ネットでトランセルの着ぐるみだか入れるぬいぐるみ(?)だかが話題になっていたので、どれどれと勤務時間中に商品詳細を眺めていた。 忙しい現代社会に振り回される私は、仕事して帰って寝るの繰り返し生活に心も体も疲れ切って、癒しを求めていた。 一人静かにふかふかのクッションにあたたかく包まれたい。そんな欲求を満たしてくれそうな「出たくないトランセル」に心を奪われないはずがない。 これは買うしかないと、迷わず購入ボタンを押して支払いも済ませた。35000円がなんだ! 癒しだ!! とにもかくにも癒しが今私には必要なのだ!!! こういうものは決断しないでいると早めに売り切れる、プ◯バンは平気でそういうことをするのだ。何度もドライバー関係で苦汁をを舐めさせられた私にはわかる。そうだとも、みんなトランセルに入るべきなのだ! こういうものは決断しないでいると早めに売り切れる、プ◯バンは平気でそういうことをするのだ。何度もドライバー関係で苦汁を舐めさせられた私にはわかる。そうだとも、みんなトランセルに入るべきなのだ! 翌日の夜遅く。ニャース便の運ちゃんが非常に嫌そうな顔で荷物を運んできて、私の顔を見ると更に眉間に皺が増えた。 こんなにでかくてスペースを取る商品を買うのが、世の不条理に打ちのめされている社会人で悪かったなと叫びたい気持ちを抑えて、二人がかりで部屋に運び込んだ。 専用の段ボールを開くと、本物のトランセルよりもでかい、私を癒す相棒となるべきものが顔を覗かせた。眠そうなつぶらな瞳にもう既に癒される。 ああ、早く中に入りたい。スーツを脱いで、久しぶりにパジャマに着替えて、同窓会で出会う友人のように抱きしめた。サラサラの手触りとふんわりしたクッションの感覚が感動的で、思わずため息が溢れる。 チャックを開いてもぞもぞ入っていくと、言いしれようのない背徳感がゾクゾクと迫り上がってきた。なんだかいけないことをしているようで、それがまたワクワクドキドキする。 すっぽり収まって顔の下までチャックを上げると、私はトランセルと一体化した。じわじわと暖かさがやってくる。買ってよかったなぁ。 「もいちどこどもにもどってみたいー。もいちどこどもにもどってみたいのー」 急に悲しくなってきて、ポケットにファンタジーを口ずさむ。仕事も取引先の人の顔も覚えられないけど、これだけはいつまでも覚えていられるんだなぁと、自分が嫌になる。 「一日だけでも、なれないかな」 ああ、嫌だ嫌だ。会社に行きたくない。社会で生きていくのに向いていない。しかし金を稼がねば生きていられない。今の私はイヤンセルだ、前に進むことも、実家に戻ることも、現状を維持するのも全部全部嫌なイヤンセルだ。 蛹の中で、虫ポケモンは溶けて再生して羽化すると聞いたことがある。私もこのまま溶けてしまえれば、どれほど楽なのだろう。あたたかくて、ふわふわで、トロッと沈み込むように幸せで……。 「起きる時間ロト! 起きる時間ロト!」 スマホロトムが呼んでいる。いつものアラームだ。どうやらそのまま朝まで眠ってしまったようだ。夢もこれで終わり、チャックを開けて外へ……? 「なんだ、これ」 持ち上げようとした手の感覚がなかった。もっと言えば、腕がなかった。溶けて粘液に変わっている。顔が出ているはずの部分も布が覆い被さり、私は着ぐるみの中に閉じ込められてしまった。 伸ばしていた足も、溶けている。だが痛みは恐ろしいほど感じない。下半身はもうダメになっていて、動かせる上半身も寝返りは打てない。 まさか、まさか、私はこのまま溶かされてしまうのか。嫌だ、そんなのはごめんだ、私はただ癒しが欲しかっただけだ、トランセルの中身になんてなりたくない! まだ言うことを聞く首を傾けて、噛み付いて内側からこじ開けようとしたが、クッションだったはずの部分は柔らかい肉壁になっていた。キャタピーのつのの匂いが鼻をつく。 「うえっぷ」 噛んだところから溢れてくる体液は、口の中いっぱいにわかくさグミの味と共に広がって、思わず吐き出す。肉壁はうぞうぞと蠢き、抵抗する私の体を押し込んで動けないようにする。 上から下から、ぐじゅぐじゅと迫り来る壁を、私はどうすることもできなかった。 やめろ、くるな、あっちへいけ、ここから出せ、体を元に戻せ、口だけは最後の最後まで拒絶した。その甲斐があったかどうかは、もうわからない。 アラームの声は遠ざかり、視界は狭くなり、揉み込まれ身を任せているうちに、私はこの世のものとは思えないドロドロの幸福感に溶けてしまったのだから。何も考えなくていい、これが幸せか……。 数日後、ニビシティの安アパートからボールに入っていない、生きたトランセルが発見された。部屋の隅でじっとかたくなっていたところをジュンサーが保護、ポケモンセンターで検査後異常なしとのことで、トキワのもりに放された。 アパートを借りていた男性は、現在も行方不明である。