ポケモン小説wiki
落雷が起きる前に の変更点


 ※注
 それほど激しくはありませんが、官能描写を含みます。

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「…………さぶっ」
 ひゅるりと枯れ枝を揺らして吹き抜けた冬の風に身を刺され、僕の意識は夢の世界から引きずり戻された。
 まぶたも開けられぬ微睡みの中、すぐ側にいるはずの温もりを手繰り寄せるべく、じたばたと四肢を巡らせる。
 僕が暖まりたいから、ではない。
 僕がこんなに寒いなら、彼女はもっと凍えているはずだから。
「…………?」
 だが。
 なぜだろうか。いつまで経っても、どれだけ脚を伸ばしてみても、あるべき温度を捕らえられない。
 妙な不安に駆られて、ようやく僕はまぶたをこじ開けた。
 辺りを伺うべく、首を引き起こす。寒さで低電圧になっているせいだろう、ただそれだけの動作がやたらと堪えた。
 脳裏にかかる霞を振り払い眼に映したのは、もちろん居眠りする前と何も変わらない我が家の庭。
 枯れ芝を敷き詰めた寝床。近くには葉の落ちきった大きな木。梢の上には日の射さない灰色の曇り空。
 いつも通りの、なんら怪しいところのない平穏な景色。なのに。それなのに。
「あ……れ?  どこに行ったんだろう…………?」
 ジワリと、肉球に汗が滲む。
 どれほど眼光を研ぎ澄ませても、当たり前にいるべき姿を捕らえられない。
 腹に抱えて一緒に昼寝をしていたはずの我が愛娘の姿が、どこにも見当たらなかった。

 ○

「あらこんにちはレントラーさん。うふふ、いつもお変わりなく」
「それどころじゃないんだクチートさん! む、娘を、娘を見ませんでしたか!?」
 爪が悲鳴を上げる勢いで外に飛び出した僕は、玄関先の道路を箒で掃いていた隣家のポケモンに声をかけた。
「……え、あの?」
 突然嵐のような剣幕で迫られて戸惑ったのだろう。クチートのお嬢さんは鉄色をした髪の下に怪訝そうな表情を浮かべ、山吹色の首を軽く傾げた。
「あの~、一応確認しますけど、レントラーさんがお探しの娘さんというのは、あなたとあなたの奥さんであるライボルトさんとの間に生まれたひとり娘であるラクライちゃんのこと……で間違いないんですね?」
「当たり前でしょクチートさん!? 僕に他に仔供なんていないよ!? トレーナーさんのバトル遠征でライボルトママが今朝早く出かけちゃったから、僕と娘とでお留守番をしていたんだ。一緒に遊んでいるうちにふたりとも疲れちゃってさ、娘を抱いたまま軽く三時間ほどうたた寝して、寒くなってきたんで目を覚ましたら一緒に寝ていたはずのあの仔がいなくなっていたんだよ!  辺りの物陰を透視しても、電磁波を飛ばして探ってみてもさっぱり見つけられないんだ。どうしよう、もしあの仔に何かあったら……」
「えぇっと……」
 おろおろと狼狽えながら状況を説明すると、クチートさんはますます困った表情を軽く空に向けて、こめかみに指を当てながら言った。
「何と申しますか、色々とツッコみどころがありまくり過ぎで、まず何から指摘すればいいのやらという感じなんですが……」
 言葉に隠しようもなく紛れた呆れが僕を突き刺す。留守番を任せられておきながら居眠りした挙げ句、大切な娘を行方不明にしたのだから、どう嘲られても仕方ない。低電圧のせいでただでさえ重い肩をますます落とした僕を、クチートさんは紅い瞳で見据えながら言葉を続けた。
「とりあえず……あのですね、ラクライちゃんなら、あなたの後ろにいらっしゃるんですけど?」
「えぇっ!? ど、どこっ!?」
 大慌てで立ち上がり、漆黒のタテガミを翻して背後を振り返る。
 しかし、見渡した景色にも、透かし見た壁の向こうにも、求めている小さな黄緑色の毛並みは見つからなかった。
「どこ!? どこにいたのクチートさん!?」
「……あら、ごめんなさい。やっぱり見間違いだったみたいですね」
「そ、そんなぁ……」
 落胆がまた一段と重く肩にのしかかる。ガックリとうなだれた僕を、支えるようにクチートさんの声がかけられた。
「しっかりしてください。落ち込んでいないで、早くラクライちゃんを見つけてあげましょう。私もお手伝いしますから」
「うん……ありがとう。ごめんね、迷惑をかけちゃって」
「気にしないでください。お隣同士の仲じゃないですか。さぁ、行きましょう」
 脇を取って引っ張るクチートさんの声は、何だか妙に明るかった。
 きっと、僕を励まそうとして無理をさせてしまっているのだろう。
 親切にしてくれている彼女のためにも、一刻も早く娘を捜し出さなくては。

 ○

「ダメだなぁ……手掛かりひとつ捕らえられないや」
 周囲を歩き回りながら定期的に電磁波を撒いて反応を探ってみたが、どこまで探しても娘の気配の名残すら見つけられなかった。
「本当に消えちゃったみたいだ……どこに行っちゃったんだろう?」
「大丈夫ですよ。ほら、『便りのないのは元気な証拠』って言うじゃないですか」
 ……それ、この状況で使うのは間違っているんじゃ?
 とも思ったが、クチートさんに当たっても仕方がない。曖昧に頷く。
「あぁ、でも無事だとしても早く見つけなくちゃ! こんな失態、ライボルトママに知られたらきっとカンカンだよ。どんな雷を落とされるかと思うと、頭が重くて重くて……」
「そりゃあ重いでしょうに……寒いから仕方ありませんものね」
「そうなんだよ……ここのところ冷え込みのせいで、起き抜けの低電圧が激しくてさ。さっき起きてからは特に酷くて、全然力が入らないんだ。電磁波のレーダーも、そのせいか放出した電磁波を僕自身の信号が邪魔しちゃってるとしか思えない反応が出ちゃってるし」
「正常な反応じゃないんですか?」
「これが正常だとしたら、突然テレポートしていなくなったとしか考えられないよ。心配だなぁ……僕がおかしくなるぐらいの寒さだもの。今頃あの仔はどんなに凍えているやら……」
「いえいえ、ラクライちゃんは今、世界一安心できる暖かな場所で幸せそうに熟睡していますから。私の目にはちゃあんと見えていますよ」
「そう信じたいけどねぇ……」
 相変わらず楽観論を重ねて、どうにか僕を元気づけようとするクチートさんの心遣いが、寒空の中暖かい。
 しかし甘えている余裕などないのだ。電磁波でダメなら眼で探そうと、透視能力を持つ眼光で周囲を見渡した。
 と、見慣れた土色の毛皮を壁の向こうに見つけた。
「あ、ルガルガンさんがいる」
「協力を頼みましょうか。あの仔の鼻と脚なら何か分かるかもしれませんし」
「そうだね。迷惑はかけたくないけど……仕方ないか。お~い、ルガルガンさ~ん。ちょっと出てくてくれませんか?」
 壁の向こうで痩身が起きあがり、グッと背伸びをする。ルガルガンさんも雌の仔なので、あんまり覗いていると失礼だし目にも毒だ。透視を切って待っていると、程なくして身だしなみを整え終えたらしい真昼の姿のルガルガンさんが、塀の向こうで立ち上がって上から顔だけを覗かせた。
「はいはい来ましたよ……っと、誰かと思えばレントラーさんじゃないの。ちょっと、今壁を透視しちゃイヤよ。そっちから透視されたらお腹丸出しになっちゃうから」
「しないよそんなこと!? お願いがあって呼んだんだ。聞いてくれる?」
「お願い? ハハ~ン、奥さんがいなくて代わりにクチートお嬢がいるところから察するに、さては浮気の口止めでも……」
「そんなことを言っている場合じゃないのよ、ルガルガンちゃん!!」
 低俗な冗談を僕が否定するよりも早く、クチートさんの声が飛んだ。
「大変なの! レントラーさんのお嬢さんのラクライちゃんが、行方不明になっちゃったのよ!!」
 さっきまで僕に見せていた平然とした様子から一転、クチートさんは緊迫した早口でルガルガンさんに呼びかける。やっぱり、彼女も内心ではラクライのことを相当に心配してくれていたのだろう。
 一方、突然緊急の事態を伝えられたルガルガンさんの側は、咄嗟に対応できなかったらしく眼をパチクリと瞬かせていた。
「はぁ!? いやその、だって……あれ?」
「レントラーさんが寝ている間にどこかに行っちゃったらしくて、いくら探しても見つからないっていう話なのよ! お願い、探すのを手伝ってあげて!!」
 僕を指したり大きく手を振ったりと大仰な動作を交えたクチートさんの悲痛な訴えを聞いて、ルガルガンさんはしばらく眼を白黒とさせていた様子だったが、やがてハッ、と何かに気がついたかの様に鼻面を上げると、
「な、なぁんてことっ!? そいつぁ大変いち大事っ!!」
 泡を食った声を上げて、一旦塀から離れるや、すぐさま近くにあった門扉を飛び越えて姿を現した。
「そういうことならお嬢、この辺の連中みんなにも協力を仰いで回ってあげよっか?」
「是非そうしてちょうだい。特にレントラーさんご一家と仲のいい方々にはよろしくお願いしておいて!!」
「合点っ! そんじゃ、善は急げっと! キャハハハハ…………ッ!!」
 旋風を蹴り立てて、ルガルガンさんの姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「……今なんか最後、笑ってなかった?」
「緊張のあまりテンションが上がっちゃったんですね。でもあの仔のことだから、真剣に探してくれると思いますよ。さぁ、私たちも早く」
 クチートさんに促されて、手分けをするためにルガルガンさんとは逆の方向へ。
 何だか違和感を感じる。いまだ低電圧で頭が重いせいだろうか。

 ○

 町を半周ほど回ったけど、結局娘の消息は分からないまま。
 小さな仔供の足で遠くまで行けるわけもなし、これ以上外向きに捜索を続けても無駄足だろうか。
「レントラーさんの電磁波レーダーが当てにならないとなると、もう一度家の近くからじっくり調べ直した方がいいかもしれませんね。ラクライちゃんが行きそうな場所を重点的に探しましょう」
 クチートさんの提案を受けて、僕たちは来た道を引き返すことになった。
 用水に架かる橋を渡り、家へと続く登り坂に差し掛かったところで、また見知った雌ポケ友達の姿をふたつ見つけた。
 何やら、取っ組み合いになっていて剣呑な様子だったが。
「何をケンカしてるんですか? グラエナさんにサンドパンさん」
 近付いて問いかけると、灰地に黒い縞模様の雌ポケに前脚で組み伏せられている、黄土色の尖った鱗を無数に逆立てた雌ポケが、見た目通りの刺々しい声で訴えた。
「どーもこーも、レントラーさんあんたバギャッ!?」
 けれどサンドパンさんの言葉は、その顔を踏みつけたグラエナさんの脚によって遮られた。
「あ~、ちわっすレントラーさん。ルガルガンから話は聞いてますよ。お嬢ちゃんが迷子なんですってねぇ。いやね、アタシたちも捜索に回ろうとしたんだけど、そしたらコイツが何故か渋りやがったもんで、ちょっと折檻をね……へへ」
 早口でまくし立てるグラエナさん。その肉球の下から、
「モガモガァ~っ!?」
 サンドパンさんの言葉にならない抗議の声が沸き上がった。
 さすがに見かねて、僕はグラエナさんを諫めにかかる。
「いや、娘のことは確かに緊急を要するけどさ、だからって無理強いはよくないよ。いいから放してあげてよグラエナさん」
「はいはい、分かりました。今放しますよっ……と」
 ポンッ!  とグラエナさんの後ろ脚が一閃し、一本の前脚でサンドパンさんの頭を捕らえたまま、首から下だけを宙に跳ね上げた。サンドパンさんのトゲトゲの身体が弧を描き、腹からグラエナさんの縞々の背中に落ちて担がれた格好になる。
「これでよしっと」
「いやあの、それって結局放してないよね?」
「そんならしくもなく細かいこと気にしないでくださいよ。アタシらは今から用水沿いにラクライちゃんを探しにひとっ走り行ってきますんで、レントラーさんたちは上の方をお願いします」
 サンドパンさんを抱えたまま、三本の脚を器用に駆使してグラエナさんは走り出す。
 その背中の上で、サンドパンさんは長く鋭い爪を振りかざし、自分の頭を掴んでるグラエナさんの脚めがけて打ち込んだ。
 ガツン! ガツン!
 鈍い音が遠ざかっていく。
 あれではダメだ。グラエナさんの脚ではなく、サンドパンさん自身の後頭部にしか当たっていない。
 それでもサンドパンさんは、横目で僕の方を睨みながら、繰り返し後頭部を突き続けた。
 何かを訴えているような視線が、グラエナさんと一緒に角を回って、見えなくなった。
「……何だったの? あれ」
「混乱してわけも分からず自分を攻撃していたんじゃないですか? 気にしている暇はありませんわ。早くラクライちゃんを探さないと」
 サンドパンさんの様子が妙に気になったけど、クチートさんに促されるまま坂を登り家へと向かう。

 ○

 帰ってみれば、探していた娘がお迎えしてくれました。
 ……なんてこともなく、結局家にも戻った形跡なし。
 決めていた通りに周辺を詳しく調べようと、再びクチートさんと連れ立って歩き出す。
 と、家の前を通る坂の上側から、猛スピードで駆け下りてくる影がひとつ。
「おぉっとレントラーさんにお嬢。まだラクライちゃんは見つかってない?」
 ルガルガンさんだった。ずっと走り回ってくれていたらしく、土色の肩を激しく上下させている。
「残念ながら状況は変わらず、よ」
「そっかぁ。やっぱまだ居場所が分かってないんだ……」
 クチートさんの応えを聞いて、ルガルガンさんは気の毒そうな眼を僕に向けた。彼女にかけてしまった心配と迷惑を思うと本当に申し訳ない気持ちになる。
「それで、ルガルガンちゃんの方は、何か気付いたことなかったの?」
 紅い目を光らせてクチートさんが問うと、ルガルガンさんは駆けてきた坂を仰ぎながら、少し考える表情を見せて答えた。
「手掛かりってほどじゃないかもだけど……、丘の上の公園ってもう探した?」
「いや、さっき電磁波は向けてみたけど何も感じなかったから、今日はまだ直接には行ってないよ」
「そうなんだ。いや、私もみんなに知らせて回るのを優先してたからさっきは素通りしちゃったんだけど、あそこの&ruby(ラム){梅};の木を見たら、蕾が大分色づいて膨らんできてたのが気になってさ」
「あら、もうそんな季節なの……そうね。もしかしたらラクライちゃん、梅の蕾を見に公園へ行っているかもしれないわね」
「でしょ!それに あの公園は展望台からの見晴らしがいいから、上から見渡せば何か気付くかもね!  私はもうちょっと回ってるから、公園はふたりで調べておいでよ。それじゃっ!!」
 早口でまくし立て終えると、たちまちルガルガンさんはまた一目散に坂を下って行ってしまった。
「行ってみますか? 公園」
「そうだね。他に手掛かりがあるわけでもないし」
 頷き合ったクチートさんと共に、公園へと坂を登っていく。

 ○

「何だかさ、妙に静かじゃない?」
 辿り着いた公園には、娘がいる気配どころか、人っ子ひとり見当たらなかった。
 ルガルガンさんから聞いた話の通り、公園の周囲を囲む梅の木が膨らんだ蕾をほんのりと紅く色づかせており、間近に近付いてくる春の足音を感じさせていたが、ならばそれに惹かれてきた虫ポケモンが飛び回っていても良さそうな雰囲気なのに一匹もいないのだ。
 クチートさんが応えなかったから余計に静寂が身に沁みた。無言のまま、クチートさんは僕の肩を押して、ルガルガンさんに薦められていた展望台へと導いた。
 白く塗装された冷たい鉄の螺旋階段を登り、寒風が吹き荒ぶデッキの上に出る。
 眼下で揺れる梅の蕾たちが無数の紅い星のように舞い乱れる様子は、こんな時でなければしばらく見惚れていたいほどにほどに美しかった。その向こうには、今日歩き回った街並みが整然と広がっている。
 確かにここからなら、街の様子もよく分かるけど……でも娘の居場所が分かるような物なんて、何も見つけられそうになかった。近くには有料の望遠鏡も設置されていたけれど、もちろん僕たちに使えるはずもない。
「残念だけど、手掛かりはなさそうだね。さぁ、次はどこを探そうか?」
 肉球が凍えそうな脚を返して、僕は階段を降りようとする。
 と、隣のクチートさんが小さく囁いた。
「少し、休みませんか?」
「え? でも……」
「ずっと歩き詰めですし、そろそろお疲れでしょう。それに、足を止めてゆっくり考えてみたら、何かヒントが見つかるかもしれませんよ。ほら、『探すのをやめた時、見つかることもよくある話』って歌もあるじゃないですか」
「そうか……そうだね。何だかまだ電圧も上がらないままだしね……」
「丁度ここの階段の下なら風も凌げそうです。しばらく座らせて貰いましょう」
 階段を下りて影へと回り込み、デッキ下の室内に身を横たえる。
「では、失礼して」
 懐に座ったクチートさんが僕に身を寄せる。触れ合った温もりが、風に晒されていた身体を優しく暖める。
 ふぅ……とひと心地つきつつ、僕は重い頭をどうにか立て直して思考を巡らせた。
「さて、ゆっくり考えてみるとしても、こうも何も分からないんじゃ一体どうしたらいいのかなぁ……」
「こういう時は、原点に立ち帰って考え直すのがいいと思いますよ」
「原点ねぇ……昼寝から目を覚ましてからのことかな? それとも、眠る前に何をしていたか……」
「いえ、それよりもっと前まで 遡って、考えてみるのがいいかも知れません」
「もっと? 眠る前より前って、どこまで遡れば……?」
「そうですね。例えば……」
 考え込むように口元に手を当てながら、ゆっくり淡々とした口調でクチートさんは言った。

「例えば、ラクライちゃんを作ったところまで、遡って思い出してみては、と」

「…………はい?」
 一瞬、何を言われたのかまるで判らず、
 じっくりと言われたことを吟味して見ても、やっぱり何を言われているのかまるで解らなかった。
「いや、あの、それちょっぴり遡り過ぎているような気がそこはかとなくするんだけれど?」
 ちょっぴりどころではない気が実にそこはかとしていたが、雌の仔相手にあまり厳しい言葉をぶつけるわけにも行かない。
「問題ありません。振り返るなら極端なぐらい徹底的に記憶を掘り返さないと、いつまで経っても手掛かりが見つけられませんよ?」
 至って神妙な顔つきで、クチートさんは僕に迫る。
「さぁ、眼を閉じて思い出してみてください。レントラーさんは奥さんと、どういう風にどんなことをしてラクライちゃんをお作りになられたんですか?」
「ど、どんなことって、そんなの……」
 紅い眼光で威嚇するように凄まれて、僕は言われるがままにするしかなかった。

 今いるこの場所のように、狭く薄暗い育て屋の一室。
 梅の蕾から漂ってくる微かな香りは、あの日焚かれていた香の匂いにも似て。
 目の前には、蒼くしなやかな姿態に黄金のタテガミを飾る美しいポケモンが、流麗な背筋のラインをこちらに向けて寝そべっていた。
 切なく潤んだ視線に誘われて、僕は彼女の背中をまたぐ。
 抱いた胸元に直に感じた彼女の温もり。心音が熱いビートを奏で、猛る衝動が僕の腰を彼女へと下ろさせた。
 ツンと立った尻尾を押しのけ、下肢を覆うタテガミと同じ色の長毛を掻き分けて、強烈にボルテージの高まった僕の電極が、遂に彼女の電極を探り当てる。
 触れ合った刹那、脳裏に甘く弾けるスパーク。
 黄金の毛並みに溺れるように顔を埋めたまま、僕は彼女と共にひとつの稲妻となって、

「……うぁっ!?」
 
 股間を這いずる異様な感触に、僕は甘い追憶から呼び戻される。
 見れば、妻との記憶に煽られて露わになってしまった僕の電極が、クチートさんの後頭部から伸びた大顎の先端に咥えられていた。
「ちょっ!? い、一体何をしてるのクチートさんっ!?」
「お手伝いですよ。感触も含めて思い出せば、何かしら掴めるかと思いまして」
「何を言っているのか解らないよ!? やめて、放してってば!?」
 困惑した喉笛から、上擦った悲鳴が迸る。身を捩って逃れようとしても、階段下の狭い一角に押し込められていては身動きもとれず、電極を咥え込んだ大顎を振り払うことも叶わない。
 脚で蹴って強引に逃れる手段は、無理だと分かり切っていた。電極を咬み千切られる恐れもあったが、それ以前に僕の特性が異性相手に脚を上げることを許さないのだ、その上クチートさんの眼光に威竦まされたこともあり、僕の四肢に抵抗する力はどこにも残っていなかった。
「嫌だ、ダメだよ、こんなの絶対おかしいよ!? あ、ぅああぁっ!?」
 鋭敏な電極が大顎の歯茎で揉みしだかれ、ますます剥き出しにされて張り詰める。足掻くしかできない僕の脇腹に、クチートさん本来の唇が寄せられて、湿った愛撫が神経を掻き乱す。身体中を暴走する電流が、彼女に向かわないよう制御するのに必死だった。
「うふふ、思っていたよりもずっとご立派な雄っぷりですこと」
 脇を辱めていた唇が離れて、艶めいた声が囁く。
「こんな素敵なモノ、奥さんだけ独り占めなんて狡いんですよ。たまには私にもお裾分けくださったっていいじゃないですか。ねぇ?」
 小さな手が、自らの裾を掻き分ける。
 はだけ出された潤う秘所は妖しい芳香を放ち、誘われた獲物をその内に捕らえんとする罠であるかのようだった。
 鉄色の足先が擦り歩き、大顎に捕らえられた電極へと向かう。
 恐るべき罠に、僕の肉体が呑まれようとしている。
 逃れる術は、ない。

 追い詰められた戦慄に堪え切れず、
 雄としてもっとも恥ずべき滴が、僕からこぼれて地面を濡らした。

「……!?」
「う……うぐっ……」
 それは先走りの陰水でも、涎でも冷や汗でもない。
 瞼から溢れた惨めな水に視界をぼやけさせながら、僕は嗚咽にまみれた声で哀願した。
「やめてよぉ……こんなことされたら、僕はラクライちゃんを見つけ出しても、パパなんて名乗れなくなっちゃうよぉ……お願いだからもうやめてぇ……うぅぅ…………」
「…………」
 電極の間近で、罠がピタリと歩みを止める。
 荒れた呼吸音が響く中、不意にその息吹が大きく吐き出され、同時に大顎が咥えていた電極を解放した。
「あぁ~、はいはい分かりました。まったく、泣くほど嫌がるなんて、まるっきり私がレイプしてるみたいじゃないですか」
「……みたい?」
 熱を訴える電極を舌で慰めながら、僕は彼女に抗議の視線を向ける。悪戯っぽく舌を出した山吹色の唇から、苦笑混じりの応えが返ってきた。
「まぁ、そうだったんですけど。結局レントラーさんは、ご家族が一番大切なんですね」
「当たり前でしょそんなこと……」
 ようやく緊張が抜けた肩を、ホッと下ろす。
 抵抗できない相手なら、泣き落とすに限るのである。ゾロアークである父からの教えだった。
「すみませんでした。もうからかうのはやめにします。ご安心を。ラクライちゃんはとっくに見つけていますから」
「え……えっ!?」
 余りにもさらっと告げられた言葉に、脱力していた肩を大慌てで奮い立たせて僕は立ち上がる。
「ほんと!? どこっ!? 無事なんですかっ!?」
 噛みついてしまいそうな勢いで問いかけると、クチートさんは今日最初にあった時のように、こめかみに指を当てながら困ったような顔を見せた。
「もう、どうしてまだ気付かないんですか? どこも何も、ラクライちゃんはずっと、」

「ふあ~~ぁ、よっく寝たぁ」

 天から降って湧いたように響いた鈴のような声が、クチートさんの指摘を遮った。
「ら、ラクライちゃんっ!?」
「あ、パパ。クチートお姉ちゃんも。おはよー」
 紛れもなくそれは、ずっと探していた愛娘の声で、
「ど、どうなってんのっ!? 一体どこからラクライちゃんの声が……」
 しかしどこを見渡しても、壁の向こうを透視しても、やはりその姿は見つけられない。
「やれやれ、世話の焼けるお父さんですねぇ。ちょっとじっとしていてください」
 隣でクチートさんの呆れ果てた声が上がり、その両腕が僕の首に抱きついた。
「ちょ、クチートさん、またこんなことをして……っ!?」
「……ですからつまり、今日あなたと最初に会った時からずっと、」
 混乱の極みに達した頭のすぐ横で淡々と声が響き、後ろで彼女の手がもぞもぞと動いて、
 バサリ、と漆黒のタテガミが大きく跳ね上がる。
 瞬間。
 ずっと重苦しかった頭が、すっと軽くなった。
「ラクライちゃんは、ここにいたんですよ」
「へ!?」
 一歩退いた、クチートさんの手の中で、
「きゃは♪」
 黄緑色の可愛い毛並みが、天使の微笑みを弾けさせていた。

 ○

「ああぁっ!? ラクライちゃんいたぁぁっ!? これまでどこにいたんだよ!?」
「いい加減そろそろ理解してください。ラクライちゃんがいたのはあなたの頭の後ろです。タテガミに潜り込んで、ずっと眠っていたんですよ」
「えぇぇぇぇぇぇ~っ!?」
 明かされた衝撃の事実に、脳内で電光が転げ回る。
「それじゃあ、さっきまで頭が重かったのは、低電圧のせいなんかじゃなくて……」
「物理的に重かっただけでしょ? この娘がしがみついていたんですから。気付かなかったのは低電圧ボケのせいでしょうけど」
「で、でも、どうしてこんなところに隠れていたんだろう……!?」
 混乱の中でこぼれた疑問に答えたのは、ラクライちゃんの小さな顎だった。
「だって、寒かったんだもん」
「ですよね~。寒いから仕方ありませんものねぇ」
「あ……っ!?」
 ようやく、事態が飲み込めてきた。
 僕が昼寝をしている間に気温が下がってきて、身体に寄り添っているだけじゃ耐えられなくなったラクライちゃんは、僕のタテガミを電気毛布代わりにして暖を取り、そのまま眠ってしまっていたのだ。
「あれ、だけど、いくらタテガミに埋もれていたって、外から見れば分かりそうなものなんじゃ……!?」
「ですから、気付いていなかったのは最初から貴方おひとりだけです! 私も 幾度となくヒントを出していたんですよ? 『あなたの後ろにいらっしゃる』とか、『電磁波のレーダーは正常な反応』とか、『世界一安心できる暖かな場所で幸せそうに熟睡しています』とか。そもそも最初に挨拶した時、『いつもお変わりなく』と言ったのだって、おんぶされてるラクライちゃんを差してのことだったんですけど?」
「あぅ……」
 言われて思い返せば、確かにクチートさんは『私の目にはちゃんと見えている』とも言っていた。『目に浮かぶ』とか、『想い描ける』とかでなしに。そりゃあそうだ。見たまんまの光景を語っていたのだから。
 電磁波をどこに向けたって何の反応もなかった理由も解った。僕と同じ座標にいたのだから、僕の信号と干渉していたのは至って正常な反応。まさしく『便りのないのは元気な証拠』だったわけだ。
「つまり、ルガルガンさんが気付かなかったのも……!?」
「もちろんフリです。私が咄嗟に手振りで指示して、口裏を合わせるようお願いしたんです。ついでに周囲への口止めとか、この逢い引き場所を手配したりひと払いとかもしてくれましたけど」
「ひと払いって、じゃあやたら静かだったのも、ルガルガンさんの仕込みだったのか……!?」
 そう言えば、最初ルガルガンさんはライボルトママがいないことは指摘しても、娘がいないことについては語っていなかった。いなくなんかなかったのだから当然だ。彼女の目に映っていたのは、娘を背負った僕がクチートさんと連れ立って歩く姿だったのだ。
「サンドパンさんだけは口止めに従ってくれなかったみたいで、一所懸命ラクライちゃんが『ここ』にいるよって指差してましたけどね」
 コンコン、とクチートさんの手が彼女の大顎を叩く。
 サンドパンさんは混乱していたわけでも、自分を抱えていたグラエナさんの前足を攻撃していたわけでもなかった。正義感の強い彼女は、僕が騙されていると教えられて、真実を明かそうとしてくれていたのだ。
「酷いなぁ、もう。心配している僕をみんなして担ぐなんて。しかも目的が浮気の誘いとか、まったく勘弁してよ……」
「本当にごめんなさい。ラクライちゃんが起きるまでの間だけでも、レントラーさんを私だけのものにしていたかったんです」
 どっと脱力してふてくされた声をあげた僕に、頭を下げたクチートさんがしおらしい声で囁く。
「今日一日あちこちご一緒できて、デートしているみたいで楽しかったですよ」
「こっちはそれどころじゃなかったけどね」
「まぁまぁ、埋め合わせに今度またふたりっきりで遊びましょう。たっぷりサービスしますよ」
「それ結局浮気の誘いだよね!? 全然反省してないでしょ!? ママに雷を落とされるより前に、ここまでの話にしておこうよ!?」
「ダメ、ですか……?」
 潤いを含んだ上目遣いの眼差しが、否応なしに僕の闘争心を沈黙させる。
「どうしたの? 応えは?」
「いやその、どうしようかな、って……」
「さっさと言ってあげればいいじゃないの。『僕はママ一筋だから、君のような小娘には興味はないんだ』って、そこの泥棒猫に」
「まぁそう言うべきところなんだけど、仮にも好意を向けてくれているお隣さんを、あんまりキツい言葉で突き放すというのもどうなのかなって……

 ――って、

 うわああああああああああっ!?」
 振り返ると、いつの間にそこにいたのか、展望台の門の前に蒼白い痩躯が立っていた。
 黄金のタテガミが天を突いて屹立し、怒りの電流を迸らせている。
 言うまでもなく僕の奥さん、ライボルトママである。
「マ、ママ、どうしてここに……!?」 
「話は全部、彼女から聞かせて貰ったわ」
 ママが指し示した方を見ると、黄土色のトゲトゲが、土色の獣と灰色の獣を両脇に抱えていた。
「すみませんお嬢、突破されちゃいました!!」
「イテテテ……」
 呻くルガルガンさんとグラエナさんを、ガッチリと締め上げるサンドパンさん。どうやら彼女がママに通報したらしい。何でもっと早く。せめてもう少し遅く。これじゃ逃げ場も隠れようもないじゃないか。
 救いを求めるように、っていうか責任を取って貰おうとクチートさんの方を振り返る。
 が、そこにはラクライちゃんと、穴を掘り返した土跡が残されているだけだった。
「そ、そりゃないよぉ……」
「みっともない声を上げてないで、ちょっとそこに直りなさいあなたっ!!」
「はひぃっ!?」
 メガシンカせざるとも凄まじい威嚇に、ひとたまりもなく僕はひっくり返った声を上げ、ついでに身体もひっくり返した。まともに向き直る根性なんか元々持ち合わせちゃいない。剥き出しになったお腹を、ママの柔らかい肉球がプニッと踏みつける。
「居眠りしている間に、娘を見失ったんですって?」
 あからさまな作り笑いが、ビリビリと僕を突き刺す。
「いや、あの、こうして無事見つけ出せたわけで……」
「そうね。何事もなくって良かったわ。ところで、当然自力で見つけ出せたんでしょうね?」
「……ぁぅぁぅ」
 すみません。教えられるまで気付けませんでした。
 などと供述する度胸などあればこそ。力なく顎を開閉させるのが精一杯だった。
「まったくあなたときたら! そんなことだから若い娘たちに付け入られて、いいように弄ばれるのよ!!」
「で、でも僕、誘惑はちゃんと断ったよ! ママを裏切る様なことはされてないもん!!」
「まぁね。一線を越えなかった分、三行半は勘弁してあげるけどね。そもそも雌の仔と見れば泣き落としでしか抵抗できないその性質がすべての元凶なんじゃないの! 今日という今日こそはしっかりお灸を据えさせて貰うわよ。ラクライちゃん、ちょっとおいで」
「は~い♪」
 黄緑色の小さな身体が、ママの蒼い背中に飛び乗る。
 ママから迸る&ruby(マイナス){負};の電圧が、ラクライちゃんの電圧と交わって膨れ上がった。
「ひぃぃ……」
「これでも食らって根性入れ直せ、このヘタレ闘争心持ちが!!」
「ぎゃああああ! ご、ごめんなさいいいいいっ!!」
 竦み上がった僕の身体に、ママが起こした雷が落ちた。

 ○チャンチャン♪○

 [[古狸>狸吉]]の[[ポケモン小説Wiki 10周年管理人さん感謝祭]]参加作品
『カラタチ島の恋のうた・豊穣編』落雷が起きる前に・~Fin~

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【原稿用紙(20×20行)】	31.7(枚)
【総文字数】	9847(字)
【行数】	270(行)
【台詞:地の文】	44:55(%)|4363:5484(字)
【漢字:かな:カナ:他】	31:59:6:2(%)|3128:5820:633:266(字)

 ※注
 それほど激しくはありませんが、官能描写を含みます。

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「…………さぶっ」
 ひゅるりと枯れ枝を揺らして吹き抜けた冬の風に身を刺され、僕の意識は夢の世界から引きずり戻された。
 まぶたも開けられぬ微睡みの中、すぐ側にいるはずの温もりを手繰り寄せるべく、じたばたと四肢を巡らせる。
 僕が暖まりたいから、ではない。
 僕がこんなに寒いなら、彼女はもっと凍えているはずだから。
「…………?」
 だが。
 なぜだろうか。いつまで経っても、どれだけ脚を伸ばしてみても、あるべき温度を捕らえられない。
 妙な不安に駆られて、ようやく僕はまぶたをこじ開けた。
 辺りを伺うべく、首を引き起こす。寒さで低電圧になっているせいだろう、ただそれだけの動作がやたらと堪えた。
 脳裏にかかる霞を振り払い眼に映したのは、もちろん居眠りする前と何も変わらない我が家の庭。
 枯れ芝を敷き詰めた寝床。近くには葉の落ちきった大きな木。梢の上には日の射さない灰色の曇り空。
 いつも通りの、なんら怪しいところのない平穏な景色。なのに。それなのに。
「あ……れ?  どこに行ったんだろう…………?」
 ジワリと、肉球に汗が滲む。
 どれほど眼光を研ぎ澄ませても、当たり前にいるべき姿を捕らえられない。
 腹に抱えて一緒に昼寝をしていたはずの我が愛娘の姿が、どこにも見当たらなかった。

 ○

「あらこんにちはレントラーさん。うふふ、いつもお変わりなく」
「それどころじゃないんだクチートさん! む、娘を、娘を見ませんでしたか!?」
 爪が悲鳴を上げる勢いで外に飛び出した僕は、玄関先の道路を箒で掃いていた隣家のポケモンに声をかけた。
「……え、あの?」
 突然嵐のような剣幕で迫られて戸惑ったのだろう。クチートのお嬢さんは鉄色をした髪の下に怪訝そうな表情を浮かべ、山吹色の首を軽く傾げた。
「あの~、一応確認しますけど、レントラーさんがお探しの娘さんというのは、あなたとあなたの奥さんであるライボルトさんとの間に生まれたひとり娘であるラクライちゃんのこと……で間違いないんですね?」
「当たり前でしょクチートさん!? 僕に他に仔供なんていないよ!? トレーナーさんのバトル遠征でライボルトママが今朝早く出かけちゃったから、僕と娘とでお留守番をしていたんだ。一緒に遊んでいるうちにふたりとも疲れちゃってさ、娘を抱いたまま軽く三時間ほどうたた寝して、寒くなってきたんで目を覚ましたら一緒に寝ていたはずのあの仔がいなくなっていたんだよ!  辺りの物陰を透視しても、電磁波を飛ばして探ってみてもさっぱり見つけられないんだ。どうしよう、もしあの仔に何かあったら……」
「えぇっと……」
 おろおろと狼狽えながら状況を説明すると、クチートさんはますます困った表情を軽く空に向けて、こめかみに指を当てながら言った。
「何と申しますか、色々とツッコみどころがありまくり過ぎで、まず何から指摘すればいいのやらという感じなんですが……」
 言葉に隠しようもなく紛れた呆れが僕を突き刺す。留守番を任せられておきながら居眠りした挙げ句、大切な娘を行方不明にしたのだから、どう嘲られても仕方ない。低電圧のせいでただでさえ重い肩をますます落とした僕を、クチートさんは紅い瞳で見据えながら言葉を続けた。
「とりあえず……あのですね、ラクライちゃんなら、あなたの後ろにいらっしゃるんですけど?」
「えぇっ!? ど、どこっ!?」
 大慌てで立ち上がり、漆黒のタテガミを翻して背後を振り返る。
 しかし、見渡した景色にも、透かし見た壁の向こうにも、求めている小さな黄緑色の毛並みは見つからなかった。
「どこ!? どこにいたのクチートさん!?」
「……あら、ごめんなさい。やっぱり見間違いだったみたいですね」
「そ、そんなぁ……」
 落胆がまた一段と重く肩にのしかかる。ガックリとうなだれた僕を、支えるようにクチートさんの声がかけられた。
「しっかりしてください。落ち込んでいないで、早くラクライちゃんを見つけてあげましょう。私もお手伝いしますから」
「うん……ありがとう。ごめんね、迷惑をかけちゃって」
「気にしないでください。お隣同士の仲じゃないですか。さぁ、行きましょう」
 脇を取って引っ張るクチートさんの声は、何だか妙に明るかった。
 きっと、僕を励まそうとして無理をさせてしまっているのだろう。
 親切にしてくれている彼女のためにも、一刻も早く娘を捜し出さなくては。

 ○

「ダメだなぁ……手掛かりひとつ捕らえられないや」
 周囲を歩き回りながら定期的に電磁波を撒いて反応を探ってみたが、どこまで探しても娘の気配の名残すら見つけられなかった。
「本当に消えちゃったみたいだ……どこに行っちゃったんだろう?」
「大丈夫ですよ。ほら、『便りのないのは元気な証拠』って言うじゃないですか」
 ……それ、この状況で使うのは間違っているんじゃ?
 とも思ったが、クチートさんに当たっても仕方がない。曖昧に頷く。
「あぁ、でも無事だとしても早く見つけなくちゃ! こんな失態、ライボルトママに知られたらきっとカンカンだよ。どんな雷を落とされるかと思うと、頭が重くて重くて……」
「そりゃあ重いでしょうに……寒いから仕方ありませんものね」
「そうなんだよ……ここのところ冷え込みのせいで、起き抜けの低電圧が激しくてさ。さっき起きてからは特に酷くて、全然力が入らないんだ。電磁波のレーダーも、そのせいか放出した電磁波を僕自身の信号が邪魔しちゃってるとしか思えない反応が出ちゃってるし」
「正常な反応じゃないんですか?」
「これが正常だとしたら、突然テレポートしていなくなったとしか考えられないよ。心配だなぁ……僕がおかしくなるぐらいの寒さだもの。今頃あの仔はどんなに凍えているやら……」
「いえいえ、ラクライちゃんは今、世界一安心できる暖かな場所で幸せそうに熟睡していますから。私の目にはちゃあんと見えていますよ」
「そう信じたいけどねぇ……」
 相変わらず楽観論を重ねて、どうにか僕を元気づけようとするクチートさんの心遣いが、寒空の中暖かい。
 しかし甘えている余裕などないのだ。電磁波でダメなら眼で探そうと、透視能力を持つ眼光で周囲を見渡した。
 と、見慣れた土色の毛皮を壁の向こうに見つけた。
「あ、ルガルガンさんがいる」
「協力を頼みましょうか。あの仔の鼻と脚なら何か分かるかもしれませんし」
「そうだね。迷惑はかけたくないけど……仕方ないか。お~い、ルガルガンさ~ん。ちょっと出てくてくれませんか?」
 壁の向こうで痩身が起きあがり、グッと背伸びをする。ルガルガンさんも雌の仔なので、あんまり覗いていると失礼だし目にも毒だ。透視を切って待っていると、程なくして身だしなみを整え終えたらしい真昼の姿のルガルガンさんが、塀の向こうで立ち上がって上から顔だけを覗かせた。
「はいはい来ましたよ……っと、誰かと思えばレントラーさんじゃないの。ちょっと、今壁を透視しちゃイヤよ。そっちから透視されたらお腹丸出しになっちゃうから」
「しないよそんなこと!? お願いがあって呼んだんだ。聞いてくれる?」
「お願い? ハハ~ン、奥さんがいなくて代わりにクチートお嬢がいるところから察するに、さては浮気の口止めでも……」
「そんなことを言っている場合じゃないのよ、ルガルガンちゃん!!」
 低俗な冗談を僕が否定するよりも早く、クチートさんの声が飛んだ。
「大変なの! レントラーさんのお嬢さんのラクライちゃんが、行方不明になっちゃったのよ!!」
 さっきまで僕に見せていた平然とした様子から一転、クチートさんは緊迫した早口でルガルガンさんに呼びかける。やっぱり、彼女も内心ではラクライのことを相当に心配してくれていたのだろう。
 一方、突然緊急の事態を伝えられたルガルガンさんの側は、咄嗟に対応できなかったらしく眼をパチクリと瞬かせていた。
「はぁ!? いやその、だって……あれ?」
「レントラーさんが寝ている間にどこかに行っちゃったらしくて、いくら探しても見つからないっていう話なのよ! お願い、探すのを手伝ってあげて!!」
 僕を指したり大きく手を振ったりと大仰な動作を交えたクチートさんの悲痛な訴えを聞いて、ルガルガンさんはしばらく眼を白黒とさせていた様子だったが、やがてハッ、と何かに気がついたかの様に鼻面を上げると、
「な、なぁんてことっ!? そいつぁ大変いち大事っ!!」
 泡を食った声を上げて、一旦塀から離れるや、すぐさま近くにあった門扉を飛び越えて姿を現した。
「そういうことならお嬢、この辺の連中みんなにも協力を仰いで回ってあげよっか?」
「是非そうしてちょうだい。特にレントラーさんご一家と仲のいい方々にはよろしくお願いしておいて!!」
「合点っ! そんじゃ、善は急げっと! キャハハハハ…………ッ!!」
 旋風を蹴り立てて、ルガルガンさんの姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「……今なんか最後、笑ってなかった?」
「緊張のあまりテンションが上がっちゃったんですね。でもあの仔のことだから、真剣に探してくれると思いますよ。さぁ、私たちも早く」
 クチートさんに促されて、手分けをするためにルガルガンさんとは逆の方向へ。
 何だか違和感を感じる。いまだ低電圧で頭が重いせいだろうか。

 ○

 町を半周ほど回ったけど、結局娘の消息は分からないまま。
 小さな仔供の足で遠くまで行けるわけもなし、これ以上外向きに捜索を続けても無駄足だろうか。
「レントラーさんの電磁波レーダーが当てにならないとなると、もう一度家の近くからじっくり調べ直した方がいいかもしれませんね。ラクライちゃんが行きそうな場所を重点的に探しましょう」
 クチートさんの提案を受けて、僕たちは来た道を引き返すことになった。
 用水に架かる橋を渡り、家へと続く登り坂に差し掛かったところで、また見知った雌ポケ友達の姿をふたつ見つけた。
 何やら、取っ組み合いになっていて剣呑な様子だったが。
「何をケンカしてるんですか? グラエナさんにサンドパンさん」
 近付いて問いかけると、灰地に黒い縞模様の雌ポケに前脚で組み伏せられている、黄土色の尖った鱗を無数に逆立てた雌ポケが、見た目通りの刺々しい声で訴えた。
「どーもこーも、レントラーさんあんたバギャッ!?」
 けれどサンドパンさんの言葉は、その顔を踏みつけたグラエナさんの脚によって遮られた。
「あ~、ちわっすレントラーさん。ルガルガンから話は聞いてますよ。お嬢ちゃんが迷子なんですってねぇ。いやね、アタシたちも捜索に回ろうとしたんだけど、そしたらコイツが何故か渋りやがったもんで、ちょっと折檻をね……へへ」
 早口でまくし立てるグラエナさん。その肉球の下から、
「モガモガァ~っ!?」
 サンドパンさんの言葉にならない抗議の声が沸き上がった。
 さすがに見かねて、僕はグラエナさんを諫めにかかる。
「いや、娘のことは確かに緊急を要するけどさ、だからって無理強いはよくないよ。いいから放してあげてよグラエナさん」
「はいはい、分かりました。今放しますよっ……と」
 ポンッ!  とグラエナさんの後ろ脚が一閃し、一本の前脚でサンドパンさんの頭を捕らえたまま、首から下だけを宙に跳ね上げた。サンドパンさんのトゲトゲの身体が弧を描き、腹からグラエナさんの縞々の背中に落ちて担がれた格好になる。
「これでよしっと」
「いやあの、それって結局放してないよね?」
「そんならしくもなく細かいこと気にしないでくださいよ。アタシらは今から用水沿いにラクライちゃんを探しにひとっ走り行ってきますんで、レントラーさんたちは上の方をお願いします」
 サンドパンさんを抱えたまま、三本の脚を器用に駆使してグラエナさんは走り出す。
 その背中の上で、サンドパンさんは長く鋭い爪を振りかざし、自分の頭を掴んでるグラエナさんの脚めがけて打ち込んだ。
 ガツン! ガツン!
 鈍い音が遠ざかっていく。
 あれではダメだ。グラエナさんの脚ではなく、サンドパンさん自身の後頭部にしか当たっていない。
 それでもサンドパンさんは、横目で僕の方を睨みながら、繰り返し後頭部を突き続けた。
 何かを訴えているような視線が、グラエナさんと一緒に角を回って、見えなくなった。
「……何だったの? あれ」
「混乱してわけも分からず自分を攻撃していたんじゃないですか? 気にしている暇はありませんわ。早くラクライちゃんを探さないと」
 サンドパンさんの様子が妙に気になったけど、クチートさんに促されるまま坂を登り家へと向かう。

 ○

 帰ってみれば、探していた娘がお迎えしてくれました。
 ……なんてこともなく、結局家にも戻った形跡なし。
 決めていた通りに周辺を詳しく調べようと、再びクチートさんと連れ立って歩き出す。
 と、家の前を通る坂の上側から、猛スピードで駆け下りてくる影がひとつ。
「おぉっとレントラーさんにお嬢。まだラクライちゃんは見つかってない?」
 ルガルガンさんだった。ずっと走り回ってくれていたらしく、土色の肩を激しく上下させている。
「残念ながら状況は変わらず、よ」
「そっかぁ。やっぱまだ居場所が分かってないんだ……」
 クチートさんの応えを聞いて、ルガルガンさんは気の毒そうな眼を僕に向けた。彼女にかけてしまった心配と迷惑を思うと本当に申し訳ない気持ちになる。
「それで、ルガルガンちゃんの方は、何か気付いたことなかったの?」
 紅い目を光らせてクチートさんが問うと、ルガルガンさんは駆けてきた坂を仰ぎながら、少し考える表情を見せて答えた。
「手掛かりってほどじゃないかもだけど……、丘の上の公園ってもう探した?」
「いや、さっき電磁波は向けてみたけど何も感じなかったから、今日はまだ直接には行ってないよ」
「そうなんだ。いや、私もみんなに知らせて回るのを優先してたからさっきは素通りしちゃったんだけど、あそこの&ruby(ラム){梅};の木を見たら、蕾が大分色づいて膨らんできてたのが気になってさ」
「あら、もうそんな季節なの……そうね。もしかしたらラクライちゃん、梅の蕾を見に公園へ行っているかもしれないわね」
「でしょ!それに あの公園は展望台からの見晴らしがいいから、上から見渡せば何か気付くかもね!  私はもうちょっと回ってるから、公園はふたりで調べておいでよ。それじゃっ!!」
 早口でまくし立て終えると、たちまちルガルガンさんはまた一目散に坂を下って行ってしまった。
「行ってみますか? 公園」
「そうだね。他に手掛かりがあるわけでもないし」
 頷き合ったクチートさんと共に、公園へと坂を登っていく。

 ○

「何だかさ、妙に静かじゃない?」
 辿り着いた公園には、娘がいる気配どころか、人っ子ひとり見当たらなかった。
 ルガルガンさんから聞いた話の通り、公園の周囲を囲む梅の木が膨らんだ蕾をほんのりと紅く色づかせており、間近に近付いてくる春の足音を感じさせていたが、ならばそれに惹かれてきた虫ポケモンが飛び回っていても良さそうな雰囲気なのに一匹もいないのだ。
 クチートさんが応えなかったから余計に静寂が身に沁みた。無言のまま、クチートさんは僕の肩を押して、ルガルガンさんに薦められていた展望台へと導いた。
 白く塗装された冷たい鉄の螺旋階段を登り、寒風が吹き荒ぶデッキの上に出る。
 眼下で揺れる梅の蕾たちが無数の紅い星のように舞い乱れる様子は、こんな時でなければしばらく見惚れていたいほどにほどに美しかった。その向こうには、今日歩き回った街並みが整然と広がっている。
 確かにここからなら、街の様子もよく分かるけど……でも娘の居場所が分かるような物なんて、何も見つけられそうになかった。近くには有料の望遠鏡も設置されていたけれど、もちろん僕たちに使えるはずもない。
「残念だけど、手掛かりはなさそうだね。さぁ、次はどこを探そうか?」
 肉球が凍えそうな脚を返して、僕は階段を降りようとする。
 と、隣のクチートさんが小さく囁いた。
「少し、休みませんか?」
「え? でも……」
「ずっと歩き詰めですし、そろそろお疲れでしょう。それに、足を止めてゆっくり考えてみたら、何かヒントが見つかるかもしれませんよ。ほら、『探すのをやめた時、見つかることもよくある話』って歌もあるじゃないですか」
「そうか……そうだね。何だかまだ電圧も上がらないままだしね……」
「丁度ここの階段の下なら風も凌げそうです。しばらく座らせて貰いましょう」
 階段を下りて影へと回り込み、デッキ下の室内に身を横たえる。
「では、失礼して」
 懐に座ったクチートさんが僕に身を寄せる。触れ合った温もりが、風に晒されていた身体を優しく暖める。
 ふぅ……とひと心地つきつつ、僕は重い頭をどうにか立て直して思考を巡らせた。
「さて、ゆっくり考えてみるとしても、こうも何も分からないんじゃ一体どうしたらいいのかなぁ……」
「こういう時は、原点に立ち帰って考え直すのがいいと思いますよ」
「原点ねぇ……昼寝から目を覚ましてからのことかな? それとも、眠る前に何をしていたか……」
「いえ、それよりもっと前まで 遡って、考えてみるのがいいかも知れません」
「もっと? 眠る前より前って、どこまで遡れば……?」
「そうですね。例えば……」
 考え込むように口元に手を当てながら、ゆっくり淡々とした口調でクチートさんは言った。

「例えば、ラクライちゃんを作ったところまで、遡って思い出してみては、と」

「…………はい?」
 一瞬、何を言われたのかまるで判らず、
 じっくりと言われたことを吟味して見ても、やっぱり何を言われているのかまるで解らなかった。
「いや、あの、それちょっぴり遡り過ぎているような気がそこはかとなくするんだけれど?」
 ちょっぴりどころではない気が実にそこはかとしていたが、雌の仔相手にあまり厳しい言葉をぶつけるわけにも行かない。
「問題ありません。振り返るなら極端なぐらい徹底的に記憶を掘り返さないと、いつまで経っても手掛かりが見つけられませんよ?」
 至って神妙な顔つきで、クチートさんは僕に迫る。
「さぁ、眼を閉じて思い出してみてください。レントラーさんは奥さんと、どういう風にどんなことをしてラクライちゃんをお作りになられたんですか?」
「ど、どんなことって、そんなの……」
 紅い眼光で威嚇するように凄まれて、僕は言われるがままにするしかなかった。

 今いるこの場所のように、狭く薄暗い育て屋の一室。
 梅の蕾から漂ってくる微かな香りは、あの日焚かれていた香の匂いにも似て。
 目の前には、蒼くしなやかな姿態に黄金のタテガミを飾る美しいポケモンが、流麗な背筋のラインをこちらに向けて寝そべっていた。
 切なく潤んだ視線に誘われて、僕は彼女の背中をまたぐ。
 抱いた胸元に直に感じた彼女の温もり。心音が熱いビートを奏で、猛る衝動が僕の腰を彼女へと下ろさせた。
 ツンと立った尻尾を押しのけ、下肢を覆うタテガミと同じ色の長毛を掻き分けて、強烈にボルテージの高まった僕の電極が、遂に彼女の電極を探り当てる。
 触れ合った刹那、脳裏に甘く弾けるスパーク。
 黄金の毛並みに溺れるように顔を埋めたまま、僕は彼女と共にひとつの稲妻となって、

「……うぁっ!?」
 
 股間を這いずる異様な感触に、僕は甘い追憶から呼び戻される。
 見れば、妻との記憶に煽られて露わになってしまった僕の電極が、クチートさんの後頭部から伸びた大顎の先端に咥えられていた。
「ちょっ!? い、一体何をしてるのクチートさんっ!?」
「お手伝いですよ。感触も含めて思い出せば、何かしら掴めるかと思いまして」
「何を言っているのか解らないよ!? やめて、放してってば!?」
 困惑した喉笛から、上擦った悲鳴が迸る。身を捩って逃れようとしても、階段下の狭い一角に押し込められていては身動きもとれず、電極を咥え込んだ大顎を振り払うことも叶わない。
 脚で蹴って強引に逃れる手段は、無理だと分かり切っていた。電極を咬み千切られる恐れもあったが、それ以前に僕の特性が異性相手に脚を上げることを許さないのだ、その上クチートさんの眼光に威竦まされたこともあり、僕の四肢に抵抗する力はどこにも残っていなかった。
「嫌だ、ダメだよ、こんなの絶対おかしいよ!? あ、ぅああぁっ!?」
 鋭敏な電極が大顎の歯茎で揉みしだかれ、ますます剥き出しにされて張り詰める。足掻くしかできない僕の脇腹に、クチートさん本来の唇が寄せられて、湿った愛撫が神経を掻き乱す。身体中を暴走する電流が、彼女に向かわないよう制御するのに必死だった。
「うふふ、思っていたよりもずっとご立派な雄っぷりですこと」
 脇を辱めていた唇が離れて、艶めいた声が囁く。
「こんな素敵なモノ、奥さんだけ独り占めなんて狡いんですよ。たまには私にもお裾分けくださったっていいじゃないですか。ねぇ?」
 小さな手が、自らの裾を掻き分ける。
 はだけ出された潤う秘所は妖しい芳香を放ち、誘われた獲物をその内に捕らえんとする罠であるかのようだった。
 鉄色の足先が擦り歩き、大顎に捕らえられた電極へと向かう。
 恐るべき罠に、僕の肉体が呑まれようとしている。
 逃れる術は、ない。

 追い詰められた戦慄に堪え切れず、
 雄としてもっとも恥ずべき滴が、僕からこぼれて地面を濡らした。

「……!?」
「う……うぐっ……」
 それは先走りの陰水でも、涎でも冷や汗でもない。
 瞼から溢れた惨めな水に視界をぼやけさせながら、僕は嗚咽にまみれた声で哀願した。
「やめてよぉ……こんなことされたら、僕はラクライちゃんを見つけ出しても、パパなんて名乗れなくなっちゃうよぉ……お願いだからもうやめてぇ……うぅぅ…………」
「…………」
 電極の間近で、罠がピタリと歩みを止める。
 荒れた呼吸音が響く中、不意にその息吹が大きく吐き出され、同時に大顎が咥えていた電極を解放した。
「あぁ~、はいはい分かりました。まったく、泣くほど嫌がるなんて、まるっきり私がレイプしてるみたいじゃないですか」
「……みたい?」
 熱を訴える電極を舌で慰めながら、僕は彼女に抗議の視線を向ける。悪戯っぽく舌を出した山吹色の唇から、苦笑混じりの応えが返ってきた。
「まぁ、そうだったんですけど。結局レントラーさんは、ご家族が一番大切なんですね」
「当たり前でしょそんなこと……」
 ようやく緊張が抜けた肩を、ホッと下ろす。
 抵抗できない相手なら、泣き落とすに限るのである。ゾロアークである父からの教えだった。
「すみませんでした。もうからかうのはやめにします。ご安心を。ラクライちゃんはとっくに見つけていますから」
「え……えっ!?」
 余りにもさらっと告げられた言葉に、脱力していた肩を大慌てで奮い立たせて僕は立ち上がる。
「ほんと!? どこっ!? 無事なんですかっ!?」
 噛みついてしまいそうな勢いで問いかけると、クチートさんは今日最初にあった時のように、こめかみに指を当てながら困ったような顔を見せた。
「もう、どうしてまだ気付かないんですか? どこも何も、ラクライちゃんはずっと、」

「ふあ~~ぁ、よっく寝たぁ」

 天から降って湧いたように響いた鈴のような声が、クチートさんの指摘を遮った。
「ら、ラクライちゃんっ!?」
「あ、パパ。クチートお姉ちゃんも。おはよー」
 紛れもなくそれは、ずっと探していた愛娘の声で、
「ど、どうなってんのっ!? 一体どこからラクライちゃんの声が……」
 しかしどこを見渡しても、壁の向こうを透視しても、やはりその姿は見つけられない。
「やれやれ、世話の焼けるお父さんですねぇ。ちょっとじっとしていてください」
 隣でクチートさんの呆れ果てた声が上がり、その両腕が僕の首に抱きついた。
「ちょ、クチートさん、またこんなことをして……っ!?」
「……ですからつまり、今日あなたと最初に会った時からずっと、」
 混乱の極みに達した頭のすぐ横で淡々と声が響き、後ろで彼女の手がもぞもぞと動いて、
 バサリ、と漆黒のタテガミが大きく跳ね上がる。
 瞬間。
 ずっと重苦しかった頭が、すっと軽くなった。
「ラクライちゃんは、ここにいたんですよ」
「へ!?」
 一歩退いた、クチートさんの手の中で、
「きゃは♪」
 黄緑色の可愛い毛並みが、天使の微笑みを弾けさせていた。

 ○

「ああぁっ!? ラクライちゃんいたぁぁっ!? これまでどこにいたんだよ!?」
「いい加減そろそろ理解してください。ラクライちゃんがいたのはあなたの頭の後ろです。タテガミに潜り込んで、ずっと眠っていたんですよ」
「えぇぇぇぇぇぇ~っ!?」
 明かされた衝撃の事実に、脳内で電光が転げ回る。
「それじゃあ、さっきまで頭が重かったのは、低電圧のせいなんかじゃなくて……」
「物理的に重かっただけでしょ? この娘がしがみついていたんですから。気付かなかったのは低電圧ボケのせいでしょうけど」
「で、でも、どうしてこんなところに隠れていたんだろう……!?」
 混乱の中でこぼれた疑問に答えたのは、ラクライちゃんの小さな顎だった。
「だって、寒かったんだもん」
「ですよね~。寒いから仕方ありませんものねぇ」
「あ……っ!?」
 ようやく、事態が飲み込めてきた。
 僕が昼寝をしている間に気温が下がってきて、身体に寄り添っているだけじゃ耐えられなくなったラクライちゃんは、僕のタテガミを電気毛布代わりにして暖を取り、そのまま眠ってしまっていたのだ。
「あれ、だけど、いくらタテガミに埋もれていたって、外から見れば分かりそうなものなんじゃ……!?」
「ですから、気付いていなかったのは最初から貴方おひとりだけです! 私も 幾度となくヒントを出していたんですよ? 『あなたの後ろにいらっしゃる』とか、『電磁波のレーダーは正常な反応』とか、『世界一安心できる暖かな場所で幸せそうに熟睡しています』とか。そもそも最初に挨拶した時、『いつもお変わりなく』と言ったのだって、おんぶされてるラクライちゃんを差してのことだったんですけど?」
「あぅ……」
 言われて思い返せば、確かにクチートさんは『私の目にはちゃんと見えている』とも言っていた。『目に浮かぶ』とか、『想い描ける』とかでなしに。そりゃあそうだ。見たまんまの光景を語っていたのだから。
 電磁波をどこに向けたって何の反応もなかった理由も解った。僕と同じ座標にいたのだから、僕の信号と干渉していたのは至って正常な反応。まさしく『便りのないのは元気な証拠』だったわけだ。
「つまり、ルガルガンさんが気付かなかったのも……!?」
「もちろんフリです。私が咄嗟に手振りで指示して、口裏を合わせるようお願いしたんです。ついでに周囲への口止めとか、この逢い引き場所を手配したりひと払いとかもしてくれましたけど」
「ひと払いって、じゃあやたら静かだったのも、ルガルガンさんの仕込みだったのか……!?」
 そう言えば、最初ルガルガンさんはライボルトママがいないことは指摘しても、娘がいないことについては語っていなかった。いなくなんかなかったのだから当然だ。彼女の目に映っていたのは、娘を背負った僕がクチートさんと連れ立って歩く姿だったのだ。
「サンドパンさんだけは口止めに従ってくれなかったみたいで、一所懸命ラクライちゃんが『ここ』にいるよって指差してましたけどね」
 コンコン、とクチートさんの手が彼女の大顎を叩く。
 サンドパンさんは混乱していたわけでも、自分を抱えていたグラエナさんの前足を攻撃していたわけでもなかった。正義感の強い彼女は、僕が騙されていると教えられて、真実を明かそうとしてくれていたのだ。
「酷いなぁ、もう。心配している僕をみんなして担ぐなんて。しかも目的が浮気の誘いとか、まったく勘弁してよ……」
「本当にごめんなさい。ラクライちゃんが起きるまでの間だけでも、レントラーさんを私だけのものにしていたかったんです」
 どっと脱力してふてくされた声をあげた僕に、頭を下げたクチートさんがしおらしい声で囁く。
「今日一日あちこちご一緒できて、デートしているみたいで楽しかったですよ」
「こっちはそれどころじゃなかったけどね」
「まぁまぁ、埋め合わせに今度またふたりっきりで遊びましょう。たっぷりサービスしますよ」
「それ結局浮気の誘いだよね!? 全然反省してないでしょ!? ママに雷を落とされるより前に、ここまでの話にしておこうよ!?」
「ダメ、ですか……?」
 潤いを含んだ上目遣いの眼差しが、否応なしに僕の闘争心を沈黙させる。
「どうしたの? 応えは?」
「いやその、どうしようかな、って……」
「さっさと言ってあげればいいじゃないの。『僕はママ一筋だから、君のような小娘には興味はないんだ』って、そこの泥棒猫に」
「まぁそう言うべきところなんだけど、仮にも好意を向けてくれているお隣さんを、あんまりキツい言葉で突き放すというのもどうなのかなって……

 ――って、

 うわああああああああああっ!?」
 振り返ると、いつの間にそこにいたのか、展望台の門の前に蒼白い痩躯が立っていた。
 黄金のタテガミが天を突いて屹立し、怒りの電流を迸らせている。
 言うまでもなく僕の奥さん、ライボルトママである。
「マ、ママ、どうしてここに……!?」 
「話は全部、彼女から聞かせて貰ったわ」
 ママが指し示した方を見ると、黄土色のトゲトゲが、土色の獣と灰色の獣を両脇に抱えていた。
「すみませんお嬢、突破されちゃいました!!」
「イテテテ……」
 呻くルガルガンさんとグラエナさんを、ガッチリと締め上げるサンドパンさん。どうやら彼女がママに通報したらしい。何でもっと早く。せめてもう少し遅く。これじゃ逃げ場も隠れようもないじゃないか。
 救いを求めるように、っていうか責任を取って貰おうとクチートさんの方を振り返る。
 が、そこにはラクライちゃんと、穴を掘り返した土跡が残されているだけだった。
「そ、そりゃないよぉ……」
「みっともない声を上げてないで、ちょっとそこに直りなさいあなたっ!!」
「はひぃっ!?」
 メガシンカせざるとも凄まじい威嚇に、ひとたまりもなく僕はひっくり返った声を上げ、ついでに身体もひっくり返した。まともに向き直る根性なんか元々持ち合わせちゃいない。剥き出しになったお腹を、ママの柔らかい肉球がプニッと踏みつける。
「居眠りしている間に、娘を見失ったんですって?」
 あからさまな作り笑いが、ビリビリと僕を突き刺す。
「いや、あの、こうして無事見つけ出せたわけで……」
「そうね。何事もなくって良かったわ。ところで、当然自力で見つけ出せたんでしょうね?」
「……ぁぅぁぅ」
 すみません。教えられるまで気付けませんでした。
 などと供述する度胸などあればこそ。力なく顎を開閉させるのが精一杯だった。
「まったくあなたときたら! そんなことだから若い娘たちに付け入られて、いいように弄ばれるのよ!!」
「で、でも僕、誘惑はちゃんと断ったよ! ママを裏切る様なことはされてないもん!!」
「まぁね。一線を越えなかった分、三行半は勘弁してあげるけどね。そもそも雌の仔と見れば泣き落としでしか抵抗できないその性質がすべての元凶なんじゃないの! 今日という今日こそはしっかりお灸を据えさせて貰うわよ。ラクライちゃん、ちょっとおいで」
「は~い♪」
 黄緑色の小さな身体が、ママの蒼い背中に飛び乗る。
 ママから迸る&ruby(マイナス){負};の電圧が、ラクライちゃんの電圧と交わって膨れ上がった。
「ひぃぃ……」
「これでも食らって根性入れ直せ、このヘタレ闘争心持ちが!!」
「ぎゃああああ! ご、ごめんなさいいいいいっ!!」
 竦み上がった僕の身体に、ママが起こした雷が落ちた。

 ○チャンチャン♪○

 [[古狸>狸吉]]の[[ポケモン小説Wiki 10周年管理人さん感謝祭]]参加作品
『カラタチ島の恋のうた・豊穣編』落雷が起きる前に・~Fin~

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**ノベルチェッカー結果 [#tVgcL8d]
***大会時 [#r70770I]
【原稿用紙(20×20行)】	31.7(枚)
【総文字数】	9847(字)
【行数】	270(行)
【台詞:地の文】	44:55(%)|4363:5484(字)
【漢字:かな:カナ:他】	31:59:6:2(%)|3128:5820:633:266(字)

***大会後 [#9p5OVTx]
***大会後 [#OhxKjt2]
【原稿用紙(20×20行)】	41.4(枚)
【総文字数】	12894(字)
【行数】	350(行)
【台詞:地の文】	47:52(%)|6133:6761(字)
【漢字:かな:カナ:他】	30:59:6:3(%)|3989:7655:848:402(字)

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**あとがき [#Hotaq1L]
**あとがき [#UCCedwt]

 大会時、ラクライちゃんが見つかったところで説明もなくプッツリ終わって、戸惑われた方も多かったことでしょう。
 実は描いている途中で、文字数制限突破不可避が発覚。下手に伏線を削ったりするよりはと、本来のオチをばっさりカットしての投稿だったのでした。改めて公開した結末、お楽しみいただけたでしょうか。10年描き続けてもうっかりの直らない狸吉ですw
 指定されたポケモンたちを見て、まず思いついたのが『レントラーのタテガミに何か隠してみよう』ということ。一人称話で視界の外に仕掛けを隠すのは、僕の毎度のパターンですw
 騙し役は欺きポケモンのクチート。その他は候補の中から、陸上タマゴグループのポケモンのみ集めて絡ませました。
 主人公のレントラーパパは、[[寸劇の奈落]]のニド夫妻、[[血脈の赤い糸]]のオノノクスに続く闘争心キャラ。過去2作品はいずれもヤンデレ系でしたが、今回はヘタレ一辺倒になっております。ちなみに泣き落としたのは〝嘘泣き〟の技で、コリンク系はゾロアークなどから遺伝可能なタマゴ技ですw
 舞台の町は、実は自宅周辺の地形を元にしています。『展望台のある公園』のモデルはちょっと離れたところにある森林公園ですが。
 タイトルは、ラクライちゃんが起きる前と、ママに雷を落とされる前とのダブルニーニングでした。

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**投票時に頂いたコメントへのレス [#aIDxe1C]
**投票時に頂いたコメントへのレス [#cEOGNrM]

>>2017/03/06(月) 23:39さん
>>みなさん素敵な作品ありがとう
 こちらこそ、貴重な1票とコメントを本当にありがとうございました!

>>2017/03/09(木) 00:13さん
>>最後の最後まで自分の肩にラクライが乗っていることに気付かない、レントラーに和んだ。
 イメージとしては、眼鏡を額にかけっ放しだと気付かずになくしたと勘違いして足下を探しているド近眼、の感じで描いています。僕自身よくものをなくす癖があるので、非常に描いていて親近感の湧いた主人公でもありましたw お楽しみいただきありがとうございます!

 wiki10周年おめでとうございます。僕も最初の変態選手権から参加して以来10年間、毎回楽しくお騒がせさせて貰ってきました。これからも盛り上げていきますのでよろしくお願いします!!

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**コメント帳 [#c1npooF]
**コメント帳 [#lFL7yLT]

・狸吉「レントラーパパがラクライちゃんを『抱いて寝ていた』というのはもちろん性的な意味で」
・レントラー「変なデマを流すのはやめてくれ! これ以上ママを怒らせたら、雷ぐらいじゃ済まないから!!」

#pcomment(ラクライちゃんへのコメント帳);
**あとがき [#Hotaq1L]

 大会時、ラクライちゃんが見つかったところで説明もなくプッツリ終わって、戸惑われた方も多かったことでしょう。
 実は描いている途中で、文字数制限突破不可避が発覚。下手に伏線を削ったりするよりはと、本来のオチをばっさりカットしての投稿だったのでした。改めて公開した結末、お楽しみいただけたでしょうか。10年描き続けてもうっかりの直らない狸吉ですw
 指定されたポケモンたちを見て、まず思いついたのが『レントラーのタテガミに何か隠してみよう』ということ。一人称話で視界の外に仕掛けを隠すのは、僕の毎度のパターンですw
 騙し役は欺きポケモンのクチート。その他は候補の中から、陸上タマゴグループのポケモンのみ集めて絡ませました。
 主人公のレントラーパパは、[[寸劇の奈落]]のニド夫妻、[[血脈の赤い糸]]のオノノクスに続く闘争心キャラ。過去2作品はいずれもヤンデレ系でしたが、今回はヘタレ一辺倒になっております。ちなみに泣き落としたのは〝嘘泣き〟の技で、コリンク系はゾロアークなどから遺伝可能なタマゴ技ですw
 舞台の町は、実は自宅周辺の地形を元にしています。『展望台のある公園』のモデルはちょっと離れたところにある森林公園ですが。
 タイトルは、ラクライちゃんが起きる前と、ママに雷を落とされる前とのダブルニーニングでした。

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**投票時に頂いたコメントへのレス [#aIDxe1C]

>>2017/03/06(月) 23:39さん
>>みなさん素敵な作品ありがとう
 こちらこそ、貴重な1票とコメントを本当にありがとうございました!

>>2017/03/09(木) 00:13さん
>>最後の最後まで自分の肩にラクライが乗っていることに気付かない、レントラーに和んだ。
 イメージとしては、眼鏡を額にかけっ放しだと気付かずになくしたと勘違いして足下を探しているド近眼、の感じで描いています。僕自身よくものをなくす癖があるので、非常に描いていて親近感の湧いた主人公でもありましたw お楽しみいただきありがとうございます!

 wiki10周年おめでとうございます。僕も最初の変態選手権から参加して以来10年間、毎回楽しくお騒がせさせて貰ってきました。これからも盛り上げていきますのでよろしくお願いします!!

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**コメント帳 [#c1npooF]

・狸吉「レントラーパパがラクライちゃんを『抱いて寝ていた』というのはもちろん性的な意味で」
・レントラー「変なデマを流すのはやめてくれ! これ以上ママを怒らせたら、雷ぐらいじゃ済まないから!!」

#pcomment(ラクライちゃんへのコメント帳);

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