【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第一話]]】 【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第二話]]】 【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第三話]]】 【[[最強のルカリオを本気出して書いてみた 第四話]]】 #author("2025-01-01T15:51:31+00:00","","") 1 闇のなかにいたまなざしが、光を見つめていた。 命の定義を広げる力、あるいは、多様性の暴力によって生まれたその生命に、意思というものはなかった。ただひたすらに、本能のまま破壊と殺戮を繰り返す。そこにはなにもなかった。悦楽も、狂気も、高揚も、憐憫も、なにひとつ。 そのまなざしに、まばゆい光が輝いた。意思の光。絆の結晶。無限の可能性。 なんという力強さだろう。その威力もさることながら、そこから感じるのは、ひたむきに、純粋に、恐ろしいまでに統制された、たったひとつの願いだった。 ――勝ちたい。 勝利。その願いのためだけに生まれた意思の光。人間とポケモンの絆が生んだ、想いの爆発。 強さ――ただそれのみを追求して生まれた生命にすら、その輝きは強烈だった。 純粋な力。そのために生まれた命だ。だが、あの尊い光のもつ強さは到底及びのつくものではなかった。どれだけ強大な力を持っていたとしても、一個の生命にすぎないポケモンに、あんなものを生み出す力はない。 そのまなざしの奥に、見つめる光への恐怖と、未知なる強大さへの好奇心と、そして憧れが生まれた。 破壊と殺戮以外のなにひとつをも生まなかった生命に、湧きあがる想いがあった。息を呑むような、体が震えるような、この感覚はいったいなんなのだろう? 「……きれいだね」 少年が言った。 そこは、丘の上にあるちいさな洞窟のような横穴だった。光の届かない闇のなかへ、凛としたボーイソプラノが反響し、余韻を残す。 洞窟の外へ視線を向けて、少年もまた、その輝きに見とれている。 そう、きれいだ。あんなにも美しく、力強い光は見たことがない。 自分は今、感動している? 光から目を離すこともできないままに、その瞳に驚愕の色が映りこんだ。あんな輝きを生みだすのが、ポケモンだというのか。人間とポケモンの絆があれほどまでの光を放ち、心の抜け落ちたこの胸を打つというのか。 「だけど……あれじゃ勝てない」 少年は淡々と、いっそ無感情にそう言った。予測や計算などではなく、あらかじめ取り決められた規定事項を告げるかのように、その口調には確信があり、迷いがない。 勝てない? あれほどの力をもってしても倒すことのかなわない生命がこの世に存在するというのか。信じがたいことだった。夜明けの空を極彩色に照らすその光の威力といったら、力の具現である自分さえもたじろがせたほどだというのに。 「でも、あれでようやく本気を出す気になるだろうね。いくらなんでも、あんなのを受けて余裕でいられるわけがない」 少年の言葉は断定的だ。変わらず淡々としているが、しかし今度のそれはむしろ切望に近かった。そうあってほしい。そうでなくては困る。 「わかるだろ? オレたちの相手は、あんな力をぶつけても勝てないほど、べらぼうな相手なんだ」 その重圧はずっと感じていた。数日前、ポケモンの村から北西の方角に生まれた異様な圧力が、日に日に増していくのを、この肌と、そして本能が察知していた。その重圧を生んでいるのが、たった一匹のポケモンだということにも嘆息を禁じ得なかったが、今日になって感じる圧力の強さは、その比ではなかった。息を吸い、体を動かし、その場に存在しているだけでビリビリと肌が震えるような、尋常ではない存在感があった。そいつが技を繰り出すたび、その技が自分を狙っているわけではなくとも、巨大な猛獣が威嚇の咆哮をあげるような計り知れない威圧感を覚える。そのただならぬ危険を悟り、野生のポケモンたちはとうにこの場を離れてしまった。今、ポケモンの村にいるのは数十人の人間たちと、それにつき従うポケモンだけだ。 あれは、いったいなんなのだ。存在としての規格が逸脱しすぎている。 バケモノ――その言葉がよぎる。おかしなことだった。これまでバケモノと呼ばれ、恐れられてきたのは、ほかならぬ自分自身だったというのに、今はその自分が、たった一匹のポケモンを怖れている。 そしてまた、理解できないのはあれに立ち向かおうという人間とポケモンたちだ。激甚とさえいえるあの極彩色の輝き。あんな技とさえ、まともに渡りあえるような怪物が相手なのだ。なのに、なぜ戦う? そいつを倒すことに、死の危険と吊りあうほどのどれほどの価値がある? 眩いばかりに薄闇の空を照らしていた光の奔流が、力と力のぶつかりあいによって、細かい残滓を煌めかせながら、いま打ち消された。少年の言葉どおり、あの、意思の爆発とでも呼ぶべき光をもってしても、バケモノを打倒せしめるには至らなかったようだ。ほんの数秒、バケモノが力を使い果たしたそのあいだだけ、地響きのように続いていた強い気配が弱まるが、その戦意はいささかも衰えていない。とどめを刺せたわけではないのだ。 新しい光が生まれた。戦闘が始まってから、これまで二度ほど、同じ光が放たれている。メガシンカ。少年はそう呼んでいた。極彩色の輝きに慣れてしまった目には、メガシンカの光はもう、目を細めなければならないほど強い輝きではない。 だが、光と同時に、あの気配が戻ってくる。 今度という今度は、はっきりと恐怖した。骨の髄まで染み渡る凍てつく衝撃。あの光を中心に爆発が生まれたのだと思った。けれど実際にはなにも起きていない。空振りに終わったポケモンたちの技の余波によって、草木がさわさわとかすかな音をたてて揺れているだけだ。全身を打ちつけるような感覚があったのは錯覚にすぎない。一瞬のその錯覚が過ぎ去ったあとになって、それがただの気配でしかなかったことをようやく理解した。 バケモノ。そう呼ぶことに、もはや一抹の躊躇もない。あれはポケモンなどではない。あんなものが一個の生命であってたまるものか。その気配はどこまでも穏やかで、今はただ、そこに佇んでいるだけでしかない。だがその強大さは、ただそこに存在するというだけで、命の危機を感じるにはじゅうぶんすぎた。 「きみの力が必要なんだ」 少年が向きなおって言った。 それは何度も繰り返されてきた言葉だった。これまでは聞く耳も持たずにすべてを無視してきたが、あの桁外れぶりを目の当たりにした今、その言葉に改めて強い拒絶を覚えた。 馬鹿馬鹿しい。協力しろというのか。あんなものを相手に勝てるなどと思うのは、頭のネジが外れている救いがたい愚か者だ。 我が身は可愛いし、命は惜しい。生まれてこのかた、そんなことを思ったことは一度もなかった。自分をそこまで追い詰めるに足る相手など存在しなかったからだ。しかし、アレは違う。立ちはだかった未来には破滅しか見えない。戦って生き残ること自体が不可能だ。勝敗以前の問題である。ならば、そもそも戦うなどという選択肢があり得ないのだ。 しかし――頭ではそう理解していても、目に焼きついて離れないのは、あの極彩色の輝きだった。 その美しさにも、もちろん惹きつけられた。けれど、なによりも信じがたいことは、あの力を生みだしたのが、人間とポケモンの絆であるという、その事実だ。すべてを破壊し、殺戮するための力では、あれほどの強さは生みだせやしない。善なる、清らかな心。力とは対局にあるはずのそんなものが、限界を越えた力になる。それは奇しくも、自分には欠けているものでもあった。 そして、あの怪物もまた、人間との絆を武器に再び立ちあがろうとしている。ただの怪物でしかなかったポケモンが、絆という新たな牙を剥こうとしている。 確信があった。ポケモンは、人間は、計り知れない可能性を秘めている。その可能性が、あのバケモノを生み、極彩色の輝きを生んだ。 ――最強。 戦いのために作られた命。 破壊と殺戮しかもたらせなかったそんな命が、もし、人間と絆を結ぶことができたなら―― 強く、なれるだろうか。 美しく、神々しく、この命を輝かせることができるのだろうか。 「できるよ」 はっとして、少年を見る。優しい微笑みをたたえて、少年はしっかりとうなずいた。 「きみと、オレたちなら、あいつを倒せる」 最強の生物。 そんなことに、誇りなどもてた試しはなかった。強いということなど、ただの事実でしかない。相手を滅ぼすことは造作もないことであり、目の前の命を屠るのは当然のことだった。殺すのは勝負ではなかった。駆け引きも攻防もなく、ただ力をぶつけるだけでなにもかもが死に絶えた。 目的もなく、欲求もなく、ただ滅ぼせるからそうしてきた。 しかし今、そうできない相手がいる。このポケモンの村に、自分よりも遥かな高みに君臨しているポケモンがいる。 ――勝ちたい。 戦ってみたい。 戦闘に特化して作られた遺伝子の、その本能が首をもたげた。勝負への欲求。強敵を打ち負かすことへの探求。その過程を模索する興奮。 感動、羨望、恐怖、卑下、好奇心、闘争心。 未知なる数多の感情が、刹那のうちにもたらされた。心が欠落したポケモンにとって、その情動は、それ自体がおおきな混乱だった。ないまぜになった感情に翻弄され、ひとつにまとまらないそれらがのべつに増長し、互い違いに主張する。 これはなんだ? この胸のざわめきの正体はいったいなんなのだ? こんなものは知らない。理解できない。 これが――心? 思考の混乱に、わけもわからずがむしゃらに力を解放してしまう。 最強のポケモンは、ほかに為す術を知らない。これまでそうして生きてきたのだ。力がすべてを解決してきた。そうする以外のなにひとつも知らない。 頭を抱え、瞳をぎらぎらと凶悪に輝かせながら、さしたる目的もなく、その矛先が少年へ向けられた。 唐突な力の気配に、少年がひるんだ。眉間に銃口を突きつけられるような、純粋な敵意。 とっさに腕を持ちあげて頭をかばい、身を縮める。脆弱な人間の子供を凶暴なエネルギーの塊が襲う、その瞬間、一匹のポケモンがモンスターボールから飛びだした。 踊りでたバシャーモは、少年を背にかばい、力のすべてをまともに食らって吹き飛んだ。背中にいた少年を跳ね飛ばし、洞窟の壁にしたたか体を打ちつけて、ぱらぱらと天井から土埃が落ちる。地面に倒れ伏し、痛みに呻くバシャーモに、体を起こした少年が駆け寄ろうとするが、バシャーモは手をあげてそれを制した。だいじょうぶだ。これくらいなんともない。 少年はすこしの逡巡の後、うなずきを返すと、すっと背筋を伸ばし、居住まいを正した。そうしてまっすぐにこちらを見つめてくる。 この少年は、いつもこうだ。 数日前、彼がはじめてここを訪れてからというもの、度々この洞窟にやってきては、同じことを言った。協力してほしい、力を貸してほしい。いつもどういうわけか、ポケモンを携えることなくやってくる。そしてその煩わしさに適当に技を放って追い返そうとすると、このバシャーモが少年をかばうのだ。傷つき、吹き飛ばされ、痛みに声を漏らしながら、バシャーモは何度でも少年をかばう。けれど、攻撃してくることはついぞなかった。少年がそのように命じることもなかった。少年がバシャーモの傷を手当てすることはあっても、彼らは戦意を見せず、また怒りや敵意もなかった。 ただ、彼らのあいだにはいくらかの精神的な距離があった。それなりに親しい関係ではありながら、純粋といえるほどの信頼はない。相手への遠慮、あるいは申し訳なさのようなぎこちない間空いがある。それは、ポケモンとトレーナーの関係としてはいささか不自然な距離だった。ひょっとすると、このバシャーモは少年のポケモンではないのかもしれない。 それでも、彼らの行動はひとつの目的のためにぴたりと一致していた。つまり、説得。人間が生み出した、心の剥離した最強のポケモンを、ただの言葉によってのみ、懐柔しようというのだった。少年は熱心に語りかけ、バシャーモは放たれる凶刃から少年を守る。 ポケモントレーナーであるならば、ゲットすればいい。戦い、弱らせ、モンスターボールのなかに捉えてしまえばいい。あのバシャーモにしてみても、本気で戦えばまともな勝負になるだろう。技の受け方を見るに、それだけの実力をもったポケモンであることは間違いなかった。けれど、少年はそうしない。頑として戦意を見せず、ひたすらに己の想いを綴るのみ。凶暴さ以外のなにひとつをももたないポケモンの心を開かせようと、自分に害意のないことを示し、柔和な笑みを崩すことなく、たったひとつの想いを、繰り返し繰り返し打ち明けた。 勝ちたい、と。 あの怪物と戦うための力がほしい、と。 そのためには、ただゲットするだけでは足りないのだ。ポケモンとトレーナーが真に心を通わせることができなくては、アレには立ち向かえない。ポケモンの体力を奪い、抗う気力を損なわせ、モンスターボールに閉じこめて従わせるだけでは勝てないのだ。 人間とポケモンの絆があの怪物を生んだのならば、それに対抗しうるのもまた、人間とポケモンの絆だけだ。 不意に、少年に手を取られる。驚き見返すと、そのまなざしとまっすぐにぶつかった。その瞳の向こうには百億の想いがあった。想いの奥に揺らめく闇のなかで、うずくまり、きたるべき瞬間をじっと待っている本当の少年は、猛る闘志を胸に燃えあがらせている。 「オレならできる」 少年は言った。 「きみの本当の力を輝かせてあげられる」 ――きみが欲しい。 ともに戦いたい。その身に宿った凶暴さを、絆をもって昇華させたい。 あいつを倒したい。 それができるのは、オレと、きみだ。 「オレたちといっしょに、戦ってくれないかな?」 にっこりと微笑む。その笑顔が、吹き荒れた感情を鎮めていくようだ。握った両手のあたたかさが、冷静を取り戻させた。 思い出されるのは、やはりあの極彩色の煌き。命と意思のエネルギーの爆発。人間とポケモンの最高峰の力。 自分にも、あれができるのだろうか。 少年は、できる、と言う。 失われたはずの心が動くのを感じる。これまで知らなかったさまざまな感情が火を灯しはじめる。少年の想いに呼応したように。しかし、それはもう混乱をもたらすものではなかった。たしかな指向性を具えた、静かな、強い想い。 認めなくてはならない。自分は、この少年を認めはじめている。彼の願いに同調し、本能が野望を掲げ、自らその手を取ろうとしている。 少年を、信じはじめている。 これが、絆なのだろうか。 人間とポケモンがともに生きるということは、つまり、こういうことなのだろうか。 ならば……やることは決まっていた。 バシャーモが体を起こし、いささかよろめきながら少年のもとへやってきた。その確固たる決意のまなざしを受け、うなずきを返す。 少年の手をほどき、そっと離れた。 そして振り返り、構える。 全身に力を満たした。その身に循環する力を膨れあがらせる、ただそれだけのことで、洞窟全体が微弱に揺れ動く。 少年はうなずいた。かたわらのバシャーモへ視線を向け、無言のままにバシャーモが前へ出る。 少年が、ポケモン図鑑をかざした。検索したデータをホログラフに表示する。 ――ミュウツー。 いでんしポケモン。 「バシャーモ」と、少年が言った。「いくよ」 ……こうでなくてはならない。 結局最後には、ポケモンとトレーナーは、こうでなくてはならない。 そしてそれは、それぞれの正しい姿なのだ。 認めさせてみろ。戦闘のために生み出された最強生物に、見事その力を認めさせてみるがいい。 あの怪物に立ち向かう想いの強さ。絆の輝き。 それを―― この破壊の遺伝子に、信じさせてみろ! 2 “みやぶる” ルカリオの可視領域が、戦場全域にまで拡大された。 それ自体では害をもたらす技ではない。それでも、その場にいた全員が、凍える突風が全身を吹き抜けていくような悪寒に襲われた。 「みんな!」 セレナが叫んだ。一切合切の技が空振りに終わり、呆然と宙空のルカリオを見上げていたポケモンたちが、その声で我に返る。 怯んではならない。 攻めの手を緩めてはならない。 ルカリオに行動を許せば、それですべてが終わってしまう。 ヤドキングが再計算。メガシンカしたルカリオの予測されるスペックと、もはや戦線を離脱せざるを得ないガチゴラスとサーナイトを戦力から外し、戦略を再構成。その結果を全ポケモンに通達する。 しかし、それより一瞬早く、漆黒の闇を溶かしたような黒いエネルギーがヤドキングを襲った。 “シャドーボール” すべての能力を演算に向けていたヤドキングは防御が間にあわず、無防備のまま漆黒のエネルギーを受け、轟音とともに吹き飛ばされる。蝕まれ、低く飛び、何度も地面を跳ね、全身を打ちつけながら引きずった跡を残し、草原の外れをさらさらと流れる小川に尻尾と足を浸けて、止まった。 「ヤドキング!」 ゴジカがちいさな悲鳴をあげながら振り向く。あまりの勢いで飛ばされてしまい、どこにいるのかすぐには見つけられなかった。視線を左右にさまよわせる。そうしてようやくその姿を見つけた。しかし、ピクリとも動かない。気を失ってしまったのか、それとも…… たまらずに駆け寄ろうとしたところで、ゴジカの足元が爆発した。もうもうと土煙があがり、そこにはちいさなクレーターができていた。ほかにもヤドキングに駆け寄ろうとした何人かのトレーナーの足元で、同じことが起こる。 ルカリオだった。 ヤドキングに近づけない。これでは手当てもできない。そしてまさに、ルカリオはヤドキングの回復を阻んでいるのだ。この戦いの参謀であり頭脳であるヤドキングを討ち、統制を失わせて戦力を削ぐ。 やられた。セレナは歯噛みする。もっとも避けねばならない事態だった。あらゆる過程を省略して正解を叩きだすリサのルカリオを相手に、ここからは生の計算能力で戦わなければならない。従来のポケモンバトルのように、トレーナーが指示を出し、その意味をポケモンが理解し、汲み取って、状況を整理し、タイミングを伺って、実行する。 けれど、それでは遅いのだ。トレーナーからの指示もなく、すべての動作が最適解へ直結するルカリオに対して、それではあまりにも遅すぎる。 それは本来、互いのポケモンに等しく与えられる条件なのだ。戦闘という形式をとっていながら、ポケモンバトルがただの戦闘とは違うのはその点だった。 たとえば、タブルバトルでAとBのポケモンが場に出ている場合を考えてみるといい。その状況下で、Aに敵の技が放たれる。それを見ているのはAだが、技を受けるのはAではなくBにさせたい。そう命令したら、いったいどうなるか。 答えは単純。無理なのだ。 トレーナーが、敵の技がAに向かっているのを認識し、これを受け止めろとBに発令する。具体的には、AとBのどちらかを指名し、そのポケモンが見るべき方向を十二時制で指示。技を視認したのをポケモンが確認してから、「受け止めろ」と命令する。 だけど、その命令が終わったとき、敵の技はどうなっているか? そう。受け止められるはずがない。 ポケモンバトルにおいて、トレーナーの認識と命令によるタイムラグは、常に生じる。それがルールとして含まれる戦いなのだ。自分も相手も、攻撃と防御の合間にただ立ち止まっているわけではない。ポケモンにはポケモンの個性があり、得意とする間合いと戦法があり、癖があり、独自の型と能力がある。それらをトレーナーがいかに加味し、先読みし、状況を把握して、どれだけ正しく指令を出せるか。また、ポケモンがトレーナーの指示の意味をどれだけ汲み取り、実行できるか。ポケモンバトルとはそういう戦いなのだ。 それを――数十ものポケモンがひしめくこの状況で十全に果たせるはずがない。加えて、敵はトレーナーの指示を必要としていない。ただ自分の思ったとおりに動き、技を放つだけでいい。たったそれだけのことで、敵は一撃必殺の威力をもった攻撃を、狙い過たず的確に命中させられる。どんな角度でも、どんなタイミングでも、どんな威力でも、すべて回避し、防ぎきってしまう。そのようにして、あのルカリオはカロス最強の座に君臨している。 今、ルカリオが腕を振った。放たれた波導によって、近くにいたエンテイ、ルチャブル、シザリガーが倒される。薄い青色の壁が炎のように立ちあがり、ゆるい弧を描いて、地面を削りながらポケモンたちを巻きこんで前進する。それを受けたポケモンたちは短く悲鳴をあげ、倒れこんだ。 たまらずに距離をとったテラキオンが、信じられないほどの速度で放たれた波導の砲撃に撃たれ、吹き飛び、草原を越えて遠くの滝へ放りだされた。きりもみ状態で前後左右もわからぬ空中で体を暴れさせるテラキオンに追撃しようとするルカリオを、ラティオスの光線が咎める。しかし、ルカリオはただの拳の一発だけでそれを相殺してしまった。 そこへ距離を詰め、格闘戦に持ちこもうとするポケモンがいた。ゴーゴート、クチート、コバルオン……勇敢なポケモンたちは理解していた。ルカリオに遠距離攻撃の隙を許してはいけない。なんとしても動きを止めなくてはならない。避けれられても、防がれてもいい。ルカリオに攻撃のターンを与えてはいけない! しかしそこで、ラティオスの攻撃に続こうとした後衛のポケモンたちの砲撃によって、ついに同士討ちが起きてしまった。予期しない角度からの攻撃をまともに受けた前衛たちは姿勢を崩し、致命的な隙をさらしてしまう。ルカリオは見逃さなかった。前進に迸る波導を開放し、周囲を広範囲に、無差別に攻撃した。波紋を起こす水面のようにエネルギーが拡散し、刹那、夜色の暴風を巻き起こす。渦巻く闇の竜巻。千の毒をもち、冷酷な悪意を含んだ、凍りつくような恐怖の嵐――“あくのはどう” この同士討ちによって、トレーナーたちは現状をあらためて理解した。そして同時に、決定的な混乱に陥った。迂闊に攻撃の指令を出しては、それぞれ別個に指令を出された味方との連携が取れず、巻きこんでしまう。けれど、あのルカリオのすさまじい攻撃を前に、防御に回りきることなど考えられなかった。あれを防げるはずも、避けられるはずもない。遠距離攻撃は意味をなさず、接近すれば迎撃され、防戦はそもそも成立しない。 この状況を打開するべき策が、見つからない。指示が追いつかない。そうしている間にも、一匹、また一匹とポケモンたちは倒されていく。有り余る威力の波導を受け、声もなく倒れ伏していくパートナーたち。その姿を見て、思わず駆け寄ろうとするトレーナーを、ルカリオは見逃さず、牽制した。回復することもできず、モンスターボールに戻すこともできない。致命傷を受けて弱っていくポケモンたち。あるいは――もう死んでしまったポケモンがいるのかもしれない。だのに、ルカリオはどこまでも冷酷に、トレーナーたちがその場から動くことを許さなかった。 冷静さを失ったトレーナーたちの動揺は、瞬く間にポケモンたちへ伝播した。死も覚悟せねばならない戦いであることは誰もが理解していた。それでも、絆によって結ばれた愛する仲間たちが次々と倒れていく光景を前にして、心が乱れない者などいなかった。そうして乱れた統制のなかで、縦横無尽に動きまわり、必殺の一撃で標的を屠っていくルカリオ。 すぐそばで仲間が倒され、その姿に恐怖して立ち竦むポケモンがいた。激情してルカリオに躍りかかるポケモンがいた。仲間の攻撃に巻きこまれるポケモンがいた。指示を求めてトレーナーを振り返るポケモンがいた。そのすべてが、ルカリオによって叩きのめされ、倒される。 そうしてあたりが静まり返ったとき――それらはすべてほんの数十秒ほどの出来事だった――ルカリオを取り囲んでいた前衛、中衛のポケモンたちはみな一様に地に伏せていた。 たった一匹、コルニのルカリオを除いて。 コルニは――そして彼女のパートナーは、この悪夢のような混乱のなかでいち早く気づいていた。 もう、どれだけ数を揃えたところで無意味なのだ。 ヤドキングは倒されてしまった。綿密な作戦を組み立て、常に移り変わっていく状況を計算して指揮する我らが頭脳は失われた。多対一の無理無茶を成立させ、最強との戦闘を可能域に引き下げていたのは、ヤドキングだったのだ。 もう二度と同じ戦法をとることはできない。 ならば――アレにまともに対抗できる者だけが戦うしかない。 そして、とコルニは思う。 それができるのは、あたしの相棒だけだ。 コルニのルカリオは、待っていた。ヤドキングが倒されたその瞬間から、解答に辿り着いていた。 リサのルカリオ。完璧な性能を誇る攻撃と防御と速度。あの怪物に食らいつけるポケモンは、自分をほかにして、この場に存在しない。 ならば――ほかはすべて足手まといだ。連携もとれず、攻撃も防御も果たせない味方など、邪魔になるだけだ。 切り捨てるしかない。 倒れていく仲間たちに、目を瞑るよりほかはない。 あの化物を止めるには、それしかないのだ。 コルニのルカリオはそれを悟っていた。論理立てて理解していたわけではない。ヤドキングを失った自陣の戦力であのルカリオと戦うことを考えたとき、それ以外になにひとつ術がなかったのだ。ほんのわずかではあっても、あの完璧な防御を打ち崩した自分のほかには、アレに真っ向勝負を挑めるポケモンはこの場に存在しない。 だから、待っていた。仲間たちが――足手まといがすべて倒されるのを。 敵の間合いの外へ退避し、冷淡にそのさまを見守るルカリオの姿を見て、コルニも理解した。ルカリオは待っている。足枷になるポケモンたちが片づけられるのを待っている。 彼女のパートナーが、戦いのなかで到達した、武の境地。それが冷厳な現実主義にもとづくものならば、おそらくルカリオは正しい。たとえ、味方を見捨てることになったとしても。それがどれほど残酷な判断であっても。 「みんな!」 コルニが、声を張りあげてすべてのトレーナーと、ポケモンへ呼びかけた。 「全員、ルカリオのサポートに!」 この混乱のさなか、たったひとり冷静さを取り戻している少女の声に、全員がぎょっとして振り向く。 まだ薄い闇を残す空を、朝日が照らす。凛々と声をあげる少女を、太陽が&ruby(ことほ){言祝};ぐように。 「ヘタに手を出してバタバタ倒れられちゃ、邪魔になります。あたしのルカリオが戦います。残ったすべてのポケモンは、ルカリオを援護してください。場合によっては、弾除けになってもらいます。全員、死なないように防御してください」 すべてのポケモンを、あたしの相棒の戦いのために。 二匹のルカリオが、静かに相手を見つめながら距離を詰め、対峙した。 モンスターボールの動きが止まり、ミュウツーはそのなかへしずかに収まった。 ――やった。 たまらずに、膝をつく。バシャーモも同じように、脱力してへたりこんでしまった。全身に傷を受け、肩で息をする。満身創痍だ。 揺れ動くモンスターボールを見つめて息を潜め、胸にたまっていた空気を、ようやく吐きだすことができた。安堵と興奮に、その息が震える。やった。ゲットできた。 歩み寄って、モンスターボールを拾いあげる。そして、なかからミュウツーを出してやった。 「カルム」 カルムは名乗った。「オレの名前だよ。カルム。よろしく、ミュウツー」 見あげると、ミュウツーもまたカルムを見下ろしてきた。バトルを終えたばかりの傷だらけの痛々しい姿だが、そこにはもう、凶暴な破滅への執着はない。最強をうち負かし、見事主人となったカルムへの、敬意のまなざしだった。 カルムは、そのよろこびに打ち震えた。ミュウツーが、ほんとうの意味で心を開いてくれたのかはまだわからない。けれど今、ミュウツーはオレを仲間として認めてくれている。すくなくとも、協力に足る存在であると思ってくれている。 カルムはミュウツーの腕をそっとひと撫でしてから、座りこんでいるバシャーモのもとへ行って、傷の手当てをした。 「よく頑張ったね。ありがとう」 バッグから回復の道具をとりだして治療するカルムに、バシャーモはかぶりを振った。カルムはすこし微笑んで、バシャーモを手当てしながら、ちらりとミュウツーを見やった。その体がほのかに光って見える。“じこさいせい”だ。バトルで受けたダメージを自分で癒しているのだ。疲労が消え、痛みが薄れ、生傷だらけの体がきれいに元通りになっていく。 ミュウツーの力は、最強の称号に恥じない強大なものだった。けれど、まだその力の使い方を知らない。ただ、生物的な反射で強烈な技を放つだけだった。けれど、その基本的な潜在能力が桁違いだ。すべての動作が恐ろしく速く、すべての攻撃がとてつもなく強力だった。純粋にそれだけでも、ミュウツーというポケモンはまさに最強だった。ミュウツーに攻防の駆け引きなど必要なく、だからこそ戦いのセオリーも知らないし、戦術も身についていなかった。それでは、リサのルカリオには勝てない。 けれど、ミュウツーはすさまじい速度で学習していた。バシャーモとの戦いのなかで攻撃と防御のタイミングを見極めることを学び、立ち回りを理解して、そのスキルを盗もうとしていた。まさに戦いのために作られたポケモン。けれど、ミュウツーはまだ完成していない。ミュウツーの本領発揮は、こんなものではないのだ。バトルが始まってから、そのすべてを経験として吸収しはじめるまで、本当にあっという間だった。ひとつの攻撃、ひとつの防御を交わらせるごとに、ミュウツーは手強くなっていった。たった一度のバトルのなかでさえミュウツーは、歴戦のポケモンであるバシャーモのレベルにまで到達しようとしていた。 ミュウツーが真価を発揮するのは、まだまだこれからだ。 その実感は、ミュウツー自身にもあった。これがポケモンバトル。これが戦い。強敵との駆け引きのなかで、自身が成長していく喜びに、ミュウツーは高揚した。 たまらなく楽しかった。実力が拮抗する相手とのバトルで、はじめて血沸き肉踊る経験をした。そうしてミュウツーは、自分のなかでくすぶっている才覚を理解した。この力は、いくらでも素晴らしいものにできる。がむしゃらに、破壊のために放つ以外に、どんな使い方にも変えられる。カルムがその才覚を目覚めさせてくれた。この少年なら、自分のこの力をさらに高めてくれるのだろうか? カルムの想いが、理解できた気がする。いや、カルムだけではない。遥か彼方に存在する高みを目指す人間とポケモンたちは、みな同じ、この想いを抱いているのだ。まだまだこんなものではない。今いる場所に甘んじていることを、みなぎる野心が許さない。強敵を打ち負かし、限界を超えることへ挑戦する。それはひとつの、生命の輝きなのだ。まるで、夜明けの空に輝いたあの極彩色の光のような、眩いばかりの輝きなのだ。 ポケモンの村を踏み荒らすような、怪物の気配はいささかも弱まっていない。思うがままに暴れ、敵を蹂躙し尽くしている。けれど、そこにさきほどまでの恐怖はない。まったく恐怖を感じないわけではない。あの気配の向こうに感じる力は、最強のポケモンである自分をさしおいて、圧倒的なまでに巨大なものだ。 しかし今では、背筋の凍るようなその気配に、胸が高鳴りさえする。 あの怪物を倒せるという可能性に、闘争心が湧く。 あれに勝つのだと、カルムは言ったのだ。自分たちなら、それができると言ったのだ。 否応なしに、ミュウツーの瞳は好奇心に輝いた。ポケモンの村へ目を向けるミュウツーを見て、カルムはにっこりした。 「戦いたいんだね?」 振り返らずに、ミュウツーはうなずいた。早く戦いたい。自分の力を試してみたい。それは戦闘生物としての本能だ。 「オレもだよ」 カルムがミュウツーと並び立つ。そのとなりには、体力を気力を取り戻したバシャーモがいる。 「みんな、きみと同じだよ。オレもバシャーモも、あそこで戦っているみんな――全員が、きみの仲間だ」 きみを待ってる、とカルムは言った。 「いこう」 カルムが、洞窟を出ようと歩きだす。バシャーモもそれについていこうとする。そのカルムの肩を、ミュウツーが掴んで止めた。カルムが振り返ると、ミュウツーはかぶりを振った。 ああ、そうか。 「あそこまで行けるんだね?」 ミュウツーがうなずく。カルムの手を取り、目を閉じた。 カルムもバシャーモの手をとった。 ――いよいよだ。 カルムが柔和な表情を引き締め、リサのことを思った。 3 リサは感心した。なんという勝利への執着だろう。 コルニの指令を境に、すべてのトレーナーとポケモンから動揺が消えた。コルニの判断は正しく、その命令もまたシンプルながら冷徹だ。 リサのルカリオに太刀打ちできるのは、コルニのルカリオだけだ。わずかでも勝利への可能性があるとするならば、そこに賭けるだけのことなのだ。すべてのポケモンは、コルニのルカリオのために全力を尽くすのみ。攻撃の起点となり、敵を足止めし、また敵からの攻撃を代わりに受ける。実に単純で明快な作戦だった。だからこそ、もう誰にも迷いがない。 ラティアスが追い風を起こす。ニャオニクスが防御の壁をつくる。ビビヨンが暴風を巻き起こして敵の動きを鈍らせ、ニンフィアが清浄なる祈りで味方の傷を癒やす。 ヤドキングの演算のような綿密な戦闘配置ではない。時にはちいさなミスが綻びを生み、攻撃の隙をつくっている。しかし瞬時に全員が全員の囮となり盾となり、そして先のコルニの指示どおり、全力で防御にあたる。その行動のオンオフの切り替わりの速さといったら、カロス最強のポケモンたちの、まさにそれだ。 そしてその中心で、二匹のルカリオが壮絶な戦闘を繰り広げていた。 コルニのルカリオは、やはりリサのルカリオの動きを読み、その動きを捌きつつあった。無論、無傷ではない。技を防ぎ、受け流すたびに、手に足に決して深くない傷を受けている。打たれ、切り裂かれ、焼かれ、蝕まれる。しかしそのどれもが急所を外しており、致命傷には至っていない。コルニのルカリオに隙が生まれ、リサのルカリオがそこにつけ入ろうとする兆しを見つけたなら、すぐさま察知した後衛からの邪魔が入る。旗色が悪くなり、距離をとろうとした先には数多の砲撃が待っていた。 しかし、それでも依然としてリサのルカリオに有利は傾いたままだった。戦局が変わろうと、天秤は戻らない。 二匹のルカリオ、ふたつのメガシンカ。同じ種族でありながら、その能力には歴然の差があった。コルニのルカリオが、リサのルカリオと同じように動きを読み、攻撃し、また防御しても、リサのルカリオはそれらをすべて上回り、確実にダメージレースに勝ち続けていた。 コルニのルカリオの掌底が空を打ち、研ぎ澄まされた波導の煌きが閃きを残す。リサのルカリオは軽々と身をかわすと瞬間、背後に回っていた。そして回避ざまに瞬時に狙いを定め、後衛に向けて放った音速の波導が、フリーザーを撃墜する。 地に落ちたフリーザーを一瞥すらすることもなく、一瞬で突きだされた拳を、コルニのルカリオは後ろ回し蹴りの要領で跳ねあげた。腕が高く持ちあがり、ガラ空きになった胴を目がけ、逆の足で中段の蹴りを放つ。横薙ぎの蹴りを、リサのルカリオがおおきく後ろに飛び退って避けた。そこへレジアイスの凍てつく突風が襲うが、瞬時に生まれた波導の障壁に阻まれ、押し返される。突風をやりすごし、障壁を解除して後衛を狙おうとした一瞬、コルニのルカリオが間合いを詰めた。そのまま一度、二度、三度と打ちあって、リサのルカリオが掌底とともに波導を放つ。自身の身の丈ほどもある波導の塊を、コルニのルカリオはひらりと回避するが、それは後衛を狙ったものだった。直線上にいたスターミーを吹き飛ばす。 ズミがスターミーに駆け寄る。もう邪魔はされなかった。コルニのルカリオの猛攻を前にして、リサのルカリオもさすがにトレーナーたちを邪魔だてする余裕を失っていた。また、そうする必要もなかった。 この戦いが始まると、コルニのルカリオは拳を交えながらもじりじりと立ち位置を変え、先の攻撃で倒れたままのポケモンたちから距離をとるように、戦場を誘導していた。リサのルカリオはそれを理解していたが、しばらくすると気にするほどのことではないと理解した。 ズミが道具で傷の手当てをしても、スターミーはもはや戦闘不能だった。この場でこれ以上の治療は不可能だ。ポケモンセンターのジョーイでなくては回復させられない。戦線離脱させるしかなかった。ズミはスターミーを労り、モンスターボールへ戻して休ませる。 どのポケモンも同じだった。いちばん最初に手当てされたポケモンも、ズミのスターミーのように、再び立ちあがって戦うことはできなかった。リサのルカリオは最初、ヤドキングを復活させられてしまっては厄介だと考えていた。故に、ヤドキングを回復させようとするトレーナーたちを阻んだ。しかし、あのとき放った“シャドーボール”はヤドキングを戦闘不能に追いこむため、渾身の力をこめたものだった。ヤドキングも、もう立ちあがれまい。 戦闘を継続させられるポケモンは、こうしてすこしずつ数を減らしていった。ほとんどは防御を万全にしていても一撃で倒されてしまい、波導への防御をじゅうぶんに果たせる頑強な耐久力をもった一部のポケモンは、コルニのルカリオの盾となり、倒れていった。 一見、コルニのルカリオが攻めているように見える。リサのルカリオは防御に重点を置き、攻撃を捌き、受け流し、防ぎながら返しの一撃を放っていた。しかし、そうしながらも一瞬の隙があれば確実に後衛を減らし、攻撃の起点と援護を失わせている。邪魔が減り、攻撃と防御の比率が徐々に傾き、攻めに集中する余裕をすこしずつ得ていくリサのルカリオの攻撃は苛烈さを増していくばかりだった。コルニのルカリオにダメージが蓄積し、その攻撃の手が緩んでしまえば、あとは為す術がない。今はただ休むことなく攻撃を続けるしかなかった。相手に行動させないこと。攻めの余裕を与えないこと。それができるのはコルニのルカリオだけであり、その攻撃だけが唯一の防衛手段だった。 それにしても、とリサは思う。 なんという速さだろう。リサがはっと息を呑む間もなく、コルニのルカリオは地面すれすれに、水平に蹴りを繰りだす。リサのルカリオはそれを軽く飛び越すと、着地間際に肩口めがけて蹴りあげた。コルニのルカリオが横に転がって避ける。その起きあがりざまに、今度は頭から脚を振りおろす。 “頭上から落ちてきたギロチンの刃”。 コルニのルカリオは正面から振りおろされた脚を両腕で受け止める。そのあまりの速度に、すでに傷にまみれている腕が悲鳴をあげた。痛みに顔が歪む。体重をかけてのしかかるリサのルカリオが、追撃の波導を手のひらから放とうとしたところを、全身で跳ねあげた。後ろによろけた瞬間、不発に終わった波導が名残惜しいとばかりに弧を描く。それはコルニのルカリオの肩をかすめたが、きわどいところでそれて地面を切り裂いた。 リサのルカリオの体勢が崩れたところで、コルニのルカリオが反撃に出ようとする。しかしダメージを受けた両腕が痺れて動かなかった。その動揺を察知し、リサのルカリオが手を振りあげた。下から上に、見えない一枚の板をひっくり返すようなその仕草で、波導の壁が現れた。 間髪をいれずルスワールのスイクンが躍りでる。うずくまったままのコルニのルカリオを背後に庇いながら、防御を全開にして壁を受けた。波導に全身を焼かれながら、たまらず咆哮をあげながら、しかしその噴流に押し流されまいと地面を踏み縛る。 「ルカリオ!」 激痛に苦しむスイクンの姿に、コルニのルカリオがたまらず飛びだそうとしたところを、コルニの声が止めた。はっとしたそのとき、全身に光が注いだ。ニンフィアの“ねがいごと”だ。あたたかく降り注ぐ輝きが傷と疲労を癒やし、体力の戻った体にその機能を取り戻させる。 スイクンは――コルニのルカリオにダメージを負わせることなく、波導の壁を耐えきった。壁が消え、土煙が立ちのぼる向こう側へ吠えると、冷気の風を放って視界を回復させ、力尽きてばたりと横へ倒れた。 倒れたスイクンの横から、コルニのルカリオは飛びだした。スイクンが攻撃に耐えているそのわずかな合間に、リサのルカリオはオンバーンとシンボラーを同時に撃ち落とし、続いてニンフィアを狙っていた。ニンフィアは圧倒的な防御の神楽と癒やしの技を駆使して、襲いくる波導に懸命に立ち向かっている。刹那の間に次から次へと波導を繰りだし、ついに防御が追いつかなくなったニンフィアに、決定打を放とうとしたところへ、コルニのルカリオが飛びついた。 ぶつかり、離れ、またぶつかりあう二匹のルカリオの、頑強な肉体と、宙に飛び散る波導の煌き。リサの目にはそれしか見えない。拳と脚の激突が何度も交わされ、力負けしたコルニのルカリオが下がり、肩からの突進で跳ね飛ばされ、尻もちからすぐさま横に転がって波導を避けた。 リサは両手を握りしめた。 あたしの相棒は、なんて強いんだろう。ルカリオはたったひとり、誰からの援護も受けていないのに、ヤドキングを打ちとったことをきっかけに、あれだけの数のポケモンを相手に圧倒している。これが、あたしの相棒の本当の力なんだ。これだけの力を持ちながら、ただの一度もその力の片鱗さえ見せなかった。すべてを諦め、妥協と失意を塗り固め、死の際までその想いを抱えこみ続けていた。 リサの動悸は激しく、息が詰まりそうだ。膝が震える。 再び力負けし、耐えかねたようにコルニのルカリオがちいさく悲鳴をあげて、今度は後ろにおおきくひっくり返った。トレーナーたちがどよめく。そのとき、リサとコルニは身を乗りだした。 ――ルカリオ! ふたりの少女の声が同時に重なる。 リサは知っていた。勝利を確信したその瞬間にこそ、おおきな隙が生まれることを。あまりに強すぎる相棒は、自分の隙につけこまれるということを知らない。絶好の勝利の&ruby(チャンス){機会};を掴もうとして、目と鼻の先にあるそれが相手の誘いだと気づかずに攻めこもうとしたのだ。その油断を、リサは呼び止めた。 一方コルニは、相棒がつくったおおきな隙が、逆に千載一遇の好機だと考えた。自分が追い詰められているその瞬間にこそ、逆転の手があることをコルニは知っていた。次の一手で勝負が決する局面において、相手の動きはこのうえなく短調になり、読みやすい一手となることを。コルニは呼びかけた。誘いこみ、反撃せよ。 主人のその声に、二匹のルカリオはそれぞれはっとした。その意味を正しく理解し、そして実行した。 相手が体勢を崩しているうちに打ちかかるかと思いきや、リサのルカリオは軽く横にステップを踏んで、コルニのルカリオから離れる。コルニのルカリオは地面をひと蹴りして跳ね起きると、前に強烈な波導の嵐を撃ちだした。炎のように燃える波導のエネルギーが地面を抉りながら直進し、まっすぐなその軌跡を残して突き進み、二十メートルあまり離れたところでふっと消えた。 誘いは、失敗に終わった。 その技の反動こそ、決定的な隙となった。リサのルカリオは敏捷に飛びかかる。大技を放ったあとのコルニのルカリオには、相手の動きに反応するだけの余裕がない。 無造作に、その細い首を掴んで、引き倒す。 手足を投げ出すように倒れたところに跨って、おおきく腕を振りあげた。青く波導の燃えあがる拳が、恐ろしい速度で振りおろされる。 無防備な腹へ、あらん限りの力で拳を叩きつけた。その一撃で地面がおおきく陥没した。平手で叩かれた水のように、抉られた地面が岩石となって飛び散る。しかしまだ終わらない。手のひらへ圧縮した波導を叩きこみ、全開に撃ちだす。轟音が鳴り響き、地震のように地面が激しく揺れ動き、放射状へひび割れた地表から波導が噴きあげた。技の残滓であるその粉瘤ですら、岩石を砕き、溶かし、粉々の粉塵となって土煙を巻き起こす。 クレーターの中心、噴き出す波導と土煙の中心で、コルニのルカリオは手足をびくりと跳ねあがらせ、やがて力なく落とした。 「ルカリオ!!」 コルニが叫ぶ。 一秒。二秒と、リサのルカリオは待った。コルニのルカリオは動かない。やがて十秒が過ぎても、敵はぴくりとも動かなかった。 ――決着だ。 リサのルカリオはコルニのほうを振り向いた。あの少女は悲壮に表情を強ばらせている。波導の名残が依然として巻き起こす土煙はまだ晴れないが、“みやぶる”の効果でリサのルカリオにはそれとわかる。 ひょっとすると、彼女の相棒を殺してしまったかもしれない。 それほどの力をこめた一撃だった。 もはや勝敗は決していた。トレーナーたちは表情から感情が抜け落ち、立ちすくんでいる。コルニだけが、諦めることを知らずに相棒に向かって叫びかけている。 こちらへ来て、相棒を看てやるといい。もっとも、死んでいるかもしれないけれど。そういうつもりで彼女のもとへ歩み寄ろうとしたところで、信じられない言葉を聞いた。 ……彼女は今、なんと言った? 噴きあげる波導が轟き、地響きのような音をたてている。その轟音に負けぬよう、コルニは声を張りあげていた。メガグローブを、もう片方の手で握り、祈るように拳を額に当て、こちらを見ることもなく、ただただ叫んでいた。 瞬間、コルニのルカリオの拳が、全身をバネにして、渾身の力で、その顎を下から上へと撃ちぬいた。 全力の波導を撃ちだすように見せかけて、防御の余裕を残すように瞬時に調整するのには、成功した。 ただ、それでもかなりの力を撃ちだした。その反動から、次の技へと移るだけの猶予があるかどうか、それは自分でもわからなかった。だから、それはもはや賭けだった。 あるいは、あのときコルニと同時にリサが叫ばなければ、本当にあの一撃で倒せていたかもしれない。けれど、コルニの叫びにリサの叫びが重なり、敵の油断を誘ったその瞬間、この罠は失敗に終わる。そう確信した。 全力の一撃を、とっさに、瞬間的に加減した。出力を絞り、余力を残した。相手には、そこから防御を間にあわせるだけの余裕がないように見えていただろう。実際、最後の最後まで余裕など欠片もなかった。 どんな攻撃がきてもいい。その威力を落とせなくても、身を守れなくてもいい。そういう意味では、その技は防御ですらないかもしれない。 “こらえる” やってきた一撃は、名状しがたき壮絶な一撃だった。あまりの痛みに意識が飛んだ。全身が粉々に打ち砕かれたのだと思った。 けれど、暗黒に落ちた意識のなかで、かけがえのないものを感じた。少女の祈り。絆。そのひたむきな叫び。 気づいたとき、迸る力の噴流の向こうから少女の声が聞こえた。コルニだった。自分を呼んでいるのが聞こえる。 ああ、コルニだ。コルニの声が聞こえる。けたたましい轟音のなかでも、その声だけは絶対に聞き逃さない。 ――そうか。 あのとき、撃ちだした波導の嵐が全力のそれではないことを、コルニは見破っていたのだ。その一瞬で、コルニにはすべてがわかった。そして今も信じてくれている。なぜなら、ポケモンとトレーナーは一心同体なのだから。生涯の絆で固く結ばれた、かけがえのないパートナーなのだから。 だから、諦めない。 コルニは叫ぶ。相棒が立ちあがることを信じて。 それは――尽きる最後の瞬間、ひときわ強く燃えあがる炎のように――恐れを知らない無刀の構えの戦士のように――閃光のように――ひと握りの全生命を賭ける、逆襲の一手。 “きしかいせい” ……最強を顔にかいて歩いているようなあいつを、とうとう驚かせてやった。 “きしかいせい”の衝撃波によって爆煙が晴れる。姿を隠した二匹のルカリオが、クレーターのなかに再び現れた。 その二重トラップを、リサと、リサのルカリオは見破れなかった。 あえて攻撃を受け、返しの一撃で反撃する。肉を切らせて骨を断つ……そんなことを、よもや、この局面で試みるなどとは、夢にさえ思わなかった。リサのルカリオを相手に、その最強最大の一撃を受けて立っていられるなどと、ほかの誰が思っただろう。コルニと、コルニのルカリオのほかに、誰が。 純然たる油断だった。 完全に無防備だったところへ、最大の一撃を受けた。罠を暴いた先は、さらなる罠が待っていた。一瞬のうちに仕掛けられ、巧妙に隠されたトラップ。見事な一手であり、それを試みたコルニのルカリオは聡明であり、勇敢だった。 その瞬間、リサは敗北を覚悟せざるを得なかった。 けれど、コルニは理解した。起死回生の策のように思えるのその一手でさえ、相手の骨を断つには至らなかったことを。なぜって、あたしの相棒から闘志が消えていないから。 コルニのルカリオが、その身に受けた致命傷と、決死の覚悟で繰りだした技の反動に耐えられず、崩れ落ちた。しかしそれでも、その両腕は敵に向けられている。 コルニのルカリオは確信していた。まだ終わっていない。 決定的な隙を叩きのめした“きしかいせい”は、しかし必殺の一撃にはならなかった。相手を倒したという、その手応えがない。敵はまだ戦えるはず。体勢を整える前に、追撃しなくてはならない。 リサのルカリオ。その恐るべき最たる要因は、異常な継戦能力だ。 防御ががら空きになった急所へ、最大威力の一撃を叩きこまれたリサのルカリオは、ほんのすこしのあいだ、明らかに不自然に身動きを取らなかった。間違いなく、大ダメージだったのだ。けれど戦闘不能には追いこめてはいない。その体から常に放たれている、重力が増して感じられるほどの巨大な重圧が、すこしも弱まっていないのだから。 コルニのルカリオは、懸命に追撃を試みた。しかし、敵へと向けたその手から次の波導を放つことはできなかった。朦朧とする意識のなかで、溢れる波導の力を練りあげ、技として撃ちだせるだけの体力は、もう残されていなかった。身動きするとそれだけで、みじ、ぎち、と筋肉が潰れる音が体のなかから響く。立ち上がろうとする動作をしたくても、それに付随する骨格が機能していなかった。 敵は今、“きしかいせい”で打ちあげられた体をひらりと翻し、難なく着地してみせている。 「ルカリオ……」 コルニは、拳を握りしめた。 瀕死のダメージを負いながら、それでも相棒は戦おうとしている。もうやめさせたい。モンスターボールに戻してゆっくりと休ませてやりたい。 けれど、あのまなざしを見てしまったら、そんなことはできない。ろくに動けぬ体を引きずって、なおも戦意を失わないあのまなざしを、主人である自分が裏切ることなどできない。モンスターボールに閉じこめて、「おまえはもう戦うな」などと言えるわけがないのだ。 だけど――命を賭けた“きしかいせい”でさえ、勝てなかった。相棒にはもう戦う力はない。今はもう、敵を打倒するすべての策が失われてしまった。 策は成功した。けれど、成功してなお敵を倒せなければ、それはもう失敗なのだ。あのとき、敵を誘いこめと指示したのはコルニだ。その失策を、コルニは恥じた。まさか、最大威力の“きしかいせい”でさえ倒せないだなんて…… ダメージがなかったはずはない。 ガチゴラスのときのように、威力を軽減させられたわけでもない。 ほんのわずかな時間ではあったが、“きしかいせい”を受けたリサのルカリオは間違いなく、全身を麻痺させていた。体勢を整え、着地するまでの一瞬、敵は戦闘不能の状態だったのだ。波導の力で強引に体を動かさねばならなくなるほど、“きしかいせい”は決定的な一撃だった。 けれど――コルニのルカリオの、全生命力を賭した一撃をまともに受けてなお、リサのルカリオは立っている。ダメージなどものともせず、波導の力を衰えさせることもなく、構えをとっている。 後衛からの砲撃が殺到した。しかし、その判断はコルニとコルニのルカリオのそれよりも一瞬遅い。リサのルカリオはやすやすと防御を間に合わせ、そのすべてを障壁によって防ぎ、回避した。 通常、あの“きしかいせい”と同じ威力の攻撃を受けたなら、たとえどんなポケモンであっても戦闘を継続することなど不可能だ。けれど、あのルカリオだけは違う。生きてさえいれば、波導によってその体が動きさえすれば、戦える。ダメージの大小など無意味であり、その生命が尽きるまで戦闘を可能にする。 不死身であるかのようなその異常性に、コルニは恐怖した。 リサのルカリオの動きを止められる者は、もういない。 そして、とコルニは思う。 最悪のこの状況をつくりだしたのは、自分だ。 未来の戦局を読み違え、みすみす相棒に大ダメージを負わせて、戦闘不能に追いこんだのは、自分なのだ。 ジリ貧の戦いであったことに変わりはないだろう。そのままじわじわと戦力を削られて、結局は今と同じ結果に終わってしまったかもしれない。けれど、あのとき違う判断をしていれば、いずれは別のチャンスがあったかもしれない。その可能性はゼロではなかったはず。けれど判断を見誤った今、状況は確定し、それはもう存在しない未来の可能性になってしまった。勝ち筋を断ったのは、ほかならない自分だ。 コルニは自分を責めた。浅はかだったのだ。そして、自分を信じてくれた相棒は今、瀕死寸前にも関わらず、なおも戦おうとしている。 後悔と無力感。相棒を救いたい反面、救うことのできないジレンマ。コルニはグローブに爪を食いこませ、歯を食いしばりながら、涙を流した。馬鹿。いま泣いたってどうにもならないのよ。つらいのはあたしじゃない。戦っているポケモンたちじゃないの。けれど涙は溢れてくる。惨めな自分に腹がたち、無残な姿の相棒と、こうしているあいだにも倒されていく仲間たちに心がかきむしられて、涙が勝手に溢れてくる。 ダメージを回復させようと、コルニのルカリオに駆け寄ろうとするニンフィアがまず吹き飛ばされた。 念力によって動きを封じようとするマフォクシーを、上回る“サイコキネシス”で打ち崩した。 光のように敏捷に動きまわり、撹乱しながら雷撃を放つライコウが、左へ左へと動くその癖を先読みされ、回りこまれて叩き伏せられた。 ラティオスの放つ光線が波導の技によって真っ向から相殺され、迎撃された。 あたしはなんて――なんて無力なんだろう。 声もあげずに涙に頬を濡らし、コルニは立ち尽くした。為す術がない。なにもできない。あたしとルカリオを信じてくれたみんなの努力が、水の泡になってしまった。 コルニのルカリオは、なおも懸命に立ちあがろうとしていた。もはや、前衛に立てるポケモンがこの場にはいない。自分のほかには誰も、敵の動きを止められはしない。なんとしても、立たねばならぬ。立って、戦わねば。 けれど、体がいうことをきかない。砕けた骨が体を支えられず、傷んだ内臓から口のなかへ大量の血がせぐりあげる。ただ腕を持ちあげるだけで、ただ呼吸をするだけで、あまりの痛みに視界で火花が散った。 視界が霞む。今、どれだけのポケモンが無事でいるのかさえわからない。防御が必要ではなくなり、攻撃の余裕をじゅうぶんに得たリサのルカリオは、ただひと息の呼吸の合間にさえ次々と敵を薙ぎ払っていく。 今、圧倒的な耐久力を誇るヌメルゴンが一撃を耐えた。しかし、続く二発目、三発目の波導の技を受け、体勢を崩したところへ一気に距離を詰められ、掌底によって倒れる。 そして、それが最後だった。 すべてのトレーナーの、すべてのポケモンが倒された。 この場で意識を保っているポケモンはもう、敵と、コルニのルカリオだけだった。 最後に立っていたヌメルゴンを打ち倒したリサのルカリオは、振り返り、離れたところに伏せっているコルニのルカリオを見る。 ――コルニのルカリオ。 すでに虫の息だというのに、もはや立ちあがることもかなわないというのに、腕の力だけでクレーターから這いあがろうとしている。その視線は胡乱で、焦点も定まっていない。しかし、瞳に宿った闘志は変わらなかった。 恐ろしいまでの闘争心。 その姿と、そして自分の相棒を見て、リサは思っていた。 勝利への執着。 それは、ルカリオが持つことのなかったものだ。望むことさえ、許されなかったものだ。 最強の力。常軌を逸した才能。それらは恒常的に勝利を必然たらしめ、「勝利」という二文字からすべての価値を失わせた。本来、勝利とは尊ばれるべきものだ。才能と努力、経験と創意工夫。数多の敗北を知り、挫折を味わい、立ちはだかる壁を乗り越え、打ち砕き、その先へ待っているはずの、なにより輝かしい結果なのだ。血の滲むような、泥水を啜るような、そんなつらく苦しい過程を経た者への報いなのだ。 それを……そのかけがえのない勝利を、ただの才能によってのみ、当然のように手にしているルカリオ。それ以外のすべてを踏みにじり、気まぐれのように頂点に座しているルカリオ。 リサは思う。 あたしの相棒は……それを恥じている。誰よりも強く、自分を呪っている。いつだってそうだった。リオルから進化したときから、今までずっと。 なにがカロス最強だ。こんなものに、ひと欠片の価値もない。そう自分を責めているルカリオは、力に自信をもてたことなんて一度もない。 それは、この戦いが始まってから――いや、今の今でも変わらない。目を見ればわかる。あの、申し訳なさと羨ましさの同居した、やるせない目を見れば、誰にだってわかる。 リサのルカリオが、コルニのルカリオを見た。 命を賭して勝利をもぎ取ろうとしたコルニのルカリオ。傷だらけで這いつくばっているその姿。無残ではありながらも、それはなによりも気高い姿だ。 それに比べて、自分が掴むこの勝利のくだらないこと。なんと無意味なんだろう。こんなものには、塵芥ほどの価値もあってはならない。 それは自分自身への軽蔑と呪いであり、そして同時に、純粋な尊敬と憧れでもあった。コルニのルカリオだけではない。すべてのトレーナーとポケモンのもつ、尊ぶべき健全な精神。自分にないその輝きが、羨ましい。それをもたず、最強という結果だけを約束されている自分が、ひどく矮小な存在に思えるのだ。 できることならば、手を貸してやりたかった。 自分と真っ向から打ちあい、見事な策で自分に一撃を叩きこんだコルニのルカリオ。あのとき、少女は相棒を固く信じ、ポケモンは主人の声に立ちあがった。あの一撃は、誰にも、なににも貶めることのできない、あのふたりのかけがえのない一撃だった。 手を貸してやりたい。傷だらけのあの体を自分の手で抱き起こし、その健闘を賞賛したかった。その気高き精神を讃え、賛美したかった。 けれど、そんなことはできない。それは最大の侮辱なのだから。最後の最後まで勝利を諦めなかった――この瞬間にも諦めずに戦おうとしている――相手に、手を貸すほどの余裕を見せつける、どこまでも邪悪で無神経な侮辱でしかないのだから。許されることではない。 視線がぶつかる。コルニのルカリオの、もはやまともに見えてはいないはずのその瞳は、しかし敵を捉えて逃さない。 その瞳は、如実に物語っている。とどめを刺せ、と。自分はまだ諦めていないのだぞ、と。 この戦いは――敵に情けをかける、そのような勝負ではないのだから。そんな結果に終わっていい戦いではないのだから。 リサのルカリオは、思った。 あの罠が成功した瞬間、間違いなく、勝ったのはコルニのルカリオだ。あれほどの一撃をダメージとも思わないような、こんな馬鹿馬鹿しい力と才能がなければ、あのとき自分の敗北は確定していた。浅ましくも勝利を確信して、決定的に油断し、愚かしい隙を見せた自分は、そこで敗北して然るべきだったのだ。 あの一撃をまともに受けてさえ、のうのうと立っていられる自分が恥ずかしい。造作もなく復帰して、戦闘を継続させられた自分が恨めしい。あのとき倒れることができたなら、どんなにか喜ばしい結果になっただろう。その結果を、どんなにか祝福できただろう。この世を去る、最高の手土産にできたはずだった。 けれど、自分は立っている。おぞましい力と才能が、無慈悲にそれを可能にしている。 どのような心情であれ、これは厳然と、勝利だった。 だからこそ、とどめを刺さなければならない。 カロス最強の自分と真正面から打ち結ぶことを選び、戦いのなかでそれを可能にした勇敢なポケモンに、きっちりと敗北の二文字を叩きつけなければならない。そうしなくては、この勝負は終われない。それを躊躇うのはただの感傷でしかなく、この戦いに臨んだすべてのポケモンの想いを、最低の形で裏切ることだ。 自分がどれだけ矮小で愚かしい存在であったとしても、そこまで落ちぶれるつもりはない。清き心を踏みにじるバケモノにはなりたくない。 ならばこそ。なればこそ。 「ルカリオ」と、リサが言った。 その声に、ちいさくうなずく。 最後の技を放つ。それを躊躇ってはならない。この戦いを願ったのは、ほかならぬ自分なのだから。 “はどうだん” ごく限られたポケモンにしか行使できないこの力。せめて、痛みを感じることなく気絶させられるように。聖戦を戦い抜いた戦士に授ける勲章のように。その&ruby(・){勝};&ruby(・){利};&ruby(・){の}&ruby(・){敗};&ruby(・){北};を言祝ぐように。 ノーモーション。力の凝縮が、一切の溜めの動作もなく生み出される。 最後――倒れ伏すコルニのルカリオへ、賞賛のまなざしを送る。 そして、一瞬の後、放たれた。 煌めく波導の輝きが結びつき、青い球体となってまっすぐに突き進む。炎のように揺らめく残滓を軌跡に残す。 コルニのルカリオは、その輝きをまっすぐに見据えた。最後まで、勝負を諦めまいと。せめて気高き敗者であろうと。その光景を、すべてのトレーナーが息を詰めて見守る。コルニだけが、涙に震える声で相棒の名を叫んだ。 そして―― 二匹のルカリオのあいだを結ぶ、その直線上の、そのほぼ中心で――煌めくその波導が、相殺された。 同じ輝き、同じ威力、同じ速度をもった、同じ技が、どこからか放たれた。 “はどうだん” ――馬鹿な。 リサのルカリオは驚愕した。 その技を使えるポケモンが、どこにいる? 視界のなか、コルニのルカリオが倒れている。技を放つことはおろか、満足に体を動かすことさえできない。相手もまた驚愕に目を丸くしていた。今の“はどうだん”は、コルニのルカリオが放ったものではない。 なら――いったい誰が? 後衛のポケモンはすべて倒した。余力を残したポケモンがいれば、広域に広げた“みやぶる”で絶対に察知できたはず。 そのとき、気配が現れた。 とてつもない気配。そこにいることを見逃すはずのない、強大な力を秘めた気配。 闘志そのものが空気の流れとなって渦巻いているような、そんな気配を近くに感じたのは、一瞬のことだった。 「ごめん」 いつの間にか姿を消していた少年の声が、不意にそう言った。 ざわめき、視線を彷徨わせるトレーナーたちのなかから、少年が歩みでる。バシャーモと、見慣れないポケモンを引き連れて。 幼なじみの少年少女たちが、その名を呼んだ。トロバは呆然と、サナは歓喜に、ティエルノは安堵をもって。 セレナだけが、言葉もなくその背中を見つめていた。 「待たせちゃったかな」 少年――カルムが言った。 リサは、一瞬驚いたのを隠すようにして、のんびりと言った。まるで、ただの待ちあわせに相手が遅れてやってきたかのような、ごくふつうの少女のように。 「遅すぎよ」リサは肩を竦める。「待ちくたびれちゃった。あんまり女の子を待たせるのは、あたし、感心しないなあ」 「ごめん」と、カルムはもう一度言った。悪びれずにすこし微笑んで、そして続けた。「でも、ようやく準備が整った」 「なんの準備?」と、リサがたずねた。 「きみの相棒をコテンパンにやっつける準備」と、カルムが答えた。 視界の端を、コルニが駆けていく。そこで視線を外し、コルニを見た。彼女は相棒のもとへ走り寄り、泣きながら、その善戦を讃え、労った。最後の“はどうだん”によって、彼女たちの決着はすでについている。ルカリオは満足そうに目を閉じて、モンスターボールのなかへ戻っていった。 カルムは、胸のうちで感謝した。ここまで戦ってくれてありがとう。オレがお膳立てするための時間を、きみたちがつくってくれていたんだね。本当にありがとう。 そして、いや違う、とカルムは思った。彼女たちだけではない。ここにいるすべてのトレーナーと、すべてのポケモンが、オレのために戦ってくれていたのだ。この最後の戦いの幕を、勝利の二文字で引くために。 カルムはもう一度リサを見て、それからかたわらに立つポケモンを見あげる。 「紹介するよ。オレの新しい仲間」 カルムの横には、バシャーモが控えている。見間違えるはずがない。リサの一年の旅の、始まりから終わりまでをともにした、大切なパートナー。けれど今は、打ち倒すべき敵。リサのルカリオに戦いを挑む戦士のひとり。強い意志をもったまなざして、ルカリオを見据えている。 そして、カルムを挟んでバシャーモの反対側に立っているのは―― 「ミュウツー」 破壊の遺伝子に授けられたその名を、カルムは柔和な笑みを浮かべたまま、口にした。 4 セレナは震える肩を抱いて、その光景を見守っていた。 コルニのルカリオの“きしかいせい”が決まったとき、ひょっとして勝ったんじゃないかと期待を抱いた。決定的な、強力な、完璧な一撃だった。 けれど、リサのルカリオは倒れなかった。 膝をつくことさえしなかった。 次々と倒れていく仲間。立ちあがろうともがくコルニのルカリオ。歯を食いしばり、涙を流すコルニ。 ――カルム。 今、ここにはいない少年のことを思う。彼はなにをしているのだろう。早く来てよ。あなたの作戦でみんなを助けてよ。みんな、あなたの口車に乗ったんだよ。なのになぜ、ここにいてくれないの。 セレナはモンスターボールを握りしめる。 ここにいるトレーナーたちは、手持ちのポケモンすべてを戦いに参加させた。けれど、セレナだけはまだ、一匹のポケモンを繰り出さずにいる。そういう作戦だからだ。カルムと、みんなといっしょにそう決めたからだ。 だけど今、目の前で仲間たちが倒されていく。 傷つき倒れたコルニのルカリオでさえ、まだ戦おうとしている。 なのにわたしは、これでいいの? このまま全滅するのを待っていていいの? 戦う力を残したまま、ただ呆然と見守っているだけで、本当にいいの? カルネがヌメルゴンに指示を出す。攻撃を捨て、すべての能力を防御にあてろと。速さを代償に、強堅な耐久力を手に入れたドラゴンポケモン。そのヌメルゴンでさえ、リサのルカリオの攻撃を何発か凌いだだけで、倒されてしまった。 すべてのポケモンが倒れ、モンスターボールに戻っていく。今はコルニのルカリオが、瀕死の重傷を負いながらあがこうとしているだけだ。 「セレナ」 サナが腕に触れる。セレナは、びく、と肩を跳ねさせた。 「だめだよ」 モンスターボールを握るセレナの震える手に、サナの手が重なった。 「セレナ」 「セレナさん」 ティエルノとトロバだ。心配そうな面持ちで、ふたりはかぶりを振る。 ――わかってる。 カルムが来るまで、持ち堪えなくてはならない。その前に、温存しておいた体力を消耗させるわけにはいかない。 だけど、わかってはいても、あんなに傷だらけのコルニのルカリオが、まだ戦おうとしているのに、それをただ見ているだけなんて…… 二匹のルカリオの攻防は、見事だった。あまりにも身のこなしが速くて、セレナは理解を追いつかせるだけでせいいっぱいだった。自分にはとても、あんなふうには戦えない。 しかし、とセレナは思う。 わたしだって、カロス最強のポケモントレーナーなんだもの。 こんなときに、ぼんやりと立っているだけなんて、できっこない! 「セレナ!」 手を掴み、制止するサナを振り払う。 トロバとティエルノを突き放し、駆けだした。三人から離れて、モンスターボールを投げるため、おおきく腕を振りかぶった。 今、リサのルカリオが、コルニのルカリオを照準した。技を放とうとしている。最後の一撃でとどめを刺そうとしている。 間にあうだろうか。いや、間にあわせる意味などないかもしれない。コルニのルカリオはもう戦える状態ではない。だけど、目の前で仲間が傷つくのが嫌だと思うのは、当然じゃない! ――間に合って。 “はどうだん”が放たれる。 そしてそのとき、まったく同じ技が、どこからか放たれた。 リサのルカリオが放った“はどうだん”が、目標を仕留めることなく、相殺される。 え、とセレナは思った。モンスターボールを投げかけて、後ろに引いた右手が止まる。いったいなにが起こったの? そのとき、振りかぶった手を、誰かにとられた。手に手を重ねて、そっとモンスターボールを下ろされる。 「ごめん」と、誰かが言った。 振り返るとそこには、カルムがいた。 カルム、とサナが喜びを声にあらわにした。 ティエルノが、トロバが、カルムの名を呼んだ。 セレナの腕を離し、前へ出るその背中を、セレナは言葉もなく見つめる。背中に、バシャーモと、見知らぬポケモンが続いた。 「待たせちゃったかな」と、カルムが言った。 「なるほど」と、リサは言った。「その子をゲットするために、今までいなくなってたわけ」 「そういうこと」カルムはうなずいた。 ふうん、と鼻を鳴らして、リサは疑問を投げかけた。 「あらかじめゲットするわけにはいかなかったのかしら。そのようすだと、居場所はわかっていたんでしょ。その、ミュウツーの」 言いながら、リサはポケモン図鑑をかざし、表示されたミュウツーのデータを見る。ミュウツー。エスパータイプの「いでんしポケモン」。 「そうしたかったんだけどね」と、カルムはもう一度ミュウツーを見あげて言った。「なかなか心を開いてくれなくて」 最強のポケモンの噂。 それを求めて一週間前、カルムはポケモンの村を訪れ、そしてミュウツーと出会った。 けれど、その心を解きほぐせたのは、ほんのついさっきのことだ。カルネのサーナイトが放った全身全霊のサイコパワーの輝きが、閉ざされていたミュウツーの心を動かした。 「ぶっつけ本番に賭けたってこと? 呆れた」 言葉だけでなく、リサは本心から呆れていた。ぽかんと口を開けているリサに、カルムも苦笑した。 「そうするしかなかったからね。実際にミュウツーがこの戦いを見てくれれば、すこしは戦ってみたくなるかなって思って」 カルムは白状した。元より序盤の戦いは、カルムがミュウツーと心を通わせるまでの、時間稼ぎの策だったことを。 ヤドキングの演算によって戦闘を指揮し、まずはリサのルカリオを追いこむ。そうして為す術をなくし、メガシンカを使わせ、全力を引きずりだす。そこへ、ミュウツーを新たな戦力として加え、第二ラウンドに持ちこむ。そういう作戦だった。トレーナーたちは全員、それを承知していた。 想定外だったのは、ヤドキングの演算が想像以上にリサのルカリオを苦戦させたことだった。当初は数十分ほど持ちこたえられる見積だったが、リサのルカリオが追いこまれるまでの時間は、実際にはものの五分にも満たなかった。コルニのルカリオがリサのルカリオの動きを上回ることも想定していなかったし、サーナイトのサイコパワーも、カルムにとって嬉しい誤算だった。あれがなければ、ミュウツーは自分に心を開かなかったかもしれない。 けれど、嬉しい誤算ばかりではない。続くメガルカリオとの戦闘で、こちらの陣営は壊滅、ほぼ全滅してしまった。ヤドキングの作戦は失われ、残るポケモンはごくわずか。 ミュウツーの力と、そしてカルムの秘策を加味しても……五分の勝負ができるかどうかは、わからない。 「それでも」と、リサは言った。「勝つ気でいるんだ。カルムは」 「そうだよ」と、カルムは言った。「オレたちは勝つ」 本来、勝負とはそういうものだ。 相手の実力、作戦、すべては未知数。ぶっつけ本番の一発勝負。全力を尽くし、勝利の可能性を模索して、勝敗を決める。互いのすべてが明らかではない、最初の一戦だけが、真の意味での勝負たり得る。あるいは、勝負に作戦などあった&ruby(ためし){例};はない。未知の相手に作戦などたてる意味はないのだから。カルムはそう考える。 そうして、少年は数多の勝負に勝ち続け、かつてカロスチャンピオンに登りつめた。あのときも今も、想いは変わらない。 ――勝つ。 それ以外には、なにも考えない。 「リサ」 セレナが一歩、前にでる。 「さっき。指示、出してたでしょ」 リサはぎょっとした。 それは、コルニのルカリオが“きしかいせい”のあとに倒れたあと、残るポケモンを倒していたときのことだ。 「出してたけど、それが?」リサは、動揺を悟られぬよう努めて冷静に言った。 セレナは続けた。 「あなたのルカリオはもう、今までと同じ動きはできていない」 リサは答えなかった。 それは図星だった。 “きしかいせい”のダメージは、リサのルカリオにとっても致命傷だったのだ。今はそれを、波導の力で無視しているにすぎない。腕を振り、足を踏みだす。そのすべての動作を波導によって支えている今のルカリオは、処理能力の大部分を身体の操作に割いていた。神がかり的な体術、圧倒的な波導の力を変わらず行使できていたとしても、未来予知にも似た第六感はもはや失われ、攻撃と防御のすべてをマニュアルで行わなくてはならなくなっている。いかにルカリオが最強であろうと、目視での判断と反応には限界があり、リサは指示を出すことによってそれをサポートしていた。 今のルカリオに、かつてのパフォーマンスは発揮できない。あらゆる演算をショートカットし、すべての行動が最適解を叩き出す天賦の才は、封じられていた。 それはつまり――ここからは、本来のポケモンバトルに立ち返るということだ。 トレーナーとポケモンの、信頼と絆が織りなす戦いの形。 「悪いけど」と、セレナは言った。「回復の暇なんて、あげないからね」 冷静さを取り戻したセレナは、言葉とともに、モンスターボールを投げる。 もう躊躇うことはない。 この戦いのために切らずにいた最後の切り札。 ――アブソル。 「わたしだって負けられない」 カロス最強のポケモントレーナーとして。 あなたの友達として。 「ポケモンバトルって――そういうものでしょ!」 セレナの左腕で、メガリングが強く光り輝いた。 そして、最後の戦いが始まった。 アブソル、ミュウツー、バシャーモ。三匹のうち、まず、カルムの指示を受けてバシャーモが飛びだした。 それは常軌を逸した大加速での突撃だった。空気が裂けて笛のように鳴り、風圧で足元の草が弾け飛んだ。 音に近い速度で迫りくるバシャーモの突撃に、ルカリオは反応できなかった。炎をまとった飛び蹴りが腹に突き刺さる。 一瞬が終わった。 後ろにおおきく吹き飛ばされながら、ルカリオがあがいた。波導を放って牽制し、地面に足を踏み縛る。即座に屈みこみ、追いすがるバシャーモの上段蹴りが空気を引き裂いて真空をつくり、長い蒸気の軌跡を引いて、ルカリオはその軌跡から逃げ果たせた。 おおきな隙を見せたバシャーモは後ろに飛んで距離をとり、それを読んだルカリオも飛び退きながらバシャーモの退路へ向けて波導を放つ。無茶苦茶な相対速度で距離を空けながら、バシャーモは身を翻して波導を回避した。 「すごいね」と、リサは言った。「これが例のやつなんだ」 「うん」と、カルムが言った。「オレもちょっとびっくり。こんなに速いなんて」 セレナは思った。 加速剤だわ。 夜明け前。この戦いが始まる前にカルムは、大型のポケモンに使う金属製のおおきな注射器を見せて、セレナに説明した。 注射器には、透明の液体が入っていた。 「人間と同じように、ポケモンの体のなかにもいろんな種類の微生物がいて――これはジョーイさんでもぜんぶの種類は把握できてないらしいんだけど――、メガシンカしたバシャーモの骨内の血管にいる微生物で、神経の反応を加速する成分をつくるやつがいるんだって」 それは、メガバシャーモの特性“かそく”の正体だ。カルムはそれらを単純に、「加速成分」と「加速虫」と呼ぶ。 「この加速虫が加速成分をどばどばつくってくれれば、メガバシャーモの反射速度はめちゃくちゃに速くなる。だけど、実際には加速成分はごく微量しかつくられないんだって。理由は簡単で、ふつうはその量でじゅうぶん間にあうし、あんまり無茶なことすると神経のほうがダメになっちゃうからなんだ。虫の活動を抑制する、なにかの仕組みがあるのかもしれない」 カルムはジョーイに、メガバシャーモの特性に関するデータをもらい、そして彼女とプラターヌ博士の協力のもと、実験した。 「骨のなかの血を抜けば、加速虫はいっしょに出てくる。その血を、温めた砂糖水に入れると、加速虫は糖分を食べて、活動を抑制するものがないから加速成分をどんどんつくる。糖分がなくなったら沸騰させて、虫を殺して水を飛ばす。高濃度の加速剤の出来上がりだね。でも、一度に大量につくろうとすると、なぜかうまくいかない。何回も何回も作業を繰り返して、やっとこれだけ集めた」 カルムは注射器のケースを八個、バッグのなかにしまっていた。 「それの加速剤を、ほかのポケモンにも使うの?」と、セレナはたずねた。 カルムは首を振った。「加速剤の効果があるのは、“かそく”の特性をもつポケモンだけみたいなんだ。リサのバシャーモは“もうか”の特性だけど、ためしに加速剤をすこしだけ使ってみたら、効果はあった。目隠ししながら、ゲッコウガの“みずしゅりけん”をぜんぶ素手で叩き落としたよ」 おそらく、特性“もうか”のバシャーモの体内にも加速虫はいるが、活動はしていないのだろう、とカルムは推測した。代わりに、別の微生物が活動して“もうか”の特性を発現させていると考えられる。 「待って」とセレナは慌てて言った。「量が多すぎると、神経がダメになっちゃうんでしょう?」 「なるよ」 セレナは、返す言葉もない。 「リサにも話してある。バシャーモがいいって言うなら、あたしは止めない、ってさ」 「それが、八本も必要なの?」 カルムは薄く笑った。 「持ってきただけだよ。まさかぜんぶ使うことなんかないだろうけど」 ミュウツーをゲットして、テレポートでポケモンの村へ戻る間際、カルムはリサのことを思い出していた。彼女のルカリオとの決闘のことを考え、それで思いだして、慌ててテレポートするミュウツーを止めた。 バッグからケースを取り出し、加速剤を吸いあげた注射器を取りだす。針の先に刺さったコルクを抜き、バシャーモを見あげた。 「打つよ」 バシャーモは迷わず、うなずきだけを返した。 カルムの手がバシャーモの体毛をかきわけ、肌を露出させる。慎重に血管を探りあて、心臓に近い位置に注射針を当てて、突き刺した。 ゆっくりと、加速剤を注ぐ。 たっぷり一分ほどかけ、慎重にワン・ショットを打ち終えると、注射器をしまい、あらためてミュウツーにテレポートを頼んだ。移動先は、ポケモンの村の上空。 ミュウツーの念力によって、カルムたちはポケモンの村を空から見下ろしていた。夜明けの冷たい風が吹き抜けていく。眼下では、リサのルカリオが“きしかいせい”から復帰して後衛のポケモンたちを倒し、ヌメルゴンを打ち倒したところだった。カルムの目ではその様子はしかとは確認できなかった。けれど、ミュウツーとバシャーモには見えているようだった。 リサのルカリオは、こちらには気づかなかった。カルムはこのとき、ポケモンの村のほぼ全域が、リサのルカリオが“みやぶる”の影響下にあったことを知らない。けれど、無防備に接近すれば確実に気づかれる。それを警戒したカルムは、できるだけ離れたところへテレポートするようミュウツーに言った。相手に悟られない位置から、これから戦う相手をミュウツーに見せておこうと思ったのだ。 カルムはミュウツーを見て、どうだい、とたずねようとした。あれが、オレたちの戦う敵なんだよ。 しかしそのとき、ミュウツーが“はどうだん”を放った。その動作があまりにも速かったので、なにが起こったのかカルムにはわからなかった。“はどうだん”は音もなくまっすぐにポケモンの村へ放たれ、コルニのルカリオを照準した“はどうだん”を相殺した。 ミュウツーがカルムの手を取る。テレポートするのだ。混乱しながら、それでもすぐさま察したカルムはバシャーモの手を取り、そしてポケモンの村へ――リサのルカリオを取り巻くトレーナーたちの背後に――飛んだ。 そうして、今に至る。 ――なるほど。 一瞬の会敵で、カルムは納得した。たしかにルカリオの動きは、ほんのわずかだが鈍っているように思える。この戦いでなにが起きたのかはわからないが、セレナが言ったように、ルカリオは消耗しているらしい。 それは驚くべき事実だった。あのルカリオの戦力をいくらか削ぐことに、カロスのトレーナーたちは成功しているのだ。時間稼ぎなど、とんでもない。全滅し、ヤドキングの指揮を失った代償としても、ルカリオを消耗させたのは余りある戦果だった。 それでもなお、加速剤を投与したバシャーモに、生の反射神経で応戦せしめたルカリオに、カルムも驚いてはいる。戦うことに、心の力のほぼすべてを費やしている。リサのルカリオは、たとえ足一本切り落とされても戦闘能力を損なわず、その痛みを「危険度の量」として丸呑みするだけだ。 カルムの顔が笑った。 楽しい。 オレは今、リサのルカリオと直接対決している。 こんなに楽しいことはない。 これからだ。初撃でカタがつくとは端から思っていない。 続いて、ミュウツーが動く。セレナもアブソルに指示をだした。ルカリオの背後をとったアブソルは渾身の力をこめて、バシャーモとのあいだに入ったミュウツーは虚空に踏みだすかのように、急速にその包囲を縮める。 ルカリオの迷いは一瞬だけだった。 挟まれたと気づいた瞬間、退避の誘惑に駆られた。 そのとき、リサが言った。 「前!」 指示どおり、ミュウツーに突撃する。 リサは、アブソルがルカリオを追ったことを確認する。脚力だけの跳躍だ。ルカリオよりは遅い。このままミュウツーに襲いかかって強引に至近距離での戦闘に持ちこむ。ミュウツーはエスパータイプ。格闘戦よりは遠距離での撃ちあいが得意だとリサは見た。同士討ちを警戒してアブソルが固まってくれればよし。バシャーモを加えての乱戦で、アブソルが横槍を入れてくるまでに、ミュウツーかバシャーモのどちらかを倒せればベストだ。カルムは防御に重点を置き、背後のアブソルが隙を見つけるまでの時間をバシャーモとミュウツーで稼ごうとするだろう。 そうはさせない――そうリサが思ったとき、カルムが、リサの指示のほぼ直後に言った。 「迎え撃て!」 意外だった。向こうもルカリオを真正面から迎える気でいる。 リサとルカリオにとって、なによりも脅威なのはミュウツーだった。加速剤を使ったバシャーモの速度には驚かされたけれど、速いというだけならばいくらでも対処できる。アブソルは予知能力を活かしての援護が想定されるが、いくらか厄介ではあっても単体ではルカリオが脅威を感じるほどの敵ではない。そこへいくと、ミュウツーはその能力はほぼすべてがアンノウンだ。ほかがすべてメガシンカや加速剤という強化要素を取り入れているなかで、ミュウツーだけが生のスペックで戦闘に加わっている。それだけでじゅうぶんに恐ろしい。すくなくとも、メガシンカしたルカリオを相手にしてさえ、なんの補正もなく直接対決を挑むだけの実力があるということだからだ。 カルムはミュウツーに、ルカリオを迎え撃たせようとしている。この推測は外れていないだろう。 ミュウツーが減速に入った。間合いに入った瞬間を叩くつもりだろう。 カルムがなにかを投げた。おおきな注射器だった。 バシャーモはそれを逆手に握り、コルクを外して、針を左肩の外骨格の隙間に突き立てた。プランガーを一気に押しこみ、針を抜きざまに注射器を放り捨て、バシャーモは獰猛な唸り声をもらす。 そのとき、ルカリオがミュウツーの間合いに突入した。 時間が粘性を帯びる。ミュウツーが光のように動き、その手を無造作に水平に振るった。 おそらくそれは、“サイコカッター”。 巨大な透明の刃が、ルカリオの視界の外から飛んできた。「必ず当たるし必ず死ぬ」という物理法則でもあるかのようなその技は、しかしただの“サイコカッター”でしかない。逃げようのないタイミングを完璧に捉え、残像の軌跡に触れただけでも肉を裂かれそうな速度で、ミュウツーはルカリオの胴を左から狙った。 それでも、ルカリオは逃げた。 ルカリオは手のひらに強力な波導をの膜をつくり、刃の軌道を斜めから抑えこむように叩いて、その反動で体を上に逃した。 あまりの衝撃に腕がしびれる。指の骨がつけ根から砕けた。最強のポケモン、ミュウツーの臨界。ほかのどんなポケモンが、単なる“サイコカッター”にこれほどの威力をもたせられるものか。 痛みの危険信号など今さらかまいやしなかった。でなければ、あの“きしかいせい”でとうに倒れている。どうせ指だ。こんな状況ではなにをする暇もない。衝撃で体に軽いスピンがかかっているが、速度が死んだわけではない。ミュウツーの間合いのさらに内側に入りこみ、波導のきれいな一発をぶちこめば形勢は一挙に逆転する。 ルカリオは吠えた。 三発の波導を放った。ひとつが本命。ふたつは逃げ道を防ぐため。しかし、当たるか当たらないかなどはたいした問題ではない。ミュウツーの間合いに入るまで、時間をもらえればいい。 そして、ミュウツーも同じことを思ったらしい。 その三発の波導が当たるか当たらないかなど、たいした問題ではない。 ミュウツーは波導を避けようともしなかった。横ざまに振るった腕を左から右下へ返し、目前のルカリオ目がけて斜めに刃を放ち下ろす。凶悪な刃が音すら置き去りにする速度でルカリオの上半身を襲った。 ルカリオはどうにか右腕の表面に障壁を発生させ、刃を受けた。が、角度をつけて受け流す余裕などありはしなかったし、腕力でどうにかできるような一撃でもなかった。右からの衝撃に全身を打たれ、ミュウツーから見て右のほうへ弾け飛んだ。 今度の痛みは尋常ではなかった。まるで動かなくなった右半身を復活させるのに、一秒の半分をかけた。地面に叩きつけられる前に体の流れる方向を変えて転がり、勢いを殺す。 立ちあがる。目の前にはもうバシャーモがいた。そして、その向こうには頭の左半分を紫色の血に染めたミュウツーと、追いつくまでに位置を変えたルカリオを追うアブソルがいる。 ――強い。 心の底からそう思う。ルカリオが波導を投げた瞬間に、ミュウツーはそれを避けることではなく、捨て身の一撃を放つことを選んだ。あの波導を受けても自分は死なないが、返しの刃を受ければ相手は死ぬ。そう判断して。 ミュウツー。人間がつくりだした最強の戦闘生物。その速度と威力。そしてなによりも恐ろしいのは、その学習能力だ。たった二回や三回こちらの技を見ただけで、それがどのような性質をもち、どのような意味がこめられているのかを信じられない速度で学び、学習し、戦いのなかで十全に発揮する。それはまるで、一秒ごとにミュウツーというポケモンのスペックが底上げされていくような感覚。 それを、ただの本能によってのみ成し遂げるミュウツー。 ルカリオの顔に、笑みが浮かんでいく。頭のなかの温度は急速に下がり続け、血や肉がまるで介在していないかのような冷静さで次に打つ手を組みあげているのに、顔だけが笑う。 ダメージはこちらのほうが大きい。だが、ルカリオは極論すれば脳が無事でさえあれば戦える。反面、ミュウツーは今のダメージでかなりの消耗を強いられているだろう。エスパータイプのポケモンは“じこさいせい”を使えることがあるが、あの技は全神経を集中させる必要がある。そんな隙を、いくらバシャーモとアブソルが必死になったところで、ルカリオが許すわけがない。 ざまあみろ、と思う。 必殺の一撃は凌いだ。囲みからも逃げ果たせた。 ルカリオは凶悪な笑みを浮かべ、吼えた。 呼応するように、バシャーモも笑い、吼えた。 5 悔しかった。 なにも言わず、近い死期を勝手に待ち構え、そうしてあいつは、ひとりでさっさと消えようとしている。それが、自分やリサにとって優しいことだと、あいつは思っていた。 いつもいつも、すべてわかっているような顔をして、あいつはちっとも、自分のことをわかってなどいない。 あいつは――ルカリオは、自分を置いていこうとしている。所詮ルカリオにとって、自分はその程度の存在でしかたなかった。せめて、仲間としての居場所になれた。ルカリオの横に並んでいられる存在になれた。そう思っていたのに。 そうして最期に一度、こんな戦いを望んで、死を受け入れようとしている。 言葉にしてしまえば、なんでもない話だ。偶然出会って、旅をして、そして早すぎる死に消えようとしている。自分は、勝手に信頼されていると思いこんでいただけだった。 悔しかった。 だから、戦おうと思った。 戦いたいということをリサは認めてくれた。カルムがそれに協力してくれた。 けれど、戦ってどうしたいのかはわからない。 最期にルカリオと戦いたい。最期にルカリオに勝ちたい。 ただその一心で、けれど、なぜそう思ったのか、根本的なことは気にしなかった。 抱きしめたかったのだろうか。 文句を言いたかったのだろうか。 殴ってやりたかったのだろうか。 認めてほしかったのだろうか。 驚かせたかったのだろうか。 それとも、それらすべてだろうか。 夜明け前のポケモンの村でリサがやってくるのを待っていたとき、その肝心なところがわからないままでいる自分に気づいた。 もし、一年前の旅のように、またいっしょに苦楽をともにしたかったのだとしたら、それは悲しいことだ。そしてもう、そういう心配をすることもないのだ。 ルカリオは死んでしまうのだから。ルカリオといっしょに歩くことはできないのだから。 ぽっかりと空いていた心に、灯った行動原理は、ひとつだけ。 そうだ。ぜんぶ、ぜんぶ、ぶちまけてやる。 これは復讐。これは制裁。そこにやり場のない八つ当たりを加えてもいい。世の中のすべてが筋道だって動いているのなら、誰も苦労はしないのだから。 ミュウツーのテレポードでポケモンの村へやってきて、メガシンカしたルカリオの姿を見た瞬間――果てしない欲求の果てに積もり積もった感情は、すべてが怒りとして発露した。 そうして今、バシャーモはここにいる。 愛する主人の手を離れ、ルカリオと戦っている。 ――否定してやる。 今までありとあらゆるものを捨て続けたおまえのすべてを、捨てられたもののすべてとして。 感情とともに鬱屈した暗い想いが、加速剤といっしょに全身に溢れだした。感情は怒りに、想いは憎しみになって。 旅の最初に出会い、その最期までともにいた二匹のポケモンが、ぶつかりあう。 すべての認識を、価値を、世界を覆すべく。 繰り広げられたポケモンの村の戦火もほとんど鎮静し、あたりは静寂をほぼ取り戻した。 空を見上げれば夜明けの薄闇もなりを潜め、星がひとつ、またひとつと姿を消してゆく。 しかし、草木の目覚めを促すばかりに喧騒が響いた。 朝の蒼と夜の藍、太陰と太陽が混じりあう太極の下で、飛びまわるいくつかの点があった。敵意が地獄の業火のように膨れあがる。大気を振動させ、大地を割るほどの闘気が弾ける。 “しんそく” 地面を蹴り、めまぐるしく動きまわり、雨あられと放たれるミュウツーとアブソルの遠距離攻撃をすべてかわすルカリオに、それでもバシャーモは追いつきながら、常に位置を変えて拳を打ちあわせる。炎と波導が煌き、赤と青の輝きが軌跡を残す。直進し、折れ曲がり、ぶつかっては離れ、またぶつかり絡みあう、ふたつの線のように見えた。 バシャーモの前方、わずか五十センチメートルに身を詰めたルカリオの右手が消える。 バシャーモは目の端でそう感じる。しかしそれは、あまりの拳の速さに、右手が消えて見えた、と言うのが正しい。 バシャーモはそれを瞬時に読み取り、半ば反射的に右手を引く。 ルカリオは、己に可能である最高速での突きを繰りだした瞬間に、確かな戦慄を覚えた。バシャーモの右手が消えた。それは自分より後手のはずなのに、なのに。 その手にしっかりと、自分の拳が収まっている。 ――速い。 太陽が朧を脱ぎ、陽光が喜劇のポケモンバトルを祝福した。 すこし遅れて、肉のぶつかりあう音。さらに遅れて、地面に同心円状の衝撃波。 音速を超越した肉弾戦。ルカリオは苦笑を浮かべる。 敵もまたーー現を超越した怪物。 バシャーモの膝蹴りを受けて吹き飛び、ミュウツーの“サイコカッター”をなんとか凌いだあと、ルカリオとバシャーモが二度目に衝突したときに、リサは安心を覚えた。 劣勢転じて五分を得られたことにではない。ルカリオの攻防にだ。 防御が成っている。獰猛な咆哮に我を失ったかと思いきや、すくなくとも周りは見えている。 この五分を得ることができたのは、それまでの攻撃を耐えに耐えたからに他ならない。無論リサも敵の行動にあわせて攻防の支持を出していたが、ミュウツーの“サイコカッター”が防ぎきれない以上、先ほどのように大味にミュウツーへ仕掛けことはできない。まして、回避と防御にかまけすぎて速度を殺してしまえばそれこそ終わりであるのだから、回避には自ずと限界がある。 だからこそ、速度を維持して凌ぎ切るにはルカリオの防御能力が必須だった。 受けるべき術を障壁にて受け、避けるべき術を避ける。それはルカリオにとって当然のことだ。 けれど、耐え凌ぐーーそれは最強であったルカリオが経験したことのない戦いだった。ヤドキングの戦陣も同じ防戦を強いられたが、あれはごく短い戦闘に終わったし、なによりルカリオにもメガシンカという奥の手があった。 しかし、今は違う。本気を出してなお、闇雲に攻めて勝てる相手ではないというはじめての敵。加えて傷を負っても癒してくれる者はいない。残る力も心許ない。攻め一辺倒では崩せないならば、耐えて耐えて、その傷ついた体に残された力を蓄え、一点に爆発させるしかない。闘志に湧きたつ心中で、ルカリオはその集中力を瞬時に取り戻し、その双眸にしっかりと“勝利”を刻みこんでいた。 ルカリオが地面を蹴り、距離をとる。バシャーモが一瞬遅れてそれに気づき反応しようとしたところで、ルカリオの左手が弧を描いた。開かれた拳から放たれる波導の弾丸。 当たるなどとは思っていない。自分よりも速度で勝るバシャーモに、こんなものが避けられないわけがない。単なる目眩ましだ。あの速度で、ゼロ距離から炎の技を叩きこまれるわけにはいかない。時間稼ぎにでもなればいいと放った技だ。 しかし、バシャーモは避けもしなかった。ミュウツーと同じだ。しかしミュウツーと違ったのは、そのすさまじい反応速度で波導のすべてを炎の拳で叩き潰したことだった。 ルカリオは舌を巻く。とっさに放った波導はさして威力をこめられたものでもない。しかし、この自分の技を真っ向から迎撃してのけるとは思わなかった。それはまるで、こんな小手先だけの撹乱は通用しないと主張するかのように。 しかし、それはただ速いというだけのことだ。反応速度が追いつき、同程度の威力の技での相殺を間にあわせただけにすぎない。バシャーモの動きはただの反射であり、そこには無駄がある。コルニのルカリオが見せたような洗練された身のこなしではない。現に、バシャーモはフェイクの波導を見抜けなかった。無駄に動かなければ当たりもしない波導までも相殺したのだ。その速さは驚嘆に値するものだが、やはりつけいる隙がないわけではない。ただ加速剤でスピードを得ただけでは、この最強には到達し得ないのだ。 いや、あるいはだからこそ――無駄を承知で、その実力を見せつけたかったのかもしれない。 自分はここまでやってきたのだと。 おまえと同じステージで戦っているのだと。 “きしかいせい“に壊されかけた全身。痛みこそ無視しているが、その損傷はルカリオの敏捷性と第六感を殺いでいる。万全の状態なら、接近戦でもルカリオに分があっただろう。だからこそ、生じるディレイにルカリオは歯噛みする。 二匹がぶつかり、離れたその瞬間、アブソルの全身がしなやかに踊り、側頭部の刃から轟音とともに烈風が放たれた。 ルカリオは風に巻かれて宙を飛び、すぐさま障壁を張って凌いだ。凍るように冷たく、呼気を断ち切る刃の烈風。そこへミュウツーの音速の刃が飛来した。 あれは障壁などでは防げない。素早く転がって避けると烈風の第二刃が繰りだされる。風はルカリオを打ちのめし、吹き飛ばした。足や腕や顔を切り裂いたが、たいしたダメージではない。もとよりダメージなど埒外の、体勢を崩すための技だ。そこへバシャーモやミュウツーが追撃してくることこそ警戒しなくてはならない。冷静に、風に翻弄されず“でんじふゆう”ですぐさま脱出。お返しに、波導を刃の形にしてアブソルへ因縁を放った。 ミュウツーが瞬間でエネルギーの壁を生みだし、波導の速度と威力を殺す。それでもアブソルは低く弾き飛ばされた。無防備に角が地面にぶつかり、パッと血が飛び散る。 痛みと吐き気に視界が回るが、ルカリオの技の直撃を受けたと思えば安いもの。みるみる溢れる血が地面に溜まるより早く、アブソルは身を起こす。角がややぐらついているが、戦いに支障はない。 カルムとセレナの戦法は、格闘戦をバシャーモが、射撃戦をミュウツーが担当し、アブソルは予知能力を駆使して支援にあたるというもの。あるときはバシャーモがルカリオと組みあい、アブソルの支援のもと、ミュウツーが防御を崩す。あるときはアブソルが攻撃を察知して防御・迎撃行動を取り、バシャーモとミュウツーの攻撃のリズムを保つ。あるときはミュウツーが足止めし、アブソルが駄目押ししながらバシャーモの体勢を整える時間を作る。カルムとセレナは、全員に援護を常に意識させ、すべての行動を布石としながら、状況にあわせて距離を変え、戦法を切り替え、ルカリオをこちらの動きに慣れさせないためにあらゆる布陣の指示を出した。 リサは、その手腕に感服する。カロスを救った英雄だけのことはある。かつてこのふたりは、このように抜群のコンビネーションを発揮して、フレア団を壊滅させたのだ。まさに最強のポケモントレーナーだ。 そして、主人の自分でさえ見たことのない、ルカリオの本当の実力に、リサはそれ以上に驚いた。驚いたけれど、リサはルカリオの動きに置き去りにされることは決してなかった。すべてを視認できなくとも、姿を見失っても、ルカリオがどう動きたいのか、どう戦いたいのか、一挙手一投足にはどんな意味をがあるのか、リサはしっかりと理解していた。縦横無尽に駆けまわり、全力で戦う天才を、リサは――もうひとりぼっちにはしなかった。 なぜって、あたしはルカリオのトレーナーなんだから。 ルカリオに適切な指示を出してやれる。ルカリオといっしょに戦っている。あたしたちは孤独じゃない。その実感が、喜びとともに湧きあがる。 ――ルカリオ。 楽しいね、ルカリオ。楽しいね。 あなたがこんなにも楽しそうに戦うのを、あたし、はじめて見た。獰猛な、凶悪な笑みを浮かべているけれど、その心が喜びに溢れていることを、強く感じる。 強敵に立ち向かう。勝つために全力を尽くす。ポケモンバトルって、こんなに楽しい。 戦いというのはこうでなくちゃならない。この戦いを乗り越えてこその勝利だ。 あたしはそれを、あなたに教えてあげられなかった。 ルカリオ。ごめんね。 あなたがどんな悲しみのなかで生きてきたのか、あたしはひとつも理解していなかった。 あなたがどんなにか孤独に苛まれていたかを、いちばん近くにいたあたしが気づいてあげなくちゃいけなかったのに。 バカなトレーナーだった。本当に、バカだった。 たくさん、たくさん謝りたい。 だから、とリサは思う。 ルカリオ。いっしょに戦おう。全力で、思うままに、精一杯。 そして、勝つんだ。 なぜって、あたしはカロスチャンピオンだから。あなたはカロス最強のポケモンだから。 ――たかだか、最強をふたり相手にした程度では、あたしたちは負けられないのよ! バシャーモ。あなたもそうでしょ? 最強のあたしたちふたりに勝ちたいでしょ? だから、受け止めて。あなたはあたしの最初のパートナー。だからあたしたちの本気を、あなたは受け止めてほしい。それを乗り越えていけるあなたであってほしい! もはや、なりふりかまってはいられない。考えうるすべての策を試し、この布陣を打ち崩さなければ、一向に埒が明かない。リサは今一度、決意を固めた。 「ルカリオ!」と、リサは呼びかける。「地面を!」 リサの声が届く。拳を繰りだすように見せかけて、指示を受けたルカリオが地面に波導を叩きつけた。瞬間、地表が爆散し、水にこぼした血のように煙が膨れあがり、大量の土と草が一斉に飛び散る。 煙が濃すぎてバシャーモは目を開けていられなかった。しまった。リサが土壇場でこんな手段に出るとは思いもしなかった。その瞬間に波導が迫る。左足を包む毛に触れたその一瞬で、バシャーモは波導の存在を察知して避け、波導の角度からルカリオの位置を勘で逆算し、炎の柱を四つ一度に水平に放って反撃する。さらにルカリオが反撃。迫る拳が喉元を狙う。空気の流れを読んだバシャーモが体を傾けて避け、肩をかすめた拳が肉を抉り、骨を砕いて過ぎていく。 セレナは毒づく。煙幕。なんと原始的な――しかし、なんと効果的なことか。あの天才が、こんな戦い方を見せるとは驚いた。 ともあれ、あの煙のなかにいるのはまずい。 視界を奪われたバシャーモの格闘能力は激減してしまう。だがルカリオは“みやぶる”の効果で環境を常に把握している。目に頼れないこの状況ではバシャーモの分が悪い。ミュウツーとアブソルは煙に惑わされず、それぞれの能力で正確に相手の位置を割りだして遠距離攻撃を放てるが、こちらの攻撃は力の余波で補足されやすく、あちらの波導は発生が一瞬で伏線行動のさらに予備動作から見抜けなければ対応が難しい。 セレナとカルムはそれぞれ指示を出し、リサもまたルカリオにそれを伝えた。互いに、相手に行動を悟られぬよう、曖昧なニュアンスで、必要最低限の言葉だけを口にする。 バシャーモが飛んだ。一直線ではなく、ランダムに向きを変えながら距離を取る。この煙から脱出しなくてはならない。煙の切れ目を見つけ、濃度が急激に薄まる。 読まれていた。 強烈な一撃を右腕にこめながら、ルカリオが頭上から落ちてきた。 それをさらにセレナは読んでいた。セレナが指示を出し、アブソルが予知能力で位置を予測して、ルカリオの背後から刃の一撃を見舞った。それは恐ろしく的確な行動予測。バシャーモへの攻撃を遮り、敵の隙を叩くための最適の一手。アブソルの予知能力は、戦いのなかで研ぎ澄まされていく。 最初、正直にいえば侮っていた。セレナがいかに強かろうと、メガシンカしようと、アブソルは何度も見た敵だった。特別強力なポケモンでもなく、目を引くほどの異能をもつわけでもない。ほとんど度外視していたほどだ。しかし戦いが始まると、相手がなにをしても、どこにいても構わないという驚愕のステータスをアブソルがもっていることを、リサとルカリオはすぐに理解した。あの煙幕のなかで、これほどまでに正確に敵の動きを読むことができるのは、このアブソルだけだ。 だが、その攻撃はかわされた。おまけに浅かった。 ルカリオは信じがたいような動きで&ruby(たい){体};を入れ換えようとした。アブソルの刃はルカリオを外し、バシャーモへの一撃を不発に留めただけに終わった。“でんじふゆう”を使って、ルカリオが即座に真横に逃げる。 バシャーモは思う。この戦いが始まって、もうどれくらい経ったのか。 手傷は何度も負った。八本あった加速剤もすでに六本を消費した。記憶は曖昧だが、あれを立て続けに使ったはずはないから、もう相当の時間が過ぎているはずだ。バシャーモは自分の時間の感覚が信用できず、太陽の角度から大雑把に計算した。 ものすごい数字が出た。 二時間と半分くらいだった。 ――どうだ。 たいしたもんだ。まだワカシャモだったとき、徹底的に自分を打ち負かしたやつを相手に、自分は二時間と半分も戦えている。 さすがにこんな長い戦闘は、はじめてだ。カロスの歴史上でもはじめてのことかもしれない。 あいつも、たいしたものだ。三匹のポケモンを相手にこれだけ勝負が長引いているのに、その動きは衰えない。 ――ルカリオ。 コルニのルカリオにとどめを刺す瞬間に見せた、あの目。あいつが戦うとき、いつも決まってあの目をするのを、ずっとそばで見てきた。 相手を憐れみ、自分の呪う、どうしようもない絶望のまなざし。 ……だから、なんだ? おまえが自分を責めているから、ほかには誰も、なにも言う権利はないということか? ふざけるな!! おまえがどう思ったところで、誰も、すこしも救われやしない。戦って、勝つ瞬間にだけ哀れんで、それ以外はまるで省みたことなどなかったくせに! バシャーモは知っている。リサが常にトレーナーとして正しかったわけではないことを。いつも悩みながら、正解を模索してきたことを。そんな彼女と旅を続けながら、自分もいっしょに成長してきたのだから。 だから――否定するのだ。おまえのすべてを。おまえがやすやすと受け入れる死という希望を! ――来る。 ルカリオは、傷にまみれた体を緊張させる。真上にはミュウツーがいた。 咆えながら突撃してきたバシャーモへ、あえて自分から、ルカリオは迫る。アブソルをまだ振り切っていないにも関わらず、バシャーモめがけてまっすぐ突き進んだ。 この二時間半。踏みこむことを恐れて退がるでもなく、狂に身を任せて暴れるでもなく、ルカリオは耐え忍んできた。なんと気の遠くなる作業だったことか。だからこそ、耐えに耐えて見つけ出した間隙より切り拓いたこの攻めの手を緩められない。 ルカリオも、そしてリサもわかっていた。このまま一気に終わらせてしまうべきだと。 直接照準。 間合いに入った。 バシャーモの拳と、テレポートで後ろに現れたミュウツーの刃が交錯した。 長い一瞬だった。ルカリオは信じられないことをやってのけた。頭を反らし、突きだされた拳を抱きこみ、走る勢いを利用して体を振り回し、バシャーモの拳を殺すと同時に腕を折り、背後のミュウツーの不可視の刃を紙一重でかわした。 ルカリオがバシャーモの体を蹴って、地面へ落ちる。体を屈めて着地し、丸めた体を伸ばす反動で、再びバシャーモに襲いかかった。バシャーモは折られていない左腕に炎を纏わせながら振りあげ、向かってくるルカリオとの激突コースに振りおろす。 その瞬間、どちらも相手の心配をした。 バシャーモは思う。馬鹿野郎、そっちじゃない! それじゃ避けられない! ルカリオは思う。なにをやってるんだノロマ! それで間にあうわけがない! 最後の隙だった。 バシャーモはすれ違いざま、三発の波導をその身に受けた。 ルカリオは、バシャーモに襲いかかることも、着地して距離をとることも、失敗した。跳躍した勢いのまま飛び去ろうとして、がくんと止まった。 空中で、ルカリオがもがく。ミュウツーの念力だった。バシャーモを襲う瞬間、不自然に攻撃方法を変えたルカリオの隙を、ミュウツーは見逃さない。全身の動きを封じる念力を、ルカリオが同じ念力で中和しようとしたところに、今度はアブソルの烈風が上から吹きつけた。局地的な重力が発生したかのように背中が押され、地面体が押しつけられる。 後ろから、ルカリオの首に腕が絡みつく。バシャーモの左腕だった。そのまま体を起こし、ルカリオの足が地面から離れたところで、折れた右腕がさらに首に絡む。力強い腕だったが、それは締め殺す強さではない。捕らえて逃さないための、首輪のような腕だった。 ルカリオは、頭だけで振り返った。横目に見ると、バシャーモの目とかちりとぶつかった。 一秒が過ぎ、二秒が過ぎた。 ――ついに、捕まえた。 もう絶対に離さない。二度と逃しはしない。 かけがえのないものを。ずっと夢に見ていたものを。本当に抱きとめて手放したくなかったはずのものを。 ミュウツーとアブソルが、その場から退避した。 「オーバーヒート!」と、カルムが叫んだ。 「みずのはどう!」と、リサが叫んだ。 セレナは思った。 本当の勝負に、作戦なんてないとカルムは言っていた。それはつまり、作戦もたたなければ、同情のしようもないということなのだ。同情のしようがないから、どんなことをしてでも相手に勝ちたいと思うのだ。そういう最初の一回目だけが、本当の真剣勝負。本当に恐ろしいのも、本当に真剣になれるのも、その最初の一回目だけ。 だからそれは――あるいは、求愛ダンスのようなものなのかもしれない。セレナはそう思う。 ルカリオが吼える。 ――調子に乗るなよ。 バシャーモが吼える。 ――いいや、調子に乗る。なぜって、おまえの前だから。 カルムの腕で、メガリングが輝いた。カルムとバシャーモの、勝利への想いがひとつになり、絆が生まれる。 力がほしい。 敵を倒すための力がほしい。 持てる限りのすべて力で、勝ちたい――!! メガシンカの輝きとともに、煮えたぎる血液に乗り、熱の力が循環し、心臓部に集まる。胸が裂けるほどのエネルギー。一点に集められた炎が拡散し、放出された。 巨大な轟炎の渦球が現れる。円形の炎のドームが周囲の草叢を音もなく焼き尽くし、大地を融解させマグマへ変えた。 同時に、地面から水の瀑布が押し寄せる。 そこは陸の上であり、また湖の底でもあった。濁流の海原がポケモンの海へ具現する。幾重もの波がうず高く天まで積まれて壁となり、渦となり、手当たり次第に景色を舐める。 十数年前、はるかホウエン地方で伝説のポケモンが巻き起こした天変地異。それを食い止めた少年少女がもしこの場にいたなら、こう言っただろう。 これは“みずのはどう”などではない。 “こんげんのはどう”だと。 ――遊ぼう、ルカリオ。 ――喜んで、バシャーモ。 これが最後になる。 この全力の一撃が、この戦いを終わらせる。誰もが、そう確信していた。 炎と、水のぶつかりあい。 その中心で、二匹のポケモンが吼え続けた。 獲物を狩る獣のように。求愛ダンスのように。かけがえのない絆のように。 バシャーモがなにを言いたいのか。なにをやりたいのか。その目を見れば、だいたいわかった。 許してくれとは思わない。そもそも、そういう次元の話ではないのだろうと、ルカリオは思う。 自分が本当はなにをしたかったのか、バシャーモはこの戦いのなかで理解した。願いを見つけていた。 抱きしめたかった。 文句を言いたかった。 殴ってやりたかった。 認めてほしかった。 驚かせたかった。 勝ちたかった。 もっといっしょに、いろんなことを経験して、そんなふうに生きていきたかった。 それがすべて、バシャーモの想いだった。 こらえていたものを吐きだすように、バシャーモは拳を振りあげ続けた。ずっとわからなかった、この戦いに臨む意味。 その想いは、ひとつの感情で表せるほど単純なものではない。 しかし、とバシャーモは思う。 それよりもなによりも、自分をあいつに刻みつけてやりたい。あいつが死んでも忘れられないほどの脅威になって、自分を置いて死んでいくことを、それこそ、死ぬほど後悔させてやりたい。そして死ぬほど謝らせてやりたい。 そして、それが果たせたならそのあとは―― また、いっしょに笑いたい。 並んでポフレをかじったあの日に戻りたい。 そのために――勝ちたかったのだ。 ルカリオではなかったのだと、バシャーモは思う。 許せなかったのは、あの日あのとき、ルカリオに負けた自分だったのだ。 ――おまえの勝ちだ。 ルカリオは、そう思った。 ――だけどおまえも、負けはしなかった。 バシャーモは、そう思った。 バシャーモは“みずのはどう”に、ルカリオは“オーバーヒート”に、そしてその両方が高熱の水蒸気で急激に体力を奪われた。 メガシンカした二匹のポケモンが、全力を振り絞った激甚の技。すべての力を出し尽くし、凶悪な破壊力の技を至近距離から受けた二匹に、もはや意識はなかった。それでもなお、ふたつの技は威力をそのままに、物理現象としてその場に留まり、二匹の全身を蝕みながら、戦場を破壊し続けた。 地面さえ蒸発するほどの高温にさらされ、戦場が荒野と化す。荒れ果てた地面を、迫りくるうず高い壁のような濁流が洗い流す。想像を絶する高温にあてられ、急速に冷やされた地面はガラス状に固まり、もはやそこに、生命の息吹は永久に芽吹かない。 爆心地のように窪んだ奇妙なガラスの中心で、まずバシャーモの足がくの字に折れ、前のめりに地面に倒れ伏した。しばし立ち尽くしていたルカリオが、地面に両膝をつき、そのままバシャーモに重なるように倒れ、クレーターのなかで動く者はいなくなった。 誰もが声を失って、その光景を見つめていた。 ポケモンの村を覆っていた、重力のような存在感。それが、跡形もなく消える。 ――ルカリオ、戦闘不能。 ――バシャーモ、戦闘不能。 ミュウツーとアブソルは、いまだ健在。 よってこの瞬間、リサとルカリオの敗北として、戦いは決着した。 やがて、誰からともなく声があがり、そして歓声に変わる。ジムリーダー、四天王、チャンピオン、バトルシャトレーヌ――この激戦を戦い抜いた全員が、勝利の雄叫びをあげた。互いを讃えあい、パートナーを労り、感謝を述べ、ある者は涙を流しながら、カルムとセレナを取り囲んで賞賛した。 ただひとり、敗北に終わったリサ以外は。 賞賛の嵐のなかから、カルムがリサを見た。セレナもリサを見た。その場の全員が、リサを見た。彼女はなにも言わず、その目はなにも語っていなかった。新しいことはなにも。 謝っていた。ねぎらっていた。そして喜んでいた。ほら、ルカリオ。あんたの願い、叶ったよ。 リサは目を閉じる。深く息をして、二度と味わうことのないこの戦場の空気を、胸いっぱいに吸いこんだ。 近くに優しい気配を感じる。カルム、セレナ、幼なじみたち――カロス中から集まってくれたみんな。 そして、吐きだした。戦いは終わったのだ。 あたしたちは――負けた。 6 「めちゃめちゃおかしなことを言おうと思うんだけど」 食べる手を止めて、カルムはリサに呼びかけた。 ポケモンセンターの応接スペースだ。午前中でも、ポケモンセンターを訪れるトレーナーは大勢いる。けれど、カルムとリサは、ふたりだけだ。 あの戦いのあと、トレーナーたちはそれぞれの街のポケモンセンターへパートナーたちを連れ帰った。 けれど、アサメタウンとメイスイタウンには、ポケモンセンターがない。よって、セレナたちはそれぞれバラバラの街にパートナーを連れていくことになった。一箇所のポケモンセンターにトレーナーが大挙すると、その街のジョーイだけでは治療が間にあわなくなるからだ。 カルムとともに戦ったバシャーモは、本来リサのパートナーだ。だからカルムとリサだけは、ビオラ・パンジーといっしょにハクダンシティのポケモンセンターにやってきた。 それで、治療を待っているあいだ、ふたりでぽつねんとしている。ビオラとパンジーはどこかへ行ってしまった。 最初のうちは、エネルギーを出しきり疲れてしまい、食事する気力もなかった。それはカルムばかりではない。今まで人前でそんな、いわばだらしないことを一度もした&ruby(ためし){例};のなかったリサが、無言で応接セットの椅子を並べて、そのうえでごろりと横になったのを見て、カルムはなにも言えなかった。 リサはこちらに背中を向けている。拒否ではなく、完全に逃避の姿勢で――とりわけオレと話したくないんだな、とカルムは思った。 カルムはテーブルに突っ伏して、切れ切れにうとうとした。テーブルからずり落ちそうになって目が覚め、どれくらい経ったかと思えば、二十分くらいだった。 お腹がぐるぐる鳴ったので、弁当を買ってきた。自分とリサのふたり分。包みを開き、ひと口頬張ったら口のなかに唾が湧いてくるほど旨かった。疲労のせいではなく、空腹でふらふらしていたのだ。 どんなときでもお腹は空く。お腹が膨れると、すこしずつでも力がでてくる。だから思いきって、リサに声をかけたのだ。 「めちゃめちゃおかしなことだけど、言ってもいい?」 カルムはもう一度言った。リサは動かず、寝たふりを決めこんでいる。ふりであることはわかっていた。背中の緊張が緩んでいない。 「なんかオレら、離婚話してる夫婦みたいだよね。お互いに気詰まりでしんどいのに、とりあえずはほかに行くところがないから、いっしょにいなくちゃならなくてさ」 椅子をごとごと動かし、リサは無精ったらしく寝返りを打ってカルムのほうを向き直ると、肘枕をついて顔を上げた。 「そのお弁当、おいしい?」 「おいしいよ」 「どんなの?」 「唐揚げと五目ライス」 リサはのっそり起き上がった。 「食べる?」 カルムが弁当の包みを差しだすと、リサは眠そうな顔をして受け取った。 「お弁当」と、リサが言った。「最近流行ってるよね」 「カントーとかジョウトの習慣なんだってね」 「お弁当の本とか、あたしのお母さんもよく見てる」 横になっていたせいで、リサの髪に寝ぐせがついている。 「カルムもホント、おかしな発想をするよね」 話があっちこっちする。カルムは唐揚げをゆっくり噛んで味わう。 「離婚話をしてる夫婦だって」呟いて、リサは思わず噴きだした。「まったく……なんなのよ」 カルムも笑った。その笑みで口がほぐれた。これまでリサを縛ってきた――リサ自身が自分を律してきた戒めが解けたのだ。 「今まで黙ってたことなんだけどね」 リサは思った。ここで話すなら話せそうだ。話してしまいたい。打ち明けてしまおう。あたしの秘密をぶちまけることで、セレナほどまでにはならなくとも、すこしはカルムに近づける。 「あたし、ルカリオが強いってこと、わかってたの。だから、バシャーモやほかのポケモンたちじゃ気まずい相手と戦うときは、いつもルカリオに頼ってた。それでね」 チャンピオンを辞めようと思うの、とは言えなかった。それより先に、カルムが言った。 「今まで黙ってたことなら、今も言わなくていいよ」 弁当を手に、リサは目をしばたたいた。 「そういう種類の話は、黙ったままにしておいたほうがいいんだ。喋っちゃおうと思うのは気の迷いなんだ」 そうなの――かな。 これはカルムの実感なんだろうか。黙ったままにしておけばよかったことを、喋ってしまった。気の迷いで。 そんな経験が、彼にはあるのだろうか。 「そうね」 リサはうなずき、弁当を食べた。急に胸が詰まってしまって、それを押し隠すためにせっせと食べた。 「リサのお父さん、一度オレたちを止めにきた」 「そうみたいね」と、リサは言った。「あたしも両親には隠してたんだけど、隠しきれるものじゃなかった」 「驚いたろうね」 リサは食べながらそっぽを向いている。顔が見えないから、カルムは率直にたずねた。 「そんなことやめろって、止められなかった?」 リサは肩越しにカルムを振り返る。「ズケズケきくのね」 「すみません」 止められなかったよ――と、リサは笑って言った。 「あたしにとって必要なことなら、気が済むまでやりなさいって言われた」 そこで笑いが消えた。「仮に、あとで後悔する羽目になっても、今は必要だと思えるなら、その気持ちに従いなさいって」 カルムはひとつ、おおきくうなずいた。本当は、立派なご両親だと言いたかった。すごいと言いたかった。でも、そういう表現で口にだしてしまうと、なにか大事なものが逃げてしまうような気がした。 弁当はからになった。蓋を閉め、包み紙できれいに包み直し、輪ゴムで止めて、使い終えたフォークを挟む。一連の仕草を、カルムはわざとゆっくりこなした。 それから言った。「リサのお父さんとお母さんのこと、オレは尊敬する」 リサは黙っていた。ややあって、唐突に言った。「いろいろ、ごめん。あたしはいいようにみんなを利用したんだよね」 「違うよ。オレたちにはオレたちの意志があった」 「コルニさん」と、また唐突にリサが言う。「泣くのを見ちゃった」 最後は見事に立ち直っていたけれど、あのときはよく泣いていた。 「リサが泣かせたんだよ。それ、ちゃんとわかっていますか」 リサはまたなにも答えない。 「あんなつらいこと、リサがコルニさんにやらせたんだよ」 寝ぼけたような声がきこえた。リサがなにか言ったのだ。 「なに?」 「最初から、みんなならやってくれるって思ってたの」 信じてた、とリサは言った。 事実、カルムたちは全員、やり遂げた。若きカロスチャンピオンの、トレーナーたちを見極める目に間違いはなかった。 「ありがとう」と、リサは言った。「カルムのことも、みんなのことも、あたしは尊敬する」 カルムは下を向いて口をつぐんだ。 それから、カルムがセレナの帽子のことを話そうとした。リサが選んでくれた、クリスマス・プレゼントだ。彼女の見立てどおり、セレナによく似合っていた。そのことで改めてお礼を言おうと思いついたとき、ジョーイがセンター内の放送でカルムとリサを呼んだ。ポケモンの治療が終わったのだ。 カウンターへ行って、カルムがミュウツーの、リサがバシャーモのモンスターボールを受け取る。 それからジョーイは、リサを治療室へ連れていった。 カルムはリサの背中を見送った。その背中には、ほんのすこしの動揺もなかった。 リサがバシャーモを連れて、ジョーイといっしょに治療室へ入ると、ルカリオが全身を管で繋がれて、酸素マスクをしながら、寝台に横になっていた。 生涯でたった一度の全力の勝負が、生涯でたった一度の敗北で終わり、すべての力を使い果たしたルカリオは、満ち足りた表情を浮かべていた。 それはもう、カロス最強の怪物だとは、誰も思わないだろう。 最期に敗北を知り、最強ではなくなったルカリオはもう、ただ一匹のポケモンなのだ。ただの大切な、リサと、バシャーモの、仲間なのだ。 リサは寝台のそばの椅子に座って、バシャーモはそのとなりに立つ。ジョーイをすこし離れたところで見守っている。 リサが言った。 「負けちゃったね。ルカリオ」 ルカリオはすこし笑った。それを見ると、リサは胸がいっぱいになって、なにを言っていいのかわからなくなって、じっと俯いた。 「あたし、あなたの力になれなくて……ごめんね」 あの戦いが始まるまで、そのことがずっと悔しくて、悲しくて、けれど口にしてしまうとルカリオを傷つけてしまいそうで、ずっと言えなかった。 ごめんね、ともう一度言おうとしたとき、ルカリオが腕を持ちあげ、手をさまよわせた。もう目がよく見えていないのだ。 リサは手をとって握った。すると、腕を通って肩へ、頬へ。それからリサの輪郭を撫でるように触れていく。鼻や口や髪をひととおり撫でて、そうしてまた肩へ戻り、ゆるくリサを引き寄せて、抱きしめた。 リサも、固く抱き返す。 「楽しかった?」 ルカリオは、うなずいた。 よかった、とリサは思った。 自分に素直になるということが、どれだけルカリオの心を満ち足りたものにしたのかを、リサは最後の戦いで知った。 そして、迷いのないルカリオは、強かった。悲しいほどに強かった。 ルカリオはリサに抱かれながら、バシャーモへ手を伸ばした。その手は拳を握っている。 戦いのなかで、信じられないほどの速度で、肉を抉り骨を砕いた、あの拳。バシャーモはそこへ、自分の拳を軽くぶつけた。 たぶん、友達になりたかったのだと、バシャーモは思う。 考えてみれば、その答えをずっと先延ばしにしていたのも、友達になりたいと思っているこいつと殺しあいなんてできない――したくない――そう思っていたからなのかもしれない。ひょっとしたら、こいつに褒めてもらいたかったのかもしれない。 けれど、あの戦いが始まるまでは、自分でもそうは思っていなかった。 ルカリオなら、わかってくれると思った。 こいつのことは昔から知ってる。まだ進化したばかりのときから、ルカリオというやつはかっこよかった。あのころ、リサはまだ無銘のトレーナーだったし、ルカリオの戦いを誰かが褒めたりもてはやしたりすることもなかったけれど、ルカリオはいつもきれいだったし、ひとりぼっちだったし、強かったし、迷いがなかった。 そしていつも、夢見るような、憧れるような、はるか彼方を見つめているような、孤独な目をしてバトルしていた。 どうすればあんなふうになれるんだろう。そう思った。あれだけの強さを持てば、それ以外のことはすべて捨てなくてはならないはずだ。ほかのあらゆるものを捨て、ひとりぼっちで強くなって、それでもルカリオは全然迷っていなかったから。 いつか勝ってやる、そう思った。こじつけた理屈の裏では、自分がすごいと認めるルカリオなら、自分のこともすごいと認めてくれるかもしれない――そう思っていた。もっと言えば、迷いのないルカリオがうらやましくて、ひどい目にあわせてやりたい――そうも思っていた。 リサと抱きあっているルカリオを見下ろして、思う。 こいつは、わかってくれたのだろうか。 それはわからない。 けれど、お互い様だと思う。自分はこいつを誰よりもすごいと思っていたけれど、そのことを、こいつはわかっていないはずだから。 リサの母だけが言った。 「つまるところあの子は、夜空の星を欲しがる子供と同じなのよ」 ぐさっ、ときた。痛いところを突かれた。図星を刺されたのだ。ごちゃごちゃ理由をこじつけてるけど、あんた要するに友達になりたいんでしょ? そんなものじゃない。この想いは、そんな安っぽい理由じゃない。 だから、戦った。ヤケになって、そんなに言うなら勝負してやる、とカルムのもとへ転がりこんだ。 わざと負けることも考えた。勝負の流れをうまく誘導し、ルカリオに気づかれないように、そのうえで殺されずに負ける方法はないだろうか。そんな考えは最後の最後、カルムたちとともにポケモンの村へやってきてからもぐずぐずと、いつまでも消えなかった。 けれど、ルカリオの目を見て、決めた。あいつが望んだとおり、全力で戦おうと。それが、ルカリオの仲間として、やり残した最後の仕事のような気がしたのだ。ルカリオのやり残した仕事を受け入れて、立ち向かうことが。 ――そう思いたい。 その程度には、自分は、こいつと友達でいることができたのかもしれない。 打ちあわせた拳を戻し、もう一度リサを抱きしめて、ルカリオは息を吐いた。長く長く、肺に溜まった空気を絞りだすように吐いた。 そうして、リサを抱きしめる腕から力が抜け、やがて寝台に落ちる。 穏やかな表情のまま、もう二度と動かないルカリオを、リサは抱きしめて離さなかった。 エピローグ この街に戻ってきて最初、意外と変わってないな――と、サナは思った。 サナが家族とともに、故郷のアサメタウンから引っ越したのは、もう二十年も前のことだ。けれど、街に足を踏み入れると、変わっていないどころか、ほとんど既視感のようなものに包みこまれた。建物の位置も、道の長さも同じだ。 ただ、人の数は減っている。シャッターを閉めている店も多い。ここ数年、アサメタウンやメイスイタウンから、ハクダンシティやミアレシティへ移住する者が増えている。要するに、便利な都会へ移り住む若者が増え、過疎化が進んでいるのだ。 すこし歩けば、かつてカルムとセレナが住んでいた家の並びが見える。これも変わっていない。けれど、カルムの家の庭にはもうサイホーンがいない。今は違う家族が住んでいるのだ。 静かだった。街道を囲む桜並木は満開で、花に彩られながらも、街は夜のように静かだった。 「サナさん」 道の反対側から呼びかけられて、サナは振り返った。春の陽光溢れる街道から目を移すと、その人物が近づいてきた。小柄でふっくらした体型に、淡いグレーのスーツを着ている女性だ。 サナは一礼した。近づいてきた人物も一礼した。 「いかがですか。故郷は」 サナは微笑んだ。「ほとんどそのままですね」 「ええ、そうらしいです」 そうか、とサナは思った。この人はアサメタウンを知らないんだ。 行きましょう、と促して、サナは女性といっしょに街を歩いた。そうして喫茶店に入る。ソファーに座り、コーヒーをふたつ注文して、彼女は手帳と、ボイス・レコーダーを内ポケットから取り出した。 彼女は雑誌記者なのだ。ポケモンパフォーマー・サナのインタビューのため、彼女はサナをたずねてきた。 「お引越しは済みましたか」 「はい。どうにか片づきました」 「お子さんは――」 「幼稚園の友達と離れたのを、まだちょっと寂しがっています」 サナの、六歳になる長男だ。最初は転居を嫌がった。お母さんが生まれ育った街へ行くんだよと&ruby(じゅんじゅん){諄々};と説いて、納得してもらうまですこし手間がかかった。 あの戦いが終わったあと、サナはアサメタウンを離れた。それからはポケモンパフォーマーという道を進み、艱難辛苦を経て、サナは新人パフォーマーとして活躍して、やがてカロスクイーンとなってからは、仕事の都合がいいミアレシティに落ち着いていた。 けれどもう、自分はクイーンを引退するべき頃あいだと思う。下り坂に差し掛かった自分は退いて、若いパフォーマーに席を譲る時期だ。そう思ったとき、サナはアサメタウンへ戻ろうと心を決めた。新居は、サナが生まれ育った家のすぐ近くにある。 アサメタウンでは仕事の便がいいとは言えず、緩やかに過疎を辿っている。元カロスクイーンであっても、ポストはすくない。それでもいつかはこの街に戻りたかったから、諦めようと思ったことは一度もない。 「サナさんは以前、ポケモンパフォーマーの研修を、この街でなさったんですよね?」 サナは苦笑した。「希望したんですが、通りませんでした。研修はコウジンタウンでした」 過去があるからかもしれません――と言いかけて、サナはやめた。それを察したのか、女性は微笑んで言った。 「サナさんたちのあの戦いは、カロスの伝説ですから」 「伝説ですか」 「歴史と言ってもいいかしら。伝説も歴史も、そうなるまでには年月がかかるものです」 ようこそ戻られました、と女性は言った。 「おかえりなさい」 その言葉は、水が流れるように滑らかに、自然に、サナの心に響いてきた。 ずっと聞きたいと思っていた言葉だった。同時に、それを聞くときにはきっとなにかがつっかえるだろうと思っていた。心の堰に。あるいは堰の名残に。 けれどそんなものはもう存在していなかった。二十年かけて、存在しなくなった。 なにより、それが嬉しい。 すこし考えてから、女性は遠慮がちに言う。「今回のインタビューは、ポケモンパフォーマー引退の件についてですが――好奇心と言えばいいでしょうかね。サナさんたちの伝説を、もうすこし詳しくお聞きしたいと思いまして」 女性の笑顔に誘われて、サナも笑った。 「ほかのルートから耳にされていませんか」 「当事者以外の話なら、いろいろ聞きましたよ。なにしろ伝説ですから」 その「いろいろ」のうちのどれくらいが、ミアレ出版のジャーナリスト・パンジーから出たものなのかなと、サナはちらりと考えた。 今でも、あの姉妹の気さくな笑顔を覚えている。懐かしくさえ感じられる。 「どんな話から始めましょうか」 女性は、つと目をしばたたいた。 「そうですね……。なにからお話しいただけますか」 丸顔と、優しいまなざし。エイセツジムのリーダー・ウルップにちょっと似ている。 「なんでもお話しできます」と、サナは言った。「どんなことでも」 サナはまっすぐに女性を見つめた。かすかに、女性がまぶしそうな顔をした。 「そう伺うだけで、じゅうぶんのような気もしますけれど」 サナはうなずいた。 「あの戦いが終わってから、あたしたち」 いちばんふさわしい言葉を探して、サナは窓から差しこむ春の日差しに目をやった。 「――友達になりました」 それぞれに歩む道は違っても、今でも友達だ。 そして、サナは語り始めた。あの戦いの始めから、ここへ至るまでの道のりを。友人たちとの軌跡を。 ――おかえりなさい。 ――ただいま。 あたしは、アサメタウンへ帰ってきた。 もう、あの冬は遠い。 けっきょく ルカリオが いちばん つよくて すごいんだよね リサとルカリオの物語は、これでおしまいです。好き勝手に書けて楽しかった。 コルニのルカリオ優遇? だって「ルカリオ最強」がテーマですからね! - なんで誰もトリックルームもトリックも催眠術も呪いも滅びの歌も使わんの? 命中率の影響を受ける催眠術はまぁ避けられるとして、ジムリーダーは頭悪い設定? あらかじめ禁止していた的な記述があったならもう一度読み直して来ます。 ――[[リング]] &new{2015-05-23 (土) 02:33:02}; - >リング氏 コメントありがとうございます。原作で繰り出されるポケモンを参考にはしましたが、からめ手や泥仕合を仕掛けるのは思いつきませんでした。どうせやるなら、そこをいかにして突破するかも描くべきでしたね。そのような戦法を原作で仕掛けてくるジムリーダー・四天王・バトルシャトレーヌがていなかったので……と言い訳しておきます。 ――[[仁王立ちクララ]] &new{2015-05-23 (土) 08:01:17}; #comment()