#include(第三回仮面小説大会情報窓・非エロ部門,notitle) [[火消し屋・上]] #contents 作者……[[自称『観光小説ばっかり書いている人』>リング]] **海辺の街のお騒がせ [#ccae33bb] 旅を続けるアゼムは小さな漁村へたどり着いた。この街は、海の守り神として知られるポケモン、ラティオスとラティアスの伝説が残る一帯の外れの方にあり、民間信仰として一双の龍を崇める地域としては最南端か。 あらゆる命を守らんと、津波に対し果敢に立ちかった双子の兄弟は、津波に対して全生命を賭してのサイコキネシスを放つことで陸地が呑み込まれるのを防いだという。そんな一双の龍は、多くの命を守った功績からか子孫繁栄に御利益があるとされ、男根が巨大に形作られたラティオス(大体は逸物が顎にとどかんばかりの大きさがある)や、ラティアスとまぐわっている最中の木彫り、石彫りなど何とも形容しがたい民芸品が作られている。 この街を守った本人がこれを見たらいったいどのような顔をするのやら? 複雑な思いが駆け巡る木彫りの像は、前述した通り子孫繁栄の御利益があるのだが、アゼムにとっては今後役に立つかどうか疑問であった。婚約者を宛がわれる事になっていたアゼムは恋愛に疎い。同年代の子供と話すこともまれで、誰とやった? 何回やった? 気持ち良かったか? そんな会話に加わることもせず。ともかく、恋愛に対する知識も興味も薄くなってしまう。 しかも、その婚約者とも今後会えるかどうかは微妙な所。結婚できなければ子孫繁栄のお守りも意味などない。 「こんなに大きくても……ラティアスが困るだろうし、それに……私はどうせ使わないんだろうけれどな」 アゼムは苦笑して、木彫りの巨根ラティオスの像を棚に戻す。そんなアゼムの性事情はさておいて、この街は少々込み入った事情を抱えていた。 「え、えーと……こんにち……は?」 木彫りの土産品は買わなかったが、とりあえず食料を買い込んだアゼムが店主へ首を傾げながら挨拶をする。首を傾げる必要があるほど話しかけにくい状況にある目の前の相手は、眠っているわけでも倒れているわけでも、もちろん昼から盛っているわけでもない。話しかけづらい状況なのだが、そもそも相手がそこに存在するのかどうかすら怪しくて。 「あぁ、こんにちは」 テレパシーのおかげで感情をキャッチ出来ているアゼムにとっても、それは初めてのことだった。 「……驚いた。本当に透明なんですね」 住民が、一人残らず透明になっている。原因は不明……だが、ラティアスとラティオスは自身の体を風景に同化させることで透明になる事が出来ると言う。それが、何らかの形で暴走しているだとか、そんな風に囁かれている。暴走した理由についての憶測については諸説あるが、どれも出所不明の噂の域を過ぎないものだ。 最初は珍しがっていた住人とその付近の者たち。しかしながら、透明なのをいい事に周囲で泥棒が公然と発生したり、手が見えないせいで料理や木彫りの最中に怪我をしてしまったり、医者が患者に対して何も出来ずに困ったこともある。 「もう、その反応もこりごりだよ……」 ただでさえ、この村では疫病が流行って疲弊した後なのだ。女性三人組の旅の名医が鮮やかに治療していってくれてから起こった、透明化現象。それからは散々だ。泥棒のせいで村の評判は悪くなる。村の生活は不便になる。道端で倒れていたって誰も気にしちゃくれない。悪いことばかりで、店主の口から自然と愚痴が漏れるのも仕方ない。 誰かに、これをどうにかしてほしいという依頼も方々に出ているのだが、こればっかりは記憶を消す力でどうのこうのというのは出来るかどうか怪しい。 何でも龍の神が住んでいると言われる島が近くにあって、この騒動の原因を解明しようとそこへ訪れようとした村民は全て謎の雷や大波で近付けないでいるのだと。謎、と言いつつも十中八九島に住む龍が原因なのだろうが。 「で、外から来た人たちも……」 「当然だ。神は何らかの理由で怒っておられるんだ……このままほとぼりが冷めるまで透明なのか、それともどっかに引っ越した方が手っ取り早いのか……」 意気消沈して店主は溜め息をつく。種族も表情も分からないので、アゼムは何と話しているのかわからなくて気持ち悪い。 なるほど、話には聞いていたが、こうやって面と向かって話していると、それが実感で分かる。 話し終えてみて、アゼムはふと離れ小島を見る。遠くの方、水平線の間際にある島は、目をこらさなければ見えないほど。潮の流れが上手い具合に行きが左、右に帰りの道をサポートしてくれる流れがあるため、水タイプでなくともあの島へたどり着くのは簡単だという。 祈祷師、魔術師、神官。呼び方は様々であるが、アゼムも別の神に仕える者のはしくれ。もしかしたらそんな自分なら――なんて、淡い希望を持ったアゼムは、無謀にもその島に行ってみようかと興味を持った。 &ruby(ゼム){記憶を消す者};としての仕事も良いが、こんな形で神に関わる仕事も経験しておくべきだろうと、彼の脳裏に残った観光気分に突き動かされる形でアゼムは行動を起こす。 借りた小舟は粗末な物で、&ruby(しけ){時化};の日には瞬く間に沈んでしまうようなものだろう。しかしながら、今日の海はとても穏やかで、どんな間抜けでも沈む事は無い。如何に神が村の住人を拒絶していようとも、その辺の事は心掛けており、近づく者を拒絶する事はあっても殺すような事まではしない。 そこらへん、まだ分別をわきまえているのかもしれないが、わざわざ訪ねたくなるような透明化なんて現象を引き越しておいて会いたくないと言うのも変な話。しばらく誰も神の姿を見ていないこともあって、多くの者が様々な噂をたてたものだ。 やれ、出産を控えたラティアスがいるとか。やれ、龍の力が暴走して擬態能力が住民にまで伝染しただとか。それら有象無象の噂話を反芻しながら…… 「たどり着いちゃった……」 雷も、津波も襲ってこない。本当に、ただなんとなく舟を漕いでみただけだと言うのに、どうしてこんなことが起こるのかと疑問になるくらい、あっさりと。きっと、ここの住人が透明化する前は、これくらいあっさりとたどり着けてしまったものなのだろう。 「龍の怒りなんて妄想だったのか? それとも……」 幻、もしくは記憶の嘘というのが真っ先に浮かんだ。記憶に嘘を作ったり記憶を失わせたりするのはアゼム自身が持っている能力であるためよくわかっている。相手は神の龍と呼ばれるラティアスとラティオスで、夢写しなどという能力はよく知られる所だし、それ以上の力を持っていてもおかしくは無い。 &ruby(ゼム){記憶を消す者};である以上、アゼム自身にも心や記憶に干渉する力に対しては耐性を持っているが、それを使われた形跡すらない。自分と同じく、知覚すらさせないほど巧妙なのか、それとも&ruby(ゼム){記憶を消す者};である(というか、神に仕える役割である)自分を神がうけいれているのか、そのどちらかは分からない。 アゼムは、長い間&ruby(ゼム){記憶を消す者};の修行をするうちに神に会ったことはある。ユクシーの魂が抜けだした状態で微笑まれただけだが、それだけでも感動的だったのをよく覚えている。 だが、今回ばかりは心躍るようなワクワクを感じる余裕がない。なんたって、これでは話が違いすぎる。今まで来た者は安全に島に乗り込む事さえできず、そして追い返されたと言う。異常事態である事が普通になってしまうと、今度は普通である事に何か不安を覚えるものだ。 神に仕える者の霊感を感じますなどと言って、歓迎してくれるならばよし。しかし、『神に仕える者は霊感が高くて美味しいんだ』などと言われて喰われてしまったらどうしようなどと、浮かぶのは勝手な妄想。そう、勝手な妄想。 夢写しやテレパシー等、心に干渉する技の持ち主。もしかしたら自分の心は身透かされているのかもしれないとアゼムはふと思う。そうなると、自分は何を思っていただろうか? この島に住むと言う龍神に対する好奇心? 村人の透明化を治そうと言う使命感? それとも、自分に対してならば会ってくれるかもしれないと言う根拠のない自信であろうか? 分からない……が、もしも自分の行動が見られているのだとすれば。自分が招かれているのだとすれば、くるくると回りながら帰ろうか進もうか悩んでいる自分の姿がとても恥ずかしく思えてしまう。 帰ろうとすると雷が落ちた来るわけでもないが(というか、それだと流石に捕食を疑う)、神は招いておられるのだ。ここで帰ってしまっては、&ruby(ゼム){記憶を消す者};としての品格も地に落ちると、アゼムは覚悟を決める。 深呼吸して心を落ち着けると、アゼムはゆっくり歩み出す。小島の岸に止めておいたボートが流されやしないかと気にしつつも、心のありかは龍神へと向ける。どんな神々しい姿をしているのであろうか? ワクワクするよりも先に、とりあえず無粋な驚き方をしないようにと、アゼムはどんなことがあっても驚かない心構えで島の中心部にある祭壇へ。 石畳で作られたそこは、所々にあるひび割れから雑草が顔をのぞかせ、相当に年季が入っていることを伺わせる。人間の住む場所ではない、そう考えるだけで何故だか神秘的な印象を受けた。たった数十メートルの全長しかない小島、隠れる場所は無いのに、生活の跡があるのに見つからない神、龍神ラティアスとラティオス。その神々しい姿が、石畳から続く石階段を上った先にある。確信に近い根拠のない勘をともない、アゼムは登る。 石段を登るごとに高鳴る鼓動、この先に神がいると思うと否が応にも背筋が伸びる。深い深呼吸。 「もたもたしているわね?」 階段の上に突如現れた真紅と純白。ラティアスだ。 「あ……神」 自分で口にしておきながら、何て言い草だとアゼムは思う。 「そう呼ばれているわね」 若干不快そうな顔で、彼女は溜め息をついた。驚かないと決めておいて、アゼムは結局驚いてしまい、深呼吸してなんとか平静を取り戻す。 「お会いできて光栄です」 手を交差させて地面に手を付く土下座の姿勢。この体勢になると、すぐに立ち上がって攻撃するような事を行えず、それゆえ神に対して手を上げるような事をしないと言う意思表示となる。アゼムがかつて暮らしていた集落での作法であり、これがラティアスにどう映るのかは分からない。 「神である事って大変ね……いいわよ、普通に立ち上がって」 神は、冷ややかな反応であった。 「は、はぁ……では、お言葉に甘えて」 アゼムは言葉通り、普通に立ち上がり、彼女の目線より少し低い所に眼が行くように浮き上がる。 「今みたいに&ruby(かしず){傅};かれるのは悪くないんだけれど、それを拒否したい時もあると言うのに……結構みんな、ずかずかと入り込んでくるのよね」 「失礼ですが、何の話でしょう?」 「悩みの相談よ」 塞ぎこんだ彼女の表情が、全く動かないまま口元が揺れる。 「ごめんね、見ず知らずの貴方にこんな無粋な要求受けてもらっちゃって」 「は、はぁ……」 要求を受けてあげた覚えのないアゼム曖昧な返事を返す。 「貴方、神に仕えた経験は……?」 「ありますけれど……」 「そう、よね。そんな気がしたから招いてみたんだけれどね」 「……私はやっぱり、招かれたのですか」 うぬぼれていたわけではないが、適当な予想が当たってアゼムは困惑する。何か厄介事に巻き込まれそうな嫌な気分がする。 「ええ……神に仕えた経験があるなら、私の悩みを上手く導いてくれると思ってね」 大きな目を揺らすように瞼が震えている。 「いったいどうされたのですか?」 さっさと本題に入ろうと、アゼムが急かす。 「私にはね、子供がいたんだけれど……」 その急かしに応じてラティアスもまた、語り始めた。 「ある時、海岸の村で疫病がはやった時に、御祈りに来た村人に病気をうつされて死んじゃったの……うつされたっていう確証は無いんだれどね……病気の子供を普通に連れて来たから、多分そうなんだと思う」 抑揚を排したぼやき声でラティアスはつらつらと語る。 「それは……災難でしたね。私も兄弟を失ったことはありますが、お腹を痛めて産んだ子供を失った辛さは……察しかねます」 「でも、村人はそれを知らないから、病気をうつしてしまったと言うのにぬけぬけと私の元に御祈りに来る……。あんまりにもうざったいから、腹いせにって……思って、あんなことしちゃった」 「それが……透明化?」 腹いせであんなことが出来るとは、どういう力の持ち主なのだとアゼムは唾を飲む。 「私は、自分を失っちゃった気分だからね……あんたらも見失っちゃえってさ。いや、おとなげないとはわかっていてもね」 ふーっと、アゼムはゆっくり息を吐いた。 「いやさ、村の皆も子供を普通に失ったわけでしょう? だったらお相子だし、もう気も済んだんだから……神だって病気で死ぬことを分かってくれればさ……海の村の奴らが態度を改めて、神に対しても病気をうつさないように対処してくれるんなら許したいんだけれど。 でも、後に引くタイミングを見失っちゃってね……話しあいたいんだけれど、今のままじゃとても気まずくって話しを出来そうにないんだ」 「それで、私には何を頼みたいのでしょうか?」 ラティアスは空を見上げて溜め息をついた。 「神の言葉を皆に伝えた経験はある?」 「ありません。血すじの関係で……下っ端なものでして……神の言葉を代弁する事が許されるのは、もっと上の身分が必要なんです」 「その、上の身分の人の真似は出来る?」 アゼムは少し考える。 「やって見せます」 ダメでも、&ruby(ゼム){記憶を消す者};の力がある。アゼムはそう信じてしっかりと頷いた。 「ですが……その、ですね。まずは、ラティアス様……あ」 「どうしたの?」 口をポカンと開けるアゼム見て、ラティアスは首を傾げた。 「というか、まだ自己紹介すらしていませんでしたね」 恥ずかしげに頭を掻いてアゼムは続ける。 「私は、アゼム……っていうのは勝手に名乗っているだけで本名ではないので、一応……本名はコナン=ヒトロエルと申します」 「そう。私はクォーツ。よろしくお願いします、アゼム」 しずしずとクォーツは頭を下げる。アゼムもそれに倣って頭を下げると頭を上げていた彼女は微笑んだ。 「それで、なんですが……まずは貴方に会ったという証拠として……よろしければ羽根を二本ほどいただきたいのですが」 「ああ、羽根? いいわよ……はい」 クォーツは苦痛に顔をしかめながら羽根を抜いてアゼムに渡す。紅蓮の赤と、純白の白い羽根。二つの美麗な羽根を渡されると、アゼムはその羽根のすべすべとした感触に思わず我を忘れた。 こんな海の真っただ中、潮風にやられてべとべとになっている羽根を想像したが、まるで絹糸のように細い羽毛。これで防寒具を作ればさぞや暖かいだろうと感じるが、そうするにはもったいない美しさと気品が感じられた。 「……ありがとうございます。なんだか、価値のありそうな羽根をいただいて」 「いいのよ、私の頼みを聞いてくれるのだもの……っていうか、貴方達もおかしいわね。そんなモノに希少価値をつけたがるなんて」 クォーツはまた、ゆっくりと息を吐く。 「いえいえ、珍しいものに価値を求めたがるのは私達の&ruby(さが){性};ですから」 「あぁ……そうよね。でも、それもちょっとだけ改めてもらえると嬉しいかも」 そうやってつらつらと、とりとめなく語り合っている時に見た彼女の表情は、少しばかり楽しそうに見えた。彼女自身、話すことは無くとも浜辺の住人の話を聞いているだけでも楽しかったのだろう。しかも、今は一方通行ではなく会話しているという事実がより楽しいと感じさせるのか。 神の感情を覗き見るのは恐れ多すぎて出来なかったが、その表情だけでも十分な答えになり得る気がした。 「ごめんね、引きとめちゃって」 すっかり日が沈んでいた。というよりは、むしろもうみんな寝静まっている時間帯だろう。船を貸してくれた人に謝らなくちゃと思いつつ、神の言葉を伝えるのだから許してくれるかなんて気軽なことを考える。 「いえいえ、神と話せるなんて光栄ですよ」 「それじゃ、そろそろ浜辺に返してあげたいんだけれど……私が超特急で送って行ってあげる」 意外な提案にアゼムは眼を見開いた。 「いいのですか?」 「いいのよ、神と呼ばれていようと、悪いと思ったお詫びはするものだから。遠慮なんてしないで」 そう言って笑う神は、人間と変わらなかった。 アゼムごと船を念力で浮かせ、クォーツは浜辺までひとっ飛び 木の実と魚をごちそうしてもらったおかげで腹こそ減っていないが潮風のせいもあって喉が枯れてしまった。明日はあまり喋りたくないなと思うのだが、喋らないといけない仕事を受けてしまった。 「あーあ……またタダ働きか……それとも、この羽根をもらったから良しとするかなぁ?」 もう、どこの宿も開いていない。野宿するしかないかと溜め息をついて、アゼムは如何にも潮風に強そうな、艶やかな葉をもつ木陰に抱かれて眠りにつく。明日には、みんなの姿が元に戻っていますように。 その日アゼムは夢を見る。まだ灰色の羽根で雄か雌かもわからない子供を、クォーツが愛でている夢であった。それは彼女が見せた夢写しなのか、アゼムの至極勝手な妄想なのか。しっかりと記憶に刻まれたその夢はきっと現実だと信じて、目を覚ましたアゼムは浜辺の村へと向かう。 誰にどう伝えるべきなのか分からなかったが、まずは船を貸してくれた人に、返すのが遅くなったことを謝るのが先決であろうと、アゼムは向かう。 「お、お前……生きていたのか? てっきり、喰い殺されちまったもんだと……」 「私も、一瞬そうなるかと思いましたよ。でも、神は私を招いてくれたんです……食べるためではなく、話すために」 「はぁ!?」 声だけで驚かれて、透明なので表情は見えないのが気持ち悪い。 「こんな物も貰ってしまいました……赤い羽根と、白い羽根……ラティアスから。彼女、伝えたい事があるそうなんです……大事な話なので……少し、村の皆様を集めてはくれないでしょうか?」 「マジかよ……おぉい、みんなぁ!!」 船を貸してくれた主人は、波の音に負けない大声を張り上げる。結局この人の種族はなんなのだろうか、見当がつかない。 船を貸してくれた主人は、村の集会所となっている干し魚の物干しざおが立ちならぶ広いスペースへと皆を集める。村の人口は200人ほど、漁に出ていたり仕事が忙しかったりでこれない者もいるようだが、結構な人数だ。 「大分集まったみたいですね……」 思えば、こうして大人数の前で話すのは初めてで、アゼムは緊張で体を強張らせながら切り出した、 「えっと、私は昨日、あの離れ小島にダメ元で赴いた時……神にあの島に招かれたのです」 単刀直入に、事実だけをアゼムは告げる。ざわつく聴衆の声を気にせずにアゼムは深呼吸し、クォーツの話を続けた。 「そこで聞かされたのは……あなた方を苦しめていた疫病に、神の子もまた感染していた……という話でした」 ざわめきが広がる。アゼムはひるまずに話を続けた。神とて、生きているのだと、生きているから病気にもなるのだと。だから、最低限の気遣いだけはして欲しいと。 それは、単純な願いなのかもしれない。しかし、神は神、神に祈ることしか頭になかった村人には少し新鮮なお話であった。 神だって生き物なのだ。病に伏せるし、毒を喰らうし、死にもするし子供を作る。それを改めて考えさせるような愚痴と事実が神の口から漏れたのだと。彼女の子供が村人たちと同じ病気で死んだのは、偶然かも知れないし誰かが病気の子供を連れて参拝に来なくとも同じ結果になっていたのかもしれない。 だから、ただの八つ当たりで迷惑をかけてすまなかったがし、謝りたかった。それでも、人間達もきちんと神を敬う態度を考えてほしいと。 「神はいつでも見守ってくれています。それにただ祈りを押しつけてしまっては、それはただの無い物ねだり……神だって都合がありますよ」 結論まで言い終えて、アゼムはほっと息をついて砂浜に座りこむ。 「これで話は終わりです……すみません、少し休ませてもらいます」 アゼムは話しに疲れてそのまま眠るように目を閉じる。もちろん、目的なんて休むだけではない。誰かの記憶を操作する間は非常に無防備な体勢になるアゼムは、こうして休んだフリでもしないとやっていられない。この集会で話している最中に、多くの者と心を繋いだ。 後は記憶を操作するだけだ。大がかりなことは必要ない。夢の中で見たあの母子の映像をここに居る皆にばら撒いてやればいい。きっと、その映像が強烈に刻みつけられる事で考え方も変わるはずだ。少しでも申し訳なかったと思ってくれれば、それでいい。 全員に映像のイメージを埋め込むのは流石に骨が折れるので、頭が痛くなった所でアゼムは早々に切り上げた。住民たちはまだ話していた、神に対しての身の振り方を考えているのだろう。こうなってしまうと、もはや自分は蚊帳の外。 少しばかりの質問を済ませたアゼムは、結局肌寒いせいで結局あまり眠れなかった分を取り戻すべく、宿の主人を無理言って連れ出しすぐに眠ってしまう。 「起きろよ、英雄さん」 「ん……」 起きてみると、主人の種族はアバゴーラであった。 「おぉ……主人さん、いかつい格好していますね」 「おま、気にしていることを……透明化が治ったのはいいけれど、第一声がそれかよ……」 はー、と大きなため息をついて主人は溜め息をつく。 「祭りの時と同じかそれ以上の料理を用意した。英雄はたっぷり食べて行ってくれや」 「え、良いんですか?」 「おいおい、それなりの礼はするって周辺の街に触れまわっていたんだ。約束守らないわけないだろうがよ」 「ははは……お金をもらって、それでサヨナラかと思っていたもんで」 こんな風に、宿の前に村の住人が待ちかまえている風景など予想だにしていなかった。背中を押されるがままに神座に座らされたアゼムは、刺身の塩辛にお酒に、魚の腹に米を大量に詰めた蒸し料理にと、目もくらむような料理を突き出される。当然、食べきれない。はいてでも食べろとは言われなかったが、それでも椅子から下ろしてはもらえない、秋も終わりにさしかかる冬の夜。 ちびちびと酒を飲んでいる最中に、海を割るように吹いた謎の烈風の中、アゼムはラティアスの影を見た。もちろん、アゼムの他の者達もだ。うっすらと迷彩色を解いていたラティアスは手を振って海の離れ小島に去り、そして村人たちを湧かせる。 ただ働きでもなかったし、まさか実際に神に会えるとも思っていなかったアゼムは、改めて来て良かったと朗らかな表情をとる。あとは目の前の食事をどうするかだけ考えよう。 ◇ 街を出るとき、アゼムは考える。 神は言っていた。人間のことは、大人が子供を見るような気持ちで見守っているのだと。神から見れば人間はか弱いし、寿命も短い分投げやりだったり無計画な行動が多くなりがちだ。 子供の喧嘩に親が出るのは馬鹿らしいしと、戦争も権力争いも神は興味を持っていない。ただ、そうやって痛みを経験して健やかに育ってくれればと、漠然に考えている。だから、今回の件は子供の反抗期に僻事してしまった未熟な親のようだとクォーツは反省していた。 反省しているのはともかくとして、神は自分達を子供を見守るような気持ちで見ているという言葉が妙に気になった。自分は神にどう思われていたのだろう? 権力争いこそしていないが、家督権を継げないばかりに自暴自棄になっていた自分は、故郷のユクシーの眼にはどのように映っていたのだろう? &ruby(ゼム){記憶を消す者};は、&ruby(ゼム){記憶を消す者};の仕事につけなければその経験は何の意味も無くなってしまう。天才的な&ruby(ゼム){記憶を消す者};の才能を秘め、そのための鍛錬が無駄になるならと集落を抜けだした自分は、一体神にどう思われているのだろう? 神に恐れられているとか、勝手な行動をしている事に神が怒っているかと思うと怖かった。けれど、神は子供のすることだと思って気にして居ないのなら、なんだか安心できる気もする。 「結局、それを確認するには家に帰らないといけない……」 ホームシックは加速する。それでも帰るのは怖い。ジレンマの中で、アゼムは涙で失った塩分を補給するように干し魚を食べた。 **クリスマスに愛のプレゼントを [#ja13f71a] アゼムは川沿いを上り、主要な道路のほとんどが石畳で覆われている都会の街へとたどり着いた。この街のすごい所は、石が豊富なこと。家も道もほとんどが石で覆われ、そのため冬という今の季節にはなんだか冷え冷えとした印象が付きまとう。それでいて、夏は太陽光に熱せられた石がてり返しで下半身を焼いてくるのだから性質が悪い。 足が汚れにくく、馬車や荷車が通行しやすいという利点は非常に助かるのし、都会にあこがれる者にとってはこの街は好評らしいが、全く自然を欠いたこの街は賛否両論あった。 しかしながら、この街の信仰の対象は石である。何でも、昔ここを治めていた暴君バンギラス。あまりに横暴で自分勝手な政策から、砂起こしの特性を罵るように&ruby(バイジン){煤塵};マンとすら呼ばれていたそうだ。 良質な石が産出されるこの場所では、同時に岩タイプのポケモンにとって食料となるような岩も多くあったのだが、それを食用にする事は許さず、必要以上の粗食を命じていたという。そこで現れたのがレジロックの岩盤マン。どこからかとって来た美味しい(岩タイプのポケモンの味覚はよくわからない)岩を自分の体から千切ってはお腹をすかせた岩タイプの子供に振る舞っていたという。 当然煤塵マンは怒ったが、岩盤マンはそれに対抗して鋭いパンチで煤塵マンを空に殴り飛ばしたと伝えられている。と、これは童話で伝えられた子供むけの話だが、史実によれば非常に重い税金を強いていたために多くの餓死者をだしたらしい記述と、それから民衆を救うために立ちあがったレジロックは、多くの民衆を連れて討ち死にしたと伝えられている。 そして、その亡骸を食べてくれと懇願された岩タイプの民衆が言われたとおりにレジロックの体を食べると、やせ細ったその体に力がみなぎったという伝説が伝えられている。 故に、この街は石の街。そして、童話の影響によって贈り物の街と呼ばれている。教会の信仰がこの街に入り込んでからも、煙突に金貨を投げ込んだり、無実の死刑囚を救ったりと様々な逸話のあるデリバードの聖職者の話と岩盤マンの話を結びつけ、同化するように受け入れられていった。 12月6日、アゼムは今日くらいは仕事を休んで子供たちの会話にでも耳を傾けようと街を歩く。この街は裕福だ、良質な石は今でも近くの山から産出され、建材として周辺の街でも広く人気がある。 そして立地条件もとしても良好で、交易の中継地点としてか金品の流通は淀む事を知らない。暖炉に吊るしていた靴下に聖職者が煙突に投げ込んだ金貨が入っていたという話に基づき、普段は靴下など履かないポケモンまで靴下を揃えて吊るす日、子供たちは吊るした靴下にどんなお菓子が入っている事か、わくわくしながらそれを話題に笑顔で話しあっていた。 「みんな……いい顔しているなぁ」 アゼムは、レジロックへの御祈りは4日ほど前に済ませておいた。弟と妹に素敵な贈り物がありますようにと、少し虫のいい頼みごとをレジロックの慰霊碑に対して行い、アゼムは家族の顔を思い出す。こうして、&ruby(ゼム){記憶を消す者};の名を継ぐことに意味が無くなった立場を歩んでいる今、もはや宗家の血が流れる従兄弟の存在に対して、嫉妬も恨めしさも何も無い。 そうなると帰りたくなってくる。海辺の村で神と出会い、神と話した時に神は人間が何をしても大抵は怒りはしないと言う話を聞いてそれも帰りたい気持ちを育てた。神が受け入れてくれるなら、帰り易い。 だがきっと、神はともかく人間は暖かく迎え入れてはくれないだろう。最悪の場合、&ruby(ゼム){記憶を消す者};の力を外に漏らしたと難癖をつけられ(難癖も何も実際そうなのだが)記憶を消された揚句の奴隷生活が待っているかもしれない。 そんな人生、ごめんこうむる。 帰りたいけれど帰れないという事実が、考えれば考えるほどアゼムにのしかかる。それで、幼い妹と弟の顔が焼き付いて離れないアゼムは、隣のヘドロの時のように何か子供でも救って少しでもいい気分に浸りたくなった。例え家族じゃなくても良い、子供の笑顔を見て癒されれば自分は救われるとか、そんな気がした。 街の隅っこ、街の隙間。吹きすさぶ風が少しでもましになるそんな所に、大抵そう言う類の輩はすんでいる。親を亡くした、捨てられた、理由は様々だが、この寒さにうずくまって凍えている子供はそういった所に潜りこむものだ。 それでも、この街は豊かだから、そう豊富に乞食が見つかるわけもない。やっと見つけた小さな子は、ダブランの男の子であった。丸くなって震えようにもこれ以上丸くなれそうにない子である。 ただの自己満足に終始するだろうが、あの子の笑顔を見て癒されよう。そう心に決めて、アゼムは屋根の上から靴下を落とす。何も入っていない靴下は、空気抵抗で僅かに舞いながら彼の元に落ちる。ダブランの彼が不思議に思って屋根の上を見上げた頃には、アゼムはすでに姿を消していた。 そう言えば、サンタの服を買うべきだろうかと思って、アゼムは衣装屋さんに向かう。ただ働きどころか大赤字、完全に馬鹿の領域だと思って、アゼムは自分の馬鹿さ加減を苦笑した。 ポケモンは分厚い毛皮などに体が守られているために、何か祭りや冠婚葬祭でもなければ利用されない衣装屋。普段は本当にお祝い事くらいにしか客の来ない場所でも、店内至る所につりさげられた赤い衣装は鮮やかで目がちかちかする程だ。 普段はオーダーメイドで服をそろえるのが通例だが、ある程度汎用性のある服を揃えてくれるこういう時期はあり難いもので。自分のオーベムの体にもフィットする2頭身中型サイズポケモン用のサンタの服を買うと、暖かい上になんだか気分まで高揚してくる。 購入と同時に着替えたこの格好で歩いていると、なんだか無性にお菓子を配り歩きたくなるが、肝心のそのお菓子をアゼムはまだ買っていない。どんなお菓子を買えばいいのか迷ったが、ここは重い財布を一気に減らしておくのも良いだろうと、アゼムは銀貨を宙に浮かせてその数を数える。 大銀貨が8枚ほど。これなら山ほどのお菓子が買えそうだが、良く考えればたった一人に送るつもりのお菓子である。そんなに大量に持って行くことも無かろうとアゼムは店に入る前に銀貨をしまいこんで銅貨を出した。 買うお菓子なんて食べきれる分だけでいい。寒い石畳の上に居ても寒くないように、サンタの服を毛布代わりにでも使ってもらえれば恩の字と、とりあえずゆったりとした物を買ったのでだぶだぶで動きづらい服に苦労しながらアゼムは考える。 バターをたっぷりと溶かしたトウモロコシと麦の生地に木の実をたっぷりと入れた焼き菓子と、ナッツを砕いた粉と蜂蜜で作られたフィナンシエ。その二つの焼き菓子だけを買って、アゼムは宿に戻ると夜に備えて早めに眠りについた。 起きる時間を指定する能力は無かったはずだが、窓から浮き上がって教会の大時計を確認すると、上手い具合に時刻は11時。着替えて、寒い街を散策しながら体を温めるのもいいだろう。一応裸でも生活できる程度の耐寒能力はあるが、やっぱり冬の寒さは堪えるものだ。 薄布一枚でも羽織れば結構違うものだから、この分厚い布で作られたサンタの服ならば、ダブランもさぞや暖かいことだろう。翌日から、暖かい状態で寝られる事を嬉しく思うダブランを想像すると、アゼムは胸が躍った。 深夜の12時には、騒音を懸念して鐘は告げられない。僅かな湿気を含んだ空気と冷たい風の吹きすさぶ屋根の上で月と一緒に大時計を見てアゼムは冷たい空気を肺にため込んだ。ゆったりと浮遊しているうちにすっかり温まった体は、この程度では冷えてくれない。このサンタの服、意外としっかりしていて運動すると暑いくらいに暖かい。 この服がますます気に入った。これなら喜んでもらえるはずだと思いながら、アゼムは服と体の隙間に冷たい風を送り込んで温度を調整した。 さて、屋根の上から路地裏を覗きこんでみると彼は眠っていた。しかしながら、顔の表情はあまり気持ちよく眠っているようには到底見えず、寒くて眠りも薄そうだ。顔を撫でてやればすぐにでも起きそうなその子の近くまでゆっくりと降り立つと、アゼムは微笑んで寝顔を覗きこむ。 流石に、音も無く忍び寄っただけでは起きなかった。ならばとアゼムは彼の顔を撫でる。目に優しいゼリー状の膜に覆われた顔とも胴体ともつかない部分がむずがゆそうに揺れると、ほどなくして彼は起きる。 「んっ!!?」 驚いたような顔をしたが、彼は無言だった。 「サンタさん……?」 驚きをそのまま口にする。その反応が初々しくてアゼムは顔が綻んだ。 「そうだよ。私の名前はアゼム……まぁ、サンタのはしくれさ」 アゼムは今日この瞬間、嘘八百の出まかせを延々と垂れ流そうと計画していた。サンタの思い出を美しくするために、別れた後は記憶を改編しようという計画もある。だって、サンタの姿はオーベムだなんて、少しばかり味が悪い。デリバードで描かれるのがもっとも一般的だが、それだってイメージが固定されてしまうのは味気ない。 サンタの姿は永遠に謎の方がいい。アゼムは、サンタとは無縁の宗教に属して居ながら真面目にそんな事を考えた。 「でも、本物のサンタさん……じゃ、無いよね? 本物は、デリバードだし……」 「いいや、違う。本物はデリバードですらないんだ」 「そうなの?」 「うん、そうだ。サンタさんはね、きまった形を持たないんだ……だから、君も明日になったら私がどんな種族であったかを忘れてしまうだろう……」 「え……」 アゼムは、寂しそうに吐息を漏らすダブランの頭をなでる。 「気にするな、君がサンタに出会ったことには変わりないだろう?」 「うん……」 コクリと頷いたダブランを、アゼムはそっと抱き締める。 「寒かったろ? 今日はずっと温めてあげる。また眠くなるまでずっとね……それと、ほら……これを上げる」 胸の中に小さな体を包み込みながら、アゼムはすっかり冷たくなったお菓子を差し出す。冷たくなっても、たっぷり使ったバターの香ばしい香りは衰えず、包み紙を開くと立ち昇るのは甘くこってりとした香り。 一息で食欲がそそられる。覗きこんだダブランの眼はきらきらと輝いて、まるで宝石のよう。 「どうぞ」 「は、はい」 お礼を言う前に、ダブランがゼリー状の膜に口を寄せると、膜を破るように広げてむしゃぶりついた。夢と見まがうばかりの甘いお菓子だ、食欲も一気に膨れ上がったことだろう。いつもお腹をすかせている子供には、刺激が強すぎるくらいの食べ物のはずだが、ぺろりと平らげてしまうのでその食いっぷりにアゼムは思わず笑いがこぼれる。 「美味しかったかい?」 「うん……でも、こんなのは今夜限りかな……」 これは一夜の夢。そう思うとダブランはとたんに表情が沈み込む。当たり前の話だが、一日二日嬉しい出来事が起きても、その後また元の生活に逆戻りでは夢を見せた分だけ余計に酷と言うものだ。 「そうだね、でも心配しないで……靴下の中にはまだ何か入っているだろう?」 「ホントだ……これは?」 今では神話のように語れられるサンタの元となった聖人のお話。煙突に投げ込んだ金貨が暖炉で干していた靴下の中に入り込んで、それが贈り物の習慣の先駆けになったと言う話。 そんな話もこの子は知らないのだろう、ましてや金貨なんて今まで一度も見たことがなかったのかもしれない。 「金貨だよ」 アゼムは微笑みながらそれを伝える。 「なんてね」 しかし、金貨を渡されたところで、庶民は金貨を崩すのにも一苦労だ。崩しておいた方がむしろありがたい。 「でも、金貨だと色々困るだろうから……同じくらいの価値がある銀貨と銅貨で我慢してね」 言うなり、アゼムは金貨をつまみとって、じゃらりと重厚な音を立てる銀貨を渡す。 「あぁ……」 その重みを前にして、ダブランは言葉が出なかった。銀貨を支えるサイコキネシスの手が、プルプルと震えている。 「こんなに貰って……」 「みなまで言わない。いいの、サンタさんにお金なんて必要ないんだから」 見上げるダブランの顔をアゼムは撫ぜた。 「ところでお腹も一杯になったし、突然起こしちゃったから眠くないかい? 私が温めてあげるからぐっすりおやすみ」 「う、うん……」 ダブランはおずおずと頷く。抱きしめられた球体状のその子は、最初こそもっとサンタさんを目に焼きつけようと必死で目を開けていたのだが、子どもゆえ、暖かさゆえ、睡魔には勝てない。うとうとしてからほどなくして眠りについた子供の記憶から、サンタの種族の記憶だけを消して、アゼムはサンタの服を防寒具代わりに身につけさせてその場を去る。 その子の笑顔に少しでも癒されたかったアゼムは、その欲求を果たした。 「帰ろう……」 少しだけいい気分になった。弟や妹も、おんなじ風に笑っていてくれればいいなと、アゼムは祈る。清く正しく生きていても、どうにもならない事なんていくらでもある。見返りを望むなんて不純かもしれない、偽善かもしれないけれど、こうした行動が妹や弟達へ還元されるように。神に祈ってアゼムは空を見る。 アゼムの信じる宗教は教会とは全くの無関係だし、教会は神なんて一柱しかいないと言い張っているが、アゼムは神なんて何柱居たって構わないと考えている。一神教であり、周囲の土着信仰や国々にも迷惑をかけ続けている教会でも、こうして真面目に祝えば。そして祈ればきっとその願いは届くとアゼムは無邪気に信じていた。 翌日、アゼムは昼ごろに起きてダブランの子供の様子を見に行った。路地裏には彼はおらず、何処へ行ったのかと首を傾げながらアゼムは街を散策する。アゼムの仕事は完璧だから、よもや自分のことをサンタと認識することは無いだろう。ただ、サンタと出会えたあの子が今日どんなふうに暮らしているかを見ておきたかった。 なんだか、自分勝手と言うかなんというか、本当にただの自己満足なのだなとアゼムは思う。少々自嘲気味な思考を振り払ってアゼムは昨日彼が眠っていた場所に赴く。 「居ないか……」 どこかに物乞いか、買いものにでも行ったのだろうか? ダブランはサンタの服の帽子だけを身につけて何処かへ行ってしまったらしい。 あれだけの大金を与えてしまったのだ、子供ならば真っ先に使いたくなってしまうのも無理は無い。そういうことを考えずに、あんな大金を持たせてしまったのは、少しばかり軽率だったかもしれないとアゼムは反省する。 とりあえず適当に依頼人の物色でもしながらアゼムは散策し、ついでとばかりにダブランの姿を探す。 「……この街を去っていればよかった」 素直にそう呟いてしまうほどの衝撃を受けた。自分が余計な事をしたからであろうか、サンタの帽子と一緒に凍った川へ叩き落とされていたのはダブランの冷たい骸。 金は奪われていた。サイコキネシスで手繰り寄せてみると、傷が見える。肉食獣の牙の跡、大きさを考えるとダブランを咥えては走れるくらいの巨体であろう。口器の形は狭いU字型。鋭い犬歯は、噛み砕くと言うよりは噛みちぎると言った感じに近い。 獲物を抑えつけた前脚の後には赤墨色の体毛。 「ヘルガーか?」 呟いてみるが、誰も答えない。可哀想にと、遠巻きに見守る者は多いが誰もがこの子の事なんて大して気にも留めていない。野次馬ばかりで、手厚く埋葬してやるべきだとかそういった心がけなんて存在しないかのようだ。 結局、贈り物の街だなんだと偉そうなことを謳っていても、やることもやらないこともえげつない。多くの者がしばらくその子をじっと見守り、しかし手を合わせることも無く去ってゆく。 とりあえず、無関心な街の住人にも、犯人にも怒りしか湧かない。強盗するにしたって、殺すことまでしなくたっていいはずなのに、そうしてしまった犯人が憎くて、アゼムは湧き上がる殺意をそのままに立ち上がる。 まずはこの子を埋葬してあげようと、涙をぬぐうことも忘れて街のはずれに抱きかかえて持って行く。アゼムのする埋葬の方法は火葬で、やっぱり教会のやり方である土葬とは違う。それでいいのかと自分の心の中で声が聞こえたが、それでいいのだとアゼムは思う。 街の奴らが動かないのなら、私一人でやってやろうと。 &ruby(ゼム){記憶を消す者};は本来人を裁くために存在する。刑罰として対象の記憶を消し、一生を奴隷として生きさせるのが&ruby(ゼム){記憶を消す者};の裁き。今回は文化の壁があるから奴隷にするのは難しそうなだけに、本来の裁きは出来そうな気はしないが。 アゼムは、残されたサンタの服を身にまとい、売れ残ったお菓子を買って夕方頃にお菓子を配り始める。慈善事業のつもりではない。ただ、話しかけることで相手の心と自分の心を繋ぎ、そして記憶を探る。とは言え、記憶を探るのはヘルガ―だけ出来れば十分だった。 この街の人口を考えれば、ヘルガ―なんて10や20じゃきかないはず。しかし、ダブランに接触したヘルガ―と言えばその周囲に暮らしているのはほぼ確定事項だろう。記憶を探って、犯人だと確信できたのは4人目だった。後左脚に傷のあるヘルガ―であった 配った一瞬、記憶を探ったその時にアゼムは記憶の表層にダブランの記憶を見た。殺していた。 アゼムは平静を装う。努めて平静を装う。深呼吸をした、住処の記憶を探った。平静を装ってお菓子を配り続けた。本当は日が昇る前に配り終えるはずのお菓子を配りながら、アゼムは記憶に住処の位置を刻みつける。 平静を装え、平静を装え!! 吐き気がしてきて、アゼムはこんな時だと言うのにゼクロムを祀る街で出会った女性の気持ちが分かった。こんな風に忘れてしまいたいほど不快なことがあると、本当に食べ物がのどを通らなくなるのだと。 でも、あの女性は今どうしているだろうか? なんて親切な思考は浮かばなかった。アゼムもまたあの女性と同じ、どう考えても正常な思考が出来ていない――のである。 &ruby(ゼム){記憶を消す者};は、記憶を消して奴隷にするのが仕事だが、自分の住んでいた集落ならばともかく、この街でヘルガ―を奴隷にする事は無理だった。ならば、とアゼムは教会に行く。まずは教会で寝泊まりする神父やその他もろもろ従者の記憶に介入し、夢のようにおぼろげな記憶を埋め込んだ。 教会の者とは、サンタの服を着てお菓子を配っている間に殆どの相手と心を繋ぐ事が出来ている。そして、仕上げに安いボロアパートで暮らしているヘルガーにも、記憶を埋め込んでおいた。 明日、教会い行く予定があったはずという、根拠は何も無いが強烈な印象をヘルガ―に与えておいた。&ruby(ゼム){記憶を消す者};の力を、他人を殺すために使ってしまっていいのかと、アゼムも疑問ではあった。 しかし、このヘルガ―の記憶を探れば、また吐いた。吐くくらい、吐き気がする記憶ばかりであった。盗んで、脅して、そうやって手に入れた金で何食わぬ顔で暮らしている。結局、今日一日殆ど何も栄養にならなくて、空きっ腹を抱えたアゼムは、なにに変えてもこの有害な存在だけは消してしまうべきだと感じた。 翌日、結果など分かり切っていた。教会に居るものすべてに予知夢のような記憶を託したのだ。脚に傷のあるヘルガ―を殺せと、彼らが信じる神々しい神の姿で、夢の中で全員に命令される。それがどんな意味をもつかなんて想像に難くない。 一人なら、ただの偶然の夢。しかし、何人も同じ夢を見れば、それは特別な意味を持つのだ。数は力なり、ヘルガーを殺さなければ街が悪魔に支配されるなんて物騒な予知夢のようなものを見せられれば、行動に移さないわけにはいかない。 教会に現れたヘルガーは、ほどなくして捕縛された。捕まる事なんて想像だにしていなかったヘルガーは、掴まってもしばらく状況が理解できず、数秒して状況を理解して激しく暴れる。その頃には、もう逃げられなかった。後はもう、公開処刑コースへと一直線だろう。 何、彼は魔女でも悪魔でも無いが、世の中に害をなす存在であることには変わりないのだ。今はもう久しく行われていない魔女狩り、政治犯を潰したり、魔女の財産を没収して諸々の経費に充てたりという目的のために行われてきたものだが、本来はああいった輩にこそ行われるべきなのだ。 公開処刑となるのか、それともあまり人目に触れない場所でしめやかに処刑されるのかそれは分からない。しかし、教会にはまだきちんと魔女裁判の方法くらい残っているはずだ。そのための本だってさんざん出版されたわけだし。 その処刑の風景は、野次馬好きで、刺激に飢えた住民たちの格好の注目の的になることだろう。いくらかの人間が気分を悪くするかもしれないし、他にもいろんな問題があるかもしれない。でもそんなことアゼムはどうでもいい気がした。お金を与えたことでダブランが死んだと言うのなら、ダブランが死ぬ理由を作ったのはきっと自分なのだ。 自分は悪くないとしても、切っ掛けは自分。 「神よ、貴方に祈った結果がこれですか?」 教会の者達は、正義を振りかざして多くの国を侵攻している。そんな正義を振りかざす神なのだ、そんなモノだと思ってしまったアゼムは、街の外に立てたダブランの墓の前で、一度アゼムは土に手を当てる。こうすることで土の中に埋まった死者に想いを伝えることが出来ると言うのが、彼らの信仰だ。 それを終えた後、まとめていた荷物を背負い直したアゼムは街から姿を消した。自分が余計なことをしなければ、あの子は助かったのだろうかと言う、答えの出ない思考をいつまでも空回りさせながら。 **アグノム様の導き [#x8289b15] クリスマスの後、アゼムはエンテイとスイクンの悲恋の伝説がある温泉地の峠のふもとにある村に来ていた。温泉地から流れて来た暖かな水も、長い距離を旅する過程ですっかり冷え込み、川沿いに作られたこの村にたどり着くころには温泉の面影はどこにもない冷たさだ。 夏は子供たちの絶好の遊び場となっているこの小さな湖も、冬は寂れた静かな湖面。アグノムに対する信心深い者が昼にぽつぽつ訪れるくらいがせいぜいである。 彼の生まれ育った集落にいたのがユクシーならば、この街はアグノムが住んでいると言われている場所。ここは、大きな事を始める前に訪れると決して揺らぐことのない強い意思が得られると言う。大した目的もなく旅を続け、ただいま迷っている最中のアゼムは、すがるようにここへ訪れたのだ。 「アグノム様……私は、軽はずみな行動で、何度か人を不幸にしてきました。それに、今回のようなこと……あのとき、オドシシの女性をどうしようもない状況まで破滅させてしまったこと。 そう言ったトラブルが後々発生しているのかもしれないのが怖くて、特に……あの川縁で出会ったダンバルの子供に会いに行くのが、私は怖いのです……依頼人の様子を見に行けないような私は、このままこの仕事を続けて行く権利はあるのでしょうか……? アグノム様、導いてくださいませ」 あの時、救おうと思っていたダブランの少年が救えず、そのせいで自己嫌悪に陥っていたアゼムは、『何かをしようとする意思』に目覚めさせる力を持つと言うポケモンであるアグノムの元でそれを訪ねる。自分は、これからも活動を続けても良いのかと。 疑問であった。確かに自分は色んな人を幸福に導いているかもしれないが、それ以上に不幸に導いているのではないかとどうしても自己嫌悪に陥ってしまう。そうして気分が沈んでしまった事が仕事にも支障を出している。相手の記憶を消すのが上手くいかなくなってしまったのだ。 金はもう十分すぎるほど稼いだ。向こう一年金に困る事は無いはずだ。ここで身の振り方を考えておくのも良いかもしれない。アゼムは呆然として溜め息をつく。 冷静に考えてみれば、アゼムは何も&ruby(ゼム){記憶を消す者};だからあの少年を不幸にしてしまったわけではない。あのダブランが不用意に銀貨をジャラジャラと鳴らしていなければ、被害にも遭わなかったのであろうから。 しかし、それを注意することもせず、サンタからの贈り物だと自慢したい年頃の子ども心を理解せず、浅はかな行動で結局は不幸にしてしまったことは確かだ。 だから、&ruby(ゼム){記憶を消す者};の力を捨てるつもりは無いが、頼まれてもいない仕事をして、責任が取れないような事になってはいけない。この旅を続けるうちに、アゼムも15歳になっていた。本来ならば&ruby(ゼム){記憶を消す者};として、ようやく仕事をこなすようになる年だ。 しかし、今の自分が&ruby(ゼム){記憶を消す者};をやるのは許される気がしない。 &ruby(ゼム){記憶を消す者};の才覚は天才と呼ばれても、所詮&ruby(ゼム){記憶を消す者};の仕事は罪人を奴隷にするために生前の記憶を全て消して人形にすると言うもの。適当に消してしまえばそれで済んでしまう。 そんな大雑把な作業を期待されていた自分が、そもそもこんな精密に記憶を消したり操作したりという仕事をやるのは無理なんじゃないか? 最近はこの思考が頭から離れず、ため息ばかりが口から漏れる。仕事もやる気が起きないし、何より自分の記憶を消せないおかげであの子の死体が目の裏に焼き付いて離れない。そして集中力がそがれてしまい、仕事がまともに出来ない。 凍りそうな湖の中で沐浴を行いながらアグノムに対して祈ってみたが、結局答えは帰ってこなかった。それも仕方のないことだった。ユクシーに祈っても、答えが返ってくることはごくまれだから、ふらりと現れただけのアゼムに興味を示さないのは当然なのかもしれない。 砂時計をみる限り、お祈りも兼ねた沐浴の修行も終了の時間だ。これ以上この場に居ても仕方がないだろうと、アゼムは寒さに震えながら体を拭いて、毛皮の外套身を包んで街へと戻る。 あまりおおっぴらに湖でバシャバシャとやるのも何なので、人の居ない深夜の時間帯を選んだから夜風が寒い。全く、辛い修行を考え出したものだとアゼムは少し祖先を恨んだ。 翌日、寒さに身を震わせて宿から這うように重い足取りで外へ出たアゼムは、食いぶちとなるトラブルを見つけるために歓楽街へと足を運ぶ。決して女性を買ってアレコレしたいとか、酒を飲みたいとかいうような不純な目的ではない。 流石に昼の時間帯ではまだ人気も少ないかと思いながら、遊び女の匂いと酒の匂いと料理の匂いを横切って、アゼムはテレパシーを周囲に向けた。 その途中、アゼムはわざとらしい程の咳をしながら道端に座っているジャノビーを見つける。別に、物乞いなんて珍しいものではないのだが、何かその子には違和感を感じる。 小さなコップを持っており、その中には小銭が入っていた。どうやら、物乞いらしい。目が見えないのか、瞼はピッタリと閉じられているが、視線というべきものはきっちりとアゼムを捉えていた。 他にも通行人は居るというのに、彼女はちらちらとこちらを気にしている。気になってアゼムがUターンしてみても、その視線は自分を追っていた。 「……君、目が見えないんだよね?」 優しく語りかけながら近づいてみると、そのジャノビーからは煤けた匂いがした。ただの物乞いではないようだが、何か灰をかぶるような仕事でもしているのか。 「は、はい……」 「ふぅん……この街は豊かな奴が多いけれど、荒んだ地区もあるから、その姿でその場所にはいかないように注意するんだぞ? そのコップの中の物、盗まれるからな」 アゼムが声をかけるとジャノビーは辛そうに呼吸し、ヒューヒューと喉の奥で笛のような音を出していた。 「ここが……」 と、そこまで言ってジャノビーは耐えられなくなったのかせき込み始める。ゴホゴホと耳障りな音を立て、唾が飛ばないように手で口を覆う。 「ここが、一番安全で一番お金をもらえると言われたもので」 咳こんだ挙句に僅かに涙をにじませながらジャノビーはそう言って微笑む。 「まぁ、安全なのは間違っちゃいないな。で、それは良いんだけれどさ……」 アゼムは銅貨を一枚コップの中に入れて、話を切り出す。 「どうして私を見てたわけ? 見ているって言うと、なんか違うかもしれないけれどさ……私の居る方向、向いていたよね?」 「え、っと……それは……」 「怒っているわけじゃない。ただの好奇心から聞いたから、素直に答えてくれると嬉しい……」 ジャノビーは恐る恐る首から蔦を伸ばし、アゼムの胸辺りを探る。 「これ、です……」 それは美しい山吹色に光る、透き通った宝石であった。ユクシーの頭と同じ色、美しい山吹色の宝石だ。ユクシーの力が宿っていて、&ruby(ゼム){記憶を消す者};の修行をするには欠かせない。 「それが気になったから……」 アゼムが身につけているそれは、普通の人の目には、ただの宝石でしかありえない。そして、才覚のある物でも触れてやっと違和感を覚えるのが普通である。離れた所から見ただけで違和感を感じる。&ruby(ゼム){記憶を消す者};の仕事はオーベムにしか出来ないが、魔術師や祈祷師としては相当な才能の持ち主だ。アゼムは昔の自分を思い出して思わず微笑んだ、 「これはね、山の神が宿った宝石だ。まぁ、それはそれとして……君が懐に持っている者をお礼に見せちゃあくれないかな?」 へんぴな場所にも才能のある子はいるものだと思いながら、アゼムは同じく少女の中に感じた違和感の正体を探る。 「……はい」 アゼムはジャノビーから手渡されたそれを受け取り触れる。 「これは、何か神のようなものは宿っていたりする?」 「村で一番大きな木です……ただ、それだけで何が宿っているとかそういうのは分からないんですが……えと、その……本来なら、宿り木の種とかギガドレインの効果を上げる力があるんです」 コホコホと咳をして、ジャノビーは笑う。 「ふぅん。ねぇ、君の名前は何かな? 私はアゼム=アクシェっていうんだが……」 「僕は、チェリー……チェリー=バンクスと言います」 そこで、チェリーはコホッと咳払い。 「あの、銅貨……ありがとうございます」 「良いってことよ。なんなら、食事くらい奢ってやろうか?」 「え……それは」 チェリーが口ごもったのを見て、アゼムはチェリーの頭に手をポンと置いて笑いかける。その微笑む表情は見えていないだろうが、せめて何か感じてくれればと。 「無理、です……」 「無理なんてこたないさ。物乞いなんてしているってことは、親もいないんだろ? 一日くらい、上手い飯食ったって罰は当たらないさ」 「私は……」 口を噤むチェリーの表情を見て、アゼムは深く追求することを止める。 「そうか……じゃあ、俺とお話しでもするかな」 アゼムは確信していた。このチェリーという女の子の才能は、伸ばしてやればきっと祈祷師として体勢できるであろうと。 「で、でも……お話しって何を? 結婚の予言でもすればいいのでしょうか」 否、この子の才能はすでに伸ばされているようだ。予言なんて言葉が普通の子供から出るなんてありえない。 「よ、予言て……いや、そういうのはいらない。っていうか、色々事情がおありのようで……昔何をやっていたのか」 アゼムは苦笑する。なんだか肩透かしを食らったような気分だ。 「そうだな……君の身の上話も聞きたいかな。上手く語れたら、小銀貨を上げるからさ」 「それは嬉しいのですけれど……」 「気にするな。気にする必要はないから」 ちゃりん、と聞えよがしにアゼムはチェリーの持つコップに小銅貨を一枚入れる。 「え、えっと……僕は今9歳でね……その、色々あったんだよ、色々」 「うんうん」 強引に過去を聞いてみようと少し押してみれば、チェリーはたどたどしくも語り始めた。度々咳を挟みながらの話を聞いて行く内に、チェリーの過去を垣間見てアゼムは自分との違いにごくりと唾を飲む。 眼が見えないおかげで足手まといとなっていた自分は、自分が住んでいた村で干ばつが起こったときに真っ先に売られる事を望んだと言う。売られた先は、この村の上流にある、エンテイトスイクンの悲恋の伝説がある峠。そこで交易に訪れる商人や、旅の最中の浪人などを相手に易者をやっていたのだと。 数ヶ月前、峠に疫病が流行っていたために多くの住人はこの村に下山したが、チェリーはその峠に留まったそうな。しかし峠自体が滅びるほど猛威をふるった疫病のせいで帰る時期を見失い、チェリーは陸の孤島となったその峠に一人取り残されてしまった。 彼女自身、本来なら高熱が出るはずの病気を患ったが、何の間違いか体温が下がった彼女は温泉に入り浸って、光合成で栄養を取り続けながら難を逃れていたそうだ。 それをいいことに火事場泥棒をしに来た不届き者が現れ、そいつに連れられチェリーはここに流れ着いたのだと。 「へぇ、そんな事があったんだ」 「でも、火事場泥棒さん案外優しい人でしたよ……こうして人のいる所まで連れて行ってくれましたもの」 そう言って笑うチェリーを見て、アゼムは舌を巻く。アゼムは、自分の報われない立場が嫌で逃避したが、チェリーは報われない立場に自分から飛び込んで成功したという。売られたその先で、成功した話を聞かされている時、アゼムは胸を突き刺されるような気分であった。 ともかく、全体の概要を大雑把に話した後、チェリーが発した嵐の予言が見事的中した所まで話し終えたところで、チェリーの元に不穏な影。 「おう、チェリー。金は集まったか?」 「え、あ、はい……」 ドンカラスが空から降り立ったかと思えば、開口一番そんな言葉だ。 「おや、あんた……この子の保護者かい?」 如何にも育ちの悪そうなドンカラスを見て、アゼムは首を傾げる。 「こいつは何だ?」 ドンカラスはアゼムの質問を無視してチェリーに尋ねる。全く無礼な奴だとアゼムは内心毒づいた。 「あ、この人は……僕にお金をくれたの。お礼にお話を聞かせてくれって言っていたから……ケホッ、だから、今お話していた所」 「そうか……だが、お礼はもういい。それよりも先に仕事だ、来い」 チェリーが明らかに嫌そうな顔をした。 「おいおい、私の質問にも答えてくれ。お前、この子の保護者かい?」 「あぁん? そうだよ!」 いらだたしげにドンカラスは答える。これでもう、完全にアゼムとドンカラスの心はつながった。調子さえ良ければ記憶を消すのも捏造するのも思いのままだ。 「でも、この子、嫌そうだぞ? 親代わりならもっと子供に愛された方がいいんじゃない?」 「テメーには関係ないだろ!? それとも何か? 俺がこいつの親だってことに何か文句でも?」 ドンカラスはアゼムに翼を突き付けて威嚇する。エスパータイプであるアゼムは、恐怖で肩をすくめてしまった。 「おいおい、怒らないでくれよ。そうだな、私には関係ないね……悪かったよ」 「ふん、いくぞ」 ドンカラスは苛立たしげにそう言って、チェリーを翼で押して立つように促す。全く、怒ってばっかりだなとアゼムは肩をすくめて溜め息を吐いた。 チェリーは寂しげに一度振り返る。アゼムは、その何か言いたげなチェリーの視線に向けて微笑みかける。後ろを向いたドンカラスの後頭部をめがけ、アゼムは彼女の想いに応えるようにサイコキネシスで操った重いブロックを叩きつけた。 「がぁっ……」 ゴンという鈍い音。ブロックにひびが入って割れ落ちるとともに、ドンカラスは前のめりに倒れた。一連の流れを通行人がきっちりと見ていたが、それを気にする様子もなくアゼムは倒れたドンカラスに意識を集中する。ドンカラスの中にあるチェリーの記憶はともかくとして、自分に関する記憶だけはとりあえず消すべきだ。 頭を打たれたおかげかドンカラスの記憶もあいまいで、取り急ぎ記憶を消すのもつつがなく行われた。自分がつけ狙われる心配をなくした上で、ようやくアゼムは周りを見渡した。 自分が注目されているが、ここは逃げてお茶を濁すべきだろう。と、その前にやるべきことがあって、アゼムはチェリーへ向かって声をかける。 「逃げよ、チェリー!」 アゼムの声がにこやかに笑っていた。咳をしている子供を走らせるのも何なので、アゼムはチェリーの脚をサイコキネシスで地面から浮かせて自分と同じ視線に立たせる。ふわふわと浮かびながら呆然としているチェリーは、見えない目をきょろきょろと動かし、舌をチョロリと出して風と匂いを感じていた。 「え、えーと……はい!!」 宙に浮いて手を引かれるまま、チェリーはアゼムが宿をとっている場所へと案内されるのであった。 宿に戻ったら夜まで話でもしながら休憩。喘息の最中だと言うのに無理をさせたことを反省しながら、今度はアゼムが自分の身の上を話す。そして、これからのことも洗いざらい話した。自分が記憶を消す能力の持ち主であること、逃げながら取り急ぎドンカラスの自分に関する記憶を消したこと、明日にはチェリーの記憶も消させて自由の身にしてあげること。 そしてもう一つ。本当は&ruby(ゼム){記憶を消す者};を止めるかどうか迷っていたが、そんな時に導かれるようにチェリーに出会ったことで、アゼムは覚悟を決めた。これからも、自分の能力を最大限活かして生きるし、例え&ruby(ゼム){記憶を消す者};とは関係なくとも、自分の力を役立てられる機会があるなら失敗を恐れて尻込みしたりせずに首を突っ込んでやろうと。 初対面のチェリーに、彼はそう話した。色んなことを話してすっきりしたところで、アゼムは再びアグノムが住むと言われる湖を訪れる。 「ここが、アグノムが住んでいるっていう湖だよ……」 「静かですね……ケホッ」 寒さに震えるチェリーに毛皮の外套を貸してあげていると言うのに、アゼムは平然とした顔で湖を見据える。 「アグノム様……私、やっぱり&ruby(ゼム){記憶を消す者};の仕事を続けて行こうと思います。確かに、浅はかな考えで迷惑をかけてしまう事は何度もあったと思います……しかし、それ以上に人を救えたって信じたいのです。 それに、今までは漠然とした目的すら持てなかった私ですが……妹分も出来ました。この子をせめて、幸せに出来るように頑張りたいと思います」 そう言って、アゼムはチェリーの頭をなでる。今日と言う日にチェリーと出会ったのは、きっと神の思し召しなのだ。機会を与えてくれた神に感謝と、報告を。そのためにアゼムはこの湖に訪れたのだ。 「今度からは、この子と一緒に旅をしようと思います……身寄りもない身軽な子ですので、すぐに承諾してくれました……こんな未熟者の私ですが、いつか一流の&ruby(ゼム){記憶を消す者};として、&ruby(ゼム){記憶を消す者};の新たな道を開く道標となれるよう……頑張って行きたいと思います。 ですから、アグノム様……見守ってくださいませ」 昨夜来た時よりも遥かにしっかりとした口調で、アゼムはアグノムに祈りをささげる。アゼムが目を開け、修行の沐浴の準備へ移る前に、チェリーが驚いていた。 「アゼムさん……アレ」 眼が見えていないはずのチェリーだが彼女が指さす先には、半透明の青い影。ユクシーが魂だけを湖の上に出している時とほぼ同じぼやけたフォルムでアグノムの魂が湖面を飛んでいる。 「アグノム様……」 感銘を受けたアゼムの声は変に上ずった。いつもなら少しばかり走って、体を温めてからやる沐浴だが、今日はそんな事を気にして居られない。 「アグノム様!! 御姿を拝見させていただき、至極光栄です!!」 アゼムは凍るほど冷たい湖の中に飛び込む。冷たいしぶきが顔にかかって顔をしかめるチェリーを尻目に、アゼムはサイコパワーを用いて水タイプ顔負けのスピードで泳いでゆく。もちろん、こんな泳ぎ方ではすぐにスタミナが尽きるが、そんなの構っている場合じゃない。 そんな必死なアゼムの想いを嘲笑うかのように、触れられるほどの距離まで近づいたかと思うと、大人をおちょくる子供の調子でアグノムは湖へ潜りこんでしまった。 そんな意地悪にもアゼムはへこたれない。 「……チェリーと一緒に、&ruby(ゼム){記憶を消す者};として……いや、人間として大成して見せますから!!」 アグノムにからかわれたことを恨むでも怒るでもなく、むしろ光栄に思いながら、息切れの合間にアゼムは静かに宣言する。 「だから……見守っていてください、アグノム様!!」 ◇ 「浮気の記憶を消すですか……得意分野ですよ」 アゼムは、夏の日差しを浴びてこめかみを伝う汗をぬぐいつつ、得意げな顔で笑って見せた。 「じゃ、チェリー。早速ターゲットに接触しよう。今日も頑張ろうな」 青々としたチェリーの頭を撫でてアゼムは微笑む。その微笑みは見えないけれど、きっと思いは伝わったはずだ。 「はい!!」 傍らにちょこんと立っているチェリーと頷き合って、アゼムはチェリーと手を繋いで街を歩き始める。 今日もアゼムは火消し屋稼業を続けていた。 **後書き [#y7ef721d] 今回の大会では3位をいただき、票を入れてくれた皆さま本当にありがとうございます。 この作品は、オーベムの図鑑コメントを見た時から構想を固めていたもので、記憶を改編する能力で一体何ができるのかと言うことを主眼に置いて書きました。 その発想で突っ走った結果、彼にしか出来ないことを幾つかやらせると言うもくろみはいくらか成功したかと思います。 さて、この小説を書いているうちに思った事は――世間知らずのはずなアゼムことコナン=ヒトロエルが他意したトラブルも無い事に作者自身で違和感を覚えたと言う事です。 書いているうちに疑問に思い、記憶を探る術で相手の思惑を探って、騙される事がなかったのだと無理矢理に解釈しておりますが作者として、やっては行けなかったミスだと投稿中には猛省しておりました。 その他、主人公が大した目的もなく旅を続けていることを退屈した人がいるんじゃないか? 物語は先が読めてしまって、妻なんにと思われているんじゃないか? などとマイナス思考ばかりが浮かんできて、票が少ない事を懸念していましたが……案外皆さんのつぼに入ってくれたようで、安心する反面もっと頑張らねばと思います。 さて、某所にも書いた通り、この作品はテオナナカトルと世界観を共有していたりします。 レジロックの伝説についてはクラヴィスさんの設定と色々。風景を切り取ったように美しい絵を描くフーディンの女性はクリスティーナ。女性三人組の旅の名医は、クララとセフィリアとクリスティーナの三人組、虫ポケモンは奴隷のために一切出ない。また、裏設定で使われている通貨も同じだったり。 そっち方面では誰も気づいていなかったようですが、作者はバレバレでしたねw 仮面の意味がほとんどありませんでしたが、それで大会に参加できて、また票を貰う事が出来て良かったと思います。 管理人様及び投稿、投票による参加者の皆様、本当にありがとうございました!! **返信 [#d03fa902] >ずいずい物語の中に入っていけた (2011/08/25(木) 12:48) 世界観の説明がくどくならないか心配でしたが、そう言っていただけ手何よりです。 -------------------------------------------------------------------------------- >あまり見ないポケモンが生き生きと描かれていたと思います。 (2011/08/25(木) 20:36) 出すのが難しいポケモンはわき役くらいでしか出せないのがむしろ心苦しい気分です。 どんなポケモンも平等に愛して生きたいものですね。 -------------------------------------------------------------------------------- >オーベム主人公とは珍しいと思います。 (2011/08/27(土) 17:24) 私は逆に、むしろこれほど物語のかなめにしやすい能力を持ったポケモンも少ないと思いました。 キルリアやダークライと同じくパンチラ成分もありますし、みんな使えばいいと思います!! -------------------------------------------------------------------------------- >アゼムや依頼主のキャラ設定、各町の設定など非エロ部門で一番インパクトがありました! 面白かったです。 (2011/08/29(月) 23:42) むしろ、観光小説しか書けない私にはそれしかないのです。旅をするということに重点を置いたので、旅をしている感じを出せるように頑張りました。 -------------------------------------------------------------------------------- >ほのぼのとした雰囲気の中にある、救われた人と救われない人の格差。 仕事は優秀なアゼムが無双する話しかと思いきや、救われない結末がいくつかあった事に歯がゆさを感じます。 主人公も感じているんだろうなっていう歯がゆさに共感できたので、この作品に投票しようと思います。 (2011/08/31(水) 15:10) 万能な主人公にしてしまうと、物語への緊張感が欠けてしまうので、そこだけは気をつけるようにしました。歯がゆさを感じる主人公へ共感ですか……それだけキャラを愛してくれてありがとうございました。 ------------------------------------------------------------------------------- >すらすらと読めて、尚且つストーリーが良くできていてよかったです。 読んでいて楽しかったです。 (2011/09/01(木) 00:58) ありがとうございました。これからもがんばります!! **感想、コメント欄 [#i176bb2f] #pcomment(,5,below); -------------------------------------------------------------------------------- IP:122.133.185.252 TIME:"2012-01-30 (月) 17:41:58" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E7%81%AB%E6%B6%88%E3%81%97%E5%B1%8B%E3%83%BB%E4%B8%8B" USER_AGENT:"Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; YTB720; GTB7.2; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729; OfficeLiveConnector.1.3; OfficeLivePatch.0.0; BRI/2)"