ポケモン小説wiki
焔の集い の変更点


 2016年にとあるイベントで配布したコピ本です。

 writter [[クロフクロウ]]
 挿絵は[[朱烏]]さんに描いていただいたものです!本当にありがとうございました……感涙です。

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 今日ほど【オス】として生まれてきたことを呪う日は無いだろう。運命に翻弄されとはいえ、こんな仕打ちを受けるくらいなら。
 確かに中性的な容姿は性別を偽るときに容易な方法でカモフラージュする事が出来る。だが自分は【オス】として今日まで意識して生きてきたのだから、その当たり前の事を覆る事など出来るわけがない。
 テールナーという種族は、尻尾の枝を使って様々な事に利用する。戦闘、仲間への合図、時には種族としての一つのステータスとして。可憐な容姿は美しさの象徴の一つとして魅せられるも、このテールナーにはそんな魅力には全くと言っていいほど興味はなかった。
そんな中での、目の前で頭を下げながら嘆願するマグマラシの言葉には衝撃を覚えた。
理不尽で当惑なマグマラシの言葉。言われた時は何を言っているのか瞬時に理解出来なかった。しかし、言葉が頭の中で駆け巡り、その意味を理解した時にはそのまま頭を踏みつけてやろうかと思った。けど生憎テールナーにそんな趣味はない。
 何故だか知らないが、両手に込めた感情の塊がわなわなと震えている。腹の立つ事は幾度となくあろうとも、その都度暴言を吐いたり蹴り合ったりして(殆どテールナーの一方的な)解決した。けど、今回はそんな明らかな理由で怒りが湧いているのではない。
 くだらない事で済むくらいの理由なら、こんな怒りは湧いて来ない。何て事をしてくれたのだと、事の重さを生じての怒りだった。
「もう一度聞こう、マグマラシ。オレに何をして欲しいんだって?」
 眉間のしわが変な形を帯びている。言葉にせずとも伝わるテールナーの感情に、マグマラシの表情は時間と共に青ざめている。
「頼むよ、明日一日だけでいい、キュウコン様に会いに行くとき、ボクの許嫁になってくれ!」
 周りに二匹以外のポケモンはいない。故にそんな慈悲のこもった言葉を向けられているテールナー。
 嗚呼、間違いないのだなと、乾いた笑いを発したテールナーの表情が砕けていく。これが悪い冗談ならすぐにでもネタバラシをしてくれ。そう受け入れがたいマグマラシの言葉が突き刺さる。嘘か本当か。どちらにしろこの目の前のエクレア野郎を蹴飛ばすつもりだが。


   &size(20){焔の集い};


 テールナーはその整った容姿こそメスに劣らないが、歴とした【オス】。拒否反応の予想はしていたようだが、まさか頭を下げている相手に、右足でシュートしてくるのは予想出来ていなかったので、少しマグマラシは不服の表情を浮かべていた。
 事の発端はマグマラシの軽率な発言らしい。そうでなくては、こんなややこしい事態にはなっていないのだが。頭を抱え、テールナーはマグマラシの突然の告白の理由を整理していた。
 マグマラシはテールナーの幼い頃からの親友だ。お互いの事は誰よりも詳しく知っているし、他愛ない会話もマグマラシとなら遠慮なく話せる。
 テールナーたち、炎タイプのポケモンが住む集落には、焔の神様と呼ばれ、皆からはお社様と崇められているキュウコンが集落の外れの山に暮らしている。長い時を生きて来たポケモンらしく、守り神としてみんなから慕われているのはこの集落の誇りでもあった。
 しかし、あまりに神出鬼没なポケモンのため、実際に目にしたことがあるのは集落の長とその家族くらい。集落の炎ポケモンたちの殆どは、ただ話の偉大さを皆に伝え続けているだけだ。テールナーも例外ではない。フォッコの頃から、キュウコンの名は毎日のように耳にした。その言葉は、やがて一つの憧れとして夢見るようになり、いつか偉くなってお目にかかりたいと思ったほどだ。
 だが、親友であるマグマラシは違う。父親は集落の長として、キュウコンとは最も近い距離にいる。威厳がありながらも、誰に対しても大らかで気兼ねなく接してくれるバクフーンは、テールナーとも何度か顔合わせをして親交は深めている。テールナー自身も、マグマラシの父親は尊敬と敬愛の意味を込め集落の長として支持していた。
 そんな集落にキュウコンが来訪した際、およそ数日前の事。マグマラシはキュウコンと二匹で話す機会が出来たらしく、その時の会話が問題へと発展した。
『のう、お前さんは父親の跡継ぎとして期待されているらしいな』
『ええ、そんな自分が継ぐなんて全く想像できませんけど……父は偉大ですし』
 緊張して言葉が尻込みになっていた。マグマラシ曰く、隣で話しているときもあまり記憶は無かったらしい。いったいどれほど張り詰めていたのか知らないが、話から察するに相当だったのだろう。容姿もとにかく綺麗で、色気ムンムンな方だったらしい。単純な話を聞く限りでは羨ましい限りだ。
『なら良い許嫁とかいるのか? お前さんは』
『えっ!? えっと……』
 そして、いつの間にかそんなやり取りになり、マグマラシは困惑したらしい。そこで何を早まったのか、やってはいけない受け答えをしてしまった。
『い……います……』
 もちろん、マグマラシには生まれてこの時まで許嫁や、ましてや意中の相手などいるわけがない。集落で一番偉大で敬わなければならない相手に、何の真実も無い嘘を言ってしまった。
 いない、など言ってキュウコンの機嫌を損ねてしまうかもしれない、だからと言ってホラを吹くなど、次期集落の長として恥じるべきだろう。この痴れ者め。
 そんな一つの罪から、マグマラシの空事は有らぬ方向へ進んでいく。キュウコンも話の種で弾み、でっち上げの恋を掘り下げていく。もはや是正する余地などなく、たった一つの嘘がさらに自分を苦しめていった。
 そして今日、キュウコンの誘いで是非許嫁と合わせて欲しいと最悪の展開となってしまった。無論、初めからデタラメの事。しかし今更嘘でしたなど言えるはずがない。
 そこで、マグマラシはテールナーに深々と頭を下げた。幼い頃からの親友。辛いことも楽しいことも、共有してきた相手に、自分の懺悔を申し出ると、テールナーは呆れた表情で煮え切らないでいた。まさか自分が親友の許嫁を偽ってくれなど、そんな馬鹿な話が口から出るとは思わなかったからだ。
 確かに相手は村で最も有名なキュウコン。顔を立てるとはいえ、なかなかその場でははぐらかせないこともあるだろう。テールナー自身、実際にキュウコンとは会ったことはないが、一度はお目にかかりとは思っている。しかし、それは個人的な事であって、まさか性別を偽って出会おうとは一ミリも思っていなかった。
「よりによって何て大物に嘘っぱち付いてんだよ」
「し、仕方ないだろう……場の空気というものがあるんだし……」
 事情は把握したが、やはり解せるものではない。何故この阿呆の尻拭いに付き合わなければならないのか理解できない。何よりテールナーが一番損な役回りとなっているのが一番腹正しいことだった。
「適当にメスを誘って行けよ。キュウコンの話を盛り混ぜたら多少は融通が効くんじゃないか?」
「リスクが大きいじゃん……。その付き添ってくれた相手にもし何かあったらどうするんだよ。それに集落のメスを誘って、もし父さんにバレたら考えただけで恐ろしいことになるよ……」
 マグマラシの話から何度も聞いたことある、長であるバクフーンの厳しさ。息子であり、次期長であるマグマラシに対しては誰よりも厳しいのは仕方ないことだろう。ましてやキュウコンが密接的に関わっているとなると、マグマラシの表情がくしゃくしゃになっているのがその顛末だろう。
「それがオレだったら、良いのかよ」
「キミは【オス】だし、もしバレても言い訳は通用すると思うから……」
「最低だな」
 酷い口述である。信用しているのか馬鹿にされているか小一時間問い質してみたい言葉だ。
「なあ、頼むよ! せめてキュウコンを納得させるだけでいいんだ!」
「なあ、頼むよ! せめてキュウコン様を納得させるだけでいいんだ!」
 とは言っても、ここまで頭を下げられては嫌とは言えなくなってくる。わらにもすがりたい思いでマグマラシはテールナーに救いを求めている。その手を払うことは、テールナーには出来なかった。
「わかったよ。けどこのツケはデカいからな。覚悟しとけよ」
 何だかんだでおひとよしである。気は進まないが、折角のキュウコンを一目拝めるチャンスと考えれば、と少しでも得があるのならと考えていた。

***

 少し集落から離れた森に、テールナーとマグマラシは足を伸ばした。
 渋々承ったテールナーをメスに見せるため、準備へと移っていた。流石に集落内でそんな怪しいことをしては勘付かれるので、ここから隣にある別の種族の村に立ち寄っていた。
「かくかくしかじか――というわけで、テールナーをそれなりのメスにしてほしいんだ」
 改めてこれまでの経緯と内容を隣で聞いていると、胸の内がムカムカしてくる。しかしそれはもう腹をくくって決めた事だ。この怒りはまたどこかでぶつければいい。
 村の外れにある雑貨屋のベイリーフは二、三度首を縦に振った。マグマラシの懇願する話を興味津々に聞いており、それなりに真剣に考えていてくれているのか。
「へぇ……なるほどねぇ。ようするにテールナー、ついにオンナノコになるんだ」
「そのワザとらしい言い方はやめてくれ。この軽口野郎の尻拭いに付き合うだけだ。それになんだ『ついに』って! お前、オレを今までそういう目で見てきたのかよ!」
 面白半分に受け応え、くすくすと笑うベイリーフにテールナーの表情に暗雲がかかる。こちらは何も楽しくないのだが。
「あなた口は悪いけど、容姿はぶっちゃけメスに劣っていないんだからさ。そのまんま適当に身なりでも良くして、イチャついとけば問題ないわよ」
「何も嬉しくない言葉だな。少なくともコイツとベタベタする事だけは御免だ」
「ボクは別に気にはしないけど」
「お前は余計な意見を口に出すんじゃねぇ!」
 昔から口の悪さは誰かしらに指摘されてきたが、直す気もなければ直るものも直らない。それ故に相手に与える印象というのは大きく変わる。
「まぁ、事情は分かったわ。そうね、丁度イイ物があるから試してみる?」
 嫌な予感がしてならない。ベイリーフは棚から器用に蔓を伸ばし、何やら小瓶のような物を取り出した。透明な瓶の中には、一見木の実の汁を絞り出したかのような、濁りが無く、薄い黄色の液体が半分ほど入っている。
「な、なんだよこれ……」
「メスのフェロモンを放出する特殊な香水」
「聞かなきゃよかった。そんな怪しいモンで解決しろと……? 悪いがそれはよ……」
「じゃあどうするのよ。あとはマグマラシと【オス】同士イチャイチャするしか手段は無いわよ」
 ニコニコとしたベイリーフの表情から、もう選択肢はないということだろう。逃げようと構わないが、後は面倒見切れない。とはいっても、他に頼りが無くここの来たのだから、その辺はベイリーフも知っているはず。この性格の悪さが彼女らしいといえばらしいが、後手にまわされた身をしてはいささか腹の立つもの。
 迷う暇などない、というわけだ。テールナーはハッと乾いた笑いを一つして、覚悟を決めた。
「分かったよ……使わせてもらう」
 何かもうどうでもよくなってきている自分が恨めしく思える。こんなにプライドの薄い【オス】だったのか。安請け合いはもう控えよう、良い思いをした試しが無い。
「あ。これ一応商品として扱う予定だから先払いお願いね」
「だってよ、マグマラシ」
「あれ、これボクが払うの」
「ったりめーだろうが! 誰のせいでこうなっていると思ってるんだ馬鹿たれ!」
 バシッとマグマラシの尻に右足で蹴りと入れる。何様のつもりだ、と一刺しの意味も込め強めのやつを一発。
 ケラケラと笑うベイリーフも、この光景を何度みたか。何度見ても飽きがこない。この二匹のやり取りは素直な目で笑える。
 マグマラシは痛みの引かない体でベイリーフに銅貨を渡す。だいたい一枚で小遣い半月分。決して安いわけではないが、ここはケチを付けるような立場ではないことは、流石のマグマラシも自重していた。
「んじゃ、お代も頂いたし、いっきまーす」
 そう言った途端に、ベイリーフは香水をテールナーに振り掛けた。ニオイなどはしないものの、少し酸性が強いのか目に入ると少し痛い。それに鼻に入ると咳き込んでしまいそうなので、鼻を手で抑える。しかしそれ以上に、何か変な空気に包まれている感覚がして気持ちが悪かった。
「どう? 何か変化ある?」
「い、いや特に何も……」
 劇的な変化があっても困るのだが、身を呈して施した事に何の成果も無ければそれはそれで虚しい。
「何だ散々煽っておきながら効果無いんじゃないか。肩すかしだな、お前の香水も」
 テールナーの軽口にベイリーフの目がピクリと動く。少し癪に障ったのか、先ほどまでの笑みを薄くなっていた。
「ほう……まだ分からないわよ。いきなり効果が出るわけじゃないし。どうあなたはマグマラシ?」
 先ほどから黙り込んでいるマグマラシだが、何か我に返ったような少し腹の立つ表情をしている。
「い、いや……正直に言っていい? 近くにいるだけで、結構ドキドキするんだけど」
 正直にとは言っていたが、あまりに反応に困る解答だった。何か喉の奥から戻しそうな嘔吐感が迫ってくる。体の毛が一気に逆撫でする。
「お前……マジでキモいよ」
「素直に感想を言っただけじゃないか! けど何だろう、このニオイ頭の中クラクラするね……あ、これ何かに欲情したときの……」
 まるでゴミを見るような目でテールナーはマグマラシから距離をとる。生理的に今の状況が心の底から嫌悪したからだ。
「じょ、冗談だって。少なくともキミに対しては、何か間違えるような事は絶対にしない自信がある」
「その割には腹立つ顔してんな。ということで近づくな変態」
「だからって蹴りを入れることないだろ!」
 これ以上暴れられて店が壊れたらマズイとおもったベイリーフは、ここで話を切り上げた。
「まぁまぁ、どうやら効果テキメンということで。良かったわね、これでミッションは楽々クリアね」
「全然良くねぇわ。こんなので本当にいいのかよ……」
 この不安にしかならない焦燥感。こんな滅茶苦茶な作戦でキュウコンを迎えようなど、恥さらしもいいところだと、テールナーは情けなく思った。

***

 山の深くにあるキュウコンの住処は周りの空気が少し違う感じがする。神聖というか、あまり木々の無い環境にも関わらず、少し澄んだ空気が漂っている。
 キュウコンに会ったことのないテールナーにとっては、期待と不安で心がいっぱいだった。キュウコンという種族はどういうものかは理解しているが、それでも集落で一番話の上がる相手と垣間見えるのは嬉しい。複雑な心境だが、対面できるきっかけを与えてくれたマグマラシには感謝したい。
「この辺りだったと思うけど、あれどっちだったかな」
 慣れない山道で、奥に進むほど方向感覚が狂っていく。大して変わりのしない景色では、目印と成り得るものが少ないのもそうだ。テールナーもこの辺りには近づいたことはないので、マグマラシの勘を頼るしかない。故に文句も言えないでいる。
 元は霊山と呼ばれていた山だが、今は木々も枯れ果て住むポケモンも少なくなっている。立ち入る事の少なくなった道は、風化して荒れ果ててしまう。ろくに立ち入っていない証拠だろう。
 しかし、先ほどから微かに不穏な空気をテールナーは感じ取っていた。この山が何か震えているような気配に、少しずつ意識がそちらに向いて行く。
「なんだろう、この胸騒ぎ。嫌な予感がする」
 幼い頃から警戒心は強い方だと自負している。本能的に、何か敵対する相手がいる時に感じ取る嫌な雰囲気。ここはもうキュウコンの社に近い。何事も無ければ良いのだが、悪い事を考えると大抵現実に起こるのが摩訶不思議な現象の一つだ。
 マグマラシもその辺りには気付いていたようで、テールナーの言葉に頷いた。穏やかではない胸の内は、マグマラシも同じのようだ。警戒を強めながら、社への道を模索する。ゴツゴツした山肌を駆け足で登り、目的地を目指す。雨も最近降っていないので、乾燥した大地が寂しくもある。
 こんな山中で、キュウコンは何故暮らしているのだろうとテールナーは疑問に思った。長い時を生き長らえているのは知っているが、それでもこんな殺風景な場所に一匹で住み付いているのはどうなのだろうか。何か理由があるのだろうか。
「マグマラシ、この山って何かあるのか。小さい時からこの山の事は聞かされてたが、詳しい事はあまり知らないんでな」
「ああ、集落の皆は滅多に立ち入らないからね。あんまり知ってるのはいないんじゃないかな。かと言って、ボクも耳にしたことは無いんだけどね」
 アハハ、とマグマラシは無責任に笑いを交える。知らないといえ、本当に次期頭領の跡継ぎなのか、疑うほどさっぱりしている。当のマグマラシも今は将来の事についてそれほど深く考えていない。来たるべき時に備えはしているものの、自覚はそこまで根付いているわけではないらしい。マグマラシらしいといえばらしいが、テールナーもこの集落に世話になっているので、ほんの少し心配にはなっているが。
 だいぶ山を登って来た所で、テールナーは足を止めた。先ほど感じた嫌な気配が強くなった。この辺りにその相手がいる。
「あの岩の裏――いるみたいだ」
 テールナーが指示した岩の先は、足場が切り立っており小さな崖になっていた。そこまで高低差があるわけでもなく、飛び降りても足が少し痺れるくらいの高さだ。ここの岩の陰から、崖の下の状況を見渡せる。テールナーとマグマラシは岩陰から様子を伺った。
 嫌な予感はものの見事に的中した。予想通り、見慣れないポケモンが二匹向かい合っていた。緊迫した空気の中、崖下の二匹は睨み合っていた。
「――いい加減素直に分かってくれないかなぁ、社のキュウコンさんよ」
「いくら口を揃えても駄目なものは駄目だ」
 向かい合っている片方の金色のポケモンは、きっとキュウコンだ。遠目からでも輝かしい体毛がはっきりと分かる。まさか初めて目にするこの時が、こんな修羅場とは思いもしなかったが。
 対する側は、何やら柄の悪いポケモン。炎タイプの陣地には珍しく、水タイプのポケモン。二本のハサミが迫力のあるシザリガーだ。本来は水辺に暮らすポケモンなのに、何故こんな水気の無い山にいるのか。そんな事を考える余裕も無く、場の空気は張り詰めていた。
「口の減らない……痛い目を見たくなければそこを通すんだな」
 シザリガーがキュウコンに詰め寄る。苛立ちを感じているのか、行動は粗々しく品を全く感じない。
「何度も言う、この先は私の許した相手しか通す事は出来ない。許されないからといって強硬な手段に出る気持ちは理解出来なくもない。けど、そんな浅はかな手段で私が退こうと? 戯言を。認められたければ、それ相応の態度を示すべきだ」
 頑なにキュウコンは道を譲ろうとしない。シザリガーに向ける凛とした眼は一切の揺らぎも感じられない。決して退くことは無い、と強く示す表れは岩陰から見ているテールナーとマグマラシの目にも色濃く映っていた。
「それとも何だ、この先に何があるのか知りたいのか? それともその逆か?」
 最終警告ともいえるその威圧するキュウコンの態度。ビリビリとこちらまで毛が逆立ってしまうほどのキュウコンの覇気。
「お前には関係ない」
「フン、理由すら言えないとは信用に値しないな。……去れ」
 完全にキュウコンは相手を突き放した。これ以上話しても無駄と判断したのだろう。その昂然とした態度は見ていて気持ちの良いくらい堂々としていた。
 これが皆の言っていたキュウコンなのか。その雰囲気に全ての眼(まなこ)が吸い込まれそうになる。まだ記憶に留めて数分も経っていないのに、キュウコンの存在感があまりにも大きすぎて目を離せなくなった。
「いちいちうるさい狐だ。ならこちらの礼儀ってのを見せてやるぜ!」
 痺れを切らしたのか、シザリガーはキュウコンに向かってハサミを突き出した。話し合いで解決出来なかったのなら、残る手段は一つということか。
 キッ、と灼眼の瞳が鋭くなる。恐らく長い時間このような諍いが続いていたのだろう、キュウコンの表情に穏便さが無くなっていた。金色の逆立つ毛の全てが、キュウコンの意志に沿っているかのよう。怒っている、傍若無人な態度の来客に怒りを覚えている。
 手を出してきたシザリガーの攻撃をステップで避ける。華麗な動きとしなやかな体の捻りに、キュウコンの柔軟さが垣間見える。動きに苦労はしていないそうだ。だが、苛立ちに攻撃的になっているシザリガーは続けて‘はさむ’を繰り出した。鋭いハサミを立たせながらも、動きに無駄がない。狙いをしっかり定めている証拠だ。徐々に徐々に、距離と縮めていく。しかし足場の不安定な岩場において、守りに入る行動をマグマラシは危惧していた。
「あの先、地面の色が違う……危ない!」
 マグマラシの予測が的中したのはその直後だった。脆くなっていた足場に引っ掛けたのか、地面に少しヒビが入る。それよりキュウコンは次の一歩が踏み出せなくなってしまった。
「……!」
 足を踏み外したキュウコンは、バランスを崩しその場に仰け反ってしまう。守りに入りすぎ、反撃の機会が伺えず隙を見せてしまった。
「もらった!」
 一瞬の好機をものにしたのはシザリガーだった。弱点となる、‘クラブハンマー’がキュウコンにヒットした。重量感のあるシザリガーの得意技がクリーンヒットし、キュウコンを突き飛ばす。
 攻撃は最大の防御とは言うが、相手の隙を待っていたシザリガーの執念が勝った結果だ。水タイプの攻撃を真正面から崩れた体制で受ければ、どんな強固なポケモンもダメージは入る。故にキュウコンの顔色も悪くなっていた。
「キュウコンはそんなタフなポケモンじゃない……。このままだとやられる……!」
 形勢が一気に傾く。キュウコンは足が崩れ、一気に体力を持っていかれた攻撃に怯んでしまった。追撃を仕掛けるシザリガーに慈悲は無い。もう一発お見舞いしようと、‘クラブハンマー’を繰り出そうとしていた。
 目の前で起こったキュウコンの窮地。何も感じるわけがない。こんな光景を見せられて、感情に駆られない方がおかしい。黙って見ているのか。そんなわけないだろう。
「――いくぞ!」
 それは同時の反応。若い二匹は飛び出した。こんな衝動に見舞われるのは初めてだ。きっとその意志に、たった一言の意志に全てを惹かれてしまったからだ。あのキュウコンを守りたい。その真っ直ぐな気持ちだけが、二匹を動かしていた。
 崖から飛び降りる勢いを利用し、テールナーは‘ひっかく’、マグマラシは‘たいあたり’でシザリガーの行動を妨害する。勢いに乗った二匹の不意打ちに、シザリガーは突き飛ばされた。
「ぐっ……何だ、お前ら」
 突如現れた横槍に、シザリガーは不服の表情を浮かべる。
相対してみると、思ったほど大きさのある相手ではなかった。だがポケモンは体格だけで強さが決まるわけではない。先ほどのキュウコンに放った‘クラブハンマー’を忘れてはいない。このシザリガーは強い。
 テールナーは尻尾に刺さった枝を振りかぶり、マグマラシは背中の炎が噴出する。共に臨戦態勢となった乱入者は、迷いのない目でシザリガーに相対した。
「帰れって言ってるのに、その言葉も理解出来ないほどなのかてめぇは」
「これ以上キュウコン様を傷つけさせない……!」
 相手の完全な力量も不明なのに、こうして向かい合っている事が愚かなことか。だが抑えられない衝動、背の後ろにいる、守らねばならないポケモンの存在が余計な雑念を振り払ってくれる。
 枝の先、背中から燃える炎の勢いがいつにも増して強い。感情が高ぶっている。意識するほど心がより高みへと上り詰めていく。この張り詰めた空気、闘争心を煽る躍動感ある鼓動がより二匹の心を燃え上がらせている。
「よくみたらただのガキじゃないか。何だ、この邪魔者を守る護衛気取りか?」
「何でもいいだろ。それよりさっさと立ち去れ! これ以上お社様を傷付けるというなら、オレたちがてめぇをぶっとばす」
 ただ無性に擁護したかっただけだ。そうでもしないと、この抑えられない気持ちの説明がつかない。
「フン、俺は猛烈にイライラしているんだ。邪魔立てするなら痛い目にあってもらおうか!」
 シザリガーが先に攻撃を仕掛けたのはマグマラシだった。キュウコンに繰り出したのと同じ、‘はさむ’がマグマラシに襲い掛かる。その行動をマウントを取りながらマグマラシは見切っている。
「ぐっ!?」
 しかし直撃寸前で、シザリガーは背後から凄まじい炎の攻撃を受ける。先にテールナーの‘かえんほうしゃ’が起点を招いた。技を繰り出してから命中するまで、シザリガーが反応出来なかった。繰り出す技の速さは鍛練を積んでいないと身に付けられるものではない。威力も申し分ない。炎の勢いを物語るのはテールナーの枝の先。先ほどまでに燃え上がっていた炎がより一層勢いを増している。
 その隙を、マグマラシは追撃した。力を溜め、炎を自らの体にまとい、‘かえんぐるま’をシザリガーの懐に叩き入れる。ドスン、と鈍く重い音が響くのは、かなりの威力がある証拠。突き飛ばされたのを確認すると、マグマラシはテールナーに軽くガッツポーズをした。
「いいね、今の。普段から特訓している成果が出てるんじゃない?」
 マグマラシの言葉に、テールナーは軽く手で振りかぶった。少し照れくさい気がするが、今の攻撃を褒められたことは少し悦ばしい。
「ぐっ、こいつら……やる……!」
 潔く飛び出してきたことあって、油断していたシザリガーの表情が険しくなる。見た目からは予想もつかなかった、この二匹の実力。遊び程度で鍛えたものではなく、鍛練を積んでいないと成しえない力。
 これは二匹同時に相手をするのは骨が折れる、そう判断したシザリガーはせめて一匹でも足止め出来ればと、一つの策を使った。
「チッ、舐めていたが二匹じゃあ辛い。なら、そっちだけでも動けなくしてやらぁ!」
 狙いを定めたのはテールナーだった。シザリガーのハサミから、ハートのような光線がテールナーに直撃する。
 異性の相手を行動不能にする‘メロメロ’だ。外見には似合わないが、殆どのポケモンが使える厄介な技。それだけに対策が難しい技だ。
 これで大人しく――なるはずだとシザリガーは思っていたのだろう。しかし、ケロッとした表情でテールナーはその場に立っていたことを、マグマラシは結果が出る前から分かりきっていた。
 しかし うまく きまらなかった――ようだ。
「ああ、キミの事を完全にメスだと思ってたみたいだね、あのポケモン」
 シザリガーの過失に、マグマラシは憐みの表情を浮かべた。そしてテールナーから距離をとる。
「なるほど。こりゃすげぇわベイリーフの香水。完璧にカモフラージュしてんじゃねぇか……」
 軽く息を吐き、テールナーは一歩左足を前に出した。同時に右手の枝がミシミシと震える。複雑な感情が複雑に入れ混じり合い、言葉に出来ない怒りが込み上がって来る。
「お、お前、【オス】……だったのか……! ちくしょう、騙しやがって!」
 テールナーの顔が引きつり、その表情はとても年相応とは思えなかった。テールナーを【オス】と勘違いしたシザリガーには申し訳ないが、元はキュウコンへの擬装の為に仕組んだもの。それをまさか火に油を注ぐ形でこうなるとは予想もしていなかった。
 作戦が狂ったシザリガーに焦りの表情が浮かび上がる。そしてテールナーに向かって撃った‘バブルこうせん’は直線上にテールナーに直撃する。
「騙してなど――いねぇ!」
 怒涛の咆哮と共に、テールナーの周りから‘ほのおのうず’が‘バブルこうせん’の攻撃を蒸発させる。怒りに身を任せ、どうやら自発的に自らの炎の威力を高ぶらせる特性‘もうか’が発動している。何とまぁ型破りな事態だが、それほどテールナーの心境は荒んでいるのだろう。
 炎を身にまとい、走り抜け、シザリガーに向かって枝を突き刺した。滲み出る激憤を露わにし、右手に持った枝から炎が収束する。力を溜め、感情を込め、ただ“そう見られた”事への報復として。テールナーが繰り出せる最も威力の高い技をほぼゼロ距離で繰り出す。
 そうして怒りに任せた‘だいもんじ’がシザリガーに命中するところまでを、マグマラシは見ていたが、その後の断末魔までは思わず目を反らしていた。少し不憫にも思える、シザリガーの顛末に僅かながらの慈悲を。
 あのテールナーの様子を伺うに、相当なストレスだったのだろう。時折からかったりしてテールナーの反応を楽しんでいたが、内心は怒りに湧いていたらしい。よくそんな事を引き受けてくれたものだ。後でしっかりと謝っておこう、とマグマラシは炎に燃え盛る目の前の光景を痛々しく、神妙に思い至った。

***

 あの不愉快な香水の効力は、シザリガーの‘バブルこうせん’を受けた時に効果が消え去ったらしい。水で簡単に落とせる香水なら、それなりのリスクがあったのだろうが。炎タイプのテールナーが好んで水に入ろうなど思わなかったため渡したのだろう。
 シザリガーを撃退したことで、不穏な空気はもう消え去っていた。慌てて逃げ出したシザリガーに詳しい事情でも吟味すれば良かったと、テールナーは最後にすっきりした表情でぼやいていたが。ダメージを受けたキュウコンも、危機が去った事で安堵したのか、ある程度元気にはなっていた。
 危機は去ったが、まだ肝心の本題すら達成していない。
 社、というよりも洞穴に近い。キュウコンに連れられ、シザリガーの侵入をことごとく拒んで来た社の中に、二匹は立ち入っていた。
 中は外との温度差があり、少し肌寒い。空気が冷え込んでいるのだろうが、この温度差はいったい。そして異様な気配のする独特の空間。キュウコンはこの中で寝泊まりをしているのだろう、簡易的なわらの布団しか目立つものが無い。
 だが何かこの場所だけが、別の世界と繋がっているような感覚がした。言葉では上手く表現出来ない、ミステリアスなフィーリング。空気の流れが外の世界と違う、あえて言うならそうだろう。
 キュウコンは尻尾をゆらゆらと揺らしながら、助太刀に入った若い二匹を迎え入れた。
「世話になったな。お前さんたちが来てくれなかったら危なかったかもしれない。感謝するぞ」
 聞くものを惹き寄せるかのような声色に、自然と背筋が伸びる。シザリガー相手には高圧的な貫禄ある言葉だったが、今は優しげのある穏やかな口調。何よりその容姿に感嘆する。美しく整えられた金色の体毛は、どんな光よりも輝いており、特徴となる九本の尻尾はいつまでも見つめていたいほど艶やかな動きで見る者を夢中にさせる。
 言葉を失うかのような可憐さと秀麗さ。マグマラシが緊張して言葉が出なくなるのも分かる気がした。
 だが、マグマラシは二度目の対面ということで、多少は落ち着いた様子を見せていた。それでも他者から見たら相当テンパっているのだと思えてしまいそうだが。
「い、いえそんな……。ボクらは当然のことをしたまでですよ」
「けどその勇気は誰にでも成し得ることではない。最高にかっこよかったぞ、ふたりとも……な」
 少し視線をマグマラシからテールナーに向ける。灼眼の瞳が少し緩く細め、テールナーの目を見開く。含みのあるその目が、テールナーの心中を察した。
「あの、キュウコン様……」
「今は私たち以外に誰もいない。呼び捨てで構わないぞ」
 色香のある笑みを交え、マグマラシの緊張をほぐそうとする。だが、異性の色気に敏感な年頃のマグマラシには逆効果だったようで、より色めき立っていた。一つ一つの動作全てに品があるのも影響しているだろう、こんな緊張してしっかりとまた伝えられるのか少し心配になってくるが。
「え、えと、さっきの攻撃の傷は大丈夫ですか?」
「なに、少し体の節々が痛いだけだ。油断していた私の所為、心配するほどではない」
 どうやら大事には至らないのは安心した。キュウコンにもしもの事があれば、いったいどうなっていたやらとホッと一息マグマラシは安堵する。
「して、お前さんたちはどうしてここへ。私の所に来るのなら、何か私に用があるのだろう?」
「えっ?」
 マグマラシは予想とは違ったキュウコンの言葉に、目を丸くした。あれ、と疑問に思いながらも、少し慌てた口調で来た理由を話す。
「あの……先日ボクとの約束事を果たす為に、今日こうしてお会いしに来たのですが……」
「約束? はて、何かしたか?」
 眉をしかめながら、首を傾げるキュウコンに、二匹は口を開いたまま閉じなくなる。
「え、えと……確かボクと話しましたよね。許嫁の件で……」
 その言葉と耳にして、キュウコンは一瞬だけ目を見開いた。マグマラシの問いにおぼつかない様子だ。少し目が泳いでいる。何やら怪しい。
「ん……? あっ」
 記憶の隅からやっとの思いで掘り起こした、という顔を見せた。このキュウコンどうやらマグマラシの約束を完全にすっぽかしていたらしい。
「ああ、そういえばそんな話をした記憶が……あるようなないような……。あの時は色々飲まされて酷く酔っていたから……。お前さんと話したのは微かに記憶にあるが、いかんせん話した内容まではの……」
 散々弄ばされて、この結末はいかがなものか。キュウコンも悪いといえば悪いが、泥酔状態で話していたとはマグマラシは言ってなかった。よほど緊張してキュウコンの顔色すら伺えなかったとだろうが。
 マグマラシが口をあんぐりと開いている側ら、テールナーは重い溜め息を吐きながら手を額に当てた。当の本人が当の約束を忘れていては話にならない。普通なら一言二言、物言う所だ。ところがこのキュウコン、妖艶な雰囲気から一変して誤魔化すようにかわい&ruby(こ){狐};ぶっているのを見ると、どうにも口出し出来なくなる。異性に屈する一つの要因だ。
「そ、そんな……あれからどんだけ苦労したと……」
「うーむ、悪い事をしたな。変に悩ませていたなら謝ろう。お前さんのプライドもあまり傷つけるのも可愛そうだからな」
 クスリ、と再びテールナーに視線を向ける。先ほどと同じように、何か言いたげな表情で含みのある笑いを手向ける。何かマグマラシとは違う、テールナーにだけ向けるキュウコンの視線。少しむず痒くもあるキュウコンの行為にテールナーは思わず目線を反らした。
「と――もしや話から察するに、もしかしてそこのテールナーがお前さんの連れて来た?」
 ギクッと二匹は言葉を詰まらせた。忘れていたのなら、無理に掘り起こす必要は無かったのに。瞬時の機転が働かなかったマグマラシのミスだ。
「フッフッフ、テールナーのお前さんからは微かにメスの匂いがする。けどそれはお前さんの出すフェロモンのわけがないよな? まやかしに仕組まれた擬似的なニオイなのだろうが、私は騙されないぞ」
 ニコリと笑みを浮かべるも、その裏にはしっかりと理由を聞いてみたいと顔に書いてある。
「こりゃ降参するしかないな……。マグマラシ、腹括って話せ」
「え、ボクが全部言うの?」
「当たり前だ! お前のせいでこんなややこしい事をしていたんだろ!」
 ドシッと空洞内にテールナーの尻蹴りが決まる。何十回に一回の綺麗なクリーンヒットが炸裂し、マグマラシはその場にうずくまる。相当堪えたのだろう、小さなうめき声と共に地面にのたれるそのリアクションに、キュウコンは驚いた表情を見せたあと、プッと笑いを吹き出した。
「仲が良いのう、お前さんたち」
「こ、この状況でどこをどう捉えたらそうなるんですか……!」
 マグマラシの悲痛の訴えと、無視をするテールナーに対照的な態度の違いにもキュウコンのツボにはまったようだ。
 少し話す程度と思っていたが、キュウコン自身もこのコンビに興味を持ち始めていた。軽口や軽い暴力でお互いを罵り合うも、いざとなった時の呼吸のシンクロは目を見張るものがある。長い時をお互いに真の意味で共有していかないと成しえない関係だ。
 これまでの経緯を、マグマラシはキュウコンに話す。発展となったキュウコンの話から、自分には許嫁などいなかった事、テールナーに協力してメスとしてマグマラシの偽りのフィアンセになった事。そして性別を誤魔化すだけに怪しげな香水を使った事。思い出すだけでも馬鹿馬鹿しくなってくる。香水の件に関しては、少しだけ役には立ったが。
「フフ、なるほどな。まぁ元はと言えば、私がお前さんをを無茶振りをさせたのがいけなかったからな。改めて謝罪しよう」
 尻尾でなだらかにマグマラシの頭を撫でる。ふわふわとした金毛の肌触りがすごく気持ち良い。ずっとこのままされていたい程、その感触が癖になりそうだった。
「その香水を作った相手というのは相当イタズラ好きのようだな。【オス】を惑わす香水とは、なかなかにユニークな代物じゃないか。私にも是非紹介してほしいな」
 冗談っぽく言うが、キュウコンが言うと何故か冗談に聞こえないのは何故だろうか。気が向いたらね、とマグマラシは聞こえない程度に呟いた。
「けど、次はこのような事は仕組まないようにな。今回はそのまやかしのお蔭で助けられたのだから、別に咎めたりしない。だがもし次に私を陥れるようなことをしたら……どうなるか分かっておるな?」
 長い舌をペロリと舐めずさりながら、二匹を忠告する。艶めかしく、そして恐ろしげに感じ取った二匹は自然と背筋が伸びる。いちいち行動に色気があるのもそうだが、何やら意地悪な意図が見え隠れするのがもどかしかった。
「しかし、お前さんならそんな香水などいらないんじゃないか? そのままでも充分魅力あると思うぞ」
「オレは【オス】ですよ! あなたまで皆と同じ事言わないでください!」
「フフ、照れるでない」
「照れてない!」
 完全に上手を行かれる。だがからかう表情も可愛く、自然と怒りが引っ込んでしまう。ある意味魔性の持ち主だ。迂闊に隙を見せたら喰われてしまいそうで複雑な気持ちになる。
「――くしゅっ」
 と、いきなりテールナーは軽くくしゃみをする。空洞内のひんやりした空気が、今になって影響してきたようだ。我慢しようとして軽くしたつもりが、甲高い声と共に発してしまった。その声に反応するように、キュウコンはピクリ、とテールナーの方へ視線を向けた。
「はは、炎タイプなのに寒さに負けてるじゃないか」
「うっさいな、寒いのは苦手なんだよ」
 マグマラシはニタニタと笑っていた。テールナーは鼻を手ですすり、腰に手を当てる。
 言葉は少し荒っぽいが、やはりまだまだ子どもらしさが残るこのテールナー。そして自然体として天真爛漫に振る舞い、ひたむきなこのマグマラシ。
 健気な子どもたちじゃないか。ニタッとキュウコンの口角が吊り上る。
「少し辛いか? ならこうしてみるかの」
「へっ……?」
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 キュウコンが二匹に寄りかかる。マグマラシがその行動をいち早く察知して顔から火が出そうになった。
「え!? ちょ、キュウコン……!」
 予想外の行動に、二匹は激しく動揺した。二匹を包み込むようにして大きな体で抱き締める。体格そのものが大きいというのもあるが、尻尾の容量と共に、軽々とテールナーとマグマラシを包み込んだ。金色の体毛に包まれ、目の前が黄金に染まるのは圧巻な光景だった。同時に感触する、キュウコンの匂い。暖かで、荒んだ心も落ち着きそうな甘く優しげなほのかな香り。軽くもキュウコンにもたれかけるだけで、不安がまるで無かったかのように安心した気持ちになるような。それほどインパクトの強い芳香だった。
「助けてもらった礼もしてないからな。こんな事しか出来ないが、寒さは凌げるだろう?」
 お礼にしては贅沢すぎやしないかと。特にマグマラシは恥ずかしさと大胆な行動に目を丸くして、顔が真っ赤になり意識を失いそうになっている。目の前にアホな光景があるお蔭で、テールナーは思いのほか取り乱さずに済んでいた。
「ここでは誰も見ていない。お前たちと私しかいないんだ。だから存分に甘えていい。今日は特別だ、色々張り詰めているものがあるだろ」
 キュウコンの甘言に二匹は耳がピクリとなる。これほど暖かく気持ちが揺らいでいる中で、そのような事を言われては素直に聞いてしまう。特に異性に対する免疫は薄い。欲にまみえるかのように、テールナーとマグマラシはキュウコンを抱き締めた。
 特にテールナーはキュウコンに抱き付く強さがあった。
 暖かな匂いとふくよかな感触に、緊張の糸が解れていく。キュウコンの胸の内に引き込まれた二匹の表情は赤く染めあがっている。
 こんな綺麗なメスにここまで大胆に寄せられて、多感な時期の二匹には、まだメスの匂いは刺激がありすぎる。
 何も言葉を発する事が出来ない。少し混乱気味になっているにも関わらず、この安堵感は何なのだろうか。暖かな太陽に包まれているかのような、優しい光の中にいるように。
 懐かしくもあり、自分の中で欲していたものが一つ見つかったかのように。香りに釣られ、テールナーは小さな声でクルル、と鳴く。それは子どもが親にすがるかのように。
「テールナー、お前母親がいないのか」
 キュウコンの言葉にテールナーは目を見張った。そして言葉を失う。
 何も言ってないのに、何も示していないのに。ただ抱き付いただけなのに。少し高い声が無意識に出たが、たったそれだけなのに。
「その様子を見れば察しがつく。これでも一応子守りはしてきているからな」
 口角を吊り上げ、キュウコンの笑みにテールナーの表情が柔いでいく。誰かの胸の内から顔を見上げることなど今まであっただろうか。少なくとも物心つくまではない。
「もう自分で判断できる年とはいえ、親のいない身は辛いものだろう。甘える相手もいなければ、叱ってくれる相手もいない。けど、お前には理解しあえる友がここにいる。だからひとりじゃないから、生きていけるんだろ」
 テールナーに母親はいない。物心が付く前から、すでにテールナーの記憶上には存在しなかった。母親もいなければ父親もいない。いわば天涯孤独の身にも、一日一日を生きてきた。一匹で生き抜いてきた身として、誰かにすがる事は自分を否定してしまうようでならなかった。
 そんな身寄りのないテールナーにも、マグマラシという馬鹿だが心許せる友がいてくれるだけで何度救われたか。他愛ない友の有り難さを、改めて身を持って学ぶ。
「……オレをメスとして出そうとした、ふざけた野郎だけどな。けど、その通りだ」
 テールナーはギュッとキュウコンの胸の内に身を寄せた。本能的に、何かを求めるかのように、テールナーは母親に甘える子どものようにすがり付く。
 それに応えるように、キュウコンも抱き寄せる。今だけ少し子どもになって甘えていたい。テールナーの中の張り詰めていたものが徐々に緩和されていく。
「マグマラシ、お前さんは幸せだな、友と共に笑ったりふざけあったり出来るのは」
「うん、ボクも何度もテールナーに救われているから。今回の事だって、テールナーを巻き込んでしまったし、結局ボクは誰かに頼ってばっかりだからさ……」
 こんな怠惰で集落を纏める長だなんて、ビジョンが全く見えない。マグマラシも不安で仕方なかった。
「オレの事気にしてんならそりゃ杞憂だ。こんなのいつもの事だろ、お前の尻拭いをやっていてそりゃめんどくさい事もあるけど、別に嫌じゃないからよ」
「ほう。テールナーは普段から尻拭きを担当とは。相当お前さんは面白い立ち位置にいるな」
「違いますよ! あなたまでそう言われたらすごく反論しづれぇ……」
「何、お前たちの尻の関係は一朝一夕で結べるものじゃないのは見ててよく分かる」
「いや、あのそうじゃないんで。絶対その言い方悪意あるでしょ」
 ククク、と含みのある笑いを込め、二匹を尻尾で撫でる。こうしてからかわれるのは弄られやすいから。そう思い始めているテールナーだが、別に嫌な気はしない。
 こうしてからかい、からかわれるのも誰かがいなくては出来ない。誰しも一匹では生きていけない。そんな当たり前のことを、こうして改めて気付かされるのは本当に幸せなことなのだな、とテールナーは心の中で微笑んでいた。
「けど……皆がすごいポケモンだ、て言うからどんなのか気になっていたが、何かすごい親近感が湧いたよ」
「そうだね。もっと何というか、お社様と言われているくらいだからね。そんな凄い方にこうしてギュッとされているのも贅沢な話だけど……」
 フッとキュウコンの表情が陰る。
「私はそんな崇められるほど凄いポケモンじゃないさ」
 二匹の頭を自分の胸の内に寄せ、キュウコンは少し悲しげな口調で真率に語る。
「集落の皆は神様だのお社様だの、そんな大層な役割は私には似合わなすぎる。ただ数十、数百くらい長く生きているだけだ。長く生き長らえればそんな風に祀られるなど、私にとってみては複雑すぎる役目。気持ちは有り難いが、所詮はごく普通のキュウコン。お前たちと何ら変わりはないよ」
 キュウコンは長い時を生きるポケモンとして語り継がれているが、やはり何百という数字が出るとその重みがより伝わる。寿命の短いポケモンなら、その価値がより尊大に感じるだろうが、それは自分たちが見る事の出来ない世界にいることへの、憧れでもあるからだろう。
 神妙な表情でテールナーはキュウコンから目を反らした。キュウコンの何分の一としか生きていないテールナーにとっては、その重さの本当の意味が理解できなかった。それが悔しかった。
「がっかりしたか? このただのキュウコンに」
「分からないけど……、それでもごく普通にしては、その……凄く魅力あるし、めちゃくちゃあったかいし、良い匂いだし……あなたほど綺麗で美しいキュウコンはいないと思う。だから、そんな謙遜しなくていいと思うぜ」
 ハッと気付いたのはその直後。テールナーの顔が真っ赤になっているのは目の前の二匹おろか、自分でも分かるくらいに顔が熱くなっていた。
 ちょっと時間を巻き戻して数刻前の自分を蹴り上げたい。自分で自分を蹴るなどそんな事は出来るはずがないのだが、それほどテールナーは紅潮していた。
「フッ、ハハハ! ちょっとかっこ付かなかったなぁ」
 最後の大照れさえなければすんなり決まっていたかもな、とキュウコンはからかうようにテールナーを強く抱き締めた。胸のモフモフとした毛が顔に食い込み、柔らかな胸筋が強すぎる匂いと共に感覚を刺激する。ちょっと柔らかめの胸も、ほんのりと母性が溢れこれも心地よい感触がふわふわと。
「けど、嬉しいよ。私をそんな風に見てくれて。優しいなお前は。私はそういうお前が好きだぞ」
 穏やかな笑みを浮かべ、テールナーを愛撫した。その表情を見て、テールナーはキュウコンに望んでいた言葉を掛けられた事が少し嬉しかった。
「あ、ありがとう……けど、く、苦しい……」
 ボリュームのある毛の中から自力で脱出する。キュウコンの匂いに堪能したテールナーの表情は、まるで踏み込んではいけない世界から帰ってきたかのように頬は真っ赤に紅潮していた。初心なテールナーにとっては刺激が強すぎたらしい。
 そしてその傍観しているマグマラシはニヤニヤと。何かを気色取ったかのように。
「けどテールナー、愛の告白にしてはちょっとクサいよね」
「うっさい! お前は黙ってろ!」
 キュウコンに抱き締められているため、マグマラシの腹の下に突き蹴りを一発いれたかったのだがそうはいかなかった。後で覚えていろと、テールナーは照れながらマグマラシを睨みつけていた。
「すごく落ち着く……キュウコンってこんなにあったかいんだな……」
「うん、誰にも邪魔されないんだ。ボクらのある意味秘密な関係だね」
「フフ、なーにお前さんたちのような若い子たちが元気にしているのが一番の嬉しい事だ。また来たくなったらいつでも来ていい。お前たちなら大歓迎だ」
「本当か? じゃあまた時間が出来たら来る! この山道を登るはの少ししんどいけどな」
「いいじゃん、テールナーなら体力が付くと思えば苦じゃないでしょ」
「そうだな。鍛えろ」
「何でオレにばっかり強要すんだよ!」
「ハハハ、その真意はまた教えてあげる。また来よう、ここに、ね」
 時には長寿が絶対的な存在となることもある。テールナーもマグマラシも、これから何年生き長らえるのかは誰も知らない。時にはその命の灯が突然として消え失われる事もある。けどそんな誰もが訪れる死期をいつも考えることなんてまず無い。皆明日に向かって今日を生きる。
 この焔の集い、また三つの魂がこうして暖かさを共有しているのも、今日まで命を灯してきた証拠。誰かの灯が、誰かの命を照らす。それは当たり前で、この世界にはなくてはならない理。今日という焔が、また明日への道程を示してくれる。
 不思議な一日を、またいつか。必ず。

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