ポケモン小説wiki
FOX-SideB の変更点


CENTER:作者:[[十条]]

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メインキャラ
&ruby(ヒョウ){雹};…グレイシア♂
ローア…スイクン

サブキャラ
ギャリス…ガブリアス♂
ミスター…スターミー
ペタナ…ジュペッタ♀
ライト…ルナトーン
ヤカリ…デンリュウ♂

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''~Prologue~''

 歩いて、歩いて、歩いて、歩いて――
 ただ噂だけを頼って、縋るものを失くした僕は、山道を歩く。
 食料を求める術も知らず、水を探す野生の勘もなく。
 枯れ落ちる前に、朽ち果てる前に、辿り着かなければ。
 この花をもう一度咲かせるために――

**FOX-SideB [#bdd09582]

 人里遠く離れた山奥にありながら、良い水と土に恵まれ、食物は豊かで。
 噂に聞いたポケモン達の桃源郷が、たしかにそこにあった。
「あら、&ruby(ヒョウ){雹};。もうここの暮らしには慣れたかしら?」
 夏の午後の暑い日差しを避け、僕は村はずれにある大きな木の木陰で涼んでいた。夏は盛りを過ぎ、山の上なのでもともと地上ほど気温は高くないのだけれど、それでも氷タイプの体には堪えるものがある。
「ローアさん……ええ、ここは僕たちポケモンにとって過ごしやすい場所ですから」
 そこに現れた僕よりひと回りもふた回りも大きな体。北風の生まれ変わりとも言われ、水を浄化する能力を持つという伝説のポケモン、スイクンだ。こんな場所にいるのが場違いなくらいの美貌はいつ見ても飽きない。シルクを思わせる二本の尾が自身の起こした空気の流れによっていつも体の横で波を打っている。まさにオーロラの名を冠されるに相応しいと思う。
「今日もお美しいですね」
「そんなことないわよ。貴方には負けるわ。村のみんなも雹のことを綺麗だって言うじゃない」
「僕が新参者だからですよ。ローアさんの美しさはみんな見慣れてしまっていますから」
 どうしてか僕が彼女の美しさを褒めても喜んでくれない。謙遜しているだけなのかと思ったけれど、彼女はどうも本当に自信がないみたいで。
「そうかしらね。そういう事にしておきましょうか」
 最終的にはローアさんの方が折れるのだけれど、もしかしたら何か事情があるのかもしれない。
 ローアさんは僕の隣に腰を下ろした。陽だまりの中、グレイシアとスイクンが並ぶ姿なんていうのはそうそう見られるものではないだろう。
「まだ辛い?」
「いいえ……というと嘘になりますが。先に申し上げた通り、過ごしやすい場所ですし……それに、僕だけではないでしょう?」
 ここのポケモンたちはみんな、それぞれに暗い過去を抱えている。中にはたまたま通りがかって住み着いたポケモンや、ローアさんのように村を守るためにここにいるポケモンもいるが、多くは人間が原因で大きな傷を抱えてしまった者たちだ。
 この村を目指すということは、つまりそういうこと。
「みんなを癒すことも私の役目だから、甘えてくれてもいいのよ?」
 この妙齢の美女を、僕はそういう対象として見ていない。すごくキャパシティが大きそうだけれど、本当はみんなの悩みを一匹で抱えきれるほど無限大の器を持っているわけではないのだ。伝説のポケモンだって一匹のポケモンには違いないのだから。
「僕はもう大人ですから」
 だから対等でありたいと思っている。彼女だけではない。村のみんなは僕を助けてくれるけれど、そのうち返していかなきゃって。
「そういうところは妙にプライドが高いのね」
「ただでさえ忙しいローアさんにこれ以上負担を掛けるわけにもいきませんから。僕の傷なんてあとは日にち薬なのでは?」
「ま、いいわ。あまり気を揉まないことね。それと私だけじゃなくて、みんなの好意は素直に受けるものよ?」
 ローアさんはゆっくりと体を起こすと、それだけを言い残して村の方へと駆けて行った。あんな大きな体でとても身軽そうには見えないのに、木々の合間を縫うように、時に木を足がかりにして。
「……見透かされてる」
 対等でありたいなんて思うのは、ただ背伸びしているだけなんだろうか。
 ――僕はやっぱり、この女性が苦手だ。

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 僕は何かに運ばれていた。
 何か、ではない。誰か。
 誰かに抱えられている。
 眠くて目を開けることもできず、何が起こっているのかわからないけれど。
 とても速い。それなのに安心できて。こんな風に暖かい胸に抱かれたのはいつ以来だろうかと、主人の姿を思い出していた――


 目を覚ましたとき、僕はたくさんのポケモンに囲まれていた。
「久しぶりの新入りだぜ」
「グレイシアか。綺麗な毛並みだなぁ」
「男の子? 女の子?」
「んーと……ついてるみたい」
「なんだ男かよー」
 何をやっているんだ?
 体を触られるのが嫌いというわけではないが、さすがにベタベタ触られると心地良いものではない。
「う……」
「おお。起きたぜ」
 ガブリアス。
「よう」
 スターミー。
「はっじめましてー」
 やけに陽気なルナトーン。
「やあ。イシシシ」
 ジュペッタの女の子。
「女だったら良かったのにー」
 わけのわからないことを言っているデンリュウ。
 どうやら僕は、噂の村を目指している途中で倒れてここに運ばれたらしかった。
「ここは……?」
「なんだ、知らないで来たのかよ。ここは俺たちポケモンだけが暮らす村だ。人間はいないし、辿りつけない」
 ああ、ここが目的地なのか。しかしこのガブリアスの物言いは変だ。この中の誰かが、僕をここに連れてきたんじゃないのか?
「いいえ……それではここが、噂に聞くポケモンの村なのですね」
「おうよ。コイツが『見かけないポケモンが倒れてる』って知らせに来てな、みんな集まったってわけよ」
「アタシ命の恩人? イシシシシシシ」
「ええと……ジュペッタさん? ありがとうございます」
「ペタナ」
「ペタナさんですか。雹と申します……あの、僕を運んで来てくださったのも貴女ですか?」
「知らない。キミ、最初からここに倒れてた」
 最初から?
 ということは、僕を運んでくれた誰かが、ここに僕を置いていったということになる。どうして直接誰かに知らせなかったんだろう。
「とにかくミスター。水をあげないとこいつ、死んじまうぞ」
 言われてみれば。長いこと水も食べ物も口にしていない気がする。空腹感はもうわからないけれど、喉がカラカラだ。
「ほい。ちゃんとした川の水だからな。オレの水鉄砲で出した水じゃないからな」
 ミスター、と呼ばれたスターミーが、水の入った木製の器をサイコキネシスで僕の前に置いてくれた。
 僕は皆の目も忘れ、口をつけてその水を一気に飲み干した。
「っく、は……ぷはぁっ。生き返りました……!」
「やったね! 良かった!」
 僕の様子を見て、ルナトーンが謎の回転をしながら喜んだ。ガブリアスはうんうんと頷き、ペタナはイシシシと笑い、デンリュウは相変わらず僕には興味なさそうにそっぽを向いていた。
 そしてガブリアスはギャリスと、ルナトーンはライトと、デンリュウはヤカリと名乗った。
 事情は聞かれなかったが、お前も人間に捨てられたクチだろ、と――僕をこの村に受け入れてくれるらしかった。
「みんな集まって……何かあったの?」
 と。
「ローアさんだ」
「ローア、村の守り神」
 風を纏い、優雅な足取りで歩いてくるそのポケモンは、見たこともない種族だった。なんて雄々しい、そして美しく、どこか壊れそうな憂愁を漂わせる姿に、僕は言葉を失っていた。
「グレイシアね……誰かに運ばれてここへ来たの?」
「え、ええ……雹といいます。僕を運んでくれたのはもしかして……」
「誰なのかしら? あなたたちではないのでしょう?」
 このポケモンでもないのか。まあ、こんな大きなポケモンではなかったと思うけれど。
「あの……」
「はい」
「失礼ですが、僕は貴女のようなポケモンを見たことがないものでして。何という種族なのですか?」
「あらごめんなさい。自己紹介が遅れたわね。私はスイクンのローア。北風の生まれ変わりと呼ばれるオーロラポケモンよ」
 すごい。自己紹介までかっこいい。大仰な肩書きも全然嫌みになっていなくて、むしろ彼女の魅力を膨らませていた。
 これが彼女との――ローアさんとの出会いだった。

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 スターミーのミスターが、僕の家を探してくれた。ここのポケモンたちは樹上や木の洞、洞窟などを&ruby(ねぐら){塒};にしているという。僕は暑いのが苦手なので、涼しい洞窟を選んだ。
 人間と一緒にいた頃は冷房の利いた部屋でいつでも涼むことができたけれど。
 そんなのは自然じゃないから。
 僕はもう野生のポケモンなんだ。
「ここなんかどう? 東向きだから涼しいと思うぜ」
「いいですね。ここに決めようかな」
「決まりだ。ところでお前、生まれた時から人間と一緒にいたのか?」
「ええ……ミスターさんは?」
「ミスターさんってのは変だからヤメロ。ミスターでいい」
「え、でも……」
「あだ名なんだよ。人間の付けた名前が気に入らなかったからさ」
「はあ……本名はなんと?」
「言えってのかよう」
「いえ、無理にとは申しませんが」
「わかった。お前のことを先に聞こう。それからオレも話してやる」
 うまく会話のペースに乗せられている気がするが、初めての場所なのだから仕方ない。僕の方はこの村のことを何も知らないのだから。
「僕は……タマゴから孵化した時から、マスター――いえ、一人のポケモントレーナーと旅をしていました。ずっと長い間、苦楽を共にしてきたのですが……そのトレーナーは次第に強さを追い求めるようになり、僕は預かり所に」
「よくある話だな」
「そしてある日突然、預かり所から放り出されたんです。マスターの最後の言葉は……
 ――あ。ミスった……まぁ、いっか。もう使うことねえしな。
 主人のそんな声が聞こえたのだった。
「そうか。だがよ、お前はまだマシだぜ。オレなんか釣り上げられて即預かり所暮らし。しばらくして出してもらったと思ったら水の石を押し付けられ、進化した瞬間にポイだ」
 それは何とも筆舌に尽くしがたい。大方その人間はポケモン図鑑でも作っていたのだろう。
「まあそういうわけだからよ。仲良くしようぜ、雹」
 ミスターが右腕(?)を差し出してきたので、僕も頭の飾り毛で握手(?)に応じた。
「必要なもんがあったら仲間に遠慮なく言えや。まあ、人間の道具なんかはないけどね」
 そう言い残してミスターは去った。
 今のところ皆好意的なようで、僕に敵意を向ける者はいなかった。名を何と言ったか、無関心なデンリュウの男はいたけれど、敵意を持っているふうではなかったし。
「あ」
 ミスターさんの本名、結局聞きそびれたじゃないか。
 いいや。これからは長いんだし、追い追い聞いていくことにしよう。

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 最初に出会った五匹の他にもたくさんのポケモンがいたが、縁もあってか親交を深めるに至ったのは今のところその五匹だけだった。
「いい? まずは自分の体質を理解することよ。体質に合わない木の実はね、他のポケモンが大丈夫でも貴方はひどく酔ってしまったりすることもあるから」
 中でもスイクンのローアさんは積極的に僕と接してくれて、今では僕が最も気を許せる友人となっていた。
「はい、気をつけます」
 村の畑には様々な種類の木の実が植えられていて、ルールを守れば皆そこから自由に収穫して食べても良いのだという。畑では本の苗に二個以上の実が成ることがほとんどで、うち一つをもう一度植えておくことがそのルールだ。
「一度試してみる?」
「……はい?」
「大丈夫よ。このキーの実があればすぐに酔いは覚めるから」
 と、ローアさんは近くに生えていたキーの実をもいで咥えてみせる。
「それは他の方もやったのですか?」
「こういうやり方は貴方が初めてね」
「う……」
 ローアさん、遊んでいませんか? 
「一匹で倒れたりしたら大変よ? 先に知っておくほうがこの先、木の実を選びやすいでしょう」
 ローアさんは五種類の木の実をそれぞれ一個ずつ収穫していく。
 芯だけが残ったような形の実。
 トゲトゲした青くてまずそうな実。
 つるんとした勾玉のようなピンク色の実。
 とてつもなく固そうな緑色の実。
 大きくてとてもジューシーそうな黄色い実。
「私の家で一緒に昼食にしましょうか」
「良いのですか?」
 これでも僕は男で、ローアさんは女……だと思うのだけれど。
「何か問題でもあるのかしら?」
「いえ……僕の方にはお断りする理由もありませんが」
「おかしな子ね」
 ふふっ、と笑う姿もまた品があって優雅で。だから余計に気になる。伝説のポケモンに会うのはローアさんが初めてだけど、知識として聞いたことがあった。
 伝説のポケモンって確か、スターミーやなんかと同じで性別がなかったんじゃ。
「あの、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「何?」
「ローアさんって、女性の方ですよね?」
 場の空気が凍る。
 しばしの沈黙。
「……私は雹の目から見て、男に見えるのかしら?」
「そういうわけではなくて……スイクンにはそういった区別があるものなのかって」
「ああ」
 そういうことね、とローアさんは首肯した。
「人間には私達ポケモンの言葉がわからないからよ。スイクンなんて二匹と出会うことがないものだから、比べることもできないわ。コイルやメタモンは雌雄同体だけれど、少なくとも私はれっきとした女よ」
「そういうことだったのですね。非礼をお許しください」
 ローアさんの物言いに少し釈然としないものを感じたけれど、この時は違和感の正体にまったく気がつくこともなかった。
「気にしないで。人間と一緒にいたポケモンにはよく言われることだから」
 僕は結局、まだトレーナーに所持されていたポケモンであるという事実から抜けきっていないんだ。
 人間と過ごした時間のほうが何倍も長いのだから仕方ないとはいえ、こうなった以上は覚悟を決めて野生として生きていかなければならないのに。
「どうしたの?」
 かといって人間という言葉にいちいち反応していてはそれこそ脱却できないというもの。
「いえ……何でもありません。ローアさんのお家に案内していただけますか」
「ええ。ついてきて」
 
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 ローアさんの家は僕の住む洞窟から程近い森の中の大きな洞だった。
 大きな、とはいえスイクンの体の大きさを考えると窮屈そうだ。
「想像と違ってて幻滅した?」
「幻滅するなんてことはありませんけれど……もう少し広い場所はなかったのですか? ローアさんはこの村の守り神なのでしょう?」
「私が使うくらいなら他のポケモンに譲るわ。私より体の大きなポケモンだっているのだから」
 しかし僕とローアさんの二匹が入るにはかなり無理のある広さだ。
 日は高く、照りつける太陽が僕にはとかく暑い。反面冬はバカンスだけれど、最初の冬が来るのはまだまだ先で。
「暑いのでしょう? 私はいいから、洞に入りなさい」
 ローアさんは炎天下でも走り回っているし、やせ我慢でもなく暑さには強いみたいだ。北風の生まれ変わりだとかオーロラポケモンというからには氷タイプに近いような体質なのかと思っていたけれどさすがは伝説のポケモンといったところだろうか。
「ありがとうございます」
 断っても強引に勧められるのがわかっていたので、素直にお言葉に甘えることにした。
「少しは聞き分けが良くなったのね」
 子供扱いされて少し反感を覚えたが、図星を指されて言い返すことはできなかった。
「さ、一口ずつ齧ってみるといいわ。まずこれがフィラの実。ふつうは採ってきた五種類の中の一つに苦手な実があるものだけれど、どれを食べても大丈夫なポケモンも」
「ぎゃああああああああああああああああああ」
 何これ!? 辛っ!!!!
 いや、辛いだけじゃなくて、こ、れ、は。
「ら、らめ、ほのひのみふぃはぁあ」
 なんだか頭がボーッとしてきた。
 足元が覚束ない。
 ああ、これがローアさんの言ってた『酔いが回る』ってやつか――
「ローアひゃん、たふへひぇ……」
 フラフラになった僕は、体を支えることができず、ローアさんにもたれかかるようにして倒れこんでしまう。
「っと……!」
 このままだとローアさんにぶつかると思ったその時。
「ふえ?」
 ローアさんが跳び退いて僕を避けたのだ。
 別に支えてくれることを期待したわけではないのだけれど、
 ちょっと、
 それはないんじゃないですか、

 ローアさん。

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「まさか一つ目で当たるなんて。そうじゃないかとは思っていたんだけど、フィラの実はダメみたいね」
「そう思いながら最初にフィラの実を食べさせたんですか貴女は……」
 キーの実を食べると視界がぐるぐる回っていたのがまるで嘘だったみたいに、ものの数分で症状は引いてしまった。
 ローアさんいわく、一口齧る程度なら軽症で済むのだそうだ。
「でもどうしてわかったのですか?」
「貴方の性格よ。雹みたいに穏やかな子は、フィラが苦手な子が多いわ。雹が好きそうなのはこれね」
 ローアさんが前足でこっちに転がしてきたのは青いトゲトゲの、五種類の中では一番まずそうな実だった。
「毒々しい色ですね……」
「騙されたと思って食べてみなさい? 大丈夫よ、フィラが苦手だってことは、その実で酔いが回ることはないから」
 恐る恐る、一口齧ってみる。
 想像通りトゲトゲした食感……だけどそれが気にならないくらい、なんとも言えない旨味が口内に広がった。
「渋くてダメだって子もいるのだけど、どう?」
「渋味ですか? 別段渋いとは感じませんけれど……」
「良かったわ。ウイの実はとても美味しいのだけれど、渋みが強くて普通のポケモンは食べられないのよ。人間は渋抜きをして食べるみたいだけれど……貴方は耐性があるのね」
 渋味というのは苦いでも辛いでもなくて、口に入れると舌がザラザラして麻痺してしまうような、そんな感覚なのだという。
 僕はそれに耐性があって、どれだけ渋味の強い食べ物を口にしても大丈夫なようだ。
「ローアさんにも苦手な木の実があるんですか?」
「貴方と同じよ。残念ね。違っていたらうまく分けられたのだけれど」
「残念ですか? 僕は少し嬉しいと感じましたが」
「ふふ。似たもの同士ではないわよ。私が好きなのはこのイアの実だもの」
 黄色い大きな実を前足で押さえてかぶりつくローアさん。野性的な食べ方なのに、やっぱりそこはかとなく上品さを感じさせる。
「貴方には酸っぱくて駄目かもしれないけれど、少し食べてみる?」
 それって間接キス……。
「あら。何か変なこと考えてる?」
「いいえ。ともかく、僕は遠慮しておきます。酸味は苦手ではないのですが、酸味だけというのはどうにも理解できません」
「それは私への挑戦状になるわよ?」
「僕も戦いは嫌いではありませんからね」
「そういう強気なところ、好きよ」
 それから僕達は、酸味の存在意義について議論をすることになった。
 酸味はあまり自己主張をするべきではないという僕の意見と、酸味はそれだけで刺激的な美味であるというローアさん。
 今思い返せばほんとうにくだらない議論だったけれど、この時は二匹とも真剣だった。
 散々議論した挙句に二匹とも疲れてしまい、自分たちは何を意地になっていたのだろう、と笑い合った。
 僕はそんな何でもない時間を、彼女と過ごせたことを嬉しく思ったのだった。

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 噂が立ちはじめたのは、それから間もない頃。
 ローアが新入りのグレイシアにご執心らしい。
 ――僕に?
「お前ローアに何したんだ?」
「僕は何もしていませんけど……ただ、いろいろと教えていただいているだけで」
 僕は木の実畑の近くにある広場でミスター、ペタナと夕涼みをしていた。そこで僕とローアさんのことが村で噂になっていると聞くことになったのだ。
「ローアってそんな積極的に村のみんなと関わるポケモンじゃないんだけどさ。オレなんてここに住んで長いけど、二匹で話したことなんて一度か二度くらいだぜ」
「それは……縁というものではないでしょうか。ギャリスさんも皆から慕われていらっしゃるみたいですが、その彼と一番仲が良いのはミスターだと聞き及びました。そういった意味で、羨まれるのは貴方も同じですよ」
「イシシシ。お似合い」
「お似合いってオレとギャリスのアニキが?」
「ローアと雹も」
「なんだ……って、&ruby(・){も};ってことはオレ達も入ってるのかよ」
「男同士の友情というのもまた熱いものですよね」
「オレは男でも女でもないぞ」
「これは失礼をいたしました。口ぶりが男性そのものでしたから」
「この方がオレの&ruby(しょう){性};に合ってるのさ」
 体は雌雄同体でも、心には性別があるということか。僕達と違って、それはとても定義できるようなものではないのかもしれないが。
「雹は時々女の子っぽい」
「えっ……自分ではそのようなつもりはないのですが……僕の言葉はどこかおかしいですか?」
「おかしいっていうか、丁寧で正しい言葉遣いなんだけどさ。丁寧すぎるというか物腰が柔らかいだろ、お前」
「性分ですから」
 ポケモンの多くは人間みたいに見た目で判断できないから、印象って意外と大事なのかもしれない。
 もっとも僕達イーブイ族は大半が男なので、逆はあっても男が女に間違われることは少ないと思う。
「まさか本当に女の子でしたなんてことないだろうな? ん?」
「ない。アタシ見たもん」
 見た?
 見たって、何を。
 記憶を手繰り寄せる。この村に連れて来られた日のこと。目を覚ました時、胡乱な意識の中で、確か――
「ついてた」
 ああ! 思い出した。
「そうだった。最初にデンリュウのヤカリが残念がってたもんな」
「ペタナさん……大胆すぎですよ……何をしてくれたんですか何を!」
「そんなに気にすることなのか? 性別の話はオレにはさっぱりだぜ」
「誰だって異性には見られたくありませんよ」
「安心して。アタシ男だから」
「えっ」
「嘘。イシシシシ」
「ペ・タ・ナ・さ・ん……?」
「何だ何だ? 雹、怒ってるのか?」
「僕だって怒りますよ!」
「悪ふざけが過ぎた。謝る」
「いえ、解っていただけたのならそれで……」
「何だ、怒ってないのか」
「怒りました」
「怒られた」
 それぞれに別のところで天然な二匹と会話するのは疲れることもあるけれど、それはとても楽しいことのように思えた。
 人間といた頃は他のポケモンと話す機会も少なかったし、特定の相手と長く付き合うことなんてなかったから。
「で、雹はさ、ローアの事どう思ってんの?」
「どう、とは?」
「好きなのかってことだよ」
「ええ。好きですよ」
「お? これはまたあっさりと……」
「ミスターも、ペタナさんも。僕はここの皆さんが大好きです」
「って違う! そういうことを聞いてるんじゃない」
「では、異性として……ということでしょうか?」
「本人のいない所で話してるんだから、当たり前だろ」
「これはこれは。雌雄同体でいらっしゃるのに、他人の恋愛話はお好きなのですね」
「おう! メタモン一択のオレには恋愛も糞もないしさ!」
「アタシは女だから普通に好き」
 皮肉を言ったつもりだったのだが、まったく通じなかった。何故だか僕はそんなことをするポケモンではないと思われているせいだろうか。
「ありえないことですよ」
「え? そうなの?」
「だって彼女は伝説のポケモン……普通のポケモンと恋愛なんてできないではありませんか」
「言われてみればそうか……メタモン一択じゃなくても何でもオッケーってわけじゃないんだな」
「逆にメタモンの側からすると、どんな種族とでも、性別問わず恋愛ができるのですね!」
「子作りだけが愛じゃない」
 話を逸らそうと思ったのに。
「確かにそうだぜ。物の話に聞いたが、男同士とか女同士の恋愛もあるらしいじゃないか」
 せっかくこの村でうまくやっていけそうなのに、変な噂が立って妬まれでもしたら困るから。
「アタシは雹とならいいよ」
 ペタナさん。突然何を言い出すかと思ったら。
「何度も騙されませんからね」
「ふられた」
「あの、悲しそうな顔をなさらないでください。本気にしてしまいそうです」
「本気」
「………………………はい?」
 ペタナは可愛い&ruby(ひと){女性};だと思うのだけれど、ジュペッタは恋愛の対象ではないので丁重にお断りしておいた。
 その後の関係を壊さぬよう優しく、しかしきっぱりと。
 僕は貴女の思うような良いポケモンではないのです。

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「――というようなことがありまして」
 翌日、僕はローアさんに事の顛末を話した。
「私が雹に? 噂は知っているわ」
「あまり会わない方が良いでしょうか」
「どうして?」
「このような噂が立つのは、ローアさんにご迷惑なのではと思いまして」
「貴方にとっては迷惑なのかしら」
「できれば皆さんの誤解を招くようなことは避けたいものですけど。貴女は僕の大切な友人ですから」
「そう……けれど、避けるようなことをすればかえって怪しまれるのではないかしら?」
「言われてみると、その通りかもしれませんね」
 僕と彼女の間には本当に何もないのだから。噂なんて日が立てば消えてしまうものだし、言いたい者には言わせておけばいい。対処としては放置するのが最善だと思えた。
「では、僕はこのままで」
「私も善処するわ」
 そして二匹で木の実を採りに行く。イアの実とウイの実、少し甘みが欲しかったのでモモンの実やマゴの実も取っておいた。
「ローアさんの横にいるグレイシア誰?」
「ほら、噂の……」
 畑にいたポケモンがひそひそ話をしている。内緒話なら聞こえないようにやってほしいものだ。
「またね、雹」
「ごきげんよう」
 今日はローアさんが用があるというので、それぞれの家の方向に分かれて帰宅する。二匹が離れると、先程の二匹が僕に駆け寄ってきた。
「ねえ、ローアさんとどんな関係なの?」
「やっぱり恋人?」
「違いますよ。グレイシアの僕とスイクンのローアさんでは恋愛は無理でしょう?」
「なんだ……」
「二匹とも綺麗だからお似合いだと思ったのに」
 残念そうに離れていく女性二匹。
 綺麗? ローアさんはともかく僕が?
 お似合いだってペタナにも言われたけど、もしかして悪い噂ではないのか。ローアさんほど慕われているポケモンを独り占めにしてしまうと、てっきり妬まれると思っていた。
「自意識過剰、なのでしょうか……」
 新参の僕のことなんて、僕が思うほど誰も何とも思っていないものだ。
 うん、気にしないことにしよう。

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 ところが、その日からローアさんはあまり僕に会ってくれなくなった。ローアさんの方からは来なくなり、たまに散歩に誘っても二回に一回は今は忙しいと断られてしまう。
「よう! どうしたんだ雹! 元気ないぞー!」
 夜の広場にて。
 陽気に話しかけてきたのはルナトーンのライトだった。
「ええ……最近ローアさんの様子が変なのです」
「おー。恋の病ってやつね!」
「どうしてそうなるのですか」
 この村の雌雄同体勢はどうしてこう恋愛話が好きなんだろう。
「僕はただ友人として彼女の心配をしているだけですよ」
「ほー。そんでローアさんがどうしたんだよ」
「なんと言いましょうか……避けられているようなのです」
「ふむふむ。言われてみれば最近一緒にいるところを見てないな!」
「貴方に話しても答えを教えてくれそうにはありませんね」
「なんだよ! まあホントのことだけどな! ミスターと違って私には恋愛のことはわからん!」
 ミスターは恋愛経験はないけれど、他人の恋愛話を山ほど聞いてきて、男でも女でもないからどちらでも相談しやすい――との評判。
 僕はあまり彼に相談する気にはなれないが、
 って、
 前提がおかしいでしょ。
「恋愛のお話ではないのですが」
「お、ミスター! ちょっと来て!」
 聞いてないし。
「ライトと雹じゃないか。オレになんか用?」
「雹がね、ローアさんの心がわからんらしい!」
「雹も恋する乙女ってわけか」
「僕は恋などしていませんし、乙女ではありません」
「物の喩えだよ。オレは別に雹が恋をしているとか女みたいだとか言ってるんじゃないの」
「僕にはそのように聞こえましたが」
「なあライト、最近雹ってトゲあるよな何か」
「そう? 私にはわからんっ!」
「最初思ってたほど性格のいい奴じゃなかったんだ。オレは悲しいぜ」
「私はどっちでもいいと思うがなー」
「お前誰に対しても変わらないもんな――って待てよ雹」
 残念。二匹が言い合いをしている間にこの場を離れようと思ったのに。
「雹が相談があるっていうからオレが呼ばれたんだろ?」
「僕ではなくて、ライトさんが勝手に」
「固いこと言いっこなしだぜ。とりあえず話を戻そうや。ローアさんがどうしたって?」
 完全にミスターのペースに乗せられた。
 というか、僕は会話のペースを握るのがどうにも苦手らしい。誰と話してもこんな調子だ。
 僕は諦めてミスターに話すことにした。
「最近、彼女が僕を避けているように感じるのです。ちょうど噂が広まった頃から……」
「ふむ。根も葉も無い噂ならわざわざ避けたりしないよな?」
「ええ。ですから、変わらないようにしようって約束したんですよ。それなのにこのような態度を取られては、本当に僕とローアさんが恋仲であると周囲に思われてしまいます」
「なんでお前はそう難しく考えるんだ?」
「難しく考える……とは?」
「簡単さ。お前がどう思ってるのか知らねえけど、ローアさんはお前のことが好きなんだよ」
「まさか」
「じゃあこうしよう。もしローアさんがお前を好きだったらどうする?」
「どうするも何も、グレイシアとスイクンでは無理ではありませんか」
「無理なの? 私だってメタモン以外とも恋愛したいよ!」
「ライト。恋愛と子作りは別だとオレは思うぜ」
「だよね!」
「よし。これでどうだ。ローアさんがもしお前と恋愛のできるポケモンだったら?」
「それは……」
 あのローアさんがスイクンではなく、僕が恋をすることができるポケモンだったら。
 僕は今と同じように、彼女を友達だと言えるのか?
 僕は彼女が好きだ。でも、友達として好きなんだと思ってた。それしかありえないって。
「……とても嬉しいことだと思います」
「つまりお前もローアさんのことが好きってことだよ。種族のせいで駄目だって思い込んでるだけ」
 珍しいことではないのかもしれない。
 だって僕たちはどんな種族であってもこうして会話をして、触れ合うことができる。
 それならそこに恋愛が生まれることだってあるはずだ。
「お前がローアさんの愛を受け入れるってんなら、あとはローアさん次第だな」
「わくわく!」
「まだそうと決まったわけでは……」
 今日の話は、様々な仮定の上に成り立つものにすぎないんだから。
 実際には僕とローアさんの種族では恋愛は不可能で、ローアさんが僕を好きだなんてこともありえない。
 それが現実。
 しかし、僕となら恋愛ができると言ったペタナは?
 あれからどうにもばつが悪くて、彼女とはほとんど会話していない。
 明日はペタナさんの家を訪ねてみよう。

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 ペタナさんはゴーストタイプらしく深い洞窟の奥に住んでいる。
 朝は弱く寝ていることが多いというので、日が傾く頃に彼女の住処を訪ねた。
 洞窟の入口付近には別のポケモンも住んでいて、これでプライベートが守られているのかどうかは疑問だ。
 僕の家みたいに、一匹しか住めない小さな洞窟なら心配はないのだが。
 そんなことより別の心配をしなくてはならなくなるとは思いもしなかった。
 洞窟に踏み入れるその時。
「雹?」
 背中に掛けられた声に振り向くと、通りがかったローアさんがそこにいた。
「ごきげんよう、ローアさん」
「この洞窟に何か用事でもあるの?」
「ペタナさんに会いに来たのです」
「ペタナに?」
「ええ。それがどうかなさったのですか?」
「別に他意はないわ。珍しいことでもないし」
「えっ……ローアさ――」
 僕の返答を待たず、ローアさんは疾風のごとく駆け去ってしまった。
 珍しいことでもない――まさか勘違いしてる?
 ペタナが僕に告白した話はローアさんも知っていたのか。
 後で弁明しておかないと……。

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「ペタナさん」
「雹。家にまで押しかけるなんて、気が変わった?」
「いえ。そのことで、ペタナさんにお尋ねしたいことがあるのですが」
 時期尚早。ペタナさんはまだ気持ちを整理できたわけではなかったのかもしれない。
「わかってる。私は雹ともっと仲良くしたかっただけ」
 大丈夫だった。質問する前から答えてくれたし。
「恋愛感情ではなかったということでしょうか?」
「そう」
「僕もペタナさんとは親交を深めたいと思っていました。それでは、僕達の気持ちは同じということですね」
「本当?」
「ここで嘘を言っても仕方がないではありませんか」
「良かった」
 ペタナさんは僕の飾り毛を撫でるように優しくタッチしてきた。
「壁作らないで」
 僕が壁を作ってる、なんて。
「雹、少し近づき辛い所があるから」
「近づき辛い……」
「皆言ってる」
「僕は何か、皆さんに失礼なことでもしているのでしょうか」
「失礼なんてことない。そういう所」
「それってつまり」
 僕のこういう受け答えが、あまり良くないということなのか。
 わからない。僕は別段作っているつもりはないんだけど。並のポケモンに比べると育ちが良い方だと思うから、言葉が堅いというのはあるにしても。
「雹には隙がない」
「ペタナさんが仰有いますか?」
 隙だらけだった僕にあんなことをしたのに。
「そういう隙じゃない」
「僕には何の事だか……自覚がないのでどうしようもありません」
 僕がしたかったのはこんな話じゃない。
「それよりペタナさんにお尋ねしたいことが」
「何?」
「子作りだけが愛ではないと、ペタナさんはそう言っていましたよね」
「うん」
「ペタナさんの僕に対する気持ちは、例え恋愛感情ではないとしても、それは愛なのでしょうか?」
「私は雹が好き。雹と仲良くしたい。それだけ」
「では、僕とローアさんも同じだと思いますか?」
「私にはわからない」
「そのように見えるかどうかだけでも良いのです」
「雹、自分の気持ちがわからない?」
「いいえ。僕は全てを受け入れるつもりでいますよ。ローアさんがどのような感情を僕に持っているのか、それが知りたいのです」
「雹はローアが好きなの?」
「多分、そういう事なのだと思います」
「私は違うと思う」
 わかってるなら最初から僕に訊かなければいいのに、と思わなくもないが、相談相手になってもらっている立場だ。下手に文句は言えない。
「何故です?」
「本物なら、相手の気持ちは関係ないから」
「自分の気持ちを押し付けるべきではないと思うのですが……」
「そうじゃない。雹、恋愛経験ない?」
 うっ。
 まさかペタナさんに見抜かれるなんて。
 第一印象で天然キャラだと決めつけていた僕は甘かった。
「図星。イシシシ」
「笑わないでください」
 僕が口を尖らせるのを見て、ペタナさんはまたぞろ吹き出した。
 変に耳に残る、妙な笑い方だ。
「イシシ。雹、意外に子供」
 互いの歳は知らないが、子供だと笑われるのは非常に心外だ。さりとて不服を申し立てるのも逆効果なので、冷静に対処する。
「そうなのかもしれません。僕は乙女心どころか、自分の気持ちさえ理解することができないのですから」
「誰かに教わるものじゃない。私に聞くより、自分で」
「確かに僕は恋愛の経験もありませんし、まだローアさんと長い時を過ごしたわけでもありません。もっとローアさんに近づけば、自分の気持ちも見えてくる……と、そういうことなのでしょうか」
「そう。物分かりいい」
「でも僕は避けられていますからね」
「私にはそうは見えない。ローアは戸惑っているだけ」
 その晩、僕は遅くまでペタナさんと語り合ったのだった。
 ペタナはしっかりした&ruby(ポケモン){人生};観を持っていて。
 僕なんかよりずっと大人なんだって思い知らされた。

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 ところがその翌日。
「ローアさん、昼食をご一緒しませんか?」
「……いいけど」
 日が高くなってきた頃、畑で会ったローアさんを誘ってみた。
 いつも通り彼女の背についてゆく格好だったが、ローアさんは家に着くまで終始無言だった。
「あの、ローアさん」
「何かしら?」
「いえ……」
 何かあったのか、とは僕の口から訊いてはいけない気がした。
 訊かなくて良かった。
「昨日はペタナとお楽しみだったの?」
「はい?」
「……ごめんなさい。私には関係の無いことよね」
 思い出した。昨日ペタナさんに会いに行ったところを見られて、誤解されたままだった。
「ペタナさんとは、話をしただけですよ。彼女はゴーストタイプで夜型ですから、あの時間に会いに行くしかなかったのです」
「あら、そうなの? 私はてっきり雹が種族も性別も問わず何でもいけるクチなのかと思っていたわ」
「僕はそんな目で見られていたのですか……」
「それで、ペタナとは何もしていないの?」
「僕たちは最初から付き合ってなどいません。僕の方からお断りしたのですよ」
「なんだ、断ったの」
 ローアさんはイアの実を齧って種を吐き出した。
 今日は随分と庶民的な印象を受ける。どこにでもいる普通のポケモンみたいだ。
「ええ。ペタナさんも、僕に抱いていたのは恋愛感情ではなく……ただ僕ともっと仲良くなりたかっただけなのだと仰っていました。昨夜二匹で語り合うことができて親交も深まりましたし、彼女としては――もちろん僕にとっても、嬉しい限りですね」
「そうなんだ」
「ローアさんは村の皆さんから一目置かれているようですけれど、貴女にも親友とか……気のおけないご友人はいらっしゃるのですか?」
 気のおけない友人、というところで明らかにローアさんの表情が曇った。
「いないわね」
 それは僕も含めてということだ。確認せずとも、彼女の視線が物語っていた。
「秘密は女を女にする、とは言うけれど……私には誰にも言えない秘密があるの。だから、誰と過ごしている時も気が抜けないのよ」
「僕ではダメなのですか?」
「……貴方はまっすぐね。妙に大人びていたりするくせに、そういう所は子供っぽいんだから」
 ローアさんまで。僕は人間と一緒に全国各地を旅して回って経験を積んだつもりだ。
 だから自分ではもう子供心なんて残っていないと思っているのに。
「ペタナさんにも言われました……自覚はないのですが、直したほうが良いのでしょうか」
「男の子はいつまでも子供なものよ。子供心を完全に失くしてしまっては、男の魅力もなくなっちゃうわよ?」
「はあ……」
 僕の言葉は直球すぎて、簡単に打ち返されてしまう。でも僕には変化球は投げられないから、それでも直球で勝負するしかない。
 ローアさんとの間にある壁は種族だけじゃなかったんだ。
「わかりました。ローアさんがその気になってくれるまで、僕はいくらでも待ちますよ」
「ありがとう。そのまっすぐな瞳が私には少し辛いのだけれどね」
「僕と一緒にいると辛いですか?」
「いいえ、雹のことは好きよ。初めて倒れている貴方を見た時からね」
 やっぱりローアさんは僕のことが好きなんだ。
 この文脈だとどういう意味での『好き』なのか判別がつかないけれど。
「だからこそ、ということもあるのよ? 私は雹を傷つけたくないから」
 それよりも別のところで、ローアさんの言葉に違和感を覚えたのだが――この時はわからなかった。
「ご心配には及びません。何を知ったところで、ローアさんへの態度を変えたりしませんよ」
「本当にそう言い切れる?」
「神に誓って」
 ローアさんがどんな秘密を抱えていたって、ローアさんはローアさんなんだから。
 僕の目の前にいるローアさんは確かに存在しているのだから。
「貴方には負けるわね」
「僕などでは、ローアさんに敵いっこないと思っているのですけれどね」
「まあ」
 誤解が解けたこともあって、ローアさんは前と変わらない笑みを零していた。
 僕も彼女につられるように顔がほころんだ。
 しばらく笑いあった後、ローアさんが思い出したように口を開く。
「そうだわ。夏の終わりにお祭りがあるのよ」
「お祭り……ですか」
 人間の町で何度か見かけたことはあるが、ポケモンの村のお祭りというのはいったい――?
「人間みたいに屋台を出したりはしないけれど……皆でこの山の頂上まで登って、山の神様にお祈りをするのよ」
「それでは、お祭りという名の登山大会ではありませんか」
「元も子もないことをはっきり言うのね」
「こればかりは性分ですから」
「一応、ただの登山大会ではないのよ?」
「なにか特別なことでも?」
「お祭りは夏の終わりの満月の夜に行われるの。登山道を綺麗なお花で飾り付けして……頂上といっても、結構広いのよ? 毎年、カップルが場所の取り合いをしているわ」
 結局本能的な部分では人間もポケモンも同じなのか。
 ポケモンの知能程度は種族にもよるけれど、人間のそれとさほど変わらないから、技術で劣るにしても何を楽しみとするかは近いものがあるのだろう。
「それは楽しそうですね。ここは平和で食物も豊かですが、単調な生活というのも退屈なものですからね。楽しみにしています。ところで、山を登るというのは皆で一斉にですか?」
「夕方ごろから深夜にかけて、それぞれが思い思いの時間に頂上まで行ってお祈りして帰ればいいのよ。そんなに格式張ったものではないわ」
「安心しました。では、お祭りの時は僕とご一緒しませんか?」
「それは私と二匹でって意味かしら」
「ええ、そうですよ」
 僕から近づけばいいんだ。
 ローアさんは僕のことを好きだって言ってくれた。今更拒絶されるなんてことはないんだから。
「ごめんなさい」
 ――え?
 予想外の返答に、僕はしばしの間二の句が継げずにいた。
「気持ちは嬉しいのだけど……私、お祭りの時は一匹でお祈りするって決めているの」
 せっかくの良い機会だと思ったのに。
「他の子を誘ってあげたらどう? 気づいているかどうか知らないけど、雹って若い子の間で人気あるみたいよ」
「それは僕の人気ではなく、ローアさんの影響だと思うのですけれど。どちらにしても、そのつもりはありませんよ。ローアさんが一匹で参加されるのなら僕も一匹で参加します」
「気を使ってくれなくてもいいのよ」
 変だ。ペタナさんの家に行くところを目撃しただけであんなに期限を損ねていたのに、祭りで他の女の子と一緒に過ごすのは気にもとめないなんて。それどころか強引に勧めている気さえする。
 もしかすると、彼女の秘密と何か関係があるのかもしれない。ローアさんはなんといっても伝説のポケモン、スイクンなのだから。考えてみれば、山の神様と無関係だって方が不自然なくらいじゃないか。
「私のわがままに付き合う理由はないでしょう? それに、誰も他の女の子と二匹きりでなんて言っていないわよ」
「ぼ、僕も言っていませんけれど」
「あら。てっきりそれで遠慮しているのかと」
「違いますよ! でも、ローアさんが僕に悪いと心を傷めたのでは本末転倒です。ですから、お言葉に甘えさせていただきますね」
 ローアさんはずるい。僕にだってローアさんの心が少しは見えているけど、言わないようにしているのに。確信がないから。
「そうしてもらえたほうが私も嬉しいわ。初めてで戸惑うこともあるかもしれなけど、精一杯楽しんでね」
 それからはまた他愛のない会話。
 人間と居た時よりも時間の流れが緩やかで、記憶に残るか残らないか、未来に向かうものではない、ただ今を楽しむだけの時間。ローアさんと夕暮れまでを過ごした僕は、しかし最後まで不審を拭えなかった。
 ローアさんが隠している秘密って一体なんなのだろう。

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 あれから十日ほど経っただろうか。
「いよいよ明後日が満月だ」
 この日、朝からガブリアスのギャリスがいつもの面子を集めた。
「眠い……アタシ夜型」
「やかましい。いよいよ祭りの準備に入るって時に皆のテンション下げるなよ」
 ギャリスさんとは二匹で話をしたことはないが、リーダーシップのある人だということはミスターから聞いている。
「雹は初めてだから何をするのかわからんだろ。誰か一緒にやって教えてやれ」
「オレに任せろ」「アタシが」「私がやるよ!」「教えてやってもいい」
 まさかの四重奏だった。まさか僕に興味がなさそうなデンリュウのヤカリまで進言するなんて。
「おいおい取り合いすんなよ。雹が困ってるじゃねえか」
「はは……お気持ちは嬉しいのですが僕は一匹ですからね」
「ここは雹に決めてもらおうぜ!」
 ミスター、それ地雷。
「賛成」
 いやだからペタナさん。
「それなら文句ないね!」
 僕にはあるんですよライトさん。
「俺はどっちでもいいけど」
 とか言いながら期待のまなざしを向けないでくださいヤカリさん。
 にじり寄ってくる四匹。
「おいおいお前ら、余計困らせてるんじゃないか?」
 そうだ。もうわかってくれるのは貴方しかいない!
「で、では……間をとってギャリスさんお願いします!」
 僕の返答に四匹は目を丸くして固まっていた。
 予想の斜め上だとか言いたいんだろうけど、この状況なら妥当な選択だと思う。
「お、おう。俺は構わんが皆いいのか?」
「雹が決めたなら仕方ないぜ……」
「いいよ。アタシこの中で雹と一番仲いいから譲る」
「なにー! なんかあったの?」
 また余計なことを。
「聞き捨てならないな。ペタナちゃんに何した?」
 ほらヤカリさんが怒った。
「誤解です……ただペタナさんとは一度、二匹で遅くまで話す機会がありましたから」
「本当に話をしただけなんだな?」
「雹は嘘を吐かない」
「ペタナちゃんがそう言うなら……」
「あとヤカリ、アタシの方が年上。ペタナさんって呼べって何回も言ってる」
「いや、だって」
「だってじゃない」
「はい……ペタナさんと呼ばせていただきます……」
 ヤカリさんの気持ちもわからなくはない。
 こんなに可愛らしい人だから、ちゃん付けで呼びたくなってしまうのも頷ける。僕は呼ばないけれど。
 ていうか、ポケモンって人間と違って見た目で年がわかりにくいから誰がいくつなのか年上なのか年下なのかてんでわからない。
 僕は誰に対しても敬語を使うようにしているから、気にしなくても構わないのだが。
「おいおい話の腰を折るな。とにかく雹の相方は俺で決まりだ。俺は雹と一緒に頂上まで行くから、お前らは下から頼む」
 スターミーやルナトーンってどうやって飾り付けなんてするんだろう。手も口もないのに。
 二匹ともエスパータイプだから念力で頑張るのかな。
 なんて他愛もない事を考えながら、僕はギャリスさんについて登山道の入り口へ向かうのだった。

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「あの川沿いを登っていくんだ」
 村から登山道をしばらく歩いたところで、水のせせらぎが聞こえてきた。
 ギャリスさんが指差した先、登山道から外れたところに小川が流れていた。
「道から外れても大丈夫なのでしょうか?」
「俺はここに来て長いからな。上流の方に湖があって、花がたくさん咲いてるんだ。まずそこで花を集める」
「秘密のポイント……というわけですね」
「ああ。本来なら新入りに教えたりしないんだがな」
「何故僕に?」
「さあな。お前は他の奴と違う……でないとローアが心を開いたりはしない」
「ありふれたポケモンだと自分では思っているのですけれど」
 川を左手に、ギャリスさんの背を追い続ける。
「一つ一つはそうかもしれねえ。全てがお前の言うありふれた……欠けているところが見当たらない奴ってのは珍しいもんだ。大抵の奴は皆どこかに悪いところがあるもんだ」
「僕には悪いところがないと、そのように仰るのですか?」
「少なくとも俺達の目にはな。これでお前がその実腹黒い奴だ、って落ちならとんだ喰わせモンだ」
「どうでしょうね」
 僕は不敵に笑ってみせたが、ギャリスさんは見透かしたように答えた。
「嘘が下手なのか、下手な振りをしているのか?」
「そんなにわかりやすいですか? そこまで言わなくてもよろしいではありませんか……」
「お前が挑戦的なことを言うからだ」
「わかりました。悪いのは僕ですごめんなさい」
「そうひがむなって。せっかく俺様が秘密の場所に連れて行ってやろうってんだからよ」
 長年ここに暮らしている者しか知らない秘密の湖にはいったいどんな景色が広がっているのだろう。胸が踊るというものだ。
 秘密、といえば。
 ローアさんの秘密も、もしかしてギャリスさんなら何か知っているのではないか?
 そう思った僕は、思い切って尋ねてみることにした。
「秘密といえば……ローアさんには誰にも明かせない秘密があるようなのです。つかぬことをお伺いしますが、ギャリスさんは何かご存知ありませんか?」
「何故俺に訊く」
「いえ、ギャリスさんはここに住んで長いというお話でしたから……もしかするとローアさんのことも何かご存知なのではないかと思いまして」
「いや……聞いていないのか? ローアが村に住み着いたのは最近の話だぞ」
「えっ」
「つっても二年前か三年前かそこらだったと思うが」
 知らなかった。村の守り神だっていうからてっきりずっと昔からここにいるものだとばかり思っていた。
「遠くから姿を見たことはあったんだが、気づかれると消えちまう。それが村まで下りてきた時はびっくりしたもんだぜ」
「村に来る以前のローアさんを見たことがあるのですか?」
「丁度その話をしようとしてたところだ。着いたぜ」
 目の前の景色がぱっとひらけた。
 想像していたよりずっと大きかった。歩いて一周するのに一時間はかかるだろうか、周囲に色とりどりの花が咲き乱れ、その外を木々が囲む山中の湖。済んだ水が空を映して青く光っていた。
 僕は思わず息を呑んでその風景に魅入っていた。こんなに綺麗な湖は、昔人間と旅をしていた時にも見たことがなかった。
 秘境と呼ぶに相応しい村の住人でさえ普通は知らない秘密の場所なのだから、それも当たり前か。
「随分昔に一度だけ、な。ここで見たんだよ。湖の真ん中にスイクンが……ローアが立っているのをな」
「秘密の湖に、ですか……ローアさんの抱える"秘密"とも何か関係がありそうですね」
 スイクンには水を清める力があるのだという。なるほど、ここから流れる川が、そして村が良い水に恵まれているのはローアさんのお陰だったんだ。
「それは俺の知った事じゃないがな。お前にこの場所を教えたのは、ローアがこの村のためにしてくれていることを知ってほしかったからだ」
「村に住むからには、彼女に対する感謝の念を忘れてはなりませんね。心に留めておきます」
「実を言うと山の神様ってのもローアのことなのかも知れねえ。ま、俺の憶測の域を出ねえが……それより、始めるか。花集めだ。サボってたら他の連中に怒られるぞ」
 ギャリスさんに促される形で、僕は湖岸の花を摘む作業を開始した。
 頂上にどんな飾り付けをするのかわからないけど、お祭りというからには夜やるのだろう。月明かりや炎の色に映えるように、やっぱり白い花がいい。
 そうして花摘みに熱を入れること数十分。
「雹は白い花が好きなのか?」
 ちょうど二匹とも元の場所に戻ってきたところだった。
「そういうわけではないのですけれど」
 見れば、ギャリスさんの手には黄色や青や赤、コントラストの激しい花束が出来上がっていた。
 なんというか、不調和だ。ガブリアスに花束は似合わない。
「ここではどの花々も綺麗ですが……月の&ruby(もと){下};では白い花が美しく映えるのではと思いまして」
「ほー。そんなことまで考えてたのか。やっぱ無骨モンの俺とは違えよなあ。俺に花なんて似合わねえって思ってるだろ」
「いえ、決してそのようなことは……」
「事実だからいいって。祭りは夕方に始まるからな、夜になるまでの少しの間綺麗に見えりゃそれでいいかなんて思ってたんだがな」
「それも一理あると思います。白い花ばかりでは、明るいうちは少し地味ですからね」
「お前がいると、今年はひと味違う祭りになりそうな予感がする。期待してるぜ」
「買いかぶりですよ。さあ、持てるだけの花を集めて頂上へ向かいましょう」

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 山頂に辿りつくと、三百六十度の青空が僕達を見下ろしていた。
 連なる山、山、山。地上を見ることはできず、やはりここが外界とは隔絶された世界なのだと実感する。
 向こうの山に寄り添うように積乱雲が高々とそびえ立っていて、あれも一つの山みたいだ。
「ふぅう……疲れました……」
「体力ねえなあ」
「僕は暑いのは苦手なのです……」
 とはいえ山頂からの景色はこれまた圧巻だったので、暑さで二倍増しにもなるこの疲れも忘れられそうだ。
「しゃあねえ。ちと休憩すっか」
 ギャリスさんは花束を近くの岩の上に置くと、どかっと腰を下ろした。僕もそれに習い、茎を結んで体にくくりつけた花を外し、体を横たえる。
「飾り付けはな、べつに決まってねえ。キレイにできりゃ問題ねえ」
「なんとも……自由なお祭りですね……」
「人間の真似事じゃねえんだからよ。堅い事は言いっこなしだ」
「そう……ですね……僕達はポケモンらしく生きると決めたのですから」
「違いねえ」
 謎のポケモンに村に連れてこられたあの日から。
 僕は人間のことなんて忘れようって覚悟を決めたんだ。
 それなのに、僕のこの考えも、知恵の多くは彼と旅をしていた頃に身につけたもので。
 村に住んで長いギャリスさんはもう、過去を断ち切っているに違いない。僕もそうならなきゃ。
「砂ガブって聞いたことあるか?」
 不意に、ギャリスさんが聞きなれぬ言葉を発したのだった。
「随分昔の話だが……俺はお前と同じ、ポケモントレーナーの元にいたんだ。仲間のバンギラスと組んで、そりゃあ無双したもんさ」
 僕と同じだ。
 例外もいるけど、ここのポケモンは皆――ギャリスさんにも人間と一緒にいた過去があるんだよな。
「強かったのですね」
「勝手に過去形にするんじゃねえよ。今だって誰にも負けねえ自信はある。だが、ここは平和だ。俺の力なんて何の役にも立たねえ。所詮ポケモンバトルなんて人間のお遊びに付き合わされていただけさ」
「お遊び……ですか」
 どうしてか、僕はあれを悪く言う気にはなれなかった。
 半ば強制的なのかもしれないが、純粋に力を求め上を目指すことに憧れもしていたから。僕は人間の度のお供として、立ちはだかるジムリーダーや四天王のポケモンと戦ったことを嫌な記憶にしてしまうことはできない。
 だが、旅のお供ではなく。僕の主人だった人間が最後にそうなってしまったように、ギャリスさんのトレーナーはただバトルで上を目指す人だったのだろうか。
 各地のジムを回り四天王を倒し、旅を終えるとそれ以上の強さを求めてバトルに打ち込むようになる人間がいる。旅のお供だった僕は不要になった。その僕と、バトルをさせられるためだけに育てられたギャリスさんのどちらが不幸なのか。少なくとも捨てられる可能性の低いのは後者だが、彼がここにこうしている以上僕もギャリスさんも変わらない。僕のほうが幸せなくらい。
「しかし、ギャリスさんはどうしてあの村に住むようになられたのですか? それだけお強かったのでしたら、トレーナーには気に入られていたでしょうに」
「死んだんだ」
 まるで何でもない世間話の一環であるみたいに、さらっと口にした。死んだんだ、と。
「俺も仲間たちも、自分達の存在意義を失った。戦うためだけに育てられたポケモンがトレーナーを失って、どうすればいい? たまたま引き取り手が現れる仲間もいたが、ほとんどは散り散りだ。そうして俺はあの村に流れ着いた」
「それではギャリスさんは、僕や他の皆と違って」
「ああ。人間を恨んじゃいない。捨てられるよりかえって気持ちの整理もつくってもんだ」
 僕はどうなのか。
 人間を恨んでいるのか?
 本当は何かの間違いだったって、ここに迎えに来てくれたらって――
 いや。違う。
 恨んでもいないけれど、もう期待はしていない。
 僕はもう、ここで生きる意味を見つけたのだから。
 ここに連れてきてくれたあのポケモンには、いつかお礼を言わなくちゃいけない。素敵な出会いをありがとう、って。
「ギャリスさん」
「何だ」
「話は変わりますが……僕を村へ運んできてくれたポケモンについては何かご存知ありませんか?」
「ペタナが最初にお前を発見した時から、お前は一匹で倒れてたそうだ。残念ながら村の誰も知らねえだろうな。ローアじゃねえのか?」
「いえ……僕は片手で抱かれて運ばれたのです。それに、覚えている感触は……体毛の長いポケモンだったと思います。ですから、スイクンの彼女ではないと思います」
「そうか……となるとあいつくらいしかいねえな」
「心当たりがあるのですか?」
「ああ。ここ最近見ていないが、誰も素性を知らない一匹のポケモンが村に住んでいる&ruby(・・・){らしい};んだ」
「らしい?」
 村には僕がまだ会ったことのないポケモンがいるってことか。
「目撃されたのは一回じゃねえから、村に常駐、少なくとも度々立ち寄ってるんだろうよ。珍しい種族なんだろう、なんてポケモンなのかは俺にもわからねえがな」
「特徴はわかります?」
「木の上を飛び回ってるかと思いきや地面に下りてもとにかくすばしっこい奴だった。体は黒くて……お前が言った特徴に当てはまってるんじゃないか?」
 間違いない。まさか村にそんなポケモンがいるとは知らなかった。聞いてみるものだな。
「お礼を申し上げたいのですが……滅多に姿を見せないのでは、それも難しそうです」
「最後に目撃されたのは三年ほど前だったか……ああ、そういや去年の祭りで見かけたなんて言ってる奴がいたな。他に誰も見ていなかったから、結局そいつの空目ってことで決着したが」
「その目撃者というのはどなたなのですか?」
「あいつだよ。あのデンリュウの……」
「ヤカリさん?」
「そうそう。後で話聞いてみるか?」
「俺ならここにいるが」
「お? なんだヤカリ、こんなところで何をしている」
「こっちのセリフだよそれ……」
「アニキ! 登山道の飾り付けは終わったぜ! そっちはどうよ?」
 見れば、ミスターにペタナさん、ライトも山頂にたどり着いたらしかった。
「やべえ。つい話し込んじまった」
「ごめんなさい! 怠けるつもりではなかったのですが……」
 僕は慌てて立ち上がって、皆に頭を下げた。
「雹、嘘は言ってない」
 ペタナさんは僕の顔を覗き込んで、うんうんと頷いている。
 ともあれ皆は心良く許してくれ、僕が集めた花束を水の溜まった場所に挿したり木に結びつけたりするのを手伝ってもくれた。
「これで完了、っと!」
 僕達にできる精一杯の飾り付けがされた山頂の広場は、どこか遠くから切り取られた舞台みたいだった。
「あとは明日の夜を待つばかりですね」
「今日は村に帰って前夜祭だ!」
「去年と同じようにミスターの住処に集まるのか?」
「アタシ……水場は好きじゃない。中綿が濡れると重い」
「ミスターの住処は溜池ですからね。でも、落ちなければ良いのではありませんか?」
「甘いな甘すぎるぞ雹くん!」
 ルナトーンのライトの目が不敵に笑っている。
「何か大変なことでも……?」
「まあまあライト。脅かすんじゃないぜ。とにかく雹もオレんとこに来いよ! 来たらわかるから!」
 少し危険な匂いはする。
 でも、前夜祭とやらに新米の僕だけ参加しないというわけにもいかないだろう。
「そうですね……折角のお誘いですから僕も参加させていただくことにします」
「雹が参加するならアタシも参加する」
「お? おいおい……お前ら本当に何もなかったのかよ」
「ヤカリ勘繰り過ぎ。アタシと雹は仲が良いだけ」
「何でも男女の事に結びつけるのはやめろよな」
「お前が言うかミスター……」
 何はさておき今夜の予定が決まった。
 謎のポケモンについてはヤカリさんに聞く機会を失ったが、前夜祭の場で話を聞こう。

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 悠長にヤカリさんとお話なんて、僕は考えが甘かったと言わざるを得ない。
 まったくライトさんの忠告通りだった。
「ヒャハハハハハハ! 食らえみずでっぽう!」
 ミスターが住居である溜池の中から顔(?)を出しては水を飛ばしてきて、僕たちはそれを避けるのに必死だった。
 日の落ちる頃ミスターの住処に行くと、溜池の岸辺に沢山の木の実と、きのみジュースが用意されていた。このきのみジュースが曲者で、ほとんどのポケモンがどれか一つは苦手だというあの五種類の木の実をブレンドしたものだというのだ。つまり、強い弱いはあれどあまり飲むと酔ってしまうわけで。誰が考案したのか知れないが、まるで人間のお酒みたい。
 酔ったミスターはもう手がつけられない暴れっぷりで、溜池の周囲は水浸しである。
「これはひどいですね」
「だから好きじゃないって言った」
 僕は最初のイアの実の衝撃が頭から離れず例のきのみジュースは遠慮しておいたが、ペタナさんは結構飲んでいるにも関わらず顔色ひとつ変えない。聞けば、苦手な木の実がない体質なのだという。きのみジュースの味はオボンの実に近いのだとかなんとか。
 僕とペタナさんは木の影に隠れてやり過ごしていたが、やはりそうは問屋が卸さなかった。
「雹ー。ちょっと遅いけど私達、雹の歓迎会も兼ねてるつもりなんだよ! 主役がそんなところに隠れてちゃいけないと思うな!」
「ちょっと、ライトさん――!」
 ライトさんがふよふよとやってきて、念力で僕の体を引く。僕は強引に岸に身を晒すこととなり、「おー雹! 楽しんでるか!」などとミスターが水鉄砲を噴射してくる。
 肝心のヤカリさんは僕と入れ替わりにペタナさんの隣に腰掛けていて、頼みの綱のギャリスさんはきのみジュース片手にほろ酔い気分で僕たちの様子を傍観しているだけ。
「で、雹はペタナと何の話してたんだ?」
「これといったことは……うわっ!」
 答えようとした矢先に水鉄砲が顔に直撃した。
「はっはっはっは油断したな!」
「ミスター? いい加減にしないと僕も……」
「へへーん、ここまで来れねえだろ! 捕まえてみろ!」
 さすがにイラッときた。
 水に飛び込むべく息を吸い込んだところで、ギャリスさんに忠告を受ける。
「おーい。水の中にいるスターミーを泳いで捕まえるつもりか?」
 そうだ。冷静さを失ってはいけない。泳げないわけではないが、グレイシアの僕が水ポケモンに勝てる道理はない。
 それならば道はひとつ。
 冷凍ビームで道を作って、ミスターへと一直線に駆け出す。
 水上を逃げ回るミスターを追って、氷の道を作りながら溜池をあっちへ行ったりこっちへ来たり。
 あわやというところで彼は水中に逃げ込んだので、僕は吹雪を起こして溜池の表面を氷漬けにしてやった。
「――――! ――――!」
 ミスターが氷の下から何か言っているが、上までは聞こえない。季節は夏だから、じきに溶けて出てこれるだろう。
 僕が勝ち誇った顔でミスターを見下ろしていると、後ろから頭を小突かれた。
「俺の近くで吹雪ぶっぱなすんじゃねえ。こちとらカス当たりでも体に応えるんだ」
「ギャリスさん……! は、はい、申し訳ありません!」
 少し調子に乗りすぎたかな。
「まあいい……お前、飲んでねえだろ」
「僕の口には合わなさそうですから」
「苦手な実を食ってトラウマにでもなったのか? これはちゃんと絶妙にブレンドしてあるから飲み過ぎなけりゃどうということはないぞ」
「いえ、僕は……」
「いいから飲め飲め」
 などと、ギャリスさんがきのみの殻でできたカップにきのみジュースを注いで僕の足元に置いたので、断りきることができなかった。
「では……いただきます」
 仕方なく、恐る恐る口をつけてみた。
「ほら、大丈夫だろ」
「ええ……どうやら平気なようです」
 ペタナさんも言っていたが、各種のきのみがブレンドされているので味はオレンの実やオボンの実に近い。少し喉や胸のあたりが熱くなるのはイアの実のせいだろう。
「それはそうと雹、ヤカリとの話はいいのか?」
「彼と話はしたいのですが、話す機会が……」
 木陰でペタナさんと話し込んでいるし、水を差すのも無粋というものだ。
「雹」
 と思ったら、ペタナさんがすでに木陰から出て低空飛行してきた。
「あいつの話面白くない」
「ちょっ、それはねーだろペタナー」
 後についてヤカリさんがやってきた。
 降って湧いたみたいなタイミングだな。
「丁度良かった、ヤカリさんにお聞きしたいことが」
「丁度良くねーよ悪いよ」
「そう仰有らずに聞いてくださいませんか?」
「聞かねえとは言ってねーだろ。何だよ」
「昨年のお祭りのことなのですが……この村にいる素性の知られていないポケモンをヤカリさんが目撃したそうですね」
「お、おう。それがどうした?」
「僕はそのポケモンのことが知りたいのです。というより、会ってお礼を申し上げたいのです。おそらく彼もしくは彼女が……行き倒れになった僕を助け、この村に運んできてくれた命の恩人だと思いますから」
「お前を助けたポケモン? みんなローアさんだと思ってるんだがなー」
「僕の記憶にある特徴と皆さんの仰有っている謎のポケモンの特徴が一致しているものですから。ローアさんでは合わないのです」
「んー……俺も去年一回見ただけだからなー」
 ヤカリさんによると、山頂から見下ろせる断崖に生えた木と木の間に隠れるようにして、山の神様に祈っていたのだという。見下ろせる、とはいうものの飾り付けがされた中心からは離れた隅の方で、ヤカリさんの視線に気づいてすぐに姿を眩ませてしまったのだとか。
「熱心に祈ってたみたいだから、今年もどっかに現れると思う」
「ありがとうございます。探してみることにします」
「手伝う。ヤカリも」
「ええー? 俺もかよ」
「俺も手伝ってやるぜ」
「私も一緒にやるよ!」
 そして足元をガンガンと叩くポケモンが一匹。すっかり忘れていた。
「ミスターも手伝うってよ」
 ギャリスさんはぐいっと手に持った殻カップの中身を飲み干した。
「皆さん……ありがとうございます」
 かくして夜は更け、月が笑い、やがて太陽を地平線から誘い出す。

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 迎えた祭事当日。
 昨夜の疲れから昼まで寝てしまった僕は、気怠さの残る体を起こして洞窟の外に出た。
 日光の下に出るとまだまだ暑い。溶けそうな体を引きずって、水飲み場へと足を向ける。
 いよいよ僕を助けてくれたポケモンの正体がわかるかもしれない。
 初めてのお祭りの目的が楽しむことではなくポケモンを探すことへとすり替わってしまうのは少しもったいない気もするけれど。
 水飲み場でもきのみ畑でも、ローアさんの姿は見かけなかった。
 昨日今日と会っていないだけでどこか不安になるような心地がして、隙間風が心を吹き抜けるのはどうしてなのか。
「雹ー! 遅いよー!」
 ライトさんが大声で僕を呼び、ミスターが空中で高速スピンしている。ペタナさんは控えめに手を振って、ギャリスさんとヤカリはこちらに視線を向けるだけ――
 西の空が朱く色づいてきたころ、僕たちは登山道の入り口に集まった。
 周辺は多くのポケモンでごった返していて、この中でポケモン探しというのも骨が折れそうである。
「ごめんなさい」
「どうせ今まで寝てたんだろ? 昨日オレんトコであんだけ騒いでたしな」
「いくらなんでも夕方まで寝てはいません」
「そんなもんミスターくらいだろ。気にすんな雹、こいつも今来たところだ」
「でもオレの方が早く来たんだぜ」
「雹とミスター、一分も変わらない」
「いいから行こーよ。俺たち邪魔じゃね?」
 ヤカリさんが大げさに手を広げて見回す動作をする。テンション上がってるなあ。
「確かにな。行くか」
 そうしてギャリスさんに先導される形で出発。
 登山道の入り口は左右の木の枝の間が蔓や蔦を使って結び付けられていて、それらが花のトンネルを形作っている。
 綺麗だけれど、人間の真似事とはやっぱり違うと思う。
 この芸術には確固たる目的や方向性が感じられない。誰の発案なのか、何人が携わったのかわからない。そんなことを気にするものはいない。これを作ったポケモンだって例外ではなくて、だからこそ自己主張がない。
 登山道を歩きながら、僕は自分が頂上の広場を装飾するのにあれやこれやと考えていたことが恥ずかしくなった。
 本当はギャリスさんもわかっていて黙っていてくれたのかもしれない。
「どうした雹」
「少し反省をしていました」
「反省? 何をだ?」
 いや。そんな裏表のあるポケモンじゃないか。
「何でも考えすぎなんだって雹は。オレやアニキを見習えよ」
「ミスター。お前は俺がお前と同じくらい何も考えていないと思っているのか」
 皆と談笑しながらも、僕は彼女のことを考えていた。
 一匹で参加すると言っていた。
 ローアさんはこの花飾りを見て、何を思うのだろう。
 もしかしたら昨日ギャリスさんと行った湖にいるのかもしれない。
 気にならないと言ったら嘘になるが、他人の秘密を無闇に探るのも良くない。
 それより今日は僕の恩人を探さなくてはいけないのだし。

 山頂の広場に辿り着く頃には、西の空はオレンジと紫が融け合ってマーブル様に輝いていた。広場は数々のポケモンがひしめき合い、いたるところに花々が散りばめられ。こちらはマーブル色というより極彩色だ。太陽はすでに見えず薄暗い中、松明の明かりがそれらを煌々と照らしていた。
 祈りの形式などは決まっていないと聞かされている。
 ただ山の恵みに感謝する心を天に示す。
 祈りは各々の心の中に。
 僕は目を閉じて、今この場所に僕が居られることを神に感謝した。
 人間への恨みから凶暴化してしまうポケモンもいる。綺麗なままで居られる場所を作って下さったことに。
「幻想的ですね。昨日とはまるで……いえ、僕が昨日まで暮らしていた世界とは別の世界に迷い込んだようです」
「詩人だねー! 私はキレイとかカワイイしか言えないよ!」
「カワイイはこの場合関係ないと思うぜライト!」
「雹は可愛い」
「ちょっ、ペタナさん……!」
「俺も同意だな」
「ギャリスの兄貴に免じて俺もそーゆーことにしとく」
「お二匹ともからかわないください!」
 いつから僕は皆の中でそんなポジションになってしまったのか。
 でも今は素直に、愛されているのだと思うことができる。
「それはさておき……だ。雹は知らんが俺たちには気になる相手もいないわけだし、初めての祭りってわけでもない。早速例のポケモン探しといくか」
 気になる相手、ね。変に否定はしないでおこう。
 どのみちローアさんはここにはいないのだから。
「ありがとうございます。皆さん、よろしくお願いしますね」
「オレも気になってたんだそのポケモンのこと!」
「私達がその謎を解くなんてワクワクするね!」
「解くって決まったわけじゃねーじゃん」
「ヤカリ縁起悪い」
「俺の発言がじゃなくて俺がかよ! まーいいけど……」
「とにかく。手分けして探そう。ヤカリが去年奴を見たのはあっちの端だったか」
 ギャリスさんが登山道から向かって右の方を指し示す。
「おう。そこから崖になってんだけど、その崖に生えた木の間に」
「ということは……皆さんが集まっている場所からは見えづらい場所を選んでいる可能性が高いと考えられますね」
「だな。去年ヤカリに気づいて逃げたんだったら同じ場所にはいないだろうけど」
「念のために確認しとこー!」
「二匹一組で探すとするか。見逃しても困るしな」
「接触を図るのでしたら、二匹のうち一匹は足の速いポケモンになるようにペアを考えた方が良いと思います」
「そうだな。だが、話に聞く限り奴はかなり素早いらしい。ミスターなら追いつけるだろうが、俺で勝負になるかどうかってところだ」
 スターミー、ガブリアス、ルナトーン、グレイシア、ジュペッタ、デンリュウ。
 種族から考えると足の速さの順はこんなところか。
 それで相手がガブリアスのギャリスさんで勝負になるかどうか、つまりギャリスさんより速いということ。
「足の速さで考えるとどう組んでも一組は論外だな」
「いずれにしてもミスターの組が見つけるか、相手に見つからずにミスターに報せるのがベストですから、鈍足組はこの時間帯に最も目立たなさそうなペタナさんとライトさんという組み合わせがベストでしょう」
「なるほどねー! 任せて! 頑張ろうねペタナ!」
「了解」
「俺がいっちゃん目立つよなー」
「じゃヤカリはオレと組んだらいいな!」
「決まりだ。雹、今日も頼むぞ」
「よろしくお願いします、ギャリスさん」
 こうして祭りの喧騒から抜けだした僕たちは、謎のポケモンを探して山中へと繰り出した。

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 皆の通り道となる登山道から離れ、草木を掻き分けて進む。
「隣の山くらいまで探せればいいがな」
「時間の許す限り行ってみましょう」
 幸いと言うべきか日が高くなるまで眠っていたので睡魔と戦う必要もない。
「ただ、そう遠くまで探す必要もないかと思いますが」
 たった六匹で山の中を探すのも骨が折れるというか発見できる望みは薄い。絞り込み要素として、祭りに参加する他のポケモンに見つからない場所であること、相手は熱心に祈っていたというので、山頂の広場の近くで空の見える場所。
「ああ……」
 相手は耳の良いポケモンかもしれない。それから僕達はできるだけ声を出さず、足音や草木の擦れる音を気遣いながら、山中を探し回った。
 広場を中心にいくつかの区画に分け、度々広場に戻って報告し合いながら。二時間ほど歩き回った頃だろうか。
 僕達の苦労はついに実を結ぶこととなる。
 暗くてはっきりとはわからないが、頭から背中、尾まで繋がっている赤っぽい色の鬣。闇色の細くしなやかな体躯を草の間に忍ばせ、両の前足を合わせて目を閉じ、一心に祈っていた。
 間違いない。僕はあの腕に抱かれて運ばれたのだ。
 しかしただ祈っているというよりは、あの表情は……懺悔している?
 後ろ暗いことを抱えていて、どうか罪をお許し下さいと。そんな心の声が聞こえてきそうだ。
 ともかく、ミスターに報せるか接近を試みるか。ギャリスさんと目で合図を交わし、互いの意志を確認する。
 そんな暇はなかった。
「気づかれた……! 追うぞ!」 
 こちらに気がついた謎のポケモンが疾風のごとく駆け出したのだ。
 僕とギャリスさんは慌てて後を追ったが、すぐに僕だけが突き放される。夜の森の中で視界が悪く、見失うのは時間の問題だった。
 ミスター達に知らせるため、ギャリスさんが咆哮を上げた。
 僕のところからは二匹の姿はもう見えない。
 木々の枝や草の擦れる音を頼りに後を追うが、ギャリスさんが追いついているのか引き離されているのかもわからない。
 息を切らして立ち止まろうかと思った時、横合いから巨大な円盤のようなものが飛んできた。
「雹! 謎のポケモンは?」
「見失ってしまいましたが……あちらの方向です! ギャリスさんが追っているはずです!」
 円盤の正体は高速回転しながら飛んできたミスターだった。
「オッケー! 後はオレに任せろ!」
 ミスターは僕のところで急停止した後、とんでもない瞬発力でまた飛び出していった。
 高速スピンで草を切り裂きながら一直線に。
「なんて速い……」
 ギャリスさんの走るスピードも相当なものだけれど、ミスターはその数段上だった。スターミーなんて一見鈍そうなのに。
 ともあれギャリスさんとミスターが謎のポケモンを追うという理想に近い展開だ。
 あとは無事に捕まえられるのを祈るばかり、僕は歩きながら息を整えることにした。

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 ギャリスさんの合図を聞いて途中で合流したヤカリ、ペタナさん、ライトと四匹で、彼らの後を追った。
 山中を歩くこと数分。
「あ! ギャリスがいるー!」
 木と木の間に立つガブリアスの姿をライトさんがいち早く発見した。
 ヤカリがしっぽのフラッシュを向けると、ミスターもすぐ近くにいた。
 一斉に駆け寄った僕たちは今度こそ、ギャリスさんとミスターの間に立っているポケモンの姿をはっきりと確認した。
「おう。とりあえず俺たちが危害を加えるつもりはないって事はわかってもらったんだが……」
 赤い&ruby(たてがみ){鬣};が特徴的なそのポケモンは、下を向いたまま黙りこくっていた。
「ずっとこの調子でな。一言も喋ってくれないんだ」
 僕を村に連れてきてくれたポケモン。
 でも、彼女――そう、おそらく女、だと思う。彼女から感じる空気、雰囲気、オーラに、どこか違和感があった。
「こんばんは。突然追い回すようなことをしてごめんなさい。僕はどうしても貴女にお礼が言いたかくて……僕のわがままを皆さんに聞いていただいたのです。山の中で倒れていた僕を村に連れてきて下さったのは貴女ですね?」
 相手が話さなくてもいい。伝えるべきことを伝えられれば。
 彼女は首を動かすこともせず。肯定も否定もしなかったが、肯定と受け取ることにした。
「僕は命を救われ……こんなにも素晴らしい仲間と、幸せを手にすることができました。すべて貴女のお陰です。本当に感謝しています」
「――――さい」
「え?」
 僕の言葉に答えたのか、彼女が小声でつぶやいた。
「……ごめんなさい」
 何に対してなのか。誰に対してなのか。
 確かに彼女はそう言った。
 そして。
「――!」
 彼女は一瞬の隙をついて飛び出した。身軽な体は木々の合間を縫うように、時に木を足がかりにして跳び、瞬く間に見えなくなってしまう。
 僕は後を追おうとしたミスターとギャリスさんを止めた。
「もう伝えたい事は伝えましたから」
「あんなんで良かったのか? オレには何が何だかさっぱりだ」
「雹がこれでいいってんなら俺達には何も言うことはない。山頂の広場に戻るか?」
「もう一匹のポケモンがいたってことがこうしてはっきりした! 私は良かったと思うよー! 祭りの続きを楽しもっかー!」
「皆さん……ご協力いただきありがとうございました」
「いい。困った時はお互い様」
「ってことだ。じゃー俺のフラッシュで導いてやるとしますか」
 広場から随分離れてしまったので、ヤカリさんを先頭にまた山頂を目指す。
 これで目的は果たした。伝えることを伝えたのだから、これ以上追う必要もない。
 もちろんきちんとお礼はしたいけれど、相手が近づいてほしくないのだから、強引に押し付けるわけにもいかない。
 それなのに僕の心にはどこか霧がかかったままで。
 何かを見落としているのではないか。
「うーん……」
 見れば、ギャリスさんが腕を組んで長い首を捻っている。
「ギャリスさん?」
「いや。あと少しで思い出せそうなんだがな」
「思い出せそう……?」
「あのポケモンだ。昔俺が戦ったポケモンの中に、あれと同じ種族がいたような気がするんだ」
 そうか。誰も見たことがないような珍しいポケモンとも沢山戦ってきたギャリスさんなら。
 昔のことを思い出すのは辛いかも知れないけれど、記憶の中にあのポケモンのことがあるのなら。
「無理はなさらないでくださいね。でも、もし思い出したら……僕に教えてもらえませんか?」
 この霧を晴らすために、ギャリスさんの力が必要な気がするんだ。

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 祭りが終焉を迎えるとともに、かすかな秋の匂いがやってきて。
 うだるように暑かった夏が少しずつ影を潜めてゆく。
「お祭りは楽しめた?」
「ええ、もちろん……皆さんとの交流を一層深めることができましたし。ようやく本当の意味で村の一員になれた気がします」
 ローアさんの前でこんな台詞を吐くのは少し躊躇われたが、彼女に対する疑念もあって、敢えてそのまま言うことにした。
「覚えていますか?」
 僕は今日も村はずれの大きな木陰で体を休めていた。あの時ほど暑くはないけれど、僕にはまだまだ残暑が厳しかった。
「僕が村に来て間もない頃、ローアさんは僕に言って下さいましたよね。皆さんのご好意は素直に受け取るものだって」
「ええ……素直に聞いてくれたのね」
「おかげさまで。けれど、それだけではないのです」
「他にも何か?」
「心の扉を開くこと……相手を信じ、扉を開けば自ずと相手も開いてくれるものだと気づいたのです」
「そうね。今の雹はここに来た時よりもずっと……空気が柔らかい」
「本当にそう思いますか?」
「本当よ。お世辞は言わないわ」
「そうだとしたら……不公平です」
「え?」
 ローアさんの表情は少しも揺らがなかった。
 僕が何を言わんとしているか、察しているはずなのに。
「ローアさんには僕の裸の姿が見られているのに、ローアさんはベールを纏ったままではありませんか? ローアさんの隠している秘密が……どうしてお祭りに一緒に参加してくださらなかったのか……僕には見えないのです。僕はまだ、ローアさんに遠ざけられているような気がするのです」
 一番早く打ち解けたのがローアさんだった。そう思っていた。
 でも一定の距離まではすぐに踏み込んできたのに、そこから先には決して近づかないし僕を近づけない。
「たしかに私には雹に隠している秘密があるわ。けれど、誰しも秘密は抱えているもの……ではないのかしら。その秘密も私というポケモンの一部だと思ってくれると嬉しいのだけれど。なんたって伝説のポケモン、スイクンなのよ?」
 秘密は誰しも抱えているもの。
 確かにそう。ミスターの本名は未だに知らないし、ギャリスさん以外とは互いの過去だって知らない間柄だ。
 それでも僕は彼女の主張を受け入れる気にはなれなかった。矛盾しているかも知れないけれど、反論できるだけのことはしてみたい。
「その人の秘密を……誰しも抱えているものと、一括りにしてしまう考え方には同意できません」
「あら。雹も言うようになったわね」
「無闇&ruby(やたら){矢鱈};に他人に話せない事もあります。たとえ知られても冗談で済むような秘密なら、何かの機会があれば自ずと明らかになることでしょう。ですが、大切な事はその秘密を誰かと共有することができるかどうかだと思うのです。信頼できるたった一匹でも構いません。ローアさんにはそのようなポケモンがいらっしゃいますか?」
「…………」
 沈黙して答えられないことが答えになっていた。
「小さな悩みだとはとても思えないのです。僕ではいけませんか? ローアさんにとって僕は、まだ出会って間もない友達のままなのですか?」
「……雹の方からそんな言葉を貰えるなんて」
 驚きと嬉しさと悲しみと、三つが入り交じったような微妙な&ruby(かお){表情};だった。
「少なくとも僕にとってローアさんは……特別な友人です。特別な一匹です」
「ごめんなさい。今の私には答えられない」
 今の言葉で、はっとした。
 僕の心にかかった&ruby(もや){靄};、濃い霧がさあっと晴れたような。
「ローアさん……いえ……そんなまさか……」
「……雹?」
 僕はローアさんに一歩近づいた。
 合わせて一歩下がるローアさん。
「どうしたの? 怖い顔して」
 前足を伸ばす。
「ちょっと……!」
 躱された。
 こんなに俊敏な動きができるなんて。
 あの時の記憶が蘇る。
 初めてフィラの実を食べて、酔いが回ってしまった時。
 倒れそうになった僕をローアさんはこんなふうに避けたんだ。
「やっぱりそうなんですか? ローアさん……」
「……っ!」
 逃げ出したローアさんにはいつもの高貴なオーラはすでになかった。
 瞬く間に木々の間を縫って山奥へ消えてしまう後ろ姿。
 疑念は確信に変わる。
 ――彼女とは今までただの一度も、触れあったことがないのだ。

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 涼しい顔をして。
 見上げたポーカーフェイスだ。
 でもそれが作り物なのだとしたら、本当の顔じゃないとしたら。
 僕は今まで&ruby(まぼろし){幻影};を見せられていたことになる。
「何? ローアが消えた?」
「ええ。昨日の夕刻、いつものように二匹で閑話を楽しんでいる&ruby(さなか){最中};のことです。僕の一言がきっかけで、一目散に逃げ出してしまいました」
「雹の一言って……お前何言ったんだ?」
 次の日、僕は事の真偽を確かめるためギャリスさんに会いに行った。
「ま、二匹の仲のことには口出しすまい。どうして俺なんだ。恋愛の相談相手ならミスターやライトの方が話しやすいんじゃないのか」
「今日僕がギャリスさんにお聞きしたいのは別件です……あのポケモンのことです」
「あのポケモンって……祭りの時のか」
「あの後何か思い出しましたか?」
「あー忘れてたわ。急いで思い出さなきゃなんねえもんでもないしな」
 ここのポケモンって、やっぱり時間の流れが遅いのかな。
 僕だって時計に縛られてないだけでこんなに一日が長く感じられるなんて思いもしなかったし、本来の暮らしに戻ったポケモンとはこういうものなのかもしれない。
「お願いします。どうしても知りたいんです」
「ううむ……昔の事を考えると嫌な記憶まで一緒に思い出しちまうから、普段は考えないようにしてんだ」
 僕も同じだから、正直ギャリスさんに悪いという気持ちはあった。それでも知らないわけにはいかないから。
「珍しい種族だけに他のポケモンにはない特殊な能力を持っているのではありませんか?」
「ああ。言われて見ればそうだ。騙された……そう、バトルで騙されたんだ」
「例えば、メタモンのように他のポケモンに姿を変える……とか」
「それだ! 俺は控えにいたんだが、サイコキネシスの効かないローブシンがいたんだ。不正な装備でもさせてるのかと思ったらこれが化けて……って何でお前知ってるんだ?」
「第六感ですよ。して、そのポケモンの名は?」
「なんて言ったかな、たしか……ゼ……いや、ゾ……ゾロアーク! 間違いなくあのポケモンだ」
 やはり。普段は村のポケモンに化けて紛れ込んでいるんだ。だから誰も気づかなかった。
 祭りの時の懺悔は、彼女の抱える罪は、村の皆を騙していること。
「メタモンほど完全な変身じゃない。見た目だけだ。実体は元のままだから、能力まで転写することはできないし、触ることもできない。変身しているのではなく、相手の目を騙しているだけだからな。一度触ったり、攻撃を当てれば相手を正しく認識できる。幻は見えなくなる」
 出会った時からおかしかった。あの時も、あの時もそう。その時は不審に思わなかったことさえもが。
 すべての点が一本の線で繋がった。
「どうした雹」
「いえ。これであのポケモンがどういうポケモンなのかわかりました。ありがとうございます。突然押しかけて失礼しました」
「おう……じゃあな」
 繋がったけど。
 全てを知ってしまったところで、僕はどうすればいいのか。
 僕が恋をしていた相手はスイクンのローアさんじゃなかった。
 騙されていた。
 幻だった。
 彼女は、この世に存在しないポケモンなのだから。

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 僕は走った。
 走って、走って、走って――
 洞窟に帰ってきたのはどれくらい前だろう。
 ついさっき帰ってきたばかりだと思っていたけれど、すでに光はなく、深淵の闇。
 おまけに雨まで降っていて、当分外には出られそうにない。
 出られなくてもいい。
 出る必要もない。
 闇の中に滴り落ちる水滴を見つめながら。
 繁々たる木の葉に当たる雨音を子守唄に。
 深く深く、この闇よりずっと深く。
 泥のように眠ってしまえば落ち着きを取り戻せるはず。
 長年のパートナーに裏切られた身だ。そこから立ち直って居場所を見つけた。
 大丈夫だ。今の僕には仲間がいるから。
 大丈夫だ。
 大丈夫。
 大丈夫――
 
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 その晩、僕は夢を見ていた。
 彷徨い歩いていた頃に毎日のように見た夢だった。近頃めっぽうその夢を見ることはなかったのに。
 イーブイだった時から。
 人間のトレーナーと一緒に各地を旅して回っていた頃の夢を――
「――! ――て!」
 やめろ。
 どうして僕を引きずりだそうとする。
 せめて楽しい夢を見させてくれたっていいのに。
「雹! 起きて!」
 覚醒の世界に呼び戻されてしまったら、二度と自分の意志で戻ることはできない。夢の続きは見られない。
「ペタナ……さん……?」
 一匹のジュペッタが綿の詰まったふわふわした手で僕の体を揺さぶっていた。
 呼んだ覚えもないのに。
「……おはようございます。こんなに朝早くから何の御用ですか?」
「朝早くない」
 この薄暗さは早朝のそれではなかった。
 日の傾きが逆だ。東向きの洞窟が完全に影になっている。
「お恥ずかしいところをお見せしました。こんなに寝坊してしまったのは初めてです」
「大丈夫?」
「体調は悪くありませんから」
「機嫌悪い?」
 一体何なんだ。
 僕にだってそっとしておいてほしい時がある。
「ペタナさんのご用をお聞かせ願いたいのですが」
「別に。ギャリスに聞いて、心配になったから来た」
 随分と省略されているがつまりギャリスさんが昨日の僕を見て様子がおかしかったとでも言っていたのだろう。
 夕方になっても見かけないからここまでやってきたってわけだ。
「雹まで消えなくて良かった」
「消える?」
「ローアがいなくなったって」
 そのことももう伝わってたんだ。
「僕は大丈夫ですから、皆さんにそうお伝えください」
 長い間何も口にせず寝ていたせいで喉はカラカラだった。
 ペタナさんにそう言い残して水飲み場へ足を向ける。
 喉の渇きを癒したらまた洞窟へ帰ろう。
 冷たくて優しい暗闇の中に。
「落ちちゃ駄目」
「どうして僕のあとをついていらっしゃるのです?」
「心配だから」
「ですから、僕は……!」
 振り向いて目が合った時、僕は自分の間違いに気づいた。
 彼女は今にも泣きそうだった。
 星型の上半分の形をした愛らしい目が揺れ、夕陽に照らされて光っていた。
「頼って。私、雹の親友だから」
「ペタナさん……」
 好意は素直に受け取るものよ、って。
 貴女を信じることができなくなってしまったのに、僕の心に聞こえたのはどうしてか、貴女の言葉だった。
 
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 水を飲んだ後洞窟に戻った僕は、ペタナさんにすべてを打ち明けた。
 ローアさんの秘密のこと。ゾロアークのこと。
 ペタナさんは黙って聞いていた。
 話し終わると、ペタナさんはいつものペタナさんのまま、顔色一つ変えずに口を開いた。
「雹はローアがいなくなって寂しい? ローアが許せない?」
「それは……」
 僕はまたローアさんに会いたいのか会いたくないのか。
 会ったとして、どんな言葉を掛けようというのか。
「僕にもわからないのです」
「そう。明日皆に聞こ」
「皆さんに?」
「一匹、二匹で考えるのは難しいから」
 なんだか、助けてもらってばかりだな。
 でもこれは僕だけの問題じゃない。ローアさんのことを皆、村の守り神様だと慕っていたんだ。
 僕の一存で許すとか許さないとか決めて良いものでもない。
「色々なポケモンに聞けば、何か良いご意見がいただけるかもしれませんね」
 話を終える頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
 少しずつ陽が落ちるのが早くなってきているのを実感する。
 あれだけ眠ってもまだ気怠さは取れず、我が儘な体が休息を求めていた。
「今夜はアタシを抱いて寝る?」
「はい?」
 唐突になんてことを言い出すんだ。
「シシシシ。アタシの体、ぬいぐるみと一緒。変な意味じゃなくて」
「いえ……遠慮しておきます……」
 ジュペッタの起源は怨念が取り憑いて生命を得たぬいぐるみなのだという。
 そんなぬいぐるみを抱いて眠ったら安心するどころか呪われそうだ。
 それからしばらくお話した後ペタナさんにはお帰りいただいて、藁のベッドに体を横たえた。
 ペタナさんは普段は夜行性なのだが、明日は頑張って早起きすると言い残して。

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 翌朝、僕とペタナさんは皆を探し、一匹ずつ意見を聞いて回った。
「オレはローアさんがどんなポケモンだって気にしないぜ。悪さしてたわけじゃないんだろ? 驚きはするけどな」
 とはミスターの言。
「雹とローアの事なんか知らねー」
「ヤカリ」
「いや……うん。とにかくこのままバイバイっつーのは後味悪いよな、うん」
 ヤカリさんはとにかく会って話すべきだと、探すならまたみんなで手伝ってやると言ってくれた。 
「証拠はあるのか? 俺はスイクンがあの湖の水を清めている所を見たんだ。ゾロアークは能力までコピーできない」
「逆に考えれば、オリジナルに一度会わないと姿を映し取ることもできません。あの湖に本物のスイクンが現れたということが何よりの証拠ではないでしょうか」
「俺はな。ローアを信じたいんだ」
 ギャリスさんは彼女のお陰でこの村に恵みがもたらされているとずっと信じてきたんだ。
 お祭りの時のお祈りだって、ギャリスさんは心の中で彼女に感謝の意を伝えていたのかも知れない。
「良かったじゃない雹!」
「良かった……?」
「私が思うに、あのポケモンは陸上グループだと思うよー!」
 皆それぞれの方向から、様々な心持ちで意見をくれた。
 気持ちの整理もできたし、気づかされることもあって。
 僕が何を大事に思っているのか。つまるところはそれに尽きるのだと。
「ペタナさん」
 二匹は皆のところを回った後、木の実畑で昼食を物色していた。
「何」
「ありがとうございます」
「アタシは何もしてない。皆に感謝」
「昨日貴女が来てくださらなかったら、僕は今も洞窟の奥に引き&ruby(こも){篭};ったままでした」
「昨日の事はいい。大事なのはこれからどうするか」
「ローアさんを探してみます。僕の中でもう答えは出ましたから」
「そう。良かった」
 あとはローアさん次第。
 こうなってしまっては僕とも皆とも顔を合わせづらいに違いない。
 それでも彼女は逃げるような人じゃないって信じてる。
 僕は彼女にも村の皆にもお世話になりっぱなしだったから、そろそろ一つくらいお返しをしよう。
「ごはん食べたら、また皆で探そう」
「いいえ。今回は僕一匹で大丈夫です」
 なんとなく居場所の見当はついている。
 彼女は逃げたんじゃない。一匹で考え込んでいるだけだ。
 それに相応しいのは、彼女の原点、あの場所しかない。

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 小川に沿って上流へ、けもの道なき道を行く。
 ローアさん。僕は貴女をそう簡単に許したりはしません。
 貴女とはこれからもずっと対等な関係でいたいから。
 僕に引け目を感じたままで居てほしくないから。
 だから今日、僕は思いの丈をぶつけようと思います。
「ローアさん」
 花畑の色は少し変わっていた。
 夏から秋へ、バトンタッチしてゆく植物たち。
「雹……どうしてここが」
 湖を見つめて立っていた&ruby(・・・・){スイクン};のローアさんがこちらを振り向いた。
「お祭りの時にギャリスさんに教えて頂きました」
「ギャリスがこの場所を……ということは全てお見通しなのね」
「ええ。貴女のその姿も、これが見納めですね」
 僕は会話もそこそこに無数の小さな氷の礫をローアさんへと放った。
「――――きゃっ……!」
 さすがの彼女もこの攻撃は避けられなかった。
 本来なら礫は体に当たって弾けるはずだ。
 それが、まるで違う挙動を見せる。別の形がそこにあるように。明らかに貫通している部分まであった。
 僕の目が氷の礫の弾ける様を眼球のレンズに納めた瞬間、スイクンの姿が揺らいだかと思うと霧のように消えてしまった。
「ふふふ……そうよ。これが私の本当の姿。私はあの美しいスイクンなんかじゃない」
 鋭い爪をもつしなやかな闇色の体に真っ赤な鬣。
 ゾロアークのローアさんの顔にはそれまでの高貴な微笑みではなく、自嘲の色に染まった笑みが浮かんでいた。
「どうしてなのですか? 僕は行き倒れになっていたところを助けていただいた貴女に感謝こそすれ、憎むことなど何もありません。どうして姿を偽っていたのです?」
「醜いでしょう? 私のこの姿」
「そのようなことは……」
「でも、ゾロアークはいくらでも姿を変えられるわ。それなら美しいポケモンに化けていればいい……私はずっとそうして生きてきたの。そして数年前に一度、ここでスイクンの姿を見た」
 ローアさんは遠い目で湖を見つめた。
「なんて美しいポケモンなのかしらって。心奪われたわ。その日から私はスイクンとして生きることに決めた。誰にも触らなければ、私に触れるポケモンがいなければ、私はずっとスイクンでいられる。伝説のポケモンとなった私は一目置かれて、気安くちょっかいを出すポケモンなんていなかった。&ruby(へんげ){変化};のための力が尽きそうな時、こっそり村を離れても怪しむ者は誰一匹としていない。雹を森の中で見つけたのも、そんな時だった」
 彼女は僕を見ずに独白を続ける。
「世を欺いて生きていることへの、せめてもの罪滅ぼしのつもりだったわ。本当は、貴方にだけはいつか打ち明けるつもりだったの」
「僕が、自分を助けてくれたポケモンを探していたからですか?」
「違うわ。貴方は特別だからよ」
 特別な一匹。
 明言されたのはこれが初めてだった。
 ここへきてようやく。
「それならばどうしてすぐに本当のことを言ってくれなかったのですか? お祭りで懺悔なんてなさるのでしたら……いいえ、一度本当の姿で僕と会っていたのに。その次の日から平然とスイクンの姿で僕の前に現れた貴女の言葉を信じろと仰有るのですか?」
「ごめんなさい。怖かったの。雹が美しいと褒めてくれるこの体を捨てることが。雹にとっての私はスイクンで、雹が恋しているのは偽りの私だったから」
「何度謝られても、見過ごしてしまった昨日は二度と戻りませんよ」
 ローアさんは返す言葉もなく黙り込んだ。
 言い過ぎだなんて思わない。
 僕の受けたショックの大きさも、村の皆、取り分けギャリスさんの気持ちを裏切ったことも。
 決して&ruby(さまつ){瑣末};事じゃないのだから。
「ですから……明日から返して下されば良いのです。僕が貴女に騙されていたのはたかだかひと夏ですから。冬になる頃には、めでたく完済と相成りますね」
「雹……」
 ローアさんが顔を上げた。
 ――そして。
「ごめ……いいえ。ありがとう」
 僕の胸元に屈み込んで、首筋を抱いて、背中を撫でてくれた。
 残暑のせいではない熱が、僕の体を溶かしそうになった。
「今まで貴方を……皆を騙していた分、貴方のために、そして村のために尽くすわ」
 僕はそれに応えて、甘えるようにゴロゴロと喉を鳴らして首を擦りつけた。
「僕は北風の涼しさや神秘的なオーロラの美しさに心奪われたのではありません……貴女という存在に惹かれ恋に落ちたのです……たとえどんな姿をしていたって、僕はローアさんが好きですよ」
 季節はずれの北風が吹いて、湖の水が揺れた。
 夕陽を反射してキラキラ光る水は、僕たちを祝福しているような気がした。

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''~Epilogue~''

「雹ったら……また寝坊? 早く行かないといい席を取られてしまうわ」
「ごめんなさい! 昨日はまたミスターに付き合わされてしまいまして……」
 今日は待ちに待ったお祭りの日。
 登山道の入り口で彼女と待ち合わせをしていたのだが、去年に引き続き不覚にも寝坊してしまった。
「オレのせいにするなっての」
「ミスター? どうしてここにいるのですか」
「皆と待ち合わせだよ。お前はたった一年でそっち側になっちまったけど、オレ達は今年も仲良く集団参加だぜ」
「そんな……別世界の住人みたいに仰有らないでいただけますか? もう……」
「いいじゃないの。それじゃミスター、お先ね。貴方も早いこと相手見つけなさいよ!」
 ローアさんがミスターに手を降って歩き出す。
「待って下さいよローアさん!」
 慌てて追いかける僕。
「メタモンがいねえんだからよう……性別不明組の悲しき性ってやつ?」
「黄昏れてるねーミスター!」
「おおライト! わかってくれるのはお前だけだぜ!」
「男と女の話ー? 私達っていろいろと残念だよねー!」
 入れ替わりに集まってきたポケモンたちは、今も変わらず。
「ちょっと寂しくなった」
「俺がいるじゃねーかよー」
「ヤカリは普通の友達」
「っておい! まだ親友に昇格できねーのか! 雹は一瞬だったのになんでだよー」
 優しくて、見ているだけで愉快な――
「そろそろ俺も嫁の一匹や二匹探してみるかな……」
「なっ!?」
「アニキが?」
「新たな恋の予感だねー!」
「二匹はダメ。一匹だけ」
 僕の新しい仲間達。


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***あとがき [#a2804fed]
大会終了後に推敲し少し修正した所があります。
投票して下さった8人の方ありがとうございました!

元は「フォックスイリュージョン」というタイトルだったんですがあまりにバレバレなので少し捻ってこのようなことになりました

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