[[小説まとめページへ>テオナナカトル]] [[前回のお話を見る>テオナナカトル(8):暴れん坊ハッサム]] **海の歌謡祭 [#h36d8caf] 『マンヅさん……故郷の&ruby(虫の楽園){南西の大陸};ではきっちり童貞を卒業しているそうで、シャーマンにはなれても神子にはなれないようですね。 ってことは……残りのシャーマンはあと3人。神子は二人必要ですかぁ……神子はシャーマンと兼業できるとはいえ、神子を集めなくてはならない苦労は結構堪えますね。ともかく、もうすぐなんですから頑張りませんと。 そうして意気込んだのはいいのですが、今度はワンダさんと一緒に生活して写本かぁ……面倒ですが、これもリーダーからの命令ですし、大人しく従うとしますかね。ワンダさんとの共同生活というのもなんだか魅力的ですね』 RIGHT:テオナナカトルの構成員、ローラの手記より。神権歴2年、8月4日 LEFT: ローラは写本と研修をナナに命じられ、クルヴェーグに隠れ住むシャーマンの末裔『シード』の一員として生活を始めていた。そんなローラの一ヶ月の交流、三日目。 「ワンダさん、おはようございますって……どうしました?」 爽やかに起きあがったローラが居間に訪れ、一番に見たのが指をしゃぶっているワンダ。 「いや、同居しているエーフィあてに……君宛に手紙が来たもんだから開けてみたらさ……ラブレターかと思ったら剃刀レター((開封する際に剃刀で指書きづ付くようにされた手紙。ローラは念力で開けるのでどっちみち無意味である))だった……」 「な、何故に……?」 そんなものを出される覚えが全くないローラは体毛をざわざわと揺らしてうろたえる。 「……『ぽっと出のくせにワンダさんと同居なんて何考えてんのよ。ワンダさんと別れろ、この腐れエーフィめが』」 「これ私のこと?」 「『あんたなんて東南の蛮族の焼畑に巻き込まれて焼け死んでしまえばいいのよ!!』」 「失礼ね……」 「『この蛾!! ヒマワリ! 岩!!((おそらくウルガモスとキマワリとソルロックのことだと思われる)) あんたがワンダさんと同じ卵グループであるなんておこがましいわ』」 「それはこっちのセリフなんだけれど」 「……って書いてあるよ……何か言いようのない憎しみを感じるね」 「大まかな理由が……分かりました……っていうか私達、確かに付き合っているように見えなくもない感じではありますが……だからってこんな手紙出される筋合いは全くないですよ。 ……とは言え、このままじゃワンダさんに迷惑ですし、私はクラヴィスさんの家に寝泊まりした方が良いですかね……?」 「でも、あっちの家はとりあえず人使いが荒いからなぁ。それに、あっちにゃふかふかのベッドは無いぞ?」 「えぇ、分かります」 ローラは苦笑する。 「初日から木の実食べ放題な代わりに、&ruby(カゴ){籠};何個分も収穫のために往復させられたのはもう苦笑するっきゃありませんでしたし……せめて朝夕くらいはゆっくりしたいのでこっちの方が居心地はいいのですが……でも……悪いですよ。同居しているだけでこんなモノが来るなんて」 「いや、次回からは俺も開封するとき気をつけることにするよ。だから大丈夫……なんでもない、ほら、何でもない。母さん特製のオレン練り小麦粉を使えばすぐ治るさ」 苦笑しながらワンダはローラの提案を却下した。 「分かりました……とりあえず、今は様子見しましょう」 「とりあえず、俺はこれから似たようなのが来たらまず最初に自分が読むことにするよ……その場でね。そうすれば、こういうものを出しても俺が傷付くだけでローラに対しては何も起こらない。無駄だってことを相手に分からせてやるんだ」 「あ、ありがとうございます……色々迷惑かけてしまってすみま……」 謝ろうとしたローラの唇にワンダが指をくっ付け、その先は言う必要ないと意思表示。図らずもワンダに指にキスしてしまったワンダは尻尾や肩を強張らせて照れる様子を見せた。 「今日も、師匠にパンを届ける役目……お願いするよローラ」 「は、はい。ワンダさん」 と、ローラもワンダもその時はまだまだほんのイタズラ程度だし、その気になればどうとでもなるだろう何もと気にしていなかった。何故って、家が同じなのだから家の壁に落書きとか家に放火するとかそういうこともできるはずがない。 「そう言えば知ってる? 東南の蛮族ってホウオウを崇拝しているんだけれど……俺達が信仰しているゼクロムとそのホウオウって親友なんだってさ。何でも、焼き畑が山火事になった時に颯爽と現れて消してくれることに恩を感じているんだってさ、ホウオウは。 だから、焼き畑を行う民族はゼクロムを崇拝しているって話がこっちに伝わってくるんだ」 「へぇ、伝説のポケモン同士でもそうやって交流あるのですか」 「あるある。俺たちじゃあ想像が及びもつかないような関係の奴らだっているしね。他にもレシラムとパルキアのお話もあってね……」 だからこの二人は、剃刀レターなど無かったかのように仲良くお喋りを始めるのであった。 それから数日、夜道を歩いていると物陰から石を投げられたりするが、なんとかそれを避け続けてきたローラ。相手はワンダー仮面並みに服のセンスがない黒装束を身にまとい((黒い分だけワンダー仮面よりましだが))、ローラに気付かれるとすぐさま穴を掘って逃げるために、穴掘りが苦手なローラはまともに追いかけることも出来ない。 (やだやだ。いったい何なのやら……匂いや穴を掘るスピードから考えて地面タイプだってのは分かるんだけれどなぁ……今度パン屋に来た女の匂いを全員嗅ぎ分けてやろうかな) その日もローラはクラヴィスとの仕事やシードの所有する書物の写本が長引き、帰りが遅くなってしまった。特に熱中して行っていた写本のおかげで時間帯はワンダー仮面が暗躍する深夜にまで踏み込んでしまった。 「またアイツ来るんだろうなぁ……夜道も兄さんやナナさんと一緒なら安心出来るんだけど……」 と、憂鬱な気分を抱えながらローラは夜道を歩く。息を潜めているようだが、左方前方に僅かに気配を感じる。そちら側からの攻撃を警戒していると、その気配は徐々にこちらに近づいてきた。その気配の正体がサンドパンだということに気が付いて、ローラは黒装束ではないその姿に安心した。 (なんだ、心配のしすぎね……) 「助けて、ワンダー仮面!!」 そのサンドパンの女性が大声を張り上げたおかげで、ローラは一瞬ビクリと体を震わせた。何かピンチになった様子でもないというのに、何が起こったのやら。 「どうしました? ワンダー仮面じゃないですけれど、大丈夫ですよ」 あのサンドパンは歩いてきたのだから、何かから逃げている様子も無かった。何故助けを呼んだのだろう? と戸惑いながらもローラはそのサンドパンに尋ねてみる。もちろん、サンドパンの行為がもしかしたら自分を陥れるためにこんなことをしているという可能性も考慮するのうが無いわけではないのだが、それもローラが冷静であればこそ。 ローラもロイと同じく父親に似て情に厚いところがあるので、考えるよりも先に体が動いていた。ローラの親切心は裏切られることになるのだが。 「ち、近寄らないでよ!! この女!!」 と、言ってサンドパンは自身の体に傷をつけた。 「へ、え……!?」 戸惑っているうちに、ワンダー仮面が現れる。 「助けを呼ぶ声が聞こえたぞ!! お嬢さん、どうしました!? この俺、ワンダー仮面が来たからにはもう大丈夫だ!! 俺が偶然近くに居て良かったな、ハッハッハ!!」 「ワンダー仮面……この女、いきなり私の荷物を奪おうと……」 と言ってサンドパンが指さしたその方向に居たのはローラ。 「え!?」 と、ワンダー仮面。 「え!?」 と、ローラ。 「え、いや……だからこの女が、見た目によらず凶暴だって……」 「え……このエーフィのお嬢さんが凶暴?」 ワンダー仮面はどう反応すればいいのか分からない。どうやらこのサンドパン、声色を変えて匂いも香水で誤魔化しているワンダー仮面がワンダだとはつゆとも思っていないらしい。もちろん気付かれても困るのだが。 「ほら、この傷だってあいつが……」 「そんな深い傷……&ruby(ヽヽヽ){ローラ};の爪でどうやってつけろっていうんだ? 明らかに自分の爪でつけた傷じゃないか……まったく。この俺、ワンダー仮面がいるタイミングを見計らってこういうことするとは驚きだな」 ワンダー仮面が呆れて、肩を広げてやれやれと首を振る。さりげなくローラの本名を言ってしまった失態をサンドパンに問い詰められれば、どう言い訳すればよいのだろうか。 「……え~と。ワンダー仮面さん。この人が以前言っていた物陰から石を投げてくる相手です」 異様なほど気まずい雰囲気になったローラは、この状況を打開するためにワンダー仮面と出会ってサンドパンのことを告げ口したことがある女性を演じる。これで、ワンダー仮面がローラの本名を知っていることに対する言い訳も出来て一石二鳥。ローラの機転の良さが伺える。 「あ、あぁ……以前から匂いからして地面タイプが犯人って言っていたけれど……こいつがそうなのか。まぁ、どう見てもそうか……」 「はい、今日は何だか犯罪者扱いさせようとしてワンダー仮面さんを呼んだようで……そうだ、この銅貨差し上げますから懲らしめちゃってくださいませ」 「……お、おう!! 困ったちゃんを懲らしめるのもヒーローの務めだ!!」 (今日初めてワンダがワンダー仮面でよかったって思えたわ……はぁ) ローラは長い溜息を吐いて、この街の住民の少々おかしい思考((ワンダ・クラヴィス含む))に対して呆れかえった。 そして、サンドパンは御用となった。ワンダもこのサンドパンにきっちりと見覚えがあるようで、プレゼントと言って不気味なぬいぐるみを送ったり、食べられたものじゃない料理を差し入れてくれたりと迷惑なワンダのファンだそうだ。ある時、ワンダがきっぱりと好みのタイプじゃないと断っておいたのだが、それでもサンドパンはワンダのことをあきらめきれなかったようである。 ワンダの家に泊まり込んでいるローラに嫌がらせをしたのも、突然湧いて出た癖に一緒に暮らし始めた事に対する嫉妬が原因らしい。確かに突然湧いて出たと言えばその通りなのだが。 しかし、ワンダはシャーマンとして『シード』入りした時から普通の女性と付き合うことに色々な不安を感じ始め、そのため同じ立場の女性を欲していた。そんな時に湧いて出たローラはワンダにとって貴重な存在だったわけで。似たような境遇のローラと惹かれあうのもある意味では必然であったこと。 もちろん、そんな理由を他人へ気軽に話す事も出来ないから、二人はただなんとなく付き合い始めたのだと周囲に説明することになったのだが、『ただなんとなく』というのが嫉妬を呼ぶ最たる原因であった。 この騒動は、ローラにとってはワンダが改めてモテる男なのだと認識したエピソードとなった。 「……と、いう事があったのよ」 ローラはジャネットの家で、さきの研修中の出来事を笑顔で語る。海の歌謡祭にユミルと歌姫が出かけているため、この部屋に集まる人数は少ないが、話題が話題なので部屋はそれなりの盛り上がりを見せていた。 ローラは研修中に色々と楽しい思い出を作ってきたらしく、湖の水泳大会やワンダとのデートなど一通り楽しんで、写本やシードの活動の体験レポートなどの仕事もきちんと遂行しているなど、真面目に研修を行っていたようだ。キーの実を使った勃起不全解消の薬を作らされたり、難病を治療するための薬を木の皮から作らされたりといろんな仕事もこなしてきたことを伝えている。 もちろん、決して表沙汰には出来ないような裏の仕事もあったわけで、血なまぐさい殺しの仕事も手伝わされた事もあった。そういった暗い話しや苦労した話を終えて、楽しかったお話を――という段階になると、ローラが話したのはワンダに惚れ込んでいたが全く相手されなかったサンドパンとの騒動のお話。 女性の嫉妬の恐ろしさを垣間見る酷いお話であるが、場の雰囲気は一気に明るくなった。最初のつかみにも明るい話を持って来て、最後の締めも明るい話を持ってくる。ローラは話しの構成のなんたるかをよくわかっているようだ。 ローラが持って来たそのお話に対する感想だが。 「ひでぇな……」 と、ロイが答えるのも無理はない。ロイは何のひねりも無い反応だ。 「あらあら、面白い子もいるのね」 「ほほう、女の嫉妬はいつだって怖いものじゃのう」 順番に、ロイ、ナナ、ジャネット。同じ話を聞いても三人の反応は様々で、面白がるナナとジャネットとは対照的にロイは女性に対して何とも言えないどんよりしたイメージが加わる。 「その時、私が叩きのめしましたけれどね……主に言葉攻めで」 「あら、その言葉攻め私も参加したかったわ。なんて言ったのかしら?」 言葉攻め、と言う言葉にナナが異様に食い付いて笑う。 「『正義は勝つ』とか『貴方には足りないものがあるのよ』とかって。散々いってやりました……ワンダー仮面が直々に縛ってくれたのをいいことに、ワンダさんの自慢話も言いたい放題でしたので」 「うふふふ。ワンダ君を寝とることが正義だなんて、ローラってば大胆ねぇ」 ナナは笑いながらローラの頭を撫でる。 「ナナさんってば、嫌ですよもう。まだ寝取るっていうほど回数重ねてませんよー」 「きゃ、その言い方だともう2回以上? それじゃもう気の迷いじゃ済まないんじゃない? 最中はマンネリ化してワンダ君を退屈させないように頑張ってね」 ロイとジャネットを置いてけぼりに女性同士のお話は盛り上がる。 「……ローラの関係、一気に進んじゃったなー」 「ふふん、お主らが置いてけぼりとは辛いもんじゃのう、ロイ。ナナはまだまだ処女を破れんからな、お主もヤキモキしている所じゃろう?」 「だよなー……早く喧嘩祭をやりたいな……そうじゃないとナナが処女を卒業できない……」 会話は何故か分裂して、女性同士が下ネタで盛り上がる方向と恋愛相談じみた盛り上がりの悪い席に分かれてしまう。 「そうそう、ワンダってば結構がっつく感じでですねー……攻めてる時間結構長いのですよ。その癖あんまり上手くないからこっちは疲れちゃって……ガッシガッシ突いてきてよくまぁ腰が疲れませんよね、男って」 「ブハッ」 ロイは葡萄ジュースを注いだ皿に唾を噴出す。そんなあからさまに驚愕の反応を示すロイの事なぞどこ吹く風に、ローラとナナの破廉恥なお話は続く。 「あらぁ、ロイはあらゆる面において普通よ。ま、ちょっと我慢強いところはあるけれどね。でも、いざとなれば腰にスタミナはありそうね、なんてったってムーンライトヴェールの加護があるブラッキーだし」 「くぉら!! ナナ、俺の性癖のことをべらべら嬉しそうに話すな!! ローラもだ!! そんな話してるって知ったらワンダ顔から火が出て炎タイプになるぞ!?」 普通と言われている以上悪いことではないとはいえ、自分の情事をバラされていると思うだけでロイは顔が熱くなる。 「あらあら、水・炎タイプなんて強そうじゃない? いいわねそれ」 いきり立って会話を止めようとするロイをただただ笑うナナとローラ。それを少し離れた温度差で、ジャネットは溜め息をついていた。 「ロイ……アレはもう女の間では仕方のない事じゃからあきらめるとよい……お主が仲間に入る前も似たような感じの話がこの部屋を支配しておったからな」 「裏ではみんなああいう風にばらされてんのかなぁ……女って怖い」 頭痛を押さえるようにしてロイはうなだれる。 「ワシもユミルの事を何回か話した事があるから……多分」 「恥ずかしいこと暴露するのもいい加減にして……本当に女って……はぁ」 ロイは机に突っ伏して、溜め息を一つ。しかし、ナナ達の暴走は止まっていない。 「そうだ、ワンダ君の息が長くって困るなら……ちょっとばかし変化をつけてあげるといいわよ。例えばそうねぇ……」 と、盛り上がっているところでジャネットの家にノック音が響く。 「おっと、依頼人さんのお出ましのようね。みんな、迎える準備を……貴方は!!」 依頼人のズルズキンはフード状の抜け殻を目深にかぶっていた。そのため、彼の目の動きは、山吹色の革に隠されて伺い知れなかったが、言いしれない恨みの念だけはなんとなく伝わってくる。オレンジ色の体も、赤いトサカも、腕も微かに震えている。 悪魔に魂を売ってでも復讐したい――と、そのズルズキンはフリージアに泣き付いたらしい。そうして紹介されたテオナナカトルは、ジャネットの家で依頼人のズルズキンの話を聞いていた。 「お嬢さんが自殺……? やっぱろ貴方はあのリザードンの親だったのですね」 ナナが息をつまらせながら納得する。娘を攫われた揚句に監禁され麻薬で縛られ凌辱の限りを尽くされ、這う這うの体で逃げ帰ったがその娘も、麻薬から抜け出せない苦痛から逃げるために死を選んだと言う。今回の依頼人はその親。悪い意味での有名人であり、ナナが玄関で依頼人の顔を見た時に驚いたのはそのせいだ。 素性を確認する意味も無いから、テオナナカトルを飲ませる必要もない。 「あぁ、親だったよ。娘は……麻薬に溺れたことを苦にして……な。それで、奴らのいいなりに……体を貪られ続けて……」 吐き出すようにズルズキンが涙ぐむ。 「最近、新手の麻薬が街に入り込んでいるみたいですし……ね。それでセックスをすると……この世のものとは思えないほどの……らしくて抜け出せなくなるそうですが……酷い。しかし、麻薬で女を娼館に縛りつけるとか……そんな酷い事をやる者もいるのね」 ローラが苦虫をかみつぶしたような表情でズルズキンに同情の意を示す。 「それで、ターゲットの事は後々調べますが……ターゲットをどのようにされたいのでしょうか?」 流石のナナも表情は硬かった。 「殺してくれ」 「そうでしょうね。殺したいほど憎い……そういう人は何度も見て来たのでわかります」 ナナは溜め息をついて頭を掻く。 「かしこまりました。客もついでに巻き込んじゃって構いませんよね」 「あぁ、客にも容赦する必要はないが……一応、娘と同じ立場の者だけは……」 「分かっております……しかし、そこまでの仕事となれば当然こちらにも危険が伴いますゆえ……」 報酬の話になって、依頼人のズルズキンは子供や老後のためにコツコツと貯めていた貯金を全て投げ出す事を約束していた。復讐心があっても、自分では何もできない弱さを呪いながら、ひたすら恨み節を吐いて。鐘の重さは、そのまま恨みの重さに比例している。 人の不幸や幸福に触れることが、シャーマンとしての力を高める秘訣とは分かっていても、こうまで深刻な話しとなるとローラもまいってしまっているようだ。テオナのような奴隷や、サイリル司教も十分に重い話ではあったが、こうまで親に泣きつかれると辛いモノがある。 しかし、この場に居る3人はそんな重い話も、目をそらさずに聞き続けた。それがまたこれからの糧になると信じて、一言一句を刻みつけた。 ◇ (最近、強盗やら空き巣やらが増えている気がするが、マンヅが色々暴れた影響なのだろうな。その他にも神龍軍がいなくなったおかげで犯罪の温床になっているし……だから、あのズルズキンの娘さんのような事件も増えるんだよなぁ。 ま、この人たちには関係ないみたいだけれど……) ロイは呆れた顔で酔い潰れた常連客を見やる。 「ほらほら、営業はもう終了ですってばトニーさん、ジョーさん」 「おうおう、こんな星の綺麗な夜にべっぴんさんが踊ってくれてるんだ……もう少し居させろっていいたいところだがよう……ま、仕方ないわな」 お酒の力ですっかり出来あがっているトニーが立ちあがる。 「あー……こんな日は歌姫ちゃんの歌でも聞きてぇ」 ジョーも渋々ながら立ち上がった。『こんな日』とはどんな日なのか、ロイには検討もつかない。 今、歌姫は海の歌謡祭へ参加するための遠征中で店を休みにしている。そのためか、客の盛り上がりもいまいち……なんてことは無くナナが居ればそれで盛り上がってしまう。それでも、ジョーはどっちも無いと寂しいらしく、こんな愚痴を垂れているというわけだ。 まだまだ、数日の間は歌姫が居ないと言うのに、毎日この調子で愚痴を聞くのかと思うとロイは少し気分が重くなった。やっと帰った客達の食べ残しを片付け、なべの底に残った料理をまかないがわりに食す時間、まず最初にそんなジョーの話題が上った。 「そう言えば、フリアさん」 「ん、なんだい?」 ロイに話しかけられ、ブーバーンのおばさんがにこやかに振り向く。 「営業終了後はいっつも歌姫さんにマッサージしてもらっていたんでしょ? 最近歌姫さんが留守にしているけれどマッサージしなくって大丈夫なの?」 「こらこらロイ、いくら年上が好きだからってフリアさんに手を出しちゃだめよ? 子供も旦那も健在なんだから」 ナナの言葉に全員の失笑が巻き起こる。 「おいこら、ナナ……俺もそこまで見境なくは無いってば。そう思うならナナがマッサージしてやれ」 「あらあら、私はロイ君みたいな子にマッサージされたら私嬉しくて燃えあがっちゃいそうなのに、遠慮しなくったっていいのよ」 フリアがおどけて笑う。 「フリアさん……ブーバーンの貴方が燃え上がるとかマジ勘弁。それに俺、そういう浮気まがいのことするつもりで話しかけたんじゃねぇってばぁ」 フリアにもナナにもからかわれて、ロイは苦笑する。 「じゃあ、兄さんはどうしてそんな話題を出したのー? 僕、気になるな―」 リーバーが厭らしい視線でロイを見つめる。花弁の下から伸びた彼の蔓も何だか厭らしく踊っている。 「はは、そりゃあれさ。年を取った時の元気の秘訣を聞きたくってな。俺もいつかはあぁなっちゃうんだぞ……年をとってなお美しいナイスミドルに……ま」 「褒めたって無駄ですよ。女性の年を意識させた時点でロイさんの評価はガタ落ちです、ね!! そんな言動はするもんじゃないですよ、ロイさん」 カブトプスのルインが口に鎌を当てて笑う。 「あぁ、悪い悪い。で、本当の事を言うと無理しているんじゃないかって思ったのさ。基本的にほとんど年中無休でやっている酒場だし……それに、言っちゃあ悪いけれど、フリアさんから漂う匂いは疲れていたり病気だったりする時の体臭なんだ。 ほら、たまにはナナに料理任せちゃってもいいんじゃないかって思ったんだよ。ナナっ実は料理むちゃくちゃ上手いしさ」 「あらあら、嬉しいけれど遠慮しておくわ。最近は元気があり余っちゃっている位だもの」 「ふぅん……悪い病気じゃなければ、なんかいい病気じゃないよね?」 ロイが冗談めかして尋ねる。 「悪い病気は聞いたことあるけれどいい病気は聞いたこと無いわ。大丈夫よ、心配しないでロイ」 フリアがロイを見て微笑む。 「ふむぅ……確かに私も気になるわ。ねぇ、フリアさん……元気の秘訣お・し・え・て」 ナナはフリアに対して流し眼で誘惑する(もちろん意味がない事は分かっているだろうが)。 「あらら、やっぱりいつ見てもナナちゃんは美人だねぇ。でも、そんな秘訣なんてものは無いのよ。誘惑されたってないものは教えられないわ」 「フリアさんってば、い・じ・わ・る」 ナナが鋭い牙を覗かせながら笑う。 「フリアおばさんってば怪しいな~。もしかして、人には言えない手段を使っているんじゃない? 例えば浮気とか、なーんてね、キャッ言っちゃった!!」 リーバーは赤ん坊のように意味無く蔓を振っておどける。 「だって、恋をすると乙女はきれいになるっていうじゃない。僕もそうだけれど疲れなんて吹っ飛んじゃうよねー。それとも旦那さんと今更ながらアツアツだとか?」 「さぁ、どうでしょうね? リーバー君が不倫してくれたら教えちゃうかも」 フリアはいい年してブリっ子な態度を取って見せる。ナナがするその態度とのギャップは否が応無しに笑いを誘う。 「え、それは勘弁してよぉ」 リーバーがわざとらしくのけぞるそぶりを見せると、客の居なくなった酒場で爆笑が巻き起こった。 そうして、残った料理の片づけが終わって数時間。同居しているリーバーが寝静まったところで、ロイは夜の街に繰り出した。 ロイはその日のうちに自殺したリザードンの言動から、リザードンが凌辱されていたと思しき場所を突き止める。翼を傷つけられて、飛べないようにされていたのは嫌な幸運であった。陸路を走ってきてくれたからか、リザードンの女性には街並みの特徴がきちんと目に入っていたようだ。 たどり着いたその場所は排水事情が悪く、しかも少なからず低地であるこの場所は台風の時にはよく水没してしまう。もちろん、まともな所に家を建てる金があれば、だれもこんな場所に住みたがらない。だから金の無い失業者がここに集う。この場所はそういう風に貧困者が集まる性質からか、治安が元々芳しくない場所だ。その場所自体が何処となく危険な雰囲気を持っているし、実際に危険だ。 その場所で、ある程度高台になっている建物。何ともまぁ分かりやすいことだが、水没しないというこの9番街の中心地においては比較的立地条件の良い場所だ。もちろんのこと、他の場所に比べるのであれば治安や立地の面から下の下であり、台風の時は小さな孤島になる場所である。 (客は一見さんお断り……会員の紹介がなければ入れてはもらえない。見張り含めて従業員は多くない……5人か6人程度か。屈強そうな相手もいるとはいえ、所詮はただの人間……ナナやローラのような強大な力による援護があれば押し入って始末するのはそう難しくなさそうだが、さて……) 後日、大まかな状況を報告して、ロイはナナに尋ねる。 「で、プランはどうするんだ? 強襲でもするかい」 ナナはゆっくりと首を横に振る。 「その一見さんお断りの危ないお店にくるお客さんの種族は?」 「えぇと……グランブル、ムウマージ、バンギラス、ダーテング、ウツボット、ゴローニャ……」 ロイはメモ用紙を見ながら種族名を列挙していくが、まだ半分もいかないうちにナナはそれを手で制す。 「わかった、もういいわ……普通のポケモンが多いってことだけは分かった。当然よね。&ruby(ヽヽヽヽヽヽヽ){ゾロアーク対策};にわざわざ正体を見破る技をもったポケモンだけを客にするとか、そんなこと有り得ないもの」 ナナの口の端に笑みが浮かぶ。 「客から攻めるわけか……」 ナナは頷くこともせずに、黙って変身する。まるでナスのような胴体に、鋭角の翼を付けたその赤い龍の姿。ガラスのように、近くで見ると党名は羽毛を持ち、神々しくも子供のように愛らしい大きな目をもったこのポケモンは―― 「&ruby(ラティアス){女天使};……なんでそんなものに変身できるんだよ?」 ロイとローラが同じように感嘆の声を上げた。 「その姿……久しぶりじゃな」 と言って、ジャネットがその姿に見とれる。ナナは応えるように小さく笑って、ヒレのような小さな在るかないかの足を地面につけて、飴色の瞳でロイとローラを見やる。 「昔、縁があったのよ。ユミルもこの姿に変身できるわ……フリージアにも見せてあげたかったんだけれどねー。とはいっても、その時『私たち人間を愛しているかどうか』って質問したら『貴方達のことまるで知らないのに愛とか気持ち悪いです』って答えられちゃったけれどね。 人間知らない方が良い事っていうのもあるのかもしれないわ……ゼクロムやレシラムにもそう答えられてしまったらと思うと怖いし……と、横道に逸れちゃったわ。これは神龍信仰における天使の姿……この姿で何をするか、分かるかしら? 答えは簡単よ」 「脅すんだろう?」 「不正解。答えは『簡単』でしたー」 おどけてナナは笑って見せた。余りにくだらないナナの答えに、ロイはガックリとうなだれる。 「こ、子供のとんちをやっているんじゃあるまいし」 傍で見ていたローラも呆れて溜め息をつく始末だ。 「ふふん、冗談よ。ロイの言ったことで正解よ。私のプランは悪夢を見せて脅すことなの。『貴方は地獄に堕ちて、この夢と同じ目に会います。死にたくても死ぬことすらできず、何十年も生き返らせては殺されるという悲惨な末路をたどります。それを防ぐためには、従業員を殺して下さい』――とね。 一般人でも神龍信仰における天使の姿形があのナスのような体型のドラゴンであるくらいは知っている。しかし、神龍信仰に地獄なんてものがない事は案外知られていない。地獄という概念は、外部からの信仰や土着信仰から入ってきた偽りの教えだというのに……うふ、たとえ神龍信仰を信じていなくっても、聖書は勉強しておくべきよね」 息をついて、ナナが笑う。 「そう言うわけで、今夜は各自お客様の尾行を頼むわ。要領のいいスラムの子供たちにもお金を握らせて協力を頼みなさい。いくつも家を突き止めるのよ」 「かしこまり」 ロイ、ローラ、ジャネット共に頷いて見せる。 「よし、それじゃあ、健全な性交も出来ない外道の廃棄処理を張り切ってやりましょう。たまには別の神にも祈るため……」 ナナは髪の中からメブキジカの角で作られたペーパーナイフを取り出し、叫ぶ。 「豊穣の神セレビィがため!!」 「豊穣の女神、デレビィがため!!」 ナナが鼓舞の決まり文句を口にして、追従して全員が気合いを入れる。仕事を抜きにしてもそんな外道を赦せるわけもないと、特に女性陣は張り切っている節があった。 ◇ 一方、海へ向かった歌姫・ユミル、歌姫及びワンダ一行は、神憑きの子が住む港街、ソーウェルカンダに館を構えるシオンスティー家の屋敷に宿泊していた。テオナナカトルやシードのメンバーは、ヴィオシーズ平原名物の喧嘩祭りのメンバー勧誘のため、海のシャーマンを誘いに海の歌謡際へと出場しようと、港町まで歩みを進めていた。 港町に住み、また最高クラスのシャーマンであるクリスティーナ。そのの親は布商人シオンスティー家の家督であるダービーという名のサザンドラ。彼女がシャーマンの一行を迎え入れ、暖かい食事と宿の提供に加えて、歓迎と激励のための歌を聞かせていた。 ダービーが口ずさむその歌は、歌詞を聞いてみると恋唄であった。恋心にざわつく心を潮騒に喩え、恋心に守られた二人だけの空間を&ruby(サンクチュアリ){聖域};に喩える恋唄。互いに支え合い、程良く依存しあう二人の関係を祈り、願い、愛を育む様子がありありと伝わってくるような。 ダービーはそれを子守唄として違和感がないように、柔らかな調べで歌いあげる。母親の胸に抱かれた時の感触のように、それはもう柔らかな歌声で、歌詞の意味を解さないものには子守唄と思ってしまうだろう。サザンドラという三つ首竜の種族である彼女は、高音域を左右の首が担当して低音域を真ん中の太い首が担当する。 時折入る左右の首から漏れる鼻歌のコーラスのおかげで、彼女にはフルートもオーボエも必要ない。まさしく笛いらずの美声であり、たった一人でそこいらのオーケストラ以上の満足感を与えてくれる。 「どうでしょう?」 上質な水晶のように透き通る声のサザンドラは、三つの顔を全て笑顔にして笑う。どうでしょうなどといわれても、まともな感性を持つものならその一曲だけで放心状態になってすぐには反応できやしない。 「コレが優勝者の声……勝てるかな」 海の歌謡際に招待されては、優勝を収めてしまったその歌唱力を存分に見せ付けられ、歌姫は放心状態である。 「貴方もユミルさんから、相当な腕前だと聞きましたよ? 何でも、二つの声を同時に出すことさえできると聞きましたし。私と合わせれば5つの声が出せて面白いことになりそうね」 「わ……私のなんて大したことないですよぉ……三つの声を出せる貴方に比べれば……の話ですけれど。同時に二つの声が出せるからといって……ダービーさんみたく……一人で輪唱することなんて不可能ですから……。ですから、結構劣ってると思いますよ?」 「ふふ、芸ではね。でも、喧嘩をする時に芸は役に立つけれど基礎体力の差で押し切られることだってあるでしょう? 私のように小技で勝つんじゃなくってごり押しで勝って見なさいな。それとも、歌うときまでそんなぼそぼそした声なのかしら?」 ダービーは萎縮する歌姫の頭を左首の鼻で小突く。 「いや、歌姫は歌うときと普段では性格が変わるでやんすよー。声の綺麗さなら、負けていないどころの話じゃないでやんすし、歌ってみればいいでやんすよ」 「はっは、そりゃ奥様の歌を聞いちゃあ自信も萎縮するわなぁ。だが、歌姫ちゃんの歌声も聞いてみたいものだな。奥様のように思わず聞き入ってしまう歌声を、他の誰かの声で聞いてみたいもんだ」 ユミルとウィンが対抗して歌えと囃し立てると、バツが悪そうにおどおどしながら呼吸を整え始めた。まず長く吐いて、短く吸う。その繰り返しで気分を整えた歌姫は静かに口を開いた。 重量級過ぎて空を飛べないし、飛行できるポケモンでも運びきれないようなポケモンが、初めて背負われ飛んだ時の歌。夜空の下で涼しい風を浴びながら風切る二人の心地よさと、星々や灯りの美しさを純粋な驚きで以って歌ったこの歌は砂漠の地ではラブソングの定番とされている。 吐息と共に吐き出された声は、風のように爽やかに耳を通り抜け、心を揺さぶる。本当に二人の人間が歌っているようにしか聞こえない声の重なりはまさしく二つの声を同時に出していると形容するに相応しい。 聞き入る聴衆は残暑の暑さを忘れ、目は開いているのに何を見ているかわからなくなるような。酒場で歌うものはさらに感情の神の力が宿るローズクォーツを利用するのだが、このように正々堂々と受けてたって歌姫の実力はゆるぎない。 「あの……どうでしたか?」 「いつもどおり、最高でやんすよ」 「ブラボーブラボー!! はは、奥様にも負けないなぁ」 手放しで褒め称えるのはユミルとウィンの二人。掛け値のない絶賛は、緊張していた歌姫の心を程よく解きほぐした。 「すごいと……思う……まるで、昔会ったコジョンドに……勝るとも劣らない……音楽の神の加護でもあるかのよう……言ってみれば9721……」 彼女の無表情な態度からは窺い知れないが、ぶつぶつと訳のわからないことを交えながらも、神憑きの子も歌姫を褒め称えるほど気に入ってくれたらしい。 「凄いですね。それだけの実力があれば優勝はギリギリ狙えるんじゃないでしょうか?」 「は、はぁ……ありがとうございます」 「でも、安心したらダメですよ。もう開催も近いですが、出来るだけのアドバイスを私から教えさせてもらいますね。貴方さえ良かったら海の民の間で歌われる歌もいくつかも教えるわ。貴方はどうします?」 「あ、はい。暇な時でいいので、是非お願いします」 「ふふ。体は弱ってきているから海には出られないけれど、今は経営方針を決めるくらいであんまり仕事も忙しくないから……歌のこと一杯教えてあげちゃうわ」 海辺で拾い、育てたマナフィの&ruby(みなしご){孤児};の顔を思い出し、ダービーは三つの顔を綻ばせた。 「じゃあ、まずは海の歌謡祭の定番曲。深海のポケモンと浅い海のポケモンとの確執を歌った物語について話しましょうかね」 「ど、どんな話……なんですか……?」 「あらすじはね……深海は暗くって何も見えないの。だから、水の流れを頼りに獲物を探しているサクラビスとハンテールは、ある時病に冒されたルギアを食べて殺してしまったの。 それで、浅いの海のポケモンと深海のポケモンとで海を二部する戦争に発展しかけたんだけれど、中立の立場を保ったランターンがひたすら戦争を止めるためになだめ続けた。カイオーガの立場から。深海の二種の立場から。浅い海のポケモンの立場から。それぞれ入れ代わり立ち替わり歌を紡いでいくから、一人で歌うのは不可能に近いの。 海の歌謡祭では参加者が歌う時間を確保できるように、一節のみを歌うのだけれど……二人以上で歌うべき、非常に音域の広い節がいくつもあるのよね。貴方が歌うなら、そういう風に難易度の高い曲が似合うわ。 そうね……浅い海の者達が、声高に深海のポケモンを殺すべしと叫ぶシーンをまず教えてあげるわ」 「はい!!」 歌姫は親切で気のいいダービーと共に、海の歌謡祭直前の課題曲練習はみっちりと行われた。 ◇ 海の歌謡祭を楽しむ気満々の一行をよそに、イェンガルド居残り組は仕事に勤しんでいた。 (人付き合いは悪く、子供がぶつかったら蹴り飛ばすような乱暴者、仕事もしているが遅刻も多く勤労態度も不真面目。その癖一人前に女を凌辱して楽しむクズ。うふ、ターゲットにしても何ら心が痛まないわ。それに彼は神龍信仰にも疎いようだし……都合が良いわ) 「ふぅ……今日のは中々いい女だったな」 独り言をつぶやくバクフーンの背後にナナは忍び寄る。 「そうですか」 ナナはラティアスの姿でにこやかに話しかける。 「うわぁぁぁぁ!! て、てめぇ、こんな深夜に何者だ!?」 弾かれるようにそのバクフーンは振り向き、驚く。 「でも、女性を褒めるのでしたら、直接言いませんと」 ナナは答えず、&ruby(みぞおち){鳩尾};にボディーブローを喰らわせ黙らせる。 「ぐぅぉぉぉ……」 「痛みで声も出ないでしょう。苦しいでしょうね……でも、それでいいのよ。貴方達は地を這う姿がお似合いだから」 右の鳩尾に蹴りをくらわしたかと思えば、今度はうずくまるバクフーンの左の鳩尾に小さな足で蹴りを加える。うめき声すら希薄になってきたところで、ナナはバクフーンの背中に飛び乗って、レプリカグレイプニルを手にバクフーンの首を絞める。 「落ちろ」 激痛と苦痛の中、バクフーンはゆっくりと意識を閉じて行った。 目覚めたら、まず感じるのは強烈な圧迫感。棺桶のように狭い空間の中に、バクフーンはうつ伏せの形で寝かされていた。こんな密室なのに、不思議と周りはモノの形が分かるほど明るい。しかしながら、その閉じられた空間には一切の出口がなく細長い六つの脚をもった虫が這い寄る。それだけじゃない。ミミズのような、ウジ虫のような、イソギンチャクのような、ありとあらゆる不快な外見のモノがこの狭い密室内に集まっている。隙間もない場所から、湧いて出るように。 耐え難い悪臭と不快感から抜け出そうともがいてみても、この場所を囲む壁は丈夫でびくともしない。こんな場所で炎は使えない。叩き潰してみようにも、身動きのとり辛い状況では潰しきれず――ガブリ。 「――っぁ!!」 背中に激痛が走った。蹴られた時のとは違う、鋭く走り抜けるような痛みが。虫に噛みつかれたのだと理解しきる前に、腹へ触手が突き刺さる。悶絶する痛み、間髪いれず豆粒のように小さな範囲に次々と激痛が。もう、どこが何によって与えられる痛みなのかも全く分からない。 生殖器に、耳に、脳に、腹に、眼球に痛みが駆け抜け、叫んでも泣き叫んでも感覚は消え去らない。誰に赦しを乞うてみても、神の声も悪魔の声も聞こえない。体がちぎれてもちぎれた部分が独立して痛みを送ってくるのが分かる。 『もう死なせてくれ』と、どれほど願ったかもわからない。やがて望んだ死が訪れて全ての感覚が閉じたかと思えば、なんの感覚も無いのに意識があるのが恐ろしかった。 気が付けば、再び棺桶のような空間に無傷のままうつ伏せで。 次は、触れれば煙を発しながら体を溶かす液体が上からぽたぽたと垂れてくる。またそれを、全ての感覚が閉じるまで―― バクフーンが自宅で目を覚ました時には、異様な匂いが漂っていた。体を掻きむしっている間に所々出血しており、おまけに失禁しているようだ。だが、匂いのことなどあの悪夢から解放されたバクフーンには関係ない。バクフーンはわけもなく体を震わせて涙した。 しかし、感傷に浸っている暇はバクフーンには与えられない。ラティアスに顔を蹴られて、寝ている間に小便のまき散らされた床に転がされた。 目を白黒させるバクフーンに対して、ナナはラティアスの姿で天使の頬笑みをまき散らす。 「私は、天使と呼ばれるラティアス。名はクルエルと申します。早速ですが、貴方は最近罪を犯しましたか?」 「つ、罪……?」 「えぇ、例えば薬漬けにされた女性を金で買って凌辱したとか……ほら、9番街の低地にある娼館とか。あ、例えばの話ですよ」 バクフーンは体毛をわなわなと揺らしながら恐怖した。 「し、しました……」 「そうですよね。ですから私が参ったわけですし」 ナナはまだ地面にへたり込んでいるバクフーンを見下ろす。 「それが如何に罪深いことか……自由を奪い、穢れた薬と凌辱による快楽禁断症状による苦痛にで縛り、そうやって凌辱される女性達の気持ちを考えた事はありますか? 死にたくなるんですよ……自殺するほど辛いのですよ」 掃き溜めを見るような視線で見下ろして、ナナは唾を吐く。 「その罪を清算させるには。さっき見せた地獄で何十年もかけて苦痛と言う罰を受けるか……もしくはあの女性達を軟禁しているあのお店の従業員を全員殺しなさい。貴方の他にも仲間を増やしておくから……一週間後の16日、深夜0時丁度。あのお店からなら教会の時計は見られるし、常連客同士仲良く、従業員を殺しなさい。 屈強そうな従業員もいますけれど、集団で死を覚悟して抱きついたりしながら畳掛ければそんな難しくは無いでしょう」 ニコッと、ナナは屈託のない笑顔を浮かべて首をかしげて見せる。 「先程のような地獄から解放される方法は二つ。命がけで戦ってそして散るか、もしくは戦った後にこのお薬を飲むかの二択です。どうぞ、このお薬をお受け取りくださいませ」 と、言ってナナは錠剤を手渡した。バクフーンは震える手でそれを受け取る。 「戦う前に飲んじゃ駄目ですよ……戦う前に飲んでも地獄行きの運命は変わりませんから」 「こ、これを飲む前に……こ、こ、こ、殺せってか……あの店の従業員を?」 「えぇ、そうすればあなたの罪は赦され、死後は天に導かれましょう。しかし、それをしないのであれば貴方の穢れた魂は地獄に堕ち、先程のような責め苦を永遠に味わうこととなるでしょう。さて、貴方はどちらを選びますか?」 「や、やる……やるからもう勘弁してくれ!! もうあんな夢を見るのは嫌だ!!」 バクフーンが小さなことものように身を縮めて泣く。余程恐ろしい夢であったのだろう。 「あらら……申し訳ありませんね。あの夢は少なくとも一週間後まで見続けるというのに……まぁ、寝なければいいだけなので、一週間ならおき続けるのも可能ですよね。では、このことは誰にも相談せず、実行しなさい。 貴方の行動は誰かに称えられるためでなく、神に赦されるためにのみ行うべきなのですから……そのため、誰かに口にしてしまってはその効果は台無しとなってしまいますゆえ。分かりましたか」 「は、はい……」 震える声と体を抱えながらバクフーンは頷く。 「ふふ、ごきげんよう」 天使らしい天使の笑顔そのままで、ナナはふっと空気に溶けるように消えた。 悠々とナナが家の外に戻ると、しかめっ面でロイが迎える。 「ラティアスが嫌いになったらまずお前のせいである事を疑うことにするよ」 「あら、そんなに怖かったかしら?」 悪びれることなく、ナナはわざとらしく首をかしげた。 「十分……怖すぎるよ」 ロイは肩をすくめて苦笑する。 「しかし、本当にあれだけで眠ったら悪夢を見るようになっているのか?」 「……まぁ、一ヶ月くらいは効果持つんじゃない? でも、私が今まで見せて来た中でも最高の夢だから……まぁ、一ヶ月経つ前に自殺するか、あのお薬を飲んで死ぬかの二択でしょうね。あのお薬が毒だって誰が気が付くかしらねー、どうなるか楽しみ」 「酷いやり方をする……ま、自業自得だがな」 ロイは溜め息をついた。 「それにしても、夢程度でこうまで人を動かせるとは驚きだよ」 ロイが遠い目をすると、ナナ嬉々としてウンチクをたれ始める。 「『死んでも終わらない恐怖』ってのはあれよ……どんな化け物に襲われるよりも怖い。だって、自殺すらできなくなるんだもの……天使様に地獄行き宣言されたら、そりゃ罪を赦されたくもなるわ。 でも、あの子たちももう少し神龍信仰を学べば良かったのに……ラティアスが女天使である事は知っている癖に、神龍信仰に地獄の概念なんて無い事を知らないなんて、哀れよね。 アレは、異国の宗教やら神龍信仰の源流となった宗教の俗説が神龍信仰の教えと混同されてしまっただけなのに……真面目に神龍信仰を信じていれば私の嘘なんて簡単に見抜けたのになぁ」 「見抜けたとしても、もはや神龍信仰なんて信じられるかどうかわからないと思うぞ? あんな天使様が降臨してくるんじゃ、どんなに信神深くても神龍信仰を疑いたくなる。ま、あの天使様が偽者だと疑いたくはなるかもしれないが……」 と、ロイはおどけて笑って見せた。 「ふふ、違いないわ。私や貴方と同じで、神龍信仰に疑いを持つのね」 と、ナナは爽やかな笑みを浮かべて髪を掻きあげる。 「さて、まだまだお仲間をたくさん作ってあげないと、あのバクフーンさんもみすみすやられちゃうだろうし、頑張りましょう、ロイ」 「へいへい、全く……明日も仕事があるってのに元気なこった」 ロイは文句を言いながらも、しっかりとナナに付き従う。軟禁された女性達を解放する準備は着々と進んでいた。 ◇ 血なまぐさい事をやっている街に残ったメンバーに引き換え、海に向かったメンバーは道中も楽しく――とはいかないようだ。少なくとも、イェンガルドの住人二人は海に四苦八苦しているらしい。 「2618736790911959874642625683233024398959……」 「おう、ご機嫌斜めな海とは引き換えに、お嬢はご機嫌のようだな。ひゃっほう!!」 何やら数字を口ずさんで楽しそうなクリスティーナと、便乗してはしゃぐウィン。しかし、ここまで荒れた海を初めて見た者は今、とても楽しんでいる状況ではない。ラプラスに変身したユミルでさえ怖がっているほどだ。 「馬鹿言っていないで、しっかりつかまるでやんすよぉぉぉぉ!! アッシから落ちたら命の保証できないでやんすからねぇぇぇぇ!!」 ラプラス便は価格が高騰している。もちろん、そのくらいのお金は大御所の布商人であるダービーならば簡単に出せるのだが、そこまで頼っては悪いから――と、ユミルがラプラスに変身して代わりを務めている。 不慣れな時化の海では、例えラプラスに変身しても上手く泳げるものではないらしい。こともなげに進んでゆくベテランのラプラスの後ろで、ユミルは付いてゆくのが精いっぱいだ。甲羅の上には歌姫が乗っていると言うのに、無事に届けられるか心配である。 肝心のワンダはというと、ノー天気の効果はルギアの力が強すぎてほとんど効果を為していない。海は&ruby(おおしけ){大時化};、大荒れに荒れて、魔の海域の名に恥じない荒れっぷりだ。 「こ、こ、こ……怖いですぅ……」 歌姫はしっかり縮こまっている。海を見た経験なら母親と旅をしていた頃に何度かあったが、海に出ることは初めて。さらに漁師でもなかなか経験できない嵐が相手となってはそうなるのも当然だ。 「心配しないで。落ちたとしてもこの俺がしっかりと受け止めてあげるから」 などとワンダはとても元気である。だが、例えワンダが居なくとも問題はなさそうだ、ラブカス・サメハダー・ホエルオー・ネオラント……周囲にはありとあらゆる海のポケモンが集結している。ルギアの影響が及んでいると言う事は、即ち目的地も近いということなのだから。そのポケモン達の会話に耳を傾けていると、ウィン達のような陸のポケモンはやっぱり珍しいらしく、『陸の者』と呼ばれているらしい。『らしい』、というのはこれが12ヶ国語をクリスティーナからの訳によるものであり、ウィンや他の陸の者は全員海の言語は喋られない。一応、アグノムの力が籠ったスモーククォーツの力を利用すれば言葉が通じないことも無いのだが、この状況でそれをやれと言うのも無理な話であろう。 通訳が出来るのは案内役を務めるラプラスとクリスティーナだけである。とはいえ、視線や表情を見れば陸の者を排斥するようなムードは漂っていない。友好を司るマナフィ主催の祭りなのだから当然と言えば当然なのだ。 「はっはっは、ワンダさんは随分とまぁ頼もしいことだな。俺みたいに重い奴が海に落っこちても助けてくれるのかい?」 「まぁ、努力しますよ」 「おぉっと、落ちるぞ落ちるぞ!!」 もう一人のラプラスの背中はユミルのそれと比べればはるかに揺れが少なく快適なのだから。ある程度船旅に慣れているからと言うのもあるだろうが、ウィンが余裕で笑っていられるのもそう言った理由なのだ。 「……582039472」 だが、ふざけ過ぎればやっぱり怒られる。 「あ、すまねぇお嬢。流石にふざけ過ぎた。確かに、神憑きの子の加護といえど万能じゃないもんなぁ!!」 「あぁぁぁぁ、こんな時になんでやんすが……何故にクリスティーナさんの言葉が分かるんでやんすか、ウィンさん?」 大波に翻弄され、横転しそうになりながらユミルは尋ねる。 「それはあれだ。言葉が分かっているんじゃなくって、声色から怒っているかどうかくらいは分かる」 「いいからあんたらは黙って私のナビに従ってください!! 舌噛んでも知りませんよ」 が、その答えを聞く前にユミルは案内役のラプラスに怒られた。流石にバツが悪いとウィンは反省し、以後は大人しくラプラスに掴まっていることにした。 一方歌姫は、この船旅(?)の途中に2回も吐き、心身ともにぐったりとしている。こんな状態で歌えるのかどうか疑問である。 ほどなくして、祭りの開催地に近づくことで嵐が収まってゆく。ユミル達一行はルギアの起こす台風の目に来たのだ。それが祭りの開催場所の目印であり、集合場所。海のポケモン達が熱狂的な雰囲気でその種名を呼ぶ海の神とされるポケモンルギアやマナフィの居る場所である。 言葉の意味を解さないモノにはただの音でしかないその叫び声だが、海辺に住んでいるウィンやクリスティーナは海の民の言葉も半分以上は意味がわかっている。すでにしてクリスティーナも追従して叫んでいて、その熱狂の一因となっていた。 祭りが始まるのは夜だと言うのに、元気なものである。ルギアとマナフィを称えるコール自体、本来は夜までする必要は無いと言うのに。待ちきれない上に体力のあり余った海の連中は、それを発散するためにこうして叫ぶのだ。 ウィンは毎年恒例のこのコールにやれやれと肩をすくめながら、ラプラスの甲羅の上に立ってクリスティーナを抱き上げる。かなりの高みに視点を移動されたクリスティーナはキャッキャと赤ん坊のように歓喜して見せた。 「海の守り神……嵐の化身……彼の者の名はルギア。その力、翼の一振りでねぐらを壊し、羽ばたき一つで嵐をおこす……抗う事はあたわじ。その者の命刈り取れば、海は&ruby(な){啼};き潮を乱す……」 「な、なんか口走り始めちゃったけれどいいんでやんすか? クリスティーナお嬢がやばい感じでやんすが……」 陶酔した様子のクリスティーナ。何だかテオナナカトルを服用した時のようにも見えるそれは、常人が&ruby(ヽヽ){あぁ};なってしまえば確かによい状態とは言えない。 「あーいいのいいの。言ったろう、クリスティーナお嬢は、ルギアやマナフィが数字以外の者も見えるってさ。あんなふうに呟きたくなる何かがあの」 だが、ウィンには慣れたものであり、いつものことだからと肩をすくめ笑っていた。 「……酷い目にあった」 一方、波一つない穏やかな海なので歌姫の体調も落ち着いたのか、歌姫はスモーククォーツを取り出して周囲の言葉に耳を傾ける。 『海の神ルギア!! 海の皇子マナフィ!! 我らの守り神を称えよ!!』 言語の意味を解するようになると周りの者達が何を叫んでいるのかも理解できた。 神を崇める際、多くの場合はその姿を拝みながらする事はない。そのため、すぐ目の前にいる相手に向かって神を称える言葉を言っていると思うとなんだか奇妙な感覚である。歌姫達にとっては自分達も『美しきレシラムがため!!』などという事はあるが、それは遠い遠い相手に対してのことであって、このように間近の者に言ったことは今のところは無い。 こんな世界もあるのだな、と思いつつも、いざ喧嘩祭りを行うとなったら同じようにゼクロムを称えるのだと、なんとなく実感がわいた。 歌姫も同じようにルギアの名を叫んでみたかったが、歌謡祭に出場する前に喉を痛めるのは得策ではない。本来の目的は優勝することではなく、水陸両用のポケモンをシャーマンとして連れ帰ることではあるが、出る以上は勝ちたい。当然のことだ。 「始まるのは夜……か。寝るかな」 (クリスティーナったらあんなに興奮しているけれど、クリスティーナはあれで祭り本番で眠くなったりしないのかな? ま、いっか……) 歌姫はラプラス酔いのせいで他人を気にする余裕は無いのか、穏やかな海に付いてしまったせいか酷い睡魔に襲われていた。 「ごめん、ユミル……私寝るわ」 「この五月蠅い状況でよく眠れるでやんすね……」 ユミルがラプラスの長い首をくるりと後ろに向けると、歌姫の口の端がつり上がっている。 「静かにさせるのです……子守唄で……ほら、ダービーさんがこの祭りでは……優勝宣言という文化があると仰っていたじゃないですか……」 「え、それをやっちゃうんでやんすか……? なんというか目をつけられるんじゃ……」 「歌いたくってうずうずしているんですよぉ……」 歌姫の眼が座っている。歌う前からすでに性格が変わっているあたり、歌謡祭というこのシチュエーションは歌姫の歌好きな感性を大いに刺激するらしい。この状態になったら止められないと判断して、ユミルは説得することを諦め耳を歌姫の声に集中しないように気を逸らし始めた。 彼女の歌はそれでも眠たくなるほど脳に響く。ユミルがあと少しで寝そうな状況になった時には、すでに歌姫の料理は完成していた。 「意味も知らずにこの恋歌を歌っては……母さんに褒められたっけ」 感慨深く言った歌姫の周り。まずはクリスティーナと案内役のラプラスが眠っている。ウィンは流石はボディーガードをしているだけあると言ったところか。危なげなく起きていて、眠ることなくクリスティーナをお姫様抱っこしている。 ワンダは水中に潜って音から逃れているようで、なんとなく恨めしそうに歌姫を見ている。 「さぁ、静かになった」 まだ周囲ではざわざわしているポケモンもいるが、歌姫のおかげでかなり静かになったのは事実である。まだまだ五月蠅いことには変わりないが、さっきよりはだいぶましだ。魚の形態をとるポケモンは眠ってしまっても泳ぐことを止めないと言うが、確かにその通りのようだ。眠ってしまっても皆、寝返りよりも激しい何かをしている。 「で、寝るんでやんすか……歌姫さん、無茶苦茶しやすね」 「ほー……大した優勝宣言だな、歌姫のお嬢ちゃんは。ふむ、クリスお嬢も気持ちよさそうに寝てやがる」 ウィンは周りの視線お構いなしのようだ。ユミルは視線の意味を色々恐れていると言うのに呑気なものだ。 「こんなことして『陸の者は』無作法だ。とか思われないんでやんすかねぇ……」 「大丈夫だ、あっちでもそっちでも向こうでも同じような優勝宣言をやっているし、奥様も言ったろうに? 開催前にあぁやって歌うのは優勝宣言なんだ。はは、奥様が歌姫ちゃんには優勝宣言の習慣を教えて置いたとはいえ本当に実行しちまうとはなぁ」 前座というよりかは、交流試合のようなものだろうか。確かにウィンの言うとおりそこかしこで眠りを誘う歌声が聞こえるような気がする。しかし、そのどれもが潮騒と喧噪に負けているのだろうか、歌姫の周りと違ってあまり眠りに落ちた者はいない。 「ま、今年の実力はこんなもんか。とはいえ、きちんと実力隠している奴もいるだろうからわかんねぇがなぁ……だが、実力を誇示するためでなく自分が眠るために歌うってのは歌姫ちゃんが初めてじゃないか?」 ガッハッハとばかりにウィンは豪快に笑う。リングマの巨体と風貌によく似合う乱暴なまでの笑い声だった。 その後、ルギアが3人ほど飛んでくる。海の神の大安売りのような光景だが、そのたびに会場を熱狂に包みこむあたりルギアというブランドの絶大な効果を伺わせる。 「これでルギアは計5人……でやんすね」 「あぁ、俺はあの左から2番目の奴が好みかな」 「私は……真ん中のルギアが……1139億6799万4894……あの子……陸の者をばかりを見てる……視線を移すのは、フタチマル、私達……ニョロトノ……陸の物に興味があるのかな?」 珍しく可愛いだなんて人並みの女の子のようなコメントをするクリスティーナは嬉しそうに笑っていた。 「おうおう、そりゃあいい。確か、11は『好奇心旺盛』だったな。お嬢が鏡で自分を鏡で見た時と同じじゃないか」 「そ、そういう話をしたいわけじゃないんでやんすが……確かに真ん中の子はまだ子供って感じで愛らしいでやんすね。何だか最後の一人だけ匂いを嗅がれて、ルギアの輪からはずされていやすが……あ、マナフィの元に……逃げていっ……た? 子供で、他のルギアと一緒に訪れた様子でもないでやんすし、最後に同時に着水した親子のルギアの見たいに家族がいるわけでもなさそうでやんすし……一体どういうことでやんすかね? 何かうとまれているような……」 「親とはぐれちまったか死んじまったか。どちらにせよ、お嬢がこうまで興味を示すだけの何かはあるってこった。だが、それよりもだ……もう夕日が沈むぞ。空は紫色だ……そろそろ歌姫を起こしてやれ」 「他の人は皆起きているのに……歌姫さんはどんだけ寝ているんでやんすかね……まったく」 仕方がない、とユミルは苦笑して歌姫を起こそうとしたが、首が届かない。 「ワンダさん、この子を起こしてくれでやんす」 「はいはいっと。歌姫さん、起きてください」 「ふぁ……おや、もう始まりですか」 眼を擦りながら歌姫が欠伸をする。 「ハピナスはここまで呑気な種族だったでやんすかねぇ……ほら、空の色を見ればわかるでやんしょ?」 「ですね……ふあぁ……じゃ、歌謡祭に本気で臨ませてもらいますか」 さて、とばかりに歌姫はスモーククォーツを取り出し、クリスティーナへ渡す。 「ねぇ、その宝石の力を使って、皆の言葉が通じるようにしてくれないかな?」 「いいの? 歌姫さん」 初めて見た宝石にクリスティーナは目を輝かせる。 「うん。でも、一応力加減はほどほどにお願いね……貴方だと聞こえてはいけない者の声まで聞こえちゃいそうだから……うん、ここに居るポケモンさん達の声が聞こえる程度のレベルでね」 「分かった」 クリスティーナがスモーククォーツに光を灯すと、周囲にアグノムの力が溢れだしてざわめく声の意味を解するようになる。 『さぁ、そろそろ始まるぞ』『やっぱりルギアは格好良いなぁ』『う~……楽しみ!!』『おい、あの女見てみろよ。すっげぇ美人じゃね?』 それを誰よりも驚くのは、シャーマンでない人物だ。 「おおすげぇ、お嬢の通訳が全く必要ねぇや」 クリスティーナの操るアグノムの力は強力で、効果はシャーマンでないウィンにもきちんと及んでいる。ウィンとて、住んでいる街が街なので海の言語はある程度喋られるが、片言でしか話せない彼はシャーマンの使う道具の力に今更ながら舌を巻いた。 想い想いの会話が周囲でささやかれる中、一人のひときわ大きい体格をしたルギアが海から飛び立った。これは、歌謡祭の開会式だ。 垂直上昇したルギアが、周りを囲むポケモン達の周りをグルリと一周する。時折ルギアが背面飛行をすると何対ものヒレが生えた背中に捕まっているマナフィの姿が月明かりとルギアの持つ銀の羽に照らされている。そればかりか、胸にある赤い珠が僅かながらに光を放ち、夜空を彩っていた。 2周、3周と周回数を重ねるごとに渦巻き状に旋回の輪が狭まって行く。ついにその輪が中心にぽっかり空いた台風の目のような所へ到達した時、垂直上昇し始めたルギアからマナフィが飛び降り、大きな水しぶきを立てる。 一人ぞらへと飛び立ったルギアは見る見るうちに雲の上、豆粒のように小さくなったルギアは重力を味方にしながら羽ばたきの力も加えて垂直落下。全速力で海面に飛び込み、轟音と水柱を巻き起こす。爆発じみた衝撃によっても巻きあげられた水しぶきは遠くの観衆にまで届き、その水しぶきを浴びた者達から歓声もしくは絶叫あるいは嬌声が上がる。 盛大な海の歌謡祭が本格的にスタートした証である。 しばらくすると、海中深くまで沈んでいたルギアが、頭にマナフィを乗せて水面に顔を出す。サッとマナフィが手で制せば、あんなにうるさかった会場はまるでこの台風の後の海のよう。波風一つ立たない静寂の中、マナフィが高らかに宣言を下す。 『ようこそ、海の紳士淑女諸君。海の荒くれ者、臆病者の諸君。海の支配者と労働者諸君。司会進行を務めるマナフィたる我輩の名はエリック!! 早速だがそなたらに問おう。歌を素晴らしいと思う心に種族はあるか!?』 エリックと名乗るマナフィが手を月にかざす。 『あるわけねぇぇぇぇぇ!!』 『その通りだ!! ここに集まる者達に種族の隔たりがないのが何よりの証拠。それは伝説のポケモンだろうと一緒の事じゃ!! 我輩もそなたらも楽しむ心は一緒。さぁ、ここに集いし歌好きの者よ、目立ちたがりな者よ、祭りにかこつけてつがいを探しに来た者よ、歌が上手い者よ、ただ騒ぎたい者よ、実はここで行われる事が何かも知らずになんとなく迷い込んでしまった者よ。皆、歌を聞く準備はいいか!?』 エリックが手をかざす。 『当然だぁぁぁぁぁ!!』 『踊りを踊る準備はいいか!?』 エリックが手をかざす。 『当然だぁぁぁぁぁ!!』 またもや一斉に轟音がとどろく。なんと統率のとれた祭りだろうと、初参加の者達は心が躍る。 『ナンパの口説き文句と断る文句の準備はいいか!?』 『当然だぁぁぁぁぁ!!』『まだだぁぁぁぁぁ!!』 こればっかりはなんとルギアからも声が上がる始末。ルギアのように個体数の少ないポケモンはこういった機会で出会うのが常識になっているようである。 『まだって言った奴はとっとと考えるのじゃ!! 気の利いた文章なら我輩もそなたらに誘われてやるかもしれないぞ。それでは、盛り上がる準備はどうだ!?』 『出来ているに決まってるぞ!!』『準備万端さぁ!!』『見て分からねぇかぁぁ!?』 思い思いの叫び声が海面を揺るがす。 『さぁ、祭りを楽しむ準備は万端だ。今年も開かれる海の歌謡祭、我輩が開幕をここに宣言する。叫べぇぇぇぇ!!』 『オォーーーッ!!』 『さぁさぁ、盛り上がってきた所で、今年もまた陸からの訪問者のお出ましのようじゃ。その特別ゲストを紹介しよう。あの茶色い大きな方、種族はリングマと言って我輩の育ての親ダービーの通い夫!! 名はウィンだ』 『おう、紹介ありがとう! エリックも立派になりやがったな』 ウィンがエリックへ手を振る。 『と、まぁこんな生意気な口が利けるほど縁深き相手ゆえ、今宵も丁重にお迎え致せ!! そして、そのたくましい腕に抱かれる黄土色の子は同じく陸の者、種族はユンゲラーと言って同じくダービーを育ての親とする、いわば我輩とは兄妹みたいなものじゃ。さらにさらに、今日は見なれないゲストも居るようじゃな、そこのピンク色の陸の者、種族名と名を答えよ!!』 さりげなく省かれたユミルは苦笑する。ラプラスに変身しているから気がつかないのも無理は無いのだが、『出来れば気がついて欲しかったな』と小さく愚痴を漏らしている。 『え、と……私の名前は……その、歌姫です。今宵はダービーさんの紹介で……歌謡祭に出場しに来ました……』 『おっとと、優勝宣言をした割には元気がないぞ!? 競争の前だけ性格が変わるポケモンもいるが、彼女もまたそのタイプなのかな? はは、しかし先程は大胆すぎる優勝宣言をしていたと聞き及んでおる。これはこれは、史上二人目の陸のポケモンの優勝になるかどうか、海の者は負けちゃいけないぞ。はい、意気込みを叫ぶんだ!!』 『負けらんねぇぇぇぇーーっ!!』 エリックの呼びかけ一つで、稲妻のように轟音が響き渡る。びりびりとした音波が水面を震わせていた。 『おっとと、水も怯える雄叫びだぁ。これなら海の皆さんの優勝は安泰かぁ!? しかし、遠慮することは無い。地上の者といがみ合っていた時代は過ぎたのだ。各々がの思うまま、目を瞑って歌を聞け!! この者の歌を素晴らしいと思うなら、その時は地上の者であろうと心の赴くままに褒め称えるがよい。 さぁ、歌わんかな踊らんかな。まずは皆で大合唱だ!! 我らの声で嵐を巻き起こせ。海を称える海底の歌、第一番を響かせろ!! さぁ、指揮者はこの方、シザリガーのラクシャスだ!!』 『ご紹介に預かりましたラクシャスでございます、よろしくお願いします』 ラクシャスと紹介された彼の腕の一振りで、歌が始まる。元々は地上に憧れるお転婆なジュゴンのお姫様に海の素晴らしさを伝えるために作曲された歌であり、その際はシザリガ―が作詞作曲、そして指揮も一人でこなしたと言う伝説が残っている。おまけに指揮を取りながら歌って演奏していたと言うのだから、相当の音楽家なのだろう。 今もこの歌を歌う際にシザリガ―が指揮を執るのはその名残だ。 この歌が歌われる原因となったお姫様の地上への憧れは、『地上よりも海中にいた方が気楽な暮らしが出来る』と、説得する歌詞が何度も出ていることから容易に想像が出来る。楽しげなリズムで海中にいた方がいいと何度も訴える歌は、なるほど地上の者も海底に惹かれてしまいそうなほど愉快で軽快な歌だ。 歌が始まって間もない頃からサクラビスとハンテールが二重螺旋の踊りを見せて、ラブカスとママンボウが海上に花吹雪を散らせてゆく。ネオラントは銀色の嵐を巻き起こし、ランターンは稲妻の花火を打ち上げる。 渡り鳥の面々も負けてはいない。美しい歌声は海の物だけではないと空より歌声を振らせては、優雅な羽ばたきで観衆を骨抜きに魅了する。ペリッパーが空から水で遊ぶように水しぶきを振りまき、海の歌謡祭は開始早々戦場さながらの騒がしさだ。 エリックが祭りの最初に目立ちたがりな者に対しても呼びかけていたが、これがそういうことなのだ。みな、目立つのに必死でパフォーマンスはド派手になっている。どれもこれも素晴らしいダンスなので、演技していない誰もが色々目移りしてしまう。 終わってみれば、歌も踊りも、雑音もごっちゃ混ぜ過ぎてよくわからないというのが一般的な感想だが、それ以上に初見の者は皆が口をそろえてこう言う。 「すごいでやんすね」 これはユミルの一例だが、他の者も皆表現の方法は違えど同じ意味合いをもたせて言うのだ。どうすごいのか、言葉にはし難い。無意味にド派手で、無意味にうるさくって、無意味に壮大。無闇にド派手で、無闇にうるさくって、無闇に壮大。だけれど、歌っている間の最高に高揚した気分はいかなる上等な酒にも勝る。 ダービーが一押しする祭りである事も理解できるというものだ。 『さあさあ、場も程良く盛り上がった所で、歌自慢の皆さん歌ってみませんか? 歌う権利を最初に与えられるのは、吾輩の触角に最初に口付けした者。次は吾輩との鬼ごっこだ!!』 この歌謡祭のルールとして、最初の歌い手は鬼ごっこで決める。それはエリックの言うとり、マナフィの触角に口付けを交わせれば、その者が歌い手として一番手になれるのである。 エリックは水面から飛びあがり、ルギアの頭によじ登る。それから、ポンポンと毬のようにポケモンの頭を跳ねまわりながら、しかしすばしっこい彼は頭にある2本の触角にはだれも触れさせない。 だが、誰よりも早くペリッパーが空中に居るエリックを口の中に包み込んだ。 『おっとと、これはこれは。やはりこの選び方は空のポケモン有利かな? 触角ごと包み込まれたこれは、キスと認められると言うのがこの歌謡祭のルール。今年もお歌はペリッパーが一番乗りだ。ささ、皆さん拍手拍手、ペリッパーさんは我輩を吐きだしてさっさと歌え!!』 『おうよ、盛大にふっとベよ!!』 『キャーッ!!』 吐き出されると同時にエリックはおどけて叫び声を上げる。派手な水しぶきを立てて海に飛び込む様は、マナフィの可愛らしい見た目にたがわず子供のように無邪気だ。 『よく聞け、俺の名前はラスカ!! 俺の美声を聞きたまえ!!』 こうして個別の歌唱力を競う祭りが始まった。歌い終わった後は、自分とは違う種族を指名するという流れで、番を何度も譲って行く。明らかに自分の歌が上手いのだと勘違いしているような歌手もいるのだが、全体的には非常に高レベルの者が集まっている。眠らせるわけにもいかないので、眠気を誘うような歌を歌うポケモンは居ないが、それでも心地よい雰囲気が眠気を誘ってしまう。 クリスティーナは歌姫によって眠らせられていたためか、まだまだ元気で眠くも無いらしい。時折謎の数字を口ずさみながら歌のリズムに合わせて体を揺らすなどはしゃいでいる。 会場の雰囲気はというと、夜が深まるにつれて次第に幻想的で官能的な雰囲気を濃くしてゆき、祭りの開催宣言直後はバラバラだった人の流れも、いつの間にかそこかしこで男女が寄り添っている。 祭りにかこつけてつがいを探しに来た者の多いことが伺えて、開会の言葉に会った煽り文句は的確だ。歌われる歌もそれに合わせたいい雰囲気の曲が選ばれ、例えばとてもロマンチックで、思わず隣の異性と口付けをかわしたくなるような。 ラプラスの落ち着いた低音、チルタリスの印象的な高音。やはり、歌を技として使えるポケモンほどその歌唱力は素晴らしい。曲が終われば拍手代わりの水しぶきの大喝采が巻き起こり、そのたびに陸の者は水しぶきに顔をしかめることになってしまう。 歌姫は高揚した気分を抱えながらも、正直なところそのレベルの高さに目を皿にしている。 そんな折、歌姫に歌うチャンスが訪れる。 『じゃあ、次はあのハピナスのお嬢さんに歌ってもらうよ』 歌姫の心臓が一気に高鳴った。 (ダービーが優勝はギリギリ狙えるレベルと言ったのも頷ける……けれど。勝てない相手じゃあない) 『では……私が歌います。今から歌うのは……あの、その……『ランターンの懇願』、第3章4節……です』 歌姫に番を回してくれたラプラスは歌姫の優勝宣言を確認しており、それだけのことをした歌姫の実力拝見と言ったところだろう。少々余裕を称えた笑みを見てとれる。 観衆が見守る中、歌姫はクリスティーナの方へ振り返って微笑む。 『神憑きの子よ。私に神憑きの幸運を与えたまえ……』 と、声をかけるとクリスティーナは笑って手を振り答えた。 『猛々しき神、ゼクロムがため……ではみなさん、聞いてください』 いつもはボソボソとしか喋らない歌姫は歌う前もボソボソ声だが、ゼクロムを称える一言で気合いを入れると、歌姫は雰囲気を一変させる。 歌い始めるた頃には、普段の影はことごとく吹き飛んで、歌姫という名に恥じない印象を抱かせた。 『すげぇ……』 と周りからは自然にそんな声が上がる。 歌姫が歌い始めたのは、ルギア、ランターン、深海のポケモン、浅い海のポケモン、全種族が集い平和を謳歌する一節である。一人で歌うことを条件づけられた海の歌謡祭ではほぼ確実に歌われることの無い、かなりの音域の広さを誇る歌だ。 ダービーのようなサザンドラの三つ首の性質で以ってようやく歌えた歌だと言うのに、首一つの歌姫が歌うのは相当難しいことである。背伸びしてこの歌を歌えば、音を外し声がかすれ散々な出来になるのだが歌姫はまるで当たり前のようにそれをこなして、とても一人で歌っているようには思えない。 歌い終えると、恐らくは、今までで一番の拍手喝采。海中から勢いよく飛び出して、派手に水しぶきを立てて囃し立てるなど派手なパフォーマンスを行う者もいて、つまるところそれだけ評価される歌だったということだ。 これは後で分かることだが、本来は大人数で歌うからこそ和解することや理解し合うことの大事さが分かる歌であり、一人で歌うことに対して難色を示さない者もいないわけではない。難易度が高い物を選べばいいわけではなかった、と言ったところか。 そして、日が昇り切る手前で歌い手の希望者を全員捌き切り、歌謡祭のメインイベントは終了する。投票の方法は、水面を叩く拍手の大きさで決められるという非常におおざっぱな物。 エリック達が歌い手たちの名前を上げ、『○○が優勝だと思う方?』と、人数分聞いてはその拍手の大きさを競い合うのだ。 おおざっぱな決め方ではあるものの、共感や意思の疎通を得意とするマナフィが司会をする以上、暗黙の了解でマナフィの判断は正しいとされている。そもそも、毎年上位陣で圧倒的な大差がつくので間違えるなんて事は馬鹿でも出来ないとすら言われていたりもする。 一回の絞り込みでかなり人数が絞られる中、歌姫はその絞り込みの中で5人のうちの1人に残り、再度の拍手で惜しくも優勝は逃したが、よく頑張ったと言える結果であった。 『さぁ、今年最高の歌い手たちよ。そなたらに選ぶ権利を授けよう。海の神の力籠るこの海鳴りの鈴か、海の皇子たる我輩の力籠るこのアクアマリンか、それともその陸の者より差し入れられた酒なる飲み物に、様々な珍味と金貨銀貨の詰め合わせか!? いかなる宝を望むか、我輩に向けて告げるがよい。まずはそう、優勝者のアランからだな」 『はは、今日は俺のカカァと祝勝パーティするって決めたんだ。だから賞品の選択なんて一択でしかねぇ!! 酒とつまみをよこせ』 と、アランと名乗るジュゴンが異性の良い声を張り上げる。 『おぉっと、これで陸の者に陸の物が渡る事は無くなったぞ!! 遠慮して居るなんてことは無いな? それはそうと、渡す者はきちんと渡さなければいけないってものだ。 我輩の祝福のキスと合わせて、受け取るがいい!!』 近づき、かしずくアランのヒレにエリックがキスをする。万感の思いでアランがキスを受け入れると、次いで司会進行補佐のルギアから商品の酒と食料を渡される。 『それでは、優勝者アランよ。この会場に居る者達へ声を掛けるがいい。つがいへの愛の告白でも、次回の祭りでの優勝宣言でも一向に構わないぞ!!』 『それじゃあ言わせてもらいますぜエリック様。よっしゃあ、ベレーザ!! 今夜は祝勝会だからな、付き合えよ』 『もちろんだよアンタ!!』 恐らくはベレーザという名前なのであろうエンぺルトが手を振ってそれに応えた。 『さて、次は陸の者だな。我輩の育ての親ダービー以来、陸の者がこれほどまで上位に食い込み錦を飾るのは久しぶりじゃ。誇るがよい、歌姫よ。さあ、そなたが望む賞品は何だ?』 『アクアマリンで……お願いします。あの美しい輝き、気に入りました……』 やはり歌を歌っている時とは全く違う性格の歌姫は、エリックの問いに答えるだけではにかんでいる。 『これはこれは嬉しいものだ。我輩の力がこもるこの宝石を欲しいと言いなさるかお嬢さん? よし、それではこれを我輩と思って大事にするがよい』 『かしこまりました』 満面の笑みで歌姫はそれを持ち、天高く掲げる。 『それでは、陸の者よ。そなたも同じくこの会場に居る者達へ声を掛けるがいい。つがいへの愛の告白でも、次回の祭りで雪辱を晴らすと宣言するでも構わんぞ』 『ありがとうございます、エリック様。海のお祭り、堪能させてもらいました!! しかしながら、私達陸の者は陸の祭りもまた誰かに楽しんでもらいたいと、思っております。しかし、陸のお祭りは現在行えない状況になっているか、もしくはガチガチに規則に縛られたつまらない祭りが多い……しかし、今私達は陸の最高に面白い祭りを復活させようと計画しています。 そこで……その祭りを行うため、これと同じ事が出来る方を探しています』 歌姫がアクアマリンに意識を集中し、シャーマンの力を込める。途端、ソラマメほどの大きさのアクアマリンが海の色と同じ光を放ち、朝やけを待つ夜空を蒼に彩った。 『祭りが終わった後も、ここに集った者は中々解散しないと聞きます。ですので、興味を持った方は話だけでも聞きに来て下さいませ』 歌姫はそれだけ宣言して一言を終える。 『ほほう、これはこれは。このお誘いには誰かが乗ってくれないとちょっと失礼かもしれないぞ!! 誰か陸の祭りを体験したら是非そのお話を聞かせてくれよな。では、最後に第3位の……』 ◇ 最後に閉幕の歌を皆で歌って海の歌謡祭は大盛況のうちに終了した。 (さっきのような味気ない誘い方で本当に興味を持った者が来るのか疑問だけど……どうせダメもと。マナフィから直々にアクアマリンが手に入っただけでも儲けものと考えよう……) 『おーい、お前。歌姫だよなー?』 『あ、はい……』 もしかして興味を持った者が来たのか、と胸を躍らせて歌姫が振り向く。振り向いてぞっとした。 『僕はリムファクシてんだ。お前がやっていたことと同じこと出来るんだけれど、陸のお祭りってどんな感じなんだー?』 銀色に輝く、雪のような白い羽。蒼い腹はやわらかそうで、触ると気持ちよさそうだ。長い鎌首、水滴のような形の頭部、目や背中、尻尾の深い紫色のヒレ。全体的に鳥のような体系をしたこのポケモンは、今はナナよりも少しばかり身長が低いくらいだが、やがてはチルタリスやペリッパーなど及びもつかない巨体に成長する…… 『ルギア……でやんすよね……へぇ、こんなにいい匂いなんでやんすか』 『はわわわ……海の神様』 まず最初に、案内役のラプラスが気絶しそうなくらいに慌てて頭を下げる。周りのポケモンも一斉にそうしている。どうも海の者にとって、ルギアはそれほどまでに極端な畏敬の対象であるらしい。 『1139億6799万4894……。君には数字以外のいろんなものが見えるね……まずは、翼の部分に……嵐の化身。腹の部分に海の守り神。足の部分に海流の管理者……眼の部分に銀色の魂。それだけじゃない……いい匂いだし、もふりたい……けれど、全身に弱いながらも病……?』 何故だか知らないが、クリスティーナ大いに興味を持ってしまった。 『おいおい、お嬢。仮にも相手は神様だぞ……甘えてみたいのは分かるけれど、少しは節度を守れるか?』 クリスティーナと一緒に案内役のラプラスに乗るウィンはクリスティーナに優しく諭す。クリスティーナは味気なく『うん』とだけ頷いた。 『そう言う問題じゃないと思うでやんすよぉ……うん』 『いいから、こっちも名乗らないと……失礼にあたります……』 無益な会話ばかりする仲間を制するように歌姫が言った。 『そうでやんすよね……えっと、アッシはユミル。ラプラスの姿をしておりやすが、正体はメタモンという自在に変身できるポケモンでやんす。こんにちは』 『私は歌姫。よろしくお願いします』 『俺はウィン。まぁ、エリック皇子の紹介に会った通りさ。そんでこの子も同じ。名前はクリスティーナだ』 『えと、俺はワンダ。一応陸に暮らしております』 一行の自己紹介を終えるころには、ルギアと普通に話している事を畏れられる雰囲気になる。皆、口々に畏れ多いと言っている。 (海の皆さんは、祭りの時の異常なテンションは何処へ行ったのやら……いや、祭りの時のテンションはマナフィの共感や団結を促進させる力なでも使っていたのかしら? 最初にルギアに乗ってグルグル回っていた時……胸の赤いのが光っていたし。 だとしたら……このアクアマリン、場の雰囲気を支配できると言う馬鹿に出来ない力を持っている……やっぱり手にしてよかったわ) 『俺さー。海の歌謡祭が楽しかったから陸のお祭りってのもやってみたいんだ。さっき歌姫が言っていた奴出来るから貸してくれよ』 童顔のルギアはそう言って大きな翼を差し出した。童顔に相応しい口調はやはり子供といった所なのだろうか、伸ばす翼にクリスティーナが手を伸ばして気安く触れてもも嫌な顔一つしない、スキンシップにストレスを感じない年頃のようだ。 『どうぞ……リムファクシさん。陸のお祭りに興味を持ってくれただけでも……ありがたいくらいですよ……』 ボソボソ声で、しかし確かに笑顔を浮かべて歌姫がアクアマリンを差し出す。 『へへっ、俺歌下手だからよう。大人になっちまったら声が低すぎてまともに歌えねぇしな。見ているだけでもそれなりに面白い祭りっちゃそうなんだけれど、陸の祭りかぁ……参加したら面白そうだな。サンキュ、誘ってくれて』 アクアマリンに触れてみたかったのか、すでに陸の祭りに参加する気満々なのか、妙に説明的な語りを入れながらも無邪気な表情は子供そのもの。 『むぅんっ!!』 と、念じれば、翼の上に乗っけられたソラマメほどの大きさのアクアマリンが輝く。真っ赤な朝やけに対抗して光るその様は、時間帯が同じなら歌姫と同じくらいにまばゆく光を放ったことだろう。今はアサヒが登っているためにそれほど光ってはいないが、十分辺りを照らしている。 『ほら、出来た!! 俺すげーだろ、な? な? みんながこういうこと出来ないから陸の祭りってのが出来ないんだろ? だったら、俺が居ればまさに百人力って奴だよなー? 俺を連れてってくれよ。海にゃ居場所ねーんだ』 『ふふ、本当ですね……百人力になりそうです』 波風が立っていたら聞こえないくらいに小さな声で歌姫が肯定する。 『確かに良い腕でやんすねぇ。でも、いいでやんすか? リムファクシさんの親御さんは何て言うか……』 『あー、親なら寝て起きたら死んでたんだよー。深海で眠ったら中々起きられないの知っていて、病気の体のまま寝ていたんだ……気が付かないうちに海底火山に焼かれて白骨死体、なーんで浅い海で眠らなかったのか理解に苦しむぜ。 俺はずっと母ちゃんと二人きりだったからなー寂しいから早い所つがいでも見つけよーって思って祭りに来たんだがなー……でも、つがい探すよりもお前らと一緒にいた方が面白そうだ。だから、な? 俺……海に居場所がなくって寂しいんだわ。俺を助けると思って陸の祭りをやらせてくれよー』 『私は構いませんが……』 と言って、歌姫が周りを見渡す。テオナナカトルとは無関係の海の者達からは、『何を考えているんだあいつら』という目で見られている。 『アッシは大歓迎でやんすよ。ルギアを仲間に出来るなんて夢にも思っていなかったでやんすし』 ユミルがにっこりと笑う。 『ルギア……ルギア大好き!! 仲間になるなんて嬉しいな』 クリスティーナが珍しく数字以外で感情を露わにする。ウィンが驚きつつも喜んでいた。 『だ、そうだ。俺はお嬢の意思に従うとするよ。っていうか、俺はテオナナカトルとは関係ないから好きにするといい』 『俺は種族差別はしないもんでね。俺は歓迎するぜ』 グッと親指を立ててワンダが宣言する。 そこから先、『ルギア様が参加するなら私も』と、ポケモン達が殺到する。何故か陸では生きていけなそうな体の構造をしているポケモンも多数いた上に、歌姫がやって見せた石を光らせるような現象もだれ一人として起こせない。リムファクシがいなければ収穫はゼロとなる危うい旅だったというわけだ。 そればっかりは歌姫達も予想外であったが、それも仕方のない事であった。 海の祭りは陸の祭りと違って、神が呼ばずとも自ら舞い降りる。神の存在が陸の神と違って近くに居る理由は、&ruby(ひとえ){一重};に海が平和であったことに起因鶴。縄張りを持つポケモン、定住するポケモンが陸に比べ少なく、陸と違って境界の無い海ではそもそも戦争と言えるような大規模な闘争が起こる機会が極端に少ない。 長生きするポケモンは、ただでさえ普通のポケモンとの別れがつらいと言うのに、戦争ともなればなおさらだ。セレビィのように戦争を嫌い平和と安息を求めるのも無理はない。それゆえ争いが絶えなくなった陸では伝説のポケモンが姿を消し、海ではそのままだったと言う。 そして、水が生命線となり得る陸と違い、海は水が無限にある。故に天気を予測したり豊作を祈願したりというシャーマンの存在を海は必要としない。だからシャーマンとして生きる者がいないのも仕方がない――と、考察の末にその結論まで達したのは、海の歌謡祭が終わって数日後のことだった。 ◇ 海の歌謡祭を満喫している出張組に対して、居残り組は血なまぐさい仕事を終えようとしていた。とはいえ、もはや実行することなど何もない、ただの見張りなのだが。 決行の日はバクフーンを脅してから数日。死んでも終わらない恐怖に囚われた者達が、娼館に乗り込んでいく様子をただ見張るだけ。結果など分かりきっている。死んでも終わらない恐怖から解放されたい者達は本気で従業員を殺しにかかる。恐らく、いかなる戦争でも味わえないレベルの『本気』で。 そんな盛大な殺戮の宴を。、ナナは冷たい目で見つめていた。 翌日、娼館には従業員の惨殺死体と毒を飲んで死んでしまった男性の死体が発見された。何か理由があったのだろうとは判推測されたが、結局詳しい事は誰にもわからず、この事件はしばらく街の話題となった。 『家族でも人質に取られていたんじゃないか?』と噂するには、死体の中に家族のいない者もいる。凶行のあった現場では金庫が持ち去られており、物盗りの犯行説が囁かれたが、それでは毒を飲んで死んでしまった死体についての説明が付かない。 自殺者達で共通しているのは普段の素行が悪いとか、数日前から様子がおかしかったとか、少しばかり歪んだ性癖の持ち主であったことくらいだ。真実は依頼人とテオナナカトルと、仲介をしたウーズ家((フリージアの姓))のみが知るだけである。 「フリージア、治療の方は任せちゃって大丈夫かしら?」 薬の依存から抜け出すのは非常に大変で、それにはかなりの苦痛が伴う。隔離して、縛り付けでもしなければ抜け出すことが出来ないような薬も存在する。 薬漬けにされた女性達の世話するフリージアやその家族の苦労もまた計り知れない。ナナ達テオナナカトルとしても、表立って治療をするには目立ちすぎるために被害者の治療は教会に任せきりで、ナナ達は裏で薬の提供を行うのみにとどまっている。 「この街にはもう聖職者の数も少なくなってしまいましたが……まぁ、がんばりますよ」 言葉のとおり、サイリル大司教の一軒でこの町が神龍信仰から見捨てられたため、この街に居る神龍信仰の聖職者も残り少なくなってしまった。毎日掃除だけでも大変そうなフリージアにこんなものを押し付けるのは酷な気もしたが、案外余裕そうなフリージアの表情にナナは安心する。 「そう、とりあえず無理はしないでね……これ、テオナナカトルの追加」 と、言ってナナは自身の組織の名の由来となった乾燥したキノコの入った小袋を差し出した。 「お薬、ありがたく受け取っておきます……」 笑顔で頭を下げて、フリージアはそれを受け取る。中身を見て、やはり不細工なキノコだと思いながらフリージアは袋を閉じる。 「ところで、ナナさんは前金だけ貰って残りの報酬を貰わなかったそうですが……何故でしょう?」 「んー……別に営利目的でこのお仕事をやっているわけじゃないし、依頼主さんも子供3人居たんだから全財産をむしりとるもの可哀想だし。何より、ね」 「はい……なんでしょうか?」 ナナの笑顔にフリージアは怪訝な表情をする。 「私達、あの娼館の売り上げパクって来ちゃったんです。かなりの額だったから、一人暮らしなら数年分の生活費にはなるでしょうね。よければおすそ分けするわ。教会の清掃のお仕事だけでも雇ったらどうかしら?」 「いえ、結構ですよ……私はお金のほうは十分足りていますので」 言いながら、フリージアは手櫛で毛並みを整えた。 「そう……全く欲がないんだから」 ナナは微笑んで付け加える。 「あと、ごめんね。神龍信仰の天使様の名を騙り、汚してしまったこと。天使の名を騙るのがやりやすかったもので……」 「問題ありませんよ。貴方が犯したその罪は、貴方の善意によって生じた罪。赦しを乞う心あれば、神はその罪を赦されましょう……ふぅ」 先程からフリージアは溜め息こそ付かなかったが、いささかやる気を感じない気の抜けた声をしている。 「元気なさそうだけれど……昼は私も手伝おうか? 看病疲れで貴方が病気になってしまったら辛いわ」 「いえ、元気がない理由はちょっとした悩みですよ。下の弟がチラチーノに進化したものでして……私も進化したいな、と。不謹慎なのは分かっているのですがね……上の弟もすでにミミロップに進化していますし……」 「それは……苦労しているわね……神の婚約者って進化できないし、本当に性渉そのものが出来ないから……処女さえ破られなければ大丈夫な私と、貴方とじゃ不公平よね……」 ナナは小さくため息をつく。 「でも、それでも貴方は神龍信仰を止める気はないのね?」 「私には……司祭としての務めを果たすこと以外に出来る事なんて何もありませんから……」 フリージアの返答に一瞬ナナが憐れむような表情を見せる。 「誤魔化しちゃダメよ……」 僅かながらに肩をすくめ、フリージアは悲しみを湛えた目を見せた。 「貴方なら、きっとテオナナカトルでも上手くやっていけるのに……私のように表向きだけでも、さ……普通の仕事をしていれば、裏でテオナナカトルに加担していたってばれないわよ。もう、この街の教会なんて……サイリル大司教の一件で……崩壊しちゃったんだから」 「残念ながら……」 ためらいがちにフリージアは首を横に振る。 「私は聖書に書かれている教義を実行するだけです」 完全に目を逸らして、フリージアは吐き出すように言い終える。 「ふぅん。私は……聖書には、間違いがあると思うわ。そこんところフリージアはどうかしら? それでも教義に従う?」 「確かに私も、神龍信仰の教義にはいくつも疑問を持っています。ただし、神は間違った事を言わないという考えは支持いたしますが……」 「へぇ、何だかそれ矛盾していないかしら。神が間違う事なんて有り得るのかしら? と、いっても『間違えない』と言う言葉はそれ自体がパラドックスを含むことになるんだけれどね。『間違えない』と言う言葉が『間違い』である場合は……前提条件から間違っているってことになるから。 ま、そんなことは良いわ。では、神の言葉がどうして間違っていると思うのかしら? それとも、聖書を書いた人が間違えたとか?」 フリージアはかぶりを振って否定する。 「いえ、そういうことではなく。貴方がいつか子供を産んだとして……4歳くらいの時に『赤ちゃんはどこから来るの』とか、『赤ちゃんはどうしたら出来るの?』などと聞かれたら……どう答えるでしょうか?」 「……なるほど、とてもよくわかったわ。ここ……って、子供にいうこともできるけれど」 ナナは自身の股間を指さし、恥ずかしそうに苦笑する。 「トゲキッスが運んでくるとか、キャベツ畑で生まれてくるとか……言いたくなるものね。本当の事なんて恥ずかしくって言えないわ……うぅん、でも子供にせがまれるってのも悪くないかも」 「ふ、不埒な……」 「ふふ、冗談よ。単に子供が好きなだけ。ロイだって14歳も下だから子供に近い年齢なわ・け・だ・し」 性質の悪い冗談にフリージアは呆れかえった表情で溜め息をつく。 「ともかく……神も同じことをしないとは限らないでしょう? 子供に刃物を与えると危ないように、私達にとって刃物になりかねない知識は私達が分別が付くまで成長してからこそ与えられるべきです。そのためには……神龍信仰そのものを変えていきませんと……刃物を与えても大丈夫と思える年齢になるまで」 「それこそが貴方の目指すプロテスタントってわけね……ふふ、大人になりたいなんて子供のような理由で貴方はプロテスタントになろうというのね」 ナナはからかうように笑みを浮かべる。 「そうかもしれませんね。ですから……私は、貴方の言うとおり神龍信仰の教義に間違いがあるとしても……テオナナカトルとしてではなく、神龍信仰として新たな信仰の形を築いていきたいと思うのです。本当に、ナナさんのお誘いはありがたいのですが……」 「そう、残念ね……貴方の事は本当に大好きだから、一緒にお仕事したいのに」 「ありがとうございます。あるいは……この街が神龍信仰を必要としなくなったらそれもいいかもしれませんが」 ナナはフリージアの発言を手で制する。 「そんなことを考えなくってもいいわよ。無理には誘わないから安心して。フリージア……貴方の事は好きだから、そうやって気を使って欲しくないわ」 フリージアは静かに頷く。 「そうしてもらえるとありがたいです……それでは、治療の方は私が責任を持って当たらせてもらうので、貴方は貴方のやるべきことを頑張ってくださいませ」 「うん、治療のほう、お願いね……。私は酒場のお仕事に行って来るから……では、美しき神レシラムの加護があらんことを」 「そちらも、竹々しい神レックウザの加護があらんことを」 二人は微笑み会って、その場は別れた。心の中では、共にもやもやとした感情を感じながらも、互いに互いが感謝した心を抱えて。 そして、その数時間後。客の居なくなった酒場で全ての後片付けも終わって皆が帰り静まった酒場にて。 「ナナ、ちょっと来てくれ」 ロイは家に帰ろうとしたナナを2階の住居へ呼び寄せる。 「あら、どうしたのかしら? 今日は私を抱くって雰囲気でもないでしょ?」 なんて言いつつも、ナナは誘惑&ruby(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ){していないはずがない};ポーズをとっている。股を擦り合わせ、胸を強調し、舌は物欲しげな舌舐めずり。今ナナの誘惑に乗ってしまったら酷い目に会いそうなロイは無視をした。 そもそも、今は誘惑に乗る気分でもないのだ。 「……この部屋に呼ぶ理由はセックスだけじゃない。……なぁ、ここの匂いを嗅いでくれ」 と言ってロイが指示したのはなんのことはない、小さなタンスで鍵もついていない小物入れだ。 「う~ん……ついている匂いはロイの匂いだけじゃないわね。これは……フリアおばさんの匂いかしら?」 「だよな……そうだよな」 ロイは思いつめた表情でぞそう納得する。 「で、ここの匂いがどうしたの?」 「金庫に入れる前に一時的にそこに金を入れてくことがあるんだ……金が無くなったと思ったらフリアさんの匂いがした。それだけ」 「それだけって……それ……」 「何も言うな、ナナ。俺が何とかするからさ。俺が刺されたら、とりあえずフリアおばさんをつかまえてくれよ」 ロイがおどけてそう言って見せた。しかし、笑っている表情とは裏腹に、彼の赤い目は潤み今にも泣きそうだ。 「ロイ……」 「心配するなよナナ。従業員の不始末は主が付ける。……それに、一回だけなら何も無かったことにして俺も許せるさ」 「分かったわ。フリアおばさんへの対応は貴方に任せる……何も無ければいいんだけれど」 嫌な気分を覚えながら、二人は気まずい気分で溜め息をついた。 [[次回へ>テオナナカトル(10):結果的には復讐の手助け]] ---- 何かありましたらこちらにどうぞ #pcomment(テオナナカトルのコメントページ,12,below);