作者……[[リング]]&[[March Hare>三月兎]] [[-1-へ戻る>漆黒の双頭“TGS”第8話:愛と、石と]] [["SOSIA"sideへ戻る>愛と、石と。]] &color(gray){このページの内容は[[愛と、石と。 -3-]]と同じ内容です。&br;以後、タイトル上の都合により、互いのメインタイトルを入れるページを作成する形で更新します}; #contents **1節 [#x9ce1e77] 自分は今、地面に倒れているらしい。草の生えた、湿っぽい地面だ。 すぐ側に誰かの体温を感じる。 それがシオンさまだということは、目を開けなくても匂いで判った。 瞼が重い。これがベッドの中で、仕事がなかったら二度寝をしてしまいたい。 ああ、でも目を開けなきゃ。 あの時いったい何が起こったのか、そしてここはどこなのか、確かめなきゃ。 地面が違う。滝の音も聞こえない。ここは洞窟の中じゃない。 「ん……」 橄欖はゆっくりと瞼を押し上げた。 「……っ!!」 目の前の光景を確認した瞬間、飛び起きた。眠気なんか一瞬で吹き飛んだ。 ポケモンの大群に囲まれていたのだ。 モルフォン、レディアン、スピアー、ラッタ、コノハナ、アゲハント……統制の取れた部隊でもなさそうなのに、どういうわけか苦手の虫タイプが多い。 敵意は感じられないが、友好的でもない。橄欖に向ける視線はどこか虚ろで、路傍の石を見つめるが如く。 何かおかしい。 橄欖はすばやく状況を確認した。 どうやらここは薄暗い森の中の少しひらけた場所の一角のようだ。シオンは橄欖のすぐ横に倒れている。目だった外傷はないが、気を失ったままだ。立ち並ぶ木は見たこともない種ばかりで、来た道とも随分違う。取り囲む者達がメテオラの滝の洞窟からここまで橄欖たちを運んだ、とは考えにくい。翼や翅を広げずに飛べるイレギュラーな能力の持ち主である孔雀だからこそ、狭く危険な入口から洞窟に入ることができたのだ。誰も彼もおいそれと入れるものではない。 可能性として―― あの岩の力で、別の遠い空間に飛ばされた。認めるのは怖いが、そう考えるのが&ruby(ヽヽヽヽ){最も自然};だ。 「貴方がたは……いえ、わたし達が……」 もしここがナタス大陸だったりしたら、エスパーは奴隷階級だ。だとすると彼らの視線も理解できる。が、とにかく話をしてみないことには何もわからない。 「……突然……こんなところに……現れて……驚きのことと思います……それとも、ただ……倒れていたわたし達を……たまたま……っ!」 橄欖は横にステップして身を躱した。髪が数本、焼き切れて散った。先頭にいたモルフォンがいきなりサイケ光線を発射したのだ。 「ちょっと……わたしたちは……貴方がたに敵意は……お、落ち着いて下さい!」 まっしぐらに突っ込んできたラッタを念力で止めた。 「グァウウウ……」 「え……?」 ラッタがポケモンのものとは思えない唸り声を上げたのだ。別段、橄欖が念力で締め上げたわけではない。苦しそうというよりは、何かを強く憎んでいるような、何かを欲しているような声だった。 ただ、牡とも牝ともつかないそのラッタからは、形のある感情は受信できない。 呆然とも無心とも違う、完全な無。 「そんな……」 僅かな波すらもない凪。橄欖の語りかけに対して、ほんの一ミクロンすらも心を動かしていないというのだ。ラッタだけではない。この場にいるポケモンのうち、シオン以外の者には全く感情がない。 意識を失っているシオンの感情の微弱な揺らぎも感じとれているのだから、自分の角がおかしくなったのではない。彼らの方が異質なのだ。 しかも、悪いことには―― ラッタを弾き飛ばしたのと同時に、ポケモン達が一斉に襲い掛かってきた! ――感情は持たないのに、攻撃の意思だけは持っているというのだ。 シオンを横目で確認して、大群との間に割って入った。幸い橄欖達は開けた空間の端に倒れていたようで、囲まれているといってもカバーする範囲は百八十度で済む。 橄欖は懐から銀の針を抜いた。右手に四本、左手に四本。 「シオンさまには……爪一本、肢の先も触れさせませんから……!」 わたしが、シオンさまを護る。 針の長さは十二センチ、太さは五ミリもある。素材が銀なのでESP伝導率も高い。 ――彼等の動きは鈍い。一般&ruby(ポケ){人};程度――ならば。 橄欖は&ruby(サイコキネシス){念動力};で針を放った。八本それぞれを別のポケモンに、全て急所を狙って。 進行方向を軸に回転を加えた銀の針はたやすく毛皮も虫ポケモンの外殻も貫き、八匹が絶命して倒れた。 まだ半分にも満たない。 もう一度八本の針を抜く。 死体には目もくれず、踏み越えて前進してきたツチニンのカマを躱し、横っ腹を蹴り飛ばした。姉さんと比べると威力はまるでないが、とにもかくにも一旦遠ざけることはできた。 &ruby(エレメンタルプレーン){要素領域};に&ruby(チャネリング){接続};してESPを集束するまでの時間、スピアーのダブルニードルを躱し、避けるとシオンさまに当たってしまいそうだったコンパンのサイケ光線は体を張って受けた。エスパーに対してエスパー技を放ったりと技の選択もめちゃくちゃで、仲間が死ぬのを目前にしても何の怖れもなく無防備に突っ込んできたり……これが同じポケモン、生物だとは信じられなかった。 ただ、各々がばらばらに動いているので御しやすい。攻撃を仕掛けようとしてぶつかり、互いにもつれ合って転倒する者までいた。 ――ふと、離れた場所で動かずにいるアゲハントが翅を閉じて集中状態に入っていた。 「あれ……は……」 &ruby(エレメンタル){要素};の波導とは別の、何らかのエネルギーが集束している。 技のエネルギー供給回路が、わたしの知るそれとは違う……? だが、技の種類は判別できた。 「……銀色の……風」 使われると厄介だ。苦手の虫タイプ技だし、範囲が広すぎて無防備なシオンを庇うこともできない。 間に合うか……!? アゲハントが翅を開き、ストロー状の口を伸ばして高々と吠える! 「間に合って……!」 集束が完了し、糸を練り上げた。一本の針に絡み付かせ、最小限の動作で発射する。目前に迫っていたコノハナの攻撃は無視した。別のポケモンを避けるため、三メートルの高さから放った針は、コンマ数秒の間にアゲハントの胸部を撃ち抜いた。 銀色に輝く燐紛が広がる直前だった。 残り七本で迫る七匹を倒し、残り数匹は催眠術でひとまず眠らせておく。 「はぁ……はぁ……」 催眠術はわたしの唯一の取り柄といってもいい得意技。半日は目が覚めることはあるまい。 ひとまず敵を全滅した橄欖は、回収できるだけの針を回収すると、胸を押さえてシオンの側にへたりこんだ。 コノハナに受けた傷は浅くない。打撃攻撃の動作に合わせた物理ダメージを、相手の体内に送り込んだ邪悪の&ruby(エレメンタル){要素};が再現する。"騙し討ち"と呼ばれる悪タイプ技で、絶対に回避することはできない。技を出す前に止めるしかないのだが、あの場合は仕方なかった。 それにしても、一面の死体。シオンさまが目を覚ましてこの光景をご覧になられたらどう思うだろう。 言い訳はできないか。 わたし達の能力が知れたところで生まれまではわかりはしないが、シオンさまが調べようと思ったら最後、きっとすぐに巽丞家のことも儀兩院家のことも知ってしまう。シオンさまにその気を起こさせる要素は出来る限り廃した方がいい。 この場を離れてから起こすのが得策か。第一、目が覚めた途端に正体不明のポケモンの大群に襲われたのだ。安全とはいえない場所にいつまでもじっとしていられない。 「……よし……」 はぐれてしまった孔雀も探さなくてはいけないし。 橄欖はシオンを抱きかかえて立ち上がった。傷を追った体では些か苦しいものがあったが、&ruby(サイコキネシス){念動力};をそちらに使ってはまた攻撃を受けたときに対応できない。 この場所からは正面と左右にそれぞれ狭いけもの道が伸びていて、他は木や背丈のある草が密集していつ通れそうにない。 と、正面の道から何かが歩いてくるのが見えた。 急ぎ左手の道に飛び込んで様子を伺った。 ストライクだ。 さっきのポケモンたちの仲間だろうか。 死体の山を見てもまるで何の感慨も湧かず、といったところは同じだ。 これ以上余計な戦闘行為は避けたい。とりあえず進もう。 けもの道を行くと十字路に出た。 十字路……? 天然の森にしては変だ。まるで&ruby(ポケ){人};工的に造られたみたいな。人工的といえば、この森の雰囲気はまるで人気がなさそうなのに―― 「……!」 十字路の右から現れたコンパンを出合い頭に仕留めた。 ――最初といい、後から現れたストライクといい、このコンパンといい。 原住民族的なものとも違う何かが、ここを住み処にしている。そして敵意の有無は不明にしろ、橄欖達に攻撃を仕掛けてくる。 コンパンが現れたのと逆側、左に進路を取ると、長い長い直線が続いた末にもう一度広い空間に出た。広さは最初にいた場所と変わらないが。橄欖が来た通路以外に入口はない。 逃げ道はないが、囲まれる心配がないだけ安全だ。あの狭さなら一匹、小さいポケモンでも二匹通るのでいっぱいいっぱいだろう。橄欖は奥まで進んでからシオンを降ろした。 「シオン……さま……」 体を揺すってみる。 が、一向に反応がない。 「シオンさま……!」 息だけはしているのに。 「シ……オン……さま……」 大変なんです。起きてください。 ――だめだ。思いの&ruby(ほか){外};眠りが深い。橄欖が早く目覚めたのは、幼い頃から鍛えた強い精神力のお陰かもしれない。 一先ず、休息を―― シオンの側に屈み込もうとしたとき、前の通路からレディアンが飛び込んできた。 「……休ませない……つもりですか……」 けど、一匹ずつなら。 シオンさまがお目覚めになるまでの時間稼ぎくらいはできる。 橄欖は針を抜こうとした。 「痛……!」 突然背後から衝撃を受けてつんのめった。 目だけで背後を確認すると、翅を広げたストライクが佇んでいた。 「シオンさま……!」 近寄ろうとしたら、ストライクがシオンには目もくれずカマを振り上げて一気に距離を詰めてきた。こうなっては下がるしかない。 一体どこから。 &ruby(ポケモン){人};っ仔&ruby(ひとり){一匹};通れそうにない木々の間を? ビンゴだった。 四方から、半ば体を木にめり込ませるようにして無理に現れたポケモンが、十数匹。 そんな無茶をしてまで、橄欖達のいる場所をまっすぐ目指して? どういうわけかこのポケモン達、わたしのいる場所がわかるみたいだ。謎多きことに、その全てが無感情、種族が限定されているのは相変わらず。 完全に囲まれた。三百六十度。 六感((五感+感情を受け取る能力))のうち一つが役に立たず、傷を負ったこの状況では…… 「ひぁっ……!」 むろん、相手は考える時間なんて与えてはくれない。背中に衝撃を受けて飛ばされた。地面に突っ伏したところへ、サイケ光線とシグナルビームを立ち続けに撃ち込まれた。 「……ぁあうっ……く……っ」 橄欖はそれでも、力を振り絞ってシオンの所まで這っていった。その上に覆いかぶさった。 「わたしは……殺されても……構いません…………ですが……」 言葉が通じるとも思えない相手だけれど、もうそれくらいしかできることがなかった。&ruby(ヽヽヽ){あの技};も、相手がこう多くては意味を為さない。 「シオンさま……だけは……この方だけは……どうか……」 悲しむひとがいるから。フィオーナさまが。弟君が。姉さんが。その他大勢のご友人、同僚―― いろんなひとの顔が思い浮かんで、 残る五感が消失した。 &size(18){ ◇}; 長年の間に染み付いた、どれだけ磨いても落ちない汚れのある床。それは、この建物が年季を重ねてきた証拠であった。それでいて、不快感を感じさせない立てつけの良さは好対照だ。 「おや、お二人さん、こんにちは。今日も仲がよろしいことで」 床には汚れが染み付いているものの床に落ちるゴミは少ない。毎日、相当強いという噂ばかりが先行する割には『ただ家族思いだからいつも家族一緒にいたい』などの理由で、部下も満足に雇わずデスクワークや雑用に従事している所長がいつも床掃除をしているのだ。 その所長も、普段は秘密の仕事((漆黒の双頭TGSの3・4・5話に詳しく。7話に、その仕事に就くようになった経緯が詳しく))に従事していて、所長としての仕事はヒューイという名のドーブルが変身を駆使して影武者をやっているのだから、ややこしいことこの上ない。 そんな所長だが、現在秘密の仕事は休みであり、本来の仕事であるギルド所長の業務についている。 そのため、ヒューイの影武者業は休暇。即ち、このギルドにおける仕事は休暇ということになるはずであったのだが……何故か、今日床掃除をしているのはヒューイであった。 アサがキールにより一方的に腕を抱かれる体勢でギルドに入ってきたところを、間髪いれず『仲がよろしい』と言ったのは彼である。 「ヒューイさん……休暇じゃなかったの? 帰省しているかと思いきやなんでまだここにいるのさ。しかも、変身してない素の姿で……めずらしいのさ」 「いえ、状況が変わったものでしてね。急遽レアス様が来ることになってしまったのですよ。実家に帰って休みたい私には迷惑なことに……ですがね」 アハハと苦笑して、ヒューイは『今のはレアスさんには秘密ですよ』と、口に尻尾を当てて口止めをする。 「レアス様が今回訪れる目的はですね……アサさんが漆黒の双頭に入ったことが嬉しいそうで、アサさんが会いに来るのが『待ちきれない』とのことです。スパイクさんの容体の方も同時に見るのだとか……フリックさんからの情報ですが、麻薬がすっかり抜けた姿は、結構可愛らしいそうなのですね、スパイクさん」 「あ、あぁ。あいつなら、かなり可愛いよ。頭を撫でてやろうとすると必死で避けるんだ……避けるのが上手いとは聞いたが、今のところ一回も頭を撫でられていないんだ」 「はは、プライドの高いポッタイシらしいですね」 ニコリと笑ってヒューイは掃除する手を止めない。箒やモップを操りながら、念力で濡れた雑巾を操つりながら会話する。同じポケモンとは思えないと感じるキールは呆気にとられたした表情で、よく修行しているんだなと感じるアサは感心した表情という好対照だ。 「そんなわけで、レアス様を迎える御持て成しには私がいた方が都合がいいということでしてね、こうして里帰りの帰還を遅らせてまでここにいるわけでございます。どうです、レイザーさんがやるよりも数倍きれいにして、床は舐めても大丈夫だと自負しております」 微笑みながら言うその言葉は誇張ではない……から、このヒューイという男はすごい。 染み付いた汚れまでは&ruby(かんながけ){鉋掛け};でもしなければどうにもならないらしいが、床にはチリやホコリのようなゴミは嘘のように落ちていない。そのおかげで年季を積み重ねた床は醜い『老い』ではなく美しい『貫禄』を生み出している。もちろん、普段の床にはそんなことはあり得ない。 普段はレイザー所長の生き霊を憑依させて影武者を演じ、レイザーの掃除の技術を真似する――などという面倒なことをしているせいで、せっかくの掃除の腕は、レイザー以上に発揮されることはない事が主な原因で。 そんな面倒なことをしないでおけばこのギルドはもっと清潔になることであろうが、影武者を演じるのは&ruby(ヒューイ){本人};曰く『修行のため』なので仕方ない……と、信じてあげよう。またレイザーの掃除についても、レイザーが適当なわけではなく、ヒューイがいい意味で異常なのだということもついでに信じてあげよう。 「では、アサさんにキールさん。貴方達も、いつレアスさんが家を訪問してもよいように、きちんと掃除しておくのですよ」 「ふふん、その心配には及ばないのさ」 微笑んだヒューイの言葉が終る瞬間を見計らってのキールのふてぶてしい言葉が得意げに先どる。 「いつも俺が部屋を掃除させられているからな」 「おやおや、本当に仲がよろしいことですね。若い頃を思い出します」 オイオイそれはないでしょーがと、付け加えた言葉を聞くと、ヒューイは笑いながら掃除に戻っていった。 やっぱり、どっからどう見ても仲がいいんだよなぁ…… 「さて、依頼選ぶのさ。今日はいいのあるかな?」 「あるといいな」 そんな、いつもより数段きれいになったギルドの一室。発注用の受付を通して張り出され、一定期間受注がなければやがて自動的に廃棄される便利屋依頼掲示板。 その中でも『探検隊用掲示板』と呼ばれる、世界に未知が満ちていたころの名残を残す掲示板の前に立つ。二人は、背の低いポケモン用の脚立を念力で除けて、その掲示板を覗いていた。 「暗夜の森かぁ……」 その掲示板は、『不思議のダンジョン』と呼ばれる場所を、主に舞台または通り道にした依頼が張り出される掲示板である。キールが呟いた暗夜の森というのは、進化が&ruby(ヽヽヽ){可能な};特別な場所に行くための通り道で、収穫も終わり畑仕事に余裕が出るこの時期、よく護衛依頼が出される場所でもある。 「ふむ、遭難者……」 不思議のダンジョンとは、時間も、空間も、心さえも狂った場所だ。そのためか、そこは入るごとに形を変える領域であり、傷の治りも早くなり、反面病気の進行なども早くなる。 そして、もっとも特徴的なこととして、長居すれば心を失い正気を保てなくなる。最終的には、心を求めて心ある存在に襲いかかるケダモノに――この世界では『ヤセイ』と呼ばれる存在に化すのだ。 だから、護衛依頼が出るし、護衛を雇ったとしても何か予想外のことが起こったときにはダンジョンで倒れることもある。 そうなったとしても『ヤセイ』が心を食べるためには生かさず殺さずが原則なため、すぐに死ぬということはないが、早目に助けなければ『ヤセイ』の仲間入りだ。 「すでに、モンスターハウスが形成されている……とね」 依頼内容は『遠目でよくわからんが、見たことのない紫色のポケモンと、恐らくキルリアと思われるポケモンが遭難している。すでにモンスターハウスも発生しているようなので、俺にはどうしようもなかった』とのこと。 性質の悪いことに、『ヤセイ』ではないポケモン――この世界では『ナカマ』と呼称されている心あるポケモンの周りには、時間がたつと『ヤセイ』が大量に集まってしまう。 これをモンスターハウスと呼称するのだが、こうなってしまえば、ダンジョン自体のレベルにもよるが腕に自信がないものが助けようとしても返り討ちだ。 ミイラ取りがミイラになってしまえば笑う事も出来ない。 「しかも、自分で助けを呼ぶ装置を購入していないってことは報酬の方も期待できないってわけなのさ」 「ふむ、それじゃ報酬は探検隊連盟頼りか……」 助けを呼ぶ装置とは微弱な念の波導を集め続けて、有事の際には強烈なテレパシーを送ることのできる装置のこと。購入にははそれなりの値段が必要で、この遭難者はそれを持っていないということか。 まぁ、そういう者に対しても救済措置として、探検隊連盟の方から公的な報酬がもらえるのだが、そんなのはオニスズメの涙のようなもの。 「じゃあ、誰もこんな金になりそうもない遭難者なんて助けないと思うけれど……どうなのさ、アサ。僕たちで助けない?」 その依頼用紙を一度眺めた後、キールはアサへ目配せをする。キルリア時代からもそうであったが、他人の明るい感情を好むラルトスとその進化形の性質上、キールはこういった存在を助けてはその感情を楽しむのが一種の趣向になっている。 タバコや酒のようなものだと理解しているが、金で買えないだけに始末が悪い。 「はいはい……物好きだなお前。全く、金があると誰しもロクな事やらないっていうのは本当だな」 隣からはアサの呆れたような声がし、それでも振り返ることなく好意を伴う感情が流れ込んでいるのがキールにはわかっているんだろうな。 キールは、明るい感情をとらえた胸の角を優しく撫で、アサに猫なで声ですり寄って。 「んじゃあ、受注をお願いするのさ」 なぜ、そうなるのかは分からないが、依頼の発注はアサに行わせられる。アサはしぶしぶ掲示板から剥がしながらも、しょうがない奴だ――と、笑って許してしまう。 もはやアサは完全に虜であり、それを利用したキールの甘える攻撃は成功率があまりにも高い。 行き交う人混みの中を、ぶつからないように避けながら、受注用の受付のもとへアサは歩く。 「これ、お願いします」 アゲハントの受付嬢へ依頼用紙を差し出しては、その用紙が上下で半分に切られていくのを黙って見る。 受付嬢のらせん状に巻き取られているひも状の口器にカッターが器用に咥えられて、鱗粉を巻かないようによく手入れされた翅の下部にある細い部分の先端で押さえつけては、カリカリと音を立てて切る。 「では、受注者の記入用紙の方を」 依頼用紙にはパンチで穴をあけられ、アサがあらかじめ記入しておいた受注者の情報と共にファイルされる。切り取られた下半分には、依頼の概要と発注者の軽い情報が書かれている。 今回の発注者は、ただ遭難者を発見したというだけなのでライチュウの牡という種族と性別のみが記載されているにとどまっている。 「それでは、緊急性の高い救助依頼ですので、なるべくお早めに遂行していってくださいね~」 営業スマイルを全開に、アゲハントの受付嬢から愛想よく挨拶をされ、アサは振り返る。 「お疲れ~。頑張っていこうね」 すかさず、アサの腕に触手のようにからみつくキールの腕が――このキールに抱きつかれると体がカァッと熱くなる呪いにかかるんだ。 勘弁してよと言う言葉も出せなくなるし、何より視線が集まってしまう凶悪な技だ。 「も、アサってば文句言わない。皆仲のよさに嫉妬しているだけなんだから」 文句言ってない。お前が角で感情を受信しているだけだ。 何を見せつけようというのか、この男は。最近はスキンシップを以前以上に求めてきたり、仕事を一緒に決めたがったり……と。エスコートしなければいけない俺の身にもなれというんだ。 「さぁ、家までおぶってけぇい」 家に帰るまでの間、ずっとこれだ。唐突に後ろから抱きついてきては首絞めとも抱擁ともつかないおんぶを強要されて……本当にこいつは性別を勘違いしているんじゃないかと。 別に、永遠の別れってわけじゃないけれど、忘れて浮気でもされたらたまらないとでもいうのか。アサが向かう予定の場所は、聞くところによれば住んでいるのはユクシーの他はバルビートやらイルミーゼが主流だと。 確かにさりげなく卵グループは一緒でも、そんなのに浮気するわけないのにな。だというのに、こうやって涙ぐましい程に俺の記憶に自分を刻みつけようとするキールはたまらなく愛おしい。 「キール……痛いんだけれど」 「ん、あぁ、ゴメン」 首が苦しいわ、角が肩に当たって痛いわで、不満の一つも口にしようと思ったら…… 「じゃあ、抱っこ」 「何故……唐突な?」 キールはおぶられた体勢から、重さを感じさせることなく顔の上を飛び越え、仰向けの状態で首に手をかけている。 念力でふわふわと浮いているその態勢は落ちる様子など欠片もない危なげないものだが、このままどうしろというのか。 「さ、お願い」 「あ~……結局こうなるの」 結局なぜかお姫様だっこに落ち着いた。もう、ジェンダーとか性別とか色々と可笑しい気がするが、鼻が利かなかったり遠目から見る限りなら普通のカップルそのものなんじゃないだろうか。 まぁ、そんなことよりも何よりも重いのだが…… 二人とも口には出さないけれど、迫っているしばしのお別れが行動に影響を与えていることは否定できないようで、黙りこくる時間が不安で仕方ない節があるようだ。 そういう時、無理やりにでも何かしゃべろうとするキールは立派だ……立派だけど、なんとかならない? もう、性別について考えるのが疲れてきたんだけれど……こんなところシリアに見られたら俺食われちゃう。 そこ、嬉しそうに角を撫でるな。俺は苦労しているのにその目は何? 『へへ~、ありがとう。とっても楽ちんなのさ』とでも言いたげなその、かわいらしい目は。 「うふふ~、ありがとう。とっても楽ちんなのさ」 ほぼ予想通りに言っちゃったよ。完全正答ではないにしても、これだけ近いなら正解にしちゃって構わないでしょう。 「あの、自分で歩いてくれない?」 「無理なのさ」 「無理じゃないだろ」 「今、足痛いのさ」 「痛くないだろ」 むしろ俺の頭が痛い。そして、そういう感情だけ華麗に&ruby(スルー){無視};してくる勝手なキールに振り回されつつ、家に着いた。ただ家に帰るだけなのに相当疲れたような……。恐らくキールのせいだろう。 気付け用の強烈な刺激臭のする食品。消毒用の強力な酒。針と糸や包帯など、怪我の治療用の器具。それらショルダーバッグの中身を確認して、バッグの口を閉じる。 肉剥ぎや投擲用のナイフなどは、いつでも取り出せるように体に装着。 着用者が味方と認識したエスパータイプのポケモンの能力を高める金色の&ruby(シフォン){絹織物};をキールが、毒を完全に防ぐモモンスカーフをアサが、それぞれ首に巻き、足早の用意を終える。 「さ、行こうか」 ここから先、キールは仕事の目つきとなる。最初に出会ったときと同じような、目の奥に慈しみを湛えた表情が隣に。 でも今は、手をひかれるだけでも、アサが見下ろすでもなくほぼ同じ目線で隣を歩きあう存在だ。 しばらく会うことが出来ないという切っ掛けは、互いを観察しあうにはもってこいだな……。 キールが視線に気がつけばニコリと微笑む。それだけで、ああ今日はいい日だなぁ……と。駆け足しながら観察すれば、その感情が伝わって角を撫でるキールの姿。 今日も屈託のない笑顔が眩しいことだが……さて、今日は遭難者にどれくらい感謝してもらえるのやら? なんて、甘い考えが……よもやあんなことになるなんてね……面倒極まりないけれど、ある意味じゃ素敵すぎる思い出だ。 &size(18){ ◇}; 「お~……居るわ居るわ、わんさかいるわ、苦手なタイプが」 鬱蒼とした森の木々は、太陽を頑なに閉ざす。昼でも暗夜を貫き続けるこの森は、誰が呼ぶでもなく暗夜の森と名づけられた。その森は虫に対して豊富な食料を提供し、食料を競合する虫ポケモンに対しても格好の餌場となった。 そうして、虫タイプの一大コミューンを結成したこの森は、森でありながら意外にも草タイプが少なめだが、この虫タイプの多いダンジョンでどうやって淘汰されずに生き残ったのか虫に弱い悪と草タイプを兼ね合わせたコノハナなんてのもいる。 「大丈夫、この程度問題ないのさ」 情報によれば、この階層に遭難者がいるそうで、モンスターハウスの発生もしているから……とのことだが、遭難者はどこかな? あぁ、あれかな? 遠目からだが、紫のポケモンに覆いかぶさるように庇いたてるキルリアがいる。元々、忠誠心が高いことで知られる種族だとは言うが、大したものだ。 さて、依頼を受けるにあたってここが峠となる場所、&ruby(モンスターハウス){敵の群れ};との戦いだ。 「じゃ、あれお願いね」 息をひそめ、声を抑えてキールが肩を叩く。 「わかった……解析スタート」 少しでも有利に戦うために、この段階で策を打つのはもはや定番だ。フーディンになってからというもの、ミラクルアイと呼ばれる技で悪タイプのポケモンをエスパータイプの技が当たるように丸裸にしてやる。 すでに隣で瞑想を始めたキールがそれを終えるまでには悪タイプ特有のエスパータイプの攻撃を拒絶する波を掻き消せるはずだ。 「解析完了、行くぞキール」 「オッケー。後方支援は任せてね」 まずは間合いを詰めるところから。脚と地面の間にバネのようなモノがあるとイメージしてのサイコキネシス。 脚からのサイコキネシスで地面を押すというのは、つまるところ脚で走るのとなんら代わることない。しかしそれでいて、自身の脚だけで走るのとは比べ物にならない力を生み出すことが出来る。 敵さん、倒れたキルリアの遭難者よりも活きの良いエサを見つけたってか? 気づくのが遅い!! 「くるのさ、アサ!!」 「わかってる」 何といってもこのキールという男、普段はエネコを被っているためなのかプライベート以外では、今でさえもかなり力をセーブしている。 わざわざ集中力を高めるために瞑想を積む必要もないというのに、先ほどのように瞑想を積んだりなどしていて、 こいつは伝説のポケモンでも戦おうというのだろうか。 どうにも、&ruby(セレモニー){儀式};的な意味合いがあるらしい。こういった救助の仕事は人命がかかっている以上、万全を期すに越したことがないのは同意だが…… 「行くよ、気合い玉!!」 キールによる後ろから同士討ちを防ぐための技名の宣言。 「ひぃゃぁぁぁ!!」 で、後ろから感じる圧力に髭が逆立つその威力たるや、俺の4~5発分の威力は軽くあるのではなかろうか? あれで遭難者に流れ弾が当たったらどうするのかと聞きたいところだが、生憎&ruby(ヘマ){失敗};をやらかしたことがないので聞くに聞けない。 あんなものをくらってしまえば格闘タイプの技の威力がいま一つであるアサでさえも危ないし、これでエネコを被っているつもりなのだから恐ろしい。 その一撃でコノハナとラッタが大きく吹っ飛び、運悪く周囲にいた『ヤセイ』も吹っ飛ぶ。なぜか格闘タイプに極めて強い飛行と虫を併せ持つポケモンでさえ軽く4~5匹は蹴散らされた。攻撃への起爆剤としては十分すぎるほどだ。 と、とにかく……距離を短くすればするほどサイコキネシスの威力は高まっていく――よし、掌の射程圏内。 体重の軽いコノハナを……―― 「吹っ飛べ!!」 たとえ悪タイプであってもミラクルアイの前では形無しだ。ゼロ距離のサイコキネシスを存分にぶつけてふっ飛ばし、奥にいたレディアンも巻き込みつつダメージを与えられたはず。 次に左前から向かってきたモルフォンに対しては、スプーンを媒体に念の波導を練り合わせて、右手に&ruby(サイコカッター){光の刃};を作る。 光の刃を持ったままレディアンの胴と頭部のつなぎ目の後ろ側と、自分の握る右手のスプーンに強力な磁石があるとイメージし、そのイメージ通りにつなぎ目の後ろとスプーンを引き合わせる力を働かせる。 それはつまるところ胴と頭部のつなぎ目にサイコカッターを突き刺すことを意味し、イメージ通りにそれが遂行されては、軽く致命傷を与えられた。 加えて、貫いたところで無防備な体にサイコキネシスを加えて地面に叩きつける。 「アサ、奥でレディアンが銀色の風!!」 「わかった」 キールが叫ぶと同時にスピアーの毒突きが右前から迫ってきた。上体をのけぞらせつつ半身になり、軽く踏み込んでから左手の光の刃を例のごとく胴と頭部のつなぎ目に突き刺す。 そのまま、踏み込んだ勢いを殺さないように肩から体当たりしてその体を担げば、スピアーの体が敵の攻撃の盾になってくれる。このまま身を縮めていれば、銀色の風も粗方防げるはず。 敵さんはせいぜい、銀色の風のほとんどを味方の誤射に終始してくれればいい。 「いくのさ、電撃波」 銀色の風の射程圏外から威勢の良いキールの声。またもや、キールの援護射撃。 元は命中率を重視して威力が低めの技でありながら、キールが放ったのはどう見ても電気タイプのポケモンが全力で雷を呼び込んだとしか思えない。 「ヒャッ!!」 そんな性質の悪い電圧の攻撃が、後方から……反射的に肩が竦む。いちいち味方に恐れを為さなければいけないこの状況をなんとかしてほしいものなのだが。 それを知ってか知らずか、キールの攻撃は狙いを誤ることなくストライクやアゲハント等、虫と飛行タイプを兼ねるポケモンへと当たっていく。 見間違えでなければ2発ほどしか放っていないのに……今ので5~6は落ちたか? 何故か、電気に強いはずのコノハナも一緒に倒れた気がするが、一体全体どういう威力なのだか皆目見当も付かない。 なんにせよ……でかした! 「このまま一気にきめてやる!」 キールの猛攻のおかげで、残りは体が小さいおかげでキールの攻撃に当たらなかったツチニンと、影にいて当たらなかったウツドンだ。 計2匹となった敵に対しアサが思いきりサイコキネシスの見えない腕を絡ませあい、双方を磁石が引き合うように叩きつける。 バチンッ!! と、聞いただけで耳が痛くなる程の破裂音が響き、その2匹は倒れた。スピアーの体からはみ出た部分が焼けつくように痛いが、結局ほとんど無傷での勝利。上出来だ。 「よし。これで敵は全滅と……」 あぁ、色々疲れた……。精神的な要因の疲れはキールが混ざっている気がする。 「カッコよかったのさ~、アサ」 いくら人目が無いからと言って、キールに人目を&ruby(はばかる){憚る};なんて殊勝な心がけは全くのゼロ。 いきなり抱きついては、自分自身の大活躍を完全無視で半分ほどの数しか下していないアサを労う。 抱きつくのは勘弁してくれと言うのもいい加減疲れたから、無視して強引なおんぶをさせられたまま遭難者の下へ。 背中が痛いし重い……と、思っていたところで、唐突にキールが背中から降りる。何があったのやら? 「どうした?」 キールは遭難者を見て硬直している。 遭難者は、キルリアが覆いかぶさるようにしてもう一人を庇いたてたまま気絶しているのだが…… そのもう一人が、二股の尻尾を持ったラベンダー色のポケモン。そういえばあれは、エーフィ? 「エーフィ……なんでこんなところに」 キールの顔が見る見るうちに険しくなっていく。 幼いころに、引きこもりの原因となったほどキールの角は異常な感度を持っている。 その原因が、元はイーブイとその進化系に加えてカクレオンの行ったラルトス差別のせいであった事実。 加えて、カクレオンは、スイクンタウンやそのほかのホウオウ教の布教領域にも住んではいるが、ことブイズに関しては、この大陸においてアルセウス教の布教領域にしか存在しないはず――という事実。 「ミステリージャングルの……いや、違うのさ」 一応ヒューイの故郷であるミステリージャングルにもイーブイは居るのだが、逆にあそこにはキルリアは居ないはずだ。 この組み合わせで倒れているのはおかしい。 結局、アルセウス教布教領域から来たと考えるのが妥当だが…… 「じゃあ、やっぱり……アルセウス教から来たの?」 だから、キールが戸惑っているんだ。奴隷階級のキルリアを連れた王族階級のエーフィ……動揺しない方がおかしい。 「アサ、この依頼は……キルリアだけ助けてこっちは見捨てよう」 でも、いくら動揺しているからと言って、いつものキールから逸脱しすぎだ。冷静に見れば、このエーフィが階級云々はともかくとして悪人であるはずがない。 「あい? 何言っているんだ。エーフィ見捨てたらこのキルリア悲しむぞ」 「そんなの……ありえない。僕は知っているんだ。奴隷階級のラルトスとその進化系がどれだけ酷い目にあっているかって……」 キールは俺の言う事は大体に同意してくれるはず。それを、突っぱねるなんてキールらしくも無い。 「それが、このキルリアにも当てはまるって言いたいのか? 見ろ」 キルリアの体は、擦り傷や打撲など新しい傷がところどころについていたが、それ以外は綺麗なものだ。 「鞭に打たれたような不自然な傷も無いし……変に痩せてもいない。綺麗なものじゃないか?」 「でも……」 チィッ……なんでこんなに頑固になっちゃうかな。キールがキールじゃないみたいだ、面倒くさい。 「背中だけ見ても分からないって言いたいんなら……前を……あれ?」 弱々しくエーフィを抱きしめていたキルリアの腕を剥がし、ひっくり返して前半身を露にしてみると……なんじゃこりゃ? 普通のキルリアと言えば、下半身以外を保温膜が覆い被さる形で、腰元はスカート上に広がっている――と言うのが定石だ。 だというのに、このキルリアは胸元がV字に裂けており、そこから若草色の地肌が覗いている。 無論のこと、その膜は人工的に手術か何かで切り裂いたわけでも無さそうで、あくまで自然な形にアポトーシス((自然に引き起こされる細胞死。カエルの尾や、胎児の水掻きが消失するのが代表的))を起こす途中のようだ。 ちらりと見た限りではあのエーフィ……ほぇ~、毛並みから顔立ちまで非の打ち所がなく整っていて絶世の美女じゃないか、羨ましい。 彼女がつけていたペンダントにいたっては、信じられないほどの密度を誇っていることから恐らくは白金。大粒のルビーも濁りのない上物だろう。 少なくとも高い身分であることを伺わせる。 「はは、このキルリア……こりゃ決まりだな」 なにはともあれ、キルリアの胸を見てこのエーフィがシロであることは確信できた。 「何が……」 そのキルリアを見て楽しそうに笑ったら、キールはいかにも納得がいかないと今にも噛み付きそうだ。 妹だったら『食べるよ』とでも付け加えていたんじゃないか。 「あのな……例えば、色違いなんかは王家であろうとも生まれた瞬間に首切り落とされて死ぬんだって俺は聞いたがな。灰色のイーブイとか。 ヒューイさんの住んでいるミステリージャングルでは草ポケモンの花の色が結構違うらしいから、おちおちダンジョンに囲まれた居住地からも出れないとも言っていたよ。 それがだぞ、キール? このキルリア、確かに色はお前と同じだけれど……この胸を見ろ。どうだ、お前が標準的なキルリアだというのなら……こんなキルリアは異端だ。こんな異端者、とっくに殺されていてもおかしくない……のに、この子は生きている」 キールが目を逸らして黙りこくった。こんな反応、かなり久しぶりな気がする。だが、懐かしんでいる場合ではないな。 「このエーフィ……物凄くいい身なりをしているし、このペンダントも見るからに高級品だ。だから、こいつがお前の嫌いなアルセウス教のブイズの王族だと仮定して……このキルリアのお嬢さんを生かしているということ自体、このエーフィの&ruby(ヽヽヽヽヽ){王族として};の正気の沙汰を疑う。 でも、&ruby(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ){アルセウス教の王族};に於いて正気を疑う行動は、俺らにとって必ずしも正気を疑う行動なのか? このエーフィが、このキルリアを殺さないことは、俺らにとって望まないことなのか?」 音が聞こえそうなほど歯を食い縛ってキールは振り向かなかった。いつもキールがアサにそうするように手を握ってあげても、少しだけ嫌がった後はそれっきり無反応。いつも抱きついてくるだけの元気があるというのに、どうしてくれと言うのやら。 「それでも、僕は……」 ふぅ……ここまで来ると第一進化形病((厨二病のこと))も重症だな。キールのことだから、俺のキールに対する蔑みの感情が伝わっていないはずはないんだが。 「分かった。お前は、はっきりと角で感情を感じられないと信用できないんだろう? エーフィの女性が気絶しているから、お前は確信できないんだろう? じゃあ、このエーフィのお嬢さんが目覚めて、お前やこのお嬢さんを見て蔑んだりするようなら……もうすぐ、漆黒の双頭のリーダーとやらが来るらしいし、そのレアスさんとやらに今後の処遇を決めてもらえばいいだろう。な?」 おずおずとキールが頷いて、やっと肩の荷が下りた気分だよ。やれやれ…… 「分かったよ。じゃあ、エーフィの応急処置は君がやってよ」 「大丈夫。そんなの分かってる」 ようやく宥める事に成功したキールは渋々ながらキルリアに寄り、脱脂綿に酒を浸して体中の消毒を始める。同様に、エーフィの傷口を消毒しては大きな裂傷を軽く縫い付け、オレンの実で作られた軟膏を塗ってその上から包帯を捲く。 最後に、低下した体力を少しでも補うために、少量のオレンの実を口移しで含ませて嚥下させる。 幸い、大きな血管が傷ついているようなことも無く、治療は二人とも手馴れたもので、数箇所の傷の処理にそう時間は掛けなかった。 &size(18){ ◇}; 「こっちは終わったのさ、アサ」 といっても、アサはすでにかなり早く終わっていたみたいなんだけれど……エーフィの方はこの子が庇ったから傷が少なかったんだよね、見た目からして。 でも、それって……つまりはそれだけあのエーフィが大切にされていたって言うことじゃないのさ。 それはとどのつまりアサの言う通りってことであって……う~ん……そりゃ、ブイズ差別はダメだってこと分かっているけれどさ。 「そうか……ところでさ、このエーフィの名前フィオーナ=ヴァンジェスティって名前らしいんだが、そのキルリアの名前分かるか?」 アサから見せ付けられた大粒のルビーが埋め込まれたペンダントの裏には名前が刻まれていた。 それぞれ、シオン=ヴァンジェスティとフィオーナ=ヴァンジェスティ……か。 「いや、名前の刻まれた持ち物は持っていないのさ。種族名を名前に入れないって事は、やっぱりホウオウ教の者じゃないみたいね……」 「ふむ……確かに、こっちの者じゃないのは確かだな。しかし……『シオン』って言ったら男女どちらともとれるけれど、フィオーナと比べるとどっちかっていうと男の名前だし……まさかそのキルリアがシオンじゃあるまいしなぁ。百合の気がなければ……だが」 そうだよね。第一、二つの名前が刻まれている以上、誰かが対になるものを持っていなければおかしいのさ。こっちがグラードンの象徴であるルビーだったらカイオーガの象徴サファイアか、もしくはエメラルドか。 「ふむ……この、シオンと言うのは親が強引に決めた相手だったりするのだろうかね? いや、そのシオンとやらを捨てて駆け落ちでも何でも、ここまで来たにしては、ペンダントを捨てないのはおかしいかな? 目立ちすぎるし。 恋人からもらったものを捨てるかどうかは個人の自由としても……こんなものつけていたら一目でわかっちゃう」 「いや、でも……路銀代わりにあのペンダントを持ち歩いていたというのならば納得もいくのさ。許婚か何かから、一方的に送られて……それを旅のお供に利用してやろうって感じで。 でも、あんなものを売り捌ける場所はそうそうないし、そんな事すればすぐに足がつくというのを考えないとしたら、それは如何にも世間知らずって感じだけれどね」 はぁ、アルセウス教の王族の事情なんて考えたくも無いのに……なんで僕はこんなことに巻きこまれるのやら。あぁ、やだやだ、貧乏くじ引いちゃったのさ。 「兎に角、さっさとダンジョン出ちゃおうよ 正体やら名前やら、色々考えるよりも直接聞いたほうが分かりやすいし……起こすならダンジョンの外か、ダンジョンの目で起すのさ。そのエーフィは……アサが運んでよ」 「あぁ、分かったよキール」 あの、いきなりその微妙な感情は何? 蔑みの他、寂しげで、ちょっとした疑問……それに微妙な優越感も混ざっている? 「全く、こんな美人を不可抗力で背負ったり抱いたり出来る機会なんてそうそうないっていうのに……人生損だぞキール?」 なるほど、優越感の理由はそういうことね。宝の持ち腐れともいうけれど。 でも、もしそいつが目を覚ました時に僕のことを蔑むようなら……そんな奴を背負った方がよっぽど人生損だから。 だから、大きなお世話なのさ。たとえ、君の見立ても僕の見立ても、そのエーフィが悪者じゃないって説が優勢だとしてもね。それがわかるまでは、とにかく嫌だから。 「しっかし、このエーフィなんか変な匂いだな……フリックには負けるけれどいい匂いではあるんだが……変だ」 ぶつくさ言いながらも、アサはそれぞれ遭難者を肩に背負う。っていうか……フリックの匂いっていい匂いなんだ。男には分からないものなんだな~…… あぁ、それにしても本当に美人……悔しいけれど言うとおり損している気分なのさ……これ。 **2節 [#aa2718f6] さわさわと揺れる葉音はどこか不思議な音色を奏でていた。顔に当たっているのは、冷たい……夜風? 違う。何が、っていうわけじゃない。音が、空気が、すべてが異質だった。ここは外で、僕は倒れているのか。そう納得することがどうしてもできなかった。 でも、目を開けなきゃ。立ち上がらなきゃ。目を開けて確かめるんだ。そうしないと信じられない。 そう、重い瞼を押し上げて―― 「みゃ……」 夜の森だった。夜風は木々の間を走り抜けて、シオンの顔に当たっていた。&ruby(ヽヽヽヽヽヽヽヽ){何も違わなかった};。 僕の体には毛布が掛けられているみたいだ。細目を開けると、すぐ目の前で二匹のポケモンが焚火に当たっているのが見え た。 フーディンとサーナイト……どちらも知らないひとだ。シオンが目を覚ましたことに気づいたサーナイトが胸の角に手を当てた。それを見て、シオン達に背を向けて座っていたフーディンが振り向いた。サーナイトの歳はシオンと同じくらいか、少し下か。やや中性的な顔立ちをしているが牡のひとだろう。フーディンの方は&ruby(じょせい){牝性};だ。 「御目覚めかな、お嬢さん?」 「あ……僕のこと、助けてくれたんですか?」 「まぁ、そんなところ。俺は……アサっていうんだ。種族は見ての通りフーディンだけれど……お嬢さんは自分の種族と名前言える?」 意識がしっかりしているのかどうか確かめるための質問といったところか。フーディンが自分のことを"俺"と呼んだのと、サーナイトの様子を伺う素振りを見せたのが少し気になったが、彼女たちに敵意はないようなので素直に答えることにした。 「迷惑かけちゃったみたいでごめんなさい。僕はシオン、種族はこの通り……」 念のため、自分の体を確認した。――良かった。何も変わっていない。 「エーフィです。それと、僕」 アサの呼びかけがあまりにも自然だったのと、慣れっこになっていたせいで忘れるところだった。が、アサがシオンが名乗ったところで戸惑いを見せたのでその先を飲み込む。 「え……っていう事は、彼氏と言うかなんというか、そのペンダントの御相手の男はフィオーナ……っていうのかな? 男にしては珍しいな」 「男……なんじゃないのかな。シオンさん」 サーナイトがすぐにアサの勘違いを正してくれた。ちょっとびっくりした。自分から明かす前に気づいてくれるポケモンなんて滅多にいなかった。 ペンダントの裏に刻まれた名前を見て、シオンの口調と会話の流れ、それからあの胸の角……心なしか、普通のサーナイトより大きい。あれでシオンの感情を受信していれば、気づいてもおかしくはないけど。 「あ、はい……そちらのサーナイトさんの言う通り……」 さりとて、この見た目と声じゃアサが全くわからなかったのも仕方ない。 「ペンダントの相手は僕の婚約者です。も、もちろん牝性ですから……こんな&ruby(かっこう){容姿};してるからって誤解しないでくださいねっ」 別の方向で第二の勘違いをされる前に念を押した。 「やっぱり……」 サーナイトは何故かアサを見ながらニヤニヤしている。 「あ~……そうなの。すごい美男子と言うかなんというか……」 アサはばつが悪そうにスプーンを曲げた。ハリーがいつもくるくると回しているのを思い出して、フーディンのスプーン癖にもいろいろあるんだな、と思った。 「そうとは知らず……いや、なんでもない。どうりで、変わった匂いがすると思った……」 ――匂い? 僕に何をしたのかな。気になるけど……こんな様子を見てると、口調こそ牡のひとみたいだけどやっぱりアサさんも牝のひとなんだ、と思える。ホンモノの俺っ娘って始めて見たなー。なんか新鮮。 ――などと愚にもつかないことを考えている間、アサさんはサーナイトと小声で何かを話していたらしい。 「すまない、今のはこっちの話だ」 アサはシオンに向き直ってそうことわった。まあ、ポケモン誰しもそれなりに事情は抱えているものだしね。 「それで、え~と……そっちのキルリアのお嬢さん……お嬢さん……お嬢さんは何て名前かな?」 &size(18){ ◇}; ダンジョンを抜けたはいいのだが、もう夜も遅い。一応街へは一日の四分の一程の時間しかかからないが、二人とも歩き通しで疲れている上に、このまま遭難者と言う大荷物を背負い続けるのは骨が折れる。 特に話し合うでもなく野営を行う事が決まると、アサは薪を集めて火を起こし、キールは倒した『ヤセイ』の肉を捌く。攻撃に使うことまでは出来ないものの、炎のパンチの要領で火をおこしたりとアサは中々器用である。 助けた二人の呼吸は安定しているから、後はもう目覚めるのを待つだけなんだけれども……色々変だ。キルリアの方は傷が多すぎてわかりにくいけれど、エーフィの傷は明らかに『ヤセイ』に付けられたものじゃないのに気絶しているのが気になる。擦過傷や打撲傷……転んで気絶したとでもいうのかな? そこら辺の事情を聞きたいのだけれど、火を囲んで食事を終えても起きない。食べ物の匂いで簡単に起きるとか都合のいい事はそうそう起こることじゃないみたいね。 いや、起きたか。 「みゃ……」 感情の方向は明らかにエーフィの方から。胸に手が伸びる。強力な戸惑いと、困惑……僕を認識した。記憶を探る……見覚えがないと判断。 いつもは角に集中したことなんてないけれど、ここまで集中してみると声がそのまま聞こえてくるようだ。 『困っているなら手を貸してやろうか?』とでも言いたげな、アサの感情が…… 「御目覚めかな、お嬢さん?」 『御目覚めかな』で安心。『お嬢さん』で、さらなる安心と僅かに否定。これは何? いや、それよりも、僕が振り向いて見せて僕がサーナイトだとわからないなんてことは無いはず。このエーフィ、キールを蔑む様子はない。 「あ……僕のこと、助けてくれたんですか?」 体を起こしたエーフィは、アサを見てもキールを見ても警戒をしてはいるものの悪い感情を抱いている様子は無く、不快な感情は殆ど伝わってこない。 そんな僕の様子が嬉しいのか、アサは僕の表情を伺って安心の感情を振りまいているし…… 「まぁ、そんなところ。俺は……アサっていうんだ。種族は見ての通りフーディンだけれど……お嬢さんは自分の種族と名前言える?」 じゃあ、さっきアサと話した内容も含めて、このエーフィは……シロ。なんだぁ……本当にアサの言うとおり人生損しちゃったかもしれないのさ。と思ったら、『お嬢さん』で、また否定? 「迷惑かけちゃったみたいでごめんなさい。僕はシオン、種族はこの通り……エーフィです。それと、僕」 うん、やっぱり。この人はお嬢さんじゃなくって…… 「え……っていう事は、彼氏と言うかなんというか、そのペンダントの御相手の男はフィオーナ……っていうのかな? 男にしては珍しいな」 アサはまだ勘違い中みたいだけれど、アサの言葉にやんわりとした否定と親近感と笑い……慣れっこなのかな? 「男……なんじゃないのかな。シオンさん」 僕の言葉で途端に肯定の感情。ビンゴだね。 「あ、はい……そちらのサーナイトさんの言うとおり……」 何か、変な気がかりを感じるのさ。同性愛者とかそういう風に思われることでも心配しているのかな? 「ペンダントの相手は僕の婚約者です。も、もちろん牝性ですから……こんな&ruby(かっこう){容姿};してるからって誤解しないでくださいねっ」 でも、大丈夫。同性愛者にしては僕を見る目は普通だったし。まぁ、ゴーリキーみたいなのが趣味だとか同じ四つ足しか受け付けないという可能性もありかもだけれどね。 「やっぱり……」 『やっぱり』と言っておけば、『最初から分かっていた』と言い張るには……ダメだ、無理があるのさ。この恨めしい感情から察するに、アサにはバレているし。シオンにも……ばれているかな、こりゃ。 「あ~……そうなの。すごい美男子と言うかなんというか……」 とりあえずはアサからのツッコミが入る前にアサの感情を楽しんでおこう。強烈な恥の感情によって反射的にスプーンが曲がっている。あぁ……角がくすぐったくってむず痒い……そりゃ、口移しなんて実質キスしているわけだから、今更って感じでも恥ずかしくなるわけも分かるのさ。 「そうとは知らず……いや、なんでもない。どうりで、変な匂いがすると思った……」 うふふ……僕はそこまで鼻よくないから分からないけれど、きっと男だと思って匂いを嗅げば普通の匂いなんだろうね~。 あれ、次は僕へ不安と安心が綯い交ぜな感情が向けられている? 「キール……あいつは大丈夫なんだな?」 あぁ、そのこと……君の心配はずっと感じていたよ。心配してくれてありがとう……嬉しいよ。 「うん……僕を見て悪い反応はしなかった……から。大丈夫」 ならば安心……という君の感情がすごく心地良い……あ、安心したらアサの感情が僕からほとんど離れちゃった。もう少し感じていたかったのに……アサってばつれないのさ。 「すまない、今のはこっちの話だ。それで、え~と……そっちのキルリアのお嬢さん……お嬢さん……お嬢さんは何て名前かな?」 &size(18){ ◇}; アサがシオンの隣を指さした。――橄欖も一緒だったんだ。まだ意識は戻っていないみたいだけど。 「あはは、彼女は見た目通りですよ。名前は橄欖っていって……僕の、えっと……メイドさん? みたいな」 あ、でも見た目通りっていっても歳はアレだよね……それは後でもいいかな。 「……ん……」 ちょうどその時、橄欖が目を開けた。 「っ……!」 刹那、橄欖は毛布を跳ね飛ばして跳び起き、アサたち二匹から跳び下がった。 「わわっ……!」 「むっ……」 クロスさせた両腕を懐に構えながら着地した橄欖は、すぐにふっと力を抜いていつもの直立姿勢に戻った。 橄欖が頭の角を、サーナイトが胸の角を気にする仕種をしたので、今の瞬間、両者の間に何らかの感情のやり取りがあったものだと思われる。 「おっと、大丈夫……みたいだね。えっと……僕は……キールっていうのさ。えっと、お嬢ちゃん……まずは自分の種族と名前、言えるかな?」 キールっていうんだこのサーナイト。軍師のあのひとと名前が同じだ。 「橄欖……極東のキルリアです……あと……貴方より……年上だと……思います……けれど……」 ちょっと怒ってる? あからさまに仔供相手の口調だったしね。 「あ、あはは……ごめんごめん。キルリアなものだからつい勘違いしちゃって……」 キールは慌てて訂正した。 にしても、まさか橄欖があんな俊敏な動きをするなんて。相手も驚いていたがシオンだって驚いた。孔雀さんに引っ張られてみょ~んみょ~んって浮かんでたイメージとはどうやっても重ならない。 「お前もちょっと前まではキルリアだったのに良く言うな。ま、とにかく……」 そういえば孔雀さんのことも訊かなくちゃ。ここにはいないみたいだし。 「どこから来たんだい? 珍しい組み合わせのようだけれど」 珍しい組み合わせ。橄欖が東フォルムだからかな? 僕もたまに東方系の雰囲気が入っていると言われることもあるんだけど。 「僕たちは……ランナベールから来ました。ジルベール王国の隣、ベール半島の西側です。ここはどこなんですか?」 ランナベールに対して良い感情を持っている国は少ないから、本当のことを話すかどうか一瞬迷ったけれど、彼らを信用して正直に答えることにした。全く知らない場所だし、そうしないと何かと面倒でもある。 が、返ってきたのは意外な反応だった。 「ここは、ディム大陸の……アスク共和国、スイクンタウン統治領の東側の……密林区域なのさ。っていうか、まずベール半島とかランナベールとか何なのさ? アサは知っている?」 キールの口からまるで聞いたこともない固有名詞がぽんぽん飛び出して、一瞬わけがわからなくなった。辛うじて認識できたのはスイクンくらいだ。 や、もしかすると―― 「うんにゃ……国外ともなると俺らとは呼び方が違うのかな?」 シオンが考えたことをそのままアサが代弁する形になった。 「ってことはないはずだが……すまない、ちょっと見てくれ」 しかし、アサはすぐにまた別のことを思い立ったらしい。メモ帳を取り出して、なにやら描き始めた。 「え……これって」 「どこら辺から来たのか……分かるか」 メモ帳に描かれていたのは、地図と思しき何かの図だ。が、どうみてもこれが世界地図には見えない。このあたりの拡大図? にしては、街の場所を記入しているのは変だ。 「や。失礼ですけどアサさん、その……絵心には?」 思わず彼女のセンスを疑ってしまう。 「絵心……ねぇ。上手い奴に比べるとそりゃ見劣りはするけれど……キール、この地図間違ってはいないよな?」 「うん、大体あってるのさ」 キールが頷いているところを見ると、どうやらアサの画力が致命的に低いということはないらしい。 「合って……る?」 大陸の形も位置も、シオンの記憶とまるで一致しない。暗号でもないとするなら、一体これは何なのか。 「世界……地図ですよね、これ」 「もちろん、各大陸を大まかに描いた地図に間違いないが……いや、分かった。質問を変えようか。ここに来る前に、その……空間だとか時間だとかにゆかりのある場所……もしくは神隠しの噂がある場所に訪れなかったか?」 空間や時間にゆかりのある場所。まさか……ね。そんなことって。 「メテオラの滝の……洞窟」 「心当たりがある……ようだな。さて、どうしたものかキール……」 アサは胸の角に手を当てているキールの顔を伺った。 「僕よりは君の方が説明上手いだろうから……お願いするのさ」 「わかった……」 キールが代わって前に出た。 「唐突にこんなことを言われても混乱するかもしれないけれど……要は、まぁ……ギラティナの神隠しだな。ギラティナ……って知ってる?」 ギラティナっていうと、たしかこの世界の神の一匹だったと思う。 「……名前、だけは」 「言い伝えでは……並行して存在する……幾多の世界を……繋ぎ止め……支える役割……を担う、神……とされるポケモン……ですね……」 「そういう事……それでな」 「待って、アサ」 説明を続けようとするアサをキールが制する。 「二人とも大丈夫……じゃないよね? でも……事実を知りたい……」 まさか、並行世界が本当に存在するなんて。しかも僕自身がその並行世界に? 考えたくなかった。でもここは夢でも幻でもない現実の世界で。 「シオンさま……」 橄欖とキールはそれぞれにシオンの当惑を察してくれたのだろう。キールに至っては、胸の角を握り締めていた。 「アサ、こういう時はえっと、吸って吸って吐いてだっけ?」 「キール……この非常時に卵産んでどうする。っと、そうじゃない。二人とも……落ち着いて聞いてくれ。息を吐くときは、糸を吐きだすように細く長く……吸う時は、短くだ。ゆっくり、ゆっくりとね……」 納得したくはなかったけれど、いつまでも現実から逃げていても仕方ない。シオンはアサの言うとおりに従うことにした。 吸って、吐いて。吸って、吐いて。この世界の空気を体に入れてしまえば、そう、それは変わらぬ夜の森の匂い。 「わたしは……大丈夫です……シオンさま」 「……うん。僕も落ち着いた、かな」 キールの手からも力が抜けていた。アサはそんなキールの表情を伺ってから、彼が頷いたのを確認して地図を指さした。 「ふむ……俺達が住んでいるのがここら辺なんだけれどね。地図で言う南の方……スイクンタウン」 指を右の方へと滑らせながら、説明が続く。 「その東側、ここが密林地帯で俺達が今いる場所……それで、さらに東。空間が歪んでいるからギラティナがいるのか、ギラティナがいるから空間が歪んでいるのか、バシャーモが先か卵が先かは分からないけれど……とにかく空間が所々歪んでいる。ここまではいいかな?」 「えっ、ちょっと待って。ギラティナがいるって」 確かにアサは、ギラティナがいる、と言った。今僕達がいる場所と、ギラティナ。どうも結びつかない。ここが僕達の世界と違う世界だとしても、&ruby(ヽヽヽヽヽヽヽ){神の力の影響下};にある以上は神の国ではないはずだ。 「確かに確認したわけじゃなくって、ギラティナがいるらしい……としか聞いていないけれど、いると思う。確か……キールが、パルキアの知り合いの知り合いだし……」 「う、うん。っていうか、それは君もでしょ? アズレウス叔父さんは昔パルキアに仕えていたんだから……その叔父さんが言うんだもの。信憑性はあるよ」 ぱる……きあ? 「ほへ……?」 パルキアって空間の神パルキア? パルキアと知り合いになれるものなの? 「シオン……さん。嘘じゃないってことは……察して欲しいのさ。こっちも混乱させるために説明しているわけじゃないから……」 シオンの反応にキールの方でも辟易しているようだ。 「や、キールさんが嘘をついてるとかじゃなくて」 どうにもまだ認識の食い違いが多く存在するようである。 「無理もないか、伝説のポケモンが社会に溶け込んだのはこっちでもまだ年もたっていない……比較的新しい歴史だからな。向こうの世界でそうなっていない可能性は否定できない。まぁ、街に着けば石像なんかも飾ってあるし、色々と証拠もあるから……ソレは追々証拠を見せるとして。続き……いいかな?」 「石像……はあるけどね、僕たちの世界にも。うちの庭にもルギアの石像が……え? ってコトは、ホンモノの海の神さまに会えたりするの?」 アサの話を要約すると、ここは伝説のポケモンが普通に下界をうろついている世界である、ということだ。 とゆーコトは願い事とかばんばん叶えてもらっちゃったりして。一緒に写真も撮っちゃおう。帰ったら自慢して―― 「シオンさま……お話を……聞きましょうね……」 などと夢を膨らませていたら、橄欖に注意された。んもう、心を読まないでって言ってるのに。 「失礼しました……アサさま、どうぞ続けて……ください……」 「つまりは……そのギラティナの住処の周りは所々の空間が歪んでいるわけだ。逆に安定している場所もあるけれどな。確か龍脈とかいうのの影響だったかな? それで、まぁ……たまに別の世界との境界が曖昧になって……神隠しにあうんだ」 神隠し、という言葉に、また重い現実が目の前に降りてきた。 「ここからは……えっと……ちょっとショッキングかもしれないから、口を挟まずに聞いてほしいんだけれどね。俺も、その被害者……」 アサの言葉に、キールが角を強く握った。先程から幾度となくそんな仕種を見せるキールは、普通のサーナイトよりも遥かに角の感度が強いのかもしれない。 「俺の場合は……その、こっちに来ると同時に記憶を失っちゃったから、戻る気もないな~……って感じで、居着いちゃったわけで、戻る方法がないわけじゃ……無いと思うから」 「アサさんもそうだったんだ……でも僕たちは、戻らなきゃいけないから」 僕には帰るところがあるんだ。フィオーナが僕の帰りを待ってるんだ。フィオーナだけじゃない。職場の同僚だって先輩達だって、ハリーさんだって、他にも沢山のポケモンが。 「そう……ですね……それに……姉さんも……心配、ですし……」 それに、そう。孔雀さんだ。 あの時、孔雀さんだけがシオン達とは少し離れた場所にいた。&ruby(ヽヽヽヽ){同じ開裂};に飲み込まれたから、こことは違う世界に飛ばされた、なんてことはないと思うけど。孔雀さんも、この世界のどこか別の場所に来ている可能性が高い。 「はぐれちゃったのかな……」 「姉さん……ねぇ。僕達は、他には誰も見なかったけれど……」 「こっちの世界に飛ばされる直前まで、もう一匹、サーナイトと一緒だったの」 「おそらく……姉さんだけ……少しばかり離れて……いたから……でしょうか……」 「とにかく、はぐれちゃったんなら大変だ……ダンジョンに落ちていなきゃいいけれど……」 「だな、早めに探した方がいいかもな。この世界の勝手がわかっていなければ……最悪心を失うし」 「心を、失う?」 この世界の勝手がわかっていなければ。それはつまり、シオン達にも当てはまる。ランナベールとは別の意味で、危険な場所だということだ。 「ギラティナを知っているなら……それと同列に扱われる時間と空間をつかさどる神とされるポケモンのディアルガとパルキア。あとユクシー、エムリット、アグノムのそれぞれ、知識、感情、意思をつかさどる神とされるポケモン。どちらも知っていると思うけれど……二人を助けた場所は、『不思議のダンジョン』って言って……そういったポケモンの力が殆ど働かない場所なんだ」 「神様の力が働かない……ってことは」 「時の流れも……心も……拠る物を失って……」 「そういう事だ。それで、入るたびに形が変わるとか、傷の治りや病気の進行が速くなったりとか……何度倒しても、敵が後から後から湧きあがってくる。その、敵……っていうのが心を失ったポケモンで……『ヤセイ』って呼称しているんだけれどね。俺ら、心あるポケモンの心をエサにするため、生かさず殺さず気絶させるんだ。だから、ほら……橄欖のその傷……一度起きて襲われたみたいだけれど、殺されていないだろう?」 シオンや橄欖がそんな場所に倒れていたのにもかかわらず、命が助かった理由。シオンがほとんど何もされなかったのは気絶していたから。橄欖は不幸にも一度目を覚ましてしまったため、『ヤセイ』達の攻撃を受けたのだという。 が、過程はどうあれ不思議のダンジョンで気絶したまま長時間が経過してしまったら、そのヤセイの仲間入り。自らの拠って立つ時空と、意思を形成する感情も、すべてを失ってしまった抜け殻がヤセイなのだ。 アサの話の全容はそんなところだった。 「そんな……じゃあ孔雀さんは」 「姉さんならきっと……大丈夫だと……思います……殺しても死なな……いえ、上手く立ち回って……生き延びる……姉さんはそんな&ruby(ポケモン){人};です……」 シオンは孔雀の身を案じたが、橄欖の言葉で少しばかり安心を得ることができた。 「うん、言われてみれば、ね。孔雀さんなら大丈夫そう」 根拠はないが、実の妹がこう言っているのだ。シオンとて毎日一緒に過ごしてきたわけだし、彼女がそう易々と心を失ったり死んでしまったりするようなポケモンでないことはなんとなくだがわかる。 「とりあえず……理解が速くて助かったよ。今の状況もわかってくれたみたいだし……」 「そだ、僕達はもう夕食を食べちゃったけれど……二人ともお腹すいていない?」 あれからどれくらいの時間がたったのかは分からない、けど。 焚き火の中心の方からは、何とも香ばしい美味しそうな香りが漂ってくる。 「空いてる、かな」 首を伸ばしてみると、何かの肉を野菜と一緒に炒めたものらしい。 「今、温め直すから待っててね」 キールがフライパンを手元に寄せて掴んだ。 「これはね、ダンジョンの中で取ってきたム……」 続けようとしたところを、アサが口をふさいで黙らせた。何か聞かれるとまずいことなのだろうか。 「ダンジョンでとってきた野草を使っているんだ。と、それよりも先に……俺達の世界には、舌では無く体で味わうグミっていう食べ物があってな。これはエスパータイプ用の金色グミ。まずは……その、こいつを食べてくれ」 と、アサは油紙の包みを差し出してきた。 「あ、それ……僕達のおやつぅ……」 「後でまた買ってやるから……とにかく、キールの事はひとまず無視して……それを食べてくれ。うん……」 「えー……グミぃ?」 お肉の方が好きなんだけどな僕。や、お菓子も好きなんだけれど、お腹の足しになるかどうかっていうとどうも…… でもせっかくの厚意だし、今は何でもいいから欲しいのも事実だ。なぜグミなのか疑問に感じながらも、受け取って口に入れてみた。 ……うん、グミ。 甘酸っぱくてぶよぶよしたゼラチン質の食感が……グミ。や。これただのグミじゃないの。 「いや、これはまぁ……味はそれなりの甘酸っぱいやつだけれど……体に力がみなぎってくるようなそんな食べ物だからさ。とりあえずのみ込んでみてくれよ。エスパータイプなら絶対に気に入ってくれるからさ」 アサが何やら言い訳がましく解説を加えている。エスパータイプだからとか何とか。 そういえば最初もエスパータイプ用とか言ってたっけ? 「……ふぁっ」 半信半疑だったが、嚥下してはじめてその言葉の意味を体感することとなった。 飲み込んだ瞬間から、味とも匂いともつかない何かが体に染み渡ってくる。麻薬的なものでもなくて、すっきりしていて爽やかだ。 「ほんとだ、普通のグミじゃない」 「不思議……ですね……でも、美味しい……です……ありがとう……ございます」 キールは角を押さえて微笑んでいた。キルリアやサーナイトは感情を受信できるというが、やっぱり良い感情を受信すると心地よいものなのだろう。 「気に入ってくれたようで何よりだよ……キールも、なんだかんだいって喜んでもらえて嬉しいみたいだし。で、ね……先にそれを食べさせたのはちょっとした理由があってね……。唐突にこんなこと言われるのもショッキングかもだけれどよく聞いて。ダンジョンに出現するポケモンが、心がないのはさっき説明したとおりだけれど……今、キールが炒め直しているの……ダンジョンで捌いたラッタなの」 「へー。現地調達で捌くんだ。僕も一応そういう訓練は……れ? ラッタ?」 聞き返しても、アサは苦笑いするばかり。 「えと、僕の聞き間違いなのかな。今ラッタって聞こえたんだけど。ラッタってあのラッタ……じゃないよね?」 きっとこっちの世界ではコラッタの進化系のアレじゃなくて、別の何かを指す言葉に違いない。同音異義語なんていくらでもあるし。 「背中の毛が茶色で腹の毛がクリーム色……前歯が大きくて尻尾の長い……ラッタだな。多分、シオンの想像しているとおりと言うか……あぁ、もう……所長の日記と同じ反応だよ……どうすれば上手く説明できるのかなぁ……」 ふむふむ。 ふむむむ。 むむむむ。 「……ほへ?」 アサも同じ体験をしているからだろう、ショックから立ち直るまでの数秒、間抜けた顔をしていたシオンには声をかけずに待ってくれた。ただ、頭をかきながら苦笑いしているのは相変わらずで、バツが悪そうではあったけれど。 聞けば、ヤセイには魂がなく、言わば生物の材料でできた動くぬいぐるみみたいなものなのだという。外見、質、機能共々、超精巧にできたからくりぬいぐるみだと考えればいい。 従って&ruby(ポケ){人};権を考慮する必要もなく、それならば死骸を捨てるのも勿体ないから食べてしまえ、というのがこの世界では何でもない、常識なのである。因みに野営に限らず、市場に流通しているものもそうなのだとか。 隣の国へ移住しただけでもカルチャーショックを受けるというが、世界を渡ればもはや、そんな言葉で片付けられる範疇を超えていた。 「そっか……でも、生き物を食べるってコトには変わらないんだよね」 あまりにも掛け離れすぎていて、かえって余計なことを考える余地がない。納得するより他になかった。 「元々は……さ。ダンジョンが出来た理由の仮説っていうか神話に、それも含まれているんだ。食う・食われるの関係だったポケモン達を嘆いて、気軽に食べられる肉を神が用意したって説。ご都合主義な説だし、信じるわけじゃないけれど……昔からそう伝えられて、ここで育まれた文化なわけだから、俺はそれに従った。でも、皆がそうだとは限らないし……こんな話をされて、食事がのどを通らなくなっても困るから、先にグミを食べさせたけれど……どう? 冷める前に……せっかく温めなおしたんだから食べちゃわないか?」 そう言って、アサはラッタの肉汁と野草の水分がはじけて食欲をそそる音色を奏ではじめたフライパンを顎で示した。 たしかに美味しそうではある。肉の香ばしい薫りを香草が引き立てて、胸に染み渡る匂いだけで幸せな気持ちになりそうだ。 「じゃあ……せっかくだから。うん、喉元過ぎれば何とかってやつ」 この肉の向こうにラッタを見なければ、幸せでいられるのだ。 「喉元……過ぎても……ラッタですが……」 瞬間、横から橄欖がぼそっと突っ込んだせいでまた前歯とぴんと張った白いヒゲと薄茶色の毛皮が脳裏を&ruby(よ){過};ぎった。 「いいじゃない細かいことは。ほら、僕たちだってお肉のもとの形まで想像しながら食べないでしょ?」 まったく、せっかくひとが気を使ってるのに。 そんな考え方してたら食べられるものも食べられないじゃない。 「わたしは……大丈夫ですよ……?」 あーそうなの。 この際心を読まないでという突っ込みはなしにしておくけど、きみが大丈夫なら尚更僕をフォローしてくれないかな。主に僕のために。 「それじゃ、召し上がれっと。味はシンプルだけれど、悪いものじゃないから」 キールさん、タイミング悪いよ…… でも、笑顔で皿に取り分けて差し出してくれるキールさんって。 「ふぇえ……いただきます……」 執事さんみたいっていうか、給仕さんみたいっていうか。 すごく板についている感じで、炊事や洗濯が似合いそうだ。アサさんにはちょっと悪いけどこの二匹、性別入れ替えた方がいいんじゃないの。アサさんはなんか、&ruby(ヽヽヽヽヽヽ){僕と同じ種類};のポケモンって感じ。ホンモノの俺っ娘なんて初めて見たけど、俺っ娘というよりは牡の娘だ。牝性と話している気がしないんだよね。 「シオンさま……泣きそうな顔……しない……失礼ですよ……」 きみは橄欖なんだから黙ってて。 「あ……ひどいです……今の……」 橄欖は無視して、目の前のラッタだ。 いや肉炒めだ。 「シオンさま……意外と美味しいです……よ?」 うわホントに躊躇しないで食べてるし。 ちょっと見直した。年上のお姉さんらしいところも見せてくれるんだね。たま には。 ……結局僕も、食欲には勝てなかったんだけどね。 **3節 [#gfb11599] シオンと橄欖。先程起きたばかりの二人は、疲労やダメージがすさまじいのか、またもや気絶するように眠ってしまう。アサが生理的な欲求((性欲ではありません。念のため))の関係で一時期的にチームから離れた場所にいるので、キールは一人火の様子を見ながら二人の寝顔を眺めて物思いに浸っていた。 う~ん……二人とも寝顔が縫いぐるみにしてお持ち帰りしたいくらい可愛いのさ……特にシオン。 僕は、ダメだな。エーフィと友達になれそう……って思うだけで舞い上がっているのさ。差別はいけないってわかっているんだけれどなぁ……どうしてもブイズは特別視しちゃうのさ。今まで、ロクでもない奴だと思っていたからなぁ……ブイズは。進化するごとに嫌いな食べ物が減っていくような嬉しさだけれど……それだけじゃない。シオンは本当にありがたいのさ しかし……なぁ。眠っていると、寝顔の可愛さ以上に、剥き出しの感情が僕のもとに流れ込んでくるのが気になるのさ。恐怖とか不安とか、故郷を想う望郷の念。シオンの瞼の下にある染みは涙じゃなくって気のせいだといいけれど。 「ふぅ……」 あ、アサから恨めしい感情による攻撃……感情が弱いからいいけれど……ちょっとむず痒いかなぁ……アサってば笑顔だけれど、その笑顔の下が怖いよ。 「キール……シオンが女じゃないってわかった時……いかにも自分だけ分かっていたふうに言うのやめてくれ……」 あー……やっぱり根に持ってる。アサって記憶力をこういう事に無駄に発揮するのはやめてほしいなぁ…… 「あ、はは……いいじゃん。シオンは性別を間違われずに見てもらっていたことが嬉しかったみたいだし……」 「ま、そうなんだけれどさ……俺だけバツが悪いだろ? ええかっこしいめ……」 あの……首を抱きかかえて頬をぐりぐりする攻撃はやめてくれないかな~……なんて思うのさ……あぁ、でももういいや。なんだか角のあたりからだんだんきもちよくなってきたし……はれ? なに、もう終わり? 「お前が……シオンと仲良くできてよかった」 あぁ、君から暖かい感情が流れてくる。角が気持ちよかったのはこれのおかげかぁ。 「だって、僕は……差別を出来ないから。だって、目をつむって、耳ふさいで、鼻を塞ぐ事は出来ても……角は塞げない。角は折れれば感情は感じられなくなるけれど、折っちゃったらそれっきりだから、やらないしやれないのさ。だからこそ、僕は角の赴くままにシオンを信じるし、好きにもなる……角に嘘は付けないってね」 あぁ……春の夜風のような気持ちの良い感情が君から伝わってくる。 「お前だけじゃなく、シリア達もあまりブイズを好いていないから……見せてやんなきゃな。そうした方がお前も気持ちいいだろう?」 うん、僕もそう思う。こんな話をしたのも、君からこんなに気持ち良い感情を感じたのも久しぶりなのさ。このまま……雰囲気に任せて……君から口付けの一つでも奪っちゃおうかな? シオンが恋の&ruby(キューピッド){ラブカス};代わりなら悪くない((シオンと橄欖がセットでキューピッドのはずであるが、キールには眼中にないらしい))。 「ところで、だ……」 おやぁ、まじめな感情。こんないい雰囲気ぶち壊してまじめなお話でもするつもり? んもぅ、せっかくの良い空気なんだから空気読めぇ! 鈍感!! 「何?」 「二人に聞かれるのもなんだし……上で」 あれ、アサってば僕を御姫様だっこ? する必要のない事をわざわざするって……好きだね君も。っていうかアサ、木の幹を垂直に歩いているし……君も器用になったねぇ。それで、木の枝に座るわけ……二人が顔をあげれば見える位置だから、二人きりでイチャイチャしたいってわけじゃない事は確かだね……あぁ、でも結局君とのキスもお預けかぁ。でも、木の上に座って期すというのもまたロマンチックって……言う気分じゃないのが残念。 ちょっと残念。シオンは恋の&ruby(キューピッド){ラブカス};にはなれなかったかぁ。 「助けた二人の可愛さについて、議論するわけじゃないよね?」 「確かに可愛いが、そんな事を話すつもりじゃない。そういうことじゃなくって、橄欖を背負ってみた感想を聞きたいな」 あはは、なるほど。君も感じていたんだよね……背負ってからずっと。もし男だってわかっていたらそれどころじゃなかったかも……だけれど。 「そうだね~。橄欖は保温膜の部分は柔らかな絹の感触。普通のお店ならまず最高級の布として売られているような、よく手入れされている健康的な……」 「あのな……そうじゃなくって……目覚めるパワーの感想!」 知ってるよ。もう、アサってばそんなことで呆れないでよ~。ちょっとした冗談くらい付き合ってくれたっていいのにぃ……大体、表で笑わないで心の中で笑うだけなんて、卑怯千万なのさ。 「氷の……三千六百前後じゃないかな? 攻撃に使うならば、例えばガブリアスやドダイトス相手ならば優秀なのさ。シオンの方は直接抱いたわけじゃないから威力は分からないけれど……多分、電気。衝動と衝撃の恋……プラスとマイナスで極端に分かれる引力と斥力の恋……シオンはそんな感情を起こさせるような魅力をバンバン放ってくるのさ。 けれど電気タイプの魅力は草タイプのアサへの効果はいま一つだから、シオンの誘惑には耐性がかかるみたい。ふふ、ちょっと安心」 「あのなキール。目覚パ恋占いはどうでもいいから……もっと実用的な面でのお話をだな」 ふふん、僕に言われて動揺している癖にぃ。君がシオンにちょっとだけキュンと来ていたのを僕が感じていないとでも思っているわけ? もし、君の目覚パが電気に弱い水タイプや飛行タイプだったらやられていたかも……とか、逆にシオンが毒や飛行だったら悩殺の危険ガガガガガ……とか、肝を冷やしている僕の身にもなってよね。 「目覚めの力については、橄欖はそれなりでも、シオンは……恐らく君やフリックよりも結構格上なんじゃないかな? 生まれた世界が違うせいか、性質は色々違うみたいだし……ひょっとしたら目覚パ恋占いも違う可能性大だね。 それでも、僕達とちょっと似ているのさ。橄欖もシオンも目覚める素養……覚醒する素養は十分に持っていると思うのさ。それと、これは抱く抱かないにかかわらない、僕個人の感想なんだけれど、あの橄欖の鋭い動き……みたよね?」 「あぁ、あのお手伝いさんにあるまじき……か?」 うんうん、きちんと違和感持っていたんだね。 「どうやらわけあり見たいで、あんまり突っ込んじゃうと恨まれそうだったから深い詮索はしなかったけれど……ヒューイさんみたいに、いざとなれば戦うお手伝いさんなんじゃないかと。 橄欖が起き上った時……あまりに鋭い殺気や敵意のせいで胸が痛かったのさ。あれは素人じゃない……っていうか、あれが素人だったら、あっちの世界の教育水準を&ruby(ヽヽヽヽヽ){いい意味で};疑うのさ」 「俺が思ったとおりか……。ただ強いんじゃなくって、俺らと同じく変わった能力の使い方があるって言う強さ……。近々来るっていうレアスさんって、強引な勧誘とかする……んだよな? レイザー所長の日記を見る限り」 あはは……きちんと気がついているや。しかも勘がいいのさ。 「うんうん。基本やらないけれどね」 「基本……ねぇ」 そう、基本なのさ。 「どうしても手に入れたい相手に対してはするらしいのさ。僕が知っているのは、旧メンバーのヘルガーと、現メンバーのレイザー所長とヒューイさんくらいだけれど。他にも結構いると思うよ……一応、僕が知る限りではアルセウス教からスカウトするメンバーは入っていないはず……だけれどね。 でも、もしもってこともある。レアス総統がどうしても欲しがっちゃったら、僕達が止める手段は少ないから……だから早くあっちの世界に返してあげなきゃ、いつの間にか漆黒の双頭に仲間入りって事になっちゃうのさ。それだけはなんとしても避けて上げたいし……」 いや、本音言うと仲間になってくれたら嬉しいけれどさ。あんまり角の負担になるような事は、僕したくないし。 「俺ら、とんでもない上司持ったなぁ……」 いや、本当に君の言うとおり。それは全力で肯定するよ。 「第一、そうでなくとも、捨てる気のない故郷を去るのは辛いものなのさ。二人とも表には絶対に出さないけれど、悲しんでる……それじゃ、僕の角が困る」 やっぱりここは、僕達が全力で頑張らなきゃ。 「分かっている。角が無くっても、近くにしょ気た奴がいて気分が悪いのは俺も同じだ」 うん、それでこその君なのさ。君の隣人愛は感じていて、角が心地いい気分だよ。 &size(18){ ◇}; 翌朝。昨日の晩の残りを片付けた一行は、街を目指して歩き始める。残りの道のりは一日の四分の一ほど。ただし、ダンジョンを突っ切って……の場合である。遠回りをすれば半日以上かかってしまうから、それはいただけない。 「さて……ここまでは、ダンジョンではない場所を歩いてきたけれど……ここから先、近道のためにダンジョンを突っ切るぞ。 さっき説明したとおり……階段を下りるときは、一番最初に入った仲間を思い浮かべるんだ。多分、俺かキールになると思うけれど」 懐かしい。キールに同じような説明をされたのを思い出すな。唐突にいろんな説明をされて不安だったけれど……今も二人は同じ気持ちなんだろうな。 「うん、わかった」 でも、この二人は強いな。言いながらこくりと頷く表情には、昨日キールが言った通り不安も混じっているようだけれど、俯くことなくきちんと前を向いている。橄欖は……表情に乏しいだけかな? 一応前を向いてはいる。 「一応ね……ここは、子供が肝試しに使うような簡単なダンジョンだけれど……それでも、皆とはぐれた上に足くじいたりでやられて、そのままモンスターハウスなんて事もたまにあるのさ。だから橄欖はしっかり守られているんだよ?」 「はい……お願いします……」 いつもニコニコしているキールと橄欖では顔を眺める時の楽しさが違うなぁ。微笑みかけたキールに対してこんな風に無表情じゃ面白みが無い。不安なのは分かるけれど、いつかシオンやキールみたいに素敵な笑顔を見てみたいな。 さて、ダンジョンに一歩踏み出すと世界が灰色に包まれ、体が軽くなる浮遊感と共に景色が変わる。最初これを感じた時は、すごい違和感だったが……シオン達二人はこの感覚をどうとらえているのやら……っとか考えている場合じゃない、敵だ。 遥か見上げるような背の高さを持つ草壁に囲まれ、開けた部屋状の空間にはまばらに生える草。それと共にところどころにぬかるんだ水溜りが残る草原。気を抜けば派手に滑って転んでしまうここは、キールの言うとおりに足をくじいてしまうこともザラだから、地面はしっかり踏みしめなきゃ。 「ちぃ……唐突に初っ端2匹か」 敵は、モンジャラとナエトル。左前方と左に布陣か。まぁ、子供が肝試しに来るような場所……俺らの相手じゃない。 「僕は、ナエトルを行かせてもらうよ」 「分かった」 キールは体の向きを変えもせず掌を構え、ナエトルの重い頭に念の波導を集中させ、それを地面に叩きつける。一撃で脳震盪だろうか、目を回してナエトルは気絶した。流石にキールは役者が違う。 アサはスプーンを構え、掛け声に合わせてサイコキネシス。自分の体に掛かる負荷に耐えながらモンジャラを空中に持ち上げた後、サイコキネシスの反作用で自身は軽く浮き上がりながら地面に叩きつける。 やっぱり、キールの攻撃力には全く敵わない。悔しいなぁ…… 「わっ、いきなり出てくるなんて」 シオン……耳を垂れ下げてシュンとする顔が……かわいい。やはりあれだ、見た目の面ではフリックよりも遥かに&ruby(タチ){性質};が悪い。フリックの香りとシオンの見た目が合わされば完全生命体(性的な意味で)が完成するかもしれない。 「これが……ダンジョンで……心を食われた者の……末路……」 そして、相も変わらない無表情の橄欖。倒れた『ヤセイ』から感情が無いことが気になっているのか、若干上目遣いに角を気にしている。 「あ、やっぱりキルリアにはわかるんだね。怖いよね……感情が読めないのはあっても、無いっていうのは」 「ふうん……改めて感想を聞くと……どんな感覚なんだか、気になるぁ」 疑問を言葉にしてアサはキールと橄欖を見る。こうして眺めると、似ても似つかない二人は、種族が同じでも兄妹に間違われることは無さそうだ。 「わたし達に……とっては……五感と同じ……ですから……逆に……その感覚がない……ポケモンの、感じ方……というものが……気に……なりますよね……?」 ほう、そういうものなんだ。に、しても……たまに口を開いたかと思えば、橄欖はじれったい喋り方だ。 「う~ん……そうでもないかな? 一回遊びでやって見た時は……感情が分からなくってかなり不安だったけれど、逆に普段見えないものが見えたりして面白かったよ」 「……キール、意味がわからない」 俺でさえ話について来れないんだから、シオンも橄欖も話について来れるわけが無いじゃないか。 「あはは、そうだったね。僕達の上司の上司に、心と体を入れ替えられるマナフィってポケモンがいるのさ。だから、頼んで遊びでちょっとばかし父さんの体を体験してみたのさ。 ハートスワップって技なんだけれど……要は、一人でダンジョンに入るとその不安な状態になるって感じかな? 耳が全く聞こえないのと同じで、頼りになるのは目だけ……思わずキョロキョロしちゃうのさ」 「耳が聞こえない、かー」 シオンは意のままに動く耳を折ってふさいでみせる。一挙手一投足の動きが素敵だとは思ったけれど、彼がやるとこんな子供染みたことまで練乳か蜂蜜のように甘ったるくて&ruby(とろ){蕩};けてしまいそう。 「……やめとこ。ここってダンジョンだしね。気を引き締めないと……」 シオンは、折った耳をピンと立てたいつもの形に戻す。一連の動作の可愛らしさに思わず魅入ってしまいそうだ。そんなときに、同じく魅入っている橄欖と目が合うとなんだか気まずい。 キールは男には興味がないのか、早く行こうとでも言いたげに歩き出して先を行く。後ろを見てみると、二人も少し躊躇いがちに歩き出した。 二人とも転がっている気絶した『ヤセイ』を見ている辺り、可哀相とかそういう感情が芽生えているのだろうか? 角を持たないアサには知る術が無い。 「なるほど……そういう感覚かぁ。特定の誰かの声だけ聞こえない……となれば、相当変な感覚だろうに」 それが、キールと橄欖にはこの不思議のダンジョンにおいて起こっている……と。 「うん、まぁね。もし、シオン達が帰る前にレアスさんに会えたら……体験してみるといいよ」 キール……そこで、二人をそういう事に誘っちゃう? 「そういえば、来るんだっけな……レアスさん。そうだ、御二人さんって心の入れ替わりとか興味あったりする?」 キールの話が本当ならば、もしかしたらハートスワップを体験させられるかもしれない。それはそれで楽しそうなのは事実。 「えっ、それちょっと面白そうだねっ☆」 シオンはこういう話題にきちんと食いついてはしゃぐ……うん、彼の笑顔には対理性の破壊力があるね。キールの言う目覚パ恋占いはある程度本当だし、目覚めるパワーが草でよかったと思う。 「気を……引き締めると……仰った側から……」 橄欖がため息をつく。じれったい喋り方は相変わらずだが、こういうときはそれに威圧感が篭っている気がして、プラスに働くんじゃないだろうか。あんな風に言われたら、俺はたじろいでしまいそうだ。 「わたしは……遠慮させていただきたい……です……」 橄欖は自分の体は自分のものって認識が強いのかな? 自分の体が他人に使われるっていうのは確かに気持ちの良いものでは無いかもしれない。キールが父親を選ぶのも気心が知れているからこそ、と言うことだろう。 「たまに頼んでなくとも僕達の体で遊ばれるのが珠に傷だけれどね」 「おいおい……とんでもない上司だな」 上司に会ってみたかったけれど……なんだか会ってみたくなくなるじゃないか。ん!? 「アサさん、後ろ!」 敵だ! 気がついて振り向いたころには、シオンのサイコキネシスで持ち上げられたウパーが…… 「ありがと……えぇ!?」 締めあげられている!? どういうサイコキネシスだ? 「どこから出てくるかわかんないんだもんなぁ……」 文字通り糸の切れた人形のように落ちるウパーは、なんというかハブネークやイワークにやられたような格好だ。シオンはやっぱり強い……けれどそれ以上に、俺達とはサイコキネシスの性質が違う? 「本来は僕達の仕事なのに……ありがとう、シオン」 キールはそんな事を気にも留めていないのか、暢気にお礼を言うだけだ。おっとりとしているのはいいのだけれど、もう少しいろんな事に興味を持て。 「ふふっ、こう見えても僕、職業軍人だからね☆」 シオンのキールへのウインク。キールは微笑み返すばかりで効果は今ひとつのようだ。俺には……効果が抜群だけれど。 「あ、俺からも……ありがとう」 アサは言いながら気絶したウパーに近付き、その体を見る。間違いない、紐のようなもので締め上げられた跡がある。 「ところで、シオン。さっきのサイコキネシス……どうやったんだ? 俺にはあんな芸当は出来ないぞ」 努力したと言う言葉が出れば、それは才能の違い。努力したという言葉が出なければ……性質の違いだろう。 「芸当……って、普通に縛り上げただけだけど?」 普通に……ってことは少なくともあっちでは大した努力は必要ないのか。つまり、後者。俺たちとはサイコキネシスの根本的な性質が違うと言うわけか。 「縛り上げた……か。俺は、マジックハンドを伸ばして持ち上げたり押したりする感覚でサイコキネシスを使っているけれど……もしかして。シオンは違うのかな? シオンはどういう感覚でサイコキネシスを使っているんだ?」 ある程度の確信を持ってアサは尋ねる。疑問を湛える素っ頓狂な顔をするシオンは何がなんだか分からないと言いたげだ。 「マジックハンド……? どんな感覚っていうかさ、&ruby(サイコキネシス){念動力};ってESPで視えない糸を練り上げて、相手に絡みつかせて……」 「ESP……か。俺達の世界じゃ&ruby(サイ){PSI};って言うからな……やっぱり、色々違いがあるのかもしれないな」 アサの言葉に同意をしようとしたのか、シオンが口を開きかけたところでキールが口を挟む。 「ま、まぁ二人とも。こんなところで立ち話もなんだし……いくら傷の治りが速くなるからって、レディーのデートコースにしては刺激的すぎるのさ? 敵が来るのも嫌だし、早く行こうよ」 キールは主に橄欖を見て、ぬけぬけとそんな事を言う。 「レディー……ねぇ」 つかぬことをお聞きしたいが、俺もレディーだってこと……忘れていないよね、キール? とにもかくにも一行はつつがなく階層を深めては、最深部へと到達する。 以前フリックと一緒に仕事をした時も思ったことだが、聴覚に優れたポケモンは頼りになる。シオンの耳の良さは正に天性の才を感じる。まだダンジョン初心者でも、軍隊仕込みの警戒能力か、種族柄の適応能力の高さゆえか、二回に一回は真っ先に敵を見つける。新人でこれなんて、少なくとも俺には考えられない。 護られている橄欖も要領がよく、逃げる場所は的確だ。一度も危ないと思わせることが無いというのは、俺達の疑いを持っ眼で見てしまうと只者じゃないと感じさせて止まない。 &size(18){ ◇}; 「不味いな……迂回したいところだけれど、階段があそこにあっちゃあな……」 「どうしたのさ?」 アサは前衛であるせいか、必然的に前方の安全を確かめる係となっている。そのアサが見通しの悪い通路状の場所から部屋状の空間を覘き込むその顔は曇っていた。 それはつまる所、行く先に難所があると言う事に他ならない。 「モンスターハウス……悪タイプはいないから一気に突っ込む。キール、シオン……後方支援お願いね」 とは言え、そこは低レベルのダンジョン。アサはため息を吐きつつ仕方がないなとぼやくくらいで、振り返って言うなり前へ向き直る。 キールは答える代わりに微笑み、掌を合わせて球体状の技を放つ準備。 「任せて。後方支援なら本職だから」 シオンは答えて、自身の体から波導を搾り出すのとは異なる方法で力のチャージを開始する。&ruby(しんがり){殿};のキールとシオンの間に挟まれていた橄欖は、邪魔にならないよう、何も言わずに通路状の空間の端に背中をつける。 即席ではあるが、それなりに統制も取れている連携に安心しつつ、アサは駆け出す。地面へのサイコキネシスを利用した走行で間合いを詰め、サイコカッターで切り裂くのは相変わらず。 か細いマダツボミの首、ブイゼルの腹、それらを順番にかっ捌く。それでも敵が戸惑う陰りも見せず攻めてくる様子は、初心者には刺激が強そうだ。 「行くのさ、気合い玉!!」 「うおぅ!!」 キールの攻撃の威力の高さに驚くのも相変わらず……だ。後方支援は専門と言っていたシオンの攻撃力はどうなのだろう? シオンからはいまいち攻撃の気配が感じられない……いや、これはリフレクター。 「リフレクター展開! 続けて光の壁も張るよ!」 まずは攻撃よりも俺が傷つかない事を優先か。俺の身を案じてくれるなんてレディーの扱いを心得ている。 「了解、ありがとう」 続けて光の壁も発動する。シオンのこれは、すでに反射回路の出来あがった連結の技術か? 俺とは桁違いのサポート能力じゃないか……少なくとも、二進法なら桁一つ違う。 飛びかかってきたニョロモの尻尾を避けるべく、アサはサイコキネシスでヘイガニを引き寄せる反作用で急速に距離を縮めると同時に、攻撃をやり過ごす。引き寄せたヘイガニは、逆手に持ち替えたスプーンに波導を込めず叩き伏せ、後ろから追って来るポケモンには目もくれず二匹のポケモンの間に割って入り、サイコキネシスで対極の方向に吹き飛ばす。 こうすれば、サイコキネシスによる反作用を気にする事も無くフルパワーで吹っ飛ばせる。 「マジカルリーフ!!」 そんな俺の工夫などどこ吹く風。ごり押し一辺倒のキールからは目にもとまらない高速で葉が放たれた。皮膚の表面を傷つけるだけの技なのに、放たれた葉が見えなくなるくらい深々と突き刺さったが、放ったのがキールなのだから気にしてはいけない。 シオンからは山なり軌道のシャドーボール? 軌道を維持するためにスピードを犠牲にしている分、少数人数ならば大体無意味な技だが、多人数には強い。なるほど、ボール形の技にあんな使い方もあるのか……エナジーボールの参考にしよう。だが、それ以上に…… 「ひゅぅ!! キールに負けていない威力じゃないか……」 この驚きがぬぐえない。正確にはエネコを被ったキールと比べてだが、目覚めたキールと比べるのは無粋と言うものだ。 シオンの攻撃で敵が吹き飛んだところで、シャドーボールのあおりを受けたウパーを、逆手に持ったサイコカッターですれ違いざまに切りつける。残りの集団が少なくなったところで後衛の二人からただならない力を感じて、アサは二人が気兼ねなく撃てるように走って離脱。避難と言っても語弊ではない。 キールの電撃波と、シオンのシャドーボールがほぼ同時に放たれる。シンクロ持ちのエスパータイプゆえであろうか、二人とも安全が確認できるまで臨戦態勢は続けていたが、安全を確信して構えを解くタイミングが同じだ。二人揃って仲の良いことだ。 「すまない、結局光の壁とリフレクター無駄にしちゃった……」 アサは全滅した敵を尻目に軽口を叩いて、シオンへ微笑んで見せた。 「あはは……僕も驚いたよ。アサさんたちがこんなに強いなんて」 仲間にはいっつも褒められていることだけれど、改めて別の誰か言われると嬉しいものだね。でも、それを言うならむしろシオンの方が…… 「まぁ、僕ら鍛えているからね。と言うか……シオンって軍人だっけ? 地位は結構高いんじゃないの?」 そういう事。キールに言いたい事を先取されてしまった。ま、ともかくだ……護る方もだが、護られる方も神経がすり減る気分だろう。胸の痛みも相まってか、橄欖は溜め息をついている。 「僕? べつに高くはないけど――」 それに出口はもうすぐなわけだ。話を遮る形になるのは申し訳なのないことだが……アサはキールの肩を叩く。 「積もる話はいいが……二人とも。出口はすぐそこなんだ。&ruby(ヽヽヽ){俺ら};レディーのデートコースには不向きなんだろ? さっさと出ようぜ」 キールに対する軽い恨みのこもった発言も兼ねて、この場は先を急がせてもらおう。なんせ、俺らレディーのデートコースには不向きなのだから。 「あはは……まだ根に持ってた」 そうだ、俺は根に持つタイプなんだ。ダンジョンの中心部にある安全地帯。通称ダンジョンの目にあるダンジョンの出口であるワープゾーンに乗り、一行はダンジョンを出る。 ダンジョンを出て最初に飛び込んできた周りの風景は、ダンジョンの整然としすぎた閉塞感は見られない。とはいえ、基本はダンジョンの中と同じく水と草と泥の湿地帯。二足歩行ならば足元には気をつけなければならない。 「ふぅ……これであとはもう、街まで一直線だね」 キールが腕を高々と掲げて伸びをする。 「色々あったけれど、ここからはもう安全だから……のんびり行こう」 アサは、腕をブラブラと脱力させ、溜め息をつく。 「空気が違うね、ダンジョンの中と外じゃ」 シオンは上体をかがめ、二股に分かれた尻尾を立てながら伸びをする。足先をぴたりとくっつけた前脚やうなじにキュンと来た。 そんなふうに三者三様の仕草を繰り広げているというのに、橄欖は色々眺めているだけ……本当に退屈な人だ。 「張り詰めているもんな……ダンジョンじゃ」 「うんうん、そうなのさ。角まで息苦しくなっちゃう」 シオンの言葉に答える形のアサの言葉に、キールが適当な肯定をして見せたところで、キールはシオンに向き直った。 「ところでシオン。さっき自然発生したモンスターハウスで攻撃した時に首かしげていたけれど……どうかしたの?」 あのね……キールはシオンの前にいたはず。後ろを見る余裕があるだなんて、どれだけ緊張感を持たずに戦っているんだお前? 「ああ、あれは……ちょっと&ruby(ブースター){倍化機};の調子が……って、説明しなきゃわかんないか」 ぶうすたぁ? イーブイの進化形……ではないよな? シオンが橄欖に渡したそれは、ちょうど腕時計程のサイズの革のベルト。それには何かの石板……天然石の一種だろうか? ピンクと深い紫の……神秘的な力を感じるが、毒とゴーストを象徴するカラーリング……か? エスパーが入っていないのが気になる((TGSに於いて、エスパーを象徴するのは金色。SOSIAに於いてはピンク色がエスパーを象徴するが、TGSに於いてピンクは毒を象徴する))が……まぁ、好みの問題か。 「これが&ruby(ブースター){倍化機};。これをつけてるとね、簡単に言うと僕たちの使う技の威力が上がるの。それが、さっきはぜんぜん動いてくれなかったんだよね」 神秘的な雰囲気の原因はその力にあり……と言うわけか。しかし、世界が変わると使えない……と。便利そうなアイテムなのにもったいないな。 「ふぅん……そんな代物が……でも、僕達のは普通に利いているはずだけれど……この金色スカーフ」 キールは首に巻いたスカーフを見る。 「あぁ、ちょうど全員がエスパーだから全員に……おっと、こっちも説明の必要があるかな? これはね、着用者が味方として認識できるエスパータイプのポケモン全員の波導に依存する攻撃力と、それに対する防御力上がるんだ。微々たるものだけれどね」 恐らく、あのブースターとやらと色つきシフォンは似たようなものなのだろう。俺達はあれがいつも通り機能しているという事は、恐らくこの世界に異常が起こっているとは考えづらい。 「自分だけじゃなくて味方にも効くの? でも、僕たちは"技"そのものの性質が違うからダメかな」 そういえばそう。シオン達は体から波導を絞りだすのではなく、&ruby(ヽヽヽ){何処か};から取り出していた。それが何処からなのかは不明だが……技の出し方が俺達と全く違う事だけはわかる。 「そうか……残念だな。このバランスが悪いパーティでも、こういう時は役に立つ代物だと思っていたが……」 『バランスが悪い』……言っちゃ悪いとは思っていても、この組み合わせでは言わざるを得ない。せめて、橄欖かキールをネイティオかミュウに……じゃなくってシンクロの特性もエスパータイプもないポケモンが欲しいところだ。 「で、でも……防御面では効果あるかもしれないよ? だからまぁ……付けていて損は無いと思うな」 そういえば、攻撃面には違いがあるようだが、キールの言うとおり防御面では俺たちに相違はないじゃないか。それに…… 「まぁ、俺らに効果がある分だけでも……な」 だから、それをキールが身につける意味はきちんとあるだろう。 「シオンも……色々不便だとは思うけれど、早く慣れるといいな」 アサはそんな事を口にして、シオンの心情を察してあげた。とにかく、同情が現状を打破するために意味があるわけでなくとも、一緒に悩んでくれる存在がいるだけで心が楽になる事を信じよう。 「うん……本音としては、慣れる前に帰りたいところだけどね」 シオンは苦笑する。そんな憂いを秘めた表情までサマになっているから、目のやり場に困るじゃないか。 「そうだよね……僕達が頑張って帰してあげなくっちゃ」 「帰る場所がある……からな」 そういう面で俺とこの二人は違う。今の言葉を二人が聞いたとき、どんな町並みを想い、どんな人を思い浮かべたのか? きっと二人は、この先この世界で生きていくとしても、スイクンタウンとキールを始めとするその町の住人を、帰るべき場所として思い浮かべることは無いのだろうな。 シオンは曖昧に頷いて、キールと橄欖は自分の角を気にしている。キールは角の感度が強いだけあって、分かりやすく胸の角に手を当てるが、橄欖は上目遣いをするだけ。そんな違いが感情に敏感な二人にあれど、違わない事が一つ。視覚と聴覚を使えるポケモンが音のする方向へ反射的に目を向けるように、二人の視線はシオンを射抜いていた。 &size(18){ ◇}; 街に帰り着いた一行は、その中心部にあるギルドへと向かう。シオンと橄欖は街の外れに見えるオリーブ園や、街の所々を走る小さな水路を物珍しそうに眺め、きっと心の中でははしゃいでいるのかキールは胸の角に手を当てながら笑顔でいる。 その二人を連れて、アサ達はギルドへ赴き、報酬生産を行い、税金から払われた僅かなお金を握って報酬生産用の部屋を出る。 「ところで、どうするか……シオンたち、結構特殊な事情のようだし……あれだ。もしこの二人を返すという事になるなら……場合によっては世界の大穴に行かなきゃならんだろうキール?」 世界の大穴なんて上級ダンジョンに行くと一般隊員のままでは連盟から保険が降りなくなる。怪我するつもりは無いとは言え、それは困る。 「うん……じゃあさ。まずは……その事について所長に相談しよう?」 二人は何のことだかわからないと言った様子。ただ、自分たちを元の世界に帰す相談をしている事は十分に読み取れるためか、口を挟まずキールの受け答えまでを見守った。 「あ、待って。その前に」 そうして二人が所長室へ向けて歩き出そうとした時に、シオンは首掛け鞄から懐中時計を取り出してキール達に差し出す。 「助けてくれたお礼にこれ、どうぞ。世界が違うから時間はめちゃくちゃかもしれないけど、素材はいいはずだから。売ればお金になると思うよ」 念力でフワフワと浮かぶそれを手にとって裏側をのぞいてみる。鎖は純度の高そうな金だし、装飾も貴金属が光っている。おまけに文字盤にも宝石がちりばめられていたが……そんなものよりも裏側の透過して見える内部がすごい。 「わ……すごい複雑な構造……どっちかっていうと素材よりも構造の方に価値があるんじゃ……ありがとう」 むしろ、宝石なんて虚飾で、職人芸の光る裏側のほうが渋い魅力を放っている。ペンダントや『お手伝いさん』の橄欖という存在から見ても、シオンは上流階級だとは思ったけれどこりゃ相当だ。 キールに渡されたからアサはまだ触っていない。これから時計を持ち歩くのであろうキールがこの時計の価値を分かってくれるといいんだけれど。 「ありがとう、シオン。でも、売ればお金になるんだったら……僕の家に銀貨がたくさんあるのさ。世界が違うってことは通貨もどうせ違うんだろうし……あとで渡すよ」 懐に大事そうにしまいこみ、キールは二人へ微笑みかけた。キールの表情は包容力のありそうな屈託の無い笑顔で、その気分を伝染させるような得体の知れない力がある。 「何から何までありがとう」 それは、シオンの笑顔も似ているかもしれない。こっちは伝染と言うよりは塗りつぶしに近い感覚だけれど……どっちもいい顔なんだから比べるよりも両方味えるからお得だと思っておこう。 「申し訳ありません……わたしは……価値のあるものは……何も……」 そんな二人の笑顔の力も通用しないのか、節目がちな橄欖は空気を読まずに申し訳無さそうな声だ。かろうじてウエストポーチからヘッドドレス((西洋のメイドが頭につけるカチューシャ))を取り出して、アサに差し出した。 「こんな物しか……なくて……要らないです……よね……」 いちいち突っ込みたくは無いが。これまた上質な素材を使っている。これに使われている素材は、絹が名産の街に暮らしているつもりだが、まだ足を踏み入れたことの無いような店の代物に匹敵するじゃないか。 シオンからのプレゼントと違って何に使えばいいのかも良く分からないが、とりあえず……と、アサがを受け取ろうとした時、横からキールが掻っ攫う。 「大事なのは、価値じゃなくって気持ちでしょ?」 キールは二人の気持ちが相当嬉しいのか、ご機嫌そうに胸の角に手を当てている。にやけちゃって…… 「お前が言うと説得力のあるセリフだな……気持ちが大事って言葉」 事実、贅沢もする事無く、金にならない仕事を続けるキールに相応しい台詞だって思う。 「へへ~……似合う?」 キールは嬉々として頭にそれをつけて、わざとらしい笑みを振りまいて見せる。 「妙に似合っているし……」 童顔のキールは取り繕えばいくらでも性別のごまかしが利くので、ヘッドドレスをつける姿に相応しい見た目だ。似合っているというのは、俺の掛け値なしの褒め言葉に他ならない。 「ああっ……いえ、その……」 気持ちが大事なんて言葉を聞いたせいなのか、あたふたしている橄欖が約一名。今まであまり感情を表に出さなかった分、なんと言うか貴重な光景を見れて得した気分だ。 なるほど、シオンやキールとは違ってこういう風に表情の変化を楽しむべきなのか。うん、以外と可愛い顔も出来るんじゃないか。 「わたしが……身につけていた……もの……ですし……」 その橄欖の言葉を、まるでオニゴーリの首を取ったような表情でキールは迎える。 「身に着けていたものだから、価値が上がっているんだね? だったら、より嬉しいのさ」 「ち、違っ……違いますっ。変なこと言わないでください!」 ラルトスとその進化形に見られる真っ白な肌は、赤らんだ表情が非常に分かりやすい。そういえば、目覚パ恋占いによればキールは岩タイプだから橄欖の氷タイプを魅了しやすいはず。橄欖が必要以上に赤くなっている気がするのはその影響からであろうか? 当のキールは俺にしか眼中がないみたいだけれど、そんな一途な思いは橄欖も同じみたいだ。俺達が発見した時にシオンを庇っていたことからも、橄欖はシオンが使用人以上の関係として慕っているのだろう。そんな自分の気持ちが逸れていない事を主張するように橄欖はシオンを見ていた。 「ふふっ、キールさん&ruby(おんな){牝};の仔みたぁい」 えっとね、シオン……これは突っ込むべきなのかな? 『キールよりも遥かに&ruby(おんな){牝};の仔みたぁいなお前が言うな』って。 ま、その突っ込みを置いておけば空気を読んでいると言うべきなのだろうか、シオンは橄欖のフォローもせずそういって笑うばかりだ。意地悪だね。橄欖はひたすら赤らんでいるばかりで、いつも通りかそれよりも酷いかもしれないだんまりに入ってしまった。これは、しばらく上下の唇が糊でくっついたようになるんじゃないだろうか。 「さ、盛り上がるのも良いけれど……所長に会いに行こう。所長室はこっちにあるから、ついてきて」 ひとしきり盛り上がって、キールがカワイコぶる仕草もようやく落ち着いた頃、アサはいつもどおりの和気藹々とした雰囲気に安堵の息をついて先導する。 「はいはーい」 などと言いながらキールもヘッドドレスを外して歩き出し、いまだ顔の赤い橄欖やシオンもそれに続いた。 **4節 [#f3ff8eda] このキールという牡の仔、角の大きさからしてもかなり感度が高いらしい。サーナイトなのに、キルリアのわたしより強いくらいだ。 わかってる癖に、シオンさまの前で余計なことを。 この借りはきっと返してみせますからね。 「こんにちは、アサです。所長はいらっしゃいますか?」 ランナベールのハンターズギルドとは違う、落ち着いた雰囲気のギルドだ。キール達について行くと、所長室、と書かれた扉の前にたどり着いた。 アサのノックに応え、中から扉が開かれた。 「おや、アサさんですか。申し訳ありませんが……今は例によって例のごとく奥様とデート中ですので……私が代理をやっています」 現れたのは、見るからに温厚そうな好中年といった風情のドーブルだった。 「またか……」 アサが溜め息をつきながら、橄欖達を招き入れる。ドーブルの牡性は腰掛けた机に目を落としたまま書類の整理をしていたが、橄欖達が入ると顔を上げた。 「おや……客人がいるようですが……そちらの方々は? おっと……人に名前を尋ねるときはまず自分からですね」 ドーブルは立ち上がると、恭しい仕種で一礼した。 「私はヒューイと申します。現在、所長代理を務めさせていただいている最中です……以後お見知りおきを」 「シオンです。こちらこそよろしくお願いします」 相手が驚くほど丁寧な物腰だったので、シオンさまもそれに応じてジルベール貴族の作法で一礼した。背筋を伸ばして座り、右足先を左足に乗せて深々と頭を下げる、四足歩行ポケモン特有の仕種だ。 「橄欖と申します……」 橄欖は両手を体の前に揃え、和式の礼でこれに応えた。 「ふむ、ところで……非常に珍しい組み合わせですね。貴方がた二人は明らかに旅の方……と言ったところでしょうか。アサさん達がここに連れてきたという事は、何らかの事情がおありかと察しますが、いかがなさいました?」 「あぁ、それなんだが……」 アサが事の顛末をかいつまんで説明した。シオンと橄欖のこと、ギラティナに会う必要があること、そして孔雀のこと。 「なるほど……神隠しですか。最近流行っているのでしょうかね?」 ヒューイはさして驚く様子もなかった。アサもその被害者だという話だし、この世界では珍しくないのかもしれない。不思議なダンジョンの存在をみても、この世界自体、時空が不安定でそういうことが起こりやすいという可能性は十分考えられる。 「さて、世界の大穴の事でしたら……そのダンジョンへの侵入許可ライセンスはすでに届いております。後でお二人に渡しましょう……」 侵入許可ライセンス……つまり、誰でもダンジョンに入れるというわけではないということか。 「して、橄欖さん。もう一人の旅の道連れが……サーナイトの東フォルム……でしたね?」 キール達との話が一通り済んだところで、ヒューイは姉さんの話題を持ち出した。 「はい……この世界とは別の進化を遂げた……みたいで……衣が……ユキメノコ……のような……形をしています……」 この説明で良いのかわからないけれど。ユキメノコの衣も西へ行けば少し変わってくるし、カラナクシやトリトドンも然り。まして世界を隔てれば、ポケモンの形質が大きく違うことだってあり得る。 「ふむ……東フォルムとは、私は見た事も聞いた事もない形態故……少々お待ちを」 少し心配したが、ヒューイが尾の筆を使って、すらすらと描いてみせたサーナイトの全体像は 「顔は、貴方の顔立ちから想像しましたため、似ているかどうかの自信はありませんが……どうせ、珍しい外見なのでこの絵を見せて一発でわかるかと思います。人探しをするならば特徴を説明するよりも、こういう絵があった方が効率がよろしいでしょう?」 「わあ、上手ですね」 シオンさまも驚いている。さすがはドーブルといったところだ。 手渡された絵は的確に特徴を捉えていて、とりあえずこれを見せれば姉さんであることはわかるだろう。顔の方もわたしをモデルにしたということで、不本意ながら大方姉さんとそっくりだ。 「ありがとう……ございます……」 「いえいえ、客人は持て成して然るべき。なので当然のことをしたまでです」 ヒューイは穏やかに微笑んだ。同じ職種に就く者としては、見習いたいものである。わかってはいても、いざ表情を作ろうとするとうまくいかないのだが。 と、ヒューイがシオンではなく、その斜め上に視線をやった。 「時にシオンさん……野暮なことを聞く無礼をお許しください。エーフィへの進化条件は誰かの愛情を強く受けるか、生きるための賢さを得ることと聞いておりますが……貴方の場合は、どちらの口でしょうか?」 と、ヒューイが突然変なことを訊いた。シオンさまも戸惑い気味だ。どうして急にそんなことを尋ねるのだろう。しかし、生きるための賢さを得る……とは初耳だ。エーフィやブラッキー、また多くのベビィポケモンは他者からの強い愛情を受けないと進化できないというが。 「愛情……かな」 答えたシオンさまから発せられる感情は、悲哀と懐旧と……ほんのりとした温かさ。わたし達が初めて会ったときには、シオンさまは既にエーフィだった。今シオンさまの脳裡に呼び起こされているのは、フィオーナさまの影ではない。 「やはり……ですか。貴方の後ろで見守ってくれるサンダースの母君……でしょうか? 彼女、微笑んでおりますよ……こんな世界にまで付き合ってくれる辺りからも貴方が進化出来たのも頷けます」 ヒューイはシオンさまとその後ろの……おそらくは背後霊を交互に見て微笑んだ。 「母さんが……? そっか。僕、護られているんだね」 まだ……いたのか。霊となってシオンさまに。 「私の故郷は、リーフィアに進化できる環境でしてね……そのせいか、安易にリーフィアに進化するものが多いのです。ですから、貴方のようにエーフィやブラッキーとなる方は珍しいのですよ」 ヒューイの話はあまり聞いていなかった。気づけば拳を握り締めてシオンさまを見つめていた。 「さて、無駄なお話をして申し訳ありませんでした……これからは一体どうなさるつもりで?」 「とりあえず……捜索の依頼をギルドに出して……から、どうしよう? ダンジョン初心者に色々歩かせるわけにもいかないし……シオン達には街での聞き込みをやってもらいたいと思うのだけれど……どうかな? もしかしたら、こっちに来ているかもしれないし」 そうだ、姉さんだ。姉さんが今の事実を知ったら何て言うだろう。どう思うだろう。 もともと、仔に罪はない、と姉さんを説得したのはわたしだ。姫女苑が死んだときわたし達の宿命も終わったのだと。 それが、まだシオンさまの……紫苑の後ろにいるというのだ。しかも、写真で見た姫女苑はサンダースだったが、種族こそ違えど、まるで生き写しである。彼はそれくらい母親にそっくりなのだ。 あの事件のときわたしはまだ二歳にもなっていなかったが、姉さんはそのとき四歳。物心つくには十分な年頃と言って差し支えない。わたしより遥かに強く、姫女苑への恨みを持っている筈だ。 わたしでさえこんなに心を掻き乱されているのに。 いや。シオンさまに壊れているのは寧ろ姉さんの方ではないのか。先にシオンさまを好きになってしまったのは姉さんだ。あまつさえあんな悪戯までして。姉さんといえど、好きでもない相手に遊び心や奉仕精神だけであんなことまでするとは思えない。 一度は復讐心と恋心の間で板挟みになった。でも、一匹の牝でいることを選んだ。今さら、たかが霊に対して復讐の鬼に返るのか? 「橄欖? 行くよ?」 「申し訳ありません……少し考えごとを」 この屈託のない無邪気な笑顔の前には、鬼も微笑みを返すより他ないだろう。 結局はそれが答えだ。 今はフィオーナさまには敵わないけれど。姉さんはあの一件で好感度を落としてしまったに違いない。 自動的に単独二位に浮上したわけだ。 「参りましょう……シオンさま」 いっそ帰れなくなれば、このままシオンさまと……ふとそんなことを考えてしまう程度には、わたしも壊れているんだ。 &size(18){ ◇}; ヒューイと別れた後はキールが孔雀捜索依頼の発注、シオンたちはアサと一緒に昼食の買い物をして、キールの家の前で落ち合った。 「さて……さっきシオンに言った通り銀貨を渡すよ……ついてきて」 キールに案内されて、中に入った時である。 「わぁ、可愛い!」 部屋の隅に並べてあるぬいぐるみを発見して、思わず声を上げてしまった。 「シオンさまっ……」 それだけでなく早速肉球でつついていたので、橄欖に諭されてしまう。初めて来た家ではしゃぎすぎたかな。 「でしょ? ほとんど僕が作ったものなのさ。そっちのキルリアとユンゲラーはさっきのヒューイさんが作った奴なんだけれど、どれもよく出来ているでしょう?」 ま、キールさんは怒ってもいないし、むしろ嬉しそうだから良しとしよう。 「全部、僕の友達や家族なのさ」 「似た者同士だな……何と言うか、もうちょっと男としての自覚を持とうぜ……」 「む」 アサがちょっと聞き捨てならないことを言ったので、シオンは彼女に詰め寄った。 「牡の仔だって牝の仔と同じように可愛いものを可愛いって思う感情は持ってるよっ」 「シオンさまが仰っても……いまいち……説得力に欠けますが……」 橄欖がぼそりと余計な突っ込みを入れる一方で、アサは気圧され気味に答えた。 「んまぁ、シオンの言う事も間違っちゃいないし、実際その通りだけれど……何と言うかまぁ、真っ先に反応されると俺達レディーの立つ瀬がない」 「前衛を張っているアサがレディーと言うと何とも説得力に欠けるのさ。なかなかどうして息があってない、二人とも。んまぁ、それはそうとしても……」 キールはダークライやラティアスなど、ちょっと珍しい伝説のポケモンなあぬいぐるみを一瞥した。 「シオンも可愛らしさに夢中になるのはいいけれど、レディーファーストとか、他にも色々な事に気をつけなきゃね。もちろん、僕もだけれどね」 へー。この国ではそういう考え方なんだ。 「レディーファースト、ね」 その言葉に対する嫌悪が声色に表れてしまったことが自分でもわかったので、ちょっと橄欖の様子を窺ってみた。 「お気遣いなく……」 まあ、陽州にだってそんなしきたりはないから問題ないか。 「僕たちの世界にもそういう考えを持った国もあるけど、僕の住んでるところはさ。自分の身は自分で守らないと、何もかも奪われちゃう。牡も牝も関係ないんだ」 そこからはできるだけ客観的に説明した。何の義理もない相手をただ『牝だから』という理由で優遇するなんて冗談じゃない。本当に譲歩の精神があるなら、相手が牡だろうと牝だろうと譲ってあげるべきだ。少なくとも僕はそうしてきた。何かの折に冗談めかして"レディーファースト"って言うことはあったにしてもね。 「郷に入ったら郷に従え……とは言いますけれど……しかし……わたしにもあまり嬉しくはない言葉……ですね……」 橄欖の場合はシオンとはまた違った理由の元に否定する。そう、レディーファーストとは要するに牝が牡に比べて"弱い"から優先されなくてはならないという考え方だ。橄欖みたいな芯の強い牝性はそこに反感を抱くのだろう。 「……ところでさ。それ、キールさんの家族なんだって? 信仰対象ってわけじゃないんだ」 橄欖の言う通り、この国に来たからにはこの国の文化に合わせるのが筋だし、キールやアサにこれ以上持論を展開したところで意味はないので、シオンは話題を変えることにした。 「そっかぁ……生まれた国が、違うんだったっけね。……父さんも、苦労したんだっけか。隣のラティアスは母さん……断わっておくけれど、両親とも血は繋がっていない里親なのさ。とっても仲がいいせいか夫婦喧嘩は口喧嘩以上に発展した事がないけれど、見てみたいなぁって思ったりもしているの」 キールはダークライとラティアスを眺めながらそんなことを言う。道理で知り合いに伝説のポケモンがいるわけだ。 「伝説のポケモンに拾われるなんて……でも、里親ってことは」 理由があって本当の両親はいないってことだ。運が良いのやら悪いのやら。少なくとも両親を亡くした後に事実上預けられた大人に裏切られたシオンよりは運が良いと言って良いかもしれない。育ての親を語るキールを見ているとそう思った。 「そっちじゃ、ダークライは信仰の対象なのか? こっちの世界では、見た目が見た目だから大体が悪役だけれどそっちも同じ感じかな?」 「ギラティナと並ぶ邪神、ってね。国によっては異教徒として狩られちゃうよ」 その邪神が父親だというポケモンが目の前にいるなんて、どうにも不思議な気分だ。 「でも今の話を聞いた限りじゃ、当の本人は邪神でも何でもなさそうだね」 「うん……ダークライは『不快』を操るけれど、不快をゼロにも無限にも出来るのさ。僕の事もすっごく愛してくれていたようだし……」 愛してくれていた、と言う割には、キールはどこか寂しげだった。 「でも、それが辛くって僕はたまらず家を飛び出しちゃったのさ。悪タイプの心が読めないから……僕の事を疎んでいるんじゃないかってさ」 「図太そうに見えて、キールって結構繊細なんだよな」 なまじ感情を受信できる分、それができないと愛情が本物なのかどうか判別がつかない。ラルトス属の能力も便利なばかりではないんだ。 ――あれ? 「悪タイプの心が……読めない……?」 代わって疑問を口にしたのは橄欖だった。あの角は脳波に表れる感情の揺らぎを感じ取り分析する器官なのだという。技とは別個のものである以上、タイプは無関係のはず。 や、でも。技そのものが違うんだったよね。 「&ruby(エスパー){ESP};……じゃなかった、&ruby(サイ){PSI};に依存してるんじゃない? こっちではさ」 「へぇ……そっちでは悪タイプにも対応しているのか。あっちに生まれていれば、俺がわざわざミラクルアイを覚える事も無かったのにな……」 発言した瞬間、アサの持ったスプーンが曲がる。 「もう、言い訳しても無駄かな……」 キール曰く、アサが無意味にスプーンを曲げてしまうのは照れ隠しなのだという。 ふとした失言でキールさんへの想いを自ら暴露してしまって、赤面しながらそっぽを向く様子を見ると、アサさんにも牝の仔らしいところもあるんだな、と安心した。 「どうぞ、シオン。この世界に一時的とはいえ生活するんなら……色々入用だろうからね。遠慮なく受け取ってほしいのさ」 キールさんに手渡された銀貨の袋を橄欖に預け、昼食を済ませたあと―― いよいよシオンたちは、異国、いや異世界の街へと二匹きりで繰り出すのであった……。 **5節 [#o6b1d012] 意識を強く。 強く、強く、強く、強く、強く―― 意識を繋ぎ止めるために必要な何かが足りない。足りない――何もない。何も感じない。ただ暴力的な流れだけがわたしの意識を飲み込もうとする。わたしは自分の流れを保とうとする。きっと、流れに委ねて目を閉じてしまった方が何倍も楽だ。でも、わたしは委ねない。今、何が起こっているのか。それを見極め、ここから抜け出すまで―― 「ひぁっ――!?」 何の前兆もなかった。消失していた五感が戻り、視界いっぱいに広がる景色。 同時に重力に引かれて落下する。景色は体と水平ではない。斜めだ。どちらが上でどちらが下なのか――即座に判断して、&ruby(サイコキネシス){念動力};をまず自分の真下に展開した。 ネット状に張って自分の体を受け止め、ついで上から吊り上げて頭が下になっていた体の向きを戻し、それから着地した。 「く、ぁ……っ」 瞬間、猛烈な頭痛と吐き気に襲われ、思わず体を折って膝をついてしまう。 メテオラの滝の洞窟で何かに飲み込まれてから、わたしは何処かを漂って、ここにたどり着いた。漂っていた時間は、思い返してみればものの数分、いや、一分にも満たないかもしれない。その間の意識下での攻めぎ合いがわたしの脳に大きな負担を課したらしい。 でも、流されてしまわなくてよかった。 もしあそこで意識を保てなくなっていたら。 孔雀は片膝をついた姿勢のまま、周りを確認した。 信じられないくらい広いが、どうやら洞窟の中らしい。潮の香りと波の音がする。海が近いというよりは海辺の洞窟といったところか。 回復して立ち上がるまでに要した三分ほどの間に状況を把握し、ひとまずこれから取るべき行動を考えた。 まず、ここがメテオラの滝の洞窟内部である可能性は限りなく低い。あの近くには当然海などないし、こんなに広い空間が収まりきるはずがない。となると、やはりあの時空の歪みに巻き込まれて別の場所、別の時間に飛ばされたと考えるしかない。シオンさまや橄欖がいないところをみると、巻き込まれた時の物理的距離とは無関係なのか。三匹バラバラという可能性もある。 いずれにしても、心配だ。橄欖はわたしがいないと進化を止められないし、もし橄欖ともはぐれていたら誰がシオンさまを護るのか。 何でもいい。とにかく情報を集めて二匹の行方を追わなければならない。そのためには、こんな&ruby(ポケ){人};気のない場所からさっさと脱出しないと。 今、孔雀がいるのはほぼ長方形の空間で、短辺は二十メートル、長辺は三十メートル近くもある。どこから光が差し込んでいるのかは不明だが、不思議と何も見えないほど暗くはない。良く見ると、短辺と長辺のそれぞれから一本ずつ、直角に二本の通路が伸びているようだ。 道があるなら進むしかあるまい。 孔雀は長辺から伸びる方の道を選択して、そちらに歩いて行った。 何が起こるか全くの未知数なので、念のため&ruby(サイコキネシス){念動力};を展開、大半は自らの筋肉に通し、残りは頭上と前後左右に力点を設定して、いつでも自分の身体を引っ張れるようにしておく。 通路の入り口まで五メートルを切ったところで、背後に何者かの気配を感じて振り向いた。 こんな洞窟には誰もいない、と思ったのだが。 部屋の真ん中にドククラゲがいた。もう一方の通路からやってきたのか。出入口は二つなのだから間違いはないだろうが、変だ。敵意は感じないのに―― 「っとと」 なんとドククラゲがいきなり毒針を発射してきたのだ。 孔雀は冷静に体を捌いて三発立て続けに飛んできた針を最小限の動作で躱し、そのまま懐から抜いた暗器の投擲に繋げた。 反応できずに頭の水晶を撃ち抜かれたドククラゲは、その場にくにゃりと崩れ落ちる。 孔雀が振り向くと同時に投擲しなかった理由は、敵意が感じられなかったからである。だが、孔雀の中の勘は相手の危険性を認識していた。案の定、ドククラゲは攻撃してきた。意識として敵意を持たず、攻撃には殺意を込めて。 「……変ね。本当にポケモン……なのかしら?」 ともあれ、ここで一匹で考えてどうにかなるものでもない。孔雀はとりあえず通路の先に進むことにした。 しばらく歩くと、最初の空間と似たような開けた場所に出た。 違うのは、右手には壁がなく、水が――おそらくは海水が、溜まっているということだ。外から流れ込んだのか、底から浸み出してきたのかはここから見ただけではわからない。床面積と同じくらいか、それ以上の広さはある。 しかも、水面が揺れて……? 「何かいるわね……!」 気づくのが早くて助かった。 水面が一気に盛り上がったかと思うと、それが爆発するかのように弾け、その爆音は洞窟内に反響して鼓膜をビリビリと震わせ、次いで大量の水が流れ込んできた。 GYAAAAAAAOOOHHH……! 相手を威嚇するのには十分すぎる咆哮。 青く大きなその身体を見せつけるかの如く、ギャラドスは体を伸ばして孔雀を見下ろした。 水の流れに足を取られないように浮き上がった孔雀は、真正面からギャラドスと対峙する。 さっきと同じだ。敵意は感じない。攻撃の意志は見た目にも明らかなのに。 ――こんなことなら、刀を持ってきておくべきだったわね。 シオンが孔雀と橄欖を護る構成であるように見えて、その実全員が&ruby(ヽヽヽヽ){それなり};の戦闘スキルを持ったパーティだった。シオンのこともあり、素手でも悪党の十匹や二十匹薙ぎ倒すのに苦労はしないのだからと、刀は持って来なかったのだ。 孔雀一匹が自らの身を護るという点においては、数よりも怖いのは強大な個の力と、図体の大きさ。ギャラドスほどの大きさになると単純な打撃では致命的なダメージを与えられない上に、&ruby(エスパー){ESP};の力が弱い孔雀がサイコキネシスの射程に捉えようと思ったら、かなりの近距離まで詰める必要がある。もとよりあんな大きなポケモンを持ち上げられる程の力もない。 ギャラドスが体を大きく反らし、口を開けた。 口腔の中心に集束する凶悪な光……! 「お得意の破壊光線ね」 当たれば絶大な破壊力を誇る、ギャラドスの代名詞的技だ。しかし、予備動作が大きすぎる。 光線が放たれると同時に、体を左斜め前に引っ張った。 力点を前方に出現させては引き、それを消してはまた前方に、の繰り返し。実際には技の発動するまでのラグを解消するため、時間をずらして何重にも発生させている重力や空気抵抗まで考慮して任意の方向へ移動できるようになるまで苦労したが、今の孔雀には手足を動かすに等しい動作だ。 首を振って孔雀の動きを追ってくる破壊光線を、緩急をつけた移動、方向転換で誘導する。 光線に削られた地面や壁は大きく刔れ、水が蒸発して霧が濛々と立ち込める。 誘導しながら隙を見つけ、一気に加速。 ギャラドスの背後に回り込んだ。頭のすぐ後ろ――破壊光線の届かない死角。接近に気づいたギャラドスは技を止めたが、破壊光線は自分の限界を超えた力を行使するため体に大きな反動を残す。しばらくは満足に動くこともできないのだ。 できればこの間にケリをつけたいが、生憎と今の孔雀には小さな暗器しか武器がなく、ギャラドスの心臓を貫くには長さが足りない。 とはいえ、無作為にここまで接近したわけではない。 反動の残るぎこちない動作で振り向いたギャラドスへ、敢えてさらに距離を詰めた。 大口を開けて、噛みついてくる――その刹那、肩を軸に足を後ろへ反ってスレスレで躱す。目前で噛み合わされた大きな牙の一本に、先に抜いておいた暗器を両側から突き刺した。 牙の根本は半ばまで砕けたが、折れるには至っていない。意識下ではやや躊躇したが、すぐに体を回転させて渾身の蹴りを放った。全身に通したサイコキネシスの糸が筋力を強化し、外部の力点からはそこに地面があるのと同じように、重力に反発する垂直坑力を発生させた。そうすることで空中での威力低下を軽減するのだ。見事、ギャラドスの上の牙の一番大きな一本を折ることに成功した。 落下する牙をすぐさま回収、ギャラドスが再度口を開ける頃には水中に飛び込み、背中にある心臓を刺し貫いていた。 断末魔の叫びは水の中ではよく聞こえなかったが、ギャラドスの体が倒れこんでくる。巻き込まれないように避けながら上昇、水面から飛び出す。入れ代わりに沈むギャラドスの体は、出現の時と同じように大量の水を溢れさせた。 「ふう……」 とんでもないポケモンがいたものだ。ドククラゲもギャラドスも、孔雀を見た瞬間にこれを敵と認識して攻撃してきた。 この洞窟、ただの洞窟じゃないわね。 ――にしても。 「イタタタタタ」 孔雀は痛みに足を押さえて空中で丸まった。当たり前だ。竜の牙を叩き折るなど、さしもの孔雀でも無茶な行為であると言わざるを得ない。 「折れてはいないみたいだけど」 若干赤みを帯びているが、骨折していれば腫れはもっと酷いはずだ。 孔雀は患部に手を当てて、念力を送り込んだ。微粒子化した神秘のエレメンタルが細胞にまで入り込み、ポケモンの身体が持つ自然治癒力を促進する。自己再生はそれを自動で行ってくれるが、念力で代用しようとするとそれなりの医学的知識と常識を超えた器用さを必要とする。 もっとも、先祖から受け継いだ血の力あってこそで、それがなければ念力をそこまで細分することはできなかっただろう。 わたしの才能では。 橄欖ならあるいは独力で成し遂げるやもしれない。あれは才能の魔神だ。催眠術の&ruby(ヽヽヽ){破壊力};も感情受信能力も、大した努力もなしに自然に身についたものだ。とくに催眠術――橄欖は相手の意識を瞬時に奪ってしまう。抵抗する間を与えず意識の中枢まで侵入する手際の良さ、射程の広さも文句のつけようがない。弱点といえば神秘の守りか悪タイプのポケモンだが、催眠術が封じられてもまだ武器はある。 「……?」 などと考えているうち、足の傷はみるみる回復して……完治してしまった。 いくら何でも早過ぎる。しかも応急処置のつもりで少し念力を加えただけなのに。 「この洞窟……」 ただの洞窟じゃない。 わたしは――もしかすると先程のポケモン達も、この空間により何らかの影響を受けている。 メテオラの洞窟に入った時と同じ、とはいかないまでも、自分がここに存在する実感の薄れ、漠然とした不安――そんな感覚に包まれる。 「ま、ゆっくり行きますか」 いずれにしてもメテオラの洞窟ほどではないし、敵はいるようだがあの程度ならとくに危険というわけではあるまい。 孔雀はギャラドスの沈んだ水場の奥に進んだ。所々左右に分かれたり尖った岩が突き出たりしている水路を行くと、また広い部屋に出た。 ただ、今度の部屋は先の二つと少し違う。洞窟の内部らしからぬだだっ広い空間、半分が海水の溜まった水場、というのは変わらずだが、向こうの壁際の辺りだろうか、下り階段らしき何かがある。 角度と距離の関係ではっきりとは確認できないが、いずれにしても洞窟という空間にはそぐわぬ人工物であることは間違いない。 とりあえず、近づいて確認することにした。 ――と。 「甘いです」 背後から飛び出してきた何かを竜の牙で刺し貫いた。固い感触だ。 引き抜くと同時に姿を確認する。甲羅の腹面を砕かれ貫かれたカメールが、ずるりと落ちて水の中へ消えた。 そして、地面のあるところまで一気に下がって着地した。 髪をオーロラビームが掠め、一部毛先が凍りつく。 見れば、水の中から次々と―― オーロラビームを放ったジュゴンを筆頭に、水タイプポケモンの群れが水面から顔を出して孔雀を睨みつけている。 「ふふふ。一匹では敵わぬと悟りましたか」 横目に背後を確認すると、悪いことにこの長方形の部屋からは水に面した辺を除く全てから通路が伸びていて、三本とも水ポケモンやゴルバット、ゴースト等のポケモンで塞がれていた。 ざっと見渡したところ、三十匹から四十匹。 あのギャラドスもパワーだけは見上げたものだったが、戦闘技術的には素人だった。 「ですが、並のポケモンがこの程度の数集まったところで」 &ruby(ギャラドス){竜};の牙を両手で構える。 「結果は揺るがないのですよー」 孔雀の言葉が届いているのやらいないのやら、水場から足を持つポケモンや浮遊できるポケモンが上陸してくる。背後からは足の速いクロバットやゲンガーが戦闘を切って向かってきた。 ゴーストタイプは後回し。 それだけ決めると、まずクロバットに向かって暗器を投擲すると同時に疾走。墜落したところを牙で一突きしてとどめを刺し、ゲンガーのシャドーパンチを跳び下がって躱す。下がった先には上陸してきたマリルとタマザラシが待ち構えていた。右後方のタマザラシを貫き、マリルはローキックで失神させた。そこへ水鉄砲、バブル光線、冷凍ビームなどなどの遠距離技が次々と飛んでくる。あるものはかい潜って、飛び越えて。冷凍ビームを放っていたジュゴンは孔雀の急接近に反応して角で突く攻撃に切り替えたが、遅い。竜の牙を深々と突き刺して、そのまま上空へと放り投げた。 バキン、と鈍い音。無茶な使い方をしたためか、牙が折れたようだ。ジュゴンで巻き込む形でペリッパーを下へ落としたが、どうする。迷っている暇はない。 というか――考えるのは面倒なのですよ。 そこからはもう手当たり次第だった。近くの敵から順に直突き、鈎突き、螺旋突き、回し蹴り、後ろ蹴り、足刀、後ろ回し、二段蹴りに投げ技、時に暗器を放ち―― ――瞬く間に築き上げた死体、気を失ったポケモンの山。残すところゴーストが二体、ゲンガーが一体、ヤミラミが一体。 「厄介ですねー……」 エルレイドの父譲りの格闘術が通じない相手。無防備になるのを覚悟で身体へのサイコキネシスを解き、直接攻撃するしかない。 まずは不意打ちでゲンガーを。 &ruby(しんたい){身体};内部の&ruby(サイコキネシス){念動力};を維持したまま接近し、ゲンガーの背後に回り込んだ。ゲンガーが振り向く前に全ての糸を解放し、その背に掌を当てる。 力点を身体の一部に拠らないとはいえ、設定できるのは半径二メートルの範囲内。もともと&ruby(エスパー){ESP};の弱い孔雀では糸自体の長さは約二メートルしかなく、合わせても四メートルほどである。 シオンなら十メートル離れても十分相手に絡みつく程度の長さはあるが、近ければ近いほど相手に直接作用できる部分が増えるわけだ。 孔雀の場合はその糸をほぼ全て作用させなければならず、結局のところ至近距離でしか使えない。そうすれば弱点タイプのポケモンにならなんとか有効なダメージを与えられるだろう。 果たして、ゲンガーの&ruby(ヽ){中};で発生した糸がガス状の体の各所に絡み付き、その体を一気に引き裂いた。 ガス状の身体とは厄介なもので、散在神経系((簡単に言うと特定の場所に脳がなく、全身に散らばっている。))、開放血管系((血管がない。散在~と似たような認識でいいかも。多くの虫ポケモンとか))のポケモンと同じかそれ以上に、急所を狙うことができない。純粋にパワー勝負になってしまう。 しかし、体の八割ほどが霧散し、それを補完するために色が淡くなった今なら話は別だ。もう一度ガスが濃くなり始める、その中心―― 孔雀は暗黒の&ruby(エレメンタル){要素};を纏いって疾風の影と化した。ゴーストタイプの技"影討ち"。後退したゲンガーの中心を狙って、渾身の回し蹴りを叩き込んだ。ESPの力を借りることができないので威力は四分一にも満たないが、正しく全身の力を足に伝えれば弱った相手に止めを刺すくらいの威力は出せる。 タイプ相性二倍、しかも急所を狙った一撃だ。孔雀の"影討ち"回し蹴りはガスの発生中心を砕き、ゲンガーを完全に消滅させた。 間髪を入れず神秘の&ruby(エレメンタル){要素};を呼び出し、その場から跳び退いた。ゴーストの一匹が&ruby(シャドーボール){暗影弾};を撃ったからだ。続けてもう一匹が催眠術、ヤミラミが&ruby(シャドーパンチ){暗影拳};を振るってきたが、軽快なステップ、時に低空飛行で体の流れを無視した方向転換を行う孔雀の動きを捉えるには至らなかった。 ゴースト二匹も&ruby(サイコキネシス){念動力};と影討ちを用いて同様に仕留め、残すはヤミラミのみ。 孔雀にとっては最も戦いにくいタイプである。自分の体に&ruby(サイコキネシス){念動力};を通した&ruby(ノーマル技){直接攻撃};はゴーストタイプで無効化され、かといって敵本体にぶつけても悪タイプには通じない。タイプ相性に助けられてもいない影討ちではおよそ相手を倒すには程遠い。 が、一つだけ手段がある。普段は滅多に使わないが、才能に恵まれなかった孔雀にもたった一つ、父をして天賦の才と言わしめたもの。 それは生まれもった才能のみで決まる、努力の作用を一切受け付けない技。 ポケモンには種ごとのタイプの他に、個体ごとのタイプとでも呼ぶべきものがある。習得できる技とは無関係に、個体ごとに体に馴染みやすい&ruby(エレメンタル){要素};が一つある。どの&ruby(エレメンタル){要素};なのか、どの程度馴染みやすいのか――それは生来決まっており、あらゆる後天的作用を以てしても変化することはない。 「命の炎よ……目覚めなさい!」 孔雀の身体から噴き出した火の&ruby(エレメンタル){要素};がヤミラミを包み込み、瞬時に炎上させた。もし誰かが傍目に見ていれば、ヤミラミが突然燃え上がったように見えたことだろう。熱気と高く聳える火柱が、その高火力を物語る。 「……なーんてね。ふふふ」 灰と化したものは、もはやヤミラミではなかった。あれが元々何だったのか、そこに何があったのかもわからない。 「終ーわりっと」 途轍もなく広い部屋の中、立っているのは孔雀ただ一匹。 亡骸、気絶した者、他の理由で動けない者たちの山。こんな光景を眺めるのは久しぶりだ――と、感慨に浸っている場合ではない。改めて、下り階段と思しき何かを覗き込む。間近で確認すると、紛れもない、それは階段だった。底が暗くて見えないが先へ進めるようである。 が、その見た目に裏切られた。 「はっ――!?」 階段を数段降りたところで視界が暗転、地面の感覚が消失した。メテオラの滝で時空の歪みに巻き込まれた時の感覚に近いが、こちらはほんの一秒程度だ。 「ここは……」 階段を降りる前と似た景色が広がっていて、孔雀はその広い空間の真ん中に立っていた。確かに階段は降りたはずなのだが。 要するにあれは階段の形を取った別の何か――そう、言うなればワープポイント。また別の空間に飛ばされたのだ。が、景色からしてそう遠くはない。同一の洞窟の内部だ。 「……っ!」 咄嗟に姿勢を低めた。頭上を水鉄砲が通り過ぎる。背後から放たれたいきなりの攻撃に、しかし孔雀は冷静に対処した。姿勢を低めると同時に体の向きを変え、相手はニョロゾだと認識。あとは水鉄砲をかい潜って接近、はたく攻撃で迎え撃とうとしたその腕を取っていなし、背を向けさせたところへ正拳突きを叩き込んだ。ニョロゾは前のめりに吹っ飛んで転がり、そのまま倒れ伏した。 「まだいたのですかー」 パンパン、と手を払いながらその背に一瞥を向ける。ピクピクと動いてはいるが、当分一匹では立ち上がれまい。 先ほどの集団は洞窟内の全ポケモンが結集でもしたのだろう、と思っていた。しかしこの広さ、まだまだ敵はいそうである。 目覚めるパワーの開放で少し消耗したが、あと二、三度、あの手の集団を突破できる程度の体力なら残っている。本気を出せば怖いものなどない。 心なしか地面が、壁が、洞窟全体が揺れているような気がしたのはそう思った時だった。土を踏みしだく音、水の跳ねる音が幾重にも重なったような不吉な音も。そしてそれらは明らかに大きく――接近している。 「……また? 懲りないわね」 部屋は三十メートル四方、全て土と岩で、水場はない。通路は二本、近い位置にある。 ――方針は決まった。 孔雀は通路へ向かって疾駆した。通路が一本ではないので有効と言えるかどうかは疑問だが、なるべく狭い場所で戦い、可能ならば先に来たポケモンの亡骸で通路を塞ぐ。できなければ後退しつつ、敵が溢れてきたら囲まれないように壁まで下がる。 集団戦であまり役に立つとは思えない暗器を除けば完全に丸腰である。が、相手にも&ruby(ブースター){倍化機};らしきものを身に付けた者も陽州製の武器を持った者もいなかった。 「ふふ。好きなだけ大暴れできるなんて、何て楽しい洞窟なのかしら」 同じ条件なら、負ける道理はない。 &size(18){ ◇}; ハァ……やっちゃったなぁ。先ほど思わず呟いたミラクルアイに関する愚痴は本当にただの愚痴だったけれど、キールのことをどれだけ想っているのかは角の有無にかかわらず伝わってしまったはずだ。ちょっとすっきりしたけれど、それを補って余りあるほど恥ずかしい。 「隙あり!!」 「ひゃう!!」 いきなり、キールが後ろから抱きついてきた。性別を考えると確実にセクハラなのだが、自覚はないのかこの男は? 「あれぇ? なんだ、前より抱きつかれた感情が感情も素直になったのさ。ふっきれたね」 俺の胸のもやもやが取れてしまった感情がよほど嬉しいのか、シオン達と別れ二人きりになった途端にこれだ。思えば、キールの言うとおりこうやって抱きつかれるのに慣れてしまった自分がいるのが恐ろしい。素直に喜べなかった主たる原因の照れがだんだん消えてしまっているし、胸の角が背中に当たって少し痛いけれど、キールが楽しそうだと耐えられるようになった。 それでも、恥が消えたわけじゃないのは察して欲しいのだが。 「いいから、いくら周囲に人がいないからって野外でやるのはやめてくれ。無性に恥ずかしい」 「絶対に嫌なのさ。だってアサってばこんなに楽しそう」 遠く離れれば感情を感じづらいと言うのは、当然のことだけれど近寄れば感情を感じやすいという事。だからより近寄るためにこうしたくなるのは分かっても、楽しそうな感情を見透かされているのがなんとも恥ずかしい。これじゃ恥ずかしさの無限ループじゃないか。 恥を感じるとむず痒そうな顔をするが、それ以上の幸福感のせいでキールはハイになっている。性交の最中に痛みを感じにくくなるのと同じ原理なのだろうか、頬ずりまでして俺へと密着してくる。この不意打ちに、思わず髭が立ってしまい、スプーンも曲がり始めた。もう、キールのペースに呑まれないように出来るだけ別の事を考えよう。 え~っと……そう、兎に角今は大事な仕事に集中しなければ。イーブイを良く思っていない漆黒の双頭のメンバーたちがこの街には三名ほどいる。その三名に、いらないちょっかいを出されないように釘を刺しておかねばならない。特に凶暴かつ気性の荒いなシリアは絶対に鉢合わせする前に止めなければ危ない。 キールは、『みんなそこまで話の分からない連中じゃないから大丈夫なのさ』と言うが、これはシリアたちが襲う襲わないの前提だけでない。3人がシオンたちを襲わないにしても、口論になって互いの第一印象が悪くなるのはいただけない。特にシリアの印象は悪くなるだろう。 っていうか、もう背中から降りてよキール。結局キールを無視する事が出来ないじゃないか。 &size(18){ ◇}; 「フリックは……鍵が掛かっているし、いないのかな?」 尋ねるアサの横でキールは、胸に全神経を集中させている。こんな真面目な表情は久しぶりに見た気がする。 「眠っているわけでもないみたいし、近くにいる感じでもないのさ。買い物でも行っているんじゃないかな?」 まぁ、それでは仕方がない……か。いつも家にいるとは限らないのだから。仕方がない、後回しにして二人を先に当たったほうが良いな。 「まあ……フリックは比較的安全性も高いし……先に危険そうなリムルとシリアに話をつけないか?」 「危険性ねぇ……それじゃあ、リムルやシリアが危険みたいじゃないのさ」 いや、どちらも実際危険だから。レイザー所長と出会う前に彼女らが何やっていたかご存じないわけじゃないよね? さらに言うなら、シリアは自警団の活動時、悪人を縛り付けて放置するし、リムルにいたってはたまに催眠術を駆使して日常生活を困難にさせるような断罪をしているのだが。 願わくばシオンがそうなりませんように。 &size(18){ ◇}; リムルは一応一人暮らしではあるが、四足ゆえの生活の不便さを補うために、器用に手を扱えるフローゼルのアンジェと寄り添うように家が近くにある。 アサ達が家に訪ねてみると、アンジェとリムルは楽しそうに話していた。立ち上がって話していると身長差が気になるところなのか、女性同士草むらに腰掛けて話しあう姿は微笑ましい。 「あら、アサちゃん。あんた二人揃ってどうかしたの?」 こちらの姿を確認したリムルは立ち上がり、炎の鬣を靡かせた。相変わらず激しく波打つ炎は、背景に陽炎を伴わせるほどの温度を持っていて、寒空をそうと感じさせない温かな力がありそうだ。 「すまないね……アンジェさん。すぐ終わるお話だから、ちょっとリムルを借りていくよ」 「あら、構わないよ。でも、恋の相談に発展すると長くなりそうだから遠慮してね」 アンジェのセリフに思わず口の中身を吹き出してしまった。キールといつでも一緒に居るせいなんだろうけれどアンジェさん……返答に困る事を言うのはよしてくれ。 「あぁ、恋愛相談はしないよ」 ほら、生返事で曖昧に返して苦笑するくらいしかできない。フリックを筆頭に皆が俺をからかう……そんなにラブラブに見えるのかな? 俺がリムルを連れて行くと、手持無沙汰なキールは同じく手持ち無沙汰なアンジェの隣に座り込んだ。リムルに話している間、ちらちらとキールの様子をうかがうと、アンジェと違和感なく溶け込んでいるのが、女に順応しすぎで恐ろしいのだが。 俺はシオンという名のエーフィ達が神隠しによってここにたどり着き、アルセウス教とは恐らく何も関係がない事、キールの角が二人を悪人ではないと確信した事などをざっくばらんに話して、とりあえず見かけても絶対に変な気は起こすなと釘を刺す。 それを話される間のリムルは穏やかで、しきりにその時のキールの様子を訪ねてきた。なんだかんだ言って、敏感な角を持っているために傷つきやすいキールが俺以外の誰かにも心配されているのが嬉しいことだ。 「なるほど、別世界から来た……ねぇ。見た目は私達と変わらない?」 「あぁ、キルリアはともかくエーフィの方も基本的なところは変わっていないけれど……見た目は女の子みたいで、匂いをかいでも男だって思えないくらいの美形でね。男だって分かった途端、惚れてしまいたくなるんじゃいないかな?」 実際、俺もキールが隣にいなかったら惚れてしまっていたかも……なんて考えちゃだめだな。キールが傷つく。でも、口移しという名のキスや抱きかかえたことは、不可抗力なのだからもう少し味わっておけばよかったな。救助してやったんだからそれくらいは役得があっても良いと思う。うん、キールには申し訳ないけれど、それくらい良いに決まっている。 「そう、そんなにいい見た目で、なおかつ偉ぶった腐れブイズじゃないのなら……ちょっと見てみたいわ。でも、フリック以上にいい男かしら?」 「鼻の利かない奴なら大体がシオンの方が魅力的だと思うよ」 実際に、俺の印象はそうだった。目を閉じても誘惑されてしまいそうなのがフリックで、目を閉じていれば誘惑されにくくなるのがシオン。女性のような美形と言われどんな顔を思い浮かべているのだろうか、リムルは楽しそうに微笑んでご機嫌に炎を躍らせる。 「そうなの、誘惑されないように気を付けるわ」 はは、そういえば俺の心が揺らいだせいでキールが殺意や嫉妬が湧いちゃあ大変だ。俺もこれ以上誘惑されないように気をつけなきゃね。 「さて、……これで話は終わり。じゃあ、アンジェさんとの会話の続きを楽しんでくれるかな?」 「はい、じゃあねアサちゃん」 言いながら、二人は待たせていた相手のいる場所に向かうのだが、何とも楽しそうに話すキールとアンジェには少しばかり話しかけがたい雰囲気というか障壁がある。何故に、短時間でそこまで仲良くできるの? 「あ、終わった見たいなのさそういう訳だからアンジェさん、」 「また、話しましょうね、キール君」 男にも女にもすぐに溶け込んでしまう上に、女性と一緒だと特に違和感に欠ける。これだからキールは恐ろしい。 &size(18){ ◇}; そういえば、リムルの家はともかくシリアの家に行くのは初めてだ。どんな家なのだろう? 「どんな家って……穴倉」 「穴倉?」 そんなシリアの家の特徴を聞いてみたら、キールに一言で済ませられてしまったので何とも収まりがつかない。 「職人さんの手できちんと水を通さない構造にはなっているけれど、一階はあまり使わないのさ。地下は真っ暗な穴倉でね……地下は温度変化に乏しいから住みやすいの。本能的に落ち着くのかねぇ……シリアは」 なるほど、昔アルセウス教布教領域にいたころも穴倉に住んでいたと言うが、その理由は家を建てるお金がないからだけではなかったという訳か。 ギルドのそばにある大水路。そこで連日行われる水上市場を横切る橋を渡り、その向こう側の住宅街にシリアの家はある。基本的に買い物は水上市場で済ませるために自警団の活動やギルドへの用、東の密林地帯へ盗賊狩りの用がない限りは川を挟んで東側のアサ達の家のあるほうへは行かない。 シリアは気性が荒いために一番厄介な存在だが、シオンたちと鉢合わせになる確率はかなり低めのはずだ。 「さて、ついたのさ」 案内されたシリアの家の広さは、中型ポケモンが住むには狭かった。穴倉と言うだけ合って地下に続いているのであろうか、本人にしか分からないこだわりのような物があるのかな? 「シリアー!! いるかい?」 キールはリムルやフリックのときと違い遠慮無しの大声で叫ぶ。暫くは沈黙が辺りを支配した。全く、キールはもう少し常識と言うものを弁えないのか。しばらく時間がたって、シリアの家の扉が開く。玄関には魔除けのように骨が積まれている。来る冬に備えた非常食なのだろうが……うん、見なかった事にしよう。 「キール……五月蝿い」 黒と灰色の体色からしても生活が夜型なのは間違いないシリア。今は寝起きなのか、明らかな寝ぼけ眼と不機嫌そうな顔で二人を向かえた。キールの奴いらん事をしたな。普段はキールの一人称と二人称を取り替えた形の口調であるため、シリアには『五月蝿いのさ』とでも言って欲しいところだけれど……今は不機嫌なんだな、素の口調が現れている。こういう時のシリアにはなるべく近寄りたくない。 キールは義兄妹であるせいもあってか、全く以って恐れていないけれど、俺は恐い。キールだけが悪いはずなのに、なぜか俺のほうばかり見ているのが疑問でならない……俺、何か悪いことしたのかなぁ? 本当に勘弁してくれ。 「おい、アサ!!」 「は、はい! 何でしょうシリア様!?」 やっぱり俺は悪いことをしてしまったらしい。もちろん、一般常識に当て嵌めて、ではなくシリアの世界の中ではの話だが。 「貴方、キールをちゃんと見張っておかなきゃダメじゃない? うふ、監督不行き届きで噛み殺されたいの?」 「ご、ごめんなさい」 り、理不尽!! その上、確実に不必要に付け加えられた『うふ』が恐い。ほら、キールも俺の恐怖を感じ取って嫌そうな顔しながら角を押さえていることだし、もう勘弁して。 「まぁ、いいわ。キールに害を与えるのは私の望むところじゃないし」 俺の恐怖がキールに悪影響を与えている事をきちんと自覚しているんじゃないか。俺が思わず体が硬直していると、シリアはゆったりした動作で俺の横を通り過ぎ、キールに鼻面を寄せて舐めるように話しかけた。 「で、キールは何の用かしら?」 「うん、それなんだけれどね……アサ、僕じゃ上手く話せる気がしない」 キールも勘弁してほしい。俺の方を見るな! この恐怖政治女帝に何をどう話せというのやら。 「えっとね……いつものように遭難者の目撃情報を聞きつけて救助しに行ったわけだけれど……」 とりあえず俺はリムルに話したのと同じ内容を話してみたわけだが……シオンがエーフィである事は最後まで伏せる。俺の感情が落ちつくにつれ、キールは角から手を離したが、肝心なところであるシオンの種族を離す直前になると、心臓が高鳴ってきて、それを感じたキールまで胸に角を当てている。 「でね、その橄欖の種族がキルリアで……シオンの種族がエーフィなわけ……なんだけれど」 「あぁん!? 今お前なんつった?」 勘弁して下さい。シリアは『エーフィ』と言う単語を出しただけで牙を向いて見せて今にも(主に俺に)襲い掛からんばかりで、非常に怖い。ほら、キールが俺の感情を感じて嫌そうな顔をしているじゃないか。 「つまり、キールと、エーフィが接触したわけ? エーフィってあのエーフィ? それがキルリアと一緒に?」 「いや、だからね……キールの角は、キールを蔑む感情の一切を感じなかったし、まず悪人である事は有り得ないだろうって……言ったよな。なぁ、キール? っていうか、アルセウス教とは関係ないとも言ったと思うけれど」 「う、うん……だから牙はしまってシリア……」 シリア自身イーブイが嫌いなのが主要因であろうが、存外兄想いな一面のあるシリアが、まずキールのことを心配するのはリムルと同じ。しかし、その際見せる牙をむいた表情はリムルには出せない迫力が垣間見える。本当に勘弁してください。キールが戸惑うところなんてあまり見れるものじゃないけれど嬉しくないから。 勘弁してくれと心の中で祈っているうちに、シリアのめくれ上がった唇が降ろされることで歯茎が隠れ、マズルに寄ったしわがなくなる。どうやら、殺気は収まったようだ。 「ふぅん、運が良かったのさ……私だったらダンジョンで見つけた瞬間、骨も残さず噛み殺していたのさ……」 切実に勘弁してください。とはいえ、口調がキールと同じに戻ったようだから。今を以って、ようやく安心しても良いということだろう。キールも俺の感情に連動して腕を下ろした。 「と、兎に角ね……エーフィとキルリアがセットで歩いていても、襲い掛かったり突っかかったりしたらダメなのさ」 「そう……ね。他でもない貴方が言うなら信じるのさ。キール」 あぁ、良かった。今日もシリアに噛み殺されずに済んで……後はもう違和感が残らないように無言で立ち去れば良いだけだ。願わくばシリアから何も話しかけられない事を祈ろう。 「ねぇ、アサちゃん?」 ピタッ。クルリッ。サワサワ。俺はピタッと静止して、クルリとシリアへ振り返りながら恐怖を感じる。キールはその恐怖を感じて胸の角をサワサワと撫でるばかりだ。 「は、はい!! なんでしょう?」 無理だった。&ruby(シリア){女王様};の目から逃れる事は不可能らしい。彼女の気性の荒さを舐めていたわけではないが、最近気性の荒さが悪化している気がする。ストレスがたまっているのだろうか、それとも生理が近いのだろうか。 「二度とキールが大声で私の睡眠を妨げる事がないように、キールの教育よろしくね」 「へ?」 それって俺の役目なの? 「よ ろ し く ね。アサ?」 妖しくではなく、恐ろしく微笑んで見せたシリアの顔は当然恐い。きっと俺が格闘タイプだとしても怖かった事だろう。あの笑みはシリア一人で数百に対する人民へ恐怖政治を敷く事が出来るレベルの怖気を含んで周囲を威圧するだけの力がある。それを一人に向けられるのだ、まともな気分でいられる奴はまともじゃない。 畏怖すべきその姿はまさしく女王に相応しく、シリアは俺より遥か下に見下ろすくらいの身長しかないと言うのに、この睨まれた瞬間に土下座したくなるような感覚は本当にどうにかして欲しい。シリアの前ではエンテイだって跪くんじゃないだろうか? 「あ、はい……喜んでやらせていただきます」 「うふ、頼んだのさ」 本当に、何とかならないのかな……義理とは言え兄なんだから何とかしてよキール。後ろで恐怖の感情に苦い顔をしながらも、クスクス笑っていないでさぁ。 ともあれ、これで二人には釘を刺せたのだ。残るはフリックだけだが……一体どこに居るのだろう? 目覚めのパワーが強い者同士引き合っていなければいいのだけれど……ギルドの方でも探してみるかな。「あの……アサ」 俺達が水上市場を横切る途中、水面を歩く俺の腕の上でお姫様だっこをされているキールは唐突に口を開いた。 「なんだキール?」 「シリアの件……なんか、ごめん」 うん、俺がキールを教育するよりも先に、キールがシリアの教育をしてほしい。目覚めるパワーは岩タイプなんだから蟲のシリアには強いわけだし、シリアは本当に勘弁してほしいから。 &size(18){ ◇}; 「いらっしゃい! 捕れたての魚だよー!」 威勢の良い声と雑踏とに溢れる活気ある市場を二匹は歩いていた。 新鮮な魚や果物などの食材から、絹織物、木彫りなどの工芸品まで、居並ぶ屋台は様々だ。いつも買い物に行くランナベールの港市場を思い出す。 違うのは、川魚が多いということと―― 「あれ? 橄欖、見て見て!」 シオンが視線で示した先。 「カラフル……ですね……」 そう答えたが、それは景色として見れば、の話だ。食べ物とするなら極彩色、と言ってもいい。 「最初キールさんたちに貰ったグミだよね、あれ」 橄欖たちが貰った金色のものもある。白、灰色、茶色といった食べられそうなものもあるが、原色に近い赤、青、緑、水色、果てはどう見ても口に入れると危なそうな銀色などは流石に食欲を削がれる。考えてみれば金色などというのも、少し口にするのを躊躇うような色だ。 それであの値段。この国の物価はアサと一緒に昼食の買い物をした際におおよそ把握したが、極彩色グミはびっくりする程の高値だ。それなのにあの行列……サクラ? 一緒そんなことを考えてしまったけれど、そういえばアサが言ってたっけ。体で味わう食べ物、と。実際ただのグミではなかったし、値段はあれで適正なのかもしれない。 「へいお嬢ちゃん達」 と、横の屋台から声をかけられた。大きな蒸し器があり、肉汁の良い匂いを乗せた湯気が&ruby(もうもう){濛々};と立ち込めている。声をかけてきた五十代くらいのブーバーンの&ruby(だんせい){牡性};が店主らしい。 「トウモロコシ粉で作った肉饅頭買ってかねえか? ウマいぞ!」 小麦でなくトウモロコシ粉とは珍しいものだと思ったが、そういえばここまで米や小麦は見かけなかった。この国ではそういった穀物があまり取れないのかもしれない。 「橄欖、どうする?」 「良いのでは……ないでしょうか……?」 ヒューイの描いた肖像を片手に尋ねて回るのはいいが、さすがに何も買わないのはちょっと市場の人たちに悪い。大抵のポケモンは快く協力してくれたが、中には面倒だとか商売の邪魔だとか、良くない感情を持つ者もいた。 「じゃあ二つください」 「毎度ありぃ! 肉は三種類から選んでくれ」 ブーバーンの店主は木の立て板に貼られたメニューを指差した。 ケンタロス … 四十五ポケ イノムー … 三十ポケ ラッタ … 三十ポケ 「あはは……やっぱり」 昼食の際アサに聞いたのだが、ヤセイが心のない抜け殻だといって何でもかんでも食べるというわけではないらしい。その一つに同族禁忌というのがあって、絶対に自分の種の進化系列のヤセイは食べないのだという。店の方でもそれなりの配慮がなされている、というわけだ。 「ん? どうかしたのかい?」 「いえ、何でも。僕は……えっと……」 昨日の夜はラッタを、今日の昼はジュカインの種などを食べておきながら、シオンはまだ抵抗があるらしい。牡の仔なのに情けない。 「イノムー……二つとも……」 じれったいので橄欖が選んであげることにした。 華州((橄欖の故郷、陽州の隣国。))料理の豚まんみたいなものだ。豚を先祖に持つイノムーが合うに違いない。 「へ、へい」 静かに言ったはずなのだが、ブーバーンはなぜか気圧されたように引き下がり、シオンはシオンで橄欖の顔を見て硬直している。 こちらはおおかた、よく平気でさらっと言えるね、などと思っているのだろうけれど。 店主は手際よく紙の袋に二つイノムーまんを入れて手渡してくれた。 「毎度ありぃ! あんた別嬪さんだから負けといてやるよ! 二つで五十ポケでいいぜ!」 店主の視線は主にシオンを見ながらそんなことを言った。 「え、いいの? 悪いなぁ……あはは」 「おいおい嬢ちゃん、別嬪さんは素直が一番だぜ?」 シオンが困った風な表情を見せるのを照れ隠しと受け取った店主が腰に手を当てて豪快に笑う。 「あの……これ……お金……」 「ん、ああ。50ポケちょうど、毎度あり!」 わたしをそっちのけでシオンさまばかりじろじろ見て。流石に少し頭にくる。 「それと……この絵のサーナイトなのですが……ご存知……ありませんか……?」 「あ? これサーナイトなのか? いんや、こんな変わったのは見た事ねえなぁ……」 やっぱり誰に聞いても返ってくる言葉は同じだ。 「そう……ですか。ありがとうございます……」 「おうよ」 「僕からも、ありがとうございます」 シオンが続いて殺人的な笑顔を向けると、ブーバーンはまた極端に態度を変えた。僕、と言ったところに少し怪訝な表情をしたが、すぐにどうでも良くなったらしい。 「いやー済まねえ。別嬪さんの頼みは解決してやりてえんだけどよ」 まだ言うか。 つまりわたしの頼みならどうでもいいわけだ。 「つかぬことをお尋ねしますが……そちらの趣味が……お有りなので……?」 「あん?」 「いえ……わたしの&ruby(ヽヽヽヽヽ){ご主人さま};に対する御振る舞い……と申しますか……その……」 「や、そんなコトはいいから橄欖。行こっ! ね? おじさん、ありがとうございました!」 シオンが慌ててすたすたと歩き始めたので橄欖も続いて店を離れた。 ――店主から勘違いに気づいて驚く感情が伝わってくる伝わってくる。 「もう……あんなコトいちいち言ってたらキリないよ?」 「……そこの石段にでも腰掛けて……食べましょうか……」 「えっ、ちょっ、無視?」 浮かれていた。シオンさまと二匹並んで歩いていると本物のカップルみたいに見えるかも、なんて思いながら内々に心踊らせていた自分が莫迦らしくなってくる。 結局、見劣りして惨めなだけじゃない。 「早く開けてよー」 「はいはい……待ってください……」 屋台に挟まれた道はかなり広いので、階段もそれだけ横に広いのだ。階段の両隅には何組か、橄欖達と同じように石段に腰掛けて、露店で買った食べ物を片手に、他愛のない会話に花を咲かせているポケモンもいた。 「はい……イノムーまんです、シオンさま」 「う、なんでいちいち言うかなー」 「すぐに帰れるとも……限らないのですから……慣れないと……」 両手で持って二つに割ると、中には具が零れそうなくらいぎっしりと詰まっていた。味のよく染みた色とジューシーな肉汁の香りが広がると、シオンも目を輝かせた。 「結局……食べたいんじゃないですか……」 「あ、当たり前でしょ。だから買ったんじゃない」 橄欖は肉まん(以後、普通に肉まんと呼ぶことにする)を一口サイズにまでちぎって、口でふーふーと吹いて冷まし、シオンに差し出した。 「えっ、ちょっ」 「口……開けて……」 戸惑いながらもちゃんと食べてくれるシオンさまは優しいのか、単に素直なだけなのか。 「うん、美味しい」 橄欖も一口食べてみる。皮のほんのりとした甘みと具の醤油辛さ、肉の旨味が順々にふわりと口の中に広がって――美味、というよりは何だか安心する。あの家に住み込みで働き始めてからは、滅法遠ざかっていたような味だ。 「ですね……」 「――っていうか、べつに食べさせてくれなくても……!」 「貴方……猫舌……でしょう……?」 次を口元に差し出しながら。 「……それにこういったものは……お&ruby(ひとり){一匹};では食べ辛いかと……」 「ま、間違いじゃないけど……まわりの視線とかさ。気にしようよ」 ――でもちょっと嬉しいかな……。 シオンさま、心の声がつつ抜け。 「そう……言いながら……食べているではありませんか……」 周りの視線といっても、所詮数組の内の一組にすぎないのだ。手を使えるポケモンが使えないポケモンにこうして食べさせてあげるのも珍しくはない……はずだ。紙袋にキリトリ線がついているとか、広げてその上に置いて食べられるように配慮されているとかその辺りを置いておけば。 空は変わらず青く晴れ渡っている。異世界の住人である橄欖達にもひとしく降り注ぐ陽光の眩しさ。通行人に紛れこむ二匹。誰も気づかない。世界は橄欖達をただポケモンとして認識している。まるで同化を強要するかのように。橄欖やシオンの身体がこの世界の食べ物を異物と認識せず栄養として取り込めること、この肉まんを"美味しい"と感じること――自分の身体をこの世界の物質によって構成することを好んで受け入れさせる、見えざる作用なのではないか。体を構成する成分のうち、水などはもしかするともうほとんど入れ替わってしまったかもしれない。もっと言えば、呼吸で取り入れる空気は? 時が経つほどに確実に進む同化。いったい今のわたし達の一体どこが異世界の住人だというのだろう。 「難しい顔」 気づくと肉まんが一つなくなっていて、シオンが橄欖の顔を見つめていた。 「……簡単な顔」 「や、何だよそれ。失礼な。僕はこれでもきみのご主人さまなんだからね!」 「ではどうぞ……ご主人さま」 袋からもう一つの肉まんを取り出して、同じようにふたつに割った。 「……どうせ分けるなら……違う種類にしておけば……良かったですね……」 「いいんじゃない? あんまり帰るまでにいろんなポケモンの味覚えたくないっていうかさ。あはははっ」 「ふふ……&ruby(ヽヽヽ){らしい};ですね……」 ――あ、橄欖が笑った。 余計なお世話です。 貴方のように楽天的に笑えるなら苦労はしません。 それともシオンさま、貴方はもう同化してしまっているのですか。 会話が途切れてしまって、あとは黙々と肉まんを分けて食べる作業が続いた。こんな昼下がりのひとときを貴方と過ごすことができるのもこの世界に来たからだ。いっそこのまま二匹――。 同化しかけているのはわたしなのかもしれない。わたし自身のことだけ見れば、あの世界にさほど未練はないのだ。姉さんやフィオーナさま、屋敷の使用人達。全くないといえば嘘になるけど、シオンさまが一緒なら。 はじめは遠巻きに見ていることしかできなかった。少し手を伸ばしてみようと思った。そして今、彼は自分からわたしの手の届くところまで降りてきてくれているんじゃないだろうか。 「ねー橄欖」 「何ですか……?」 「こーしてるとさ」 え? あなたの表情、仕草、そして感情から……あなたの言いたいことくらい、わたしにはお見通し。 でもこの時はさすがに自分の感覚を疑わざるを得なかった。 「本当のカップルみたいだよね」 シオンさまは笑っている。 橄欖の方ではなく、前を向いて。まるで照れるみたいに。 「ねえ」 と思ったら、今度はいきなり振り向いて顔を近づけてきた。 「そ、そそそそんなに顔を近づけては……!」 「僕、橄欖のコト」 聞きたかった。その先を。 シオンさまの心に付け入る隙がある今なら、ここで一気にお近づきになることもできたかもしれない。 「シオンさま。今の……」 「えっ」 ちょうど肉まんがなくなったところでもあったので、橄欖は立ち上がってシオンを急かした。 「行きましょう……良からぬ気配……敵意を……感じます……」 「ちょ、ちょっと待ってよ! 僕……ねえ!」 橄欖とシオンはやむなく階段を駆け上がり、その気配から逃げた。敵意だけじゃない。激しい憎悪と怨恨のこもった、非常にたちの悪い類のもの。変だ。この世界に来たばかりなのにそんな感情を向けられるいわれなんてない筈なのに。 「……もし、そこのエーフィのお兄さん。ちょっとお話……いいかな?」 すれ違った刹那のあの感情の強さ……相手がそのまま見逃してくれるわけもなかった。 表面を取り繕ってはいるが、そんなことで感情は隠せない。 「はい、何でしょうか?」 振り返るシオンさまは少し嬉しげだった。そのミミロップが口にしたシオンさまの呼称がお嬢さんでも牝の仔でもなく、"お兄さん"だったからだろう。 しかし、相手と顔を合わせるとその表情は一変する。 「俺様の名前は……フライ。この街に住んでいる住民なんだが……一つ聞かせてほしい。アルセウスの力を宿す王族階級と、エムリットの力を奪った罪を背負って生きる奴隷階級……あり得ないくらい、変わった組み合わせだ」 フライ、と名乗ったミミロップは、言葉を紡ぐほどに自ら心の皮を剥いでいった。剥き出しの感情を隠そうともせずに、拳を握り締めてシオンを睨みつけている。 何やらこの世界にも宗教があるらしく、信仰対象であろうポケモンの名を口にしていたが、そんなことよりも。 「王族階級のお兄さん……俺様達の街に……何しに来た?」 王族階級と、奴隷階級。それは主人とメイドの関係を言っているのか? いくら価値観の違いがあるにしても、それははっきり言ってやりたい。わたしは奴隷ではないと。 「貴方こそ……何のおつもりですか……」 シオンを下がらせてフライとの間に入り込み。負けじと睨み返す。こういう相手には下がっちゃダメだ。 「敵意が……剥き出し……ですよ……感情を受信しなくとも……」 少なくともシオンさまよりは迫力はある。かもしれない。姉さんには散々不幸オーラだの何だのと莫迦にされるが、それが役に立つことだってある。 「この街の誰もかれもほとんどが、この国の出身だ……エーフィの事は見た事のないポケモンくらいにしか思っていないだろうよ。だが、俺様はあんたの……アルセウス神王国の出身だ。イーブイの陰で、平民以下の存在が……とりわけラルトスがどれほど苦しい目に会っているか知らないとは言わせねぇ」 だが、相手はまるで恐れる様子はない。それどころか一歩前に踏み出してきてシオンを上から睨みつけようとするので、橄欖はシオンを下がらせた。 わたしにはご主人さまを守る義務がある。年上の威厳も見せてあげなくては。 幸いこのミミロップ、橄欖には害意はないみたいだ。だとすれば、橄欖が庇っていればシオンに手は出せないのではないか? そう感じた橄欖は両手を広げて、これ見よがしにシオンに手を出すな、とアピールした。 「答えようにもよるが、ひとまず危害を加える気はない。……っただ、この街に来た理由を聞かせてほしいんだ。こっちのキルリアのお嬢様とは、どんな関係だ、答えてくれ。でないと、身動きできなくしてやる必要がある」 視覚に訴えるだけではだめ? 危害を加えないと言っておきながら答えようによっては身動きできなくする、と? このままでは橄欖を押し退けてでもシオンに襲い掛かりそうな勢いである。当然そうなればシオンも応戦するだろう。シオンとて隊長クラスの実力者なのだから並の軍&ruby(ポケ){人};レベルなら寄せ付けないだろうし、いざとなれば橄欖が助ける。が、ここは恩人であるキールとアサの街だ。爪傷沙汰を起こしたくはない。 「ま、まあ落ち着こうよ、ね? 僕たち、ちょっと特殊な事情抱えててさ。えっと……」 場をなだめようと動いたのは当の本人だった。橄欖の後ろから覗き込むようにフライに微笑みかけた。 が、フライは憎々しげに睨み返すばかり。これにはさすがに腹が立った。 「わたしは……この方にお仕えする侍女です……なにかご不満でも……お有りですか……?」 これ以上シオンさまに対して無礼極まりない行為を続けるようなら、こちらにも考えがある。 「ちょっと橄欖もブレイクブレイク。もう……初対面で険悪なムードって良くないよ?」 ……そう。あなたがそう仰るなら。つくづく人畜無害を絵に描いたような方だこと。 「えっと……どこから説明したらいいのかな。わかりやすくいうと僕たち、ダンジョンで倒れていたところを救助隊のひと達に助けられて、この街に連れて来られたの」 「見たところ大した荷物も持っていないようだが……よくまぁそんな助ける価値のない身なりで助けてもらえたものだな。いや、まて……」 ミミロップは何かに思い当たったように口を閉ざした。そして急激に、潮が引くように敵意が薄らいでいった。 「チィッ……大体把握したよ。お前が何者か分からなくっても……いい。お前たちを助けたのってサーナイトとフーディンの愉快な二人組だろう? 匂いが付いている……」 つまりはこのミミロップ、キール達の知り合いだということか。 「ビンゴ。鼻いいんだね、きみ」 と、シオンはウインクする。 シオンさまはウインクだけは得意で、フィオーナに負けないくらい優雅にしてみせる。それは良いのだが、その破壊力を自覚して使ってほしいものだ。でないとまた厄介事を&ruby(しょ){背負};い込むことになるんだから。 「俺様が悪かった……」 ミミロップは膝をついて、土下座せんばかりに頭を下げた。実際、長い耳などは地面についている。これにはシオンも橄欖も辟易せざるを得ない。 「生まれも種族も、キール様の角の前じゃ関係ないって奴だ……キール様が咎めないんだ。貴方が、悪い奴のはずがない。もちろん、そちらのお嬢様も。改めて……俺様の名前はフリックだ。偽名を使って無礼を働いた……本当に申し訳ない」 フリックは先程とは一変して謝罪の言葉をを並べ立てると、再度頭を下げた。 「や、そんな……顔を上げてよ」 これだけ変わるのも驚きだが、いわゆる直情径行というやつなのか。 シオンはフリックが顔を上げるまで笑顔を崩さずに待った。 「僕はシオン。で、こっちが」 「橄欖です……わたしの方こそ……申し訳ありませんでした……」 誠心誠意謝っている相手に駄目押しをするのも酷だ。こちらとてともすれば彼を相手に一悶着起こすつもりでいたことを詫びた。 「……頭を下げてもらわなくってもよかったのに。いや、もう言いっこ無しか。事情については……もうすぐに聞き出す必要も無くなったから、話すまで聞かないことする」 フリックは一息ついてからシオンを見た。 「ところで、無礼を働いたお詫び……と言っては変かもしれないがな。俺様、副業で頼まれ療法士をやっていてな……さっき鼻がいいってシオン様が言っていたが、病気を目や耳だけでなく鼻でも判断していたおかげなんだ」 「療法士……ねえ。怪我の治療とかもしてくれるの?」 「あぁ……本当は有料なんだけれど、今回は俺様の無礼を詫びなきゃいけないって奴だ。えっと……橄欖様。その胸の傷、まだ痛まないかい?」 「もう……大丈夫ですが……」 意識しなければ感じないほどの痛みしか残っていない。キール達の言っていた、ダンジョンの中にいると傷の治りが早い、というのは本当らしい。 「遠慮しちゃいけないって奴だ。それとも……橄欖様は&ruby(ペリドット){橄欖};の名にふさわしく、夫がいて、夫以外には体を触らせたくないってか?」 ちらとシオンさまの顔を伺う。 「……いいえ」 「ぼ、僕の顔に何かついてるの?」 「そういう……わけでは……」 さっきの事もあったので少し気まずくなって、互いに顔を反らした。 「お、お願いしてもいいんじゃないかな! ほら、僕もついていくしさ!」 「そ、そうです……よね……!」 そんなこんなで橄欖達はフリックの家へ招かれることとなったのだった。 &size(18){ ◇}; 「さて、今回は傷も浅いようだし、ノーマルコースとしゃれ込もうかね」 「ノーマル……?」 「ミミロップの治療かぁ。僕も体験してみたかったなー」 薬草棚から漂ってくる独特の匂いを除けば、フリックの家はごく一般的な&ruby(ひとり){一匹};暮らしのポケモンの部屋だった。 橄欖とシオンに座るためのクッションを提供してくれたフリックは、その薬草棚を前に傷の治療薬を探している。 「そうか? シオン様。まず、ミミロップには唾液に含まれる鎮痛成分を通常のポケモンの何十倍にも高めて水と共に噴き出す癒しのシャワーという技があるんだが……俺様はそれを応用した治療をするんだ。ノーマルの時は、消毒作用のある葉っぱと一緒に傷口へ塗りつけるだけだがな……スペシャルはとりあえずお勧めしないって奴だ。なんせ、スペシャルだと原液のまま直接傷口を舐めるからな。よく利くぞ」 「ふーん……」 「内側から……体を弄繰り回される……姉さんの治療よりは……」 どんな荒療治なのかと心配しただけに、案外普通なもので安心した。なるほど、確かにノーマルというわけだ。 「探検隊の持っているやつよりか、俺様の持っている薬は性能がいいし……何より、俺様は癒しの術を会得しているからな……無料でやってもらえるのは本当に幸運な事って奴だぜ」 フリックは早速橄欖の傷に丁寧に薬を塗ってくれた。にしても、このフリックという&ruby(おとこ){牡};。今まで気にする余裕が無かったが、改めて顔を近づけられると、何か魅力的な……? 莫迦な。わたしにはシオンさまがいるというのに。たしかに美形ではあるけど、とびきりというわけでもない。ちょっと探せばいそうなレベルだ。一目惚れなんてあり得ない。勘違いも甚だしい。 でも、そうだとしたらこれは……何? 薬の匂いだと思っていたけど、違う。妙に甘ったるくて変になってしまいそうな匂い。他に香りを発するものもない、となると、どうやらそれはフリックの体臭のようだ。 ――何というか、濃い。シオンさまの体臭がごく薄くて、心が落ち着くような、そんな匂いなのに対して、この匂いは本能が求めても理性が拒否する危険な香りだ。頭がくらくらする。一種麻薬的な中毒性もある。息を止めたい。もう少し吸っていたい。だめ、止めなきゃ……! 「ま、たまにはこういうサービスも良いだろう。出力は、出来るだけ抑えているが……癒しの願いだ」 塗布が終わって少し離れたことで助かった。恐るべしミミロップのメロメロボディ。もし戦うことになれば近づけたものではない。まあ、姉さんと違ってもともと接近戦に持ち込まれると弱いタイプだから影響はないかもしれないけれど。 と、フリックは道具箱から小さな刃物を取り出した。その刃で自分の親指に傷をつけ、血を滲み出させる。それを薬の上からさらに塗りつけた。普通異種族間で血が混ざると固まったりする可能性があって危険なのではないかとも思ったが、癒しの願い、と言ったフリックを信じることにする。 すぐにその効果は現れた。これがこの世界での"癒しの願い"なのだ。完治とまではいかないが、明らかに傷が塞がっているのを感じる。 「ありがとうございます……」 「どんな感じなの?」 「……これなら……た、いえ……姉さんを探すのに支障が出ることも……なさそうです……」 戦い、と言いかけて修正した。もともと戦闘で負った傷だったし、ついさっきフリックと一戦交えるつもりでいたものだからついつい意識の前面に出てきてしまったのだ。 わたしは使用人。シオンさまの侍女。今はそれが本職なのだから……。 「うん、そう言ってもらえるならうれしいって奴だ……ところで」 立ち上がったフリックは別の棚から何かを取り出してきた。 「二人とも……こっちに来た理由を教えてくれないかな? 今度は、言いたくない事は言わないでいい……ちょっとした世間話のつもりでな」 またしてもグミだった。市場での人気といい、いわゆる国民食というやつだろうか。今回は金色と白色。極彩色でなくて良かった。続けて、水がめから注いだ水を二匹に出してくれた。 「そうだね……」 シオンさまが一度こちらを見遣った。その表情と感情から察するに、シオンさまはやはり見知らぬ国で&ruby(ふたり){二匹};きりというのは寂しいらしい。 「どっちかっていうと誰かに聞いてほしい……っていうのが本音、かな」 「ふむぅ……俺様でよければいくらでも聞くって奴だぜ、シオン様。病は気からって言うから、吐き出してすっきりしちまえよ」 フリックはシオンを安心させるために微笑んでみせた。シオンがそれに応えて微笑む光景は、何とも心温まる。 「うん……」 二匹の&ruby(おとこ){牡};の仔がこんな風に語り合っているのを見ると……いや、何でもない。わたしは姉さんとは違うのだから。 シオンは順を追って事の顛末を説明した。橄欖の進化のこと、旅の目的、元いた世界、そして孔雀のこと。 姉さん、か。今ごろどこでどうしているのだろう。一匹はぐれたからといって死ぬようなポケモンではないけど、それが見知らぬ土地となるとさすがに少しは心配になるというものだ。 孔雀をよく知る橄欖だからその程度の心配で済んでいるが、シオンはそうはいかない。その顔に憂いを浮かべることになるわけだ。 「あ、孔雀さんってのはこの絵のサーナイトなんだけど」 「ふむ……すまないが、見たことはないな。俺様も、仕事で出かける事があったら探しておくよ……それと、橄欖様に朗報……っていうべきかは分からないがな。この世界では、大抵の場所じゃ勝手に進化が起こる事もなく……進化の領域って言う小さな場所にのみ進化現象が起こるんだ。それをいいことにキール様も、ずいぶんと進化に迷っていたってやつでな。なるほど、女性でもサーナイトに進化したくないなんて事があるんだな」 「メリットばかりでは……ありませんから……」 サーナイトに進化すれば大きな力を得られる代わりに感情受信能力は低下する。感情ポケモンから抱擁ポケモンへの道を歩むことでより深く相手の気持ちを考えることができるようになるとも言うが、もしわたしがサーナイトに進化してしまったら。あらゆる点で姉さんに勝るものがなくなってしまう。 「でも、そうだったんだ。橄欖、こっちに来てから一度もなかったもんね?」 あなたを得るための競争に勝てなくなる。 姉さんとてそれを承知で協力してくれている。余程の自信があるのだろうか。いや、姉さんはあれで昔から妹想いだ。厚意は素直に受け取っておこう。 「それとな……もう一つ。こっちははっきりと朗報ってやつだ。橄欖様が探している『変わらずの石』とやらだが……心当たりがある。というより、ちょっとした知り合いへのプレゼントでね、俺様達も欲しがっている。それはスイクンタウンから、東。森林地帯を抜けた先に……世界の大穴って呼ばれるダンジョンがあってな、そこに出土するという情報だ、しかも、その奥地には、ギラティナがいる。俺様達は途中までの道程の利害は一致……おまけに、ちょっと足を伸ばせば元の世界に帰る方法も見つかるかもしれない。孔雀様とやらが無事見つかったら……行ってみる価値はあるんじゃないかな?」 「変わらずの石……が……?」 ここへきてまさかの&ruby(たなぼた){棚牡丹};、である。変な世界に飛ばされてそれどころではなくなっていたのだが、得られるなら得るに越したことはない。 「元の世界に戻る方法を見つけなくちゃいけないから&rby(て){前足};放しには喜べないけど、メテオラの滝は外れだったわけだしね」 そう、このまま手ぶらで帰っても、また変わらずの石を探し求めて旅を続けなければならないのだ。メテオラの滝の洞窟の石こそが伝説の変わらずの石であるとも考えられる。危なくて近寄れないし、砕いて持ち帰るなど不可能だろう。となればポケモンが身につけられる"変わらずの石"などそもそも存在しないことになってしまう。 「なんにせよ、天が俺様達を祝福するように運が向いているようだ。俺様も出来る限り協力するから、何かあったら言ってくれ。まずは、孔雀様を探せばいいのかな?」 「協力して……くれるんだね。ありがと」 「シオン様にとってはなんのこっちゃって話かもしれんが……イーブイやその進化形は大っっ嫌いだったからな。でも今はこうして確かな目で、イーブイを見れるようになった。シオン様のおかげだ。差別はいけない……っていうのを、言葉ではなく心で理解できた御礼って奴だよ」 フリックはそう言って笑うと、水を一気に飲み干して立ち上がった。 「じゃ、そうと分かれば……俺様は本業の運び屋ついでに孔雀様を探すとするよ。仕事を受注したり仲間にも連絡を取ったりしなきゃならないから……家を空けることになる。その前にシオン様達は聞き込みを再開してくれ」 ふとしたことで変わらずの石の情報と協力者を得て、これがわたしたちのポケモンの種族のお陰だと思うと……天の巡り合わせというのも信じてみる価値があるものだ。 ---- To be continued... ---- 感想、コメントなどは大歓迎です。 #pcomment(コメント/TGS&SOSIA 愛と、石と。①)