#include(第十二回仮面小説大会情報窓・非官能部門,notitle) 天道虫の目 誰にでも相手にしたくない奴の一人や二人くらいはいることだろう。モリモトレン(以下、レン)にとってはヤガミ君がそういう奴であった。ヤガミ君はレンのクラスメートで、お金持ちの家の子だ。珍しいポケモンを沢山持っており、よく周りの子に自慢していた。それだけならまだしも、そのポケモンを他の子にけしかけ始めるものだからたまらない。レンもその被害者であり、ヤガミ君に最も狙われているといってもいい。なぜか? 答えはシンプルだ。ヤガミ君はレンの後ろの席に座っているためである。授業の間もしょっちゅうちょっかいを掛けては先生に怒られている。この前はレンの頭にバチュル(イッシュ地方のポケモンらしい)をのっけて、そいつが蓄えている電気でレンの髪の毛が逆立つのを見てくすくすと笑っていた。授業中は指示された時以外ポケモンをモンスターボールにしまっておかなければならない決まりになっているが、ヤガミ君はお構いなしだった。そういう時には、私が気づかれないようにボールから飛び出して、バチュルをヤガミ君に返すのだ。方法は簡単だ。まずはモンスターボールの中で「こうそくいどう」を行う。何度も何度も行って、これ以上ないくらい早く動けるようにする。その状態で、ボールを内側からこじ開けて「とんぼがえり」を使うのだ。この時、ボールの開閉音が鳴らないように注意しなければならない。万が一鳴らしてしまうと、怒られるのはヤガミ君ではなくレンになってしまう。「とんぼがえり」といっても、バチュルは悪さをしたわけではないから攻撃を行うわけではない。ただバチュルを傷つけないようにひっつかんでヤガミ君の顔に張り付け、自分はすぐさまボールに戻るだけだ。目の前の子にけしかけていたポケモンがいきなり顔に張り付いて来たら、誰だってびっくりすることだろう。ヤガミ君もその例にもれず、「わっ」と大きな声を上げた。 「ヤガミ君!」 先生の怒声が飛んだ。とはいえいつものことなので、次の瞬間には何事もなかったかのように授業を再開した。そうやって何度怒鳴られてもレンや他の面々をいじるのをやめないものだから大したものである。その執念はヤガミ君の賞賛すべき点だ。 そしてぼくもまた、ヤガミ君の被害者であった。 〇 先生に怒られたり、そうでなくても何か気に入らないことがあると、ヤガミ君は休憩時間にうっぷん晴らしをする。校庭の隅のバトルフィールドに誰かを呼び出して、その子のポケモンを徹底的に痛めつけようとするのだ。といっても、ヤガミ君が呼び出すのは大抵レンだ。そしてレンは嫌々ながら承諾する。嫌なら断れば良いのにと思うが、レンにはレンの考えがあってそうしているし、ぼくは納得してレンに従っている。 「お前のレディアン、潰してやるよ!」 高らかに宣言して、ヤガミ君はギガイアスを繰り出した。先ほど悪戯に使ったバチュルと同じ、イッシュ地方のポケモンだ。タイプは岩、重くて動きが遅い代わりに、物理的な攻守に秀でている。 対して、ぼくの力はお世辞にも強いとは言えない。ぼくだけではなく、レディアンという種族はそういうものだとレンは言っていた。特殊攻撃には強く、ちょっとやそっとでは倒れやしないけれど、ギガイアスは物理型。おまけに相性は最悪。 「ストーンエッジ!」 ヤガミ君の指示で、ギガイアスが地面から尖った岩をぶつけてきた。ストーンエッジは当たれば強力、かつ急所にも当たりやすい技。反面、溜めの大きい技なので、出所さえ掴めれば避けるのは難しくない。さらりと避けた拍子に「かげぶんしん」を使う。どこを狙っていいか迷っている間に、「こうそくいどう」でスピードを上げる。 「うちおとせ!」 命中率の低い大技から安定性のある技に切り替えてきたものの、放たれた岩は分身の一つを掠めて地面に落ちた。次々と分身が撃ち抜かれる中でも慌てず「こうそくいどう」。そして分身がすべてなくなったところでもう一度「かげぶんしん」。 「ちょこまか動きやがって! まとめて潰してやる! いわなだれだ!」 今度はそれなりの大きさの岩を雨霰と降らせる技。こればかりはよく見て避けるしか方法がない。しかしよくよく見れば隙間だらけで、十分に素早く動ける状態なら大体躱すことができる。 あとは単純だ。岩の体の脆い一点目掛けて、とんぼがえりを決め続ければいい。どんなに硬い岩にも弱所があって、そこを叩けば簡単に崩れてしまう。ぼくのように力の弱い者は何度も何度も同じ点を狙って殴り続けなければならないから、正直手が痛い。猛スピードで近づいて殴るから余計に痛い。しかしそれは相手も同じこと。ギガイアスの体は崩れはしないものの、ダメージは着実に溜まっていく。 「もう一回いわなだれだ! おい、聞いてるのか!」 ヤガミ君が喚いているけれど、もう遅い。赤い光線がぼくに飛んで、ボールに引き戻される。レンはこれ以上ぼくを外に出しておく必要はないと判断したのだ。ギガイアスは既に目を回して倒れていた。 「ちくしょう! なんで俺はお前に勝てない! なぜなんだ!」 ギガイアスをボールに戻し、ヤガミ君はレンに詰め寄った。レンは涼しい顔で言った。 「君は力と相性に頼り過ぎだ。もっと相手を見たまえ。いきなり大技を使うのはいただけないね。あんな大ぶりの攻撃じゃ、簡単に躱されてしまう。それに手の内が割れてしまうから、ああいう大技は相手を追い詰めてから使うべきだね。しかし最後のいわなだれによる絨毯爆撃はよかったと思う。ルール上はフィールドの外に出たらその時点で負けだから、フィールドを埋め尽くせばいいという発想は素晴らしいよ。ああやって動きを制限した上で、確実にストーンエッジを当てにいくのがいいと思うな」 「うるせー! それじゃお前をぶっ潰せないだろ! 一発も食らわなかったくせに、なに生意気言ってやがる!」 「ぼくは君を褒めているのさ」 「大体いわタイプはむしに強いはずだろ! なんで負けなきゃいけないんだ!」 「確かにいわタイプとひこうタイプの攻撃はむし・ひこうタイプのレディアンには致命的だ。しかし、むしタイプの攻撃はいわタイプに効かないわけじゃないからね。攻撃まで防ぎたいなら、ひこうタイプなんかの方がいいかもしれない」 「わかったよ。次はそういう奴を持ってきてやるから、顔を洗って待ってな!」 ヤガミ君はそう吐き捨てて去っていった。単純な奴だ。しかしその単純ささえもヤガミ君の良いところである。 「それを言うなら『首を洗って待て』だよ」 「う、うるせー!」 レンが大声で訂正すると、ヤガミ君は飛び上がって怒鳴り返してきた。 勢いだけで押し切ろうとするヤガミ君に対して、レンは論理的思考を好む。そのせいで話が長くなるのは玉に瑕だけれど、ぼくがヤガミ君のポケモンから酷い目に遭わされずに済んでいるのも、レンのおかげなのである。今日のような作戦だって、レンが考えて教えてくれたからできたようなものだ。事前に示し合わせている範囲のことに関しては、レンはぼくに指示を出さない。これならぼくが何をするのか相手に伝わらずに済む。よほど追い詰められてどうしようもない時だけ、聞こえるか聞こえないか分からない声で指示を飛ばす。最低限の声でも不思議とぼくの耳には届くから、変に意識する必要もない。レンはぼくの知る限り最高のトレーナーの一人だ。 〇 ヤガミ君はレンにとって関わりたくない人間であると同時に、貴重な特訓相手というべき人間であった。レンのクラスメートにもポケモンを持っている子は沢山いるのだが、レンほど多くのポケモンをとっかえひっかえする子はいない。おかげでぼくは多くのポケモンを相手にできるし、その分多くの経験を積むことができる。ヤガミ君は自慢のつもりでしかないかもしれないが、それがレンとぼくを成長させていることには気づいていないのだろうか。 次にヤガミ君はプテラを持ってきた。ひみつのこはくから復元された大昔のポケモンで、ギガイアスと同じいわタイプでありながら、ひこうタイプも兼ね備えたスピードファイターだ。 プテラとの攻撃は最初の攻撃を避けるところから始まった。よく晴れた日だったため、上空へ飛び上がったプテラを目で追うのは困難を極めた。プテラの姿が太陽と重なって眩しかった。そこから猛スピードで急降下してくるプテラを、ぎりぎりまで引きつけて躱す。硬い翼から放たれる「つばさでうつ」攻撃は、クリーンヒットすれば腕や足が切り落とされそうだ。ぼくからすれば冷や汗ものである。躱すタイミングで「こうそくいどう」を使い、スピードを上げつつ距離を取る。素の素早さはプテラの方が一回りも二回りも上だ。おまけにプテラも「こうそくいどう」を使える。技によるスピード上昇には限界があるから、ぼくが「こうそくいどう」を使ったとしてもプテラにはスピードでは敵わない。ならばどうするか。 ぼくは翅を高速で動かし、地面に足がつくかつかないかのところでプテラを待ち構えた。プテラは再び高く飛び上がり、ぼくめがけて急降下してきた。ぼくは衝突の直前に少しだけ位置をずらして躱す。プテラは放物線を描くように空へ戻り、別の角度からぼくに襲い掛かる。ぼくの目は複眼で、落ち着いて見ればどこからプテラが迫ってくるのかよく分かる。あとはぼくの反応次第だ。少しでも早ければぼくの動きに合わせて攻撃の軌道を変えられ、少しでも遅ければ一瞬で戦闘不能に追い込まれる。ドンピシャのタイミングで避けるために、ぼくは神経を研ぎ澄ませ続けなければならない。次の攻撃は触覚すれすれを通り過ぎた。次の攻撃は鞘翅を掠めた。少しずつぼくの動きに対応されつつある。 「くそっ、何で当たらないんだ!」 ヤガミ君はプテラの攻撃が避けられ続けていることが不満らしい。スピードはプテラの方が上、しかもそれほど大きく動いているわけでもないのに、ぼくはここまで一発も決定打をもらっていない。 「いわなだれで周りを囲め!」 ヤガミ君の指示が飛ぶ。プテラが岩の雨を降らせてくる。ぼくに当てようとするのではなく、ぼくの動きを制限するように配置している。いつもなら避けて安全地帯へ逃げるところだけれど、今回はそうもいかない。 「今だ、つばさでうつ!」 岩によって退路が塞がれたところに、プテラの巨体が迫る。 ぼくはまっすぐプテラの方を見て、重心を少し前に傾けた。 「とんぼがえり」 レンの声が届いたかどうかの瀬戸際、ぼくは体を沈めて前へ飛び出し、地面を蹴って急上昇した。――ちょうどプテラの顎に頭突きを当てる形で。 突然の反撃に、プテラは目を回して倒れた。戦闘不能。同時に赤い光線がぼくを包んだ。ぼくの役目は終わったようだ。 「スピード型のレディアンにスピード型のプテラを当ててきたのか。考えたね。最初の攻撃も、太陽に重なって眩しさで目を眩ませるというのはいい作戦だった」 「ちくしょう! なんで俺はお前に勝てない! なぜなんだ!」 「今日はいい勝負だったと思うけどね。当たっていればレディアンは一撃で戦闘不能になっていただろうね」 「んなこと言ったって当たってないだろうが! 生意気に余裕ぶっこきやがって!」 「君を褒めているんだよ。ちゃんとぼくの忠告に従って、有利なタイプを選んだ上で作戦を考えてきたんだろう。退路を塞がれた時にはどうしようかとおもったね」 「ぐぬぬ……こいつ、一ミリも慌ててなかったくせに……」 レンがどんなにヤガミ君を認めていても、今のヤガミ君にはちっとも響かない。きっと今日使った作戦に相当自信があったのだろう。誰だって自信を持って用意したものを簡単に打ち砕かれれば、プライドが傷つこうものだ。こうして見ると、レンの方がヤガミ君をいたぶっているように見えなくもない。 「はがねタイプのポケモンなんて持ってこられたら正直辛かったかもなぁ」 しかし都合のいいことだけは聞き逃さないらしい。レンがひとりごとのように言うと、ヤガミ君は振り向いてレンを指さした。それから、それまで落ち込んでいたのが嘘のように元気な声を上げた。 「次はけちょんけちょんにしてやるからな! 首括って待ってやがれ!」 「それを言うなら『腹を括って』だろう。首を括ったらぼくは死んでしまうよ」 「うるせー! そう言おうとしてたんだよ!」 人を指をさすのはどうかと思うが、ヤガミ君の素直さには感服する。一見ひねくれているように見えて、レンにもらったアドバイスは次の試合までに必ず克服してくるのだ。ヤガミ君との試合はレンとぼくのためだけでなく、ヤガミ君の成長にも繋がっていると思う。ヤガミ君がどう思っているかは知らないけれど、レンはそれを意図して行っているんではないだろうか。 〇 レンはクラスメートのことを○○さんとか○○君と呼ぶ。だからというわけではないけれど、ぼくもレン以外は○○さん、○○君と呼ぶようにしている。レンのことをレンと呼ぶのはレンを信頼しているからであり、同時に「モリモト君」なんて呼ぶのはよそよそしい感じがして嫌だからだ。 しかしレンはぼくにニックネームを付けようとはしない。ぼくのことは種族名の「レディアン」と呼ぶのだけれど、そもそも滅多に呼ばれることはない。呼ばれなくても、日中呼び出されるのはバトルと食事とたまの散歩のときくらいだ。ぼくがレンから離れることも少ないし、仮に離れたとしてもレンにとって必要な時にはきちんとレンのところに戻るようにしている。だからレンは眠っている間ぼくがどこへ行こうと気にしない。ぼくもそんなに遠くへ行くわけでもなく、勝手にボールから出てレンの家の屋根の上で星明りを浴びる。食事とは別に、星明りはぼくのエネルギー源なのだ。そしてレンを起こさないように部屋に戻り、静かにボールに戻る。これがぼくの毎晩の日課だった。 エネルギーを蓄えて眠り、朝になればまたレンはぼくをボールに入れたまま学校へ行く。そしてヤガミ君にちょっかいを掛けられ、人知れず反撃して、頭にきたヤガミ君とバトルをする。 この日、ヤガミ君はアーマーガアというポケモンを連れてきた。これまた海外、ガラル地方のポケモンだ。エアームドのように鋼の翼を持つ鳥ポケモンで、故郷の空では敵なしとされるポケモンである。スピードは並だが防御面は物理特殊両方に優れており、更にミラーアーマーという特性を持っている。技による能力低下の効果を受けずに相手に跳ね返すというもので、下手に弱体化技を使おうものなら逆に能力を下げられて不利になるという厄介な特性だ。 その巨体を目の当たりにしたぼくは、バトルフィールドに窮屈さを感じ始めた。公式のフィールドと同じ形で作られているとはいえ、あくまで小学校の狭い校庭に設けられた場。高さ二・二メートルもあるアーマーガアが暴れるには小さすぎる。そしてその狭苦しさこそが、ヤガミ君の作戦なのだろう。これでぼくは攻撃を避けにくくなったのだ。その巨体で行動範囲を狭め、鋼の体でぼくの攻撃を受け切った上で勝利する算段なのだろう。 実際、アーマーガアの羽ばたきがぼくにとっての向かい風を引き起こすおかげで、真正面から懐に潜り込んで一発逆転を狙う作戦は厳しそうだ。 「ドリルくちばし!」 アーマーガアが嘴を中心に回転しながら襲い来る。それだけでも盤外に吹き飛ばされそうな風が起こる。ぼくはレンが片手を振り上げて空を指すのを視認して、「こうそくいどう」と「とんぼがえり」を同時に使った。「こうそくいどう」で初速を大きくすることにより、「とんぼがえり」で大きな軌道を描いて後ろに回り込むのである。無論、これだけでは「ドリルくちばし」が完了した直後にアーマーガアが後ろを振り向けば、同じ状況に持ち込まれてしまう。しかもアーマーガアの巨体がぼくの姿を覆い隠してしまうので、レンはぼくがどこにいるのか分からない状態で指示を出さなくてはならない。だからアーマーガアが反転する瞬間に首筋を蹴って、もう一度「こうそくいどう」しながら「とんぼがえり」をつかう。レンが空を指す指は二本。二度の反転でもう一度戻ってこいということだ。 「はっ、軽い軽い。そんな攻撃じゃ、アーマーガアの守りは破れないぜ」 ヤガミ君が得意げに言うのも最もだ。背後からの攻撃とはいえ、やはり硬い。タイプ相性的に、ぼくの「とんぼがえり」ではまともなダメージを狙えそうもない。アーマーガアからすればアブリーが刺した程度でしかないだろう。そこで、レンは再び空を指し、そのままからてチョップをするように腕を振り下ろす。指示に合わせてぼくは同じ動きの中にもう一つの技を混ぜる。 「くそっ、ちょこまか動き回りやがって!」 上空を介しながら手前へ奥へと跳ねるぼくに、ヤガミ君もアーマーガアも困惑している。そして、ヤガミ君に見えない位置でぼくがアーマーガアの後頭部に「マッハパンチ」のラッシュを放っていることに、ヤガミ君は気づいていない。アーマーガアの巨体はヤガミ君からもぼくを見えなくしているのだ。もちろん一発一発の威力は低いし、何度も殴ったところでそう与えられるダメージ量はそう多くはない。しかしその積み重ねが勝負を分けることは、ギガイアスとの戦いで証明済みだ。 痺れを切らしたアーマーガアが首だけがぐるりと振り向いたところに、全力で「マッハパンチ」をお見舞いする。狙うのは眉間、どの生き物においても急所となる場所。腕だけの力では足りないと踏んで、全体重をかけて飛び込んだ。 結果は良好。アーマーガアの体がぐらりと傾いた。 しかし。 「そのままドリルくちばし!」 アーマーガアはこちらに向けた顔をそのままに、強引に体を回転させて突進してきた。これにはもう、なすすべがなかった。回転に巻き込まれ、背中をついたのがバトルフィールドの外だった。場外でアーマーガアの勝ち。かと思われたが、技を終えたアーマーガアはそのまま不時着して動かなくなった。引き分けとも取れるが、今回はぼくの方が先に敗北の条件を満たしてしまった。ぼくの負けだ。 「へへっ、俺だって、やるときゃやるんだぜ」 アーマーガアをボールに戻し、ヤガミ君は得意げに言った。それが虚勢であることを、ぼくもレンも見抜いていた。レンに、そしてぼくに勝ったというのに、ヤガミ君はどこか物足りなさそうだった。 レンはぼくをボールには戻さず、ヤガミ君に向けて手を叩いた。 「素晴らしい一撃だった。まさかあそこからあんなふうに技を撃ってくるなんて思ってもみなかったよ」 「へっ、そこがこいつのすげぇところよ。どうだ恐れ入ったか」 「まあ、レディアンと一緒に倒れちゃったからあんまり威張れないけどね」 「うるせー! そいつのちょこまかがなければもっと早く済んでたんだ! あんなことするんなら、風で吹き飛ばしてやればよかったぜ」 「ならそうすればよかったのに」 「敢えてあれを狙ってたんだよ! お前はまんまと俺の作戦に嵌ったのさ!」 「まあ、それは認めるけどね」 笑いながら去っていくヤガミ君の背中を眺めていると、赤い光線がぼくを包み込んだ。ぼくがボールに収まる直前に、レンは小声で「ごくろうさん」と言った。 「そろそろいいかもね」 ぼくは笑顔で頷いた。それも虚勢でしかなかった。心の奥ではヤガミ君の笑い声が、乾いた叫びのようにわんわんと響き続けていた。 〇 次の日の昼、珍しくレンがヤガミ君をバトルフィールドに呼び出した。 「ヤガミ君。このレディアンは君に返すよ」 レンはバトルフィールドでヤガミ君に言った。ヤガミ君に差し出した手には、ぼくが入ったボールが握られていた。 「いらねーよ。そいつはお前のポケモンだ」 「レディアンはそう思っていないみたいだけど」 ボールが開いて、ぼくはヤガミ君と向き合った。ヤガミ君のポケモンと向き合うことは何度もあったけれど、こうしてヤガミ君と直接向き合うのは随分と久しぶりのことだった。 ぼくは本当はレンのポケモンではない。元はヤガミ君が、ヤガミ君自身の手で最初に捕まえたポケモンだった。だからヤガミ君のいいところも悪いところも全部知っている。 まだレディバだった頃に捕まったぼくは、毎日のようにヤガミ君と遊んだ。ヤガミ君はいろんな遊びを知っていて、ぼくは飽きとは無縁の生活を送っていた。その頃は、確かヤガミ君のことを名前で呼んでいた。ヤガミ君がバトルを始めるようになってからも、しばらくはぼくを見ていてくれた。ぼくのことを「最強のポケモン」と豪語していたくらいだ。しかし、それはあくまで「遊びのバトル」での話。ヤガミ君の相手は家の大人たちで、ヤガミ君のために手加減をしていた。「もっと本気で来いよ」というヤガミ君に対して制限を失くした大人たちに、ぼくは何度も負けた。ヤガミ君がトレーナーとして未熟であるのと同時に、ぼくの能力が低いことが原因だと思われた。はじめのうちはヤガミ君も「何かの間違いだ」といって、勝つための作戦を練ってくれた。ぼくはぼくで、強くなるための努力をした。ヤガミ君が持っている(親に買ってもらったと言っていた)苦い薬を飲んだり、トレーニング用の器具を使って鍛えた。野生の頃とは比べ物にならないくらい強くなったという実感がぼくにはあった。しかし、それはトレーナーのポケモンなら誰だって同じ。負けが続くにつれてヤガミ君はぼくから離れていった。いくら最初のポケモンであっても、負けず嫌いのヤガミ君にとってどんな作戦を講じても勝てないぼくはお荷物同然だった。世話だけはきっちりしてくれるものの、ヤガミ君は勝てないぼくに苛ついており、ぼくはヤガミ君に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 小学校に上がって、公の場でポケモンを持つことを許可されるようになってから、ヤガミ君はぼくをレンに渡した。ポケモンを持っていなかったレンにとって初めてのポケモンがぼくだった。そうして、ヤガミ君は強いポケモンを従えてバトルを仕掛けてきた。そうやってポケモンを持っていない子に弱いポケモンを渡し、自分の強いポケモンでねじ伏せることで、自分の方が上だと威張りたかったのかもしれない。 しかしそうはならなかった。レンはヤガミ君以上にいろんなことを知っていた。特にポケモンのこと、バトルのことに関しては詳しかった。そしてトレーナーとしても優秀だった。勝ち知らずだったぼくに本当の勝利を教えてくれたのだ。レンが教えてくれたから、ぼくはここまで強くなれたのだ。 そして、レンはぼくが十分に強くなった時、そしてそんなぼくをヤガミ君が自力で打ち負かした時、ぼくをヤガミ君に返すつもりでいた。 ぼくがヤガミ君に近づこうとすると、ヤガミ君はぼくに背を向けて言った。 「お前なんかいらないってんだよ! ちょっとモリモトの作戦で勝てたからっていい気になりやがって。それで強くなったつもりなのかよ! 昨日、俺に負けたんだろ? 俺のアーマーガアに負けたんだろ? 俺は弱いポケモンはいらないんだよ!」 口から出た言葉から裏腹に、強く握られたヤガミ君の手は震えていた。 「悔しかったら、モリモトのところでもっと強くなってみろよ。俺がどんなポケモンを持ってきても打ち負かせるくらいに強くなってみろよ。もしそうなっても、俺はお前なんかいらないんだよ!」 「素直じゃないなあ」 「うるせー!」 ヤガミ君はぼくに背を向けたまま、いつになく大きな声で怒鳴った。 「お前が最強のポケモンだってんならよ! 俺なんかに負けてんなよ!」 背中越しに放り投げたボールから出てきたのはファイアロー。カロス地方のポケモンで、ほのお・ひこうタイプ。今までに引き続き、ぼくの苦手なタイプだ。更に、獲物に襲い掛かるスピードは時速五○○キロに達するという。更に、触れた相手にやけどを負わせる特性「ほのおのからだ」を持っている場合もある。もう一つ、体力が満タンの時にひこうタイプの技を素早く繰り出せる「はやてのつばさ」という特性を持つ個体もいるが、ヤガミ君が用意したのは間違いなく「ほのおのからだ」のファイアローだ。ぼくが使う攻撃技が「とんぼがえり」と「マッハパンチ」だけだと、ヤガミ君は知っているから。 「さあ、お前の苦手なファイアローだ。打ち負かしてみろよ」 「そんな状態でどうやって指示をだすんだい?」 「うるせー! いくぞ! ブレイブバード!」 何かに縋るように、何かを振り払うように、ヤガミ君は叫んだ。ファイアローに指示を出すために振り向いたヤガミ君の目は、真っ赤に腫れていた。それでもファイアローに飛ばす指示には気迫が込められていた。絶対に負けないという意思がひしひしと感じられた。ぼくに対して有利なポケモンを使っていながらも、ぼくを警戒してくれている。そして、決して手を抜くことはない。ヤガミ君は自分にも他人にも厳しい奴なのだ。 勇猛果敢に突進してきたファイアローを、十分に距離を取って躱す。その体からほとばしるひのこがかかるだけでもぼくにとっては致命傷になりうる。やけどを負ってしまえば最後、ただでさえ弱いぼくの攻撃が、更に弱くなってしまう。しかし、ぼくが「ほのおのからだ」のファイアローに勝つためには、どうしてもファイアローに触れなければならない。 レンが腕を振り下ろすのに合わせて、ぼくは地面に「マッハパンチ」を打ち込んだ。砂煙と一緒に細かい砂利が舞い、ファイアローに降り注ぐ。即席の「すなあらし」だ。 「ふきとばせ!」 ファイアローが翼を広げ風を起こした。視界を奪う砂煙が一瞬で晴れる。風の射線から体をずらしていなければ、ぼくは場外まで吹き飛ばされていたことだろう。すかさず死角から襲い来る炎の翼を、「とんぼがえり」の動きで躱す。それから地面を蹴って高く高く飛び上がり、ファイアロー目掛けて一直線に「マッハパンチ」。 「迎え撃て! フレアドライブ!」 ファイアローもまたまっすぐに向かってくるかと思えば、炎を纏い螺旋の軌道で速度を上げながら昇ってくる。同時に、ファイアローが通った場所に炎の渦ができていく。してやられた。ぼくに攻撃しつつ残った炎で追撃する魂胆だ。 すんでのところで軌道を変えたぼくの「マッハパンチ」はファイアローの脳天を捉え、地面に叩きつけた。反動で後ろに跳んで炎の渦を辛うじて避けはしたものの、ファイアローを殴った手やら火に炙られた体がところどころ痛い。やけどを負ってしまったらしい。 「はねやすめ!」 相手に休む暇など与えない。再び地面に「マッハパンチ」。砂煙で姿を隠しつつ地を蹴って「こうそくいどう」で近づき「マッハパンチ」のラッシュ。ファイアローは全身に打ち込まれる拳を避けようともしない。まさか。 「そこだ! フレアドライブ!」 それは避けようのない一撃だった。なんとも強引な、しかしヤガミ君らしいやり方だ。ぼくはレンの足元まで吹き飛ばされた。ファイアローも無事では済まず、力なく地に落ちた。両者戦闘不能。今度こそ本当の引き分けだ。この日は早々にボールに戻された。無理もない。ここまで手酷くやられたのは久しぶりだ。 「ほら、俺は強くなってるぜ。お前ももっと強くなれよレディアン! お前ならできんだろ!」 「無茶言うなあ」 「うるせー! 俺ができるっつったらそいつはできるんだよ!」 試合前に流した涙はどこへやら、ヤガミ君はいつもの調子のよいヤガミ君に戻っていた。 「今日はこれでも善戦した方さ。だいたい君が強くなったって言ったって、毎回ポケモンが変わってるから単純な強さは測れないよね?」 「有利なタイプでも勝てなかったんだから進歩だよ進歩! さあて次はどんなポケモンで負かしてくれようかなあ!」 高笑いしながら去っていくヤガミ君の背中を見送りながら思う。悪役のような言い回しだけれど、きっと本当は―― 「本当に返さなくていいのかい?」 「いらねーって言ってるだろ!」 レンが言う通り、ヤガミ君はやっぱり素直じゃない。 〇 「モリモト、今日も付き合えよな」 「わかった、わかったからあんまり急かさないでくれたまえ」 早々に給食を食べ終わったヤガミ君が、ゆっくりとパンを齧っているレンの服を引っぱる。おそらくは、今日持ってきたポケモンによほど自信があるのだろう。しかしそれでレンが給食を食べる速度が上がるわけではない。むしろ阻害している。そのことにヤガミ君は気づいていないらしい。 「先に行って準備運動でもしておいてくれないか」 「そしたらお前が逃げるかもしれないだろ? だからこうして見張ってるんだよ。さあ、早く食べろ!」 「わかった、わかったから」 もごもごと口を動かしつつ、パンを牛乳で流し込んだ。レンとしてはあまりやりたくない食べ方だったが、ヤガミ君を待たせるとうるさいから仕方がない。 この日のお相手はロトムだ。ロトムといっても、どの家電に入り込んだかによって姿が変わる。そして今回は、冷蔵庫に入ったフロストロトムだ。でんきとこおり、ぼくの苦手な能力を二つ兼ね合わせた相手。しかしぼくの「マッハパンチ」はこおりタイプに対して有効打になる。まだ戦ったことのないぼくの苦手なタイプをまとめて選んだのだろうが、これも作戦のうちなのだろうか。 「さあ、お前が苦手なフロストロトムだ。打ち負かしてみやがれ!」 「ヤガミ君、君はそのポケモンの弱点を知っているかい?」 「かくとうだろ? 知らないと思ったか! ほうでん!」 ロトムの全身から電撃がほとばしる。威力の高い技だがこれは牽制だ。いくら電気に弱いとはいっても、攻撃範囲を広げれば広げるほど威力が落ちる。まひするのはごめんだけれど、近づかなければぼくの攻撃は当たらない。ぼくは「マッハパンチ」で突っ込んだ。電撃の網を突き破り、一気に詰め寄る。 「かかったな!」 完全に捉えたと思ったぼくの攻撃は空を切った。ぶん殴ろうとしたオレンジ色の冷蔵庫は、支えを失って地に落ちた。ロトムが冷蔵庫から抜け出して、でんき・ゴーストタイプに戻ったのだ。全身を悪寒が這いあがる。 「ほうでんだ!」 「こうそくいどう」 ロトムが「ほうでん」するよりも早く、ぼくの攻撃がロトムに直撃した。のけぞりつつも放たれた電撃を、「こうそくいどう」の加速動作で避ける。しかし完全には避けきれず、鞘翅に痺れるような感覚。体がかじかんでうまく動けなかった。悪寒だと思ったのは本物の冷気で、ロトムは冷蔵庫を放り出す直前、既に冷気を放っていたのだ。 あと一歩遅ければ戦闘不能になっていたかもしれない。いくら特殊攻撃に耐性があるとはいえ、弱点のでんきタイプ。ましてや、ロトムは特殊攻撃に特化したポケモンだ。まともに食らえばただでは済まない。加えて、ゴーストタイプが加わるとぼくの攻撃はほとんど通用しなくなる。なんとか冷蔵庫に入っている間に仕留めなければならない。……いや。 「レディアン、冷蔵庫を」 ロトムには目もくれず、ぼくは冷蔵庫に「マッハパンチ」。一般に弱いと揶揄されるぼくのパンチは、冷蔵庫をフィールドの外へ押し出した。これで、試合が終わるまでは冷蔵庫に戻れない。 「あっ、何しやがる!」 「とんぼがえり」 住処を奪われたロトムは所かまわず放電を始めた。怒っている。チャンスだ。電撃の合間を縫って、タイプ相性的には大して効かない攻撃を叩き込む。 「かげぶんしん、あやしいひかり!」 「離脱して回避」 懐に入られた時のために、絡め手も用意していたようだ。こちらも咄嗟に「かげぶんしん」で残像を残しつつ距離をとる。そして「あやしいひかり」が収まったところで、残像に体を重ねつつ「とんぼがえり」を繰り返す。相手の「かげぶんしん」は、全てのロトムを叩けるように立ち回る。これで相手にも動きの予測がしやすくなるので、できる限り複雑な軌道で。 「もう一回ほうでん!」 あとは、ヤガミ君が指示するパターンを把握してイレギュラーに気をつけつつ、唯一効果のある「とんぼがえり」で叩く。ロトムは特殊攻撃にも防御にも素早さにも秀でている代わりに、HPはあまり高くはない。程なくしてロトムが音を上げ、冷蔵庫の中に逃げ込んだ。 「あっ、こら何逃げてやがる!」 ヤガミ君ががなったけれど時すでに遅し。場外でぼくの勝ちだ。 頭から湯気を発しそうになりながら、ヤガミ君は冷蔵庫を抱えてぼくらのところにやってきた。そして落ち着いた声でぼくに言った。 「ほら、できるだろうが。お前はそれでいいんだよ」 「負けた言い訳はしなくてもいいのかい?」 「うるせー! お前が俺の作戦にまんまと引っかかった時点で、俺の勝ちみたいなもんなんだよ!」 「うむ。途中で冷蔵庫を脱ぎ捨てるのは面白い作戦だ。弱点を突くと見せかけて裏をかき、冷気の置き土産まで残していったのは良い動きだったと思うよ。その後すぐに回収しなかったのは悪手だったかもしれないけれどね」 「あっ、そうだてめーどうしてくれんだよ!」 「どうするもこうするも、あの程度じゃ壊れちゃいないだろう。そのまま入っても何の支障もないと思うけどな」 レンが言い終わる前に、お腹の扉を開けて嬉々として冷気をまき散らしていた。苦手な「ふぶき」にやられる前に、レンはぼくをボールに戻した。 「で、まだやるのかい?」 「ああ、何度だってやってやる。何度だって挑戦して、いつかお前をこてんぱんに負かしてやるのさ」 ヤガミ君はもうすっかりいつものヤガミ君だ。 「レディアン、お前も覚悟しておけよ!」 ぼくへの遠回しなエールを吐き捨てて、ヤガミ君は去っていった。 〇 結局、ヤガミ君がぼくを再び引き取ることはなかった。ぼくはレンのポケモンとして育てられ、バトルに勝ったり負けたりした。いくらレンがすごいトレーナーだといっても、いつでも勝てるわけじゃない。一般的にレディアンは能力を上げて「バトンタッチ」をするのが主流と言われる中で、レンは変わらずぼくをアタッカーとして起用し続けた。ぼくしか手持ちのポケモンがいなかったというのも一つの理由なのだけれど、それ以上にぼく自身がそうしたいと思ったのを汲んでくれたのではないかとさえ思える。 そしてヤガミ君はというと、相変わらず手持ちのポケモンはころころ移り変わり、レンに突っかかるのも変わらない。変わったところといえばチャンピオンという肩書くらいのものだ。正直なところ、憎まれっ子世に憚るという諺がよく似合うと思う。その独創的な戦術と多彩なポケモンたちで相手に手の内を悟らせない。公式戦以外のところで負けることはあれど、反省を活かして公式戦ではほぼほぼ負けなし。ぼくの最初のトレーナーとして誇らしい限りだ。 「よおモリモト。お前まだそいつを使ってんのかよ」 「君がそうさせたんだろう」 「そうだなぁ。そいつには何回負かされたか分からないからなぁ!」 ヤガミ君はにやりと笑ってボールを投げた。光の中から、今日最後の相手が現れた。 「最高のバトルをしようぜ」 「望むところだ」 ぼくのボールが開く。ぼくの視界にヤガミ君とそのポケモン、それに大勢の観客が映る。こうして向き合うのも何度目になるか分からない。きっとぼくらは、息の続く限りこうして向き合い続けるのだろう。 そして、試合開始のホイッスルが鳴った。