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ニャビーとして生まれたロウエンは、幼い頃母親に殴られたことばっかり印象に残っていた。いつも残り物を食わされては、ボロアパートの隙間から入り込む蜘蛛やゴキブリを食べて生きていた。
小さい頃は可愛がられたことはあったのだろうか、それすらも分からない。けれど、ただ本能的に、母親に縋らなければ死んでしまうというのは分かっていたようで、ロウエンはいつも必死に、母親に好かれるために媚びていた。
家はいつもきれいに掃除していたし、母親が寝ているときは絶対に騒がなかった。母親が客を連れてきたときは勿論部屋の収納に隠れて出てこようとしなかったし、食べ物を貰えた時は地面に穴をあけかねない勢いで土下座して感謝した。
それでもロウエンは腹が減って仕方がないので、部屋に入って来たゴキブリやら蜘蛛やらを食べて飢えをしのぎ、ひたすら母親を待って生きているのである。
ある時、母親からお前も働けといわれた。けれど、この街は仕事を求めて出稼ぎ来た田舎の逞しい男達にすら仕事がないのに、子供の自分に仕事があるわけもなく。いつだったか、『仕事が見つかるまで帰ってくるな』と言われて、それでも言いつけを破って帰って来た時にひどく殴られた時から、家に帰ることも出来なくなってしまった。
母親曰く、『お前は、私を好き勝手犯して金を払わずに逃げたあのガオガエンにそっくりだ! 前から憎かったのだ』、と。ロウエンは愛されてなどいなかったのだ。
それからが大変だ。食料がないから腹が減って仕方なく。街中でネズミ(ラッタのようなポケモンではない)を捕まえ、ゴミを漁り飢えをしのぎ、それでもダメなら自分よりも弱い奴から奪った。
奪われた奴が死んだらその死体も腐らないうちに食った。時には襤褸をまとった大人でさえも、不意を突いて奪うか殺すかして飢えをしのいだ。そうやっていくうちに、ロウエンはだんだんと恐れられるようになり、たんと飯を食ったおかげでどんどん体も強くなる。
加速度的に成長していった結果、ロウエンが行きついた先はスラムのギャングだった。
そういった反社会的な行為を行ったことに関して、ロウエンは後悔はしていない。奪わなければ自分が死んでいたし、殺さなければ自分が死んでいたのだから。けれど、後味の悪さや後ろ暗さは常に付きまとう。それを忘れたくって、奪った金でやけ食いして憂さ晴らしをしていたのが数年前の彼の姿だったのだが……ある日、彼は食堂の店主に根性を叩きなおされ、働けるように指導させられたのだ。
最初は反抗的だった彼も、いつしか心を入れ替えて自分から働ける手段を探し、そうしていきついた先が不思議のダンジョンに潜って、そこで食料を手に入れる、ダンジョニストというものである。
奪うよりも、殺すよりも、よっぽど自由に拳を振るうことが出来るその場所で、彼は大成功を収める。ギャングの仲間たちも強引にダンジョンに連れて行き、『もう奪わないでも食料が手に入るのだ』という事を教えた。それだけじゃなく、誰かに食料を与えることも出来るのだと気づいた。
いつしか、スラムのギャングは解体してゆき、ガオガエンが率いる食料の配給所が、ギャングのたまり場跡地に完成するのであった。
彼はそこで子供達を飢えさせないために食料を渡すのだが、食料を渡す条件が、『何か一つでも仕事をしていること』である。その辺に捨てられたごみや排せつ物を掃除したり。時には死体を掃除することもある。
他はどうか? と問われれば、実は他にすることなんてない。何か特別な技能でもあれば別なのだが、この街は大人でも働き口がないような状況である。掃除をして食料を得る。それが彼が子供達に課した仕事である。それでも、街の衛生状況が良くなり、病気が減ったのはひとえに彼のおかげかもしれない。
実際、それ以外に仕事がないわけではないのだが、そのためには技能を得る努力が必要だ。雀の涙ほどの給料も出ないような状態から見習いをして、やがて金を稼げるようになるまで頑張るにも、先立つものは必要である。何も先立つものがなければ、働き始めても結局パン一つ買えずに挫折することもあるのだ。
仕事をするにも金が必要、となれば誰かが支えてあげなければ自立出来る子供なんてほんの一握りだ。ロウエンはそれを支えるために、子供の面倒を見るのだ。
もちろん、技能もいらず、犯罪に手を染めずとも楽に金を稼げる方法もあるにはあるのだが、ロウエンはそれを良しとしなかった。その理由が語られたのは、とある日。彼らが眠りにつく前の会話である。日はもうそろそろ沈むという時間帯。うっすらと日差しを残した空が、紫色に染まるころ。
食料と引き換えに女を買って戻って来たガオガエンの相棒が、用意した寝床に腰を落ち着けた時の事だ。
「なぁ、ロウエン。お前女に奉仕させるのは嫌いか?」
スラムに溜まっている子供達に出来るような仕事と言えばこれである。体を売るという、シンプルで分かりやすい仕事だ。
「嫌いじゃねえよ」
「飯のためならあいつら簡単に腰を振るぜ? なのになびかないのは、もしかしてお前男の方が好きなのかい? だとしたらモテそうな体型してるよなー」
「昔っからそういう誤解を受ける程度には女に誘われたな。それを断りすぎて、今度は男に誘われる始末だ」
ロウエン――ガオガエンの彼に問うのは、メブキジカのブラスト。彼はギャングの副リーダー的存在だったのだが食堂の店主に叩きのめされて更生したロウエンにぶん殴られて、強引に引きずられてダンジョン家業をさせられて、けっきょくそれに落ち着いた者である。
話の通り、彼は女を食料と引き換えに抱いている。
「お前がやるのは悪いとは思わないし、俺は男とやる趣味もねーけれどよ……けれど、なんつーか。そうやって女が金を得ることが出来たとしても、若いうちは客をとることが出来ても、年を取ったら客を取れなくなるだろうし……しかも、それって他の仕事よりも早いだろ。そうなったら、俺だってどうしようもない、俺が面倒を見るのは子供だけだからな」
「うーん、確かになぁ。おばさんにやってもらうのは嫌だしな。抱くのは若い女がいいよな」
「それ以上に、俺が嫌なんだ。俺は、母親がそうやって男を抱いた挙句に生まれて、そして親に嫌われていたんだからな。こういっちゃなんだが、生まれてこないほうがいい命ってのはあるんだ。俺がそうだったように、疎まれて生まれてくるくらいなら……そのきっかけになるような行動はしたくなくって」
「それでお前、やたら自分と絡む種族の女を限定してたわけか? お前は陸上グループだっけ? 毛のある奴は絶対に抱かない主義だったな」
「まあな。ついでに言うと、お前さんに『毛のあるポケモンはなるべく抱くな』って頼んだのもそういう理由だ。子供なんて、育てられないくらいならいないほうがいい」
ロウエンは自身の幼い頃を思い起こして言う。ため息交じりの彼の表情には、言いしれない悲しみが見えた。
「案外まじめだな、お前は」
俯き気味に語るロウエンにブラストはしみじみと言う。心の中で『かわいそうに』と付け加えていることは、ロウエンが知らないことだ。
「だがまぁ、一理あるよなぁ。そもそも、この街に仕事がないのは人が多すぎるからだし、少しくらい減るくらいが丁度いいのかもなぁ」
「分かってくれると嬉しいぜ……俺の考えって、女に『自分の子供を残すな』って言っているみたいで心苦しいところもあるけれど、実際のところ、子供なんて欲しくないって思っている女も少なくねぇ。
俺は、この方針を続けるべきだって思っている……少なくとも、自分で子供を養えないのなら、子供なんて邪魔なだけだし」
「なぁ、ロウエン。俺は経済的に問題ないし、別に女に子供産ませてもいいよな?」
「お前は……まぁ、いいんじゃないのか? きっちりと収入があるわけだし、いつかは嫁をとって子供でも作れよ」
「おうよ……だが」
ロウエンの言葉に満足そうにうなづきつつも、ブラストは気が進まない様子で話を続ける。
「そう考えているなら、なんでお前は女を欲しがらないんだ? 男が好きだって誤解されたままでいいのかよ?」
ブラストにそう問われて、ロウエンはまゆをひそめた。
「わかんね。いや、俺は人を不幸にしてばっかりで、間接的とはいえ何人も殺してしまったし、今でも俺を恨んでいる奴がいる。そんな俺が……何かさ。『幸せになっていいのか?』って思うんだよ」
「は、まじめだなお前は。心配しないでもお前は良くやってるさ。昔のお前は人を不幸にしたとか、間接的でも人を殺したってのは間違いないけれど、それを償うだけの時間はまだまだあるんだ。これからも人助けしながら生きろよ。そん時幸せじゃなかったら生きる気力もなくなるぞ?」
「少なくとも、そういうのは……俺を好きになってくれる奴がいたら考えるよ。もちろん、食料がもらえるからとか、そんなんじゃなく、俺を好きな奴が……対等な立場でいられる女でもいればな」
「あー……それは……お前顔が怖いから無理じゃね? 下心で付き合う奴は多そうだけれどなぁ……」
自信なさげに語るロウエンをまじまじと見て、ブラストは苦笑する。
「うるせーよ……どうせ俺に寄ってくる女は下心ばっかだよ。対等な立場でいてくれる女なんて寄り付かねーよ」
当然、ロウエン自身も自分の顔が怖いだとか、そんなことは分かっている。それに何より、今悩んでいるところはそういうところじゃないのにと、言ってやりたい。
「でも、もっと自分から売り込めば、お前のいいところを分かってくれる奴はいると思うんだけれど……まぁ、無理か? お前、体はでかいくせに肝っ玉は小さいし、顔も怖いし」
「二回も言わんでいいから。それに、俺がいいところを売り込むだなんて……それこそ、許されるもんなのかなって思うぞ」
女々しく自信のない発言を繰り返すロウエンの言葉を聞いて、ブラストは重症だと感じる。
「お前の一番の欠点は、怖い顔じゃなくって、その自信のなさかもな。戦う時みたいに、もーっと自信満々でいればお前、女だって寄り付くだろうに。世の中、お前と違って開き直ったクズがお前より幸せになっているもんだ。そんなんじゃ、世の中間違ってると思わんかね? クズはクズカゴヘ、お前みたいな善人は幸せになるべきだぜ、ロウエンよ」
ブラストの問いかけにロウエンは答えなかった。いや、イエスかノーでは答えられないというべきか。確かに、自分よりもクズが幸せになっている状況は間違っているかも知れないが。かと言って、自分が許されているか? 昔の屑だった自分が幸せになっていいのか? なんてのは別問題だ。たとえ、今のロウエンがブラストの言う通り善人であったとしても。
「ロウエン、お前はなぁ……俺が幸せになろうとしているのを止めないくせに、自分は幸せにならない、なりたがらないってのはいかがなもんかね? もっと自分に素直になれよ」
ブラストは最後にそう嫌味を言う。ロウエンから返答が帰ってくるのは期待しておらず、そのままブラストは眠ってしまう。悶々とした気分を抱えたまま、ロウエンは目を閉じても眠れなかった。
次……[[HEAL2,オシャマリの少女]]
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