ポケモン小説wiki
LH16 の変更点


[[てるてる]]
'''&size(19){ルイス・ホーカー(16)};'''

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・[[前回の更新分へ戻る>LH15]]

・登場人物の紹介は[[''こちら''>ルイス・ホーカーの登場人物、世界観などの紹介]]
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&aname(louis);
 線路に沿って砂利の上を走っていた車は、線路と車道を&ruby(へだ){隔};てるフェンスが途切れるやいなや、乱暴に進路を移した。軽い横滑りの体勢のまま、けたたましく音を立てて車道に乗り上げた車は何度かふらつきながらも安定を取り戻す。衝撃がいびつに歪んだバンパーを軋ませるのも気にせず、サンダースのルイスはアクセルを押し込む。
 モヘガンは既に目前にまで迫っていた。真っ直ぐに伸びる&ruby(ひとけ){人気};のない車道の先端を囲むように、背の低い建物が寄り集まっている。山に囲まれた左右の景色とは違い、青い空が広がっている辺りが、いかにも海沿いの町らしかった。

「モヘガンだ」

 誰にともなく呟いたルイス。弾かれるように後部座席の二人が顔を上げた。

「着いたの? 本当に?」

 半ば&ruby(あんど){安堵};するような面持ちで言ったシャワーズのリリアンは、ルイスとモヘガン町とを見比べた。

「あれがそうなの」

「そのようだな」

 ぶっきらぼうに答えたルイスは、額に浮いた汗を拭おうと片手を上げかけ、不意に手を止める。ハンドルの上で静止した手の影は、斜めになることなく真下のハンドルに上に落ちている。時刻は正午――いや、それを少し回った辺りだろう。間に合わないかも知れないと思ったのはこれで何度目だろうか。
 ルイスは胸の奥に冷たいものを感じて顔を&ruby(しか){顰};める。不安で背筋の毛が逆立っていくのがわかった。もし間に合わなかったら……。そこまで思って、いつの間にか握りしめていた&ruby(こぶし){拳};を力任せにハンドルに叩き付けた。

「どうしたんですか」

 マグマラシのゾルタンの声がし、そこでやっと我に返ったルイスはミラーで後部座席を確認する。リリアンとゾルタンが不安げに自分を見つめ返しているのが見えた。

「いいや……」

 弾んだ息を整えながらルイスは言った。

「いいや……。何でもない」

 そして逃げるように視線を前方に戻したルイス。
 白く灼けたアスファルトの&ruby(かげろう){陽炎};の中で揺れる町並みは、嫌に遠くにあるように感じた。






&aname(al);
 足を引きずるようにして宿舎まで戻ったヘルガーのアルは、宿舎の周りに人だかりができているのに足を止めた。
 何事だろうか。建物の周辺を行ったり来たりしている者たちに眉をひそめていると、宿舎の扉が内側から開けられた。中から出てきた男はベロベルトだった。そのベロベルトに、アルは見覚えがない。
 男は玄関の近くに広げられた図面にかがみ込んだ。その様子を不審に見つめていたアルの視線に気がついたのか、不意にアルのほうを振り返ると、おや、と破顔させてアルのもとに駆け寄ってくる。

「アル・ドドさんですか? いやあ、会えて良かった。どうしようかと思ってたんですよ」

 早口にまくし立てながら迫ってきた巨体に、思わずアルはたじろいでしまう。

「ああ……ああ、おれはたしかにアル・ドドだが。おたくは」

 アルが尋ねる。それを聞き、ベロベルトはいかにもハッとしたように立ち止まると、代わりに申し訳なさそうに舌を出す。

「失礼しました。わたしく、エデングループの建築部門よりモヘガン支店の者です」

「モヘガン支店……」

「はい。といってもついこのあいだこの町にやってきたばかりなんですけどね。一応、家の普請やリフォームをやらせていただいてます」

 ということは、別にこの宿舎の持ち主は建物を建造途中で放棄したわけではなかったのか。アルはベロベルト越しに建物を見やりながら思う。

「じゃあ、もしかしてあの建物もそのリフォームとやらを?」

 アルが宿舎のほうを指さすと、ベロベルトは頷きかけ、あっ、と短く声を上げて片手を口元にやる。

「ああ、そうでしたね。本当ならもっと早い段階でお知らせしておくべきだったんですけどね。手違いがありまして。普請のことは依頼主から許可を貰っていたので……まさかドドさんら利用者に連絡が行ってないとは思っていなくて」

 言って深々と頭を下げるベロベルト。その様子から、アルは彼らが怪しい人物でないことを確信する。

「別にこっちは構わないが。他の仲間にも聞いてみないと。部屋の中を動かすんだろ」

「一応ロジャーと言う方には許可を戴いております。それと利用中の部屋はいじらないつもりです。単に未完成な部屋を完成させるだけですので。夜までには引き上げます」

 ベロベルトの言に、そういえば、とアルは宿舎の中にいくつかあった未完成の部屋を思い出す。現在アルたちの使っている部屋以外は、大半が床がなかったり、あっても資材置き場と化していたりしていて、とてもじゃないが使用できる状態ではなかった。そこを改装する分には別に構わないだろう。どうせ今日の昼ごろには町を出て行くのだ。ベロベルトたちが本格的に作業を開始するころには自分たちはすでに町を出ていることだろう。
 ふと、アルは空を見上げる。太陽は中天を超えようとしている。依頼主であるハリーの言うことが正しければ、昨日にでも次の指示が出てるはずだ。まさか自分が出かけてる間に連絡があったのだろうか。

「あの……、やはり都合が悪い?」

 ベロベルトが弱々しく言う。どうやら険しい顔つきで宙を見上げるアルに勘違いしたらしい。我に返ったアルは、慌てて視線を元の高さに戻すと苦笑しながら話を続けた。

「おっとすまん、上の空になってた。改装の話だが、べつにお前さんらの好きにしてくれて構わんよ。ついでに聞きたいんだが――」

――今、何時かな。
 そう言いかけ、ふと視界の端にシドの姿を捉えて口ごもった。出かけていたのだろうか。通りの向こうから歩いてきたシドは特にベロベルトたちに興味を示すでもなく、平然と宿舎の玄関をくぐっていった。

「お友達ですか」

 アルの視線を追っていたベロベルトが言った。

「一応、ロジャーさんから他のかたにも連絡してくれてるはずなのですが……。これは早いところ作業を終わらせてしまわないと」

「気にしないでくれてかまわんよ。それより、すまんが用事があるんでね。詳しいことはあとで聞くんで」

 アルは、なにか言おうとするベロベルトに詫びを入れ、早足でシドの後を追って宿舎に入った。玄関からすぐの廊下にはすでに資材が積まれていた。木材のにおいだろうか、資材からはうっすらと甘いにおいが漂っている。その一番手前の資材にもたれ掛かっているシドはアルが入ってきたのを横目に確認すると、ため息を吐く。

「電話が鳴ってましたよ」

 アルは目を見開いた。なんだって、と思わず聞き返した言葉は、ほとんど声にならなかった。

「いつからだ」

 ようやく出した声は我ながら低いものだった。ここの電話番号を知ってる者は誰一人としていない。一人を除いては。
 シドは軽く鼻を鳴らすと、今朝のように壁にもたれかかる。

「出て行った直後でしょうか。何度も掛け直してきてますし、また掛かってくるんじゃないですかね」

 言い終えるや否や、部屋のほうからコール音が鳴り響いた。思わず飛び上がったアルを、シドは呆れたように首を振る。

「出なくていいんですか」

 言って、アルの部屋を顔側の&ruby(あご){顎};でしゃくった。ああ、と気のない返事を返したアルは、ドアノブに手をかけ、回す。僅かに&ruby(ためら){躊躇};ってからドアを開けて中に入った。薄暗い部屋は今朝のままだった。ベッド横の台の上でけたたましく鳴り響く電話機を除いては。
 早く出ないといけないという思いと、それを拒絶したい気持ちの両方を感じながら、台に前足をついてつかまり立ちの体勢になり、電話機に手を伸ばす。受話器の下に手を入れ、フックスイッチが浮く程度に持ち上げて、顔を近づける。

「……アル・ドドだが」

「ああ、やっと出てくれましたか。電話を出るのにずいぶん時間をかけてくれますねえ、てっきり今日は留守なのかと」

 嫌味の混じった男の声が返ってきたのに、アルは息を飲んだ。口調の端々に老いの兆しを感じさせるその声には聞き覚えがあった。ハリー・オールという名のザングース。アルにこの仕事を持ちかけた男だ。

「なんだかあまり嬉しそうじゃありませんね」

 電話越しにアルの様子を悟ったのか、ハリーは苦笑する。

「久しぶりに連絡を取り合うんですから、もう少し喜んでいただけると思ってたのですがねえ。残念です」

「用件は何ですか」

 アルはハリーの言を無視するように尋ねる。無駄話をする気にはなれなかった。
 ハリーもそれを承知していたのか、受話器の向こうで軽く鼻で笑う音がする。

「ああ、そうだそうだ。実は大切なことをお知らせしようと思いましてねえ。今日行われる取引に関することで少し」

 取引と聞いて、アルは息を飲む。背中に冷たいものを感じて無意識に後ろ足を踏み換えてしまう。そんなアルを差し置いて、ハリーは話を続ける。

「あなたがたには申し訳ないんですけどね。こちらの手違いで予定を明日に延ばしていただきたいのですよ」

「……明日に?」

「ええ。本来ならとっくに取引を済ますところなんですが、手違いがありましてね」

 ふと宿舎の前で出会ったベロベルトのことが頭をよぎった。そういえば、彼らもまた手違いでアルたちに工事の連絡を寄越していなかった。アルはため息を吐く。

「また手違いか……」

「午前中には取引は完了している予定でしたからね。あなたがたが去った後、残った作業を終わらせてしまおうと思ってましたから」

 アルはハリーの言葉に眉根を寄せる。

「この宿舎はあなたのものだったんですか」

「ええ。まあ厳密には違いますがね。前の持ち主から建物の所有権を譲り受けたんですよ。なんでも遠くに移り住むとか。それで作りかけた宿舎の処分に困ってるようだったので、わたしが買い取ったんですよ」

 そうか、とアルが返事をすると、いかにも&ruby(れんびん){憐憫};めいたため息が受話器の向こうから漏れてきた。

「しかし、工事であなたがたには迷惑を掛けてしまった。どうでしょう、なんなら報酬の上乗せを検討しますよ。わたしはハリー・オールだ。金はいくらでもあるんでね」

「そうですか。それで、新しい予定のほうは」

 金のことを言い出したハリーに、アルはあえて話題を逸らす。初めて会った際にも金の話題を持ち出していた。ハリーの自らの地位を見せつけるような態度は一向に慣れない。むしろ回数を重ねるごとに苛立ちが増してくるように思える。
 アルの平板な口調に気分を害したのかハリーの、そうかい、と短く吐き捨てるようなセリフが受話器から流れる。

「金はいらない。そうかそうか。ずいぶんと謙虚なんですな」

 やや&ruby(とげ){棘};のある調子でハリーは続けた。

「明日の午後一時。モヘガン港のコンテナターミナルが取引場所だ。三つ目のガントリークレーンのすぐ真下がそうだ」

 ハリーの説明にアルは耳を傾ける。ガントリークレーンとは、港で貨物船にコンテナを積む際に使用される巨大なクレーンのことだ。モヘガンには貨物船が乗り入れるて来るらしく、海岸にそってそのクレーンが等間隔に並んでいる。発達した水産業に対して、陸側の交通の便が極端に悪いせいだろう。
 聞くところによると、まだ大型のポケモンの手作業によってコンテナの積み&ruby(おろ){卸};しが行われている地域もあるらしいが、少なくともここモヘガンの地は工業化の煽りを素直に受け止めているようだった。もっとも、田舎の港だけあってクレーン自体は数えるほどしか設置されていないが。
 その後、ハリーは引き続き取引に関する説明をした。日時以外に予定の変更はないこと。発掘メンバー全員を必ず取引場所に連れてくること。報酬はその際に支払うこと。――まくし立てるようにしゃべり続けるハリーの口調は、まるでアルに口を挟まれることを拒んでいるようだった。

「――以上だ。頼んだよ」

 説明が終わったと途端、念を押すようにそれだけ言って一方的に電話を切られてしまう。待て、とアルが引き留めようと声を出しかけたときには、受話器からは断続的な電子音しか聞こえなかった。
 アルは受話器を元の位置に収めると、浅くため息をついた。額に浮いた汗がこめかみを伝う。それを拭い、目元を押さえた。
 心臓がきりきりと痛む。後悔の念が重くのしかかっているようだった。今までにもそういう思いは何度も感じてきたが、こうして取引までの期日が延び、ある程度考える余裕ができるとなおさら思考に絡みついてくる。ハリーの言動はどう考えても怪しい。あれだけ取引現場に発掘メンバーを連れてくることに固執するのは、何か裏があるからに他ならないだろう。ではその裏とはいったい何か。考えれば考えるほど暗い想像ばかりが浮かび上がってく。
 そのとき、ドアの向こうで&ruby(ちょうつがい){蝶番};のきしむ音がした。我に返ったアルは、小さくドアを開けて様子をうかがう。数人が廊下の隅にある床下の点検用とおぼしき扉を開けているところだった。アルの姿に気がついた作業員の一人が顔を上げる。何か、と言ってきたのにアルは、何でもない、と作り笑いを返す。それはドアに腰を押し当て、もたれかかるようにして閉めたころには苦笑に変わっていた。
 一体自分は何に怯えてるというのだ。馬鹿げてると思う。それはハリーに対してではなく、自分自身に対してだった。
 もし輝石と引き替えに自分たちを殺す気でいるなら、とっくに殺されてしまってるだろう。わざわざモヘガンに送る必要なんてないはずだ。にもかかわらず身の危険を感じ、挙げ句の果てに、ちょっとした物音にまで反応してしまう自分がいる。たしかにハリーの言動は怪しいかもしれない。だが、自分の愛した輝石の伝説を心から信じ、結果的に輝石を現代に蘇らせるキッカケを作ってくれたのもハリーだ。不安はあくまで不安。想像でしかない。良くないことが起こるなんてことは確かではない。事実ではないのだ。悪いことが起こるはずはない。仮に起こったとしても、それはアルの想像するよりずっと小さなことだろう。
 それに、とアルは顔を上げた。部屋の向こうのベッドの下の&ruby(かんげき){間隙};を見つめた。窓から差し込む日差しに焼かれ、黒く切り取られて見えるそこには金庫が置いてある。その中には例の発掘品が保管されていた。
 取引を完了させないことは、報酬を手放すことと同義だ。それは今まで協力してくれた人夫たちを裏切ることに他ならない。自分がかつて金に困った経験があるだけに、それだけは絶対に避けてやりたかった。そのためには、なんとしてでも取引を完了させなくては。
 そう決心したアルは、鼓舞するように頷くとおもむろに立ち上がった。バッグを背負い、気分転換に大きく息を吐くと、ドアを開けて廊下に出る。興味なさげに見送るシドの横を通り過ぎて再び外に出たアルは港のほうへ足を向けた。取引場所の様子を見てこようと思う。少なくとも、このまま部屋の中で時間をつぶすよりはマシに違いない。
 港の手前にある鉄道の高架をくぐろうとしたときだった。後ろのほうから急速に近づいてくるエンジン音を聞いて足を止める。振り返ると、坂の上から車が猛スピードで降りてくるところだった。事故でも起こしたのか、ボンネットからフェンダーにかけて砂だらけになった黒塗りの車は、アルの姿を認めるやいなや路肩に急停止した。

「アル!」

 スキール音を立てて止まった車の運転席側のウインドウから顔を出したサンダースの姿を見て、アルは表情を破顔させる。

「ルイスじゃないか! えらく時間が掛かったな、まさか道に迷ってたとか言うんじゃねえぞ」

 言って、車に駆け寄ろうとすると、先にサンダースのルイスはドアを使わずウインドウからくぐり抜けて出てきた。アルに走り寄ると、鼻先に自身の鼻を近づける。

「取引は? どうなった?」

 必死の様子のルイスに思わずアルはのけぞってしまいそうになる。無理もない、本来なら取引は今日の昼に行われるはずだったのだから。アルはルイスに落ち着くよう言うと、今までの経緯を説明した。説明を聞き終えるやいなや、ルイスは膝から崩れ落ちるように歩道にうずくまってしまう。放心したように路面に視線を落とす表情は、どこか安堵した風だった。

「……よかった。てっきり、間に合わないんじゃないかって……」

「とんだ迷惑かけちまったな。ルイス、ありがとう」

 弱々しくこぼすルイスの肩にアルは手を置く。ふっと顔を上げたルイスに神妙な顔を向け、そして一気に破顔させるとルイスに背中にのし掛かった。驚くルイスをよそに、頭を抱え込んで片手でぐりぐりと額の毛を乱す。

「ホント久しぶりだなあ。ええ? 相変わらずそうで何よりだ」

 笑いながら撫で回していると、突然ルイスが立ち上がった。その勢いでよろめきながら背中から降りたアルに、ルイスは乱れた毛を直すようにふるふると首を振る。迷惑そうな目つきでアルを睨む。

「いつまでも子供扱いすんなよ」

「おれにとってはいつまでも子供だよ。もちろん――」
――トニーにとっても。と続けかけ、アルは押し黙った。今朝のトニーの様子が頭をよぎったからだった。何となく、ルイスの前でトニーの話を避けるべきな気がした。

「もちろん……、なんだよ」

 いきなり口をつぐんだアルをルイスが怪訝そうに覗き込んでくる。我に返ったアルは、ごまかすように笑みを浮かべると、とっさにルイスの車を手で仰いだ。

「いや……、なんでもない。それよりおまえの車に乗っけてくれないか?」

「さっきは子供扱いしたくせに」

「なら大人ってところを見せてくれよ。頼む、ついでに色々話したいことがあるんだ」

 このとおり、と拝むようにするアル。その姿に、ふん、とルイスは鼻を鳴らしたものの、ふっと口の端に笑みを浮かべると後部ドアを指さす。礼を言いながらドアを開けると、そこにはマグマラシとシャワーズがいた。二人はアルに頭を下げるとヘルガーが一人座れるだけのスペースを空ける。アルが乗り込んでドアを閉めると、遅れて運転席に戻ったルイスが再び車を発進させた。

「良い車じゃないか」

 走り出してしばらくしてから口を開いたのはアルだった。ルイスはバックミラー越しに笑みを返す。

「ジジイに言われたって嬉しかないよ」

「ちょっと、何言ってんの」

 シャワーズが慌てて制止に入る。はいはい、とアルはルイスの憎まれ口を適当にあしらうと、隣の二人を振り返った。

「ところで自己紹介がまだだったな。おれはドド。アル・ドドだ」

 アルが手を差し出すと、手前のシャワーズがそれに手のひらを重ねる。

「リリアン・ビアスよ。こっちはゾルタン。お話は伺ってます」

 ゾルタンと呼ばれたマグマラシが、リリアンの後ろから頭を下げるのが見えた。

「ゾルタン。ということは、博物館に電話したときに出たのはおまえさんかね?」

「そうですが」

「なるほど。やっぱりあれか、普段からイジられ役だったりするのか?」

 おどけるアルに、違います、と不愉快そうに反論するゾルタン。ルイスとリリアンがくすくすと笑う。

「ところでよ、アル。話したいことってなんだ。まさかゾルタンをイジりに来た訳じゃないだろ」

「そうだった。実は取引場所について教えておこうと思ってな」







「で、ここがその取引場所ってやつなのか」

 路肩に停めた車から港のほうを見つめながらサンダースのルイスは言う。道路から一段低くなったとこにあるそこはコンテナヤードになっており、様々な色合いのコンテナが所狭しに敷き詰められていた。太陽の照り返しがまぶしい。海に近い場所に&ruby(きつりつ){屹立};する巨大なクレーンを、後部座席から身を乗り出したヘルガーのアルが指さす。

「ああ。もちっと詳しく言うと、あのクレーンの真下がそうだ」

 へえ、と指し示されたほうを目で追いながら、ルイスは海から吹き上がってる風に顔をしかめる。湿気を帯びた空気に、むせ返るような&ruby(いそ){磯};のにおいが鼻を刺す。

「田舎だって聞いたからもうちょっと自然の多い町を想像してたんだが」

「田舎にも種類はあるさ」

 言って、頭を引っ込めるアル。ルイスもそれに倣うとウインドウを閉めた。途端に車内が静かになるのは、周りに風音以外のものがないせいだ。

「にしてもよ。ホントこの町って静かだよな」

 何気なく運転席から通りの風景を眺めながら言ったのに、アルはわずかに表情を強ばらせた。それを見つけたルイスが目を&ruby(すが){眇};めると、気づいたようにアルは咳払いして苦笑いを浮かべてみせた。

「かもしれないな。だがまあ気のせいだろ」

「気のせいか? むしろ不気味に感じるくらいなんだが」

 釈然としない返事に首を捻るルイス。

「まあ、あんたが言うならそうなんだろうな」

 ルイスはそう言うと、ハンドルの上に顎を乗せてフロントガラスに写った景色に視線を戻す。ふっと会話が途切れる。しばらくして、あの、と一声を発したのはリリアンだった。

「あの、ドドさんは透明板について詳しいとお聞きしたんですけど」

「おれか?」

 アルは自分を指さすと、にやりと笑んでみせた。

「まあ人よりは知ってるほうだと思うがね」

「実はわたしもそういうのに興味がありまして。どんなのだったんですか」

「どんなのって……。そうだな、大きさはこれくらいで、おれの手のひらより少し大きいくらいかな」

 言って両手で透明板の形を宙になぞってみせた。それを真剣な顔つきで追うリリアン。その様子を見て、アルは感心したように笑った。

「こういう話は子供っぽいって嫌われるんだがな」

「とんでもないわ。輝石と透明板は違うもの。子供っぽいなんて思いませんよ」

 リリアンは嬉しそうに声を弾ませる。

「わたしも見たかったなあ。地中の奥底から仮説の上でしかなかった輝石が発見される。感動的でしょうね。――ゾルタンもそう思わない?」

「何がです?」

 興味なさげに外の様子を見ていたゾルタンは、話半分で聞いていたらしく首をかしげた。リリアンは苦笑して、アルに肩をすくめてみせる。

「いつもこんな感じなんですよ。――それでゾルタン。あなたは透明板についてどう思うの?」

 はあ、と居ずまいを正したゾルタンは二人のほうに向き直る。

「その透明板は今どこに」

「自分の部屋の中だよ。さすがに持って歩くのは不用心だからな」

 そうですか、と言ったきりゾルタンは無言になる。そわそわと目を泳がせてるのを見つけて、アルは苦笑を浮かべた。

「おまえさんはあんまり興味ないっていう風だな」

「はあ。実を言うと、あまり興味は湧きませんね。透明板とは皆さんおっしゃいますが、やはり普通の板という印象が強くて……」

 言いかけて、リリアンに肘で小突かれて口をつぐむ。リリアンと二人して恐る恐る表情を窺ってきたのにアルはやれやれと息を吐く。

「そんな簡単に殴りかかったりしないから安心しなって。まあ、おまえさんの言い分もわかるよ。たしかに一見しただけじゃ普通の板っ切れにしか見えん」

 だがな、と指先をゾルタンの鼻先に突きつけた。

「言ってみりゃ今乗ってる車だって元は大昔、人間が作ったやつを土の中から掘り出して復元してできたもんだろ? 車だけじゃないさ。船や飛行機、おまえさんの時計だって元は土の中にあったものだぜ」

 すっ、と指先を首に掛かった懐中時計に移す。爪で文字盤を覆うガラスをつつかれ、ゾルタンが不快そうに身をよじる。
 現在、この地上で利用される技術のほとんどは人類の遺物を蘇らせたものだ。遙か太古において存在した人類。圧倒的な科学力で地上を支配していたそれらが消え、後には技術だけが残った。気の遠くなるような時間に洗われたそれらは堆積する大地に浸食され、地中深くで融解していこうとしている。それを再び地上に呼び戻し繁栄させてきたのが、現代の世界の成り立ちだ。

「おまえさんにとっちゃ普通の板かも知れんが、技術としては車や船よりも価値がある。それが透明板だ」

「では、それはどういう風に利用されていたのですか」

 ゾルタンに問われ、アルは一瞬その意味を捉えかねた。

「どういう風にって。あいつは何も説明しなかったのか」

「はい。館長からは特に詳しくは伺ってません。大変に価値のあるものということでしたら聞いてきますが」

 これにはリリアンが答えた。あいつとはチーチ館長のことだろう。館長は透明板について、かいつまんで説明してくれただけだった。実を言うとリリアン自身、透明板の持つ能力について詳しくは知らなかった。仕事柄、その手の知識は豊富なつもりではあるものの、すべてを網羅している訳ではない。文献を読むなどして、輝石の元となったのが透明板であるということくらいは理解していたが、それ以上の知識は無いに等しい。

「あいつも相変わらずだな」

 アルはため息を吐きながら二人に言った。

「とりあえず、おまえさんらは輝石のほうは知ってるな」

「ええ。民話などで伝えられている伝説の石のことですね。わたしも小さいころ絵本で読みました。それを持つ者は強大な力を得られ――」

 言いかけて、リリアンは首をかしげる。

「でも、それは伝説の話なんじゃ」

「もちろんその通りだ。伝説の上での輝石は強大な魔力を持った物として描かれてる。はっきり言って、現実的じゃない」

 頷くリリアンたち。現在、伝えられている物語に登場する輝石はおおよそ魔法のような代物として描かれている。

「だが輝石と透明板に接点がないわけではない。世界中の各地域に伝わる輝石の伝説や民話。それらに描かれる輝石は皆、ある種のアウトラインが存在するかのように強大な魔力を持った物として伝えられている場合がほとんどだ。そこから太古の昔、現実にそういう代物が存在していたのではないかという発想から、それらの伝説の根源となるものの存在が疑われた。それが透明板だ。かつて人類が生み出した透明板の技術が、長い年月を掛けて輝石の伝説として生まれ変わった。ここまではいいな」

「ええ、まあ」

「ここから先はおれの考えになるが……。その仮説を立証するように、こうして透明板が発見されたわけだ。同時に、依頼主はこいつのために莫大な資金を提供してまで探させた。金持ちの道楽とかじゃなく、本気で探させようとしていた。このことから察するとだな。――透明板と輝石は同じ力を持ってると考えられる」

 一瞬、リリアンはアルの言葉の捉えかねた。

「あの、今なんて」

「伝説は本当だったんだよ」

 アルは身を乗り出す。

「輝石にまつわる伝説は正しかったんだ」

 「ありえない」と反射的にそう言いかけたのを飲み込むリリアン。輝石のモデルが透明板だということは理解できる。しかし、だからと言って透明板と輝石の能力を同一視するのは、さすがに飛躍しすぎている。紡ぐべき言葉を探して目を泳がせていると、ふと隣のゾルタンと目があった。彼も同じことを思ってるらしく、リリアンに首を振ってみせる。
 
「おいアル、一体なに言ってんだ」

 運転席の背もたれから顔を出したルイスが言った。呆れたような物言いに気づいたらしく、アルは苦笑してみせた。

「もちろん魔法を信じろとかそういう話じゃない。おれだってそこまでロマンティストじゃないからな」

「だけどよ、あんたの言ってることは――」

「だがな、『充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない』って言葉もあるぜ」

「あのなあ……」

「いいから聞けって。おまえさんら、レコードは知ってるな」

 三人が戸惑いながらも頷いたのを見て、アルは続ける。

「円盤状の薄い石を回して、そこに針を押し当てて音を録音し再生する。今でこそ当たり前の技術だが、数十年前まではどうだ? そのころはレコードの原型すら完成していなかった。地面の下からそれらしき遺物が見つかっていたにもかかわらず、誰も見向きもしていなかったんだ。まあ当時にしてみりゃ、それが何なのかすらわかってなかったのかもな」

「それと透明板が同じだって言うのか」

「違うか?」

 黙り込むルイス。

「伝承は時として事実が元となって作られている。輝石のモデルが透明板なら、透明板にも輝石と同等の能力があると考えるべきだ。魔法が現実に無い以上、科学的な理由が透明板には必要になる。思うに、透明板はレコードのようなものだ。何らかの方法で入力された情報を、一時的に中にとどめておき、装置を用いて再生する。伝説に伝えられている通りの能力が備わっているとしたら、莫大な量の情報を記憶することができると考えられる。それこそレコードなんか足下にも及ばないくらいの情報量が。そして」

「――それはもうすぐ取引相手の手に渡ろうとしている」

 リリアンが続けた。別にすべてを信じた訳ではない。透明板にそのような力があるとは思えないし、アルの話はそもそも確証を欠いている。しかし、目の前の歴史的大発見をみすみす奪われるのは我慢ならない。リリアンは自身の声が深刻な色合いを含んでいることを自覚しないではいられなかった。

「透明板が奪われれば、中の情報まで奪われることになる」

 アルは頷く。いつになく真剣な様子でリリアンを見つめる。

「あいつらは透明板の使い道を知ってるかもしれないし、知らないかもしれない。だがもし知っていたら……、大変なことになる」







 車から降りたアル。背中のバッグを背負い直し、路面から吹き上がる熱気に目を細めていると、後ろからルイスに声を掛けられた。

「本当にここでいいのか。よかったら近くまで送っていくぞ」

「いや遠慮しとく。おまえさんらと一緒にいるところを、あんまり見られたくないしな」

 そうか、と残念そうに言ったルイスはウインドウを閉めにかかった。アルも宿舎に戻ろうと足を運び掛け、ふとルイスの思い出したような声を聞いて振り返る。

「そうだ。アル、ちょっと待ってろ」

 ルイスはドアの陰に屈んだ。しばらくして再び顔を出すと、口に咥えたタバコのパッケージを首を振る要領でアルに投げて寄越した。

「やるよ、プレゼントだ」

 投げ渡されたそれを口でキャッチする。片手にはき出してまじまじとパッケージを眺めた後、申し訳なさそうに突き返した。

「悪いが禁煙中なんだ。おれもそろそろ健康に気をつけねえとな」

「どっかのマグマラシみたいなこと言うのな。どっちにしろ車の中じゃ吸わしてもらえないんだ。持っててくれって」

 後部座席のゾルタンがちらっとルイスのほうを睨むのが見えた。なるほど、とアルは苦笑すると、バッグにタバコをしまう。

「そうかい。じゃあ、ありがたく頂戴しとくよ」

「悪いな。じゃあなアル、せいぜい長生きしてくれよ」 

 タバコを渡しておいてそれはないだろう、そう言い返すより先に、ルイスはさっさと車を発進させてしまった。しばらく直進したあと、おもむろに角を曲がっていく車。やがてエンジンの音すら遠ざかってしまうと、後には陰々たる静寂が残った。遠くで砕ける水の音がそれに拍車をかける。一人路上に取り残されたアルは、宿舎へ歩きながら大仰にため息を吐いた。

「これで良いはずだ」

 取引が始まる前にルイスたちはやってきた。あとは予定通り依頼主であるハリーに透明板を渡して取引を完了させ、その後ハリーの手元からルイスたちが奪い返せばいい。当然ハリーも取り返そうとするだろうが、何年も前に会ったきり面識のないルイスたちのことを赤の他人であるハリーが知るよしもない。うまいことルイスが行方をくらませてしまえば、その時点で追跡は不可能になる。そういう計画だった。仮に透明板を奪取に失敗したとしても、少なくとも透明板を使用不可能な状態にさえできれば目的は果たしたことになる。

(使用不可能な状態に……)

 そう、取り返せないなら破壊すればいい。一個人の手に透明板が渡る危険性を考えれば、そうするのが最も妥当だ。少なくとも理屈の上では。
 考え込んでいるところに、何本目かの十字路が近づいてきた。そこを曲がれば宿舎はすぐだった。その角の向こう側から近づいてくる人影に気づかなかったのは、半分考え事をしていたせいだろう。突然目の前に現れた人影にアルは思わずその場から飛び退った。軽くよろめいた後、顔を上げてみると、人影の正体はフーディンだった。アルの姿に何ら驚いた様子はなく、顔色一つ変えずにアルを見下ろしている。

「すまない。つい上の空だったもんでな」

 頭を下げるアルに対し、フーディンは特に反応を示さない。自分にぶつかって来そうになったアルにまるで興味を抱いていないようだった。ただ口を閉ざしたまま視線をアルに貼り付けているのに、アルは一抹の嫌悪感を抱いた。

「あの、なにか」

「いいえ」

 男は無感情に答えると、さっさとアルの横を通り過ぎていく。その後ろ姿を見るともなく見やりながら、アルはいつかに感じた、町の住人から忌避されていると悟ったときの感覚を思い出していた。
 自分たちは何もしていない。にもかかわらず町の住人はアルたちを敬遠する。理由は定かではないが、それはきっと、町から&ruby(ひとけ){人気};が消えたことと無関係ではないだろう。何らかの原因によって町から人が減り、それによってアルたちへの不信感が高まっていく。偶然か、それとも。
 そこまで考えて、アルは首を振る。今はモヘガンの事情にかまっている暇はない。期日が延びたとはいえ、取引は明日だ。それまでに準備することはたくさんあるし、可能ならルイスと作戦の詳しい打ち合わせもしたかった。それに、どうせ取引が終われば明日の午後には発ってしまうのだ。今更モヘガンの事情に&ruby(かま){感};ける必要はない。

「どうせ明日までなんだ。わざわざ考える必要なんてないさ」

 そう自分に言い聞かせるようにつぶやいて――何のためにそうしたのか、アルにもわからなかった――、宿舎を目指して足を進める。宿舎は相変わらず例のリフォームで人でごった返していた。人いきれをくぐり抜け、玄関口を開ける。中は運び込まれた資材で埋め尽くされていた。ちょうどアルの隣の部屋で作業が行われてるらしい。元々無人だった部屋のドアが開け放たれ、中からは工事の音とともに床下のカビっぽいにおいが流れ出していた。例によって壁に寄りかかっているシドに留守中に何もなかったことを確認して、アルは自分の部屋のドアをくぐった。とりあえず背中のバッグを片付けようと寝室に向かいかけて、ノックの音を聞いて玄関を振り返った。作業員の誰かだろうか、アルは玄関に向かった。
 ドアを開けると、見慣れないバリヤードの男が立っていた。片手にはアタッシュケースが握られている。

「あなたは」

「ウォーレスです。いきなりの訪問をお詫びします」

 アルが尋ねると、ウォーレスと名乗ったバリヤードは深々と頭を下げた。それをアルは困惑気味に受け取った。バリヤードの持つ明るい表情らしからぬ真摯な態度のせいもあったが、この町で自分以外の者が訪ねてくるとは思ってもいなかったからだった。

「お仕事の件でお話ししたいのですが、中に入ってもよろしいでしょうか」

「仕事だって? 申し訳ないが、誰かと勘違いしてるのでは」

 アルが言うと、ウォーレスは困ったように首をかしげた。

「勘違い? あなたはアル・ドドさんですよね」

「たしかに、おれがアル・ドドだが」

「でしたら勘違いなんかではありません。中に入れていただけないでしょうか」

 ウォーレスはアルの脇を通り抜けようとする。それをアルは拒んだ。

「ちょっと待った。その仕事ってのはどんなことなんだ」

「それも含めて中でご説明したいのですが」

「ここじゃダメなのか?」

 それは、とウォーレスが視線を泳がせたのを見て、アルは不審なものを感じた。中で話がしたいと執拗に言い張るウォーレス。それは説明することよりも部屋の中に入ることが目的なような気がした。アルは気づかれない程度に後ろを見る。透明板はベッドの下の空間に置いてある。暗い色の金庫に入れてあるのだから、日差しで明るい廊下からは見えないはずだ。

「それともダメな理由でもあるのか」

「そういうわけでは……」

 それきり口ごもるウォーレス。アルはさも迷惑そうにため息を吐く。

「言えないのか。なら悪いがお引き取り願おう」

 言って、アルはドアを閉めに掛かった。待って、と閉まり掛けたドアにウォーレスの手が差し込まれる。言い返そうとドアを開けると、しゃがみ込んだウォーレスが耳元にささやいてきた。

「実はわたし、ハリー・オール様の使いの者なんです」

「ハリー・オールだと」

 アルは思わず聞き返した。ハリーの部下に会ったのはこれが初めてだった。電話口で話し合う際もすべてハリー自身が受け答えをしていて、他の部下については声すら聞いたことがない状態だった。顔の見えないような遠くから見張られたことはあったものの、それも最初のころだけで、実際に発掘が始まってしまえば見張りの姿を見ることはなくなってしまっていた。
 アルの反応に、ウォーレスがほっとしたように息をつく。

「ええ。ご主人様からドドさんに渡して欲しいと頼まれていたものがありまして。本来なら取引の際にお渡しする予定でしたが、明日に延期してしまったので。それで、こうしてお持ちしました」

 ウォーレスは片手に提げていたアタッシュケースを抱え上げる。
 アルはアタッシュケースとウォーレスを見比べた。

「何が入ってるんだ?」

「こういう場所で言うのはちょっと……」

 辺りをはばかるようにしてウォーレスは言った。すぐ後ろを作業員が通り過ぎていく。作業員が玄関から出て行くのとすれ違いにまた数人が入ってきて、同じように廊下を通っていく。

「なるほど」

「そういうわけなんで、お願いします。ご主人様には今日中に渡してくれと言われてるので、このまま帰れないんですよ。それに、あなたのタイプとわたしのタイプでは、あなたのほうが圧倒的に有利です。妙なことができるはずがありません。ですから………」

 心底困ったように言うウォーレス。深く頭を垂れるウォーレスを、通り過ぎていく作業員やシドが興味深げに覗いていく。
 アルはため息を吐いた。

「良いだろう。入ってくれ」

「ありがとうごさいます」

 アルの言葉に破顔したウォーレスは、そそくさと部屋の中に入ってくる。何となく自分の横を通り過ぎる際ににおいを嗅いでみたが、わずかに甘いにおいがしただけで特徴的なものはなかった。
 続いてアルも部屋に入る。念のためドアは締め切らないで軽く開けたままにしておいた。

「で、渡したいものはなんだ?」

 廊下に通じるドアと寝室のあいだには短い通路がある。そこを通り抜けながらアルが言うと、先に寝室に入っていたウォーレスがアタッシュケースをベッドの上に置いた。

「これです。カギは開けておきました」

 言って、ウォーレスはベッドを回り込むと、ちょうどアタッシュケースの後ろに立つ。

 アルはベッドのふちに掴まって立ち上がり、アタッシュケースの前に立った。ハリーの部下であると分かってからは警戒心はほとんど薄れていた。前足で取っ手を触ると蓋は簡単に開いた。アタッシュケースの中を覗いて、ふと、アルは首をかしげる。

「おい。このケース空だぞ」

 言って、視線をウォーレスに向けた。アタッシュケースの蓋が視界を塞いでいたせいで、ウォーレスが指を自分に向けてきているのに気づかなかった。真っ向から指先を突きつけられたアル。突然足下から力を抜けていくのを感じた。脳裏にかすみがかかったように意識が薄れる。

「何を――」

――したんだ。言い終えるより先に舌が麻痺して動かなくなった。咄嗟に片手を口元にやったせいで、力の入らなくなったもう一方の手が肘から折れてしまう。シーツをかきむしるようにして床に崩れ落ちてしまった。引きずられるようアタッシュケースが落ちて部屋を転がる。何とか起き上がろうと身もがくアルを、ウォーレスは冷ややかに見つめる。

「おやおや。一人で立てないんじゃ、まるで赤ん坊ですね。トレジャーハンターが聞いて呆れますよ」

 言いながらベッドを回り込んでくるウォーレス。その足下ではなんとか首だけ起こしたアルが驚愕したように視線を周囲に走らせている。その様子にウォーレスは口元をゆがめた。

「よければ手をお貸ししましょうか?」

 しゃがみ込み、まるでおもしろい物でも見るかのような口調で尋ねてくるウォーレス。睨み返そうとしたが、力が入らない。状況は最悪だった。手立てを、と何かを考えるより先に次々と思考が暗黒に飲まれていく。まぶたが鉛のように重たい。視界が&ruby(もや){靄};に飲まれていく。これはまるで――。

「ひどく眠たい。違うかい?」

 アルの鈍磨した思考を読み取ったように、ウォーレスは言った。アルは目を見開いた。なぜ――。

「なぜおれの考えてることが分かったんだ。そうだろう?」

 アルの驚愕に満ちた表情を見て、ウォーレスは満足げに笑った。そこには先ほどのような真摯な態度は&ruby(みじん){微塵};もなかった。

「"ミラクルアイ"だよ。悪いがな、おまえの考えてることはすべて分かるんだ。透明板がどこにあるかも。金庫の番号も」

 ウォーレスはアルを乱暴にベッドの前から蹴ってどかす。まともに蹴りを受けたアルが力なく咳き込むのを鼻で笑うと、空いた空間に屈み込んでベッドに下を漁り始めた。
 アルは咳き込みながら蹴られた場所を手で庇った。涙ぐんだ目を開けると、先ほどより鮮明に周囲を知覚できた。痛みで多少意識が覚醒したらしい。音を立てないように周囲を窺う。幸いウォーレスはアルに背を向けているため気づく様子はなかった。
 アルは鮮明になった意識で自分の置かれた状況を把握しようとした。症状から自分に掛けられた技が"さいみんじゅつ"であることは分かった。しかしそれをバリヤードがどうやって掛けたのかが分からなかった。あくタイプである自分にエスパータイプの技を通用しないはずだ。もちろん"ミラクルアイ"を使用すれば話は別だが、バリヤードは本来"ミラクルアイ"は使えない。
 なら一体どうして、そこまで思って、ふと先ほど外を歩いてるときにフーディンに会ったことを思い出した。そう、フーディンなら"ミラクルアイ"を掛けることができる。そして自分はフーディンに睨まれたのだ。
 そのときに技を掛けられたのか。腑に落ちると同時に、アルは急速に恐ろしくなった。ハリーの手先がウォーレスとフーディンだけとは限らない。発掘に携わった者が狙いだとしたら、町にいる人夫たちの身にも危険が及ぶかもしれない。それだけは避けなければ。
 アルは震える四肢にむち打って立ち上がると、ふらふらとドアを目指した。後ろでウォーレスが何かを言う声が聞こえたが、すでにアルはドアの隙間をすり抜けようとしていた。転がり込むようにして廊下に飛び出したアルは、目の前にいたシドの足下にすがりよった。

「逃げろ!」

 アルは呂律の回らない舌で叫んだ。周囲の作業員が近寄ってくる。

「他のやつらにも知らせてくれ。早く逃げろ!」

 アルの張り上げた声は資材の散乱した廊下に響いたが、それだけだった。誰も声を交わし合うことも無ければ、何事かと詮索しようとする者もいない。シドすらも逃げようとしなかった。顔を上げたアルは、シドの顔を見て愕然とした。

「まさか……」

 シドはアルの手を足蹴にしてふりほどく。そのままアルは床に転がるが、それを助け起こそうと差し伸べられる手はない。代わりにシドを含めた数人から掴みかかられように持ち上げられ、ウォーレスのいる部屋に押し込まれてしまった。強く背中を押された勢いでたたらを踏むアルの後ろで、ドアが閉められる。慌ててノブを掴むが、開く気配はなかった。
 シドはアルの手を足蹴にしてふりほどく。床に転がるアル。それを助け起こそうと差し伸べられる手の代わり、シドを含めた数人から掴みかかられように持ち上げられ、ウォーレスのいる部屋に押し込まれた。強く背中を押された勢いにつんのめって倒れ込む後ろで、ドアが閉められる。慌ててノブを掴むが、開く気配はなかった。

「頼む。誰か開けてくれ!」

 半狂乱になりながらドアを引っ掻くが、向こう側からの返事はない。代わりに隣の部屋の工事の音が大きくなった。さらに叫んだが、すべて工事の音に飲まれてしまう。
 混濁した意識、裏切られた衝撃でアルは正常な判断ができなくなっていた。叫びながらドアに殴りかかる。後ろから迫ってくるウォーレスの存在を思い出したのは、音もなく首に回された腕に引き倒され、意識を手放すまでの短い間だけだった。
 催眠術で混濁した意識、裏切られた衝撃の追い打ちでアルは正常な判断ができなくなっていた。叫びながらドアに殴りかかる。後ろから迫ってくるウォーレスの存在を思い出したのは、音もなく首に回された腕に引き倒され、意識を手放すまでの短い間だけだった。







 数回、足の先が痙攣し、やがてそれすらも止まるとウォーレスはアルを手放した。完全に動かなくなったことを確認したころには工事の音もやんでいた。彼はドアを開けた。

「眠らせた」

 そうか、とドアの前に立ったシドは言い、また壁にもたれ掛かった。すでに他の作業員たちは元の仕事に戻っている。資材や図面を広げて右へ左へ通り過ぎていく彼らを残してドアを閉めたウォーレスは、床の倒れたアルを振り返ってため息を吐いた。

「まったく。とんだ世話を掛けさせてくれる」

 ウォーレスはアルの体に手を掛けると、背負っていたバッグを乱暴にむしり取る。顔を上げかけ、ふと目の前に人影がいるのに気づいて笑う。

「どうだ。アタッシュケースになってた気分は」

「悪くない。それにこいつが叫び回ってくれたおかげで声もコピーできた」

 そう言った男の姿はアルそのものだった。

「まったくメタモンは便利なもんだ。もっとも今のおまえはアル・ドドか」

 ウォーレスは笑うと、バッグを投げて寄越した。

「こいつの荷物だ。あとは任せたぞ」

 ああ、と答えたアルの姿をしたメタモンは、ドアを出て行くウォーレスを見送った。それからしばらく時間をおいてから自身も宿舎を出て行く。玄関口の前にいたフシギソウの男がアルに気づいて声を掛けてきた。

「よお旦那。さっき宿舎からバリヤードが出て行くのが見えたんですが、なにかあったんですかい」

「ああ、あいつか。セールスだったみたいだぜ。工事中だったから諦めたみたいだが」

「へえ。こんな田舎にもセールスなんていたんですねえ」

 フシギソウの言葉にアルは苦笑する。

「みたいだな。ところで今日の取引なんだが、どうやら明日の午後になるようだ。さっき電話があった」

「そうなんですかい? てっきり今日の午後にでもやるのかと」

「おれもだ。それで悪いんだが他の奴らにもそのことを伝えておいてくれないか。おれも手伝うから」

「おやすいご用です。取引は明日の午後ですね?」

「ああ」

 アルは笑った。

「必ず全員で来るように、とも言っておいてくれよ」

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なかがき

 皆様大変お待たせいたしました。お詫びについては作者ページのほうに掲載いたしますのでこちらでは深くは言及いたしませんが、長きにわたって休止状態にあったことをこの場でお詫びいたします。
 今回はアルが主となる回になりました。アルの透明板に対する思いや知識を描いていたらこんなに長く…w
次回はもう少し短くなる予定ですが……今までのこともありますし、あんまり信用しないでくださいませ…(汗


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