*能鷹 [#jnlse27] writer――――[[カゲフミ]] 地上を駆け回るビッパやコリンクが見上げただけでは到底先っぽが見えそうにない、高い木々が連なる森の中。豊かな自然は多くのポケモン達の住処となっていました。 ドンカラスを親分として群れを成す、このヤミカラスの集団もその一つです。森の一角をねぐらとして、そこを中心に大きな縄張りを持っていました。 辺りに怪しい奴がいないか見張るのは群れの中でも下っ端に近いヤミカラスの役目。今、相方と一緒に侵入者を追いかけ回しているユーグも、その中の一匹でした。 二匹のヤミカラスが追いかけているのは、この森の周辺でもよく見かけるムックルの最終進化系である、ムクホークというポケモンです。 一般的にムックルのときは群れを成していて臆病なポケモンですが、ムクバード、ムクホークと進化を経るにつれて気性が荒くなり凶暴になると言われています。 このムクホークは度々縄張りの中へ侵入してきている常習犯のような相手。ユーグも役割を全うすべく、相棒のクレイと一緒にムクホークの背中を追いかけているところでした。 翼を羽ばたかせる速度を上げ、一気にムクホークとの距離を縮めたユーグの蹴り。見事命中、とまでは行かず背中を少し掠めたくらいです。 ムクホークの羽毛が僅かに散って、何かに触れた感覚は彼の足の先に残っていました。ユーグに続いてクレイも負けじと翼の一撃をお見舞いします。 が、ムクホークの尾羽に当たりそうで当たらずに、ぎりぎりのところをすり抜けていってしまいました。なかなかちゃんとした攻撃になるような決定打が出せません。 もともとムクホークには素早さで敵わないのです。二対一という数で有利を取ったうえで、うまく隙を付ければ辛うじてといったところでした。 「んもう、せっかく手入れした羽が乱れちゃったじゃない!」 憤慨するムクホーク。ですが、口調は本気で怒っている風ではなく、何となくではありますがこの一連のやり取りをうんざりしているようにも取れます。 「またあんたか。ここは俺らの縄張りだ、勝手に入ってくるんじゃねえ!」 「そうだそうだ。出ていけ!」 「ちょっと端の方を通るくらいいいじゃないの。こっちの方が湖まで近いし」 ユーグとクレイは口々にムクホークに言葉を浴びせますが、全く悪びれる様子はありません。宙をぐるりと旋回してから彼らの方を振り返る余裕まで見せています。 「ハリスの奴、全然凝りてねえな」 「次はどうするよ、ユーグ?」 どうやらこのムクホークはハリスという名前のようです。名前を憶えてしまうくらいには見知ってしまった相手。反省する気がなさそうなことは彼らにも分かります。 ここの森の近くには大きな湖があって、そこは豊富に木の実のなる木々などがあり多くのポケモンの餌場や休息の地となっている場所でした。 このハリスも度々そこを利用しているらしく、湖へと向かうために縄張りを横切ろうと侵入してくるのでした。 縄張りを避けてぐるりと大回りするよりも、直線で突っ切ったほうが早いからという近道目的です。おそらく今回もそうなのでしょう。 だからといってここは親分や自分たちの大切な縄張り。こんな堂々とした侵入者をみすみす見逃すわけにはいきません。 次の手を考えているユーグ達をよそに、大胆にもふわりと近づいてくるハリス。ムクホークの大きさはヤミカラスの倍以上あります。唐突に距離を縮められるとユーグもクレイも一瞬怯んでしまいました。 「ねーえ、ユーグにクレイ。可憐な乙女の頼みなのよ。広い心で聞いてくれても、ね?」 わざとらしく片目を閉じてウインクしてみせるハリス。こんな手段に出てくるとは予想外。ユーグはともかく、クレイは若干どぎまぎしてしまったように見えます。 そんな純粋すぎる相棒を翼で小突くユーグ。見え透いた手に引っかかるんじゃねえ、と。鳥ポケモンの場合は翼ですからこの場合は見え透いた羽根、になるのでしょうか。 ただ、残念ながらか弱い乙女を振舞うにはハリスのムクホークという種族は些かミスマッチだったようでした。少なくともユーグにとっては。 「お前みたいな逞しすぎる可憐な乙女がいるかっ、帰れ帰れ!」 大声で捲し立てながら翼で追い払うような仕草を取るユーグ。彼の大声で我に返ったクレイもそれに続いて声を張り上げます。 「もー、分かったわよ。じゃあね、二匹とも」 取り付く島もなさそうだと分かったのか、くるりと向きを変えて縄張りの外へと向かっていくハリス。どうやら侵入者を退かせることに成功したようです。 とはいえ、小さくなっていく彼女の背中からは逃げ惑っているような緊迫感は感じられず、まだまだゆったりと飛行する余力がありそうな雰囲気が窺えました。 「あの調子だとまた来るなありゃ」 「だよな、やっぱり俺達がちゃんと見張っていないと」 任務をやり遂げました感を出している隣のクレイに、ユーグは思わずため息を零してしまいます。 「よく言うぜ。あんな手に引っかかりそうになりやがってよう」 ハリスの色目に戸惑ってしまったのをもう忘れてしまったとは言わせません。この調子の良さが彼の長所でもあり短所でもあるのですが。 見張っていたのがクレイ一匹だけだったらハリスを通してしまっていたんじゃないかという不安がユーグの中に芽生えます。 「いやあ悪かったって。でもよ、よーく見てみりゃあいつも結構いいと思うんだけどなあ」 「やめとけ」 この時のユーグは真顔でした。彼の迫力に少しびびったのか、途端に取り繕うような笑顔で笑いながらクレイは弁明を始めます。 「冗談だよ冗談。さすがにそんなことやってたら親分に追い出されちまう」 お調子者のクレイが言うと何だか冗談に聞こえないときがあるのです。だからこそ親分はユーグとクレイの二匹でこの場所を見張るように指示をしているのかもしれません。 実際のところ、侵入してきたのがムックルやムクバードならともかく、ムクホークともなると。ヤミカラス一匹だけで何とかするのは荷が重い部分があります。 この場所はユーグとクレイ二匹がかりで対処をしていますが、ハリスに隙を突かれて何度かは侵入を許してしまったこともあるのです。 他のポケモンが縄張りに入り込んでしまった場合、住処が荒らされたり仲間が攻撃されたりする可能性を警戒しなければなりません。 しかし、今のところ他のヤミカラスや親分のドンカラスからもハリスからそういった被害を受けたという報告は聞いたことがないのです。 少なくない頻度で縄張りに接触してくる彼女の存在は、仲間内でもそこそこ有名だったりします。ヤミカラスの群れを横切るムクホークの姿はひときわ目立つこともその理由。 それでも今の今まで、狼藉を働いたという話が出てこないということは、どうやら近道目的だけで侵入を繰り返してきているようなのです。 とはいえ仲間ではないうえに、力を持っている別の種族。警戒を解くわけにはいきません。ただ、ハリスの目的が本当に近道だけなのか親分も図りかねているようでした。 やってくる大抵の侵入者は群れが貯めている食料を奪いにきたり、自らの縄張りを広げようと攻撃してきたりがほとんどなのですが。 それらに当てはまらない近道をしたいだけの侵入者は他に類を見ません。とにかく変なやつ、というのがユーグの中でのハリスに対する評価です。 「ふあーあ。暗くなってきたし、そろそろじゃね?」 「ん、そうだな」 本来は夜行性のヤミカラスですが、ムックルの種族のように日中に活動するポケモンも多くいるため交代で休憩しながら見張りを行っているのです。 ハリスを撃退した後なんやかんやと話しているうちに、太陽は森の西の方へと傾き始めていました。橙色の夕焼けを背景に森の景色が良く映えていました。 そして、森の中心部からこちらにぱたぱたと向かってくる二つの影。夜の見張り番の時間になったようです。 ユーグもクレイも足取り、もとい羽取りを軽くしながら森の中心部に向かっていくのでした。 ◇ 夜明け前。あと少しで山の向こう側から太陽が顔を出してくるであろう時間帯。ユーグはクレイがねぐらにしている木のところまでやってきました。 案の定気持ちよさそうに寝息を立てている彼の姿が。これではおちおち寝坊も出来たものではありません。足の爪の先でクレイの背中を軽く蹴飛ばして叩き起こします。 「ふえっ」 「いつまで寝てやがるんだ、行くぞ」 「お、おう……どこへ?」 寝ぼけているのか、本当に忘れているのか。クレイの場合ならどちらもあり得るから質が悪いのです。ため息を交えながらユーグは答えました。 「親分から大事な話があるから、明け方集まれって言われてただろ」 「あー、ああ、そうだったな!」 これは完全に忘れていた顔でした。もちろん記憶にあって、さも今思い出しました感を出すのが上手ですが付き合いの長いユーグの目は誤魔化せません。 昨日、見張りの交代のヤミカラスから伝言があったのです。親分が皆を集めるくらいなのだからかなり重要な事なのでしょう。 あれから半日も経っていないのにそのことが頭から抜け落ちているクレイに、小言の一つや二つもぶつけたくはなってきますが。 「ぼけっとしてると置いてくぞ」 「ま、待ってくれよ」 こんなところで時間を食っていると自分の方まで遅刻してしまいかねません。クレイのせいで共倒れになるのは御免なので、ユーグはさっさと集合場所へと向かいます。 頭をぶんぶんと左右に振って、無理やり眠気を飛ばすとクレイも慌ててユーグの後を追いかけたのでした。 ユーグたちが群れをなしている森の中心部分にある、やや頭の飛び出した背の高い大きな木。そこが親分のドンカラスが住処としている場所でした。 その木をぐるりと取り囲むように、無数のヤミカラスたちが集まっています。中にはユーグとクレイの姿も見えました。どうやらちゃんと間に合ったようです。 大きな群れなのでユーグも全てのヤミカラスを知っているわけではありません。顔見知りではあるけれど、名前までは知らない。それくらいの間柄のヤミカラスがちょうど隣にいたのでユーグは話しかけました。 「何なんだろうな、親分の話って?」 「さあなあ。でも、こんだけ全員集めるってことは重大発表なんじゃねえか?」 ちょっとした親分からの伝言ならば仲間内を通じて、まだ知らない相手に次々と伝えていくという方法をとることがほとんどでした。 まだ、親分のドンカラスの姿は見えません。集まったヤミカラスたちがそれぞれにああだこうだの雑談を交わしているので明け方だというのにとても賑やかです。 群れの外だったとすれば、眠っていた他のポケモンが何事かと飛び起きてしまうくらいには喧騒としていました。ユーグも隣のヤミカラスも気持ち大きめの声で会話を交わしています。 親分直々に伝えなければならないようなことは何なんだろう、というヤミカラスたちの興味や不安がこの喧噪をより引き立てている要因でもありました。 「皆、良く集まってくれた!」 突如響き渡った、威厳に溢れた野太い声。群れの中に居る者ならば一度聞いたら忘れられないであろう、親分のドンカラスの声でした。 住処からさっと飛び出してふわりと木の天辺に留まります。あれだけがやがやとしていたヤミカラスたちが、しんと水を打ったように静まり返りました。 この親分がどれくらい皆から信頼されているかは火を見るよりも明らかなようです。顔を合わせることは少なくかれど、もちろんユーグも親分を頼りにしていました。 「今朝集まってもらったのは、皆へ注意を促すためだ。我々の縄張りに何度も侵入しているムクホーク、ハリスのことは皆も知っているであろう!」 ユーグやクレイにとっても馴染みのある名前が親分の口から出てきました。彼女と顔を合わせたことがないヤミカラスも群れの中には居ましたが、仲間づてにその存在は認知されています。 もはやこの集団でハリスのことを知らない者はいないくらいに彼女の名前は知れ渡っていたのです。親分の問いかけにユーグも心の中で深く頷きます。 中にはもちろん知ってるぞ、と口々に大きな声で返事をしているヤミカラスもいました。そんなヤミカラスたちの様子に親分は聞くまでもなかったか、といった表情をします。 「どうやらここ最近、奴とは別のムクホークが近くに現れたらしい。そやつはハリスとは比べ物にならないくらい乱暴者で、元居た主を無理やり追い出して縄張りを広げているようなのだ!」 新しく出てきた別のムクホークの存在。再びざわつきだすヤミカラスたち。親分が登場する前の何気ない雑談が混じった呑気な喧噪とは空気が違っていました。 不安そうにお互いの顔を見合わせる者。真剣な面持ちで親分の次の言葉を待つ者。あえてぎこちない笑いで強がってみせる者。その反応は様々でした。 ユーグがまともに会話したことのあるムクホークはハリスくらいなもので、危険なムクホークと言われてもいまいち想像がつかない部分がありました。 しょっちゅう縄張りに侵入してくるハリスは、自分たちの度重なる警告を無視し続ける聞く耳持たない相手ではあります。 ただ、仲間が攻撃を受けたり住処が荒らされたりしているわけではないので、凶暴とはまた違う方向性の厄介さのような気がしました。 「風の噂で聞いた話であるが、注意しておくに越したことはない。万が一そいつを見かけたら深追いせず私に知らせてほしい」 親分のドンカラスも、もちろんユーグやクレイも縄張りの中だけで暮らしているわけではありません。時には外に出て行って別のポケモンと会話することもあります。 今回のムクホークの話は親分が外に暮らすポケモンから手に入れてきた情報なのでしょう。あくまで噂の中のムクホークですが、火のない所に煙は立たぬもの。 ただの噂で済めばそれに越したことはありません。ですが、そうした話が出てきている以上どこかで危ないムクホークが居ると知らせておくのが親分としての務めです。 「今朝は朝早くからご苦労だった、私からは以上だ!」 皆に労いの言葉を告げると、親分はそのまま自分の住処へと戻っていきます。しばらくは枝に留まったままだった群れのヤミカラスたちもやがてあちこちへ散っていきました。 見張りを任されている者はそれぞれの持ち場へ。そうでない者は自分の住処や食料を探しに縄張りの外へ。ユーグは最後の方まで集まった場所に残っていました。 「どんな奴なんだろうな」 「ふあぁ……え?」 気が付くと隣で眠そうに欠伸を交えていたクレイ。とりあえず親分が話している間だけでも居眠りしなかったのは彼の忠誠心からくるものでしょうか。 もし隣でうたたねでも始めようものならば背中を突っついてでも起こしてやろうとユーグは意気込んでいましたが。ひょっとすると、その気迫がクレイにも伝わっていたのかもしれません。 「親分が言ってたムクホークだよ」 「さあな。まあ、噂には尾ひれがつくもんだろ。ムクホークだし、ひれじゃなくて鶏冠がもりもりになってるかもな」 けらけらとクレイは笑って見せます。危機感のき、の文字も無さそうな彼の態度。無神経なのか肝が据わっているのか、あるいはその両方か。 もし親分が聞いていたら怒られるより先に呆れられていたでしょう。もちろん、物事を悲観的に捉えすぎないのはクレイの長所でもあるのですが。 確かに噂は意図せぬ広がりを見せることや、最初に聞いたものと全く違った伝わり方をすることが多々あります。クレイの言い分にも一理ありました。 「見張りの番までまだ時間あるし、もう少し寝とくわ」 「暢気なもんだぜ」 これ以上クレイにあれこれ小言を追加したところで、意味のないことをユーグは知っています。再び欠伸をしながら自分のねぐらへと戻っていく彼を見送りました。 あれだけ集まっていた群れのヤミカラスたちももうほとんど残っていません。やはり、ユーグの頭の中には親分が言っていたムクホークのことが引っかかっていました。 噂の範疇を出ないとはいえ、いくら何でもクレイのように楽天的にはなれません。とはいえ、一匹で考えを巡らせていても埒が明かない事柄です。 ひとまずムクホークのことは頭の片隅に置いておいて、ユーグも腹ごしらえをしに縄張りの外にある湖へと向かっていったのでした。 ◇ 大きな湖の畔。豊かな水と緑を称えていて、ポケモンの食料となる木の実がなる木も豊富に育っていました。ここはどのポケモンの縄張りにもなっていない場所。 多くのポケモンが利用しているため、この周辺に暮らしているポケモンの中では勝手に場所を占領するなという暗黙の了解のようなものがあります。 仮に、強引に縄張りを構えようとするものが現れたとしても、皆が好き好きに木の実を採っていったり休憩したりするので、とてもではありませんが管理しきれないでしょう。 その一角でユーグは一本の木の枝に留まって、収穫した木の実を齧っていました。それほど探し回らなくても食料にありつけるこの場所は彼も度々使わせてもらっているのです。 辺りには自分以外のポケモンの気配も多々ありましたが、ここは縄張りの外ということもあって特に周囲に気を配ったりしてはいません。 いわば湖は大切な共有スペース。こんなところで誰かに喧嘩を吹っ掛けようものならば、あっという間に他のポケモン達から非難が集中して追い出されてしまうでしょう。 この貴重な餌場兼休憩所に居られなくなるのは野生ポケモンにとっても大きな痛手。だからこそ皆がそれぞれに利用していても大きな問題が起こってない場所なのです。 今回見つけた木の実は割とユーグの好物に分類されるもの。独特の舌触りと瑞々しさがたまりません。上機嫌で最後の一欠片を名残惜しそうに口の中に放り込みます。 「ね、隣いいかしら?」 突然背後から聞こえてきた声。危うく木の実を喉に詰まらせてしまうところでした。目を白黒させながらどうにか口の中のものを嚥下するとユーグは振り返ります。 それは、見覚えのある顔でした。宙でとどまるために羽ばたかせている翼が緩やかな風を巻き起こしてユーグの嘴をふわりと撫でていきました。 「な、何だよ」 「いいじゃない。一時休戦よ、休戦」 ユーグの返事も聞かずに隣の枝に舞い降りてきます。新たに加わった重みで上下に揺れる枝。折れるんじゃないかと身を竦めたユーグに、失礼ねと声の主は眉をひそめました。 実際体重はユーグの十倍、では納まらないくらいは差があるのですが、降り立ったのが幹に近い方の太い部分だったのでどうにか枝も耐えきってくれたようです。 まともに話す機会などなかった普段は敵対している相手。ちゃんと隣り合って話すのは初めてのこと。いきなり距離を詰めてきたハリスに、ユーグは警戒の色を示します。 ただ、至近距離で対峙するムクホークは想像以上の迫力。これまでハリスとは縄張りの攻防の空中戦の最中にしかやりとりをしたことがありませんでした。 木の枝に留まってしっかりと見据えてみると、嘴も両脚の爪もなかなかに鋭さをたたえています。おまけに今はクレイもいないこともあって、喧嘩腰になるには勢いと度胸が足りませんでした。 「ここなら縄張りなんて気にせずにいられるでしょ?」 まるで昔馴染みにでも話しかけてくるかのような和やかな雰囲気にハリスにユーグは戸惑いを隠せません。少なくとも普段諍いを起こしている相手への態度ではないように思えます。 確かに親分のドンカラスの元で縄張りを見張り始めたときからハリスのことはよく知っていて、結果的に長い付き合いとなっていましたが。 群れの仲間であるかのように振舞われても対応に困ってしまうというか。いきなり自分に対して踏み込んできた彼女の意図が掴めずに、黙ることしか出来ませんでした。 「……何のつもりだよ」 「ちょっと姿を見かけたから、お話したいなって」 「俺は話すことなんてない」 もちろんここは縄張りの外になるのでいがみ合う必要はありませんが、別に無闇に歩み寄る必要もないはずです。 それに、ハリスと一緒に居るところを群れの誰かに見られでもしたら、後々面倒なことになる可能性も。基本お喋りで、あちこち飛び回ることの多いヤミカラスたちの情報網は馬鹿に出来ません。 面倒なことになる前に無視してそのまま立ち去っても良い状況です。ただ、毎度毎度のわだかまりなどものともせず迫ってくる彼女に気圧され、ユーグは今一歩思い切りが付きませんでした。 「そんなに冷たく言わなくても」 ハリスが残念そうにする理由が分かりませんでしたが、しゅんとしている彼女を見ていると何だか自分が悪いことをしたような気分にさせられます。 普段あれだけ自分たちの縄張りを侵略しておきながら、ここは外だから仲良くしましょうだなんて虫が良すぎる話。ハリスへのユーグの対応は至極当然なものでした。 ですが、今日のハリスはユーグやクレイがいくら注意しても聞く耳を持たずに飄々としているいつもの彼女とは違うように思えて。どうにもユーグは調子を狂わされてしまうのです。 「じゃあさあ、一つ聞いてもいいか?」 「なあに?」 どうしてもハリスが会話したそうなので、ユーグは少しだけ付き合ってあげることにしました。露骨に嬉しそうにするハリスにユーグはひっそりと眉をひそめます。 「今朝親分から聞いたんだけど、ここ最近凶暴なムクホークが現れたらしいんだ。お前、何か知らねえ?」 せっかくの機会だ。ムクホークつながりでハリスから情報を仕入れておくのは悪くない選択肢。ハリスと一緒にいることの理由付けも含めてユーグは聞いてみました。 会話、というよりはほとんど情報交換に近いやり取りですが。生活環境がまるで違うハリスと日常会話をしようとしてもおそらく成り立ちはしないでしょう。 どうなんだよと彼が見上げたハリスは至って無表情のままです。特に考えているという素振りではなく、唯々立ち尽くしているようなそんな感じでした。 「知らねえんなら――――」 もう用はねえな、と言い残して飛び去るつもりだったユーグ。そんな彼の言葉を遮って、ハリスは口を開きました。 「そうねえ。それじゃあユーグ、私の質問に答えて。そしたら私が知ってること教えてあげるわ」 「……何だよ、質問って」 含みのある言い方です。そもそも知っているのか知らないのか、ハリスから返事がありません。自分が答えるだけでは不公平だからと切り出された彼女からの交換条件。 とはいえ、答えることで親分が警戒するムクホークの情報が得られる可能性があるなら、そこまで悪い話ではないように思えます。 群れに大きな不利益を被るような質問ならば無視する手もあります。ハリスから持ち出されてきた駆け引きに、ユーグは乗ってみることにしました。 「ユーグ。あなたはどうして自分の縄張りを守っているか考えたことある?」 「はあ?」 いきなり何を言い出すかと思いきや。ユーグは思わず口をぽかんと開け、そこそこ大きな声で聞き返してしまっていました。 縄張りの有無は群れで暮らすドンカラスを中心としたヤミカラスにとっては死活問題。自分たちの生活する場所を他のポケモンに奪われないようにするためです。 それを守るのがドンカラスを親分としているヤミカラスの生業だと思っていますし、ユーグは疑問を持ったこともありませんでした。 「当たり前のことだから考えたことねえな。まあ強いていうなら……生きるため、か」 「……そっか」 ふっと息をついてどこか寂しそうにハリスは笑いました。何となく、ユーグの答えに満足していないような雰囲気が見て取れます。 どう返事をすれば正解だったのかユーグには皆目分かりません。そもそも、彼が生きるために縄張りを守っているというのは回答というよりは事実なので変えようがなかったのですが。 「私ね、本当はムックルのときみたいに大きな群れで暮らす方が好きだったんだ。仲間もたくさんいたし」 「群れで居るムクホークなんて聞いたことねえぞ」 ハリス一匹だけでも手を焼いているというのに、ムクホークに群れで襲来されでもしたらたまったものではありません。幸い、ユーグが縄張りで暮らし始めてからそんな事案はなかったようですが。 「ええ、ムクホークに進化した以上は番でもない限り他の種族と関わることはほとんどない。それが種としてのムクホークの生き方、らしいわね」 「あんたは……嫌なのか?」 まるで他人事のように自分の種族についてハリスは語ります。淡々とした様子で、とてもムクホーク自身の逞しさや勇ましさなどに胸を張っているようには見えませんでした。 群れを成さずに生きていける強さがあるならそれはそれで凄いことだと思っていたユーグにしてみれば、ハリスが何だか浮かない顔をしているのは意外だったのです。 ヤミカラス一匹だけでは限界があるので、ドンカラスを親分として縄張りを成し仲間と助け合って生きる。その生活がユーグの性に合っていたというのもあるのでしょう。 「嫌じゃない、って言えば嘘になっちゃうかな。誰ともいがみ合わずにのんびり生きていけたらいいのになって思うことはあるわ」 「何で……俺にそんな話するんだよ」 「どうしてかな。私の中で一番よく知ってる他の種族があなただったから、かな?」 ふふ、と再び目を細めたハリスの儚げな表情にユーグは何だかどきりとしてしまいます。いつも自分やクレイを軽くあしらってけたけたと笑っていた彼女とはまるで別のポケモンのように思えてしまって。 いやいや、隣に居るのは本来ならば敵であるムクホークだと言い聞かせます。こんな感情を抱いているようでは自分もクレイに強く言えなくなってしまうな、とユーグは我に返りました。 「変な話しちゃったね。それじゃ、私そろそろいくね」 ユーグの返事も待たずに、ハリスはそのまま枝から飛び去ってしまいます。彼女の逞しい両脚で蹴られた枝がゆさゆさと上下に揺れて、慌てて翼を広げバランスを取るユーグ。 「お、おい。ムクホークのことまだ聞いてねえぞ!」 「それだったら、ごめん。私は知らないわ、じゃあね」 ユーグに背中を向けたまま振り返りもせずに言い残すと、ハリスの姿はどんどん小さくなっていきました。 件のムクホークについて聞き出したいのはやまやまでしたが、彼女に本気で飛ばれれば追い付けないことは分かっています。ユーグもそれ以上深追いはしませんでした。 「何なんだよ……」 先程のハリスは一体何だったのだろうと、ユーグの中で釈然としない気持ちばかりが広がっていきましたが。ここでぼんやりとしていても仕方がないなと、やがて彼も住処の方へと戻っていったのでした。 ◇ 「どうしたよ、ユーグ。ぼうっとして」 「ん、いや。なんでもねえよ」 クレイに呼びかけられてユーグは慌てて意識をこちら側に戻します。さすがに見張り番中に居眠りをしていた、というわけではありません。 いくら何でも空を飛びながらうたた寝が出来るほどユーグも器用ではないのです。もちろんユーグより寝坊助であるクレイでさえ、そんな芸当は無理でしょう。 何でもないと咄嗟に答えてはみたものの、本当のところは何でもなくはないかもしれません。正直、あの日二匹で話をして以来、妙にハリスのことが頭に引っかかっているのです。 ハリスは自分たちヤミカラスの敵なので警戒の対象として、見張りをしているとき以外も時々頭の隅を掠めることくらいはこれまでもありました。 ただ、どうもユーグが抱いている感情はそれとは違うようなのです。そして、あの日以降ぱったりとハリスの姿を見なくなったことも彼のもやもやした気持ちに拍車をかけていました。 これまでは彼女の名前を聞かない日はないくらい、冷やかしのように縄張りに侵入して来ていたハリス。多いときは一日最大五回も顔を出したことがあったと、他のヤミカラスから教えてもらったことがあります。 それが、あるときを境に突然姿を見せなくなったとなれば。ハリスの失踪について、お喋りなヤミカラスたちの間で色々と噂になってしまうのは自然な流れでした。 他にもっといい住処を見つけたから移り住んだ、とか。自分たちが根気よく追い払い続けた努力が実を結んだ、とか。もちろん、あくまで噂話なので憶測の息は出ませんでした。 ただ、ヤミカラスたちの中で一番有力視されていたのは、ハリスがどこかで野垂れ死んでしまったのでないかという説です。 毎日のように顔を出していた彼女が現れなくなったのは、来たくても来られなくなったからではないかという理由付けでした。 最終進化系でもあるムクホークがそう簡単にくたばってしまうようなことがあるようには思えませんでしたが、何が起こるか分からないのが野生の世界。 落雷に撃たれたり、崖崩れに巻き込まれたり、倒木の餌食になったり、縄張り抗争で命を落としたりする可能性はゼロではないのです。 ハリスがどこから来ていたのか分かりませんが、自分たちの住処から遠く離れた土地でそのような事態になっていたとしてもなかなか確かめようがありません。 「ま、ハリスが居ねえから平和で助かるぜ」 へらへらしながら言うクレイに少し不自然な笑顔でそうだなと返すユーグ。ハリスからあんな話を聞かされる前なら、ユーグも同じような態度で応じていたことでしょう。 ほぼ毎回のようにクレイと一緒にハリスを撃退しつつ、ああだこうだの取り留めのない言い合いをするのが日課になっていたため何だか調子が出きらないのです。 これは、心配しているという感情なのだろうかという思いがまたユーグをもやもやさせます。ハリスは敵だという認識は変わらないため、認めてしまうのが癪だったのかもしれません。 クレイとそんなやり取りを交わしている間に、縄張りの端の方に何やら怪しい影が見えました。どうやら侵入者のようです。 最初は小さかった姿がどんどん大きくなってきて、まっすぐこちらに向かってきます。これは、縄張りを突っ切って湖に向かうルートでした。 「噂をすればお出ましじゃないか」 「あ、待てって」 侵入してきた影がだんだんとはっきりしてくるにつれて、あれはムクホークのものだとユーグは確信しました。我先にと飛び出したユーグの後に慌ててクレイも続きます。 何だ、ちゃんと生きてるじゃないか。誰だよ、死んだとか言ってたやつは。やっぱり噂は当てにならないなと、やはり心のどこかでこの刺激を楽しみにしていたユーグがいました。 久々にしっかり舞い込んできた見張り任務に彼は嬉々として立ち向かいます。悠々と縄張りを横切ろうとしていくムクホークのやや上空を漂い、一気に急降下。背中に蹴りを食らわせます。 「ここは俺らの縄張りだぞ!」 いつものようにユーグは声を張り上げます。蹴りはムクホークにしっかりと命中しました。何だか普段よりも手応え、もとい足応えがしっかりしていたような気がします。 久しぶりだったせいか、少し気合いが入りすぎてしまったかもしれません。上からの不意打ちに一瞬怯んで俯いていたムクホークが顔を上げました。 「……痛ってえ。何だあ、お前?」 どすの効いた声。ユーグが期待していたそれとはまったく違うものでした。ぎらりと鋭い視線で射貫いてくるその迫力は、ハリスの比ではありません。 ユーグに続いて背後から翼の一撃を浴びせようとしたクレイの動きをひらりと難なく交わしてみせるムクホーク。 予想だにしなかった状況に硬直しているユーグを見て、クレイもただならぬ空気を感じ取ったようでした。 何日も前に親分のドンカラスから忠告があった、危険なムクホークの話がユーグ、そしてクレイの頭に浮かびます。 「お前ら、俺に喧嘩売ってんのか? なら相手になってやるよ」 ユーグに入れられた蹴りで空中で少し体勢を崩していたムクホークですが、すぐに立て直すとユーグとクレイに向き直ります。 今にもこちらへと突っ込んできそうなくらいに殺気立った、臨戦態勢。ユーグたちの生存本能がとにかくこの場から離れるよう必死で警鐘を鳴り響かせていました。 「あ、や……べえ」 「に、逃げるぞユーグ!」 判断が早かったのはクレイの方でした。彼に促されるようにユーグもさっとムクホークに背を向けて逃走を試みます。 ハリスとは別の、とんでもない乱暴者のムクホークがいる。縄張りに元居たポケモンを襲って追い出すような危ないムクホーク。 深追いせずに知らせるように。あの時の親分ドンカラスの言葉が今更になってユーグの頭の中に響き渡ってきます。 あと数分早くそれを思い出していたならば、結果は変わっていたかもしれません。ぐんぐんと距離を縮めてくるムクホークの餌食になったのはクレイからでした。 ムクホークが追い越しざまに放った翼の鋭い一撃はクレイの後頭部を正確に捉えていました。ぎゃっと濁った悲鳴を上げてバランスを崩した彼はそのまま地面に吸い込まれていきます。 「や、やめろ――――」 翼を畳んで急降下していくムクホークに向かってユーグは叫びます。もちろんその声は、その願いは届くことはありませんでした。 もう、勝負はついています。いえ、そもそも勝負にすらなっていませんでした。最初からユーグもクレイも戦意を喪失して一目散に逃げ出していたのですから。 目前から逃亡を図る相手を脅かす目的ならまだしも、始末するために襲い掛かってくるなんてまさか。ですが、ユーグの淡い希望は見事に打ち砕かれます。 飛ぶ力を失ってふらふらと落ちていくクレイへの容赦ない追い打ちでした。ムクホークの鋭い嘴が深々と彼の胸元を貫きました。 青空を背景にクレイの黒い羽根と鮮血がぶわりと飛び散ります。黒と、赤と、青と。ユーグの目の前でそれらはスローモーションのように混ざり合いました。 ぐったりと動かなくなったクレイはまるで枯れ葉が舞うかのように下へ下へと落ちていきます。これは何かの冗談だろうと、未だに現実を受け入れられないユーグがいました。 「ひっ」 口元と胸元の白い羽毛を真っ赤に染め上げたムクホークの眼光に射貫かれて、ユーグはようやく我に返ることができました。 ずっと行動を共にしてきた仲間を失った悲しみよりも、自分が殺される恐怖の方が何倍も勝っていたのです。いやだ、死にたくない。必死で翼を羽ばたかせます。 確かに親分ドンカラスから危険なムクホークとは聞いていました。だけど、こんなに危険なやつだったなんて。完全にユーグの想定外でした。 いいえ。本来ムクホークという種は一般的にはとても獰猛で、ヤミカラスからすれば天敵とも言っても過言ではないくらいの存在なのです。 ですが縄張りを侵しはするものの、基本的に危害を加えてこなかったハリスとのやり取りに慣れすぎてしまっていたのでしょうか。 ユーグやクレイの中で他のムクホークも大したことはないのでは、という慢心がどこかで生まれていたのかもしれません。 「ぎゃっ」 死に物狂いで翼を動かしていたはずなのに、いつの間にか音もなくムクホークに距離を縮められてユーグは背中を鷲掴みにされます。 何とか抜け出そうと食い込んでくる爪の痛みも忘れてユーグは羽ばたこうとしますが、ムクホークの逞しい両脚はびくともしませんでした。 ムクホークはユーグを掴んだまま森の中へと降り立ちます。地面に抑えつけられたときに口の中に入った落ち葉と土の味がひどく不快でした。 「ヤミカラスがムクホークに敵うわけねえだろ」 「あっ……がっ」 「喧嘩売る相手は見極めねえとなぁ?」 そもそも、ムクホークとヤミカラスでは体格も力量も違いすぎます。正面からまともにやりあって勝機のある相手ではないのです。 そのときようやくユーグは気が付きました。ハリスがこれまでずっとずっと、自分たちに合わせるように手加減をしていてくれたことに。 彼女が本気を出せばいくら二体一とはいえ、ヤミカラス二体を吹き飛ばすなんて造作もないことのはずです。 ユーグやクレイがこれまで縄張りを守ってこられたのは、争いを好まないハリスの性格に助けられてきたからだと。 ですが、今ユーグの喉元を片足で抑えつけているムクホークはどうやらハリスほど優しくはなさそうでした。助けを乞おうにも掠れて声が出ません。 もっとも、目の前のムクホークが命乞いを聞き入れてくれるようには到底思えませんでした。みし、と首の骨が軋む音がします。 ああ。ハリスもひょっとしたら、こいつに殺されてしまったんだろうか。薄れゆく意識の中でユーグの脳裏に浮かんだのは、あの時の儚げなハリスの笑顔でした。 おしまい ---- ・なかがき 新作が楽しみですね。スカーレットを買う予定です。 ・あとがき ときどき野生のトンビとカラスが空中で喧嘩している様子を見ることがあります。大抵カラスが多対一でトンビにちょっかいを出している雰囲気。 実際がどうなのかは分かりませんが、トンビは本気を出せばカラスに勝てるが、その労力が惜しいので付き合ってあげているだけという話を聞いてこのお話にしてみました。 シンオウ地方やヒスイ地方に続き、パルデア地方でもヤミカラスとムクホークは共演しておりますね。何の因果か。 能鷹は「能ある鷹は爪を隠す」の意味。ハリスが隠し続けていた爪は結局ユーグやクレイは見つけることが出来なかったのかもしれませんね。 【原稿用紙(20×20行)】43.3(枚) 【総文字数】14686(字) 【行数】280(行) 【台詞:地の文】12:87(%)|1865:12821(字) 【漢字:かな:カナ:他】31:61:8:-2(%)|4671:9103:1224:-312(字) ---- 何かあればお気軽にどうぞ 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