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漆黒の双頭“TGS”第6話:療法士と傀儡師・後編 の変更点


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作者……[[リング]]
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**第3節 [#b70933c1]


「リムル様……それ……」
 リムルが連れていたのは、紛れも無く俺様を暗い場所に閉じ込めた張本人――エリー=キュウコンであった。だがそれは、ドブ川でも見るような目で自分を睨んでいた記憶の中にあるエリーではなく、生気を失った目で何も見ていない抜け殻のようだ。
 目は開いているだけで、その視線はリムルの鬣だけを追っている。そして、俺様を精神的に追い詰める時に良く回った口から言葉を紡がれることも一切ない。

「あぁ、これ? 御察しの通りエリーって言うキュウコンよ。中々美人だけれど……フリックを拾ってから捨てるまでのことを楽しそうに話していた……外道ね。私も、昔やっていたことがあるから強くはいえないんだけれどさ……それでも、自分が殺した奴を楽しそうに話すとか……そう言う事は無かったわ。
 悪いことをしているつもりはなかったけれど、いいことをしているつもりはなかったからね」
 そこまで言ってから、俺様が何も返さないのを見て、リムルは勝手に話を続ける。

「ところで、ニュクスさんはどうしたの? 見かけないけれど帰ったわけじゃないわよね?」
「上で寝てる」
 時間帯は昼下がり。海岸の崖の上という、めったなところじゃ他人の来ないその場所の木陰でニュクスは暢気に眠りについている。
 ニュクスの医者の仕事は微妙に繁盛していることや、ここまでの瞬間移動などで色々と疲れているのだろう。対してきちんと起きていた俺様の目はきちんと開いているが肉親の死体でも見せつけられているようにエリーから目をそむけている。
「……あんた、本当にこのキュウコンが苦手なのね」
 眼をそむけていた俺様はびくりと体を震わせる。このキュウコンの前でフライだった頃の習性がすべて再現されてしまったかのようだ。
「いいわ、ちょっとニュクスさんを起こしてきてくれる? 少し、作業をしたいの……」
 あ、あぁ……いつもは根元がピンと立っていて可愛らしい耳が、今では根元の方から深く頭を垂れている。思えば、フリックが今までまともな精神をしていられたのは、恐らく鋼タイプの''目覚め''の力:剛体によるものだ。
 最初は、脚力や肺活量がカイロさんよりも劣っていたというのに、それを越える持久力を得られたのは剛体のようにへこたれない根性を得ていたからにほかならない。
 現在、その目覚めの力を総動員しても耐えきれない精神的負荷がかかっていて、俺様はすっかり参っていた。

「おはようございます……なのでしょうかね? それともこんにちは?」
 寝ボケまなこで如何にも今起きましたという感じのニュクスは、目をこすりながら欠伸をしていた。久しぶりに長い睡眠時間とれるから……と、惰眠を貪りたかったのがよく分かる。
 本当に、俺様の心の病を治しに来たのかと思うくらい、呑気だ。
「ニュクスさん……お互いちょっと苦手な作業ですが……ちょっと」
 リムルはニュクスへと耳打ちし、自分の計画を話した。
「と、言う訳なんですが……他人の命を救う職業の医者にこんなこと頼んでも良いものか……」
 かいつまんで話せば、最悪エリーが死ぬこともあり得る計画だ。確かに、エリーは外道と言えばそうかもしれないが、医者に下手すれば死につながる治療法をすることまで手伝ってもらう訳にはいかない。
「あぁ、構いませんよ」
 しかし、答えは意外な物だった。こともなげな表情でニュクスはあっさり承諾して、リムルを驚かせた。
「え、いいの? 殺しちゃうかもしれないのよ」
 素っ頓狂な顔をして、リムルは尋ねそれでもニュクスは表情を変えなかった。
「いえ、『殺す』……という言葉に何の意味なんてないじゃないですか? だってほら、貴方が草一本食べたら草の命がとりあえず終わりますし。それに、草についている虫だって殺してしまいますし……
 何よりも……その、ちょっとばかしフリックさんの話を聞いている時に喰わないので……すみません、いざという事になれば止めるかもしれませんが……とりあえず、フリックさんの薬になるというのならば。それも甘んじて受け入れようかと……
 医者は……患者を救う代わりに病気を殺す職業です。病気だって生きているのですよ?」
 ニュクスはさらりと言った。医者は趣味なのか――いや違う。悪は死ぬべきと考えているのか――いや違う。リムルは、病気を殺すといった彼女の病気という真意を測りかね、キュウコンを見る。

 フリックの病気を殺すには、キュウコンという病気を殺す必要がある。悪ではなく、病気を殺すと。誰かを苦しめる者があるのならば、それは正義でも病気。とでも言いたいのであろうか。
 医者らしいと言えばらしい表現かもしれないが、あの暖かそうなニュクスが冷え冷えとした恐ろしさを持っているものだ。
 ともすれば、キュウコンは自分がフリックの病原ではなくなることを祈るしかない。フリックに許してもらう事だけが、その唯一の手段であろう。


 そのフリックは、干潮の砂浜に埋められたエリーが目覚めるまで凝視したまま硬直していた。

「なに、ここは!? どうして私はこんなところに居るの……な、なんでフラ、フライ……フライがここに居るのよ?」
 エリーは、兎に角状況をのみこもうと必死だった。当然だ、身動きも出来ないなか3人のポケモンが見守っている。しかもそのうちの一人、クレセリアは見たことも聞いたこともないようなポケモンで、もう一人のミミロップは自分が地獄へ誘い込んだ子供なのだから。
「俺様の……」
 一言を呟いただけで、エリーは顔面を恐怖で硬直させた。
「だ、ダメだ……俺様は……もう、あんなことは言われたくない……わかってるのに……必要とされているのに……嫌だ。こいつにはもう何も言われたくない」
 俺様は耳を使って自分の体を丸めた。何も見たくないし何も聞きたくないと全てを拒絶するような体勢だ。言っていることが支離滅裂で、傍で見ているだけではその意味を把握することは難しい。
「見たかしら、エリー? この子、フリック……いや、フライはね、あんたが怖いの。
 それに『お前はヤる以外に生きてる価値はない』って言われ続けて……強迫観念から性交をするようになってしまったのよ……こんなに取り乱すのもアンタのせいだよ」
 恐怖にひきつった顔で、エリーはリムルを見ていた。

「今は、私に貴方を助ける気はないし、あっちの丸っこい浮かんでる女性も同じくあんまり助ける気無いみたいよ? あのフライってミミロップ以外に、あんたを助けてくれる奴はいないの」
 可哀想ね、とリムルは白々しく肩をすくめる。
「あんたがフライにかけてきた酷い言葉の数々を……あそこで怯えているフリックに聞こえるように、全てを否定しないと……。
 でないと……フリックは助けてくれない。助けてもらえないと海に殺される……わかる?」
 強力な催眠術で突如連れてこられたエリーは、冷たいリムルの物言いで以って、ようやく状況を理解できるほどには冷静になれた。それもつかの間。死の危険が迫っていると、嫌でも実感でも出来たエリーは俺様にかける言葉を考えた。

「助けろフライ」
 だが、最初に出てきたのはあくまで自分が上の立場であることを前提とした傲慢な言葉。
「は、は……はい」
 だというのに、俺様は条件反射で従わずには居られず、おずおずと立ち上がる。

「&ruby(Un hechizo del amor){愛の魅力};。このキュウコンに逆らえ」
 その条件反射が実行されるよりも、リムルの暗示のほうが強かった。首下まで埋められたエリーの首周りの砂を手で掻こうとしたその瞬間、俺様の手はピタリと止まる。
「フリック……今はもう、あいつに従う必要は無いの。だって、今は貴方が従わせるべき立場だから」
「従わせる……」
 生気を失ったような目で繰り返す。
「そう、貴方の体はあいつに従ったせいでどんな風になったかしら? 自分の体を見てみなさい?」
「俺様は……」
 リムルの言葉を噛み締めて、フリックは自分の下半身を見る。
「年齢には不釣合いなほどに痛んだ肛門と黒ずんだ外性器。アルセウス教では不治の病とされていたモモン毒とか言う病気になったのも、思えばあのキュウコンのせいよね?」
「病気にされた。体を汚された。友達を殺された。ずっと閉じ込められた……俺様は……」
 俺様が一言発するたびにエリーは血の気が引く。
「そう、恐怖で縛り付けられていたの……そしてその恐怖は今でも続いている……それは誰のせい?」
 エリーは言葉を掛け続けることで人の心が動く事はを知っている。だからこそ『お前らにはヤる以外に生きている価値なんてない』と、繰り返し言い続けたのだから。その分余計にリムルが俺様を誘導していくのが恐ろしかったことだろう。

「その恐怖が続くのはね……こいつに服従しなきゃ殴られる、蹴られる、燃やされる、斬られる、食事を抜かれる……そんな風に思い込んでいるから。
 だからフリックは、強迫観念で……あんなふうに交尾に狂うしかなかった。なんせ、エリーさん。あんたが、このフリックに、『お前にはヤる以外に生きる価値は無い』なって言ったのですものね?」
 怒りを込めた口調のリムルに睨まれてエリーは反射的に目を瞑って顔をうつむかせる。
「フリックは、いろんな人に交尾以外の色々なことで必要とされているのに……こいつは……その輝かしい未来を全て否定して貴方を侮辱した。
 それがフリック……貴方の心の内にその言葉が燻っている限り、貴方は……交尾をしなければ自分の存在価値すら見出せない。
 勃たなくなってしまったら、夢うつつのまま肛門を弄ったりわけの分からない薬を飲んでまで勃たせようとする……そんな哀れな人形のまま。
 さぁ、フリック。それが嫌なら言って御覧なさい? このキュウコンに対して、『訂正しろ』とね……」
 リムルの演劇じみたアドバイスは、不安定な精神状態の俺様の心に暗示と相まって深く届いた。
 エリーの首周りの砂に手を掻けたまま静止していたフリックは、膝立ちの体制となってエリーを見下ろし、そしてキュウコンの頭頂部に生えるふさふさの体毛を無造作に右手で鷲掴みにする。

「訂……正……しろ」
 心の中に燻っていたかび臭い空気を振り払うように、息が荒い。今死んでもおかしくないなんて、そう思ってしまうほど異常な速さで、見ていて痛々しい。
「そう、それでいいのよフリック。今のあんたは命令できる立場だから」
 炎タイプのリムルから発せられる口調は氷のように冷たくて、極地でうかつに物に触るとくっついて離れなくなる様な、そんな風に俺様の心にへばりつく。
「ひっ……」
 言えた。命令できた――と、俺様の鼓動が高鳴る。焦点が定まらないくらいに興奮した俺様は、鷲掴みした頭を前後に揺さぶる。

「訂正しろ。俺様は、俺様には生きる価値がいくらでもあるって……訂正しろ」
 俺様が鷲掴みにしている右手はともすれば血が滴りそうなほど強く握り締められ、無理に引き剥がそうとすれば頭髪どころか頭皮まで引っぺがしかねない。
 全身が恐怖で引きつったエリーからは、しばらくまともな声が出なかった。頭頂部を掴む俺様の右手の反対側で今にも殴り飛ばしてしまいそうに震える左手を見ていれば、その恐怖は尚更だ。
 ニュクスとリムルは傍観していた。海水は首筋まで来ていた。
「フ、フライ……いや、フリック。お前はヤる以外にも生きている価値はある……だからもう許して」
「お前は、それを俺様に何度言った……3年間……ずっと……言え。3年間ずっと言い続けた分、全部言え……1000回だ!!」
 俺様は思わず泣いていた。長年口答えの一切出来ない生活の中で溜め込み続けた全ての思いが、怒りとも悲しみともつかない感情を昂ぶらせて、そうさせる。
 水車小屋の粉轢きのように、エリーは長年言い続けた言葉を否定する。律儀にも1000回分数えていた俺様は1000をカウントしたところで、呆然と空を仰ぐ。
「もういい……」
 だが、エリーは安堵の息を上げる事は出来なかった。
「ジャン様の分。ユウナ様の分。リーン様の分……俺様の前で死んだ奴。俺が突然居なくなった奴の分も含めて……全部否定しろ」
 海水は、顔を上に向けなければ呼吸が出来ないところまで来ていた。それでも、一縷の望みにかけてエリーは長年言い続けた言葉を否定し続けた。
「……そのまま・・・…溺れてしまえば……ジャンはそれくらい辛かった。俺様だって……一生分どころじゃない苦しみを味わった……お前らのせいで」
 顔が完全に水没して泡が漏れだす。ただの叫び声よりも叫び声じみた命の綱である空気が、エリーの体から離れていく。この感じは、ジャンが血を吐いて死んだときに似ていた。
 あの時は、泡ではなく血を吐いて死んでいた。そのとき自分はただ震えていて何も出来ずに死を見守るしかなかった。
「ジャンも……そうやってすべてを吐き出して死んでいた」
 今回もフリックは震えている。殺すのが怖いわけじゃないけれど、だからと言って恐らく歓喜ではないだろう。
「お前も、吐きだすモノこそ違えど……そうなんだな。何かを吐きだして死ぬんだ」
 どんどん泡が減っていく。ジャンが死んだ時も、血を吐く量が少なくなって冷たくなっていった。
「どれほど苦しいかなんて……考えたくもなかった。今もだよ……」
 泡が止まる。否、小さい泡がまだぽつぽつと口の端からもれている。
「怖かった……今も」
 大きな泡が一つ。おそらくは水を飲んで肺にまで達したのだろう。
「もうすぐ死ぬな……俺様を縛った奴が……」
 沈黙。口を開けたままエリーは息絶えていた。
「あっけないな……」
 思えば死体となり下がったエリーも、俺様の人生の半分以上を占めていた存在である。これに何の感情を抱いていたのだろうか――とフリックは柄にもなく自問自答して思い返す。
 言うなればそれは神だった。もちろん世界を救うような力を持っていたり、悪を挫き弱きを助けるようなありがたい神様では有り得ない。
 世界を作るのが、構成するのが神ならば……我らはまぎれもなく神である――というホウオウ教の教えを信じるのならば、エリーは俺様にとって最も大きな意味をもった神たりえた。

 生きる目的というのは、言うなれば体の一部。指がなくても腕がなくても、あるいは生きてゆけるだろう。そして、生きる目的が無くとも生きてゆける。
 けれど、生きる目的がないと不便であることに違いはない。
 リムルに、性交を封じられた俺様は、『ヤるだけが生きている価値だと思っていた』彼にとっては、鼻を使えないドンファンや尻尾を使えないエイパムのような生き難い存在としてそこに居るだけだった。
 けれど、それは思い込んでいただけ。使えないだけで、鼻や尻尾があることに俺様は気が付くことが出来ないでいた。
 エリーに今までの生きる価値を否定され、エリー自身も殺してみて空虚になってしまった俺様は、不意に力が抜けてバタリと砂浜に横たわり、空を見る。
 それまで思い浮かぶのは性交することだけだった。けれど今は、トリクシーやニュクス、レイザーなどの顔が青空にうっすらと浮かぶ。

「フリックさん……すっきりました?」
 今まで傍観していたニュクスは期待を込めるでも、侮蔑するでもなく純粋な疑問を胸にぶつけた。
「わからない」
 俺様は起き上がると、今度は波をただ見ていた。冬支度に備える時期の海水は恐ろしく冷たい。隣いいかしら?――と言って、座りこんだリムルの隣で俺様はじっと満潮になっていく様を見つめていた。
 自分が馬鹿であるつもりはないから、俺様の思考はゆっくりと進んでいる。俺様が言葉を発するまで、リムルだけは呑気で、欠伸なんてしていた。
「わからない……けれど、多分」
 と、前置きを置く。ニュクスが『えぇ』、リムルが『うん』と相槌を打ったのを確認すると、俺様は静かに語り始めた。
「俺様の生きる意味は……これから自分で作っていけるし、お前さんたちが与えてくれる……良くも悪くも、今までの俺様が生きるための支えだった大きな生きる価値を失ってみて……少し感慨深くなっちまったって奴だな。
 あくまで……多分……俺様の重要な部分を占めていたんだよ、エリーは」
「そう……なの。あんなに嫌っていたっぽい相手でも……生きる価値かぁ。でも、それを失ったからには……もう、誰かれ構わず無節操に交尾なんてする必要もないわよね?」
「そうだと……いいな」
 うつ向き気味のフリックは、相当恨んでいたであろう相手でも死んでしまう事が悲しいのか、もしくはそれ以外の感情か、両目から一筋ずつの涙を流していた。

 ◇

「医者としても問題視しておりましたし……そうなってくれると助かります」
 安心したようにニュクスが肩を落として、誰しもが無言になった。
 リムルは2足歩行のポケモンが肩を叩いて励ます代わりに、体が温かさを感じる程度の炎をフリックの顔面に直接吹きかけて、自分の方を向かせる。
「なんだ?」
 見上げる高さのリムルを見て、ぐすっと鼻水をすすりながら、その声は頼りなかった。
「ねぇ……やっぱり、フリックは優しいんだよ。だって……自分の周りで死んだ子たちのためにも訂正させていたじゃない。
 『訂正しろ』って……ちょっとかっこよかった。だからね、アンタはそいう事を望んでいると思うの。自分と同じ目にあう者を少しでも減らそうってさ。
 このキュウコンの死体……もう見たくもないかもしれないけれど、それでも利用してやろうじゃん。まだ、アンタの住んでいた場所に捕まっている奴はいくらでもいるんでしょ?
 この死体使って脅して、貴方と同じ立場の奴らを解放しちゃいましょうよ。私の催眠術の腕試しにもなるしさ」
 リムルの言葉にフリックは大方同意しているようだが、困ったように笑っていた。
「そのまま捕まっている子供たちを解放しても、三日も持たずに死んじゃう奴が多いだろうし……店に溜めてあるだろう金を握らせても、それが尽きるまでに生きる術を覚えるのは難しいってやつだろうな。
 俺様は、元から『模倣』に目覚めていたおかげでスリも強盗も模倣することが出来た……けれど、体を売る方法だけでも覚えさせなきゃ、生きられないな。
 さて、どうすればいいかな?」
 フリックの表情は変わらない。ため息をつきつつ、光明と同時につきつけられる壁に自嘲気味な態度を取っている。
「あぁ……それなら。私の暗示を使えば要領よく覚えられるんじゃないかしら? 暗示にかければ集中力は5倍増しよ」
 得意げにリムルが笑う。
「なんだよそれ……お前は万能ってやつだな……てか、そんなんで何とかなるのかよ?」
「いや、そう言えば兄さんもそんなことしていましたね。催眠術師ってそんなものなんですかね」
 懐かしげにニュクスが笑う。
「もちろんできるわよ。催眠術でエレオスにできて私にできないことはないんだから。万能だなんて、お褒めに与かり、光栄で」
 おどける様な口調で言いながら、リムルは頭を下げる。
「もういいや、それで。あんなところで閉じ込められて長生きするよりもきっと、外で短くも自由に生きた方がいいって奴だろうさ」
 言われて、はにかんだリムルは、フリックと目線が合ってしまったのが恥ずかしくて、それを逸らすついでに波打つ海を見る。

「さ、ニュクスさんは……ここで休んでいてください。私達はこの死体をダシに子供たちを解放しましょう?」
 ニュクスは分かりました、とだけ言って崖の上に登り、木立にまぎれてさっさと眠ってしまった。よほど睡眠不足でも続いていたのだろうか、こっちに来てから寝てばかりである。
 リムルは、ニュクスが崖の上に上っていくのを途中まで見送って、フリックに視線を戻す。
「さて、『こっちに来て良かった』って言えるようにするには……まだ行動しなきゃ。
  貴方は悪夢から解放されて、貴方と同じ立場の者たちも……一部はきっと生き残れるはず……そうなれば『こっちに来てよかった』って言えるわね?」
 あぁ――と、言いながら死体を背負って隣を歩くフリックに、リムルは煩わしそうに肩で小突いた。
「乗りなさいよ……あんた昨日から全然眠っていないんじゃないの……? 私も寝ていないけれど……私の眠っていないと貴方の眠っていないは違うでしょう?」
 あぁ、そう言えば――なんてフリックは言いながら、リムルに微笑んで見せる。

「ありがとな、リムル様」
 軽くお辞儀をしてフリックは背中に乗り込んだ。活動に支障が無い様にメロメロボディは意識的に閉ざしているが、それでもいい香りがリムルの鼻まで伝わってきた。
「さ、出発進行」
 フリックは、燃える鬣に顔をうずめながら無言だった。
 そうして、地平線を越える道中はずっと沈黙が続いていたのだが、不意にそれ破られる。
「なぁ、リムル様」
「ふわっ!!」
 リムルは完全に眠りについたと思っていたので、道中声がしたことに思わずエリーの死体を落としそうになってしまう。
「俺様の生きる意味って何かな? 『ヤるだけが生きている価値』だなんて否定しろなんて言ってみたけれど、いまいち分からない」
 しょうもないフリックの質問に、リムルはくすくすとこらえるような笑い声をあげて答える。
「それって聞くものじゃないと思うけれどな~~……そうね。フリックって、この人が笑ってくれると嬉しいって思う事ある?」
「カイロ様……トリクシー様……ニュクス様……レイザー様……あと、リムル様」
「そう、私が入っているなんて嬉しいな。で、それはね……相手に幸せになって欲しいっていう感情。きっとそれが愛なんじゃないかなって思うの……愛さえあれば、十分それが生きる意味になるわ。
 今までみたいに体の快感のためにしか生きていない寂しい人生なんてさよなら。同じ漆黒の双頭として……仲良くしましょうね」
「快感のためだけには生きないけれど……暗示解いてくれよ……」
「ダ~メ。暗示を解く気なんてないからね。暗示を解きたいなら……誰かを死ぬほど愛すればいいのよ。催眠術で自殺は出来ない……強すぎる本能には、暗示では対抗できないの。だから、私以外にそれほど愛せる者が出来るは、私と一緒」
 物凄く楽しげに、そしてピシャリと言いきったリムルの背中の上、フリックは仕方ねぇな――と、大きくため息をつく。
 でも、悪い気はしなかったし、そのため息と同時に笑顔になれた気がした。理由は?――と聞かれればなんとなく答えられそうな気がする。
 今思い浮かぶのは、女性が股を広げて自分の前に寝転がる姿ではなく、もっと素敵な物ばかり思い浮かぶから。
 だから、今は性交なんて人生を存分に楽しむ手段を見つけるために邪魔な荷物だ。それを持ってもらえるならば、普段はそれを預けておこう。
 なにせ、彼女の幼い頃の職業は――運び屋だったのだから。

 そうか、これが生きる価値。性交よりも楽しかったはずの、エリーに&ruby(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ){騙されていた数日間};の温かい記憶。レイザーと一緒に歩いた数日。そして、プクリンのギルドでの日々。
 暗い所に閉じ込められていたせいで、心で感じる快感が分からなかった俺様は、文字を読むことが出来ずに、文字をただの模様と見分けが付かなかったのと同じようなものだ。
 楽しいと嬉しい――そんな当たり前の感情でさえまるで記号のように排斥して性交だけを快感と妄信していた。
 わかってみれば何のことはない……俺様は勉強して字を読み、意味を理解できるようになった。そして今は……ため息と同時に感じた自分の笑顔が満足であると理解できる。
 ああ、それは……なんて素敵な世界って奴だ。世界を形作るのが神ならば、私達はまぎれもなく神である……こんな素晴らしい世界をくれた神に感謝するならば、その言葉は天に向けて言ってしまえば間違いだ。もちろん、太陽でも月でも、地面にでも雲にでもない。
 今、俺様が顔をうずめているリムル以外の誰に言えやしない。
「そうだ、俺様……レアス様やニュクス様癒しにも目覚める素養があるって言われたんだ。リムル様……俺様、お前が傷を負っても癒せるくらい、その力に目覚めるから……
 当面は、それを生きる目的にさせてくれ」
「うん、楽しみにしているわ」
 満足そうにリムルの首に頬ずりをしていたフリックは、ゆっくりと目を閉じた。やがて聞こえてきたフリックの寝息の中には、誰よりも何よりも幸福そうな笑い声の寝言が時折混じっていた。

**第4節 [#p6bda524]
**第4節 [#tf8a4c18]

//2月10日

『とにかく、半分は冗談だったが、男の匂いを嗅いで居れば女として正常になれるって言うのはきちんと対照実験による根拠があって言っているってやつだ。
 アサ様は俺様を信じるといいって奴だな』
 フリックから真面目な顔でこう言われては、さすがのアサも添い寝のことを意識せざるを得なかったが、それにしたってこれは異常だ。
 なんだか、キールの方を見ると胸が異様に高鳴ってしまう。こんな状態で添い寝なんてしたら、キールを思わず襲ってしまうだろう。
 なぜだ……もう発情期は過ぎたから月経痛に苦しんでいるはずなのに……ありえない。

 俺は、無意味にムラムラしながら苦しんでいた。


「……ねぇ、アサ。何かフリックに吹きこまれた?」
 唐突にそう言ったのはキールであった。表面上どんなに平静を装っていても、キールは目ざといというか角ざといせいで、こういった指摘をしてくるのだ。
「いや、何も……」
 嘘をついては見るが、キールには俺が嘘をついている事なんてお見通しであろう。だからと言って『フリックから添い寝しろと言われました』などと言えるものでは無い。しかし、『いや、何も……』はキールには嘘であることなどお見通しだろう。どうでもいいから、頭痛がひどい時にそんな話をするのはやめてほしい。
 ただ、やめてほしいのはキールも同じなようで、いつもはしない体育ずわりをなぜか今この時に行っている。
 それが意味するのは……高ぶっている自身の雄をひた隠しにしているという事。……俺がそう言う事を考えているからそうなっているのだとしたら、キルリアの角恐るべし。キールは特別であるというのは分かっていても、その仕草が可愛すぎて襲いたくなってしまう。などと考えると、そう言う感情がまた、キールに角を通して影響を与えてしまうから恐ろしい。

 あまりにも様子がおかしいと思ったのかキールは俺の方へ、四つん這いで恐る恐る近づく。キールほどの腕前なら俺に襲われたところで、そのままなし崩し的に逆強姦や強姦のような展開にはならないだろうから、そこまで恐る恐る近寄って来る意味は無いんじゃないかと思う。
 まぁ、俺の感情にやられてその気になってしまったらそれはそれで困る。
 アサは、なるべくキールの方を見ないように、匂いをかがないように努めて、耐える。それでもキールが匂いを嗅いで居るとことを感じると、匂いと一緒に理性まで吸い取られそうである。

「吹きこまれたって言うか……そうだね、アサ。一度体を隅々まで洗って匂いを落としてきた方がいいと思う……君から。僕でも分かるくらいにフリックの匂いがするから……
 その、ね……性的な興奮を無理やり高めさせられているような、そんな感じがするから……」
 自分の匂いを嗅いで見ても俺は分からなかった。おそらくこの匂いに慣れてしまっているというかフリックの匂いに対して鼻が麻痺しているのだろう。
 とにもかくにも、キールの言う匂いというモノがこびりついているのだとすれば、多分眠っている時にだろう。フリックの匂いが雄に対する積極的な欲求を昂らせていたのだとすれば、何かフリックによる救いようのない陰謀を感じざるを得ない。
 簡単に言えば、フリックはエロ兎だという結論に終始するわけなのだが。
「あの野郎……俺に何をさせようって言うんだ」
 キールと自分を懇ろにさせて何の意味があるのか?――と、まず懇ろにさせようとしているのだろうなという考えは決定事項として俺の中で思考が回っていた。
 その結論の仮説は、ただニヤニヤしたいだけというのが最も有力だな――という風に俺は結論付けた。しかし、今はフリックの思惑など関係の無いことだ。とりあえずは、月経痛で動くことが億劫になっている体を引きずって、家の左手に在る水場へと向かい体を洗い流す。

 熱で融解したような意識の内にいた俺の体が冷やされ、漂う香りもそれなりに落ち着いてくると、俺の気分もかなり落ち着いてきた。効果は バツグン だったようだ。
「本当にすっきりするとは……フリックっていったいどういう生態をしているんだ……」
 フリックは、とある女医((デンリュウのカイロさん))にも同じことを言われていたと自称するあたり、誰からも異常な目で見られるモノらしい。俺が尻尾まで洗い終える頃にはあのムラムラした気分が嘘のように消えていた……どういう匂いなんだあれは。
 元からあった頭痛や他の体の不調は治っていないものの、これで添い寝も出来るぞ……いやいやあり得ねぇ――という自問自答を出来るくらいには性的思考も鳴りをひそめていた。
 体の水気を拭きとって、キールの家に戻ったアサは、ひとまずフリックから教えられた月経痛の治療法のことについてを話した。
「男の匂いを嗅げば、ましになるから……添い寝……ねぇ。さっきの状態で添い寝していたら僕襲われちゃうのさ……何考えているのさフリックは」
 それは俺にも共通する感情であった。
「頼んだの失敗だったかな……んもぅ」
 キールは肩をすくめて苦笑いをした。キールの仕草はいつも通りに戻っていて、今はもう大して角への影響を気にする様子もないようだ。今朝はアサに対して嫌悪感を抱いていた様子だが、今そうならないのはフリックの薬が効いているからであろうか、仕事はきちんとやってくれたらしい。
 調子の戻ったキール安心してせいで俺まで気が抜けて、フリックに怒る気力も湧かなくなり『かもな』と笑う。

「一応、あいつの作った薬はかなり効果があったけれど……それでも、あれは……あの気分はまずい。匂いの偉大さがよく分かる……あながち、男の匂い嗅いでいれば月経痛を防げるっていうのは間違っていないのかもな」
「アサ。つまりそれ……暗に……添い寝すればってこと? ……いや、なんでもない」
 そこまで言ってキールは自分がさっきまでの俺の感情のせいでどうしようもなく&ruby(ヽヽヽヽ){ああいう};気分になっていたことを思い出し、今更ながらその余韻がまだ残っていることも思い出して、急速に恥ずかしさがこみ上げる。
 余韻が残っているとはどういうことかというのを有り体に言えば、ちょっとばかしピンクな気分になっているという事である。
 アサが先ほど『何も……』と否定したのに対し『なんでもない』と否定するキール。似た者同士である。
「あ~……唐突にそう言う突っ込みをされると……まぁ、そう言う事なんだけれど」
「そう……」
 それで、その恥ずかしがるキールのあおりを受けて、アサまで恥ずかしい気分になってしまい、どちらとも何も言えなくなってしまい気まずい沈黙の時間が流れる。
 だからと言って、言葉にしないで眠っているうちにすり寄るわけにもいかないから、遅かれ早かれこういう会話はするべきだったと思う。
「ま、今の気分なら大丈夫だ。もともと、月経痛の時にやる気のある女なんておかしいだろ?」
 先に我に返ったのはアサで、今の状態なら精神的に優位に立てるぞ――などと、いう思考で恥ずかしさを塗りつぶしている。要するに自分より恥ずかしい奴がいれば自分は大して恥ずかしくないという事で、その手段がキールをからかうと言うこと。
 戸惑うキールは可愛いから。
「そ、そういう問題? 僕の都合は……?」
 焦る……その表情が可愛らしくて仕方なく、もっと意地悪をしたいと衝動に駆られる。キールに対して精神的優位を得られやすい代わりに得やすいようで、今の用に優位に立っている時はとことんまくしたてた方が面白そうだ。
「耐えられるって信じてるよ」
 意地悪な口調で言い切って笑顔になる。キールの反応を待つ時間は存外に楽しいものだ。

「えぇぇぇ……」 
 本心から『耐えられる』と言っているのと、もう一つ隠そうともしない感情を感じて、キールはお菓子を禁止させられた子供のように不平の声を漏らした。もう一つの感情とは、単純明快。ただ単にからかいたいだけだ。自分の昂ぶった雄を隠すために、あからさまな体育ずわりをしていたキールの仕草がおかしくて、さらに面白くなるためにからかって見たが、こうまで面白いとは。
「いや、ごめん……もうあんな月経痛はこりごりな物で」
 白々しいセリフと共に、アサはキールの反応を楽しんで言う。アサには添い寝されようと、本人の意思に無い性交渉を強要することはキールの性格上絶対にないだろうから、どういう結果になっても大丈夫という確信がある。こんな大胆な言動が出来るのも、その確信のおかげだった。
「それは分かっているんだけれどさ……流石に添い寝されると暑いでしょ?」
「夏でも夜は冷えるがなぁ」
 夏は乾燥しているスイクンタウンの気候だ。夜は冷えるため、キールの言い訳はその一言で瓦解する。
「うぅ……」
 キールはひたすら&ruby(ウブ){初心};だ。母親の手により小さい頃から草花を使ったドレスで着飾らされて、そのせいか女の子と話す機会も多かったせいか、女性が当たり前になってちょっと対峙したくらいでは性的な対象として見ることがほとんどできなく、それどころか男と話す時の方がむしろ緊張していたくらいだ。
 今こそ男と話していても緊張はしないが、女性を性的な目で見ることに対しての抵抗は普通の男性よりも強いらしい。こうしてアサの添い寝を誘う攻撃。それは緊張することだろう。

「いや、ほら……体温高くなっちゃうから」
 確かにそうかもしれないが――と、噴き出しそうになるのをこらえて、アサは顔をそむけた。自分でそれを言うか?――なんて言葉をキールへ掛けてあげたくなってしまう。
 いままで、キールは誰のことも性的な対象として見ていないかった上に、見られてもいなかったようだが、今日の出来事が原因でキールは急に性を意識してしまったようだ。もう体は完成されていてとっくにサーナイトに進化していてもおかしくない年齢なので、性的な興味を持っていないのは問題だと思う。
 そんなキールは、冷や汗によって汗だくだ。汗に熱を奪われて今夜は寒くなりそうである。

「ま、暑いなら仕方ないだろうし……夏にこんな事頼まれたら嫌かも知れんが……」
 最初この世界に来た時は血の匂いで分からなかったが、こうやって普段のキールの匂いをじっくり嗅いでみると存外キールの匂いは悪くないことに気が付いた。アサは一度言葉を切ってその匂いを嗅ぎ、心地よい匂いで肺を満たす。
「冬はな、寒いだろうし……」
 そして、結論を言わない一言を付け加えて、キールを絶句させた。からかう俺と照れるキールと言う温度差を抱えつつ、結局添い寝は決行されていた。


//3月24日
 夏の暑さもようやく和らいできた季節のある日のこと。夕暮時にギルドの蔵書室から拍子抜けしたような表情で帰るアサの姿があった。
 足を拭いてからキールの家にドサリと座るなりアサはふぅ――と、ため息をつく。
 キールはキールで、アサが疑心暗鬼になっているのをずっと前から角で感じていた。
 それは本当に何でもない日常で、何かを起こそうと思わなければ何も起きない、そんな日だった。だから、アサがそれを起こそうとするまでは、現に何も起きなかった。
「なぁ、キール……お前を含めた自警団員の仲良し四人組のことなんだけれどさ……あいつら、何者なんだ?」
 キール達の雰囲気を見ると、最初から少々あやしいとは最初から思っていたが、だんだんそれもうやむやになっていたそれを確信してしまうと余計に疑わしい。疑問を解決しようと、最近俺はオフの日になると連日ギルドの蔵書室で調べ物をしていたのだが、ついに結論が付いた……というところだ

「何者も何も……ただの友達と妹だよ。リムルとフリックとシリアは……」
 アサがこのセリフで何か騙そうとしていることをキールは感じる。それでも、答えに詰まっていれば怪しまれると感じたキールは、とっさに答えた。
「四人ねぇ……俺もさ、つい四人組って言ってしまったけれど……」
 カマをかけられ、キールは自分の失言に気が付かないでいた。
「エリンギじゃないんだな? 四人といわれて、お前はエリンギよりも先にシリアを思い浮かべた……どうしてだ? エリンギとだって仲が良いのに、入れてやったっていいじゃないか」
 キールは口をぽかんと開けて感心していた。
「あはは、どうやらもう、君の疑いは確信の域に達しているみたいだねぇ…色々黙っていて悪かったとは思っているけれど、まさかここまでとは」
 キールが気まずそうに苦笑しても、アサは目を逸らさない。
「そうだよね……調べれば僕達が普通じゃない事なんてすぐにわかる事さ」
 キールの言葉を繰り返して、アサは『そうだな』と肯定する。
「お前ら仲良し四人組の能力は、お前も含めて突出しすぎなんだよ。妙だと思って、いろいろ探り入れてみても、何一つわかりゃしなかったけれど……
 一つ二つ、ヒントはあったさ。まず、な……フリックは自分の出身地にはアサガオが雑草のように生えているって言っていたけれど、フリックが昔自分が住んでいたところの名前を聞いたら、そこにはアサガオなんて普通に自生している場所じゃなかったんだよ。つまり、フリックは出身地を偽っていたってこと」
 キールは何も答えなかった。
「あぁ、いいよキール。お前が何も言う気がないなら無理に喋らなくても。俺が勝手にしゃべるから……。もう一つ……お前が言っていた、ラルトスがアルセウス教で差別されているって話……どこから聞いた話なのかという話。
 言われても答えられないだろうな。アルセウス教は閉鎖的な思想をもっていて……はるか昔こっちの探検隊があっちの街へ不用意に姿を見せたら……色が全く違うトリトドンがまずかったんだろうな、探検隊が魔女裁判に捕まって半数以上が逃げきれず処刑と来た。
 それで、探検隊連盟は危険と判断して……あっちとの交流も開拓も禁じた。ギルドの本を漁っても、あっちに関する記述を入れれば出版禁止になっちまうから、入れられない。
 『アルセウス教は……危険で野蛮な場所だから交流は禁じる』とか『アルセウス教は外の世界にの存在を知れば、外界を攻めて支配しようとするであろう』とか……『上記以外の記述はその一切を禁じる』ってな……今日見たギルドの蔵書室に書いてあったことだよ。
 武力を以って平和を脅かしたりせず、互いに干渉しないことで平和を維持する姿勢は素晴らしいが……まぁ、それでいろいろ問題が起こっているみたいだな」
 キールは複雑な顔をしながら頷く。

「それなのに、あっちの情報をたまに口にする僕は何者なのか……と。君は言いたいわけだ。知っているはずの無い情報を何回も僕は口にしたから……」
 アサの考えを先取りする形でキールは声にする。

「そう、だな……あっちのことを初日から今まで、お前はいろいろ教えてきたじゃないか……しかもエリンギみたいな邪魔がはいらない俺と二人きりの時に限って。
 『二人掛かりの贈り物((第4話、第5節参照))』がアルセウス教には存在しない事とか『首合わせと額合わせの違いとか((第3話、第5節参照))』とか、他にも色々……フリックのアサガオは失言の可能性もあるが……お前の場合は事情が違いそうだな。意図的に教えている感じがする」
 本来知るはずのない出来事を知っているなんておかしいと。キールに掛ける言葉はそれに尽きた。
「多分事情は君のお察しの通りなのさ……言ってみて」
「お前は……ここに居るはずのないアルセウス教の住人。そう言う事じゃないのか? お前はソレを……自分で言うんじゃなくって俺に気が付かせようとしてさ……」
 キールは子供の成長を見守るような笑顔を見せて、ため息をついた。
「やっぱり……勘がいいんだね。そこは、ユンゲラーの頭脳によるものなのかな……」
 眼を泳がせつつ語るキールの口調はいかにも弱々しい。

「『これはちょっと関係のない脱線した話だけれど、ダンジョンを隔てた国境のすぐそこの向こうでは差別的で閉鎖的な思考がいまだに支配している……(([[漆黒の双頭"TGS"第2話:KillとFeelの申し子・後編]]:第2節参照))』って自分で言っていたじゃないか、キール?
 スイクンタウンは国境に近い……と言っても、国教なんてものは非公式だけれどな。これも結構大きなヒントだったよ。多分だがお前ら……亡命してここに住み着いたんだな」
「う~ん……その推理、実は正解じゃないんだけれどね。でも、君にあらかじめ気が付いてもらえれば……ちょっとばかし今から語ることにも、驚きが少なくて良いんじゃないかなって思ったことは確かなのさ。
 なんて言うの? 自分から語ったら如何にも胡散臭いじゃない?」
「十分胡散臭い。目的が全く分からない」
「……僕は、そう思ったの。胡散臭くないと感じてもらえると思ったのさ。……ってことじゃ駄目かな? 僕ってあんまり頭良くなくて」
「そうかい……とにかく、俺に対して色々とヒントを漏らした真意を教えて欲しいんだよ。分かるように」
「アルセウス教から来たって言うのは正解としてね……ここに来た理由は君が言うのとはちょっと違うのさ……君の言う、アルセウス教がここから近いこともある程度関係しているのさ。
 僕たちは君に……手伝って欲しいことがあるからさ」
 なんの気なしにキールが言ってアサは首をかしげる。手伝って欲しい事? そんなの、そこらへんのフーディンでは出来ないことなのだろうか?

「手伝って欲しい……こと? っていうか、『達』って言ったな? それがあの四人か……フリック・リムル・シリア……ついでにレイザー所長もなんか変だ」
「そうだね……僕『達』だね。僕がキラーとして。シリアが女王として。リムルが傀儡師。フリックがえ~と……エロ兎として。あと、ほかにヒューイって言うドーブルもかかわってる」
 ヒューイと言う名前を聞いて、『レイザーの黒歴史だ』と言う言葉を思い出す。ドーブル……? 訳が分からないが、後で質問すればいいだろう。
「そして君が人形遣い……まぁ、それは通称であって……詳しいことを説明するとね」
 長い話を始めようとするキールの口をアサは遮る。
「とりあえずフリックの酷い扱いについてはともかくとして……子供向けの&ruby(ヒーロー){英雄};ものでもあるまいし、訳の分からない集団に俺を巻きこもうとするのは……やめてくれよ。大体その怪しい集団ってなんなんだ?」
「ん~……質問の答えだけれど、僕は漆黒の双頭……ていう組織の一員なのさ」
 しれっとキールは言って、言葉を切る。
「その組織の目的は?」
「アルセウス教の平和を取り戻すって言うかさ……とりあえず、今の支配体制を変えたいのさ。僕は宗教上の理由を取り払って差別を取り除く。
 シリアとフリックは、権力を有しているために下手に手出しできない衛兵やら保安兵やらの汚職を裁く法の整備。
 リムルはとりあえず経済性の向上……これがね、スイクンタウンに在住する漆黒の双頭の隊員の僕らの目的なのさ……ま、総合すれば平和になるって言う事で」
「手段は?」
 アサは、要領を得ない話についてこれずに必死に頭の中を整理しながら尋ねる。
「革命。革命のための手駒として、僕らがいるのさ」
 何の感情も込めることなく、キールは音だけのような声を口にして、アサを上目遣いに睨んだ。
「革命ってお前……戦争でも始めようって言うのか?」
「そうだね……なるべく、血は流さないようにするらしいけれど」
 しれっと言い放ち、キールは羽毛のようにふわりとした微笑みを浮かべる。
「そうだねって……だったらなおさら俺を巻きこまないでほしいんだが……俺を巻き込む意図は何だ? 俺が伝説の勇者様だとでも言うんじゃなかろうな?」
 何か、フリックと話している時のような頭痛を感じて、アサは具合が悪そうに頭を押さえる。
「……当たらずとも遠からず。迷惑って言うのはわかっている……けれど、ちゃんと見返りだってないことはないのさ……付いてきて。いいもの見せてあげるのさ」
 そしてキールはそれ以上の言葉を語ること無しに振り向いて、保存食を貯蔵している部屋へと向かう。アサは付いて行くしかなかった。なんだって言うんだよ。
 アサが付いて行った先、キールの身長ほどもある瓶の中に入っているのは、今はジュカインシードの塩漬けだけ。冬が近くなれば残り二つも一杯になるのであろうかもう二つの瓶はカラである。

「う~ん……」
 キールは瓶を見下ろせる位置まで浮かび上がると、瓶の中身をすべてサイコキネシスで空中に浮かせる。ふよふよと波打つ液体の中で生き物のように踊るジュカインシードの塩漬けの中に混ざっていたのは、金塊だった。
「あらぁ……素敵な隠し財産だな」
 わざとらしく驚いて見せた時の口調と、呆れた口調が3:7くらいで綯い交ぜとなった。笑うしかない。
「金なら……塩漬けにしても錆びないもんな……ってか、金だよなそれ?」
 キールは振り向かずに、うん――と頷いた。
「僕がレアス総統からもらっている報酬……いらないって言っているのにくれちゃったから、とりあえずその一部をここに持ってきているの。
 君も、心ひとつであれの十数倍の報酬は約束されるだろうさ……ま、君にとっては金の問題じゃないかもだけれどね」
 キールは、中身をすべて瓶に戻すと、今度は瓶自体をどける。瓶の下には敷き布があり、それをどけると当然のように隠し貯蔵庫のようなものがあった。その中には銀貨か金貨のような、非常に重厚な音がする麻袋が入っている。
 中身は案の定銀貨で、先ほど見せた金塊に比べれば何とも価値は薄そうだ。それは要するにダミーである。その収納スペースの底は木の板で、取っ手のないそれは念力か吸盤でも使わなければとることは出来ない。表面がでこぼこなので、周りを掘るか念力を使うかしか選択死なないのかもしれない。
 その上、木の板の下に空間があることを気が付くのは相当勘がよくないと不可能そうな感じである。そして、その相当勘の良い泥棒は多分10~20年待ったところでは現れてはくれないであろう。
 そして、そこから取り出したのは本。保存場所が場所だけに保存状態は良いのだろうか、新品同然だ。
「カマのギルド四代目所長レイザー所長の日記……プクリンのギルド三代目親方にして漆黒の双頭の初代総統レアス=マナフィの日記……原板じゃなくって重要な部分だけの写しだけれど、良かったら読んでみて」
「プクリンのギルドってあの、伝説の探検隊の……」
「うん、世界を2度救ったディスカバーの所属していたギルドだよ。僕の事は、レアスさんの日記に……他の三人はレイザー所長の日記に書かれているよ。
 かかわっている皆から、閲覧の許可は取れているから、変な内容は入っていないから安心して」
 アサはその本を手に取って試しにパラパラと文字の様子を流し読む。文字はかなり整っていて、一目でキールが書いたものとは異質な字体であることが分かる。……レイザーの筆跡でもなく、美しい文字だ。
「これを読めと?」
「うん、僕も自分で語るのは疲れるのさ。だから、まぁ……手抜きさせて欲しいって感じで……質問はいつでも受け付けるし、疑ってくれたって構わないけれど……一応、僕はその本に書かれていることを真実だって言いきるつもりなのさ」
 面倒というよりは、キールがこういう事を騙るのが得意でないから、そんな風に言っているようにアサは思える。まぁ、そんなことはどっちだって同じだ――と、アサはその本を脇の下に抱えた
「正直……僕を信用するのは難しいかもだけれど……でも、信用して。信用できなくても、別に秘密を知ったカドで殺したり拷問にかけたりとかはしないから安心してもらっていいのさ。
 今回の件で……君を利用しようと思ったことは、否定しないけれど……君は家事をやってくれる以上は……気にせずずっとこの家に居てくれてもいいのさ。君は、僕達のキーマンである以前に僕の家族なんだからね」
 例え信用できなくともずっと一緒にいて欲しい――と、キールの視線が訴えている。……とても嬉しい申し出なのだが、それはそれで気まずい事になってしまいそうな気がする。

「それは告白か?」
 アサはいつだったか思い出せないが、以前どこかでキールに言おうとしたセリフを自然と口にしていた。ニヤニヤと口元を吊り上げているアサを目の前にして、キールは答えに詰まりながらモジモジとしているだけで何も言わない。
 そう言う事をいう雰囲気ではないんだけれど、なんとなく言わずには居られなかった。頭の中で描いた反応が見たくて言ったので、思い通りの反応が見られたアサは何とも勝者の気分に浸ることが出来た。
「まぁ、いいさ……そこまで言うのならば、読んでやるよ。俺だって、この家が居心地いいんだから出る気も無かったところだしな……」
 分厚い日記帳の写しを2冊脇に抱えたまま、アサは居間へと歩いて行った。
「本を読むときはなるべく静かな方がいい。キールは気が散るから外に行っていてくれ」
 床にドサリと座り込み、アサは後ろに控えるキールの方を見もせずに言った。
「はいはいっと。仰せのとおりにするのさ。それじゃあ……漆黒の双頭がどういう組織かだけでも知ってもらえると嬉しいのさ」
 それに、僕はね――と、キールは付け加えようとして、その先を言うのがどうにも恥ずかしくって口をつぐむ。
 口をつぐんだことで、キールが何を言いたかったのか、おぼろげながらにアサは分かってしまった。キールは、角がむず痒くなるのを感じて、苦笑する。本当に可愛らしい奴だな。
「ちょ、ちょっと早いけれど自警団の活動に行ってくるのさ」
 そんな感情を向けられる恥ずかしさに耐えきれず、キールは外へ逃げた。まだ自警団の活動を行うには時間には早過ぎるほど早いと言うのに。からかいすぎたかな――と、ちょっとした罪悪感を感じつつアサは日記帳を開く。重厚な紙の音が響いて、テーブルの上の屑が舞った。

 12月
 レアスがやってきた。

 レイザー所長が書いたという日記はそこから始まっている。
 まず、レアスという人物そのものが分からないアサは、レイザーの日記を閉じて一度プクリンのギルド3代目親方だとか言うレアス=マナフィの日誌を開く。
 1ページ目にはレアスという人物の概要が客観的に描かれており、まず幻のポケモンであるマナフィという時点で少々胡散臭い。
 だが、伝説の探検隊と呼ばれたディスカバーというチームが冒険の過程でマナフィを拾い、そのポケモンの名がレアスであったことを思い出すと、なんだかとてつもない組織のように思えてきた。

 そこから先の日記には、レアスという人物が漆黒の双頭という組織を作ろうとした経緯。
 レアスという人物の心情の移り変わり。
 大量のポケモンが関わりがありありと書かれている。
 そして、革命といいつつもそう血なまぐさいことはしないだろうと軽く考えていた自分が情けなく思えるほど、深刻な内容も書かれていた。

 それを読み終える頃には、どうして自分がこの計画に関わらされようとしているのか、なんとなく分かってしまった。
 レイザー所長が、とある理由からスカウトを続ける才能のあるポケモンとして、自分もどうやらお眼鏡にかなってしまったらしい。幸か不幸か、それがキールが行くあてのない自分を養ってくれた理由でもあるようだ。利用するために養われたと言うのは気に喰わないが、出会いのきっかけには感謝するべきなのかもしれない。
 これまでの生活を反芻してみると、ちょっと複雑な気分だ。一緒にいられると幸せだけれど、それが打算によるものだったと言われると……そこは、それだけじゃないとキールを信じておこう。そうでないとやり切れないから――という自己防衛なのかもしれないけれど、そう言うことは考えない方がいいだろう。

[[次回へ>漆黒の双頭“TGS”第7話:替え玉の霊媒師・前編]]
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こんな風に初心な男の子を弄れたら楽しいでしょうねぇ。
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**感想・コメント [#jeef5f12]

コメントなどは大歓迎でございます。

#pcomment(漆黒の双頭TGS第6話のコメログ,10,)

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