【名無しの4∨クリムガン ヤグルマの森で ?】
【名無しの4∨クリムガン シッポウシティのムーランド ?】
【名無しの4∨クリムガン 人間とポケモンの非構成的証明の法則 ?】
【名無しの4∨クリムガン 夕陽の色の生存戦略テロル ?】
いきなりメタ的なことを語るのも申し訳ないのだが、これから語るおれの思考過程は、「当時のおれ」というキャラクターによってなされているものである。
つまりは一人称であるが、語っているのは「現在のおれ」であるので、実際には三人称的なスタイルになる。ここに記されている言葉はおれの一人称なのだが、おれが「当時のおれ」を思い起こしながら語るものなので、実際には「現在のおれ」による三人称なのだ。
おれがこれから話す物語の中で「おれ」という言語を用いるのは、世界との折り合い、あるいは妥協であって、おれはあのときの自分のことを「おれ」というキャラクターとして規定する。だから、ここに書かれている言葉は正常人たちへのサービスみたいなものということになる。
いささかややこしい話ではあるが、要するに“ここに記されている地の文は「当時のおれ」の思考過程ではない”ということを念頭に置いておいてもらいたいのだ。
なぜって、当時のおれは生まれたばかりだったから。
言葉のない思考。言葉の前駆的な段階による曖昧模糊とした思考。重ねられている無意味な思考。あのときのおれの思考過程を表現するのに、適切な言葉というものが存在しない。適切な言葉がない以上、物語たりえない。
そんなものを物語として語るわけにはいかないし、そんなものは聞きたくもないだろうからな。
名無しの4Vクリムガン
おれの場合を話そう。
おれの一番最初の記憶……つまり、おれという命がこの世に生れ落ちた瞬間の記憶は、なにか、とても大きな橋の上から見た光景だった。タマゴの殻を割って這い出し、その橋から見渡した水平線には、オレンジ色の大きな光の塊が、およそ半分ほど身を隠していた。
夕暮れ。おれが生まれたのは、昼と夜との境界の、その時間だった。
きれいだ、と思った。
おれの一番最初の体験がそれであるからして、おれはその美しさを比ぶるべきものを他に知らなかったのだが――青と橙が混ざり合った桃色という不思議なコントラスト。どこか物悲しさを覚えるその光景。おれは、名状しがたき感動を覚えた。
だからどうした、ということはない。おれの情動になど、たいした意味はない。そのときのおれはまったくの無知であったから、いま自分がなにをすればいいのか、どこへ行き、なにを為せばいいのか、そんな考えには及びもつかなかった。ただただ眼前の光景に見惚れ、目を奪われるばかりだった。
それはすなわち、されるがままだった、ということでもある。おれがなにを感じ、なにを思おうと、世界は勝手に動き出す。自ら世界を動かし、変化させていく力を、生まれたばかりのおれはまだ持っていなかった。おれの意思とは無関係に、おれの世界は始まり、そして変動していったのだ。
あのとき、もしもああしていたら、と考えないでもない。やがてこうなるとは薄々と勘づいていながら、おれは、百億の瞬間を流されるままに費やしてしまった。悔やむ気持ちも、少しはある。
しかし……。
それでも、とおれは思うのだ。
あの日見たあの夕陽は、あんなにもきれいだった。
一番最初のおれの記憶。それが、世界に塵芥ほどの影響も及ぼさないほどのものだったとしても、おれはきっと、生涯忘れることはないだろう。目に焼きついたあの夕陽は、美しいと言ってしまえばそれだけのものだけれど、少なくとも、たったそれだけのものが、確かにおれを突き動かす理由となっていたから。それ以外に、なにもなかったとも言えるが、それも結果論だ。すべては過去のこと。今さら後悔ばかりを反芻したって、気分が沈みこむだけだ。おれの趣味ではない。
ともあれ。
あの日見た夕陽。寂しさと終焉の象徴たる橙。
それが、おれの一番最初の記憶だったのだ。
「4V」と呼ばれる存在。それがおれらしい。
おれの主人と呼ぶべき少年は、大きな橋の上でタマゴから孵ったおれを、地下鉄の構内らしき場所へと連れていった。おれをモンスターボールに入れ、燃えるような赤い翼を持ったポケモンに乗って、街へと飛んだのだ。
――モンスターボール。
人間と、おれたちポケモンを繋ぐもの。おれはそれに、生まれてから二度しか入ったことがないけれど……本当に不思議なものだった。
おれの体つきは、控えめに言っても小さいとは言えない。成人した人間ほどの質量は有していただろう。それが、手のひらに乗るほどの大きさの球体に収まってしまうのだから、いったいどういうことなのかと仰天したものだ。しかも、その中はとてつもなく広かったものだから、おれにしてみれば驚愕の連続だ。おまけに、すぐとなりにいるくらい近くに、少年の存在を感じる。この矛盾。奇妙極まる。
おれの驚愕はそれだけでは終わらない。モンスターボールの中にいるというのに、おれには「外」の状況もきちんと理解できたのだ。視覚や聴覚で認識したわけではない。モンスターボールの中は、厳然と静寂を保っている。これが一番驚いた。
その超然とした感覚を、おれは正確に伝えられる自信がない。音を視る。景色を聴く。においに触れる。重力を嗅ぐ。そんな、超自然的な感覚だ。おれの脳みそがもう少し利口だったなら、あの体験を少しでも理解してもらうことができただろうに。
けれど、もっと簡単に言いあらわせることもあった。モンスターボールの中は、まるで陽気にあてられているようにぽかぽかと温かかったのだ。モンスターボールの中は、広大で、孤独で、温かくて、超然としているのだ。
おれは周囲を「見回す」。少年がいる。そして、おれの入っているモンスターボールの他にもモンスターボールがあった。ベルトかなにかにモンスターボールをセットしていたようだ。中のようすを伺うこともできたが、他のモンスターボールは空だった。そのどれかひとつに、あの赤い翼のポケモンが入っていたのだろうか。音も、景色も、においも、重力もない、完璧な「無」だった。ポケモンのいないモンスターボールの中は、こうなるらしい。
しばし、赤い翼が羽ばたいた。空を飛び、どこかの街に着くなり、おれはモンスターボールの外へ呼び出された。
「戻れ、ウルガモス」
少年が言うと、おれと入れ替わるように、赤い翼のポケモン――ウルガモスというらしい――はモンスターボールに入ってしまった。まともに姿形を確認する暇もない。
少年は、おれを誰かに会わせた。若い男だ。少年は「ジャッジ」と呼んでいた。
このときのジャッジの言葉を、おれは明確には覚えていない。しかし、つらつらとおれを観察していた彼の反応からするに、少年いわくの「4V」というのは喜ばしいことなのだろう。無知極まるおれだが、彼の言うところを要約すれば、おれが秘めるポテンシャルは並々ならぬものだ、ということくらいは今なら理解できる。
おれは少年を見た。深くかぶった帽子の下には……なんと言うべきだろうか。喜んでいるような、怒っているような、寂しがっているような、落胆したような、どうとでも取れる、玉虫色の表情があった。
おれのせい、なのだろうか。
おれにとって、この少年はまるで馴染みのない人間だ。しかし、この少年がおれの主人なのだという意識がどこからか湧出する。主人が難しい顔をするのは、ポケモンが喜ぶべきことではない。無視はできなかった。けれど、おれはどうすればいいのだろう?
「やったな」と、少年は言った。子供から大人へと移りゆくさなかのボーイソプラノは、ひどく空虚に響いた。
「おまえ、すごく強くなるって」
少年は、おれの首のあたりを遠慮がちに撫でた。ひんやりと冷たい手のひら。おれの肌触りはあまりよくないだろうに、なぜそんな真似をするのか。後ろ暗い気持ちがあるのかと、不安にさせる声色。
そうなのか、とおれは応えた。少年には「ゴア」という感じで聞こえていただろう。そんなおれの声も、どこか空虚だった。
おれは――呆然としていたのだろうか。
……していたのだろう。
あのとき。
おれには、少年のあの言葉が、なぜかしら「さよなら」と聞こえたから。
モンスターボールに戻されたおれは、ウルガモスに会った。きちんと姿を見てみると、蝶かなにかの虫のような姿をしている。モンスターボールの中は二度目だったから、今度は相手を観察するくらいの余裕はあった。
「なあ」と、おれはウルガモスに声をかけてみた。別のモンスターボールのポケモンに、おれの声が届くのかはわからなかったけれど。
「なにかしら?」
声が返ってくる。どうやら会話はできるらしい。モンスターボールの中というのは、本当に不思議な場所だ。
「そっちは」と、おれは訊いた。「どんなところなんだ?」
「なあに、それ」
おれはなにかおかしなことを言っただろうか。くすくすと、控えめな笑い声がした。
「そんなことを訊かれたのは初めてね」
「みんな、訊かなくてもわかっているのか?」
「みんな、最初は戸惑うわ。けれど、それもだんだん疑問に思わなくなる。モンスターボールの中というのは、とても居心地がいいもの。快適で、さしたる脅威もなくて」
快適、と言われればそうだったかもしれない。おれが入ったモンスターボールの中は、小春日和のようにぽかぽかしていた。おれは寒いと体が動かなくなる。温かいのはいいことだ。
「ポケモンにとって最適な環境になるようだけど……わたしも理解しているわけではないの。経験的に知っているだけで」
「たくさん見てきたってことか?」
「そう」
応える声は、とても穏やかだった。まるで、過ぎ去った一瞬を憧憬するように。
「仲間といっしょに旅をしたからね」
旅……。
それは、どんなものだろう?
まだなにも知らないおれは、その言葉を、たったひとつのものと照らし合わせることでしか推し量れない。
つまり、橋の上から見た夕陽。おれの持っている、唯一の記憶。
旅をすれば、あの夕陽をもう一度眺めることができるのだろうか。それとも、もっときれいなものを見ることができるのだろうか。そう考えると、旅というまったくの未知に対して、なにか心躍るような昂揚があった。
楽しいのだろうか。おれよりも、はるかに「経験」してきたウルガモスが語る、旅というものは。
しかし、とおれは思う。
「おれも、そうなるのか?」
その問いは無意味に過ぎたものだった。おれ自身、そんなことはこれっぽっちも考えていないのだ。期待するということは、少なからず希望があるということだから。
したがって。
「いいえ」
予想通りの回答に、おれは落胆しなかった。
「あなたは、これから自由になる」
ウルガモスは、やさしいポケモンだったのだと思う。
「どこへでも行けるし、なにをしてもいい」
おれにはまだ価値観らしい価値観がなかったから、「そうなのか」という心境でしかなかった。悲しいだとか、寂しいだとか、そんな想像すらもできないでいた。想像できるだけの判断材料がないのだ。
あるいは、誘導されていたのかもしれない。いかに経験豊かなポケモンであろうと、そして相手が親しみのない新顔であろうと、直接その言葉を口にするのは、さすがに躊躇われただろうから。
「けれど、それは同時に不自由でもあるということよ」
できることならば、傷つかないように。未来に絶望してしまわないように。希望を持って生きていけるように。
「誰も、あなたを助けてはくれない。あなたの歩む道を、誰も支えてはくれないわ」
けれどむしろ、それは残酷な気遣いであるのではないかとも、おれは思うのだ。それは、今だから思えるだけでしかない。
無論、あのときのおれにそんな心持ちはない。今にして思えば、おれに事実を突きつけたウルガモスとて、苦い思いを抱いていたはずである。そう、想像するしかないのだ。
ならばこそ、だ。
せめて自分にとってやさしい選択をすることを、誰が責め立てられようか。「やさしくしてやれた」というだけの自己満足だったとしても、少なくともウルガモスは、自分の心だけは守れるのだ。
すなわち、されるがままだった。おれがなにを思い、なにを感じようと、世界は勝手に動き出す。誰がなにをしようと、変えられない未来というのは、きっとある。
ウルガモスが、まったくの善意で言ってくれているのは、わかる。しかし、どんなに言いつくろおうと……。
「あなたは、わたしたちと無関係になるのよ」
おれたちポケモンにとって、それは間違いなく。
「……頑張って、強くなってね」
捨てられる、ということなのだから。
巨大な倉庫のような世界。「ボックスに預けられる」ということの、それが率直な感想だった。
近くのポケモンセンターへ行き、少年はおれをなにかの機械でどこかへ転送した。そこは、モンスターボールという閉鎖的空間を、さらに閉鎖的空間に閉じた感じだ。モンスターボールの中は、あいかわらず温かくて快適だったけれど、外のようすはガラリと変わった。
外は、ボックスの「中」だ。そこには音も、景色も、においも、重力もない。空っぽのモンスターボールと同じ。完璧な「無」の気配。一瞬にして、おれは少年と離れ離れになってしまったようだ。
おれのまわりにはたくさんのモンスターボールがあって、たくさんのポケモンが入っている。その中には、あのウルガモスと「旅」をしたポケモンもいたのだろうか。
「バイバイ、クリムガン」
前触れもなく、少年の声がする。おれがその世界にいたのも、ほんの数秒のことだった。このときもまた、じっくりと世界を眺める暇はなかった。
おれは、外に出た。いや、出されたのだ。巨大な倉庫からも、モンスターボールからも。
開けた視界。目に映る夕闇。夜のにおい。世界の気配。モンスターボールの中には、なかったもの。
おれの意思とは無関係に、世界はめまぐるしく色を変えていく。その変化に、おれは翻弄されるしかなかった。世界は、流れの速い河のようだ。おれが望むと望むまいと関わらず、変化が与えられる。
あたりを見回してみた。少年の姿はない。たった今、すぐ近くで少年の声を聞いた気がしたのだ。おれの気のせいだったのだろうか?
ウルガモスに乗って空を飛んだときに、おれは多少の風景を見ていたけれど、そこはまったく見覚えのない場所だった。どうやら、少年のいた街とは離れた場所に放されたらしかった。
捨てられた、とは思わなかった。そもそも、ポケモンが人間に捨てられるということがどういうことなのか、おれにはよくわからなかった。生まれたばかりのおれにとって、ポケモンは主人とともにあるべきだという認識もなかったし、なによりすべてがあっという間のことだったので、なにがなにやらわからなかったのだ。
不幸だとも思わなかったし、寂しいとも思わなかった。もとより、あの少年とおれとの間に、絆と呼ぶべき繋がりもない。けれど、不安ではあったのだと思う。
どうしようか、とおれは考えた。
おれは「無関係」になったのだ。あの少年から。ウルガモスから。すなわち今のおれは、社会的生物ではない。善も悪もなければ、法も規律もない。おれを守護するものはなにもないし、おれを縛るものはなにもない。
なんだってできる。
けれど、なにもできない。
おれにはなにもない。これからどうすればいいのか、わからない。どうすれば最善たりえるのか、わからない。おれの行動を基準するものが、なにもないのだ。
考える、ということすらも、このときのおれにはひどく難しいことだった。なぜって、まずなにを考えればいいのかもわからなかったし、考えるための知識を持ち合わせていなかったから。
だから、思い浮かんだのは、ひとつの光景と、言い知れぬ情動。
――夕陽。
また見たいな、とおれは思った。
おれがなにをしてもいいというならば、おれはもう一度、あの夕陽を見てみたかった。理由らしい理由はない。きれいだったから。それだけだった。
それだけで十分なのだ。生き物が生きるには、おそらく。
とりあえず、歩いてみた。道があり、木がたくさん生えていて、細い川が流れていた。川には橋がかけてあったけれど、木の背が高くて、ここからでは夕陽は見えない。この橋は、違う。
ここは違う。あそこも違う。
たったそれだけのことを考えて、おれは歩き出した。ほんの些細な理由でも、動き出すきっかけにはなる。それくらい、おれにはなにもなかった。
おれにあるのは、一番最初に見た夕陽の記憶と、
「クリムガン……」
別れの言葉とともに少年が残した、おれの「名前」だけだった。
【名無しのクリムガン】
じょうたい:健康 Lv.1 4V
とくせい :?
せいかく :?
もちもの :なし
わざをみる:??? ??? ??? ???
基本行動方針:どうしようか……
第一行動方針:きれいな夕陽が見たい
現在位置:ヤグルマのもり・西部
初のポケモン小説に挑戦。厳選であぶれたポケモンの一生を考えてみました。 この話の終着点は考えておりません。短編作品集のようなものになるかと思われます。 なお、本作品には個人的な解釈や捏造が混じっておりますのでご注意ください。