうと壁のスイッチを押すために後ろの二本だけで立ち上がったとき、いきなり玄関が乱暴に開かれて、「包帯と水と消毒液と持って来い」と怒号が聞こえたので、バランスを崩して背中から床に叩きつけられた。
 包帯と絆創膏を銜えて外に出れば、傷だらけ、痣だらけ、垢まみれの腹ペコのイーブイが横たわっていた。
 ニンゲンと俺がてんやわんやしている間ずっと起きていたが、一緒に洗って、絆創膏を張って包帯を巻いて飯を食わせてやると、やっと安心して眠った。それこそ死んだように。
 実戦で役に立ち、見た目も好く、また、非常に従順であることから需要は凄まじく、うっかり繁殖させたり何の計画も無かったりただ単に飽きたりといったおよそ崇高で高等な人間的理屈で扶養と保護の義務が無かったことにされたり虐待という形で返ってくることももはや日常茶飯事となったらしい。もっとも、人間皆がみんなこんな奴らではないと思うが、残念ながらうちのニンゲンとこの集落の人間以外では見かけたことが無い。なお、こいつは虐待に当てはまったらしい。
 いつぞやイーブイが寝惚けて寝ていた俺の左の前足に噛み付いて、ハッとしたように部屋の隅で腹を出して服従のポーズを取ったのを覚えているが、ニンゲンが言うにはこれもそのおかげらしい。そのとき見た腹はところどころにもう消えないであろう傷跡が刻み込まれていた。かわいそうに、雌なのに。ノドも傷ついていて、ニンゲンの言葉に限らず、発音がすこぶる悪い。
 そんなことをしているうちにイーブイは縁側からゆき、ゆき、と目を輝かせながら飛び出していって、雪降る中をぴょんぴょん跳びまわっている。もっとも、飛び出していったからあんな会話をしたのだが。火も消えたことなのでその後ろをのっそりついていった。ニンゲンはようやく決心して分厚いコートを掴むと外に出て行った。
 しばらく雪の上で歩き回っているイーブイを見守っていると、きなよ、と言われたので一緒に足跡をつけて回っていたが、ニンゲンがいつの間にか大きな雪かき用のスコップを引っ張り出してきて内に呼び戻された。
「雪降ろしにいってくるから留守番は任せたぞ。こんな天気だし盗られる物は何も無いから大丈夫だと思うけど」
 イーブイは目をぱちくりさせるとおうちからはでないよと言って再び雪と戯れに、ニンゲンと一緒に外に出て行った。目の届くところにいるほうがいいだろう。灯りが消えているか、確認のために家の中を一回り……ストーブは消しっぱなしのクセにテレビはつけっぱなしじゃないか。
――……政府は、去年一年間にあった死因が人間からの虐待と見られるポケモンの数がおととしを大幅に上回る過去最高に達したと伝えました。同時に、虐待の相談や虐待から保護されたポケモンの数も大幅増です。さらに、この状態に抗議して、今年度の公式戦の出場をボイコットするトレーナーたちの名簿が運営のポケモン協会に提出されました
 トレーナーからは法の整備が遅れているとの指摘も……大詰めを迎えたポケモンリーグ出場レース、ボイコット者の中には『ポケモンだって生き物で、感情を持ち、言葉を話す。私の子供のころもポケモンを大事にしなさいという法律は無かったが、今は酷すぎる』と語った、ポケモンリーグ前回大会で92歳での最年長勝利を挙げたあのトレーナーの名前も。人間とポケモンの関係が問われています。ボイコット者のほとんどはトレーナー歴30年以上((10歳以上でポケ免取れば自動的にトレーナーとなる。たいてい10歳のうちにとってしまうので40歳以上となる))のベテランで……――
 ふぅ、と吐いた息は白かったが、冷たくて鋭い今朝の冷気に引き裂かれて華やかに散ってしまった。敵討ちにやかましい箱を前足一本で黙らせてやった。
----
「おい、慣れないことしてくれるんじゃないぞ。ひどくなったら大変だ」
「今も昔もこれが本職だ」
 保護されてしばらく経った日の夜、包帯やら絆創膏やらの取替えにニンゲンが俺の脚に触れた。
「じゃあ、何でわざわざこんな顧客の少ない田舎に越してきた?」
 先ほどまではこちらと目を合わせていたが、真剣な顔をして背中の自分でもでかい傷だと分かるところの逸らしてしまった。
「転職のためさ」
「転職?今も昔もこれが本職だって言ったろ?」
 本当はほとんど無かったのだろうけどしばらくの沈黙を経た気がして、ニンゲンが口を開いた。
「人間のためにポケモンを直す整備士から人間とポケモンのためにポケモンを治す獣医に転職したのさ」
 このニンゲンは半分笑ったように見えるほど憎悪を含ませた表情もできるんだと感心して、足を四本投げ出して寝転んだまま、包帯で動けないながらに背筋に雪が積もったように震えた。ニンゲンは隣に布団を敷いて電灯の紐を引っ張ると、すぐにすやすや寝息を立て始めたが、俺は痛いのとよく分からないものでなかなか眠れなかった。
----
 外に戻ったときには雪はまた一段と強く降り始めた。イーブイはご機嫌でどんどん白い中を進んでいってしまう。家の敷地からだしてはいけない。彼女の毛並みのようにふわふわした足元はさくさく音を立てた。
「ね、きみもゆきはすき?」
「雪が好きなのか?」
「うんっ」
 一つの笑顔で元気な返事は静かに降り積もる雪に吸収されてかすれてしまったが、耳やら尻尾やらを揺らしながら誰も足を踏み入れていない新雪のフィールドにダイブした。
 ふわふわの雪が飛び跳ねて顔にかかったが不思議と悪い気はしない。ストーブがついていれば火に当たっているが、寒さには強いほうだと思っている。生物は自分の生まれた季節に強く育つらしいから俺もイーブイも冬に生まれたのかもしれない。
「家から出るなよ」
 わかってるよ、と言って吹雪舞う銀世界を駆け回る。灯油かなにかを売るトラックが良く流してるね。雪やこんこ あられやこんこ 降っても降ってもまだ降り止まぬ ガーディは喜び庭駆け回り ニャースはコタツで丸くなる
 地域によってガーディがポチエナに、ニャースがエネコになったりするらしい。喧しい箱が言っていた。目の前で駆け回ってるのはイーブイだが。
 ひとしきり遊びまわった後、ようやく満足したイーブイ。雪まみれで、暴行で欠けた牙を出してニコニコ笑うので、多少複雑な気分になりながらも、額にでかい傷のある痛い顔で笑い返してやった。
「きみは、ぼくとか、ごしゅじんさまとかは、すき?」
「おうともよ」
「わーいっ!」
 背後から、イーブイの全力の圧し掛かり。喉の奥から、何か詰まらせたわけではないが、そんな声が。そこに、首の辺りに頬ずり。ちょっとちべたい。
 雪の照り返しが眩しくて、顔を顰めた。イーブイが重いのではない。断じてそういうことではない。決してない。曲りなりとも、イーブイはオンナノコだかんね。
----
「あ、ぶそるぅ……」
 意識はあるのか。それともただの寝言か。
 職業柄、ニンゲンが夜中家を完全に空けてしまうこともザラにある。この日もお隣さんの集落の婆さんのケンタロスがどうのこうのといって留守番を任せて行ってしまった。
 半年前の――夏真っ盛りの、じめじめむしむしして、非常に不快で寝苦しい夜のこと。隣で一緒に眠っていたイーブイの
「こわいよぉ…………」
という一言でイライラも俺自身も吹っ飛んで、イーブイの隣に座った。
「何が怖いんだ」
「……なにも、かも」
「それじゃ分からん」
 夜は生物の精神を蝕む。らしい。伝聞形だ。正確には、夜ではなく闇だと思っている。何も見えない真っ暗中で一匹物思いにふければ……夜行性のポケモンには理解できん話だろうが。俺なら呑まれる。いや、俺を呑みこむ。夜は嫌いじゃない。ただ、一匹で真っ暗闇は耐えられない。野生のころはどうしていたんだろう? バカだったのかな。
「みみ、とっ……おなかとっ…………からだじゅうが、いたくてっ」
「分かった、分かった、悪かった、もう言わなくていい、いや、言うな」
 抱きつかれたので抱き返してやった。そこから先はどうすればいいのか全く分からずにただ狼狽するしかなかった。流れた汗は抱きつかれて暑かったから流れたものじゃない。それくらいは弁えている。
 闇の魔力に当てられると恋しくなるのは己の他の生物の生たる証である。闇の絶対量は正比例するが、体感は人数に反比例。
 専門家のニンゲンが帰ってくるまで流れるしょっぱい物を舐め続けた。たまに苦かった。それだけしか出来なかった。
 結局、ニンゲンが帰ってきたのは闇が去ってからで、目の下にクマが出来ていたにもかかわらず真剣に涙の痕をこさえた経緯を聞いてくれていた姿にはただただ頭が下がるばかりである。
----
 さて、なんでこんなことを思い出したんだろう。
 イーブイと一緒に外に遊びに出た。一面真っ白銀世界。イーブイがじゃれてきた。そこで目をつぶった。何かの光が眩しくて開けていられなかったんだ。
 雪の照り返しが眩しいんじゃない。なにを恐れるのか自分では理解できなかったが、恐る恐る背中の重しに目をやると、やっぱりあっとなって固まってしまった。
 イーブイの体が、光っている。
 イーブイはどうか分からないが、少なくともニンゲンと俺は持ち望んでいた、進化の金色の閃光。
 目で捉えたときには既に体は光に完全に包まれていた。光の中で姿かたちをかえるだなんて、何と神秘的なことか。自分には進化というものが無いだけに、余計にそう感じる。
 そして、じきに光は収まる。イーブイはまだ口をあんぐり開けている俺から飛び降りると、かゆいのかくすぐったいのか、体を震わせる。進化の終わりは、意外に呆気ない。
「お、おい、イーブイ……」
「…………わー……」
 これがあたらしいぼくか、などと言いながら前足を見て、背中を見て、腹を見て、尻尾を振ってこちらを見た。
 イーブイの時とは打って変わって触ればひんやりさらさらであろう蒼い体毛。額の氷の結晶と、両耳の付け根から下がる飾り毛と、尻尾は水晶のように美しく、鋭くなった。
 ニンゲンに教えてもらったイーブイ八変化では、たしかグレイシアとかいったと思う。
「とりあえず家の中に戻ろう。俺がニンゲンに祝わせてやる」
 まだ半分夢の中にいるような表情をした彼女を引っ張っていった。
----
 ニンゲンが家に戻ってくると、珍しく駆け寄ってきた俺を軽く撫でて、コートを椅子にかけてせっかく黙らせた箱の電源を入れて、カーペットの上で寝そべって休日のオヤジモードに突入しおった。そんなニンゲンに腹が立ちそうになったが、いつものことだと思いとどまる。
 向こうがいつもどおりなら、こっちがいつもと違えばいいんだ。
「おいニンゲン、今すぐ街に行って最高級の刺身と肉と買って来い。今日はそれぐらいしないと割に合わない」
「な、何だぶっきらぼうに?」
 障子を背にして、ニンゲンを基準としてテレビと俺の為す角は直角より少し大きい。障子の向こうには、もちろんグレイシアが畳の上にお座りで控えている。
「ほう、分からんとおっしゃるか」
「おう、分からんと申しあげるわ」
 ヒントを出そうか。というかイーブイが見あたらないから察せないのか。いや、知っててバカにされてる可能性もある。全くタチが悪い。でも許す。それだけの価値がある出来事だから。
「分かってて知らん振りなんて性格のよろしくないニンゲンだなぁ。さあ新しい姿を見せてやれ、グレイシア」
「い? グレイし……あ?」
 ニンゲンが凍った。グレイシアの冷気に中てられて。うん冗談。
 耳の天辺から尻尾の先まで。そんなにせくはらよろしく視姦せんでもイーブイが進化したものに違いないのに。
 それにしても全く動かない。本当に凍っているわけではあるまいな。生きてるか。生きてるね。目の玉が動いてる。でもグレイシアが怯えてるからやめろよ。
「よっしゃ分かった。待っとれ」
 ここでこおり状態から復帰を果たした。まだ目が丸いままで、頭の中が大変なことになっているらしい。
 椅子にかけたコートを掴んで財布のなかを覗いたあとの表情に不安を感じたが。
----
 ニンゲンを待つこと数時間。天井近くにかけられた時計をグレイシアと一緒に眺め続け、おそいね、まだかなと僅かな言葉のキャッチボールにも飽きてきたころにニンゲンが帰ってきた。この村は人間が少ないのはいいが、物資の供給も同じく少ないのは不便だ。
 しかし待った後の御馳走はなおのことうまい。私はお高いのよ! と言わんばかりにキラキラしたプラスチックケースに乗ったお刺身。焼いてあげると言われた白い肉は最高級なんだとか。スピード炊飯された米はいつぞやいただいた雪国コシヒカリ。甘いクリームをたっぷりまいたロールケーキを切り分けてくれた。所詮スーパーマーケットのやつには違いないが、主役のグレイシアがそれなりに喜んでいたので何も言わない。値引きシールは見なかったことにした。
----
 アルコール飲料の入っていたアルミ缶を片手に、テーブルに突っ伏して人間は眠った。草も木もそろそろ欠伸をしだす時間。どんちゃん騒いでたらいつの間にかこんなに遅くなっていたのだ。
 もっとも、スーパードレッドノートがつくほどの田舎で獣医稼業は夜遅も朝早も需要はなきにしもあらずレベルで変わらんのだが。
 まあ、ニンゲンの方の干渉はしない。機嫌を損ねて追い出されても困るし。
 腹はくちても睡眠欲がないと、不思議と外の空気が恋しくなる。挿し込むだけのお粗末過ぎる錆び付いた鍵を引き抜いて、 扉を開ける。吹き込んだ風が冷たくて顔を背けると、そこにグレイシアがいてぎょっとさせられた。
「きみは、どこにもいかないよね」
 起きていたのか。それとも玄関から出る音で起こしてしまったか。
「ずっと、いっしょだよね」
 何を言い出しますかい。
「そりゃ、そうだろう」
 離れる予定もないし、家出するつもりも毛頭無いし。
「うんっ。ありがとう」
 恐ろしいほど静かで、落ち着いて、彼の他は誰もいない雪の夜半に、舞台に舞い降りた妖精が一匹、屈託無く笑って、こちらを向いた。まぶたに古傷のついた目を細めて折れた牙を見せて。頬も破れたような痕があるし、進化前と同じく右耳の付け根に噛み千切られたように傷が残っている。月を背にしたため体のこちらに向けた側には影を落とした。人間の言葉の発音が悪いのは、ノドを潰されかけてるとか何とか。俺は上手いほうだとか。
 それでも、酷なことかも知れないが、その傷が彼女の短所になるわけでもなく、むしろ一層魅力を引き立てて、もふもふじゃなくなったのは少し残念だが、さらさらの蒼い毛並みが雪灯りに映えて、綺麗だ。
――少なくとも俺のことは、信頼してくれたんだな
 ニンゲンの話から言えば、進化したってことは、そういうことなのだ。
 見たことの無い彼女の笑顔をぼんやり眺めているとそんな気がして、こちらも口元が緩んだ。
 雪はいつの間にかやんで、空にはお月様がこうこうと世界を見守っていた。
 ざく、ざく
 雪を踏み分けてグレイシアが寄ってきたら、無意識のうちに後ずさっていた。
「きみは、ぼくのことがきらいなの?」
「いや。そんなことはない」
 人間によれば、自分のことをぼくだと呼ぶのは前の主の趣味らしい。
 まただ。彼女が一歩前に出れば、俺は一歩後ろに下がる。おかしいな。
「ほらまた」
 なんなんだろうね。心のどこかでこりゃヤバイと思ってるに違いない。でも、何がどうヤバイのか。思ってる本人がこれじゃざまあないでしょーに。
「嘘、じゃないんだ。イーブイも、ニンゲンも、好きだってのは」
「うん。知ってる」
 もう後ろがない。何があるって、空気を呼んだ家の土壁。ひんやりざらざら。
 グレイシアが、飛び掛った。
----
 すっころばされて、仰向けにされて、下腹部に顔を押し付けてぐりぐり。
 ああこれはあれか。
 グレイシアは発情期。なのに俺は発情期じゃない。
 ず~っと待たされてから大人の体になって、数年分は溜まっていたものが一気に爆発したに違いない。
 ぐりぐりをやめて顔を上げると、胸の辺りで大きく深呼吸した。
「ちょ、待った……」
 軽く口付けてべろを舐め上げると、彼女は迷うことなく下腹部の雄へ。とめるのも聞かずに口に入れた。舐めてみたり吸ってみたり歯を立ててみたり。やたら一生懸命なのと快感なのとでもうやめろとも言えず。力ずくで引き剥がすわけにもいかず、おろおろしている間に、情けないうなり声を上げて達してしまった。
「ん……雄の味……」
 どうせ知らなかったんじゃないんだろうけど。
「まずいだろ、それ」
「んー……ぴりぴりする、かな?」
 それでもなんだかさっき食べてた御馳走よりも満足そうな顔をしていて、不思議そうに眺める。
「きみのならへーき」
 口角を吊り上げて、一つ笑う。飲み込むものなんだろうか、それ。見たところやかましい箱で見たぷろていんとかだいらたんしぃっぽいけど。ソーローじゃないよな、俺。
 そこからまっすぐ向かい合う。一発出してからというのもおかしな話だが、そこからまたちゅう。
 先ほど吐き出した精はこんな味なのか、なんて余裕のあるふりをしてみる。しかしグレイシアの瞳の中で、間近に映った俺の顔には余裕のよの字の一画目も無かった。
 しっかり俺の口の中を堪能して、グレイシアは口を離した。おいしかったのか、それともどこから喰べようか悩んでいるのか、舌なめずりしてる。目の色が変わってますよ。生まれてはじめてするであろう捕食者の目に。
 次に行動したのは俺のほう。その間数秒。ほっぺについてたロールケーキのクリームを舐めた。それだけで、凍り付いて口をぱくぱく。
「ほっぺ、くりーむ」
 んべえ、と白くなったべろを突き出してやった。やさしくキッと睨むと、グレイシアはべろを舐めまくって、同じように頬をひと舐めすると、最後は口内まで侵入してきた。
「おかえし」
「おこった」
「うん、おこったよ」
 きめた、とグレイシアが低く呟いた。
「さからうようなわるいこは、たべちゃうぞ」
 下腹部を、俺の雄のところに持ってきて調整してる。いつの間に戻ったのか、雄はみしみし悲鳴を上げていた。
 雌のそこってどうなってるんだろうね。大自然の神秘。捕食者の自覚はあったんですね。
 あてがって……一息に、腰を落とした。躊躇いとか、全くなしに。彼女の瞳に移った真っ赤な俺の目が揺らいでいた。雄が喰われた。ぐちゅりとか、にちゃりとか、当然卑猥な音が出るわけですねはい。
 膣内に入ったそれは自分のものじゃない……みたい。下半身が浮いている、というか。頭の下に敷いてる雪が水になっていくのが分かる。
「……あはっ」
 怖い奴。笑い方が。光の当たり方が不気味で。何でそこで笑うかな。
 精も根も全部、このまま干からびるまで吸い取られてしまうか。ずちゅっ、ずちゅっ、なんて厭らしい音を立てて快感の波が押し寄せてくる。
 グレイシアがだらしなく垂らした涎が胸の辺りにこぼれた。
「~~~~~!!」
 声にならない声。自分がこんな声を出せるのか。話も出来ない。グレイシアもすっかりスイッチが入りきっている。
 何で笑ってるんだよ。そんなに楽しいのか。畜生、やっぱりこういうのは楽しまなきゃバカだ。枯れるまで吸い取りたいなら吸い取って見やがれ。
 こうなったらとことんまでやってやろうじゃないか。
「……!!」
 笑うような、苦しむような。グレイシアがそんな顔をしたその刹那。俺の雄を締め上げて、精を搾り取った。
--雪の精に、堕とされた。
――雪の精に、堕とされた。
 絶頂のタイミングがよすぎる。決心がついたのを見透かされてる。この仔にはもう敵わない。少なくとも今夜いっぱいは。
「……ねえ」
「……おう」
「もっかい」
「……わかってる」
 息も絶え絶え、しかし恍惚の表情を浮かべた腹の上の雌は、まだまだ喰い足りなかった。
----
「……ねぇ」
「ん?」
 二匹で雪の上に倒れこんでお月様を見上げながら。
「こわかった?」
 何を言っているんだろう、と思ったのは一瞬。終止積極的だったグレイシアに比べると俺はあまりにももたもたしすぎだったから、勘違いされた。いやチラッと怖い奴って思ったけど。途中から俺もネジが飛んでたし。ずいぶんと小さく首を縦に振ると、クスクス笑った。
「ぼくはこわくなかったよ」
 そういって顔をこちらに向ける。呼吸は大分整ってきていた。それでも目はうつろだったが、焦点は俺に合っているように見えた。腹はくちたか。よかったな。
 いくら火照った体でも積もった雪はさすがに寒い。隣の彼女はタイプ柄なんとも無いようだが。
「つぎはこわくなんかないよ」
 こっちを向いて、欠けた牙と歯を見せて目を細めて笑う彼女に何も言い返せないまま、うん、とだけ返事をするしかなかった。それはそれとしてつぎなんてあるのか。
「いまはこわくても、さんにんいっしょならだいじょうぶでしょ?」
 顔を覗き込んでくる。傷だらけの顔に浮かんだ、澄んだ宝石のような瞳と視線がぶつかった。ああそうだ返事してない。
「そうだろうな」
 結局は、俺はハリボテだったんだ。喰われるのがこわかったんだなあ。
「ぼくさ」
「おう」
「きみがはじめてじゃないんだよ」
 どうせそうなんだろ。ここに来る前に、ようじょまんこはぁはぁとかやられたんだろ。分かってるよ。知ってるよ。
「なかないでよ」
 何で泣くんだよ、俺。泣きたいのはグレイシアだろ。
「でも、きょうつきあってくれてちょっとわすれられた」
「……どう、いたし、まして」
「ああほら、なかないの」
 何で止まらないんだよ。

 それ見たことか、次の日から俺は熱を出して寝込んでしまった。


#comment(below);

IP:220.30.194.208 TIME:"2012-10-21 (日) 05:36:25" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E6%9C%88%E4%B8%8B" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64; rv:16.0) Gecko/20100101 Firefox/16.0"

トップページ   編集 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.