ポケモン小説wiki
Cream in the Shell の変更点


 ボクに翼があったら、あの鳥を追いかける事ができるのに。
 ボクに強さがあったら、あの鳥の目に留まるかもしれないのに。
 ボクがあの鳥と同じ鋼の烏であったら、あの鳥と番う事が出来たかもしれないのに。

 空ばかり見上げているボクがある日見つけたもの。
 それは、力尽きて鋼の殻だけ地面に横たわった、あの鳥と同族の成れの果てだった。
 中の肉は腐り果てて、空洞になっていた。
 その骸に、ボクは。




 ヒトの主人に付き従うという事は、食うものに不自由しないが退屈極まりない。鉄の籠を引き下げ、この地の空を行き来するだけの生活。最初は見知らぬ景色に心を躍らせもしたが、それもすぐに飽きた。
 主人が「ワイルドエリア」と呼ぶ広大な大地。その森の中で、俺は籠の上で朝の木漏れ日を浴びながら、木々の合間に消えた主人を待っていた。
 腹を壊したらしい。地に降りて隠れながらしなければならないとは、難儀なものだ。俺のように、空の上ですればいいものを。
 辺りを見渡す。微かな風に揺れる草花の中に、ポケモンの気配を感じた。
 胃袋は主人から与えられた朝の食事で満ちている。わざわざ翼をはためかせ爪を振りかざし血肉を啜るのは億劫だ。主人が戻ってきたら、またこの空を飛ばなければならない。
 俺は、元の生活を忘れてしまったのだろうか。仮にそうだったとして、俺はまたあの生活に戻りたいのだろうか。
 分からない。分からないが、主人には恩がある。群れの頭を決める争いに敗れ、傷ついた俺を手当してくれたのはあのヒトだ。退屈以外の何物も見つける事が出来ない生き方だが、これは主人の生活が俺の翼で成り立っている事でもある。だから俺は主人を見捨てない。群れに見捨てられた俺を拾ってくれた主人を見捨てる事は許されない。
 しかし、主人はこの生き方に満足しているのだろうか。ヒトの考えの全てを俺は理解するに難しい。主人はヒトの中でも若い方に入る。俺の種族ならば、若い者の多くは群れの頭を退け自らが頭になる事を目論むか、或いは群れを出て新たな群れを作りそこで頭となる。ヒトの中にはそういう気性を持ったヒトがいるらしい。主人が話すヒトの言葉では、「チャンピオン」という名前だそうだ。しかし、俺の主人はそういう企てを考えないようだ。群れから追い出された俺であるが、主人の為なら主人が頭に登り詰める戦いに力を貸すのだが。

 ふと、俺の嘴にある鼻が森を通り抜ける風に入り混じった香りを感じた。甘い、ひたすらに。この甘さは知っている。主人と共に生きる前は、好んで啄んでいた柔く甘いポケモンだ。
 香りが強くなっていく、俺に気づいてないのか。対して主人が帰ってくる気配はどこにも見当たらない。僅かに鉄の味がする主人からの食事にも飽きていた頃だ。あの甘いポケモンなら狩ってもいいだろう。あの甘さは翼を上下させる力になる。
 俺に向かって、草花の中を何かが進んでいる。やはり俺に気づいてないのか。狩る手間が省けるのは喜ばしい。存分に俺の血肉にしてやろう。風に色が付くのではないかと錯覚するほど、甘さが濃くなった。いよいよだ。逃しはしない。籠の上で俺は、腰を落とし翼を広げ構える。

 飛び掛かろうとした瞬間、俺は呆気に取られた。
 俺が見下ろす先の藪から現れたのは、片方の翼を引きずる同種であった。

 翼を畳みながら見下ろす俺と、息を切らしながら見上げる同種、視線が交差する。甘い匂いはその同種から漂っていた。ここに来る前に狩ったのか、とんだ期待外れだ。
 空腹よりも厄介になった退屈も満たされない。同種は片方の翼を地に着けた他に、身体のいたる所に錆が浮かんでいる。病か老いか。こうなればもう長くはない。ここは俺の縄張りでもない。この同種に戦いを仕掛けるだけ無駄以外の何物でもない。

「あ……あの……!」

 興味を失い身体ごと視線を逸した俺に、その同種は呼び掛けてきた。その声色は、か弱いながらも身体の錆とは反対に健やかで若い。なんだ、こいつは。俺は顔だけをその同種に向けて応える。

「なんだ? 俺に何か用か?」
「あ……あ……あの……!」

 言葉に詰まる同種には目に光を宿しているが、翼や身体の合間から何かが流れている。血にしては明らかに黒い。中が腐っているか、やはりそう長くはないだろう。だが、鼻を刺すような肉の臭いはなく、甘い。不思議な奴だ。

「あ……あ……!」
「用が無いなら消えてくれ。たまたま俺と出くわしたなら見逃してやる。死にかけに止めを刺すほど、俺は冷たくはない」
「あ……あのっ!」
「あぁ?」
「あの……ボクっ! あなたにずっと憧れていましたっ! あなたがこの森を通る度にっ! いつも空を見上げていましたっ!!」

 同種が俺に向かって叫んだ。錆びかけた鋼に囲まれた瞳の輝きが一層増す。その意味を俺は理解出来なかった。朽ちかけた身体の同種が俺に憧れる意味が分からなかった。かつては俺と同じように、我が物顔で空を飛んでいたのだろう。どこかの群れの頭だったのかもしれない。頭となる前に追われた俺と違って。俺と同種の違いは、死にかけかそうじゃないか、ヒトに付き従うかそうじゃないかしかない。俺にとって、死にかけでもこいつの方が自由という意味で憧れる。

「……そう言ってくれるのは嬉しいが、俺はお前が憧れるほどの者じゃない」
「いいえっ! あなたはボクにとってずっと届かない存在でした! こうしてようやく会えてとても嬉しくて……ボク……本当に嬉しくて……だから……そんな事言わないでください……」

 誂っているなら死にかけでも容赦はしない、そう言いかけた言葉を喉の奥に押し込んだ。同種が俯いて泣いている。甘く、黒い涙を。その意味を俺はやはり理解出来なかった。何故泣く。何故俺に涙を見せる。何故俺を選んだ。俺のようにヒトに付き従う同種は星の数ほどいる。何故俺を選んだ。俺はお前の何なのだ。

「ごめんなさい……困りますよね…………帰ります……ボクの言葉は……全部忘れてください…………ごめんなさい…………」

 待ってくれ、消える前に教えてくれ。そう思っていても言葉が出なかった。何かに邪魔された。今ここで引き止めなければ後悔し続ける。そう分かっていても嘴が動かなかった。何故だ。教えてくれ。お前が答えを知っているんだろう。俺はお前の何なのだ。
 腐りかけた身体を翻して、同種は再び藪の中へと消えた。一歩も、嘴一つ動かせない俺はその様子を黙って見守るしか出来なかった。予感だ。今動けば、今喋れば、この同種にとって大切な何かが崩れる。崩れかけの身体よりも大切な何かが。恐怖、それに近い。それでも、俺は、

「俺の名は『ゼファー』! ヒトの主人が名付けてくれた! 今度会った時、お前の名前を教えてくれ!」



 
 それからだ。
 俺の翼の色より鈍い色のこの世界の空を飛ぶ度に、あの甘い香りを纏った輝く瞳を探し始めたのは。

 俺があの時あの同種を引き止めていたら、俺もあいつも呪われなくて済んだのに。

 
 了


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