#include(第十三回短編小説大会情報窓,notitle) &color(gold){ルビが多いため画面を横長の設定にすると読みやすくなります。}; &size(42){渇き}; [[水のミドリ]] ♪〜 クエルボの酒を 届けに行くよ 立ちゆく 敵と 砂嵐 身体を満たす 黄金色の水 いつか君と見た 泉のよう 細身のショットグラスに、角瓶からテキーラがとととと……、と注がれる。追ってラムの実がひと絞り、続けざまに炭酸水が割り入れられた。ハッサムの片手が蓋をするようにグラスを挟むと、そっと持ち上げられ―― ダンっ!! &ruby(ブビンガ){赤茶けた木材};のカウンターへ強く打ち付けられる音に、薄暗いバーのしけた客どもは振り向かない。グラスの中で&ruby(しんとう){震盪};されたソーダが吹き上がり、ラムが鮮やかに香り出す。どうぞ、と隣席のマラカッチの前へ置かれた&ruby(クエルボ・バレット){テキーラの炭酸割り};((実際にあるショットガンというテキーラの飲み方をポケダンの世界観に合わせてもじった造語。クエルボはテキーラの銘柄のひとつ。))の泡が小さく弾けて踊るさまを、ドビイは横目で眺めていた。 彼は自身のグラスを傾け、ノクタスの小分けにされた口へテキーラを流し込んだ。今宵初めての1杯が植物の喉を焼いて過ぎた。腹の底からカアっと熱が湧き上がる。液体を飲んだはずなのに喉が渇いた。炭酸割りにはそんな、蜃気楼の泉のようなイメージがある。まだ消えない隣席のグラスの泡を見て、目を細めた。 その泡に、ギザギザした口先がそっと触れた。瞬間熱いスープに触れたように身を離し、マラカッチが顔をしかめていた。ドビイの口がおせっかいにもつい滑る。 「初めてのテキーラに&ruby(バレットパンチ){バーテンの得意技};はよしておいたほうがいい。おれと同じものを頼むなんて背伸びはするな。イアンも手加減してやれ、&ruby(カクテル・サンライズ){オレンジジュース割り};なんてどうだ」 「……昨日に引き続き子供扱いして、まだまともに取り合わないつもりかしら?」 「1日経ったくらいじゃ、まだ子供だからな」 「…………っ」 砂の大陸は最西端、小さなオアシス都市ディキシー&ruby(ランド){市};1番街で唯一生き残ったバー“&ruby(メタルクロウ){鋼の嘘つき鳥};”。そのカウンターの1番奥の丸椅子は穴だらけだ。ノクタスのドビイがいつも座っているからだった。この日、その隣の椅子までサボテン針の餌食となった。カバサが飛びかかる衝動をどうにか押しとどめたおかげで、ドビイの身代わりとなった椅子は彼女の爪を突き立てられ中綿ごと&ruby(チリ・ペッパー){かすれた赤色};の皮革を引き裂かれていた。 ディキシー市の市長が娘、マラカッチのカバサが&ruby(こんなとこ){1番街};の小汚いバーに2日も続けて訪れるのには訳があった。母親を早くに亡くした彼女はナットレイのメイドに育てられてきたのだが、その彼女はいささか過保護がすぎていた。小遣いは渡されず門限は暗くなるまで、成年しても&ruby(ダンジョン){迷宮};はおろか旧市街を散歩することすら許されない。いい加減窮屈だった。ひとりで迷宮を踏破して、パパを見返してやる。向こう見ずで邸宅を飛び出したのは、行動力だけは確かな&ruby(はこいりむすめ){観葉植物};のせめてもの反抗だった。この店のドアを叩いたのは、迷宮についての情報を得るにはバーに行け。そばかすも消え切っていない彼女の基礎的でかつ短絡的な思考からだ。そのときの唯一の客が、毎日開店時からひっそりと飲んでいるドビイだった。 カバサは腕に巻いたリングルと脇の探検鞄を見せつけて、ちびちびとテキーラをやるドビイにぴしゃりと言いつけた。 「ともかく! 昨日言われた通り最低限の装備は整えてきたわ。さっさとダンジョンの入り口を教えなさい」 かしゃらん! マラカッチの房が刺々しい音を立てる。カウンターに投げられた可愛らしいポーチから、みずみずしい特大リンゴが転がり出た。左腕に巻かれた&ruby(ノーてん){防塵};リングルは、市販されているものより穴の数がいくつか多い。どちらも闇市に流せば、そこそこの値がつきそうだ。 ドビイは一瞥して、く、と酒をひと啜りする。塩漬けのクラボを齧ると、ほのかな痺れと強烈な塩味が鼻に抜けた。この街のテキーラの正しい飲み方だ。 「無闇に墓を増やしたくない。そんな&ruby(たか){高価};そうな身なりで来るな、ならず者に目をつけられる」 「迷宮のモンスターでも悪党でもかかってきなさい。そんなの私が返り討ちにしてやるわ。バトルの鍛錬くらい毎日しているもの」 「いいから陽が沈みきる前にさっさと帰れ、酒が不味くなる。そろそろナットレイが喚き出す頃だろう」 「私だってアル中のおっさんの話し相手を買って出てる訳じゃないの。……ってちょっと待って、なんでうちのメイドを知っているのよ」 沈黙。前日と同じ険悪な雰囲気が席巻していた。と、空咳が聞こえてくる。カバサが振り向けば、暗がりのテーブル席でシロデスナの老婆がビフテキをナイフで器用に切り分けていた。体を構成する流砂が蟻地獄のように渦巻いている。陥ち窪んだ眼窩から、恨みがましい視線がカバサをねめつけていた。 カバサは椅子から跳ね降りて、ごめんなさい、と小さく、そして礼儀正しく謝った。ふん、鼻を鳴らした老婆の口周りは、老化かはたまた飛び散った肉汁のせいか、暗く固まりひび割れている。バーテンのハッサムが詫びとしてトルティーヤ・チップスのバスケットを置きにいった。 席に戻ったカバサが、鞄から色褪せた紙を引っ張り出して広げる。まだ若いノクタスが紙面越しにカバサを睨みつけていた。声のトーンを落として、しかし強い口調のままなじり寄った。 「昨日と同じようにやり過ごせると思わないことね。私もあなたについて調べさせてもらったの。お尋ね者だったんですってね」 「……昔の話だ、よせ」ドビイは動揺しなかったが、グラスを掴んだままの腕を煙たそうに振った。「もう終わったことだ」 「ふぅん?」カバサは得意げに手配書を爪で弾く。「自覚はあるのね。ま、パパに聞いても詳しくは教えてくれないし、でもこれ以上、市長の娘を無下にしないほうがいいんじゃないかしら」 「…………」 ドビイは薄暗いバーに目を泳がせた。こちらに向けられた他の客の視線を追い払って、ため息をひとつ。 「分かった、教えるよ。1番街の東に噴水広場がある。明日になったらそこの記念碑を調べてみるといい。夜は砂嵐がひどくなる」 「なら、今すぐ攻略すれば箔がつくってことね」 「……用心しろ。迷宮では、幽霊に後を付けられるって噂もあるからな」 「バカにしてる? 引き止めたいならもっとうまいこと言いなさいよね」 カバサは肩に鞄を引っ掛けて、まだ中身の残るグラスの脇に紙幣を1枚置いた。お釣りはいらないわ、と言い椅子から飛び降りると、ドアベルより大きい足音を立てながら跳び去っていく。 カウンターを片付けるハッサムが恭しく頭を下げていた。だがその視線は手にしたグラスのように冷ややかで、それが割れた時の鋭さを思わせるようなものだった。 ドビイが、古傷だらけの笠から感情の読みづらい顔を覗かせる。 「20分で1杯、チップも羽振りがいい。よかったなイアン、上客ができた。おれに追加で1ショットくれよ」 「いつにも増してよく飲まれますね。あなたも、市長の娘になにか特別な思いが?」普段の顔つきに戻っていたイアンは、シロデスナの残したチップスを音もなくトラッシュに捨てた。「それにしても、あなた確か以前は腕利きの探検家だったのでしょう。なぜ隠したのです」 「よせよ、今はアル中のおっさんだ。酔っ払いに腕の立つ奴はいない」 ドビイの前に新たなグラスが置かれる。カバサとすれ違うように入店した大柄なバンギラスとガブリアスが、彼女について下卑た会話を零していた。イアンがテーブルに注文を取りに向かい、残されたドビイはテキーラに口をつける。飲めば飲むだけ喉が渇いた。 夜は更け、ほとんどの客が出払ってからイアンが言った。 「ドビイさん、久しぶりに依頼を持ちかけます。このあと俺に付き合ってください。報酬はクエルボ1本、どうです」 提案の形を取っていたが、彼の口調には首を横に振らせない凄みがあった。カウンターへ角瓶がそっと置かれる。黄金色の液体を透かし見ながら、ドビイはそれを手に取った。この夜幾度となく空になったグラスを満たす。ストレートで一気に飲み干して、塩漬けクラボを口許ですり潰した。 「今日の飲み代もツケといてくれ」 「うまくやってくださいよ」 「…………」 ドビイは雑然と口を拭って、滑るように丸椅子を降りた。立てかけてあったギターを掴み、ぽろろん、繊細な音色を爪弾く。懐から取り出した錆だらけの&ruby(ポケ){硬貨};を側の機械にねじ込んだ。もはや化石となった年代物のジュークボックスはレコードを設置する溝が10本しかないが、そもそも4枚しか入れられていない。そのうち使われたことがあるのはドビイがいつも掛けているクラシックと、酔っ払った客同士の喧嘩でぶつかった拍子に流れ出した“&ruby(ケ・セラ・セラ){なるようになるさ};”だけだ。 バーを満たし始めたピアノの&ruby(ノクターン){夜想曲};に乗せて、ドビイはここにはいない誰かへ向けて即興の歌を口ずさむ。 ♪〜 クエルボの酒を 届けに行くよ 黄金色の水で満ちていた 街を想う 砂漠の陽の下 さあ渇きを潤そう 幻のひと滴は 湧き上がる泉のよう 場末のバーを出たカバサは、静まり返った旧市街の中央通りを一直線に跳ね進んでいた。途中、夜の足音にまぎれてひと&ruby(さら){攫};いらしき2人組が路地裏から飛び出してきたが、彼女の花吹雪にあっけなく退散していった。以降は物珍しげで、そして疎ましげな視線が老朽化した石造りの家々から覗いているだけ。手を出してくる気配はなかった。急速に迫りくる冷気が、ひゅるるうッ、砂埃と今朝の朝刊を捲き上げる。シロデスナの口には&ruby(メタルクロウ){鋼の嘘つき鳥};のトルティーヤ・チップスが合わなかったのかもしれない。どこからか漂ってくる&ruby(す){饐};えた臭気が、老婆の胃液で&ruby(かくはん){攪拌};されたビフテキのにおいをカバサに連想させた。 街の東端、からっ風をもたらす大山脈の崖下となっている広場。一段低くなった石造りの噴水は、もう長い間水が流れていないらしい。ひび割れた泥を割りつつ、カバサは中心の記念碑を見上げた。 3つの台座とその上に2体のポケモン像があった。&ruby(フランソワ){ロズレイド};と&ruby(ニシア){マラカッチ};、ディキシーの街をたった30年で築き上げた英雄たちの名が刻まれている。 「パパと……、ママ、ね」 鞄の肩紐を爪で握って彼女は独りごちた。錆びついた銅像に、カバサが物心つかないうちに早逝した母親の面影を探す。彼女について父親やメイドたちに尋ねてもそれとなくはぐらかされてきて、またカバサも深くは追及しなかった。もしママがいたら……。&ruby(から){空};の支柱に自身の姿を思い描き、頭の中に幸せな家庭を作り上げていた。 このままでは&ruby(ダンジョン){迷宮};へ踏み込めない気がして、カバサは暖かな妄想を振り払う。目的の迷宮は3柱に囲われた中央、噴水広場を掘り下げた井戸から繋がっているようだ。&ruby(か){涸};れた間欠泉を覗き込めば、迷宮特有の歪んだ空間が渦巻いていた。 大きく息を吸って、吐いて、深呼吸。意を決したカバサは、マルノームが開けた大口のような底知れない穴へ跳び込んだ。 おそるおそる目を開けたカバサの前には、ディキシー郊外のような荒涼とした夜の&ruby(れき){礫};砂漠が広がっていた。もとは&ruby(ダンジョン){迷宮};内を錯綜して流れていたであろう細い&ruby(ワジ){涸れ川};を行く。立ち塞がるモンスターも地面や水タイプが主で、カバサは艶のある花弁を吹雪かせ端緒を開いていく。 階層もいくつか潜っていくと、ドビイの忠告通り砂嵐が酷くなってきた。&ruby(ノーてん){防塵};リングルのおかげで消耗は抑えられているものの、カバサは砂の目くらましに紛れて忍び寄ってきたヌマクローを打ち据え、背後を振り返った。 つけられている。 砂塵の奥に潜む、旧市街で感じた視線よりも&ruby(ちょくせつ){直截};的な害意。カバサが立ち止まれば気配を隠し、駆け出せば同じ距離を置いてどこまでも付いてくる。 夜の迷宮には幽霊が出る。バーでドビイに&ruby(からか){揶揄};われた言葉が蘇ってきて、カバサは慌てて脳裏から雑念を追い出した。 数時間は探索しただろうか。広い空間にたどり着いたらしいが、砂嵐は依然として厚いままだ。やけに硬い石につまずいて、カバサは瞬時に身を起こした。背中に張り付く冷たい視線に耐えかねた彼女は、それがトリガーになったかのように叫ぶ。 「何よ、何なのっ、ずっと私を見てるの、誰なのよっ!?」 振り返りざまに宙へ向けて日本晴れを放つ。砂嵐を凌駕した小太陽が照らし出したのは、整然と並んだ石灰岩の墓石。十字架の数は百を下らない、迷宮の最奥地は広い墓地になっていた。 蹴ったものの正体を理解しヒッと息を呑んだカバサの視界へ、ひときわ大きな墓碑の陰からぬらりとポケモンが現れる。ギターを背負ったノクタスが、片腕に引っさげたガラス瓶を直接口に傾けていた。 「なんで……、ついてきているの」 「…………」 「わ、私を襲うつもり? アル中にやられるほど甘くな――ッッ!!」 瞬間、カバサの左腕に走る鋭い痛み。防塵リングルをはたき落とした真紅の鋏が、多肉植物の肌を浅く&ruby(えぐ){抉};っていた。 「上出来ですよ、ドビイさん」カバサの首を片腕で抱きすくめたハッサムが、落ちたリングルを拾う。「素晴らしい&ruby(ポーカーフェイス){演技};でした」 「な、んで……」虚勢で保った戦意まで挫かれたカバサが声を震わせる。「いやよ、こんなこと……」 「お嬢さんに恨みはありませんが、市長には長年不満が溜まってまして。悪く思わないでくださいね。……ドビイ、とどめを刺せ」 ギターを降ろしたドビイが、無言のまま歩み寄る。気丈に睨みあげるカバサの瞳は今にも涙が溢れ出てきそうで。嗚咽が漏れないようギザギザの口を噛み締めている。 観念したようにギュッと目をつぶる彼女の前で、ドビイが腕を振り上げた。 「考えないようにしてたんだがな……。お前は本当に&ruby(ニシア){母親};とそっくりだ。日本晴れ、あいつの得意技だったんだよ」 ドビイは棘を寝かせた腕でカバサを奪い、身をひねりつつハッサムの細身を蹴飛ばした。翅をさざめかせ風圧で転倒を回避したイアンが、しゅりしゅりと両腕を振るい威嚇する。 「騙し討ちとは……ドビイさん、どういう腹づもりですか」 「お前がカバサの命まで取ろうとするなら、おれの気が変わった。親友の娘を死なせる訳にもいかないのさ。世話になってるバーテンとはいえ、これ以上手を出さないよう警告させてもらう」 「……分かりました。テキーラの代金は来世につけておきますよ」 イアンの&ruby(バレットパンチ){得意技};が届く寸前、ドビイは砂嵐を巻き上げた。 &ruby(ノーてん){防塵};リングルを失ったカバサを砂つぶては容赦しない。すっかり縮こまった彼女を左の肩に担いで、ドビイはバックステップで距離を取る。 「……騙すつもりはなかったんだ、すまない」彼は砂嵐に敵の気配を探しつつ言った。「戦えるか?」 「あ、あとで全部、説明してもらうからね!? でも私っ、戦おうにも体がすくんじゃって……きゃ!?」 吹きすさぶ砂塵から真紅の痩身が躍り出る。真正面から叩き込まれた&ruby(バレットパンチ){正拳突き};を、ドビイは左半身を引いて受け止めた。右腕を硬直させた&ruby(ニードルガード){棘の盾};が、硬質な音を響かせ鋏の目玉に浅い裂創をつける。 怯んだイアンを置いて、ドビイはまた砂嵐に身を潜めた。肩に爪を食い込ませる彼女へ耳打ちする。 「攻撃しなくていい。ただちょっと、手を貸してくれ」 「ど、どうすればいいの」 「合図したら、君の&ruby(とっておき){得意技};を頼む」 「分かったわ。――ぁ、来るッ!」 ふたりの背後で砂の弾幕が引き裂かれる。再度挑みくるハッサムの動きを読んでいたドビイは、相手の腕が伸びるより先に踏み込んだ。不意打ちを受け止めるべく咄嗟に構えられた&ruby(ダック){低姿勢};、顔の両脇を守る細腕の隙間を縫って、ドビイは左脚を軸に無防備な顎を蹴り上げる。返しの&ruby(ラスターカノン){銀鏡放射};は砂嵐に紛れてやり過ごした。鮮やかに決まった騙し討ちに、砂中の敵が外聞もなく吠えた。 ひと心地つく間もなく姑息な障壁は破られる。――それも四方八方から。瞬時に増殖したハッサムがドビイたちを袋叩きにせんと迫る。その1体の爪からカバサを守るように展開したニードルガードはフェイントで弾かれ、崩された脇腹へ本体の&ruby(れんぞくぎり){幹竹割};が舐めるように食い込むと、さしものドビイも無表情を歪ませた。相手の柳腰を横薙ぎに捉えたはずのニードルアームは、けれど手応え虚しく宙を切る。影分身が掻き消えた頃にはすでに、ドビイの背中へ&ruby(バレットパンチ){貫手};がめり込んでいた。 脚で砂嵐を巻き上げ誤魔化しを入れた。技の応酬が進むにつれ鋏の切れ味は鋭くなる。カバサを抱えながらの&ruby(ヒットアンドアウェイ){消耗戦};はドビイの不利に傾きつつあった。防戦一方を強いられる彼はしかし、膝をつくまで彼女を降ろすことはない。 どこまでも粘る彼を攻めあぐねたか、数秒イアンの&ruby(ラッシュ){猛攻};が止んだ。ドビイは懐から取り出した角瓶の栓を片手でひねり、燃料代わりにテキーラをひと口だけ&ruby(あお){呷};る。 「カバサっ」 「――うんッ!」 カバサは担がれたまま、手の内に小さな奇術を唱えた。それまで荒れ狂うほどだった砂嵐を割いて、彼女の手から熱源が渇いた夜空へ打ち上がる。&ruby(ニシア){母親};から受け継いだ&ruby(とっておき){得意技};、日本晴れ。 闇をさらう光源に合わせ、ドビイは剛腕を振るった。はびこる砂つぶてなど吹き飛ばす風圧を纏い&ruby(とうてき){投擲};された角瓶が、&ruby(かまいたち){広範囲技};を繰り出そうと力を蓄えていたハッサムの眉間を正確に捉えていた。 反射的に片腕の鋏が突き出され、鬱陶しい飛来物を叩き落とす。パシンっ! 渇いた音を立て四散したガラス片に混じり、高純度のテキーラがイアンの片目を炙った。あまつさえ大技を中断させられていたイアンは、激昂を翅のさざめきに乗せてドビイたちに肉薄する。 対してドビイは、降ろしたカバサを守るようにゆらりと立ち塞がった。名残惜しむように口許を腕で拭い、懐から出した赤いきのみを小さく齧る。 刹那、ノクタスの腕に握り込まれた塩漬けクラボから、紅蓮色の波紋が迸る。きのみに眠っていた内なる炎のエネルギーが、ドビイの手の中でとうとうと湧き上がっていた。――あたかも幻の泉のように。 「テキーラを喉に通してからクラボを嗜むのが、この街の&ruby(マナー){飲み方};だぜ」 「俺が飲ませてやってるんだよ&ruby(ねなし){案山子};草が……ッ!」 冷静さを欠いた安直な鉄拳を左腕で受け止め、ドビイは途方もないうねりを内包する右手を、カウンターの威力に乗せてハッサムの腹へ叩きつけた。鋼の装甲を貫いた自然の恵みが、弾ける炭酸のようにメタルボディを内から燃え上がらせる。 まるで&ruby(ウェスタン){西部劇};のようだった。へたりこむカバサの目には、決着の光景が時を遅くして見えたほどだ。交差した拳越しに、目を見開いたイアンが小さくむせる。臓腑を煮込まれるような衝撃に襲われたのだろう、一拍悶絶した彼は脱力してドビイの胸に収まっていた。 荒野に静寂が訪れた。カバサが大きく息を吐く。 「か、勝った……。もしかして、このひと、死んで……」 「加減はした。気を失っただけさ」ドビイはぐったりした鋏ポケモンを砂地にそっと寝かせ、自身も腰を落とした。「彼には山ほど借りがある」 「……でも助けるの?」安堵に腰を抜かしたカバサは、へたりこんだまま房を萎れさせた。「私は命を狙われたのよ」 「十分な警告になっただろう、分別はつく男さ。それに&ruby(メタルクロウ){鋼の嘘つき鳥};が潰れると、アルコールが切れておれがくたばる。鞄にオレンはないか」 呆れたカバサが、代わりになるといいけど、と大地に両腕を刺す。爪先から生命の息吹が流れ込み、墓地がみるみるうちに新緑の若葉を芽吹かせた。渇いた大気へと湧き上がる幻想的なあぶくが彼らの傷を柔らかく包む。耳を澄ませば、朝露を弾く葉のざわめきさえ聞こえてきそうだった。 視界を埋め尽くした幻影の草原に、ドビイが感嘆の息を漏らす。 「これは、&ruby(グラスフィールド){ロズレイドの遺伝技};、だよな……。そうか、君は確かにフランソワとニシアの子だ。……ああ、すまない、何でもないんだ。昔はここも、こんな風に水と緑に溢れる迷宮だった。ここに自生する&ruby(アガベ){竜舌蘭};が、最高のテキーラになった」 「……」 カバサは押し黙り、取り返した&ruby(ノーてんリングル){母親の形見};を腕から外す。腹に力を込めて跳びはね、寝そべるドビイの腹に急転直下。ずどん、と麻痺を伴いそうな重い一発。 溜める隙もない、早業だった。 「私のパパとママと、あなたはどんな関係だったの? 教えなさい、私の知らないこと全部」 見下ろすのは、&ruby(サンド){砂漠鼠};の1匹さえ見逃しそうもない鋭い視線。組み伏せられたドビイが、観念したように言う。 「……30年は昔の話だ。おれたちはディキシーズって名の&ruby(チーム){探検隊};だった。この地に迷宮を見つけ、小さなオアシスの拠点をつくった。街は発展し、フランソワとニシアは結ばれて、君が生まれた。それからすぐ&ruby(ダークマター){混沌};が世界を覆う事件が起き、その影響で泉が涸れた。酒造りで潤っていたこの街はすっかり痩せてしまった。イアンのように、高い酒税を敷いた&ruby(フランソワ){市長};をよく思わない者も少なくなかった。混乱にニシアが巻き込まれ、おれは彼女の&ruby(かたき){敵};を討とうと暴れまわりお尋ね者となり、ずっとダンジョンの奥地に墓守として身を隠してきた。君がごろつきに狙われないよう、陰から見守っていた」 「それは、私がこんな危険にさらされるような方法でも?」 「それは君が……そうだな、おれが少しばかり無神経だったかもしれない」 「無神経どころか、あなたの神経はきっとアルコールでへにょへにょになっているのよ。私ほんっとうに怖かったんだからね!?」 「……参ったな。鬼の形相までニシアにそっくりだ」 ドビイの腹へ掛けられた体重に、ぐりぃ、と捻りが加えられた。声もなく悶絶する彼の上から退いたカバサは、腕にリングルを巻き直し大きな墓の前に屈み込む。よく手入れされた白の墓石には『街の英雄ニシア、ここに眠る』の足型文字。 そのくぼみを撫でながら、カバサが呟いた。 「でもね、今なら……、ママがあなたに惚れた理由がわかる気がするの」 砂を跳ね退けドビイが上半身を起こした。大きく見開かれたノクタスの黒い目は、すぐにばつが悪そうに横へそれた。 カバサは振り返りもしなかった。彼の取り乱した気配を背後に感じながら、かけられるべき言葉を待った。なんでそう思うんだ。そうして予期した&ruby(セリフ){台詞};は、数秒の間を置いて正確に再現されるのだ。 「……なんでそう思うんだ」 「私はママにそっくりなんでしょ。ママがあなたと過ごしてどう感じていたかなんて、まるで自分のことのように分かっちゃうのよ。……ねぇ、私の言いたいこと、分かるわよね?」 カバサは振り向いて体を起こした。立ち尽くす彼へ擦り寄り、渇いた腕に手を絡ませる。メイドをおだてて聞き出した、お嬢様が知りうる限りの魅力的な仕草。 やんわりと、ドビイは彼女の頭を撫でた。父親が娘を撫でるような、優しい手つきだった。 「……さぁ、よく分からないな。どうやらおれの神経はアルコールでへにょへにょになっているらしい」 「……まだ子供扱いするつもりなら、本気で殴るわよ」 「勘弁してくれ。市長から直々に賞金首を狙われることになる」 潰れたクラボと、わずかなテキーラが底へこびり付いただけの割れた酒瓶。満足とは言い難い供物を前に、ふたりは小さく黙祷する。 立ち上がったドビイが、半分埋もれていたギターの砂を払った。幻影の大草原を照らす陽炎の太陽。流れ出した幻想的な&ruby(ノクターン){夜想曲};に、かしゃらしゃらんと陽気な&ruby(マリアッチ){民俗音楽};が追奏する。 涸れた間欠泉から漏れ出した歌が、渇いた夜のディキシー&ruby(ランド){市};を潤していく。 ♪〜 クエルボの酒は 渇いてしまった 酌み交わした あの頃が懐かしいよ 君が守った この街で今日 幻の&ruby(アガベ){竜舌蘭};の 芽が摘めた また クエルボの酒を 届けに行くよ 君の子と ともに 届けに行くよ ---- あとがき ハードボイルド小説かきたくて書きました。めっっちゃカッコつけた文章読み返すの恥ずかしさここに極まれりですわ。はかか〜〜〜ッ。 でもノクタスおじさんイケメンじゃないですか。酒に溺れてダメダメだけどここぞというところで決めてくれるの惚れますよね。イケおじ。酒酒暴力酒暴力たまに女みたいな生活送っててほしい。 コメント返します。 ・これだけ民風俗描写をしっかりしているのは貴方の作品でも珍しいと思いますよ (2018/12/01(土) 03:13) なんかめっちゃ他の作品も読んでくださってるみたいな感想! ウェスタンな感じが書けていれば満足です。一般小説で西部もの出したレーベルは売れ行き伸びなくて潰れるってジンクスあるみたいですね。こっっっっわ!! ---- #pcomment