[[Lem>Lem]] ---- &color(red){♂×♂の描写があります。}; *love to like [#c0058d2b] 0. ~Advice from a dear friend~ お前に足りないのは唯一つ。 ずばり愛が足りない。 LOVEがお前には欠損している。 だからお前は何時まで経っても胡散臭い。 他者からの好意が全て敵意のそれだと誤解する。 俺の言葉ですら――お前に届いているのかどうかも。 お前には愛が足りない。 お前には愛が足りない。 お前には愛が足りない。 そして何よりも。 お前自身に対する愛が足りない―― ---- 1. ~Stand by Me~ その日は快晴であるはずだった。 先程まで僕の毛並みを突き抜けては皮下を焼く凶悪極まりない紫外線が、どれだけ僕が大地を蹴り付けて飛ぼうとも掴む事を許さない空より飛来していたというのに。 焼かれた表皮が小麦色に染まっていれば実に健康的な印象ではあるが、それを覆う僕の毛皮は更に色濃く染まり果てているだろう。 モンブラン――それが僕の名前で。 名の通り、安直と言わざるを得ないネーミングセンスに僕は常時憂鬱になるのだが、それでも名は名であるから渋々受け入れている。 それに名付けられた当時を思えば幼い自分の姿は毛玉という塊の子兎であったし、確かに名の通りにそう見えてはいたのだろう。 今では色合いの比率が逆転し、モンブランという洋菓子の概念を根底から引っくり返しかねない現象が起こる。 生クリームとマロンの比率が入れ替わったそれは果たして洋菓子として成立するのであろうか。 そんな下らない事に自身の存在意義を巡らせていると名付け親曰く。 ――大丈夫、生クリームの中にもすりつぶしたマロンが含まれているし、乳白色に近い果肉もあるんだからお前はお前だよ―― との事。うん、結局僕はこの名からは永遠に逃れる事は出来そうになかった。 やはり下らない事に時間を費やすべきではない。もっと時間は有意義な事に使うべきだ。 そう、こうして一人旅をする様に。決して家出とかそういうものではないのであしからず。 それに自宅に居る時の僕はほぼ飼い殺しの様な扱われ方なので、例え動機が家出であろうとも外の刺激を欲する欲望は無為ではないはずだ。 後に「何処か物足りない」という違和感を覚えたのはそれから一月程が経ってからの事で。 始めは小さなそれが、日数を重ねるにつれて徐々にしこりになっていくのを漸く認識した頃には一年の程度が経とうとしている。 あの日もこんな快晴ではなく、今日の様に急な心変わりを見せては僕の旅路の痕を消していった。 消えた痕跡は追跡を不可にするのみならず、僕の心に残る異物を洗い流してくれると思ってはいたのだけれども。 残念ながらお天道様にできる事は表面的な部分に限定されるらしい。全く以って手厳しい。 慌てて避難した雨宿りの地もよくよく見ると長い間風雨に晒されたのか。人々に忘れ去られていった末路なのか。 所々から漏れる水滴から逃げる様に身を詰めると人一人分程度の、そんな心許無い居場所しか残らないバス停留所の姿は何処か己自身が辿り着く末路の様にも思えた。 今はこうやって凌げても。いつかは崩れて何もかもが朽ち果てていく。 そんな物憂いも何度目かで分かりきっている自問自答に、僕は適当な解を探しては思考を廻らせる。言い訳を探しているとも言う。 そんな状態の自分は酷く醜い。 目前に映るやたらと葦の高い雑草は停留所をも呑み込まんとする勢いで茂っており、罅割れた舗装からも根が顔を突き出している。その様相はとても暴力的で、僕の退路をも阻もうとする魂胆を覚える程だ。 勿論そんな訳は無いのだけれど、こういう状態の僕はどうしたって自分と重ねてしまう悪癖がある限り仕方のないものだった。 そういう時に取るべき行動は二つある。 一、何もしない。何も考えない。要するに現実逃避。 二、別の事をする。別の事を考える。要するに現実逃避。 そして僕は先の悪癖を自覚している以上、一つ目を選ぶ事は自傷に繋がる処か自殺にも等しい選択肢なのだが。 二つ目を選ぼうにもこの様に密封された空間内において出来る事など限られていた。 別にこの閉鎖空間が密室状態だという訳ではないが、ナーバスに陥っている状態、正常と呼べる状態でない子からすればそう感じても無理のない事だとは思う。 それも自身に対する言い訳だろうが、見ない聞かない触らない。 とどのつまり、一つ目も二つ目も言い方を変えただけで中身は全く同一だ。 こうした幻想を打ち破るには外部からの干渉、他者の介入が、誰かに助けられる事でしか切り崩せない。 それが出来ない生物はこうして誰にも見つかる事のない自分だけの死に場所を求めて彷徨う。 自身の弱さを晒せない生物が望むのは忘れ去られていく事だけだ。それが弱者にとっての楽だ。 傍から見れば苦痛でしかない道を選ぶのが僕等だった。実に滑稽だ。 このままここで独り寂しく朽ちていくのか。そうやって諦める事に帰結しかける僕へ。 不意に、鍵が開く音が。 「……あの」 聞き間違いだろうと始めは思った。しかし続けて二度目に掛かる声を無視する事は出来ず、崩された空の密室から覗く声の主を僕は見る。 全身を覆う藍色の毛並は豪雨によって水分を帯び、やや薄めの体毛の水色が覆い隠されていて一目ではそれが何か分からない。 薄暗い空間の中でも爛と輝く月の如き双眸と、長く伸びた尾の先端に宿る星の輝きが無ければ正体は永遠に闇の中だったかもしれない。 再び戸を叩く声が掛かる。戸を閉める事は出来そうにないばかりかそもそも触れる事も出来ない。 何よりも風雨を凌げる一人分のスペースに佇み続ける僕としては、目前の光景を見てみぬ振りをする事も出来そうになかったからだ。 「良かった、本当に居たんだ……。あの、お願いがあるんです。ボクに力を貸して欲しいんです」 唐突な相手の希望に面食らうものの、とりあえず話だけは聞いてみる事にする。それに始めの言葉の事も気に掛かる。 僕がここに居るという事が前提でなければ目前の獅子はここには居るはずがないのだから。 ならばそれは一体誰だろう。単に人違いだとも思えるが、何にせよ現状の僕の身を鑑みれば不気味な事この上ない。 「唐突でごめんなさい。ボク、オリーって言います。あの、ここに来ればどんな問題でも解決できる人語を解する凄い兎が居るって聞いたんです。雨の降る日に、誰もが近寄らない忘れ去られた場所に佇んでいるらしいって……風の噂で聞いたんですけど本当に居たんですね」 ……えええ。何だそれ。申し訳ないけれど話を聞いている限りでは凄く、その、胡散臭い。 しかも、兎だろう。僕と同じ種族なのかそうじゃないのかにしてもだ。 獅子が誤解するのも無理からぬ要素を満たしている。人語に関してもだ。僕は野生生まれじゃなく人の中で育てられたのもあり、名付け親が少々変わっているというか。 人の言語を解せる様にと英才教育を幼少期より施されてきたので、流暢とまではいかないが確かに可ではある。 どれだけ運が悪いんだ僕。或いは運が良いのだろうか。 何れにしても人違いですと言付けようかと思ったものの、黙って事の成り行きを見守る事にした。 理由は面白そうだからだ。それにここで断ろうものなら僕は又憂鬱な時間に逆戻りせざるを得ないばかりか、誰かの為に力になってやれさえもしないという枷が追加される。 どちらが損得かは明らかだった。 ネガティブ拠りだが、切り替えの早さは僕の誇るべき利点である。単に現実主義といえばそれまでだけども。 「ボク、人間になりたいんだ。そうしたらもっと御主人にボクの事見てもらえるのかなって思ってさ」 僕の名付け親も変わってるとは思っていたが、目前の獅子も大概変わっている。 人間に拘るならまだしも、何故人間になりたがっているのだろう。 まぁ訳は聞かないでおこう。多分だけど聞くものじゃない。そういう部分はあまり触れるべきじゃあない。 とりあえずどれだけの事が僕に出来るかは不安だが、出来る限りの事を約束しようと僕は柄じゃないキャラクターを演じる。 「ふぅん。それは随分と高望みな願望だね。いいよいいよ。そういう一途な想い……嫌いじゃあないぜ。本来ならタダ働きなんてしない主義だけれど、キミは可愛いからね。特別に僕が力を貸してやろう。大船に乗ったつもりで期待してくれたまえよ」 胡散臭っ! 自分で言うのも何だけどこれはない。僕が相手なら「あ、ごめんなさいやっぱり無しにして下さい」って断る。というか無かった事にして下さい。 「本当ですか! ありがとうございます!」 ダメでした。この子人が好過ぎる。いつか騙されて酷い目に遭うタイプだ。間違いない。こいつ馬鹿だ。 全身に隠れてはいるが、先から左右に揺れ動く星と目元の輝きが激しさを増しているのを僕は見逃さない。そういう部分は、うん。可愛い。 「とりあえずここじゃあ何ですからボクの御主人の家へ案内しますね。道中濡れる事にはなりますけれど……」 「ああ、いいよいいよ。キミにしてもこんな閉鎖空間よりは慣れ親しんだ場所の方がリラックスできていいだろうからね」 「……閉鎖空間?」 「……何でもないよ」 うっかり口が滑った。こんな場所でも僕にとっては一時の安堵を得られた場所なので、多少反応してしまったのかもしれない。 先までこの場を一歩たりとも動かない等と頑なだった僕があっさりと見限ったのもそういう処にある。 閉じこもるには密室が必要なのだ。一部が解放されてしまえばそれは最早密室とさえ呼べず、己の心の中が筒抜けである事に他ならない。 僕以外は誰も訪れない状況こそが幻の密室を作り出していたのだから。 たった一匹の介入によってそれは呆気なく崩れてしまう。空の密室は心そのものだ。 「あの、差し支えなければ名前を伺っても?」 「ああ、そういえば名乗ってなかったね。僕は――」 口が窄まり掛けた処で、ふと思い至ってか言葉が途切れた。 直ぐ様に額を濡らす冷たさが僕の覚醒を促す。 唐突に途切れた僕を不思議そうに見つめる獅子の双眸へ、僕は作り笑いを向けて名乗る。 「――フランと呼んでくれ」 何故偽名を名乗ったのかは考えるまでも無かった。 醜い僕の、ささやかな願望が水底に残っていただけの事だ。 ---- 2. ~The hidden thought~ 状況を整理しよう。 僕は獅子に招かれる侭、豪邸とは呼ばないまでもそれなりに羽振りのいい家屋へと案内された。 なかなかいい暮らしをしている。こんな恵まれた環境で一体何が不満であるのだろうか。 そんな疑問が脳裏を過ぎるが、それは全て自分自身にも言える事かと思考を止めた。自分だってかつてはそうだったじゃないか。 余計な事は考えず、口にも漏らさずにただただ傍らの話を聞く。 主人の家族は居らず、一人と一匹で暮らしている事。 主人はいつも優しいが、時折見せる物悲しい表情が気掛かりな事。 ざっくばらんに述べられたものをまとめると以上が動機で、要は主人の力になれない自分を気にしているのだとか。 よくあるお涙頂戴の主人愛というものだ。実に忠実でよろしい。僕はそういうのが苦手なので自由奔放に生きていたけれど。 中へと招かれるも主人は留守なのか、押し下げたドアノブの反応は硬い。 「あ、今鍵開けますね。ちょっと脇へ退いてもらっていいですか」 言われるがままに我が身を退くと、獅子は大柄な全身を使って壁伝いに二足で立ち、小さな窓枠に視点を合わせると即座に鍵の開く音がした。 「これまた随分と大掛かりなセキュリティーだね。虹彩認識を用いている家屋なんてあまり見かけないよ」 「御主人がボクの為につけてくれたそうなんです」 「キミの為に?」 「はい。御主人は外に出る事が無いので、実質これで開く事が出来るのはボクだけなんです」 そりゃまた何とも親馬鹿というかなんというか。でも主人にとっては残された家族はこの子だけなのだから無理からぬ事か。 「主人は身体が悪いのかい?」 「いえ、五体満足健康体です。単にあまり好んで外へ出たがらないだけで……あの、やっぱりこういうのって良くないんですよね」 「あー……うん、僕達はそうでもないけれど、人間達はそうも行かないだろうね」 「そうですよね……」 社会というものは実に面倒臭い。それは人間に限らず僕達にもルール上として存在はするけれど、人間の様に複雑な構造はしていない。 人間は何故こうも自ずから足枷を嵌めたがるのだろう。誰に命じられる訳でもなく、自然とそうして生きていく。 おかげ様で僕もやや影響されてか、人間の様に考える事が度々ある。そうさせたのは言うまでも無く我が名付け親の影響だ。 「今、身体を拭く物をお持ちしますね」 「いや、すまないけれど浴室があればひとつ貸して貰えないだろうか」 「あ、すみません。そこまで気が回らなくて」 「気にしなくていい。それに僕の為じゃない。キミの為だ」 「ボクの?」 「僕より長く風雨に晒されていただろう? 僕も全身ずぶ濡れだけれど、体の芯まで冷え込んでいるのは間違いなくキミの方だ」 罪滅ぼしという訳でもないが、あの廃屋とも言えるバス停留所でのやり取りはやはり堪えるものがあった。 不可抗力なのだから悪くは無いのだが、それでも後味の悪さは残る。 そうした遺恨はあまり残したくないし、立つ鳥跡を濁さず、綺麗さっぱりと終わらせたいのが本音だった。 「ありがとうございます。すみません御客様なのに」 「御客様じゃない」 「え?」 「キミは僕の依頼主だろう。ならば優先順位はキミにある。当然の事を述べたまでだ。あまり気遣わなくていい」 「あ、はい……すみません。ありがとうございます。それではお先に……あの」 「まだ何か? 主人の事なら心配ない。僕から話しておこう」 「あ、いえ……そちらが第一の目的なんですが、そうじゃなくて」 「うん?」 「差し支えなければ御一緒願えないかなと。ボク一匹ではちょっと難しいものが幾つか……」 「……ああ」 うっかりしていた。人間の様に立ち振る舞える僕だが、依頼主はそうではない。二足と四つ足では手足の形状も違えば器用さも異なる。 「失礼した。僕もそこまで頭が回らなかったようだ。申し訳ない」 「い、いえ。こちらこそごめんなさい」 「……僕も大分人間に毒されてきているな……」 「え?」 「何でもないよ。ほら、浴室へ入ろう。このドアを開けた先?」 頷くと同時に戸を押し開くとなかなか広い空間の浴室が視界に入る。僕らが後五匹ずつ増えても余裕がありそうで、シャワーのノズルも人数分の備えがある。 一家全員が揃って温泉街等に入浴するなら兎も角、自宅でもそれが可能とされるのは地味に凄い事ではなかろうか。 憧れがあり、夢が詰まっている。 それだけに現状の有り様がとても物悲しく感じられた。心を落ち着ける憩いの場であるべき空間が、たかが広い狭いだけでこうも雰囲気を変え得るとは。 「物悲しいですよね」 「え?」 「この空間。御主人とボクだけが使うには広すぎて、落ち着かなくて」 「……うん、そうだね」 一瞬心を読まれたのかと思ったがそうではなく、オリーの様にまだ人間にそれ程毒されていない者でも感じる事はあるらしい。 こんな感傷に浸るのも人間のせいなのだろうかとも思っていただけに、意外な共感に僕はほんの少しだけど嬉々と感じるものがあった。 「さて、小噺もここまでにしてお互い身体を洗おうか。オリー、キミは主人に普段どの様に?」 「あ、はい。えっと……そんな特別な事はしていなくて。シャワーからシャンプー程度の流れです。シャンプーはそこの竹網籠に」 「分かった。それだけ聞けば後はこっちでやろう。何か不足があれば言ってくれ。後は楽に」 「はい。……あの、お願いします」 それにしても玄関のセキュリティーもそうだが、設備の規模のどれもが常軌より一つ上を行っている割には、この浴室だけは一般家庭のそれと何ら変わらない。 てっきり僕はオリー一匹でも利用出来る様にと、そこ等辺も主人の改造が及んでいるものと思っていたのだけれども。 この厳重とも言える設備の中で浴室だけが普通なのは、単にあえてそうしていないだけだろう。 主人とオリーの、分け隔てられた壁の無い唯一の場がここというだけなのかもしれない。 何れにせよまだ主人とは面識も無いので全て憶測の域が出ないものだが。 「あ、あの、フランさん」 「……ああ、ごめん、ちょっと考え事をしていた。何? 洗い残しがあった?」 「い、いえ……そういう訳では……その、そこは恥ずかしいので省いて頂いても……」 「うん……?」 見れば僕の手はオリーの全身を組まなくシャンプーで泡立て終えていた様で、残るは細かい部分を念入りにと手指が伸びている。主に下半身の、脚の付け根辺りに這わせており、その動きは止まらずに毛並みに沿っては逆撫でる動作を繰り返していた。 その最中に僕は気付く。というよりも真っ先に気付かねばならないはずのファクターを愚弄にも見落としていた。 「あのさ、オリー」 「はい……」 「今更で本当に申し訳ないんだけど……キミ、女の子?」 「……はい」 うわぁ……気まずい。僕の兎生においてとてつもなく気まずい。死んでも決して白紙にはならないそんな忌々しい様な一つの事件が今こうして僕の手にある。気まずい。気まずすぎてまたしても僕は言い訳に頭を廻らせる悪癖を労している。 「……ボクって自分を呼んでいるから、男の子だと思ってたよ……その、ごめん」 「い、いえ。だ、大丈夫です……フランさんみたいな綺麗な人ならまだ安心できますし……」 「……うん?」 「……?」 嫌な予感がする。オリー。キミが僕の予想を裏切ってくれる事を切に望む。 「僕、男の子だよ……?」 「……えっ……えっ?」 「うん……そうだね、キミは自分の事をボクって呼んでいるから……僕の事も同類みたいなものだと思っていたのかもしれないね……」 「ご、ごめんなさいっ……」 いや、謝られるとこっちも気まずいので出来ればそこは普段通りに接してくれれば……無理だよなぁ。 「あのさ、オリー」 「は、はい……」 「キミ、かなり世間知らずというか……いわゆるお嬢様として育ったクチだろう」 「えっと……?」 「ああ……いや、いい。今のは忘れてくれ。そうだな……オリー。これだけは覚えておいてくれ。僕、という呼称は通常は男性が使うものなんだ。キミの場合は、私、という呼称を用いるものなんだが……どうしてその呼称を?」 「あ、御主人が自分をそう呼んでいましたので……」 嗚呼……成る程、それは仕方ないね。 多分にだがオリーは今の今まで外に出た事なんて一度も無ければ他の子とも接する機会なんてそうそう無かったのかもしれない。 主人は普段から外に出ないと言うそうだから、オリーも供に過ごす内に外への関心がいまいち薄かったのだろう。 そうだとしてもちょっとここまで世間知らずなのは酷い。かつての自分がまだ可愛く思えるというか常識に満ちているというか……。 下手をすればこの子、野生で生きていくなんて不可能なんじゃないのか。 ここでも僕らの様な者達が飼い殺しにされているのかと思うと―― 「……フランさん?」 「……え、何」 「い、いえ。突然黙りこくってしまうので、ボクまた粗相をしてしまったのかと思って……」 「ああ、いや、違うんだ。ちょっとね。ほら、細かい部分とか残ってはいるけれどとりあえず泡を洗い流して、後は浴槽に浸かってて。僕も自分の身体を綺麗にした後でそっちに浸かるから……そうしたら主人の処へ行こう」 誤魔化すように捲くし立てる僕へオリーは怪訝としながらも、言われるがままに僕に従った。 別に自分の境遇をオリーと重ねる必要等、何処にもないというのに。 飼い殺し、というそれだけの事実だけしか、共通認識はないはずだ。他にも探せばあるのかもしれないけれど、そこまでして僕が私情を挟む事じゃあない。 第一僕は望んで家を出たが、オリーは違うのだ。 オリーにとって主人は絶対であり、そこに僕がとやかく言う資格は無い。 冷静になれ。自分は自分。他者は他者だ。 「フランさん」 ふと、背後から呼びかけられて僕は垂れた耳を上下に動かす。それを合図に彼女も続けた。 「ちょっとだけこっち向いてもらってもいいですか?」 うん? 何だか分からないがとりあえず要望とあれば従わない訳にはいかない。まだ泡立ちの残る身のままだが、構わずに彼女の方を向く。 沈黙が流れた。 何かあるのだろうと思えば何も語らず、ただただ彼女の視線は僕の一点だけに注がれているだけで。 えっと……オリー。何処見てるんだ。 「本当に男の子なんですね……」 「それだけを確認する為に、問答無用で僕の身体を舐め尽くす様な視線で、まじまじと観察するのは正直ちょっと女子として頂けないな」 「ご、ごめんなさい……初めて見るものでしたからその……」 「いや、別にいいんだけどね。知らなかったとは言え、キミの身体を弄ってしまった件についてはこれでチャラって事にしても構わないね?」 「あ、はい。別に私もそんなに気にしてませんので……」 いや、キミが気にしなくても僕が気にする。例え違う種族であっても僕は紳士で居たいのだ。 「でも不思議ですね。ボクから見たら凄く綺麗で、どうみても女の子の様に見えるのに」 「……ちょっと引っ掛かる処はあるけれど、褒め言葉として受け取っておくよ」 牡としてはあまり嬉しくない言葉だが、多分悪気は無いのだろうし、軽く流しておく。 身体に付いた泡を洗い流して、オリーとは少し距離を離して自分も浴槽に浸かる。浴室が湯気で曇っているからかなり熱いのかと思えば意外とそうでもなく快適な温度だ。その辺の温度調整システムは改造しているのかもしれない。 不覚にも久々の心地好い感覚に意識を手放して満喫しかけてしまいそうになった。 「ねぇオリー」 「はい」 「まだボクって言うんだね」 「ダメなんですか?」 「別にダメって事はないけれど。それは主人が使ってるから、主人と同じだから、主人と一つになれるからとかそういった理由で?」 「……はい」 またしても不覚をとった。 必要以上に踏み入らないと誓っていたはずなのに……この浴槽が曲者過ぎる。自白剤か何かでも垂れ流しているんじゃなかろうか。 「悪かった。変な質問をして」 「変えなきゃ……ダメですかね?」 「……別に。キミがしたいようにすればいい。キミはキミだろう……さぁ、そろそろあがろう。十分温まっただろう」 「あ、はい……あの、フランさん、ありがとうございます」 聞えてはいたけれど、聞えてない振りをする。 でも僕の耳は僕の意思と反して返事をする様に一礼をするのだった。 ---- 3. ~Those opposite~ 「主人はこの部屋の中に?」 「はい。今御呼び致しますね」 ドアの前へと詰め寄る彼女の妨げにならない様、自然とその場を退くと彼女はその大柄な身を玄関でのやり取りと同じ様に立ち上げた。 こんな処でもセキュリティーが施されてるのか。なんというか厳重過ぎるにも程がある。 「御主人、ボクです。ただ今戻りました。開けて下さいな」 と、人間には先ず伝わらない僕らの言語で主人に呼びかけると同時に、爪を軽く引掻く動作を始める。 ……まさかの原始的なコミュニケーションだった。いや、僕が考えすぎただけかもしれないけども。 しかし何時まで経っても反応が返ってこないので、仕方なくオリーの傍らから助け舟を出した。 「あの。僕はオリーの友達でフランと申します。勝手にお邪魔してすみません。彼女の頼みでどうしても貴方に話したい事があるそうで、少しだけ時間を頂ければ……」 「……開いてるよ」 実に気だるげな声色がドア越しに伝わってきた。とりあえず入室許可は得られたようなので、僕はオリーを退かして戸を開く。 薄暗い、なんてものじゃあない。外は未だに雨が降っているとはいえ、陽の光が差し込まない訳ではないというのに、この部屋はそれを遮断でもしているのか、夜の様に真っ暗だ。電気の一つすら点いていない。 「……ええと、電気を点けても?」 「……君は男の子か?」 「え? はい、そうですが」 「君だけ入ってこい。オリーは部屋の前で待て」 何処か拒絶の入り混じった様な、突き放した声が部屋奥から響いた。 彼女の顔を覗き見ると哀愁の入り乱れた表情をしつつも主人の命に逆らう事無く、僕に笑顔を返して中へと催促を促した。 何か一声を掛けてやりたい処だったが、ぐっと堪えて僕は部屋の中へと入る。 直ぐ様に後ろで戸が閉まり、光の無い暗黒だけが僕の全身を飲み込んだ。 「何故、僕だけを? オリーは貴方に話があるようですが」 「君はオリーの何だ? 友達? あいつが外に出たなんて僕は一度たりとも見た事はないが」 「……そうですね。正確には僕とオリーは今日初めて顔を見合わせただけの関係です。彼女が外に出なければ、僕はこうしてこの場に居るという事はないでしょう。始めに彼女はある者を探していた様です。何でも人語を解する雇われ兎が居るとかどうとか」 「それが君か」 「はい……いや、正確には違うとでも言いましょうか」 「違う?」 「人違いなんです。確かに僕はこうして人語を解しては居ますけれど。彼女の言う雇われ兎の様な、何かしらの稼業にはついていない。僕はたまたまその場で今日の風雨を凌いでいただけの野良兎なんです」 「では何故オリーにそれを言わない?」 「さぁ。何ででしょうね。僕にも分かりません。ただ、放っておけなかっただけです」 「ならば君は今日からその雇われ兎とやらになるといい」 ……何だって? 僕が? 顔も見知らぬ人物に? 「それは本人に何かしらの迷惑が掛かるのでは? 第一」 「噂では」 唐突に僕に言葉を被せてきたので、已む無く自分の言い分を中断する。なんというか、自分勝手な印象だな。 「その雇われ兎とやら言う奴はな。春を売る稼業だそうだ」 「……物好きな人間が居るんですね」 恐らくオリーはこの事については……知らないだろうな。そもそも言葉の意味ですら理解し得るかどうか。 「つまり貴方もそういう物好きな人であると?」 「頼めばしてくれるのか?」 「断固として拒否します」 「冗談だよ」 何だろう。凄くやりにくい。こう、見透かされるというか相手の掌の上で踊らされているというか。 よく分からないがこのまま流されでもすれば何か取り返しのつかない事になりそうな気がした。 「ただ、物好きになりたいという質問に関しては、将来的に言えばYesだ」 「そこは本気なんですね」 「気が変わったか?」 「変わりません」 「冗談の通じん奴だな」 「オリーの事ですか?」 このままずるずると相手のペースに呑まれる前に、僕は核心を突いてどうにか主導権を握ろうと画策する。 オリーに対しては紳士でいるが、主人に対しては問答無用。というより同性相手に何を紳士になる必要があるのだろうか。 「そんな処だ」 「ならば望めばいいじゃないですか。オリーは貴方の事を心配して僕の様な胡散臭い人物を尋ねて――」 自分で言ってて悲しくなるが、事実そうなのだから仕方ない。 「お前はloveとlikeの違いを知っているか?」 「……言葉遊びか何かですか?」 「そんな高尚な遊びじゃない。唯の違いを聞いたまでだ」 「単に……度合いの差異……じゃないんですか」 「模範的だな」 「人間を相手に模範的に生きてきましたものでね」 ふと名付け親の姿が脳裏を過ぎる。模範的にと言うならアイツの干渉こそが主たる原因ではあるのだけれど。 「だが私も君と同じ意見だ。言葉の意味など問題ではない。要はどちらに重きを置くか、だ」 「重き?」 「お前、男の経験はあるか?」 又だ。こちらが押しているかと思えば何時の間にか形成を逆転されている。 「春は売らないと示しましたけど」 「あるんだな」 断定された。何の根拠があってそんな事をほざくんだろう。 「何処からそういう根拠を持ってそう言えるんですか?」 思わず口を吐いて出た。 「別に。勘だよ。少なくとも春を売るなんて言葉を知っている時点で十分過ぎる答えにもなったがね」 「それは僕ではないと言ったでしょう」 「ああ、そうそう」 闇夜の中にも拘らず、相手が大げさなジェスチャーを伴って発言する姿が見えた。 「春を売る稼業というアレな、嘘だ」 「…………」 「君は実に面白いな」 「そいつはどうも……」 もう何処から何処までが嘘なんだろう。読めない。この男の考えている事が。 「君の主人も随分と物好きな奴だったんだな」 「僕の話は止めてください。思い出したくも無い」 「参考までに聞かせてくれないか? 私とオリーがそういう関係を結ぶに足るかを君から学べるかもしれんのでな」 「断ります」 「ならば君はオリーに何の力にもなれなかった、と報告をしてここを出るまでだ。ご苦労だったな」 「…………」 僕は、引き下がれない。唯の赤の他人であったとしても。間違いであったとしても。 一度決めた物事を破り捨てる事を、僕は由とは出来なかった。 けれど何も言い返せない侭、僕はただただ佇んで。 何もかもが消えてなくなればいいのにと自身を呪って闇夜に思考を溶かしている。 「……君に一つ提案があるんだがね」 僕は答えない。 「君は件の雇われ兎では無いが」 答えない。 「君にしか出来ない事を、君が成せばいい」 答え。 「春を売るんだろう? 雇われ兎というのは」 &ruby(こたえ){解};。 ---- 4. ~Milky Bunny~ 「一つ昔話をしようか」 暗闇の中に響く声を頼りに僕はゆっくりと手足を地に這わせる。 「まだ寒さの残る時期だった。その時の僕は九つを迎えた頃か」 掌に柔らかな感触が触れた。硬い毛質と柔らかな毛質が谷山を描いている。 「両親と供に雪の残る車道を、車を馳せている時だ」 ラグソファーを踏みしめ、そのまま前へと進む。声のする方へ。声を頼りに。 「よくある事故だったと僕は思うよ。突然車の目の前に野生動物が降り立った、というのはね」 硬い感触がぶつかった。手探りで質感を調べていくにつれて、又別の感触にぶつかった。 「気が付けば僕は車の外へと放り出されていた……否、引き摺りだされたのかな。傍らにはあの野生動物が崖下に広がる紅蓮の煙火を見下ろしていた」 ぎぃ、と座椅子の音と供に生暖かな空気が帯を伴って僕に触れる。姿は見えずとも、目前に居る事は明らかだと判別できた。 「同時に傍らに、幼い僕の胸元で怯えからの震えか。異常をきたした幼い動物を僕は抱いていた」 両手が彼の片足を伝う。細身なのだろうか。肉付きの感触もやや細い。 「それがオリーだ。あの後僕がどうやって自分の家へ戻ったのかは記憶に無い。だが目撃者の言によれば、大型の動物が僕を乗せて車道を下るのを見たとか」 掌が彼の恥骨に突き当たった。そのまま掌を中央へと寄せていく。伝わる体温と感触が一層激しさを増しているのが分かる。 「それからはずっとだ。僕とオリーは供にここで育ち、今もここにやり場の無い感情の躯をそこかしこに置き去りにして生きている」 彼の着の身の上から僕は自ら鼻腔を口付けた。当たり前の様な感想の臭いが広がった。決して覆ることの無い性の楔が広がっていた。 「オリーを怨んでいる訳ではない。あれは特殊なのだ。特別なのだ。私にとって忌避する記憶の、共感を供にする傍らなのだ」 帯を解くかの様に彼の着の身は直ぐに解け、そして臭い立つ香りを強く傍受した自身の雄もそれに伴って存在意義を露にしていく。 「僕はそれを壊せない。僕はそれを愛している。最後に残った全ての欠片であり、その結晶がオリーなのだ」 細身な身体には似つかわしくない程に雄々しい彼の雄へ、僕はその身に刻まれた僕だけが知り得る快楽への道を、ひとつひとつ彼の雄へとなぞらえていく。 「君はあれの本心の代弁者としてここへやってきた」 頭に彼の掌が置かれた。撫で擦り、垂れた耳の内側へと指を這わせ、最も過敏な、突くべきではない箇所を彼は見つける。 「だが僕はそれをこの耳に入れるつもりはない」 彼の指が耳の奥へと這ってくる。それはかつての自分でも感じた事の無い未知の感覚が待ち受け、蝸牛の入口を爪先が引掻いた。 「だがオリーの気持ちを無碍にする気も僕には無い」 痛覚にも似た何かが全身を駆け巡り、堪え切れずに声が漏れた。だがそれに含まれていたのは紛れも無く、自身が良く知る色だった。 「君はオリーの代弁者としてここへきた。オリーは僕にこうなる事を望んでいたか? ならばそれも君が代弁者として僕に捧げ給え」 耳から引き抜かれた彼の指が僕の鼻へ、舌へと伸びる。そこから香る僕の血の、何とも香しく甘い事か。 「それがこれからの君の仕事だ。雇われ兎君」 甘美な香りと供に広がる味はとても自分のものとは思えなかった。もっと。もっと自分の中に広がるそれを、僕は飲み干したかった。 「返事を聞こうか」 彼の指が引き抜かれた。口許が寂しくなり、僕は代わりの何かを探して彼の雄を見つける。何の躊躇いも無く僕はそれを受け入れた。 「君の名は?」 名を尋ねられ、僕は自身の名を告げる。しかし咥えたままでの発言が果たして彼には伝わったかどうか。 「聞き取れないな。もういい。僕が名付けてやろう」 新しい名前。僕に新たな名前が下されるなんて。そんな機会がまだ残っていたなんて。 「君は今日からモンブランと名乗りなさい。オリーの代弁者として。オリーと僕の好き友として」 嗚呼。僕の名前。僕の名前。僕の名前―― ---- 後書 即日即興で書くのはいつもの事とはいえ、今回はあまりにもヤッチマッタ感を拭えない大失敗を犯してしまい、もう即日即興を止めろと天よりのお告げが下されたのかと思いました。 どうも私です。 以前とある方から「貴方の仮面はサランラップを巻いて出場してるみたい」という褒め言葉を頂いた事がありましたけど、今回はそれより酷いとしか言いようが無い。 管理人様や読者様には多大な混乱を招いてしまいまして申し訳ありませんでした。 私だと特定出来てても生暖かくスルーして下さって感謝しきれない。 更には投票と長々な感想まで頂きましてなんだかもう「そこの二人表に出ろ(笑顔)」 投票理由は独特さ故にとありましたが、それは謎でも何でもなく私の毒牙に掛けられたのだ。 という訳で&ruby(キャラクター設定){血清};を置いておくので忘れずに。 ・モンブラン(フラン)、ミミロップ ♂ 本作では匂わせるだけで本文に触れていないが、元は人に飼われていた。 物好きな人間も様々で、そうした特殊な性癖を持つ飼い主に育てられる。 言うなれば光源氏計画のポケモンVer。 淫乱な自身と名付け親に嫌気が差して飛び出したものの、染み付いた性質はそう容易くは変えられず、最終的には元居た環境へと帰巣する。 ・オリー、レントラー ♀ 主人愛で忠実な子。 幼い頃に車に轢かれかけた体験のトラウマからか、自身と主人の馴れ初めをあまり覚えていない。 その為か事件後の記憶しか保有しておらず、あやふやな過去に常に傍にいた主人を盲目的な目で見ている節がある。 ・主人、人間 ♂ 排他的かつ退廃的。 相反する感情から目を反らし続ける内につれ、全ての声に対して懐疑的になる。 本作はオリーと主人のキューピッド的な終わり方を想定していたはずなのですが、半日という制限時間の中で出来たのは全く真逆の欝end。どうしてこうなった。 主人にも一応名前が設定してあって、オリーとセットで織姫と彦星的なものを連想させるそういう内容になるはずだったのに。オカシイナー。 後、私と馴染みのある方にはお分かりでしょうが主人のモデルも自分です。いやここまで性格酷くはないけれど。 人を見透かす性質や、嫁に対して性的な行為に及べないという致命的な弱点を見れば大体分かりますね。 弱点を克服する為にここ最近はレントラーの登場回数を増やしていたのですが、やっぱり私は嫁に対して何も出来ないままだらだらと時が流れるそんな運命らしい。 好き過ぎて、愛し過ぎて、穢せない。それがレントラー。 普通に好きという程度のミミロップにはこんな酷い仕打ちをするというのに。 それでは締めの言葉として御挨拶をば。 管理人様、投稿者の方々様、読者の方々様へ。 今回もお疲れ様でした。また次回もお会いしましょう。 ---- #pcomment IP:202.238.187.61 TIME:"2013-09-09 (月) 23:33:41" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?guid=ON" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64; rv:23.0) Gecko/20100101 Firefox/23.0"