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※行きすぎた愛情表現があります。R-18。
朝どれのリンゴっこをスイリョクタウンの道の駅へ納品しに行った帰り、おいらのトレーナーである皐月は、公民館わきの集配所で妹の芽衣子からの荷物を受け取ったそうな。
芽衣子は林郷家姉妹の次女なんだが、アップルヒルズでも有数のリンゴ農家を飛び出して、パルデア地方のグレープアカデミーなんて学校でポケモン農学の勉学に邁進している。4年生にもなるとめきめきとバトルの才覚も伸び、『宝探し』カリキュラムで6つ目のジムを制覇した、なんてメールがこの間来たばっかりだ。添付されていた写真は、光り輝くバッジを得意げに突き出した芽衣子と(ドロバンコみたいだった三ツ編みは、カミツオロチみたいなドレッドヘアになっていた。雪っこより透き通っていた肌は日に焼け、すっかりハイカラなシティ・ガールだ)、周囲には共に戦ったポケモンたちの晴れ姿が映し出されていた。芽衣子からジム制覇の連絡が転がりこんでくるたびおいらと皐月は、キタカミの里の誰もに自慢げに言いふらしたもんだった。
だから、皐月が受け取った荷物にモンスターボールが入っていて、度肝を抜かれたんだ。なんせ、その中に、初めてのジムを踏破したときからの手持ちであるキリンリキが封入されていたもんだから。
VEGEたべる
家長の龍雄とそのパートナーであるアブリボンの虻丞が召集され、畑わきの納屋で緊急の家族会議が開かれたのは言うまでもない。ミミズズであるおいらに任された畑の耕運も、ちょうどひと段落ついたところだった。
2人と2匹に囲われて、渦中のキリンリキは居心地悪そうにしていた。そこかしこに農具が積まれていて不気味なんだろうし、慣れない肥料のにおいに参っているようにも見える。
「わあっ、可愛い! 模様とか、写真で見るよりもずっと素敵だね! 芽衣子よりも私のがもっと可愛く撮れちゃうな〜。1枚いい? パシャリ! ……やった、これあとで林郷ファームのホームページにあげちゃうね」
いの一番に声を上げたのは、皐月だった。市場へ検品しに向かえば村のジジババに煮付や漬物なんかを押しつけられ、オモテ祭りではカメラの被写体に応じているうち屋台よりも長い行列を作っちまうほど人たらしな彼女は、ポケモン相手の初対面でも臆さずにグイグイ行く。引っこみ思案で地面にまで引っこんじまうおいらも見習っていきたいんだけれど、まいど距離の詰め方に容赦ない。
歓迎されるとは思っていなかったのか、キリンリキもおずおずとだけど緊張を解いてくれたみたいだ。ぱっちりとした目が林郷家の面々を見渡し、それがおいらへと向けられると、ちょっとどぎまぎする。
「皐月、触るのはよせ。まずは検疫だ」龍雄が厳しい顔のまま顎髭を撫でた。「先生のとこへ連絡しろ。なる早でワクチン打ってもらえ」
「はいはーい」
皐月も段取りを心得ていたらしく、片手にはもうスマホが握られていた。作業着のポケットをまさぐって軽トラの鍵を取り出しつつ、かかりつけのポケモン獣医へ連絡を取りつけていた。
龍雄はそれだけ命じるとそそくさとリンゴっこの収穫に戻り、残されたのはポケモンだけになった。何を喋るべきかおいらが言いあぐねているうち、虻丞が切り出してくれたんだ。
「キリンリキのお嬢さん、初めまして。あんた確か、ダイノって名前だったな」
「どうしてそれを……」
「芽衣子のメールに書いてあった。あんた、自分の置かれている状況は分かっているんだよな」
「……はい。林郷家に、今日からお世話になります」
トレーナーの龍雄と似たもんで、いつもは物腰の柔らかい虻兄なんだけども、仕事が絡むと途端に真面目な口調になる。とはいえちょっと無愛想すぎるんじゃない?
気を揉んでいると、虻丞はアブリボンらしく妖精の風に乗せて、手をひらひらしてみせる。
「よかった。間違って送られてきた、とかだった今ごろ芽衣子、大慌てだろうから。あの子、林郷家の者の中でも特段慌てん坊でさ、蔦で覆われたカボチャ畑の側溝に、何度落っこちたことやら」
「ふふっ、芽衣子なら、ありそうですね」
……杞憂だった。さすが虻兄。昔は散々村の虫タイプをたぶらかしてきただけはある。メスっこの扱いはお手のもんだ。
「そうやって笑えるんなら、ま、大丈夫そうか。俺は虻丞。このあとあんたには検疫に行ってもらう。リンゴは病害虫の多い果樹だからな。あんたも気づかないうちに持ちこんでいる可能性があるから、そのチェックだ。獣医にチクっとされるかもしれんが、あまり怖がらなくていい。俺に齧られるよりは痛くないだろうから。帰ってきたら皐月に全身丸洗いにされるぞ」
「はいっ、頑張ります。ポケウォッシュ、久しぶり……」
「それじゃ、俺は龍雄のとこに戻る。……お前も挨拶しておけ」
虻丞は翻りつつ、おいらへ向けて意味ありげにウインクしてみせた。……やっぱ照れてるの、見抜かれていたか。
芽衣子のもとでバトルに励んでいただけあって、ダイノは体格が優れているみたいだった。普通のミミズズよりひと回り小柄なおいらとはいえ、全長はおいらのが長いはずなんだけれども。寝そべったままだと2つに割れた彼女の蹄しか見えないもんで、こうして向かい合うにはかなり目線を持ち上げなくちゃいけなくなる。
「は、初め、まして。おいら、勘太郎って言うんだけど、よろしくね」
「か、勘太郎……さま……!?」
「っを……?」
名前を口にした途端、キリンリキの首がぐわッとおいらへ向けて押し下げられたんだ。とっさの動きに反応できないでいるおいらの頬が、彼女の長い首で温かく擦りあげられる。おいらも抱擁し返すべきなのかわからず、3対ある腕を出したり引っこめたりした。
「ああ……っ、あああっ……!」
「ダイノ、さんッ……? け、け、け、検疫がまだ……ッ!」
「ずっと、会いたいと思っていたんです……ッ」
「どっ、どうしたどうした……!? 初対面、だよね、おいらたち」
凶悪なデカヌチャンに見つかったみたいにすっかり動けなくなっちまって、おいらは助けを求めて納屋の入り口へ視線を巡らせた。半開きになった引き戸に片手を突っ張り、浮遊しながら器用に足をクロスさせて、虻丞は意味ありげに嘯いたんだ。
「勘太郎も隅に置けないな……」
もう片方の手でフッ、と自分の触覚を撫で上げると、ひらり、扉の隙間から逃げ出していった。……ッこの状況、どうにかしてほしいんだけど!
⚪︎
例年だと11月初頭に初雪が観測されてから、鬼歯温泉郷のオンシーズンが始まる。もともと銀世界を眺めながら愉しむ露天風呂で有名な旅館がいくつかあるんだが、なんでも現代に蘇った元ともっこさまのひとり、マシマシラがお忍びで浸かりにくるようになったんだと。インターネットでその写真が拡散されると、物珍しい姿をひと目見ようと、カントー地方とかからも観光客がちょくちょく訪れるようになった。
温泉郷から車で30分とかからない山裾に位置する林郷ファームにまで、物好きなお客さんは足を伸ばしてくれるもんで、リンゴ狩り体験への参加者が増えつつある。また、うちの野菜っこの美味しさがSNSとやらの口コミで広まっているんだとか。皐月はそういう方面にも強く、ネットで遠方からの注文もぼちぼち入るようになって、林郷ファームはいっそう忙しくなったところだった。
そういうもんで、リンゴっこの作付面積を増やす運びになった。早生なもんは8月の半ばから収穫が始まる。品種によっては12月に入ってまで果実を肥大させる晩生なもんもあって、それらを観光客相手に買ってってもらう狙いだ。まあ、定植してから差し当たって4年は結実しないんだけども、いまお世話しているリンゴ畑もぼちぼち改植だし、いいタイミングだろう、という龍雄の判断だった。
国道沿いに面した畑は、冬に寒締めホウレンソウを収穫してから休閑にしてあった。トラクターで荒く耕耘し、堆厩肥で栄養満点にした大地へ、お次はピートモスを満遍なく撒いていく。リンゴは弱酸性の土壌で元気よく根を張ってくれるから、そのために混ぜる天然由来の土壌改良資材だ。
茶色く整った粒子が太陽に照らされ、波のようにきゃらきゃらと光るのを畦から眺め、おいらは軽く柔軟運動をこなす。
「こりゃ、耕し日和だなあ」
数日前に降った雪は浅く積もったけれど、2日もすれば地面は乾くくらいにはまだ暖かい。11月も最終週の、からっと晴れた寒空を吸いこんで、リンゴっこを取ろうとするバネブーみたいに、ぐぐぐッと全身を縮こまらせる。しならせた弾性をぱッと解き放つイメージで、おいらは頭から畑へ飛びこんだ。
芽衣子が実家を飛び出すまでは、林郷家には彼女のパートナーでもあるヌオーの藍魚がいた。車で10分くらいのとこに、普段は伏流水となっている河川敷があって、アイナは梅雨時期になるとよく、増水した川へ水浴びに行ったもんだった。橋の欄干によじのぼり、両手と両足、あとしっぽまでをも投げ出して気持ちよさそうにダイブする。流されやしないかと肝を冷やすおいらをよそに、アイナは濁った泥水の中を心地よさそうに泳いで戻ってくる。「一緒に泳ぐと、きもっちいいよ!」なあんて誘われたけど、おいらは大雨が降ると畑に入るもの嫌んなっちまう性分だし、あまり長く水に浸かっていると錆びそうで遠慮したんだった。
おいらはこっち。ミミズズが泳ぐんなら土の中だ。体をよじり進路を地中へと定め、体節を伸び縮みさせる蠕動運動で土を掘り進めていく。空気を含ませるよう、深いところと浅いところを満遍なく混ぜこんでやる。トラクターでは取りきれなかった岩にぶち当たったときは、3対の腕でパンチして粉々にすんのが楽だ。おやつがてらにつまみ食いしちゃえば、いちいちどかす必要もない。
キタカミは全域で黒ボク土が広がっているんだけども、これは名前の通りホクホクとした柔らかさをしている。そこに、栄養満点の腐葉土が重なることで野菜っこを育てんのに適した土になる。いい土ってのはそれらがちょうどよく混ぜこまれていて、根っこを伸ばせる空間があって、水はけも水もちもいいもんだ。あとは育てる作物それぞれに好きな酸性度やら水分含有率があるから、石灰を撒くなり畝を作るなりしてやればいい。
リンゴはそんなに樹高が伸びない分、地中深くまで根を張り巡らせる。少なくとも地表から50センチは丹念に耕してやんねえと、もろに成長へ影響が出るもんで、いつも以上においらも張りきった。土作りは、ミミズズであるおいらに任された重大な作業。じき、雪が残るようになれば耕作もままならんので、今週のうちに仕上げておきたかった。
「そろそろ、息継ぎ……」
慣れ親しんだ土の中で窒息するようなことはないんだけれど、ずっと土中にいると何かあったんじゃないかって、虻丞が心配するもんだから、だいたい30分おきに顔を見せるようにしている。
もりもりと柔土を掘り返すと、皐月のポケウォッシュから解放されたダイノが偶然そこにいた。突然にょきりと生え出したおいらに驚いたんだろ、ごつごつした四肢が数歩後ずさりする。
「あ! すまんね、驚かせた」
「……いえ、私こそ勝手に入ってきてしまい、申し訳ないです」
「いいの、いいの。踏みつけられてもおいら、へっちゃらなんだし」
おいらは3対の腕を出して力こぶを作ってみせる。ミミズズのこのポーズはどうにも面白く映るようで、初めて目にするたいていの相手は笑ってくれるんだけども。
期待通りダイノも小さく笑ってくれた。んだけども、それよりも疲労の色を顔に滲ませてんのが気になった。
ダイノがちら、と背後へ視線をやった。龍雄と虻丞は厳しい顔して、リンゴっこをもいでは投げもいでは投げ、とても近寄りがたい雰囲気なんだった。手前の畑ではリンゴ狩り体験に来たイッシュ出身らしい観光客相手に、皐月が流暢な外国語で案内をこなしている。
「皆さん、お忙しそうにされているので……」
「こう見えておいらも、働いてるんだけどなあ」
「そ、そうですよね。私、何をしたら……」
リンゴは収穫も大詰めに差し掛かり、龍雄は樹上完熟したもんを探している。が、11月も終盤まで差し迫ると売りもんにならない、いわゆるクズっこが多くなってくる。投げ捨てられてできたリンゴっこの山が、そこここにうずたかく積もれていた。おいらたちは見慣れたもんだったけれど、初めて目にしたダイノはもったいないと思ってしまったんだろ。龍雄は家長らしく仕事一筋で、愛想のよくないところがあるから、必死に訴えようとモウモウ鳴いた彼女を邪険に扱ったんだろな。
長い首をうなだれてしょげるダイノを慰めるよう、おいらは上体を起こして目線を合わせた。それでもやっぱり届かず、首をグッと上に傾けなきゃならんかった。
「あれはクズっこって扱いで、おいらたちが食べるのに適さないんだよ。割れてそこから傷んだり、虫食いしてたりな。もったいねって気持ちは、分かるんだけどもね」
「……それなら、ジャムにしたり、しないんですか」
「んだなあ。クズっこの他にも、売りにならない規格外のリンゴっこもたくさんあるんだ。うちで食べる分とか、ジャムとかジュース、シードルなんかに加工すんのが、そっち。クズっこはそこらに積んでるけど、野生のポケモンが持ってったり、特にカジッチュなんかには絶好のおやつになるから、いいんだよ、あれで」
「そうなんですね。私、何も知らないで……」
「ゆっくりでいい。なにも焦って手伝おうとしてくれないで、大丈夫なんだからね。こっちでの暮らしに慣れたら、次第、ダイノの得意な仕事をこなしてもらうことになるさ。荷台をつけて収穫物を運んだり、あとはそだな、リンゴの高いとこについた葉っぱとか、食べてもらうのがありがたいや。ゆくゆくは枝の剪定とか、任せられるんじゃあないか」
「はい。こっちではお役に立ちますね、勘太郎さま」
「さ、さまって呼び方はよしてくれんかな。慣れてねえんで、小っ恥ずかしいや……」
「食事のたび、芽衣子から話を聞いていました。送られてくるリンゴやお野菜はみな、勘太郎さまが土を耕してくれたからこそ、立派に実ったのだと」
「いんや、うん、うん……。そうかい、そうかい」
おいらが自己紹介してからずっとこの調子だった。初対面であれだけ懐かれていたのはおそらく、芽衣子がおいらのことを誇張してダイノへ伝えていたからなんだろう。土作りの天才とか、野菜っこの神様、とか……? よくスーパーなんかで並べられている農産物の袋に『私が育てました!』って映されている農家の人にどことなく憧れる、みたいなことなんだろうか。
おいらが丹精こめて育てた息子たちを褒めてもらうのは、そら嬉しいんだけれども、こうも無条件に好意を寄せてくれるのに慣れなくて、畑にいそいそと引っこんで顔だけ突き出しちまうんだった。
その日の夜にはダイノの歓迎会が催された。歓迎会、と言っても豪勢な食材を調達する時間はなく、ましてデリバリーなんてサービス圏内であるはずもなく、龍雄の開ける酒が純米大吟醸に変わったくらいなんだけれども。
龍雄と皐月は囲炉裏を囲んで余興がてら、芽衣子から送られてきた荷物の開封が行われていた。どこぞの大会で優勝したトロフィー。お歳暮のつもりなんだろう、パルデアのよくある菓子土産がいくつか。部屋に収まりきらなくなったんだろう、保管しておいて、と大量に送られてくる奇抜なファッションの服たち。
ダイノを包んでいたボールには、便箋1枚の簡素な手紙が添えられていたらしい。芽衣子らしからぬ手紙、という媒体だけでもその内容が普通じゃないってのが分かるんだけれども、それを黙読した皐月の表情が曇り、何が書いてあったんだ? とおいらがせがんでもはぐらかし、けっきょく内容を教えてくれなかったあたり、ダイノに伝えちまえば傷つけるようなことが書いてあったに違いないんだ。
おいらたちはそんなやりとりに、土間から参加していた。アブリボンはともかくミミズズとキリンリキは居間に上がると足跡を残しちまうから、ここがいつもの定位置だ。
「そうだ、ダイノはさ」
「――なんでしょう、勘太郎さま」
「う……」向けられる純真な目線が、おいらにはまだ眩しい。「……その、お腹、空いてないんだね」
芽衣子の手元にいる間なにを食べてきたのか、なにが好きなのか、わざわざ手紙に記してあったらしい。皐月がサンドウィッチやらポトフなんかをちゃちゃっと作ったんだが、半分も口にしていなかった。餌槽箱に盛られた山盛りの野菜っこにも手をつけず、ダイノはどこか遠い目をしていたんだ。
畑仕事を見学している間ずっと、リンゴっこのクズ山を勿体なさそうに眺めていたんだったか。せっかく林郷家の仲間になったんだから、とびきり完熟したものを食べてもらおう。ということで虻丞が勝手口からひとつ、持ってきた。彼ひとりでは支えながら飛ぶことさえ難しい、アブリボンの体よりひと回りもふた回りも大きく肥えた、真っ赤に熟れたリンゴっこだった。
「これ、朝収穫したばかりの樹上完熟もの。これ1個でハイパーボールくらいの値段はつくね」
「…………」
「食欲なくても、こいつならペロリだよ」
差し出されたリンゴっこを、けれどダイノは食べなかった。遠くから忍び寄ってくるカエンジシを見つけたみたいに首をビシッと伸ばし、耳を不安げにパタパタ扇ぎながら、大きな桃色の鼻をしきりにひくつかせていた。
「どうした? 気分が悪いのか。獣医に診てもらうか?」
「………………、っあ」
硬直するダイノの喉が、胸元から盛り上がり、内部にエレベーターが備わっているみたいに膨らみが上昇していく。げっぷを我慢する感じでクイッと1度顎を前へ出すと、キリンリキのぷっくりとした上唇がもごもごと動き始めた。しゃり、しゃり、しゃり……。必死に閉じようとしているダイノの口元から、リンゴっこのすりつぶされる音が響く。
これは……、食べてるな。
虻丞が小さな腕を組んで、呆れたように大きなため息をひとつ。
「ははんさてはあんた、昼につまみ食い、したね」
「…………っ、ぅぐ、んぐ。……食べたのは、虻丞さんが捨てた、リンゴなので、問題ないでしょう」
「いいや問題あるね」止めようとするおいらを片手で制しながら、虻丞は声を尖らせた。「林郷家の者がクズなんかを口にしているようじゃ、本物が分からなくなる。そんなもの吐き捨てて、今すぐこっちを食べろ。何回も反芻したくなるくらい美味いから」
ダイノは半信半疑だったが、虻丞のあまりの見幕に気押され、さっさと反芻を終わらせた口をおずおずと開いた。前歯に挟まれたリンゴっこは、首を持ち上げたダイノの奥歯へと転がされ――しゃくりっ。小気味よい音とともに溜めこんでいた果汁を迸らせた。
「……どう?」
「…………」
林郷家のリンゴっこは格別だ、と、贔屓目なしでおいらはそう思う。毎年の品評会だって必ず最終選考にまで残るし、特別賞を受けたのも1度や2度のことじゃない。キタカミを代表するリンゴ農家だって自負がある。
てっきりダイノは「美味しいです!」なんて、頬を綻ばせてくれるもんだとばかり思っていた。しゃく、しゃく、と咀嚼を続けながら彼女は次第に俯いていくもんで、どうしたもんかとおいらが覗きこむと、閉じられた彼女の目からぽたり、と、ひとしずくこぼれ落ちた。
「芽衣子……どうして」
しまった。
林郷家からの仕送りにはもちろん、旬のリンゴっこもぎっちりと詰められていたはず。ダイノにとって最高級品のこれは、バトルで活躍したとき芽衣子から手渡されるご褒美だったのかもしれないんだ。
反芻、しちゃうんだろうな。過去に囚われ、現在を受け入れられず、将来を絶望することにつながっていく。それはあまりにも、悲しいことじゃないか。
ダイノの餌槽箱へ顔を突っこみ、今が旬のニンジンっこを探し出した。おいらの腕に握りこんだそれをそっと、彼女の口元へ差し出した。
「そういうときは、別の美味しいもんを、たらふく食べるんだよ。うちはリンゴっこ以外もたくさん、おいらが面倒見ているんだ。これから美味しいもの、たくさん見つけていこ。同じもんを何度噛み締めても、同じ味しかしないんだから」
「……っ」
おいらの腕からニンジンっこを受け取り、ダイノはもぐ、もぐ、とその味を覚えるように噛み締めていた。キリンリキの喉が盛り上がり、長い首にできた膨らみがストンと胸の方へ落ちていく。「ありがとうございます、勘太郎さま」とこぼしたダイノの表情は、少しだけだけど明るくなったみたいだった。「やるじゃん」と呟いた虻丞が、ニヤついた口元を隠すようにマフラーへと埋めていた。
⚪︎
あっという間に1年が過ぎようとしていた。
おいらが耕した畑に植えつけた1年生苗木は、雪にやられることなくすくすく育ってくれた。ダイノは「かわいそう」って同情してたんだが、発芽前からハサミを入れ、主幹の先端を摘むことが肝要なんだ。伸長する枝を整え、樹形をデザインすることで、リンゴっこの収穫をしやすいようにすることが主目的になっている。
そんな説明を虻丞から聞きながら、ダイノは黙々と整枝に勤しむ龍雄の手捌きを熱心に見て学んでいた。従来のリンゴ畑は6月初頭に多すぎる花を摘み、実ぐすりって呼んでいる選定をし、残った果実を大きくするんだが、そのときも彼女は真剣に覚えようとしてくれていた。
11月の第3日曜日はキタカミの里を挙げてオモテ祭りが開かれる。ともっこさま、なんて呼ばれていた3匹が舞出神社に祀られていたんだが一昨年、そいつらが悪事を働いていたんだ! と暴かれてからは、信仰の対象はいつの間にかオーガポンさま、ってのにすり替えられていた。去年も相変わらず参道には屋台がずらりと並び、境内はお面をつけた人間でごった返していた。村人にとってどちらが神様なのかは正直どうでもよく、ただ年に1度の大騒ぎを楽しめればいいのかもしれない。
ダイノはもう半月も前から楽しみにしていたんだった。彼女がやってきたときはちょうど終わった次の日とかだったから、祭りの後の静けさしか味わってなかったんだな。
キタカミセンターが賑やかになるのは、夕暮れを過ぎてからのこと。おいらが気がかりなのはどちらかというと、その日の朝から開かれる収穫祭なんだった。
「はあ〜……。緊張する……」
「勘太郎さまがステージに立つわけではないんでしょう?」
「そうだけど……、そうみたいなことなんだよな。おいらの息子たちの晴れ舞台なんだから」
皐月の運転で乗りつけた公民館前広場はすでに、村内外から集まってきた人間とポケモンで盛況していた。併設された産地直売所で開かれる市場は、収穫祭ともあってローカルテレビの取材クルーの姿も見える。午後には青年団による太鼓と神楽の演舞とか、ビンゴやら餅まき、素人のポケモンバトル大会なんかも開かれたりして、村全体が大騒ぎして秋の実りに感謝を捧げるんだ。
広々とした空き地には特設ステージが設けられ、その周囲にはテントがいくつも軒を連ねていた。まっさらなテーブルクロスには、ひと目で上物と分かる野菜っこたちが並べられている。数あるキタカミの農家がとびきりの収穫物を持ち寄り、その出来栄えを競う品評会会場なんだった。林郷ファームからは、おいらが土作りから世話したカブっことニンジンっこがエントリーしていた。
「……あ」
「あったか……?」
「見てください、勘太郎さま」
ニンジン部門の前で、ダイノが足を止めた。急かされるまでもなく、おいらは彼女の脚をよじ登る。
「や……、やったあ……」
林郷ファームの提出したニンジンっこは、なんと、管理人賞なるものに選ばれていたんだ!
彼女の背中から目を細め、見覚えのあるニンジンっこの下に『林郷龍雄』と書かれた紙が敷かれているのが見え、続けて『入賞』の文字が目に飛びこんできたとき、おいらは安堵のあまり腑抜けてしまって、マフラーみたいにダイノの首へ巻きついていた。
確かに今年のニンジンっこはうまくいった。ダイコンと見紛うほどに太く逞しく肥え、そうでありながら虫食いもなく、太陽をその身に宿したのかってくらい鮮やかな橙色を備えていた。今年はもしかしたら……、なんて、内心ちょっぴり期待していたんだけれども、まさか本当に、入賞しちまうなんて。
リンゴっこの評価を聞きに行った皐月と龍雄に伝えるため戻る公民館までの道中も、おいらはまだ上の空だった。ぽわっとして人混みに紛れ、数回ダイノとはぐれそうになった。彼女が響かせる蹄の音も、心なしか高らかに響いて聞こえてくる。
「ああ……、ああっ、嬉しいよ、おいら……」
「勘太郎さまの育てたお野菜なら、必ず賞を取ると信じていましたよ。だって、芽衣子のもとにいたときから、私をここまで立派に育ててくれたんですから」
「うんうん……っ」
「林郷家から送られてくるお野菜は格段に瑞々しく、味が濃くって、香りもよくて、食感は弾けるようで。宝石みたいに輝いていて……。とにかく、美味しいんです」
「いんや、いんや。化成肥料はほとんど使わんで育ててるんが自慢なんだ。どれも自信をもって送り出せる息子たちよ」
「辛いとき、お世話になってました、本当に……。ファン第1号の私が、胸を張って推せるお野菜たちなんです」
「へへ、へ、へへへへ……」
にやける顔を引き締めることができない。誰かに褒められようと頑張ってきたわけではないにしても、コツコツ積み重ねてきた長年の努力が実ったみたいだった。褒めちぎってくれるダイノの言葉も、このときばかりは素直に嬉しかった。
あとはもう、気が楽だった。
ダイノが直売所を見て回りたい、というので、おいらもそれについていった。林郷ファームはもちろん、リンゴがメインの農産物になる。野菜っこにも長年の技術を注いではいるが、品種を多くは揃えられないもんで、メジャーどころしか育てていない。普段食卓に並ばない野菜っこたちに、ダイノは目移りしながら露店の間を練り歩いていた。
彼女が不思議そうな顔をして立ち止まるたび、おいらは背中によじ登ってそれが何か教えてあげる。品評会で入賞したからか、いつになく饒舌になっちまっていたような気がするんだ。
「 ……これは?」
「それはアイスプラントっての。多湿が苦手な野菜っこなんで、早いうちにマルチを敷いたり、水はけのいいよう高畝にしとくんだ」
「……冷たい?」
「いんや、そういうわけじゃないんだな。ちょっとしょっぱくて、あと食感が面白いんよ」
「こっちはなんだか……、目が回りそう…………」
「ロマネスコだね。カリフラワーの親戚みたいなもの。酸っぱい土が苦手なもんで、たっぷり石灰を撒いてやるんだな。そのぶん綺麗な模様を描いてくれるわけだ。なんか……、ふらくたる? って図形らしい」
「ふんふん。これは、お花」
「そうじゃねえ、とも言いがたいんけど、煮るとホクホクして美味いんだ」
「……これは?」
「これは……、うちでも育ててる普通のダイコンっこなんだが、珍しいもんだね」
ひときわ人気を博しているテントの中心部にでん! と置かれたダイコンっこは、中部から先端部にかけてが複雑に枝分かれしていた。手のような突起がふたつ、残りのふたつは足のように組まれ、あたかも人間が畑から生まれました、したみたいな格好をしている。
ダイコンっこがこうなるのは、1日に数センチという速度で根っこを伸ばすもんで、土の中に岩や障害物が残されてると、それを避けるように無理くり成長しちまうからだ。うちでとれたダイコンっこに今年は奇形がひとつもなかったけれど、それはおいらが入念に岩やゴミをどかしていたからでもある。収穫はある意味土作りのリザルトみたいなもんだ。
「こういう面白野菜ってのは、即売会で正規品よりいい値段がついたりするんだな。……ちょっと悔しいけど」
「買いますか?」
「買わんでいいよ! 味は絶対おいらの息子たちのが美味しいし!」
「……ふふ。ようやく認めましたね、勘太郎さまのお野菜が美味しいこと」
正午を過ぎ品評会がひと通り終わると、会場は即売会に早変わりする。ステージに上がった人間がメガホンを握り、おいらのニンジンっこをはじめ入賞した野菜っこが競りにかけられるんだ。もちろん、あの面白ダイコンっこも含めて。
市場でめぼしいものを買いこんで軽トラで待っている龍雄とおいらの元へ、なんだか息を切らしたダイノが皐月とともに戻ってきた。
荷台にひょいと登ってしゃがむキリンリキの口には藁編みの籠が咥えられていた。中には数本、見覚えのあるおいらの息子が転がされている。今年1番の箔を押してもらったってのに、売れ残りでもしたんだろうか。……それは、ちょっとがっかりなんだけども。
「あれ、買い手がつかんかったのか?」
「いえ、これは私が勝ち取りました」
「……勝ち取った?」
クエスチョンマークを浮かべるおいらへ、ダイノの頭へちょこんと座った虻丞がいやに興奮した口調で説明してくれた。龍雄がアクセルを踏んだらしい、流されそうになった虻丞は彼女の耳を掴んだまま喋る。
「今年は林郷ファームにも観光客が多くてさ、リンゴ狩りの案内とか、その合間に収穫やらで忙しかったろ。気分転換になるかなって思って、俺たちバトル大会にエントリーしてたのよ。俺は3回戦敗退だったけど、こいつ……優勝しやがった」
「ええ……! おめでとうっダイノ、強いんだなあ……!」
林郷家に引き取られてからは農作業ばかりだったうえ、村の外からバトル慣れしたトレーナーも来ていただろうに。彼女を育ててきた芽衣子がいかに有能なトレーナーなのか、改めて実感した気分だった。
「それで、優勝者への景品として、会場の野菜なんでも好きなのひとつ持ち帰れるんだと」
「……で、わざわざおいらの息子を選んだのか?」
ダイノは頬をちょっぴり赤らめながら、神妙に頷いた。籠の中のニンジンっこに視線を落としながら、どう食べるのか頭の中でいろいろシミュレーションしているのか。林郷家に転がりこんできてからしばらくは食欲も安定しなかったが、3ヶ月も経てばうちの野菜っこたちの美味しさに気づいてくれたのか、食事も残さず平らげてくれるようになった。ニンジンっこは特にお気に入りらしく「反芻まで美味しい」とお墨つきをもらっていたんだ。
「わざわざそんなことしないでも、まだ収穫してないの、畑にたくさん植わってるのに」
「いえその、私が欲しかったのは、入賞したあのニンジン、ですからっ」
「そこまで気に入ってくれたんなら、おいらも嬉しいけど、さ……」
オモテ祭りにまでは時間がある。いったん林郷ファームまで戻り、のんびり身支度を整えてから再出発しよう、という流れになった。
龍雄の先代はキタカミの開墾地を大きく広げた立役者らしく、パートナーのケンタロスを飼っていた牛舎が残されていたんだった。ダイノがやってきた日、皐月は彼女を丸洗いするついでに牛舎を徹底的に掃除し、その日のうちに使えるようにしたんだっけか。元々は2階建ての土蔵だったようで、キリンリキが2頭縦に重なってもまだ余裕があるほど天井は高い。入ってすぐが洗い場で、仕切り板を挟んでその奥が寝藁を敷いたワンルームという簡素な作りだ。ここでダイノは毎晩眠りについていた。
おいらのニンジンっこをわざわざ勝ち取った彼女のことが気になって、皐月が去年に引き続き写真映えする浴衣を選んでいるうちに、ちょっとお邪魔した。
「せっかく勝ち取ったんだものな。ダイノが好きなように食べるといいよ」
「はい、そのつもりです。勘太郎さまが大切に育てたニンジン、私が美味しくいただいちゃいますね」
「どうやって食べてくれるんだろな。生のまま……は、いつもとおんなじか。ダイノじゃ火は扱えないし、漬物……?」
ダイノもとびきり美味しいってわかっているはずのニンジンっこを、新鮮なうちに食べないことがあるのか。おいらは考えあぐね、答えを求めるつもりでダイノを見上げた。
牛舎の入ってすぐ、ダイノは籠を洗い場のそばに置くと、首だけを寝間へ突っこんでひとつかみの藁束を持ち出してきた。敷いたそれにおいらを促し、彼女はちょっと影のある面持ちをする。
「少し、昔話に付き合ってもらっていいですか」
「うん」
林郷家の一員になってから1年が経っても、ダイノはアカデミー時代の思い出をあまり話したがらなかった。それはきっと辛い経験に紐づいているから。おいらたちも無理に聞き出すようなことはせず、植えた種が発芽するのを気長に待つように、彼女の出方をうかがっていたんだ。
収穫祭でバトルをして、思い出を笑い話にできるくらいスカッと気が晴れたのか、はたまた鈍重な過去を教えてくれる決心がついたのか。ダイノの口からなにが飛び出してくるか、おいらは身構えた。
「芽衣子は、それは腕の立つトレーナーでした。そんな彼女に認めてもらったのは、ポケモンとして素直に嬉しかった」
「おいらはバトルなんてからっきしだから。素直にすごいと思うんだ」
「バトル慣れしていない皐月さんの指揮でも勝てたのは、芽衣子がバトルのなんたるかを叩き込んでくれたから。……それと、勘太郎さまの育てたお野菜のおかげ、なんです」
「品評会でも、言ってくれてたね」
「それでもポケモンバトルの世界は厳しかった。ジムを4つ制覇したあたりから、私はついていけなくなりました。芽衣子のパートナーである藍魚とは1年生の頃から切磋琢磨してきた仲ですが、そんな彼女にも置いてかれてしまって。アイナは天然なのもあって、理解してもらえず私が辛くなるばかりでした。厳しい鍛錬の日々、唯一の楽しみが食べることでした。送られてくるお野菜はみな、勘太郎さまって方が作ってるんだって、芽衣子はいつも自慢げに教えてくれて。私はいつしか、その勘太郎さまに恋、してたんだと思います」
「……うん」
「勘太郎さまが育てたお野菜に、お世話になっていたって、言ったじゃないですか」
「うん」
「毎月、新鮮な季節のものを送ってくださって、芽衣子と一緒に美味しくいただいていたんです。それでも食べきれないものがあったりして。芽衣子、けっこう好き嫌いが多いので」
「うんうん」
「それで、ですね。余ったお野菜たちで、私、オナニーしてました」
「うんうんうん。……、ん?」
文脈的にヘンな言葉が聞こえた気がして、おいらは思わずダイノを見返していた。妙な沈黙があった。おいらが見上げた先で、ダイノは神妙な面持ちで、さもありなんと言い直した。
「私、勘太郎さまの息子たちで、オナニー、してました!」
「2度も言わんでよ! 聞こえてたから! 聞こえたけど、ちょっと理解できんかっただけだから!」
「私のお気に入りはニンジンです。ニンジンは硬いのがいいですよね。ゴリゴリってナカ、えぐってくれて。おいもは、ひとつひとつ形が違うから、試すたびに新しい発見があって。カブはちょうど、お尻に入れておくのに適した形というか」
「ちょっと食べづらくなるからもう喋らんでくれ……!」
「あ、誤解なさらないでください。下の口でいただいた後は、きちんと上の口で食べましたから」
「エ゛!?」
「あっあっあっ、勘違いしないでくださいねっ。もちろん洗ってから、ですよ。そんな、当たり前じゃないですかっ。さすがにそのままだと、ちょっと抵抗ありますし」
「さも常識ありますけど、みたいに言わんでよ。さっきからずっと、とんでもないこと告白してるんだからね?」
「……もしかして、普通オナニーに使ったお野菜は食べないものなのですか」
「普通は野菜っこをオモチャにせんのですよ」
せ、世話になっていたって、そういうこと……。
ダイノの口からどんな痛惨な過去が飛び出してくるかと思っていたら、聞いているこっちの方が恥ずかしくなるような内容だった。もともと赤茶けたおいらの顔が、赤カブっこみたいに鮮やかに茹でられるのが分かっちまう。ダイノとんでもない失言をどうにかフォローしようとして、フォローしたところでどうにもならんだろう、これ。
「ま、まあ……、わかった。わかったから。辛かったんだな。どんな形であれ、おいらの野菜っこが役に立てたってんのなら、嬉しいよ。ダイノが自暴自棄になっていたり、塞ぎこんじまうよりよっぽどいいや。……そのあとで、美味しく食べてもらえたんなら、なおさら」
「――ッふふ」
なんとか聞かなかったことにして、健全な話題に戻る……ことなんて、口下手なおいらにはできそうにない。もうダイノの顔を直接見れなくなっていた。
「やっぱり、勘太郎さまなら、失望しないでいてくれるって、思っていました」
「びっくりは、したよ……?」
「はい。びっくりさせちゃいました。……ああよかった。ちゃんと伝えられた」
「……伝える必要、あったんだか」
「それは勘太郎さまが、なかなか手を出してくれないからじゃないですかッ!」
「ッそ! ……そだな。すまん」
1年を良好に過ごし、毎日顔を突き合わせている同じタマゴグループの雌雄がいれば、そりゃ暗黙のうちにそういう扱いにもなる。虻丞も半ば冗談でおいらとの仲はどこまで進んだのか、なんて聞いてくるし、それをダイノが嫌がらなかったところで、おいらがもっと積極的にアプローチしてやればよかったんだけれども。
すっかり先を越されちまった。芽が出るまで辛抱強く待つのは農家男のダメなとこなんだろうな。やっぱりシティ・ガールは積極的だ。
ダイノの首が押し下げられ、おいらの頬と頬とが触れあった。キリンリキが示す最上位の愛情表現。どうしても気後れしちまうおいらの背中を押してくれるような、ダメ押しの囁きがあった。
けど。
「だ、ダイノ……。そろそろ、祭り行く準備っ、しないと……。虻丞たちが、心配す――」
「お野菜たち、どう食べていたか、見ます?」
「そらもちろん見たっ――、 ッ! ……ずるいよ、そんなこと言われたら、さあ……!」
白状しちまうと、彼女が好いてくれていると知った初日から、ダイノをそういう相手として意識しちまっていた。そりゃ、そうだろ!
意中のメスっこからそんな誘惑をされて、断れるオスがどこにいる。
「ふふ。正直、なんですね」
「……いいの?」
「はい。……準備をしておきますので、少ししたら奥へいらしてください」
籠を咥え直し洗い場へ向かうダイノの蹄の音は、心なしか緊張しているように固く響いていた。器用に念力でニンジンっこが持ち上げられ、溜められていた水桶にとぷんっ、と浸される。
オモテ祭りなんて適当な理由をつけてばっくれて、ダイノと過ごすことしか頭になかった。だけども、そろそろ皐月が浴衣を選び終わった頃だろう。林郷家に残る旨をどう伝えようかと考えあぐね、ふと観音開きの牛舎の扉口をちら、と見ると、アブリボンの尖った口角が覗いていた。おいらたちを呼びにきた虻丞が、ただならぬ雰囲気を察して入らずに見守ってくれていたようだった。
そそくさと扉を潜り、ダイノへ届かないよう声を潜め、案の定聞き耳を立てていた虻丞へ耳打ちする。
「虻丞……! その、おいら、急用ができちまって」
「するんだな、交尾……!」
「ぼかして!」
「勘太郎もようやく腹を決めたか。にいちゃんずっと応援してたんだぞ? このこの」
「よ、よせよう、揶揄うのは」
「藍魚が芽衣子についていってから、ずっと独り遊びだっただろ。相手も初めてって雰囲気じゃないし、自信ないなら任せるのがいい。あと体は綺麗に清めておけ。俺が手伝おうか?」
「うん……、ありがと」
濡れたタオルをどこからか持ち出し、虻丞はおいらから泥をせっせと拭い落としてくれた。こういうときフェアリーってのは用意がいいから怖くなる。
むかし龍雄が養蜂にも手を出したとき、知り合いの同業者からビークインを借り受けて、虻丞にあてがわれたんだった。当時っから村に飛んでってメスっこをつっかけていた彼は、働きバチの数を維持するためだけに交尾することを強いられ、その束縛が辛くて逃げ出しちまった。
自分の身勝手で林郷家の信頼を失墜させ、そのことを後悔している虻丞は懲りたのか、それ以降は仕事に打ちこむようになった。仕事は真面目に、遊びも真面目に。オスとして張りきるおいらの背中を力強く押してくれるのも、そういう過去あってのことだろう。
虻丞は片手をあげてグッと握りこみ、けっぱれよ! のジェスチャーを残して家の方へ飛んでった。ダイノの体調が悪くなって、それに勘太郎が付き添ってる、なんてうまい具合に取り繕ってくれるだろう。皐月たちに言葉は通じねえんだけれども、そういうのを伝えるのもフェアリータイプが得意とするところだ。
これで、心置きなくダイノと交われる。
「すまんね、待たせた」
「私も、心の準備、整ったところです」
仕切りを潜って奥間へと辿り着くと、彼女は寝藁を跨ぐように四肢を下ろし、おいらの到着を待ってくれていた。馬水桶でよく洗われたニンジンっこが念力に包まれ、寝藁へ収まったおいらの目線を独り占めするように、ダイノの尻側へと流れていく。たどり着いた先は――、口。キリンリキのしっぽは別の生き物みたいに目と口がついていて、小さな脳みそは独立して思考するんだってダイノは言っていた。でも、このときばかりは、同じことを考えているみたいなんだ。ギザギザの歯がニンジンっこの頭へかぶりつき、細まった先端をぶら下げるように咥えている。見えている部分だけだと、しっぽとちょうど同じ長さだった。
「こんな太っといの、使ってるんだ……?」
「何度も繰り返すうちに慣れてきてしまって……。品評会のときに見つけて、これだ! って思いました。勘太郎さんが育てたんだって知ったら、どうしても欲しくなっちゃって」
「それで、バトル大会を優勝するんだもんね……」
「あ、ちょっと引いてますね」
「もうこれ以上は土の中に引っこむしかないよ。んなことはしないからさ……続けて?」
おいらの視線をほしいままにしながら、しっぽが首を丸めるようにして、ニンジンっこの先端を、ダイノのおめこへ擦りつけた。
「あ……、っ、ん……っ!」
「わ、わぁ……」
栗饅頭みたいにふっくらした尻肉がぷるぷると震えた。スライサーで薄切りにするみたいに、おめこへ強めに押し当てられたニンジンっこが、しゅ、しゅ、しゅちゅッ、ダイノの尻の割れ目を往復していた。次第に早まっていく摩擦音に湿った音が重なるようになってくると、気持ちいいんだろう、どっしりと構えられていた彼女の後ろ脚もしょっちゅう踏み替えるように忙しなくなってくる。
やはり、しっぽはダイノの統率下にないんだろうか。それまで垂直だったニンジンっこに角度がつけられ、先端がにゅぷり、とダイノの中へと侵入を果たす。不意を突かれたらしいダイノは「んモっ!」なんて、腹の底から声を漏らしていた。ニンジンっこに捲られ、綺麗なピンク色をした粘膜が見えたときには、おいらは思わず「あっ!」なんて、その年初めてのリンゴっこの花が咲いているのを見つけたときみたいに声をあげていた。
半開きになったおいらの口から、白い吐息が逆巻いた。あまりの光景に数秒間、息を止めていたらしかった。体が火照っているのか、陽が傾いて寒くなってきたのか、まとめて吐き出されたおいらの呼気が白くけぶる。湯けむりの奥に、立ったまま首を押し下げ、同じく熱い鼻息をこぼすダイノが、きゅっと目を瞑って感じ入っている。
「ふッ、モっ、勘太郎、さんっ……ッ」
「おいらの名前呼んで……。もしや、おいらを想像しながらしてた、とか」
「……ッ」
ダイノは応えてくれなかったけれど、恥ずかしげに結んだ唇は白状しているようなもんだろう。
おいらが長年かけて改良した土壌、そこの栄養をたんと吸収して肥えたニンジンっこが、彼女の中へずぷずぷと沈んでいく。小刻みに前後させつつ、詰め放題のビニール袋を拡張するみたいに力強く、ニンジンっこはダイノの中へと収められていった。あんな狭そうだった入り口はニンジンっこの太さにまで開かれ、しっぽよりも長いはずのそれをまるまる頬張っていた。
引き戻されたニンジンっこはしっとりと濡れていて、美味しそうな鮮やかさを纏っていた。熱が入るくらいダイノの体温が高かったのか、と思っていたんだけど、てらつくその部分までがおめこの中に入ってたんだ、と気づくと、おいらの喉を生唾が転げ落ちていった。確かにこれは、腹が空いて出るよだれとは別もんだ。
ニンジンっこが出たり入ったりするたび、ダイノの蓄えてきた果汁が飛び散り、見上げるおいらの眉間に引っかけられた。思わず舌先を伸ばして舐め取っていた。林郷ファームで採れる完熟リンゴっこよりも甘い気がした。
「――ああッ! モっ、うくッ、ふぅぅうんっ……ッ」
「わ……、激し……」
「気持ち、いいよお……ッ、勘太郎、さん……ッ」
ダイノの妄想の中で彼女を抱いているおいらは「勘太郎さん」なんだな。変に畏まられるよりそっちの方がずっといいし、なんだかちゃんとつがいになれた気がして、おいらの興奮に拍車がかかる。
ニンジンっこをずっぷりと奥まで突き入れたまま、ダイノがぶるるッ、と尻肉を震わせた。しっぽの顎の力が緩めばそのまま中に取り残されちまうんじゃ、とやきもきしたが、これも慣れたことなんだろう。ニンジンっこを押しつけたまま、しっぽが頬擦りするみたいにぐりぐりとおめこを潰していた。ダイノは首を限界にまで押し下げ、寝藁に顎を乗せながらモゥモゥと悶えている。
――ずろっずるる……、にゅっぽ。
淫靡すぎる水音とともに、ニンジンっこが吐き出された。だらしなく投げ出されたしっぽの瞳までもが潤み、ぶらん、と吊り下げされたニンジンっこがほかほかと茹でられたみたいになっていた。ダイノは水洗いしてから食べてくれていたみたいだけども、おいらはもうそのまま齧りつきたいくらいだった。
息子に先を越されちゃ、おいらも黙っていられない。
「こんなの見せられたらおいら、辛抱たまらんよ……!」
「この体、勘太郎さまが作りあげたようなものですから。……どうか美味しく食べて、くださいね」
「ダイノ……!」
くっきりと歯形の浮き出たニンジンっこを傍へのけて、おいらはしっとりと濡れたダイノの後ろ脚をよじ登った。3対の腕を伸ばしきり、樹液を独り占めするヘラクロスみたいに、ボリュームのある臀部をわしッと抱えこむ。茶色の尻たぶへ頬を押し当て、おめこに腕を収納する場所でもある環帯を押し当てた。
ミミズズは成熟すると、腕の付け根部分がイモっこみたいに膨らんで、これがおとなのしるしなんだと。交尾のときはここをおめこへ擦りつけ、気持ちよくなるのがおいらたちのやり方だった。ダイノが実演してみせてくれた通り、キリンリキって種族の雄はきっと立派なイチモツを携えているんだろうから、おいらが満足させてやれるとは思えないけれども。
腕の1対をそろりと伸ばし、血流が良くなってもっこりと腫れたおめこを、左右へ押し開いた。環帯に生暖かい蒸気がかかる。どうなっているのか気になって目線を限界にまで下げるも、角度がつきすぎていて拝むことは叶わなかった。
開けっぴろげにしたそこへ、ちゅぷ……、環帯でよりかかった。たったそれだけの刺激で、おめこはにゅぱ、にゅぱ、と健気に吸いついてくる。ご無沙汰していたってこともあるんだろうけど、下手したらこのまま果てちまいそうだった。彼女と同じように、ぎゅっと目を閉じて快感に堪える。
「ふー……。ダイノ、気持ちいよ」
「ん……っ。お好きに、動いて、くださいね」
三ツ腕でへダイノの尻にへばりついたまま、地面を掘り進めるのと同じ要領でゆったりと体を上下に揺する。染み出してきた果汁がかき混ぜられ、オイルを塗ったみたいに鋼のボディをてらつかせていた。
ミミズズの交尾ってのは、もしかしたら他の種族に比べて味気ないかもしれない。10往復としないうちに環帯がふやけ、やわこくなってくる。この細長い体のどこにしまわれているか分からない精嚢が、ぐらぐらと湯立ってくるのが感じられる。
「お、おいら……、おいらっもう……!」
「ん、ふっ、……ッ、勘太郎さま、どうぞ来て……!」
尻肉を掴むおいらの腕の先が、縋るようにきゅっと丸めこまれる。豊満なダイノの尻へ顔を埋め、環帯に触れる柔らかさに心酔する。
どろんッ、と、おいらの体が鋼の芯から溶けるような感覚がした。ちんちんを持っている雄はその先端から勢いよく種っこを飛ばすんだと虻丞から聞いたが、ミミズズは性器をくっつけあったまま流しこむ。どく、どく、と脈打つ心臓の鼓動に合わせ、おいらの分身を差し出していく。
精嚢ごと持っていかれそうな強烈な感覚を味わっている最中ふと、視線を感じて顔を上げた。おいらの目の前で、スリーパーの振り子みたいに揺らいでいた黒いしっぽが、小さく首を傾けていた。快感に耽っているおいらのとろけた目と目が合うと、そっと近づいてきたしっぽの口が、半開きになったおいらの口へとぶつかった。
にぱ……、と開けられたギザギザ歯の奥から、紫がかった長い舌が伸び出してきた。イタズラ小僧のエルフーンみたいにおいらの口の中へあっけなく侵入を果たすと、あっという間においらのべろを見つけ出し、さもそうするべきだ、と主張するように絡みついてきたんだ。
「な……っ、は……!」
しゅく、しゅく、湿った粘膜どうしを交わらせる。後ろの口には唾液腺が備わっているのか、おいらの喉まで押し寄せてくるよだれの波。しっぽは器用に首を傾けたり押し下げたりして、お互いの唾液をくちゅくちゅと混ぜ合わせ、お互いの口内を行ったり来たりさせた。しばらくされるがままになっているうち、おいらの舌の付け根まで長舌が攻めこんできて、作り上げたばかりの液肥を根こそぎ持っていかれる。
彼女からの予期せぬアプローチに、おいらもはためたに興奮しちまったみたいで、出し切ったはずの種っこがおいらの腹奥からこんこんと湧き上がってくる。しっぽへ退散しようとするべろを、今度はおいらが引き留めた。突き出した舌先どうしを睦み合わせているだけなのに、それが信じられないほど気持ちいい。口と口との間にできたわずかな隙間が、おいらの吐く息で白くけぶる。途方もない快感にとろけたおいらのべろがずれ、外れそうになったところを縋りつくように結び直される。
種っこを受け渡しながら口吸いを続けるのが、こんなにも気持ちいいだなんて。
「――ッこれ、よすぎて、おかしくなりそ……」
なにも交尾自体が初めてっていうわけでもないんだ。芽衣子がまだ中学校に通っていたときは、そのパートナーであるヌオーの藍魚とおいらは一応恋仲だった。一応、というのは難しいんだけども、天然なアイナは雌雄のそういうことにあまり興味がなかったんだった。付き合っているんだし、ということで交尾は何度かしたものの、おいらが興奮しすぎてアイナの体の土部分を食べてしまったりして、それが原因で彼女をますます交尾嫌いにしてしまった。
ブランクがあるにしたって、これは。交尾がこんなにも気持ちいいことだったなんて。圧倒されたおいらは力尽きて腕を離し、そのまま寝藁へ倒れこんだ。
同じようにおいらのすぐ隣へうずくまったダイノへ向け、おいらは首の体節を持ち上げた。品評会ではおいらの息子が表彰されたし、ダイノとの交尾はすごくよかった。今日はいいことづくめだ。眠る前になにか、おしゃべりしておきたい気分だった。
「なあ、ダイノ……。よかったんだけど、最後にしてくれたやつ、あれなんだ? なんて言ったらいいか分かんないんだけども、その……、すご、かったな」
「……そうですか。それはよかったです。私は疲れてしまったので、おやすみなさい、勘太郎さん」
「あ……、ッあ、え? 早いね……」
体力の限界が訪れたのか、ダイノは器用に四肢を折りたたみ、長い首を寝藁へ放り投げると、すぴ、すぴ、と早くも寝息を立て始めたんだった。
……おいら、そんなに下手だった?
ひとり取り残されたおいらも、穏やかに上下するキリンリキの胸を眺めるでもなく眺めながら、寝藁へ顎を下ろした。いつもは畑に埋もれて眠るんだけれども、干し草の柔らかさもたまには悪くない。
ダイノはオモテ祭りを楽しみにしていたんだっけ。でもきっと、屋台を見て回るよりも楽しいひとときを、おいらと過ごせたんじゃないかと思う。そうだと思ってくれてたら、いいな。
遠くで祭囃子が響いていた。祭りもたけなわに差しかかる頃合いだ。笛と太鼓の音に耳を傾けながら、おいらもうつらうつらと、このまま寝ちまおうととぐろを巻いた。
『コイツの味、美味かったかあ?』
跳ね起きた。虻丞が戻ってきたのかと焦ったが、脳に響いた声はもっと高い、メスっこのもののようだった。
――脳に響いた、声。耳腔を震わせることなくじかに頭へ降り注いだ音は、テレパシーってやつなんだろうか。
素早く視線を巡らせ、手狭な牛舎のどこにも気配も見つけられずに戻ってきたおいらの目の前で、顔が揺らいでいた。しっぽだ。さっきまで無表情を貫いていたしっぽが、にんまりと口角を持ち上げ、まん丸い瞳をいやらしく歪ませながら、おいらを見据えていたんだ。
『ここだよ、ここ。さっきからいンだろ、すぐそばに』
「わ、わっ、ゎ、あわわ……!」
『なあンだよ、そんな慌てふためいてさ。あんなエッロいキスした相手をもう忘れたか?』
「え、え、え。きみ、喋れるんだな!?」
『声を荒げるなよ。コイツが起きてくる』
しっぽは呆れたようにまなじりを押し下げた。ダイノが起きている間はピッピの指先のようにぴんと立てられたまま周囲を警戒し、常に塗りつぶされたような暗い色をしている瞳が、牛舎の中央に吊り下げられた豆電球の光を受けて妖しく艶めいている。
ダイノが言っていたことをもう1度思い出す。しっぽにも小さな脳みそが備わっていて、彼女の意思とは無関係に動くことがある、なんて。背後から近づいてきたものへ無意識に噛みつくらしく、それを知らなかった虻丞が食べられかけたときは心底肝を冷やしたんだけども。
でもそれが、まさかテレパシーで語りかけてくるほどに独立しているんだとは、思ってもみなかった。
「え、えっと、初め、まして……?」
『1年間ずうっと一緒だったろ。それと、言いたいことあンなら頭の中で思ってくれるだけで、こっちは読み取れるからな』
(そ、そっか。テレパシーって、便利なんだな。――じゃなかった、きみは、何者なんだ!?)
『そうだなァ。別になんと呼んでくれても構わないが、コイツにあやかって、ショーノ、とでも』
(ショーノ……)
心当たりはあった。
皐月は農業高校時代に心理学へ熱心だった時分があって、そのとき聞かせてもらったことがある。多重人格、ってやつなのか。複数の独立した人がらが、同一人物の中で交代して現れる人間がいるんだと。耐えきれない苦痛や極度のストレスによって精神が壊れてしまうことを防ぐため、当事者が感覚や記憶を自ら分断することで心を守っているという。
芽衣子がダイノをそんなふうに扱っていた……、なんてのは、おいらの早とちりなんだろうけど。ともかく彼女は助けを必要としているはずだ。だからこうして、おいらにだけ打ち明けてくれたんだ。
(その……、やっぱりアカデミー時代は辛かったんだね。これからはもっとおいらが、つがいとして、寄り添っていくからさ。きみは、――ぅ!?)
『ンなことどうだっていいだろ。……続き、しねえのか?』
言葉を選んで半開きになっていたおいらの口が塞がれた。ダイノに種っこを渡しながらのキスもなかなか強烈だったが、今度こそ容赦がなかった。ひと回り小ぶりな口がおいらの口へ斜めに差しこまれ、ヘイガニどうしの握手みたくぴったり噛み合わされる。
ダイノ譲りの長いべろが、おいらの口の形を確かめるように、喉奥までを抜かりなく撫で回していた。鋼に包まれた体の中で最も柔らかな肉を丁寧に愛撫され、おいらの髄に油を注がれたみたいに全身が熱をぶり返していく。
そうこうしているうちに頬へ溜まった唾液を、噛み合うような濃厚キスのついでに明け渡す。彼女から渡されたものを、こくこくと喉を鳴らして腹へと収めていく。
5分はそのまま、べろのみでの交尾に耽溺していたと思う。しっぽは眠らないでもいいし、呼吸をする必要もないらしい。流されるまま息苦しさを忘れるほどのめりこみ、もしくはだからこそ意識が薄らいでいたんだろうか、ぶはッ、と肌寒い空気を肺いっぱいに取りこみ、おいらはちかちかする頭で考えた。なにも考えられなかった。
(ショーノ……っ、ショーノ……。おいら、どうすれば)
『わあッてるよ』
硬さを取り戻しかけていたはずの環帯が、輪郭がふやけるほどに軟化していた。ぞぞぞ……、と、出しきったはずの種っこを補填するため、体のどこにあるかも知れない精嚢がせっせと蠢いていた。
ここを舐めてくれ、なんて懇願をおいらが思い浮かべるまでもなく、ショーノが環帯へべろを伸ばしていた。種っこを出すために開けられた小さな孔を的確に捉え、その周囲をしつこいくらいに舐め回していた。
(あっ……ッ、あ、うわ……!?)
それからは早かった。
紫色をした新種のミミズズがのたうち回って、おいらはあっという間に種っこを漏らしていた。こんなにも興奮したのは、生まれて初めてのことだった。
⚪︎
さらに1年が経った。
(ショーノ……っ、もっと、おいらのべろ、吸ってくれ……)
『はいはい。あんたはこれ、ほんと好きだよなァ』
(ああ好き……、好きだよ、ショーノ)
『……それコイツに言ってやらなくていいのか?』
健やかに肉をつけたダイノの尻たぶに抱きつき、種っこをとくとくと注ぎ渡しながら、おいらはショーノの舌と舌を濃密に絡めていた。にゅる、ちゅぷッ、にゅるにゅるにゅる――ネオラントのように翻るショーノの舌に合わせて踊るのにもすっかり慣れた。なにぶんこうしていられる時間は、おいらが種っこを吐き出しきるまでの10分にも満たない時間しかないんだから。お互いの唾液を絡ませながらねちっこく、それでいて緩急をつけながら舌先どうしを遊ばせたり。カムカメが噛みついて離れないようなえげつないキスでおいらの口の中が全部持っていかれそうになり、代わりに環帯から種っこを威勢よく吐き出した。
こうしてふたりで醸造した粘液を、本当は音を立ててごくごく飲み下したかった。そうしなかったのは、ダイノに聞かれてしまうからだ。おめこに種っこを注がれる感覚を、目を瞑って堪能しているダイノに気づかれないよう、おいらはショーノと濃密なキスを繰り広げる。これが、どうしてか、たまらなく気持ちいいんだ。
いつものように寝藁へ横たわり、ダイノが静かな寝息を立てていた。おめこから滴るおいらの種っこを眺めながら、もそりと首をもたげたショーノとテレパシーを繋げていた。
キリンリキの睡眠時間は短い。冬場なんかだと30分と経たずして首をもたげてくるんだ。初夜なんて、おいらがもたもたと事後の後始末をしているうちにダイノが起き出して、手伝わせちまったくらいだ。それから一睡もせずに次の日の農作業に汗を流していたんだから驚いた。おいらといえば、畑を耕すふりして土の中で居眠りを決めこんでいたっけか。
だから、こうしてショーノとピロートークを繰り広げられるのも、ほんのひとときしか許されていないんだ。
(今日もすごく、よかったよ。ショーノ。あの吸いつくやつ、また一段と上手くなってた)
『褒めるんじゃねえよ、気色悪ィ』
(ダイノももっと積極的になってくれると、おいらも嬉しいんだけど)
『……お前からも何かアプローチしたのか?』
(したいけど……ううん、難しいね)
夫婦になって1年も経てば、夜の営みがマンネリ化するのは仕方ないことなんだとは思う。ダイノは常に4本脚で立ってるし、対しておいらに足と呼べる部分なく、交わる体勢はいつも同じ。リンゴっこを相手にしていると旅行なんて話も出てきやしないし、シチュエーションなんてのも牛舎か外かの2択だった。
それでも週末には必ず、どちらから誘うともなくベッドを共にした。夫婦関係は悪くない、とは思う。夜の営みに不満があるわけでもない。
ただ、贅沢を言わせてもらうんだったら、彼女にもっと感じてほしかった。気持ちよくなってはくれているんだろうけど、先にイくのは決まっておいらの方だった。ゆくゆくはタマゴも授かりたいんだけれど、これだけ体を重ねてもできる兆しがない。やはりダイノがもっと気持ちよくならないと望み薄なんだろうか。
それと、おいらが先にバテちまって、ダイノが物足りないときは野菜っこが使われる。おいらの息子に嫉妬している、って表現するとややこしいんだけども、雄として不甲斐なさを感じずにはいられんのだよな。
ニンジンっこよりも太っとく、立派な男の根っこがおいらにも備わっていたら。そんな妄想をしたのは、1度や2度のことじゃない。いつも余裕そうなダイノが腰を抜かし、生まれたての頃に戻されたみたいに四肢をプルつかせ、立てなくなるまでイかせてやるんだ。
(できることなら、ひとつになりたい)
『ふぅん……』
そんなおいらの妄想を半分聞き流しながら、ショーノは長いべろをちらり、と見せた。彼女がキスしたいときの合図だった。
おいらは体のほとんどを寝そべらせたまま首を寄せ、口を開いた。しちゅ、ずちゅ、んぢゅるる……。回数を重ねるごとに、ショーノのキスは深く、よりえげつないものになっていった。立てられる水音でダイノに気づかれるんじゃないかとハラハラし、またそれがスパイスとなっておいらの興奮を駆り立てた。
『マンネリを解消したいんなら……じゃあさ。コイツのうんことか、食えるのか?』
(ゔ!?)
テレパシーってのは口が塞がれながらでもコミュニケーションが取れるから便利だと思っていたけれども、さすがの内容に思わず舌を噛みそうになった。キスの最中にそんなこと尋ねないでよ……。
(確かにおいら、土食って特性、持ってるんだけどさ……。それは、土の中のミネラルを漉して、おいらの鋼を増強しているわけであって……。その、見た目は似ているかもしれんだけど、勘違いしてほしくないんだよ)
『なんだ、つまらねえ』
(……まあ、それでダイノが興奮してくれる、ってなら、おいらも考えるけど)
『きしょ』
『あ、愛してるんだよ! それくらい……、ってこと、言いたかったの!』
『そう』
そのあとショーノは興味なさげに適当なテレパシーを送りつけ、おいらの口からべろを引っこ抜いた。今日は20分も繋がったままだったんじゃないか。ぜえはあ息を整えるおいらに『そろそろコイツ起きるよ』なんて伝えて、つぶらな瞳からは光を失せ、ただのしっぽへと戻っていった。
彼女に気づかれる前に、おいらも退散しなくちゃな。音を立てないよう慎重に這いずりながら、狭く開けられた換気窓から牛舎を後にした。ダイノとは1度も唇を吸いあったことないのに、ディープキスだけやたらと上手くなっていく。
⚪︎
おいらが耕した畑に初どれのリンゴっこが実ったのはやはり、何かと大きなイベントが重なる11月の中旬だった。ダイノが林郷家に来てから4年目のことだった。
「……ちっちゃいですね」
「初年度はそんなもんだ。売れるようになるのは来年からかな」
実がなったとはいえリンゴの果樹はまだまだ生育途中だ。果実も姫リンゴっこかと思うほど小さいまま、陽に満遍なく晒しても青さを残していて、ひとつの株に3つから10個程度しかつかない。鈴なりに実をつけてくれるには、あと5年は待つ必要があるだろう。農業ってのは辛抱が肝要だ。
そんな中、ひっそりと成長を続けていた芽がついに実りを迎えた。ダイノがリキキリンへ進化を遂げたんだった。
4つのツノが揃った黒いフード、その奥から、厚ぼったい上まぶたの流し目がおいらを見下ろしていた。耽美なまつ毛はオトナの雰囲気を纏い、ほくろみたいに3点連なった目下の模様がおいらの心を捉えて離さなかった。アンニュイと言うのか、エキゾチックと言うのか、横文字には弱いんだけども、とにかくそんな感じだ。
「お、おぉ……。進化、おめでとう、ダイノ。ずいぶんと別嬪さんになったもんだな……」
「そう?」
ダイノは長いまつ毛でウィンクしてみせた。気取っているふうにも、まして何かを隠しているようにも見えなかった。……このときは、まだ。
リンゴ狩り体験も参加者がおらず、実にのどかな昼下がり、裏山から野生のリングマが降りてきて、そいつを退治するべくダイノが戦ってくれたんだった。いつもは念力やらでねじ伏せるものの、今日はいきなり両目から光線を発射して、そうして覚えた技が進化のトリガーになったらしかった。
もちろんみんなでダイノを祝福した。その日の晩飯は皐月が腕によりをかけてダイノの好物を拵えていた。めったに褒めることのない龍雄も「よくやったな」と半分照れながら、下げられた彼女のフードに手を突っこんで、頬を撫でてやっていた。噛まれそうで怖くないんだか。
夜の営みにおいらから誘ったのは、ずいぶんと久しぶりのような気がする。進化を遂げたダイノがあまりに魅力的で、夕方の畑仕事もほとんど手をつけられなかった。地面から頭を出してぼーっとしていたところ、籠いっぱいにリンゴっこを抱えた皐月に踏まれ、驚かしちまったくらいだった。
いつもの、慣れ親しんだ牛舎に、豆電球の小さなあかりが点っている。
進化したダイノは腰の位置もグッと高くなり、後ろ脚をよじ登るだけでもひと苦労だった。おいらの腕で広げられたおめこは、環帯の前面をすっぽりと覆い尽くすほどにまで幅広くなっていた。ダイノの体温がより近くに感じられ、かえっておいらが小さくなったような気分にさせられる。
「はあッはあ、はゃゃ……。これっ、前よりずっと、気持ちいよ……」
「ふふ……。勘太郎さん、大丈夫ですか」
「ダイノは余裕、そうだね……。そら、そうか」
彼女を足が立てなくなるまで気持ちよくさせてやりたい、なんて願望はさらに遠のいちまったな、こりゃあ。初めてまぐわった夜のように、おいらは10往復足らずで限界にまで追いやられていたんだった。
快感の波をやり過ごし、環帯を絞りつけようと目を細めながらも、気づく。おいらの視界から、あれだけうるさかったにやけ顔がいなくなっていたんだった。
そのおかげで、彼女の尻が丸出しになっていた。フードの黒茶色は背中側を伝い尻の割れ目まで伸び、よくよく目を凝らすと、ダイノの後ろの穴が尻たぶに隠れるようにきゅっと凹まされている。この至近距離だと、尻穴に刻まれた浅い皺までくっきりと露わになっていた。おいらの顔面のちょうど真ん前でひくつくそこへ、気づけばむしゃぶりついていた。
「や! ぁ……ッ、そんなとこ……!」
「いつも堆肥と一緒に泥まみれになって畑の土を混ぜこんでんだ、ダイノのもんくらい、どってことね……!」
趣味ではない、意地だった。余裕そうなダイノに一矢報いるためには、こんくらいの頑張りは必要なんだろうから。
反芻するダイノは他のポケモンよりも長い間野菜っこを体内に溜めているおかげか、確かに芳しいにおいがする。ここ数年、林郷家の堆肥は彼女のものに頼っているから、慣れ親しんだ馥郁には違いなかった。そういやいつもの交尾のあと、ダイノのうんちを食べられるのか、なんてくだらない会話とショーノとしたんだっけか。いまのおいらならそんなもの、頬張ることだってやぶさかじゃない。全てを知ったつもりでいたメスっこが見せた、新たな一面。新婚とも呼べなくなってくる間柄で、こうも新しく興奮できるとは思わなかった。
表面に刻まれた細かな皺をなぞるように、舌先でちろちろちろ……、と小刻みに撫でつけた。せり上がってくる唾液をまぶし、輪郭を確かめるよう丹念に外周を舐めまわす。ここもおめこと同じように柔軟な筋肉の塊なんだろうか、熱心にしゃぶっているうち柔らかくほぐれ、ぷっくりと盛り上がりさらに口へ含みやすくなってくれた。
舌先でぐにぐにと弄っているうち、鮮やかなピンクをした内側が見え、おいらはついそこへべろをけしかけていた。
「ひゃ!? かっ勘太郎さん、お尻、中まで……!」
「ん……、しょっぱい……」
こなれた菊門を押し開き、舌先を内部へと忍ばせる。ぐりゅぐりゅと掻き回すようにべろを付け根から暴れさせ、ダイノの終端を味わった。括約する筋肉は異物をひり出そうといたいけに窄まり、おいらのべろを締めつけるように挟みつけてくる。
なんだかこれも、キスをしているみたいだ。
「これや、ば……、?」
そう思った途端、環帯から種っこを吐き出していた。尻への愛撫を始めてから、射精の波は引いていたはずだった。漏らすように染み出した精液は焦るおいらを嘲笑うように止まらず、環帯がふにゃりと萎んじまうまで抜け出していった。その間じゅう、尻穴へ差し入れたべろを乾かさないよう、直腸のぬめりをこそげ取っていた。
「……出しちゃったんですね。私のお尻を舐めるの、そんなによかったんですか」
「そ、そう含みを持たせて言わんでくれ……。おいら変態なんかじゃないよ?」
「ふふ、本当ですか?」
名残惜しかったが、彼女の追及から逃れるよう、おいらはそそくさと尻穴から口を離した。キュートな腰つきをよじ登り、茶色と橙がくっきりと分かれたリキキリンの背中へとよじ登る。太古に生きた恐竜みたく生え揃ったぎざぎざの突起物を避けつつ這い進み、首元へぐるっとマフラーを巻くみたいに折り返し、彼女の尻を見下ろすように陣取った。
さんざん舐め回したせいかふやけた尻穴に環帯を引っかけ、おいらは彼女の背中から身を乗り出した。手前の腕をぐっと伸ばし、くぱぁ、とおめこを目いっぱい押し開く。ぽたた、たッ、おいらが出したばかりの白い種っこが粘膜をいやらしく滑り、端っこから垂れ落ちていった。
「おいらは変態じゃないんだけど、ダイノはずいぶんと……えっちになったね」
「勘太郎さん……? お次は何を、するつもり、なんですか……?」
種っこの届かなかったタマゴ穴が、ぽっかりと暗がりを湛えていた。ダイノの鼓動に合わせ腹側の粘膜を持ち上げるようにして隠れたり、現れたりする。ここに潜りこみ、1番奥でおいらの種っこを蒔いたら、どんなに気持ちいいんだか。ダイノと、ひとつに、なりたい。ずっと抱き続けていた妄想が、おいらの口を滑らせた。
「ダイノ、さあ……」
「どうしましたか」
「ここ、入って、いいか?」
「……え?」
フードの裏で声がひっくり返った。長くなった首がぐるん、と回されて、怪訝そうな瞳がおいらをなじるように向けられていた。別嬪さんにそんな顔されるとおいら、なんだか申し訳なくなってくるんだよ。
「……変態なんかじゃ、ないのでは?」
「や! いやその、ただ単に、純粋に思いついただけなんだけども、ダイノ、進化しておっきくなったから、もしかしたらおいら、できるんじゃねえかって……。すまね、変なこと言った。忘れてくれ」
「勘太郎さんが丹精こめて畑を耕して、そこで採れたお野菜で育ったこの体。……どうぞ、今度は私を、思うままに耕してください」
「た、耕すって……。それ、ずるい誘い方だよ……!」
生唾を飲み下し、はやる血流を深呼吸して宥めながら、腕を伸ばして開けっぴろげにしたおめこを再度覗きこむ。目の前に広がる肥沃な圃場にぽっかりと開けられた、潜りこむべき孔隙。首の体節を深く畳みこみ、粘膜へ浅く顔を埋めた。「んっ」なんて背後から響くダイノの喘ぎ。にゅく、にゅく、とおいらを挟みこんでくる肉輪のしなやかさを確かめるように、タマゴ穴の周囲を口先で突きつつ溢れ出てきた膣液を存分に舐め回す。
開墾されていない硬い土へ潜るとき、このまま掘り進めるのは難しいかどうか、肌感覚でなんとなく分かる。土壌の柔らかさとか、水分の含有率とかから導き出される、長年の勘。おいらが普通のミミズズよりも痩せっぽちなことを、生まれて初めて感謝した。これならきっと、裂けちまうようなこともあるまいよ。
「い、いくぞ」
「はい……っ、どうぞ」
頬擦りしただけで汁まみれになった顔を上げ、ちら、とダイノを盗み見る。おいらへ健気に献身してくれているんだけど、今まで試してきたどの野菜っこよりも太いだろうもんを受け入れるのは、やっぱり怖いらしい。長い首を押し下げ、胸で大きく息をついていた。パーカーの裏ではきっと、両目を固く瞑っているんだと思う。
「野菜がまるまる肥えるような土を作るには、5年……いんや、林郷ファームの野菜を育てる土は10年かかって完成させたんだ。土をぞんざいに扱うようなことはしない。おいら、土作りにはこだわるタイプなんだよ。任せて、くれるかい」
「はい……。勘太郎さんのことは、もとより信頼していますからっ」
あんまり気の利いたことは言えんかったんだけれど、ダイノの緊張は少しほぐれたみたいだった。しきりに窄まる穴っこを口先で丹念にほじくりながら、尻周辺の筋肉が緩んだタイミングを見計らい、ぐい! と頭を突き入れた。
「ンああっ!」聞いたこともないダイノの、切なげな声。「勘太郎さん、勘太郎さんが、入って、く、る――ぅうゔっ!」
「き……、っついよね、やっぱり……!」
ニンジンっこなんかで拡張されてきたダイノのおめこは、どうにかおいら1匹ぶんの隙間を用意してくれそうだった。侵入を果たした頭が外れないよう、そこを起点に体節をくねらせる。ひと回り太くなっている環帯がにゅぽん、と沈んじまえば、あとは畑の土と同じ勝手らしい。
裏手の林をちょっと入ったとこの枯草をひっぺがすと、溶け固まった牛脂みたいな白い塊が見つかることがあるんだ。おいらたちが土壌細菌って呼んでるそれで、米糠や油粕を醸して作るぼかし肥は、まいた畑が発酵作用でほのかに温かくなる。そうして耕起した畑は極上の布団そのもので、寝落ちした回数はおいらの腕の数じゃ足りんくらいだ。
そうやって丁寧に仕込んできた腐葉土を掘り進めているみたいだった。顔を埋めるだけでほぐれるほど柔らかく、しっとりと水もちがよく、むんわりとにおい立つ暖かさ。奥へ奥へと潜りたくなるようような、その底で丸まって冬眠したくなるような……。ここに種っこを植えつければさぞ立派な息子が育つんだと思い、それができるのはおいらだけなんだって気づいた途端、うぞうぞと体節が半自動みたいに蠢いた。湧き上がってくる熱は蒸気機関みたく鋼の内側に篭り、単調な運動を飽きることなくおいらに繰りさせていた。
『ああっ、すごい……!』掘り進むおいらの脳へ直接音が響く。ダイノがテレパシーに切り替えてくれたらしい。『勘太郎さんの、節がいいところ、引っかかって……!』
(おいらも、これ、すごいよ。クセになりそ……)
告白されたときは驚きもしたんだが、ダイノがニンジンっこで遊んでくれていて助かった。こんなことそりゃ初めてだろうけれど、ちゃんと快感を得られているんだろう、おいらを歓迎するみたいに膣穴を締めこんでくる。ぎゅうぎゅうと押し寄せてくる肉の波を掻い潜るように、おいらも全身の体節を強くしならせる。
ふだん土の中を掘り進むには視覚は頼りない。口先に触れたものが岩なのか根っこなのか判別つくよう、鋼タイプといえど肌感覚は鋭敏になってんだ。ぬめついた媚肉の抱擁を受けた環帯が、今までどんな肥沃な土壌に包まれてもならないくらいに柔っこくなっていた。
重力方向に合わせるため全身に捻りを加えると、イモっこを丸洗いするみたいに環帯を膣壁でくまなく撫であげられ、危うくイっちまうところだった。いつもは種っこを出す孔のある前面だけを擦りつけているんだけども、360度全方位からいっぺんに刺激されるなんて未知の体験だった。慌てて腕を露出させ、環帯がへたに摩擦されんように突っ張っておく。
(っく、やば、ダイノ、待ってほしいんだけど……! あんまし中、動かさないで……)
『私も、そのっ、余裕、なくて……っ。お腹の奥が、疼いて、切なくて……。勘太郎さん、もっと、奥の方、耕して……くださいっ』
(……。えっちすぎるってそれ……)
興奮を宥めているついでに、3対の腕で膣壁を撫でていた。おいらを取りこんで押し広げられた肉筒、その内側は柔らかな肉がひだ状に連なって、複雑に折り重なっているらしかった。おいらがひとつ体節を蠕動させるたびに奥へと流れ、舐めるように戻される。オスから種っこを搾り取るために特化したこんな機能的土壌、おいらも潜ったためしがない。
入り口は特に締めつけが強く、おいらがどれくらいダイノの胎を掘り進めたか見当がつく。環帯を過ぎ、おいらの全長の半分――6節のうち3節ほどは埋もれたんだろうか。
次第に道幅も狭まってきて、体節をいくらうねつかせても押し戻されるようになった。これよりは掘り進めない岩盤にまで到達したみたいだった。おいらの上唇とぶつかる、柔らかな膣壁とは明らかに異なるコリッとした感触。直径3センチほどの、アブリボンに噛みつかれた痕のように固く腫れたここはきっと、ダイノがタマゴっこを育てるための部屋の入り口だ。
尖った歯を並べたフードの口を潜ったその先に、リキキリンの本当の口がある。おめこの奥底に、こんなキュートなお口がおいらのキスを待っていただなんて。
それまで閉じていた口をそっと開く。途端に流れこんでくる粘液を飲み下しつつ、彼女の鼓動に合わせて脈打つ肉厚な蓋っこへ、おそるおそる噛みついた。
『――あああっ! そこ、勘太郎さんッ、そこです! 私の、疼いて、仕方ない、とこ、ろ、で――っ、〜〜〜〜!』
(ここ、刺激されるんが、気落ち、いんだね)
効果はてきめんだった。あれだか長いニンジンっこでも、ましておいらの環帯じゃ到底届かなかった最奥が、初めてもたらされる刺激にどくんッ! と大きく鼓動した。
子宮口へ甘噛みしたまま、全身をうぞうぞとのたうち回らせる。絡みついてくる肉を押しやり、胎全体を大きくかき混ぜてやる。畑の土を撹拌して、通気性を確保するつもりで、体節を唸らせながらダイノの中を泳いでいく。
環帯の1番感じるところが、膣壁のざらざらしたところにぶち当たっていた。緻密に生え揃った肉ひだがおいらの全身をくまなく弄って、妄想の中で架空のちんちんを突っこむよりも熾烈な快感を伝えてくる。
(数の子天井……、ミミズズ千匹……)
『なんですか、それ』
(な、なんでもねッ)
『モぅおッ!? か、勘太郎さッ、激し――、〜〜〜ッ! それすご、ふも゛ッ、お、お゛ ――――!』
あらぬ妄想を拾われ、誤魔化すように蠕動を乱れ打った。時折テレパシーが分断されるほど、ダイノは感じてくれているみたいだった。まるでおいら自身がちんちんになって、ダイノをヒィヒィ喘がせてる気分だ。ずっと抱いていたすべたな願いが実現しているようで、気分の良さがおいらの限界をせき立てている。ひとつ贅沢を言うんだったら、こんなに出鱈目に喘いでくれるダイノの表情を拝みながら、種っこを気持ちよく漏らしたかったんだけれど。
(ダイノ、おいらッそろそろ、限界……!)
『んモぉッ、ぉおお゛……! 私も、イく、イってま、すぅ……!』
(おいらの種っこ、1滴残らず、ここでッ、飲み干してくれ……!)
蒔いた種っこが元気よく発芽するのを願うように、子宮口への甘噛みを保持したまま、べろを突き出した。固いしこりの中央に窪んだところを舐めあげると、クセの強い酸味がおいらの味蕾をくすぐってくる。子宮に繋がる小さな穴っぽこから、愛液ともまた違ったダイノの髄が漏れ出しているみたいだった。美味しいわけでもないってのに、とうとうと湧き出てくる果汁を舐めまわすべろが止まらない。ショーノとのディープキスでさんざん鍛えあげたテクニックを存分に発揮し、泥遊びする藍魚みたいにべろをのたくらせた。
ダイコンっこの種を蒔くときは特に、高畝に播種穴を開けてそこへ落とすと発芽率がぐんと上がる。ここにおいらの種っこを植えつけるんだと教えられているみたいで、はためたに興奮した。今までのおいらは、おめこに種っこを擦りつけただけで満足していた。それじゃ趣味の家庭菜園とそう変わらんだろう。いっぱしの農民が本気で息子を育てようとするんだから、土作りからこだわるべきなんだ。
やっぱりおいらは、射精しながらキスすんのが癖になっているらしかった。
どろり、と溶け落ちるようないつもの感覚。だけれどそれは、いつもの比にならんほどに気持ちいい。おめこに擦りつけるだけの交尾が霞んでしまうくらいの快楽、出しすぎた種っこがおいらの顔にもべっとりとへばりついたんだが、そんなこと気にもならなかった。
身じろぎせずとも、でたらめにイくダイノのうねりに合わせ、快感の波が押し寄せてくる。種っこが枯れるまでおいらはじっと、肉畝の心地よさを全身で味わっていた。
(はあ……、はあッ、気持ち、よかった……! はあ……)
『ふも……ッ、ぉ゛――、ッ〜〜。……』
(……ダイノ? 大丈夫か? そろそろここから出るからね)
ダイノの腰に絡めていた3節を頼りに、緩慢と全身を引き抜いていく。ぶびび、ぶぼッ、なんてはしたなすぎる空気音を漏らしながら、環帯で愛液を掻き出すようにして彼女の中から退出した。彼女の背中へだらりとしなだれる。呼吸をすっかり忘れていた。忙しく上下する彼女の背中にへばりつきながら、おいらも大慌てで寒々しい空気を取り入れる。
こんなときキリンリキのままの彼女なら、しっぽがおいらをおちょくってきたはずだった。お邪魔者のいなくなったダイノの尻は耽美な曲線を描いていて、こんな別嬪なメスっこを嫁さんにできたおいらはなんて運がいい。射精後の脱力感も手伝って、おいらはなんとなしに腕を出して撫で回していた。
不意に、おいらの視界がぐわんッ、と裏返る。進化して強まったリキキリンの念力で全身を捕まれ、ダイノの眼前に運ばれたらしかった。
ダイノがおいらを無理やり移動させるようなことはまずしない。どうしたのか、と重くなってきた瞼を持ち上げると、妖しく瞳を光らせたリキキリンの相貌が正面から向けられていた。
『進化したコイツの中は、どうだったよ?』
「へ……?」聞き覚えのある声に、腑抜けた頭をがつん! と打ち抜かれたみたいだった。「ま、まさかっ……!」
青ざめるおいらの目の前で、カシャン、と、まるで罪人の牢獄へ錠がされるような音で、ダイノの被っていたパーカーのフードが下ろされた。4つのツノを備えた茶黒のフード、その側面に居座った双眸が、ダイノに代わっておいらを見下していた。
『なかなかいい趣味してんじゃねーの、勘太郎サン』
「き、きみはっ、まさか……ッ、ショーノ、なのか?」
『あんな熱烈なキスを何度も交わした相手だってのに、忘れられるわけがないよなあ』
「な、なんできみが、なんというか、ダイノを乗っ取ってるみたいに……」
『察しが良くて助かるなあ』
川向こうのシイタケ農家では、キタカミの里には野生で生息していないパラスが飼われていた。土壌細菌探しが得意な気のいいやつだった。幼い頃おいらもそのコツを教えてもらったんだが、数年前に彼女がパラセクトへ進化したと聞いてお祝いに出向いたとき、対面したそいつは中身が入れ替わったようにジメジメした性格になってたんだ。トレーナーに話を聞くと、背中に生えいているキノコが性格の大部分を占めるようになったとかで、そんなこともあるのかと当時は背筋を凍らせた記憶がある。
まさか、リキキリンも、そういうことなのか。
「そ、そんな……」
『本望だろう? こうなるのを願って、毎夜こっちに愛を囁いていたんだろう? だからお望み通り、こっちが前に来てやったのさ』
「か……、返して!」
『ン〜? どうしてさ』
確かに、おいらはショーノに惹かれていた。交わったあと、たわいない話で盛り上がってくれるショーノに寄りかかっていた。あの楽しいピロートークを無かったことにできるほど、おいらは自分自身を騙せる嘘が上手くない。
だからとて、ダイノを乗っ取られるのは、違うんだ。おいらの育てたリンゴっこ、野菜っこをうまいうまいと食べてくれた彼女がもういないなんてのは、考えるだけで苦しく、耐えられないことだった。
「返してくれ……」
『…………』
「おいらが惚れた、キリンリキのダイノを、返して、ほしいんだ。あんたは、……あんたは、引っこんで、くれ。おいらを好いてくれた、キリンリキの一部、なんだから」
『んン……。悲しいことを言ってくれるねえ』
フードを閉じたまま、ショーノの口角が吊り上がった。もごもごと、頬の内側が盛り上がる。乗っ取られかけているダイノが暴れてマズルがぶつかっているみたいで、おいらは目を逸らそうとした。したのに、ショーノの念力でまぶたを無理やり開かれる。電気椅子に座らされ、狂ったマスカーニャの拷問マジックを見せられている気分だった。
『じゃあ、感動のご対面といこうか』
ショーノのテレパシーと共に、牙で閉じられていたパーカーの襟が、カシャシャ、と開かれた。老朽化が進んだビニールハウスの扉を押し開けたようだった。
でろり、と粘度の高い唾液の幕が遮る奥に、ぼんやりとしたリキキリンの素顔があった。おいらを魅了した流し目はとろんと垂れ、悪逆非道なヤドキングに洗脳されたみたいに焦点が合っていなかった。呼吸しているかどうかさえ危うい、どこか別世界を眺めているような双眸でおいらをじぃっと見据えながら、人間が爪に塗るインクみたいに鮮やかなピンクの鼻を不意に跳ね上げ、控えめになったマズルをぐわンっ! と開ききった。
「わ……、あぅ……!」
咬筋はちぎれそうなまでに突っ張り、どどめ色の内部を露出させていた。マズルの輪郭を縁取りするように、金床みたいなずっしりとした歯が上下に並んでいた。歯と歯の間に引っかかっていくらか、取りきれない野菜っこの繊維質が詰まっていた。思えばダイノが反芻しているときはずっと、顎をしきりに動かしていたんだっけか。固いニンジンっこを咀嚼するための籾摺り臼が、おいらを噛み潰すべく向けられているみたいだった。小さく揃った前歯からよだれが滑り落ち、おいらの眉間を粘つかせた。
水はけの悪い土壌でダイコンっこを育てるときの高畝が、軟口蓋の裏っ側にびっしりと並んでいた。そこへ体をこすり付けたら気持ちよさそうだな、と、どこか場違いな想像がおいらの頭を掠めていった。紫がかった舌は唾液に濡れそぼち、その根本を辿って目を滑らせると、喉奥へと繋がる暗がりがぽっかりとおいらを見下ろしていた。スリーパーが年端のいかない子供を拐かすように、のどちんこがゆらゆらと揺らいでいた。
「あ、ありぇ……、勘太郎、ひゃん……?」
「お……、おぉ! 正気の沙汰に戻ったかダイノっ。これ、解いてほしいんだけど……!」
「んん……、んぅう?」
「しっかりしろ! 乗っ取られるんじゃね……!」
『さっきから聞いていれば乗っ取るだなんて、失礼しちゃうなあ』
ショーノの妨害電波がおらいの脳みそへ響き、光を取り戻しかけたダイノの目がまた催眠術にかけられたみたいにとろんと蕩け落ちた。
進化して色濃くなったマズルは限界まで大きく開かれ、複雑に肉の重なった中心部から、ざらついた質感の舌が伸ばされた。樹上の葉っぱを巻き取るために世代を経て長くなっていったそれが、おいらの頬をれるッ、と撫でた。クイタランに味見されたアイアントみたいにおいらは身をすくめていた。強烈なにおいが鼻腔を占拠していった。
『それじゃ、いただきまーす』
「あ、ッあ、ああぁ、やめッ、やめ――」
おいらの悲鳴は、洗脳されたダイノにまで届かない。フワンテに手を握られるようにして、舌に絡め取られたおいらの頭が徐々に口腔内へ導かれる。とっさに環帯から腕を出して、フードから生えたギザ歯をかろうじて掴んでいた。おいらの頭は分厚い舌の根に寝かせられ、何か叫ぼうとした口が唾液に溺れかけた。舌肉がぐいぐいと押しつけられていた。ダイノとは初めてのキスだった。
幾重にも血管を交錯させた扁桃腺が頬をみちり、と挟みこんでいた。喉奥から立ちこめる消化液のにおいはより濃密になって、おいらをいよいよ震えあがらせた。怖くて滲み出した涙が、揺れるのどちんこにぶつかって弾け、眼前に迫った暗がりへ落ちて見えなくなった。
藁にもすがる思いで叫んでいた。
「頼む……、頼むダイノっ! 認めるから! おいらはしっぽにも、心惹かれてた! ダイノを抱きながら、ショーノとキスするの、気持ち良すぎて、やめらんなかったんだ。悪いことだと、思ってたんだけれどもッ、これまで黙ってて、ごめんッ!」
『へえ……、この後に及んで浮気の告白ですかあ』
「そ――、それは! あんたも分かってたことなんだろ!」
『ひとつになりたいってのは、勘太郎が望んだことだから』
「……!!」
ひとつに、なりたい。
あのピロートークを、ショーノはこう解釈したみたいだった。
ダイノを抱きながら、テレパシーでショーノに愛を囁いていた。いけないことかと勘繰りながらも、その背徳的な交尾に味をしめ、ダイノを裏切り続けていた。ショーノの誘惑を断ち切れないでいた。
これは、罰なんだろうか。
ぷちん、と後方で何かがちぎれた音がした。ショックのあまり、おいらは体節2つを〝しっぽきり〟しちまったらしい。肉片が身代わりになってくれることなど当然あり得ず、身軽になったおいらの重心が傾いたようで、ずり、と暗がりへ前進した。抵抗する気力ももはや湧いてこなかった。
ずりゅ、ぬりゅ、ぬろろ……るンっ。おそらく最も狭隘になっている声帯を、おいらの環帯が潜り抜けた。リキキリンの顔が上を向いたらしい、重力に従ったおいらの体が、徐々に丸呑みにされていく。
がシャん、と、背後で鉄格子が閉じられる音がした。わずかな隙間を縫って届いていた光が遮断され、どこまで続いているか知れない暗い筒の中をおいらは降下していった。宇宙船の誤作動により真空空間へ放り出されたオーベムの気分だった。
光は届かず、音もなく暗い空間に、身じろぎひとつできずにひとりぼっち。交尾の余韻も醒めショーノから向けられた恐怖も薄れると、おいらは徐々に冷静さを取り戻していった。確かに浮気まがいの心もちでダイノとの営みを楽しんでいたんだけども、だからって命を奪われるまでのことをしたんだろうか。
ダイノは首の角度を15度くらいに保っているらしい、降下の速度は緩慢だった。今ごろあの長い首のどこあたりを通過しているんだろうか。
今更になって腕を伸ばしていた。肉の輪っかにひっかけられたのも束の間、グリップが思うように利かず、づるッ、と無慈悲に突き放される。それが4、5回、何度繰り返してもしがみつくことは叶わない。
おめこが腐葉土だとしたら、喉のうねりはさながら真砂土だ。根を張り巡らすには十分の空間を確保できているが、そのぶん水もちが悪く、ごつごつとしていて、掘るたびに体力をいたずらに摩耗する硬さ。家庭菜園用の土はどうにもおいらの腕に馴染まないらしい。突き出した腕は思うように働かす、ダイノの食道を真っ逆様に下る一方だった。
『コイツの喉が膨らんで、それがだんだんと降りていくのが分かるぜ。……首の半分ってところか』
(頼むよ!! 今からでもッ、戻して……、くれないか……!)
『この状態からじゃ、コイツにはどうしようもねーよ』
(そんな……ッ)
ショーノのテレパシーは、体内にまで通信できるらしかった。要らぬ実況を挟み、おいらが悲観に暮れることさえ許してくれないんだろう。
よく観察すると肉の輪っかは細かく上下に連動していて、おいらを奥へ奥へと押し出しているんだった。その胎動に覚えがある。おいらが土の中を掘り進むのと同じ、蠕動運動をもってしておいらを体内へと内包しようとしている。アーボは前進するために細長い体を左右へ振るんだけれど、そうしたスペースを確保する必要なく食糧を消化器官へと搬送するために編みだされた機能。自力で後退することができないおいらは、このままダイノの消化器官へ真っ逆さまになることが決定づけられていた。せめて尻側から呑みこまれていれば蠕動どうしを噛み合わせることもできたかもしんねえけんど、おいらが必死にうねつこうとも、ダイノの胃袋へ収まるまでの時間を短縮するだけだ。
全国系列の民放が2チャンネルしか映らないキタカミの里でも、毎週金曜日の夕方は映画が放映されている。いつだったか、モンスターパニックものが流れてちょっとした話題になったんだったか。悪の組織で秘密裏に育てられた巨大なジャローダが脱走し、研究員を次々に丸呑みにしていく話だった。土間から眺めていた当初は、長い胴体に巻きつかれた被害者がほとんど抵抗されず頭から丸呑みにされていくシーンを見て「もっと暴れないと!」なんてヤジを飛ばしていたってのに、まさかおいら自身がその人間と同じ運命を辿ることになるなんて、思いもしなかった。そのあと主人公がどう助かったのか、もっとしっかり見ておくべきだったんだ。
『そろそろ第一胃だなあ。揮発性のガスが充満してるから、暗いからって炎や電気ワザを使うなよお。……ま、覚えてないだろうけど、さ!』
(そんなことしたら、ダイノだって、ただじゃ済まないんだろ……!)
『……この期に及んでコイツの心配かい?』
どうやら食道の最下端にまで到達したらしい、地獄への道が湾曲してきたあたりから、おいらを取り囲む気相が心なしか軽くなった気がする。もっとも呼吸を賄えるような空間はないから、さっきからほとんど息を止めっぱなしなんだけども。
おいらの到着を歓迎するように、食道と胃とを隔てている弁が開いた。確か噴門って呼ばれている器官だ。蠕動に運ばれるまま角っこを曲がると、いよいよ広まった空間へと放り出された。
(ここが、リキキリンの腹、の中……)
べちゃり、とおいらが落ちた先は、分解された野菜っこたちの繊維が固まって、マット状になっているみたいなんだった。粘りのある水分に浸っていて、まず間違いなく胃液、なんだろう。ごぽ、ごぽ、と気泡が絶え間なく沸き立ち、地鳴りのような雷のような唸りが絶えず胃の中を反響している。さながら巨大な地獄の釜を沈みかけの泥舟で渡らされているような気分だった。
ここで、おいらも、消化されるのを待つんだな。そんなのって……、そんなのって!
(と、溶ける……! だっ出して! おいらまだ……!)
『安心しな。お楽しみはまだとっておくもんだからなァ』
(どういうこと……、どういうこと、なんだよっ!!)
ポケモンは1000種以上発見された、なんて言われているけれど、いくらなんでも消化までを自在にコントロールできる種族なんて聞いたことがない。ショーノの送りつけてくるテレパシーに翻弄され、おいらは訳もわからず地団駄を踏んだ。脚なんてないので、その場でうぞうぞと蠢いただけだった。
干し草と堆肥を混ぜたものを発酵したような、どこか馴染みのある臭気が充満していた。それにいやに暑い。土壌細菌を混ぜこんだ土壌のような、むんわりと息づいた気配がする。
……なるほど、ここは耕したての畑みたいなとこなんだな。細菌の力を借りて有機物を分解し、扱いやすいようにする。ここに胃酸を流しこんだものなら、常在菌もまとめて一掃してしまうから、草タイプならともかくポケモンが丸呑みにされたって溶かされることはない、ってことなんだろうか。
(よ、よかった……。まだ、大丈夫なんだな)
『んん〜、察しがいいじゃんか』
(出してよ!)
とはいえ食べられたことには変わりない。どのみち脱出口はないんだけれど、おいらはひとまず安心しちまって、短くなった体でとぐろを巻く。とにかく、ショーノはテレパシーを繋げてくれているんだ。落ち着いて説得する言葉を探し出す他にない。
おいらが収まったことで、繊維マットの上の空間は満杯になったみたいだった。ごちそうが放りこまれたんだと勘違いしたのか、実に健やかな胃袋はおいらを発酵させようと、粘膜壁が活発にうごめき始めた。縮こまったおいらの背中が天井に当たっている。リククラゲの触手のような、胃壁に生え揃った柔らかな肉のひだが、ずる、ずる、ずる……、と、モップがけするみたいにくすぐってくる。
……これ、おめこの中にいたときと、似ているような。
(だめだ……だめだっ、なに考えてんだおいら……!)
『いいだろ、別に。誰にも見られやしないんだから、最期くらい情けなく精液漏らせばいいじゃねえの』
(…………)
気づかないふりをしていた。こんな極限状態で性的に興奮しているなんて、とても認めらたもんじゃなかった。環帯が柔らかくなっているのは、死を間近に突きつけられ、種っこを残そうって本能が暴れているからだと言い聞かせた。もしくはダイノの消化液にふやかされていたせいだと理屈をつけていた。そんな言い訳を取り上げられて、おいらにはもうオスとしての矜持なんか残っちゃいなかった。
おいら、メスっこに食べられて、興奮してるんだ……。
自暴自棄だった。もぞもぞと動いて噴門にぶら下がっている弁を探り当て、べろに似た形のそれを口に含んだ。おいらのべろと重ね、噛み合わせ、胃液と唾液を混ぜ込んでどぎつい度数の酒を醸し出すつもりでかき混ぜた。
(ダイノ、すまん。ダイノ……ふうぅーっ。許してくれダイノっ……ッ)
『…………。よくもまあ、自分を食った相手でオナニーできるよなあ』
(そうだよ、どうせおいらは変態ですよ!)
本当にディープなキスを続けながら、胃壁へ環帯をこすりつけた。おめこの中とはまた違った肉畝の感触に、おいらは瞬く間に限界へと追いやられる。環帯を撫で回され、べろを深く深く重ね合わせながら、おいらは種っこを漏らしていた。
腑抜けたおいらの頭に、テレパシーが飛んでくる。もうどうしたって助からないんだから、心ゆくまで嘲笑えばいいさ。
『……お。虻丞が来た。あんたのしっぽを見つけて、心配しているぞ』
「だ――出して! おいらはここにいる!」
キスでべちょべちょになった口を開いて、おいらは叫んでいた。
勘のいい虻丞はおいらの悲鳴を聞きつけ、リキキリンのフードをこじ開け、マズルを跳ね上げ、ぽっかりと開けられた深淵へ躊躇なく飛びこみ、長い長い食道を駆け下り、胃へと繋がる噴門を蹴飛ばして、おいらを助けてくれるはずだった。
だがいくら叫ぼうと、いくら胃壁を叩こうと、何重にも生態膜を隔てた外にいる虻丞にまでおいらの懇願が届くことはない。そんなこと分かっていたはずなのに、分かりきっていることなのに、貴重な空気をいたずらに消費しておいらは叫んでいた。
「出して……出してよお!! お願い、頼むから……!おいらっ、死にたくない、死にたくないよお……!!」
『出してやってもいいけど……、そんな格好でいいンかあ? 嫁に食べられて、腹の中でオナニーしてました、なんて知られたら……』
「な……っ、な……!」究極の2択を突きつけられ、おいらの口があぐあぐと震えあがった。「し、死ぬよりマシ!!」
『そりゃそうだなァ。……じゃ、お望み通り、出してやるとするかァ』
「あ、ありがとっ、ありがとうううう!!」
胃全体が大きく傾いた。おいらが潜り抜けてきた弁が大きく開かれ、マット状になった繊維質をずずずず、と吸いあげていく。稲刈り前に水田から水を抜いているようだった。
ショーノの囁きに確証はない。この先が次の消化器官へ繋がっていることだって十分にあり得る。だけれども、この濁流に続くほか選択肢はなかった。おいらは腹を決め、小さな肉の門を一気に潜り抜けた。
進み出た管は緩く上を向いていた。それだけで救われた気がして、おいらの両目から涙がちょちょ切れた。
(や……、やった! やったやったやった! おいら、助かったんだ……!)
『そろそろ目的階に到着しますよ、勘太郎サン』
いまごろ何食わぬ顔でダイノのふりをしたショーノが虻丞に緊急事態を伝え、林郷家の面々を牛舎に集めていることだろう。叩き起こされた龍雄と皐月の面前に、おいらが吐き出さられる。全身に野菜っこの消化物とおいらの種っこをこびりつかせながら。そんなこと気にもせず、おいらは助かった助かったと叫びながら、みんなに抱きついて回るんだろう。
さようならおいらの尊厳。ことの顛末を問い詰められ、龍雄にも皐月にも虻丞にも、おいらの浮気は露呈するはずだ。……どうしよ、もう林郷家にいられないかも。次の就職先を探さないとな……。
将来を悲観しているうち、目の前に小さなあかりが灯った。声帯の形に縁取られていたそれが大きく、眩しく、おいらの視界を埋め尽くしていく。
リキキリンのマズルから飛び出したおいらは、さながら3段のマトリョーシカみたいになっていただろう。おいらの視界を埋め尽くす、いつもお世話になっている寝藁、空になった餌槽箱、水あかひとつない洗い場、立てかけられたホーク。簡素な牛舎があまりに鮮やかに、生還したおいらを歓迎してくれていた。
「ぶはああッ!! はあっはあ、たすっ助かったよおいらあああっ!! よか、よかった皐月、おいら、おいらっ――っ? あれ?」
牛舎はしんと静かだった。虻丞も、もちろん龍雄も皐月もいなかった。生まれたてのミミズズみたいに寝藁へ落とされたおいらはきょろきょろとあたりを見回し、部屋の隅に転がっているしっぽを見つけた。おいらの失態を見届けていた観客はそれだけだった。
ポカンとした顔のおいらを、豆電球に照らされた細長い影が見下ろしていた。フードの奥でリキキリンの顔が、何食わぬ顔して何かを食っていた。ぷっくりとした上唇がリズミカルに左右へ動く。放心するおいらを眺めながら、そいつをごくん、と飲み下した。
反芻のタイミングだった、ってわけ……?
「私の中、どうでしたか」
「ど、ど、え? ……どう、って? ……ダイノ?」
遊園地のアトラクションの感想を尋ねるようなテンションに戸惑い、おいらはあたふたと左右を見回した。オモテ祭りに合わせて山から降りてきたキュウコンに化かされたような気分だった。
「ショーノ、は……?」
「ショーノ……?」
まだ状況を飲みこめていないおいらの目の前で、黒いパーカーがじゃきん! と下ろされる。4つの角からサイコパワーを迸らせ、ばっちりと開いた双眼がおいらをなじるように見下ろしていた。
『これからは私にも、情熱的なキス、してくれますよね?』
「そら、もちろんだ。……へ?」
テレパシーでおいらの脳内に響いたのは、ダイノの声。気だるそうなショーノのではなく。何がなんだか分からなかったが、とにかくダイノも無事だったってわけだ。キリンリキのしっぽに宿った精神はどういうわけか、おいらの言いつけ通り引っこんでくれたらしい。
「どうなって……、どうなってる? 乗っ取られて、ない……、んだな!?」
「ふふ……、そうですよ。初めからショーノなんて、いませんでしたもの」
「へ!?」
全身の鉄分が溶け出したのかと思うほど、冷や汗がどっと吹き出した。
どうして気づかなかったんだ。
しっぽが初めて語りかけてきたあの夜から、おいらはすっかり騙されちまっていたんだ。ショーノなんて人格は初めからいなくって、ダイノがふたりを演じ分けていたとしたら。
リキキリンが被ってるのはフードなんかじゃなく、猫だった。とんでもない真実を暴露されて、おいらはあぐあぐと口を閉じたり開いたりするのがやっとだった。
「それで、私の中は」
「…………。き、気持ち、よかった……、です」
「種っこ、出しちゃってましたものね」
「言わないでほしいんだよ……。おいらいま、気持ちがぐっちゃぐちゃなんだからさあ……!!」
命からがら地上へ戻れた安心と、4年もの間騙され続けていた衝撃で、何がなんだか分からなくなっていた。今夜のことはもう一生忘れることはない。ぐるぐるした頭でも、それだけは理解できたんだった。
水をたらふく飲んで、1時間ほどしたころ。ようやくおいらも平常心を取り戻してきた。もう丸呑みにするつもりのないらしいダイノのそばに丸まり、再生し始めたしっぽをありがたく眺めていた。
「あのさ……」ご機嫌なダイノを害さないように、おいらはお伺いを立てる。「なんでおいらを、その……。食べたのさ」
「私のこと、もっと知って欲しかったんです。あなたのお野菜で立派に育ったこの体の喜びを、勘太郎さんと分かち合いたかった。だから勘太郎さんが私のナカに入ってきてくれたときも、嬉しすぎてそれだけで軽くイっちゃってました。それなら、こっちの内側も、勘太郎さんに知ってほしかった。それだけです」
「……ダイノって、平気でそういう話、できるよね」
「勘太郎さんにだけ、ですよ?」
ダイノは気恥ずかしそうにフードの口を緩く閉めながら、その奥で妖艶な瞳をウインクしてみせた。おいらがときめき直すには十分過ぎるほど、魅力的だった。まだなんか隠して……、ないよね?
「初めてテレパシーで勘太郎さんに語りかけたのは、ちょっとした冗談のつもりでした。初めての交尾だったのに、キスのひとつもしてくれないんですもん。それで、しっぽをけしかけてみたら、なんかそっちに入れこんでるじゃないですか。……嫉妬、しちゃいます。私が寝たふりをしている間、3年もあんなことされていたら、それは少しくらい意地悪したくなっちゃいますよ」
「ご、ごめん……! それは本当に! すまなかったと思ってる……!」
「でも、嬉しかった。勘太郎さん食べられちゃったのに、私のこと気遣ってくれて。お腹の中で暴れたり、技を使って無理やり脱出しようとすることもできたはず。なのにしなかった。おまけにあんな、自分の尊厳を貶めるようなオナニーまでしてくれて。私って信頼されているんだな、って、嬉しくなっちゃいました」
「……もお、勘弁してよお」
進化してダイノの魅力を再発見したつもりで高揚していたが、まさかおいら自身の隠れた性癖まで暴かれちまうなんて。それこそダイノにしか打ち明けられない――そもそもダイノじゃないと満たすことのできない、畑の奥底に埋めておくべきおいらの秘密だ。
ゆるゆると長いため息をつくおいらの耳元へ、そっと首を曲げたダイノの白い息が吹き付けられる。
「私のお腹の中、お気に召したのでしたら、次は……、第二胃の方まで、耕してみませんか?」
「――ッ! だからっダイノは誘い方、えっちなんだってば……!」
こっちの畑では、どんな種っこが育つんだろ。魅惑の土壌に潜ったまま、おいらはしばらく抜け出すことができそうになかった。