ポケモン小説wiki
あなたの影にいる誰か の変更点


#include(第十八回短編小説大会情報窓,notitle)


※暴力・ホラー描写があります。





 ああ、あんたか。ダンジョンの護衛を頼んだ依頼主ってのは。
 前金は100ポケ……へへ、どうも。用意がいいな。だが忘れんな、成功報酬にも300ポケ頂く。ばっくれるンじゃねえぞ。こちとら探検隊ギルドに所属してねえフリーの用心棒なんだ、海を渡った先まで追いかけてやッからな。逃げんなら覚悟して逃げやがれ。
 ま、その分腕っ節には自信アリだ。アンタは見る目あるよ、なんせこの俺を選んだンだからな。実力チーム『ライラック』のゴロンダだ、って言やあ&ruby(ち){少};ったあ腰抜かすンじゃねえか?
 ''――''なに、知らない? ……ハッ、俺も落ちぶれたモンだぜ。まあいい。ともかく湧いて出る野生どもは俺に任せときな、こちとらダンジョンにゃ潜り慣れてンだ。物珍しいモンばっか転がってるからって、あんま道を外れるなよ。俺の後ろをしっかりついてこい。暇なりゃ俺の話でも聞いておくか? 有益な情報を引き出すために、口達者は探検家にとっちゃ必須のテクニックなんだよ。そうだな……クク、こんな肌寒い日にピッタリな怖い話でもひとつ、してやろうか。
 いいか、念のためもう1度言っておく。道を外れるンじゃねえぞ。



&size(22){あなたの&color(#f5f5f5){''影''};にいる誰か};

[水のミドリ]
[[水のミドリ]]



 俺の故郷は、ここからずっと遠いとこにある大陸の、年の半分は雪で閉ざされるような辺鄙な村だ。四方を山に囲まれていて、隣町へ出向くのでさえ細い山道を3日も歩き通さにゃならねえ、そんな片田舎だった。
 実家は集落から少し外れた、小さな村全体を見下ろせる山裾に建てられていた。&ruby(わらぶ){藁葺};き屋根の立派なモンで、&ruby(おやじ){親父};とお袋とヤンチャムの俺、それとナゲキの兄貴しか住んでねえってのに畳の部屋は10以上あった。なんでも村を開墾した入植者の屋敷らしい。親父もナゲキで、たまに大工みてえなこともしていたから、老朽化した風呂場や玄関は増改築されていて、&ruby(たっぱ){上背};のあるゴロンダのお袋でも悠々と暮らせる広さはあったな。土いじりも好きで、仕事のねえ日は日がな裏庭を掘り起こしていた。そういうダンジョンに迷いこんじまったのか、と錯覚するほど咲き乱れた紫&ruby(はしどい){丁香花};が自慢だった。
 紫丁香花。そうだな、大陸で馴染みのある言葉だと、ライラックってヤツだ。背の低い木に、薄紫の小さな花がエネコロロの首飾りみてえにまとまって咲く。雪がちらつくような&ruby(はだざ){肌寒};みい土地にしか根付かねえから、ここじゃほとんどお目にかかれねえ。俺が前に群生地を見たのは……いや、ま、どうでもいいか。
 裏手の山は悪ガキどもの溜まり場だった。いつも顔を合わせるのはグレッグルと、スリープと……まあ&ruby(ち){小};っぽけな村だ、仕事の手伝いもせず遊び惚けてる悪童は、顔馴染みの5,6匹くらいなもんだった。
 その中に、ゾロアもいた。
 アイツは非力で、臆病で、&ruby(えびちゃ){葡萄茶};色の毛並みが森の暗がりへ溶けちまいそうな、影の薄いヤツだった。話すのを聞いたことがねえもんで、口が利けねえってことになってた。俺たちの遊びには加わろうとせず、むっつりと後ろをついてくるだけ。親は誰なのか、どこに家があるのか知れなかったが、ガキにとっちゃそんなの気にならねえ。いつも一緒につるんでいりゃあ、それだけで仲間だった。ま、そんなモンだろ?
 でもよ、1度その無口ぶりを&ruby(わら){嘲笑};われたときはヤバかったな。グレッグルとスリープに囲まれたゾロアは&ruby(うつむ){俯};いて、ふたりのにやけ顔から逃げるように震えながら縮こまってンの。反撃なんてできねえだろうな、なんて思ってたらよ、アイツ、食い殺しかねない剣幕で。スリープの鼻にいきなり噛みつきやがった! ガリっと硬い音がして、黄土色の鼻の先からぱあっと血が舞い、誰かの悲鳴が続く。「千切れた!」ってスリープは泣き喚くし、眺めていた俺さえ1歩も動けねえ。
 そんとき、見えちまったンだよ。ゾロア族お得意の幻影なんて1度も披露したことなかったが、豹変したその一瞬だけ、アイツの影から何か、無数の気配がしたッつうか。ユキメノコに手招きされたとか、ゲンガーに背中を舐められたとか、そんなチンケな怪異じゃねえ。もっと後ろ暗い、&ruby(おぞ){悍};ましい何かが、そこにみっちりと詰まってたンだ。
 仲裁しているうちに雪がちらつき始めた。しらけちまって各々が帰る中、「……俺ン&ruby(ち){家};来るか?」って、気まぐれにゾロアを誘ったんだけどよ、それで懐かれたらしい。雪化粧したライラックの庭を眺めながら、濡れ縁でほかほかのオッカの実にかぶりついた。ゾロアは相変わらず無口だったけど、その口周りをべとべとにしながら、俺たちは笑ったんだ。

 ……そうだ、思えばアイツの影を見るのは、いつだって今日みてえな薄ら寒い雪模様の日なンだ。

 次の年は秋口から気温がガタついて、麦の刈り入れが終わらねえうちに雪が降り出した。いつもは濡れ縁にいる親父も収穫に引っ張り出されたみてえで、俺たちはライラックの影で息を殺して、てんやわんやしているおとなたちを遠巻きにうかがっていた。
 ''――''なんで、って? こうした田舎にゃありがちなしきたりだよ。もしくは風習、伝承、土着信仰か? まあいい。ともかく俺の村じゃ「初雪の日には山に踏み入ってはならない」って決まりだった。山頂には×××さまが住まわれていて、雪は御神が降臨なさる儀式の合図だから、お邪魔をするな、と。
 ×××さま、だよ。''――''どういう意味かって? 俺も忘れちまったよ。何しろガキの頃頭ごなしに言い聞かされただけだかンな。それに、海の向こうの田舎の山奥に祀られていた神様だ、こっちの言葉に訳す意味もねえだろ。そういうもんだと思って聞け。
 ×××さまは村の守り神で、豊穣をもたらすとされていた。裏山を分け入ってしばらく登ると沢へ行き当たるンだが、そこを渡ると古ぼけた鳥居がある。もちろん禁足地になっていて、俺たちみてえなクソガキが入っていいはずもねえ。
 まあ、だからこそ、なンだがな。
 分別つかねえガキどもが、眉唾の風習なんぞで尻込みするハズもねえ。口さがねえおとなどもを出し抜いて、俺たちは沢へと到着していた。言いつけを破り、やっちゃいけねえことをする。その背徳感だけで、遊び尽くした裏山の&ruby(こみち){小径};も未踏のダンジョンに思えた。ヤンチャム探検隊ご一行の最後尾を、ゾロアは相変わらず黙って着いてきた。
 助走をつけたギャロップなら悠々と飛び越えられそうなくれえの狭い渓谷には、オンボロの吊り橋がかかっている。その奥に鳥居も見えた。積もり始めた雪の重みだけで崩れちまいそうなあたり、もう何年も参拝者がいねえらしい。
 まごつく仲間を押し退け、俺は横板に足をかけた。ぎい……ぃ、と、どこか恨めしそうな軋みを響かせる。ちったあ揺れたが、まあそんなモンよ。この俺サマがビビるようなヤツじゃねえ。
 振り返ると、言い出しっぺのグレッグルが、ありもしねえ危険を予知したみてえに吊り橋の支柱へもたれかかっていた。スリープなんか悪夢を食べすぎて胸焼けしたみてえな顔!
 俺は気分が良くなって、1歩。また1歩。真ん中くらいまで進んだところで、腐っていた横板を、バキャ! って踏み抜いた。雪の塊が川底へと落ちて、見えなくなる。ひっ、て出そうになった悲鳴を喉奥へ押し戻して、ロープにしがみついたまま俺は振り返った。
「なっ、ナナナ何ビビってんだあ? お前らも早くこいよ――」
「なあヤンチャム……。あれ……、なんだ?」
 グレッグルが、正面を指差して震えている。てっきりビビらせようとしてるンだと思って、俺はまともに取り合わねえで何か言い返してたと思う。だがよ……、鳥居の方から、聞いたこともねえ奇妙な声がしてくンだよ。
 ''……い、むい……ケテ……。もぅ……テ……''
 息を漏らすみてえな、ゴニョニョの寝言みてえな声。初めは気のせいかと思ったんだが、だんだん大きくなるンだよ。近づいてきている。背中から内臓へ雪を押しつけられたみてえな悪寒がして、おそるおそる視線を前へと戻したンだ。
 ''……むイ、……むい、たなぁぁぁぁ……''
 白く煤けた何かが、いた。
 上背は1.6mくれえか? 痩せ細った獣が後ろ足で立ち、獲物に掴みかかるみてえな姿。顔には何か、狐っぽいお面をつけていたンだが、その上からでも分かるくれえ執念深そうな形相でよ。オーロンゲより毛量の多い、白く抜けた赤髪を&ruby(やまんば){山姥};よろしく振り乱し、両肩を揺らしながら前屈みになって、足をもつれさせるように吊り橋を走って来てンだよ!
「で、出たああああああッ!!」
 スリープの絶叫を皮切りにガキどもは散り散りになった。俺も吊り橋を死に物狂いでとんぼ返りだよ。渓流へ落ちる、なんて恐怖は一瞬で塗りつぶされて、転んだらおしめえだ、追いつかれる。追いつかれたら……、って考えただけで必死で、お気に入りの笹を口から落としたのにも気づかねえで、這いつくばるみてえにロープをたぐり寄せた。元の岸へ辿り着いたときにゃ、逃げ遅れたンだろうよ、ゾロアしか残っていなかった。手を取ってやる余裕なんて俺にもねえ、アイツを追い抜きざまに叫んだ。
「逃げっ、逃げんぞ、オイッ、おい!」
「''…………''」
 ×××さまは俺に狙いを定めやがったみてえだった。びくとも動かねえゾロアなんか見向きもしねえで、ものすげえ速さで追いついてくる。何度も雪に足がもつれて転びそうになって、そのたびに体じゅうの血液が逆流した。嫌な汗を吹き出して体毛がへたるのが、無性に&ruby(いと){厭};わしかった。
 いつの間にか吹雪いてきててよ、そんな視界不良のなか山道を下れるはずもねえ。''……ィ、むイョ……''って×××さまは依然白い闇の向こうから追っかけてくるし、逃げ惑ううち俺は吊り橋まで戻ってきちまった。
 微動だにせずゾロアは立ち尽くしていた。今思えばそれどこじゃなかったンだろうが、いつもは臆病なゾロアは全く動じてなかったように見えたのよ。なのに俺が逃げんのはダサいだろ? だから立ち向かったンだ。
 びゅおおぉぉぉぉ――おおおっ!
 吹雪に紛れて飛びかかってきた×××さまをくぐるように、とっさに体を転がした。竦む足を奮い立たせて立ち上がると、のそりと振り返る痩せこけた背中が見える。
 ……やられるより先にやるしかねえ。
「ッあああああああ゛!!」
 声にならない絶叫をあげながら、しゃにむに突撃する。大ぶりに爪を振り下ろそうと&ruby(の){仰};け反った×××さまの薄い腹めがけて、俺は拳を突き出した。
 次の日、沢の吊り橋付近でゴロンダの死体が上がった。お袋は俺を探しているうち、雪に足を滑らせたらしい。×××さまを押した毛むくじゃらな感触が肉球に蘇るたび、俺は布団の中でうずくまった。



 ガキってのは気楽なモンで、あんだけ恐ろしかった記憶も1年もすりゃあ色褪せて、夢だったんだか何だか曖昧になっちまう。お袋を亡くして俺の胸にはポッカリと穴が空いていたが、それを埋め合わせてくれたのはゾロアだった。
 ヤンチャムってえのは、本能として悪タイプに懐くようになってるみてえでよ。親父も兄貴も格闘ひと筋だったし、顔馴染みのガキの中じゃ悪タイプはアイツだけだった。他のヤツらとは疎遠になっていったが、ゾロアとだけはどこへ行くにも一緒。いつしかアイツは俺の家に住みつくようになって、それで俺が元気なら、と親父も黙認してくれた。
 兄貴はそれが気に入らなかったンだろうな。今にも投げ飛ばしそうな剣幕で、「お前のせいでおっかあは死んだ」と、ことあるごとに俺を責めた。あてみなげをされて俺が泣くたび、ゾロアが睨んで抗議すンのよ。兄貴は喋らねえゾロアを気味悪がって手を引っこめる。
 タイプ相性も悪いうえ、俺がずっと敵わなかった兄貴を、ひと睨みで怯ませちまった。そんなのもあって俺はますますゾロアに惹かれてたンだろうな。だからまあ、実家に未練なんてねえワケよ。家の仕事は兄貴が継ぐし、古いしきたりに縛られた村なんて出てってやる。探検家にでもなって、俺は成功するンだって、いつしか決意は固まっていた。
 雪で村が閉ざされる前の、ある年の最後の商隊に紛れて村を出ることに決めた。前の日、寝る前にゾロアに打ち明けたが、予想外にも反応は芳しくねえ。「一緒に、来てくれねえのか」なんて柄にも合わず泣き落とししてみたが、アイツは月明かりの裏山を見上げるだけ。
 諦めきれねえ俺は翌朝、商隊に頼みこんで出発を遅らせてもらった。村の入り口で、隊長のダイオウドウに「いい加減にしろ」と鉄拳を食らわされたところで、アイツは来てくれたンだよ。
 純粋に、嬉しかったな。
 前脚を握ったら、照れ隠しなンだろうな、しゃッ、て爪を立ててきた。肉球が切れて血が出たが、ンな痛みなんて気にならねえほどホッとしたのを覚えている。
 商隊のおとなたちに可愛がられながら港町まで流れ、そこの探検家ギルドの門を叩いた。ゾロアと眺めてた紫丁香花はこっちじゃ『ライラック』ってえ呼ぶらしい。花にはそれぞれ象徴的な意味が込められていて、ライラックは『友情』なのだと、ギルドの受付のジャノビーは教えてくれた。彼女にひと目惚れしていた俺は言われるがまま登録したが、俺とゾロアの仲みてえでお似合いだろ? そんときの俺もそう思ってたンだがな。
 それからは順調だった。
 村にはねえ食いモンに舌を肥えさせたり、見たことねえ種族を相手に戦うのは血が&ruby(たぎ){滾};った。クク、そういや、進化祝いに初めて娼館へ行ったンだっけな。稼いだポケを丸ごとスられたこともあった。酸いも甘いもたらふく味わわされ、あっという間に年をとっちまった。腰を据えた賞金稼ぎギルドでは、俺たちはゴールドランクにまで上り詰めた。どんな悪党もチーム『ライラック』の名前を聞いただけでチビって夜も眠れねえ、なーんてもてはやされたンだぜ。
 ま、だからだろうな。故郷の親父に顔を見せに帰るか、って話が出るのに、10年もかかった。
 その何年か前、気まぐれに受けた救助の依頼で助けたのが、後の妻となるキュウコンだった。俺にはもったいねえほど気立てのいい、町を束ねる領主のお嬢さんだったから、俺が婿入りすることになった。もう戻らねえって伝えるためにも、里帰りすることになった。
 実家は何も変っちゃいなかった。
 親父はまめに土いじりを続けていたらしい。ちょうど紫丁香花の頃合いで、夜、雪のちらつく花畑を眺めながら、濡れ縁に胡座を掻いて酒を酌み交わした。
''「随分と、見違えたな」''
''「……ちょっとは頑張ってるみたいだね」''
 縁を切ったも同然に家を出たってのに、親父も兄貴も妙に優しかった。積もる話は途切れることを知らず、心地よく回る酔いに身を任せて、俺は幸せのなか眠りについた。



 目が覚めた。
 竹の葉を咥え、寝ぼけたまま立ち上がる。足元がおぼつかないようによろけた。満月の出た夜半、障子の落とす影が冴え冴えと伸びていた。何もかも10年前と変わらない、俺の家だ。
 ションベンに行くふりをして、俺は大黒柱へと近づいていく。毎年俺の身長が伸びるたび、傷を付けていたそれだ。
 確信があったワケじゃねえ。ただ、俺の咥えていた竹の葉が、ダンジョンで忍び寄る野生の害意を知らせるみてえに、ざわざわと震え上がったンだ。
 反射的に腕を&ruby(な){薙};いでいた。虚空を切ったはずの拳は確かな手ごたえを捕らえ、そこにいた何者かを柱へと打ち据えた。
''「なに、しやがッ、る」''
「……口が、利けたのかよ、相棒」
 こんなマネができるのは、ひとりしかいねえ。間近で幻術を見せられてきた俺は視界の違和感に機敏だったし、何よりかたやぶりの俺には、アイツのイリュージョンは効きが悪りぃンだわ。
 スナヘビが脱皮するみてえに、家全体に掛けられていた幻影の膜が剥がれていく。俺のアームハンマーにへし折られた柱は10年間の雨漏りで腐っていたらしく、天井が一部崩れて月明かりが差した。
 曝け出された惨状に、酔いはとうに醒めていた。
 部屋の隅に、アイツがうずくまっていた。三白眼が俺を睨みあげている。……さすがは相棒だよ、戦意を失うどころか、お尋ね者を前にしても見せなかった闘志を燃やしていやがった。 
「なんで、幻影なんか見せてンだ。あ?」
''「………………」''
「何か言えよオイ……!!」
 体を起こして睨みあげるゾロアークの目には、カラマネロの見せる催眠術みてえな、陰湿な光が宿っていた。俺は大股で距離を詰め、その胸毛を鷲掴む。抵抗を示す痩身を引き倒しつつ腰を捻り入れ、重心を崩したところで軸足を払った。親父から受け継いだ、珍しい技。
''「ぐギ――っ、があああああッ!!」''
 畳へ打ち据える。急所を的確に捉える効果抜群の技に、さしものゾロアークからも悲鳴が上がった。妖しく艶光りする赤髪を暴れさせ、組み敷いた俺へ爪を伸ばすも、分厚い筋肉が阻んで届かない。
''「ふっ、フーッ、フーッ、ぐ、があああっ!!」''
「親父と兄貴は、どこにいる。答えろ」
''「……あのとき、母親の後を追わせてもよかった。お前に取り入ったのが失敗だったよ、クソがあああっ、畜生ッ! またいいように利用して、不要になったら切り捨てる。オレを利用して進化したくせ、こうしてオレを見限るみたいにな。お前らはずっとそうやって、やってきたもんなあ!!」''
「何を言ってやがるっ、先に俺を利用したのは、親のいねえアンタの方だろうが……!」
''「お前らが先に裏切ったんだろう!!」''
 アイツの声が耳の奥で木霊して、払い除けるように拳を振り下ろした。ぎゅるぅ、と質量ある暖かなものを潰した感触。絶叫。暴れたが、押さえこみながらもう1発、落とす。

''「――ッこの、やまあらしがあアアアアアアっ!!」''

 鮮血を吐きながらアイツが叫んだ瞬間、また、見えちまった。
 牙をむき出して開かれたアイツの口から、宵闇を煮詰めたような黒い煙が吹き上がった。色素が抜け落ちたみてえに白銀の体毛へと様変わりしてよ、両目は潰れたレドームシの体液みてえな黄色へと膿んでいく。髪を束ねていた&ruby(ひすい){翡翠};色の珠が砕け散り、ブワッ! って髪が&ruby(まく){捲};れあがる。バスラオの血合いよりも赤黒い色味は毛先を残して&ruby(あ){褪};せ、腕や脚の端々へと飛び散った。そこだけ&ruby(ただ){爛};れた肉が剥き出しになっているみてえだった。
 思わず飛び&ruby(の){退};いた。
 いつしか雪が舞いこんできていた。初雪なんて生やさしいモンじゃねえ、視界を覆い尽くす勢いの雪&ruby(しまき){風巻};よ。……そうだな、お袋が死んだあの日も、こんな吹雪だった。当時は知る&ruby(よし){由};もなかったが、ゾロア族の幻影ってえのは視覚しか惑わせねえらしい。肉球に残った剛毛の感触はやっぱり……。自分の飛び出た腹を&ruby(さす){摩};りながら、しばらく俺はうつけたみてえに立ち尽くしてたンだよ。
 気づけばすでにアイツの姿はなかった。アイツだけじゃねえ、何もかもだ。手入れの行き届いていた屋敷はたちまち朽ち果て、雪の重みに耐えかねた屋根は腐り落ちていた。漆喰の壁は虫食いの染みがはびこり、障子は穴だらけ。押し割られた畳からは、伸び放題の雑草に混じって若竹が顔を覗かせていやがった。腐った床の間の端に虫の死骸が転がっている。庭木を食い荒らすと親父が毛嫌いしていた毛虫が干からびていた。……鈴なりに花開いていたライラックは、&ruby(はな){最初};から咲いちゃあいなかったンだ。
 廃墟みてえな我が家をくまなく確かめると、押し入れの奥からナゲキの&ruby(むくろ){骸};が見つかった。腐敗は激しく、しゃれこうべの他にかろうじて胴着と帯の一部が見つかっただけだった。兄の骨も同じく縁の下から出てきやがった。ふたりまとめてライラックの庭木の下に埋め直してやった。
 まんじりともせず夜を明かした。
 朝一番で村まで下りて、軒先の雪をどかしていた年寄りを捕まえた。ローブシンの婆さんは俺を見るなり顔色を変えたが、尋常じゃねえ俺の様子に腰を据えてくれた。
 俺は何も知らなかったンだな。
 俺が生まれる何年か前、村ではもう何年も冷夏による不作が続いていた。百姓どもは山神へ供物を奉納し、&ruby(にえ){贄};まで貢いだってのに、一向に豊作は訪れない。痺れを切らした村の連中が拝殿へ直談判しに参ったせいか、その次の年は麦の1粒も実らなかった。山神は気難しく、そのうえ貪欲で、祟りは迅速なのだ。
 怠惰で傲慢な山神に、村民の不服は降り止まぬ雪のように募っていった。その頃ちょうど大陸の外からやってきた探検家が村へ流れ着く。どういうワケかこの村をたいそう気に入った彼女は、最新の土木技術を用いて田畑を&ruby(なら){均};し、水を治め、山を切り&ruby(ひら){拓};いた。確実な豊穣をもたらす新しき神を、村は諸手を挙げて迎え入れた。
 神通力の源はいつの時代だって信仰心さ。拠り所を失った山神は、蜂起した民衆にあっけなく討ち取られた。
 山神はつがいで、その首は冬の間、見せしめに沢の鳥居へ縛りつけられた。晒し首は雪の中で、''「寒い」「寒い」「助けてくれ」「裏切ったな」「もう勘弁して」''と、呪いの言葉を吐き続けていたそうだ。三日三晩流れ続けた負のエネルギーはそこにダンジョンを生成し、翌々年、度胸試しに来た村の悪ガキどもを呑みこんだ。俺がさんざん言い聞かされてきたしきたりは、案外近年に作られたモンだったらしい。
 それで、一連の神殺しの&ruby(ふき){不軌};を手引きしたのが、当時×××さまの巫女として勤めていた俺のお袋だった。禍神を見事祓った彼女は功績を認められ、村長の弟である親父と結ばれて俺が生まれた。
 ……そこまで聞いて、学のねえ俺でもようやく合点がいったよ。山神の子であるゾロアにとっちゃ、俺たち家族は親の仇だ。俺の後ろをついて回っている間にも、どうやって恨みを晴らすべきか考えを巡らせていたンだろうよ。
 10年前、俺とアイツが村を出たその日には既に、親父も兄貴も殺されていた。村の入り口まで遅れて駆けつけたアイツの手足の紅い毛にはきっと、親父と兄貴の血がべっとりとこびりついたままだったんだろうな。幻影で隠されていたが……俺は気づくことなく、その手を握り返しちまった。チームを組んでくれるンだと浮かれて、血筋に、魂にまで染みついたアイツの&ruby(えんさ){怨嗟};には気づけなかった。
 やまあらし。アイツの断末魔は別に俺の掛けた技を叫んだワケじゃねえ。山荒らし。……ハッ、そのまんまの意味だったンだよ。
 アイツが幻影を見せるときは、いつだって視界が雪に覆われた。あの日裏山で×××さまを渓流へ突き落としてから俺は、どう家まで帰り着いたのか記憶にねえ。……これは憶測だし、神経のイカれたトンチキ野郎の妄言だと思って聞いてほしいんだが、俺はあのときからずっと、アイツの見せる幻影のダンジョンに迷いこんじまってるのかもしれねえ。もしかしたら俺はとうに死んでいて、魂だけがあの雪山をずっと逃げ惑ってるみてえな感覚になるときがある。
 声が聞こえるンだよ。
 ダンジョンに出てくる理性を持たねえ者どもは、俺がこうして倒してやると、あっけなく消えちまうだろ。野生ポケモンはダンジョンが侵入者を追い払うための、いわば防衛機構みてえなモンだと、俺は理解している。
 いや、理解していたつもりだった。
 野生だって唸ったり、うめき声をあげるこたぁある。にしちゃ、いやにハッキリと、明瞭に言葉が聞き取れンのよ。''「寒い」「寒い」「助けてくれ」「裏切ったな」「もう勘弁して」''……。耳を塞いでも、野生の喉を潰すように倒しても、恨めしい響きが頭の奥にこびりつく。
 初めは、気のせいだと思った。疲労のせいなんだと。もしくはそうやって探検家を追い返すダンジョンの&ruby(まがごと){禍事};なンだと。
 だがあるとき、野生が消える寸前に、見えちまったンだよ……打ちのめしたその顔に、白い狐の面が張りついているのを。あのときアイツが見せた、俺を怨み殺そうとする形相。血の通った肉を殴りつける感触が拳に生々しく蘇ってきて、デスカーンの包帯で縛られたみてえに腕が上がらなくなるンだ。そうこうしているうち、お面をつけた野生の体はフッと消えちまう。
 ちょうど今みてえな粉雪に紛れてな。



 オイ、どこ行きやがる。生首でも見たみてえな顔しやがって。忠告しただろ、そう道を外れるとよ……あッ! ほれ見ろ、ワナを踏みやがったな。野生どもに囲まれてら。
 まあ、ここは俺に任せておいて、アンタは黙って引っこんでな。こんなナリでも実力はあンだっての。ホラ、こっち来い。

''「――」''

 ……どうだ? 痛えか? 喋れねえだろ。喋れねえよな?
 俺のじごくづきを喉元に喰らえば、まともなヤツぁ痛みでろくに口が利けねえ。なあ、ホラ、そうだろ? そうやってのたうち回ることしかできねえよなあ、そうだよなあ?

''「――」''

 ああ、やっぱり、お前もなのか。
 ……!? ちくしょう、俺の顔にも何かついてやがる!
 ''寒い。寒い。助けてくれ。裏切ったな。もう勘弁してくれよ……。''





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あとがき
夏だしホラーものが書きたかったんや……書いたことなかったし。
あとヒスイゾロアークをこのタイミングで出しておかねば以降登場させる気がしなかったので、これが私のLEGENDSアルセウス期末レポートになります。ゾロアークは悪→無霊に転身しましたが、どちらも曲者感あっていいよね。ゾロアが慣れない幻影使ってるあいだは集中して動けない……みたいな設定はwiki本5のCOMさんの作品から着想しました。感謝。

以下返信へ。


・理解しえぬものほど恐ろしくすばらしいものですよね (2022/07/06(水) 22:46)

ホラー以外の短編作品て、たいていストンと腑に落ちるものが好まれるじゃないですか。私もそういうのばっかり書いてきたので、たまには「えぇ……」と困惑するような読後感を目指しました。それっぽく文字の太さとか変えるの楽し〜〜〜!


・一万字の字数制限があるとは思えないレベルの読み応えとストーリーの面白さ…
グレートですよこいつはァ…!
 
実は途中省いた展開がありまして。ゴロンダの息子のロコンがゾロアークの後釜に収まるんですけど、ゴロンダの覚えないタマゴ技〝おきみやげ〟を習得していて、もしや自分の子ではなくゾロアークの子なのでは……と主人公が不信感を募らせていくある日、雪のあわいにふと息子の影にかつての相棒の面影が蘇って衝動的に殺してしまう……という展開を予定していたんですけど文字数が爆ぜ参じてしまいまして。ロコンをリョナるのは気がひけるし。まあこれ以上の文字数も蛇足なので書きませんが、消化不良感は残りましたね。このモヤっと感もまたホラー……なのか?


読んでくださった方、投票してくれたひと、主催者様、ありがとうございました!

――

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