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霊峰九尾の未励行 の変更点


#include(第十四回短編小説大会情報窓,notitle)

当作品には、異性愛を示唆する描写が含まれるかもしれません。読者に快い読後感を提供できるかという点につきまして、作者は責を負わないものとします。予めご了承ください。

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&color(gray){ 母は三度恋をした。};
&color(gray){ 一度目の恋で見知らぬ姉をふたり生み、二度目の恋は伴侶の死により半ばで断たれ、三度目の恋で私を生んだ。};
&color(gray){ 母は、父の送葬に際し、氷の裂け目へ落とす直前、平気な顔して感謝を述べていた。};

&color(gray){ 父の後を追って自ら氷の裂け目に身を投げたと知ったのは、久しく帰り着いた時のこと。};
&color(gray){ 寂しくとも、悲しくはなかった。母は父のことをそれほどに愛していたのだから。};

&color(gray){ その感情は、私にとっても無関係ではない、と。};
&color(gray){ 私の感情は、決して私だけのものではない、と。};
&color(gray){ 母の最後の教えは、私を駆り立てるには十分だった。};



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 夜空には虹の幕が波打ち輝き、小雪が風と共に吹き荒ぶ。ある家屋は雪に包まれ、またある家屋には爪の跡を見受けられる。局所的な破損により木片を晒す家屋が破れて火の掻き消えた灯籠が幾つも並ぶ。言葉なき叫びを&ruby(もっ){以};て&ruby(われ){我};を呼び、さながら、領域を主張するかのようである。えらく好き放題されておる。&ruby(わ){我};が領域を、&ruby(ヒトビト){人々};ごと脅かそうとは、の。挑戦を示すには風情に欠け、粗暴かつ野蛮である。人々は家屋の内に身を隠しつつ、張り詰めた空気と共に意識を外へと向けておる。ある者は単に畏怖からの感受、ある者は関心による感受。一様なる敵視ではあらぬ、我へ向けるそれと似たものであり侵入者の姿は想像する余地がある。暫定的に思い浮かべた姿を村に留まる気配へと当て嵌め、&ruby(せんて){先手};を取られぬよう留意しながら広場まで歩む。
 こうでもせねば我が目を惹けぬと?
 その姿は四肢で家屋一つの屋根に立ち、深く青い目で我を見る。その目より薄き青の被毛を全身に持ち、頭から伸びる長毛と何本もの尾を靡かせながら、自らが生み出したであろう虹と風雪を纏いて、静かに佇んでおる。遠地の同胞、決して近辺にはおらぬ異邦者。
「&ruby(あっこ){悪狐};よ、なにゆえ我が領域を侵す?」
 末代までの祟りを所望するか。生憎と我はそれを&ruby(れいこう){励行};しとうなる程の関心は&ruby(そなた){其方};にのうて、速やかに消し去りとうあるのだが――されど人々の心はそうではなき様子での。強迫者への信心なぞ拭い去るほうが楽であろうに、其方へも神性を付与しておる。その命運を我が奪うのは人々も望んではおらぬ。難儀よの。それもまた人の美質であるが。
「伴侶を求めに来た。あなたには、私のものとなってもらう」
 黙っておれば多少は見栄のよき雌やも知れぬが、その実は&ruby(さんだつしゃ){簒奪者};に他ならぬ。
「正直よの」
 呆れ果てて二の句が継げぬが、何はともあれ月並みなことではあろう。態々霊峰より来たる同胞の流浪理由などそう幾つもあるものか。我とて初なる事案でものうて、対応は定まっておる。されどこやつの命運を保証などしとうない。一方で人々はこやつの亡失を望んでおらぬ。新たに神性を得た存在を歓待するほうが筋さえ通る。嗚呼、人の信心は時に煩わしくあるの。――まあよい。
 我は風雪を咎め夜空を晴れ渡らせ、虹の奥より月明かりを地へ降ろす。各尾を&ruby(も){持};て&ruby(あ){上};ぎ、それらの尖端へ火を宿しながら身構える。
「――ならば我を、力を&ruby(もっ){以};て&ruby(くだ){下};してみせよ。できるであろう?」

 張り詰めた空気を&ruby(とき){鬨};の声が切り裂き、氷が通り抜けた声を追うかの如く形成されながら走り来る。我は身を翻し尾を振り抜き、向かい来る冷気を打ち消し余勢のままに地を蹴り駆ける。我からも鬨を響かせ、跳躍し身を投げると、悪狐は飛び退き屋根より降りる。我は屋根に一瞬降り立ち、追撃するべく再び足元を蹴る。氷を割る音と共に乾いた音が響いた。悪いの。
 先んじて地面へ降りた姿は、地に足付けたまま身構え、今度は退避する様子なく我を見据える。鋭き氷柱を地より形成し、その尖端を我へと差し向ける。我の勢いを利用した罠。抵抗なく降下すれば貫かれ、無事とは至るまい。それもまたよいのかも知れぬが。されど回避など幾らでもできうる。寧ろ我を誘導し勢力を削ごうとする形ではなかろうか。襲撃者の体でおりながら待ちの&ruby(いって){一手};とは強かよの。構わぬ、その野望ごと我が煉獄に招こうぞ。尾を広げ火を伸ばし、目先の氷を薙ぐ。着地点を形成しつつ、悪狐の周囲を火で包む。退避しようとしたのであろう、悪狐が前足で地を踏むのが見えたが、それ以上は動かず、炎に囲まれてくれる。助かるの。一瞬前に氷が牙を剥いておった場所へと我は着地し、渦巻く炎の幕をすり抜けその姿を見る。
「この程度であるか。続けるかえ?」
「まだ負けていない」
 不要な身動ぎを見せればただでは済まぬことくらいは理解しておるようだが、野望を諦めきれぬのか、ただ睨み返してくる。よき目をしておる。深き青の奥底に、気が触れたかのような鋭さがある。まあ其方も大変よの。
 我は身を翻し、上より下へと、その頭を尾で叩き伏せる。情けない声を零しつつ地に伏す姿は目視するまでもなき。そのまま被せた尾を通じて無抵抗を感じるのみで十分であるか。
「執念は評するがの、どうしたもんかの」
 派手に人々を脅かし畏敬という信心を得たこやつを、無碍に帰すのも人々は望んでおらぬであろう。滞在許可くらいは出せるであろう。&ruby(ちんじゅ){鎮守};としての神性は、この生ける災禍を鎮めるには丁度よかろうか。特段何かを行使するわけでもないが。うむ。周囲の火を滅し、尾を退け、悪狐を解放する。まだ争うなら相対しよう。去りたいならどこへでも行くがよい。されど、これは断れぬのでなかろうかの?
「若いの、人々は其方への信心を抱いておる。ひとまず我が&ruby(やしろ){社};で休まぬか」
 悪狐は数瞬悩み、我へと再び目を向ける。その内の鋭さは残しつつも、いくらか和らいだ目は綺麗である。
「――ありがとう、よろしく」
 其方の期待するものはないと思うがの。卑怯かや? そうやもしれぬの。

『こやつは、ひとまず社へ連れ帰り休息を与える。騒がせて悪いの』
 人の声を作り村へと軽く響かせてから、悪狐を先導するように歩みを進めた。
 木材の弾ける香りが鼻につく。視線を向けると家屋一つの端に焦げ目がついておった。――悪いの。

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&color(gray){ 父の死後、私と母は、共に、冠雪の山にて同族からなる群れに属していた。};
&color(gray){ 雄への関心がない母と、まだそんな関心を持てなかった当時の私は、快く受け入れられた。};

&color(gray){ 私たちの種族は、雌雄比が均一ではない。――そんな当然のことに疑問を感じたのは、あの頃。};
&color(gray){ 多くの種族は、もっと均一に分布している、と学んだ頃。};
&color(gray){ それはただ、雄の魅力を補強するばかりだった。};
&color(gray){ 同族の雄は、希少で、有難く、時に強く、雌への選択権を持ち――時にか弱く、略奪される存在。};
&color(gray){ 彼らと生涯の伴侶になれるのは、さぞ素敵なことでないだろうか?};



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 位置は把握しているらしい。悪狐の足取りは我を窺うのではなく、歩幅を直接合わせ我の隣やや後ろについておった。我が僅かに先導するのはただの許可に過ぎず、案内の必要性は何一つ無かった。面倒が皆無となるはよきことであるが、ならば社へ直接挑みに来たりて欲しかったものである。そうされて我が適当にあしらわなかったかどうかは疑わしいがの。無視できぬ状況を形成しつつ人々より信心まで得たのだから中々に&ruby(たち){性質};が悪い。伴侶を求めに来た、と無難な言葉を放っておったが、つまるところ人々を証言者とでもする企みでもあったのかの。まあ黙っていても気まずかろうか。問うてみようかの。
「のう、若いの――我を伴侶とするためらしいがの、村で力を示しておったのは何が目当てかや? 人心の利を得て、力で降すことなく我を伏そうとでもしておったのかや?」
 社の敷地、鳥居を潜ったところで声を向ける。我は歩みは止めず、されど悪狐のほうは数瞬歩みを止める。解し易く思案しておるの、返答に難儀する問い掛けであったろうか。我も足を止めその姿へと視線を向ける。灯籠の一つにさえ火を入れておらぬこの辺りは大層暗く、青き姿は、空に未だ残る虹の幕と月明かりを纏うばかり。&ruby(さよう){然様};に煌めきながら悩む姿はさほど悪くもなかろうか。
「……あなたが目当てなのは間違いない、けど、どういうことだ。人心の利……?」
 理解に苦しんでおる。その様子を見るに、我とは関係なく単に破壊衝動が疼いたのやもしれぬ。企み事はなかったと見るべきか、あるいは本能に近い無意識の企みに自らが気付けていないか、か。
「難儀な問いであったの」
 その心を直接掘り下げるのは面倒よの。そこまでするほどの関心も我にはのうて、されど問うた経緯くらいは説明くらいはせんと不親切か。
「我の執念は人々に位置しておっての、面倒ごとは避けたいが人々を脅かすならば動く気概でおる。其方は我をおびき出すため解してやっておったのだと思うたが、そうではないらしい。悪いの」
 我が執念は人々にあり。霊峰より&ruby(くだ){下};りて長く、信心を得る以前より人との付き合いはあった。我は最早、人に縛られておると言ってもよい。のう、シキよ。か弱い我を拾い上げた慈悲には感謝が尽きぬ。群れより逃げ伸びた際の我はどれほどの醜態であったろうな。同胞の雌など軽蔑しておったのは現下に&ruby(お){於};いても変わらぬが――&ruby(いな){否};、多少は和らいだかもしれぬ。品評するかの如き侮蔑を浴びせるくらいはできるようになったの。あるいはそれは、シキ、御主への執念の揺らぎではと恐怖も感じざるを得ぬが。
 我は視線を前へと戻し、社へと歩みを進める。視界に収まる我が寝床、つい先まで眠っておった場所。人々が我に鎮守の座を授けた際に建造したもの。
隣には悪狐が付き添い、大きく解放された玄関口より中へ入る。木造りの床を僅かに歩み、すぐに寝藁を敷き詰めた一室へ付く。横は壁がなく開けており、その奥には縁側と夜の庭がある。我は灯籠一つに火を噴き込み、そのまま縁側へと設置した。
「恐らく長旅であったろう、暫し休むがよい。快適でなければ破壊せぬ範囲で環境を変えてもよい。我はここにて休んでおる」
 悪狐の見ている前で、我は身を屈め四肢を放り出し、共に眠れるだけの空間を敢えて開けつつ寝藁へ腹這う。悪狐の目が一瞬期待に煌めいた。解し易いの。かつてはその目に幾度と侵されたものである。とはいえ今宵に於いては元より然様に誤解させるつもりであった。そうでなければこうも静かには付いて来ぬであろうて。信心を得ていようが人々を脅かすものを放ってはおけぬ。後は人の如く執念を薄めてくれれば――対なる神性として受け入れてさえよいのだがの。
「隣、いいか」
「構わぬ」
 悪狐は我の隣へそのまま来たり、我と同じように寝藁へと腹這った。我を見つめるその目は、灯籠の明かりを映し細やかに揺れておった。
 さて、この野望に溢れた災厄を、どのように鎮め祓おうか。ひとまず軽く話を交えようかの。少なくとも其方を理解すれば、よき対応が湧き上がりそうなものであるが。

「――付かぬことを問うが、其方の執念はどこかや?」
「あなたにある」
「同胞の雄ではなく、我という個にあると?」
「今は、そう」
 話を始めて見れば想像よりは口数の少ない者である。あるいはここに来て疲労感が溢れ出したのであろうか。そうならそうで今宵は適当に眠ってくれれば楽なのだがの、さすがにそう易くはあるまいか。
「天寿に至るまでを添い遂げられる雄なら、誰にでも同じ執念を添えておりそうな気がするがの」
 悪狐の表情が一瞬歪む。最も、嘘か真かを問わず、言葉を都合よく上塗りされるのは嫌悪に満ちるであろう。同胞の雄を求む理由としては多かろうと思うが。
「それを言うなら、あなたも――人々じゃない、もっと、一つの人に執念を抱いてない、かな」
 悪狐は我の言葉を倣い返してきた。まるで嫌悪を察して欲しいと言わんばかりである。その一方で我への関心を表すかのように、微少な推測を当て付けて来おる。なるほど、気付いたのかの。
「その通りよの。我は人々に執念を置きつつも、真なる執念はただ&ruby(ひとり){一人};のみよ」
 問いに返しつつ数瞬待つも悪狐は沈黙を維持したまま我を見つめておる。話の主導権は&ruby(にぎ){握};りとう無いかの? 口数が少なくあるなら、こちらより展開するのがよかろうか。
「――仔細を聞き入れたく思うかや?」
「頼む」
 冷たい風が微かに吹いた。悪狐が、鼻より一つの息を吐き出した。気を鎮めようとしておった。
「――我が執念はの、シキ、人の雌での、慈悲深く綺麗なやつでの、死の淵に佇んでおった我の救出者――ああ、名までは覚えんでよい、とにかくの、あやつへ対する執念は未だ失せぬ。共に過ごした期間は一部にも満たぬが、その存在は我へ大きく残り続けておる。伴侶と言えばよかろうか? 疾うに死別しておるがの。送葬に際しては、我自ら火を放ち灰となったあやつを地に返したの。それはそうとな、夫婦間の営みは&ruby(あつ){熱};うことであった、何せの――」
「やっぱりいい、ありがとう。とりあえず分かった」
 ――話を遮るか、つまらぬ。ま、仕方なきよの。
「なんじゃ、執念を我へと置いておるのではないのかえ?」
「それ以上聞いたら、許してもらえなさそうな気がした」
「さながら、現下に於いては我より許されておるかのような語りよの?」
「うん」
 視線を我へと向けたまま幾らか遠くを見つめておる。その気は鎮まりを超え、鳴りを暫し潜めておった狂気へと再び&ruby(ふ){降};り&ruby(お){落};つかのよう。悪狐は何かを言おうとしたのであろう、数瞬我へと焦点を戻し、されどそのまま瞼を落とす。混迷する思考を覆い隠すよう。ふむ、なるほどの。執念の源に触れうるか、凡俗なやつよの。理解に易くあるのはよきことであるが。

 つまるところ、見方次第で我と其方の源は似なくもなき、と。

「――その、シキ、の代わりに、私は成れるだろうか」
「はて、どうであろうの」
 名までは覚えんでよい、と言うたろうに。
 その頭が我の首へと寄る。悪狐は身体を傾け我に背を向ける形で横這いとなりて、頭を持て上ぎその鼻で我が首を押す。拒絶する必要性もなし。我より幾らか低いその体温は、触れるには悪いものでもないしの。受け入れるかはさておき、其方に慈悲を向けられる等とは想像にさえ至れぬものであったが。

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&color(gray){ 誰もが雄に愛されるわけではない。};
&color(gray){ 競争に負けた雌、御目に適わなかった雌、そういった者が、雄性の愛を求めて放浪する例は少なくない。};
&color(gray){ 母はそうだった。私もそうだった。};
&color(gray){ 大概は傷心していて、同族への拘りが薄れ、代わり、異種の雄と&ruby(つがい){番};を&ruby(ちぎ){契};る。
&color(gray){ 私たちの天寿にして一部に満たるか、というほどに短命な者と。};

&color(gray){ 短命なものと番うことは決して否定はしない。ただ、その結末がどうなるのか、というのを、私は身近な例で知っている。};

&color(gray){ 私たちの種族は、どうして執念深いとされるんだろうね?};
&color(gray){ 幾世代にも渡るいくつもの孤独感と喪失感が、血に深く刻み込まれている。};
&color(gray){ そんな気がしてならなかった。};



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 悪狐は鼻先により我の首筋を撫でつつ牙により毛並みを軽く噛み、舌によりそのまま繕うてくる。我を窺い見ておるような慎重さと共に冷感を添えてくる。弱々しく甘え媚ぶ&ruby(あゆついしょう){阿諛追従};の様相を表しておるが、その内に野望を揺らがせ続けておるのは見え透くところであるの。とはいえ其方の執念を踏み荒らす気は最早のうて、気の済むくらいまでは相手してやろうぞ。我は一つ大きく息を吐く。悪狐にも伝うよう&ruby(ことごと){事々};しく気を緩ませ害意の無さを表す。我へと迫ることを許容する。我が執念へ踏み入らせはせぬが、その一点についてはこやつも留意しとることであろう。暫し続けた後に我より離れ、今度は我の頬へとその頬を添える。喉の奥より声を零し言葉なき深愛を漂わす。胸中複雑とあることよ。
「それほどまでに愛おしきものかや?」
「……うん」
 そうよの、同胞の雌は概して&ruby(みな){皆};がそうである。我ではなく、同胞の雄を、の。とはいえ、悪狐は二つ呼吸する頃には我より頬を離し、その頭を寝藁へ戻す。我より視線を外し、縁側の灯籠をぼんやり見つめる。存外、こやつの執念は霊峰に住まう同胞らより幾分も薄くあるのやもしれぬ。雌は皆獣欲に塗れた化け物しかおらぬと思うておったが――例外というほどでも無かろうが、こやつは――ああ、その抑圧は大変なことであろうの。
 一息つき数瞬を経て、今度は悪狐が突拍子なく問い掛けてくる。
「……あなたは、普段はヒトたちを守ってるのか」
 我への関心。同胞の雄でのうて、我への関心。
「表向きはそうなるの。実態がどれほど&ruby(がんきょう){頑強};な&ruby(も){守};りかは我自身解せぬが」
「そのヒトたちが、さっき、私に力をくれてたと」
「そうなるの」
「ヒトたちを何も見てなかった私に、なぜ?」
 &ruby(はや){逸};る気を言葉で強かに覆い隠し、されど瞳の奥に揺れる野望を自ら歪めようとしておる。
「人々の希望であろうて。我と同質のものを迎え入れよう、と。其方を我が伴侶へ、と。理詰めでものうて、より直感的な信心であろうがの」

 憐れみすら感じうる、ああ、&ruby(びんさつ){憫察};など其方には要らぬであろうかの。多少は、そう、多少くらいなら応えてやっても構わぬと思いさえしようものであるが――果たして其方の胸中は如何様かや?

 我は尾を悪狐の尾へ寄せ、軽く広げつつ添える。悪狐が目を見開きて寝藁に頭を置いたまま我へと視線を送り、我は警戒色を滅しつつ見下す形でそれへと視線を返す。悪狐の尾が我が尾の隙間へと、緩やかに刺し込まれていく。恐々と我の様子を窺い続けながら、されど好奇のまま尾の幾つかを巻き付け、絡めくる。冷感を纏う尾らは心地のよいものであると思考しつつ、我よりも尾で&ruby(たぐ){手繰};りて、枝分かれする付け根付近で絡ませ合う。微かに鼻へと雌の匂いが入り込む。ああ、尾が遮っておったのであろうの、手繰りて浮かせたことにより遮るものがなくなったと。だらしなく股下濡らしおって。そこまで応える気なぞ皆無であることは其方ももう理解するところであろうに。まあ気付かぬこととしようかの。我は顔をその首元へ寄せ、軽く牙を添える。その首を噛むよう緩やかに力を重ね、絞めていく。悪狐より小さく声が上がる。二つ三つ四つ、途切りながらのもの。恍惚の色を帯びた艶めかしきものであり、我が&ruby(きたん){忌憚};の根元。――比較などされとうないであろうがの、シキは、より淡白かつ綺麗、快活に鳴いたものであるぞよ?
 我は牙を離し、その首元の毛並みを軽く舐めて整えてやる。顔を引きつつ、口周りへ付着する悪狐の抜け毛を舌で集め、唾液へ乗せて&ruby(えんげ){嚥下};する。視線を悪狐へ戻すと、それは舌を軽く出し、頬を緩め、大きく息を吐いて吸いながら我へと視線を向けて来おる。ああ、冷気を是とするその身は我より幾分も暑さに弱かろう、排熱も必要であろうて、されど&ruby(みにく){醜};い&ruby(つら){面};である、水鏡にて自らを視認させとうある程よの。まあよい。我は尾を開き緩やかに引き解きて遊戯の終わりを示す。これ以上のことはあらぬ。されど其方は――
「――物足りぬか。まだ満たぬかや?」
 声を掛けると、悪狐の尾が揺れ寝藁を叩く。微かな冷気が周囲へと散る。
「うん。――でも、うん、だいじょうぶ、ありがとう、嬉しい」
「然様か」
 襲い来るような気配はなく、落ち着くべくか目を瞑りおる。ふむ。
 我は灯籠へと軽く念を向け、その火を絞め潰す。縁側の先へ降る月明かり以外に何の明るみもなき暗がりを作りて、それから我は静かに立ち上がる。
「我は少し夜風を浴びる。其方は休んでおれ」
 暗がりの中でもその視線が向かい来ることは解し易く、されどそれは身動ぐ様子もなく、今一度、我への執念を放り出しておった。

 縁側より庭へ降り空を見上げた。揺らめく虹の幕は消えてなくなり、綺麗な月明かりのみが柔らかく降り注いでおった。
 我は、強くなったものであろうかな。
 息を一つ、吸って吐く。
 常々涼しいはずの夜風が、心なしか生温くあった。

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&color(gray){ だから、だろうね。};
&color(gray){ あなたに少しでも許容された時、すごく、すごく、嬉しかった。};
&color(gray){ もっと、襲い掛かって、奪いたかったし、奪われたかった。私だけのものにしたかったし、あなただけのものになりたかった。};
&color(gray){ だけど、あなたは、そんなことを望んでない。全面的には受け入れてくれない。分かってる。};
&color(gray){ 理解を示してくれるのは、心地いいものだった。それを壊す気は、ない。今のところ。};

&color(gray){ 私の執念はあなた。};
&color(gray){ 同族の雄だからか、なのかは分からない。};
&color(gray){ だけど。だから。};
&color(gray){ これから――……。};



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 ――して、の、&ruby(なにゆえ){何故};であろうかの、このような扱いは。

『鎮守様、とうとう新たな伴侶を得られたのですね、おめでとうございます!』
『&ruby(よ){止};せ、我が伴侶は既におる。然様なものではのうて、神性を帯ぶ&ruby(どうはい){同輩};に過ぎぬ』
『存じておりますとも、しかし複数の妻を&ruby(めと){娶};る事は寧ろシキ様も望まれていらっしゃったそうではないですか。皆が祝福なさりますよ!』
『だからの、然様なものではのうて……悪いがの、期待が過ぎると落胆するぞよ?』

 社のすぐ前にて、人の何名かが深い信心を我と悪狐の双方へと放っておる。日が遠く空へ登り始めており、我は尻餅を付き人々と相対し、悪狐は我の腰に背中を添える形で寝転がり、ただ人々らを目視しておる。人々は熱心よの。熱心であることはよいのだがの。その信心より強く影響を受けておる我にはちと心苦しくあるぞ。悪狐が雌であることを何の気なしに告げたらこの有様である。異性間の色恋沙汰を好む人は多くある、それは解するがの、ああ、全く――。
「……なぁ、何言ってる?」
 幸か不幸か、悪狐は人の言葉をまだ解しておらぬ様相。まあ浴び続ければ自然と身に付くであろう。こやつが人々と自由に意思疎通できるようになれば、果たして我が安穏はどこへ消ゆるものであろうかと心配にもなるが。
「其方を我が伴侶として迎えた――と誤認されておっての。否定こそすれど、聞き入れてもらえぬ」
「魅力的だけど、難儀だな」
「全く、難儀であるの」

 人々は、我とこやつの付き合いを求めておる。然様なことは励行しとうない。のう、シキよ。我はお主を忘却せずにおり続けられるであろうか? ああ、お主は忘却を求めておったはずよの。&ruby(とわ){永久};まで縛りとうなき様相で、天寿の尽く頃には我を解放すべく画策しておった。

 悪狐へと一瞬視線を降ろす。その目と視線が絡む。綺麗な目の内には未だ執念が揺らぎ続け、されど悪狐はその表情を和らげ我へと軽く微笑む。我からも微笑み返す。

「――これから、長く、あなたの隣に、いて、いい……か?」
「ああ、宜しく頼むの」
 ――同輩としては悪くもなき。果たして我は其方へ添うてやれるかの。

 我より顔を降ろし、悪狐より顔を持て上ぎ、軽く頬を擦り合わす。我は人々へ添う形で、悪狐は我を慕う形で。人の声による感嘆が耳へと&ruby(い){入};り&ruby(こ){込};む。信心とは時に複雑怪奇とあるものよ。
 互いの執念さえ噛み合わず、しかし絆(ほだ)されてしもうたの。半生ほどは其方と共にあってよいとは思えるが、それ以降は我が天寿次第よ。結果として、あるいは過程内にて、其方の血へ末代までの祟りを刻み込むことにはなるやもしれん。現下に於いてはまだ拒否感が残るがの。
 ――まあ、其方と、多少は&ruby(うま){上手};くやっていけることを願うぞよ。



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・後書きとして

 キュウコンさんは元から書きたいと思っていたのですが、中々形にならず難産していたものでした。お題から霊峰という語も思い浮かべ、そこから連想する種族がキュウコンであったことからも身体が疼いて仕方ありませんでした。
 "ぜったいれいど"の執筆中、[[クロフクロウ]]さんとのお話の中でキュウコンという種族の"普通"を問うものがあり、そこから一気にイメージが引き出され、書きたいものが繋がり、急遽エントリーから執筆という流れとなりました。
 はい、かの話中に現れていたキュウコンさんの像は決して不自然なものではないと思っております。
 この場をお借りしまして、イメージが固まる切っ掛けを下さったクロフクロウさんに感謝を表します。ありがとうございました!

 また、鎮守様の文体は私が普段書くものから少し外れたものですが、これは[[カゲフミ]]さんの文体を参考にしたものであったりします。
 鎮守様の纏うであろう特殊な空気をどう作るか、というのを暫く考えた末、他者様の文体を漁り、イメージに合致しそうだと感じたのがカゲフミさんの文体で、それを参考文献として吸収しながらの執筆背景がありました。最終的に出来上がったものはカゲフミさんの文体とは似ても似つかぬものであるとは思いますが、望む空気が作れた、と満足しております。
 この場をお借りしまして、カゲフミさんに感謝を表します。ありがとうございました!!

 キュウコンさんって雄は1/4限りで残り3/4は雌個体なんですよね。1/8ではないにしても雄はありがたいものですよね。結構性別にシビアな価値観がありそうです。群れの中では雄を奪い合う血みどろな争いとか珍しくなさそうに感じます。"うらみ"や"おんねん"といった如何にもな技を、あまり執念深そうな図鑑テキストでないはずのアローラキュウコン(ロコン)まで習得してしまう点も含めて、血は争えないのだと想像が膨らみます。
 鎮守様、絶対、まだ若い頃に複数の雌に囲われ無理やり石進化させられた上で催眠術かけられ、形だけ成長した肉体を体力の尽く限りの好き放題をされ続け、命からがら霊峰から逃げ降りて来たとかそういう過去あると思うんです。それはもう云百年前の話であったとしても、雌の同族への偏見はそれはもう酷いものでしょう。きっと。
 そして、キュウコンさんは子孫を含めて千年祟るとは言われますが、これって実質、神的な存在の力としてよく聞く"末代までの祟り"ですよね。長生きかつ執念深いキュウコンが子孫を常に監視し続けるのだとは思っているのですけれど、これ、最大限に曲解するならば血に直接干渉したほうが正直手っ取り早そうではあります。そうもいかないのが執念深いキュウコンさんなのでしょうけれど、雌が欲深くあるなら、対する雄はうんざりして関心を閉ざし、思いの外さっぱりしたかたも少なくなさそうな気がするのですが、そんな雄キュウコンさんが末代までの祟りを仕込むことがあるとするなら、要するにこれって実は、関心の現れであり、つまり気に入った相手であり、そんな相手の血に刻み付けることといえばそりゃもう愛に満ちたセッ
※このお話は誰が何と言おうとフィクションです。

 社などを背景にキュウコンさんを描いた絵、置いた物語、そういった創作物は決して珍しくないと思いますが、あれら全ても背景は意外とどろどろしたものなのではないかなどと期待が膨らんでいたりいなかったりしつつ、そういったしがらみもなく明るみに満ちた存在だからこそ社の主が務まっているのであろうとも思います。私が考えるとどうしても後ろ暗い空気が散在してしまいますが、皆様方の思うキュウコン像なども、機会さえあればもっともっとお聞きしてみたい所存とあります。
 あなたの!!みなさんの思うキュウコンさんは!!!どのような経緯で現在に至りますか?! どのような美しさがありますか!! どのような汚らわしさがありますか!! あるいは完璧を以て神性を成す存在ですか?! みなさんのキュウコンさんが纏うものは何ですか?!?!!!!!!



以下3件のコメント返しになります。

 種を求められ者が、種ではなく個として認識されるというシーンが
 びっくりするほど刺さりました、好きです!!!!! (2019/06/11(火) 20:32)

刺さりましたなら幸いです!! ありがとうございまーす!!!!
お互いに過去に意識が残るからこそ、本能的な感覚を超えて相手を見れる、というのはきっとあると思うんです。(語彙力)
悪狐さんの野望がいつか早まった行動を起こしてくれるか、はたまた鎮守様が悪狐さんの野望を受け入れるあるいは人々の望みを励行する気になるか、将来的にどうなるやらという感じですが、それでもふたりとも互いに尊重し合えることでしょう。うふふへへへへへh



 文章表現が難解で若干のとっつきづらさはありましたが、読み進めていくうちに引き込まれていきました。古くから伝わる昔話を読んでいるような気分。同じ種でも同じではない、そんな二匹には幸せになってほしいですね。 (2019/06/15(土) 19:47)

ありがとうございまーす!! 引き込まれてしまわれますとは冥利に尽きます!!! 慣れない古語遣いは難産する部分が多くありましたが、そう感じて頂けましたなら幸いです!!!
このふたりはなんだかんだ末永い付き合いになると思われますが、果たして幸せの形はどのようなものになるのでしょうね。腐った見方をするなら、ぜひ悪狐さんの血に末代までの祟りを刻み付け(意味深)てその末代を伸ばして欲しい、等と考えます。そうさせるにはちょっと暗い過去のある鎮守様ですが! げへへへへへへへへ

参考文献の作者様より票を頂けたというのはなんだかとても不思議な気持ちです。さて、何の話を言っているのか私もよく分かっておりません。とにかく、とにかくも、ですよ、ありがとうございまーす!!



 読後感凄く良かったです! キュウコンならではの世界観、言い回しが素敵でしたし、かつ読みやすくてこの世界に入り込めました。
 キュウコンの雄雌比率を踏まえた上でのお話。この距離感、上手く言えないんですけど本当に好きなんです。アローラキュウコンの心理描写も好き……好き(語彙力)
 作者様のキュウコン愛も凄く伝わってきましたし、キュウコンの素晴らしさを改めて実感することができた作品でした。ありがとうございました! (2019/06/15(土) 23:57)

ありがとうございまーす!! そういって頂けますなら言い回しですとか大変に難産した甲斐があります!!
これ以上踏み込むと危うい、みたいな距離感を互いに認識しつつ、そのぎりぎりを攻める、みたいな危うく危うい距離感が私はとても好きです。感じていただけたものは、そんな感じのものだったりなさるのでしょうか! わあい!!!!
創作的に、神性に満ちた綺麗な姿から欲望に溢れる邪悪な姿まで、長生き設定も含めてキュウコンさんってかなり何でもこなせる素敵種族だと思います。キュウコンさんいいですよね。いいですよね!!



お読みくださりありがとうございました。
この度は大会に参加させていただきまして真にありがとうございました!

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