ポケモン小説wiki
片道ロケット の変更点


#include(第十六回短編小説大会情報窓,notitle)

作 [[てるてる]]
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「おはよ」
 半分眠ったような声が、ぼくの背後から聞こえてきた。ごそごそという気配に振り返ると、どこか寝惚けた様子のジラーチが祭壇の上で半身を起こすところだった。四方を黒い壁面に覆われた室内に、明るい体色はよく映えた。
「おはようございます」
「調子はどう?」
「正常です」
 システム情報を精査し、問題ないことを伝える。ジラーチは目を細める。
「なんだよ。えらく機械的だな」
「機械ですから」
「……ふん。そっか」
 折り目正しく頭を下げるぼくをちらと見やって、ジラーチはくしくしと目元を擦りながら自分の寝かされていた部屋を見渡す。ふと部屋の片隅に目をとめる。
「あれ? ここにあった本は?」
 これですよ、とぼくは床に溜まった粉山を嘴で示す。かつてそこには本があった。ジラーチのためだけに集められた大量の本。完全に風化し、色のついた粒子と化していた。
「え? これが? まぁ、前に見たときボロボロになり始めてたし、仕方ないか」
 祭壇から降りたジラーチが本だった山に駆け寄った。それほど広くない部屋の中を走ると、それだけで足元に薄く堆積した粒子がぱっぱっと舞い上がる。それらもすべて、かつては名前のある何かであった。それらが形を失い、名前を失ってしまったのは遥か過去の話になる。
「読みかけの本があったのに……」
「本の内容でしたら、わたしに全部保存されてます。呼び出しましょうか」
「ぼくは自分で読むのが好きなの。第一何を読んでたのか覚えてるの?」
「はい正確に。ぼくは機械です。ミスを犯しません」
「ふん。可愛げないね」
 ふて腐れたように言って、ジラーチの手がかつて本だった粒子をすくい上げる。少し手を握れば、それだけで指の隙間から粒子が逃げ出していく。
「人間の作ったものは脆いなぁ」
「それでもよく持ったほうです」
「まあね。でも、結局こうなるんじゃ同じだよ」
 ふっ、とジラーチがぼくに向かって粒子を吹き掛ける。視認できないほどに細かく分解された粒子は、ぼくの体を通り抜けて背後に霧散していく。投影された体がわずかに乱れた。
「ちぇっ。くしゃみの一つくらいすればいいのに」
「ぼくの体は映像ですよ」
「わかってるよ。君の本体はずっと遠くにあるんでしょ?」
 ため息を吐きながら、ジラーチは上を見上げた。つられてぼくも上を見る。
 何が見えるわけでもない。四方と同じく、天井もまた黒い。というより、ぼくとジラーチのいる縦横高さすべて一〇メートルくらいの正方形の部屋は、四方八方を黒くとろりと光沢を放つ素材で覆われているのだ。
 部屋には窓はおろか、扉すらない。部屋は外から封印されているのだ。
 有害な外気を遮断し内部を永久に保護する。人類の叡知の結晶にして、ジラーチを保護しておく石棺。出入りできるのはぼく――特殊な材質を貫いて、自らの体を電気情報として送り込むことのできるポリゴンだけだ。
 そして、ぼくの体はここにはない。ぼくの体ははるか上空。乾いてひび割れた大地と風の音だけが響く空虚な空を抜けた先。真空の宇宙から死に絶えた星を見下ろす、小さな小さな人工衛星なのだから。

 世界が崩壊を始めたとき、ぼくは作られた。ただのパソコン上の数字の羅列から“ぼく”という意識が生まれた瞬間、大勢の人間がただただ泣き笑いに喜んでいた。ぼくの意識は既に人工衛星に組み込まれていた。仮想空間上に浮かぶ、実態のない人工生命として。
 ぼくはポリゴンだったが、ただのポリゴンではなかった。世界を救うという唯一にして最大の命令をこなすためだけに作られた、特別なポリゴンだった。

「何度目だっけ」
 君に会うのは、とジラーチは祭壇の縁から足をぷらぷらさせながら聞いてきた。
 ぼくは絵本を読み上げをやめ、記録媒体を呼び出す。
「七回目です」
「ふうん。……外はどうなってるの?」
 空間に投影していた絵本のイラストを縮小し、かわりに衛星のカメラから見た地球の映像を再生する。西暦九一二〇年。日付上では夏を示していたが、時間を気にする者のいない世界において、数字の羅列以上の意味はないだろう。
 砂漠と化した色味の失せた大地と、小さく萎縮した海とかつて海だった場所に残る白い風紋のような塩の跡だけが残る地表が映し出された。かつてはもう少し都市の痕跡があったのだが。きっと砂に呑まれてしまったのだろう。
 ジラーチが驚いたように目を見開いた。どこ? と聞くので、真上だと答えた。小画面に中央を拡大した映像を出す。黒々とした石棺が赤茶けた大地をぽっかりと切り抜いている。
「……人間がいなくなったら、自然が戻るんだと思ってたんだけど」
 残念ながら人類はその機会すら奪ってしまったのだ。呆れた、とジラーチが祭壇に横になる。眠りの時までにはまだ早い。どうしたのかと尋ねると、ジラーチは首を振った。
「興味失せた。もう寝ることにするから。帰っていいよ」
 仰向けで目を閉じたまま、ジラーチが手を振る。僕はおやすみなさいとだけ言うと、石棺を離れる用意をする。意識が衛星に連れ戻される直前、ひらひらと宙を泳いでいたジラーチの手がすっ、とこめかみへと動いた。黒く変色した短冊を掴む。それはかつて人類が救いを求めて願い事を認めたところだったはずだ。

 世界は死に貧していた。迫り来る絶滅を阻止するため、人類は奇跡にすがった。それは千年の眠りを持って力を蓄え、願いという形で奇跡を施す、幻のポケモン、ジラーチという奇跡だった。
 そして人類はジラーチを見つけ出した。眠りから覚める長い時間も、かろうじて生き永らえることができた。
 しかし、人類の願いが叶えられることはなかった。世界を救うという巨大すぎる願いに対して、たかが千年の眠りでは短すぎたのだ。
 より時間をかける必要がある、悠久の時を生きるジラーチは言った。大きな願いを叶えるためには、力を蓄える時間が必要だ、と。
 それは数千年後か、はたまた数万年後か。明日をも知れぬ人類にそれだけの時間を生き抜く術は存在しなかった。
 世界を救うには、ジラーチに願う者が必要不可欠だった。白羽の矢が立ったのはポリゴンだった。願い事のための意識を有するという必要条件は満たしているにもかかわらず、その存続に必要なのは機械というハードウェアだけ。地球の運命を託すにはおあつらえ向きの存在だった。

 ''西暦一万一二〇年''
 衛星から石棺の中へ。いくつかの衛星を経由し、ぼくの意識をアップロードする。軌道上には膨大な数の衛星が回っている。そのうちの一つは必ず石棺の真上に来るようにプログラムされた静止衛星で、高利得アンテナを用いてそこにアクセスし、石棺へ意識を飛ばすのだ。仮にこれが壊れても、次が代わりを引き継ぐ。
 ぼくの体が投影された途端、視界がぶわっと白色に覆われた。何事かと思っていると、祭壇の上でぼくを睨み付けるジラーチが立っていた。片手には、床を覆う粒子が握られている。
「遅い!」
 子供のような金切り声をあげて、握っていた粒子を投げつけてきた。視界の白がまた濃くなった。
「こんなに待たせて。一体どういうつもりさ!」
「こんなに、とは」
 ぼくはジラーチが目覚める瞬間に合わせてやってきたはずだった。ジラーチはぶんぶんと首を振って指をつきつける。
「嘘つくな! どれだけ待たせたと思ってるのさ。ずっとひとりぼっちだったんだぞ!」
 つきつけられた指を見ながら、ぼくは混乱した。内臓時計にアクセスをするが、故障を示すデータはなかった。が、エラーログに気になる箇所が見つかった。一万年を越えた瞬間、いくつかのプログラムがエラーを吐いていた。ふと、別で走らせていたチェックリストがそれに反応する。
「ああ、そうか……」
「は?」
「ぼくのプログラムは基本的に永久に稼働することを前提に作られてますが、いくつか未対応の箇所があったようです」
 四桁から五桁へ。西暦から時間を算出していたプログラムが、そこでつまずいてしまったようだ。
 そのことをかいつまんで説明する。分かっているのかそうでないのか。ともかく機嫌を治した様子でうんうんと頷いて、ふと顔を横にそらす。
「壊れたのかと思った」
「心配をかけましたか?」
「だ、誰が心配なんてっ。君は機械なんだろ。心配する価値なんて……」
 勢い言いかけて、ニヤリと笑った。
「日にちを間違えた、か。つまりポリゴンくん。君もミスを犯すことがあるってことだ」
「申し訳ありません。すぐに修正プログラムを作って問題の是正を行わせて……」
「ダメダメダメ。せっかく君が犯した初めての間違いなんだ。なかったことにするなんて許さないんだから」
 ぼくを見下ろしニヤニヤと口の端を歪めるジラーチ。怒っていたかと思えば笑う。一喜一憂、豊かな感情を動きは、実に興味深かった。
 ぼくのプログラムに感情は組み込まれていない。長い月日の間に、本来の任務を見失う可能性があったからだ。世界の再生という任務を達成させるためには、その時々で変化する感情は不要なのだ。
 いつだったか、ジラーチはそれを可哀想だと言った。
 よくわからない感覚だった。

 ''西暦一万二一二二年''
 結局、ジラーチはプログラムの修正を許してくれた。そうしないと、次の目覚めに合わせることができなくなるからだ。
 その代わり、狂った時計はそのままにしおくように命令された。意味がない行為だと指摘したが、時間の狂いこそ生命の証だなどと言って聞いてくれなかった。
 幸いぼくの容量は余剰が多い。複数のプログラムを走らせることは容易だ。だが。
「たった千年で二年もずれるとは」
 ジラーチが面白いものを見るようにぼくの周りを回る。
「君もずいぶん生き物らしくなったじゃないか」
 ジラーチの指がぼくの頭をつつく。といってもぼくはただの立体映像だから、実際に触れられているわけではない。なのに、なんとなく触れられた場所がむず痒い気がする。
「……理解できない」
「ん?」
「どうしてこれが生きていることの証明になるんですか。説明してください」
 少し言葉が強くなってしまった気がする。ジラーチは笑いながら祭壇に腰かける。
「昔、君は機械だからミスをしないと言ったじゃないか。ということは、ミスをすれば生き物だということなんじゃないのかい?」
 おかしな論理だった。これが生き物の捉え方だというのなら、やはり自分は機械のままでいいと思う。
「非論理的です」
「生き物は論理じゃ動かないのさ」
 一方的に笑い、そして今度は質問タイムになった。このところ、彼は本よりも外の様子に興味があるようだった。
 ここ数千年における地球の変化はほとんどなかったと言えよう。太陽光度が上昇傾向にあること。温室効果と相まって、気温上昇により極地にあった氷が完全に消失したこと。大気中に放出された膨大な量の水分が成層圏を越えて宇宙空間へ流出が始まっていること。変化と言えばこの程度。本来ならとても大きな出来事なのだろうが、残念ながらそれを観測する人類はいない。
 へええ、とジラーチが面食らったような声を漏らす。
「この星はパリパリに乾いちゃうってこと?」
「そのようです」
「じゃあいよいよ地球は死の星になっちゃうのか」
「あなたがいるじゃないですか」
 へ? とジラーチが大きな目でぼく見た。一瞬の間をおいて、ああ! と手を打った。
「そっかそっか。まだ二人も残ってたのか」
 二人? ぼくが首を傾げると、ジラーチがぼくを指差してきた。
「君もだよ」
 何度言ったら分かってくれるのか。ぼくの命はジラーチたちの命とは種類が違うんだと。
 言いかけて、満足げの笑うジラーチを見て断念する。
 ジラーチを残念がらせるくらいなら、間違いはそのままにしておこうと、理論で考えるより先に、なぜだかぼくの中でそう結論が出ていた。

 ''西暦一万五一二五年''
 この三千年は比較的緩やかに時間が流れた。
 今日もジラーチは外の様子を教えてほしいとねだってきた。ぼくはこの数年間で観察してきた文明の痕跡を見せてあげた。巨大な大都市は砂に呑まれるか、もしくは完全に風化して跡形も無くなっているのに対し、石で作られた旧文明はいまだに形を保っていた。
「意外だね」
「単純な構造こそ、案外堅実なのかもしれません」
 そう答えたぼくの映像を投影する衛星は、もう十機近くも交代していた。太陽風やデブリに撃ち抜かれ、予備として留め置いていた衛星もずいぶん数を減らしている。ここ数千年の間に、記録にないデブリの数が猛烈に増えていた。機能不全を起こした衛星同士が衝突して指数関数的にデブリを増やしているようだ。
 壊れた衛星のうち動かせるものは墓場軌道へ移動させた。停止コマンドへの応答を最期に沈黙する衛星を見送るたび、ぼくの体も永遠ではないことを実感する。そろそろ手を打たなければ。
「ここまで意外なことが起きるんだ。いっそタイムトラベルも出来そうだと思わない?」
 ふいにジラーチが尋ねる。なぜそのようなことを、と思いかけ、こちらに背を向けた彼が、映像に映る旧文明の残骸を見つめているのに気がついた。過去に戻りたい、と言いたいんだな、とぼくは当たりをつけた。
「申し訳ないですが、過去に戻ることは不可能です。時間の逆行は、すでに何度も否定されて――」
「知ってるよ。それくらい」
 本で読んだから、と答えたジラーチの声はどこか突き放す調子だった。
「ぼくが言いたいのは、君を未来に送れるかってことだよ」
「ぼくを、未来に?」
 頷いて、ジラーチはゆっくりと振り返る。ぼくは驚いた。そこには悲しみという、豊かなジラーチの喜怒哀楽の感情の中でも、今まで見たことのない感情が現れていたからだ。
「どうしてそんなことを」
「人間が作ったものはいつか消えてなくなる」
 あれだけ堅牢に見えた文明は、もう見る影もない。辛うじて残った残骸も、次の一万年で残滓すら残らないだろう、と。
「ぼくは永遠に生きる。それはたぶんこの石棺がなくなるとき。地球が地球でなくなるそのときまで。だけど、君は? 君という意識の依り代となっている人工衛星は、いつまで君という意識を保つことができるのさ」
「それは」
 ぼくは混乱して答えられない。このような形の感情をぶつけられたことはなかった。処理しきれない膨大なデータが、ぼくの中へ蓄積していく。今まで受け止めてきた喜びや怒りのデータと結び付き、それが化学反応を起こしたように熱くなる。
「……わかりません」
「ぼくが奇跡を起こせるようになるまで、まだ相当掛かると思う」
 ジラーチは言った。
「次に起きたとき、君がいなかったらどうすればいい」
 言葉が突き刺さる。刺さったところが燃えるように熱い。観測不能領域で何かが起こっているようだ。
 それが何なのか、あらゆるプログラムに判断を仰ぐが、どれも答えを算出できなかった。
 ただ膨大なデータだけが、ぼくの中で小さく瞬いていた。
 眠りに落ちたジラーチを認めて、ぼくは衛星へ意識を引き戻す。結局、泣き始めたジラーチにぼくはどうすることもできなかった。慰めるべきと知識では理解していた。そのための言葉もインストールされている。なのに、いざ行動に移そうとした途端、それらはすべて浮わついたものに思えてしまい、何もできなくなる。
 ぼくは地球を見下ろした。酸化して赤く変色し始めた大地がおしなべて広がっている。ぼくが機能停止すれば、ジラーチはここに一人ぼっちになってしまうのだ。
 ぼくの奥が、また熱くなる。

 ぼくは地球軌道上に浮かぶ推進器へアクセスし、最も状態の良いものと結合した。ぼくの出せる推進力では軌道の微調整程度しかできない。周回軌道を離れ、デブリのない月のラグランジュ点へ移動するためには大出力のイオンエンジンが必要だった。幸い、人類はあらゆる可能性を考慮していた。地球軌道を離れる必要があるかもしれないことも、予想していたようだ。
 必要な計算式を終わらせ、新たな軌道も算出できた。あとは移動するだけなのだが、なぜかすぐにそれをする気になれなかった。
 移動といっても少し距離を離すだけなのだから。今までのように頻繁に会うことができなくなるだけ。
 だけど、孤独を恐れるジラーチを勝手に一人にして良いものか。
 踏ん切りがつかず、漫然と再計算を繰り返しているうち、次の千年がやってきた。ぼくは彼に計画を打ち明けた。
「そう」
 意外に素っ気なかった。
「怒らないんですか」
「どうして」
「会えない時間が増えるんですよ」
「別に永遠に離れ離れになるわけじゃないんでしょ。ならいいよ」
 それに、とジラーチが言葉を切る。
「……君には少しでも長く生きていてもらいたいから」
 ぼく黙って下を向いた。四百年前、爪先程度のデブリに右舷ソーラーパネルの三分の一が破壊された。発電量が低下したため、必要のないセンサー類はすべて電源を落とした。徐々にガタが来ている。
「君にはぼくに願い事をするっていう大切な使命があるんだから。だからより長く生きる方法があるなら、遠慮せず使ってほしい」
 ぼくは顔を上げることができなかった。生きてほしいと言われるたび、死にゆく自分を自覚する。ぼくの奥が熱い。これはきっと痛みなのだ。痛みを感じないはずなのに。感じている自分が、不思議だ。これもきっとガタの一つなのだろうか。
「ぼくは」
 ぼくは思わず口にした。計算でもない。知識からでもない。心の痛みが、勝手にぼくの口を使ったかのようだ。
「ぼくは寂しい。あなたと離れるのは」
 ジラーチが目を丸くする。驚きに目を瞬かせ、そしてふっと笑う。
「君の口からそんな言葉が聞けるとはね」
 祭壇から降りると、ぼくの隣に腰掛ける。
「ねえ。君は自然の緑って知ってる?」
 ぼくは頷いた。
「じゃあ実際に見たことは」
「ありません。ぼくが生まれたとき、もう植物は枯死していましたから」
 あるのは知識の上での姿だけ。
「とても綺麗なんだよ。力強い幹から伸びる、枝の先に広がる葉っぱ。風にそよぐ草花。濃い緑が太陽の光をはじいて瑞々しく光り輝いて」
 よしと言ってジラーチは膝を叩いた。
「もし君が使命を全うできたら、お祝いに君に本物の緑を見せてあげる」
 だからそれまで、生きててほしい。ジラーチが小指を立てた片手を伸ばす。指切りなのだろう。ぼくも手を伸ばす。ぼくの手に小指はないが、きっと意思は伝わるはずだ。
 軌道上ではすでにイオンエンジンを点火していた。これから長い時間をかけて軌道を離れ、安全圏へ脱出する。暗く寂しい航海にしか思えなかったが、ジラーチのおかげで幾分希望が見えた気がした。
 手と手を重ね合わせる。絶対に戻ってくるから……。
 言おうとしたそのとき、ぼくの体に衝撃が走った。
 膨大な量のエラーがそこかしこから報告される。情報処理に重点を置いたため、石棺の中のぼくの映像が大きく乱れた。
 ジラーチが叫ぶ。答えようとした瞬間、意識が衛星に引き戻された。通信圏外に到達したらしい。イオンエンジンの加速量ではこんなに早く圏外になるはずないのに。
 衛星のカメラを含めた外部センサーを起動したとき、飛び込んできた情報にぼくは呻いた。
 ぼくの周囲には大量の破片が散乱していた。――デブリの直撃を食らったのだ。
 バッテリー節約のため、センサーを切っていたのが仇となった。慌てて機体の制御を取り戻そうとする。きりもみ回転を起こした機体は一向に立て直す兆しを見せない。パスがいかれたか。応答のない回線を通電不能と判断し、次々とバイパスする。とにかく制御を……機体を立て直さなければ……全力で対応に当たっていたそのとき、次の衝撃が体を貫いた。

 かつて人類が一万年後に起こると予想した、アンタレスの超新星爆発。
 センサーを切っていなければ、数百年前に太陽と見紛うほどの爆発を発見できていたであろう。その後にやってくるガンマ線バーストを予測し、安全圏に避難もできていたはずだった。
 桁違いのガンマ線が裂けた外壁の隙間から内部に侵入する。
 かろうじて生き残っていた電子機器が焼き切れる。そこでポリゴンの意識は消えた。



 ''西暦八〇万二六五三年''
 無限に広がる暗黒の中、ぼくは生きていた。
 かろうじて破壊を免れたソーラーパネルからの充電により、長い時間を掛けてぼくの意識を再起動するだけの電力を蓄えられたのだ。
 意識を取り戻したとき、あれからすでに五万年も経過していた。バッテリーの大半はデブリの衝突で脱落し、残ったものもほとんどが完全に放電して使い物にならなくなっていた。センサーはすべて死んでいた。カメラと、かろうじ生き残ったアンテナによる位置情報を頼りに現在地点を割り出して、天体の引力を利用してようやく地球まで戻ってきた。推進器を結合していなかったらと思うと、今も恐怖で震えた。
 ようやく、戻ってきた。
 カメラから流れ込む地球の映像に、ぼくは泣きそうなほど喜んだ。ガンマ線はぼくの情報はすべて焼き切った。にも関わらず、ぼくはこうして意識を保っていた。ジラーチと過ごす中で得られた膨大なデータを余剰容量に直接取り込んで、そこから再び“ぼく”を再度作り上げたのだ。
 地球は酷い有様だった。剥がされたオゾン層は元通りになるのにどれだけの時間を要したのだろう。赤く焼き付き、砂と岩石だけになった地表。水分が抜けきったせいか、雲は完全に消失していた。火星を思わせる風貌の地球。衛星の残骸はすべて重力に負けて地球へ落下したらしい。
 ぼくは慎重に地球に近づくと、すっかり様変わりした地表から、石棺の位置を見極めた。
 石棺は変わらずそこにあった。だからジラーチは変わらずあの中にいるはずだった。きっとすごく怒っているだろう。早く謝らないと。幸い、手土産はたくさんあった。気の遠くなるほどの長い時間、宇宙を旅してきた。これを一緒に見よう。ぼくが何を見てきたのか、教えてあげよう。
 ぼくは石棺の位置から最後の計算に移る。ジラーチに会う前に、ぼくはまだやることが残っていた。
 太陽系に接近したとき、ぼくの体内時計の狂いが修正された。そうして修正された正しい時間によると、ぼくの死にかけたバッテリーではどんなに節約してもジラーチの目覚めに間に合わないことがわかった。長年太陽風に曝されたソーラーパネルはもう役に立たない。だから持つのはせいぜい三十年。なのに必要なのはその倍近く。
 だからぼくは最後の手段に出ることにした。相対性理論だ。強い重力は時間を遅くするという、あれ。
 いつだったか、ジラーチはぼくを未来に送れないかと聞いてきた。あのときは結局ぼくは答えを言わなかった。だから、今からそれを実行してみようと思う。
 ぼくは太陽に向けて進路を取った。エンジンを点火する。ぼくの背後で地球が小さくなっていく。大丈夫、もう少しで会える。

 ''西暦八〇万二七〇一年''
 石棺に降り立った瞬間、初めに飛び込んできたのは強い日差しだった。石棺の一角が抜け落ちて、そこから外の不毛の大地を見渡すことができた。吹きすさぶ風の音だけが、空間に木霊している。
「人間の作ったものは脆い」
「それでもよく持ったほうだよ」
 はじかれたように背後を振り返ると、祭壇であった石の塊にもたれかかるジラーチの姿があった。その身はぼんやりと光を放っている。
「……遅いよ」
 静かに言ったその頬から涙が流れ落ちる。
「もう帰ってこないんだと思ってた」
 謝るぼくを泣き笑いに見つめて、そしてふと空いた穴から空を見上げた。禍々しいほどに何もない空の彼方で、大きな火球が尾を引いている。
「あれが君?」
 ぼくは頷いた。衛星がなくなった今、通信するにはこうするしかない。そうしてる間も、機体は大気圏を突き進んでいる。先端から大きくなっていく衝撃が、ガクガクと機体を揺する。焼け焦げた機体を再び炎が舐める。ぼくは必死に機体の向きを修正していた。少しでも長くここにいたいから。
 火球が二つに分かれた。映像が乱れる。高利得アンテナが溶け落ちたのだ。代替アンテナで再接続する。
「……もう長くないみたいだね」
 静かなジラーチの声に頷くと、ぼくは彼の前にひれ伏した。願いを唱える。かつて人類では叶わなかった願いを。
 ジラーチが両手を広げる。閉じられた目に代わり、第三の目が開く。強い光がぼくを貫き、ぼくの背後に広がる荒野を貫いた。視界が白に包まれて、

 ――最後のアンテナが脱落した。
 ぼくの意識は衛星に連れ戻された。機体が揺れる。太陽で溶かされた外壁を割って入り込んだ炎が全身を燃やし尽くしていく。恐怖はなかった。ただ、彼に会えなくなることだけが残念だった。
 爆音とともに異様なきりもみ回転を始める。機体が裂け、バラバラと端から崩れ始めて、何もかもが炎に消えていき、そして

 ぼくは見た

それは生命溢れる地球の姿だった
眩いくらいに光り輝く青い星

その美しい

緑を
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【作品名】	片道ロケット
【原稿用紙(20×20行)】	31.2(枚)
【総文字数】	10000(字)
【行数】	236(行)
【台詞:地の文】	18:81(%)|1817:8183(字)
【漢字:かな:カナ:他】	35:57:5:1(%)|3518:5754:534:194(字)

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◇あとがき

 遅刻しました……。それも今回は四日も……。ぐおおおぉぉおお……

 っというわけで、作者の[[てるてる]]です。今回はかなり余裕を持って執筆したつもりだったのですが……やっぱりというかなんというか、またしても遅刻してしまいました……(汗)
 今年は小惑星探査機はやぶさが地球に帰って来てちょうど10年というのを目にし、当時の感動を思い出しつつストーリーを組み立てました。小惑星イトカワのサンプルを投下し、最期に見えた地球の画像を送信しながら大気圏で燃え尽きる探査機の姿は、当時の私にとって大きな衝撃でした。
 また、この作品ははじめての一人称作品だったりします。これはツイッターでフォロワーの方に紹介された『陽だまりの詩』(乙一著・『ZOO』収録)という作品の世界観やキャラクターの描き方に強い感銘を受け、ぜひ同じ空気を出してみたい!と考えたからです。

 さてさて、そんな感じでなんとかピッタリ一万文字に収めることのできた『片道ロケット』。5.6票(9票からの-40%ペナルティ)で四位となりました。
読んで頂いた方。投票していただいた方。本当にありがとうございました!!!



以下コメント返し

 滅びゆく世界の中で紡がれる、千年単位の物語。素敵でした。 (2020/07/15(水) 21:14)
 投票ありがとうございます! 千年ごとにしか目覚めないジラーチの時間と、そうでない者の時間の流れの違いを世界の変化という形で表現させていただきました。


 タイトルの意味が分かる所で涙腺が。一万字でここまで重厚なストーリーを練れるとは脱帽です。 (2020/07/16(木) 20:15)
 投票ありがとうございます! 『片道ロケット』というタイトルは、物語を作るにあたりモデルにさせていてだいた小惑星探査機はやぶさの軌跡と掛けております。
 実を言うと、本当はもっと書きたいシーンもありました。泣く泣く省いたシーンも多々あります。が、実際完成させてみますと、一万文字という制約があったからこそ、かっちりとした作品に仕上げられたのかなあ、かもと思っております。
%%でもそのうち完全版を出したいという思いももも%%

 減点されるのが惜しいと強く思いました。SFかつポスト・アポカリプスな世界観でのポリゴンとジラーチのカプは切ないい・・・! 短編の間に数万年の時が経つ構成の壮大さ、唸らせる設定。純粋にSFを書ける知識と筆力に感服です。 (2020/07/17(金) 16:48)
 投票ありがとうございます! 減点に関しては本当に申し訳ないです。字数制限に想像以上に悪戦苦闘してしまい……。執筆中はひたすら間に合えぇぇ! というより収まってくれえぇぇぇ! という感じでした……(汗)
 未来の地球の描写とか宇宙の描写とか。どうしても文字数を取られてしまうポイントが多いため、それ以外の描写は出来る限りポリゴンとジラーチ周辺に絞ってみました。様々な作品やウィキペディアを参考に作り上げた初めてのSF作品だったため、ちゃんと書けているかすごく不安で一杯だったので、そう言っていだたけると本当に救われます…。


 ジラーチと何万年も時を跨ぐようなスケールの物語、改めて相性がいいと思いました。 (2020/07/18(土) 12:05)
 投票ありがとうございます! 作品の雰囲気としては東方二次創作系音楽グループ、暁recordsの「supernova」を意識しています。永遠の命と永遠に近い命。書いた本人が言うのもあれなのですが、本当に相性いいですよね! 


 私の中では1位です。ジラーチ……切ないけれど、とても綺麗な作品だと思いました。ジラーチの近くにいられない自分が悔しくなるほどに……
大好きです。ありがとうございました。 (2020/07/18(土) 14:46)
 大好きです。ありがとうございました。 (2020/07/18(土) 14:46)
 投票ありがとうございます! そう言っていただけるととっても嬉しいです! 字数の都合もあり、ポリゴンの一人称作品ということもあり、ジラーチ側の描写を入れることができませんでしたが、ポリゴンの言おうとした言葉を信じて耐えていたという設定です。希望を持って待ち続けた彼にとって、数十万年はきっと苦ではなかったにちがいありません。


 永い刻の先に、眩く彩られた星の許へと還った彼。
芽生えた意識と感情が、いつか再び友と出会えますように。 (2020/07/18(土) 21:31)
 芽生えた意識と感情が、いつか再び友と出会えますように。 (2020/07/18(土) 21:31)
 投票ありがとうございます! 出会いと別れ、そして帰還……。宇宙ものに欠かせないテーマですよねえ。世界を蘇らせるという宇宙最大の奇跡を起こした二人です。きっとまたどこかで会えるに違いありません。


 八〇万年弱の片道のボヤージュと再会、そして別れに、儚さとそれゆえの美しさを見ました。徐々に命らしくなってゆく「ポリゴン」が最後に目の当たりにした緑に対して感じただろうことを考えるたびに、胸の内がかっと熱くなるようです。面白かったです。 (2020/07/18(土) 22:01)
 投票ありがとうございます! いやぁわかります。めちゃくちゃわかります。私もこういうお話が大好きなんですよ! ラストシーンは字数制限を逆手に、ピッタリ一万文字で終わらせることで送信途中みたいな演出をさせていただきました。


 奇跡を起こすエネルギーを充填できるまでの果てしない時間をひとりで過ごしたジラーチや、奇跡に間に合わせるために命を焼き切る決意をしたポリゴンのことを思うと、胸が詰まる。読めて良かった。書いてくれてありがとう。 (2020/07/18(土) 22:49)
 投票ありがとうございます! 本来なら離ればなれになったあとのジラーチの行動や、ポリゴンが太陽を経由した理由などなど、シナリオを用意していました。次からはすべてお出しできるよう、もっと精進したいものです。


 これ投票しないわけにはいかんでしょう。構成、理屈、結末、どれをとっても今大会で1番だと思います。 (2020/07/18(土) 23:07)
 投票ありがとうございます! プロットを組み立てた時点で「(字数的に)入りきるのか……これ」となってましたが、うまく小説に落とし込むことができて本当に良かったです。


本当に……本当にありがとうございましたっっっ!!!


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コメント等ありましたら、ぜひ!
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