【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第一話]]】 【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第二話]]】 【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第四話]]】 【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 最終話]]】 #author("2025-01-01T15:49:32+00:00","","") 後になって、誰が誰だか思い出しきれないほど多くの人びとから、リサはたずねられた。「あのときなにを考えていたか」と。あるいは、「なにか考えることができたか」と。 リサはいつも、こう答えた。「よく覚えていないんです」 問われて答える機会が増えるにつれて――リサの答えを聞いてうなずき、同情し、労ってくれる人びとの顔を彼ら自身も気づかぬほど素早くよぎる好奇と猜疑の色を目にすることが重なるにつれて、リサはずる賢くなり、すこし間を置いてこう言い足すようになった。 「言葉の綾じゃなく、頭が真っ白になってしまって。なにか考えていたのかもしれないけど、今では思いだせないんです」 そして、リサもまた彼らといっしょにうなずいてみせるようになった。そうすることで、彼らの顔をよぎった好奇と猜疑の色が、すぐには戻ってこないようにすることができると学んだからだ。ともに、心地よい安堵を分け合うことができるとわかったからだ。 あのとき、なにを考えていたか。 事態が収拾されたばかりのころ、リサは、自分に向かってそう問いかけ、答えを引きだす資格がある人物は、ひとりしかいないと思っていた。セレナである。 あのとき、なにを考えていたか。 案に相違して、セレナはリサにその問を投げなかった。彼女を悩ませていたのは、リサには思いがけない疑問だった。 「どうして、あんなことになっちゃったのかしら」 リサは、その場で思いついたことを言った。 「あたしが飛び抜けて幸運な人間だから、神様が、たまにはバランス調整をしないと不公平だと思うんじゃないかな」 セレナは微笑した。深夜になんとなくつけっぱなしにしていたテレビで古いB級映画をやっていて、そこで気の利いた台詞を聞いた――というくらいのほほえみだった。 「上手なこと言っちゃって」 セレナはすこしも納得していなかったし、同時に、このことでどれほどしつこくリサを問い詰めても、彼女の求める答えは返ってこないと諦めているようでもあった。 「もう、いいんだよ」と、リサは言った。 「そうだね」と、セレナはうなずいた。瞳はすこしもうなずいていなかった。 「あのとき、なにを考えていたか」とリサに問う資格を持つ人物は、実はもう三人いた。ふたりは両親。そしてリサは、最後のひとりの人物を除外していたというより、恐れと遠慮と後ろめたさに追われて、逃げていた。 カロスチャンピオン・カルネである。 リサはいかなる形でも、自分がカロスチャンピオンであるとして振る舞うことはないし、カロスリーグの運営にも、将来関わる可能性は少ない。チャンピオンという権威は身にまとっても、そんな立場には興味がないからだ。ポケモンバトルの腕が立つといっても、リサはまだ十四歳の小娘てあり、リサ自身もそれを理解している。 結果、チャンピオン・カルネはリサにとって今でも雲上人のような人物である。だから彼女には、身内としてもカロスチャンピオンとしても、リサに質問する資格があった。 「ああいうとき、人はなにか考えられるものなのかしら」 正確には、カルネはリサにそう尋ねたのだった。 「すみませんでした」 カルネは、すこし顎を引いた。 「どうして謝るの?」 「いえ、ですが……」 「そんなに慌てて謝るところを見ると、さては、あなたはあのとき、チャンピオンの立場を利用しようと、いくらかは思っていたのね?」 リサがB級映画の台詞のようなことを言おうと&ruby(うろた){狼狽};えているうちに、カルネは笑った。 「冗談よ」 そのとき、カルネはリサの家を訪れて、リビングのテーブルを挟んで向き合っていた。父は仕事だし、母は妹たちを連れて買い物に出かけたので、このやりとりを聞いているのは家具たちだけである。 「実際」と、カルネは言った。「なにか、考えられるものだった? あなたには失礼になるのだけど、あたしは純粋に好奇心で訊いているの」 カルネの目には、確かに好奇心の発露を示す光が宿っていた。 「カルネさんはどうですか」と、リサは問い返した。「これまでの人生で、命の危険にさらされたことはありますか」 カルネの目が、光を宿したまま瞬きをした。 「ええ、あるわ」 「そんなとき、なにを考えていましたか」 カルネはにっこりして、それからかぶりを振った。 「たぶん、あなたの体験とあたしの体験では、比較の対象にはならないでしょう。だからこそ好奇心がうずくのよ」 リサはカルネの顔から目をそらした。 「命を奪うということは、生物がなし得る他者に対する極北の権力行為だわ」 カルネは、テーブルに肘をついて指先をあわせた。リサは、神父に向き合う信者のような心地になる。 「そんなことをするのは、その人が飢えているからだと私は考えるの。その飢えが、自分の魂を食い破ってしまわないように餌を与えなくてはいけない。だから、ほかの命を餌食にするのだと」 「たしかに」と、カルネの背後にある食器棚へと視線を投げたまま、リサは言った。「ルカリオは飢えていたのかもしれません」 カルネはリサを見つめている。 「あたしも、そのときいっしょにいたセレナも、恐ろしかった。みんなと同じです。怯えていました。ルカリオの願いが、本気じゃないとはとても思えなかったから」 「現に、あたしたちは戦ったものね」 「はい」 「あなたには、その結果が予見できた?」 かなり長いあいだ食器棚を見据えてから、リサはゆっくりとかぶりを振った。それからやっと、カルネの顔を見た。 「事態がどう転がるか、まるで予想ができませんでした。だけど、あたしはルカリオの主人だから、その願いを叶えてあげたいと思いました」 そこで、リサはひとつ妙なことを思った。あたしがチャンピオンになったのは、そのためだったのかもしれない。最強のトレーナーとしてカロス中に呼びかけ、腕利きのトレーナーたちを集めることができるように。ルカリオの願いを叶えるために。 「子供の自転車を見ていました」 訝しげなカルネに、リサは微笑した。 「ルカリオの願いを知ったとき、あたし、お向かいの家の玄関先に停めてあった自転車を見ていたんです。グリップとサドルが赤い、小さな自転車でした。あたしの部屋は二階だから、窓からよく見えました」 今にも、ふいと持ち主の少年か少女が現れて、赤いグリップに手をかけ、スタンドを蹴ってサドルにまたがりそうな気がして、たまらなかった。 「カルネさん」と、リサは言った。「お尋ねを受けて、やっとわかりました」 カルネは黙ったまま、わずかに身を乗りだした。告解を促す神父のように。 「あたしはあのとき、なにも考えられませんでした。だから今になって、考えずにいられません」 あのときルカリオが抱えていた『飢え』が、あたしの体のどこかに残っているのではないか、と。 1 ルカリオがその事実に気づいたのは、リオルから進化して、はじめてポケモンバトルで相手のポケモンと対峙したときのことだ。 敵の攻撃が勝手に的を外してくれる。真っ向から顔面に向かってきたはずの爪や牙、あらゆる技が、勝手に軌道を変えてあらぬ空間を裂いていく。 一方で、適当に放った自分の攻撃は、必ずといっていいほど相手の急所を捉えた。 どうして的を外す。どうして一撃で決められない。それはこんなに簡単なことだというのに。 不思議だった。自分が当たり前にできることが、誰にとっても必ずしもそうでないことを、ルカリオははじめて知った。 何度か実戦を繰り返すことで、その推測は確信に変わった。自分と他者の間には、差異というにはあまりに絶望的な隙間が横たわっている。 誰も彼もが脆すぎる。万物ことごとくが容易すぎる。世界はあまりに退屈すぎる。 それが率直な思いだった。 だから手を抜いた。適当にやっても勝てるのだから、なにを真面目になる必要があるのだろう。 最初のころは、それでも主人の誇りを懸けているのだという感覚が、いくらかはあった。とくにジムリーダーなどは、そこらのトレーナーよりもはるかに強いのだと、主人や周囲の人間から叩きこまれていた。 けれど、違った。 正直なところ、野生のポケモンをあしらったときも、カロスリーグを戦い抜いたたときも、どちらも同じ感覚しか持てなかった。 他の一切がルカリオの前では等価値であり、ポケモンとしての個体差・能力差など見逃がすに足る誤差でしかなかった。 なんとも、世の中とはつまらない。戯言にすらなりやしない。 別段、過信や慢心を抱いたわけではない。そもそも誇りすら持てた試しはなかったのだ。 ルカリオにとって、それは生まれてこの方、当然のように持っていたものだった。呼吸できることをいちいち自慢して歩く馬鹿がどこにいる。ポケモンバトルなど、なんという茶番劇。 かろうじて例外に近かったのは、リサが旅に出て三ヶ月ほど経ったころに遭遇した、フレア団の残党だったか。少なくとも、彼らは本気で闘争をしようという意気ごみがあり、それ相応の覇気があった。能力的にも、それまで対峙してきた者たちよりはマシだった――とはいえる。 望めばすべてが叶う。殺そうと思えばそれだけで殺せるだろう。だから、強いて殺す理由もない。たったそれだけのことであって、たったそれだけのことに過ぎない。それがルカリオのルール。最初から、なにが変わるはずもなかった。 ポケモンバトルに興じているのも、そうした退屈と倦怠を忌むあまり気まぐれと、主人の顔に泥を塗るまいという矜持があるからだ。 どうせ誰も本気で自分とは戦えない。本気で戦うに値するだけの力を持つ者など、どこにもいない。 だったら、せいぜい見た目を派手にして、勝負の結果ではなく勝負そのものを楽しもう。戯言にしかならぬ世界ならば、徹頭徹尾戯言に徹しよう。 そうして、戯言の上に戯れを重ね、怠惰の上に遊びを重ねてきたところに、ルカリオの今日はある。 それらがすべて、新たなカロスチャンピオンの誕生に寄与していたのは、まったくの偶然であり、掛け値なしの皮肉だった。 その意味で、ルカリオはまさにカロス中に愛される、最強のポケモンだった。 カロスは今日も平和に包まれていた。 多くの者はなにも気づかなかった。気づいていて、しかし自分が部外者と知っていた者は、大人しく口を噤んでいた。 すべてを知る者だけが、牙を磨き続けていた。 ――カルムのゲッコウガはメイスイタウンにいた。 愛する主人はここにはいない。 時刻は夜明け前。今ごろ、ポケモンの村には続々と、名だたるトレーナーが集まり始めているだろう。三日前、リサが告げた時間と場所に。 ――申し訳ない。 ゲッコウガは、心の中で主人と仲間たちに詫びる。 チャンピオン・カルムの名を汚すこの所業、罰はどのようにも受けるつもりだ。しかし、ゲッコウガはこうせざるを得なかった。 ゲッコウガが見るところ、あのルカリオに対するにもっとも有効な戦術とは、暗殺以外にありえなかった。あれと正面から戦うなど、いかに人数を集め準備を整えたところで、下策の極みどころか自殺行為でしかない。 カルムが戦略戦術や軍事技法の類を研究しているのを、ゲッコウガは傍で見守り続け、そして確信を得た。 卑怯卑劣は褒め言葉。夜討ち朝駆けなど当たり前。不意討ちこそが最上で、真っ向勝負は下策に尽きる。敵の背中を撃たないやつはただの馬鹿。目的を達成するためにすべての行為は許容される。正義大義のお題目は人間だけが唱えていればいい。 徹底したリアリズムと、情を廃した理の極限。 主人たちの顔に泥を塗る、その事実に対する危惧は無論あった。しかしそれ以上に、主人や仲間たちを失うことなど考えたくもない。 守るためならなんでもしよう。被れる泥はすべて自分が背負う。あの呑気なルカリオを手にかけ、主人のよき友である少女を悲しみと絶望の縁に追いたてることになろうと、罪科はすべて自分にある。 すう、とゲッコウガは息を吸いこむ。気配は完全に消していた。この種の技術について、ゲッコウガは他の種族の追随を許さない。 音もなくメイスイタウンを駆け、リサの家へ辿り着く。そうして建物内の気配を探った。 こうして見ると、つくづくとあのルカリオの異常性がわかる。決して狭いとはいえない家屋の隅々に――いや、この街を取り巻くすべてに、ルカリオの存在を感じ取れるのだ。それは波導の力ではなかった。単純にして明快な、存在そのものが放つ重圧感。圧倒的に巨大な質量を持つ恒星が、それ自体の持つ重力でいくつもの惑星を従えるように。 ゲッコウガは重圧の核、存在の基点となるべき中心を探る。 いつもどおり、ルカリオは二階にあるリサの部屋で眠りこけているようだ。周囲に漂う重圧感は息苦しいほどであるのに、その中心にいるルカリオはどこまでも普段どおりだ。台風の目に喩えるのも馬鹿らしい。 ――すまない。 だが、おまえの望んだ本物の戦いにおいて、刻限や約定など守られた試しはないのだ。 それが言い訳でしかないことを承知の上で、ゲッコウガは両手を握りしめた。 意識を集中させ、水を凝縮させた刃を練りあげる。 ポケモンバトルにおいて、ゲッコウガは手裏剣に模した水を放つ「みずしゅりけん」という技を好んでいた。ゲッコウガは、素早い身のこなしと小回りの利く技で手数を稼いで翻弄するという戦闘スタイルに特化しているポケモンだ。そして、なんでもありの――不意打ちや暗殺も許容される類の戦闘ならば、相手が誰であっても負ける気はしない。勝てはせずとも、殺すことは可能だ。そのためのスキルが、いくらでもある。 今、ゲッコウガが練りあげた水の刃もその産物だった。 破壊力を徹底して凝縮した刃。ポケモンバトルで使う「みずしゅりけん」とは根本的に異なる、純粋に殺傷目的で練られた刃だ。金属でさえ紙のように切り裂くそれは、過剰な破壊は一切なしに、ルカリオの命の糸だけを断ち切るだろう。痛みを感じる隙さえ与えず、夢も見ぬ深い眠りに落ちるように。 それほどの威力を持ちながら、外形がほぼ無色透明に近く、技の気配が探知されにくいというのもこの刃の特性だった。玄関脇の小さな庭に隠れているゲッコウガ自身の気配も、完全に周囲と同化していた。完全な迷彩、完璧な伏撃態勢といえる。 最後に一瞬だけ、家屋の内部の気配を探った。ルカリオの気配は二階から動かない。変化もない。 いざ、と最後に心の中で呟いて、ゲッコウガは地面に落ちる自分の『影』を伸ばす。「かげうち」という技の応用だった。 以前、連日マスコミが押しかける騒動があって以来、リサは自宅の戸締まりを徹底するようになった。ゲッコウガがその気になれば、壁や窓を破壊して侵入することなど音もなく果たせるが、無駄に家財を傷つけて家人に厄介を増やすのは嫌だった。 そこで「かげうち」による遠隔攻撃を用いることにした。家内には立ち入らず、外から自身の影を操って、庭から玄関、そして二階にいるルカリオのもとへ伸ばす。その後は影を伝わるように水の刃を送りこみ、物音ひとつたてることなく目標を暗殺する。そういう作戦だった。 息を殺し、気配を消しながら、ゲッコウガは影の操作に意識を集中させた。その手には無形の刃を携えたまま、そろり、そろりと影が玄関扉へと這いよる。意思を持って動く闇そのものが、禍々しい大鎌で命を刈り取る死神となって。 もはや、ルカリオやリサに対する憐憫の情は消えていた。今はただ、目的を達成することにすべてを費やしていた。機械のように。拳銃に装填された一発の弾丸のように。 だが――突如として、ゲッコウガの体が、金縛りにあったように動かなくなる。 全身の毛穴がこじ開けられたような感覚があった。 冷汗が吹きだすどころの話ではなかった。冷汗を流すまでもなく汗腺が凍りついたような、それは名状しがたき純然たる恐怖だった。 気配があった。 物腰は至って穏やかだ。怒りや不満、そんなものとは無縁な、優しさすら感じるほどの、やわらかな気配。 ゲッコウガのすぐ背後から、まるで慈しむような視線がある。 ――ルカリオが、静かに微笑んでそこにいた。 楽しい、とルカリオ思った。 つつがなく、自分の望みを理解してもらえたようだ。 しかし惜しむらくは、ひとりで来たことだろう。気取られてもどうにか対処できるほどの数を――せめて、逃げて態勢を整えることくらいはできるだけの戦力をかき集めるべきだった。極端な話、あのときあの場にいた連中すべてに声をかけて不意打ちを仕掛けるくらいのことはしてもよかったのだ。 ――ゲッコウガは動けない。練りあげたはずの水の刃さえ、無形無色のままに霧散してしまった。 なぜ気づかれた? なぜこれほどの接近を許した? ほんの数瞬前まで、ルカリオはたしかに家の中にいた。眠ってもいたはず。あれほどの気配を見誤るはずはない。 気配も完全に殺していたのだ。なのに、なのに……いつから気づいていたのだ? ゲッコウガは息とともに唾を飲みこもうとして、けれどからからに乾いた喉では、それは果たせなかった。 身動ぎひとつできないままのゲッコウガを見て、ルカリオは怪訝な表情を浮かべていた。 ――もしかして、気づかれていないつもりだったのだろうか。 ルカリオにとって、前々から不可解ではあったのだ。さらに言えば、不条理だとさえ思っていた。気配を消すだのなんだのという技術があるらしいけれど、そいつはたしかにその場に存在しているのだ。だったら、気づかないわけがないだろうに。 数多の技術、先人の努力、そんなものを粉砕する考えではあるが、それ自体はまったく道理だ。 存在している以上、その事実自体は否定しようがない。いかに足音を消し、吐息を溶かし、迷彩を施そうと、生体活動そのものが止まっているわけではない。ゴーストタイプのポケモンでさえ、霊体としての活動・反応を絶えず行っている。 しかし、その当たり前を当たり前でなくすところに、技術と知識の蓄積はある。そのために、幾万の先人が幾億の切磋琢磨を重ねてきた。 その努力を、歴史を、幾万幾億の積層を、ただひとつの体で踏破する、真の怪物。 ゲッコウガは失笑した。 莫迦らしい。なんたる現実。なんと残酷な―― もはや、この場での勝敗は決したといってもいい。ルカリオもゲッコウガも、同じことを考えていた。 ゲッコウガの背後から伝わる気配は、あくまで穏やかだった。怒りや優越感に類するものは微塵もない。早く戻って、カルムたちに合流しろと言わんばかりだ。 ――ほかに、選択肢はないようだ。 ゲッコウガは両手を挙げて、戦意のないことを示した。 まったく、このポケモンはどれほど化け物じみているのか。いや、わかってはいたことではあったが。 そう、最初から。 &ruby(・){わ};&ruby(・){か};&ruby(・){っ};&ruby(・){て};&ruby(・){い};&ruby(・){た};のだ。 背後から感じる圧迫がほんの少しだけ弛む。ふあ、と眠そうな欠伸。どこまでも場違いで、一匹のポケモンとして当たり前の仕草。 この自分の奇襲も、このルカリオにとっては早めの目覚ましに過ぎないということか。 ゲッコウガは力なく笑みを浮かべ、そして崩れ落ちるようにして体をよろけさせる。 前方に崩れ落ちる。そしてその刹那、両脚の筋肉を爆発的に加速させた。 「みずしゅりけん」を、まずは一発! 地面を転げ回る。ルカリオは被害を避けるために庭を脱出し、家とは反対の方向にある広い道路に出るだろう。そこから次に無数の「みずしゅりけん」を展開。もはや精度や照準など構ってはいられない。上半身だけを背後に向けたのと同時に、それらすべてを射出する。点ではなく、空間そのものに対する制圧射撃。 さらに駄目押しとばかりに、ゲッコウガは「じんつうりき」を全開にした。赤く光るその眼が不思議な光を放ち、ルカリオの五感すべての波長を手当たり次第に滅茶苦茶にした。 ほんのささいな隙も見逃すな。見出したならつけこみ、こじ開けろ。油断した方が負ける。戦場に正義があるとすれば、それは勝利し生き残るということだけ。カルムの研究の、それは鉄則だった。 今、ゲッコウガはその鉄則を半歩踏み出していた。繰り出した「みずしゅりけん」の破壊力と総数は、この至近距離であれば自殺行為に等しいほどだった。大好きな主人と、気の置けない仲間たちと過ごした日々が、カロス最強のゲッコウガにその半歩を踏み出させた。 振り返った視界に映るのは一匹のポケモン。死に瀕しているはずの、ただのポケモン。しかも今、そいつはゲッコウガの「じんつうりき」により、すべての距離感を殺されている。 そのポケモンが、距離感を狂わされたただのポケモンが、迫りくる弾幕のすべてを素手で叩き落としていく。目で捉えられているはずはない。そんな生易しい速度ではなく、そもそもポケモンバトルの領域を踏み出した今のゲッコウガの「みずしゅりけん」には、一切の光彩がない。なにより、あらゆる感覚を、ルカリオは狂わされているはずだ。にも関わらず、両腕が無造作に、しかし的確に、水の刃を撃墜し、威力を相殺していく。 ゲッコウガは、驚くこともなくすの様を眺めていた。 狂わされた感覚が、実際にどの程度狂わされているのかを、一瞬で当たりをつけたのか。空気の微妙な振動を知覚しているのか。それとも、ただの勘か。まったく、論理もへったくれもあったものではない。 ――ああ、そうだ。 わかっていた。わかっていたのだ。こんなていどで倒せる相手ではない。こんなていどで倒せる怪物ではない。暗殺だろうがなんだろうが、自分ひとりでどうにかなる怪物ではないことは、わかりきっていた。 カロスリーグにおいて、ルカリオはまさにこのようにして、チャンピオン・カルネのあらゆるを避け切ったのだから。 だが、それでもいい。 ゲッコウガの勝利条件は、主人と仲間たちの無事。 ここで少しでもルカリオの体力を削ることができたなら、それだけで自分の目的は果たされる。ひとつの刃を無効化されるごとに、主人や仲間たちに向けられる力をいくらかでもそぎ落とせる。 やるべきことは単純にして安直なのだ。 息の続く限り、この四肢が動く限り、とにかく戦闘を継続すること。なにを考える必要もない。戦術とは、本来シンプルであるべきもの。 機械のように。拳銃に装填された一発の弾丸のように。 奇妙なことに今、ゲッコウガはそのことに痛快さを覚えていた。培ったすべてを、この身につけた全知全能を叩きつける。これまでの修練、身につけた技術と知識。そのすべてを吐きだして余りある存在が目の前にいる。 全身の筋肉を躍動させ、絶え間なく位置を変え、絶え間なく技を繰りだしながら、ゲッコウガはたしかに笑っていた。 ――カロスにおいて、空前にして絶無と謳われたチャンピオン・リサのルカリオ。その事件の序章は、かくして幕を開けた。 2 東の空が白み始めた。 黄金色の煌めきが、空と大地の境界から顔を覗かせる。 辺境のポケモンの村で、カロス地方において名の知られたポケモントレーナーたちが、各々集まり始めていた。 ビオラ。 パンジー。 ザクロ。 コルニ。 フクジ。 シトロン。 ユリーカ。 マーシュ。 ゴジカ。 ウルップ。 バキラ。 ズミ。 ガンビ。 ドラセナ。 ラニュイ。 ルスワール。 ラジュルネ。 ルミタン。 サナ。 トロバ。 ティエルノ。 カルネ。 セレナ。 カルム。 見る者が見れば、これからどこぞの国でも攻め落とすつもりかと怖気を振るう顔ぶればかり。パンジーやユリーカのような強引に参加した者や、カルムとセレナの幼なじみであるサナたちを除けば、カロスにおいて最強クラスの実力者だ。 「なかなかの壮観だね」 やわらかな芝生に腰を降ろしながら、セレナが感嘆しきった声を漏らす。そのとなりでは、サナがなにを呑気な、と呆れていた。この子はこれから起きることの意味を本当に分かっているのか、そう言いたげだったが、口に出すのは控えておく。代わりというように、傍らのブリガロンがやれやれとばかりに肩をすくめる仕草をした。 「一応聞くけど」と、サナは言った。「勝算は?」 「わかんない。カルネさんにでも聞いて」 この返答である。 サナは本格的に呆れた表情でつくづくとセレナを見やる。 セレナは、カロス最強なんて称号とは不釣り合いなほどに、まだ幼い雰囲気がある。快活で、どこまでもひたむきで、前を向く。 本当は、それだけの子だった。そのことを思うと、サナは痛ましいものすら覚える。 セレナは決して天才ではない。むしろ不器用だ。 サナがそうであるように、セレナはポケモンバトルというもの自体に疑問を抱いている。バトルの強さを競いあうだけがトレーナーなのか。カルムのライバルとして、それこそ彼に追い抜かれまいとバトルの腕を磨き続けたセレナだが、本来なら彼女はそこまでの力を持つことはなかったはずだ。 ポケモンバトルを嗜むにしても、もっと穏便な、彼女にとって負担になるようなことがないやり方はあったはず。けれどセレナは、より多くの力を、より強い力を求め、そして今ここにいる。 ほんの半歩でも踏み違えれば、一直線に破滅へ突き進みかねないその生き方を、セレナは恐れていた。そうでありながら、セレナはまっすぐで、明瞭だ。 恐れていたものを求めながら、その目はひたむきに前を向く。このごろのセレナのそんな姿に、サナは恐怖すら覚えたことがある。なにをどうすれば、こんな女の子ができるのかと。 だけど、今ではその理由も理解できた気分になっている。セレナの目の先に、常にひとりの女の子の背中があることに気づいたから。 最高のものを知ってしまったからには、その高みを目指さざるを得ない。諦めることはできない。それに魅入られ、惚れ抜いてしまったからには。 ポケモントレーナーにとって、そしてセレナにとっての極めつけの不幸はそれだ。健全にまっすぐに育った彼女は、この世でもっとも眩い光を見てしまい、そこへ駆け上がる目標ができてしまった。 バカだ、とサナは思う。 だけど、それにこうして付き合う自分も、バカはバカだ。 サナは何度めのことか、ため息をついた。 「なにか騒がしいね」 セレナが呟いて、サナは暗くなりかけた気持ちを現実に引き戻した。セレナの視線の先に、カルムとトロバとティエルノがいる。 「どうしたの?」 立ち上がり近くに寄っていって、セレナはたずねた。サナもそれに続く。 「ゲッコウガがいないんだ」と、カルムが答えた。「モンスターボールの中にいると思っていたんだけど、中は空で」 あのルカリオと戦うことへ緊張するあまり、ゲッコウガがモンスターボールの中にいないことに気がつかなかったのだという。当然そこにいるものと思っていた相棒が姿を消していることに、カルムは不安げな表情をしていた。 「そろそろ時間です」 空を睨み、腕時計を見てトロバが言った。もうゲッコウガを探しにいく時間もない。 逃げたのでは、という言葉は、その場の誰も可能性の欠片としてすら考えなかった。旅の最初から終わりまで――まだケロマツだったころから、ゲッコウガはカルムといつもいっしょだった。ゲッコウガがどれほど主人と仲間たちを愛していたかは、全員が&ruby(ちしつ){知悉};している。 「……迂闊だった」 そこに興味深いなにかを見つけた日のように、つま先へ視線を落としていたカルムが、このとき、心持ち血の気の引いた顔で口を開いた。 「なに、カルム」ティエルノがたずねた。 「ゲッコウガの性格――というより、ゲッコウガという種族の発想を、オレは見落としていた」 悔やむように、カルムが神妙な声を出した。 「こちらの戦力を明らかに凌駕する敵。それを打倒する最良の方法。仲間の保全。ゲッコウガの性質……。バカだ。こんな簡単なことを見落としていたなんて」 うわ言のようにつづられる後悔は、中途で途切れた。 カルムだけではない。 その場にいた誰もが――戦いを控えて猛っていた者も、静かに時を待っていた者も、雑談に興じていた者も、同じようにその動きを止めていた。 誰もが感じ取っていた。 五感、直感、あるいはそれ以外のなにか、はたまたそれらを含むすべてが否応なしに感知した。 脊髄を鷲掴みにされたような寒気。 喉元に鉄の棒を差し込まれたような圧迫感。 砲弾の込められた巨砲の口を覗き込んだような畏怖。 ――やってくる。 あの少女がやって来る。 あらゆる最強を凌駕する怪物が。 持ちうる天才すべてを剥き出しに―― リサのルカリオがやってくる。 「これは――」 ゴジカが呟いた。さすがは占い師であり、自身も異能を持つ彼女には、必要以上の緊張はない。 「どれほどの生涯を歩んできたのか。命の終わり、悲しみの定め。これまでの道を検めたくなる」 「あれは例外だろう」呻くように、しかし苦笑するようでもありながら、フクジが言った。「興味を持たない方が健康にいいと思うがね」 庭師としての直感が察知した。もの言わぬ草木が恐れている。たった一匹のポケモンの脅威を感じ取り、無言のざわめきをあげている。 散り際の生命がこれほどまでの存在感を放つとは。なにをどうやれば、このようないのちが育つのか。千年生きた大木ですら、これほどの生命力を感じはしない。 胸のすくような勝負ができるといいが。フクジは年甲斐もなく、血沸き肉踊る心持ちだった。 「今さらながら、後悔したくなるわ」 「本当に今更ね。まあ、去る者を追うほど酔狂な子でもなし、今からでも帰るなら止めないわよ」 こんなときでもカメラを手放さないパンジー・ビオラ姉妹はそれぞれに囁きあった。 「そんな恥知らずな真似はできないわよ」 むくれる妹に、パンジーはにっこりしてみせた。 「その相手がリサちゃんだというだけで、大抵のことは許されると思うわよ」 「だったら表現を変えるわ。相手がカロスチャンピオン・リサだからこそできるわけないでしょ。ハクダンジムのリーダーとして、ひとりのポケモントレーナーとして、あの子の前で無様をさらすことだけはできない」 妹の決然とした表情を見て、パンジーもうなずきながら顔を上げた。 どれだけ日頃、慇懃無礼を通り看板にしていても、ジャーナリストは根本的に誇り高く、そして義理を重視する。新聞記者として関わり、個人として親しんだ少女に対して、パンジーは奇妙な義務感を抱いていた。 「あれだな。新聞記者の本音を聞けるなんて、珍しいこともあるもんだ」 「そうですね」 彼女たちに倣ったわけではないが、ウルップとドラセナも小声で囁きあう。どちらかというと微笑ましいものを見る顔だった。 ガンビも微笑している。彼らはジムリーダーや四天王の中でも、とりわけ己の実力に確固たる自信を持っている。それぞれ立場は違えど、ポケモンバトルというものに常に誇りを懸けていた。 特別リサとの親しみが深いわけではないし、ルカリオの死を必要以上に悲しむこともしなかった。しかし、カロス最強のポケモンの最期に望んだこと、それが戦うことであるならば、見過ごすことができなかった。彼らにとってはそれだけで十分で、それだけがすべてだ。他に理由をつける必要を、彼らは感じていない。 「――そろそろ夜明けね」 気を取り直したビオラが、震える手でカメラを握りなおし、空を見上げた。 「………」 コルニは無言でメガグローブを深くはめ直した。 普段は明朗ながらもどこか間が抜けていて、親しみやすいこの少女が、この半月、どれほど鬼気迫る表情で修行を続けていたか。 ザクロは懐かしいものを見る気分で見つめ続けていた。 キーストーン。その後継者であるコルニは、リサと同じくルカリオをパートナーに持つ。しかし、種族は同じでありながらも、両者の力の差は歴然だった。ここにいる誰よりも強く、彼女は敗北感に苛まれたはずである。メガリングの後継者として、戦う必要を感じるまでもなかった。かのルカリオには、メガシンカなどという力さえ無用だろう。 その境地に自分も至ることができるのか。コルニにとって、リサの存在はあまりにも眩かった。同じルカリオ使いとして、今の体たらくに甘んじているわけにはいかない。 そうして、コルニとルカリオは特訓に励んだ。そのすさまじい集中力といったら、ザクロはなにやらどこかで似たようなものを見たことが気がしていた。なんのことはない、ロッククライムをしているときの自分の姿だった。 ザクロはアスレチック用の手袋をした手で、口元を隠した。 そうしないと、なんとも場違いな微笑を隠すことができなかった。 「カルネさん」 マーシュは、どのようなときでもはんなりと、自分のペースを崩そうとしない。今も、彼女がまず気にかけたのは、明けかけた空と日を厭う大女優のことだった。 「日傘、さしたほうがええんやない?」 「ありがとう」と言って、しかしカルネはかぶりを振った。「大丈夫よ」 体が小刻みに震えている。淡いグレーの髪が波打っている。肌は粟立ち、声はかすれている。 それは恐怖ではない。純然たる喜びだった。 チャンピオン・カルネを打ち負かしたひとりの少女。 怪物的な才能を持ち、才能を抑え続けた一匹のポケモン。 ただの少女にして、新たなカロスチャンピオン。 リーグ戦ですら見ることのできなかったその全力を今、すべて自分にぶつけようとしている。 これで奮い立たないようで、なにがカロスチャンピオンか。 「けど、お肌に障るやろ?」 「今このときに限っては、日傘をさすほうが障ると思うわね」 「なんとなれば、わたしのポケモンが『あまごい』でもすれば済む話です」 それまで沈黙を守っていたズミが口をはさむ。カルネは彼らしからぬ心遣いに気をよくし、それでまた微笑んだ。「ええ、頼むわね」 ズミは、あえて偽悪的な表情を作って見せた。 「わたしはわたしで、実に興味深いのです。ジムリーダー、四天王、バトルシャトレーヌ。いずれも名だたる最強の代名詞。その力の底を見極められる機会など、どれだけ長く生きても巡りあえるものではありません」 ――そのすべてを上回る、ただ一匹のポケモンの可能性というものもね。 まことに芸術家肌らしい好奇心を語りながら、ズミの目は真摯な光を帯びていた。 「ついに決着をつけるときが来たけんね!」 そして響き渡ったのは、おそらくこの場でもっとも元気一杯なバトルシャトレーヌ四姉妹の次女、ラジュルネ。 その叫びを聞いた幾人かは苦笑をあらわにしたが、同時に好意的な笑みを漏らしてもいた。 彼女はまったく単純で、裏表がない。 チャンピオンが、最後の勝負をしたいらしい。 やったら相手するんは当然ね。うちら最強ばい。 以上終わり。 ラジュルネの意見はそれだけで完結している。 過去のしがらみ、なんらかのこだわり、人との関わりあい、そんなものを必要としない。ただ今このときにおいて、なにが大切で、なにがしたいか。重要なのはそれだけだ。 まったく素直で明瞭極まり、不純物は欠片もない。少なくとも多くの者にはそのように思われた。 ただし三女ルスワールなどの苦笑は、より深かった。 三日前のリサの宣言のあと、この戦いに付き合うと言う姉や妹を、ラジュルネが止めていたことを知っている。 ――うちは最強やけん。みんな、うちに任せてや。 そのときのラジュルネの言葉だ。 あの勝ち気で無鉄砲な姉が、周囲が思っているよりもはるかに多くのことを考え、多くを背負おうとしているのではないかと、ルスワールは思った。 けれど結局、ラジュルネの説得に、誰もうなずくことはなかった。これほどの相手との戦いに、四姉妹がひとりでも欠けることなんてあり得ない。長女のルミタンはラジュルネを叱り飛ばし、ラニュイが笑い飛ばした。 類は友を呼ぶのだろうか。ルスワールはいくらか複雑な視線で、自分たちの大将格ともいうべきカルムを横目で見やる。そして、明るくなり続ける東の空に目を向けた。 そして、夜が明ける。 3 幾多の想い、幾多の情誼。 ポケモンの村に、無数の心が&ruby(こうさ){交叉};して。 そして今、夜が明ける。 白み始めた空の向こう、黄金に輝く陽の光を背にして、少女が立っていた。 このカロス地方でその名を知られ、その名を畏れられ、その名を親しまれた少女が立つ。 彼女はポケモンの村に集うトレーナーたちをそれぞれ眺める。そうして、モンスターボールから相棒が姿を現した。 彼女の相棒は、わずかに苦笑した。 その、圧倒的な存在感。ただ笑う、その姿だけで、暴風よりもなお濃く渦巻く威容がある。 これまでのどのような事件・異変においてさえ、ここまで怪物的な気配はなかった。 死の間際になって、その天才が完成したのか。あるいは逆に、天才が完成したからこそその身が滅びつつあるのか。事実がいずれかは誰にもわからないし、どうでもいいことだ。 「ひの、ふの……二十四人か。まったく、結局誰も欠けなかったのね」 彼女はまず目の前の物好きなどもを数えあげ、相棒と同じように苦笑してみせた。 「オレの相棒が、粗相をしたかな?」 一歩、歩み出たカルムがたずねだ。 「ううん」と言って、彼女は穏やかに首を振る。「粗相というより、称賛したいくらいだった。あのゲッコウガはとても強かった。戦いというものの姿のひとつを、あたしに示してくれた」 カルムの顔が歪む。 「安心して、死んではいないの」 ゲッコウガの行動は正しかった。しかし、力が足りなかった。だから逆に死ぬことはなかった。 「ポケモンセンターにあずけてきた。半日もしたら目覚めるって、ジョーイさんが」 安心させるように、彼女は言った。 ようやくにその意味を悟った者たちが、複雑な表情になった。 それは結局、彼女の相棒にとっては本気になるまでもなかった、ということだ。 「緒戦としてはいい感じだった」 「だったら――」 口を開いたのは、セレナだった。 かつて死を間近に迎えたポケモンにすがり、涙を見せた少女の姿はそこになく。 皆が認める最強のトレーナーとしての威容をもって、告げる。 「――決戦、開幕ね」 ビオラがカメラを手放し、モンスターボールへ持ち替える。 シトロンが指で眼鏡を押し上げ、ユリーカは緊張した顔で兄のそばにつく。 ルミタンとラジュルネとラニュイがいっそう笑顔を明るくし、ルスワールがやれやれと頬に手を当てた。 ゴジカがマントを払いのける。フクジが大きなハサミを背中のホルダーにしまい、コルニはメガバングルの感触を確かめるようにキーストーンに触れた。 カルネは&ruby(めいもく){瞑目};]するかのように佇み、カルムとセレナが歩み出た。 その場に集ったあらゆるトレーナーが、牙を剥く。 申しあわせる必要もなく、少年と少女が片手を挙げて。 「――GO!!」 それが、号砲となった。 そして、夜が明ける。 それは遠い世界の物語。 巡り巡る季節のなかで、ひとつの物語が幕を開ける。 それは少女とポケモンの最後の記録。 移り移る季節のなかで、ひとつの時代が幕を閉じる。 そして、夜は明けた。 そろそろ自分でもくどい気がしてきました。 次はいよいよ決戦です。 #comment()