ポケモン小説wiki
恩返しは2割増で の変更点


 ※注意・強姦、暴力、流血、産卵シーン有。



 パリパリポリポリ……。
 初夏の眩い日差しの下、葉を食む景気のいい音が、青々と繁った枝を揺らす。
「ふふ、よく食べるねぇ、&ruby(カイコ){魁子};」
 頭のすぐ横に笑いかけながら、僕は近くに生えていたモモンの木の実をもぎ取った。
「ほら、木の実も食べなよ。ずっと僕の葉っぱばかりじゃ飽きちゃうでしょ」
「……ありがと」
 細い枝の葉陰から、咀嚼混じりの応えが届く。
「でもいいよ。それは&ruby(クワ){久和};が食べて、その分もっと葉っぱを生やして。飽きたりなんかしないよ。久和の葉っぱが、一番美味しいもん」
 頬を射す微熱にくすぐられつつ、その言葉に甘えてモモンを頬張った。柔らかな甘味で喉を潤し、揺れる枝角に横目を向ける。
 緑の葉を被った芋虫が一匹、取り付いた葉を齧りながら、キラキラと光る白糸を小さな脚に絡めて何かを編んでいた。
 そのすぐ隣の枝には、同じ糸で編まれたゆりかごに、納められて吊されている小さなタマゴ。
「早く孵っておいで。一緒にパパの美味しい葉っぱ、たくさんたくさん食べましょうね」
 タマゴに囁く幸せそうな声を聴いて、僕は魁子と出会った日の回顧に想いを巡らせた。



 [[桑の葉健康茶愛飲中>狸吉]]の[[第九回短編小説大会>第九回短編小説大会のお知らせ]]参加作品
『からたち島の恋のうた・怒濤編』
 ''~恩返しは2割増で~''



 数ヶ月前。胸元や足先から冬毛が抜け落ちて、被膜が剥がれた枝角を花びらが彩り始めた頃、 
「久和、お前を自由にしてあげるよ。今までありがとう。さぁ、好きな所にお行き」
 ずっと一緒だったトレーナーから、突然解雇を言い渡された。
 理由はいまだによく解らない。ただ、その少し前に妙な宗教団体が街頭で人を集めて何やらやかましく演説していたことがあって、それを聴いてからトレーナーの様子がおかしくなったことは確かである。追いかけてすがりつこうとしてももう振り向いてはくれず、ズマだのプラだのと意味不明な言葉を呟きながら去って行ってしまった。
 いきなり野に放されても、生まれてこの方トレーナーの庇護下での暮らししか知らぬ身。どうしようもなく途方に暮れたまま、路傍の草を糧にトボトボと歩き続けたある日。
 ザシュッ!!
 不意に、大きな岩の陰から何者かが切りかかってきて、僕は咄嗟に跳び退いた。
「ちぃっ、躱されたか!」
 忌々しげに舌を打ったのは、紫色の節くれ立った虫ポケモン。両腕の鋭利な爪と、長い尾の先に生えた鋏とを高々と構えるスコルピだった。トレーナーの下で修行を積んでいなかったら、躱すこともできずに毒針を打ち込まれていただろう。
「な、何をするんだっ!? 危ないじゃないか!?」
「へっ、この原野に危ねぇもクソもあるかよ! 俺の卒業祝いに宴を開くんだ。食卓上の特等席に招待してやろうってんだからありがたくしとめられやがれ!!」
 タイプ相性で圧倒的優位な大物を狩れる好機に有頂天な様子で、スコルピは涎を垂らして得意そうに舌なめずりする。突きつけられた剣呑な殺気に身構えながらも、僕は彼の言葉に含まれた、野生ポケらしからぬ単語に首を傾げた。
「卒業?あ……そうか、君もトレーナーに解雇されたのか……」
「は? 何を言って……プッ! ギャッハハハハ!!」
 思い当たった可能性を呟くと、数瞬スコルピは怪訝そうに眉を潜め、一転して吹き出し爆笑し始めた。
「君も、ってこたぁなんでぇ、つまりお前は人間に捨てられちまったわけか!?  なっさけねぇ奴だなぁ! いやいや、お前なんかと一緒にすんなよ。俺は生粋の野生ポケだ! 卒業したってのはなぁ、童貞をだよど・う・て・い! 言わせんな恥ずかしい!!」
「あ、そう……」
 品性と限りなく縁遠い嘲笑を受けて怒る気にもなれず、これ以上付き合うまいと蹄を返した。
「それはおめでとう。恋ポケさんとお幸せに。じゃあね」
「あ! 待てやゴルァ、どこに行きやがる!?」
 たちまちスコルピは逆上し、爪と尻尾を振り上げて襲ってきた。
「ナメやがって! ポイ捨てされちまうような雑魚風情が、俺様から逃げられるとでも思って……っ!?」
 僕のいた空間を虚しく毒針で貫き、慌ててキョロキョロと左右を見回すスコルピ。
「あ、ありゃ? どこに消えやがった!?」
「生憎と――」
 狼狽える紫色の背中をめがけて、僕は、
「弱いから解雇されたってわけじゃない!!」
「ゲエェーーッ!?」
 遙か上空から降下し、重力に蹄を乗せて打ち下ろした。
 振り仰ぐ暇も与えず脇腹を抉った一撃にスコルピは軽々と吹き飛び、錐揉みしながら岩場を飛び越えて彼方に茂る草むらに転がった。
「ぐふっ! そ、そんなバカな、メブキジカが空を飛ぶなんて……!?」
「飛び跳ねる技だよ。遠い町の人間に教わったんだ。ついてなかったね……いや、むしろついていたのかな? もし僕が肉食ポケモンだったら、君が僕の胃袋行きだもの。よかったね、僕が食べ物に困ってなくて。見逃してあげるから、早く恋ポケの所に帰るといいよ」
「く……ぐぞぉっ! 覚えてやがれぇぇっ!!」
 罅割れた脇腹を庇い、身を引きずってスコルピは茂みの向こうに消えた。
 あの一撃に、僕は手心を加えていた。甘いかもしれないが、彼の恋ポケに恨まれたくなかったのだ。
 帰る相手がいるらしいスコルピに羨望を感じて、深く深く溜息を風に流し、
 再び吸い込んだ息の中に、異臭を感じたのはその時だった。
 臭いの方に耳を立てれば、微かに響く苦しげな呻き声。
「う……う……うぐっ……」
 啜り泣くような痛ましい喘ぎは、すぐ側の岩影から、最初にスコルピが現れた方向から聞こえてきていた。
 激しく胸騒ぎを感じて、大岩を回り込んで向こうを覗くと、
「……っ!?」
 惨状が、横たわっていた。
 岩に頭をもたせかけて虫の息も絶え絶えに倒れていたのは、全身に夥しく傷と痣を刻みつけられた一匹の芋虫。
 クルミルという種族名がすぐに判らなかったのは、特徴である襟の葉が跡形もなくズタスタに引き裂かれていたことと、腹がパンパンに膨らんでいたせいだ。
 腹の先端では秘穴が特に酷くザックリと引き裂かれ、滴り落ちた白く濁る粘液が地面に細い道を作っており、異臭の源はこの液体だった。
 ネットリと続く道を目で追うと、転がっていたのは潰れた半透明のチューブ。
 一部の水中系ポケモンの雄が、雌に差し込んで精液を注入するカプセルだ。
 何がこの場所で行われていたのか、吐き気がするほど明白だった。捕まえたクルミルを嬲りものにして痛めつけ、加虐の興奮を極めてカプセルを放出し、それを幼い秘穴に無理矢理ねじ込んで中身を絞り入れたのだ。愛や恋慕など一滴すらも通わぬおぞましい強姦の痕。加害者が誰なのかは、確かめるまでもない。
「スコルピめ……童貞卒業ってこのことか!? 恋ポケとかじゃなかったんだ。まだ小さな幼虫に、なんて酷いことを……!!」
 この所業を知っていれば、手加減などせずに踏み砕いてやったものを。
 あぁ、でも、これが野生の非情な世界なのだ。
 スコルピはただ、自分の血を継がせるためにできることをやっただけ。弱肉強食の世界において、それを横から責める筋はない。
 もちろん、奴を撃退したことについては、僕自身が襲われたのだから当然だ。だけど、野生の勝負に敗れたこのクルミルに、縁もゆかりもない僕が何かできるのか……!?
 今ひと時助けても、すぐにまた別の牙が彼女を襲う。それでは苦しみを長引かせるだけ。本気で救おうと思うのなら、僕は彼女の弱さをすべて背負わなければならない。野良になったばかりの僕には、余りに荷が重すぎる。
 野生の敗者は、土に還るのが掟。見捨てなければ。蹄を返して立ち去らなければ。
 ……解っていた。それなのに。
 啜り泣く声が、どんどん大きく聞こえて。
 それが、クルミルの側に跪いたせいだと自覚した時には、もう僕は声をかけていた。
「おいで」
「ひ……っ!?」
 あらぬ方向に泳いでいたクルミルの視線が、僕の方に結ばれて震え上がった。
「殺さないで、殺さないで……何でもする、何をしてもいいから、どうか命だけは……」
 か細い声で命乞いをする、大自然の荒波の中では儚すぎる命。
 それでも、僕は救いたかったから。
「大丈夫。手当をしてあげるよ。さぁ、こっちへ」
 枝角の花を、クルミルの上に翳した。
 花の香気が暴行の残臭を浄化し、毒に蝕まれていた身体を癒していく。
 瑞々しさを取り戻した頬に、噛み締めていたのであろう涙が堰を切って溢れた。
「う……うぐわあぁ~~ん!!」
 泣いてすがりつく小さな身体を抱き寄せ、汚濁が溢れる傷痕を苦いのも構わず奥まで舐め拭った。
 戦慄く鼓動を肩に感じて、ようやく気付いた。
 僕は、寂しかったんだ。
 独りぼっちになったことが、心細くて仕方がなかったんだ。だから助けた。自分を救うために。
 思えば、僕らメブキジカは、野生では群で生きるポケモン。
 僕が彼女を救うこともまた、自然の摂理だったのかもしれない。



 魁子。
 そう名乗ったクルミルもまた、僕と同様に人間の下で生まれたポケモンだった。
 ただし、野良となった理由は違う。人間たちは彼女の両親に短期間に多くの仔を望んで、最も優秀な一匹を選別し残りを全員野に放り出したのだ。
 いわゆる孵化厳選という奴だが、しかしその場合、選ばれなかった仔が命名される例は少ない。
 実は彼女は、名付けられた時点では残される仔だったらしい。ところが、直後に産まれた妹が、彼女以上に人間の望みに叶う能力を持っていたのだ。結局、妹の方が正式な魁子として残され、彼女は他の兄姉と共に出ていくことになった。手続きが面倒だからと、名前も変えられないまま。
 しばらくは兄弟で群を作って暮らしていたが、野生の風は幼いクルミルたちには冷た過ぎた。
 絶え間なく襲ってくる鳥ポケモンや虫ポケモンに兄姉たちは次々と貪り食われ、最後に生き残った彼女を捕らえたのがあのスコルピだったという。
「もう終わりだと思ったら、悔しかった。私、一体何のために生まれてきたんだろうって……どうか命だけは助けてって、一生懸命お願いしたの。そしたら……っ!」
 涙に喉を詰まらせて、魁子は口をつぐんだ。
 痛かったのだろう。辛かったのだろう。
 雄の僕には想像さえできやしない。
 だけどその地獄を乗り越えて、彼女は望み通り命を掴み取ったのだ。
「頑張ったんだね、魁子」
 頬を擦り寄せて、僕は彼女を慰めた。
「君は強い仔だよ。さすが一度は選ばれただけのことはある。きっともっと強くなれるよ。一緒に頑張ろうね」
 小さく、だけどしっかりと彼女は頷いた。
 この日から、僕の枝角に小さな家族が住み着くことになった。



 毟られた襟の葉は、繕って直された。
 身体に刻まれた傷も、若い彼女のこと、すぐに跡形もなく消え去った。
 だけど、スコルピが魁子に仕込んだ毒だけは、僕のアロマセラピーをもってしても完全には癒してあげられなかった。
「フー! フーッ!」
 荒い吐息を断続的に繰り返す魁子の腹は、出会った時以上に丸々と膨らんでいる。
 タマゴが産道に引っかかっていた。産卵するには、やはり彼女は幼過ぎたのだ。
 設備の整った育て屋なら、魁子ぐらい幼くても安全にタマゴを作れるのだろうが、野生の環境ではひたすらリスクとの勝負になる。
 僕もアロマセラピーを駆使して何とか彼女の痛みを和らげようとしたけれど、胎内のことまではどうにもならず、せめて彼女の意識が途切れないよう、頑張れと声をかけ続けることしかできずにいた。
「ハァ、ハァ……ねぇ、久和……」
「何?」
 無力感に苛まれていた僕に、魁子が呼びかけてきた。
 何かできることを教えてくれたら、すべてをかけて叶えるつもりだった。
「この、タマゴの中にいる仔のパパは……久和、だよね……?」
「……!?」
 当然、そんなわけはない。遺伝子上の父親は、スコルピに決まっている。
 僕は彼女に種を植えた覚えはないし、そもそもメブキジカとクルミルの間にタマゴなんて作れやしない。
 それでも、僕は。
「も……もちろんだよ! この仔は僕の仔供だ!!」
 望むところだった。
 魁子がそう想ってくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。
「ほら、初めて会った時、身体の奥まで舌を入れて奇麗にしてあげただろう? それに君は、毎日僕の花や蜜を食べて、元気になってタマゴを宿したんだもの。だから僕の仔供に間違いないんだ! 決まっているじゃないか! 僕たちは、誰よりも愛し合ってきたんだから!!」
 苦悶に歪んでいた魁子の顔に、ふっと微笑みが咲いた。
 天使が舞い降りたかのような、幸せに満ちた笑みだった。
「産んでくれ! 僕の仔共を産んでくれ、魁子!!」
「う、あ、あぁ~~あっ!!」
 瞬間、一際高く呻いて、魁子は、
 ボコリ、と、白地に緑色の斑がついた楕円形の塊を、ついに産み落とした。
「やった! やったよ魁子! 僕たちの仔供だ! ありがとう魁子、愛している……!!」
「あぁ、嬉しい……私も大好きよ、久和……」
 大事を成し遂げた彼女に顔を寄せて、何度も何度も口付けを交わし合った。



 そして、今に至る。
 孵化を促進してくれるポケモンが側にいない環境では、なかなかタマゴが孵らない。いつしか僕の枝角から花は落ち、緑の葉っぱがたくさん繁る季節になっていた。
 これも天の恵みか。仔育てに備えて今もせっせと糸を吐いては編んでいる魁子にお腹いっぱい食べさせてあげられるし、孵った仔供の餌にも困らせはしない。
 愛する妻仔を、自らの身体で養える。父親となる喜びに満たされながら、僕は林道を抜けて川沿いの道へと蹄を進めた――その、時だった。
「……!? 魁子、タマゴと一緒に背中に隠れて!」
 突然感じた獰猛な殺気に、僕は警戒の声を発して身構える。
 異様な気配の出所は、道の脇を流れる川の中。
 せせらぎが飛沫を散らして持ち上がり、赤紫色の長駆が川面からそびえ立つ。
「ふーっ、さすがに奇襲は無理か……久し振りだなぁ、メブキジカ」
 鋭い眼光がギロリと睨み、幅の広いギザギザの牙を剥いた大きな口がニヤリと笑う。
 知らない顔だった。が、頭の両側から伸びている先端に鋏のついた節くれ立った双腕は、あのポケモンの尻尾と瓜二つ。
「まさか……あの時のスコルピ!?」
 ひっ……と、首の後ろで魁子が息を飲む。強ばった戦慄が、タテガミを通して伝わってきた。
「ギャハハ、律儀に覚えてやがったか。ま、今は進化してドラピオンだがな。会いたかったぜぇ。わざわざ噂から行き先を読んで待ち伏せした甲斐があったってもんだ。ここで会ったが百年目。コケにされた恨み、今こそ晴らしてやるぜ!!」
 この辺に僕の同族はいないから噂は集め易かっただろうし、どこを進もうと水辺には寄らざるを得ない。行き先さえ読めば、先回りも可能だったというわけか。しかし返り討ちの逆恨みでここまで追ってくるとは……ほとほと呆れて睨みつけてやると、ふと相手の視線が僕の後方に逸れて下卑た色を帯びた。
「おほっ、噂でクルミルを連れ歩いてると聞いちゃあいたが、やっぱ俺が筆卸しに使ったガキじゃねぇか」
 背筋がざわざわと荒ぶったのは、魁子が震えているせいだけではない。
「ヤり潰したもんだとばかり思ってたんだがなぁ。しぶてぇガキだぜ。あぁ、ってこたぁそこに大事そうに抱えてんのは、つまり俺の」
「違う!!」
 筆卸しに、使った!?
 そんな、まるでラクガキでも書き散らしたみたいにお前は魁子を……!!
 雌をポケモンとも思わぬ下衆に、これ以上魁子もタマゴも汚させはしない! 胸を張って宣言してやる!!
「このタマゴは、僕と魁子の――この娘との間に産まれた仔だ!!」
「はぁ!? んなわけねぇじゃん、何妄想してんだよ。獣の癖に虫を女房扱いしやがるたぁ、とんだ変態だな!」
「幼女加虐強姦魔に変態呼ばわりされる覚えも、タマゴの父親を名乗られる筋もない! 無事に産まれるまで大変だったんだぞ!? 世話をしてきた僕こそが父親だ!!」
「お~そうかいご苦労さん。分かった分かった、そんなに俺の使い古しが気に入ったんなら、タマゴの親父はお前ってことでかまわねぇよ」
 そう言い放ったドラピオンの顔が、ますます凶悪に歪んだ。
「要するに、孵ったガキを俺が取って食おうがヤり殺そうが、当たる罰なんざねぇってこったな! ギャハハハハ!!」
「どこまで……っ!? 指一本触れさせるものか! 魁子、しっかり掴まっていて!!」
 つくづく、手加減なんかしてやるんじゃなかった。
 ここで会ったが百年目とはこっちの台詞だ。魁子のためにも、今度こそ禍根を断つ!!
 魁子が自身とタマゴを固定する糸をタテガミに堅く結わえたことを確かめると、僕はあの時と同様に天高く飛び跳ねて、川の流れに立つドラピオンめがけて急降下しながらの蹄撃を繰り出した。
 すかさずドラピオンは鋏を振り上げて防御。だが無駄だ。飛び跳ねる攻撃は飛行技。虫ポケモンの外殻など紙のように撃ち破って――
「……なにっ!?」
「バカめ! 同じ手が効くとでも思ったか!!」
 翳された豪腕に、蹄はガッチリと受け止められた。
 硬い。スコルピの時とは比べものにならない外殻の硬さだ。いや、それ以前にこの手応えは、まるで……!?
 驚愕に硬直した一瞬を狙い、水面を割って現れた尻尾の鋏が弧を描いて僕を襲う。
「久和、危ない!!」
 魁子の警告が甲高く震える中、僕は咄嗟に後方へと跳んでいた。
 虚空に真っ赤な花びらを、舞い散らせながら。
 躱し切れなかった。鋏の先端が、わずかに足先を掠っていたのだ。
 猛毒が体内を侵略して、ザラついた悪寒が血肉を蝕む。
 川岸に着地するやすかさず深呼吸。自らの香気で毒を癒やす。しかしその間にドラピオンも川から這い上がり、双腕と尻尾、3本の鋏を巧みに繰り出してきた。枝角でいなして凌ぎつつ、僕は当惑に歯噛みする。
「くっ、どういうことだ!? 飛び跳ねる攻撃で、効果抜群の手応えを得られないなんて……もしや、進化してタイプが変わったのか!?」
「ギャハハ、そういうこった。虫の身体を捨てて悪に染め上げたこの肉体には、もうお前の半端な飛行技なんざ通じねぇのさ!!」
 得意げに責め立てるドラピオン。体格と足裁きでは僕の方に分があるが、相手は3本の鋏が自在に動き、しかもリーチが恐ろしく長いため隙がまったく見えない。その上、効果抜群の狙い目を失ったこちらに対し、向こうは毒技と虫技で弱点を突き放題。毒は感染してもすぐ治せるけれど、直撃を一発でも食らえばそれまでだ。その前に一撃で防御を破って沈黙させなければ勝機はない……!
「どうしたどうした、俺の急所か弱点でも探してんのか? 諦めな。俺のカブトアーマーに急所なんざねぇ。虫タイプを捨てた分地面技にゃあ弱いが、こんな水辺じゃ自然の力でも地震は呼べねぇだろ!?」
 くっ、すべて計算ずくか……!?
「ギャハハハハ! いいねぇその切羽詰まったツラ、ソソるぜぇ! オラオラ、そのクルミルに倣って命乞いでもしたらどうだ!? 雌とタマゴを置いてくんなら見逃してやんよ!!」
「久和……」
 張り詰めた魁子の声が自己犠牲などを口走る前に、僕は伸ばされた鋏を払い退けた。
「よく言う……! どうせ命乞いをしようが強引に振り切ろうが、逃げようとした瞬間に追い打ちをかけるくせに!!」
 逃げられる隙があるのならとっくに遠くへ飛び跳ねている。元より僕への復讐目的で襲ってきたこいつが、僕を見逃してなんかくれるわけがない。ましてや魁子たちを犠牲に生き延びるなど論外だ。
「ふん、バレバレか。まぁいい。これでますます絶望的だな。もう突破口も逃げ道もお前らにゃねぇんだよ!!」
 攻勢が更に激しさを増す。このまま防ぎ続けていてもいずれ限界がくる。
 もう当たればそれまでなんて言っていられない。余力のある内に突撃し、最悪差し違えてでも魁子とタマゴを逃がすしか手段は残されていない……!
「楽にゃ殺さねぇ。四肢をへし折って転がして、クルミルがブチ込まれる有様をたっぷり見せつけてから、ベソまみれになったツラを虫食いにしてやるぜ!!」
 ふざけるな。
 例え四肢を折られても、魁子は守り抜く!!
 歯を食いしばり、玉砕への一歩を踏み締める。

「……できたっ! 久和、これを!!」

 突然、視界の下に純白が翻った。
 ふわり、と首に巻き付けられたのは、真っ白な一枚の布地。
 透き通るほどの白さに真珠にも似た光沢を揺らめかせる、滑らかな肌触りの布が、魁子によって僕の首に巻き付けられていた。
「なっ!? これって……魁子、まさか!?」
「スカ-フよ! 私の糸で編んだの!  人間の所にいた頃に聞いてた。虫の糸で編んだスカーフは、ポケモンの技を強める効力があるって!」
 目覚ましビンタを張られたような衝撃が、心に走った。
 回顧すれば、ここ数日確かに魁子は、僕の葉っぱをひたすら食べながら、自分の糸で何かを編んでいた。
 孵る仔供のために準備をしているのだとばかり思っていたが、あれは僕に対する贈り物を、このシルクのスカーフを編んでいたのだ。
 さっきまでの戦いの中、魁子が激しく震えて張り詰めていたのも、ドラピオンに対する怯えからだけではなかった。
 全速力で作業を進めて、完成を急いでいたのだ。僕と一緒に、ずっと戦っていてくれたのだ。
「久和が私をたくさん助けてくれたように、私も久和の力になりたかった! だから!!」
 あぁ、やっぱり魁子は強い。
 出会った時から、ずっとそうだった。か弱い身体に余る逆境の中、何でもする、何をしてもいいから、と、自分にできる限りを尽くして生き抜こうとしていた。
 そんな彼女の強かな意志が、絹糸の一本一本から伝わって、熱く僕の血を沸き上がらせていく……!
「ありがとう魁子。これでエネルギー充填、120%だ!!」
「久和、勝って!!」
 差し違えなど許さぬ魁子の声援に、誓いを込めた頷きを返す。
 さきがけの子とは、よく名付けられたものだ。
 魁子こそ、僕にとって最高の導き手だ!!
「な、なんでぇなんでぇイチャイチャと!? お前らが見せつけてんじゃねぇぞゴルァ!!」
 違う次元に置いてきぼりにされていたドラピオンが、憤然とギザギザの牙を剥く。
 けれど僕は動じることなく、漲る力を全身に爆発させた。
「いいや、見せつけさせてもらうよドラピオン。魁子にもらったこの力を! 魁子に捧げるこの技を!!」
 活路を開く双角を掲げ、大地を蹴って突撃する。
「う、うおぉっ!?」
 狼狽した呻きを上げつつ、ドラピオンは鋏を振り上げてスカーフをはたき落としにかかった。
 だけど、そんな鋏なんかで僕と魁子の絆を断ち切らせはしない!!
「思い知れ! お前は、お前が傷つけた彼女の強さに敗れるんだぁーーっ!!」
 青葉が緑色の炎の如く萌え立つ枝角で、鋏を力任せに弾き飛ばす。
 がら空きになった懐に、ありったけの気合いごと角を叩き込んだ。
「ぐ、はぁ……っ!?」
 メキリ、と先端が外殻を抉る感触。勢いを殺さぬまま、首を振り上げてドラピオンを川へと放り投げる。
「ハギャアァァ~~ッ!!」
 砕けた絶叫が尾を引いて、川面を引き裂き盛大な水柱を巻き上げた。
 静まっていく波の合間に、プカリ、と赤紫の影が浮かぶ。
 油断せず身構えたが、影がピクリともせずにただ流れに運ばれて行くのを見て、ようやくひと息を吐いた。
「やったね……」
「あぁ……」
 生死のほどは分からないけれど、例え生きていたとしても、もう追いかけてはこられまい。
 絆への想いを力に変える技、恩返し。
 極限まで高めたその力を、ただ一頭僕のためだけに手編みされたシルクのスカーフで増幅。
 こんな、野生同士の戦いじゃ普通は有り得ない超威力を受けて、簡単に再起できるわけがないのだから。
「君がくれたスカーフと激励が、僕を活路に導いてくれたんだ。魁子、君と出会えて本当によかった……!!」
 感慨を飲んだ首筋に、しっとりとなじむ絹の感触。
 まるで、大きな腕に優しく抱かれているかのようだ。
「こんなに素敵なスカーフを編めるんだもの。きっと魁子は、いいママになれるね」
「えへへ……」
 茹でられたみたいに頬を染めて照れ笑いを浮かべる魁子。
 そんな僕たちに拍手を送るように、パキリ、という音が背中を叩いた。
「あ、久和、大変! タマゴに罅! もうすぐ孵りそう!!」
「な、なんだって!? どれどれ……」
 タテガミに結わえ付けていたゆりかごを魁子が外し、首を廻した僕がそっと地面に運んで、ふたりで一緒に覗き見る。
 僕が君のパパだよ。
 生まれた種族は違うけれど、僕がママのことを愛して、ママも僕のことを愛してくれたから、だから君も、いっぱい愛されてここにいるんだよ、と、産まれてくる我が仔に教えてあげられるように。



 やがて、タマゴの殻が弾け飛び、
 世界で一番幸せなクルミルの産声が、夏の川面に波紋を広げた。

 (完)

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*ノベルチェッカー結果 [#0EHnzbg]
【原稿用紙(20×20行)】	32.6(枚)
【総文字数】	10019(字)((10000字を越えているのは、大会後に追加したタイトルと著者名も含まれているため。大会中は9968字277行。))
【行数】	283(行)
【台詞:地の文】	30:69(%)|3088:6931(字)
【漢字:かな:カナ:他】	34:54:6:5(%)|3411:5433:630:545(字)
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*大会後の変更点と言い訳 [#sikM6CA]

「父さんがギャロップだったんだ」→「遠い町の人間に教わったんだ」
 これはツッコんだ人も多かったでしょう。&color(red){メブキジカの飛び跳ねるはタマゴ技ではなく、教え技です。};完璧に勘違いしてました。
 しかも正解の方が、スコルピの驚愕に合っていたわけで。本当にどうして気付かなかったorz

 一匹の芋虫が住み着くことになった。→小さな家族が住み着くことになった。
 出会ってから産卵までの間に関係性の描写が不足しているように感じたので、拾った段階で久和にとって魁子が〝家族〟になっていたことを強調するため修正しました。

「噛み砕いてやるぜ!!」→「虫食いにしてやるぜ!!」
 ドラピオンは毒技と虫技で攻めているとしたのに、技を見てみると、毒技(クロスポイズン?)、追い打ち、はたき落とす、噛み砕くとなっており、虫技がありません。この内、噛み砕くは台詞だけですので、''虫食いをすることを噛み砕くと言っているだけだということにして''、大会後に分かりやすく書き直しました。
・ドラピオン「嘘こけ! これも本当は気付いてなかっただけだろうが!!」

 なお、プラズマ団がいる頃なのに、ドラピオンが第5世代まではタマゴ技である追い打ちを覚えている件については、本当にプラズマ団かどうかをボカしていますし、第6世代では自力修得できるのだから問題なしということで。

 レベル40で進化するドラピオンが生粋の野生なら、はたき落とすも追い打ちもとっくの昔に忘れているはずな件に関しては……すみません勘弁してください。いいじゃないですか野生ポケが技を選んで覚えてたってw
・久和「いや、さすがに普通は、そこまで思い付きすらしないと思うなぁ」

*あとがき [#lFs3usj]

 ヒロインの名前が、魁子なんです。
 ……こんなテーマの扱いでいいんですか!? (大会エントリー時の見出しより)

 いや本当、こんなにもテーマを扱っちゃってよかったんでしょうかw [[前回のブロコレ脱出宣言>むげんのMappet]]を果たすべく、いつも以上にこだわりました狸吉です。おかげさまで、同点ではありますが目標を達成できました!
 今回、『かいこ』がテーマだということで、蚕→絹でシルクのスカーフをキーアイテムにしようと思い至ってからは速かったです。絹糸を吐いてスカーフを編む虫ポケ、スカーフを纏うノーマルポケにして、〝蚕〟を養う〝桑〟である草ポケ、ノーマル技で打倒するべき標的と、ドミノを倒すようにあれよあれよと話が組み上がり、ものの一週間もしないうちに9千字以上を埋められました。
 以降は1万字を越えないように気をつけつつ、文章を膨らませることに専念しました。少しでも表現に文字を割くくため、これまで使ってきた章間の記号や括弧、絶叫台詞の小文字の連続などを今回は控えています。
 以降は1万字を越えないように気をつけつつ、文章を膨らませることに専念しました。少しでも表現に文字を割くため、これまで使ってきた章間の記号や括弧、絶叫台詞の小文字の連続などを今回は控えています。
 こうして大会初日に9900字以上を投稿できたわけですが、それだけ余裕を持っても投稿後に見直すとミスやらアラやらが次々と見つかる始末。推敲は何回繰り返しても足りないものだと実感してしまいましたorz

 蚕という昆虫は、とてもか弱い生き物です。
 トゲや外殻はおろか、自らを食わせることで仲間を守れるような毒や、最低限の防御手段である保護色すら持っていません。足腰は弱く、危機から逃げるどころか枝を掴む力さえも風が吹いただけで落とされる程度。成虫になっても空は飛べません。
 人の加護の中、摘まれた桑の葉を与えられなければ生きていけず、繭を茹でられずに羽化できても、ものも食わず恋だけにすべてを捧げて数日で息絶える。何とも儚い命ですが、それでも頑張って生きて、美しい絹糸を残していくのです。
 そんなか弱さの中にある強さを、魁子というクルミルで描きたかったのでした。

 ちなみに、蠍は[[イカ>Entrainment]]と同じく精筴を分泌する動物です。雌雄が正面から抱き合った姿勢で雄が地面に精筴を設置して、その上に雌を引っ張り込んで''据え置きディルドみたいに''跨がらせるそうです。想像してみるとこれはこれでエロいですw 

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*投票時に頂いたコメントへのレス [#uzUSUcU]

>>2016/03/03(木) 08:47さん
>>どういう"恩返し"かと思いながら読んでいましたが、最後まで読んで"2割増"とはそういうことかと納得し、感心しました。感動したストーリーもさる事ながら、タイトルも秀悦でした。
 シルクのスカーフで2割増のノーマル技〝恩返し〟を放つこと、助けた恩返しに威力2割増効果のアイテムを送ること、想いを返し合う度に増していくふたりの絆と、様々な意味を含ませたタイトルだったのですが、少しネタ(&仮面の下)バレ過ぎたかな、と心配もしていましたので、評価を頂けて安堵しています。ご投票ありがとうございました!

>>2016/03/04(金) 17:50さん
>>久和と魁子の絆に泣いた。
 本当に、よくもまぁ魁子(=蚕)がシルクのスカーフを捧げるに相応しい桑の木になれるポケモンがいてくれたものです。メブキジカというポケモンを作ってくださったゲームフリークと、あなたのご投票に感謝します!

>>2016/03/05(土) 21:43さん
>>こんなにたくさんのかいこを盛り込まれては、投票せざるを得なかった……
 テーマを多数盛り込んだのも、必然性に基づいたものでした。
 メブキジカがレベルでは修得できない恩返しや飛び跳ねるを憶えるため、また、僕の世界観ではポケモンに名付けをするのは人間だけ([[特徴だけを指したあだ名は別>Roots of Fossil]])ということもあるので、久和も魁子も人間の庇護下にいた経験がなければならず、しかし恩返しの威力を決める懐き度の対象=導き手を魁子とするためには、ふたりが現在は野生であることが望ましい。つまり、〝蚕〟である〝魁子〟の物語を描くためには、トレーナーに〝解雇〟された過去を〝回顧〟しなければいけなかったのですw 投票頂きありがとうございました!

>>2016/03/05(土) 23:29さん
>>テーマって使いようですよね(?)
>>タイトルもスカーフとうまいこと絡めてあってなるほど一本取られました。糸だけに。
 見出しからテーマの使い方に注目させるように仕掛けていました。見事に引っかかってくれたようですね、糸だけにw 美味しいコメントありがとうございます!

>>2016/03/05(土) 23:36さん
>>純情な二匹にぐっときました!
 全力で雌を守る雄と、全力で雄を支える雌。種族違いながらも王道のラブ&バトル物語を目指しました。ご投票ありがとうございます!

 改めまして、皆さんのおかげで全大会通算5回目、短編小説大会では4回目の優勝と第二回以来の連続表彰台記録更新を達成できました。本当にありがとうございます! 今後も応援よろしくお願いします!!

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*コメント帳 [#E6TQr8Q]

・久和「桑の花の花言葉は『彼女のすべてが好き』。まさにこの物語にピッタリだね!」
・ドラピオン「桑の実の花言葉は『共に死のう』だけどな。末永くくたばりやがれどちくしょう」
・[[カイン>寸劇の奈落]]「僕の体色として使われた『土留め色』って桑の実の色なんだよね。つまり心中オチだったのはそういう……」
・狸吉「そ、そうだったのかぁっ!? 誰だこんな伏線を仕込んでおいたのは!?」

#pcomment(恩返しのコメント帳);
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