#include(第一回どこまでも健全選手権情報窓,notitle) &color(red){※この作品は第一回どこまでも健全選手権(?)参加作品です。そういった表現(?)が多分に含まれています。}; &size(22){「ええ!? 何もなかったって言うのかい!?」}; 「しーっ、声おっきいよぅ!」 アタイが調子っぱずれな声を上げちまったから、イエナは慌てて"お手"をするように前脚でアタイの口をむぎゅっと押さえてきた。黒のもふもふに隠れるグラエナの肉球がアタイのマズルを鼻孔ごと抑え込むもんだから、息苦しいったらありゃしない。近くに他のポケモン――牧場に暮らしているミルタンクやケンタロスたちが聞き耳を立てていないかキョロキョロ辺りを窺って、安堵の息とともにイエナはようやく前脚をどけてくれた。 「っぷは! ……か、確認するけど」 「うん」 オハナ牧場はちょうど朝の搾乳が終わったところらしく、西のせせらぎにミルタンクたちが集まってヤドンよろしくごろごろしている。いくらアタイが大声上げたからって、小屋の裏手からなら届かないだろうよ。 澄みわたった青空の東の方では、朝の陽ざしがだんだんと強さを増してきている。ヴェラ火山は元気に白い煙を吐き散らしているってのに、イエナの表情はどんよりと暗いまま。しょんぼりと三角の耳をたたんで、赤茶けた地面から懸命に生えている牧草を脚先でせっついている。いつもは元気にフリフリしている癖っ毛の尻尾はもはやお尻の下に隠れてしまっていた。……こりゃ相当参っちまってるみたいだねぇ。 「昨日アタイがシギと特訓しているあいだ、イエナは1日中アリエルと一緒だったんだよな?」 「うん」 牧草地の真ん中にぽつんと建てられた丸太小屋、その陰から背を伸ばせば小窓から中の様子が少しだけ見えた。カウンターではシギ――アタイたちのトレーナーが牧場主と何やら談笑している。イエナを連れてジョウトから越して島めぐりを始めた、新品のボーダーシャツとキャップの似合う男の子だ。今日はアリエルと山籠りすると言っていたから、きっとアタイとイエナを牧場に預ける話をつけているんだろうさ。 ともかく、アタイはすっかり意気消沈しているイエナに向かい直った。 「グラエナのイエナさんは、ひそかに思いを寄せているオシャマリのアリエルと一緒に散歩して、ご飯食べて、軽くバトルして、小川で水浴びして、横になって星空を眺めて、『月が綺麗だね』なんて見つめあったりしたワケだ」 「……うん」 「ぜんぶアタリなのかい……。まぁいいとして、同じタマゴグループの雌と雄が預かり屋さんで仲睦ましくひと晩過ごしました、と」 「……」 ひとつひとつアタイが確認していくたび、イエナは切れ長の目を曇らせる。どれも好きなひとと過ごした楽しい思い出のはずなのに、どうしてそんな暗い顔をするんだい。どんどん沈んでいく彼女の気持ちとはあべこべに、澄んだ空にでかでかと映るヴェラ火山が、もっくもっくと白い雲を立ち昇らせている。なんだか今日は一段と活発だ、ふがいないイエナに呆れて噴火でもするんじゃないかねぇ。 なにも否定しないイエナにふんふんと何度か頷いて、アタイは初めに上げた声よりもよっぽど大きく叫んでいた。 &size(30){「それで何もないはずが、ないでしょーよッ!!」}; &size(7){<&color(red){恋};をするなら&color(gray){火砕流};のように>}; 「エンニュートのアタイを色恋沙汰の嘘で騙し通そうだなんて、ずいぶん度胸あるじゃないか」 「本当に何にもなかったんだよっ! ……私だってこんなの嘘だって思いたいし……もう自信なくしちゃったな……」 「そんな落ち込むこたぁないさ、イエナは魅力的だし、雌のアタイから見てもじゅーぶん可愛いし、どちらかと言えばこんな娘をフったアリエルの方に問題があると思うけどねぇ」 「……うん、そのアリエルのことなんだけど」 萎んでいく言葉尻とともに視線を落としたイエナ。あの、実は……とつかえながら言葉を探しているらしい。顔の脇まで伸びた背中の黒い体毛を爪で所在なげに梳いている。その手でマズルを掻いたり、脚を踏みかえたりして、ようやく踏ん切りがついたのかイエナはそっと呟いた。 「……彼ね、"トレイナー"だったの」 「は?」 ちょっとの間、イエナが何と言ったかアタイには理解できなかった。 にわかには信じられないことだけど、人間の中にはアタイたちポケモンに欲情しちまう&ruby(やから){輩};がいるらしい。そういう奴らをスラング的に"ポケモナー"と呼んだりするんだけど……。"トレイナー"とはその逆で、つまりポケモンなのに人間を好きになっちまったアンポンタンどもを指す。そんな感じのニュアンスを含む言葉だったから、繊細な性格のイエナの口から出てくるものだなんて思いもしなかったもんで。 「私が勇気出してアリエルに告白しても、『……ゴメンね。どうやら僕、シギを好きになっちゃったみたいなんだ』って、それっきりで、やんわりと断られたんだ」 「……」 「それでね、そのあと彼なんて言ったと思う……って聞いてる?」 「……………………」 「どうしたの……?」 「ぶふっ。……っはは、あはははは! ごめん、&ruby(こら){堪};えきれなかった」 「ひどい!」 あーあのカマ野郎め。昔っからアタイより雌っぽい見た目してたからまさかね……と思ってたけど、ホントに目覚めていたなんてねぇ、傑作! けどイエナを泣かすなんて雄として最低だ。 ひと一倍気を使うイエナは、好きって彼に伝えるまでかなりの時間と気力をすり減らしたんだろうさ。告白されてアリエルが何て言ったかって? そんなこと簡単に想像できるねぇ。ロマンチストなアリエルのことだから、イエナよりどれだけ自分がシギを好きかって身振り手振りで熱弁したんだろうよ。目の前のイエナのことも気に掛けずにさ。 決壊した火山口からマグマがあふれ出すように、イエナはどんどん思いを吐き出していく。 「リーダーを好きになっちゃったのは仕方ないと思うけど、でもリーダーとアリエルは男の子どうしだし、そもそも人間とポケモンの恋なんて叶うはずないと思うから、そこは割り切って、私を受け入れてくれてもいいと思うのに、さ……。にへっと笑いながら『僕はこんな格好してるから、シギも案外受け入れてくれるかもね』とか、聞きたくもないこと言って……。そっか、あれはきっとわざとだったんだと思う、私に嫌われるためにあえてそんな嘘を言ったんだ……! ……ぐすっ。うぅ、くうぅん……!」 雌っぽい見た目を気にしているアリエルのことだからそれは嘘じゃなくてただの自己嫌悪だろうよ、とは言わなかった。前脚で拭うだけじゃ隠しきれないと悟ったイエナが、よたよたと近寄っておでこをアタイの胸に押し付けてくる。湿った鼻先の冷たさ、強く押せば折れそうな前脚をアタイの腰に回してぎゅっと抱きついてきた。 すっかりしょげ返っちまったイエナを見て、アタイはつくづくこう思った。 ――あぁ、たまらないわァ。 小さく震えるイエナが、可愛くて可愛くてたまらない。しおらしく縮む体を今すぐ抱き留めてやりたかった。 内心とても安堵していた。シギとの山籠もりはほとんど前日の思いつきで決められたことだったし、そのうちにイエナがアリエルと親密になろうとするだろうとはだいたい予測できていたから。けど今朝になって丸太小屋の影で小さくうずくまったイエナをリザードンの背中ごしに見つけて、アタイは躍り上がる思いだった。ああよかった、昨晩は何もなかったんだ、ってねぇ。 アタイの可愛い可愛いイエナを、あんな薄らバカどもにかすめ取られてたまるもんか。 雄ってぇのはなんであんなに単細胞なんだろうかねぇ。アタイがちょっと媚毒を盛った途端、どんな屈強な豪傑だって腑抜けたように鼻の下を伸ばしやがる。そうなりゃ全部アタイの言いなりだ。木の実を持って来いと命令すればすっ飛んで探しに行ったし、アタイを求めて雄同士を闘わせれば血まみれになってアタイの下僕になろうとした。 このあいだ暇だったもんでアリエルのエサへ吐息を吹きかけておいたら、どうやら食事のとき近くにいたシギが好きなんだと自分で勘違いしていたらしい。せっかく好意を寄せてくれていたイエナの想いを足蹴にしやがって、今や叶うはずのない恋に溺れちまっている。そのシギも昨日、トレーニングが厳しくてイラついたから指先で首筋を撫でてやれば、耐性のない&ruby(チェリンボ){童貞};は立ったまま内股をふるふる震わせて失禁しやがった。そのときの表情ったら! 「お願いだから他のみんなには言わないで……」なーんて泣きながら懇願してくる奴の顔、今思い返しただけでも笑いが込み上げてくるねぇ! けどな、雌はこうはいかないんだ。アタイがどんなに甘い吐息で誘惑しようとも、イエナはきょとんと首をかしげるだけ。「ため息なんてネトリらしくないね」なんてアタイを心配し始める始末。 だからこそ墜とし甲斐があるっつーもんさ。ひとを疑うことも知らない無垢な顔、どんな手を使ってでもその表情をとろんとろんに蕩けさせてやる。心も身体もアタイのことしか考えられないようにしてやる。 感極まったイエナがアタイの胸の中でひっく、えっぐとせぐり上げ始めた。強張る頭に手をそっと当ててあげる。触った感触、うゎ、スゴい。シギに大切に育てられてきたんだろうさ、光沢のある黒の毛皮はアタイの指を避けるみたいに流れていく。においは……いつも使っているお気に入りのシャンプーの爽快さに混じる、彼女本来の野生的な香り。気持ちをぐちゃぐちゃにかき乱され制御不能に陥ったホルモンが滲み出ているんだろうよ、いつもより濃ゆいにおいがする。 泣くイエナを胸に抱き留めていると、風に波打つ唐草色の牧草に大きな影が映った。見上げればそれはシギを背中に乗せたリザードンだ。飛んでいくのは、昨日アタイが籠もったヴェラ火山の中腹。あそこらは、シギに捕まりイエナと出会うまでアタイが棲んでいたところだ。 まだアタイが何も知らないヤトウモリのマセガキだった頃、1度だけこのヴェラ火山が大噴火を起こしたことがある。 あれはちょうど今日みたいにどこまでも晴れ渡った朝だった。前触れのない衝撃と爆音に咄嗟に茂みへと身を伏せたけれど、そう離れていない山頂を振り返って見えたのは間欠泉のように吹き上がる灼熱の火柱だった。遅れてやってきた熱風は、ヒステリックなお袋が激情したときに吹き付けてくる火炎放射よりも熱かった。爆発が火口から火山弾を打ち出して、アタイのすぐ横にぽつんと生えていた松の木を吹き飛ばしていった。 恐怖、というよりも衝撃の方が大きかったんだろうさ。「オマエら逃げるよ!」と叫ぶお袋の背中へ這いずり寄ることもできずに、アタイはただただ決壊していく山頂を眺めているだけだった。 それは雲だった。 ごうごうと立ち昇る噴煙からはぐれたみたいに、谷に向かって白い雲がなだれ込んでいった。それはくしくもお袋と兄弟たちが逃げた先で。あ、と思う間もなく雲隠れしてみんな見えなくなっちまった。飲み込まれる瞬間、振り返ったお袋と目が合ったのを覚えている。 けど、その時点ではあまり心配もしなかった。なんたって柔らかそうな雲よりも、山頂で弾けている溶岩の方がよっぽど危なっかしく見えたからねぇ。けど実際は、マグマなんかよりも雲の方がよっぽど危険だったのさ。かろうじて熱雲の直撃を避けたひとつ上の兄さんが、タイプの耐性すらものともしない強烈な高温の毒ガスに目をやられのたうち回って死んでいくのを、アタイは尾根の影から震えて見ていた。誰かさんみたいにお漏らししながら、ねぇ。アタイを残してお袋も兄弟もみんなおっ死んじまったんだって、瞬時に思い知らされたさ。見た目と危険度があべこべだなんて、タチの悪い嘘だよ、全くねぇ。それからは独りだった。吹き散らされた火山灰は10日にわたって空にはびこり、ちらちらと舞うそれらが噂に聞く雪というものだと恐怖して、がたがた震える体をなんとか押さえつけ焼け野原を逃げ惑ったもんだった。 アタイが教訓として心に誓ったことはふたつある。ひとつはだれにも頼らず、どんな手を使ってでも生きぬくこと。そしてもうひとつは――熱い想いで誰かを飲み込もうとするときは、危険そうに見えないよう嘘で優しく装うってこと。 漂う煙の奥にシギを乗せたリザードンが見えなくなって、引きつけがようやく収まってきたイエナの背中をそっと撫でた。 「シギとアリエルはもう行っちまったみたいだしさ、ホレ、今日はアタイが慰めてやるよ。アタイの胸でいっぱい&ruby(・){鳴};&ruby(・){き};&ruby(・){な};?」 「ネトリは優しいね、ありがとっ。……うぅ、くうぅ~~~ん……」 さて、これで邪魔者はいなくなった。時間もたっぷりある、どうやってイエナをアタイのものにしてやろうかねぇ。快楽に崩れる彼女の顔を想像しただけで、アタイの口許は自然と吊り上がっていた。 ---- あとがき 火砕流って怖いですよね。古代ローマのポンペイという都市が一夜にして火山灰に埋もれたという史実は有名ですが、わずか数秒のうちに2千人もの命が一瞬で奪い去られたそうな。でもだからこそ美しい。 ちなみにハワイの火山はマグマが流動質なため実際に火砕流は発生しないそうです。残念(?) ---- アリエル(せいぜんのすがた)「なんだか僕の扱いが酷すぎやしないかい?」 [[作者>水のミドリ]]「[[他の作品>青いとげ]]とリンクさせたら面白いのでは、とのご意見をいただいたので登場してもらいました。しかもあなたこの後シギさんとの恋は叶わずに捨てられますよ」 アリエル「つらっ。次はもっといい役がいいんだけれど……」 作者「たぶんもう次はないと思う」 #pcomment