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満天に輝く の変更点


[[アカガラス]]様にいただいたルギアのイラストを勝手にイメージ化して書いたものです。(現在進行形)
くりっとしたつぶらな瞳が可愛くて可愛くてついついショタッ仔にしてしまいました(人´∀`).☆.。.:*・ 可愛いるぎゃたんのイラストをまだ見ていない方は[[空蝉]]の作者ページを見てくださいね!

一応非官能の予定です。……たぶん。


[[空蝉]]

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'''''&size(20){─満天に輝く─};'''''
#contents

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  この海の上。もっともっと上を目指せ。

  その翼は空を飛べる筈だ。

  後ろを振り向くな。ただ真っ直ぐ上だけを見て羽ばたけ。

  空高く翔べ。天を突き抜けろ。



  大空のその先、天空にまで翔べたなら




      きっと、また会えるから───






*1.空からの落とし物 [#q88b7b73]




 度重なる空の異変は、この日の予兆であったのか───


 西に傾きかけた太陽が、その瞬間押し潰されたようにいびつな形に歪み、直後、光の洪水が空一杯に広がった。
 弾けた光はきらきらと輝きながら粉を撒いたように散り散りになって、やがて微かな瞬きとともに消えていった。しかし、そのうちいくつかの大きな光の粒はすぐには消え落ちずに長い尾を引いて、白くぼやけた日の光の中にまるで流星のような鮮やかな光の弧を描いた。

 ここ数年来の異常気象の末にとうとう太陽まで潰れたかと、地上の生き物たちは空を見上げるなり身震いして、ある者は何かに祈りながら、またある者は家族を塒に匿いながら、各々の本能が捉えた破滅の予兆に怖れ戦く。

 光の粒が次々に散っていく中、天頂にあった一際大きな光の玉だけは、何故か流れずしばらく空に漂っていた。
 それを見上げる者達は、得体の知れないその眩しい光をまるで悪夢のように凝視していたが、それが遂に動き始めると、自分の住処にそれが落ちて来ないようにと身を竦めながらただただ祈るばかりだった。


 地表に近付くにつれその光は強く眩しく輝き始める。落下に伴って火炎を発しているのだ。
 禍々しいまでの炎を帯びた大きな塊。その向かう先は、大陸から遠く離れた大海原だった。
 地の上に居た者達は、おそらく凄まじい衝撃を受けるであろう海の彼方を、半ば胸を撫で下ろしながら他人事のように眺めているのだった。




『星が落ちてくる!』
 海の中で誰かが叫んだ。
 けれど、その声が届く間もなく、それは来た。
 真夏の太陽がそこに在るかのような眩しさが水面を照らす。それは一瞬のようでもあり、長い時のようでもあった。

 火の玉の本体が着水するよりも先に、衝撃波が海を抉った。何かに押し除けられるように、柔らかな流体が見る間に大きく陥没していく。そしてその巨大な穴の中心に、真っ赤に燃えた流星が突っ込んだ。

 一瞬にして気化した海水が、爆発的な勢いで海面を押し上げる。
 海中で莫大なエネルギーが炸裂する───とその瞬間。

 迎え撃つように海中から発した巨大な渦が、爆発の衝撃を飲み込むようにして包み込んだ。
 一瞬の無音の中、二つのエネルギーがぶつかり合い相殺される。そして。
 轟々と重くけたたましい音を立てながら、押し上げられた海水の塊が、そのまま一気に水面へと降り注いだ。

 異変の収束を告げるような、低い微かな震動が海を駆け抜けていく。
 水中での大爆発を予期して身構えていた者達は、何が起こったのか判らないまま、呆然と海の彼方の渦巻く白波を見つめていた。そして徐々に、惨事を免れたのだという認識がある種の感慨となってひしひしと広がっていく。
 やがてどこからともなく歓声が沸いた。星が落ちて海が滅びる、そんな恐怖から解放された事への喜びの声が、海を包んだ。




 落下した衝撃の余韻を未だ纏いながら、海中深くに沈んでいく、「流星」だったもの。
 そしてそれを抱きかかえた、白い体。




 絡み合って、墜ちていく。
 深く暗い、水の懐へ───




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 大きく暖かい何かがゆるりと触れている。
 ふわふわとした心地良い無意識の中でそれを感じて、その大らかな安心感にまた眠りに落ちてしまいたくなる。触れてくるそれはいつも通りの穏やかさで微睡みを誘うが、何か胸にキリと刺さる違和感に気付いて、ルギアはそっと目を開けた。

「ルギア……」
 穏やかな声がそっと呼びかける。声の方へ目を向けると、見慣れた青が映った。海の色に溶けそうな深い青色の顔と、静かに見つめてくる金色の眼。
 寄り添ってくるその体は大きすぎて、視界に移るのは大きな顔の一部だけ。それでもルギアは安心したように微笑んだ。こんなふうにいつも側に居て護ってくれる者───カイオーガに。

「母上」
 ルギアはカイオーガを母と呼ぶ。勿論彼らは血のつながった親と子ではない。それどころか、カイオーガは厳密には雌ではない。けれどカイオーガはルギアに自分を母と呼ばせていた。

「……母上?」
 見上げるカイオーガの顔が、今日は何故か神妙に曇っているのに気付いて、ルギアはまだぼんやりとした頭のまま首を傾げた。
 ルギアの声に何も返さず、ただ頭を撫で続けているカイオーガ。何かおかしい。カイオーガがこんな表情をしているのは何故だろう。


「具合はどうだ?」
 低い声でそう問われて、ルギアはぽかんとカイオーガの顔を見つめ返した。そんなルギアのあどけない様子に、カイオーガはふっと苦笑する。
「星が落ちてきただろう? 忘れたか?」
「ほし……」
 呟いて、ハッと眼を見開く。ぼんやりとしていた思考が、一瞬で回り始めた。
「そうだ! 僕……痛ッ!」
 跳ね起きた途端、猛烈な頭痛に襲われてルギアは頭を抱えて背を丸めた。
「ルギア!」
 カイオーガの大きな胸鰭が、ルギアを包み込む。
「急に無理をするな。随分な痛手を受けているのだぞ」
「んん……」
 カイオーガに抱きしめられながら、ルギアは身じろぐ。
 言われてみれば、頭も体も、あちこちが痛い。確かにこれは相当のダメージだろう。それは聞くまでもなく判る。それでも、ルギアには気掛かりがあった。身体の痛みよりももっと大事なこと、それを一刻も早く確かめたくて仕方なかった。
 水中で自分が受け止めたあの『星』が、その後どうなったのか。


「母上、お星様は……?」
 体に負担がかからないようにもぞもぞと動きながら、ルギアがカイオーガを見上げる。
 気になって居ても立ってもいられないのだろう、そんなルギアの気持ちを察して、カイオーガは抱きしめた胸鰭をそっとほどいてやった。
「洞窟の奥だ。まだ眠っているぞ」
「え?」
 逸る気持ちがふと立ち止まった。星が眠っている? カイオーガの言葉にルギアは目を丸くする。
「落ちてきたのは星ではない。我らと同じ生きものだ」
「ほ、ほんと!?」
「おい、ルギア!」
 たしなめる言葉も聞こえていないのか、ルギアは目を輝かせてカイオーガの胸から飛び出し、すいっと滑らかに泳いで海中の深い洞窟へと向かった。


 そこは空からの光が全く届かない深海の洞窟であったが、岩に張り付いて棲む小さな生きものたちがいつも淡い光を発していて、ほんのりとした明るさがあった。その奥へとルギアは進んで行く。
 どきどきと胸が高鳴る。わくわくした期待感で、ルギアは体の痛みなどすっかり忘れてしまっていた。


 眩しい光が迫ってきたあの時のことを思い出す。
 誰かが「星が落ちてくる!」と叫んだ。深海にまで届いた光に、今まで経験したことのない異常事態が起こっていると瞬時に察した。
 考えるよりも先に体が動いていた。夢中になって海を駆け、落ちてくる光の元へと向かった。
 衝撃波が海面を抉る、その途轍もない圧力に翻弄されながら、火の玉になった流星の本体がまっすぐに自分の方へと落ちてくるのを瞬きもせず見つめていた。
 体中に力が漲ってくる感覚。そのすべての力を、火の玉に向けて放った。
 その後の事はよく覚えていない。


 薄暗い洞窟の最奥部。
 淡い光の中、ぼんやりと大きな塊が浮かんでいるのが見えた。
 少し離れた所で止まり、ルギアはしばらくその塊を観察する。丸い形をしているようだが、どこに顔があるのか判らない。よく見るとその塊はゆっくりと回転しているようだった。眠りながら動いているのだろうかとルギアは興味を引かれた。
 どきどきしながら、そっと近付いてみる。
 薄暗い中、本当の色がどうなっているのかは判らないが、緑色に近い色彩をしているらしい。
 そして丸い形状は、近くで見ると複雑に折り畳まれたような構造をしていた。そして所々にいくつかの突起がある。

 ───顔、どこかな……

 細長く伸びた突起を見つけた。ルギアの翼が、恐る恐るそれに触れようとする。
 その瞬間、突起の下で何かが光った。と同時に、丸い塊がばらりと崩れる。
「きゃ……」
 ぐるりと締めつけられるきつい圧迫感。ルギアの身体は一瞬のうちにその長い生き物に巻きつかれ囚われていた。
 丸い塊だと思っていたのは、それが身体を丸めていた姿だったのだ。
「や……離して」
 恐怖に竦みながら暴れようとすると、それを封じるように戒めがさらにきつくなる。
「痛……っ、助けて、助けて母上っ!」
 洞窟の中にルギアの悲鳴が響く。
「グゥ……」
 唸り声のようなその低い声に、ルギアの恐怖が高まる。

 ───怖い……助けて誰か!

 その時、ふっと締めつける力が弱まった。
「グ……」
 苦しげな呻きが耳元に届き、ルギアはハッとして戒めを振りほどいた。
 身を翻して相手に正面から向き直り、いつでも攻撃できるよう翼を構えて対峙する。
 薄闇の中、ゆらりと浮かぶ───海蛇のように細長い身体。鋭く光る瞳がまっすぐにこちらを見据えていて、ルギアは恐怖に竦みそうになる自身を叱咤した。
「あなたは……!」
 気力を振り絞って声を上げた。何か話しかけなければ、という焦りがそうさせたのだが、何を言えばいいのかルギア自身判らなかった。

 けれど、続かない言葉に焦りを感じる間もなく、相手が動いた。
 とぐろを巻いて一分の隙も無いように見えた身体がぐらりと傾く。
 水に漂うままに散開した長い身体。射竦めるようであった眼光も、消え失せて今は見えない。

「えっ……? あのっ!」
 いきなり脱力してしまったその身体を、ルギアが慌てて抱き留める。
 硬質な冷たい身体。よく見ると体中に酷い火傷を負っている。
「これは……落ちてきたときの傷?」
 おそらく落下の衝撃で負ったダメージが相当重かったのだろう、一度は目覚めたものの、意識を保つことができなかったらしい。
 ルギアに抱き留められたまま、その生き物はふたたび眠りに落ちてしまった。

「痛そう……」
 ルギアは翼でそっと相手の身体をさすってやった。自分の身体も同様に傷付いているが、それよりもこの目の前の痛々しい傷を癒してあげたかった。

 先ほどルギアを締め上げたのは、手負い故の防衛本能だったのだろう、そう考えるとこの傷だらけの生き物を怖がる必要はなかった。ルギアにとって早くもそれは、癒すべき対象になっていた。
「大丈夫だよ……きっと治るからね」
 閉じた眼の周り、そこから伸びる長い角のような突起。長い首筋と、細い両手。相手の身体が長すぎて、抱きしめたこの体勢ではその先まで触れることは出来なかったから、手の届く所だけをルギアは優しく撫でてやった。


 何度かそうしているうちに、ルギアの長い尻尾に何かが触れてきた。
 不思議に思って振り返ってみると、相手の尾の先がルギアの尻尾に寄り添っていた。そして見ているうちに、するすると尻尾の先から絡まるようにそれが巻き付いてくる。
「あれ?」
 また眼を覚まして締め上げられるのかと思い、慌ててルギアは相手の様子を確認した。けれど翼の中に抱いたその顔は深い眠りに落ちたままぴくりともしない。
「寝相悪いのかな……」
 くすぐったくて、絡まった尻尾をほどこうとするが、うまく翼が届かない。もじもじしていると、また長い身体がするっと動いた。無駄な動きなど一切無い滑らかさで、ルギアの脚から腹にかけて巻き付いていく。

「あれっ? えっ?」
 慌てているうちに、翼も絡め捕られて、あっという間に先ほどと同じように全身が戒められていた。
「ちょっ……起きてるんですか?」
 頬を寄せ合うようにしてぴったりと寄り添っている相手に、ルギアは困ったように声をかけるが、やはり返す言葉はない。
「うーん……困ったな」
 身動きがとれないぐらいに巻き付かれた状態ではあるが、先ほどとは違って痛い程の力はなく、ルギアに恐怖を感じさせる事はなかった。
 耳に届くのは、威嚇のような低いうなり声ではなく、穏やかな寝息のような音。そんな穏和な音を聞きながら、ルギアはふと苦笑した。
「……ま、いっか」

 全身で触れ合う感触はまるで抱きしめられているようで、少し窮屈を感じるものの、守られている安心感のような心地良さがルギアを包む。
 そして、ここでようやく、自身の疲労に気付いた。
「んん……僕もまた寝ちゃおかな……」
 急激に眠気が襲ってきて、ルギアは抗うこともなくふわりとした眠りの世界へと引き込まれた。




 絡み合って、抱き合って、墜ちていく。
 今度は、安らかな癒しの中へ─── 




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 ───やわらかい。
 今まで触れたこともない、初めてのふわふわした抱き心地。
 一体何事かと目を開けると、白いふっくらしたものに巻き付いている自分を確認できた。
「……?」
 耳元ですうすうと音が聞こえる。その音の方を横目で見てみると、白い生きものが自分と首を絡めるように寄り添っていて、どうやら眠っているらしい。他者の寝息というものを初めて聞いた彼は、興味を引かれてその柔らかそうな頬をぺろりと舐めてみた。


「……何をしている、レックウザ」
 地の底から沸いて出たような威圧的な声が響く。
 レックウザと呼ばれたその長い生きものは、邪魔が入ることを半ば予期していたのか、この狭い洞窟の出口側をまるで塞ぐかのようにして佇む巨体をちらりと見遣って、ふと鼻で笑った。
「やれやれ、いつから監視されていたのやら……。覗き見するほど俺が恋しかったか? カイオーガ」
「相変わらずだな」
 挑発的な言葉にも動じず、押し殺したような態度でカイオーガが返す。
「さっさとルギアから離れろ」
「可愛い焼き餅だね、姫君」
「誰がッ!」
 思わず声を荒げたところで、レックウザの思惑に嵌まってしまった事を恥じてカイオーガはぐっと口を噤む。
 そんなカイオーガに苦笑しながら、レックウザはふわりとルギアの寝顔に頬を寄せた。
「ああ……許されるなら、もう少しばかりこうしていたいところだな。とても癒やされる気がする」
「離れろと言っているだろう」
 また一段とトーンの下がった声でカイオーガは告げた。

 レックウザに巻き付かれたまま、すやすやと安眠を貪っている幼い寝顔。何も知らず無防備さをさらけ出すルギアがどうにも危なげで、カイオーガは今すぐにでもこの不穏な者の手から救い出したい衝動に駆られてしまう。けれど、ここで感情のまま行動するのがどうしても躊躇われて、いらいらとした感情を押し殺しながら、カイオーガは極力穏便に牽制をかけた。
 勿論そんな煮え切らないカイオーガの言葉などレックウザは聞く耳を持たず、わざと見せつけるようにルギアに身を絡ませた。
「この仔が心配で心配で仕方ない様子だねぇ。過保護が過ぎるんじゃないのか? それとも自分が後で食べようとしている御馳走に俺が……」
「レックウザ!」
 怒声が洞内に響いた。
 今にも攻撃を仕掛けそうな様子で強張っている青い巨体と、涼しげな顔で苦笑している緑の巨体。一触即発にも見える二匹の間に、神経に触るような緊迫した沈黙があった。


 しばらくして、大げさなほどの溜息の声が場を動かした。
「上で何があった」
 詰問のようなカイオーガの言い様に、レックウザは相変わらず薄笑いを浮かべたまま、小首を傾げて暫く黙っていた。
「さて……俺が落ちてくるぐらいの事かな」
「茶化すな」
「おお、怖い姫君だね」
 またカイオーガが溜息を漏らす。
 今度は本当に脱力してしまったようで、張り詰めた空気を投げ出すようにカイオーガはゆっくりと体の向きを変えた。
「もういい、事情は後で聞こう。ともかく今はその傷を癒やすのが先だ」
「おや、俺にこの可愛い仔を貸してくれるのかい? 暫く会わないうちに随分物分かりが良くなったじゃないか」
「……無理矢理引き剥がしてやっても良いが」
「それは御免こうむりたい」
「ならば余計な口を叩くな。それと」
 そこで一旦カイオーガは言葉を止め、念を押すように振り向いた。
「ルギアに何かしようものなら即刻追い出す」
 ひたと睨み付けながら告げるその言葉はあまりにも現実味を帯びていて、レックウザもさすがに先ほどのようにからかう訳にはいかなかった。困ったように一息ついて細い手を振った。
「……判ってる。俺もそんなに馬鹿じゃない」
 カイオーガはなお暫くレックウザをじろじろと注視していたが、やがてふいと背を向け、何も言わず洞窟を出て行った。




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 静かな深海の底を漂うように泳ぎながら、カイオーガの胸に悶々とした思いが浮かんでは消える。
 上手く話を逸らされ結局はぐらかされてしまったが、常に上空に居る筈の彼が墜落してきたこの非常事態をどう捉えればいいのか。
 時折カイオーガ自身も海上に出て、空に何らかの異変があることは認識しているつもりであったが、まさかここまで天空の守りが脅かされていようとは思ってもみなかった。

「随分……負担をかけてしまっているのかもしれないな」
 全身ボロボロの状態で落ちてきた旧友。あの軽口につい騙されそうになるが、満身創痍であるのは間違いない。
 少し考えれば判ることだ。天空という世界がどのようなものかは最早想像するしかないが、この小さな星の外側ではきっと膨大な数の脅威が日々襲い来ていて、それを彼がせっせと片付けてくれているのだろう。そうしてこの海も大地も安寧が保たれている。


 遠い遠い過去に自分たちが交わした契約は、今、ずっしりとした重みでカイオーガの心にのしかかっていた。

 ───空を、海を、大地を、各々の全力をもって守れ。
 もし、それが叶わなくば、互いの命を削ってでもその守りを支え合うべし───


「天の守りが崩れるような事があってはならん……けれど」
 自分に言い聞かせるようにカイオーガは呟く。そしてふと苦しげに口元を歪めた。
「ルギア……」
 レックウザの傷だらけの顔がルギアに頬擦りした、その時の彼の表情が脳裏に焼き付いて離れない。
 今まで彼の冷めた表情しか見たことが無かったカイオーガは、衝撃とともに胸が強く掴まれるような息苦しさを感じた。
 愛しげに、切なげに、目を閉じて、柔らかく抱きしめ───今まで自分が大切に大切に護り、隠し育ててきたかけがえのない宝物、その価値を早くも彼に気付かれてしまったと直感した。奪われてしまう、胸に浮かんだのは醜い嫉妬と激しい焦燥。

 ───もしも、癒やしを求める彼が、その代償にルギアを要求したなら……

 カイオーガは頭を振ってそんな考えを追い払おうとした。今は天地の非常時だ。そんな事を思い煩っている場合では無い。勿論理性では十分過ぎるほど判っている。今、自分達は何を優先すべきなのか。
 それでも、どうしても整理できないわだかまりがカイオーガの心を乱す。

「……」
 暫く海底を漂っていたカイオーガは、意を決したようにある方向へ体を向け、泳ぎだした。
 自分では心の整理がつかない、そう諦めたところで、この海の中にはそれを打ち明けるだけの相手は居ない。恥晒しでも良い、とにかくこの胸の乱れを鎮めてほしい。
 そんな切羽詰まった心地で、今頼れる相手はひとりしかいなかった。

 遠い大陸に棲む、古い古い友。
 空と海と陸の契約を交わした、もう一柱。

 藁にもすがる思いで、カイオーガは海を渡っていく。




*2.初めて見る空 [#nfd07993]




 カイオーガが立ち去ってからしばらく経って、ルギアがもぞもぞと動き出した。
「んあ……」
 欠伸をしようとして、体が動かないことに気付く。
 眠りについた時の状況を思い出して、ルギアは頭をぐるりと巡らせてみた。
「やっぱりまだ寝てる……」
 自分に巻き付いた長い体の持ち主は、相変わらず目を閉じたままだ。さすがに窮屈に感じて、ルギアはいくぶん強めに体を動かしてみた。

「おや、お目覚めかな」
「ひゃぁ!」
 耳元で突然声をかけられ、慌ててたルギアは思わず裏返った声を上げた。
「可愛い声だな」
 ふふ、と笑いながらレックウザがゆるりと首を上げる。
「わ……」

 間近で対面するその顔に、ルギアは呆然と見入っていた。鋭角な印象を持つ顔の中で、どこかカイオーガに似た金色の瞳は穏やかに凪いでいて、遭遇したあの時のような攻撃的な光は全く無い。
 鋭いのに柔らかさのあるその視線にじっと射られて、ルギアは訳も判らず焦りにも似た居心地悪さを感じてしまった。

「えと、あ、あの……なんで巻き付いてるんですか?」
 もじもじと当惑した様子のルギアに、レックウザは笑みを深くする。そして何も答えず、絡めた身体をするりと滑らせ、力を込めた。
「ちょ……っ」
 何の断りもなく強まろうとする戒めに、ルギアが慌てて声を上げる。
 無意識に藻掻く身体。そんな抵抗さえ難なく封じていく滑らかで隙のない動きが、ルギアの記憶の中にあった恐怖をふとよみがえらせた。
「や……嫌!」
 高い悲鳴が上がる。───と、そこで不意に締め付ける力が消えた。

「……あ?」
 あれだけ絡み付いていた身体をこの一瞬で一体どうやって緩めたのか、ルギアの身体に触れるか触れないかのところで、レックウザの身体がふわりと浮いている。
 きょとんとして見上げてくるルギアに、レックウザは困ったように苦笑して、細く堅い手で白い頬にそっと触れてみた。
「びっくりした? ごめんごめん、もう意地悪しないよ」
 じわりと涙の滲んだ深緑の瞳が、僅かな怯えを含ませてレックウザを見つめている。
 レックウザはふっと一息つくと、ふわふわな頬を名残惜しげに撫でてから、するりとルギアから身を離した。やっと開放してもらえたルギアは、それでも疑うような眼でレックウザを見上げていた。


「怪我……もう治ったんですか?」
 レックウザに撫でられた頬を無意識に翼で確かめながら、ルギアが尋ねる。
 苦言の一つや二つ覚悟していたレックウザは拍子抜けしたようにルギアを見つめ返して、少し首を傾げて何か考えるように視線を泳がせた。
「んー、まだあちこち痛い……かな」
 緩やかにうねる長い身体は所々煤けたように変色していて、出血のような症状こそ見られないものの未だ損傷の名残が生々しく残っている。

 ルギアは少し警戒しながら、目の前の緑色の身体に翼の先でちょんと触れてみた。
「痛っ!」
「えっ!? ご……ごめんなさい!」
 慌てて身を引き、泣きそうな顔でレックウザを見上げる。そして、そこで悪戯っぽく微笑う金色の瞳と眼が合った。

「なんてね、嘘」
「な……っ」
 カッと頬に熱が昇るのを感じたと同時に、ルギアは思わず翼で水を叩いていた。
 それは咄嗟の動作ではあったが、ルギアの翼の力で押し出された水は凄まじい水圧で相手に襲いかかり、油断していたレックウザはそれをまともに喰らって、洞窟の暗い壁際まで吹き飛ばされた。


「あっ!」
 ルギアが慌ててレックウザに駆け寄る。
 流石に今度は本当に痛かったらしい、レックウザは表情を歪めて「いたた……」などと呟きながらゆるりと身をくねらせた。
「ご……ごめんなさい! どうしよう……大丈夫ですか?」
 翼でそっと抱き起こす。
 少しぐったりとしたレックウザの様子に、ルギアはおろおろしながら翼で必死に緑色の身体をさすった。
「ん、大丈夫だよ。すごい力だなぁ」
 顔を上げたレックウザが白い翼の中で苦笑する。
「あ……」
 ルギアの眼が見る間に潤んで、小さな涙が海に溶ける。
「ごめんなさい……、僕っ……」
 不安の反動が大きかったのか、ルギアの大きな瞳を滲ませながらぽろぽろと涙が零れる。
「ああ、泣かせちゃった。大丈夫、泣かないで」
「ごめんなさい、怪我してるのに……」

 翼でそっと抱き包む、その柔らかな心地良さにレックウザはふと眼を細めた。
「大丈夫だよ。ああ……でも、こうして抱いてくれているとすごく癒されるな」
「ほんとに……?」
 しおれていた心に灯りが差すようなささやかな嬉しさを感じて、ルギアは翼の中に抱いた顔を覗き込む。少し疲れの浮かんだようなその緑色の顔は、それでも優しい表情でルギアを見上げてくれていた。


「ああ、ルギアはふわふわで気持ち良い」
 囁くような言葉に、ふとルギアは首を傾げた。
「僕のこと、知ってるんですか?」
 名乗った覚えがないのに名を呼ばれる違和感。深海の底、この海域を出ることのないルギアの存在を知る者は、この海の中でもほとんどいない。

「ああ、君のことはカイオーガから聞いた」
「母上から?」
「は、母? 誰が?」

 噛み合わない会話に双方が首を傾げる。
「え、えと……カイオーガは僕の母です。本当のお母さんじゃないけど」
「……」
 レックウザは微かに唸りながら、その言葉を反芻していた。そして暫くして、ふぅと小さな溜息を漏らして目を伏せた。
「そうか……『母』か、成る程」
「どうしたんですか?」
 勝手に納得した様子のレックウザに、やや不満げな表情でルギアが尋ねる。
「いや、何でもない。大切にされてるんだな、ルギアは」
「……どういうことですか?」
「母になるってのは、相当な覚悟が居るってことさ」
 謎掛けのようなその言葉に、やはりルギアはきょとんとしている。
「母上が……覚悟を?」
「ああ。でも君はまだ知らなくて良い事なのかも知れない」
「わかんないです」
 レックウザの言葉は、ルギアにとってはどこか知らない国の言葉のように、もやもやとしたもどかしさを感じさせる。それが表情に現れていたのだろう、レックウザは苦笑しながらルギアの頬を手でつついた。


「ああ、せっかくこうして良い気持ちになってるんだ。余計な話は止しておこう」
「あなたが言い出したんじゃないですか」
 むすっとしてルギアが返す。
「……それもそうだね」
 呆気なく引き下がったレックウザに、ルギアもそれ以上言い返す言葉が無く、会話が宙に浮いてしまう。
「えと、あなたの名前、教えてもらえませんか?」
 沈黙を取り繕うようにルギアが問う。
「ああ、そうか。こんなに親密になったのに名乗っていなかったね」
「そんなに親密って訳じゃ……」

「レックウザ」
 ルギアがもごもごと何か言おうとするのを遮って、レックウザは名を告げた。
「……」
 またしばらく、沈黙が降りた。けれど今度のそれは、今までのようなばつが悪い重苦しさは無く、何かが変わっていくような胸の高鳴りをルギアとレックウザに感じさせた。


「レックウザ……さん」
 確かめるように名を呼ぶ。
「ルギア」
 穏やかな声が、呼び返す。


 こんなふうに呼び合う事など、ルギアにとってはカイオーガを除いて初めての経験だった。勿論、天空に独り住まうレックウザにとっても。


 溜息が漏れそうなほどに豊かな感慨が二匹を包む。
 互いにそれ以上何も語らなかった。


 ただ、緩やかに抱き合いながら、優しい癒しが身に沁みていくのを静かに感じていた。




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 海に突き出た絶壁の岬が、大小入り組みまた小島を抱きながら、視界の彼方まで連なる複雑な海岸。
 打ち付ける海水は、遥か遠くから巡り来た大いなる海流の勢いそのままに、厳しい外海の荒々しさで、陸からも海からも誰ひとり寄せ付けることはなかった。

 そんな岬の合間の小さな入り江に、海と陸との交わる場所がある。




「そろそろ来る頃かと思っていた。カイオーガ」
 赤みがかった大きな身体をやや屈めて、グラードンは波静かな浅瀬に浮かぶ青い巨体に呼びかけた。その声に応えるように、カイオーガがおずおずと水から顔を上げる。
 その金色の瞳に小さな涙が滲んでいるのを目ざとく見つけて、グラードンは水に浸かるのも厭わず、バシャバシャと海に進み入った。
「どうしたカイオーガ? 何があった?」
 いきなり駆け寄ってきた相方に、カイオーガは焦ったように逃げをうつ。しかし身動きのとりにくい浅瀬では身体の勝手が利かず、あっという間に大きな腕の中に捕まえられていた。

「どうしたんだ、カイオーガ」
「は、離してくれ」
 胸鰭で水を打ちながらカイオーガが暴れる。
 この水の深さではやはり自分に不利だと察したグラードンは、有無を言わさずカイオーガを波打ち際まで引き上げた。
「グラードン!」
 カイオーガは完全に座礁した状態で、不安げにもがきながら何とか海へと戻ろうとするが、グラードンはそれを阻むようにカイオーガの側に腰を下ろした。浜に乗り上げた状態ではあるが下半身は水に浸かっているので、カイオーガほどの体力であれば急激な消耗は無いだろうというのが彼の判断だ。


「落ち着け、カイオーガ」
 グラードンの手が波打ち際の海水を掬ってカイオーガの胸鰭にかけてやる。
 何度かそうしているうちに、気が落ち着いてきたのかカイオーガの眼がグラードンを縋るように見上げてきた。
「すまない……みっともない所を見せた」
 小声でぽつりと呟く。
 グラードンは無理に話を急かさず、単調な動きで海水をかけ続けてやった。

「レックウザが落ちてきた。幸い、皆無事だったが」
 とりとめもなくカイオーガが話し始める。
「ああ、知ってる。お前が受け止めたのか?」

 遠いこの大陸からでも、大海原の彼方にそれが真っ直ぐに落ちていくのがはっきりと見て取れた。
 海中で大爆発を起こせば、その衝撃が津波となって陸を襲う。そう覚悟してグラードンは見守っていたのだが、その惨事は何かの要因で阻止されたらしい。グラードンの知る限り、そのような事ができる者はカイオーガしか居なかったから、まずはそう問うたのだった。

 しかしカイオーガは力無く首を振った。
「ルギアだ……」
「ルギア?」
 聞き慣れない名に、グラードンは首を傾げた。遠い記憶の中で、何度か耳にしたような気がするが、それが何かは判らなかった。
「極めて優れた力を持つ稀少な一族だ。訳在って私が育てていた」
「ほぅ? そのルギアとやらがレックウザを受け止めたというのか」
「……」
 感心したようなグラードンの言葉に、カイオーガは小さく頷いただけで何も言葉を返さなかった。よく見ると、カイオーガの眼に新たな涙の粒が浮かんでいた。
「ルギアがどうかしたのか?」
「いや……何でもない」

 問いかけに答えるカイオーガは、明らかに視線を逸らしていた。一体どのような『訳』があるのかは判らないが、カイオーガがそのルギアという存在に何かひどく動揺している様子であるのを察したグラードンは、長期戦を覚悟して小さく溜息をついた。


「なぁ、空が見えるか、カイオーガ……」
 思い付きのように呟いたグラードンの言葉に、カイオーガもふと空を見上げた。

 絶壁の岬に囲まれたこの入り江は、決して上空が開けているわけではない。遮る物の何もない大海原で見上げる空より、遥かに小さな空がそこにあった。
 もうすぐ夜が来るのだろう、黄金と朱色の混じった雲が幾筋か美しい色彩を描いていて、その向こう側には、空が青から群青へと刻一刻と移り変わっていく様を見ることができた。

「ああ……」
 カイオーガが吐息のような声を漏らした。
 空の美しさに感嘆したのではない。
 その眼は、絶望の色を宿して空を見上げていた。

 群青の空の一角に揺れる光の波。
 極地でもないこんな地では決して見ることの無かったその不気味な光が、薄布をたなびかせるように妖しくゆらめいている。


 その光の舞いを、一部の者はオーロラと呼んでいた。
 けれど彼らにとってそれは、破滅の兆しを知らせる光として記憶に焼き付いていた。


「やはり……太陽が」
「ああ。あの時も太陽が歪んで弾けるように見えた」
 レックウザが落ちて来る寸前、空に見た異変。
「このところ太陽から来る光がおかしいのだ。俺のように頑丈な者ならば良いが、か弱き者のいくらかはそのせいで既に命を落としている」
「何だと……」
 グラードンの言葉に、カイオーガは息を飲んだ。
 海の中は、水が在るおかげで、剥き出しの地上ほど環境の変化の影響を受けにくい。まさか地上で死者が出るほどの事態になっていようとは、カイオーガも認識してはいなかった。

「レックウザ……」
 傷だらけで眠っていた天空の旧友を思ってカイオーガは歯を噛み締める。
「俺たちの力が必要になる。……近いうちに、必ずな」
「ああ……」
 震えて掠れかけた声で、カイオーガは返した。
 グラードンには、その響きがどこか上の空のように聞こえた。




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 あれから幾日幾夜過ぎたかもう判らなくなっていたが、二匹ともほとんどの時間を眠って過ごしていたような気がする。
 レックウザは「こうしていると落ち着く」などと言っては、結局またルギアに巻き付いていた。ルギアもまんざらではない様子で、レックウザの身体を翼の先で時折撫でさすったりしながら、微睡みと目覚めを繰り返していた。
 眠りの長さや深さが互いに異なるのか、目覚めるのはたいていどちらか一方だったので、相手の眠りを妨げないように、目覚めているときもさして活動することなく、ぼんやりと思考を漂わせながら静かに時の流れに身を任せていた。そうしてまたいつの間にか眠りに落ちていく。そんなことを何度も繰り返していた。


「ん……」
 眠りの海から目覚めたルギアが大きく伸びをする。そしてこんなふうに自由に動けることに不思議な違和感と物足りなさのようなものを感じて、ふと周囲を見回した。
「起きた?」
 洞窟の出口方面を眺めていたらしいレックウザが振り返って声をかける。
「おはようございます。レックウザさん」
「おはよう? ああ、目覚めの挨拶か」
 独り言を言いながら、まだぼんやりしているルギアの方へ泳ぎ寄る。
「初めてだな。『おはよう』なんて」
 レックウザは少し照れ臭そうにそう言って、慣れた手つきでルギアの頬を撫でた。ルギアも心地よさげにその撫でる手のしたいように任せている。いつの間にかこんな触れ合いが当たり前のようになっていた。


「随分動けるようになったんですね」
 水の中でしなやかに身をくねらせるレックウザを見上げて、ルギアは嬉しそうに笑いかけた。ゆっくり眠ることが出来たおかげか、焼け焦げ痛々しく変色していた体色には元の緑色が随分目立つようになって、体力も充実してきているように見える。
 レックウザは回復を見せつけるようにくるりと宙返りしてみせた。
「もうちょっと眠ったら外に出られそうだ」
「まだ寝るんですか?」
 さすがに呆れたようにルギアが笑う。
「寝心地最高だからね。こんなに安眠するのは初めてだ」
「また『ふわふわ』だとか言うんでしょう」
 レックウザがあまりに「柔らかい」だの「ふわふわ」だのと言うので、ルギアはすっかりコンプレックスになってしまったらしい。拗ねたようにぷうっと頬を膨らませる。そんな様子がまた可愛いらしくて、レックウザはたまらずルギアに抱きついた。
 口にしたらルギアがヘソを曲げてしまうので言葉には出来ないが、全身で感じる軽くて柔らかな感触が気持ち良すぎて癖になる。逆にこんな硬い棒のような自分に巻き付かれてルギアはどう感じているのだろうかと気にはなるが、腕の中で眠っている時の彼はいつも、安心しきったような寝顔を見せてくれているので、少なくとも苦痛ではないようだと勝手に判断していた。


 目覚めて、じゃれ合って、疲れればまた眠る───ここ数日間の暮らしぶりを省みてレックウザは苦笑する。
 これまでの自分の日常とは、在る意味かけ離れすぎたこのひととき。


「ああ……帰りたくなくなるな」
 ぽつりと呟いたレックウザの言葉に、ルギアはふと寂しそうな目を向けた。
「此処に居ても……僕は構いませんよ?」
 見上げてくるルギアの眼は、レックウザに何かを期待するような、それでいてどうしようもなく頼りなさげにも見える複雑な色を滲ませて、微かに揺れていた。
「……ルギア」
 柔らかな声が呼びかけるのと同時に、ルギアを抱いた手がそっと力を込めた。
「ありがとう」
 触れ合った肌を伝って、その言葉がルギアの心に届く。そして、その言葉の外に含まされたレックウザの胸中も。


 心を澄ませば、響くように流れ込んでくる、彼の想い。そして寂しさ。
 この種族の持つ素質にも起因するのか、不思議なほど、ルギアは他者の心の景色を感じ取ることが出来た。
 ルギアの目の前には、どこまでも果てしなく続く暗闇が見えていた。そしてそこにきらめく無数の光の粒たち。空想でしか見たことがないが、きっとあれは星なのだろう。
 美しいが、寂しげな世界───これがレックウザの帰るべき場所なのかと思うと、何故か胸が苦しくなった。


「此処に居て……良いんですよ?」
 ルギアの呟きに、レックウザは何も言わずただ抱擁で答えた。
 全身を使って抱きしめる、互いの全てで触れ合おうとするこのひたむきな感覚が、今この瞬間どうしようもなく脆く儚いもののようにルギアには思えた。


 もうすぐ終わってしまう。消えてしまう。この優しい時間が。
 何も考えずこうして包まれたまま眠ってしまいたい。それでも、眠ってしまえば傷は癒え、彼はあの星々の世界に帰って行ってしまう。


 葛藤の中、それでも睡魔はやって来た。
 穏やかな海底のゆりかごの中にたゆたいながら、ルギアは思う。

 ───願わくば、どうか少しでも……少しでもゆっくりと時が過ぎていきますように


 そして眠りに落ちていくルギアの柔らかな身体に巻き付きながら、レックウザもまた同じ事を考えていた。

 ───もう少しでいい。あと少しだけでいいから、このままで───




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 ゆっくりと旋回しながら上昇する。時折くっつき合ったり追いかけ合ったり、その動きはまるで楽しげに戯れているかのようだ。
 深い海底の水圧に慣れてしまった身体のまま、急激に海面まで浮上すると身体に過度の負担がかかる。もとより類い稀な能力と体力を持つ彼らならばさして問題にもならない事だが、何かしら口実をつけて少しでもゆっくりと時を過ごしたい、口に出さずともそんな願いが互いに通じ合ったのだろう、洞窟を出たところからずっとこんな調子でルギアとレックウザはじゃれ合っていた。


 洞窟の中とは比べものにならないぐらい広々とした海を我が物顔で泳ぎ回る。深海とは違っていろいろな種類の生き物が居て、出会うその数も実に多い。
 ルギアは目を輝かせてあちこち見て回っては、はしゃいだ声でレックウザにあれやこれやと告げに来て、その度にレックウザは律儀にうんうんと聞き入れていた。
 初めて見る大海原の世界。何を見ても物珍しそうに喜ぶルギアの無邪気な姿に、レックウザは心の底の冷たい場所で何か温かいものが生まれてくるような気配を感じて、ふと眼を細めた。

 自分が心の底から笑っている、その事実に改めて感嘆する。
「ルギア」
 特に用も無いのに呼んでいた。
 すぐに泳ぎ寄ってきたルギアに、レックウザは無言で手を差し伸べた。
「レックウザさん?」
 不思議そうに首を傾げながら、それでもルギアは疑いもなくその手に翼の先を重ねる。
 レックウザはそのまま身をくねらせ、海面へと泳ぎ始めた。
「レックウザさん!」
 慌ててルギアも水を蹴って追随する。


 うろうろと遊びながらも、もう随分上へと昇ってきていたらしい。深層の冷たく冴えた水とは明らかに違う、温かくて様々な匂いの混じった水が身を包んでいた。
「ほら、もうすぐ外だ」
 上の方に、きらきらと小さな光が揺れているのが見える。
 ルギアはどきどきと胸が高鳴るのを感じながら、レックウザと並んで一気にその光の招く方へと進んだ。



 水の世界の一番上、水の終わるところ───水面。
 ざばぁと大きな水音を立てて、ルギアとレックウザが海面上に躍り出た。そしてすぐに、揃って着水するけたたましい音が響き渡る。
 その音にルギアは驚いた。怖々と、今度はゆっくりと海面に顔を出し、そろりと翼の先で水面をバシャバシャと叩いて音を確かめてみた。
 その音にルギアは驚いた。怖々と、今度はゆっくりと海面に顔を出し、そろりと伸ばした翼の先で水面をバシャバシャ叩いて音を確かめてみた。
「うわぁ」
 水と空との境目で、水の飛沫が宙を舞う。大小とりどりの水の粒が、翼の先で踊る。姿形を変え、高い水音を立てるその水飛沫が、ルギアには面白く珍しかった。
 自分の住処でもある海が、一番上の境界ではこんなふうになっていることを、ルギアは今初めて知ったのだった。


「空を見てごらん、ルギア」
「空?」
 不思議そうに呟きながら、ルギアはレックウザの見上げている視線の先へ目を向けた。
「あぁ」

 闇色に似た群青が、深みのある濃淡を含みながら、上空一面を覆っていた。
 そしてそこに散らばる数多の光の粒。空想で思い描いていたよりももっと美しい星空があった。
 それだけではない。西の方には鋭角に欠けた大きな朱っぽい月が今にも海に没しようとしている。そして一際目を引くのが、星々や月の間を塵のように漂う青白い光の揺らめき。

「綺麗……」
 呆然と呟きながら、ただ夜空を見上げるルギア。
「これが、空?」
「ああ」
 ルギアは翼を空に伸ばしてみた。
「届かない」
 水の上に上体をせり出してみても、どんなに翼を精一杯伸ばしても、目に映る美しい物のどれ一つにも手が届かない。
「星は遠い遠いところにあるからね。月も……」
「そうなんですか……じゃああれは?」
 ルギアが指さしたのは、場違いなオーロラの光。レックウザはふと表情を曇らせて、しばらく目を伏せた。
「あれは……本来此処に在ってはならないものだ」
「え?」

 低い呟きにルギアはレックウザを振り返る。レックウザはどこか厳しい目つきで空を見上げていた。
「あれが出るのは波乱の兆し。空に悪いものがたくさんやって来るとああなるんだ」
 淡々と告げるその言葉に、ルギアの胸に不安が募る。
「悪いものって……そんなものがたくさん来たら、レックウザさん困るじゃないですか」
「そうだね」
 ルギアの素朴な言葉に表情を崩しながらレックウザが相づちを打つ。
「悪いものやっつけるの手伝ってあげます!」
「は?」
 レックウザをまっすぐに見つめるルギアの眼には、強い意志の光が仄かに煌めいている。少しでも助けになりたい、瞳の中にそんな想いが溢れていて、レックウザは胸に小さな痛みのようなものを感じた。
「ルギア……」
 するりとルギアの身を一周する。きつく締め上げれば潰れてしまいそうな、柔らかな身体。

 ───ああ、駄目だ……

 レックウザはルギアを抱きしめたまま眼を閉じた。
 身を守るための堅い殻を持たない、脆く儚い身体。天空のあの過酷な環境では、到底生きることなど出来はしまい。
 そればかりか、もし自分が───天空の守りが壊れたなら、外界から襲い来る『見えざる死の手』の中に真っ先に掴まってしまうだろう。たとえ、この深く安寧な海の底に居たとしても。
 そう思い至った瞬間、レックウザの心にぞっとした冷たい塊が落ちてきた。無意識に強張る表情。ルギアを抱く手に微かな震えが走る。


「レックウザさん?」
 レックウザの心に影が差すのを敏感に察して、ルギアが不安げに見上げてくる。
「ルギア……」
「怖いんですか? 大丈夫。僕が一緒に闘ってあげるから……」
「違う、そうじゃないんだ」
「僕が弱いって思ってるでしょう」
 少し苛立ちを含んだ声音と、どこか寂しそうな表情。ただ純粋に、頼りにされたいという幼い願いが、レックウザに縋ってくる。

 レックウザは何をどう説明すれば良いのか判らなかった。
 ルギアは弱い。それは能力の事ではなく、与えられたその体躯ゆえに。しかしその想いを行き違い無く伝えられるとは思えなかった。

「ルギアは強い」
「だったら一緒に」
 重ねて言い募るようなルギアの言葉に、レックウザはそっと首を振った。
「これは、俺がやらなきゃならない事なんだ。ルギアを……この空を、守らせてほしい」
「僕は守ってもらうより、あなたと一緒に居たいんです!」
「お前は死にたいのかッ!」
 唐突な怒声に、ルギアはびくんと震え上がって言葉を詰まらせた。

「あ……」
 ルギアの瞳が見る間に濡れてくる。
 眼から溢れ出た雫が、柔らかな頬を伝って流れ落ちる。
「レッ……ク、ウ」
「ああ……ルギア」

 泣かせてしまった事に狼狽して、レックウザは思わずルギアをきつく抱きしめていた。
「嫌……いや、離して」
 怒鳴られたのが余程ショックだったのか、常にない力でルギアはもがき、抱擁を拒む。
「済まない、ルギア。俺は……」
「いや……もう、やだッ」
「落ち着いてくれ、ルギア」
 ルギアが本気で拒めば、レックウザも生半可な力のままでは手に負えない。半ば無理矢理にルギアの四肢を封じ込め、強く巻き付いた。
「痛……意地悪ッ! レックウザさんなんか……!」
「ルギア、泣くな」
「レックウザさんなんか……」
「ルギ……」

 感情が、溢れ出す。その悲しみは荒ぶる力となって、ルギアの全身に響き渡り、そして再び一点に収束していく。
 ルギアの喉元に集まった、破壊的な力の塊。

「ルギア、駄目だ!」
「レックウザさんなんか……ッ!」


 光が天を突き抜けて立ち上る。


 真っ直ぐに放たれたルギアの力は、上空高いところで一部が弾けて、稲光のような灯火が空の一角に散らばった。

「馬鹿っ……! ああ」
 苦しげな呻きとともに、レックウザが絶望的な眼で空を見上げる。
 制御しきれないまま力を放ってしまったルギアは、自らのその威力に呆然としながらも、目の前のレックウザの様子に何かとんでもないことをしてしまったのだと察して、恐れおののくように青ざめた。
「ご……めん、なさい……」
 蚊の鳴くような声で詫びるルギアに、レックウザはきつい視線を向けた。
「遊びじゃないんだぞ! 地上の者を死なせる気か!」
 怒声に震えが混じっているのは、彼が本気で怒っている証拠だ。
 ルギアは恐怖に固まったまま、ただぼろぼろと涙を流した。
「ごめ……レックウザ……。ごめん……」
「……」
 途切れ途切れのルギアの声を聞いているうちに、レックウザの心に何とも言えない虚しさが押し寄せてきた。

 護りたい、その想いが強すぎて、逆にその護りたい大切な者の心を傷つけ泣かせてしまっている。一体自分は何をしているのか───自嘲にも似たやり切れなさがレックウザの心を塞いでいく。

 気を落ち着かせるためにレックウザはしばし眼を閉じ、深く息をついた。
 しかしそれはルギアにとっては失望の溜息のように聞こえたのだろう、居たたまれないように泣きながら、レックウザから離れようと水の中へ身を沈めた。
 海の中に身を浸して泣くルギアを、レックウザの手が抱き留める。
 弱々しく抵抗するのも構わずに、レックウザもまた海の中に潜って、全身でルギアを抱きしめた。


「済まない……言葉が過ぎた」
 落ち着いた声がルギアに囁く。
 けれど、ルギアは涙を海に溶け込ませながら、ふるふると首を振った。
「ごめんなさい……僕のせいで」
「違う、ルギア。元々天空の守りの壁は脆いものなんだ。だから俺が居る。君のせいじゃない。俺が空に戻ればすぐに壁は元に戻る」

 ルギアが壊してしまったのは、この星の外側にある守りの壁。
 彼の言葉の中から意味を拾って、天空でレックウザが何を担っているのか、ルギアにも少しだけ判ったような気がした。そして彼の背負うものに対して、自分は足手纏いでしかないことも。

「ごめんなさい……一緒に闘うなんて、馬鹿なこと言って困らせて。あなたにとっては迷惑ばっかりなのに……」
「違う」
 ルギアの言葉を、レックウザは即座に否定した。
 その声の強さに驚いて見上げると、ルギアを見つめてくるレックウザの金色の瞳が、何か言いたげに躊躇っていた。

 言葉が見つからないもどかしさに、レックウザは辛そうに俯く。
「馬鹿なことじゃない。あの空に君が共に居てくれるならどれだけ……」

 ───どれだけ、幸せだろう

 その言葉を、レックウザは飲み込んだ。
 叶う筈もない幸福を空想するほど虚しいものはない、そう判っているから期待を込めた言葉など口には出来なかった。そっと首を振って、レックウザはルギアの目元にそっと触れた。
 叶う筈もない幸福を空想するほど虚しいものはない、そう判っているから期待を込めた言葉など口には出来なかった。小さく首を振って、レックウザはルギアの目元にそっと触れた。

「君はその力を、いつか使うべき時が来る。天空で俺が為さなければならない事があるように、きっと君にも為すべき何かがある。共に闘えなくても、ルギアのその気持ちだけで俺は充分闘える」
「レックウザさん……」
「君を大切に思う。もう一度言う───護らせてほしい。あの空で」

 ルギアは口を噛んで言葉を押さえていた。
 本当は、本心は、あの空の上で孤独に闘っているレックウザと共に在りたい。力になりたい。頼りにされたい。口を開けばそんな望みをまた言ってしまいそうで、声を発することすら出来なかった。それは叶わない望みだから。彼はそれを望んでいないから───。


 言葉を告げられない代わりに、レックウザを安心させようとして、ルギアは微笑ってみせた。
 けれど、涙が溢れて止まらなかった。


「泣くな、ルギア」
「……泣いてません」
「逢いに来るから。また、必ず」
「本当に?」
 不安げに揺れる深緑の瞳が見上げてくる。
 レックウザはルギアを抱きしめたまま、水面に上がった。


「ここからが、空だ」
 水面から手を挙げて見せる。
「海と空は繋がっているから。決して遠くはない。上に上に……ただひたすら上っていけば良い」
「空……飛びたいな」
 憧れるように呟いたルギアに、レックウザは笑った。
「立派な翼があるじゃないか。飛べばいい。いつか───為すべき事を全て終えて、幸せになって……そしてもう省みるものが何も無くなったら、その時は天空まで飛べばいい」
「良いんですか? 行っても」
「いつの日か。待っているよ」


 いつか、あの空で


 ルギアは降るような星空を見上げて、その美しさを心に焼き付けるよう、そっと目を閉じた。
 レックウザの腕の中で見た、初めての空の景色を。






つづく。
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[[空蝉]]



誤字脱字批評等ありましたらお願いします<(_ _)>↓

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