#contents ---- *登場人物紹介 [#8hTPbYC] ・森岡シゲオ(ゴリランダー) 物語の主人公。 幼い頃から音楽が大好きで、ドラマーになることを目指している。 だが母子家庭、五人兄弟と絵に描いたような貧乏であるため、夢は半分諦めている。 ・早瀬リン(エースバーン) 運動神経抜群の女子高生。 幼馴染で昔っから元気一杯のパワフルっ子。 音楽はシゲオの影響でそこそこ知っている。 ・清水トウマ(インテレオン) クラシック音楽の天才二人の間に生まれた生まれながらの天才児。 シゲオ、リンの幼馴染でヴァイオリニスト志望。 シゲオの影響でロックにも興味があるが親が否定的なため隠れた趣味として嗜んでいる。 ・鳴神キョウヤ(バクオング) シゲオがバイトで務めている楽器店『バクオンパイプ』の店主。 見た目によらず温和な性格。 楽器が趣味でバンドをしていたこともあるが、結局販売店で落ち着いた。 シゲオがドラマー志望ということもあり、密かに応援とファン第一号の座を狙っている。 ---- *走り気味のラブソング 1 [#38cKlaJ] 作者:[[COM]] 『音楽はいつだって世界中の人々の心に訴える、最も強力な言語のひとつだ』 とあるギタリストがインタビューの際に答えた言葉だそうだ。 幼い時の俺にはその言葉は分からなかった。 だが、そのミュージシャンとやらの血は、自分の中にも流れていたのだろう。 そう思ったのはある日行った夏祭り。 盆提灯に祭囃子、浮き立つ雰囲気に誘われて走った祭りの中心。 和太鼓を囲んで踊る人々の姿に皆が見惚れる中、幼い日の自分はその中心、法被を着て力強く太鼓を叩くカイリキーの姿に、その臓腑まで揺さぶるような太鼓の音に心奪われていた。 『いつかは自分も太鼓を叩きたい!』 幼心にそんなことを考えながら、気が付けばもうすぐ高校生の終わり。 俺の名前は&ruby(もりおか){森岡};シゲオ。 俗に言う苦学生だ。 五人兄弟の長男として生まれ、事故で早くに父が亡くなり、母子家庭で育った俺にそんな我儘を言う余裕はなく、アルバイトをしている楽器屋で新譜やアーティスト達のヒットチャートを聞きながらただ夢見る日々。 きっと自分はこのまま給料のいい所に就いて、父替わりとして弟妹達や母さんを支えるのだろう、と心の何処かで考える日々だった。 受験を控えた最後の年、結局進学をするのか就職をするのか母さんと口論しながら先の事を考えていた。 というのも、母は自分を大学まで行かせたいようだ。 なまじ自頭があるせいで成績は特待生をもらえるだろう。 そのせいで母は「生活費は自分が稼ぐから」とバイトを辞めてでも大学に行って欲しいと言う。 いい教養を受ければそれだけ選択肢が増える。 頭では分かっていても、その選択肢の中に自分の答えはないと分かっている。 勉強すること自体は好きだが、それ以上に俺にとっては、楽器屋のバイトをしている時間が最も充足した時間なのだ。 店頭で店番をし、客が居ない間は店内にかかっているラジオのヒットチャートを聞き込んで、脳内ジュークボックスのレパートリーを増やすのが自分の日課。 新しい楽器を入荷したり、客にどんな楽器なのか、どんな音色なのかと訊ねられ、軽く演奏するその瞬間だけが自分も音楽に関われるポケモンなのだと感じることができる。 我ながら悲しい日々を送っていると自覚しているが、口が裂けても『ミュージシャンを目指したい』などと言えるような状況ではない事ぐらい、自分でも分かっている。 だからこそ、このバイトは自分の全てであり、特待生で大学に行っても、ただその自分の全てを投げ捨てて学業に打ち込むことになるだけだ。 偉そうに自分は父替わりになるのでは? などと語っておきながら、未練たらたらもいいところだ。 しかし改めて目の前にある進路希望調査書を見つめていると、自分の進路が尚更黒く塗り潰されてゆくような感覚に陥ってしまう。 叶わぬ夢を見続けるのか、それとも自分を殺してでも家族のために生きるべきか……。 「よっ! なーに似合わない顔してるんだシゲオ。お前なら入れない大学なんてないだろ?」 悩んでいた俺の背中を軽く小突き、そのまま横に座り込んだのはエースバーンの&ruby(はやせ){早瀬};リン。 幼馴染で昔からよく遊んでいたからか、高校生になっても変わらず気さくに話しかけてきてくれる親友だ。 というのも、彼女は交友が広い。 ゴリランダーの俺は風貌からして厳つく、物静かなせいで、高校生ではあまり交友の幅が広がらず、バイトの兼ね合いで部活動もしていなかったこともあって友人は全くもって増えていない。 それに対して彼女は天真爛漫、小さい頃から変わらないエネルギッシュな人柄が周囲を元気づけてくれることでクラスでは男女問わず人気者だ。 部活動も当然ながら陸上部に所属しており、期待の新人と呼ばれた頃から一切変わらず部長を務めている。 勉強もそこそこ出来て性格がいいうえ、運動神経も抜群とは中々にアルセウス様というのは贔屓をしたがるらしい。 今の俺からすれば彼女は近くて遠い高嶺の花。 とてもではないが背景の木にすらなれそうにもない。 「そういう問題じゃないんだよ……」 そう言って頭を抱えると彼女は不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げる。 俺の家庭の事情は彼女も知るところだが、幼馴染が故にそういった事情にまで軽率に首を突っ込んでくるためあまり巻き込みたくない。 あくまでこれは俺自身の克己心の問題であり、煩悩とも呼べる未練の問題だ。 結局その日はそのまま真っ直ぐバイト先へと向かい、学校の制服から楽器屋の制服へと着替える。 「森岡君、学校でなにかあったのかい?」 どうやらずっと考え事をしていたのが顔に出てしまっていたのか、バイト先の店長のバクオングの&ruby(なるかみ){鳴神};キョウヤさんに心配されてしまった。 「ああ、いえ。すいません。今日学校で進路希望調査を渡されて、何処にするか迷っていただけですよ」 半分本当、半分嘘の答えを板に付いた愛想笑いと共に返した。 鳴神さんは自分と同じく、厳つい見た目の割には柔和な方だ。 音楽が好き、という理由だけでここのバイトに応募した自分を快く受け入れてくれた、一音楽好きであり優しい方。 だからだろう、自分のその言葉を聞いて真っ先にバイトが辞めるかもしれないという事に対する嫌な顔をするのではなく、寧ろ嬉しそうな顔で納得していた。 「そうかぁ。森岡君ももうそんな時期かぁ……。進学するのかい? 何処かに就職するのかい?」 「まだその辺りも決めてないですね。進学なら近くの公立大しか無理ですけど、かと言って就職先もまだ決めてないので……」 鳴神さんの質問に曖昧に返事をすると、ただ嬉しそうに笑っていた。 普通ならバイトはそのまま続けるのか、とでも聞かれそうなところだが、鳴神さんはただ自分が学生だった頃の話を懐かしむように話すだけだった。 鳴神さんのそんなところも気に入っていたのだが、もう一つ驚いた事は鳴神さんも昔はバンドを組んでいたとポロっと零したことだった。 楽器や音楽、様々なアーティストが好きで楽器店を開いたとは聞いていたが、まさかこの人にそんなパンクな時代があったとは思えなかった。 写真も見せてもらったのだが、絵に書いたようなパンクロッカーだったらしく、派手な装飾に舌出しロッカースタイルで撮られた写真は思わず絶句するほど似ても似つかない。 「そういえば森岡君は楽器は何を持ってるの?」 「いえ、持ってないですね」 「え!? 持ってないの!?」 どうにも鳴神さんは僕が何かしらの楽器を所持していると思い込んでいたらしく、目を白黒させて驚いていた。 わざわざ仕事場で家庭の事情を話す必要はないので特に話していなかったが、大半の楽器の知識を有していることからバンドでも組んでいるものだと思われていたらしい。 確かにやってみたいという気持ちはあるが、そんなお金もなければ知り合いもいない。 そんなことも分かっているのに、今でも俺は進学ではなく、ミュージシャンになってみたいなんて事を絵空事のように考えているのだからお笑い種だ。 「じゃあやりたいのって何?」 いつもおっとりとしている鳴神さんが初めて目をキラキラと輝かせ、顔の気門からピッピッと可愛らしい音を立てながら鼻息荒く聞いてくる。 あまり趣味の話もしないのだが、その日はあまりにもグイグイ来る鳴神さんの意外な一面に気圧されてか、思わず口にしてしまった。 「ド、ドラマーに……昔からちょっと興味が……」 沸騰したやかんのようにピーと一際高い音を立てながら、鳴神さんは嬉しそうにしていた。 「ドラマー!! いいよね!! 実は僕も昔はドラマーを目指してたんだ! 結局ギターの方が合ってたからギタリストやってたんだけどね!」 確かに写真でもエレキギターを掛けていたが、身近にドラム好きが居るというのは思わず自分も興奮してしまった。 結局バイトの時間中、店に客が居ない間は二人でドラム談義に花を咲かせてしまったのだが、これまでのバイトの時間の中で一番楽しかったかもしれない。 「ギタリストは多いんだよね! 何より目立つし、ヴォーカルもよく兼任してるしでバンドの顔役にもなりやすいからモテる。それに対して心底の音楽好きじゃない人間からはドラマーは裏方とか地味みたいな印象を持たれがちだからね!」 「あー分かります。実際はドラムとベースは重要なリズムパートだから音楽好きは結局、自分に合う楽器を選ぶんですけどね」 熱弁しすぎたせいもあり、バイトの終了時間を少しばかり過ぎても時間を忘れて話し込んでいた。 なんだか久し振りに充足した一日を過ごした気がしなくもないが、それが自分の将来を大きく変える出来事になるとは、その日の自分はまだ考えてすらいなかった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「悪い! 遅くなった!」 「お帰り。母さんならもう仕事に出たよ。洗濯物も取り込んでる」 いつもより遅くなった帰り道、台所から顔だけ出して次男のアキオがそう答えた。 「マジか……。なら明日でいいか。洗濯物もありがとな」 「別に。風呂と夕飯ももう出来るから今日は兄ちゃんはゆっくりしてな」 最近のアキオは俺なんかよりもよっぽどしっかりとするようになった気がする。 俺と同じく部活動には特に入らず、新聞配達のバイトをしながら学業に打ち込んでいるのだからよくできた弟だ。 妹も弟も皆何かしら家事を手伝ってくれているため、多少遅刻したとしても家が回らなくなるということはないが、長男である以上弟達に頼りっきりになるわけにはいかない。 五人兄弟とは言ったが、皆そんなに年が離れていないこともあってあまりトラブルも起きないのはまあいいことだろう。 次男は中学三年、長女は中学一年、次女が小学五年、三男が少し離れて小学四年生……と少々離れているのは自分ぐらいだ。 全員で夕飯と風呂を済ませた後はお互いに勉強を教え合いながら小さな勉強会を開き、俺はそれに加えて進路希望調査書を眺めながら悩んでいた。 本当なら母さんが仕事に出る前に話しておきたかったが、仕事の前にこんな重要な事を相談されても仕事に支障をきたすだけだろうからある意味怪我の功名ではあっただろう。 幸い明日は土曜日、バイトも昼からのため母が帰ってきてからでも相談できるだろう。 「進路希望? 兄さん何処に進学するの?」 「ああ……正直その事で悩んでてな。家の事を考えるならさっさと就職するべきかなって」 正直にそう答えると、アキオはふーんとだけ生返事し、すぐに自分のノートへと視線を戻した。 「母さんが言ってる事、正しいと思うよ。兄さんは色々と複雑に考えすぎなんだよ」 参考書とノートを交互に見ながら鉛筆を躍らせるアキラがそうポツリと呟いた。 ついこの前母と口論したばかりだから、アキラとしても煮え切らない自分の考えが気に入っていないのだろう。 当然だ。 楽器屋のバイトを選んだのだって近くて割がいいからという建前を家族に話しており、『少しでも楽器に触れていたいから』なんて一言も言っていない。 なのにバイトに拘るのはまさに愚の骨頂。 弟も母さんと同意見になるのも無理もない。 だからこそ、一度だけ自分の本心を相談したかった。 真っ向から否定されれば、淡い夢は断ち切れる。 そう思いながら空白のままの記入欄を内にして折り、ファイルへと戻す。 電気代の節約のためにもすぐに眠り、母が帰ってくる頃に一人目を覚まし、改めて進路について話した。 「母さん。進路についてなんだけど……」 「どうしたんだい? そんな改まって」 丸机を挟んで座り、何度も深呼吸してから決心して口を開く。 「俺、本当は楽器が好きなんだ。楽器屋のバイトを受けたのも、本当は……バンドを組めそうな人が居ないか探したかったからなんだ」 「楽器ね」 母さんは女手一人で五人も育てると腹を括った人なだけあり、言葉に余計な装飾がないさっぱりとした人だ。 一言だけの返事にも特に怒りも呆れもない、復唱のような言葉だったからこそ、その次の言葉を言うのが尚更恐ろしくなる。 吐く息が喉で止まり、胸が押し潰されそうなほど声を出すのが難しい中、搾り出すように本心を話した。 「本当はミュージシャンになりたいんだ。だからちゃんと給料を稼いで収めるから……」 「いいじゃない。ただ、それなら尚更大学に行きなさい」 「……は?」 仕事をしながらならせめて許してもらえる。 そう考えていた自分の思惑とは真反対の答えが返ってきた。 まさか肯定されるとは思ってもみなかったし、それどころかそのうえで進学を推されるとは考えてもみなかった。 「え……いや、その……」 「だって今から音楽の勉強もするんでしょ? 絶対にミュージシャンになれるとも決まってるわけじゃないんだから、選択肢は増やしておきなさい」 「ああ、うん。そうだけど……。今のバイトも楽しいから続けたいんだけど……」 「なら頑張りなさいな。やりたいことならやり遂げてみなさい」 こんなに簡単に自分の願いが全部叶うとは思ってもいなかったわけで、ある意味肩透かしを食らったわけだが、そうなると尚更何故就職だけは否定したのかが分からなくなる。 「……母さんはなんで就職だけは否定したんだ?」 「そりゃあ単純だよ。仕事をしながらやりたいことをやる。これが出来る奴なんて本物の天才だよ。仕事をしながら好きなこともやるなんてのは到底できるような事じゃない。やりたいことがあるなら尚更自分から選択肢を狭めるような事をするんじゃないよ。学生ってのは学ぶ期間なんだから、自由に使える時間を全部その音楽と学業に費やしなさい! 以上! 母さんは寝るよ!」 そう言って母さんはそのまま化粧を落として寝室へと消えていった。 先日の口論からもっとどうしようもない回答か、激しい口論をするものだろうと思っていたのだが、自分が悩んでいたのが馬鹿らしいほどあっさりと解決してしまったせいかなんとも消化不良だが、解決したのは解決したのだからこれで悩みの種はもう抱える必要はなくなった。 逆にさっぱりと解決しすぎてしまったせいもあり、バイトの時間になるまであまり実感が沸かなかったのはここだけの話だ。 そうなれば進路についてはあまり悩む必要はないだろう。 この家から通うことができて、自分の学力で入れる場所であれば特に何処でも構わないが、母さんが言った通り俺は今から音楽の世界に歩みだそうとする新参者だ。 初めから音楽で食っていくと決めた者とはスタート地点が違う以上、駄目だった時の事も考えておくべきだろう。 そうして元々学習科目としては興味のあった文系の学校を第一候補にし、それ以降も近場で通える大学を近い順に第二、第三志望として書き込み、その日のバイトへと出向いた。 「おー来た来た! 森岡君、是非君に見てもらいたかったんだ」 「どうかしたんですか?」 バイト先へと辿り着くなり、鳴神さんは満面の笑みで俺をスタッフルームへと呼んでいた。 バイトの開始まではもう少々時間があったはずだが……と思っていた所、どうやって持ってきたのかスタッフルームにドラム一式がデンと設置されていた。 「いいだろ? 僕が昔買ったドラムなんだ。結局数回しか叩かないでそのまま倉庫にしまいこんでたやつだから、よかったら森岡君にあげるよ」 「え!? いや……その……」 その言葉は色んな意味で衝撃的だった。 楽器一式など、どれだけ安い初心者用のものでもかなり値が張る。 そんな物をポンとあげるなどと言われて戸惑っているところもあるが、そもそもこんなものを急に渡されても持って帰りようがない。 そのうえ俺の家にはこんなものを置くスペースもなければ叩こうものならすぐさま近所迷惑で管理人がすっ飛んでくるだろう。 だがこの先いつになれば手に入るだろうかと悩んでいたものが手に入るという事実も喉から手が出るほど嬉しい事であり、断るという選択肢はそもそも存在しない。 ならばここに置かせてもらうというのも手だが、残念ながらスタッフルームに置けば他の従業員の迷惑になる。 結局その場はお礼だけを伝えてレジに立っていたわけだが、勤務時間が終わるまでにどうにかして移動先を考えなければならないとうんうん唸っていた。 「店員さーん。おーいシゲオ。インテリ系脳筋」 「インテリ系脳筋ってどっちだよ! ……ってなんだトウマか」 どうも考え込んでいる内にレジに誰かが来ている事に気が付いていなかったのだが、そこにいたのは俺のよく知る奴だった。 スラリとした体型に本物のインテリ系のインテレオンの&ruby(しみず){清水};トウマだ。 こいつもリンと同じく幼馴染なわけだが、絵に描いたようなスーパーマンと言った所が一番近いだろう。 両親は国際的なピアニストとヴァイオリニスト。 その間に生まれたこいつは当然生まれた時から音楽に関する最高水準の英才教育を受けている。 住んでいるのも大豪邸で当然勉強に関しても常にトップの成績……と欠点がない。 昔はよく習い事が大変だとか勉強が分からないって泣きベソをかいていたのに、気が付けば超が付くほどのイケメンで学力も運動神経も一流、そのうえ大富豪の御曹司と天が二物も三物も与えた奴だ。 「今失礼な事考えてませんでした?」 「いや、全然。それよりも珍しいな。一週間も開けずに来るなんて。なんか新しい楽譜でも入ったのか?」 エスパータイプでもないのに俺の思考を読もうとするんじゃない。 こいつは大体この楽器店に週一ぐらいのペースでやってくるのだが、その大半は新しい楽譜を購入するためだ。 その為週一ぐらいで追加されてるかを見に来るのだが、レジ前までやってきたトウマの手元を見るに、今回は新譜が入っていないか俺に聞きに来たというところだろう。 「こういうのは店員のシゲオの方が覚えておいた方がいいはずだが? 今日は今日は何の発売日でしたっけ?」 「あ、あ!? 『マキシマイザズ』のニューシングルの発売日!!」 「ご名答」 名家生まれのトウマと俺の唯一の接点とも呼べるのが、この音楽の趣味だった。 将来を有望視されるトウマはどういうわけだか音楽の趣味は幅広かった。 幼い時からクラシックやオペラなんかを見聞きして育っているトウマは当然そういった社交的な音楽や趣味の方が多いわけだが、昔俺がハマって一緒に店まで聞きに行ったロックを皮切りに、こいつも色々なジャンルの音楽に食指を伸ばしていた。 音楽で語り合える唯一とも呼べる共だったわけだが、一つだけ問題があった。 「じゃあ、いつも通りシゲオに渡しておくので、今度学校で聞かせてください」 CDの代金を支払うと、トウマはいつものようにそのままその袋を俺に渡した。 その問題というのが、こいつの両親がロックやEDMのような俗な音楽に対してかなり否定的だということだ。 仮にも世界中でソロコンサートを開くような超名門の御曹司。 そんな奴が俗世に塗れた音楽を聞いているというのは両親としては問題だったらしく、以前買ったCDは見事に叩き割られた事がある。 それでもロックを聞きたかったトウマは自分の金でミュージックプレーヤーとCDを買っては俺に渡し、俺がそれを管理して学校や休憩中に聞くのが二人だけの秘密の趣味になっていた。 弟達にも事情を説明しているのでCDには触らないようにしてもらっているし、俺自身本棚一杯のCDを眺めるのが楽しいので悪い気はしない。 「ではまた学校で」 「あ、あー……。トウマ、一つ相談があるんだけど……」 トウマが来た事で一つ妙案を思い付き、相談してみることにした。 というのも、こいつは既に自分用の防音設備完備の自分用の家を持っている。 普段は実家で過ごしているためその家も事実上別荘状態で使用していないのだが、要するにその家ならばどれだけドラムを叩こうと近所迷惑になり得ないわけだ。 「だから私の家に置かせて欲しい……と。スタジオじゃないんだけど? というかそもそも私もまだ私物を一切持ち込めてないのに将来の新居に置く一個目の道具がよりにもよってジャングルアフロのドラム一式?」 「しれっと悪口を絡めるんじゃねぇよ。いいだろ?俺だってお前のCDを両親の目の届かない所に置いてるんだ」 「新居が出来た時点で移す予定だったのに両親がやたらCDに関してだけ目を光らせてるせいなんですが? ドラムが運び込めるとでも?」 「前科があるからだろ……。やっぱ無理かぁ……」 空の新居に俺のドラム一式を置くことにかなりの不満を抱いているが、大前提として運び込んでもらうのはどうにも難しそうだ。 ならばどうするかと諦めようとしていた所、トウマは少し考え込んだ後、口を開いた。 「……もしかするといけるかもしれないですね。ちょっとした賭けになりますが」 「マジで!?」 「ただ、最悪そのドラムも壊されますよ。あともしも上手くいったならわ・た・し・の家に運び込む第一号になるので他にも別で条件を呑んでもらいますよ」 「分かってるよ……」 やはり相当自分のCDを真っ先に持ち込め無い事自体は根に持ってるみたいで強調してくるが、駄目で元々だ。 こいつの家に置かせてもらえないなら他に置けるような場所もない以上、鳴神さんには悪いけど一縷の望みに賭けさせてもらうことにした。 *走り気味のラブソング 2 [#3rNv748] ミッション内容はこうだ。 今現在無人のトウマ宅は使用人によって管理されている。 その使用人はトウマが幼い頃からの知り合いで、話もよく分かってくれる人だという。 だが問題は定期的に両親の使用人がトウマがよからぬものを密かに収集していないかチェックしに来るらしく、そこでバレれば一巻の終わりだ。 厳しくなった原因はトウマ自身にあるわけだが、その一件以来一度も同じ事を(表面上は)繰り返していないため、高校を卒業すれば一応は晴れて実家暮らしという拘束が解かれ、自分の家も彼の使用人が管理をするだけに留まるのだという。 また詳しい間取りを知るのはトウマの使用人だけであり、両親の使用人がしっかりと内装を把握しているのは当然ながら本家の方だけ。 そのためトウマの使用人に今日トウマが話を付け、屋根裏部屋の倉庫にベニヤ板で間仕切りを作り、範囲を誤魔化してその向こう側に保管するというものだ。 練習をする時は毎回そこから部屋へ移動させ、終わったらまた管理スペースに戻す。 これを徹底し、学校卒業まで存在がバレなければミッション完了。 「いやリスクデカ過ぎねぇ? 本当にそんなことでバレないのか?」 「見回りの様子聞く限りだとバレない。本当にどの部屋も何もないから一瞬覗いて終わりって話だからな。&ruby(くらもち){倉持};さんだって実家の管理があるんだ。わざわざ時間を掛けてじっくり見るなんて事はしたくないんだよ」 ということで翌日。 前日は一日だけ俺の家で管理し、翌日俺のバイトとトウマのレッスンの時間が重ならないタイミングで二人で運び込むこととなった。 バスドラムやフロアタムのような大物は俺が持ち、各シンバルの固定具なんかの長物を持ってもらう。 こういう時はゴリランダーで良かったとつくづく思うが、普段はあまりメリットがないのが玉に瑕だ。 「お疲れ様、&ruby(たにかわ){谷川};さん」 「おお、トウマ様。それにご友人の森岡様。ようこそいらっしゃいました。ここからは私が持ちましょう」 「結構重いよ」 「あ、俺の方は大丈夫です。これめちゃくちゃ重いし持ちにくいんで」 改めてトウマの家まで来たわけだが、びっくりするほどの大豪邸だ。 綺麗な庭園に奥に見える洋式の平屋。 これで一人暮らしの家だというのだから感覚が狂いそうになる。 訪れた俺とトウマを谷川さんと呼ばれた使用人のイエッサンが笑顔で出迎え、すぐさまトウマと俺から荷物の一式を受け取ろうとしてきた。 とてもじゃないが初老の入ったようなお歳の方に渡すわけにはいかないと断ったのだが、どうにもサイコキネシスが使えるため重さはさほど問題ではないと聞き、エスパータイプがちょっとだけ羨ましくなった。 しかし様付けで呼ばれたり、こんなしっかりとした格好の方がトウマに頭を下げている所を見ると、ようやくこいつが金持ちの息子だと実感が湧く。 「ここのスペースが梁の関係で壁になっていても分かりにくいので、こちらがよろしいかと思われます」 「確かに。ぱっと目に付くような位置でもないしこれなら大丈夫そうだ」 二人して会話しながら納得しているが、屋根裏部屋の倉庫がマジでドラマとか映画で見るようなスペースの広さでビビリっぱなしだ。 このままここで練習しても何の問題もなさそうなほどに広いが、残念ながら屋根裏部屋には防音処理など行われていない。 「んじゃ、今後楽器が増えたら同じ位置に置くようにしよう。どうせドラムを手に入れたんだ。コピーバンドぐらいするだろう?」 「勿論! トウマは何やりたい? やっぱギターか?」 「ヴァイオリンを弾いてるからってギターは安直だ。それにヴァイオリンは弦で弾くものだから勝手が違うよ。……とはいえ、もしやるならキーボードかな? ピアノもやってるから勝手が近い方が楽だ」 「んじゃそん時はトウマがキーボードだな! となると……後はギターとベースって所かな? 最悪シンセベースにすればギターだけ呼べれば行けるかな?」 「……それ一気に私の専門外になるんですけど? ベースになった時点で別物だって知ってるでしょう?」 アーアーキコエナーイ。 そもそも音楽に関してはトウマの方が慣れ親しんでるんだ、ちょっとぐらい苦しめ。 ということで一先ずドラム一式の移動は完了した。 谷川さん曰く『演奏する際は私が移動させますので気軽に足を運んでください』との事だったが、小市民の俺がこんな大豪邸のしかも他人の家に足繁く通うのはどうにも気が引けるうえ、まだバンドメンバーすら揃ってない以上あまりソロで練習しに来るのも如何なものだろう。 とはいえ口には出しにくいので分かりました。と答えたのだが、流石にそこはエスパー。しっかりとこちらの思考を読んできた。 「ご両親はロックという音楽に否定的ですが、その全てが無駄になるということは無いと思います。全ての経験がトウマ様自身や森岡様、これから増えるであろうご友人の方々の人生をより豊かにするはずです。人生の先行投資とお考えして、是非気兼ねなくいらしてください」 既に出来た大人の谷川さんに言われると尚更萎縮しそうになるが、楽器に触れ合う時間が欲しかったのは事実だ。 これから高校三年という受験という意味で大切な期間に差し掛かるわけだが、それ以上に楽器と触れ合える時間が増えることの方が俺にとっては重要だ。 是非とも得た機会は存分に有効活用するべきだろう。 その後は今後いつ集まるかを軽く予定を立て、その日は解散した。 結局あんな事を考えていたくせに、月曜日にはもう学校が終わると同時にトウマの家へと足を運んでいた。 萎縮すると思っていたが、思った以上に楽器を触りたい欲の方が強かったわけだ。 既に何度語ったことか分からないが、本物の楽器は軽く触ったことがある程度で、普段の練習は本を叩く程度だ。 自前の太鼓もあるにはあるが、あれも音が鳴るから近所迷惑にしかならないため叩くにしても公園などになる。 それに確かに音楽という世界に目覚めた切欠は和太鼓だったが、最終的に自分のやりたいことを明確にしてくれたのは『マキシマイザズ』の演奏だった。 『マキシマイザズ』といえば、音楽好きでなくとも一度は聞いたことがあるというほどの超有名ロックバンドだ。 国内は当然の事、国外にもファンが多く、シビれる演奏は聞く者を虜にする。 その中でもドラマーは奇しくも俺と同じゴリランダーなのだが、彼の演奏は素晴らしかった。 繊細にして豪快な音、そしてどんなビートも刻むその姿は正にドラマーも究極系とでも呼ぶべきだろう。 ただ叩くだけがゴリランダーという世間の認識を大きく変えたのはあの人の存在が大きいだろう。 気が付けばマキシマイザズの曲は出る度にそのドラムパートを練習するぐらいには好きになっていたし、そのおかげでお店で軽く演奏してみてほしいとお願いされた時にも評価してもらえたほどだ。 だからこそ今度は自分の楽器を叩くとなると俄然やる気が沸いてくる。 鳴神さん本当にありがとう! そんな感じでバイトのない日は必ずトウマの家で実際のドラムの感覚を掴む練習をし、リズムの乱れを少しずつ矯正していたが、ここでもまた問題が発生する。 そう、学校では受験シーズンということもあり誰にも声が掛けられない。 バイト先では音楽好きならもうとっくの昔に誰かとバンドを組んでいて空いている人がいない。 そして休みの日になるとここで一日中ドラムを叩いているのだから、何時まで経ってもギタリストが見つからないのである! 分かってる……。 探さない限り永遠にギタリストは増えない。 だがドラムを叩いているだけで楽しい。 今日も結局基本リズムをしっかりと復習して速度を変えながら叩いてもずれないようになった。 日々上達が実感できて凄く今生きていると感じられる。 だが今のままでは永遠にこれを公開する日など訪れない。 どうするのか……。 「シゲオ!」 「うおっ!? なんだリンか。どうしたんだ?」 「どうしたんだ? じゃないよ! さっきからずっと話しかけてたのにここ最近ずっとそんな調子じゃん。今度は何で悩んでるのさ」 昼休憩の間、バンドメンバーの事を考えていた所にリンがやってきた。 進路希望はさっさと提出していたためリンも一安心していた矢先、また浮かない顔をしているから心配になったようだ。 「お、リンもいるな。横失礼するよ」 「トウマー! お疲れー!」 弁当を広げながらトウマが俺の横に座り込み、リンが俺達の前に座り込んだ。 俺は昼休憩で弁当を食う時、決まって校庭に出る。 ここなら周囲の目を気にせずにドラムの練習もできるし、なにより木陰が心地よい。 そのためリンもトウマも俺に用事がある時はわざわざここまで来て飯を食ってくれるのだ。 「で、ギタリストは見つかりそうですか?」 「流石にこの時期にクラスメートにそんな話題を振る度胸はねぇなぁ」 「そりゃあ皆この時期は大事ですからね。バイト先の方は?」 「そっちは全滅だ。ギターに興味があるって人もいなかったなぁ」 「ギターはモテるとでも言えば釣れるでしょうに」 「不純な動機で始める奴をバンドの顔にしたくねぇ」 結局トウマに現状をおさらいしただけになったわけだが、同時にリンにも俺が何故悩んでいたのかを端的に説明できたので良しとしよう。 別に俺が嫌だってだけでモテたいから楽器を触るって奴も多いと思う。 実際そこからプロになる奴もいるわけだからな。 ただなんとなく俺は嫌だ。 「てことはギターを演奏する人がいないってこと? じゃあ私やってみたい!」 ピョンと跳ね、足先から指先までまっすぐ伸ばしてリンがそう宣言した。 一瞬何を言っているのか理解できなかったが、どうにもリンの瞳が好奇心MAXの時のものになっているためどうやら本気らしい。 「いやいや、お前陸上は?」 「どうせ今年で最後だし、夏の大会でラストだからね。二人がいっつも楽しそうに音楽の話してたり、格好良い音楽聞かせてくれるから私も好きだよ!」 「大学に行っても続けるでしょう? このゴリラはアマでやっていくためのメンバーを探しているんですよ」 「え? 別に続けないよ?」 リンがいきなりギターをやりたいと言い出したのも驚きだったが、もっと驚きだったのは小中高とずっと続けていた陸上になんの未練もないと言い切ったことだっただろう。 俺だけならまだしもトウマのやつまで目を丸くして開いた口すら塞げずに唖然としていた。 「リン! 君も私と同じ、プロになるべくして研鑽を積んできた身でしょう? 知っていますよ!? 将来は陸上のアスリートにも充分なれる素質を持っていると顧問の先生にも評されていることを」 トウマの言葉を聞いて俺もブンブンと素早く首を縦に振ったが、どうにもリンはその言葉の意味が分かっていないとでも言うかのようにきょとんとした顔で俺達を見ている。 「別に走るのが楽しいから今までやってただけで、他に楽しい事があるんなら私はそっちに全力を出したいんだ」 「い、いやだからってお前何回も優勝してるのになんでここに来て!?」 「だって面倒なんだもん。昔はただ早ければそれだけでみんなで楽しくやれたのに、やれ誰の派閥だとか男子陸上の誰々を狙ってるから手を出すなとか変なしがらみばっかりみんな口にしだしてさ、楽しいから走ってるんじゃないんだなって」 「いやいやいやいやいや!!」 二人口を揃えてたったそれだけの理由で将来有望な選手がアスリートの道を捨てるのを全力で阻止しようとしたが、どうにも彼女の中の基準はアスリートとしての未来よりもやっていて楽しいか? が重要らしく、こちらが譲らないのと同じぐらい頑なに意見を変えなかった。 確かに俺も邪な考えでバンドを初めた奴を入れたくないのは似たような理由だ。 色恋沙汰が原因でバンドが離散なんてアマの世界じゃよく聞く話だ。 だからこそ同じ熱量を持った音楽好きとプロを目指してバンドを組みたいという考えがあるからリンの言わんとすることは分からなくもないが、俺の『今から始める』とリンの『もう先が見えてる』とではその選択の重要度は大きく変わってくる。 昔から掴み所がなくて独特な感性の元に生きている奴だとは思ってはいたが、ここまでさっぱりした性格だとも知らなかった。 「それにさ。シゲオとトウマがメンバーなんでしょ? だったら絶対に楽しいもん。こう見えて私、楽器も得意だよ?」 そう言ってニッと歯を見せるが、そんな話はこれまで一度も聞いたことがない。 だがリンの性格上嘘を吐くとも思えず、とりあえず『軽くギターを弾いてみて、合いそうなら候補、合わないのなら陸上を頑張る』という約束の元、その日は三人でトウマの家へと向かった。 「ひえぇぇぇ!!? コレ……全部トウマの家なの!? しかも住んでないの!?」 トウマの家に着くなりリンも最初の俺と同じような反応をしていたが、まあ普通はそうなるだろう。 ごく普通の二世代住宅よりもデカイ屋敷にリンならラップタイムも計測できそうなほどの庭だ。 「この音楽バカと知り合ったのが運の尽きでしたね。ロックに嵌らなければ今頃ここで好きに暮らせてたでしょう」 「おいおい。俺のせいか?」 「おっと失礼、貴方のお陰ですね」 二人でそんな軽口を叩き合い、ニッと笑ってみせる。 それを見てリンはその会話の輪に参加できないのが不満なのか頬を膨らませているが、今の今までそこまで音楽に興味を持たなかったお前の落ち度だ。 とは言っても小さい頃から音楽が大好きだったのは俺ぐらいなもんで、トウマも俺が中学生ぐらいになった時に聞きに連れて行ったのが原因だし、色んな好きな音楽があっても、それをみんなにすぐに共有する術を持たなかった俺が二人を音楽の世界に引き込むのは土台難しい話だったわけだ。 今でもクラスで唯一スマートフォンを持ってない奴だし、残念ながらミュージックプレーヤーもトウマが買わないと手に取ることすらなかっただろう。 そんなわけで俺は今まで二人に『音楽が好きだ』とはよく話していたが、『この音楽がいい』と楽曲を紹介するのはなかなかできなかった。 それは今後も恐らくそうなのだろうが、一つだけ変わったことがあるとすれば今は本物の楽器があること。 ドラムは鳴神さんから譲ってもらった物で、キーボードとギターはいつの間にかトウマが買い足していた。 それだけ乗り気だったことは嬉しいが、そんな高価なものをポンポン購入できるコイツとの財力の差に少しだけ悲しくなってしまう。 「よし! それじゃリン、軽くギターを弾いてみてくれ」 「オッケー!」 谷川さんに移動してもらうとすぐにチューニングを済ませてギターをリンに渡した。 受け取ったリンはすぐさまギターを体の前に構えたが、どう見てもギターの弾き方が分かっていない持ち方だ。 というかここで漸く気が付いたが、リンの可愛らしいお手々はどう見てもギターを指弾きするのに向いていない。 ギターの演奏方法には基本的に指で弦を弾いて音を鳴らす『指弾き』とピックという道具で弾いて鳴らす『ピック弾き』の二種類がある。 本来は曲調に合わせてどちらで弾くのか決めるわけだが、アブリーのような可愛らしいふわふわのお手々でいきなり慣れない指弾きは無理がある。 というか多分毛が絡まる。 「リンちょtt……」 声を掛けるよりも早くリンは素早く腕を振りおろし、よく聞く雑多なギター音と毛が絡まって抜けたことによる悲鳴が響き渡った。 楽器は流石にトウマが準備しただけあっていい音だ。 「ごめんな。俺が手に毛が生えてないもんだからすっかり忘れてた」 「そういえばそうでしたね。『エレクトリッカー』みたいなバンドもあるので完全に忘れていました」 『エレクトリッカー』とはピカチュウ、ゼラオラ、エレキブルで構成された三人バンドだ。 可愛らしい見た目とは裏腹にそのエレキのテクは正に感電級。 メインヴォーカルがピカチュウということもあって女性ファンも多いが、ロック好きは誰もが一目置く存在でもある所がプロたる所以だろう。 彼等が皆手まで毛が生え揃ったポケモン達で構成されている事もあって俺もすっかり忘れていたが、そもそも彼等のようなプロは指先の毛を絡まない長さに毎日のように手入れをしているのだからそりゃあ絡むはずがない。 リンも陸上選手として毎日走っているのだから毛並みの手入れぐらいすればいいというのに手の毛は冬時期ということもあってかなり伸びている。 とりあえず今すぐ毛をカットしようにも無縁な俺達はそんなものを持ち合わせていないので、とりあえずピックを渡した。 使い方を教えてから今一度ギターの弦に軽く当てさせる。 「こう?」 「そうそう。メジャーコード……とかは分からなさそうだからとりあえずピックで軽く撫でる感じで弦の上を滑らせてみ?」 先程よりも音も小さく緩やかだが、今度は見事な和音が響き渡った。 やはりピックの利点はこの音のクリアさだが、サブギターが存在しない今のバンドなら早い内に指弾きもマスターしておくべきだろう。 「どうよ?」 「上出来上出来。因みに元々触ってた楽器って何?」 鼻高々に音を出せたことを自慢しているが、そんな大物の魚を獲ったみたいな持ち方はしないで欲しい。 指の毛が伸びきっていたことからギターを普段から演奏していないのは分かりきっていたが、何かしらの音楽の知識があれば他の楽器にもある程度応用は利く。 なので念のためリンにそのご自慢の演奏できる楽器とやらを聞いてみた。 「リコーダー!!」 「だと思ったよ」 ドヤ顔でそう言い放つリンだが、管楽団に所属しているわけでも吹奏楽に所属しているわけでもないコイツが授業以外でリコーダーを吹いているわけがない。 案の定の答えが返ってきて俺もトウマもガックリと肩を落としたわけだが、まあそれそのものが悪いわけではない。 最低限楽譜は読めるということだ。 ならば和音が主体のギター独特の奏法であるコードというものに慣れていってもらう必要があるだろう。 別にギターに限った話ではないが、和音を奏でる楽器は様々存在する。 構造上同時に複数の音を奏でることの出来る楽器、つまりギターやピアノのような複数弦や鍵盤楽器は和音を奏でられる。 和音は基本的に全てコードという名前が付いているため、それの通りに引けば不協和音にはならない。 敢えて音を外すことで不安感を煽るようなこともあるが、それは相当音楽に慣れた者でなければ難しいだろう。 メインギターを演奏する以上、和音は避けては通れない。 早めにコードに慣れてもらいたいところだが……。 「ホント改めて見ると手ちっちぇな」 「うるさい!」 ゴリランダーの俺の手の上にリンの手を乗せてもらったが、指と手の大きさが同じぐらいの差がある。 リンとしてはその可愛らしいお手々はコンプレックスなのはよく知っている。 寧ろ足の方が器用に動くせいで小さい頃はよく足でなんでも取ったり、蹴って渡していたせいで叱られていたものだ。 今は学校での授業を受けていることもあってペンなんかを持つ事で手を使うのにも十分慣れたようだが、それでも時折友人間で手の大きさで可愛いと言われるのは地味に複雑な気持ちらしい。 「うーん……指運びだけでも教えたかったが、やっぱり平均的な種族用のギターを買ったのがまずかったな。今度手が小さい種族用のギターを見に行こう」 「なんで!? 私だってこのギターでやれるよ!!」 どう見ても手の大きさも指の大きさもそのギターに適していないが、手が小さいと言われたくないがために意地になってしまっている。 イヤイヤとギターから手を離すまいとしているが、抱き寄せると弦に毛が絡むので止めておくのが懸命だ。 「別にいいんだよ。手が小さくてもギターは弾ける。音楽は自由だ。誰もが音楽を共有できるようにするために色んな種族に対応したギターってのが存在するんだ。また今度全員の休みが重なる時にギターを見に行こう」 「でも……」 「合わない楽器で演奏しても無駄です。道具とは使う者に合わせて作られた物なんです。私がシゲオのドラムセットだと叩くのも難しいように、シゲオでは私の使っているキーボードは鍵盤が小さすぎて一音だけを出せないんです」 トウマも賛同してくれたことでリンは耳を垂れてしょんぼりとはしたが、漸く諦めが付いたようだ。 リンとしては少々複雑かもしれないが、この世には多種多様な種族がいる。 リンの手の小ささも一つの個性だ。 いつかそう理解してもらうしかない。 そこでリンには見学してもらい、その日はとりあえず俺とトウマで音合わせをしながら、楽しい演奏会だけをして終わった。 ---- #pcomment(コメント/走り気味のラブソング 1,10,below);