written by [[アカガラス]] 前編へ↓ [[スパイラル]] ---- この物語には主人公という概念が存在しません。あしからず。 ---- &size(25){スパイラル -鎖-}; ---- 「…どうだった?」 今いる場所はポケモンセンター。俺も何度か世話になったことのある場所。 人間の旅に帯同しているわけでもない、俺のような一般ポケモンからしてみれば、あまりかかわりたくない所だ。 だって基本的にここを訪れるときは、相当のダメージを受けているとか、状態異常に冒されているとか…いいことではないからだ。 あとは予防注射したり健康診断受けに行ったり、とにかく楽しくない場所だ。 そして俺が今コウに尋ねたのは…あの傷ついたブースターの容体。 「さあ……あ、でも命に別状はないとは言ってたかな。しばらくすれば良くなるんじゃねーの?」 できればもっと具体的なことを聞きたかったんだけどな。 でもコウは医者でもないしポケモンセンターで働いているわけでもない。流石にそこまでは分からないか…。 それにしても今回のコウの行動力は普段の姿から想像もつかなかった。 道路のど真ん中で車を『とうせんぼう』して、その車に無理矢理乗り込んでここまで連れてきてもらったらしい。 俺はボールに入っていたから詳しいことはよく分からないけども。 そもそも今の時代、携帯電話という便利なものがあるのにもかかわらず、ポケモンセンターに電話しようという発想がまったく思い浮かばなかったというんだから、その行動の馬鹿さ加減にはあきれる。 結果的にはコウの判断でいち早くあのブースターを手当てできたので、何も言及しなかったけど。 「コウイチ様。少々お尋ねしたいことがございますので、こちらへ……」 さっきコウがブースターを連れていったときに対応していた女医さんが話しかけてくる。 コウはどうも、と軽く会釈した後、俺とサフュアを置いて廊下のほうへ行ってしまった。 「ねえ、あのブースターさ、見つけたときにはもう倒れてたの?」 サフュアが興味津々に聞いてくる。 「まあそうだけど…」 「やっぱりあれって捨てられたポケモンだよね…。しかもすごい傷だらけで…可哀相だよ」 十中八九野生のポケモンではないだろう。そもそも野生のブースターなんてこの辺りには存在しない。 やはり人間と一緒に暮らしていたポケモンなんだろうが、あの夥しい傷跡は自然にできるものじゃない。 明らかに虐待された跡だとしか考えられなかった。。 コウと一緒にテレビを見ていると、時々だが、人間がポケモンを虐待して逮捕された、なんてニュースが目に入ってくることがある。 でもそれはたまたま不幸なポケモンが悪い人間の下にいたから起こることで、自分にはまったく関係ないと思っていた。 それがついさっき否定された。何の前触れもなく目の前に現れた。 そして、それにただ憤ることしかできない自分がここにいるのだ。 しばらくしてコウが戻ってきて、帰ろうということになった。 ブースターの様子が気にかかったが、かといって何かできることがあるわけでもない。 コウの意見に異論はなかった。 家に帰ってきたのは午後6時。空の色は確実に黒色に近づいていた。 ポケモンセンターを出たときにボールに入れられたので、どんな交通手段でここまでたどり着いたのかは分からない。 でも廃海水浴場に置いていったはずの自転車はきちんと停めてあった。 どうやって家まで辿りついたのか。もちろん気になって聞こうとしたけど、コウは自分の部屋へ直行してそのまま寝てしまった。 「疲れただけでしょ。さすがにあんなことがあっちゃね…」 姉さんは軽く笑いながらそう言う。まあ、確かに今日は非日常的な場面に遭遇したけど…疲労の原因はそれだけじゃないと思う。 夕飯の時間になってもコウは部屋から戻ってこなかった。 コウのお母さんが呼びに行ったが、結果は何も変わらなかった。 結局、その後もコウの姿を目にすることはなく、波乱の一日は終わった。 &size(20){ ~}; 翌日… 「今日は学校サボるからな」 コウは朝ごはんを食べ終わるや否や、隣でポケモンフーズを食べていた俺と姉さんにこう言い放った。 「げほっ、げほっ!」 唐突に変なことを言い出すから、思わず喉にフーズを詰まらせてしまった。 「……いきなり不良宣言されても困るんだけれど」 「そうじゃねーよ。…ポケセンに様子見に行くんだよ」 なんとなく言いたいことは分かった。頭の中には朧げに傷ついたブースターを描き出された。 確かに大切なことかもしれないけども。俺だって気になるけども。 学校をサボっていくほど大事なことではないんじゃないだろうか。 ただ俺たちは助けただけ。ポケモンセンターに運んだ時点で役目は終わったはずだ。 それに、成績も大して良くないくせに、それをさらに下げるようなマネはいくらなんでも…。 「じゃあ私もついてくー♪」 出た。 「え、だってコウの出席日…」 「よし、じゃあみんなでいくぞ」 こういうときに限って姉さんとコウは息が合う。何で俺の周りは一方向にしか考えが働かないやつばかりなんだろう。 コウのことを考えるなら、いつもどおり『葉っぱカッター』で脅すべきだ。 それでもやっぱり…ブースターのことが気にかかるのは確かだった。 「母さんと父さんには内緒な」 コウのお母さんやお父さんは二階やトイレにいたから、まずい会話は聞かれることはなかった。 「はあ…コウの成績どうなっても知らないよ?」 「つまりそれはOKってことだな」 最終的には俺も合意して、ブースターの容体を見に行くことにした。 もちろんコウの親たちにばれないように、あたかも登校するように見せかけて。 家からポケモンセンターまでの距離は自転車で40分と結構な道程だった。 「お願いします! どうしても様子を見たいんです!」 「ですが今は………」 ポケモンセンターに来てからというもの、コウは受付の女医さんとずっと口論していた。 どうやらあのブースターと会うことは出来ないらしいのだ。 女医さんの言い分は、意識はあるが多少精神が不安定なので危害を加える可能性がある、ということだった。 まあ確かにそれは一理あるな、と俺と姉さんは頷いていた。 対してコウの方はというと、とにかく会いたいの一辺倒。 論理的に説明してくる相手に分が悪いのは明白だった。ていうかなんでそんなに頑固になってるんだろう。 よほど今日のサボり休みが惜しいんだろうか。 「コウ、もういいよ、諦めよう。別に今日じゃなくてもいいじゃん。そこまでこだわることないでしょ。俺がたまたま見つけたから助けたってだけだし」 「ですけど、どうしても………」 俺の意見はコウの耳を素通りしたようだった。そのスルーの華麗さは、『怪しい光』で精神崩壊させてやろうかと思わされるほど見事なものだった。 「何言っても無駄だって。私、売店行ってるから」 姉さんも逃げた。何だこの孤立感。すごく淋しいような、哀しいような・・・。 とりあえずここを出たら『サイコキネシス』をぶつけることにしよう。 &size(20){ ~}; 部屋の外がなにやら騒がしい。このつまらない部屋の様子は変わらないけども。 そんな騒々しさよりも、窓の外から見える木に止まっている鳥ポケモンたちが歌う歌のほうがうるさかった。 でも部屋に設置してある機械から発せられる無機質な音よりは、多少は味があるかもしれないな。 …しばらく忘れていて、もう二度と思い出すことはないだろうと思っていた感情。 それが自分の中に存在していたことが嬉しかった。 頭がまだ痛む。目が覚めてからずっとこの調子だ。 一度人間の女が来て、私に繋げられている管のようなものに何かを注入したときは少し改善した。 しかしそれもすぐに効き目が切れてしまうようで、余計苛立ちが募るばかりだった。 そんなことするくらいだったら、さっさと管を引き抜いて欲しい。動くたびに絡まってしょうがない。 …なんだかさっきよりもうるさくなってきた。ドアのくもりガラスの向こうに人影のようなものが行き来している。 もしかしたらここを出られるのかもしれない。いや、それともまた気味の悪い液体を管に通しにやってきたのか。 あんな得体の知れない液体が大量に体の中を巡っていると想像しただけでも気持ちが悪いのに。 できれば前者であって欲しい。でも……ここを出たところで行くあてがない。 今更野生に戻ってやっていける自信もないし…そもそも野生なんて世界に行ったこともない。 だったらしばらくはここに留まっていたほうがいいかな。 誰かがドアの取っ手に手をかけたらしい。ギギッと不愉快な音を立てて開いた。 「お、いるな」 「お静かに…!」 そこには、ここで何度か見た白衣の人間の女、そして面識のない男一人とポケモン2匹がいた。 &size(20){ ~}; 女医さんが「203号室」のドアを開けた。多少躊躇しながらドアノブに手をかけて。 部屋の中は廊下よりも明るくて、思わず目を細める。 「お、いるな」 「お静かに…!」 コウが発した言葉どおり、ポケモン用の白い中型ベッドの上にブースターの姿はあった。 昨日見たときより体はきれいになっていたが、四肢に四方八方からいくつもの管が繋げられていて、痛々しさは倍以上だった。 目は相も変わらず閉じたままだし、昨日よりは容態は安定していると言った女医さんの言葉がなかなか信じられない。 そのブースターの姿に戸惑っていると、コウは足取り軽くベッドに近づいていった。 何をするつもりなんだろう。 「女医さん。このブースターの性別は?」 「雌ですが」 そうだったんだ。倒れてるのを発見したときは性別なんて気にする暇はなかったし、どちらでも&ruby(・・・・・){通りそうな};顔立ちだっだからわからなかった。 「それで…彼女の名前とかは…」 「今のところは不明です。元居た住所も、トレーナーの名前もわかっていません。捨てられたポケモンでしょうし、トレーナーの元に返すのは困難かと」 「つまり条件は満たしているということですね」 「まあ、ある程度は…」 …条件? コウたちはいったい何の話をしているんだ? 「コウ、私たちにわかるように話してくれない?」 姉さんが俺の気持ちをそのまま代弁してくれた。 「サフュア、ルシア、少し驚くかもしれないけど、よく聞いてくれ。すごく大事な話だ」 コウの目がいつになく真剣だ。少し緊張して脚がこわばる。 コウも自分自身を落ち着かせるためか、呼吸を深くしている。そして言った。 「彼女を引き取る」 その端的な言葉が、今までのコウの不可解な行動の謎を解いた。 と同時に、コウの背後にいた彼女の耳が…ほんの一瞬、微弱に…揺れた。 「なんで?」 真っ先に姉さんが疑問をぶつける。 「なんでって…。口ではうまく言えないけど、…なんていうか」 コウが口ごもる。 「そんな曖昧な気持ちで引き取ること考えてたの?」 「いや、それは違う」 コウは基本的に口下手だ。けど、目にはしっかりとした強固な意思が宿っていた。 「だって、そんなの一度も相談しなかったじゃん。お父さんとお母さんには? 秘密でここに来たんだからまだ何も話してないんでしょ? コウが一人で決めるのは絶対におかしいよ」 姉さんの言うことはもっともだ。俺や姉さんに言ってもどうなるものではない。 「だけど、こんな風になっちまって…放っておけないだろ」 「だからこうして保護されてるんでしょ。ルシアがたまたま見つけて、コウがそれを運び込んだ。それで終わりじゃん。責任も何もないのに、そこまでする必要ってあるの?」 「うっ……」 コウは反論できずに言葉を詰まらせる。 俺がコウの立場だとしても、反論する余地はほとんどないと引き下がるかもしれない。 「ルシアは? 何も言うことないの?」 姉さんが俺に意見を求めてくる。心の奥にある素直な気持ちを引っ張り出す。 「俺は…引き取ってもいいと思う」 きっと姉さんは不機嫌な顔をするだろうと思ったが、少し驚いた表情を見せるだけだった。 逆にコウのほうがびっくりしていたくらいだ。 「確かに姉さんの言うことは正しいと思う。でもコウだってきっと彼女に口でうまく言えないような何かを感じたから引き取りたいって思ったわけでしょ。俺はコウがちゃんとした意思と責任を持ってるって信じてるから、…あとはコウが決めればいい」 話している間に、姉さんの表情は妙に爽やかになった。 「そう……じゃああとはコウが&ruby(・・){勝手};に決めて」 姉さんはドアを勢いよく開けて出て行った。ドアノブの存在を無視していたから、100%修理費を払うことになるだろうな。 「おい、そんなに怒ることじゃ…」 そんな姉さんを追うように、コウも女医さんも出て行ってしまった。 ほんと、姉さんっていろいろな人を振り回していくよなあ。 「話は終わったの?」 唐突な後ろからの声に振り向く。 「…やっぱり起きてたんだ。」 はじめてみたその瞳は、その体に似合わない、澄んだ黒色だった。 &size(20){ ~}; 「…やっぱり起きてたんだ。」 「当たり前じゃない。もう太陽はあんなに高く昇っているのよ。眠るのは&ruby(・){彼};に失礼でしょ?」 「彼? …太陽のこと?」 うーん…見た目もそうだけど、変わったポケモンだなあ。どう応対すればいいんだろ。 「ねえ、ブラインドを開けて」 いきなり命令? 初対面なのに…。でも彼女はベッドの上で身動きが取れない状態だし、しょうがないか。 あれ、でもこの紐どうすればいいんだろ? …あ、引っ張ればいいのか。 するするっと引っ張ってブラインドを開ける。が、離すとするするっと同じ音を立てて戻ってしまった。これはどうすればいいやら… 「それを右に傾けて引っ張るのよ。そうしたら今度は左に傾けてから離すの」 ああ、そういう仕掛けなのか。まったく人間の作るものは使い方がいちいち煩わしい。 家で使えるのもリモコンとか冷蔵庫とかシャワーのレバーとか限られるし…って、それだけ使えてれば十分か。 今度はブラインドの紐を言われたとおりの正しい方向に引っ張った。すると、オレンジ色の夏の日差しが部屋を白ませる。 ブラッキーの俺には少しきつい。というか種族云々じゃなくて眩しいのが嫌いだ。 「…ふう。…ありがと」 日光に照らされた彼女の顔は心なしかさっきよりも落ち着きを感じさせる。 まるで彼女の中にある憂いのようなものが消失したような…そう感じさせる表情だった。 そう、このときまでは。 「ところで…」 彼女がおもむろに口を開く。 「あなたたちがここでしていた話…あの人間は本気で私を引き取りたいと思ってるの?」 空気が急にピンと張り詰めた気がした。いや、気のせいじゃない。 コウのことを『あの人間』と呼んだのも、何の違和感も感じることができない。 彼女の顔はさっきとうってかわって、何かおぞましいもの、それも簡単に言い表すことをはばかられるような…そんな陰が含まれていた。 「コ、コウは…」 「どうなの」 自分でも萎縮しているのがわかる。彼女の言葉、態度、表情、その鋭くとがった心に怯まされていた。 それでも、伝えるべきことは伝えなければ。 「コウは…君を引き取りたいと心の底から思っている。嘘じゃない」 「それって私が可哀相だから? そんな安易な同情はいらないよ?」 『可哀相』、彼女の口から紡がれた言葉は、俺の心情にはピタリと一致していた。 彼女の体中の傷、コウはこれを見てどんな風に思ったんだろうか。 彼女の言うような同情? 憐れみ? ……いや、コウの思考回路は根本から俺とは異なっている。 「違う。コウはそんな安い人間じゃない。おっちょこちょいだし、時々馬鹿なことをするけど、大切なことはいつだって強い意志をもって決断してた。正直、俺にも何でコウが君を引き取りたいって言い出したのかはわからないよ…?」 彼女の表情は変わらない。炎タイプのはずなのに心が完全に凍てついてしまっているようだった。 「でも、コウが君を見ていた時の眼は、そんな安直な気持ちは微塵もなかった! 絶対に!」 「あなたにはあの人間の心が読めるの? 確証もないのによくそこまで言い切れるね」 「確証なんて必要ないよ。俺はコウを信じてる」 彼女の顔の陰りがより深くなった。 「…あなたにとって、あの人間は信じるに値する存在なのね。……でも私は絶対に人間を信じることはない」 どうして! と言葉が出かかったが、何とか喉までで抑えた。 そんなこと彼女の体自身が物語っている。聞くことは愚問にすらならない。 「私は別に引き取られてもかまわない。今の私にはそれ以外の選択肢が用意されていないしね。何度もしつこいようだけど、私は人間を信じない。これからも信じるつもりはない。たとえ天と地がひっくり返ったとしてもね。それでもいい?」 …俺はいったいどう答えればいい? コウ…コウならなんて答える? ―――――――――そうだ。 そんなのわかりきってるじゃないか。 「もちろんだよ。俺たちの家に来なよ」 彼女はフッとため息をついた。その横顔に垣間見えたかすかな微笑みは、ほんの少しだけ心の扉を開いてくれたようにも見えた。 「じゃあこれからお世話になるわね。私の名前は………アノン。あなたは?」 「俺はルシア。…よろしくね、アノン」 これが、俺がはじめてアノンの名前を知った日。 &size(20){ ~}; 家の玄関前に着くと同時にモンスターボールから出された。いつも通りだ。 ただ少し違うのは、家の前のコンクリートの段を踏んでいるのがコウ、姉さん、俺、そしてもう一匹、アノンがいるということだ。 「どうだ? ここが俺の家。なかなかだろ?」 コウは自分の家の屋根の見上げながらアノンに向かって話しかけていた。 が、話しかけられた本人は家を見上げてなどいないし、コウと目を合わせているわけでもない。 ポケモンセンターにいたときからそうだった。 コウは受付の隣の窓口でアノンの引き取りに関する書類の処理に追われながら、度々アノンに話しかけていた。 そのときのアノンの反応もちょうど今と同じような感じだった。 ちなみに書類のやり取りのときにコウが未成年だということが身分証で発覚したため、親に連絡されたため、サボりがばれてしまった。 しかもそれまでに親の承諾をもらっていなかったというんだから驚きを通り越して呆れる。 あれだ、真性の馬鹿というやつだ。一応承諾はもらったみたいだが、そこで許可が下りなかったらどうするつもりだったんだろう…。 コウは返事が絶対に返ってこないと判断して、ドアを開けて入っていった。 家に入ったアノンは、その家の本当の大きさに驚いているようだった。 玄関の空間は二階まで吹きぬけている。 その天井にはまるで自分の存在を誇示するかのように、コウが『ミニ・シャンデリア』と呼んでいる照明具が吊り下げられている。 玄関先で講が言っていた言葉は誇張でもなんでもない。実際、この辺りでもかなり大きめの家だ。 「どう? ここが俺たちの家だけど…そんなに悪くないでしょ」 そんなにどころかかなり良いほうだ。 「うん。前の家なんかとは……っ」 アノンは急に口を閉ざした。『前の家』……やはりアノンの体中の傷が語っている通りの、嫌な思い出があったんだ。 アノンの悲しそうで苦しそうな顔。それが胸の中にはっきりとした形で焼きついた。 彼女を極度の人間不信に陥らせた人物とはいったいどんな顔をしていたんだろうか。 それを想像すると、怒り、憤りに近い、それでいて別種の、まるで好奇心が混ざったような感情が湧き出てくる。 もしそいつに会うことがあったならば、顔面に『シャドーボール』を撃ち込んで、『サイコキネシス』で宙に浮かせてからアスファルトの上に叩き落してやる。 …とにかく、今後アノンの過去にかかわるような話題は&ruby(タブー){禁忌};だ 時刻はちょうど2時を回ったところ。共働きのコウの両親が帰ってくる時間はまだまだだ。 「そういや昼飯まだ食べていなかったな」 そう言ってコウは棚からカップラーメンとポケモンフーズを取り出した。 平日に家で昼ごはんを食べるなんてちょっと不思議な気分だ。 いつもはボールに入れられて学校に連れて行かれるから、ほかの&ruby(ひと){生徒};のポケモンと一緒にフーズを食べている。 「アノンも食べるよね?」 台所のほうでお湯を沸かしたり皿の準備をしているコウに聞こえないような声で、アノンに確認をとった。 まさかとは思うが、いくら人間を信じないからって、コウから出された食事を食べないなんてことはないよね? 「何で人間から出されたものを口に入れなきゃいけないの? そんなの御免だから」 だよね…やっぱりそうなるか。 「だったら何を食べるの? この家に&ruby(ポケモン){俺たち};が食べられるものはほとんどないよ?」 「じゃあ外に行って木の実を取ってくる」 なるほど、悪くない意見かもしれない。けど、残念ながらそれはできない。 「この辺は住宅街だからそんな木の実を実らせている木なんてほとんどないよ」 「じゃあ食べない」 なんだか昔の姉さんと話しているみたいだ。 今もそうだけど、昔は俺の意見が姉さんに通ることなんてまずなかった。 その姉さんは傍で黙って俺たちのやり取りを聞いていて、無言を貫いていたが、ついに口を開いた。 「アノン」 「え?」 ポケモンセンターから俺とばかり話していたので、姉さんは反比例して無口になっていた。 それがアノンに与えていた印象なのかもしれない。実際は逆だが。 もしくはアノンは姉さんに自分の名前を教えていなかったのに、突然名前で呼ばれたことへの純粋な驚きか。 教えたのは俺なんだけどね。 「別にコウのことは信用しなくてもいいからさ、まずは食事しよう? じゃないと体に悪いし…今度はコウに木の実を買ってこさせるから、ね♪」 アノンの耳がピクッと動いた。 「……まあ、それならいいけど」 さりげなく明るい表情で彼女を惹かせるような言葉で巧みにアノンの意思を誘導した。 コウのことを信用しなくていいというのは、彼女にとってある意味で気楽にさせてくれる事柄なのかもしれない。 これで少しは食事面での問題が解決できそうだった。さすがは姉さんといったところだろうか。 &size(20){ ~}; さらにポケモンフーズを盛り付けて、あとは…牛乳も用意して。 カップラーメンにお湯を入れてからそろそろ3分たつ。 …粗食だな。 そんなことより、さっきから三匹でぼそぼそ喋っている話の内容が非常に気になる。 そもそも俺がアノン(名前はルシアに教えてもらった)に話しかけても無視されるのに、なんでサフュアやルシアとは喋っているんだ? やっぱりポケモン同士だと気軽に話せるんだろうか。 まあ、これは懐かれるまでの辛抱だ。出会ってすぐに仲良くできるとは思っていない。 彼女だって人間から傷つけられているんだから、容易く打ち解けることはできないだろう。 俺は彼女との間に溝を作ってるつもりはないけど、彼女の中にそれがあるならば、時間をかけてゆっくりと埋めていきたい。 ……嗚呼、普通に話せているサフュアたちが羨ましい。 &size(20){ ~}; 「ああ、やっぱインスタントはこんなもんか」 コウは湯気が立っている麺をすすりながら、味に不平を垂れていた。 こっちはこっちで気まずい空気のまま、誰も言葉を発することなく、ただひたすら黙々とフーズを食べている。 ああもう、学校のみんなと会いたかったなあ。 ていうかコウの案に賛成したのは私だから、いまさら後悔しても遅いんだけれどね…。 この前の昼食の時間にキルリアのハルが話していた話題の続きが気になって仕方がない。 ちなみにハルはいつも昼食を一緒に食べている私の女の子の友達で、ほかにもゴマゾウのアクロ(♂)、ワンリキーのリキマル(♂)、プリンのチェリー(♀)、+ルシアで昼食を囲んでいる。 こんなふうにいつも大勢で食事してるから、三匹で食べることがさびしく感じさせるのかもしれない。 それにアノンという普段とは違う面子がいるし。 ルシアは私がいない間に多少は仲良くなってたみたいだからそこそこ話せるみたいだし。 …ほんと、学校に行けばよかった。 「がっこうって何?」 「ふぇ?」 フーズを口に含もうとしていた時に話しかけられたから変な声が出ちゃった。…学校? 「アノン、学校をしってるの?」 「だってサフュア……が口に出してたから」 あれ、声に出したつもりじゃなかったのに。 でも向こうから興味持ってくれたんだから、話をつなげられる話題かも。 「学校っていうのはね、コウが通ってるところで、勉強する場所…」 ここまで喋って、しまった、と思ったときにはもう遅かった。 人間嫌いの彼女に、人間が使う場所の話をしてどうするんだ。 ほら、なんかアノンの目が曇ってきた。まるでつまらないものを見ているかのように。 ルシアも私を咎めるように睨んでいる。…弟のくせに姉を睨むな。生意気なやつだ。&color(white){こっちみんな。}; 「あ、いやでもね、私たちが勉強するわけじゃないから。ただついていって、昼食食べて友達と遊ぶだけ。別に直接人間にかかわる場所じゃないし、楽しい場所だよ!?」 私が焦ってどうする…あ、余計に目をそらしてる。人間って言葉強調しすぎたかな。でもこれ以上どう説明すればいいかわからないんだけど。 「そこって楽しいところなの?」 え、もしかして食いついた? 「うん! 友達もたくさんいるし、遊んだり話したり、バトルもできるし、ほかにももっとたくさん…」 「そんな人間がうじゃうじゃいるところが楽しいなんて思えないけどね。あななたちにとってはそうじゃないのかもしれないわね」 「そんなことないよ! アノンでも絶対気にいるって!」 アノンは結局目線を落としてまた食事をはじめてしまった。 ルシアもそれに続くように、首を横に振って、再びフーズを口に含み始めた。 うーん、やっぱりアノン相手に続くような話題じゃなかったな。 「おい、もう食べたか? 皿片付けるぞ」 結局みんな黙々と食べていたので、食事はいつもよりも全然楽しくなかった。 もっとアノンが心を開いてくれれば楽しくなると思うんだけれど…彼女の事を考えれば強要はできない。 私とルシアの皿は空っぽだったけれど、アノンの皿の上には用意されていた量から大して減っていないように見えた。 口に合わなかっただけなのか、はたまたコウが用意した食べ物だから食べたくなかったのかはわからないけど。 「サフュアぁ。俺台所片付けなきゃいけないから、適当に家ん中案内しててくれ」 そうだね、アノンにはもしかしたら一生住まなければいけない家かもしないし。それが彼女の本意かどうかは別として。 「アノン、私たちの部屋に来る?」 「……まあ」 アノンに何か伝えようとするときは言葉を選ばなきゃいけないから苦労する。 もし口を滑らせて「コウの部屋」なんて言ってしまったら間違いなく来たがらないだろうな…。 一応、『本当の』私たちの部屋、すなわち私とルシアの部屋はあるけれども、特に目的がないとき以外は入らない。 それでもコウのお母さんが定期的に掃除してくれているので、コウのまるでダンゴムシでも這っていそうな汚い部屋よりかは居心地は良いんだけど。 踏み外さないように注意を払いながら階段を上っていく。 当然階段がある家に住んでいるわけだから、上り下りは慣れているつもりだけど、いつもはコウが「危ないから」なんて言って、私たちを抱えながら下りていく。 イーブイだった頃とはもう違うのに、未だにその頃の習慣が抜けきっていないんだから困ってしまう。 まあ、それがコウのいいところでもあるんだけど。 コウがアノンを引き取りたいって言ったのもなんとなくわかる。 ルシアが彼女を助け出したときから、漠然とそんな予感はしていた。 「ここが私たちの部屋…散らかってるけど」 「散らかってるなんてレベルじゃないけどね」 ルシアの補足は正しかった。そもそもほかのどの家よりも広い部屋持ちながら足をつけるスペースがないというのはどういうことなのか。 ていうか、カーペットの上に散らかっている本のそのまた上に四散しているポテトチップスは何? 今朝そんなものあったっけ? 「ごめんアノン、やっぱりここじゃない部屋に案内するよ」 アノンはその部屋の様子を見て唖然としていた。 さすがにアノンをこの部屋に入れることはできない。 たとえ彼女が人間嫌いじゃなかったとしても。コウに毒されてしまう。 仕切りなおして、廊下をもう少し進んで、さっきの部屋と同じ形をしているドアを開けた。 「うわあ…」 またアノンが唖然としている。 ここが私たちの『本当の』部屋。 さっきの部屋がゴミ屋敷だとすれば、こっちの部屋は桃源郷。取り巻いている空気から違う。 アノンからすれば、何で一軒の家の中に雰囲気の異なる異世界が二つ同時に存在しているのか、と考えたくなるんだろうな。 置いてあるソファ、ベッド、その他の家具は色彩が華やかで、おまけにまたコウのお母さんが掃除してくれたみたいなので、いつも以上に輝いて見えた。 「多分アノンはこっちの部屋を使う…と思う。さっきのはコウの部屋だから入らないほうがいいかも」 「すごい……こんないい部屋に?」 アノンはまだ感動している最中だった。 「私もだけどね。最近コウの部屋の汚さがエスカレートしてるから、しばらくこっちで寝ることにしようかな」 「俺もさすがにあそこまで汚いと考えちゃうなあ…」 「え、何、ルシアもこっちで寝るの?」 「……だめ?」 「だめ」 あ、ちょっと涙目になった。何で冗談が通じないんだか。 後ろでアノンも「クスッ」って笑ってるし。ルシアも女の子に笑われちゃ終わりだなー。 …あれ、もしかしてアノンが笑ったの、初めてじゃない? かくして、私たちの部屋にアノンが住むことになった。 &size(20){ ~}; 『&ruby(リン){凛};、起きて、朝だよっ』 違う。起きるのはあなたのほう。起こすのはあなたじゃなくてわたし。 『起きないとこちょがしちゃうぞーっ。こちょこちょこちょ…』 そんなことできるはずない。あの安らぎの音色に包まれた日々は絶対に戻ってこない。 だって…あなたはもう…。 「…ノ…、ノン…、アノン、そろそろ起きて」 だめ。離れないで…消えないで…。 「行かないでよ…」 「…アノン? どうしたの?」 アノン………え? 「あ……ルシア…」 今のは…夢? 「怖い夢でも見たの? どうして泣いてるの?」 泣いてる…か。久しぶりだ。 今となっては掠れてしまったと思い込んでいた過去も、夢として鮮明に映し出されてしまうことがたまにある。 何度『夢』を自分の意思で操りたいと思ったことか。それができれば、せめて眠るときだけでも悲しい過去、辛い別れ、憎しみの感情から逃れられるのに。 でも、そんなことをしても所詮は夢。醒めれば散ってしまう儚いもの。 どう足掻いても、言いようのない虚無感に襲われるだけ。 いっそ、一緒に死んでしまったほうがよかったのか。そうすれば夢からも現実からも苦しめられずに済んだ。 彼はそんなことを許さなかっただろうけど…。 「アノン! …聞いてる? 夕食の準備ができたよ」 はっと我に返る。 「え、あ…夕食?」 さっき昼食を食べたばかりだったような気がするけど。 「アノン、ずっと寝てたんだよ? このソファそんなに気に入った?」 「まあ、…それなりに」 別にこのソファが特別気に入ったというわけじゃないのだけども、ルシアの会話に合わせることにした。 「ルシアぁ。早くぅ」 一階からあの人間の声が聞こえてくる。 「それともここで食べる? …ほら、コウのお父さんもお母さんも帰ってきてるからさ、顔あわせたくなかったら無理しなくてもいいっていうか…。コウもアノンがいるってことは一通り説明してあるみたいだから、必ず食卓に顔を出さなきゃいけないわけじゃないから…」 そんな言い方されたら、気を遣わせているルシアたちに申し訳ない。 「顔を出すくらいだったら…」 「ホント!?」 ルシアが無邪気に喜ぶのを見ていると、後に戻れなくなりそうで怖い。 いずれは慣れなければいけないし、きっとあの人間とも普通に話せてそれなりの関係を築くことも出来るだろう。 でも、きっとそれ以上になれない。 すでにこの体はあの忌まわしい記憶に支配されてしまっている。 信じては裏切られ、信じては裏切られ…それを繰り返し、あとに残ったのは後悔、憎悪、悲傷。 あの人間が今まで出会ってきた腐った奴らと違うということは見ればわかる。ルシアが言っていたことも正しいだろう。 けれど、過去の記憶が刷り込まれてしまっているこの身に、『信じる』ことを再び覚え込ませることはもう不可能なのだ。 実際、ポケモンセンターの中でも何度か女医に拒絶反応を起こしてしまった。無論、本心で信用していたわけではないが。 薬で無理矢理鎮められたけれど、いつ再発するかわからない。 幸いルシアたちの主に対しては何も起こらなかったけれど、この家のオカアサンやオトウサンという人たちに対してそれが起こらないとは限らない。 もし…、もし自分の意思に関係なく暴れてしまうようなことがあったら・・・。 だめだ。とてもじゃないが会うことなんて到底出来ない。 少しでも思考が違う方向に向かっていってしまった自分に嫌悪する。 「怖い…?」 怖いよ…。何を信じていいのかもわからない。自分でも自分が存在する意味を見失いそうになる。 「ごめん、ルシア…。やっぱり私…」 「いいよ、無理しないで。食事はこっちに持ってくるから」 ルシアの気遣いに心が押し潰されそうになる。 「俺もこっちで食べるから。そのほうが独りで食べるよりいいでしょ?」 急に視界が霞んだ。それでもルシアの微笑みは崩れなかった。 &size(20){ ~}; 「…シア…。ルシア」 はっとして焦点がフーズ用の皿を捉えたときには、予想以上に食事が盛られていた。 …俺こんなに食えないんだけど。 「どうした、ぼんやりして…」 コウはしきりに俺とアノンのことを気にしていた。 アノンが下に降りたくないと言ったのは伝えたけど、その意図はコウの両親には理解できていなかった。 直接、「あのブースターは人間不信だから」なんて言うのは憚られるし、あまり面倒事は起こしたくないのだ。 唯一の幸いは、家に住むポケモンが一匹増えることを二人とも歓迎していたことだ。 コウにだけはこっそりと教えておいたけど、コウ自身もとっくに気づいているようだった。 考えてみれば、その状態だったからこそ引き取ったわけだし、そんなコウの性格も分かりきってた。 「ほら、上行くぞ。二匹で食べるんだろ」 そう言って山のようにフーズが盛られた皿を持って階段を上っていく。 …というかなんで皿を一匹分しか持ってないんだ? 「…なんで皿ひとつなの? 二匹分用意してよ」 「だって二匹で食うんだろ? 男と女同士で。だったらひとつの皿を共有して食べればいいじゃないですか」 「はぁ?」 何が「いいじゃないですか」だ。馬鹿じゃないのか。 大体その理論はどっから引っ張り出してきた。あんたは俺とアノンをくっつけようとしているのか。 「やめて。そういうおせっかい要らないから」 「なんだよ。別にいいだろ。いちいち洗う皿の枚数増やしたくないんだよ」 正論っぽいことを言われてひるむ。が、それはコウが仕事を増やしたくないための&ruby(エゴ){自己中};だった。 「と、とにかくこれ以上来ないで! あとは俺が持ってくから!」 「そうだよな。これ以上俺が邪魔しちゃ」 「うるさい!」 思い切りコウを突き飛ばす。感情的な自分らしくない行動に走ってしまったが、流石に階段の上からコウを落とすのはまずかったかもしれない。 「お、落ち…!」 そんなの見れば分かる。頭が下になってるから安全とは言い難い体勢だけれども。 まずコウの手を離れ空中で四散するフーズを『サイコキネシス』で留めておく。 そしてそのときに大量に余ったエネルギーの&ruby(カケラ){欠片};を半分ほどコウの落下予定地点に滑り込ませ、クッションを作る。 あとは皿とフーズを残りのエネルギーで引き寄せる。 我ながら完璧な配分。 俺ってブラッキーよりもエーフィに進化したほうがよかったんじゃないだろうか。 「痛ってええーーっ!!」 あ、ミスった。コウの体重を吸収し切れなかったらしい。5割のエネルギーで人を支えるのは難しいってことか。 「また馬鹿やってるー。ついにルシアにも歯向かえなくなったのー?」 「なんだとコノヤロー!」 「喰らえ葉っぱカッ…」 「その手は通用しねえよ! お前こそ喰らいやがれ!」 「ちょっとあなたたち! 食事中にはしゃぐのは止めなさいって何度言ったら分かるの!?」 なにやらゴタゴタしていたけど、巻き込まれないように素早く階段を駆け上った。 俺とコウが原因なのにその&ruby(オレ){当事者};がコウのお母さんに叱られずに済むのは痛快だった。 これで少しはコウも懲りてくれるだろうか。 &size(20){ ~}; 居間はさっきとうって変わって静けさに包まれていた。 久々に親のいる前で暴れてしまったので、叱られたあとは俺もサフュアも黙々と食事を続けていた。 父さんは近くの店に酒を買いに行き、母さんは仕事部屋にこもった。 不意にサフュアが口を開く。 「ルシアってアノンに気があったりするのかなぁ」 「どうだろうな。俺が二階に食事届けるって言ったらすげー焦ってたけどな」 「それってコウをアノンに近づけたくないだけじゃないの? 人間不信らしいし。実際そういう話題になるとぜんぜん興味なさそうだったし」 「ルシアもそんなこと言ってたな」 納得は出来る。あんな夥しい傷、長い間ひどい奴に残酷な仕打ちをされたとしか思えない。 絶対助けてやりたい、その一心で親の承諾を得ずに引き取ることを決めたんだ。 女医さんにも無理矢理頼み込んで規則上不可能な手続きをしてもらった。 「……人間不信なんて俺が何とかして治してやる。アノンは運がなかっただけで、周りにひどい人間しかいなかったんだ。そのうちそれを分かってくれる時が来る」 「頼もしいけど、コウが言ってもなぁ。それなりにおとなしいルシアにさえも反抗されてるのに」 「そうなんだよ、最近俺に冷たいんだよな。意外としゃべるし。そりゃこっちから悪戯して仕返しされることはあったけど、まさか階段から突き落とされるなんて…。正直ショックだよ」 「やっぱりピリピリしてんじゃない? アノンは俺が守る! みたいな感じで。意外と正義感強いんだよ?」 そうだったのか。今後は余計な手出しはしないようにしなければ。 「そんなことよりもさあ」 心なしかサフュアの目つきが鋭くなった。まさに話題が変わろうとしている雰囲気だ。 「学校へは連れていくの?」 それだ。すっかり忘れてた。 俺の通っている高校は条件を満たせば基本的にポケモンを連れていくことが出来る。 それが出来る高校は県内でも半数に満たないのだが、俺を含む両親が共働きの生徒や、家にポケモンだけを置いていくことの出来ない事情のある生徒にとっては非常にありがたい制度だ。 今ある考えとしては、アノンも一緒に行かせようと考えていた。が、 「アノンに学校のことを話したけどね、あの態度じゃ連れて行くのは無理だと思うよ。人間がいっぱいいるような場所には行きたくないって」 多少は予想していたが、やはりその種の問題が浮き彫りになってくる。 けど、家に来て間もないアノンを一匹で置いておくわけにはいかない。 ……いや、サフュアやルシアたちと一緒に居させれば大丈夫じゃないか。 そのうちアノンも帯同ポケモンとしての認定手続きを済ませなければいけないが、それもある程度時間がかかる。 どのみちすぐには連れて行けないのだから、そのほうがアノンにとってもいいだろう。 &size(20){ ~}; 「これを一緒に&ruby(ふたり){二匹};で食べるの?」 「え、えっと、コウが片付けるの面倒くさいからって……」 「こういうことって普通恋人同士がすると思わない? なんで特に好きでもない異性と顔を近づけながら食事しなきゃならないの?」 「そうだよね。ホントごめん。なんかコウ誤解してるみたいでさ、ネジ一本抜けてるみたい」 「あなたも私なんかよりほかのもっと可愛い女の子のほうがいいわよね」 「別に好きなコなんていないし……、アノンは結構可愛いと思うんだけど」 ルシアが自爆スイッチに手をかける。 「なにそれ、口説き文句?」 「え? い、いや、そういうわけじゃ……率直に言っただけだよ。可愛いっていうより綺麗、かな」 そして押した。 「口説こうとしているふうにしか聞こえないわよ? じゃあ今私が突然キスしたとしても嫌じゃないのかしら」 「え!? そ、そ、そんなこと……っ」 「嘘よ。そこまで焦らなくてもいいじゃない」 「なんだ。からかわないでよ」 「……なんて嘘。本当は……一目見たときからあなたのこと……」 「え、な、なに!? 俺は別に、あ、アノン!?」 「ふふ……」 じりじりとルシアを壁に追い詰めていくアノン。さながら怯える子猫を追い詰める猛獣だ。 「あ………アノ…」 「……もう少し嘘を嘘と見抜ける能力を磨いたほうがいいわよ」 「………なんだ……もう、からかうのは止してよ。怖かったよぉ」 「……いちいち反応が面白いのね」 &size(20){ ~}; 季節によって多少時間は違えど、毎朝太陽は窓辺から光を届けてくれる。 東向きの窓の素晴らしいことこの上ないと常々思うが、思いのほか理解できる人は少ない。 俺は基本的に目覚まし時計は使わない。ほとんどは体内時計、もしくは太陽光の眩しさで起床する。 今の季節はもっぱら体内時計のみ。理由は至極単純、夜が明けるのが早いから。 だから今回のように、昨日の晩にカーテンを閉め忘れた! なんてことがあったりすると……。 「……う、4時15分……」 このようにとんでもない時間に目が覚めてしまうこともある。 だがいつもの朝とはちょっと違う味というものがそこにあって。 普段俺よりも早く起きているはずのサフュアとルシアの可愛い寝顔が……ない。 何故? あの柔らかなベージュの&ruby(ピロウ){枕};に二人仲良く顔をうずめているはずでは? 「……」 ……そういえばアノンの世話も兼ねて別の部屋で寝るとか言ってたな。 なんかすごく寂しいんだけど。これが嫁入りする娘をただ見守ることしか出来ない父親の気持ちなんだろうか。 考えれば考えるほど虚しさがこみ上げてくる。今度からは絶対に6時半前には起きないようにしよう。 とりあえず、アノンのことはどうしようか。 今日担任から帯同手続きの用紙を貰ったとして、家で親の承諾を貰って、次の日に提出、そのあとに教頭やら校長やらのチェックが入るから……3日ってところか。 家にサフュアとルシアの両方を置いていけばそれなりに安心だけど、今日と明後日にはバトルの授業が入っているから、少なくともどちらか一方を連れて行く必要がある。 本音としては、二匹とも風邪を引いていることにしてサボりたいのだが、単位に響く寸前のところまで来ているからそれは出来ない。 授業のことを重視するならサフュアのほうが楽なんだけどな……わざわざ指示しなくても勝手に動いてくれるし。 最近授業を適当に流していた分、担当教諭にはアピールしておきたいしな。 となると……今日はルシアに留守を頼んでおこうか。 それはそれで心配だけど、ルシア自身アノンのことを大切に思っているみたいだし、変な間違いは起こさないだろうから大丈夫だろう。 よし、懸案事項は無事解決。あと2時間は寝られるな。 …… ………… ……………… カーテンを開けっ放しで寝てはいけない理由は実はもうひとつある。 俺は二度寝が出来ない。一度目を覚ますと否が応でも頭がさえてしまう。 「コウイチ、起きなさい」 部屋のドア越しに、ノックとともに母さんの声が響く。 ベッドの中で寝返りを何度も打っているうちにいつのまにか『2時間』が吹っ飛んでしまった。 「くあぁ……。ねみぃ……」 おぼつかない足取りでドアを開け、ゆっくりと階段を下っていく。 廊下を通って今に行くと、いつも通りの見慣れた光景があった。いつも通りの……。 自分の分のご飯、味噌汁を準備して、サフュアとルシアの分の食事も用意して持っていく。これも普段と何も変わらない…… 母さんは俺より早く家を出るため、既に朝食は済ませてある。父さんも同じ、というか既に家には居ない。 だから食卓にいるのは俺、サフュア、ルシアだけ。 「なあ、アノンは?」 と、思わずサフュアに尋ねてしまった俺は本当に馬鹿だと思う。 昨日の今日で変わることなど何もないはずなのに、俺は彼女に何を求めているんだ。 「まだ上にいるけど……たぶん下りてこないと思うよ」 そりゃそうだよな……。 「そんなに落ち込まなくても……大丈夫だよ。アノンはコウに対しては……少しだけ心……開いてるみたいだから」 ルシアの言ったことは果たして本当なのだろうか。昨日は目も合わせてくれなかったのに。 ポケモン同士だとアノンは結構話しているみたいだけど、その中でそういうことも話していたんだろうか。 アノンの表面と内面の僅かな温度差を感じ、そこに淡い曙光を見た気がした。 「ありがとな、ルシア。それはさておき、&ruby(ふたり){二匹};に相談したいことがあるんだけど」 サフュアとは昨日少しだけ話したが、それを知らないルシアは「え、何?」と言わんばかりに目を泳がせる。 「アノンを学校に連れて行きたいんだけど、それにはいろいろと面倒くさい手続きを踏まなきゃいけないんだよ。でもアノンを一匹で留守番させるわけにはいかない。かといってサフュアもルシアも連れていかないのは無理がある。だからどっちかにここに残ってほしい……って言いたいところなんだが、バトルの授業があるからサフュアを連れて行ったほうがいいと思うんだよな。だからルシア、お前は今日留守番」 「やだ」 な、なんで? ルシアもどちらかと言えばバトルをやりたくない派だし、アノンとけっこう仲良さそうだからベストな選択だと思うんだけど。 「ちょっと。弟に拒否権なんかないからね。おとなしく……」 「姉さんお願い。今日だけ……。何でもするから……」 「る、ルシア?」 ルシアのようすがいつもと違う、おかしい。 「お前変だぞ。もしかしてフーズの消費期限切れてたか?」 「違うよ……」 黙りこくって俯いてしまうルシア。しかも涙目で。可愛い……じゃなくて、これは考え直したほうがいいのか? 「……しょうがないなあ。じゃあ私が留守番してあげる。その代わり帰ってきたら私が授業に出なかった分、相手してもらうからね」 「ほんと?」 ルシアの顔は嬉しい、感謝、などではない、安堵の色を含ませていた。普段なら絶対に嫌がるはずの条件も、このときは素直に呑んでいた。 昨日アノンとの間で何かあったんだろうか? ともかく、今日一日はそれほどアノンの心配をしなくても良さそうだ。 ---- 第三章へ→ [[スパイラル -鎔- Ⅰ]] 第三章へ→ [[スパイラル -鎔- 1]] ---- 感想等ありましたらどうぞ↓ #pcomment