暁に叫ぶアネキ
目次
サケブシッポはいつだって怒っている──
怒り以外の感情など知らぬ。喜びや安らぎなど以ての外だ。
しかしながら反面、この矜持を保つがゆえに今日まで生き伸びて来れたのだという自負もまたあった。
下手に出れば付け入れられ、情を掛ければ足元をすくわれるのが世の常だ。むしろこのサバンナエリアにおいては、それくらいの気概でなければ弱者は軒並み強者の餌であった。
故にその深夜──聞いたことも無いような轟音で睡眠を妨げられた時も、当然の如くにサケブシッポは怒りに我を忘れては巣穴を飛び出した。
安眠を妨害された事実は元より、これが敵意ある第三者による襲撃の可能性だってある。
いかなる場合にも抵抗が出来るよう、臨戦態勢を以てサケブシッポは住処の周囲を窺ったのだった。
かの轟音の発生源はすぐに分かった。
遠く視線の先において小さな炎が揺らめいているのが発見できたからだ。
あそこに敵がいることを確認したサケブシッポは、その短い手足をばたつかせては転がるようにしてそこへと駆けつけた。
近づくほどに炎は大きくなり、そして周囲には可燃性のガスを思わせる不快な臭気が漂っていた。
近づくにつれて燃えている物の輪郭が鮮明になると、サケブシッポは一連の騒動の原因をそれとなく察するのだった。
やがては見上げられるほどにまで近づくと──目の前で火柱を上げているそれは横倒しに横転した一台のジープであることが確認できた。
当然ながら野生ポケモンであるところのサケブシッポにジープや自動車などの概念や知識なども無かったが、時折りこれに類する乗り物が縄張りの近くを闊歩しているのは幾度か目撃していた。
その際にも地を掻く轟音と威嚇にも似たエンジン音にはその神経を逆なでられてきた。
いつか痛い目に遭わせてやろうと思っていた矢先の目の前の光景に、サケブシッポはまるで自分がこれを打ち取ったかのよう雄叫びを炎の前に上げては、精一杯に体を広げてみせるのだった。
そんな折り──思わぬものを発見する。
最初それは、か細い鳴き声を聞き分けたことから始まる。
力無く悲痛な、おおよそ何らかの幼体が発するものではあろうが、他の動物やポケモンの子供が奏でるようなトーン高さはそこには無く、低い音階をくぐもらせるような不思議な響きだった。
その発生源を突き止めようと件の火柱の周囲を探ると……炎を挟んだその対面に『それ』はいた。
『それ』は──人間(ヒト)であった。
しかもその姿形が自分の知る人間の個体よりも遥かに小さくて華奢である。
同時にサケブシッポは理解する──これは『子供』であるのだ、と。人の子供が一人泣いていたのだ。
そのあまりの物珍しさと聞き慣れぬ声にしばし我を忘れては見入っていると、やがてそんな自分の気配に気づいたのか、その『ヒトの子供』は泣き伏せていた顔を上げてはサケブシッポを見上げた。
涙に濡れた黒い瞳が傍らの炎を取り込んでは艶やかに瞬きをした瞬間、サケブシッポは己の不用意さを戒めた。
何らかの攻撃をされた──その実感を得たのだ。
でなければこんなに胸が苦しくなるはずがない……こんなにも目の前のこの子供をどこかへと連れ去りたい衝動に駆られるはずがない。
しかしながら当人はというと依然、困惑と恐怖から脱し切れていない様子で幾度となく嗚咽に喉をしゃくりあげると、
「パパとママはどこ? 大きい音がして気がついたら誰もいないの……体も、いたいのぉ……」
なにやらヒトの言葉で語り掛けてくるそれを前にサケブシッポもまた、踏ん切りがつかぬまでも肉体に力を充満させる。
今ならばまだ肉体の自由が利く──今のうちに眼の前のこれを仕留められれば、この全身を包み込む、高揚感にも似た体の疼きも治まるはずだ。
しかしながら反面、ひどく躊躇ってもいた。
そうして踏ん切りがつかぬままに見つめ合いながら、幾度目かの膂力を前足に込めたその瞬間──突如として、鬣然とした尻尾に感じた気配にサケブシッポは面を上げる。
背中にはひりつくような気配が中てられていた。
こちらは覚えの有り過ぎる感覚だ。
剥き出しの好奇心と食欲、それらを隠しようもない殺意に包み込んだそれは──グラエナの集団から発せられるものである。
その数も10ではきかない……おそらくは群れのグループが幾つか、この騒動を嗅ぎつけては集結しつつあるのだろう。
しかし幸いなことにはまだ、奴らはサケブシッポ達には気付いていないということであった。
その状況を前にしてしばし考える。
自分が手を下すまでもなく、この場からただ立ち去るだけでこの子供はグラエナ達の餌食になることだろう。
そもそもが直接の関わり合いがあるわけではない。早々にここを立ち去り寝直そうと決めたサケブシッポは最後に目の前の子供へと一瞥をくれた。
しかしながら、それこそが間違いであったのだ……。
「ひどりに゛しないでぇ……い゛っしょにいてぇぇ……ッ」
威嚇する獣のように顔面をしわくちゃに泣き崩してはそう懇願するヒトの子供を目の前にした瞬間──サケブシッポの全ての思考が飛んだ。
次に我へ返った時にはもう……サケブシッポは背中にあの子供を背負っては場を後にしていた。
自分は何をしているのか……──騒動の場から離脱をしながらもしかし、サケブシッポは自身へと激しく問いかけ続ける。
当然ながらその問いに答えてくれる者などは無い。
そんな今までに経験したことも無い思考の堂々巡りに強く苛立ちを覚えるサケブシッポではあったが………
背に感じるヒトの子供の重みと体温の心地良さに、そんな疑問もすぐに彼女の頭からは消え去ってしまうのだった。
「ここどこ? ……暗いのやだ……ママとパパは?」
無事帰ってきた巣穴の中──そのヒトの子供は幾度となくぐずついては様々な事を聞いてきた。
しかしながらそのどれもにサケブシッポは応えること能わず、ただ目の前の子供の様子に翻弄されては慌て、困惑し……そして最後にはらしくもなく自己嫌悪に陥った。
どうしてこんなものを連れ帰ってしまったのだろう? ──そんな後悔が心へ重く圧し掛かる。
敵意が無いこと、そしてこの個体自体に戦闘能力は皆無であることは確認できたが、むしろ戦って終わりにすることの出来る手合いの方がよほど、サケブシッポにとって物事は単純かつ簡単であった。
そもそもがこのヒトの言葉もよく分からない。
元より自身が賢い個体ではないこともまた自覚するサケブシッポは最後には全てが面倒になり、ついには拘束するようにヒトの子供を正面から抱きしめると、そのまま横になってしまった。
「なにするの? やだ……はなしてぇ……」
当然の如くに腕の中で暴れてくる子供に対し、遂にサケブシッポは威嚇も込めた声を投げかける。
その内容は「静かにしろ」や「早く寝ろ」といった内容のものであったが、それを受けて子供の動きもまた徐々に沈静化していった。
掛けられるその声に畏怖や、あるいは委縮してしまったのだろうとサケブシッポは僅かな罪悪感もまた覚えたが、実際は彼女自身気付かぬこととして、その声自体に催眠効果があったのだ。
母と父を求める呟きを最後に、やがてはヒトの子供は眠りについた。
それを腕の中へと見下ろしながら……サケブシッポは明日からどうこれを扱ったものかを思いあぐね、更にため息を重くするのだった。
幼さゆえの適応力というべきか、ヒトの子供・アメリの順応は目覚ましいものであった。
日々の生活に対して何故を発しなくなったことは元より、最近では自身の手で食料を集める様にすらなった。
中でもサケブシッポを驚かせたのはその調理スキルだ。
もっともそれも単純に肉や植物を焼いて岩塩を擦り付ける程度の拙いものではあるのだが、今日まで『食料に火を通す』ということを知らなかったサケブシッポにとって、食べ飽きた食材が一手間によって別の食料へと変化する様は、まさに魔法以外の何物でもなかったのだ。
そうなると別の味わいもまた知りたくなり、サケブシッポの食料集めはなおさらに範囲を広げて、多種多様なものを取り揃えるようになる。
そしてその採集行動には必ずアメリも同伴をして食材の吟味をする訳だが、彼女を連れ立っての行動もまたサケブシッポは愛してやまなかった。
夕暮れまで食料を集めて帰ると、そこからはアメリのクッキングタイムだ。
火を前にして身を寄せ合い、調理した食事に舌つづみを打ちながらアメリが振り返る一日の出来事を聞いて過ごす夕食は、まさに二人にとって大切な一時であった。
三々五々食事も終え、あとは寝るばかりとなる頃──
「ねえアネキ。今日も『アレ』して」
アメリはそんなおねだりをしては半身を開いて寝そべる。
右を下にして、左足を高々と上げては股間を開帳してくるアメリに対し、サケブシッポもその股座へと鼻先を寄せる。
高温多湿な地域であることからここで過ごすアメリの格好は、元より身に着けていた肌着のキャミソール一枚だけを羽織っているといった姿だった。
それゆえ猫のように寝転んで足を開くと、彼女の無垢な股間はすぐにサケブシッポの前に露となった。
全体に脂肪を纏って丸みを帯びたアメリの股間は、尻の割れ目と膣のクレバスとが同化して、その白い皮膚の下に血肉の仄かな赤身を透かせた見た目と相成ってはバラ科の果実の様な向きすらある。
そんなアメリの股間に対し、まずは密着するほどに鼻先を押し当ててはそこから発せられる独特の香りをサケブシッポは存分に嗅ぎ取る。
膣は元より肛門に至るまで幾度となく鼻息を荒くしては嗅ぎ取ると、次はアメリをマン繰り返しに転がしては、天に向けさせたその股間の割れ目を無遠慮に左右へと押し開いた。
その転調にアメリはコロコロと笑ったが、そんな彼女の性器周りに目を凝らすサケブシッポの表情は真剣そのものである。
見ようによっては性的な遊びともとられかねない一連の行為もしかし、サケブシッポにとっては大事な健康チェックの一環であり、事実そこから窺い知れるアメリの体調は驚くほど正確に彼女には把握されていた。
肛門等の粘膜は食事の影響が直に反映される器官である。
そこの匂いや味わいによって消化器の状態を把握することで、サケブシッポはアメリの食べる食料の選定も行っていたのだ。
そうして一日の終わりにはその個所をチェックし、前日来に食べた食料が彼女の肉体に適合するかどうかを確かめるのは、この場におけるサケブシッポの保護者たる勤めでもあった。
いつものようアメリのクレバスを引き開いてはそこに籠る匂いのチェックから始めるサケブシッポではあったが……それまで平然としていた眉元へ僅かに険がこもる。
疑問を発見した表情それのまま、さらにサケブシッポは自身の低い鼻頭をアメリの肛門へと押し付けては強く内部の匂いを嗅ぎ取ろうと躍起になる。
やがてアメリへと声掛けをして、息ばんでは直腸を外部へとひり出すよう訴えてくるサケブシッポに対し、
「ウンチするみたく力いれるの? いいけどぉ……ウンチ出ちゃったらゴメンね?」
一方でどこか照れた様子でそれに応じるアメリとの温度差は実に極端だ。
やがてはアメリがその儚い見た目とは裏腹の低い呻き声と共に息ばむや──サケブシッポの眼前で、桃の蕾然とした肛門はうっすらと間口を開き内部の直腸を外部へと押し出させた。
それを前にしてサケブシッポは一切の躊躇なくそこへと舌を這わせる。
その執着さたるや、舌先が直腸の中へ挿入されてはアメリの腹腔を掻き回すほどの激しさである。
「んうッ!? んうーッ! きもちいい! アネキー、きもちいいよぉーッッ♡」
一方でアメリは獣染みた声を上げる。
動物としての本能にも直結する行為ゆえか、この肛門を舐められる行為は未知の快感として幼いアメリの脳を焼いた。
より深く、そしてより激しい愛撫を求めては更に腹腔へと力を込めて直腸を押し出してくるアメリに対しサケブシッポもまた、遂には口先で丸々と肛門を咥え込んでは口中にて吸い付きそして舐め溶かす愛撫を開始する。
「お、おッ、おおんぅッ♡ もっとしてぇッ♡♡ お尻の中もっとなめてぇッ♡♡ アメリのウンチ食べてぇッッ♡♡」
施してくれるサケブシッポの愛情もまた感じとれるこの愛撫に対し、もはや娯楽に飢えていたアメリは半狂乱となってはそれを欲して求める。
それを受けてか、肛門の淵全体を口中において吸い付け、さらにはアメリの幼く小さな直腸を埋め尽くしては、その堅い舌先が深部においてS状結腸の入り口を舐め上げた瞬間──
「おぎゃうぅぅ……ッツ♡♡♡」
その身を仰け反らせては、おおよそ子供らしからぬ声を上げてアメリは達した。
今日までこの舐められる行為を快感に思うことは合っても、こうまであからさまな性的絶頂を味あわされることは初めてであった。
あまりに強く、さらには未知の感覚にも晒されてそのまま……アメリは気絶するかのよう脱力しては、そして眠りへと落ちていく。
暖かい炎と寝床、そして満腹である幸福感と何よりも愛してやまないサケブシッポと共に過ごせるこの瞬間を……アメリはどこまで幸福に感じては、その小さな体に幸福を充満させるのだった。
サケブシッポがその体調を危惧した数日後──アメリはにわかに発熱した。
その後も咳が止まらない状態が続き、さらに二日が経過する頃には自力での歩行すら難しい状態へと陥っていた。
今も荒い呼吸のまま眠れずにすらいるアメリを、傍らでサケブシッポはただ見守るばかりである。
「アネキぃ……苦しいよぉ……そこに居るの? 手を握ってぇ………」
力なく小さな右掌が空を握ろうと指の節々を曲げる様子に、サケブシッポは自身の前足を握らせてやるとさらにその手の甲もまた残る前足で包み込む。
息苦しく紅潮する頬元に加え、大量に発汗している様子から熱もまた上がってきたようだ。
その後もサケブシッポは水に濡らしたイチジクの葉を頭部へ張り付けたり、はたまた口移しに水など飲ませては看病を続けたが……遂にはアメリの症状が自分の手に負えないことを察し、一つの決断を余儀なくされた。
背越しに巣穴の入り口を一瞥する。
夜の闇が満ちては星すらも見えない今宵はまさに今の自分達の行く末を表しているような夜であった。
そしてアメリはこの一夜を越えることは叶うまい……。
しばし苦しむアメリを見下ろし続けていたサケブシッポではあったがついにその決断を下す。
酷とは思いながら眠っているとも、はたまた熱によって意識が朦朧としているとも取れないアメリを抱き起すと、サケブシッポは液体のように脱力したアメリを頭の上に担いだ。
傍目から見たその姿たるや、アメリを帽子や上着のように頭上に這わせた格好である。
そうしてアメリが落ちないよう自身の尻尾もまたその体に巻き付けて固定してやると、サケブシッポはゆっくりとした足取りで巣穴から出ていくのであった。
そのまま暗い夜道を二人は行く。
常日頃においても、頭上にアメリを乗せてこの道を行くことは二人の何気ない日常風景ではあったが、今宵のこの道はまったく知らない光景のよう熱に浮かされたアメリの目には映っていた。
「アネキぃ……どこに、いくのぉ………」
そのことが不安になって息も絶え絶えにそれを尋ねれば、サケブシッポはそれに応えたのかはたまた気まぐれか、歌うように声を上げた。
吼えるようなこの甲高いサケブシッポの声がアメリは好きだった。
平素怒っているような表情と仕草から発せられるこの声もしかし、実はそこに込められている彼女の優しさと思いやりをアメリはちゃんと汲み取っている。
この荒々しい歌を聞いている時だけは、全ての苦しみから解放されるようだった。
しばししてその歌が止み、そして歩みもまた止まると──再び胸の奥底から込み上がってくる悪寒に苛まれてはアメリも意識を取り戻す。
顔を上げて周囲を見渡せばそこは、何処か小高い丘陵の頂点にいることが分かった。
そこから見渡す地平線のかなたには、既に夜明けも近いのか光の帯によって藍の空と黒い大地とが二分されている様子が窺えた。
そして見下ろす丘陵のその下には──小さなログハウスが見て取れた。
建物の中に光は見受けられなかったが、その傍らにジープと思しき車両が停められていることからも中には誰かしら人がいるであろうことも伺える。
しかしながらアメリにはまだ、自分がここへと連れて来られた意味が分からない。
ただその頭にしがみ付いてはそれを見下ろし続けていると──突如としてサケブシッポは咆哮を上げた。
高く響き渡るそれは今までにアメリでさえ聞いたことも無いような大音響で、その勢いたるや宵闇ですら打ち払われそうな勢いで奏でられた。
長く一声を発し終えると、しばしして見下ろす建物の中に明かりが灯る。
距離がある故に鮮明ではないが、建物の窓の向こうに幾人かの人影が行き交う様子が見て取れた。
しばしして出入りの為のドアと思しき壁の一面が扇に開くや、建物の中から人間の大人が出てきては周囲を窺う様子が見てとれた。どうやら女性らしい。
その一連の光景を荒い呼吸のまま見守り続けていたアメリではあったが、腹の下に敷かれていた尻尾がふいに浮き上がるや、それに持ち上げられるようにしてアメリは地上へと降ろされた。
前傾に身を倒し、辛うじて立ち尽くすアメリはこれから事態ががどう展開していくのかの予想がまったくつかない。
ただサケブシッポのことを呼んでは不安げに彼女を見上げたアメリは──そこに思わぬものを発見しては息を飲んだ。
そこに居たサケブシッポの顔は、一変していた。
瞳孔から発せられる黄金の輝きによって眼球そのものが発光していた。
目の表情が消えることでサケブシッポの顔面には、得も言えぬ禍々しさが満ちている。
そしてその様子を不安に思い身を震わせるアメリに対し、サケブシッポは再び声を発した。
身の奥底から絞り出されるようなその声は、明らかな威嚇を込めたものだった。
もはや攻撃然として立て続けに浴びせかけられるそれに、困惑しきりのアメリは幾度となく目の前のサケブシッポへと語り掛ける。
「どうしたのぉ……なんで、そんなことするの? ……アネキぃ、やめてよぉ……」
しかしながらそんなアメリの悲痛な訴えにもサケブシッポは動じない。
それどころか牙すらもむき出して更なる勢いを増すその声を前に、遂には本能的にもアメリは一歩後退った。
今サケブシッポより掛けられものは、完全に敵対者へと向けられる声そのものだったのだ。
「やめてぇ……ごめんなさい、ごめんなさいアネキぃ……あやまるから許してぇ……」
病により身が弱っていることも手伝い、アメリは深い悲しみの中でなおもサケブシッポへと縋ろうとする。
短い時間ではあったが、自分達は間違いなく心を通わせた家族であったのだ──そのサケブシッポからの仕打ちに対し、ただアメリは絶望に打ちひしがれては必死にすがりつこうとした。
それでもしかしサケブシッポはそれを受け入れない。
一息吸い込んで身を脹らませるや、再び怒号と共に吐き出したそれをか弱いアメリへと浴びせかけていく。
もはや話し合いが通じないことを悟ったアメリは声を上げて泣き出した。
悲痛にただ泣くだけしか出来ない非力な子供に対し、それでもサケブシッポは威嚇を止めない。
遂にはそんな怒号の圧に弾き出されるような形でアメリは一歩を踏み出すとサケブシッポから離れ、丘陵の下のログハウスへと歩み始める。
見れば建物からも、先の住民と思しき女性が異様なサケブシッポの声と、そしてそれに晒されているアメリを発見してはこちらへと近づいてきているのが確認できた。
アメリが再びこちらへと戻ってこぬよう、サケブシッポはなおも去りゆくアメリの背へと声を出し続ける。
一声を発するたびに、サケブシッポの脳裏にアメリと過ごした日々が思い出された。
あの炎の夜に彼女を連れ帰った時の葛藤や、その後を共に過ごした日々の発見や煌めき──……そんな溢れ出る想いを乗せて絞り出されるサケブシッポの声はいつしか威嚇の怒号ではない、懇願の悲鳴へと変わっていた。
『いかないで』『戻ってきて』『一緒にいて』『さよならなんてしたくない』──ありとあらゆる感情を吐き出すサケブシッポの声は、もはや原型すらとどめずに大きく震えては悲し気に歪んだ。
やがて遠い視線の先ではその声に背を押されて重い体を引きずっていたアメリが、出迎えた人間の女性によって抱き留められるのだが確認できた。
そんな二人の姿を見届けるや──サケブシッポは再び強く悲痛に、最後の別れを吼え猛るのだった。
義父母の影響もあり、長じてから私はサバンナ保安官の職に就いた。
これの主な仕事内容はと言えば、このサバンナエリアにおけるポケモンの実態調査とそして密猟者や遭難者への対応というのが任務だ。
遡ること25年前──私は実両親と共にこのエリアで交通事故に遭い、そして二親を失ったのだという。
我が事ながら他人事のように話すのは、私自身にこの一件の記憶が無いからだ。
当時5歳であった私は、もはや死亡確定の行方不明者として扱われていた。
事故が起きたのが夜半であり、しかもエリア内の入(い)り込んだ場所で起きたものだったことも手伝い──保安官を始めとする救急隊の一団が駆けつけた頃には、場はそこに集まったグラエナの一団によって収集のつかない状況となっていた。
幸いであったのは両親共に交通事故の時点で即死していたことから火災やグラエナの捕食になって苦しむことは無かったが、そんな状況ゆえに場から行方不明となった5歳児の生存などは絶望視された。
しかしながら状況が好転したのはそれからさらに数か月後の事である。
事もあろうかあの少女が──5歳の私が単独で保安官事務所の前に現れたのだという。
その前後、異様なポケモンの咆哮が場に轟いていたという状況から鑑みて、どうやら私が第三者のポケモンに匿われてはその日まで生を繋いでいたことが明らかとなった。
その後大人達は様々な手続きに翻弄される。
死んだと思われていた事故関係者の出現により事件の再調査が行われる傍らで、孤児となった私をどうするのかという問題もまた立ち上がった。
その折り、そんな私の引き受けを申し出てくれたのが当時私を保護してくれたサバンナ保安官であった義父母達であった。
以降は養女となった私を義父母は本当の娘のように接しては育ててくれた。
事実、私としても自分が彼らの娘であることを信じて疑わず、一連の事故の告白と共にこれら事実を知らされたのは実に15年後となる成人を迎えてからの話である。
しかしながらそれを知らされたからと言って私と、そして義父母の間の愛情が変わることも無かった。
愛すべき家族であると同時に、保安官としての彼らもまた尊敬していた私はその影響から自身もまたサバンナ保安官への道を歩むこととなる。
そうしてあの悲劇から25年後となる現在──今度は任務として再び、私はこのサバンナエリアへと足を踏み入れていた。
当時義父母が使用していたログハウスがそのまま使えることとなり、数日前に私達家族はここへと越してきたのだ。
夫もまた同じくサバンナ保安官の同僚であり、私達の間には一女が設けられていた。
今年5歳となる彼女は活発で、もはや野生ポケモンと見紛わんバイタリティで日々サバンナエリアを闊歩していた。
そんな娘ではあるのだが……最近気掛かりなことが一つある。
それは私に隠れて誰かに会っているということだった。
こんな場所なのだからその相手はポケモンではあるのだろうが、それとて全員が友好的な者達とは限らない。
野生動物然として理性の欠けた者もいれば、当人にその気はなくとも生まれ持った特性として人体に害となる物質を身に有している者などもいる。
真っ向から一方的にそれら付き合いを否定するつもりも無いが、せめてその相手だけは特定しておかねばなるまい。
その日も、まだ陽も明けぬ早朝から出掛けて行こうと冷蔵庫を漁る娘を私は背後から呼び止めた。
「──……何をしているの、メアリー?」
当人は内緒にしていたつもりであったろうから、そんな私からの声掛けに対して大袈裟に振り返る娘は、この世の終わりのような表情を見せて凍り付いた。
サバンナ保安官という立場上、常日頃から野生ポケモンへの過剰な接触は注意している教育の賜物である。
そしてそれが徹底されていたからこそ、娘はこんな朝早くに人知れず家を出発しようとしていたのだ。
しばし無言で見つめ合う中でやがては観念したのか、
『あのね……ともだちがね、できたの』
娘・メアリーはバツの悪そうな上目遣いでその告白をする。
彼女の名は、私の物である『アメリ』のアナグラムだ。だからという訳ではないが、そんな娘は幼少期の私に瓜二つなのだと義父母などはよく話題にする。
そんなメアリーはここ数日、とあるポケモンと行動を共にしているのだと言った。
その出会いは半年前にここへ越してきた時へ遡り、そのポケモンも出会った当初は強く威嚇されたのだという。
それというのも、目が合うなりにそのポケモンは絶叫の如き雄叫びを上げ、転がるように駆け寄ってきては幾度となくメアリーを腕の中に抱いては体の隅々までを観察し、遂には尻の匂いまで嗅いできたのだという。
完全に虚を衝かれたファーストコンタクトに恐怖で身を硬直させたメアリーではあったが……しばししてそのポケモンに害意が無いことを悟る。
『その子ね、アタシを見て泣いちゃったんだ。赤ちゃんみたいに抱き着いてきてね、泣いたの』
そこから二人の付き合いが始まったのだという。
そのポケモンはまるで保護者のよう振舞ってはサバンナにおけるメアリーの庇護をした。
メアリーもまたその愛情が分かると途端にそれへの愛着が湧き、以降は何処へ行くにもいつでも二人は一緒にいるのだという。
『いっしょにいるとね、すごく楽しいの♪ リザードンの尻尾から火を盗んだりね、それでバスラオとかお芋とかを焼いて食べるんだよ』
もはやつい先ほどまで秘密にしていた気遣いなど無用とばかりにメアリーはそのポケモンとの日常を私に語り聞かせていく。
しかしながら娘の語るポケモンの話を聞く私の意識は──まるでそれを映像で見せつけられているかのような鮮明さで頭の中にその光景を再生させていた。
否、そうではない……私は気付く。
いま自分の頭の中に広がるこの光景は娘の話から想起されるものではなく、間違いない『自分の記憶』だ。
メアリーの話を呼び水に、私の心の奥底に秘められていた記憶の全ては今、解放されようとしていた。
振り返るに、度重なる事故や別れのショックから脆弱な精神を守る為、幼かった私の脳はこれら衝撃の記憶を全て封印したのだ。
そして永らく秘匿されていたそれらはついに──
『あたしね、その子の声マネ上手なんだよ? 聞いて聞いて♪』
次なる娘の声によって──親愛なるその人の声によって打ち破られるのだった。
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