作者[[カヤツリ]]第二作。 官能あり。というかほぼ強姦。 構わない? ならどうぞ。 #hr 一匹のバクフーンが逃げていた。 その首筋には黒い焼印。 拘束の象徴である重い足枷と鎖が足元でガチャガチャと忙しない音を立てる。 やっと掴んだ逃亡の好機だ。 これを逃してなるものかと足に鞭打って更に走る。追手の気配はまだ無い。 100m、200mとどんどん例の場所から遠くなる。肺が悲鳴をあげるのも無視しての自由への逃亡。 だがそこで脱走は終止符を打たれた。 後ろから誰かが叫ぶ声がするや否や、両足の足枷が急に後ろに引っ張られたから。 私はもんどりうって地面に倒れ、淡い黄色と黒の体は泥に汚れた。口の中で血の味がする。 足枷は見えざる力で私を引き戻し始めた。必死に腕で地面をひっかいても無情にも足枷は私を確実にずりずりと引き戻していく。 地面に長く残された爪跡だけが虚しい抵抗の成果。 後ろから看守の冷たさを湛えて漂ってきたのはジバコイル。 磁力で引き付けたか。 最後の抵抗として私は首筋に大きく点火して威嚇する。 苦手なタイプなら少しは怯むかもしれない。物理技が届く辺りまで近づいてくれさえすれば。 でもそれはただの悪あがきだった。 次の瞬間私の全身を電流が駆け巡り、体がビクッと飛び上がる。 自分のものではない電気信号に全身をひきつらせ、痙攣しながら地面をのたうつ。 あぁ、これで死ねたら。 まもなくふっと意識が遠くなり、絶望の暗闇が私の視界に帳を下ろした。 目が覚めると私の待遇は逃げる以前と何一つ違わない。蝋燭が部屋の角に一つ。 私は汚い小部屋の天井を見あげる形で簡素な木の寝台に仰向けに寝かされていた。 四肢を枷と鎖でがっちりと台の四隅に固定され、無防備に腹をさらけ出して。 この体勢が意味するのはただ一つ。 戦場における欲望の捌け口となること。 ここは慰安所だ。 失望というには深すぎる落胆、そして体の痛みがどっと押し寄せて私は深い吐息をつく。 泣きたい。怒りたい。 どうしてこうも世は不公平なのか。 負の感情に押し流されまいとぐっと唇を噛んで我慢する。精神世界だけが最後の砦、唯一の抵抗だった。 それでも悔しさが込み上げてくる。ただの奴隷ならまだしも、ここは精神的かつ肉体的に私を追い詰める牢獄。 泣くな、私。 ここでは涙は意味を持たない。 そう、私はモノでしかないから。 部屋の外から騒がしい声がする。 あちこちの別の小部屋から悲鳴や嬌声が響き、独特な鼻をつく匂いがゆっくりと不快な夜の霧の様に漂ってきた。 私の番もそう遠くはない。 稀な美貌が災いして私はここでは引っ張りだこだった。 何度自分の身体を呪ったことか。 ここでは苦痛しか意味をなさない美貌は厄介なお荷物、目立たない方が何かと楽だ。 ガヤガヤと戸口で騒がしい声がしたかと思えば、一匹のウインディが部屋に入ってきた。 こいつが今夜の相手か。かなり酒臭い、がさつなタイプ。今晩はきっと辛いだろう。 「よぉ姉ちゃん、予約してから一ヶ月待たされたぜ。待った分も払ってもらうぜ?覚悟しな?」 そう言って私の上にのし掛かってくるウインディ。 じっくりとねめまわすような視線を私に注ぐ。 「うーん、やっぱ良いカラダしてんなぁ。評判通りだな。え?」 やおら、私の発達した胸��顔を埋める。 やおら、私の発達した胸に顔を埋める。 両前足でぐっと掻き寄せて鼻面を強く擦りつけ、ウインディは露骨に胸を嘗め回し始めた。舌で突起周辺を執拗に嘗める。 だがこんなことで屈する私じゃない。精神的に屈したら負けだから。 いくらなぶってもそっぽを向いたままの私に煮えを切らしたウインディが囁く。 「ほぉ、意地を張るとはねぇ。大人しく身を任してればよかったのに、残念だぜ」 奴は体を降ろして私のさらけ出された下の口の辺りを眺める。 「いつまで我慢できるか見してもらおうか」 私の股ぐらに熱い息がかかる。そして湿った感覚。 つつつっと下から上へ焦らすかのように舌が裂け目を往復する。 全身が火照る。でも奴に楽しみを与える気はさらさら無いから必死に耐える。 私のプライドを試すかのような時間が暫く続き、部屋にはピチャピチャという卑猥な音が響く。 「姉ちゃんやるねぇ。だけどいつまでもいい気でいると痛い目みるぜ?」 そう言ってウインディはいきなり大きくなったモノを私に突っ込んだ。 「……っくっ!?」 あまりの痛みに思わず食いしばった歯の間から声が漏れる。愛液なしでの挿入に激痛が走る。 ショックで四肢を縛られながらもジタバタしているとようやく奴はそれを引き抜いた。 気づけば涙が一筋頬をつたっていた。 「な?痛かったろ?だから濡らしときゃあよかったんだよ。いい加減諦めな」 そして奴は裂け目に沿って手を宛がうと私の下の口をぐっと開いた。 赤味がかった色彩が蝋燭の闇に開く。 「……数こなしてる割にはキレイじゃねぇか。じゃ、頂くぜ」 と言って露になった小さな突起を舌で直に弄り始めた。 「……っつっ!うぐっ……くうっ!」 悔しいけど、さすがにそこは厳しい。 頭で拒絶しても体が言うことを聞かない感覚。 本能は理性より雄弁だってか。 声を漏らすまいと必死に堪えるも、陰核からの圧倒的な情報量に溺れて身を激しく捩る。 遂に濡れ始めた私に奴が覆い被さる。 「じゃ、本番といきますか?」 結局、その夜は更に二人に私は貫かれた。 終わりのない苦痛の世界。 全てに見捨てられたバクフーンを救うほど、神様は暇じゃないらしい。 #hr 「旦那、ジョッキ二つ!」 宿屋「寄木亭」は今宵は大盛況、喧騒の渦の中に暖炉が心地よくはぜる。 角にあるピアノは気まぐれに鳴り響き、バイオリンの弓は弦の上を狂った様に走り回る。 これぞ酒場の日常、混沌としていてもどこか心がおちつくってもんだ。 いやぁ、「しんそく」持ちでよかったよかった。 ジョッキ二つを持って目にもとまらぬ速さで注文のテーブルへ。 「へいお待ち、ご注文のビール二つぅ」 「さすがバーナムの旦那、仕事が早いぜ。ハハ、しんそく持ちは伊達じゃないってか」 そう、あっしはマッスグマのバーナム・カリスツ、宿屋「寄木亭」の四代目亭主。 ここはノース最南端の都市ベームに近いとこ、サウスとの交易街道沿いのまぁまぁご立派な旅籠で、今あっしのいる本館の他に宿泊部屋付きの東館と西館が通路で繋がってる。 「寄木亭」ってのは二代前の亭主が付けた名で宿の特徴をよく表してる。と、あっしは思う。 答えは簡単、そこらの材木の寄せ集めみたいなちぐはぐな外見だから。 外から見ればごてごてした三つの木造の建物が無理にくっつけられたみたいな感じ。 まぁ���ッチョ悪いのはいただけないけど、食いぶちには困らないし、何より愉快。 ま、カッチョ悪いのはいただけないけど、食いぶちには困らないし、何より愉快。 俺を後継に選んだ先代に感謝! ま、雑用からここまで這い上がったあっし自身も少しぐらい褒められてもいいと思うけど、な。 賑やかな部屋を縫ってカウンターへ戻るとウェイターとして雇ってるキルリアの女の子が来客を告げた。 「軍の方四名様でーす」 あぁ、また軍の奴らですか。 サウスとの戦争が一年前に始まって以来、国境に近いこの辺りは大きな駐屯地がいくつもできて、あっしの宿にも飲みに来る連中が結構来るようになった。 商売繁盛するのはいいけど、なんせこっちが気をつかう。 マナーも誉められたもんじゃないし。 まぁ飲まなきゃやってらんないらしいんだがね、最近の軍人はどうも苦手だ。 やれやれ。 「最近は膠着状態でね。やることもないって訳だから部下と遊びに寄ったまでさ」 と以前来たグランブルの隊長がブランデーをすすりつつリザードやヘルガーを顎で指す。 「まぁやる事といったらトランプぐらいですからね。あっちのテーブルやってますよ?いかがです?」 「い~や、遠慮しとくね。前回すっからかんにされたし」 「隊長弱いっスからねぇ。運に見放されたというか」 ワイン片手に生意気な口を部下のリザードが叩く。 「あ、でもお楽しみと言えばもう“あれ”があるじゃないっスか、隊長?」 「俺はお断りだね。かみさんに殺されちまう」 「わかりっこないっスよ。ったく、隊長は堅物なんだから」 「フン、お前も世帯持ちになれば判るさ」 「あの~、“あれ”ってなんですか?あっしに分かるように教えていただけません?何か楽しいんですか?」 「“あれ”っていうのはだな……」 ニヤニヤしながらヘルガーがこっちを向いた。 「女のコが来てンのさ。俺達を慰めにな……ヒヒ……」 そう言って舌なめずりするヘルガー。 ……なるほど。慰安所か。 恐らく占拠したサウスからの捕虜やらが性奴隷として奉仕させられるのだろう。 戦争ではいつもの事。別に嫌悪も憐れみも感じない。 「お前らなぁ、そんな暇あったら嫁さんでも探せや」 「隊長はいいですよ。戦場で誰が結婚相手探せるってんですか?あ、そういえば」 ふとこちらに顔を向けるヘルガー。 「金払えば民間人でも使えますぜ、旦那、どうだい?」 「あっしが?これまたご冗談を。」 「こんな片田舎で不満も溜まってるでしょうに」 「余計なお世話です」 「ま、気が向いたらどうぞ。なかなか美人揃いですぜ」 グランブルの隊長は苦い顔だ。 立ち去り際に一言。 「すまねぇな、あいつら少し持て余し気味でよ。また寄るぜ」 「いえいえ、どうぞご贔屓に」 ふむ。口では否定したが別に興味が無いかと言われればそうでもない。 恥ずかしながら好奇心は大分そそられる。 一人の男としては悪くない経験かな、と。 だけど別にここいらでも可愛いコはいない訳じゃ無いし、本気になれば一人ぐらい引っかける事はできると言えばできる。 まぁ、長続きしないけど、な。 あ~もう、この話は止め! 西館にウイスキーを補充しなきゃいけないし。東館じゃ酔った客が騒いでるみたいだし。 「宿泊のお客様一名でーす」 あーったく、うるせーッ! 大量の荷物を抱えたアリゲイツを東館に案内し、ついでに酔ったオオタチをお手伝いと一緒に部屋に片付け、反対側の西館へダッシュ。 やばい、「しんそく」のPP切れそう。 ウイスキーの配達が終わり、あっしが本館のカウンターに戻るとキルリアがにこやかにこう言った。 「あ、ご主人、東館三階のお客様と西館二階奥の部屋のお客様がビールのご注文、あと洗濯屋さんがシーツ20枚洗い上がったから取りに来て欲しいとの事でーす」 何……だと?! ヘロヘロになってベッドに入る前、あっしは心の中で決めた。 こんなストレスだらけの毎日だもの、あっしにだって少しぐらいお楽しみと息抜きがあってもいいじゃないか。 欲求不満もあながち間違いじゃないし。 暇だったら今度覗いてみるか。 例の場所を。 #hr ……で、来ちゃいました。 あっしはいったい何やってんだか。 熱気がむんむんと立ち込める待合室はなんとも不快だけど、その場の妙な高揚感が期待を煽る。 落ち着け、あっし。待合で興奮してどうする? コチコチになって座ってると、声をかけられた。 「お、寄木の若旦那じゃあないっスか?」 ハッとして振り向くといつぞやのリザードがニヤニヤしながらこっちを向いていた。 「いやぁ、やっぱ興味ありました?まぁ固くならずに、一日くらいたっぷり遊んでって下さいよ」 あっしとリザードが話してるうちに客は奥の扉に消え、ようやく列が短くなってくる。 あぁ、やたら緊張してきたねぇ。 いや、別にやる事はいつもと変わらないけど、普通は両方の合意の上なのにここではこちとらの勝手で何でもありってのが奇妙なスリルって訳、な。 「で、お目当てのコはいるんスか?」 「ほぇ?いっ、いや、初めてですから……」 「……誰がいいか分からないっスか?う~ん、やっぱレベッカが一番だけど、倍率高いっスからねぇ。一月待ちなんて事もあったっス。セシルも悪くないし、エラは素直ないい子っスよ」 ……正直、誰がどうなのか見当がつかない。 あ、あっしの番だ。 性欲とは恐ろしく無縁そうなジバコイルが漂ってきた。 「誰ヲゴ指名デ?」 「えっ、いやっその……あっしは……」 しどろもどろになっているところでリザードが助け船を出してくれた。 「……ジバコイル、レベッカ空いてるか?こいつに紹介したいんっスが?」 「レベッカ……来週マデ空キハアリマセン」 「いくらでスケジュール動かせる?」 「……三万追加……」 「どうだい、バーナムの旦那?三万で一夜限りの美女を抱いてみます?」 正直、財布は心細い。 だけどここまで来たからには一番の美女を選んでみたい気もする。 そう、これはあっしからあっしへの息抜きのプレゼントだから。 黙ってジバコイルに紙幣と小銭を渡す。 もちろん三万追加で、な。 「……マイドアリ。一番奥ノ左」 ジバコイルが斥力で鍵をこちらに飛ばす。 「旦那、恩に着ろよ。次はビールおごりで頼むっスよ?」 とはリザード。 「はいはい、承知しました」 さて、戸をくぐった先の廊下の両側には扉がズラリだ。 あちこちの小部屋から荒々しい息遣いや喘ぎ声がする。気が高ぶる独特な匂い。 はやる気持ちを押さえつつ、ゆっくり奥へ向かう。 少し大きな扉の前に立ち止まって深呼吸。 さあて、レベッカとやら、今宵は楽しませてもらいますぜ、な。 ガチリ。 鍵をゆっくり開く。暗闇に蝋燭一つ。 かなり薄暗い。それと官能的な匂い。 目が慣れてあっしの前に誰が横たわっているか分かった時、二重の意味であっしはショックを受けて何も出来なかった。 備え付けの粗末な木の台に、一匹のバクフーンが仰向けになっている。 黄色と黒の曲線美豊かな肢体。 伺いしれない表情を浮かべた均整の取れた顔つき。 首筋に焼き付けられた奴隷の印も官能と神秘を掻き立てる。 変な話、焼き印が似合う。 ただでさえ男を一発で悩殺できそうな容姿なのに、その上四方の枷に四肢を縛られ、こちら側に淫靡に下の口の奥が見えるまで脚を大きく広げさせられてるから、こっちはたまったもんじゃない。 で、なんであっしが突っ立ったままかって? 股ぐら開かされて抵抗出来ない彼女になんで飛び込まないのかって? そりゃ、憐れみってやつさ。 ここまで来て変な話だけど、な。 改めてここで慰安の意味を再認識したというか。 枷の部分の毛皮は擦れて擦りきれ、身体は行為の置き土産でかぴかぴに汚れている。 目は虚ろに半分閉じられ焦点が虚空に向いている。 そこにいるのは、抜け殻とも言える一匹のバクフーンでもあった。 道徳を、生気を、希望を、精神を吸いとられたかのような。 ってな訳であっしは目的も忘れて突っ立ったままだった。 奇妙な沈黙。 ふと彼女が視線をこちらに移した。 紅の瞳がピント合わせをする音でも聞こえてきそうだ。 その視線であっしを一瞥すると、彼女はぷいっとそっぽを向いてしまった。 で、相変わらず突っ立ったままのあっし。 何か言わなくちゃならないのはわかるんだが、言葉が見つからない。 なんて言えばいい? 「かわいいね。」か? 「可哀想だね。」か? 悩んだ挙句、あっしは間抜けな選択をした。 「……やぁ」 もち、沈黙。なんだか縛られてる彼女の方があっしより優位な位置にいるのは気のせい? 「えーっと、何しに来たかって言えば立派なもんじゃないんだけど……」 完全無視。 縛られて抵抗出来ない女を前にしているはずなんだがねぇ……。 「あの、その……あっしに何かできる?君のために?」 心の中で欲望の激しい糾弾を受けながら、質問してみる。 考えてみればおかしな質問だ。 この場所の目的を考えれば、彼女にとってあっしのできる最良の事は回れ右して何もしないで帰る事だから、な。 彼女が振り返る。今度はバカにしたような視線。 決して自分の恥ずかしい部分を晒しながらする事ではない。 こいつ、上半身と下半身バラバラに思考してんのか? 彼女は答えた。 「ヤりに来たんじゃないの?」 ……ごもっともで!!! 「えーっと、そのはずだったんだけど……やめたわ。あっしにこういうとこは向いてないって分かったって訳、な。」 「……」 我ながらバカな会話しかできてない。 商売でろくなことをしゃべってないからなんだろう、な。 あっしには何も出来ない。やっぱり帰るしかないか。 こんな風になるんだったら問答無用でヤっておくんだった。 さよなら、あっしの7万5千。グスン。 あっしはドアノブに手をかけた。 「待って」 彼女に呼び止められて振り返る。 「戻らないで、次が来るから」 なるほど、あっしに唯一出来るのはこの部屋での時間稼ぎですか。 あっしが出ていけば次が来ちゃうから、しばしの休息が欲しいって訳、な。 あっしは寝台の横に腰掛ける。 ���何かして欲しい事ある?いや、ただ座って時間潰すのもあれだし、な」 「何かして欲しい事ある?いや、ただ座って時間潰すのもあれだし、な」 肩にポンと手を置いて尋ねる。 「寝かせて」 素っ気ないねぇ。 彼女はゆっくり瞳を閉じた。 あっしは肩から手を離そうとした。 ふと柔らかな毛並が一部乱れている感触。 見れば前回の誰かの行為の跡がカピカピになって毛にこびりついていた。 指で毛をしごいているうちにそれは白い屑になって落ちる。 何の気なしに次の場所に手を伸ばす。 綺麗にしては別な場所を新たに毛繕い。 最初のうちは彼女の身体もやや強ばっていたけど、そのうち気持ちがいいのか力を抜いてすやすやと本格的に寝息をたてはじめた。 つかの間の、ホントに少しの平安に気が弛んだんだろう、多分な。 ところで何しに来たんだ?あっしは? 高い金出して毛繕いのサービスですか?それとも単に臆病なのか? 暖かな彼女の身体を綺麗にしながら自問自答、後悔、憐憫、欲望、理性があっしの頭ん中で大きく渦を巻く。 学のないあっしには今のところこの複雑な感情を表現する語彙もない。 あーあ、こんなになるんだったら来るんじゃなかった。 毛繕いが終わって、ほぼ全身が綺麗になった彼女。 改めて見ても、やはりかなりの美人なのは疑いの無い事実。 性の対象として、いや、女一匹としても人気が出るのも頷ける。 こいつ、男を不幸にするタイプだね。こんなんが側にずっといたら身を滅ぼしかねない。 あっしなら間違いなく破滅しそう。 やれやれ、惚れちまいそうだ。 かといって逃がす訳にもいかないし。 軍を敵に回すのは賢いとは言えないし、失敗のリスク、可能性が大きい。 助けてやれないのは残念だけど、目をつぶるしかないな。 あぁ、あっしも不幸だねぇ。 こんな思いをするなら、出会わない方がまし、ってこった。 慣れない真似はするもんじゃない、な。 ふと眠気が急に襲ってくる。真夜中はもう過ぎた。 仕方なく彼女の横で体を丸めるあっしの白と茶の毛皮に夜の冷気がじんわりと染み込んで来る。 心も体も寒い夜。 誰かが暖めてくれるなら、それはとなりの彼女がいい。 だけどあっしはそんな権利、金、理由、勇気なんて持ち合わせちゃあいない。 あるのは実体のない夢だけ。夢。 まどろみがゆっくりとあっしを眠りに引きずり込む。 最後にあっしの目に映ったのは、彼女の首筋の焼き印だった。 アンノーン風飾り文字のS。 奴隷(slave)のS。 結局、朝が来る前にあっしはそっと帰った。 朝焼けの中とぼとぼと無力感に包まれて歩きながら後ろを振り返ると、慰安所の宿舎が見える。 オレンジ色の中の絶望の施設。 だけど、あっしは……センチメンタルと言われても仕方ないけど、レベッカ、君にもう一度会いたい。 #hr 「どうしました?ご主人?最近不注意ですよ。なにかと上の空ですし。何かあるんですか?」 ある夜、店じまいしてからウェイターのキルリアに尋ねられた。 あっしの足元には砕けたジョッキ。ガラスの破片を拾いながら返事をする。 「いやぁ、最近疲れが溜まっててな……眠れないし。あ、いやいやいや別に催眠術しなくてもいいよ」 両手で催眠術の構えを作ったキルリアを慌てて制す。 「ホントに大丈夫ですか?悩みならうち明けてくれたっていいんですよ?」 「いや、別に心覗かなくてもいいって」 エス��ーというタイプ上、彼女は人の心を読もうとすれば大まかにだが出来る。 エスパーというタイプ上、彼女は人の心を読もうとすれば大まかにだが出来る。 だが心をあれこれ詮索されるのは誰しもいやだ。 もっとも、彼女の方もその辺はしっかりわかってくれてて、人の感情のキャッチを出来る限り控えてる。 仮に感情を捉えても、そんな素振りを一切見せない優しさと分別もあるし。 「でも、いつでも相談してくださいね」 「はいはい」 「じゃあ今すぐ相談した方が良い気がするんですがね」 西館から帰ってきたテッカニンが笑いながら入ってきた。 「なんせ若旦那、シーツが全部裏表逆でした」 「あ、いけね」 「まぁ直しましたが。今週二回目ですぜ」 このテッカニンもここの大事な働き手だ。宿の各部屋には変わったベルがある。 普通の人には聞こえないテッカニン専用の高音仕様のベルが鳴れば、音階から部屋を判断して注文を取りに行く算段。 宿の超高速サービスは彼の高速移動とあっしのしんそくによるところが大きい。 「悪ぃ。最近どうもうっかりが多くて……」 「その結果がこれですか?」 あ、まずい。 苛立ちを浮かべて入って来たのはコックのサンドパン。 厨房の神様。ただかなり口うるさい。 空の小麦粉の袋を抱え、フライパンを剣のように構えて仁王立ちする小柄な彼女の姿には有無を言わせぬ威厳がある。 「小麦粉買ってくるって言いましたよね」 「おっしゃる通りで……」 「言い訳を聞きましょうか」 「……わすれただけ」 ガン! フライパンで殴られた。 悠々と厨房に帰る彼女。 キルリアとテッカニンがくすくす笑うなか、頭を押さえて涙目のあっしが残された。 覚えてろ!貴様クビだ、クビ! 眠りにつく前、ふと窓から軍の方を見やる。 もちろん、あっしの不注意の原因はレベッカ。 どうしても脳裏をよぎる彼女の姿が振り払えない。 今、同じ星空の下で彼女が軍の慰みものとして扱われてると思うと、焦燥感と無力感がつのる。 あっしはこうしてふかふかのベッドで眠りにつくのに、彼女はこれから一晩中ずっと硬い木の寝台の上で苦痛を伴う仕事を続けるんだ。 あっしに知恵が、勇気が、力があるなら、そして後先考えない無鉄砲さがあるなら、迷わず自分の信じる道を選べばいい。 例えその先に障害があるとしても、素直に生きれたらどんなに楽か。 だけど、あっしには宿を切り盛りする責任もあるし、現実を見据えなきゃ世の中渡ってられない。やはり世の中は理想を軸に回ってないらしい。 寝返りを転々とうちながらまんじりとも出来ない夜が過ぎていく。 #hr 夏の盛りが巡って来た。 首筋をジリジリと日に焼かれながら、私はもう何個目になるか分からない缶詰の箱を運んでいた。 慰安婦とはいっても昼間は一人の働き手、働かざる者食うべからずというのがここの掟。 ただ言わせてもらえば、私は夜も昼も働き詰めの身で睡眠不足、栄養不足で今にも倒れそう。 特に最近は物資の往来が激しくなって昼間の仕事量がぐんと増えた。 もうすぐ大規模に南へ駐屯地が移動するかららしい。 以前別のキャンプにいた時、移動の際の人員整理で民間の水商売のオーナーが何人か奴隷の買い付けに来ていた事があった。 私ももちろん候補に入ったけど、あまりに値が高すぎて買い取ってもらえなかった。 人気が高かったから、軍は私を手放そうとしなかったんだ。 ���間ならまだましな扱いが期待出来たかもしれないのに、ここは休み無しで昼は働き、夜は一晩中がさつな兵士相手に粘液にまみれて奉仕、と過労死してもおかしくない物扱いだ。 民間ならまだましな扱いが期待出来たかもしれないのに、ここは休み無しで昼は働き、夜は一晩中がさつな兵士相手に粘液にまみれて奉仕、と過労死してもおかしくない物扱いだ。 重い小麦粉の袋を三つ抱えてよたよたと炎天下の中倉庫に運び込む。 倉庫に入る前、ふとガラスに映った自分の姿を久々に見た。 ふかふかだった毛は艶を失ってバサバサ、身体のラインもすっかり痩せ細った。 目の下にはくまが浮かんでるし、全体的によれよれ。 ったく、これのどこが魅力的なんだか。 思わず苦笑いする。 突っ立ってると倉庫から罵声が飛んできた。 監督役のオーダイルが鞭を手に走ってくる。 「早く運べって言ってんだろーが!あ?貴様自分の姿に見とれてる暇あったらさっさと歩け!お前の美貌が必要なのはベッドの上だけだ」 ピシッ! 鞭が鳴ると同時に脇腹に痛みが走る。続いて背中、足。 いつもならこの程度では歯をくいしばって耐えるだけ。 だけど、日頃の疲れからか、私はどうっとその場に倒れた。 くらくらめまいがする。日射病? 「は、貴様サボろうって魂胆か?」 オーダイルが首筋を掴んで私を持ち上げる。 「これで目が醒めらぁ!」 水を纏っての体当たり、奴の十八番、滝登りか。 とっさのことに思わず防衛反応が働く。 タイプ不一致で近頃の仲間は誰も覚えてないけど、唯一の水への対抗手段。 右手に青白い電光を迸らせ、突っ込んで来るオーダイルに思い切り打ち込む。 当たったか分からないうちに、私は思い切り滝登りを食らった。 背中をガラスに打ちつけ、さらにそれを突き破って倉庫の中まで吹っ飛ばされる。 薄暗い倉庫の中、びしょ濡れになった私には身を起こす力もない。 横たわっていると割れたガラス窓から奴が肩を押さえて入って来た。 「貴様、俺にかみなりパンチ打ち込むったぁいい度胸してんじゃねぇか?」 大波が奴の後ろでせりあがる。 「頭を冷やしな」 波乗りが私に襲いかかった。 全身をバラバラにするような衝撃、身体が倉庫内の壁に叩きつけられる。 くずおれる暇もあらばこそ、アクアテールがみぞおちを直撃した。 「……っぐっ?!」 強烈な打撃に何かが胃から猛烈にせり上がり、次の瞬間、私は思わず嘔吐していた。 胃酸のキツイ匂いが漂い、口の中は焼けつくようだ。 ぐったり動かない私をよそに、奴は私の鎖を倉庫の柱に取り付け鍵をかける。 「今晩は俺の相手になってもらうからな」 そう言って奴は出ていった。 勝ち目がないのは最初からわかっていた。 でも、悔しくて悲しくて。 辛くって理不尽で。 胸の中でまた別の何かがせり上がる。 大量の水と自分の吐瀉物にまみれて、遂に私はくぐもった声で泣き始めた。 倉庫内に響く私のすすり泣き。 光明は永久に見えそうに無い。 #hr 南への移動が始まった。 夏の日差しの中、あっしは連日進軍して行く兵士に道端で水を出張サービスしてやってる。ま、これも商売。 水はただだけど、隣にビールを並べておけば売れるから、な。 商売ってのは需要を見つけた奴の勝ち。 2万人近くいた駐屯地の規模も半分まで縮小され、だいぶ平原はこざっぱりとしてきた。 これが意味するのはあっしにとってただ一つ。 時間が無い。うかうかしてるとレベッカもいっちまう。 慰安施設の建物も解体が始まってるし、いつ彼女がいついなくなってもおかしくない。 だから水のサービスには商売だけじゃなくて、ざっと全体に目を通すことで最後に彼女を一目でも、っていう心情もある。 だけど、今のところ彼女はおろか、奴隷の類は一切見ていない。 鋼タイプの一団が列を外れて歩いてきた。 銃器の効かない堅牢な身体が重宝されて今やあちこちでひっぱりだこだ。 「お、あんちゃん気がきくね。水もらおうか。いーや、ビールは売りつけないでくれよ」 ボスゴドラが話しかけてきた。よく店に来ていてトランプで遊んでいた覚えがある。 あっしは汲んできた水を柄杓で器に注ぐ。 「いえいえ、ご贔屓頂きありがとうございました。平和なご時世になったらまたおこし下さい」 「おうよ、ビール用意して待っててくれよ」 「もちろんで。あ、そういえばあとどんぐらいで移動が終わりますかね?いや、あっしが店開けてられる間も長くないんで」 「そうねぇ、一週間ぐらいで兵が移動して、残りは建物の解体とか装備の払い下げとか、奴隷の売買とかやって結局あと二週間ぐらいかなぁ」 ん!?今なんて? 怪訝な顔のあっしにボスゴドラが説明してくれた。 「そうそう、戦線に連れてっても仕方ないから、民間に払い下げすんの。半分弱は連れてくけど、残りは格安の働き手って事で大農家とか工場とか、慰安婦とかは水商売のオーナーとかが買い取りに来るんよ。あんちゃんとこも働き手に不自由してんなら一人ぐらいどうよ?待遇良くしてやればよく働く奴らだぜ?」 「い、いやぁ、働き手には不足してませんし、金も無いですし。アハハ……」 そう言ってあっしはボスゴドラを見送った。 だけど、その時すでにあっしの心は決まってた。レベッカを助ける唯一のチャンス。 果てしなく望みは薄いけど、それに懸けてみようと。 そう、世の中金で回ってんなら、あっしだって金にものを言わせてみればいい。 がっくりきた。 いや、宿に帰って金庫を確認したわけ。 そしたら貯蓄が50万弱しかなかった。とてもじゃないけど、一人満足に買える額じゃない。 借金も頭をよぎるけど、そしたら次の日には店を売りに出さなくちゃいけない。 自分の人生と一人の解放、どちらが大事か天秤に掛ける、そんな答えに困るような質問は聞かないで欲しい。 どっちも欲しいから、今こうしてジタバタしているんだから、な。 こうなったらどうにか金を集めなくては。 驚いた顔のキルリアを残して、あっしはまた外に飛び出した。 一週間後。あっしの目の前には…… まひなおし、寝癖直し、 サイコソーダ、苛性ソーダ、 こんごうだま、けん玉、 パワーリスト、ブラックリスト、 リゾチウム、プルトニウム、 わざマシン、タイムマシン、 ほしのすな、『一握の砂』、 すごいキズぐすり、すごい惚れ薬etc... とまぁ玉石混淆の品物の山が出来た。 ものひろいなんて久々にしたから、勘が鈍ってて色々変なものを拾っちまったみたいだけど、これを換金すれば少し足しになる。 お気に入りのふかふかの羽毛布団も、倉庫の自分用に貯めてたビンテージワインも手放した。地域の雑用も一手に引き受け地道に稼ぐ。 残り一週間でどれだけ貯められるかが勝負、毎日よろよろになって帰ってくるあっしを見てキルリアが言った。 「ご主人、何かにとりつかれてるんじゃな��ですか?節約にも厳しいし。あ、ちなみに前掛けが後ろ前ですよ~」 「ご主人、何かにとりつかれてるんじゃないですか?節約にも厳しいし。あ、ちなみに前掛けが後ろ前ですよ~」 #hr あれから一週間。 例の一件でズタボロになった私にはしばしの休養が与えられていた。 というか、実際には移転に伴って慰安所が解体されはじめたし、払い下げが迫ってるから休みなだけだけど。 瀕死の娼婦なんて誰も買ってくれないから、少しでもマシにしようって魂胆。 まぁ体力は回復したけど、正直そんな短期間でよれよれの私が元に戻る訳がない。 相変わらず毛並はバサバサで痛みっぱなし、枷の辺りは擦りきれて地肌が見えそう。 オマケにみぞおち辺りにおおあざ。アクアテールが当たったそこは内出血で地肌が黒っぽいのがわかる。 深い吐息をつく。 今度こそ民間に行けないものか。 自分の人気が下がって、弱ってれば軍も私を手放そうとするだろうか? けど、相変わらず私に群がる男は多いようで、療養中にも予約がまた入って来たらしい。 多分、軍はまた誰も買えない高値を私につけるんだろう。なら最初から売るなって話。 また欲望の捌け口になるのかと思うと、心が黒く塗り潰されてく。 もっとも、その心にはもうこれ以上塗り潰す余白はないのだけれど。 それほど心の風景は荒廃しているのだけれど。 差し入れの薄いスープを一口すすり、横になって明日を待った。心の平安はどこに? 翌日の夕方、払い下げ市が始まった。熱気、興奮、競りの大声が響き渡る。 向こうでは労働力として買われたケンタロスが新たな主人に引かれていく。 隣では工場主がひっきりなしに軍の販売主と交渉している。 私は手枷足枷をつけられて慰安所の面々と一緒に突っ立っていた。 販売主のジバコイルはブースターの売買交渉をしているようだ。 隣にいる若いブースター本人はじっとその様子に見入って、かなり緊張している。人生の分かれ道だから当然だ。 「ねぇ、ベッカ姉さん、アタシ買ってもらえるかなぁ?」 「大丈夫、イシュはかわいいから、買ってもらえるでしょ?」 やがて契約をまとめた風俗店関係のレントラーがジバコイルと一緒にやって来てブースターに言う。 「お前は今日からウチの店で働いてもらうからな」 ジバコイルが彼女の鎖と枷の鍵をレントラーに渡した。 「じゃあね、みんな。ベッカ姉さん、色々世話してくれてホントにありがとう」 鎖に引っ張られながら残りの皆に別れを告げ、彼女は新天地へ旅立つ。 残りのみんなは羨望の眼差しで見送った。 考えてみれば皮肉な話だ。娼婦として売られていくことを羨ましがるなんて。 ただ皆の名誉の為に言っとくと、それだけ慰安所ってのは過酷な場所だって事。 一、二時間と時間が経ち、騒ぎと闇は更に大きくなった。 三回程、売春宿の主人が私達を品定めしては何人かずつ買っていった。 毎回私は指名されるみたいだけど、交渉で主人達は断念する。やはり私は高すぎるらしい。 三、四時間。遂に私一人が残った。 打ちのめされ、人数の減った地べたにぺたんと腰を下ろす。 売れないのは経験済みだけど、ここまでは予期してなかった。 慰安婦は概して人数が減るほど一人の負担が増える。 このまま売れ残れば私は南へ送られ、今度は昼夜の境なく虐げられ続ける事になる。 恐ろしさと惨めさが胸の中で増幅し、私はうずくまるしかなかった。 あと一時間。���計の針は絶望へのカウントダウンを刻み続ける。 あと一時間。時計の針は絶望へのカウントダウンを刻み続ける。 誰の同情も買えない涙が一つ、頬を流れた。 #hr ……何やってんだろ、あっし。 とうとう駐屯地の払い下げ市までやってきてしまった。 薄暗い空の下、大盛況の市場は人ごみで息苦しい。 あちこちで競りの大声や交渉が飛び交い、不要になった軍の支給品やら建材が山と積まれて買われるのを待っている。 ブースを探しながら、あっしの心の中で最後のせめぎあいが起きる。 理性が引き返せと叫ぶのがわかる。悪いな、あっしの理性。 一度動き始めたら、止まれないのがマッスグマの本能って奴だ。 後悔に追いつかれそうになっても、その後悔を日々黙殺しながら生きていくのが人ってもんだ。 思ってたよりも市場の規模が大きかったから、一巡りするのにもかなり苦労した。 白熱灯があちこちに灯る中、丹念に回ったけど、慰安婦の払い下げ所はそう簡単に見つからない。気が急いてくる。 もし出品されてなかったら。 もしもうすでにいなかったら。 もし誰かにすでに買われていたら。 そう思うとたまらなくなって駆け足で市場を再度探し回る。 駆けずり回って話を聞けば、例のジバコイルが販売主らしい。人影の減り始めた市場を走り回ること15分。 遂に宙を漂うジバコイルを見つけた。近くにレベッカはいない。 一瞬パニックになるけど、落ち着け、姿がないからっていないとは限らない。 急いで駆け寄ると、早口でまくし立てた。 「なぁ、慰安所の販売主ですよね?まだ何人か残ってる?いや、レベッカってバクフーン探してんだけどさ、えーっと、まだいれば買い取りたいんだけど」 「……レベッカ……マダイマスヨ。アナタガ買イトルオ金ガアレバ、販売シマス……御覧二ナリマス?売レナイカラ倉庫二待タセテマスガ……」 「いや、別に会わなくていい」 面会して彼女に希望持たせておいて、買い取れなかったら情けなさすぎる。 「デハ交渉トイキマスカ……」 すいーっと帳簿台まで戻るジバコイルについていく。 「コチラノ言イ値トシテハ……150万グライデショウカ」 !? この時点であっしの所持金を大きくこえてる。 「いやいや、それは高すぎですよ?だって普通の二倍以上?いくら売れっ子だって90万位が妥当ってとこでしょ?」 正直、90万ってのもあっしのハッタリ、実際の所持金は拾ったもの売り飛ばしても88万位にしかならなかった。 「90?話二ナリマセン」 「大爆発の技マシンつけるから?」 「イリマセン、ソンナ技」 「10万ボルトは?」 「モウモッテマス」 技マシンをあえて換金しないで引き合いに出すのはあっしの策略だ。 換金の際はかなりの安値で買い取られる割に販売価格が高いし、値段が不特定なので多少の金額の大小は吸収できる。 だから換金しないで持ってきた。もちろん切り札は隠しといて、最初は小出しにする。 かといってくだらないのは相手の興味を削ぐから、少しレアを感じる小物から、そのポケモンの欲をを揺さぶる品を出してくのがコツ。 ま、商売してるとこれぐらいの知恵はつく。 さあて、グレード上げてくか。前掛けからプレートを二枚取り出す。 「いかずちプレートとこうてつプレートも乗っけたら?海外産で希少だけど?」 「……」 コレはニンゲンの大陸のからの密輸品。 コレはウチの店にツケのあるブロー���ーを少し揺すって出させた品だ。 コレはウチの店にツケのあるブローカー達を少し揺すって出させた品だ。 プレートはあっちでは博物館級のものらしく、正規ルートには乗らない。 だからこれも換金しない、というか出来ずに持ってきた。 難しい顔のジバコイルにたたみかける。 「ラスターカノンと磁石もつける。どう?」 「……」 よし、もう一息。後はもう時間的な焦りが追い込むはず…… 「マダダメデスネ」 「えーっ、もうこれ以上ならぼったくりもいいとこじゃないですか?一人に対して高すぎでしょ?」 「イヤナラ買ワナクテ構イマセン」 口論していると周りに次第に軍について回る労働者がガヤガヤと集まってくる。 「たかだか一人に対してこんな金額提示して売る気あるんですか?これ以上は譲れないですよ?」 「モチロンコチラモ譲ル訳ニハイキマセン」 「そんな事を言……?」 突然肩を誰かに叩かれた。見ればこの前のグランブルの隊長。 きょとんとするあっしを他所に、隊長はあっしの肩に手をかけたままジバコイルに言った。 「ちょっとこいつ借りるぜ」 そう言ってあっしは膨れ上がった人ごみから連れ出された。 建物の陰まで連れていかれると、そこには例のリザード、ヘルガーがニヤニヤしながら待っていた。 「旦那、あの子に惚れちまったっスか?」 リザードが笑いながら聞く。くそっ、こっちは必死なのに。 「まぁ、頷けなくもないが」 ヘルガーも訳知り顔で頷く。 噛みつきそうなあっしを制して、グランブルの隊長が真剣な顔をして訊いてきた。 「まぁ、俺が聞くのは一つだけだ。あんたはあいつを買ったところで自由にできるか?幸せにできるか?」 ぽかんとするあっし。 何であっしがしようとしてることが分かったんだ? 「?もちろんですよ。そうじゃなきゃ買おうと……」 続けようとするあっしをまた制して隊長が言う。 「分かった。それならいい」 突然、グランブルの隊長が俺の方に近づいて何かを渡した。ずしっとした重み。 見ればあっしの手には束になった紙幣が残されていた。相当な額だ。 「これで足りるだろう」 それだけ言って、隊長は踵を返して帰っていった。唖然とするあっし。 あっしが言葉が見つからないうちにニヤつきながらリザードが説明してくれた。 「俺らからの餞別って事っスよ。この前、あんたのとこでのトランプでガッツリ儲けたんでね」 鞄からの札束を見せながらヘルガーも付け加える。 「だからお裾分けってこった。まぁ今までのツケって分もあるがな」 「まったく、隊長も素直じゃないんだから。隊長はあんたの事を応援したいのさ。あんな生真面目なとこがあるからね、慰安婦なんて隊長は認められないのさ。だからあんなこと訊いたんだし、こんな事するわけ」 「でも、こんなに貰う訳には……」 「物分かり悪いっスね、こちとら金が唸ってんスよ。旦那にあげたのは俺ら一人ずつ20万、それだってまだこっちは余って仕方ないっスからね」 「まぁ、礼を言いたきゃ、女を大事にするんだな。泣かせたら承知しないぜ?」 ……こいつら、泣かせやがって。 涙腺が崩壊しそうになる。涙をぐっとこらえて、あっしは言った。 「わかりました。今度ご来店の際には全額無料にさせて頂きます!今後ともウチをご贔屓に!」 頭を深々と下げる。 「おう、宜しく頼むぜ」 「ビール冷やして待っててくださいっスよ」 「それと��隊長にも宜しくお伝えください」 「それと隊長にも宜しくお伝えください」 再度頭を下げる。 「了解!」 二人はわざと真面目くさって敬礼し、ついで大笑いしながら去っていった。 暫くあっしは深々と頭を下げたままだった。 さぁ、こうしちゃいられない。 大急ぎでジバコイルのもとに戻って、唖然とした奴さんに札束を突き付ける。 「これで買えますね?」 #hr 油の切れた音を響かせながら、暗闇の中に倉庫のシャッターが開く音がする。 軋んだ不快なその金属音に、私はハッとして膝を抱えてうずくまった状態から意識を取り戻した。 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。 あたりの喧騒はすっかり鳴りを潜め、それが払い下げの終わりを告げている。 それは希望の終わりをも告げていた。 もう、どうでもいい。流す涙も自分を憐れむ心も、擦りきれて麻痺してしまった。 諦めの感情は悪あがきの入る隙を与えなかった。 まだ私は眠っていたかった。唯一の平安の地、夢の世界とその暖かさに埋もれていたい。 少しでも平和な昔に、安穏の境地に。夢は私の隠れ家だった。 誰の干渉も受けない、精神の慰めを見出す世界で手に入れた自由を手放すのが私は嫌だった。たとえそれが一時だとしても。 だからしばらく私は面を上げなかった。 ゆっくりと巻き上げられたシャッターの下から、白熱灯特有の明かりが忍び込んできたのが瞼の裏から分かる。 誰かの足音がだんだんと近くに迫って来ても、私はただうずくまったままでいた。 足音が更に近づいて来る。次に飛んでくるのは罵声かムチか。 それでも私は顔を上げなかった。 「大丈夫?」 その一言を聞くまでは。 どこかで聞いた誰かの声。 誰の声かは思い出せないけど、その言葉は何故か私の心に小さな蝋燭を灯した。 しばらくぶりに聞いた、命令、恐喝、罵倒以外の言葉。 私はハッと面を上げ、目の前に立っているそいつを見た。 白と茶色のストライプの胴長の体、そしてこちらをじっと見つめる空色の瞳。 一匹のマッスグマが私の方をかがみこんでこちらを窺っている。 一拍遅れて理解が追いついた。 あぁ、あの時の。 「あっしといっしょに行こ?」 マッスグマがチャリン、とその手に持った鍵をこれ見よがしに鳴らした。 こいつ、私を買ったの? お世辞にもそんな金が有るようには見えない。 裕福とは無縁そうな素朴なタイプにしか見えない。 でも確かに鍵は持ってるし、一緒に行こうって言ってるんだからきっとそうなんだろう。 にわかには信じがたいけど。 差し出されたその手は救いの手か。 私は黙ってその手を握って立ち上がった。 これが私にとって新しい道なら、行けるとこまで行ってみようと。 マッスグマが私の足枷をその鍵でガチリと外す。 重い音を立てて足枷が落ち、形容し難い解放感が足から伝わってきた。 自由の実感が胸の中で大きく膨らむ。 そう、やっと軍とはおさらばする時が来た。 「あっしのとこまでしばらく歩くよ?」 マッスグマが聞いた。 私は小さくうなずいて、彼の後に従って歩き始めた。 その縞模様の、どことなく頼もしい背中を眺めながら。 無言で駐屯地を横切って歩く二人に、あちこちから視線が突き刺さる。 さぞかし異様な光景なんだろう。 買ったばかりの奴隷を何の鎖も無しに連れ歩く間抜けな彼。 しかもその奴隷は逃走癖ありの厄介者とくれば、彼のやってる事はみすみす逃してやるようなものだから。 ひそひそ声で交わされる会話や噂をくぐり抜け、広い高原へと二匹の無言の行進は続く。 一時間くらいかかって、やっとキャンプの見えない所まで来た。 星空の下、しばらくぶりの自由を噛みしめながら歩くのは気持ちがいい。 時折草をなびかせて草原を渡る風も、踏みしめるたび夏の夜気に漂う深い草いきれの匂いも、全てが私を祝福してくれるような気がしてならない程しばらくぶりの自由。 そして前方を歩く彼。 あれから未だにしゃべらないで黙々と進み続ける、私より一回り大きなしましま。 こいつ、全く得体が掴めない。 前に会った印象ではシャイな腰抜けの感じがしたけど、どんな奴かさっぱり検討がつかない。 「あっし」って自分を呼んだり、前掛けを付けてるあたり商売人みたいな感じがする。 確かな事は分からないけど。 だけど、一抹の不安も有るのは確か。 このマッスグマが必ずしも救い手なのかはまだ分からない。 売春宿のオーナーかもしれないし、はたまた私を個人的性の対象として買ったのかもしれないし、最悪助けた恩をこっちに押し付けて奉仕させるような恩着せがましい奴かもしれない。 ほんのちょっとの印象が優しそうだからといって油断は出来ない。 彼が最初出会ったみたいな腰抜け野郎ならいいんだけど。 恩人に向かって何思ってんだ、と言われるかもしれないけど、用心に越したことはない。 苦い経験ばかり積んでいると、不信のフィルターを通して人を見てしまうもの。 もちろんこいつがギャロップに乗った正義の王子様じゃないのは百も承知。 そこまでは期待しないから、せめてまともな人であって欲しい。 少なくとも私を一匹のポケモンとして扱ってくれる位には。 ふと見上げた夜空に白い光の軌跡が引かれた。 そのまっすぐな白い流星のラインは、何故か目の前を歩く縞模様と重なって見えた。 遠くの街道沿いに明かりが見えてきた。 さっきの流星に、あれが希望の光であるようお願いしよう。 #hr さて、どうしたものか。 後ろをレベッカがついてくる幸せな実感に気をとられてて、これからどうするか失念していたあっし。 実はけっこう困った立ち位置にいたりする。 え、まっすぐ宿に帰れば良いじゃないかって? まぁそれもそうなんだけど…… みんなに彼女をどう説明したらいいものか……。 ひょっとしたら、金に物を言わせて愛人拾って来た最低野郎に見られかねないし、自分でも無計画な行いだったとは思う。 衝動買いみたいなもんだから、な。 まぁ、間違いないのは厨房のサンドパンにフライパンで殴られる事だろうね。 小麦粉買わずに女奴隷に金を使ったなんて口が裂けても言えない。 あっしが犯した罪状は以下の通り…… いくら自分のものといっても勝手に店の金庫を空にしたこと、 二週間店の仕事をほとんど放り出していたこと、 慰安所に行っていたこと、 誰にも相談しなかったこと、 そして私情に駆られてレベッカをお買い上げしたことetc...。 う~む、我ながら万死に値する。 理解を示してくれるならキルリアあたりだけど、流石に今回は事がでかすぎる。 でも、後悔はしていない。 レベッカをあの境遇から助けた。 あっしに出来た唯一の善行らしい���行に後悔しちゃぁいけない。 あっしに出来た唯一の善行らしい善行に後悔しちゃぁいけない。 きっかけは動機不純だったのは認めるけど、あっしには彼女を縛りつける予定は無い。 そりゃあもちろん、彼女には一緒にいてくれた方が嬉しい。 だけど、助けた事を恩に着せてそれを強いるつもりは無いわけ、な。 第一、それじゃ金で愛人囲ったのと同じだし、グランブル隊長との約束を破る事になる。 そう、幸せにならなくちゃいけないのはあっしじゃなくて彼女だから。 って考えてるうちにもうだいぶ宿に近づいてしまった。 やべ、何としてもフライパンの刑は避けたい。 あっしの体面を守りつつ、彼女を上手く宿に迎えなきゃ。 宿まであと500m。 その間になんとか上手い言い訳を考えなくちゃ行けないって訳、な。 よし、これしか方法がない。 「あ~、ちょっといいかな?」 歩きながら振り返ってレベッカに話しかける。レベッカもこっちを見つめる。 頼む、そんなまっすぐな眼差しでこっちを見るのはよして欲しい。 「何?どうかしたの?」 こっちをじっと見られるとなかなか恥ずかしいもんだ。 「あのさ、一芝居打ってくれないかな?あっし、このままだとけっこう都合が悪くってさ」 「?」 更に眉根にしわを寄せる彼女。でもやっぱりかわいい。 「えーとね、あっしすぐそこで宿屋をやってんだけど、うちで働いてるみんなに君が来るって事も君を買った事もなんにも知らせてない訳、な。 だからさ、出来ればいかにも軍から逃げてきた君をあっしが見つけたとか、そんな風に振る舞ってくれると嬉しいんだけど?おっと」 後ろ向きに説明しながら歩いてたら躓いた。 「ちょっと待って、私あなたが誰か分からないし、これからどうなるか分からないんだけど。それぐらいは教えてくれなきゃ」 おっと、また早まっちまった。 不安だらけなレベッカをもっと気遣ってやらないといけないのに。 時間も無いから、手っ取り早く要点だけ矢継ぎ早に伝える。 「あっしはバーナム。そこの宿の亭主で、さっき君を買ったとこ。 これから君は自由で、どこへ行こうと構わない。でも、とりあえず何日かは宿で休んでってもらうつもり。 で、あっしは君の事をみんなに黙ってたせいで厨房のサンドパンにフライパンで殴られる危険性が高くて、 君を買った事がばれない様に宿で迎えたいわけで、めちゃくちゃ今ピンチな訳、な。これでいい?」 いっぺんに全部まくし立てたら疲れた。まあ商売柄喋る事は多いんだけど。 レベッカはきょとんとしながら聞いていたけど、おもむろにあっしの肩越しに指差した。 「でもあそこにいるのがそのサンドパンじゃないの?」 え゛? あわてて振り返って見れば、なんと、50m手前の宿の前に三人の人影。 っていうか、こんな近くまで歩いて来てたっけか? 後ろ向きに話しながら歩いて来たから気づかなかった。その油断が命取り。 月光と星明かりに煌めくフライパン。おお怖っ。いや、冗談抜きでまずい。 辺りの空気が一気に硬質なものに変わる。 ガラスの中を進んでいるみたいな足取りであっしは残りの距離ををノロノロと進んだ。 キルリア、テッカニン、サンドパンの視線があっしとレベッカをさ迷う。 あ~もうご勘弁を。 レベッカはなんにも言わないであっしの少し後ろをついてきた。 三人と10m残して立ち止まる。 そして、沈黙。類を見ない気まず�口。 三人と10m残して立ち止まる。そして、沈黙。類を見ない気まずさだ。 キルリアが仁王立ちして第一声を放った。 「…ご主人、私達に何か言わなくちゃいけないんじゃないですか?」 三人に目を合わせないで、あっしはやっとこさ言葉を引っ張り出した。 「えーっと、みんなに紹介したい人がいます……」 ……なんで恋人紹介みたいなんだ? 「……えっと、レベッカって言って……ってうわっ?!」 あっしは最後まで言わせてもらえなかった。 三人があっしに向かって急に走って来たから。 ギラリとフライパンが鈍く光る。 えっ、そっちが理由聞いておいて問答無用かよ? 猛スピードで迫る三人。もう駄目、殴られる。 キツイ一発を覚悟して目をつぶったあっし。 だけど、三人はあっしの横を怒涛の如く走り去って行った。 あれ? あっしが振り返って見れば、三人がレベッカを囲んでわいわいやっていた。 「はじめまして!レベッカさんっていうの?あたしこの宿でウェイターやってるの。宜しくね!」 「おーっ、すんごい美人じゃないっすか?こりゃ評判になりますぜ。店のいい看板娘になりそうじゃね?」 「遠い所をわざわざご苦労様。これから食事作ってくるから、さあ入った入った!」 そう言って三人はびっくりして何も言えないレベッカを引っ張りながら宿に入って行った。 ふぅ。良かった良かった。 とりあえず受け入れてもらえそうで安心した。 どうしてあいつらがこんなに知った風なのかは知らないけど、まあ一件落着ってあたりか、な。 う~む、キルリアに心でも覗かれたか? ほっとしたと同時に、ワクワクがせりあがって来る。 これは楽しくなりそうじゃん?期待していいよね? そう、これからは(しばらくなりとも)レベッカがいる。 あっしがそう思いながら意気揚々と四人の消えた玄関の入口に手を掛けると。 ガチャガチャ、ガチャ。 あれ……閉め出された? ねぇ、みんなやっぱり怒ってる? やれやれ、やっとこさ入れた。 正面扉を閉められたから別館から何とか入って、本館の二階、あっしの自室にたどり着いた。 下の厨房からは話し声が賑やかに聞こえて来る。 すんなり打ち解けてくれたみたいでこっちは御の字。 ま、後できちんとした説明はせにゃあならんとは思うけど、とりあえず今は切り抜けた。 まだ首はつながっている。それが大事。 おっと、こうしちゃいられない。早いとこ部屋を準備しないと。 本当はレベッカには宿の一室を貸すつもりだったんだけど、あいにく空いてる部屋が無かったもんで今日はあっしの部屋に泊まってもらうからな。 大きめのソファーを引っ張り出して、シーツをフワッと被せる。 掛布団、枕、毛布を備品室から持ってきて簡易ベッドの出来上がり。 これが自分用。 次はあっしの普段使ってるベッド。 シーツを一新、掛布団も宿で一番上質なのを。 もちろん、ビシッとスイートルーム張りの丁寧さで。 普段使わないナイトテーブル、ガウンやらも用意して、異様な豪華さを呈するベッド回りになった。 こっちがレベッカ用。 こうしてみると、しばらくぶりに人をもてなすっていう喜びの本質を感じる。 大切な人に喜んでもらいたいって本質を、な。 気合いを入れて散らかった床や薄く埃の積もった窓辺を片付け、十八番の雑巾ダッシュ。 マッスグマに生まれて来て良かったと思える瞬間。 勢い殺さないと頭ぶつけるけど、廊下だって速攻で終わる。 言わばあっしのアイデンティティー。 これしか無いのは指摘しないどいて。 ピカピカになった部屋を眺めるあっし。我ながらなかなかやるじゃないか。 磨きあげられた床は滑らかに輝いて年季の入った美しさを醸し出してるし、ランプは楽しげに揺らめいて暖かな光と淡い陰影を壁に投射している。 う~ん、いつもこれぐらいの熱意とやる気があればねぇ。 壁際にはあっしのソファー製簡易ベッド。 やっぱりお客様には自分のベッドを貸すもんだろう。 少しでも上質なサービスをするのが商売屋だ。 いや、二人で一つを共有する考えは浮かばなかった訳じゃない。 正直そうしたいのは山々だけど、流石にそれはまずいっしょ。 これまでどんな生活をしてきたか考えれば先ずは安心してもらわなきゃ。 あっし自身も自制心が持つか分からないし。 情けないけど、あっしのすぐ横に彼女の暖かな体がある状態で襲わない保証は無い。 かといって一晩中ガチガチに自制しようと緊張してても寝られないし。 だから、別々に寝るのがベスト。 つーか、何色香に迷ってんだ! #hr ふぅ。 満腹になるまで食べたのはいつ以来だろう? 四つ目のパンを平らげたばかりの私は満足の吐息を洩らした。 「いや~沢山食べるね!ソーセージもう一つどう?」 厨房からサンドパンが顔を出す。 「いや、もうけっこうです。ホントに美味しかったです、ご馳走さまでした!」 ペコッとお辞儀して食卓を片付け始める私。 「あら、うちらが片付けるからほっといてちょうだい」 食器を下げ始めた私にサンドパンが言う。 「いや、ご馳走になって悪いですから…」 「いやいや、お客さんにそんな事させる訳にはいきませんっ!」 結局私は押しきられてしまう。 私はさっきから頭を下げっぱなしだ。 キルリアがクルクルと回りながら 「レベッカさん、珈琲入りました~」 と珈琲とパイのお盆を持ってきたり、 「風呂が沸きましたぜ。場所はあっちの通路の突き当たり。今すぐどうぞ!」 と声が聞こえるやいなや、ふかふかのバスタオルをテッカニンに押し付けられるたり。 熱烈歓迎、至れり尽くせりの大サービス。 ……なんでこんなにも、ここの人達は優しくなれるのか。 今までの境遇が境遇だけに、無償の慈愛が身に染みる。 あまりに久々に人の暖かさに触れたせいで、ともすれば泣き出しそう。 いや、実はちょっぴりお風呂で泣いた。 拭っても拭ってもどこからともなく塩辛い涙が頬を伝って、しばらくタオルに顔を埋めていた。 もちろん今までとは質の違う、安堵と感謝でちょっと心のダムが決壊してしまったが故の涙。 お風呂から上がったら、あのマッスグマ、バーナムが一階に入って来ていた。 彼は両手でマグを抱えて珈琲をすすっていたけど、私に気付くとこっちを向いてよっとばかりに手を上げる。 「やぁ、風呂どうだった?」 「あ、久し振りでうれしかった……です」 私はバーナムに対しては初対面の時のまま敬語抜きでしゃべって来てたけど、宿のみんなにはですますを使ってたから慌てて「です」を付け足した。 「あ、別にあっしらには丁寧にしゃべらなくていいよ」 「ご主人も言葉遣いきれいなタイプじゃないしね」 とはキルリア。 「おい、今のは余計だ。まぁ、いい、えーっとレベッカ、君は好きなだけここに居ていい。 回復したら別の所に行ってもいいし、ここに居候してても構わない。 まぁ、少しは手伝いはしてもらうかもしれないけど、な。ここにいる限り、あっしらは家族な」 「しばらくいてくれるよね?レベッカさん?」 キルリアが期待顔で尋ねる。 私の故郷はサウス。 戦争が終わるまでしばらく向こうへは帰れない。 かといってノースに他に頼る当てが有るわけじゃない。 しばらくはここのお世話になるしかない、かな。 「……じゃあしばらく……宜しくお願いし……あ……宜しくね」 ニッと笑って、丁寧語を訂正。四人も笑顔で応えてくれた。 「さ、そうと決まれば寝室にご案内~ってそういえば空いてないのね」 「あ、あっしの部屋にベッド用意しといたよ」 「え、じゃあご主人はどこで寝るんですか~?」 「ソファー。あっしの部屋の」 「え゛、同じ部屋ですか~?」 三人のバーナムへの視線が途端に胡散臭いものになる。 「お、おい、何だその目は」 「レベッカさん、もしこいつが不埒な輩だったらいつでも呼んで下さい。ぶちのめしに行きますんで」 フライパンと中華鍋をギラリと光らせ、バーナムから目を離さずにサンドパンが言った。 「ま、待て、あっしは断じてそんな奴じゃない。絶対違うってば!」 「へへっ、ご主人、あんまり信用されていないみたいですぜ。フライパンの刑を切り抜けたと思ったら大間違い」 テッカニンがからかう。 「ま、レベッカさん、多分大丈夫だとは思いますけど、用心はしてくださいね~」 「おいおい、お前もか……」 頭を抱えるバーナム。何だか可笑しい。 ここなら何とか上手くやって行けそうだ。 「ご忠告どうも。でも私も自衛手段ぐらいは心得てるつもりだから大丈夫。今日はありがと。また明日ね」 そう言って私はバーナムの後ろに従って二階に上がった。 「う、わ」 びっくりした。どこぞの一等室みたいに豪華な部屋になってる。 「……悪いね。ここまでしか準備出来てなくて。ま、こんな部屋でもゆっくりしてってよ」 「そんな……」 文句のつけようがないこの部屋。 入口で立ち止まったままの私に彼が声をかけた。 「さ、さ、入った入った。朝の方が近いけど、ゆっくり朝寝坊してってよ」 「でも、何だか悪いわね……」 部屋の隅っこのソファーに潜り込むバーナムを見ながら私は言った。 「何の何の。お客様は神様。従業員は家族。先代の受け売りだけど、なかなか的を得てるでしょ?」 家族。幸せな単語だ。 私もベッドに潜り込んで、ランプを消した。 暗闇が広がるけど、窓辺からは傾き始めた月光が明るく部屋に差している。 ふかふかの布団からは昼のお日様の香りがする。 ここで私はあることに気がついた。大事な事を忘れたままだ。 淡いブルーの煌めきを闇に見つけてもっと早く言うべき事を伝える。 「あ……遅れちゃって悪いんだけど、本当にありがと。私、バーナムのおかげで助かった」 彼はそれまでソファーから横になってこっちを向いてたんだけど、今の言葉を聞くとモゴモゴ言いながら顔まで布団に潜ってしまった。 「気にしないどいて。あっしが好きでしたことだからさ。お礼なんてこっちが気恥ずかしいから、な」 「でも……」 「お礼はあの三人に言ってくれ」 「礼はあの三人に言ってくれ」 それっきり彼は向こう側を向いてしまった。 ……こっちのありがとうをどうやったら上手く伝えられるだろう? おいそれと考えておかなくちゃ。 しばらく静寂が流れる。 明らかに下の階とは違う雰囲気の、私とバーナム二人だけの空間。 全てを知った二人の、異質な距離感。 近いようで、遠いようで。 居心地が良いのか悪いのか、何とも言い難い。 しばらく私はその暗闇の中に意識を漂わせて憩った。 平穏の中に浮遊するうち、瞼が次第に下がってくる。 でも、寝る前に一つ聞いておきたい。 「……一つだけ聞いていい?……なんで私を助けてくれたの?」 バーナムの答えはゆっくりとした深い寝息だった。 #hr バーナム 「やっと前半終わり。こんなに長くなるとは思わなかった、な。カヤツリが前編後編に分けるかもしれないってさ。まったく、前作の二人は楽でいいなぁ。こっちはまだ半分もあるとか……ホントにみがじたの刑に値する……」 「やっと前半終わり。こんなに長くなるとは思わなかった、な。カヤツリが前編後編に分けるってさ。まったく、前作の二人は楽でいいなぁ。こっちはまだ半分もあるとか……ホントにみがじたの刑に値する……」 #pcomment(Blind・Brandコメログ,7,below);