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最強のルカリオを本気出して書いてみた 第一話 の変更点


 
【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第二話]]】
【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第三話]]】
【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第四話]]】
【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 最終話]]】
#author("2025-01-01T15:48:38+00:00","","")




    1 




 なんでもない一日だった。
 本当になんでもない、当たり前に過ぎていく一日だった。
 しかしその日、あるポケモンが自分の死を悟った。



 一ヶ月後、自分は死ぬ。
 ルカリオがそう告げたとき、仲間のバシャーモは唖然とし、次に苦笑した。
 なにを下らない冗談を。統計し要約すればそんな感想になるのだろう。
 物わかりの悪いやつだ、と言いたいところだが、タイミングも悪かったかもしれない。
 リサは、ルカリオとバシャーモの主人である。十四歳の女の子だ。
 リサのクリスマス・イヴは毎年忙しい。しかし今年は例年の比ではなかった。彼女は、まだ泡立て器もちゃんと使うことのできないふたりの妹を指揮して、直径三十センチのクリスマスケーキを焼き、華やかにデコレーションする一方で、家族そろってテーブルを囲む夕食の支度もせねばならなかった。ルカリオとバシャーモも、リサや妹たちを手伝っている。
 チキンの丸焼きは、予約注文しておいたのをリサの母が仕事帰りに受け取ってきてくれる。リサとしては、本当はチキンも自分で焼きたかった。けれど、今年はケーキかチキンか、どちらかひとつにしておきなさいと厳しくたしなめられてしまった。おおきすぎる野望は挫折の元だというわけだ。これはリサの母の持論である。
 チキンはできあいのものを受け入れるとしても、サラダとスープはどうしても自分でつくりたい。リサはきっちりと計画を立て、時間配分まで決めていた。今日の彼女の頭のなかを占めているのは、ただただ料理のことだけだった。
 主人を手伝うルカリオもバシャーモも、やはり同じくらいに忙しかったのだ。死期を明かすには、あまりよろしくなかったといえる。ルカリオにしてみれば、そのときたまたま思い出したから教えておいただけなのだが。
 まあ、いいか。
 ルカリオは納得した。別段、どう釈られてもこの際かまうまい。湿っぽいのも苦手だ。それに深く考えるまでもなく、仮に真剣に受けとられたとしても、なにがどうなるわけでもない。リサの料理の邪魔をするのも気が引けた。
 この冬、リサはポケモントレーナーとしての旅を終え、メイスイタウンの自宅へと帰ってきた。各地のポケモンジムを制覇し、四天王やチャンピオン・カルネとのバトルで勝利を収め、晴れて殿堂入りを果たした彼女は、懐かしい我が家で、愛する家族と過ごすクリスマスを素敵な思い出にしようと前の日の晩から一生懸命だった。リサのそういう頑張りすぎ、欲張りすぎ、完璧主義者の側面は、旅の途中でいろいろな人たちから指摘され続けている問題ではある。今日だって、たかがクリスマス・イヴのチキンとケーキのことぐらいで、母に厳しく釘を刺されたのも、頑張るあまりつんのめりがちになることがあるからだ。
 けれど、ルカリオはそんな主人のことが気に入っているのだ。それはともに旅を続けてきたバシャーモも同じだろう。
 努力家で聡明な、カロスに新しく誕生した最強のポケモントレーナー。その背後には、こんな微笑ましい素顔がある。
 カロスリーグを制し、無名のトレーナーから一躍スーパースターとなったリサに戻ってきた、ささやかな日常。忙しくも幸せな彼女のクリスマス・イヴに、水を指すような真似はするまい。ルカリオはただいつもどおり、一直線な主人とその家族といっしょに、充実した一日を過ごした。





    2




 翌朝、リサは朝六時過ぎに起きだした。本当ならもうちょっと寝ていたかったのだが、あまりにも冷えこみがきついので目が冷めてしまった。
 カーテンを開けると、思わず歓声をあげたくなるような雪景色が広がっていた。歩道でも二十センチ以上は積もっているし、吹き溜まりでは三十センチ、いや五十センチに達しているかもしれない。家の隣の駐車場では、並んだ車がすべて雪に覆われて、純白の小山の連なりと化している。まだ手つかず、まっさらの降雪だが、厳しい寒気に表面が凍りついていて、つぶつぶが浮いている。そのせいで、再生紙製の巨大な卵パックは伏せられているみたいな眺めになっていた。
 いつもは寝起きの悪い妹ふたりも、今朝はリサといっしょに起きだして、早々に身支度を済ませると、連れて大喜びで庭に飛びだした。二対の小さな手足でささやかな庭の中を駆けまわり、できそこないの雪だるまをひとつこしらえ、隣の駐車場の小山の連山に向けて、雪球の高射砲を何発も発射して、それはもう大騒ぎである。母を手伝って朝食の支度をしながら、リサがキッチンの小窓から覗いてみたときには、巨大な卵パックは哀れ穴だらけにされていた。
「早くごはんを食べなさい!」
 玄関口まで出ていって、母が大声で呼びかける。その域が真っ白な蒸気になり、青い空に吸いこまれていく。それが七時ごろのことだ。いつもなら、妹たちはまだベッドから出てもいない時刻である。
「大雪は、犬と子供を等しく興奮させる」
 食卓で湿った朝刊を広げている父に、リサは感想を述べた。
「じゃあ、おまえはもう子供じゃないのか」
 父に問い返された。
「すくなくとも犬じゃないのは確かね」
「そうか。父さんは犬だがな」父はあくびをしながら言った。リサの父は警視庁捜査一課に奉職する刑事だ。
「お父さんたちをつかまえて、“犬め”なんて罵る人が、今でもいるの? 古い映画のセリフみたい」
「誰に罵られなくても、鎖につながれてるから犬なんだ」
「そしたら、働く男たちはみんな犬じゃない?」
「今朝のおまえは妙にシニカルだな。昨夜のプレゼントが気に入らなかったのか?」
 ちょっと図星だった。
 電子辞書をもらったのである。確かに、ちいさいころからずっと使っているコンパクトな国語辞書は語彙がすくなく、たまに載っていない言葉もあって不便だと、文句を並べたことがあるのは認める。ならばその不足を埋めようと、両親は考えたわけだ。すこぶる合理的にして実利的。でも、十四歳の女の子のもらうクリスマスプレゼントなのよ。もうちょっとオシャレなものでもいいじゃない。
「どうせ暮れの買い物にいったら、母さんにあれこれねだるんだろ? だったらいいじゃないか」と、父は言う。これもまた非常に合理的である。
 妹たちが顔を真赤にして戻ってきたので、親子五人と、モンスターボールからバシャーモとルカリオを出してやり、食卓を囲んだ。父にはあんなことを言われたけれど、実はリサはちっともシニカルになどなっていない。むしろ浮かれていた。全員揃ってクリスマス・イヴを迎えられただけでなく、翌朝の朝食も顔を並べて食べることができる。こんなのは本当に珍しい。リサの記憶にある限り、はじめてじゃないだろうか。一年前、リサがポケモントレーナーとして旅に出る前だって、イヴの食事こそ揃ってとることができても、父はその夜のうちに仕事に戻っていったり、あるいはイヴの夜は泊まりで、翌朝早く帰ってきて朝食だけいっしょに食べる、というパターンの連続だった。
 特殊で大事な仕事に忙しい父親。
 リサの家のそんな暮らしを、アサメタウンのセレナがとてもうらやましがっている。そういえば、おしゃべりのなかでひょいとリサが「帳場事件」と言い、その言葉の意味を問われて、警視庁が捜査本部を置くような事件のことだと説明してあげると、ものすごく感心されたことがあった。リサの家はいいなあ、普通の家じゃないもの。
「ぜんぜん普通だよ」とリサは笑ったが、心の隅ではちょっぴり得意だった。
 もちろん、セレナが想像し憧れている「刑事の家」はドラマのなかのそれであり、現実のリサの家とは違うとわかっている。それでも、仲良しの友達に憧れられるのは悪くない。「悪くない」と認められるくらいには、リサはまだ子供であり、素直だった。それも、昨年殿堂入りを果たしたカルムと、ポケモンバトルで対等に渡りあえるほどの凄腕トレーナーからの羨望となれば、なおさらだ。
 リサのところに、カルムから電話がかかってきたのは、午前十一時すぎのことだった。
 二年前、カルムはアサメタウンにあるセレナの家のとなりに引っ越してきた。セレナとカルムはプラターヌ博士からポケモンを貰い受け、カロスを旅した仲間なのだ。
 いろいろな土地を巡る冒険の話を、旅の最中のセレナからたくさん聞いた。電話の向こうにいるセレナの声はいつも楽しそうで、ポケモンたちとの絆を深めながら、彼女は様々な体験をしていた。リサはそんなセレナに次第に憧れを抱くようになっていた。
 そうして一年前、セレナの背中を追いかけるようにして、リサは旅に出たのだ。まだバトルをしたこともない、よちよち歩きのアチャモを連れて。
 そんなリサも、今ではカルムやセレナたちに負けるとも劣らないポケモントレーナーだ。旅に出てどんどんと手の届かないところへ行ってしまうような気がしていたセレナと、肩を並べることができた。トレーナーとしてはカルムたちが一年先輩で、リサは旅の途中でカルムとセレナに何度も助けられた。けれど、今となっては自分たちの実力に大きな違いはないはずである。
「こんにちは。今日も寒いね」
 スクリーンの向こうで、カルムはまずそんな挨拶をした。こういうところがカルムらしくハズれている。普通の十代の少年少女は、いちいち電話で時候の挨拶なんてしないものだ。
「ホワイトクリスマスだね」と、リサは言った。「素敵だけど、こんなに積もると後が面倒かも」
「そしたら、雪かきの手伝いに行ったほうがいいかな」カルムは楽しそうに言った。
「ところで、今日はどうしたの?」
「あ、ゴメン。出かけるとかするところじゃなかったかい?」
「ううん、そうじゃないけど、本を読んでたの」
「そっか。じゃあ駄目かな。これからいっしょにミアレへ買い物に行かないかなって思ったんだ」
 ミアレシティはカロス最大の都市だ。街のシンボルでありポケモンジムでもあるプリズムタワーを中心に、洒落た感じのするブティックや小物の店がたくさんあって、いつも賑わっている。レストラン街に並ぶ店は値段の点でも味の点でも玉石混淆で、会席料理の店もあればファストフード店や屋台もあるという幅の広さ。のどかなアサメタウンやメイスイタウンとは違った大都市で、リサの住んでいるメイスイタウンからは、隣街のハクダンシティを通っていくことになる。
「なにを買うの?」と、リサは尋ねた。
「お隣さんのクリスマスプレゼント」
「えっ? まだ買ってなかったんだ」
 セレナが言うと、カルムは面目なさそうな声を出した。「うん……買うものは決めてあるんだけど」
「そうなの?」
 それじゃあ、あたしがいっしょに行かなくてもよさそうだけど。
「せっかくだし、きれいに包んでもらおうと思って。ラッピングとか、そういうのオレ、駄目だからさ。リサに見立ててもらいたくて」
 大人びた、思いやりのある言葉だ。カルムは言い足した。「セレナがいつもね、リサは趣味がいいって言ってるからね」
 リサは笑った。たしかにセレナはおしゃまなところがあるけれど、十四歳の女の子が「趣味がいい」なんて言うわけはない。彼女はそんなに気を回した言い方をせずに、もっと率直に相手を褒めるだろう。だからこれはきっと、リサが作ったトレーナープロモだとか、旅の途中にばったり出会ったときなんかのリサの服装や、持っている小物なんかを見て、セレナがなにかうらやましがっているようなことを言ったのを、カルムなりに解釈したのだろう。
「オレって野暮ったいからさ。セレナ、喜ばないかもしれない。だからリサに頼みたいんだけど」
 リサは通話を繋いだままリビングの窓際に寄り、レースのカーテンの端をちょっと持ちあげて、空を仰いだ。朝から変わらずに一面の青空で、ついさっきのテレビの天気予報でも、雪が降りだすのは夜だと言っていた。夕方まで出かけるくらいなら大丈夫だろう。
 行こうかな、と思った。せっかくのクリスマスに、家から一歩も外に出ないっていうのもつまんないもんね。
「いいよ。付きあう」
「ホント? 助かるよ。じゃあ、お昼を食べたらそっちに行くよ」
「うん」
 話しながらリサは、ふ~ん、と何度も思っていた。幼なじみでもあるセレナに比べれば、リサがカルムと過ごした時間はそんなに長いものではない。なんとなれば、彼とふたりで目的を持ってどこかへ出かけることなんてはじめてだ。あまり深い付きあいのなかった男の子だけど、カルムってこういう子だったんだ。
 カルムはまばたきをした。安いブラインドが風ではためくような、軽くて忙しいまばたきだ。
「な、なに?」と、彼はつっかえた。
「なんでもない」
 リサはにっこりした。男の子が百人いたら、百人全員が、ちっともなんでもなくはないけれど、でもそれはゼッタイに悪いことではないとわかる――そういう「にっこり」だ。ある年頃の、ある基準以上にかわいい女の子にだけ可能な、魔法の「にっこり」だった。
「今日、ホントはティエルノと朝から待ちあわせしてたんだ」と、カルムは言った。「だけど、すっぽかされちゃった。電話にも出ない」
 ティエルノも、二年前にカルムたちといっしょに旅に出た仲間だ。サナとトロバとティエルノ、そしてカルムにセレナの五人組。ティエルノは体の大きな男の子で、ポケモンたちとダンスチームを作ることを目標にしている。穏やかだけれど、すこしとぼけたところもある少年なのだ。
「忘れてるんじゃないかな」と、リサは言った。
「ああ、ティエルノならありそうだねえ」カルムはまた老成したような声を出す。「おおらかだから。今度、とっちめてやろうっと」
 リサはにぎやかに笑った。カルムも微笑を緩めてみせた。





    3




 ミアレシティのショッピングモールは賑わっていた。駆けこみでクリスマスプレゼントを買おうという客。ご馳走のための食材を求める客。クリスマスだから外食しようという人々。クリスマスだからとにかくどこか賑やかなところへ行こうという人々。
 混雑は予想していたので、リサはあまり手荷物を増やさず、服にも飾り気の少ないものを選んだ。淡いグリーンのセーターに白のジーンズ、その上にベーシュのショートコートを着て、靴はテニスシューズだ。首に巻くのは短めのファーマフラーにして、胸まで伸ばした金色の髪はポニーテールにした。カルムの方も、濃紺のウインドブレーカーに白のヨットパーカー、ブルージーンズというカジュアルな格好だ。いつものようなメッシュキャップではなく、ワークキャップを被っている。
 ここまで乗ってきた自転車は、入口のところの駐輪場に停めてきたので、リサとカルムは人混みにもまれながら歩いた。カルムが目指すのは、モールのちょうど真ん中あたりにあるブティックだ。三階建てで、一階はメンズ、二階はレディース、三階は子供服の売り場になっている。
 やっと辿り着いた店内もひどい混みようだった。エレベーターの前に長い行列ができている。リサはカルムを促して階段をあがったが、その階段も、あがったり降りたりする客たちの喧騒で満たされていた。
 カルムが選んだプレゼントは白のニット帽だった。耳垂れから伸びた紐の先と、頭のてっぺんのところに、もこもこした丸い飾りがついている。
「セレナって、いつもハットを被ってるだろ。こういうのも似合うんじゃないかと思って」
 カルムはそう言って、それが同い年の女の子へ贈るクリスマスプレゼントとして適切かどうか、リサに意見を求めた。リサもおおむね好感触だった。いつでも使えるものだし、それほど高価なものでもない。形もリサの気に入った。ふわふわで手触りがよく、ためしに被ってみると、ゆったりとしていて締めつけることがなく頭にすんなりと馴染んだ。これならヘアスタイルを損ねることもない。被ると暖かいので、寒さの厳しいこの季節ならすぐにでも使えるだろう。セレナの栗色の髪にもよく似合うはずだ。
 ひとまずニット帽をひとつキープして、ふたりは店内を物色した。けれどほかにめぼしいものも見当たらず、結局はニット帽を購入した。ハンドバッグという案もあったが、十四歳の男の子が女の子へプレゼントするにはすこし格好をつけすぎだと、リサが却下した。もっと子供らしい、気軽なものでいいのよ。帽子くらいがちょうどいい。
 購入したニット帽は、赤い地にサンタとトナカイと雪だるまの柄が散っている包み紙を選び、そこにありふれたリボンではなく、雪の玉を思わせる真っ白なボンボンをつけてもらった。あのニット帽を見てリサが思いついたのだ。カルムは喜んで、「さすがリサだ。オレだったら考えなしで、ただのリボンつけてゴソゴソさせてたところだよ」と上機嫌だった。
 店内が暑いので、喉が渇いた。カフェで飲み物おごるよ、とカルムは言った。
「そんなに気を遣わなくていいよ」と、リサは言った。「それにしても混んでるね」
「となりのギャラリーもすごく混雑してたみたい」
 この服屋と大きな文房具屋に挟まれるようにして、そのギャラリーはある。と言っても、ここでは地元の子供たちの作品を飾ったり、街のカルチャーセンターや老人会や婦人会の趣味の会の展示会に使われることが圧倒的に多い。画廊のように、そう気取ったものではないのだ。
「クリスマスにギャラリーに来る人があんなにいるんだね」
「今はクリスマス・リースの展示会をやってるんだ。このあいだプレゼントの下見のついでに見てみたけど、けっこうきれいだったよ」
 やっとこさ外に出ても、モールの通路はますます混むばかりだった。カフェも同じような有り様だろう。リサはこれ以上長居せず、外に出たくなった。しかしカルムは、モールの出口寄りにあるカフェのほうへと、体を器用にひねって人の波をかわしながら、もう歩きだしている。リサは、人に流されたり押し戻されたりしているうちに、一旦はカルムの背中を見失ってしまったほどだ。カフェの入口の自動ドアの手前でやっと追いつき、リサはカルムを引っ張ってモールを脱出した。
「どうしたの?」
 カルムはびっくりしたみたいに目を丸くしていた。
「人混みに疲れちゃった」もみくちゃにされて乱れた髪を、リサは手ぐしで整えた。「公園に行かない? ベンチでアイスでも食べようよ」
 リサは冬の寒い日に食べるアイスクリームが大好きだ。けれどそれはそれとして、つまりこれは、いっしょに外を歩こう――という誘いである。別に、リサが言ったとおりに公園に行かなくてもいい。リサを気遣って飲み物をおごると言えるカルムが、本当に聡い男の子であるならば、スマートな態度で察するところだ。
 が、経験が足らず、本人曰く「野暮ったい」カルムは、バカ正直にこう言った。「冬にアイスなんて食べたら、体が冷えちゃうんじゃない?」
「そうかな。あたし、冬にアイス食べるの好きだよ」
 リサはがっかりした。それが表情に出たかもしれない。そして、経験が足らず野暮ったいカルムは、バカ正直ではあるがバカではない。
「リサが言うなら、せっかくだし食べてみようかな。オレもさすがに暑いや」
 ふたりは元気よくミアレシティを歩いた。他愛のない話をしながらストリートでウインドウ・ショッピングをして、屋台でアイスクリームとミアレガレットを買い、空いたベンチを探してふたりで食べた。スタジオへ遊びにいって、ふたりでトレーナープロモを作ったりもした。人混みを避けて裏路地を歩くと、カロスリーグ殿堂入りを果たしたリサとカルムのふたり組を目ざとく見つけて、果敢にポケモンバトルを挑んでくるトレーナーがいた。リサとカルムは喜んで応じ、ダブルバトルで快勝を収めたが、気がつくとあたりに人だかりができていた。握手やサインやバトルをねだる人々をかわして、慌ててその場を離れた。
 リサは嬉しかった。心が弾んでいた。これまでほとんど付き合いのなかった男の子に、思いもかけない光をもらった気分だった。彼といると楽しい。その喜びが、リサの頬を緩ませていた。
「今まで、こういうふうにいっしょに遊んだこと、なかったよね」
 リサは頷いた。「セレナとは友達だけど、カルムやサナたちのことはよく知らないんだよね」
「みんな、にぎやかだからね」責めているのでもなく、意地悪でもなく、庇うでもなく、カルムは微笑んで言った。「リサとはタイプがあわないのかもしれない」
 リサは黙った。自転車に乗った親子連れが脇を通りすぎていく。
「そういうのって、ホントはつまんない」
「え?」
「たくさんの友達と付きあったほうが、本当は面白いに決まってるじゃない? だけどなかなかそうはいかないんだよね。どうしてなのかわかんないけど」
 後半の言葉は嘘だった。リサはどうしてなのか知っていた。カルムも知っているはずだ。だから、今度は彼が黙ってしまった。
 同い年だからといって、同じポケモントレーナーだからといって、一切の隔てがないわけではない。現実は逆だ。
 学力。容姿。運動能力。持っているポケモンの種類。バトルの強さ。適切な場面でみんなにウケることを言えるかどうか。性格の明るさと暗さ。ありとあらゆる物差しで、人間は互いを計り、計られる。そして付きあう相手を決める。大人たちは、人間はみんな平等につくられていると言うが、そんなのは嘘だ。大人の社会に区別や格差があるように、子供のなかにもそれはある。誰でもそれを知っている。理解している。認めている。
 そうでなければ、生きていけない。
 セレナやカルムと、サナたちの付きあいも、その標準から見たら不釣りあいだ。現にあのふたりはマグマ団の野望を食い止めている。カルムに至ってはカロスリーグを制覇したほどだ。ふたりにとって、サナやトロバやティエルノは重たく見える。ぶら下がられていると、しんどそうだと感じることが増えた。
 リサが今までセレナを通してサナたちと付きあってこられたのは、自分のなかにある、そういう優越感みたいなものを認めたくなかったからだ。デキる子とデキない子。そういう区別を認めたくないという、一種の正義感のようなものがあったからだった。けれど旅を終え、カロスリーグの殿堂入りになって、いろいろな経験をした今では、いささかそれにも疲れてきた。
 だけど――ティエルノがカルムとの約束をすっぽかさなければ、こうしてカルムといっしょにミアレシティを歩くこともなかった。彼との時間を楽しく過ごすこともなかった。
 自分で体感している以上に、リサは混乱していた。カルムと親しくするなんて、もしかしたらこの場限りになるかもしれない。でも、今はこの時間を大切にしたい。こういう気持ちは、なんて表現したらいいのだろう?
 いつの間にか、ふたりはローズ広場まで来ていた。ひと気がなくなり、遠くの喧騒に混じって、水路から水の流れが聞こえてくる。
「カルム」と、リサは言った。「ポケモンバトルしよう」
 返事が来るまで、ちょっと待たされた。
「いいよ」と、カルムは言った。「オレも同じこと考えてたんだ。カロスチャンピオンがふたりもいて、バトルもせずに帰れない」
 ふたりは距離をとり、示しあわせたようなタイミングでモンスターボールを投げた。リサはバシャーモを、カルムはゲッコウガを繰り出す。どちらも先ほどのバトルに出て手傷は負っていたが、やる気は十分だ。
 そういえば、とリサは思った。
 カロスリーグに挑戦して以来、カルムとバトルするのもはじめてだ。これまでの彼とのバトルにおいては、はっきり手を抜かれていた。リサとのバトルにおいて、彼は決してエースを出さず、バトルの経験が浅い、特訓中のポケモンたちを繰り出してきた。そのほどよい手加減は、カルムの配慮だった。駆け出しのトレーナーであるリサを相手に、カロスチャンピオンが本気でかかったら勝負にならないという余裕のあらわれ。
 しかし、いま繰り出されたあのゲッコウガは違う。カルムがプラターヌ博士から貰い受けたケロマツの、最終進化系。彼の旅のプロローグからピリオドまでをともに歩んだ唯一無二の相棒。今やカロス最強に数えられるポケモンの一匹。
 ――カロスチャンピオン、カルムのゲッコウガ。
 それを出すということはつまり、このバトルで、カルムは全力を出すつもりだということ。ひとりのポケモントレーナーとして勝利を掴もうとする、挑戦者の姿。
 あたしは、とリサは思う。
 あれに勝てるだろうか。
 今まで、手加減を加えられたバトルでさえも、リサはカルムに快勝したことが一度もない。自分の持てる限りの力と工夫を振り絞って、なんとか五分の勝負ができるという、そんなバトルだったのだ。
 けれど今のリサには、勝てる、という強い自信があった。それは根拠のない思いこみではない。さっきのダブルバトルでカルムのゲッコウガと肩を並べたけれど、リサはゲッコウガを恐るべき脅威とは感じなかった。すくなくとも、相方が務まるくらいの実力が自分にはある。楽に勝てる相手ではないにしても、とても勝ちの目が拾えないというほどの実力差はないはずだ。
 なぜなら、ゲッコウガはカルムのエースだからだ。ここを落とされればもう後がない、最後の砦。それを出してきたのだから、カルムにはもはや、リサを相手にして手を抜くような余裕はない。
 当然だった。
 あたしはリサ。カロス最強の女の子。これで手加減などされてしまっては、カロスチャンピオンの沽券に関わる。
 負けられない。あたしの旅。セレナとカルムに憧れて始まったそのすべてが、あるいはこのバトルのためにあったのだから。
 指先が震えるのを、リサはこぶしを握ってこらえた。見れば、バシャーモも膝が笑うのを隠すように、しきりと軽いステップを踏んでいる。頼れる相棒も、いささか緊張しているようだった。
「バシャーモ」
 リサは声をかける。それを合図に、地を揺るがすような踏みこみとともに、バシャーモは大加速で突撃した。
 ゲッコウガは、別にどうという動作もしなかった。ただその場に立ち尽くしていた。
 バシャーモとゲッコウガの距離がワンブロックまで縮まったとき、ようやくゲッコウガが動く。足を開き、独特の低い姿勢を構えた。バシャーモが迫る。嵐のような勢いで、影のように直線的に。
「ゲッコウガ」
 カルムが言った。
 バシャーモの間合いに入る一瞬前、ゲッコウガが動いた。一歩だけ前に出て、自分から射程の中に入ったのだ。
 そのことが、バシャーモの攻撃衝動をトリガーした。
「インファイト!」と、リサが叫んだ。
「ハイドロポンプ!」と、カルムが叫んだ。





    4




 あれから四日が過ぎていた。この四日間は、ルカリオの価値観からすればずいぶんと窮屈でつまらないものだった。
 結局あの日、リサはカルムのゲッコウガには勝てなかった。長距離から相手を攻撃できるハイドロポンプをゼロ距離で放たれた不意を突かれ、以降ゲッコウガは徹底して一定の距離を保ち、バシャーモの格闘能力を殺しながら多彩な攻め手で翻弄した。近距離での格闘戦を得意とするバシャーモは中・遠距離でも有効打を持たなかった。
 リサはそれを理解していて、最初に距離を詰めてしまおうと考えていた。技の指令をギリギリまで出さず、遠距離攻撃を避けながら密着する。それがリサの初手だったのだ。
 ところが、ゲッコウガはそれを正面から迎え撃った。そこになにか、突拍子もない罠がある。リサはそう考えていた。ゲッコウガにはロングレンジでの攻撃手段がいくらでもあった。なのに、バシャーモの先手を許すような様子見。
 リサの知らないところで、カルムは接近戦での技でも編み出していたのか、あるいは、なにかよほどの大仕掛けを隠し持っているのか。
 いずれにせよ、リサは一瞬たりとも迷うことなく、その『なにか』の中に真っ向から踏みこむ道を選んだ。そこには、バシャーモに対する信頼と、相手がどんな手を目論んでいるのか見てみたいという願望があった。
 カルムの作戦は単純だった。威力の高い遠距離攻撃をゼロ距離で放つ。たったそれだけのことだった。あのときの“ハイドロポンプ”は十分な威力を持たなかったが、すでに攻撃体勢に入っていたバシャーモの姿勢を崩すには事足りた。
 バランスを崩し、走っていた勢いを殺そうとして地面に左手を突き、ついに絶望的なところまでバシャーモの体勢が崩れたところで、ゲッコウガは飛びのきながら“みずしゅりけん”と“じんつうりき”で追撃。
 手数に任せた小技での連撃は、まさに苛烈といってよかった。甚大なダメージを受けたバシャーモは持ち直すことを許されず、じわじわと追い詰められ、最後にはハイドロポンプをまともに喰らってノックアウトされてしまった。
 カルムがカロスリーグの殿堂入りを果たしてからの一年という時間を、なにも彼は遊んで過ごしていたわけではなかったということだ。リサは自分の未熟さを痛感してカルムを称え、ふたりは自分の相棒たちを休ませてやろうと、その足で最寄りのポケモンセンターへ向かった。
 リサは、すっかり伸びてしまったバシャーモと、いっしょに連れてきていたルカリオのモンスターボールをジョーイに預けた。それを受けたジョーイは始めに、機械でポケモンの状態を簡単にチェックした。
 そして、彼女の目がわずかに細められる。
「ちょっと、失礼しますね」
 ジョーイはそう言うと、モンスターボールからルカリオを出す。何事かと目を丸くするリサとカルムをよそ目に、ジョーイはルカリオの胸元に手を当てた。
 彼女の顔から、表情が抜け落ちた。肩をかすかに震わせ、血の気の引いた顔をしているジョーイに、「あの」とリサが声をかけようとした。
「プクリン――!」
 それを遮って、ジョーイが言った。彼女の絶叫じみた声が、ポケモンセンターに響き渡った。
「すぐに治療室の準備を! それからベッドをひとつ用意して、大至急!!」
 ルカリオはそのまま治療室へ運びこまれ、なにかわけのわからない機械やら投薬やら施術やらで徹底的な検査を受けたのが、一日目。
 二日目、三日目は絶対安静を仰せつけられて日が暮れた。
 四日目になって、ジョーイに呼び出されたリサとともに、ルカリオはようやく説明を受けた。憔悴しきった顔のジョーイにより、ルカリオがそれまで直感によってのみ悟っていた事実に、論理的なお墨付きが与えられたのだ。
「――内臓も筋肉も、三割近くがボロボロ。残った七割も著しい機能低下が認められる。その機能は常態の半分以下で、体温は三十度以下。正直、あなたのルカリオが今、平然と呼吸していること自体がひとつの奇跡だわ」
 これがジョーイの結論だった。
 余命についても、ジョーイはルカリオの直感を保証してみせた。ただしその見解は、一ヶ月後ではなく、明日に命が尽きてもまったく不思議はない――というより、いま墓の下にいないこと、それ自体がおかしいという、ルカリオの直感以上に救いのないものではあったのだが。
 治療の可否について、リサは尋ねた。しかし、ルカリオはそれが不可能であることを自身で悟っていた。
 ジョーイもまた、口には出さなかった。そもそも、検査をするだけなら初日で結論が出ていたはずだ。以後の丸二日を、彼女はその優れた脳細胞と膨大な知識を総動員して、治療法の考案に当てていたのだろう。
 そしてたどりついた結論が、ルカリオの体はすでに半ばが死んでいると、トレーナーに告げること。そういうことだった。
 言葉を失ったリサを横目に、ジョーイの医師としての尽力と識見に、ルカリオは頭を下げた。そうして我が主の手を引いて立ち去ろうとする。
 まるでそのまま退院するかのようなルカリオの態度に、ジョーイは目を剥いたようだった。明日をも知れぬポケモンを、自身の管理下から手放すという選択肢は、彼女にはない。
 なにか言いかけたジョーイを、ルカリオはわずらわしげに手を振って制する。
 彼女の使命感は立派だ。掛け値なしに、ルカリオはそう思っていた。だが、才能を無駄遣いするのは感心しない。自分にこれ以上の手間と暇を費やすのは無駄なのだ。
 ルカリオは、言葉の通じぬジョーイに向けて、静かに身振りでそう訴えた。
 残酷なまでに明晰な判断と結論。反論のすべてを封じられ、うなだれたジョーイを後に、ルカリオはリサを引っ張ってメイスイタウンへ帰っていった。




 家に戻ってからは、さらに面倒な事態が訪れた。
 モンスターボールにいては状態がわからなくなってしまうということで、ルカリオはリサのベッドに寝かされ、「そこを動くな」と厳命されてしまった。自分がベッドを使ってしまっては、リサはどこで寝るのだとルカリオは思ったが、下の妹が母といっしょに寝ることにして、リサは妹のベッドで寝るつもりのようだった。
 おまけに、リサの家族や、セレナやカルムたちを始め、知人友人が入れ替わり立ち替わりで訪れては暗い顔を並べる。ルカリオが入院していた三日間で、その現状については誰もが知るところとなっていたらしかった。テレビのニュースやネットで配信される速報でも、カロスチャンピオンのリサのルカリオが病に伏したことが報じられている。
 ミアレのポケモンセンターは人も多く集まる。そこに報道関係者でもいたのだろう。リサの元へ、各地のジムリーダーやカロスリーグの四天王たちから見舞いの連絡もあった。マスコミが取材を申しこんでくることもあったが、リサはそれをすべて断った。
 そういうものごとのすべてが、ルカリオにとってはどうでもよろしいことだった。ルカリオは、どこまでもいつもどおりだった。
 入れ替わり立ち替わり訪れる見舞客に、リサが丁寧に頭を下げる一方で、ルカリオは時に適当にあしらい、時になだめて帰し、そんなことをしているうちに十日間が過ぎ去った。
 一匹のポケモンが贈る余生の過ごし方としては、有意義なうちに入るのだろうか。ルカリオはぼんやりと考えたものだ。
 つまり、とルカリオは思う。
 自分というやつは、そういうポケモンだったということなのだろう。
 命よりもなによりも、気分というものを優先させる。すべてにおいて興味がなく、欲求もない。知人友人たちの気遣いをありがたく感じはしても、それに意思決定を左右されることはない。
 そういう、極めつけに自己中心的で冷淡なポケモンだったということだ。
 本格的にやることがなくなった。
 ポケモンである自分に、身のまわりの整理など必要ない。遺書を書くようなこともない。そもそも人間の使う文字など埒外だ。
 よって、いつものようにポフレでもかじることにする。
 幸いにして天気はよく、雪も降っていなかった。心配顔のリサに頼んで庭に出て、芝生に腰かけ、冷たい大気の温度と、降り注ぐ陽光の温度との差を楽しむ。
 あと半月。
 長いな、とルカリオは思った。
 いつもどおりに過ごしていれば早く過ぎ去るかもしれないが、リサとともにありがたい知人友人たちへの応対を続けなければならないのかと思うと、気が滅入るほど長いようにも思う。
 果たしてあの連中は、自分のなにを気に入って死を惜しむのだろう。これまでの半生を顧みて、とくに友好に値する行動を自分が起こしたという記憶はない。
 旅の途中でリサと出会い、カロスリーグを目指すその過程で自分たちがバトルで打ち負かしたという、友情とか親愛とかいう表現からはほど遠い関係ばかりだったようにも思うのだが。
 そのポケモンバトルとて、所詮はお遊び。戯言。どんなポケモンだろうが創意工夫で勝利しうるよう形式を整えた、スポーツのようなものだ。
 だが、本気で争うことがなにより忌避される人間の社会においては、うまく型にはまった手法ではあったのだろう。
 ――すべては所詮お遊び。戯言なのだ。
 湿っぽいのは嫌いだ。飯がまずくなるから。
 ぎすぎすしているのも嫌だ。寝覚めが悪くなってしまう。
 野生のようにいつまでも憎みあい殺しあうなど御免被る。そのようなことにかまけるよりも、ポフレをかじっているほうが楽しい。
 突き詰めればそれだけのこと。
 ルカリオにとってはそれだけのことで、いかな存在であろうとその限りではなく、転じていえば、自分にとってあらゆる人間もポケモンもその程度のものでしかなかったということだ。
 本気で憎んだ相手などはなく、本気で愛した者もいない。
 本気で殺したくなった怨敵もおらず、本気で殺されかけた強敵もない。
 すべてのポケモンと、あらゆるポケモントレーナー。その諸々がルカリオにとって差異はなく、等価値である。いずれに対しても脅威など覚えた試しはないし、したがって敵と見なせたことはない。
 まさに世はすべて戯れ。
 ルカリオはそうして生きてきた。
 そしてその果てに、ポケモンとしてもごく短い生涯を閉じつつある。
 やり残したことなどあろうはずもない。身を焦がすほどの望みなど持てたことはなく、遺して悔いるほどの存在もなく、このカロスにほんの一時生じ、消え果てる。
 その程度のモノとして終わる。
 自分はそれでいい。
 それ以外のなにかなど、それ以上のなにかなど――
 自分には、望めたことではないのだ。





    5




 その日は、珍しくというべきか、来客が皆無のままに夕暮れを迎えた。
 メイスイタウンの夕暮れは、なかなかの壮観だと思う。石造りの町並みに射すオレンジの光。薄暗く落ちる影を照らす街の灯。リカリオは、今日もリサとともに庭に出ていた。
 そういえば、とルカリオは朝にポケモンフーズをかじったきり、なにも口に入れていないことに気づく。食欲が失せているという自覚はなかったが、あるいは自分の体がもはやそれほどの栄養を必要としてはいないという証左なのかもしれない。
 たしかに、衰えを知覚して以来、極力は無駄な労力を避けた生活を心がけてはいた。ルカリオにとってはさして難しいことではない。
 野生のリオルがリサと出会い、ルカリオへと進化するまで、あるいは進化して間もないころなどは、ポケモンバトルで手傷を負うことはそう珍しくなかった。トレーナーやポケモンのほとんどはこの奇妙で華やかな決闘を好奇心とともに受け入れているが、なかには熱中して技の威力に手加減を忘れるポケモンも多い。
 こちらが殺すつもりもなく力を落としているのに、相手に体を消し飛ばすほどの威力を出されることはままあった。時には臓腑に損傷を負いもしたし、骨を砕かれたこともある(もとより人間とポケモンでは力の尺度や回復力が違うので、とくに問題視もされていないが)。
 そうしたとき、自身の使い物にならない部位の稼働を意図的に排除し、それに最適化した動作を取ることで、ルカリオは戦闘を継続してきた。極端な話、腹を搔っ捌かれようと両腕をもがれようと、五体満足な状況と変わらぬ能力を発揮しうる動作を行う。ルカリオにはそれができたのだ。
 いかなる相手も敵と見据えることがなかったのは、その常軌を逸した継戦能力にもよる。
 皮膚一枚を裂かれる程度のかすり傷も、臓腑を撒き散らすような損傷すらも、ルカリオには等価だったのだから。いずれもルカリオの力を減ずるにはあたわず、心の臓が鼓動を打つ限りルカリオはルカリオとして戦闘を継続し続ける。
 いや、自分のことだ。
 仮に心臓をえぐられたところで、波導で血液を循環せしめ、戦い続けられたかもしれない。そこまで追いこまれたことはないが、そんな確信がある。確信があるということは、できてしまうということ。これまでも常にそうだった。
 だからこそ、余命わずかとなった今このときも――ジョーイが「今呼吸をしていること自体が奇跡」と断言したこのときにあってなお、平素と変わらぬ生活ができている。
 今日はそろそろ寝てしまおうか。どうせやることもなし。
「冷えてきたし、そろそろ部屋に入ろう」
 リサがそう言って、腰をあげかけたとき、玄関に来客があった。
 ああ、そういえば彼女はまだ来ていなかったっけ。
 ルカリオはそう考え、つくづくと知人連中の物好きさに苦笑した。
「おはよう。ううん、こんにちは、いやこんばんは、かな」
 見舞いに訪れたセレナには、いつもの闊達さはなかった。リサが厭う類の暗い表情、あるいは憔悴がある。
「時刻からすればこんばんは、と言うべきじゃないかしらね」
 相槌を打つリサのそばで、ルカリオは自然に悟る。
 彼女は、この半月というものほとんど不眠不休で、各地を飛び回り、自分の治療法を探し続けていたのだろう。せいいっぱい普段どおりを装う彼女の体調を、おそらくは当人以上に見透かしながら、つくづくとルカリオは思う。彼女は変わらない。愚直なまでの努力家。ひたむきなまでの求道者。ただの少女が、ポケモンバトルであればカルムやリサをも凌ぐ高みに昇ったのは、まさにそれ故だ。
 時にルカリオは、彼女らこそが真の天才ではないかと思えることがある。
 ルカリオは努力せずとも誰より強かった。いうなれば、最初から百の力を備えていたのに対し、ポケモントレーナーは枝葉のような努力を無数に積み重ね、一から百へとよじ登る。
 それはある意味、愚かしいといえるほどの生き様だ。人間だけが履行し続ける生き方だ。
「上がっていって」と、リサが言った。「なにかあったかいものでも出すから」
 セレナを自分の部屋へ案内して、「ココアをつくってくる」と出ていくリサを、ルカリオは黙然と見守っていた。「体のほうはどう?」とセレナがたずねてくるのにも、曖昧に頷くだけで返した。それからセレナは、やおらモンスターボールを出して、一匹のポケモンをルカリオに会わせた。
 彼女のパートナーであるマフォクシーだった。カルムのゲッコウガのように、もとはプラターヌ博士から貰い受けたフォッコだったという。
 カルムのゲッコウガと並び、カロス最強のポケモンのうちの一匹と誰もが認める、セレナのマフォクシー。その表情の奥に、しかしセレナと同種の憔悴が潜んでいることを、ルカリオは見て取った。
 まったく、どいつもこいつも。たかがポケモンが一匹くたばるくらいで。
 率直に表すならばそういう心境ではあったが、気づかないふりをした。
「おまたせ」
 ココアのマグカップをふたつ、お盆に乗せてリサが戻ってきた。その後ろには、ポフレの皿を持ったバシャーモもいる。
「ありがとう」とセレナが言って、冷えた両手でマグカップを覆うようにして持った。「あったかい」
 そうして、セレナは気持ち程度にココアに口をつけた。気遣わしげな視線を感じるのがいささかならず鬱陶しい。ココアを飲むのにそんなに辛気くさくてどうすると思う。
 とりあえず無視することに決めて、ルカリオはポフレに手をつけた。マフォクシーとバシャーモはちらりと視線を交錯させたあと、意を決したようにほぼ同時に皿に手を伸ばす。
「あんたは」とリサが言って、ルカリオをベッドに追いやった。「寝てなきゃだめでしょ」
「元気そう、なんて言っていいのかわからないけど……」
 セレナが控えめに微笑んだ。リサもすこしむくれたような顔をする。
「ほんと、いつもどおりなのよね。すぐウロウロしたりして、ちっともおとなしくしてないんだから」
 マフォクシーが咎めるような目を向けてくる。当然これも無視し、ルカリオは枕に頭を乗せて、形だけ目を閉じた。
 リサはそれを見て、ひとまず納得したように頷いた。
「お見舞い、嫌いなんだね」
 セレナが言って、リサが相槌を打った。
「本当は、あたしも苦手。こういう湿っぽいのは」
 リサは、いつか見舞いに来たサナのことを思い出した。彼女は善良さを丸出しに、知らせを聞いてはベソをかき、ルカリオの姿を見ては涙をこぼし、挙句の果てにはリサと抱きあって泣こうとする。それが不愉快だったのだ。
 リサはそんなことをしたくなかったから。
 そんなことをする気になれないと、わかっているから。
 しかし、そういう冷たく乾いた自分を後ろめたく思う気持ちもまだまだ強く、自分で自分を持て余してるから。
 だから、同じように乾いたふうを装ってくれるセレナがそばにいると、言葉にできないししなくてもいい感情を共有できている気がして、少しだけ肩の荷が軽くなる。
「リサは落ち着いてるね」と、セレナが言った。
 リサはそれには返さず、ベッドにもたれて、天井を見あげながらたずねた。
「セレナは、お葬式って経験したことある?」
「ううん、ないよ」
 幸い、セレナは父方も母方も祖父母は健在だし、近い親族に不幸があったこともない。
「あたしはある。三回」
「それ、けっこう多くない?」
「みたいね。お父さんのほうのおじいちゃんとおばあちゃん。あと従兄。五つ年上で、一昨年の夏、バイクの事故で死んだの」
「そう。それで……」
 それで、の続きは言わずに、セレナはしばらく間を置いてから言った。「悲しかったでしょう」
 リサはすぐには返事をせずに、形のいい鼻をつまむような仕草をしてみせた。
「おじいちゃんとおばあちゃんのときは悲しかった。従兄のときはフクザツだったな。嫌いだったから」リサは、ちょっと怒ったみたいな口ぶりになる。「イヤなやつだったんだ」
 深夜の街路で、スピードを出しすぎて運転を誤り、電柱に激突したのだそうだ。悪いことに、彼はひとりではなかった。タンデムシートにガールフレンドを乗せていた。
「彼女も死んじゃったの。だから伯父さんも伯母さんも、お葬式のあいだじゅうぺこぺこしてた。うちのバカ息子が、他所様の大事なお嬢さんを死なせてしまって申し訳ありません。でも、だからってバカ息子の弔いをしないわけにはいかないので、なおさらすみませんって」
 それは、ルカリオにとってもはじめて聞く話だった。自ら命を落とすのと同時に、過失によるものだとしても、殺人者になってしまった我が子、か。
「バカ息子だったの?」
 そんなストレートな質問も、セレナはリサになら安心して投げかける。
「絵に描いたようなね」
 答えて、リサはちらりと笑った。その笑いはナノセカンドのうちに消えた。
「うちのお母さんもその従兄のこと嫌いで、親戚の集まりとかあると、あたしに近づけないようにすごく気をつけてた」
「嫌らしいやつだったの?」
「めちゃ嫌らしかった」
 リサはセレナに顔を向けた。色白で、髪も瞳も色素が薄く、きれいな栗色だ。セレナはとても現代的な美少女だった。
「二時間ドラマとかにさ、金持ちのぼんぼんで、どうしようもないドラ息子とか出てくるじゃない? 現実に、こんなバカいないわよって思うような。まさにあれ」
 演じていたんだ、とリサは言った。
「ああいう生き方がモデルだって思ってたみたい。というか、そう考えないことには理解できないくらい、そのまんまだったの」
「そういう従兄は、いずれは美人の従妹に手を出そうとする?」
 セレナの論評に、リサは真面目にうなずく。
「お母さんは警戒してた。あたしも」
 リサは、彼に写真を撮られたことがあった。夏、ノースリーブのワンピースを着ているとき。
「投稿雑誌に出したらしいのね。少女もののマニアに受けるんだってさ」
「それ、見たの? 雑誌」
「従兄が死んだあと、部屋にあったんだって。伯母さんが見つけて、うちに謝りにきた」
 従兄の母親は慌てた。亡き息子を偲ぼうと思って部屋を片付けていたら、とんでもないものが出てきた。また平謝りだ。
「あたしね、従兄のときは論外だけど、おじいちゃんやおばあちゃんが弱っていくのを見ているより、今日の方がずっと、悲しくないの」
 ううん、まったく悲しくないってわけじゃないの。リサが言うと、「わかるよ」と、セレナはゆっくり頷いた。
「悲しいし、寂しい」




 そんな彼女らおしゃべりを聞きながら、いつしか意識が浮遊する。
 体の感覚が朧で、脳髄の感触があやふやになる。
 ああ、これはいけない。
 ルカリオは薄れかけた自身をつなぎとめる。
 自分がうっかり死にかけていたことにルカリオは気づいた。目を閉じてリサとセレナの声に耳を傾けて寝たふりを決めこみ、可能な限りの機能を休眠させていたら、完全に停止しかけていたらしい。
 まだ逝けない。
 このままでは死ねない。
 だめだ、だめだ。
 まだ半月は時間があるはず。自分はそう悟っていた。他ならぬ自分がそう悟ったのだから、それは絶対に確実だ。だから、まだ時間はあるはず。
 でも、おかしい。
 自分になんの悔いがあるのだろう。
 自分になにが残っているというのだろう。
 なのになぜ、自分は死から遠ざかるのだろう。
 たった半月後の現実が今に移動したところでなんの違いがあるのだろう。
 ……声が聞こえる。
 遠くから声が聞こえる。いや、それとも近いのか。よくわからない。
「……起きて……目を覚ま……よ……こんな……」
 ああ、これはリサか。
 自分を死んだのと勘違いしてるわけだ。まあ、当たらずとも遠からずだったが。
 自分は湿っぽいのが嫌いだと、主人であるリサがいちばんよく知ってるはずなのに。
 カロスチャンピオン・リサは、どんなときでも前を向いていなければ。
「リサ……をつなぐから……すぐ……センターに……!」
 これはセレナ。
 これほど慌てたセレナの声は久しぶりに聞く。
 だが、違う。それは彼女の役回りじゃない。
 リサのよき理解者で、旅の先輩だ。あのカルムのライバルと名高いセレナ。
 こういうときこそ、リサを支えてやらなくてどうするのだ。セレナに憧れて、リサはカロス中を旅したのだというのに。
 加えて、ほかにも賑やかな気配を感じる。仲間のバシャーモと、セレナのマフォクシーだろう。
 ――やれやれ。
 ルカリオは呆れた気分で、とりあえず生き返ることにした。
 まずは片手をあげ、目を開ける。
 喉は正常稼働。
 ふむ、やはり見立てどおり、あと半月は生きるに不足ない。いや、この感覚だと、存外もう少しは生きれそうですらある。一ヶ月、それとも二ヶ月? いやいや、自分の勘がそう言っているのだからやはり半月。そう考えるべきだろう。
 寝起きの眼は焦点をあわせにくい。しかしバトルをするわけでもないから、しばらくはこのままでもいい。眼球を運動させる労力すら、今は節約すべきだった。
 ぼんやりとした視界のなかに、ふたりと二匹の影が映る。
 鼓膜をくすぐる声音は鼻にかかったような響き。もうすこしはこの視界のままのほうがいいだろう。涙ぐんだ顔など拝みたくはない。
「ルカリオ!!」
 途端、リサに抱きつかれた。絞め殺す気かと思うほど強い抱擁だった。あるいは、それは母親のように、それとも泣き喚く幼児のように。
「まったく、世話が焼けるんだから、あんたは……!」
 涙を見せるのは、今この場だけでいい。だから本番では、せいぜい最強の女の子らしい威厳を保つといい。
 そんな気分で、ルカリオはリサの頭をぽんぽんと撫でた。常日頃から世話になっている主人を赤子のように扱うというのは、存外悪い気分ではなかった。
「ルカリオ……あなた、どうしてこんなときでもいつもどおりなの……」
 朧な視界の向こうからセレナが問いかけてくる。
 泣き笑いのような声で、理不尽なことを言う。ルカリオは苦笑した。それが自分なのだ。それを問われてどう答えればいいのかわからない。目を閉じてため息をつく。まったく、自分というやつはそういうポケモンだから、としか言いようがないではないか。
「なにか、してほしいことはない? わたしにできることならなんでもいい。なにかほしいものは? やり残したこととか、やりたかったこととか!」
 再び目を開け、首を傾げる。視界は先ほどより澄んでいた。
 流れる金髪がすぐそばにひとつ。これは相変わらず抱きついて震えているリサの。
 ふわふわした栗色の髪がもうひとつ。怒っているような泣いているような笑っているようなセレナの。
 ああまったく、いいやつらだ、本当に。
 こんな少女たちに囲まれて死ぬなら。それもいい。
 やり残したことなどなく、欲したものなどありはせず。
 そんなポケモンの生涯の果てに、こんな人間たちに囲まれて逝くのなら、上等ではないか。
 ――本当に、そうか?
 どくん、と心臓が脈を打った。
 ――本当は、そうじゃないだろう?
 とてつもない違和感があった。それはどうしようもない違和感だった。
 なにもないはずの今この瞬間に、しかしなにかが確実に残っている。
 喉の奥のさらに奥、臓腑の中の根幹の果てに、とんでもなく大きな固形物が残っているような、そんな感覚。
 そうだ、思い出せ。
 解析しろ。観察しろ。考察しろ。分析しろ。
 この最後に残ったものは。
 己の根源に刻まれた、原始のなにかとは。
 ――そうか。
 これなのか。
 なにもありはしないと思っていた自分を、この世につなぎ留めた最期の一葉。
 欲することなく望むこともなかった生涯において、変わらずにあり続けた、ただひとつのもの。
 それは、ずっと前からそこにあった。きっと生まれたそのときからあった。
 なぜ気づかなかったのだろう。
 いや、気づいていた。どうしようもなく気づいていた。その上で、放置していたのだ。なぜって、叶えられるはずなんてない願いだと思っていたから。
 放置することを当たり前にして生きてきた。
 すぐそこにあったのに、すぐそこにあったから、今さらだと放擲していた。
 それは絶望。それは希望。欲望であり野望であり渇望。
 なにもかもが叶えられた自分が、唯一、叶えられなかった無二。
 やりたいこと。
 ルカリオは、体に波導をめぐらせる。
 リサとセレナがびくりと身を震わせ、バシャーモとマフォクシーが息を呑む。
 虫の音ひとつ聞こえない闇夜に、その波導は自分でも驚くほど深く重く鳴り響くようだった。
 ――枷を、外したい。
 それは、暗い檻に過ごした者が、陽の光の満ちた場所に解き放たれたときのような。
 あるいは、物心ついたばかりの子供が、広大な草原を目の当たりにしたような。
 そんな当たり前の、体の奥から湧き出す、生物の本能。
 ――この身にあるすべてを思うままに、すべてを燃焼させ、力いっぱい、誰もなにもはばかることなく、存分に。
 両手両足に五臓六腑、知性と感性、技に波導、知識と経験、そして才能。
 カロス最強のポケモン――チャンピオン・リサのルカリオ。
 怪物的な才能に恵まれながら、その役割故に全力を出すことかなわず、その役割故に全力で刃向かわれることなかったポケモンが、その全機能を解放する。
 自分になにができるか示したい?
 自分がどの高みにあるのかを試したい?
 そんなものじゃない。
 自分の手足を動かすことを覚えたばかりの獣が、縦横に野原を駆け回りたいと望むかのように、それは原始の欲求であり、原初の探求だ。
 ルカリオはその生涯の最後において、ポケモンとして燃えて尽きることを愚直に望んでいた。




 チャンピオン・リサのルカリオ。
 これこそが、その名をカロスの地に刻みこんだひとつの事件、その始まりの号砲だった。



  ぼくのかんがえたさいきょうのるかりお。
  某所に投稿したものです。季節外れな内容はそのせい。
  ポケモンらしいポケモン小説を書いてみようと思って書きました(ポケモンらしいポケモン小説を書いたとは言ってない)

#comment
 


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