*雨空の晴天に [#marU4tz] writer――――[[カゲフミ]] 湿った空気を耳に感じた。隙間から差し込んでくる朝の光もどこか心許ない。どうやら今日も天気はあまりよろしくないようだ。また雨が降るのかと思うと何となく気だるい。もう少し住処の中でじっとしていようかという怠惰な考えが頭を過ぎったが。本降りになってしまうと面倒になってますます動けなくなってしまう。もたもたしていないでさっさと済ませるとするか。俺は住処にしている枯木の虚から身軽に飛び立つと、体に付き纏う眠気を吹き飛ばすかのように力強く翼を羽ばたかせた。 空気がしっとりとしていてどこか重たい。俺の耳に、翼に、首周りの毛にまとわりついてくる。びしょ濡れになるのは嫌でも、俺は水が苦手というわけではない。水気を弱点とするポケモンならばこの区域での生活はままならないだろう。それくらいこの地方は雨が多い。朝は晴れていたのに昼過ぎからは大雨になるようなことも珍しくない。特に夏の初めは晴れ空を拝める日の方が少ないくらいだった。俺たちが暮らしている森は丁度、高い山と山の間に挟まれている。上空から流れてきた雨雲を山が塞き止めてしまうことが大雨の原因だと、誰かが言っていたのを何となく覚えていた。まあ、別にどんな理由で雨が降ろうと俺にはどうでもいいこと。豊かな雨は豊かな実りをもたらしてくれることもまた事実。俺自身、朝起きた瞬間は天気の悪さに辟易しておきながら何だが、この雨のおかげで森は食用となる木の実をつける樹木で溢れかえっているのだ。食料を巡って他のポケモンと奪い合ったりする必要もなく、何日もの間空腹でさまようようなこともない。雨の多さに目をつぶれるのならば、この森はとても豊かで暮らしやすい場所だと言えるだろう。 俺の住処から木の実エリアまでは少々距離がある。実をつける木は近場でもなくはないが、ちまちまあちこち探し回るのは性に合わない。食材探しは効率よく、だ。飛び立ってから数分後、ようやく目的の木の元へとたどり着く。生い茂る葉の隙間から、赤、黄、桃などの色とりどりの木の実が顔を覗かせていた。嫌いな味は特にない。こだわりがないとも言う。たらふく食べられるのなら文句はなかった。俺は手頃な木に目星をつけると、一つの枝のまとまりに向かって一気に風を送り込む。ただの羽ばたきでなく、翼をリズム良く羽ばたかせることで強力な風圧を生み出すのだ。これはふきとばしという俺の得意技でもあるが、もちろん加減はしてある。本気でやると枝ごとへし折ってしまいかねない。まあ、枝の一本や二本折れたところでここらの木が枯れてしまうとは思えなかったが。むやみに木を傷つける理由もないし。 俺が風を起こした直後、激しく揺さぶられた枝たちは葉を一斉にざわつかせ、耐え切れずに実らせた木の実を放り出す。ぽとぽとと下へ、下へ。見た感じ大量でいい感じだった。 そういえば木の根元に誰もいないか確認しなかったが、大丈夫だろう多分。落ちてきた木の実が当たったところでたかが知れてるし、むしろ食料が勝手に降ってきたんだから楽できたくらいに思ってもらわないと。 翼の角度を調整しながら、俺はゆっくりと木の根元へと降下していく。地面に転がっている木の実はざっと五、六個見えたが、ちゃんと数えればもっとありそうだ。 生えている短い草がクッションになってくれたおかげで割れている実は少ない。地面に着地して手の届く範囲にあった木の実を二、三個適当に口の中へ放り込む。 口の中へ広がる果汁と癖のない味わい、というか色んな味が混ざって良く分からない。強いて言うなら当たり障りのない味。元々好き嫌いがないので、俺にとっての食事はただ空腹を満たすだけの手段になってしまっていた。 特別旨い木の実や珍しい木の実でも見つけられれば大事に味わって食べてもいいが、この辺は味や大きさよりも実の数を優先させる樹木が多いので望みは薄い。 五個目の実を平らげたところで俺の胃袋はいっぱいになった。まだ転がっている木の実が二個残っている。無理して詰め込むと飛ぶときにしんどいからな。 そのまま放り出して飛び去ろうとしたところに近づいてくる足音。何となく解る、またいつもの奴だな。無視して立ち去ってもいいがそれはそれで後々面倒なことになりそうだし、相手くらいはしてやろう。 「待て、オンバーン」 「何だ?」 「何だじゃない。これを見て何も思わないのか?」 小さな目を三角にして怒って、いるんだろうか。もともと種族柄のっぺりした顔立ちだから今ひとつ表情が読み取れない。近づいてきたヌオーが右手で指し示す先に転がっているのは俺がさっき残した木の実。へいへい、また小言か。木の実なんてそこらじゅうに腐るほどあるんだからこれくらいどうってことないだろうに。 まあ、このヌオーは本人曰くここいらに暮らすポケモンのまとめ役だそうで、立場上俺の振る舞いをみすみすと見過ごすわけにはいかなかったらしい。 「特には」 「何度も言っているだろう。木の実を採るときは自分が食べる分だけにして、粗末に扱うような真似はしないでくれと。これは大地の恵みでもあるんだから」 ため息を交えてうんざりしたようにヌオーは告げる。自分たちが生きていく上で大事な食糧だから食べるときは感謝の気持ちを忘れないようにしなさいだの、ありふれた感情論だ。 木の実を食べる時にありがとうと感謝したところでそれが何になる。俺たちが木から果実を奪って食べている事実が変わるわけでもなし。草ポケモンでもない木々に気持ちが伝わるとでも言うのだろうか。馬鹿馬鹿しい。 「じゃあその大地の恵みとやらはあんたが頂戴すればいいさ。楽して木の実を得られるまたとないチャンスなんだろう?」 俊敏な動きが出来なさそうなヌオーなら高い場所の木の実を落とすには手間がかかるはずだ。木登りは無理だろうし、水鉄砲で狙うにしても効率が悪い。俺が落として食べ残していった木の実をこいつが時々拾い集めに来ていることは知っている。俺に苦言を呈しておきながら、自分はおこぼれに与っているというわけだ。ちゃっかりしている。 「と、とにかく。この木の実はちゃんと君が持って帰ってくれ。いいな」 図星だったようであからさまに表情と態度を変えるヌオー。分かりやすい。そのままそそくさと茂みの中へと立ち去ってしまった。別に俺が食べ残した木の実を他のポケモンがどう扱おうが俺は気にしていない。事実上、注意した相手の世話になってしまっている後ろめたさがあったからヌオーは逃げ出したんだろうけど。変なプライドがあると大変だな。 まあ今日はあいつの忠告に従って木の実を無駄にしないでおくか。持って帰ると飛ぶときに邪魔になるから、多少無理してでも詰め込むしかない。俺は転がっていた二つの木の実を拾い上げた。 「あ、あのっ」 俺が実を口へ運ぼうとしたところにやけに震えた声が割って入ってきた。辺りを見回しても誰もいない。何となく足元の方から聞こえてきたような。 よく見てみると草むらの隙間から顔を覗かせている薄紫色の物体が。頭と思しき箇所からは突起のようなものがにゅっと突き出している。体には所々緑色の模様があった。 ええと、確かヌメラって種族だったか。初めて見る顔だな。そもそもこの区域に住むポケモンで俺に話しかけてくる奴自体が珍しかった。ヌオー以外の声を聞いたのが久々に思える。 「何だ、何か用か?」 「よ、よかったらその木の実を私に分けてはくれませんかっ?」 必死に絞り出したかのような掠れた声だった。顔色もどことなく青ざめている風に見えなくもない。元の色が紫だからちょっと分かりづらいな。とにかくこのヌメラの体調が良くなさそうなのは間違いなかった。 俺は手に取った木の実に視線を移す。ヌオーに粗末に扱うなと小言を言われたそばから今度はヌメラに分けてくれと頼まれる。今日は何かと木の実関係の面倒事が多い日だ。 ここから更に他の誰かが割り込んでくる前にさっさと始末をつけてしまおう。もう満腹で無理やり腹に収めようとしていた分だ。実際は二個しかないが、いくらでもくれてやるさ。 「ああ、やるよ」 これで中途半端に残ってしまった木の実ともおさらば。俺はひょいとヌメラの前に二個の木の実を放り投げてやった。途端、ヌメラの表情が生き生きと輝きだす。 「あ、ああありがとうございますぅ!」 大きく口を開けてばくばくと勢いよくヌメラは木の実に齧り付く。体の半分くらいはありそうな大きな口で咀嚼しながら、うっすらと涙まで浮かべて。よっぽど腹が減っていたらしい。 腐るほど木の実が成っているこの森でどうやったら行き倒れる寸前まで空腹になるのか、正直なところ疑問だったが。見た感じ鈍臭そうで体も小さいし、木の実を取るのもそんなに簡単じゃないのかもしれないな。まあ、俺が無理やり食べるよりも、これだけ腹が減ってる相手に食ってもらった方が木の実の無駄がないのは事実。この判断は木の実を有効に活用できたのではなかろうか。 「ああ、生き返りましたぁ……」 小さな目を細めて満足げに息をつくヌメラ。血色も多少は良くなった感じがするし、ひとまずは大丈夫そうだ。木の実もなくなったしもう俺に用はないよな。 「じゃあな」 「あ、待ってくださいオンバーン!」 「今度は何だ?」 翼を広げて飛び立とうとしたところをまた呼び止められて俺は振り返る。あからさまに眉間に皺を寄せて苛立ちを隠そうともしなかったのに、ヌメラは怯む様子がなかった。案外肝が据わっているな。 「あのっ、あなたの名前を教えてくれませんか?」 「……ユバートだ」 何でまた名前なんかと思いはしたが、変に追求するとまた余計に時間がかかってしまいそうだ。こいつが納得してくれるなら名前くらいは教えてやる。俺は吐き捨てるようにヌメラに名乗った。 「ありがとうございます、ユバートさん。あなたのおかげで助かりました」 姿勢を低くして地面に広がるような体勢を取るヌメラ。これは頭を下げているつもりなのか、と気がつくのに多少時間がかかった。お前が律儀な奴なのは十分に分かった。でもさすがにもういいだろう、俺は行く。 返事もせずに俺はその場から飛び去る。後ろからヌメラが何か叫んでいたような気もしたが振り返らなかった。ヌオーに絡まれるのはしょっちゅうだったが、あんなのは初めてだ。 小さくて頼りない見た目とは裏腹に、俺を前におどおどしたりそわそわしたりはしなかったし、いきなり名前を聞いてきたりするし。とにかく変な奴。 そういえば、自己紹介したのっていつが最後だっただろう。もしかするとオンバーンに進化してからは初めてになるかもしれない。ユバートという名前で呼ばれたのも、おそらくは。今までに出会ってきた森のポケモンとは違う。変わり者というイメージだったが印象は強かった。住処に戻るまでしばらくの間、ヌメラのことがずっと頭に残っていたんだ。 見慣れた曇天の景色。帰りの風景がいつもと違って見えたのは、きっと気のせいだろう。 ◇ 本日の天気は小雨。どんよりとした雲の下、細い糸のような雨がはらはらと降り注いでいる。所々に霧が立ち込めており視界も悪く、飛翔するには好条件とは言い難かった。 とはいえ一昨日、昨日と続いた大雨に比べれば幾分かはましというもの。これ以上住処に引きこもっていてはさすがに空腹に耐えられなくなってくる。 背中や翼に小雨を浴びながら俺はいつもの場所で木の実を齧っていた。食べている木の実の種類は代わり映えせずとも、空腹時に食べるとやはり旨い。 雨に濡れるのが億劫で先延ばしにしていたが、今日ばかりは食欲の方が勝っていた。小雨くらいならばどうということはない。腹が減って動けなくなっては元も子もないのだから。 口にした木の実は六個目。二日間何も食べなければ食指が動く。残りはあと二個。今日の木の実のふきとばし加減は多すぎず少なすぎず、丁度いいくらいだった。 さてと、採った木の実を全部片付けたらさっさと戻るか。今日はあんまりうろうろしても雨に濡れるだけだろうしな。と、残った二つのうちの片方に手を付けたときだった。 「あ、こんにちは。やっと見つけましたよ」 草むらからひょっこりと顔を出してきたのは何日か前に会ったヌメラだった。前回と違って今にも気を失いそうな気配は感じられないが、また木の実を狙って来たのだろうか。 「上の方で猛烈な風の音がしたので、もしかしたらと思って」 なるほど。さっき俺が木の実をふきとばした音から居場所を判断したらしい。こう見えてなかなか鋭いところがあるな。 「で、何の用だ。また木の実をねだりに来たのか?」 「ち、違いますよっ。私はただあなたに……」 言いかけたところへ、ごろごろと強烈な腹の虫の音が鳴り響く。俺じゃない。いったいこの小さな体のどこから、と思わずにはいられないくらいの音の犯人はヌメラ。 ヌメラの顔がほんのりと赤くなる。何だ、やっぱり腹を空かせてるんじゃねえか。 「ですから、私は……」 気を取り直して言い直そうとした矢先に再びぐるぐると響き渡る腹の音。もうヌメラの顔は真っ赤になっていた。青ざめたり赤くなったり顔色が忙しい。これには俺も苦笑いせざるを得なかった。 「ああもう、何でこんな時にっ!」 自分自身の腹に腹を立ててもどうしようもないだろうに。鳴るな鳴るなと必死に喚いたところで体は正直だ。まずはヌメラの腹の虫をなんとかしないと話が前に進みそうにない。俺はため息混じりに残っていた木の実を一つ手に取り、ヌメラの頭目がけて軽く放り投げてやる。咄嗟に触覚で木の実を受け止めたヌメラは信じられないといった表情で俺を見上げていた。 「食えよ」 「えっ、そんな、悪いですよ。私はそんなつもりじゃ」 「いいから、食え。そんなに近くで腹の虫を鳴らされたらせっかくの木の実がまずくなる」 ヌメラの言葉を遮るように俺は持っていたもう片方の実に齧り付いた。やれやれ、敵わんな。これが全て計算ずくだったら大したもんだと褒めてやりたい。 おそらくヌメラにはそんな計画を企てる思考も余裕もないはずだ。それでも結果として俺から木の実を一つ得ることに成功しているわけだから侮れない。 最初は受け取った木の実をどうしていいか分からず、草の上に置いてじっと眺めていたヌメラ。だが俺がぎろりと睨みつけると、とても申し訳なさそうに一口また一口と齧り始めた。 そうそう、それでいいさ。貰ったもんは素直に受け取っとくもんだ。この状況で頑なに断られていたら俺も怒鳴っていた。木の実の一つや二つ、俺がその気になればいくらでも採ってこられるしな。 「ごめんなさいユバートさん。またあなたの世話になってしまって……」 「これくらい構わんよ。で、最初に何を言おうとしてたんだ?」 「あ、そうでした。以前あなたが木の実を分けてくれたおかげで私、倒れずにすみました。ユバートさんは私の命の恩人です」 恩人とはまた大げさだな。俺は別に大したことをしたつもりじゃなかったんだが。まあ、ヌメラにとってはあの時の木の実がそれくらい重いものだったんだろう。 「それで、どうしても恩返しがしたくて。何かあなたのために私が出来ることって、ありませんか?」 目を生き生きとさせて、俺に問いかけてくるヌメラ。恩返しだなんていきなり言われてもな。それに、空腹で倒れそうになるような自分のことすらままならない奴が他者に気を回すこと自体、理にかなっていない。 俺も特に今の生活で困っていることや、何かして欲しいことはピンと来るものがない。住処もちゃんとあるし、自分の力で食料も十分に確保できている。今のヌメラが俺のために出来るようなことは一つとして思い当たらなかったのだ。 「……ないな」 「些細なことでも構いません、本当に何もありませんか?」 「ならまずは、自分でちゃんと木の実の確保ができるようになることだな。話はそれからだ」 痛いところを突かれたらしく、ヌメラの顔が一瞬曇る。やはり自覚はあったらしい。無理もないか。今回も不本意ながら結局は俺の世話になってしまったわけだし。 仮に俺がヌメラに何か頼んだとしてだ。変なところで意固地なこいつの雰囲気からして、自分のことを後回しにしてでも俺への恩返しを優先させかねない。結果、どちらも果たせずに共倒れになってしまう可能性が高い。 あの時はヌメラからの見返りなんてまったく期待しちゃいなかったからな。無茶されても困るし、気持ちだけで十分だと伝えてもこいつは納得しないだろう。辛辣な言葉かもしれないが、ヌメラを一旦引き下がらせるにはこう言うのが一番だと判断したのだ。 「そう、ですよね。まずは自分のことをちゃんとしないと……」 ヌメラは俯いてはいたものの、落ち込んではいなかった。きゅっと結ばれた口元は強い決意を感じさせる。俺の中ではどうしても第一印象ばかりが先行してしまっていたが、弱々しくて頼りなさそうな見た目とは裏腹に、内に秘めているものはずっとずっと大きいのかもしれない。 「でも、あなたへの感謝の気持ちは忘れませんから。もし今後、何か出来るようなことがあったら遠慮なく言ってくださいね」 前向きな姿勢は結構なことだ。今すぐは無理でも長い目で見ていけばいずれは俺がして欲しいことや、あるいはヌメラに出来るようなことが出てくる可能性はある。とにかく今は焦らないことが一番だ。 「ああ。覚えとくよ、ヌメラ」 「あ、自己紹介が遅くなりました。私はネイムって言います。覚えてくれたら嬉しいです」 ネイム、か。俺に名前を聞いてきたり、はたまた自分の名前を教えたり、ますます変わった奴だ。まあ忘れない程度には名前を覚えてやってもいいだろう。 俺が森に来たときに、気配を嗅ぎつけて今日みたく唐突に顔を出してきそうだし。会おうと意識しなくても今後絶対にこいつと顔を合わせる機会はありそうだからな。 「ネイムだな、分かった。じゃあ……またな」 「はい、ユバートさん」 俺は翼を広げ、地面を蹴って飛び立った。そういえば、降りしきる小雨で体が濡れるのも不思議と気にならなくなっていた。こんな天気だしヌメラとの話もさっさと切り上げてやろうと思っていたはずなのに。それから、去り際の「またな」という言葉。特に意識したわけでもなく自然と俺の口から出てきた。あいつと次に会うことをどこかで期待しているのか俺は。まさか、な。 雨は少し冷たい。だけど、心は少しだけ暖かいような、そんな気がした。 ◇ こんなに晴れ渡る空は珍しい。所々に小さな雲があるだけで、その上には青空が高く高く広がっている。この森での清々しいくらいの晴天はとても貴重だった。 俺はいつもの場所で腹を膨らませた後、そこから少し離れたところにある草原でごろりと寝転がっていた。丁度森の木々が途切れて平地になっている箇所。流れてくる風がさわさわと草々を撫で付けていた。たまにはのんびり陽の光を浴びるのもいいもんだ。俺の住処の周りは結構山が険しくて、寝っ転がれそうなところは少ない。食事のついでの小休止だった。差し込む日光も強すぎず、弱すぎず、ぽかぽかとして心地よい。せっかくだからここで一眠りしてから戻ってもいいかもしれないなと、俺がうとうとし始めた矢先、かさかさと揺れる不自然な草むらの音。擦れる草の中に微かに湿った響きが混ざっていた。 「ネイム、か?」 「あ、よく分かりましたね。こんにちは、ユバートさん」 俺は目を閉じたままだったが、足音、というよりはネイムが体を引きずる音で十分に判断がついた。それにこの森で、寝ている俺にわざわざ声を掛けにくる奴なんてネイムくらいしか思い浮かばなかった。 「今日は余ってる木の実はないぞ」 「意地悪だなあ、もう。私、ユバートさんに言われてから頑張って特訓したんですよ。ほら、寝てないで見てくださいよ」 そんなに見せたいもんでもあるのか、と俺は目を開けて体を起こす。前は見下ろしていたはずの視線が合った。紫の顔と体と触覚は同じ、でも緑色の目らしきものはこれまで見たことがない箇所。体はヌメラのときの二倍では収まらないくらいに大きくなっている。俺の目の前に居たのは草むらの影に紛れてうっかり踏みつけてしまいそうな小さなヌメラではなく、その進化系のヌメイルだった。 「おお、しばらく見ないうちにでかくなったな」 「でしょう? 私にも使える技があったんで、それを集中して鍛えて木の実を集めるのに役立てたんです。もう、お腹が減って動けないなんてことはありませんっ」 長くなった触覚を揺らして、ふふんと得意げに胸を張るネイム。ヌメラからヌメイルに進化したことはネイムの自信に繋がったのかもしれない。ふむ、確かにもう腹の虫はまったく聞こえてこないな。自分でちゃんと生活出来るようになったんなら大したもんだ。あの小さかったヌメラがこんなにも立派に、と言えるかどうかはまだ微妙なところではあるが、成長を経たことは間違いない。 「あれからしばらく経ちましたよね。何か私にして欲しいこと、思い浮かびました?」 「ん、そうだな」 そういえばそんな約束があったっけか。ネイムも自分の面倒は見られるようになったみたいだし、今なら何か頼みごとをしても大丈夫だろう。ただ肝心の事柄がやはり浮かばずにいた。俺自身、割と今の生活に満足しているところがあるからな。落ち着いてしまっている分、これから新しい何かをという欲求が少なかったのだ。かと言ってうやむやにしたままではきっとネイムは許してくれない。 「悪いが、まだないな」 「そうですかぁ。残念です。でも、忘れないでくださいね、私は必ず……」 「ここぞというときのために取っとくさ。本当に大事な何かが浮かんだら、ちゃんと伝えるから心配すんな」 俺が無理して特に望んでもいないことを伝えても、真剣に考えてくれているネイムに失礼だ。何時になるかは定かでないにせよ、今のところは保留というところで大目に見てもらうことにする。 「ええ、待ってます」 ネイムは爽やかな笑顔で答えてくれた。俺がすぐに答えをくれないことで不満に思ったりはしていないみたいだ。気は長そうだし、何らかの形で恩返しするという約束を忘れさえしなければ大丈夫だろう。いつになるかは定かではないが、まあのんびり待っていてくれ。俺は再び草の上に寝転がると、空を見上げる。吸い込まれてしまいそうなくらい青く高い空。ただこうしているだけなのに、何となく清々しい気分になってくる。 「せっかくの天気なんだ。ネイムもここで昼寝でもどうだ」 「あっ、すいません、遠慮しておきます。あんまり太陽を浴びてると干からびちゃいそうで」 「ああそうか。お前は雨が降ってる方がいいんだったよな」 ネイムの体は薄い粘液で覆われている。強い日差しや乾燥はダメージになってしまうらしい。気候の関係上、この森では晴れよりも雨の方を好むポケモンも少なくなかった。 「それでもこんな青空は滅多にないぜ、見てみろよ」 「あの、ユバートさん」 空を見ようとはせず、何やら浮かない顔をしているネイム。何か気に障るようなことを言っただろうか。こうやって日当たりの良い草原まで出てきているんだ。青空を見るのも嫌なくらい、晴れの日が苦手というわけでもなさそうだが。 「今の私には、空の青さが分からないんです。ヌメイルに進化した時に、どうやら視力を失ってしまったみたいで」 横になったまま何気なく聞いていたネイムの発言に、俺は一瞬言葉を失くしてしまった。まるでいきなり冷水でも浴びせられたかのように、一気に現実に引き戻される。慌てて体を起こしてネイムと視線を合わせようとしてみた。ネイムの緑色をした目らしき部分をじっと凝視する。確かに顔は俺の方を向いてはいるのだが、時折目線がずれてどこか焦点が定まっていないような気がした。 「……それは、何かの冗談か?」 俺の引きつった笑顔はネイムの瞳に映ってはいた。映ってはいても今のネイムの目は俺の姿を掴んでくれていない。 ネイムが普段から冗談を嗜むような奴じゃないのは俺も分かっていた。そして、こんな質の悪い冗談を言う奴じゃないってことも。きっと俺はネイムの目が見えなくなってしまったという現実を、どこかで受け入れたくなかったんだ。 「残念ながら事実です。でも、辺りの気配を察知する感覚や嗅覚はヌメラの頃とは比べ物にならないくらい鋭くなったのを感じてます。現に、ユバートさんのところまでちゃんとたどり着けてたでしょ?」 確かにそうだ。現に俺も目が見えないと告げられなければ気がつかなかったかも知れない。それくらい、ネイムの立ち振る舞いは自然で違和感を抱かせなかった。日常生活を送る分にはそれほど支障がないことは理解できる。だけど、納得がいかない。もやもやしたものが俺の心にまとわりついてくる。 「だから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」 「誰が心配するって?」 「違いますか? ちょっとだけ声が震えているように聞こえたので」 「いきなり目が見えなくなったって言われて驚いただけだ。お前のその様子なら大丈夫そうだからな」 感覚が鋭くなったというのは本当らしい。見えていないはずなのに、面と向かって喋っているだけで俺の心の中まで見透かされてしまいそうだった。戸惑いと動揺を表に出さないようにするのが精一杯で、まともに会話が出来そうにない。ネイムの手前、強がってはみたもののそれがどこまで通用するか分からないし。 「じゃあ、俺は行くぜ」 「ええ。恩返しのこと、覚えておいてくださいね」 「……ああ」 半ば逃げるようにして、俺はネイムの元を去った。まだ頭の中がぐるぐると混乱している。進化すれば今まで出来なかったことが出来るようになると、信じて疑っていなかった。少なくとも、俺がオンバーンに進化したときはそうだった。翼の力が強くなってより高く、より速く飛べるようになった時の感動は今でも覚えている。なのにネイムは。よりにもよって目が見えなくなってしまうなんて。ますます分からないのはネイムの平然とした態度。どうしてあんな風に自然に笑っていられたんだろう。どうして、自分よりも俺のことを気にかけていられるんだろう。光を失っても進化前と何も変わらないネイムの振る舞いが、俺からすれば現実離れしていて。去り際のあいつの屈託のない笑顔が頭の奥に焼きついて離れなかった。 頭上の晴れ晴れとした空がひどく憎らしく思えたのは、この日が初めてだった。 ◇ 雨が降っていた。森の木々に、草原の緑に、ざあざあと容赦なく叩きつけている。どちらかというと強い方へ分類される雨だった。こんな日は外へ出かけずに、住処の中で雨が大人しくなるのをじっと待っているのが一番良い。なのに俺は特に目的もなくわざわざ外へ出向いている。以前ネイムと最後に会話した草原に、俺は居た。暗く澱んだ空をぼんやりと眺めて、何をするでもなく寝転がっている。水気を吸った草原の草々は水たまりに落ち込んだような感触で気持ちが悪かった。好きでない雨。鬱陶しい雨。そんな雨でも、普段とは違った空気を俺に与えてくれている。今までにやっていないことを何かしてみれば、少しは気持ちが紛れるんじゃないかという楽観的な考え。だけど結局そんなものは一時しのぎにしか過ぎなくて。根本的なところとちゃんと向き合わなければ何も解決しない。そういうことだろう――――ネイム。 「……お久しぶりです」 「ああ、そうだな」 「隣、いいですか?」 俺は黙って頷く。ネイムの態度が少しよそよそしい。無理もないか。あの日以来、ネイムとは会っていなかったのだから。声を聞くのも姿を見るのも久々のこと。心なしか体が一回り大きくなっているような気さえした。 「あの、ユバートさん。私、何かあなたの気に障るようなことしましたか?」 「…………」 「あれから何度も、あなたの気配を感じて近づこうとしたら決まってあなたは飛んでいってしまう。避けられてたことくらい、目が見えなくても分かります」 だろうな。森で木の実を食べるときも出来るだけ早く済ませてしまおうとしていたし、遠目にネイムの姿を見つけたら声を掛けられる前に慌てて離れていた。いくら目が見えないと言っても、あれだけ感覚器官が優れているのだから気づかれていないほうがおかしかった。 「何度も考えてみました。何が原因なんだろうかって。でも、必死で頭を巡らせてみてもやっぱり思い当たることがなくて。何かあるんだったら、この際はっきり言ってください」 いつかはちゃんと伝えなくてはいけないと思っていた。俺の覚悟が足りなくて、どんどん先延ばしになっていって気が付けばこんなにも時間が経ってしまっていて。雨の日にも関わらず俺が外へ出向いたのは、今日ならばネイムに会えるような気がしていたから。雨の好きなネイムなら、俺が草原に寝転がっていたらあの日と同じように向こうから声をかけてくれるんじゃないかと期待していたから。自ら話を切り出す勇気のない臆病者の思考だった。 「俺さ、お前が視力を失ったって聞いたとき、どうしていいか分からなかった」 体を起こして視線を合わせたとき、ネイムの瞳が少し揺れた。見えていないはずのそれは、俺の心の迷いを映しているのかもしれない。 「見えていたものが見えなくなるって感覚、俺には全然想像できなくて。これから先ネイムとどうやって関わったらいいのか判断が付かなくなったんだ」 「ユバートさん。前にも言ったように私はあまり気にしてないんですよ。だからそんなに深刻に考えなくても……」 「分かってる。分かってるんだけど、ネイムが大丈夫って言うのを聞いても俺の心の中はずっともやもやして、どうにもやりきれなくて。変……だよな。自分の目が見えなくなったわけじゃないのにさ」 当のネイムはなってしまったものは仕方がないと柔軟に受け入れていたというのに。その周りにいた俺が一人で勝手に不安になって落ち込んで、挙句にネイムに気まで遣わせてしまって。これでは全く立場が逆だな。我ながら情けない。ため息と共に自嘲めいた笑いがいつの間にかこぼれていた。 「今まで他の奴のことなんて、どうでもいいと思ってた。ネイムと会ってからだよ。お前の言動に感情を振り回されて、馬鹿みたいに一喜一憂して。俺が俺じゃないみたいだ」 森のはずれに住処を構えて以来、ずっと一人で生きてきたつもりだった。自分のことは自分で不自由なくこなせる。他者の介入なんて煩わしいし、好き勝手に出来る独り身の方がずっと気楽だと思っていた。だけど、最初に会って名前を聞かれたあの日から。俺の頭のどこかにはネイムという存在が確かにいたのだ。 「優しいんですね、ユバートさん。私なんかのためにそこまで気持ちを前に出してくれて、とっても嬉しいです」 「俺が、優しい……?」 「ええ。自分では気がついてないかもしれませんけど、私が今ここにこうして居られるのはあなたの優しさのおかげですよ」 そう言ってネイムは二本の触覚を伸ばして俺の顔に触れる。雨ですっかり濡れてしまった頬でも、その独特の粘膜の感触は忘れられそうにない。ぶにぶにとして柔らかくて不思議と暖かい。少しだけネイムの粘液が顔に残ったような気がする。けれど、断じて不快ではなかった。 「だからそんな悲しそうな顔しないでください。私のせいでユバートさんが元気がないと、私まで辛くなっちゃいます」 俺は今どんな表情をしているのだろう。ネイムが触覚で触れて分かるくらいだから、さぞかし辛気臭い顔つきだったらしい。本来ならば俺が、目が見えなくなったネイムの力になるべきだったはず。逆に励まされることになろうとはな。あんなに小さなヌメラだったネイムの存在が今ではとても大きく感じる。ヌメイルに進化して体格が良くなったとか、そういうのではなく心や器の大きさ。やっぱりお前は俺なんかよりずっと芯の強い奴だよ。視力のことに関してはまだ完全に納得は出来ていなかったものの、自分の心の内をすべて話して少しは気持ちが軽くなった。半分くらいはネイムが掛けてくれた言葉のおかげでもあるが。 「……お腹、減ってませんか。よかったら一緒に食べましょう。木の実、ユバートさんの分もありますよ」 どこから取り出したのか、俺の前に差し出されたネイムの触覚には木の実が一つ握られていた。いつの間にか誰かに分け与えられるくらい木の実を採るのが上手になっていたんだな。そういえば今日はまだ何も口にしていなかった。まあ、木の実なんてその気になればいくらでも採ってこられる。だけど。ネイムから差し出されたそれは今まで俺が食べてきたどんな木の実よりも美味しそうに見えたんだ。粘液でほんのりと湿った木の実を受け取って俺はそのまま齧り付く。普段嫌というほど目にしているありふれた木の実のはずなのに。こんなにも美味しく感じられるのは、きっと。ネイムの気持ちが篭っているから、なんだろうな。 「ありがとな。ネイム」 木の実に対するお礼。それだけじゃない。俺の勝手な迷いを受け入れてくれたことも含めて。何年ぶりくらいかになる感謝の気持ちを伝えたのだ。 降りしきる雨の冷たさはもう気にならなかった。それはネイムが隣にいてくれたからか、あるいは。 ◇ 草原から更に下っていった先にある大きな湖。山で降った雨は少しずつここへと流れ込んでいく。透き通るような水を好んで周辺を住処にしているポケモンも多い。しとしとと振る雨の中、俺は湖の畔に静かに佇んでいた。雨のせいか活動しているポケモンはあまりいないようで、響くのは水滴が水面をざわつかせている音、そして足元の草々を撫で付けている音だけ。小雨ならまだしも本降りの中わざわざ濡れに外に出るなんて、昔の俺からすれば考えられないことだった。だけど、水に濡れてしまうという抵抗を乗り越えてしまえば雨の日もそんなに悪くない。晴れや曇りの日とはまた違った景色を見せてくれる。雨の良さに気づかせてくれたのは間違いなくネイムのおかげだった。そして俺は、もしかしたらネイムが会いに来てくれるかもしれないという淡い期待も抱いていたんだ。あの日以来、何度か一緒に木の実を食べたり他愛のない話をしたりすることもあった。そんな日々を積み重ねていくうちに俺は、ずっと一人で居るのがどこか物足りなく感じられてきたのだ。あいつがどこにいるか、探そうと思えばおそらく時間は掛からない。移動に時間のかかるヌメイルの行動範囲はそこまで広くないはずだ。かといって俺の方から会いにいくのも、もっともらしい理由が見当たらなくて踏み出せずにいたのだ。木の実が自分で調達できるようになった今、別に助けになってやる必要もないだろうし。どうするか。いっそのこと今日は思い切って探しに行ってみるのも。 「ユバートさん」 「お、おう、ネイムか」 腰を上げようとしたところに、まさかのタイミングで来るか。少し声が上ずっていたかもしれない。 「珍しいですね。いつもなら私の気配に気がついて、先に声を掛けてくれるのに」 「いや、ちょっと考え事をな」 さすがにお前のことを考えていたとは言えなかった。だけど、変にごまかしたりすると自分の視力のことでまた俺が心配してるんじゃないかと、ネイムが心配し出すからな。確かに俺も完全に割り切れてはいない。正直まだ合点がいかない部分ももちろんある。だけど思い悩んで見たところで事実は変わらないし、何よりネイムはそれを望んではいないだろう。こいつの目に関しては、俺の中でのもやもやした気持ちにはどうにか整理を付けられたといったところだ。 「もしかして、恩返しが何か浮かびました?」 「急かすなって。言っただろ、本当に何か見つけたら俺から言うって」 口を開けば何かとお礼のことばかり。前に木の実を一つくれた分だけではまだまだ物足りないらしい。まあ、今のネイムなら頼みごとをするのに何の心配もない。ただ、何を頼めばいいのか具体的に思い浮かばないままだったのだ。ネイムは少し残念そうに分かりましたと言うと、俺の隣に落ち着いた。このやりとりも日常の一部になりつつある。 雨が降りしきる湖の畔。ここに存在しているのは俺とネイムだけかのように感じられてくる静けさ。湖の水面も、森の木々も、草原の草むらも、沈黙を保ったまま雨粒を受け入れている。最初にこの静寂を破ったのはネイムの方からだった。 「……雨の日も悪くないでしょう」 「ああ、そうだな」 雨は濡れるし、湿っぽいし、視界は悪いし、翼が重くなって飛びづらいしで面倒なものだとばかり。だけど、晴れや曇りの日にはない不思議な静けさが心を落ち着かせてくれる。こうやって雨音に耳を済ませながら過ごすのもまた一つの楽しみ方だと思えるようになってきたのだ。 「お前が教えてくれた」 「気がついたのは、ユバートさんですよ」 なるほど。ネイムは俺が雨の日に外に出るきっかけを作ってくれたまでに過ぎないということか。そこでどんな良さを見つけるかは俺次第。言いたいのはそういうことだろう。取っ掛りは小さなことでもそこから新しい発見に繋がることだってある。雨のこともそうだし、それから。ネイムのこともそうだった。他の誰かと過ごす楽しさを教えてくれたのは間違いなく――――。 「……ユバートさん」 「ん、どうした?」 「今までの私も、覚えていてくださいね」 ちょっぴり寂しそうに微笑むネイム。いきなり何を言い出すのかと思えば、突然ネイムの全身が淡い光に包まれる。日の光でもない、月明かりでもない。でも、どこか優しさを帯びた暖かな光。俺も遠い昔にどこかで見た覚えがある。これはひょっとして、進化の。俺はぽかんとしてただただ成り行きを見守っていくことしか出来なかった。頭にあった二本の触覚は更に大きくなって後頭部から背中にかけて伸びている。ちゃんとした手足も形作られ二足歩行も可能になったようだ。背は少しだけ追い抜かれてしまったかもしれない。進化の光が収まってもじっと目を閉じていたネイム。やがておそるおそる瞼を開く。俺の目とネイムの目、視線がちゃんと合った。澄んだ緑色の瞳はしっかりと俺の方を見据えている。ぱちぱちと瞬きを交えながら、ネイムはほっとしたように微笑んだ。 「お久しぶりです、ユバートさん」 「ああ、本当にな」 俺も釣られて、屈託なく笑った。本当に心の底からの笑顔だったと思う。見えるようになって良かったという気持ちと、進化の祝福も含めての。ネイム自身も目が見えるようになるという確証はなかったはずだ。視力が回復するかもしれないし、しないかもしれない。だからこそ最初目を開けるのを躊躇っていたのだろう。なんにしてもちゃんと見えるようになって本当に良かった。 「今日は朝起きた時から、いつもと体の感じが違っていたんですよね。もしかしたらと思って」 「そうか……おめでとう」 「ふふ、ありがとうございます」 照れくさそうにはにかむネイム。俺が進化したわけじゃないのに、まるで自分のことのようにただただ嬉しかった。オンバーンに進化できて、一際大きくなった翼で意気揚々と青空に飛び込んだ日のことをまじまじと思い出す。いつの間にか俺の中でネイムがどんどん大きな存在になっていたことに、今はまだ確信できていなかった。ただ、今まで抱いたことがない不思議な気持ちは何なのか考えるようになったのは、この日からだったんだ。 空は曇れど心は晴れやか。ああそうか。俺にとっての晴れ空は、きっと――――。 ◇ 久々に青空が拝めた日だった。日差しも強く、昼間はのんびり日光浴をしている草ポケモン達も多く見受けられた。そんな賑やかな時間帯も過ぎ去り辺りはもう夕暮れどき。遥か遠くの山の向こう側へ沈んでいく太陽を俺はぼんやりと眺めていた。手頃な大きさの枝の上へ腰掛けて何をするわけでもなく。周辺を山に囲まれた森の中なので、夕焼けを拝むには見通しの良い高いところへ行かなければ難しい。別に夕日を眺めるのが好きというわけでもなかったけど、今日は何となくそんな気分になったのだ。ふと、眼下の草原に視線を移すとネイムの姿が見えた。一人だけではない。隣にはヌオーやウツボットなど、湿地に暮らす他のポケモンも居る。何やら親しげに話している様子。ヌメルゴンに進化して、目もちゃんと見えるようになって移動範囲も広がって。他のポケモンともいつの間にかすっかり打ち解けているようだ。かつては自分で木の実も採れなかったネイムを邪険にしていた者も中にはいたようだが、当人は特に気にすることなく同じように接しているらしい。俺だったらどこかで態度に出してしまいそうなもんだが、あいつがお人好しなのかそれとも器が大きいのか。何にしても俺には真似できそうになかった。おや、話が終わったらしい。皆と別れてこちらへ向かって歩いてくるネイム。俺がこの木の上にいることはさすがに気がつかれていないとは思うが、この際そんなことはどうでもいい。今日ばかりはあいつを悠長に待っているつもりはなかったからだ。枝の上からさっと飛び立つと、素早く降下。木々の間を歩いていたネイムの背後へそっと降り立った。 「あ、ユバートさん。こんばんは」 「おう」 ぺこりと頭を下げるネイム。いつもながら礼儀正しいやつだ。でも、かしこまられるとちょっとやりづらいな。まあ、いいか。迷っている場合じゃないし。 「どうしたんです?」 「……なあ、恩返しのこと、覚えてるか?」 唐突だとは思った。ネイムがヌメルゴンに進化してからは、めっきりこの話題も出てくることがなくなって。俺の方から散々先延ばしにしておいて、今更何を言い出すのかと思われるかもしれない。だけど伝えると決めたのは今日。今がその時だ。 「忘れませんとも。いつ話してくれるのかって、待ってましたよ」 嬉しそうに微笑むネイムを見て俺は少しだけほっとする。よかった。ちゃんと覚えていてくれたんだ。自分のことがちゃんと出来るようになってからにしろ、と突き返したヌメラの時。目が見えなくなったということに俺がショックを受け、恩返しどころでなかったヌメイルの時。そして立派にヌメルゴンに成長した今。心残りはもう何もなかった。 「私に出来ること、思い浮かんだんですね」 「ああ、まあな」 出来るかどうかはまず話を聞いてから決めてほしいところだったが、ネイムの中では完全に約束を果たすものとして最初から心は決まっているようにも感じられる。それくらい、 ネイムの緑色の瞳は真っ直ぐだった。あんまりじっと見つめられると逆に切り出しにくくなってしまうが、もう後には引き下がれそうにない。一呼吸置いた後、俺は口を開いた。 「ネイム。俺とずっと一緒にいてほしい」 「え、もちろんですよ。恩返しだなんて、そんな大げさな……」 ネイムは拍子抜けしたように首を傾げている。傍にいるのはネイムの感覚からすればさも当たり前のことで、面と向かって伝えるほどのことでもないと思っていたのだろう。だけど俺が本当に伝えたいのはそういうことじゃなくて、もう一歩踏み込んだ先の話だった。 「一緒に居たいってのは、単なる友達とかじゃなくてな……異性としてだ。俺はお前のことが好きなんだ、ネイム」 俺自身、自分の言葉に驚いているくらいだった。他の奴との馴れ合いなんて煩わしいだけ、一人で暮らしている方が気楽でいいとさえ思っていた。だけどネイムと出会って、ヌメラからヌメイル、そしてヌメルゴンまでの進化を見届けて。自分の中にネイムという存在をここまで強く強く残されて。もう昔の俺には戻れそうにないし、戻れなくてもいいとさえ思った。俺は目の前にいるネイムと心から一緒になりたいと願っているのだから。夕暮れどきの薄暗くなりかけた草原。二人の沈黙の間にさわさわと草が風になびく音が流れていく。ネイムも俺が何を言っているのか分からないとか、そんなわけではなさそうだ。ただじっと、目も逸らさずに自分の中で答えを考えている様子だった。 「それが私の恩返しだなんて、それじゃあ私が義務感でユバートさんと一緒になるみたいじゃないですか。恩返しだからとかじゃなくて、私は私の意思であなたと一緒に居たいです」 「え……それじゃあ」 「ユバートさんへの想いは私がヌメラの頃からあったんですよ。それが師匠を慕う気持ちなのか、友達を大事に想う気持ちなのか、異性にときめく気持ちなのかははっきりしてませんでしたけどね」 「気付かなかったよ」 初めて知る事実。さすがにヌメラの頃のネイムは俺も異性として認識していなかったな。ネイムの方は満更でもなかったようで。ネイムが俺を受け入れてくれて嬉しさでいっぱいのはずなのに、そこへ驚きも混ざって何だか複雑な気持ちだった。 「まだ私のなかでユバートさんへの色んな好きの気持ちが混ざってるところはあります。でも、異性に対する好きの気持ちを一番にしてくれるのはユバートさんですよね?」 「もちろんだ」 なかなか言ってくれるじゃねえか。俺はネイムの師匠でもなく、ただの友達でもなく、大事な大事な異性だってことを教えてやる。俺は躊躇いなくネイムの首筋に両腕を伸ばすと。彼女の体をやや強引に抱き寄せた。粘液で覆われているネイムの体は少しひんやりしていて、柔らかい。それでもしばらく身を寄せ合っていると伝わってくる確かな温もり。夕暮れ時の薄明かりの中。俺たちの姿が夜の帳に包まれてしまうまでの一時の間、こうしていたい。ネイムも俺がこの後何を考えているのか察したらしく、黙って身を任せてくれていた。 ネイムの体の表面にある粘液と、体の内部の体液とはまた別のものらしい。体を覆っている粘液はやや粘り気があって手で触れると糸を引く。一方唾液はさらっとしていて俺のと大して違いがない。森の木々の木陰でネイムとお互いの舌を絡ませながら、俺はその違いを体感していた。彼女の柔らかな体を腕やお腹で味わいながら、本能のままに。ねっとりと舌を動かす。ネイムも負けじと舌を押し返してきたりするから油断ならない。口内での小さなせめぎ合いだった。 「……ぷはっ」 先に口を離したのはネイム。さすがに息苦しくなってきたのだろう。勢いよく距離を取ったせいか、口元から零れだしたお互いの唾液が宙を舞った。 「ちょっと激しかったか?」 「大丈夫ですよ。でも、そんなに準備はいらなかったんじゃ……?」 手で口の端の涎を拭いながら、ネイムが視線を送るのは俺の下腹部。興味津々というか物珍しそうな目つき。お腹から尻尾にかけて紫色から淡い緑色へと色が切り替わる箇所より少し上部。普段はじっくり観察しないと分からないくらいの縦筋も、今回ばかりはぐっと横に広がって。内部のものがしっかりと主張してきている。至近距離で感じる雌の匂いと感触と濃厚な口づけは、俺の気持ちを奮い立たせるのには十分だったようだ。とはいえまだ完全ではない。もう少し後押しする何かが欲しいところだ。なあ、ネイム。 「まだ準備は終わりじゃないさ」 俺の言葉が何を指すのか、ネイムも汲み取ってくれたようだ。まだまだ余裕がありそうな顔つきで、俺の下半身へと片手を伸ばしていく。口じゃないのか、と一瞬でも落胆してしまった俺は浅はかだった。彼女の粘液はこうした情事には相性が良かったらしい。ぬめった手で肉棒をゆっくりと撫でられるとぞわぞわした感覚が翼から尻尾の先まで全身を駆け巡る。唾液を潤滑油替わりにする必要なんてありはしない。両手で挟まれて軽く擦られるだけでも、十分すぎるくらいの刺激。下手すると口でしてもらうよりも気持ちいいんじゃなかってくらいに。 「ふあっ」 思わず声を漏らしてしまった。そんな俺を見てネイムが何か言いたげに顔を綻ばせている。俺が感じていると分かって嬉しいのだろうか。ネイムの柔らかい手の感触とねっとりとした粘液に包まれて、俺の股間はほとんど本調子なくらいまで元気になりはじめている。もしこれ以上執拗に続けられたとすれば、少々危ない予感もするくらいに。 「ふふ。そういれば、こんな形をした木の実もありましたよね」 「やめろって。その木の実が食えなくなっちまうよ」 いきなり何を言い出すのかと思えば。確かに形といい、色といい若干似てなくもないが。あんな細長いのよりは俺の方が、って今は木の実に対抗意識を燃やしている場合じゃないか。ぴんと張った肉棒はネイムの粘液でつやつやと光っていて健康的な輝きだ。大きさにはあんまり自信がなかったが、形はそこまで悪くないという自負があった。 「じゃあこの木の実は私が頂いちゃいますね」 今度は口、迷いがない。俺の肉棒はネイムの口の中へ吸い込まれる。両手と粘液とはまた違った感触。舌や口内はさらっとしていて、じっとりと絡みついてくるような感覚がない。その分ネイムの体温という温かさがある。こっちはこっちで下手に身を任せていると危険だ。痛いくらいに張り詰めた俺の雄から、先走りの雫が外へ流れ出ていくのを感じる。ネイムはそれに気が付いているんだろうか。準備運動もやりすぎるとせっかくの木の実を痛めてしまう可能性が。 「んっ……ネイムっ」 「あっ、ごめんなさい。つい」 危なげな俺の雰囲気を察したのか、慌てて口を離すネイム。耐久力もなくて申し訳ないが今のはぎりぎりだったぜ。でも我を忘れてしまうくらいネイムも俺との行為に夢中になってきてくれているわけで。最初は俺に流されるまま淡々とこなしていっているような感じだったけど、気分が乗ってきたのか自分から積極的に動いてくれたのは嬉しかった。 「ああ、準備はもういい。そろそろ……な」 「ひゃっ」 俺は一瞬軽く羽ばたいてふわりと舞い上がると、そのままネイムの上半身目がけて体当たり。もちろん加減はしてある。結果、草の上に仰向けに転がったネイムに俺が覆いかぶさるような形に。荒っぽいやり方ではあったが、体重の関係上これくらい勢いをつけなければこんな体勢は取れない。抱き合って、唇を重ねて、ネイムを堪能すればするほどにその柔らかな体を押し倒してみたくて堪らなくなっていたのだ。 「誘っておいて受け身ばかりじゃ話にならんだろ。今度は俺の番」 「うん……お手柔らかに」 目指すのはネイムのお腹、じゃなくてもうちょっと下。ちょうど股の部分。こっちにもちゃんと縦筋がある。両手の爪で傷つけないようにそっと広げてみた。微かな水音と共に曝し出されたネイムの雌。肉色をした内部をぬらぬらとてからせているのは彼女の粘液だけではないだろう。締めつけの良さそうな桃色がはち切れんばかりにひしめき合っていて、ネイムの呼吸に合わせてひくひくと蠢いていた。見ているだけで圧倒されてしまい、俺で相手が務まるんだろうかという不安がちらりと頭を掠めたが。ここではネイムを求める気持ちのほうがずっと勝っていた。既に水溜りのような状態になっているネイムの秘所。慣らす必要はほぼない。欲求を満たすためだけの行為。俺はそこへ顔を埋めるくらいの勢いで筋に向かって舌を這わせた。口の中に粘液とはまた違った別の液体の感触が混ざる。彼女の表情は見えなくとも、時折ぴくぴくと震える秘部が反応を俺に伝えてくれていた。まるで小さな沼の中へ鼻先を突っ込んでいるかのような感覚。俺が隅々まで舐めまわすまでもなく、ネイムの雌は自身の愛液でぐしょぐしょだったのだ。 「すげえなおい」 「な、なんか。胸のどきどきが止まらなくて」 俺は口をネイムから離して頭を左右に振る。残った水分は彼女のお腹や地面に散らばった。それでもネイムの秘所からは溢れんばかりの湧水が。仰向けでどうにか今の状態を保っていると言ってもいい。少しでも体が傾けば間違いなく地面にいやらしい染みを作ってしまうことだろう。だらしなく水を垂れ流す穴には栓が必要だ。俺は黙って腰の位置を移動させて、ちょうどネイムの筋の前まで来るように肉棒の位置を調整してやる。だいたいこんな感じか。穴を塞ぐにはサイズがちょっと足りてないかもしれないがそこはまあ勘弁してくれ。出来るかどうかは分からない。何しろ俺もいい具合に昂ぶってきている。ぴくぴくと物欲しそうに揺れる肉棒は、ネイムという雌をひたすらに待ちわびていた。俺は腰を落として先端部分をネイムの筋に充てがう。途端、ぬるりとした感触が俺の雄へ伝わってきた。当のネイムは恥ずかしそうに微妙に俺から視線を逸らしている。照れ隠しのつもりか。可愛い奴。 「行くぞ、ネイム」 俺の声に彼女は黙って頷いた。お互いに覚悟は出来た。あとは突き進むのみ。俺は腰に力を込めて、ゆっくりと。ネイムの中へ少しずつ雄を沈めていく。抵抗はほとんどなかった。粘液と唾液と愛液と先走りと。あらゆる滑りが重なり合って、いとも簡単にネイムの一番奥まで入り込めてしまった。荒くなったネイムの呼吸に合わせて、彼女の秘所も確かに脈動しているのが分かる。俺は今、確かにネイムと繋がっているんだ。その事実が嬉しくて仕方が無かった。 「動かす……ぞ」 「う、うんっ」 さあて、俺の一物はどこまで耐えられるか。正直やってみないとだが、出来るだけ長く持ちこたえてくれよ。ネイムから少しだけ腰を浮かして引き抜いて、再び奥へ。抜き差しの度に互いの体液が外へと押し出されていく。これだと終わったあとに、この木の下だけ大雨が降ったみたいになっているんじゃないだろうか。時折他の事を頭の中で交えながら、俺は無心に腰を振り続ける。余りにも行為に意識を集中させすぎると、思いのほか早く果ててしまいそうで咄嗟に思いついた苦肉の策。何度か腰を動かすのに力が抜けてしまいそうになるくらい、ネイムの中は心地よかった。いくら滑りが良くなっているとはいえ、締めつけは申し分ない。少しでも気を抜くと間違いなく押し寄せてくる快楽の波に飲み込まれてしまうだろう。 「あっ……やっ、んっ」 ネイムの口元から儚げな声が漏れる。出来るだけ声を上げないように我慢しようとしているらしい。それでも体は正直なもの。敏感な箇所を突かれれば無条件で反応してまうのだ。必死でこらえている彼女の表情に俺の欲望は更に加速する。情欲に溺れ、乱れているネイムも素敵だった。状況を見る限りもういいところまで来ているはずだ。もう一息だと自分を鼓舞させて、俺はひたすらに上下の運動を繰り返した。出来るだけネイムの、奥へ、奥へ、奥へ。 「んあっ……あっ、あああっ!」 堪えていた表情から一変、目を大きく見開いて。悲鳴にも似た喘ぎと共にネイムは果てた。痙攣を起こしたかのように背中や下半身が大きく揺れる。俺との結合部分からは愛液がじんわりと溢れ出していった。粘液だけじゃなくて、体内から出る液の量も多い。股ぐらを通して生暖かい感触が広がっていく。辛くも俺の目的は達成出来た。ネイムの蕩けた表情も拝むことが出来たし、甘い声も聞くことができた。ぎりぎりのところで踏み留まってよく耐えた。本当に頑張った。もう思い残すことは、ない。 「うおおっ……ぐあぁっ……」 緊張の糸が完全に切れたのとネイムが体を仰け反らせたことで、今までになかった全く別の方向からの刺激が肉棒に伝わったのが重なり、彼女に続くようにして俺は瞬く間に昇天してしまった。どくんどくんと律動する雄は着実にネイムの中へ精を送り込んでいく。限界まで焦らしきったせいか、普段よりも出ている気がする。彼女の中に入りきらなかった分は、割れ目からじわじわ染み出していった。ありとあらゆる体液の中さらに精液まで混じり、今や俺たちの下半身は色々な成分で溢れかえっていそうだ。そして俺の元にもやってきた快感と倦怠感。ああだめだ、腰が砕けてしまって立っていられそうにない。情けなくはあったが、ネイムのお腹の上へお邪魔させてもらうことにしよう。ああ、柔らかいな。華奢な俺と違って程よい肉付き。癖になりそうだった。 「すまん。重くないか」 「うん。大丈夫」 「そうか。ならもう少しだけこのままで……」 「いいよ、好きなだけ居てくれて」 それはありがたい。足腰と気持ちがしっかりするまで、しばらくの間ネイムの体で休憩させてもらうことにしよう。俺は遠慮なく彼女の首筋に自分の頭を預けて、ほっと小さく息をついたのだ。 結局あの後二人ともくたびれて眠ってしまって目が覚めたのは次の日の朝だった。正直あの後の記憶が曖昧だったが、ネイムのお腹の上で寝てしまうなんてことはしなかったらしい。ちゃんと草の上で仰向けになっていた。天気はあいにくの雨。昨日の残り香を洗い流すにはちょうどいいかと笑いながら、俺たちがやってきたのはあの湖の畔。いくら雨が降っているとはいえ、軽く水浴びくらいはしておこうということで。湖の浅瀬で半身を浸して身を清める。昨日の出来事の残渣をすべて洗い流してしまうのはちょっと勿体無い、なんて考えたらネイムに気持ち悪がられてしまうか。そんな雑念は水の冷たさで頭をすっきりさせて吹き飛ばしてしまおう。顔全体を一度水に浸してばしゃばしゃと濯ぐ。粘液は流れてしまっても、記憶がしっかり刻まれていれば何の問題もないさ。 「ねえ、ユバート」 「ん?」 「言葉遣い、変じゃないかな。いつまでも敬語じゃよそよそしいかなって思って」 そういえば出会ったときからずっとネイムは俺に対して敬語だったな。俺は特に疑問も感じずに接してきたけど、昔と今とでは立場も状況も違う。これからもネイムに敬語を使われ続けたとしたら、心なしか距離を感じて寂しく思うかもしれない。 「いや、その方がずっといい」 「そっか。じゃあ改めてよろしくね、ユバート」 「俺のほうこそ。ネイム、よろしくな」 ちゃんと挨拶を交わすのはこれが初めて。先に行為から入って順番がおかしいとか細かいことはこの際構わない。俺はネイムと一緒に居たいし、俺自身もネイムがずっと一緒に居ようと思える存在で有り続けたいと思う。その決意も含めての誓いだった。お互いの目を合わせて手と手を取りあうと、俺たちは屈託なく笑ったのだ。 本日は雨天なり。されど晴れ渡る青空は、いつでも俺の隣に。 おしまい ---- ・あとがき ・この話について 第六世代の新たなドラゴンタイプのポケモンで、もしwiki本の企画が上がらなければいずれ書きたいと思っていた組み合わせでした。オンバーンとヌメルゴン、話の流れもなんとなくは決めていたので肉付けしていくのもそこまで時間はかからなかった記憶があります。もう四年近く前の作品になっており、いつ公開するかタイミングを見失っていた感はありましたがこの機会に投稿してみます。 ・ユバートについて どこか他を寄せ付けない雰囲気をもった孤高のポケモンとして描写しました。他のポケモンと深い関わりと持たずに生きてきた彼がヌメラと出会うことで少しずつ変化していく。そうした彼の心の移り変わりを一人称の中で感じていただければ幸いです。スタイリッシュなデザインのオンバーンは見た時から是非書かねばと思っていたドラゴンタイプでもあったのです。きゅっと引き締まった腰周りが非常に素晴らしいです、はい。 ・ネイムについて 湿原に暮らすポケモンの一匹。もともと弱いドラゴンポケモンという設定を活かして、自分で木の実を取るのもままならずお腹を空かせていたところユバートと出会うという物語の流れに。図鑑の説明でヌメイルに進化したときに一時的に視力を失ってしまうことも物語のスパイスとして取り入れて、ユバートの気持ちの変化と絡めました。ヌメルゴンへの進化まで含めて非常にストーリー上での描写がしやすかったキャラクターでした。ヌメルゴンの外見や設定はどうみても官能小説にお誂えです。ぬめぬめ。 【原稿用紙(20×20行)】66.8(枚) 【総文字数】23456(字) 【行数】314(行) 【台詞:地の文】16:83(%)|3854:19602(字) 【漢字:かな:カナ:他】32:65:3:0(%)|7511:15303:857:-215(字) ---- 何かあればお気軽にどうぞ #pcomment(雨空のコメントログ,10,)