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Reach For The Sky 6 ‐砂漠の精霊‐ の変更点


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Written by [[SKYLINE]]

目次は[[こちら>Reach For The Sky]]
キャラ紹介は[[こちら>Reach For The Sky  世界観とキャラ紹介]]
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''Episode 6 砂漠の精霊''

 自分達は逆鱗にでも触れてしまったのだろうか。吹き付ける砂は強くなる一方で目も耳も鼻も殆ど使い物にならない程。砂嵐は怒りの矛先を容赦なくこちらに向けてくる。前に進むのがやっとで会話をする余裕も殆どない。三人の中では最年長であるエアームドの斬空は吹き荒れる乾いた嵐を前に、なにか自分達が禁忌の行いでもしてしまったかのような錯覚すら覚えていた。
 タイプが飛行なだけに、銀に輝く鋭い立派な翼を持ち合わせていて、それで大空に舞い上がってこの砂嵐の中から脱出したい気持ちもあった。だが後ろに続くグラエナのロイスやコモルーの希龍を置いて自分だけここから立ち去るなんて真似は出来ないし、なによりこの強風と砂の中ではバランスなど取れる筈もなく飛行なんて不可能に近かった。飛び上がりでもしたら最後。風と砂に&ruby(さら){浚};われ、何処かに吹き飛ばされて地面に落下して痛い思いを……またはそれが本当に“最期”となってしまう。
 そんな暗い事を考えながら、体積する細かな砂に埋もれる足を引き抜き、一歩一歩踏み出す斬空は振り返った。――後続の二人は大丈夫だろうか。ふとした心配が彼の首を動かしていて、心配の種を消そうと彼は二人の姿を確認しようとする。黒毛を風に&ruby(なび){靡};かすロイスの姿は砂の中にもなんとか視認出来た。しかし、その後ろに居る筈の希龍の姿が見えない。距離が少し離れ、砂の影響で見えないだけか。斬空は最初そう思っていたが、幾ら砂嵐の只中だとしても、たかが十メートル程度しか離れていない筈の彼の姿が見えないのはおかしい。
 妙な胸騒ぎが起こった。何か嫌な予感が頭を過ぎり、斬空はそっと足を止めてそれを肩幅に開き、風に負けないように立つ。

「ロイス! 希龍が見えるか?」

「え!? 希龍? ちょっと待って……」

 風の怒号に負けぬよう、声帯を大きく震わせて声を上げた斬空にロイスは目を細めながら同様に大声で返事をする。彼は毛を風に靡かせながら振り向くと、砂嵐の中に希龍の姿を探す。ロイスも先の斬空と同様、砂嵐の中に彼の姿が見える筈だと思っていた。だが直面する現実はロイスも斬空も変わらない。ロイスの視界に希龍の姿が入り込む事は無かったのだ。目を細めたり、声を上げて名前を呼んだり、鼻を利かせたり。あらゆる手段で二人は希龍を探したが、砂嵐が吹き荒れるだけで希龍は見つからなかった。
 砂嵐の中で棒立ちする二人は互いに最悪の状況を想像しながら、ゆっくりと目を合わせ、同時に叫んだ。

「希龍が行方不明だ!」











 やってしまった。あれだけ注意していたのに……。自分の愚かさを悔やみつつ、砂漠の只中に取り残された希龍はそう思っていた。つい先程まで感じていた、道具を手に入れた喜びなど遥か彼方。渦巻く絶望が彼の心を掻き乱す。夢であってほしいと願うも直面するのは紛れも無い現実で、彼はしばらくその場から動く事すら出来なかった。
 青い空を求めて旅立ったのに、初日でいきなり絶望のどん底に足を滑らせた彼は表情すら作る余裕もないのか、唖然とした顔で立ち竦む。雄叫びの如く叫ぶ砂嵐の声が耳を貫き、踊る砂は足元に体積していく。砂に埋れ行く前足の感覚に気が付いた彼はようやく我に返り、慌てて砂から足を引き抜いた。
 危ない所だった。このまま立ち竦んでいたら、直に自分は砂に埋れてミイラでもなってしまうだろう。足元を見て若干の恐怖を抱いた彼はもう一度周囲を見渡す。もしかしたら自分が居ない事に気が付いた斬空やロイスが探しに来ているかもしれない。深い谷底にいるような、そんな絶望が心に蔓延する中でも彼は希望を捨てずに、砂と風で痛む目で周辺を睨む。ただ、思い起こすに砂嵐の中では会話するどころではなかった為、もし自分が欠けたとしても視界の悪さと相まって斬空もロイスも気が付かないのではないだろうか。ふとした考えが、彼の精神をさらに蝕んだ。
 不安の波は彼の中でどんどん大きくなっていく。砂の苦い味を我慢して口を大きく開き声を上げるも、返って来るのは嵐の声だけで聞き慣れた二人の声は返ってこない。どうすれば良いのだろうか。何度も絶体絶命の状況は体験してきたが、今まではいつも斬空と言う相棒が傍らに居てくれた。けれど今回はたった一人。自分で考え、自分で行動する以外に解決の糸口は無く、彼はしばし目を閉じて自分を落ち着かせ、それと同時にどうするかを考えた。
 幸い、オアシスで補給が出来たお陰でポーチの中に水や食料はある。さらに、茶色の空と砂嵐に紛れていても、なんとか太陽の位置は確認が可能で方角もある程度は分かる。それらの事を総合的に考え、希龍は決断を下した。
 ――たった一人で町を目指すと。
 斬空もロイスも南方にある町を目指しているのだから、自分も南を目指せば良い。砂嵐の中で方角を見間違う危険性も十分にあったが、そうだとしてもここに居ては死を待つだけ。行動も起こさない者に神は救いの手を差し伸べてはくれないだろう。そう決断を下した希龍は太陽の位置から方角を導き出し、南を向いた。
 前足を器用に使って胸の辺りに着いたポーチのチャックを開け、中にある古びた瓶に入った水――先程オアシスで補給した水を少量口に含んだ希龍はそれを一気に飲み込むと、四本の足それぞれに力を込めて肩幅に開き、砂に負けないように目を尖らせた。「よし」と意気込んだ希龍は力を込めた足で踏み出し、柔らかな砂を踏む。種族柄、短い足は砂場での行動に適さず、踏み出す度に足は埋れるが砂を蹴り飛ばす勢いで彼は力強く足を動かす。焦らずにはいられない状況下でも彼は精神を乱さぬように冷静さを保ち、まだ二人との距離はそう離れてなく、出来るだけ速く進めばいずれ合流出来ると信じて砂舞う中で前を見据えた。
 穏やかで雄大な自然はどこに消えたのか、荒廃した世界を象徴するかの如く、希龍の居る場所は砂と岩だけの荒々しい自然。その光景は大自然の力の前にはポケモン達の文明など塵に等しいとでも言うかのようで、先の砂に埋れかけた亡骸を始め、砂は全てを飲み込もうとしていた。矛先は例外なく希龍にも向けられ、少し前までと比べれば落ち着きこそ見せているものの、砂嵐は依然として希龍の体を砂中に沈めようとしていた。
 立ち止まったらそれが最後。そんな恐怖すら彼は覚えていた。一人で町――ミクスウォータを目指すと決断したのは良かったが、やはり傍らに誰も居ないのは寂しく、自分の粗い息遣いと砂を踏む音、嵐の叫び程度の音しか聞えないと言うのは、妙に彼を不安にさせる。

(……くそ、何時になったら、追い付けるんだ)

 たった一人で砂漠の只中を歩き始めて一時間は優に経過していた。砂埃で目は痛いし、口の中は砂の苦味が舌に沁みる。歩いても歩いても景色にこれといって変化はなく、大地、空、全てが茶色の世界の中で彼は苛立ちすらも覚えていた。方角は合っている筈なのに、疑心暗鬼に陥る心はそれすらも信じられなくし、彼の夢に向かって突き進む前向きな心を不安に塗り替えようとする。
 それでも彼は歩き続け、いつしか彼の右側――即ち西の方角に太陽は傾き始めていた。沈みゆく陽の姿に嫌な予感しかしない彼は、砂嵐の中でぼんやりと浮かぶそれを横目で見ると、疲れを訴え始めた足を止めた。さすがに短い足で砂の中を移動するのは体力を多く消耗し、普通に移動するよりも足は早く疲れを訴え始めていたのだ。
 夜の砂漠は急激に気温が低下する。それくらいの知識は身に着けていた希龍は、このまま疲れた足で歩くよりは、焦る心を押し殺してでもどこか休憩できる安全な場所を見つけ、そこで一晩を越し、翌日に移動を再開した方が安全かつ確実かと冷静に考えた。斬空やロイスと合流するのが遅くなるのは仕方がない。目指す場所は同じだし、二人も自分と同じようにどこかで夜を越す筈。だとすれば岩陰などに身を隠すだろうから、すれ違いになってしまう可能性も高い。移動を中断して一晩越す。自分なりに色々と考察を重ねた結果の答えだった。
 判断が付いたのなら、先ずは岩陰など出来る限り安全な場所を見つけるのが優先。幸いこの砂漠は砂から顔を出す巨大な岩も多く、それらの陰やそこに存在するかも知れない横穴などを見つけるのに苦労は無いだろう。そう思う彼は周辺を睨み、隠れられそうな巨大な岩を探してはそこを調べ、安全な場所を探す。目当ての岩で無ければそれに上り、高所から周辺を見渡して次の目標を定め、彼は捜索を続けた。
 時間を惜しまず極力安全な岩を探し求め、彷徨う事十数分、希龍は七、八個程岩を見てきたが、彼を納得させる岩は未だ眼前にその姿を曝け出してはいなかった。九個目の岩を見つけるも、それも身を隠すには少し頼り無く、彼は顰め面を岩に向かって見せるとその上によじ登る。

(次はどの岩を調べるか……)

 細める目の中で瞳を左右に動かしつつ希龍はそう脳裏に言葉を浮かべ、目を凝らした。すると砂嵐の中、少し離れた場所に、回りの岩に比べて一回りも二回りも大きな岩が彼の目に飛び込んできた。
 即決だった。次なる目標を定めた希龍は岩から飛び降りると、柔らかな砂の上に見事に着地し、早足で見つけた岩に向かって歩みを進める。いい加減飽き飽きした乾燥してサラサラとした感触を足に受けながら、彼は弱まったとは言え、まだ唸る砂嵐の中に霞むその岩に焦点を合わせながら、距離を縮めていく。

「ん?」

 早足で進んでいた時だ。希龍の瞳に、“何か”が一際強く吹いた風の音と共に映った。それに対し、無意識に声が出た彼は足を止めると、岩と一緒に見えるそれ……まるで巨岩を従えるかのように、そして砂塵に動じる事なく岩の頂に直立する一つの影に目を細めた。










 希龍が行方不明。最悪の展開に斬空もロイスもしばらく立ったまま声が出なかった。砂嵐の中を掻き分けるように進む事に意識を使い過ぎ、会話をしなかったのが間違いであり、最大の失態であった。少なくとも一時間以上は言葉を交わす事は無く、その間の何時何処で希龍が逸れてしまったのか……それすらも斬空は分からなかった。
 日の入りが近くて危険度は高いが探しに行く。状況を飲み込み、冷静になってから初めて浮かんだ考えはそれだった。だが、どこをどう探せばよいのか。一本の紐に括り付けられたかのように、先の考えに続いて浮かんできたその考えが、宛てもなく踏み出そうとしていた自身の足にブレーキを掛ける。
 とにかく今は落ち着け、そう自分に言い聞かせながら、砂で息苦しい中で斬空は一度空気を吸い込み、それからゆっくりと息を吐き出した。彼の隣に立つロイスは、まだ希龍が行方不明だという現実を飲み込みきれていない様子で、彼の顔は焦りで歪んでいる。瞼を下ろし、心を落ち着かせてどうするかを考える斬空の直ぐ横で、ロイスは首を振って気を取り直した。

「斬空さん! 早く引き返して希龍を探そうぜ!」

 出会って間もない仲間だが、夢を共有する友として希龍を見捨てるわけにはいかないと強く思うロイスは、目を閉じて考える斬空に大声を放つ。しかし、友を救いたいと一心に思うロイスに返ってきた斬空の返事は彼の表情を一変させる物だった。

「いや、希龍の捜索は無しだ。希龍の事だ、俺達が…………」

「は!? 正気かよ!? あんたそれでも希龍の相棒か!? 俺なんかより付き合いが長いのに、なんでそう簡単に希龍を見捨てられるんだよ!」

 斬空の言い掛けた言葉を押し退けて、ロイスは怒号を放った。当然の如くロイスは彼の返事に納得がいかなかったのだ。仲間を見捨てるなんて以ての外。今は町を目指すより仲間を助ける方が絶対に優先すべき事の筈ではないのか。普段の緩い態度とは一転し、険しい顔と釣り上がった鋭い目付きで斬空を見るロイスは斬空の口から出てきた言葉など聞きたくもなかった。

「少し落ち着け!」

 険しい顔で牙をも覗かせるロイスに、斬空は鋭い言葉を突き刺す。逞しく、まるで父親のような大人の威厳と重なった斬空の一喝に、ロイスは牙を覗かせていた口を思わず閉じてしまった。一瞬だが、砂嵐までもその一声に止まったかのようで辺りが静まり返る。驚いていたロイスの尖った耳に再び砂の音が紛れ込んできたのとほぼ同時に、斬空は再度嘴を二つに割った。

「……ロイスの言う通り、俺だって希龍の事は死ぬほど心配だ。だが冷静に考えてみろ。何時何処で逸れたかも分からない希龍をどう探す? このまま夜になって、真っ暗闇の中を砂嵐で使えない鼻を頼りに捜すか? 幾らお前の鼻でも無理だろ? それに希龍の事だ。方角ぐらい分かるだろうし、俺達が居なくてもきっとミクスウォータを目指す筈だ。希龍を信頼しているなら、そう信じるしかない。違うか?」

「…………」

 冷静さを欠いていたロイスに、斬空の声は一際強く響いていたのだろう。彼は俯くと黙り込んでしまった。まるで斬空に言った自分の言葉を恥じるかのように……。冷静になり考えてみれば斬空の主張が正しいのは明確で、考えもなしにただでさえ危険な上に、目を奪われる夜の砂漠を彷徨おうとしていた自分は間違っていた。自分より希龍の事を良く知っていて、彼を信頼しているからこそ下したその判断に怒鳴ってしまった事に罪悪感を抱きながら、俯いていたロイスは閉じていた口を小さく開く。

「ごめん……斬空さんの言う通りだ」

「分かってくれたなら、謝る必要なんてないさ。……とにかく、今は希龍を信じて俺達は寝床を探そう。そこで一夜を明かして、朝再出発だ」

「お、おう」

 一時はもめてしまったが、冷静さを欠かなかった斬空の言葉で我に返ったロイスは彼の判断に従って&ruby(ねぐら){塒};を探す事にし、二人は激しく舞踊する砂塵の中を塒となる岩を探して一歩を踏み出したのだった。










 日の入りの時間は刻々と近づいていた。砂嵐の中、斬空やロイスと同様に塒として利用できそうな岩を求めて柔らかな砂の上を歩いていた希龍、そんな彼の目に突如として映り込んだ巨石と、その頂に立つ一つの影。彼は自分の目を疑っていた。こんな場所に自分以外の誰かが居るなんてありえない。砂に霞みながらもどこか悲しげに直立する影を希龍はまじまじと眺めていた。最初は一風変わった形をした岩かなにかだと思ったが、ぼんやりとするその姿は明らかに岩とは言えないもので、彼はそれを凝視しながら、ゆっくりとその影に近付いていく。
 彼には警戒心があった。岩でもないとなれば、信じ難いが自分達と同じような生存者の可能性が高い。だが、自分達を追い出したあのドラピオンのような奴かもしれないと言う疑念が彼の足取りを慎重にさせていたのだ。体に吹き付けてくる強風と砂に耐えながら、彼は薄く開いた目で対象をしっかりと捉えて歩みを進めていく。勿論、いつでも戦えるように心を準備して。砂を踏むに連れ、その姿がはっきりと見えてきて、希龍は正体を確かめたい気持ちと警戒する気持ちの二つを同時に感じながら、浮かぶその影から目を離そうとしなかった。
 その時だ。
 荒れ狂っていた砂嵐が突然弱まり、勢いを失った細かな砂の群れは次第に晴れていく。突然の出来事に彼は焦ったが何時も冷静な斬空を見習い、彼は足を踏ん張らせると気持ちを落ち着かせ、睨むような目で岩の頂を見る。砂嵐の壁が取り払われ、晴れた視界に見えたそれは彼の予想していた通り、生存者であった。
 直立する体はまるで砂漠に紛れるような緑褐色で、自分とは大違いの立派な菱形の翼を背負い、後方に長く伸びる二本の角。その中でも最も特徴的だったのは、目を防護するように覆う赤いゴーグルのような物。希龍の瞳にはっきりと映るその生存者。それは砂漠の精霊とも呼ばれるポケモン――フライゴンであった。
 美しい。その姿を目にして初めて浮かんだ言葉がそれだった。厳しい環境である砂漠に似つかないその美しき姿に、希龍は見惚れてしまっていたのだ。周囲の音も聞こえない程に意識は完全にその一点――フライゴンに集中していて、今の彼に回りなど見えていなかった。彼は吸い寄せられるようにフライゴンに向かって足早に進んでいき、岩の麓までたどり着くと、そのフライゴンを見上げた。
 比較するものが無いくらいその精霊の姿は美艶だった。しかし、なにか様子がおかしいのだ。頂にたったまま一つとして動かず、高所から周囲を見回している訳でもない。まるで全てを失った抜け殻のようにそのフライゴンは頂に立ち続けているのだ。そしてもう一つ、希龍の目に強く映ったものがあった……それはフライゴンの瞳にから溢れる涙。そう、フライゴンは泣いていたのだ。理由など希龍には分からなかった。ただ、その涙は彼をなにか放っておけない気持ちにさせていた。
 なにか嫌な予感が頭を過り、希龍は周辺を見回すと岩に登れそうな場所を探す。フライゴンの立つ場所は切り立っていて登るのは困難であったが、反対方向は比較的緩やかな斜面で、短足の彼でもなんとか登れそうであった。そこに目を付けた希龍は砂を蹴って駆け足で岩の後方に回り、そこから這うように頂を目指す。先ほどから続く嫌な予感が頭の中に残る中、彼はなんとか岩の頂上まで登り切ると、自分に背中を向けているフライゴンに焦点を合わる。そして、恐る恐るそのフライゴンに近付きながら、彼は知りもしない相手に声を掛けた。

「あ、あの……大丈夫?」

「…………」

 涙を流すそのフライゴンに優しく声を掛けたつもりだったが、そのフライゴンが彼に反応する事はなかった。本当に抜け殻なのではないか。そんな考えさえ浮かび、希龍はまた一歩近付くと、今度は少し大きめの声で話し掛ける。

「あの、大丈夫?」

 返事こそ返ってこなかったが、ようやく希龍の声は乾いた大地に涙を零すフライゴンに届いたようで、フライゴンはゆっくりと振り返り、まるで魂でも抜けたかのような荒んだ顔を彼に見せた。佇む姿こそ美しいものであったが、今目の前にいる砂漠の精霊に麗辞は似合わなかった。体中の水分を全て流すかのような大粒の涙を、目を覆う赤いカバーの隙間から流し目は虚ろ。瞳は死んでいて、そこに生きる希望は宿っていなかった。
 触れれば崩れてしまう砂の城のようにフライゴンの姿は弱々しく、虚ろな瞳で自分を見てくるフライゴンに掛けるべき言葉を彼は詮索する。虚ろで冷たい瞳はどう声を掛けるべきかを考える希龍に、近寄るなとでも言うかのように冷たく、世界から忘れ去られるように沈みゆく&ruby(せきよう){夕陽};の姿と重なったその瞳に、罪悪感すら覚えた彼は目を逸らした。だが、悲壮に沈むフライゴンを放ってはおけない希龍は再び目を合わせると、慎重に一歩踏み出し、フライゴンに近付いていく。

「来ないで……」

 踏み出す希龍の足を止めたのは、泣き疲れて霞んだ綺麗な女性の声だった。“来ないで”そう言った彼女の声が希龍の胸に突き刺さる。初対面で見ず知らずの女性なのだから、正直放って置いてもこの世界では罰など当たらないだろう。しかし、そのような非情と言える考えを正義感の強い希龍が抱く事はなかった。自分から声を掛けたのだから、来ないでと言われようが彼女を見捨てる訳にはいかない希龍は、理由は分からないが酷く悲しむ彼女を励まそうと、見るからに精神が不安定な彼女を刺激しないように、その場に留まり続ける。嫌な予感が予感のままであって欲しいと真に願いながら。

「なんか良く分かんないけど、大丈夫?」

「…………」

 問い掛けても特に反応を見せてくれない彼女は活力を失い涙で潤む目で希龍を見てくる。斬空やロイスと逸れてしまい、たった一人で砂漠を放浪していた希龍は疲れていて、早く岩陰に身を潜めて体を休めたい気持ちが少なからずあったが、やはり彼女をこのまま放っておく事は出来ない。なんとか彼女を励まそうと、希龍は無視されても言葉を投げ続けた。

「な、なぁ、なにが会ったか分かんないけど、俺で良ければ相談に乗るからさ、こんな所に突っ立ってないで岩陰を探して休もう」

「…………」

「……あ、そうだ。水があるけど飲む?」

「…………」

 彼女は本当に抜け殻なのではないか。問い掛けてもそれに応対する事のないフライゴンを見ながら希龍はそう思っていた。一時的に収まっていた砂嵐がまたその横暴ぶりを取戻し、打ち付ける砂に希龍が思わず目を閉じた瞬間、フライゴンは振り向くと頂の先端に立ち、そこから地面を見た。下は砂だが所々に硬い岩肌が見えていて、それは砂の下に硬い岩の地面が隠れている事を物語っていた。零れた一滴の涙は切り立った岩の頂上から重力に捕われて地面に吸い込まれていく。その一滴を最後に、流す涙も眼下に広がる砂漠のように枯れ果てたのか、赤いゴーグルのようなものに覆われた彼女の目からもう悲しみの雫が落ちる事はなかった。そして……悲愴な面持ちの彼女は体を傾ける。
 &ruby(そうぼう){双眸};を砂塵から守っていた瞼を持ち上げた時、両の目に入ってきたその光景に希龍は思わず声を上げた。

「お、おい! 待てって!」

 嫌な予感が現実に……それだけは避けたく、希龍は一心不乱に岩肌を蹴って駆け出した。間に合ってくれ。それ以外の事を考える余裕などなく、目の前のフライゴンをただ助けたい一心で、広大な砂の大地に消えゆく彼女の背中を彼は追い掛ける。慌てて追い掛ける希龍をよそに、巨石の頂から身を投じた彼女は叫び声の一つも上げずに、砂の下に身を潜める&ruby(かきわ){堅磐};に――“死”に吸い込まれていく。もうこの世界に生きる意味を見出せないとでも訴えるかのような悲しい表情を残して……
 だがその刹那、フライゴンの体は落下を止めた。
 それは彼女が背中に授かる翼を羽ばたかせた訳でもなく、砂漠に吹き荒れる風に持ち上げられた訳でもない。命を捨てる決断を下した彼女を止めたのは、ただ一人――希龍だった。自分よりも大きな体を持つ彼女の尻尾を両前足で挟むように掴みながら、後足を踏ん張り、なんとしても彼女を死なせる訳にはいかないと希龍は持てる力の全てを注ぎ、重力に捕われる彼女の体を支える。

「……し、死なせない……」

 踏ん張りながらそう言葉を漏らした希龍の決死とも言える行動のお蔭で、意思には反するがフライゴンは命を取り留め、宙吊りとなった彼女の体は砂漠を縦横無尽に駆け回る風によって左右に揺れ動く。その度に希龍は彼女の尻尾を離してしまいそうになったが、言葉の通りで死なせてたまるかと歯を食い縛って彼女の体を支え続ける。自分よりも体の大きな相手を支えている為、一瞬でも気を抜けば前足を離してしまいそうだったが、そんな状況でも希龍はなんとか冷静さを保ち、筋肉が壊れてしまいそうなくらい全身に力を込めてゆっくりと彼女の体を持ち上げていく。限界を超えるような火事場の馬鹿力に体の各所は悲鳴を上げるが、それも我慢して希龍はフライゴンの尻尾を掴む前足に力を込め続ける。 
 力を振り絞り、ゆっくりと一歩ずつ後退しながら希龍はなんとか彼女を引き上げた。驚いたように体を硬直させる彼女を引き上げた瞬間、予期せぬ事態に体力を使い果たしてしまった希龍はその場に倒れこむ。全身の筋肉が痛むが、それでも希龍は安心していた。目の前の命を繋ぎ止める事が出来たその安心感に希龍は一つ大きなため息を付くと、礼の一言も言わずに立ち竦む彼女に、どこを見ていたか自分でも分からなかった視線を向けた。

「はぁはぁ……何があったか知らないけど、命を捨てるなんて間違ってる」

「……なんで、なんで助けたの?」

 震えながらも立ち上がる希龍を死んだように虚ろな目で見ながら、俯く彼女は呟くように言った。泣き疲れて霞んだその声を聴きながら希龍は立ち上がると、慎重に彼女に近付いていく。

「なんでって……助ける理由を考えてる余裕なんてないって」

 真剣な表情でそう言いながら、佇むフライゴンの前まで希龍は歩み寄ると、身長の関係上彼女を見上げながらポーチからオアシスで補給した水の入った瓶を取り出し、それを彼女にそっと差し出す。だが、彼女はそれを受取ろうとはせず、見上げてくる希龍をただ見下ろし続けた。

「あれだけ泣いてたんだから、喉も渇くでしょ? 飲めって」

「…………」

 見ず知らずの自分にここまで気を遣ってくる希龍に優しさを感じていたのか、それともお節介と感じていたのか。そのどちらかは分からなかったが、彼女は希龍の差し出す水の入った瓶にゆっくりと手を伸ばし、それを震えながら掴むと自らの口に運んだ。両手で瓶をしっかりと掴みながら喉を鳴らして水を飲む彼女の姿に、やはり喉が渇いていたのだろうと希龍は思いながら数歩下がり、そこに座った。
 風が吹く中、後頭部から伸びる二本の長い角をそれに靡かせながら、フライゴンは希龍の見守る中で瓶の中に入った新鮮な水を飲み干すと、空になった瓶を硬い岩の上に置く。風鈴のようなガラス特有の高い音が風音の中で微かに響き、彼女は小さく……そしてかすかな声で希龍に言った。

「ありがとう……」

 風声が唸る中で僅かに聞こえたその声を聴いた希龍は彼女に初めて感謝されたのが嬉しく、疲れの混じる表情を明るくする。理由は分からないが取りあえず悲しみに染まる彼女は自殺を思い留まってくれたようで希龍は安心を覚えていた。ただ、一つ気になるのは彼女がなぜここまで悲しんでいたのか。その疑問が後味の悪い木の実のように残り、それを聞くのはタブーかもしれないが、相談に乗れるのなら相談に乗って彼女の悲しみを紛らわしてやりたい。自分と同じように座り込んだフライゴンを瞳に映しながら希龍はそう考えていた。
 悲愴の理由を聞くべきか聞かないべきか……水を飲み終え、ただ俯くばかりの彼女を眺めながら希龍は考えていたが、このままでは埒が明かず、彼女は悲しみ続けるだけだろう。ならば役に立てるか分からないが、ここは聞いてみよう。自分だって悲しい経験をしてきたのだから、分かりあえる筈……
 そう決心した希龍はゆっくりと立ち上がると、濃灰色の足をゆっくりと動かして再び彼女の元に歩み寄った。

「その……さっきも言ったんだけどさ。俺で良ければ相談に乗るからさ。泣いてる理由を教えてくれない?」

 彼女――フライゴンの返答を希龍は待ったが、彼女は泣いて泣いて泣き続けてぐしゃぐしゃになった顔の中に思い詰めたような表情を浮かばせただけで、口は固く閉ざしていた。やはり聞くのは不味かったか。そう希龍が思い始めた直後、彼女は俯いたままそっと口を開いたのだった。










To be continued...
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[[Reach For The Sky 7 ‐抜け殻は捨てて‐]]
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あとがき
ようやくヒロイン登場。かなり遅い登場だったので、読者の皆様にはこの物語はヒロイン無し?……と思わせてしまったかもしれませんが、雄だけの物語だとむさ苦しく硬いですし、やはり雌がいないと作者である私もつまらな(蹴
まだ名前が明らかになっていないので登場キャラのページには載せていない彼女ですが、何故自殺を考えてしまう程に悲しんでいたのか……その辺りを中心にしつつ次回は執筆していこうと思っております。

貴重なお時間を割いてまで、お読みくださり誠にありがとうございました。
感想や誤字の指摘などなど、コメントがありましたらお気軽に書き込んでくださると嬉しいです。
#pcomment(Reach For The Sky 6 砂漠の精霊のこめんと,10,below)

IP:220.109.28.39 TIME:"2012-01-02 (月) 14:20:14" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=Reach%20For%20The%20Sky%206%20%E2%80%90%E7%A0%82%E6%BC%A0%E3%81%AE%E7%B2%BE%E9%9C%8A%E2%80%90" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64) AppleWebKit/535.7 (KHTML, like Gecko) Chrome/16.0.912.63 Safari/535.7"

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