&size(22){&color(#215DC6){Fragment -5- 歩み寄る音};}; written by [[ウルラ]] RIGHT:[[BACK>Fragment-4-]] <<< [[INDEX>Fragment]] >>> [[NEXT>Fragment-6-]] LEFT: #clear 互いの呼吸の音だけが部屋の中に響く。頭の右にある角がどうしても邪魔をしていて、ベッドの左半分側で左を向いて寝る格好になっている。 ふと、すりっ、と床の位置を調節しようとして動いたアセシアの体が、俺の背中をほんの少しだけ擦った。 背と背を向き合わせる状態でベッドの上、同じ毛布で俺とアセシアは寝ていた。だが元々一人分のベッドで二人寝ているため、背中同士が触れ合ってしまう。それがどうも気になって、なかなか寝付けない。 アセシアは気にしてないんだろうか、と疑問に思い、彼女の呼吸の音に耳を澄ましてみる。それを聞いてみたところで、アセシアが起きているかどうかなんて分からないが、気を紛らわすには丁度いい。 「ねえ……」 どうやらアセシアは起きていたようで、接してしまっている背中を介して、彼女の声と振動が伝わってくる。 そんな奇妙な感覚に戸惑いながらも、その声に返事をせずに耳を傾ける。 「前から気になっていたんだけど、もしかしてルフはフラットの生き残りなのかしら。最初に見掛けたのがフラット跡の慰霊碑だから、なんとなくそう思っただけだけど」 もう二年前の出来事になるのに、意外と覚えているのがいたのかと内心驚いた。それもアセシアの口から出てくる疑問として。 それに合わせて、フラットの慰霊碑前で会ったエネコロロとアセシアはやはり同じだったことも分かった。 アセシアは続けて言った。 「これはお互いのことについては詮索しないってことに反するから、答えたくないならそれで構わないわ」 答えるべきか否か。最初は戸惑った。彼女の言うとおり、元々お互いのことについて詮索はしないことを約束としていた。 ただ、今アセシアに尋ねられたことは個人的には話しても構わないことだ。話したところで俺がフラットの生き残りであることに変わりはないし、フラットが崩壊したことも……フィアスが亡くなったことも、事実に変わりはないことだ。 このタイミングで何故聞いてきたのか。そのことも疑問には上がったが、考えてみれば今までミーディア大陸に行くことを急いでいて二人でまともに会話できる状況になったことが全くない。今のこの落ち着いている時に聞いておこうということなのだろうと、何となくだが彼女の考えが分かった気がした。 「……フラットの生き残りなのは確かだ」 しばらく経ってそう一言。俺はアセシアの疑問に答えた。 その後に何か続けて言うと彼女は思っていたのか、それともなにか思うことがあったのか、沈黙が流れる。時計の秒針が一秒一秒を刻む音まで耳によく響く。 秒針の音が何回か聞こえた後、彼女は体を少しだけ動かす。その分お互い背が触れ合っている部分が軽く擦れるが、彼女は特に気にしないといったように毛布の位置を少しだけずらしつつ、自身の位置も少しばかり直していた。後ろに振り返れないために音と背中に触れている彼女の感触で確かめるしかないが、多分そうだろう。 一息吸ってからゆっくり吐いた後、アセシアは再び話を始めた。 「そして近くのレイタスクで、鉱山の仕事をしていたのね」 彼女のその的確な言葉に、思わず目を見開いた。何故彼女がそのことを知っている……? 興味があったから調べたということにしても偶然過ぎる。護衛を任されてから彼女についているときも、彼女はフラットの事件について調べる余裕なんてなかったし、調べている素振りもなかった。つまりは俺が彼女の護衛を引き受ける前から、彼女は俺のことを知っていたことになる。一体どこでそんな話を仕入れてくるのだろうか。 「よく知ってるな」 なるべく当てられた動揺が表に出ない様に、声に抑揚もつけずに淡々と返す。アセシアが首を横に振ったのが、ベッドの微かな揺れと、毛布の擦れる音で分かった。 「フラット跡の慰霊碑であなたと出会った後、レイタスクで噂を聞いただけよ。その時、もしかしたら『あの時のアブソルなんじゃないか』って思っただけ。今聞いてみたのも、ただ単に憶測でしかないわ」 だがその読みは完全に当たっていた。そもそもアブソルという種族は、フィアスの家族によればもう今はほとんど見ない種族だと言っていた覚えがある。要するに希少種ということだ。それが"噂"で流れれば憶測を立てることは容易だろう。何の噂かは、言われなくとも自分で分かってる。その噂の中身が、レイタスクを追放された原因でもあるのだから。 「お前が思ってるとおり、俺はレイタスクで追放されてミナミムに向かってる最中で、何処かのエネコロロがキュウコンに襲われているのに出くわした」 アセシアが言いたいことが何となく分かり、彼女がそのことを言うより先に言ってみる。どうやらはそれは当たりだったようで、しばらくの間彼女からの返事が無くなる。何かしら考えているのだろうか。再び秒針の音が頭の中で響くのかと思ったときに、アセシアは口を開いた。 「……どうしてあの時、私を助けてくれたの?」 いきなりの問いかけに、言葉を失った。というのも、どうしてと問われても答えようがなかったからだった。 あの時はただ危ないと思って咄嗟に体の方が動いていたから、自分でも何故助けようと思ったのかすらよく覚えていない。 彼女がフィアスに似ているから……? いや違うだろうきっと。今目の前にいるのはフィアスではなくてアセシアと言うことは自分でもきちんと分かっているし、俺でもそんな酔狂なことはしない。 しばらくの間、返事がないことで答えにくいことを察したのか、アセシアは再び口を開く。 「でも、理由がどうであれ……あの時は助けてくれてありがとう。あの状況下で護衛を引き受けてくれたことも、感謝してるわ」 時間をおいて返ってきたのが予想もしなかった言葉だけに、少々面食らった。何よりも、お礼を言われるのに慣れてないせいか、少しだけ心臓の音が早くなる。そして顔だけが妙に温かくなっていることに気付くのに、時間はかからなかった。 「礼を言うのが遅すぎだ……」 返す言葉に戸惑い、出てきたのはぶっきらぼうな言葉だった。……前にもこんなことがあったような気がするのは気のせいだろうか。 ふと、微かにだが触れている彼女の体が小刻みに震えているのが伝わってきた。まさかとは思うが、泣いているのだろうか。 「ふふっ……」 違った。笑っていた。そんなに可笑しいことでも言っただろうか、俺。 何度も自分の言った言葉を頭の中で復唱してみるが、何もおかしい部分はない。 「何笑ってる」 「いや……ふっ……少しね」 何で笑っているのか不思議に思いつつも、何だか分からないままに彼女が笑っているのが不愉快に思えてきて、不機嫌な声で聞いても彼女はくすくすと笑うばかり。だが笑い声を聞いているうちに段々と詳細に関してはどうでもよくなってくる。それに何となく笑っている声がフィアスと重なってしまって、何となく怒りづらい。 そして今までずっと俺に対して真面目な表情を崩さなかった彼女が、今は自分の背後で肩を揺らして笑いをこらえている。その意外さにまたもや面食らってしまっているのもあって、更に怒りづらくなってしまう。仕舞いにはもうどうでもいいと思い始めてきてしまうほどに。 しばらく背中越しに伝わってくる彼女の体温と、笑っているために出ている小刻みな振動を感じつつも、そのまま彼女の笑いが収まるのを待っていた。 「……ふう」 笑いが収まったと思ったら彼女の口からはため息が漏れる。ため息をつきたいのはむしろ俺の方なんだが、と口に出かかったが止めておいた。とてもじゃないが今の状態で言い出せるような雰囲気ではなかった。今の和やかな雰囲気を壊したくはないと思った自分自身がいることに内心驚いてはいたが、今までレイタスクでギスギスとした人間関係を作ってしまっていた俺にとっては何となく忘れていたことだったのかもしれない。そう、無理矢理頭の中で納得づけることにした。妙な体の火照りも、きっと恥ずかしさからくるものだろうと。そう納得しておいた。 「私から話しかけておいてなんだけれども、明日もあるし、私はもう寝ることにするわ」 「ああ。おやすみ」 「……おやすみ」 笑い疲れてしまったからか、彼女はそう言って無言になる。おやすみ、という言葉が妙に穏やかだったのは、少しばかり警戒心が薄れたということの表れなのだろうか。 やがて後ろから寝息と思われる長い吐息と息を吸う音が聞こえ始める。背中が遠慮がないほどにこちらに膨らんでくるのも、彼女が寝付いたからだろう。自分もそろそろ寝ようとして目を瞑る。だが妙なことに体の火照りの引きがなんだか悪い。 寝る前に話し込んだのがいけなかったのだろうか。とはいえ、彼女はぐっすり寝てしまっている。俺も明日に備えて早く寝たいが、どうも目を瞑っても寝ることが出来ない。 「……はぁ」 一匹のエネコロロの寝息と、時計の秒針が一秒一秒を刻む音が響く部屋の中で、ため息をついた。 ◇ 暗幕を垂らした窓のその微かな隙間から零れてきた朝日が、アセシアの閉じられた瞼の上に丁度掛かる。その微かな光で彼女は瞼をそっと開いた。 二、三回ほど瞬きを繰り返し、やがて彼女はベッドの上で首をもたげる。隣にいるルフに目を向けるものの彼はまだ寝ているらしく、彼の被っている毛布がゆっくりと上下を繰り返しているのを見て、彼女は起こそうと彼に前足を伸ばした。しかしそれは途中で止まり、前足はまた元の位置に引っ込められてしまう。何か思うところがあったのか、アセシアはそのままベッドをそっと足音も立てずに降りると、一旦ルフの顔を見て起きていないかを確認する。その表情はとても穏やかで、起きている時のあの険しい表情の面影は、そこにはない。 (昨日の話に付き合って貰ったのは私だから……もう少し寝かせてても問題ないわよね……) 起きていないことを確認した彼女は、まず床に置いていた小さなバックを背中に背負い込んだ。次にベルトがついたポシェットを左前足に器用に備え付ける。そして準備万端とでも言うかのように、等身大の鏡の前で彼女は小さく頷く。 踵を返して部屋の出入り口に向かい、内鍵を外してドアを横に滑らせて静かに部屋を後にしてしまったアセシアに、寝ているルフは気付く由もなかった。 「おはようございます。良く眠れたでしょうか?」 アセシアが階段を下りていくと、一階の受付のカウンターに佇んでいるジュカインが一礼をして迎える。その言葉の"良く眠れたでしょうか"という言葉が妙に皮肉のように聞こえてしまったのか、彼女は少しばかり不快に思ったのか眉をひそめると、失言に気付いたジュカインは営業スマイルを強張らせた。 「ええ。一応ね。……あと私は先に出るけど、連れのアブソルがまだ部屋にいるから、彼が起きたら伝言をお願いできる?」 何もお咎めがないアセシアのその返答にジュカインはほっと胸を撫で下ろすと、伝言をアセシアから聞き始める。耳打ちでその伝言内容を伝えた後、アセシアは宿屋を後にした。 ――アセシアが宿を出ると、静寂に包まれた朝の港町の姿がそこにはあった。昨日まで港の広報看板に群がっていたポケモンたちの群集はどこへやら。そんな風に思わせるほど、しんとしたミナミムの街の中を彼女は歩いていく。 朝霧に包まれている街は幻想的にも思えるが、見える住民の少なさが逆に不気味ささえも感じさせていた。&ruby(シフティファング){狡猾なる牙};がミナミムとキタムの間で暴動を起こしてから既におよそ一日は経っているものの、現状が変わる兆しは見えていないのか、港に貼られた船舶運航停止の張り紙は未だ残ったままになっている。 この様子だとレジスタに着くにはやはりあの運び屋の二人しか頼れるものはない。アセシアはそう思った。 しかしリュミエスに早く飛べるようになれと言うわけにもいかない。厳しい方法で飛ぶことを覚えさせたところで、それはあくまで一時的なものに過ぎない。飛ぶということを楽しいことと思いこませた方が、飛ぶことを長く続けられるだろうし、苦痛にもならなくて済む。 彼女の考えはリュミエスをミーディア大陸に渡るための手段として利用するわけではなく、あくまでリュミエスを飛べるようにすることだけに向けられていた。手段として利用する方法でミーディア大陸に渡ったとしても、あまりいい気はしない。 アセシアがそう考えるのも、最低でも信頼関係を持って事を進めたいと思っているからだった。どうしてそう思うのか、どうしてそう考えるのかは、彼女自身分かっていた。 (父と同じ過ちなんて……犯したくはないから) アセシアは寂しげな街の様子を見まわしてから、やがて街の出口へと足を運んでいくのだった。 ◇ 潮のかおりが鼻を掠める。日の明かりも目に掛かったような気がして、瞼をゆっくりと開けた。 開けられた窓から入ってくる風で、カーテンが靡いているのが目に入る。時折カーテンから漏れる日の光が目に射してきて、その度に目を細めた。段々と一々目を細めるのも鬱陶しくなってきて、ベッドから起き上がると日の当たらない場所へと降り立った。 「アセシア……?」 ふと彼女がベッドにいないことに気づく。先に下の階にでも行ったのかと思って荷物を見てみるが、アセシアの荷物だけすっかり消えてしまっている。妙な不安が頭の中を過ぎった。 アセシアはあのキュウコンに追われていた。そうすると今アセシアがいない状況というのを考えれば、ある一つの不安しか浮かび上がらない。自分が寝ている隙に&ruby(さら){攫};われたんじゃないだろうかと。 心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。息も段々と上がってきていて、不安が重くのしかかってくる。落ち着け、落ち着け、と頭の中で念じたところでなかなかその動悸は治まってはくれない。自分がいたところで助けられなかったかもしれないが、自分が寝ていたところを攫われたのだとしたら、それは明らかに自分の所為だ。 ……いや、ただ単に下の階に先に荷物を持って降りていっただけかもしれない。そう思って段々と自分を落ち着けて、呼吸も穏やかにはなってくるのものの、依然として不安を拭い去ることは出来なかった。 とりあえず部屋を後にしないとどうにもならない。どうせならチェックアウトも済ませてしまおう。そう思って自分の荷物を確かめる。こちらは特に何ともないようで、中身も盗まれたような跡はない。アセシアの事も、何ともないといいのだが……。 バッグを背負い、扉をスライドさせて部屋を後にする。そうして二階の廊下を歩いていってやがて階段に差し掛かる。そこで少々降り辛いものの、前傾の姿勢で階段を下りていく。思えばミナミムに来る途中の『旅人の樹』の宿はその点良く考えられていたような気がする。今降りている階段のように直線状になっていて段数が少なくされているものよりも、あの宿のように多少半円状になっていて、一段一段の高さが低い方が四足のポケモンにとっても助かる。 きつい段差に四苦八苦しながらも一階に降りると、そこには数人のポケモンが朝食の木の実を取っていた。元々安い宿を取ったのだから、料理人がついているわけもなく。その朝食をとっているポケモンの中にエネコロロの姿を探したが、そこにはいなかった。だとすると本当に……。 「あ……。アブソルのお客様、お連れの方から言付を授かっております」 ふと聞こえてきた受付にいるジュカインの声。どうやら自分が降りてくるのを待っていたようで、すぐにこちらへと足を速めて近づいてくる。だが、その彼の大きな尻尾が少々厄介に感じているらしい。配置されているテーブルに尻尾をひっかけない様に注意しながらこちらに来るのを見て、思わず自分から近づいた方がいいんじゃないかと思ったほどだ。 やがてジュカインはこちらに来ると、屈んでから耳打ちをしてくる。 「連れの方は『先に竜の運び屋へと行っている。起きたらなるべく早く来るように』とのことを仰っていました」 「……分かった。ありがとう」 ジュカインは言付を伝えたのち、再びカウンターの方へと戻っていく。一方で、こちらはため息をつくしかなかった。 なにが『起きたらなるべく来るように』なんだ。心配した俺が馬鹿みたいな感じになって、今この少ししかいないポケモン達の中にいても恥ずかしい。勿論、周りはこちらの事情なんて知る由もないから関係はないが、部屋で一人慌てふためいていた自分自身の姿を思い出して、顔から火が出そうな思いだった。 とりあえず、アセシアが先に竜の運び屋に行っているのならここに長居する必要はない。テーブルの間を歩いていって、ジュカインに一言だけ「世話になった」というと、そのままこの宿から出ようとした。だが、それはジュカインの不意の呼び止めで止められた。 「あ、ちょっと待っててください」 呼び止められてその場に立ち止まったものの、カウンターが丁度視界の壁になっていて、ジュカインが奥の方で何をしているのかは見えない。やがて出てきたジュカインが手に持っていたのは少々小ぶりのオボンの実だった。 「朝食サービスです。その竜の運び屋にいく道中にでもお食べ下さい」 「はは……ありがとう」 ジュカインから手渡された木の実を、潰れてしまわない様に軽く咥えると、それを背中のバッグに……入れようとしたが一々地面に降ろすのも面倒だと感じた。そしてそのまま咥え込んだままで俺はその宿屋を後にした。バランスは悪いが、一応歩きながらでも前足を支えにして食べようと思えば食べられるだろう。 ◇ 空は明るさを増し、やわらかく感じていた日差しも段々と強くなってきている、朝の海岸線のとある小屋。 夜行性のポケモン以外はもうそろそろ起きて良い頃合いの時間帯に、アセシアはリュミエスとヒースの暮らす運び屋の場所まで再びやってきていた。背の低い草の上を、小気味良い音を立てながらアセシアはその小屋に段々と近づいていく。見えてくるのは近くに置いてあるウッドチェアやラウンドテーブル、そしてそのすぐ近くに更に大きめの背のついた椅子に深く腰掛けてうたた寝しているカイリュー、つまるところヒースの姿があった。 そんな姿にアセシアは呆れたようにため息をもらす。それは朝だというのにまだ寝ているという事に対してでも、彼の掻く&ruby(いびき){鼾};がけたたましいという事に対してでもない。屋根の下で寝る場所すらない状況でもないのに、外で寝ている状態であるヒースの姿を見て少しばかり失望した、といったところ。 ふと、ヒースを起こそうかと彼女は思ったものの、無理に起こすのも忍びないと、彼の前を通り過ぎて小屋へと足を進めていく。 細い木を切りだした丸太のまま積み上げて、細かな凹凸で組み立てられた簡素な小屋。そこまでの器用さはなかったのか扉は無く、外から中が見えない様にと内側から大きな布がぶら下がっていた。それを分けて中に入ると、アセシアの表情が固まる。 「き、汚いわね……」 彼女の口から洩れた言葉はこの小屋の様相を端的に表していた。 積み重なった洋紙の数々。乱雑に積み上げられたそれは床に散りばめたように広がっていて、足の踏み場もないほどだった。試しにアセシアは床に落ちている一枚の洋紙を拾って手に取ってみる。多少の砂埃を振り払って見てみたそれには、配達物と配達先の場所や地図が詳細に書かれていた。 (そういえば……今は休業してるって言ってたわよね) それはリュミエスの飛行の練習に付き合わなければならないため。ここに落ちている書類は多分休業前に請け負っていた運び物のリストらしい。 しかし本業を休んで生活はどうしていくのかとアセシアは首を傾げたものの、王政が作ったある制度のことを思い出す。養子を預かった里親はその養子が成人するまで、最低限の暮らしが出来る金額が支援されるというもの。きっとそれを利用しているのだろう。そうアセシアは思った。 (って、今はそんなことはどうでもいいのよ) アセシアは手に持った洋紙を積み上げられた紙の山に適当に置いておくと、リュミエスが寝ているであろうベッドを探す。足の踏み場はないものの、いちいち床に転がっている洋紙を避けて通るのも面倒だと思った彼女は、もう気にしないと言わんばかりにその上を踏み歩いていく。奥に進むたびに宙を舞っている埃の量も多くなっていくが、それを一々気にしているのも煩わしくなったらしい。 ふと彼女の視界に入ったのは、上下する毛布のようなもの。どうやらこの中にリュミエスは包まっているようで、盛り上がっている大きさもリュミエスと同じくらいだった。アセシアはその端っこを掴んで、軽く引っ張ってみる。ずるずると音を立ててリュミエスの顔からだんだんと露わになっていく。しかし。 「寒い……」 リュミエスは彼女が引っ張った分の毛布を再び手繰り寄せて元の位置にわざわざ戻していたのだ。ドラゴンタイプは寒さに弱いというが、これではただの朝寝坊。アセシアは負けじと再び引っ張った。しかし今度はリュミエスも毛布を握って離さないらしく、そして子供とはいえ体格の大きいカイリューのためなかなかに手ごたえがあって毛布を引くことが出来ない。 呆れた表情を浮かべながらアセシアは、器用とはいえ掴みにくい前足ではなく、毛布の端をそっと咥えてそして思いっきり引っ張った。先ほどとは違う大きな力で引っ張られたためか、リュミエスも油断していて力を入れていなかったのか、毛布はあっさりとアセシアの足元に手繰り寄せられた。リュミエスは足以外毛布が掛かっていない状態になって軽く体を震わせた。 「もう、いつまで寝てるの。お寝坊さん」 「あ……アセシアさん……」 目を擦りながらそう呟くようなぼそぼそとした声でリュミエスは言う。どうやらいままでヒースが起こしてきているのだと思っていたようで、まだ寝ぼけ眼のまま目をぱちくりさせて彼はアセシアを見ていた。 「ほら、起きなさい。朝早くから練習するんじゃないの?」 アセシアはそう言って小屋の出口の方へと歩いていく。昨日練習を終えるときに朝早くから練習したいと頼み込んできたのはリュミエスの方だった。だからこそ一度起こせばきっちりと起きるはず。そう彼女は思ったのだろう。案の定リュミエスはアセシアの後をついていくように小屋の外へと歩き出していた。 「おー。起きたか」 椅子でうたた寝をしていたヒースはいつの間にか起きていた。どうやら私が小屋に入ったときにはすでに起きていたようで、ラウンドテーブルの上には木の実のたくさん積まれたバケットが置かれていた。 「朝食食べんと練習もできんだろう。アセシアさんも食べていきな」 ヒースにそう促されてアセシアもリュミエスと共に食卓に着く。彼女は椅子には座れない為立ったままだが、いつもそうしているので問題はないらしい。テーブルの脚がそれほど高くないこともあって、アセシアでもバケットに入れてある木の実に手は届く。これが彼らのいつも通りの朝食らしく、バケットに入った木の実をもう手に取って食べ始めている。彼女もまたバケットの中にあるモモンのみを手に取ってそれを食べ始めた。 (誰かと食卓に着くの……何年振りだろう……) 彼女は木の実を食べつつ、リュミエスとヒースの食べながら会話をしている姿を見てそう思っていた。 ――緩やかな傾斜に生えた草が風に揺れる。リュミエスの翼の羽ばたきで生まれた風で動いたもの。 アセシアとリュミエスは朝食を終えて練習するための昨日の丘に来ていた。 何度も羽ばたいては止まり、アセシアがそれに対して口で何かしらアドバイスを言う。それが何度も続いていた。 「もうちょっと風を後ろに流す感じに」 「そんなことしたら風が真下に流れなくなって飛べないよ……」 「それでいいの。鳥ポケモンの飛び方とは違うんだから」 リュミエスの反論にも淡々と返していくアセシア。先ほどから同じように羽の動きを確かめるような練習ばかりで、リュミエスは内心飽きてきていた。飛びたいと思う気持ちこそあれど、さすがに同じ練習をさせられては集中力もきっと持たないのだろう。 それを段々と感じてきていたアセシアは、ふいにリュミエスの動かす羽を前足で差し止めた。彼は首を傾げて羽の動きを止めた。 「……? どうしたんですか?」 「何だか飛ぶ練習に入らない事に不満そうな顔してるから、一応今してる練習のことを話しておこうと思って。少し休憩にしましょ」 その言葉に、リュミエスは興味津々、といった感じで首を縦に振った。目はだるそうにしていた先ほどよりも煌めいている。 アセシアは興味を持ち始めた彼に少々気おされたものの、すぐに座る態勢にして話出した。 「カイリューは翼の大きい鳥ポケモンとは違って、ちょっとだけ特殊な方法で飛ぶの。だから翼はあくまでも風を受けるための補助のようなもの」 彼女の言葉にリュミエスは首を傾げる。こんなことを話してもきっとすぐには理解できないだろうと思っていたアセシアにとっては予想通りの反応だった。 でも分からないだろうで話さないのは意味がない。いずれ話して分かるようにしないといけないだろうし、ある程度分かっていた方が飛ぶことが出来るかもしれないという小さな憶測の上で、再び話し出す。 「鳥ポケモンは翼で。カイリューは思念……そうね。例えば飛びたいと強く願う気持ちで飛ぶの」 その言葉にリュミエスは少々疑いを持った目で彼女の方を見る。そんなおとぎ話みたいなことなら、僕はもうとっくに飛べてるじゃないか、という抗議のような眼差しも含まれていることも、アセシアには容易に想像できた。ただ一つだけ、彼女は彼女自身その言葉を話しているうちに疑問が浮かぶ。 本来ならもうハクリューの時には飛べていてもおかしくはないはず。飛びたいと思う気持ちが無くても、ハクリューに進化した時点で本能的に飛びたいと。あるいはミニリュウの時に親が飛んでいる姿に憧れて、その気持ちがハクリューになって強くなり飛べる、という一説もあった。 (憧れる……?) リュミエスは親が飛んでいる姿に憧れたことがあるのだろうか。それもミニリュウの時に。ヒースはリュミエスを養子として預かったと言っていた。もしリュミエスが親に捨てられてしまった、もしくは親とはぐれてしまったのがミニリュウの時であるのなら、それはそれで一つの辻褄は合う。アセシアはそう思った。 彼にとっては辛いと分かったうえで、あえて聞いてみる。多分本人は答えづらいだろう事を。 「ねえ、あなたがヒースの元に来たのって、ミニリュウの時?」 「ううん。ハクリューの時」 リュミエスの表情が少し曇る。やっぱり思い出したくはない事なんだろうと。アセシアはそこで問うのを止めた。 しかし意外にもリュミエスはそのまま口を動かし続けていた。 「ハクリューになったときも飛べなくて。僕はそれが普通って思ってたんだけど、カイリューになってみても全然飛べなくて……」 「そう……」 リュミエスの言葉はそこで詰まった。というのもそれしか話すことがないからだろうと思ってアセシアは相槌を打つ。妙に暗くなってしまった雰囲気。なぜ飛べないのかを明るみに出そうとしたつもりが、逆にリュミエスの心を曇らせてしまったような気がして、彼女はリュミエスから周りの景色に目をそらした。 暗くなったままでも仕方ないと、アセシアは再び立ち上がってリュミエスの方を向いた。 「さてと……練習再開しましょうか」 「え? 今のが休憩時間?」 「ええ、そうよ」 リュミエスはその言葉を聞いて「えー」という疲れたような表情を浮かべる。その表情に、先ほどのような曇りはなかった。一応、リュミエスの中では過去の事についてある程度の踏ん切りはついていたみたいだった。それは恐らく、ヒースが親身になってリュミエスのことを育てていたのだろうと、そう思ってアセシアは少しだけ笑みを浮かべた。 リュミエスを飛べなくさせているのは過去のトラウマじゃない。あとは気持ちだけなんだということが分かると、恐らく飛べるまではそんなに時間はかからない。 そう考えて再び練習をしようと彼に近づいた途端、何かが彼女の視界の隅を横切った。黄色いなにかが。 「久しぶりだねぇ。で、どうだい? ついてきてくれる気にはなったかい?」 青々と茂った草原には不釣り合いなほどの金毛の尻尾を揺らめかせて笑う一匹のキュウコン。その隣には、棘のある手のひらに揺らめいた蒼炎を浮かばせながら佇む隻眼のルカリオの姿があった。 ---- CENTER:[[BACK>Fragment-4-]] <<< [[INDEX>Fragment]] >>> [[NEXT>Fragment-6-]] ---- #pcomment(below) IP:123.225.68.3 TIME:"2013-04-02 (火) 01:41:59" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?guid=ON" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64) AppleWebKit/537.22 (KHTML, like Gecko) Iron/25.0.1400.0 Chrome/25.0.1400.0 Safari/537.22"