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LH13 の変更点


[[てるてる]]
'''&size(19){ルイス・ホーカー(13)};'''
'''&size(19){ルイス・ホーカー .13};'''

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・登場人物の紹介は[[''こちら''>ルイス・ホーカーの登場人物、世界観などの紹介]]
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&aname(louis);
 車道を脱輪した車輪が土を蹴り上げ、車体が大きく&ruby(かし){傾};いだのに、我に返ったサンダースのルイスは弾かれたように顔を上げ、&ruby(しゃにむに){遮二無二};、逆向きにステアリングを繰った。
 低く丘状になだらかに重なり合う平野。
一足飛びに夏の色を&ruby(まと){纏};った緑のあいだを抜けていく安穏としたそよ風は、緑野を&ruby(ふうもん){風紋};のような波模様に仕上げている。
地平線の彼方から周囲を取り囲むように連なる山々は&ruby(ひ){陽};が昇るにつれて黒い輪郭が次第に青みを帯びていく。
朝露はすでに陽光に紛れ、湿った大気はこれから昼にかけて暑くなることを&ruby(めいりょう){明瞭};に物語っていた。
 空と丘、それらはまるで絵のように見事なまでに調和していた。もちろんそれは、車道から外れた所で停止した車を除けばの話だが。
 奮闘もむなしく、そもそもカーブのアールを誤認したことによるそれは、初めに気付いたときから既に手遅れなのだった。
 舌打ちと共に変速機をリセットしたルイスは、突然叩き起こされて状況を飲み込めずに目を&ruby(またた){瞬};かせている後部座席のふたりに見向きもせず、乱暴に車を車道に乗り入れた。
タイヤが軋み声を上げ、再び加速しだした。
 高い風切り音と、タイヤがアスファルトを引っ掻く低音、それに混じる異音は、数日間、稼働させ続けたエンジンの&ruby(ひへい){疲弊};した音だ。
 あまり車に詳しくないマグマラシのゾルタンも、それが良くない兆候だということくらい理解できた。

「……あの」

助手席と運転席の背もたれに掴まり立つようにしてゾルタンは身を乗り出す。
 なんだ、という返事はいかにも気が立っている風だ。

「いえ、その。そろそろ休まれたほうが。交替しますよ」

「時間が無いんだ。黙っててくれ」

「ですが……」

 実際ルイスはすでに二日間、運転席から動いていない。
疲労しているのは明らかだった。

「……やはり替わるべきです。お疲れでしょう」

 ゾルタンの隣のシャワーズのリリアンも同意するように頷く。

「しつこい。どうせあともう少しで着くんだ。それまで、黙ってることくらいは出来るよな?」

 ルイスはバックミラーを挟んでふたりをちらりと睨め付けて、&ruby(ふんまん){憤懣};の伺える声音で言った。

「しかし」

 さらに言い募ろうとしたゾルタンだったが、それより先にルイスがうなり声を上げたため、&ruby(うつむ){俯};いて言葉を濁すだけに留まった。
 &ruby(しょうぜん){悄然};と元の位置に座り直すゾルタンを見守り、前方へと視界を戻したルイスは自分の&ruby(たんりょ){短慮};に渋面をつくる。
 ゾルタンが好意で言ってくれたのはわかっていた。
ここ数日、ルイスはまともに眠っていない。
溜まりに溜まった疲労が全身を泥のように覆い被さり、瞬きするたびに目の奥に乾いたような痛みを覚える。
今朝からは胸の辺りに不快感すらわだかまっている。
思わず知らずにうつむいてしまうのことがあるのは睡魔によるものだ。
運転という単調な作業がそれに拍車を掛けていた。
 しかし今日がすでに“その日”である以上、これ以上の遅れを出すわけにはいかない。
ここまで来るだけでも、すでに予定より遅れている。
モヘガンがどこにあるのか地図の上でしか知らないルイスにとって、それは最も避けたいことだった。
急がなければ、という焦りの混じった切迫した思いがルイスを急き立て、ステアリングの前から離れられなくさせていた。
 そのため、ゾルタンの好意は迷惑でしかなかった。
 車を運転できるとはいえ、ゾルタンはルイスほど無茶が出来ない。
交替すれば必然的にスピードが落ちる。
ただでさえ間に合わない可能性があるにもかかわらず、自分の技能では現状以上の効率を叩き出せないことをわかっていてそういう提案をしてくるゾルタンには当然腹が立ったし、理由はあれども友人の好意をそういう&ruby(きょうりょう){狭量};な受け取り方しか出来ない自分にも腹が立った。
 心中に鬱積する思いにため息を吐いたルイスは、何気なしに前方に真横に&ruby(ちょりつ){佇立};する連峰を見上げる。
それだけのことで上下するような&ruby(たぐい){類};の&ruby(りゅういん){溜飲};でないことは重々承知だったが、運転に集中さえしていれば必要のない苛立ちを覚えずに済むだろう、とルイスは思った。
 緑野の四方を取り囲むように立ちはだかる山々の、その一面。
先ほどに比べ、空は徐々に白みを帯びていた。
朝靄に&ruby(かす){霞};む斜面を覆う木々の青みも、空と同様に色を取り戻し、ふたつを二分する&ruby(りょうせん){稜線};も明瞭になりだしている。
 にもかかわらず、道は相変わらず通り&ruby(いっぺん){一遍};の&ruby(しよう){相姿};を成しており、起伏の陰から時折、今、自分のいる道路の延長が見えるくらいで代わり映えがない。
確実に時間は経っているのだ。
なのにそれに応じた移動距離は稼げていない。
(もし、間に合わなかったら……)
 ふとよぎった不安を意識した途端、ルイスは鋭い痛みのようなものを&ruby(きょうかく){胸郭};に感じて表情を凍り付かせた。
胃の&ruby(ふ){腑};の辺りにひんやりとしたものがわだかまっていくのを感じる。
それに&ruby(ずいはん){随伴};するように、ステアリングを握る両手が無意識に震えた。
 落ち着け、とルイスは自分に言い聞かせる。
 (間に合わないなんてはずがない、そんなこと、あっていいわけがない)
 そう声に出さずに呟いたものの、ルイス自身、それを信じ切れているわけではなかった。
ルイス達の情報は、取り引きが行われるのが今日であるということだけだった。
しかし既に陽は山の&ruby(りょうせん){稜線};を越えている。
こうしているあいだにも、取り引きは終了してしまっているかもしれない――そうなったら。

「ルイス……?」

 そう呟いたのはリリアンだった。

「顔色、悪いみたいだけど。大丈夫?」

 ああ、とルイスは答えたものの、我ながらその声は酷く浮き足立っているようだった。
&ruby(てぐし){手櫛};で額の毛を掻きしだく。

「気にすんな。関係ない」

「そう……。ならいいけど」

「けど? なんだ?」

 いきなり思考に入ってきた上に釈然としない態度を見せるリリアンに、苛立ちを助長させる。

「なんだよ。言いたいことがあるならはっきりしろ」

「ううん……なんでもないわ。ごめんなさい」

 言ってリリアンは口をつぐむ。
僅かにくちびるを噛むようにして、バックミラー越しに投げかけられる寂しげな様子は明らかになにかを含んでいるように思えた。
その姿から逃れるようにルイスはミラーから顔を逸らす。
町を出て以来、何度も見せつけてきた表情。何度も向けられてきた視線。
そこにはいかにも、自分は心配しているんだ、&ruby(ゆううつ){悒鬱};を感じているんだ、という勝手な意思が込められているように見える。
 ルイスは前方へ視線を移し、なるべく後ろを見ないようにしてため息をつく。
一度気づいてしまえば否応でもそれを意識してしまう。
何気ない動作であっても気分が波立ち&ruby(じゃけん){邪険};にしてしまう。
それを押し殺し、あえて明るく振る舞えば、やがてはリリアンも満足して引き下がってくれるだろうという期待は、とうの昔に放棄した。
たとえルイスがどんなにリリアンをはね&ruby(の){除};けても、リリアンは&ruby(ほどこ){施};すのをやめようとしない。――対価の存在しないそれを。
 間に合わないかもしれない、という焦り。
リリアンの&ruby(れんびん){憐憫};めいた態度への怒り。
泥水のように&ruby(な){綯};い交ぜになった感情に、&ruby(おしん){悪心};さえ&ruby(もよお){催};しそうになる。
 車は何度目か、丘状にのぼるなだらかな路面にさしかかる。
最初のころは、勾配を超えた先に海があり、町が見えるかもしれないという期待を持つことも出来たが、その度に裏切られ、延々と続く大地を見せさせられた今、期待を抱けるほど楽観的にはなれそうになかった。
大地は波状に折り重なっており、ほとんど丘の筋ごとに空間が区切られている。
つまり丘の頂点をひとつを超えるたびに視界が新しくなるのだ。
 どうせまた丘が続くんだろう、とルイスは思った。
だからようやく長い傾斜を超えたとき、ルイスはそれを見つけて思わずあっけにとられてしまったのは、まさしく偶然による結果だった。
 ストンと落ちるようにして伸びる下り坂の先。
&ruby(ぼうばく){茫漠};と広がっていた緑野は広大なすり鉢状の底面付近で、工事現場を示す背の高いフェンスによって途切れていた。
そのフェンスにはビニールシートが被させられているため、下に降りてしまえば中の様子は見えなくなってしまうだろう。
既にフェンスの先は舗装され、ところどころに工事用に組まれた足場が伺えるものの、薄く白を塗り重ねたような淡い輝きを放つ外郭に包まれた建物が並ぶ光景は、確実に近代的な都市としての&ruby(てい){体};を成している。
 眼前に広がる都市の様相。
今までそういったものから無縁に過ごしてきたルイスたちにとって、それらは新鮮そのものだった。
思わず知らずにルイスは感嘆の声を漏らす。
リリアンも同様に目の前の光景に釘付けにされていた。
 そんな中、ゾルタンだけは特に何の感慨を受けた様子もなく、しきりに首を&ruby(ひね){捻};っていた。

「あれがモヘガンなんでしょうか」

 誰にともなく呟いた口調は、いかにも納得がいかないふうだった。
あら、とリリアンはゾルタンを振り返る。

「違うんじゃない。モヘガン港って言うくらいなんだから、やっぱり海沿いにあるんじゃないかしら」

「やっぱりそうなりますよね」

 ゾルタンは僅かに息をつく。

「一体いつになったら着くんでしょうか。今日ですよね、本当に間に合うんでしょうか」

 何気なくゾルタンが言ったのに、リリアンは背筋に悪寒を感じた。
 誰かの視線を&ruby(かす){掠};めるように目だけをルイスのほうへ動かす。
あからさまに凝視するのは&ruby(ためら){躊躇};われた。
それは露骨に顔色をうかがうような真似をしたくないというのもあったし、なによりルイス視線が合うのが怖かった。
視線が合えば、当然自分の抱いている気持ちも&ruby(く){汲};み取られてしまうかもしれない。
そんなことになれば、またルイスはリリアンを拒絶してくるだろう。
(そんなの嫌……)
 リリアンはルイスを見たが、リリアンの位置からではルイスの背中しか見えなかった。
バックミラーにも耳が映っている程度で、今ルイスがどういう表情なのか把握できそうにない。
とりあえず動じた様子が無いので、特に気にしてはいないのだろう。
 緊張が尾を引く中、とりあえず胸をなで下ろしたリリアンは、作り笑いを浮かべてゾルタンをつついた。

「……なに言ってんのよォ、間に合うわよ。そうよね、ルイス」

「だと良いんですが。もう間に合わないような」

 ゾルタンが首から下げた時計を見下ろしながら言うのを無視して、リリアンはルイスの返答を待った。
しかし、ルイスは前を向いたまま身じろぎひとつしない。

「ルイス?」

 気のせいか、ステアリングの上の手が血色を欠いて白ばんでいるのが体毛越しにもわかった。
震えているようにも見えるのはタイヤの振動のせいか、それともルイス自身が力をこめているせいか。
 もう一度呼びかけようか否か、リリアンが&ruby(ちゅうちょ){躊躇};していると、ルイスはおもむろに先ほど坂道を登るために下げていたギヤを掴んだ。
 車体は既に斜面を下ろうとしている。

「着いてみせるさ。絶対に」

 ささやくようにルイスは言って、乱暴に変速機をつなぎ替える。

「ホーカーさん、なにを……」

 言いかけて、ゾルタンが言葉を切ったのは車体が急加速したからだ。
背もたれに背中が沈み込む。
傾斜に沿って降下する車は――車体そのものも荷物のせいで重くなっていることも手伝って――すぐに最高速度まで達する。
風切り音がウインドウを叩く。
なおも加速するのをやめようとしないルイス。
限界を超えた走行に小さな起伏にさえ車体は異様な音を立てる。
ゾルタンの声にならない悲鳴がそれに混じる。
 ようやく身を起こしたリリアンは、なんとか前部座席のふちに掴まると、大声でルイスの耳元に叫んだ。

「いい加減にしてちょうだい!」

「うるさい! 間に合わないなんてこと、あってたまるか!」

 タイヤが軋む。
車はすでにすり鉢の底まで降りていた。
 道路は開発中の都市の中央を縦断するように&ruby(し){敷};かれている。
すぐ真横を鋼鉄のフェンスが&ruby(かす){掠};めていったのに、リリアンは色を失う思いがした。

「お願いだからやめて!」

 リリアンの懇願をまたも、うるさい、とつっぱねるルイス。
 そのとき、前触れなしに車体が跳ね上がった。
ステアリングが急激に回転する。
ルイスの手が弾かれる。
 跳ね上がる瞬間、リリアンは車外に何らかのにぶい破裂音を聞いた気がした。
だがそれも、瞬く間に取って代わった恐怖心が念頭から払い落としてしまう。
芯のないゴムを叩き付けるような音に、金属の削れる不快な異音が混じり出す。
 盛大にリアタイヤが流れる。
リリアンが投げ出され、ゾルタンごとドアに叩き付けられる。
その上に折り重なるように固定していなかったものが飛んでくる。
ルイスは本能的にハンドルを掴んで固定しようとしたが、手先の発達していない四足歩行ポケモンの手ではハンドルを押さえきれず、左右にふらつくステアリングは暴れたまま収まろうとしない。
 何とか体勢を立て直そうとルイスがハンドルに噛み付きかけたとき、車は道路脇の背の低い盛り土に鼻先からめり込んだ。
バンパーが砂を巻き上げる。
フロントガラスが一面、砂色になる。
さいわいにも土はゆるく盛っていただけだったため、衝撃はそれほど酷くはなかったものの、ルイスは急停止したはずみにハンドルに胸を強打した。
 痛みに咳き込むルイス。
ぶつけたのは胸だったが、疲労の溜まった身体にその衝撃は堪えた。
視界が揺れる。ことさらのように頭痛がする。
いったい何が起こったのか、考えようにも思考は意識の表面を滑る。
それでもなんとか変速機を掴めたのは、急がなければ、という脅迫に似た思いがあったからだろう。
 ルイスは叩き付けるようにギヤをアールに入れ、車を出す。
タイヤが回転するたびにゴトゴトと車体が揺れる。
 リリアンは身体に寄りかかっている&ruby(かばん){鞄};を振り払う。

「ルイス、やめて」

 車は明らかに変調をきたしている。運転はもう無理だ。そんなこと分かり切っているはずなのに、ルイスはリリアンの言葉をまったく意に介していないようにハンドルを離そうとせず、砂を被ったフロントウインドウを凝視している。

「一旦、とめよ。タイヤになにかあったのかもしれないわ。だから……」

「黙っててくれ」

「でも、危ないわ。せめて確認してくるだけでも」

「黙ってろ」

「いいから話を聞いて!」

 何度も突っぱねようとするルイスを、リリアンは思わず怒鳴ってしまった。

「……その、ごめんなさい。あなたが聞こうとしないから、つい」

 ルイスは何も言わずにパーキングブレーキを引いた。
&ruby(ぎょうぎょう){仰々};しくため息をつき、待って、と声を掛けたリリアンを振り返ることなく車外に出て行ってしまう。








&aname(zoltan);&aname(lillian);
 乱暴に閉められたドア。風圧でツン、と耳鳴りが尾を引き、車内は無音になる。
停止した車は、明らかに&ruby(かたむ){傾};いているのがわかった。
 マグマラシのゾルタンが荷物の山の中から顔だけを覗かせてシャワーズのリリアンを見つめていた。
リリアンの、うつむき加減に胸元に片手をやっているのがいかにも罪悪感を感じているようで哀れを誘う。

「あの」

 リリアンが振り返る。
視線が合った途端、ゾルタンは気後れを感じて耳を伏せてしまった。

「ホーカーさんが無茶をしたのが悪いんです。ビアスさんが責任を感じる必要は……。その……」

 口ごもるゾルタン。
それは別に自分の発言に非を感じたからではない。
責任を感じるべきなのはサンダースのルイスであって、リリアンではない。
現に、法外な速度を出して走行したのはルイスだし、それを止めようとしたリリアンを無視したのもルイスだ。
責任の所在は明らかだ。
 だが、それを実際に言うのは&ruby(ためら){躊躇};われた。
それはルイスにも急がなければならない理由があったからなのと、そういう理由を&ruby(かえり){顧};みない発言を、リリアンがどう受け取るか不安があったからである。

「彼、なにしてる?」

 口ごもったきり何も言い出そうとしないゾルタンに、リリアンは話題が終わったと受け取ったらしい。
突然、尋ねられて、ゾルタンは慌てて側面のウインドウの外を&ruby(うかが){窺};う。
 リリアンがいるのは助手席のすぐうしろの後部座席だ。
運転席から降りたルイスが車体の反対側にでも移動しない限り、リリアンから彼の姿は見えない。

「フェンダーの辺りにいます。タイヤを覗いてるみたいですが」

「あなたはそこで待ってて。行ってくるわ」

「しかし」

 ドアを開けかけ、ゾルタンに声を掛けられたリリアンは、一瞬なにかを考え込むような&ruby(そぶ){素振};りを見せた。
その素振りを不審に思う間もなく、リリアンはことさらに笑顔を作る。

「良いの。タイヤを見てるんでしょ。あなたの言うように謝る必要はないかもしれないけど、手伝う必要がないわ
けじゃないわ」

 リリアンは言う。
車から降り、&ruby(なか){半};ば会話を中断させるようにドアを閉める。
 ドアが閉まりきる直前、リリアンはゾルタンの「あっ」という声を聞いたような気がして思わず身を固くしてしまう。
やはり不審に思われただろうか。当然だろう。手伝う必要があると言っておいて、ゾルタン自身には車内で待つように言ったのだから。明らかに矛盾している。それを疑われないはずがない。
 リリアンはなるべく車体に寄ってゾルタンの死角に入るようにしながら、後ろ側からルイスのいる方面へ向かう。
ゾルタンを巻き込みたくなかった。
リリアンほどゾルタンはルイスと関係が長いわけではない。
加えてゾルタンは事の内実を知らない。
リリアンにしてみれば仕方がないと思えるルイスの最近の行動も、ゾルタンが見れば理不尽な言動を繰り返しているようにしか見えていないだろう。
仮に、たとえ事実を知ったゾルタンがリリアンと同じようにルイスを気に掛けても、それはリリアンとはどこかベクトルの違ったものになるに違いない。
(それに……)
 リリアンはバンパーの陰から様子をうかがう。
ルイスは前輪のまえに佇んでいた。うつむくように視線を前肢のあいだに落としている。リリアンに気づいた様子はない。
 それに、そもそもここまでルイスを追い詰めてしまった原因は自分自身にある。いまさら周囲を巻き込む権利も協力者を求める資格も、リリアンは持ち得ていないのだ。

「ルイス」

 陰から出たリリアンは、気後れがちに足を引きずりながらルイスに声を掛けた。
ルイスは一瞬、顔を上げかけたが、すぐに身体ごと視線を逸らしてしまう。

「さっきはごめんなさい。いきなり怒鳴っちゃって」

「それだけか」

 リリアンは足を止める。
質問の意味を理解しかねて首を捻っていると、ルイスはさらに言った。

「言いたかったのはそれだけか、って聞いてるんだ。わざわざ謝るためだけに外に出たのか」

 そんなことない、とリリアンは首を振って否定する。

「もちろん手伝うことがあったら……」

「手なんか必要ない。用が済んだんなら車に戻ってろ」

 引き離すようにルイスは言うと、車の正面に回り込んでボンネットのふちに掴まり立ちの姿勢で立ち上がる。
ボンネットとグリルの間に手を入れてラッチを外して、出来た隙間に身体をねじ込むようにふちに後ろ足をかけてよじ登り、ボンネットを開ける。
エンジンルームから吹き上がった水蒸気が身体を打つのも意に介す様子もなく、支持棒を起こして、エンジンの真上に固定されたスペアタイヤに手を掛けた。
 黙ったまま、がりがりと留め金に爪を立てて外そうとするルイスにすっかり話の接ぎ穂を見失ってしまったリリアン。
どうしようかと視線を巡らしていると、ふとさっきまでルイスがかがみ込んでいたタイヤが目に入った。
表面のゴムが&ruby(えぐ){抉};り取られ、むき出しになったホイールが&ruby(じか){直};に路面に接している。
そんな状態で車を無理矢理走らせようとしたせいだろう、黒っぽいアスファルトに動かした分だけ白く&ruby(えぐ){抉};られている。
傷跡を追って見てみると、板状に&ruby(はくり){剥離};したトレッドが車がやってきた方向に沿って散らばっている。
明らかなバーストだ。では、先ほど耳にした音はこれだったのかと、リリアンは納得する。

「おい」

 突然ルイスに呼ばれて、リリアンは慌てて振り返った。
ルイスはボンネットから顔を上げ、いかにも不快そうに顔を&ruby(しか){顰};めている。
 それを見て、なにか言わなくてはと、そうリリアンは思った。

「あなたの気持ちもわかる。遅れそうで慌てたいのだってわかるわ。でも、だからって何でもかんでもひとりで抱え込もうとするのはやめて。あなただけが無理する必要はないんだから」

「いつおれが無理をした」

「ずっとしてるじゃない。博物館を出てから、ずっと」

「ひとの勝手だ。ほっといてくれ」

 そう言って、またボンネットにかがみ込もうとするルイス。
駆け寄ったリリアンがその間に割り込むようにフェンダーに掴まり立つ。

「そうやってまた一人になろうとしないで。チーチ館長のことでショックなのはわかるけど――」

――自棄になるのはよくないわ。もしかしたら誤解なのかもしれないし、取り返しがつかなくなったらどうするの?
 そう言おうとして、リリアンは自分が取り返しのつかない失言をしてしまったことに気づいた。&ruby(とっさ){咄嗟};に口を&ruby(つぐ){噤};んだが、既に遅かった。
ルイスの片手がスペアタイヤの上に振り下ろされた。
ホイール部分に電気を帯びた手が触れ、火花が散る。

「言うな!」

 ルイスが怒鳴った。
勢いに&ruby(けお){気圧};され、リリアンは慌ててボンネットから飛び退る。飛び退る直前、リリアンは押しつけられたルイスの手が震えているのを見つけていた。
アスファルトに降りたリリアンを睨め付けるルイスの目は見開かれ、見開かれた&ruby(まなじり){眦};に視線だけが泳いでいる。
怒りか悲しみか、理由は定かではないが、リリアンはルイスが急速に&ruby(ろうばい){狼狽};していくのがはっきりわかった。しかも、その原因が自分にあるということも。
 なにか言わなくては、再度そう思ったが、失言をしてしまったことへのショックで声が出せなかった。

「トニーのことは言うな。わかったか」

 今にも飛びかかりそうな勢いで、ルイスはリリアンを睨め付ける。
どうなんだ、とさらに問い詰めてくる声音には、明らかに&ruby(こんがん){懇願};の色が混じっている。
それがいっそう哀れで、リリアンは返事をするでもなく視線だけをルイスから逸らした。
 そうこうしているうちに、後部座席側のドアが開く。

「あの。どうかなさったんですか」

 振り返った二人は、ゾルタンが&ruby(いぶか){訝};しげな顔つきで車から降りてくるのを見つけた。

「なんでもないわ。ちょっと……、ううん、なんでもないの」

 ドアを閉め、近づいてこようとするゾルタンにリリアンは言う。

「ですが、さっき声が」

「本当になんでもないって。ねえルイス――」

「そうやって突っ立ってしゃべりまくってる暇があったら、手の器用なやつでも見つけてきてくれ。そのほうが、
何倍も有意義だ。違うか?」

 リリアンが言い終えるか否かに、割り込むようにしてルイスは言った。
その冷ややかな語調に、リリアンが返す言葉を見いだせないでいるいちに、ルイスはさっさと後ろを向いてしまう。
 エンジンルームにかがみ込み、作業を再開するルイス。
 先ほどよりも乱暴にスペアタイヤを剥がしにかかる様子を、リリアンは底冷えのする思いで見上げる。
先ほどの台詞も相まって、その動作はいかにも自分を突き放そうとしているように見えた。――いや、実際にその通りなのだろう。ルイスにとって触れて欲しくない部分に触れてしまった。しかもそれをすることで彼を傷つけてしまうことを知っていながら。&ruby(ぞうふ){臓腑};を掴まれたような罪悪感。悪気こそなかったものの、絶対に許されないことをしてしまったという自責の念が思考に取っ掛かりを無くし、冷静であろうとする意志がその上を滑り落ちていく。

「わかったわ……」

 リリアンはゾルタンについてくるよう目配せをして、後肢現場のフェンスの壁に沿って歩き出す。
いきなりのことで、ゾルタンは戸惑ったようにルイスとリリアンをそれぞれ見比べたが、最終的には眉をひそめながらもリリアンのあとを追っていった。
 (とにかくこの場を離れなければ。落ち着くまでルイスから遠ざからなくては)
 早足を心がけながら、リリアンはそう思った。
それが、ルイスをこれ以上傷つけないための、今の自分にできる最善の行為なのだから。

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なかがき

 舞台は前回から打って変わってモヘガン港……のちょっと手前の広い平原地帯へ!(殴
なんて冗談はこれくらいにして。
さて、久しぶりのルイスたちの登場となりました。
果てして、ルイスたちは間に合うのか!? てな具合で、次回に続きますー。

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