[[時渡りの英雄]] [[前回へジャンプ>時渡りの英雄第3話:朝日を感じて]] #contents **30:過去の料理は美味しいですね。その1 [#q2903cac] **30:過去の料理は美味しいですね。その1 [#fe1a6db0] 4月7日 「ふむ……今は冬だと聞いたが、暖かいじゃないか……やはり熱帯に下ろしてもらって正解だったな」 冬もどんどん深まってゆく四月半ばという季節。ドゥーンは上司にして神であるトキ=ディアルガに頼み込んで、熱帯に下ろしてもらったおかげで寒さに凍える事もなくこの世界の冬を迎える。 暖かい冬の空気の中で、ドゥーンは考える。 あの、シャロットとか言うセレビィは放っておけば新たな仲間を見つけて、過去に送り込む……私たちと同じように思考して動いている可能性があるが、いや……それはケビンの手下の生き残りたちに妨害させておけば済むことかも知れない――トキの力により過去に送られたドゥーンは一人考えていた。 問題は、コリンとか言うジュプトルとシデンとか言う人間だった。 あの二人は、ケビンやその手下を倒したというではないか。勿論シャロットも加勢した上での実力だけに、どれほど正確な一対一であったかは知らないが……強い。 そして、性質の悪いことにコリンの強さは恐らくまだ発展途上だ。 例えば私が相手をすれば仮にケビンを二人相手にしても負ける事は3回に1回あればいいだろう。もしコリンがケビンと互角なら、ヤミラミと徒党を組んで襲いかかればシデンと一緒でも一捻りだ。だが、それは現時点での話。 例えば私が相手をすれば仮にケビンを二人相手にしても負ける事は三回に一回あればいいだろう。もしコリンがケビンと互角なら、ヤミラミと徒党を組んで襲いかかればシデンと一緒でも一捻りだ。だが、それは現時点での話。 シデンやコリンは殺し合いを経験した事は一度や二度では無いであろうが、誇りや全精力をかけた修羅場を経験した事はないだろう。 それが意味するところはいずれコリンが体験するであろう、湖の三神や大鍾乳洞の番人との戦いは確実に奴らを成長させてしまうという事だ。 ともすれば……シデンとコリンが徒党を組んだ二対一ではヤミラミの補助があろうとも十中八九私達が負ける。その前に私は……味方をつけねばなるまい。 この世界に住む住人のためと偽って活動していれば、そう難しい事ではないはずだ。 シャロットを取り逃がしたドゥーンもまた、トキ=ディアルガの力を借り、過去の世界へと降り立っていた。 コリン達が時の歯車を使って世界を救おうとするのであれば、自分はそれを止める勇者を語ればいい。そうして、世界中全てのポケモンをコリンの敵に回せば、コリンの負けは動かない。 単純だが、確実な手段だった。 そのためにはまず、コリン達を探すのは後回しだ。この世界で信用を勝ち取り……奴らを数の力で精神的に追い詰める。全てのポケモンが自分を狙っている……そんな精神状態でまともになれるはずがない。その時に畳み掛ければいい。 ドゥーンはまず、コリンがそうしたように街へと続く道を探した。まずは自身の正確な位置(空間の神ではないディアルガは、位置にはアバウトである)を確認するために最寄の町を目指す。そこから人助けや大発見を繰り返して自分の名を上げるために。 歴史上では他人が見つけるはずの大発見を自分が横取りして、彼は自分の名を上げることを目的に動き出した。時系列としては、コリンよりも半年ほど過去の世界へ飛んだ事になる。 同時にドゥーンはコリンやシデンの姿を覚えさせたメタモンと、ケビンの部下の生き残りであるボーマンダ。更に自分の直属の部下であるヤミラミを連れて、早いうちにこの世界へ慣れさせ様々な庶務を行うように命じるのであった。 「……見つけたぞ」 とある建物の前にその巨体を置いて、ドゥーンは口元を緩ませる。星の調査団から押収した資料には、時の守人達の知らない情報もたくさん含まれており、この建物もその資料から掴んだ情報である。 その資料というのも、プクリンのギルドのエリート隊員であるサニー=キマワリの日記。彼女の日記には、探検における道中の情報についてもつづられており、充実したその内容の中にはいくつか気になる出来事も記されている。 その資料によれば、『黄色く色付き始めたナナをペースト状にしたソースと、スパイスたっぷりのカレー。甘いソースと辛く刺激的なスパイス。アロワナをナナの葉に包んでスパイスと共に焼く事で泥臭いアロワナの臭みを消し、その淡白で癖の無い肉に香りの華を添えるのですわー。栄養満点のナナのすり身は、淡白な肉に濃厚な旨みを与えて、お腹も満足、旅に出る気力もわくというものですわー。 貴重な岩塩をひと振りしてその口にほぐれた身を放りこめば、食欲を誘うスパイスの香りに舌の上で踊るバナナの旨み。 シューシーな魚の肉汁に結晶の大きめな岩塩で舌を刺激するアクセント。それらの旨みをを余すところなく味わえば、その味はもう、言葉に言い表せないほど最高ですわー!!』とのこと。 熱帯に降り立った理由は冬だから――というのもあるが、ドゥーンにとって一番心惹かれた食事の記述がここであった。 「アロワナのナナソースとスパイスの包み焼きを一つ」 美味しいと評判の店で、ドゥーンはお勧めの一品を頼む。コリンを倒すための作戦を進めるその合間に、なんだかんだでドゥーンもせっかく訪れた過去の世界を満喫する事に決めたのであった。 ◇ 9月11日のトレジャータウンにて、シデン達がダンジョンを抜けた頃には、辺りはもうすっかり夜になっていた。 九月十一日 トレジャータウンにて、シデン達がダンジョンを抜けた頃には、辺りはもうすっかり夜になっていた。 「とりあえず、今日はオイラの家に帰ろう……」 「アグニの家……」 アグニの言葉を復唱するようにシデンは呟いた。 「うん、この海岸からでも見えるよ……オイラの家は、あそこ。この町の岬にあるサメ肌岩……サメハダーを模して作った、海の道標の灯台として使われているの。今はもう、誰も使っていないからね……人によっては、あそこに住んでいるのがオイラだって言うと驚くくらいだよ……」 「あれが、君の家……」 家、というフレーズ。夜が巡ってきた事もそうだが、何故か涙が出そうになるのをこらえるのが大変だ。 「家に、帰る……」 「ん、何か思い出しそう?」 「いや、何も……暗くなったら家に帰るの?」 「うん。暗くなくっても帰る事はあるし、明るいうちから帰る事もあるけれどね……ってか、この街はそれが普通だよ。豊かな町だからね……明るくなったら働き始め、暗くなったら帰る事が出来る。なかなか出来るもんじゃないよー……月明かりの下で働かなきゃ家族を養えないことだってザラにあるんだから。 そういう、貴重な事が殆どの人たちに常識のようにいきわたっている……この街は良い街だよ。この街自体がトレジャータウンと呼ばれ、宝物って言われるほどにね」 「貴重な事……当たり前のこと……そうなんだ。なんでだろ、そんな問題じゃない気がするのは……」 シデンは俯きながら独り言をつぶやく。しっかりと全部聞いていたアグニは、首をかしげた。 「さっきから疑問だったけれど……何処から来たんだろ、君」 「それが分かったら苦労はしないんだけれどな……」 「そうだけれどさ……ふむ……取る物もとりあえずあいつらを追って行ったからなぁ……今は説明するのも面倒だし、あとにしようかな」 「説明って何を?」 「地図を見ながら……ね。地図を見ながらなら、説明出来る事もあると思ってね……うん、でもその前にミツヤ。お腹すいていない?」 「あ、うん……たしか、食べ物買うにはお金とかいう物が必要なんでしょ? 奴らからはきちんとくすねておいたからいっぱい食べようね」 「くすねてって……つまり、気絶している二人から財布を抜き取ったってことね」 「うん。確かこれ、物と交換できる便利な代物なんだよね……お金って」 歯切れよく答えるシデンに、何処から説明すればいいのやら、アグニは肩をすくめて苦笑するしかなかった。そうしてアグニは、現実逃避の代わりにお金の使い方も忘れちゃったのかなぁ……なんて関係の無い思考を数秒してから、もう一度我に帰ってシデンへの注意。 「ミツヤ、いつかおまわりさんに捕まっちゃうよ?」 「え……クズを返り討ちにしただけでも捕まっちゃうの?」 「あー……そういうことじゃなくって、誰かから物を盗んじゃダメなの。まぁ、あいつらは警察に何かを頼める身分でもなさそうだし……」 だからおまわりさんにも捕まらないだろう、と思った。アグニも多少は人間が出来ている方だが、他人のものを盗んで売り捌こうとしたり、馬鹿にして楽しんでいる彼奴等に同情する気はおきない。 財布まで奪われて、奴ら歯の治療費用どうするんだろ? なんて、アグニも他人事を他人事として思うくらいしか思える事もないのであった。 「そういう意味では安心だけれど……さ。ミツヤは何処から来たのか知らないけれど、一応この街のルールは守っておいて損は無いと思うよ?」 苦笑しながらアグニが話しかけると、シデンはしぶしぶながら頷いた。 「自分は、本当に何処から来たんだろう……当たり前のようにアグニは語るけれど……どうにも私には分からない……」 シデンの疑問は深まるばかりであった。 「あら、アグニちゃんじゃなぁい。そっちのピカチュウは道案内の最中かしらぁん?」 「あ、&ruby(からみつき){唐美月};さん!!」 「やーねー。&ruby(かおる){薫};って呼んでよぉ」 街を通り過ぎる際、アグニは顔なじみのオクタンに話しかけられる。 「いや、色々あって泊めてあげようかと……」 「んま、それはそれはどんな縁があったものやら……可愛い子ね。こんな可愛い子を家に誘っちゃうなんて貴方も隅に置けないわ。そうよねー、恋の一つもしたい年頃だもんね」 「あのね、薫さん。オイラそういう関係じゃないから……」 「そう、んまぁ何か問題があったらすぐに言いなさいよ。アタシ、いつだって力になってあげるからね」 「あ、はい。ありがとうございます、薫さん……あんまり世話になりたくないけれど、いざとなったら頼りにしますから」 「じゃーねぇ、グッバイ」 正面から時計回りに数えて三本目の脚を振り上げて、唐美月薫は手を振り別れる。それに応えるアグニは苦笑しながら肩をすくめた。 「今のは……?」 「父さんの友人で、昔北の大陸で救助隊をやっていた人なんだけれど……まぁ、変わっている人だけれどいい人だよ。まぁ、さっき言った通り何かあったら頼って見るのも悪くないかも……」 言いながら、アグニはシデンを連れて街を突っ切って、なじみの定食屋を目指した。 **31:過去の料理は美味しいですね。その2 [#k1ad939c] **31:過去の料理は美味しいですね。その2 [#d56f7abc] アグニは少し前まで働いていたガラガラ道場のすぐそばにある定食屋を訪れた。毎日大した客も来ない退屈な仕事の合間、真っ先に向かうのはこの定食屋。暇のある休日や夕食は自炊するものの、安くて美味しいこの定食屋は独り暮らしのアグニにはありがたい。 アグニはお勧め料理の一つである、白身魚の塩辛刺身を頼み、少量の酒と共にシデンへと差し出す。 「……美味しい」 「でしょ? ここの塩辛は麦粥とよく合うんだ。味気ない麦粥……果実酒と合わせて塩分が欲しくなったところに、この味の濃い塩辛を唾液で薄めながら食べるその瞬間の幸せな気分。もう絶品だよ!! ここの塩辛のすごい所はね、オリーブ油と刻んだハーブの絶妙な兼ね合いなんだよね。ニンニクのような香りの強い香辛料も使うから、口臭はちょっとひどくなっちゃうけれど……様々な香りと辛口の酒の味が絡み合う絶妙なハーモニー……う~ん、とってもデリシャス」 アグニが解説する通りのここの塩辛の味。海沿いという事もあって簡単に手に入る良質な塩と、寒流沿いであるが故に形成される地中海性気候と相性のいいオリーブの合わせ技。内臓の苦みは味を引き締めるのに一役買って、それらの臭みも香草がやわらげてくれる。 「でね、このオリーブなんだけれどさ……これの種を持って帰って来たのは、ソレイスって言う超一流の探検家でね……こういう異国の食材を使った料理が食べられるのも探検隊が居てこそで……って、ミツヤ?」 「あれ……?」 食事の最中、シデンはアグニの話など右から左。ただ、口の中にある者をほおばるのに夢中のまま、不意に涙を流した。ポロリと、それこそ宝石を落としたように珠のような涙だ。 ダンジョンで拾った木の実や『ヤセイ』の死体を食べていたのだから、大してお腹は空いていないだろう。だが、暖かい料理――とりわけ塩の味がシデンには舌がとろけるほど美味しく感じられたらしい。 まるで、腐った物しか食わせられていなかった奴隷にまともな食事を与えたような反応ではないか。アグニは、シデンが相当ひどい所で暮らしていたのだろう、という事までは理解できた。 「……そんなに美味しい?」 「うん……」 おずおずとシデンは頷く。シデンはまるで何かに取り憑かれたかのようにその塩辛を食べ、麦粥を口に含んでは酒と共に流し込む。その間、涙だけでなく鼻水までもズルズルで、他の客から白い眼で見られていたがそんな目も彼女は気にならない。 やがて、遅れて差し出された白身魚のフライを綺麗に食べ終えると、ようやく頭に余裕が出来たのかシデンはアグニに顔を向ける。 「ところでさ、この街ってどうして家の形が主人の種族を模しているの?」 定食屋の中、ようやく感動も落ち着いたシデンは、クイタランを模したこの店の外観を思い出しながら、この店の主であるクイタランを見る。 「発端はいつごろなのか、詳しい事は分からないんだけれどね。昔のこの街は、大して家があるわけでもないし、見通しが悪いわけでもないのに迷子の子供や神隠しに合う子供が頻発する街だったんだ……この街そのものが呪われていたんだって言う噂。 それで、子供が迷子になっても安全に送り届けられるようにって、この街の親達が始めたのがあの外観なんだ。他にも、子供だけで出かける時は、皆が離れ離れにならないように手を繋いでいた。 子供が迷子にならないように。そして、名前すらいえない子供が迷子になっても、大丈夫なようにって……いつの間にか神隠しも迷子も収まった今では、あの外観も役目を失ったけれど…… 今は、家をどれくらい上手く自分に似せられるかがこの街におけるステイタスになっているんだよ……なんて、偉そうに語ってみたけれど、これはサニーって言う作家の人の受け売りなんだ。オイラ、あの人の大ファンでね……プクリンのギルドで親方の弟子をしている探検隊なんだってさ……オリーブの輸入に、様々な地域の文化の紹介……やっぱり、探検隊ってすごいんだよね……ってごめん。話が脱線しちゃった」 舌を出して苦笑し、アグニは話を続ける。 「なんにせよ、家のあれ。あの家の装飾にはキチンと文化的な意味があるんだよ。面白い街でしょ?」 アグニはそう言って肩をすくめる。 「うん……面白い習慣だね」 うん、とアグニは頷いた。 「いつしかその噂も消えちゃったけれど、今ではこの街の名物になって。みんなどれだけ家の外観が自分に似ているのかを競うようになったんだ……オイラの家は、何故かサメハダーだけれどね……ふふ、異端だなぁ、オイラ」 自分の家の形がおかしい事の何が楽しいのか、アグニは嬉しそうに笑う。 「何がおかしいの?」 「サメハダーが住んでいるのかと思われた事があるんだよね、オイラの家……」 「まぁ、この街の様子を見てみれば、そう思うのも無理はないのか……な?」 「そう、無理が無いんだよ」 首をかしげるシデンに対して、アグニは嬉しそうに反応した。 「噂によれば、『サメ肌岩の口には海水が溜めてあるんだ。そのため池の中でサメハダーはランターンと一緒に灯台守をしていた』……ってもっぱらの噂でさ……一度だけだけれど、子供が肝試しにやってきたことだってあるんだよ?」 「肝試し……?」 「うん、怖い物を見て、度胸を試したり臆病な人の反応を見て楽しんだりとかね……その時は、あんまりに無作法に子供たちがはいってきたから、『ガオー』、とか言いながら牙を剥いてすごんでみたら、皆面白いくらいに怖がっちゃってさ。 一目散に逃げて行ったり……オイラの方が本当は憶病なくらいなのに、脅かす事だけは一人前に出来たんだよなぁ……」 笑い話を肴にして、アグニはシデンに遅れて焼き魚を食べ進める。ふとシデンを見てみると、シデンの皿には何一つとして残っていなかった。魚の骨も、頭蓋も、尻尾も、内臓も。香りづけに使われたオレンの実の皮や種、ヘタさえも。いくらフライにしているからと言って、魚の鱗まで食べられているのはどういう事か。更には、皿まで綺麗に舐めて、非常にはしたないことこの上ない。 「ミツヤ。魚の頭って美味しい?」 苦笑しながらアグニは尋ねる。これ以外、シデンにどんな言葉をかけろというのか。 「固いし、口の中を切っちゃわないように気をつける必要があるけれど、まあかなり美味しいかな……」 そりゃそうだろう、なシデンの答え。シデンの味覚は一応正常だった。 「そう……」 シデンは、何も意識をしていないが他人とは違う行動をとっている。ある意味財布を盗むよりも酷い有様に、アグニは何も声をかけられない。 「ところで、アグニは頭を食べないの? って言うか皆……食べていないのはなんで?」 「みんなあまりおいしくないからお腹が空いていないと食べないんだよ……みんな、あんまりお腹が空いていないの。でも、オイラはお腹が空いているから食べるよ……」 何だかわからないけれど、アグニはそうするべきだと思った。『普通は魚の頭を食べる事なんてしない』と言ってあげるのは簡単だったが、これ以上ミツヤの精神をすり減らさせるのも悪いと思って、この日は指摘するのを止める。 初めて食べた魚の骨は、口の中がやたら痛く感じられて、やっぱり美味しいとは感じられなかった。けれど、シデンは自分以外も魚の頭を食べる事を知って、同族を見つけて安心したような表情を見せる。そんなシデンの表情を見ていると、何故だかアグニは心癒されるような気持ちを感じた。だからアグニは、食べている物が美味しくなくとも、それらしく見せてシデンを少しでも安心させるように努めるのであった。 「ミツヤ……記憶を失っちゃって色々大変だと思うけれどさ。一緒に頑張ろう?」 「……うん」 そんなアグニの所作を見て何を感じ取ったのか、シデンの目は嬉しそうに潤んでいた。 **32:家が広すぎるなら家族を増やそう [#ld9a2bbd] **32:家が広すぎるなら家族を増やそう [#ua785af7] 他愛のないお話を交えながら、二人はアグニの家への帰路を歩く。『頼もしい仲間になりそうだ』というアグニの思惑まではまだ気づいていないようだが、アグニが本当は魚の頭を食べようとは思っていなかった事。自分に無理させないために、アグニがわざわざいやな思いをしてまで魚の頭を食べてくれたのは何となく理解できた。 不味そうに食べていたのに、まるで美味しいかのように振る舞う彼の気持ちは、月並みな言い方ではあるが嬉しかった。 そして、自分がこの世界の住人としてどれだけおかしい存在であるかも、シデンは何となく理解できた。そして、それを嫌でも理解してしまう過程で、シデンはアグニの気遣いを感じていた。 「アグニは……自分を安心させようと……自分に合わせてくれたんだよね」 だからアグニはああしてくれたのだな、とシデンは思い笑顔になる。その独り言は、この街の事を色々と話してくれるアグニの声にかき消され、浜風に溶けて行った。 「ん、ミツヤなんか言った?」 「何でもないよ」 そんな溶けた声すら拾ってくれるアグニの問いかけに対し、答えるシデンは照れた顔をしていた。 「……さて、ここがオイラの家なわけだけれど」 水平線を一望できる岬。サメ肌岩と呼ばれるそこに、燻した藁を編み込んで雨よけとした入口があった。それを片したアグニはシデンを中へ入れようと手招きする。 「広いね……」 「三人で暮らしていたから……」 月明かりだけでもそれなりに内部は見えたがバチバチと放電して、その光を明かり代わりにしてシデンは内部を見る。数十のポケモンを一飲みにしそうなその口の中がそのまま一つの部屋である。喫茶店に改装すれば、二十人くらいは収容できる容量はありそうだ。 「広すぎて寂しかったからさ……二人でも広いけれど、また誰かと一緒に暮らせて嬉しいな……出来ればもう少し欲しい所だけれど……」 感慨深くアグニは言って、物置の中から藁のベッドを引きずり出す。全身の細かい体毛に藁屑をくっつけながら、シデン用のそれを置いて、自分はあらかじめ置かれていた藁の上に座る。 「どしたの? ミツヤも座りなよ」 アグニの様子を見守っているだけのシデンを見て、アグニは笑って藁のベッドを指し示す。 「そっか……それじゃあアグニ」 「ん、何?」 「家族でも増やす?」 熱っぽい視線をアグニに向けて言いながら、シデンはアグニをベッドに押し倒す。 「え、え、え……あの、ミツヤ?」 「なに、アグニ?」 「家族増やすって言うのはその……つまる所セックスするってことかなぁって。質問したいんだけれど……って言うか酔ってない?」 もうちょっと角の立たない無難な言い方をしたかった所だが、生憎必要最低限以上の性知識に乏しいアグニに、性交を『セックス』以外の言葉で表現する術は無い。 「うん、女性が男性に出来る手っ取り早い恩返しって言ったらそれでしょ? 自分は……ってか、酔うって何だっけ?」 あまりにも――な、シデンの言葉。実際、シデンの知り合いで言えばコリンがそうであった。コリンが食べきれなかった食料は、飢えた女性が体を売ってでも欲しくなるもの。そうやって、コリンと肉体関係を結んだ女性の多い事。人間時代のシデンは、コリン以外に体を重ねるような事はしなかったが、コリンが雌とそういう事をしたいと申し出た時は快く食料を譲ってあげるような事もした。 なんせ、他に恩返しの方法がない。家がないから、草むしりとか掃除をする事もなければ、人間時代のシデンのような例外を除けば料理を作ることもほとんどしない。宗教もおまじないもない未来世界じゃ贈り物なんて習慣もないし、食料をお返しに上げられるくらいなら自分で食料を取ってくる。 そういうわけで、体を売る以外に対価らしい対価もなく『恩返し≒セックス』文化が無意識のうちに根付いてしまったのだろう。自分が未来から来たのだという事も忘れているシデンは、自分の行動が異常である事に対して何の疑問も抱かずにアグニにのしかかり、性交の準備を始める。 酔っているかどうかの質問なんて、もうどこ吹く風である。 「い、いやいやいやいや……ミツヤ!! そう言うのはよくないって」 「なんで?」 シデンの悪びれないこの言葉。アグニにしてみれば――否、この街に生きる大体の男性にとって『なんで?』、ではない。 「そそそ、そう言うのは好きな人同士がやるものでしょ?」 「自分はアグニのこと好きだけれど……アグニは嫌い?」 「いや、嫌いじゃないけれど……って言うか、君はどれくらい好きなのさ?」 「んー……まぁ、無傷で勝てそうな敵だったら君のために戦ってあげるくらいは」 まさにさっきの状況である。 「び、微妙……それじゃ駄目だよ。もっとさ、こういうセックスってのは信頼し合ってからじゃないと……そんなに軽くやるものじゃないとオイラは思うな……」 シデンにのしかかられた体制のまま、アグニは震える声でシデンを見上げる。 「でも……アグニのこっちは元気だよ? 我慢しているんじゃないの? 尻に当たっているアグニの逸物の存在を感じて、シデンは首をかしげる。 「それでも、駄目!!」 それでもアグニは首を振って否定した。シデンは咄嗟に目を伏せる。 「よくわからないけれど……アグニがそう言うのなら……そう言う事なんだよね? うーん……やっぱり自分が記憶を失う前って……なんか変な所にいたんじゃ……自分って何なの?」 自分の信じていたものが裏切られたシデンは、一瞬悲しそうな顔をした。 「うん……なんかごめん……でも、この世界じゃそれが普通だよ、ミツヤ?」 その悲しそうな顔を見て、アグニまで釣られて申し訳ない気分になる。 「自分は、本当に何処で何をして暮らして……」 今までで一番のシデンの戸惑いであった。アグニが常識人であると信じたくなくなるような戸惑い。アグニだけが異常であると思いこみたくなる自分の常識性の無さ。失った記憶の中に何か大事な物がある気がしてならないのだけれど、それが見当もつかないなんて、恐ろしいにもほどがある。 気持ち悪い。体の中をミミズを這うような錯覚すらするほど、心の乱れがが全身に作用する。この世界が気持ち悪いのか、それとも自分が気持ち悪いのかシデンには見当もつかなかった。 その気もち悪さに怯えて、シデンは体を丸める。 この世界は自分の世界じゃない!! こんな世界はおかしい!! そんな思いが彼女の中に強く、強く渦巻いていた。 **33:前世が探偵でも現世では関係の無い事 [#sb49b1f9] **33:前世が探偵でも現世では関係の無い事 [#dfe51b96] 呼吸が荒くなる。ひゅうひゅうと、それはもう病的に。いわゆる過呼吸という症状になりかけたシデンは見る見るうちに苦しそうに表情を変える。 ――苦しいよ……何なのこの世界? それを抱きしめてくれたのはアグニであった。シデンの呼吸が一瞬止まる。少し経って、彼女の呼吸は落ち着いた。 「ね、ねぇ……落ち着いてよ、ミツヤ……」 身を縮めたからと言って寒いわけでも怖いわけでもないが、それと同じように見えたシデンの所作は、とにかく抱きしめてあげなくちゃなんて思わせる。そう思った理由は、それ以上の説明のしようがなく、シデンを抱きしめ落ち着かせているアグニは、先程押し倒された者と同一人物にはとても見えない。 「大丈夫。今はまだ戸惑うかもしれないけれど……きっといつか慣れるから。夕方のような事もあるだろうし、今のようなことだってあるだろうけれどさ……ほら、オイラもミツヤのこと嫌いじゃないからさ。 だから……ゆっくりでいい。焦らず一緒に、慣れて行こうよ……オイラも協力するからさ。ね?」 「うん……」 とにかく、言葉よりも先に抱き締めてくれたアグニの心遣いに、シデンは恩を感じざるを得なかった。例え、外敵から自身を守る力は自分の方が上だとしても、こうやって激しい自己嫌悪や同様に襲われた時、アグニなら守ってくれそうだと。 シデンはアグニの中にそれを確信して、もう一度アグニに対して頷く。アグニの胸に抱かれた状態から、もう大丈夫だよとばかりに体を離し、シデンは真面目な顔でアグニを見据える。 「アグニ……えーと、こんな自分だけれどよろしくお願いします。それと……ありがと……」 「うん、どういたしまして。それと、よろしくミツヤ。一緒に暮らす事もだけれど……記憶を取り戻す事も一緒に付き合って行こうね」 改まるシデンに、アグニはあくまでなだめすかすように接する。アグニは当初の目的であるシデンの戦力としての利用を忘れたわけではないが、このシデンという女性。放っておいたら死んでしまいそうで、なんだかシデンを守ってあげる事が当然の義務のように思えてしまう。 そんなアグニは、もう探検隊がどうのこうのよりも、とりあえずシデンを落ち着かせるよう行動するのを念頭に置いてしまうのであった。 「セックスがダメとなると……私は本当に恩返しなんて何も出来ないけれど……」 「恩返しは……今すぐじゃなくったって良いって。な、なんて言うの? 時間をかければ色々できる事はあるからさ……」 「う、うん……」 「ああそうだ。ともかく、君の記憶の事なんだけれどね……」 落ち着いたのを確認して、アグニは雨よけの布がかぶせられた机から[[地図>http://pokestory.rejec.net/main/index.php?plugin=attach&pcmd=open&file=%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%80%E3%83%B3%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%81%A4%E3%81%8D2.jpg&refer=%E6%99%82%E6%B8%A1%E3%82%8A%E3%81%AE%E8%8B%B1%E9%9B%84]]を取り出して床に広げる。自身は床に胡坐をかいて、楽にくつろいだ。 「君はまず、トレジャータウンに流れ着いたんだ……と、言う事はこの、ホエルオー寒流高速便が通る冷たい海流。これに乗ってトレジャータウンに来た事になる……」 「ふむ……」 「この寒流は、まず閉ざされた海って言う、全ての海流が集まる場所も通るから、暖流を乗り継いでくるという可能性もゼロじゃないのだけれど……でも、君の健康状態を見る限り、火山帯の島から続く暖流から閉ざされた海の寒流に乗りついで漂流なんて過酷な旅をしたとも考えにくい。 水タイプでもなければ体力が持たなそうだしね……そうなると、果ての湖辺りから、造船の町やトレジャータウン……そして砂漠の集落に泊まるホエルオー寒流高速便から落ちたか。 でも、乗客が落ちたとか、そんな事があったって噂は聞いていないし……明日、ペリッパーのおじさん達に聞いてみようかな」 「果ての湖では、私みたいな人が居るの……?」 「いや、いないね……ハッピーズって探検隊に果ての湖出身のニョロトノがいたけれど……果ての湖は、湖の海藻や魚、それに泥が肥沃なおかげで作物もよく育つ。そのおかげで食料は豊富だし……普通に考えれば、魚を頭まで食べる人なんていない。丸飲みするペリッパーとか鳥系のポケモンならありえなくはないけれど…… そうなると、ホエルオー便に密航してきたところで……いや、いくら密航者だからって、あの辺の人たちが問答無用で船から投げ落とす何てことは無いだろうし。怒ったり咎めたりする事はあっても、そこまで厳しくは無いだろうしなぁ…… 船底に掴まってここまで密航してくるとかはただのピカチュウには不可能な水温だし……水タイプや氷タイプでもないミツヤがそんなことしたら衰弱して死んじゃう」 「じゃ、じゃあ……自分はどこから来たの?」 「……遠くて、造船の街から海に落ちて来たんじゃないかと思う。でも、オイラとしてはもっと近くから来たような気がしてならないんだよね……なんだかんだで目覚めてからたった数分で体に力が戻ったって言うのも、長い間冷水に浸かっていたら無理な話だし……衰弱の度合いによってはそのまま入院したっておかしくないもの。更に言うならば、あの日は嵐でホエルオー寒流高速便は近くの海岸に緊急停泊していたはず…… で、他の面から考えてみるとね……オイラの名前はアグニ=ヒコザルって言うんだ……母親も父親もこの大陸出身でね、父さんは若い頃に北の大陸に行ったそうなんだけれど……えーと、つまりこの大陸の人たちには姓が無いんだよ。 さっき帰り道で出会った薫=唐美月=オクタンさんのように、姓と名前があるのは移民の証……って事を考えるとシデンは『紫電=光矢院=ピカチュウ』って名前から移民という考えが濃厚になるわけだけれど……」 「けれど?」 シデンが首をかしげるが、アグニは肩をすくめる。 「結局の所、何も分からないや……ごめん。占い師に鑑定してもらたら、前世は探偵((有名どころが3回ほど))だったって言われているんだけれどなぁ……オイラ自身はあんまり頭がよくないもので」 「いいよ。そうやって頑張ってくれるだけでも、自分は嬉しいから……さ」 「そう言ってもらえると……ありがたいんだけれど……でも、どうすればいいんだろ……」 「さっきアグニ自身言ったじゃない……焦らず慣れて行こうよ。自分も……頑張るから」 励まさなければいけない立場だというのに、励まされてしまってアグニは少々収まりが悪い。しかし、そんな収まりの悪さも『まぁ、いっか』と笑い飛ばして、アグニは言う。 「うん、一緒に頑張ろう……ミツヤ」 そうして、二人の夜は更けてゆく。アグニが純情なお陰で、シデンとアグニは何事も無く夜の眠りに付いた。シデンは少し寒くて、アグニの体温を感じようと、彼に触れない程度に体を寄せる。そうして、二人並んで眠る夢うつつの中、二人の間には確かな絆が育ってゆくのであった。 **34:一緒に行こう!! [#l7d13f1a] **34:一緒に行こう!! [#nc3c88dc] //9/12 快晴の空の下、二人はギルドに向けて歩き出す。商店街の掃き掃除をして日銭を稼いでいるヒメグマとリングマの兄妹、郵便配達に勤しむアギルダーのおじさんなど、知り合いに挨拶されては後ろに連れているシデンの事を質問され、アグニは面倒なので『色々あって同居する事になった』、の一言でそれらへの受け答えを済ませていた。 何か色っぽい事情でもあるのかと勘違いしたのか、妙によそよそしい態度や嫌らしい態度を取る者も男女ともにいるが、アグニは笑ってごまかすだけ。都合よく記憶喪失のポケモンだなんてあまり信憑性もないし、適当に妄想させておいた方が静かで助かる。 そして、街から街へニュースを送り届けるペリッパーのに話しかけられた時には、昨日予定していた質問をそのまま投げかける。 『造船の街やホエルオー便で、何か変わりはありませんでしたか?』と。尋ねてみたが、ペリッパーが言うには特に何も無いの一点張りであった。 「そうか……やっぱり、寒流高速ホエルオー便に事故はありませんでしたか……」 眉を潜めてアグニはがっかりとした表情。 「アグニ……お前、そんな事を突然聞いたりしてどうしたんだ? ホエルオー便がどうかしたのか?」 「このミツヤと色々あって……って言う事に、ホエルオー寒流高速便が関係するかも知れなかったの。実は、ミツヤなんだけれど……海岸に漂着して目覚めてから記憶が無いらしいから……何か関係あるのかなって思ったんだけれど……すみません、呼び止めちゃって」 アグニは頭を下げるが、ペリッパーは笑顔を保ったまま気にしない。 「なに、気にすんなよアグニ。そっちの可愛いお嬢ちゃんのために聞いたんだろ? そんなかわいい子のためならたとえ骨折り損だって悪く思う奴がいたら異常さ。目が悪い、それか趣味が悪い」 「あ、ありがとうございます」 アグニは頭を下げて礼を一言。 「私からもありがとう……その、アグニも……」 頭を下げてペリッパーにお願いをした後で、シデンはそのままアグニをチラ見して少し照れた風にお礼を述べる。 「仲が良いな、お前らは」 その様子を茶化されて、二人は顔を見合わせて微笑み合った。 「そんじゃま、俺は仕事の方に戻るわ。アグニもこの事上手くやれよな」 「はい、お疲れ様です!!」 大きな声と共に、元気に手を振ってアグニはペリッパーと別れる。 「……今のは?」 「街から街へ新聞を届けているおじさんだよ……あの人に聞けば、最新の情報が手に入るんだよね……でも、無駄だったかー……シデンの手掛かりは無し。どうするべきか……」 溜め息をつきながら、アグニはとろとろと歩き始める。 「いや、記憶も大事だけれど生活も大事だし……ともかく、早いところギルドへ行こう。弟子入りして、働いて、生活の糧を得ながら立派な探検隊を目指すんだ」 「働く……か」 探検隊で働くってどういう事だろう? そんな事を思いながら、シデンはアグニへついてゆく。シデンは、アグニに何を言われたわけでもないけれど、あまり喋らない事でボロが出るのを押さえこんでいたので、ここで尋ねるのははばかられた。 生活の糧を得るという事から考えれば、とりあえずお金をもらえるという事なのだろう。 そう、お金……何故だろう? お金という物がどういうものかを知っているのに、酷く実感がわかない。昨日、アグニが定食屋にお金を払っているのを見て、何だか遠い昔の懐かしい感覚というべきか。お金を盗んでおいてなんだが、あの光景はとても懐かしい事のように思えてならなかった。 シデンは自分の手をじっと見る。何故だか、自分が今この世界に存在しているのかどうかすら、怪しい気分がしてきた。 商店街を通り抜けると、すぐにギルドが見えて来た。小高い丘に建てられた、でかでかとしたプクリンの意匠を施すギルド。この街を象徴する経済の中心部。このギルドの親方である、ソレイス=プクリンはやり手の探検隊で、唐美月 薫や&ruby(そうなんしゅう){相南宗}; &ruby(たけおみ){猛臣};という風に独特の文字を使った移民は、そのほとんどが移住に際し、ギルドマスターであるプクリンのお世話になっているのだという。 探検隊の主な仕事を全てそつなく行える実力だというのも、そこら辺の武勇伝から垣間見る事が出来るのだ。 それゆえに尊敬のまなざしで見られているギルドマスターのオブジェは、莫大な建設費用も相まって職人たちの気合いも段違いであった。その再現度は街一番で高いと評判だ。かつて行われた手繋ぎ祭りでも、彼のギルドは見事優勝を手に入れている。 ただ、難点と言えば建物自体が巨大である分や、その際限度の高さゆえ、夜に篝火を焚いた光景の威圧感も半端なものではない所か。 そんなギルドは、依頼を発注・受注するものが大量に訪れるせいか人の通りも激しく、それに目をつけた移民のパッチールがこのへんに店を建てようとしているだとか。 「さ、ここだよ……」 そんなギルドを正面に臨みながら、アグニは地面を指し示す。 「なに、これ?」 そこにあったのは、細い建材を編んで作られた格子状の床。井戸のようにぽっかりと空いた穴から覗けるようになっている構造だ。 「これで、足元から種族を特定するんだ。怪しい種族や指名手配的な目に会っている種族が来た時なんかは特定するそうなんだけれど……正直、なんの役に立つのかよくわからないんだよね」 「ははぁ……」 感心したのか呆れたのか、シデンが返すのは生返事だ。 「建物が主の意匠を施している理由は語れるんだけれど、こっちの覗き穴構造についてはどういう意図があったのかさっぱりというかなんというか……まぁ、いいや。とにかくここに乗ろう」 「は、はぁ……でもこれって下から生殖器とか覗くために……」 シデンは言ってはいけない事をポツリと口にする。 「ちっちち、違うよミツヤ!! きっと……」 想像しただけで恥ずかしくなるシデンの発言に、顔をフレアドライブさせそうになりながらアグニは否定する。 「と、ともかく乗ろう。うん、乗ろう」 シデンの突飛な発言はとりあえず無視する事にして、アグニはその格子状の床に乗る。アグニの心臓は、緊張以外の所でもドキドキとしているが、それがシデンのせいであるのは間違いない。 **35:ギルド入門 [#h6cda8cc] **35:ギルド入門 [#n6a527c4] 「ポケモン発見!! ポケモン発見!!」 「うへぇ……」 下から聞こえて来た声に、アグニは肩をすくめる。シデンの突飛な話を聞いたせいで、何だか本当に普段見えない部分を凝視されているような気分になってしまう。見られて感じる性質ではないのがアグニには幸いしたか、特に存在を主張する事も無かったのが救いである。 「ん……どうやらもう一人ポケモンがいるようだな? おい、ついでだ、一緒に乗ってくれ」 次は、誰か別の大きな声。見張り番は二人で行っているのだろうか。ともかく、シデンもしぶしぶながらその指示に従う。 「足型は、最初に乗った方がヒコザル。もう一人は……ピカチュウ!! 多分……」 「多分って何だお前は……もっと正確に言え!!」 「だ、だ、だって……ピカチュウなんて久しぶりに見ましたし……」 「何言っているんだ、足型でポケモンを見分けるというのがお前の仕事だというのに……まぁいい。怪しいものではなさそうだし、良し……入れ!!」 この見張り作業。何やら、酷くいい加減な作業らしく、外までそんな声が届いてくる 「あ、え……いいのかな?」 「いいって言っているんだし、良いんじゃないの? いこいこ」 そうして、二人は許可を出されるままにその建物の中へと入って行った。 まず、ギルドは地下に降りる梯子から始まる。一階は殆ど倉庫となっており、来客達が落ち着いて会話できるようにベンチがぽつんと置かれているのみである。 そのベンチはとりあえず無視して、アブにとシデンは梯子を降りる。四足歩行のポケモンはどうやって降りるのかと心配になるような構造の梯子を下りて、二人は地下一階へ。 地下一階には、大の大人が五人が肩が触れ合わない程度に並んで見られそうな掲示板が二つ。大きな掲示板のため、それを物色するポケモン達もゆったりとした間隔を開けてそれを見ている。 「ここが探検隊ギルド……中に入ったのは初めてだけれど……意外と小ざっぱりとした光景だね」 「う~ん……意外かどうかはよくわからないなぁ。アグニがそういうのならそうなんだろうけれど……」 相変わらず、シデンは自分の意見を持たない付和雷同。ともかく、二人は辺りを見回しこのフロアにいる屈強そうな面々を覗き見る。 「おい、さっき入ってきたのはお前達だな!?」 全てが珍しく映る光景の中で、視線をあちらこちらに移す二人の夢心地を邪魔したのは、黒い頭部に八分音符のような冠と真っ青な翼が目に鮮やかな鮮鳥ペラップである。 「何こいつ……この口調、客人に対して失礼じゃない?」 「うん、アグニに言われなくっても分かる。こいつ失礼だね」 商店街を通る時、定食屋に入る時。それぞれシデンは『いらっしゃいませ』と丁寧に言われたものだ。このペラップには知る由もないが、基本的に付和雷同であるシデンに、こういう形で自分の意見を持たれるほど屈辱的な事も無い。 「すみません……じゃなくって!! 私は、ペラップのチャット。まぁ、ここらでは一番の情報通であり、ここの親方様の一番の子分だ……先程は失礼……最近勧誘やアンケートが多いもので、そういうのはお断りしていたらあぁなっちゃったんだ…… 最近は本当にしつこくってね……特に、時間の乱れはディアルガに対する信仰心が低いからだってアルセウス信仰の奴らがしょっちゅう布教にやって来てねぇ……それに砂漠のグラードン信仰の方も……」 「ははぁ……でも、オイラも一応ホウオウを信仰しているし、勧誘とかアンケートのために来たんじゃないよ……?」 長い愚痴をさえぎってアグニは否定する。ホウオウやアルセウスといった言葉に対しては何も感じなかったシデンだが、ディアルガと聞いてシデンは全身に虫が這いずりまわるような気持ちの悪い違和感を覚える。思わずシデンは背を縮めて肩をすくめる。 「オイラ達探検隊になりたくって……ここで探検隊の修行というか、弟子入りするために来たんだけれど……えと、このミツヤって言うピカチュウと一緒に」 「え、探検隊!? こりゃ、今時珍しい子だよ。このギルドに弟子入りしたいとは……あんな修行には耐えられないと言って、脱走するポケモンも後を絶たないというのに……」 アグニの言葉を聞いて、チャットは思わず独り言を口走る。そんな事を言ってしまえば、怖気づいてしまうかもしれないというのに、情報通を名乗る割には空気を読めていないのだろうか。 「ねえ、探検隊の修行ってそんなに厳しいの……?」 案の定、怖気づき始めたアグニが不安を湛えた面持ちでチャットに尋ねる。 「はっ!? いやいやいやいやいや……そ、そんな事は無いよ!! 探検隊の修行はとーっても楽ちん」 「それじゃ修行の意味無いんじゃない?」 チャットの発言に、シデンの的確な突っ込み。誰かが漫才を始めろと言ったわけでもないのに、近くで見ている者達からチャットは失笑の的である。 「あっはっは。本人のやる気と実力に合わせてやるから大丈夫ってことだよ。あはは、だから大丈夫!! そっかー探検隊になりたいのなら早いところそう言ってくれればいいのに。フッフッフッフ」 「言わせる暇なかったじゃない」 語尾に八分音符のマークでもつけかねないほどご機嫌そうなチャットを尻目に、一歩後ろの視線から冷めた目で見つめるシデンの言葉攻めの追撃は続く。 「なんか、急に態度が変わったね……」 「あぁいう、日和見的な行動をするのはカクレオンって呼ばれるよね……あと、『語るに落ちる』とも言うから……アグニはよく覚えておきなよ?」 「ぐぐっ……じゃ、早速チームを登録したいから、ついてきてね」 二人の容赦ない言葉攻めに、早くもチャットは屈しそうだが、それになんとか耐えて平静を保ちつつ、彼は二人を先導する。地下一階へと降りる梯子のすぐ隣。地下二階へと降りる梯子がある。先ほどと同じく、四足歩行のポケモンには優しくない仕様の梯子を降りると次のフロアは、だだっ広い開けた空間が開けていた。 「ここは、ギルドの地下二階。主に弟子達が働く場所だ。あっちには食堂、あちらは寮……そして海を臨む正面のドアには、親方様がおられる」 重役用と思われる部屋の扉を正面とすると。食堂と思しき良い匂いが漂って来る小部屋が左に、居住地らしい横穴が右にあった。 崖側にははめ込み式の窓があった。背が低すぎるアグニとシデンには空しか見えないが、背さえ高ければ恐らく海も見えるだろう。 「わぁ、ここ地下二階なのに外が見える……」 「いちいちはしゃぐんじゃないよ! このギルドは崖に建っているんだから、外が見えるのは当たり前だろ?」 「そうなんだけれど、息苦しくない開放感があるって言うのはやっぱり職人さんの気合いを感じるなぁって……」 アグニのその感想に対して、チャットは溜め息を一つ。 「ふむぅ……さあ、こっちが親方様のお部屋だ。くれぐれも粗相が無いようにな……」 しかし、入門したいと乞われたとして、何の疑いも無しにこうして親方とやらの部屋までフリーパスしてしまうのはいかがなものか。余ほど人材に困っているのだろうか、弟子に飢えているのだろうか。それとも単におおらか過ぎるだけなのか。 「よし、ミツヤ……気を引き締めて行こうね」 「うん」 シデンがしっかりと頷いたのを確認して、チャットは扉に向き直った。 「親方様、チャットです。客人を連れてまいりましたので、入ります」 どこか間違った敬語を使いながら、チャットは重く分厚い扉を開ける。 「親方様、こちらに今度新しく弟子入りを希望している者達がおりますので、連れてまいりました……って、親方様?」 親方と呼ばれるプクリンは、目を開けたまま立派な皮張りの椅子に座っている。なのだが、微笑を浮かべたまま何処を見ているのやら定かではないその眼は、まるで置物のよう。呼吸すらしているのかすら確かめてみたくなる。 「やあっ!!」 しかし、先程まで彫像のようであったプクリンは一転、生気ある生き物に戻った。普通の状態に戻っただけだというのに、そのギャップにアグニとシデンは思わず体を強張らせる。 「僕、プクリン。このギルドの親方、ソレイス=プクリンだよ。君達は探検隊になりたいんだってね……ここは実力主義のギルド。犯罪者でさえなければ、街の物乞いだろうと、ブルジョワのお嬢様だろうと柔軟に受け入れるよ。 その代わりに、それなりの実力が無いとついて行けないと思うけれど、その覚悟はおありかな?」 「は、はぁ……オイラ一人じゃ乗り越えられない事もあるだろうけれど……頼りになる仲間がいれば……」 アグニはちらりとシデンを見る。 「まぁ、アグニがそういうのなら……自分も付き合って行きます」 と、シデンは応える。 「ふむ……まぁ、そういうのなら大歓迎だ。えーと、アグニ君にそっちのピカチュウは?」 「光矢院 紫電……ミツヤって呼ばれています」 「ミツヤ君だね。よろしく……これからみんなと一緒に頑張ろうね」 気の迷いも許さないつもりなのか、ソレイスと名乗るプクリンは、探検隊として二人を弟子に取る事を速くも決定してしまう。心の準備など、すでにしてあっても当然だと言わんばかりの有無を言わせない態度だ。 微かに笑っているはずの彼の表情の底は、彼の瞳が海のように深いのと同じように全く底が見えない。その表情に命令されるような感覚を受けながら、アグニは『はい』と頷いた。 **36:結成『ディスカベラー』 [#t7b8190a] **36:結成『ディスカベラー』 [#d62c9fee] 「とりあえず、チームを組んでの登録なら、名前だけじゃなく探検隊のチーム名も登録しなきゃね……君達のチームの名前を教えてくれる?」 「え、あ……はい」 淡々と、確実に話を進められて、アグニは戸惑いながらシデンの方へ振り返る。 「どうしようミツヤ……チーム名なんて考えた事も無かったよ……ミツヤ、なんか良い名前ある?」 「そ、そんなこと言われたって自分も考えているわけないじゃないか……えーと、じゃあ『ディスカベラー』なんてどう?」 「ディスカベラー……か。良いかも……それ気に入ったよ、ミツヤ!!」 シデンがパッと思いついた安易な名前をアグニは速攻で決める。&ruby(ディスカベラー){発見する者};、自分の理想とする姿がチーム名では名前負けが心配だが、アグニにその心配はないようである。 「ふーむ……どうやら決まったようだね。じゃあ、ディスカベラーで登録するよ……」 ソレイスは二人を観察する。異論は無いとばかりに二人は頷くので、彼は気合いを込めて、机の上においてある判を取る。 「登録登録……死ですら断つ事の出来ぬ登録と契約という名の烙印をいざ刻まんがため……僕と契約して探検隊になってもらうがため…………たあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 何を意図するのかすら全く分からない不穏な言動の前置きをしてソレイスは判を振り上げ、槌を振るうかの如く振り下ろす。直後、風圧によって机の上の書類は多数舞いあがるが、舞いあがった先、ヒラヒラと散って行った書類の類は吸い込まれるように机の上に戻っていた。 これではまるで魔法使いである。 「おめでとう! これで君達も今日から探検隊だよ。&ruby(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ){これでもう逃げられない};記念に、これを差し上げよう」 そう言って、ソレイスは机の下にある収納スペースから箱を取り出す。 「探検隊入門キット……新品の地図と、丈夫な革のバッグ。後は、探検隊としてのランクを表す探検隊のバッジだよ……まだ、探検隊連盟の方へ正式な登録を送っていないから……中に入れる色つきの宝石はあとに発行する事になるけれど…… ま、それはそれとして、トレジャーバッグの中身を見てみなよ」 「は、はい……」 言われるがまま、シデンとアグニはトレジャーバッグを調べる。中には可愛らしい桃色をしたスカーフと、白を基調に黒の水玉模様のスカーフ。 「それは、それぞれモモンスカーフと防御スカーフ。モモンスカーフは毒を防ぎ、防御スカーフは守りを固める力を持っている……君達が仕事をする上で、必ず役に立つはずだ…… 安物だから大事にしなくっても構わないけれど、どう使うにしても役立てて欲しいな」 とんとん拍子で話が進み過ぎ、まだ実感がわくはずもない二人は、とりあえずそのスカーフをバッグの中に戻して、バッグを床に置く。 「あ、ありがとうございます。オイラ達、これから頑張ります」 「同じく、自分もがんばります」 例をしてから顔を上げると、ソレイスは微笑みよりも柔和になった笑みを浮かべている。 「うん、でもまだ君達は見習いだから……だから頑張って修行してね」 「はい、よろしくお願いします。ミツヤ、頑張ろうね」 「分かった。自分はアグニに付いて行くよ」 こうして、二人の探検隊生活は始まった 入門当日の昼と夕方は引っ越しと近所の人へのあいさつ回りに追われて、休む暇なく過ぎる。案内された部屋の掃除を終えたのは夕方過ぎであった。 「と、言うわけで……御存知かもしれないが、この子達が新しく入った新入りの方だ。みんな、仲良くしてくれよな」 チャットがお披露目をする前から集中していたメンバーの視線がさらに激しい物になる。アグニは緊張しないよう、肩の力を抜いて息を吐く。 「アグニです、今日からよろしくお願いします」 「シデンです……同じく、今日からよろしくお願いします」 緊張で目を泳がせながらの自己紹介。簡単な言葉一つを言うのにもたどたどしい口調のアグニを見ての反応は―― 「あぁ、よろしくでゲス。アッシらと一緒に頑張るでゲス」 無難な反応をするのは語尾が嫌に特徴的なビッパのトラスティ。何処を出身としているのか非常に気になる口調である。 「あぁ……やっとアッシにも後輩が……願った甲斐があるってもんでゲス……」 「ヘイヘーイ!! 今までトラスティが一番の新入りで色々こき使われてたもんなぁ!!」 ヘイガニの男がトラスティをからかえば、 「つまり、明日からお二人さんはトラスティさんにこき使われるというわけですね」 チリーンの女性がおどけて笑う。勝手に話が進む様子を見ながら、アグニは苦笑する。 「はは……お手柔らかに」 「ヘイヘーイ、ノリが悪いぜ!!」 緊張している二人を急きたてるのは、ヘイガニのハンス。ヘイヘーイという掛け声が、殆どの台詞の枕詞になる、うっとおしい喋り方が特徴的だ。 「どうせ冗談なんだから、真面目に答えるなんて野暮ってもんだぜ、ヘイ」 「うふふ、こんな風に騒がしい皆さんですがよろしくお願いします」 ガラスのように美しく透き通った声の持ち主、チリーンのレナ。今日の食事当番らしい彼女は、短い手足は使わずサイコパワーで調理器具や食材を操っているのだとか。お気に入りの調理器具は時に武器にもなるため彼女を怒らせてはいけないと、もっぱらの噂である。 「あ、はい。よろしくお願いします」 「声が小さいじゃねえの、新人さんよ!!」 種族がら大声の出るドゴームのラウド。先程、見張り番をしていた者の片割れのようである。 「えっと、改めてよろしくお願いします」 最後に、見張り番の片割れ、ディグダのジェイク。他にも先輩はいるそうなのだが、仕事のために遠出をしているために会えるのはいつになるのか分からないとのこと。 「ともかく、みなさんが仲良くなるためにも、今日は食事を豪華にするよう頼んでおいた。皆、新人と一緒に楽しく飲み食いてくれ。それでは、皆お手を合わせて、ホウオウに祈りをささげよう」 食事の前の御祈りの時間。昨夜の定食屋、今日の昼食と一応経験済みのシデンは皆に遅れることなく手を合わせてお祈りを始める。 『闇の恵みに感謝し、光の守護に感謝します』 全員の声が重なり、最後にチャットがもう一言。 「いただきます!!」 生と死。光と闇の入れ替わりによる、巡ってゆく命の恵み。元は焼畑から始まったホウオウ信仰は、死があるおかげで生がある事を口酸っぱくして教えられる。ともかく、この地方で最も信じられている宗教なわけで、こういった食事会などの集まりの中では必然的に主神であるホウオウへと祈りをささげるのである。 未来世界では神に祈る事を全く知らなかったシデンは、その文化の意味をよく理解もせず、くだらないと感じながら食事を始める。 なんで神に祈るんだ? そんな事をして、何の意味があるって言うんだろう? 人間の生活を忘れ去った今のシデンは、いつかコリンが言ったような『歴史を変えて何が悪い』と、そういう言葉が出てくるのも納得な、無神論者で温故知新の欠片も無い。 自分の意思に乏しいシデンだが、この時ばかりは自分本の感情を抱かざるを得ない。 ――気持ちが悪い…… **37:きっとハンスが悪いわけじゃない [#h05fe937] **37:きっとハンスが悪いわけじゃない [#sc9cc4be] 居心地の悪い気分に陥ってしまったシデンは、美味しいはずの料理も食が進みにくい。味もあまり分からない、嫌な気分だ。 「……ハンスさん。貴方は人参食べられない種族なんですか?」 「ヘーイ……そういうわけじゃねーけれどよ、俺はニンジン嫌いなんだよなー」 魚の頭の時は、みんなが食べていない物をアグニが食べていないだけだから、あまり気にならなかった。だが、ハンス一人だけが食べていないその光景は、食べ物を粗末にしない、出来ない未来世界の常識から考えてシデンには理解し難い。 「好き嫌いは良くないよ。ダンジョンの中で何も食べられなくなることだってあるんだから……」 「ヘーイ、新人のくせに生意気だな―……」 苛立たしげなシデンの様子に対して、このハンスの反応も当然だろう。初対面でこれではシデンが確実に悪い。 「ここは実力主義のはずじゃなかったのかな?」 どうやら、ひたすら不機嫌な様子のシデンは、ハンスの行動が気に食わない様子。魚の頭でさえ残さず食べるシデンなのだから、そのイラ立ちも理解できないわけではないのだが。アグニは昨日のドガースとズバットの二人組のようなトラブルを起こしてしまうのではないかと、気が気ではない。 「ヘーイ、そんなに言うなら……」 ハンスは自身のハサミの中に蠅を閉じ込め、強く振ってハサミの内部でそれを嬲る。 「この蠅を食べて見せろよ……ヘーイ。好き嫌いはよくねぇんだろー? ヘイヘーイ」 食事をする場所に蠅が居る。中々不衛生な場所である。それはそれとして、ピクピクとまだ生きている事を伺わせる蠅を差し出され、シデンはそれを何の疑問も抱かずに掴みとり、食べた。 「別に、味は悪くないんじゃないかな……」 シデンがそう言った直後、誰もが言葉を失う。 「え、いや……本当に食うなよ……ヘーイ」 喰えといった本人ですらこの始末だ。こんなことして、シデンは周りはどう反応しろというのか。 この街でも虫を食べる事は普通に行われているが、蠅を始めとする一部の虫は不衛生な虫として食卓に上る事は無い。特に、蠅は不衛生害虫の代表格として悪名高く、ホウオウ信仰では蠅やその幼虫の蛆に体を食われると輪廻((生まれ変わること))出来ないとすら言われ、悪魔だなんだと忌み嫌われている。 「うへぇ……」 そんなモノを食べたとあれば、ジェイクもどん引き。 「な、なに食っているんでゲスかぁ……」 トラスティもこれにはさすがに引いていた。シデンを見やる皆の視線が一気に冷ややかな物へと変わる。シデンは、その視線のあまりの気味の悪さに、全身に虫が這いずるような嫌悪感が再び全身に広がってシデンは凍えたように身を震わせる。蠅を食う事よりも、視線の方がシデンには気持ち悪い。そのシデンを救うために最初に立ちあがったのはアグニであった。 彼は誰かに対して文句を言うでもなく、壁に止まっているもう一匹の蠅を音速の拳で掴みとり、流石に生きたまま食う事は憚られるのか焼いて食べると、その様子を見ていたシデンにを庇うように抱いて耳打ちする。 「大丈夫。変な目で見られるならオイラも一緒だよ」 アグニの腕の中で震えているシデンが小さく頷く。やり遂げた達成感よりも、自分は何をやっているんだろうと早くも後悔し始めたアグニだが、『シデンを馬鹿にするのは許さない』と言わんばかりの彼の無言の抗議は一定の功を奏したようだ。 周囲の動きはと言えば、一同唖然。こうなると、もはや新入りの二人をどうやってもフォローしようもないために、二人をフォローできないならばとハンスを非難しようというベクトルに向かう。そうして、皆の刺すような視線はハンスへと集中した。 アグニもこうなることを見越してもう一匹の蠅を食べて見せたのだが、予想以上に上手く行ったのは幸運であった。 「ひ、酷いですよハンスさん!! 二人に変な物を食うように強要するだなんて」 実際、蠅を食うように言ったのはシデンに対してのみであり、レナのこの台詞は完全にとばっちりである。 「そ、そうでゲスよぉ。それに、ミツヤの言う通り何でも食べないと、作ったレナにも失礼でゲスし、農耕神にも失礼でゲス……こればっかりは譲れないでゲスよ!!」 非難轟々の中、ハンスは物凄く縮こまってだれともまともに目を合わせられない。彼は、ただ冗談で生意気な新人に喰えと言って見せただけ。ハンスが原因と言えばそうなのだが、今回ばかりは彼も被害者と言って差し支えがないだろう。 「あー……親方、どうしましょう?」 こうして、ギルドの内部は喧嘩の様相を呈してしまう。誰も手を上げる事こそないが、ディスカベラーを庇う声とハンスを非難する声。みんなのまとめ役のチャットも、こうなってしまっては収集をつけるのが難しく、思わず親方に縋る視線を送った。 「どうもこうもないよ。みんな、喧嘩はダメだよ!!」 先程までのニコニコとした表情とは一変。眉を引き締めたソレイス親方の表情は、以外にも身が引き締まる形相をしている。 「ハンス……人参が嫌いなのはわかるけれど、だからといて残すのはよくないし、ミツヤ君に言ってその言い方は無いんじゃないかな? あと、アグニ……君は、蠅を食べるのは好きかな?」 「い、いや……むしろ嫌いですよ。天国に行けなくなっちゃう」 ソレイス親方のそんな質問に対するアグニの答えなんて決まっている。ホウオウを信仰している(信仰していなくても)アグニが蠅を食うのが好きなわけなんて無い。 「なら、ミツヤ君のために、君はミツヤのように冷ややかな目で見られる事を覚悟の上で、ああして食べて見せたんだね……パートナーを庇うために」 「……まぁ」 あまり思い出したくないし、言葉にされると何とも照れくさい事である。気恥かしいアグニは、照れた顔を見せたくなくって俯いてしまった。 「うん、なかなか出来る事じゃないよ。暴力に訴えるとか、反論するとかじゃなく……自分も同じ目に会う事覚悟でそうやって体を張れる。こういうのが真の仲間って奴じゃないのかな、みんな? もちろん、こんなことを毎回やれというわけにはいかないし、させない。けれどね、今日はこのアグニの行動を僕は褒めたいと思う……みんなも、仲間が辛い眼に会った時は、どういう風にしてあげられるか……よく考えてよね? 幸せは二倍に、悲しみや苦しみは半分に……それを出来てこそ、仲間だからね」 レナ、ジェイク、トラスティが、ハイ!! と元気よく応える。気まずかったり照れくさかったりしているハンスとシデンとアグニは応えられなかった。 ソレイスの演説を聞いたアグニは上手くみんなをまとめるものだと内心思ってソレイスを尊敬した。説教をして雰囲気を悪くさせる事はせず、集中砲火を浴びたハンスはそれだけで罰も十分だとばかりに、親方もそれ以上は責める事はしない。本当に最後は綺麗にまとまっていた。 「さあ、みんな。変な雰囲気になってしまったけれど、まだまだ美味しい料理は残っているよね。一緒に食べようじゃないか!」 咳払いを一つして、チャットは沈んでしまった皆の雰囲気を再び明るく盛り上げる。 「そうですね。今日はとびっきりの高級食材使っているのですから、食べないと損ですよ」 料理係のレナが、そう言って食欲を掻き立てる。 「は、はいでゲス!! アッシも腹が破裂するまで食うでゲスよ!!」 ようやく雰囲気は楽しむそれに変わる。その食事会の最中で、シデンを見守るアグニ、アグニに感謝するシデン。互いが互いを必要とし、互いが互いに『自分がいなきゃダメなんだな』と、二人は思いあう。双方の気持ちをはぐくみながら、新人歓迎の宴は夜遅くまで続くのであった。 **38:ギルドの朝はハイパーボイスから。 [#z4480375] **38:ギルドの朝はハイパーボイスから。 [#tc10a161] 翌朝窓から漏れた朝日は、未だアグニとシデンの目にその光を零すことなく、部屋の壁を照らすのみであった。馬鹿騒ぎと引っ越しの疲れで泥のように眠る二人は、無防備な寝顔を晒しながら寝がえりを打っていた。 そこで、シデンはふと不穏な気配を感じて、目をむったまま体毛の一本一本に至るまで神経を張り巡らせる。 「おきろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 朝だぞぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 殺気が放たれたと思えば、その殺気の矢は音速でシデンとアグニの耳を貫いた。いち早く危険を察知したシデンは耳を塞ぐが、それでもかなりうるさい。 何の事は無い。ただのラウドが放った大声なのだが、ドゴームという種族から放たれたそれが、想像の範疇を越えた音であるというだけで。 「いつまで寝ているんだよぉぉぉぉぉぉぉ!! 早く起きろぉぉぉぉぉぉぉ!!!」 「う、五月蠅い……」 耳を塞いでいたシデンは顔をしかめながら頭を掻く。 「み、耳がぁ……」 耳を塞いでいなかったアグニは、目を白黒させながらむくりと起きあがろうとして、腕から力が抜けて膝を折る。シデンは床に突っ伏そうとしたアグニを拾い上げ、肩を貸して立ちあがらせてあげた。 「急げ! 朝礼の集合に遅れるととんでもない事になるぞ。もし、ソレイス親方を怒らせて、その逆鱗に触れた日にゃ……あの親方のハイパーボイスを食らった日にゃ……考えただけでも恐ろしい…… 防音の特性を持っている俺にだって何ら問題なく通じるなんてあっちゃいけない事だぜ……あぁ、恐ろしい。とにかく、お前らが遅いせいでこっちまでとばっちりを食らうのはごめんだからな!! 分かったら早く支度をしろ!!」 そう言って、ラウドはさっさと朝礼用の広場へと向かって行く。 「アグニ、行くよ……肩貸してあげるからさ……」 「う、うん……ありがとう……ミツヤ」 ふらふらと千鳥足のアグニを連れて、シデンは朝礼広場へ。 「遅いぞ、新入り!!」 ラウドの叱咤が飛び、思わず二人は肩をすくめた。 「お黙り! お前の声は相変わらず五月蠅い」 そこで、誰もが言いたかった五月蠅いという言葉をチャットが代弁してくれる。あの役立たずな鳥も、たまには役に立つ事があるらしい。シュンとした様子でラウドは黙りこくって、その場は収まる事となる。 「さて、全員集まったようだな……では、これから朝礼を開始する。親方様、全員揃いましたので一言お願いします!!」 お願いされたのだが、親方は何も言わない。いや、耳を澄ませてみれば微かに寝息が聞こえる。目を開けたまま眠る――ヨルノズクでもあるまいし、中々に信じがたい光景である。 そんな事をしているから、弟子達はヒソヒソと小さな声で、尊敬とも畏敬とも、呆れともつかない感想の言葉が漏らされている。 シデンとアグニに対しても、トラスティが『目を開けたまま眠っていてすごいでゲスよねぇ』と教えてくれるなど、どうにもその話題は共有したくなるものらしい。 「ありがたいお言葉、ありがとうございました!!」 親方自身何も言った様子はないが、埒が明かないので、チャットは話を先に進める事にした。 「さあ、みんな。親方様の忠告を肝に銘じるんだよ!!」 アグニもシデンも、それで良いのかと内心大声で突っ込みを入れるが、ギルドのメンバーはすでに慣れた物。今日もこれかと肩をすくめて、苦笑するのみであった。 「最後に、朝の誓いの言葉、始め!! 新入りはよく覚えておくんだよ……せーの!!」 『一つ、仕事は絶対サボらない!! 二つ、脱走したらお仕置きだ!! 三つ、みんな笑顔で明るいギルド!!』 ギルドの弟子達は元気よく唱和し、終えると小さなため息をついた。 「さあ、みんな仕事に取り掛かるよ! 新人の二人はこっちだ」 皆がそれぞれの仕事に取り掛かる中、右も左も分からず取り残されたアグニとシデンを、チャットは手招きする 「今から、仕事の説明をするからね……おいで。お前達は初心者だからね……」 手招きするチャットの後を追い、二人は左の掲示板の目の前に。 「それじゃあ、まずはこの仕事をやってもらうよ。この掲示板には、周辺のポケモン達の依頼が張られている……探検というのは給料が出ないからね。貴族や商人からスポンサーでも出れば別だけれど、探検の際に必要な経費やら何やらは自分で稼がなければならない…… そのために、日々修行がてら各地のダンジョンを練り歩き、金を稼がなければならない。分かるね、シデン、アグニ?」 そうやって言い聞かせると、ディスカベラーの二人はうん、と頷く。 「それで、この依頼なんだけれど最近は時空間が乱れ始めた影響だなんだで……人々は心を狂わせられていると聞く。また、不思議のダンジョンも各地に増え始めているから、ここらの依頼……特に右の掲示板のお尋ね物退治に関する依頼が増えているんだ……」 「ええ、それは知っていますよ、チャットさん。トレジャータウンの周りにも、ダンジョンが一つ増えましたよね……特に、ダンジョンの奥地は時に犯罪者の根城になる事もあるから始末が悪いって社会問題にもなっているし……」 「おお、良く知っているじゃないか、アグニ。ともかくそれなら話は早い……依頼の場所はすべて不思議のダンジョンだからね。さて、ではどの依頼をやってもらおうか……」 時空間が乱れる? と、シデンは首をかしげる。どこかで聞いた事がある気がするし、それ以上に何かそれに付いて重要な事があったはずなのだが、記憶の糸をどれだけ引っ張り出そうにも、出来ない。 やっぱり気持ち悪い。早く記憶が戻ってくれるか、もしくはいっそのこと言葉まで忘れて赤ん坊に戻れれば良かったのにと、シデンは歯を食いしばる。 「うん、これが良いかな」 シデンが気持ちの悪さに身震いしているうちに、チャットは二人向けの依頼を選び終える。高い所にあるその依頼の紙を、空に舞い上がり足爪で器用に挟んで取り、アグニへ渡す。 「えーと、なになに。 『はじめまして、私しがないバネブ―のアルキュミス=バートン=バネブーと申します』なんでこいつ名前がムカつくくらい格好良いんだろう…… 『ある日、悪者に私の大事な真珠が盗まれたのです! 真珠は、パールルからしか受け取れない貴重な者なのに、その癖サイコパワーを高める大事な代物。私にとって命の次に大事な物なのです。 頭の上に真珠がないと、私は落ち着く事も出来ません……そんな時なのですが、湿った岩場で私の真珠が見つかったとの情報が届きました。 サイコパワー無しでは輝きも失われ、黒ずんでしまうから価値が無くなったと思ったのでしょう……真珠はバネブ―のサイコパワー無しには輝きませんから。 どうやら、とある岩場に捨てられたらしいのですが、サイコパワーの触媒が失われた今、ダンジョンを越えて行かねばならないそんな場所に行く事は出来ません。 ですので、お願いします。誰かその岩場に言って真珠を取って来ては貰えないでしょうか? バネブ―より』って、これ……ただの落とし物を拾って来るだけじゃない? オイラそれよりももっと冒険したいなぁ……お宝を探したり、知らない場所を冒険したりとかさぁ……」 「お黙り!!」 愚痴を漏らすアグニに対して、チャットは顔を寄せて凄む。 「さっきも言ったように、探検というのは給料が出ないんだ!! 探検の際に必要な経費やら何やらは自分で稼がなければならないし、そもそも冒険なんて危険な事を何の下積みも無い奴に出来るわけないでしょうが!! こういう仕事で実績を残してこそ、ようやく親方の弟子として認められるんだよ!! あんた、ギルドの仕事を甘く見ているんじゃないか!?」 「は、はい……すみません」 「ふふ、アグニってば正論に言いくるめられてやんの」 アグニは十四歳。早ければもう子供がいる年齢だが、それでもまだ体は成長しきっていない年齢だ。そんな子供でいたい年頃だけに、仕方ないかと溜め息をついて、チャットは続ける。 「さあ、分かったら頑張って仕事に取り掛かるんだよ。昨日先輩たちに教わったよう、準備は怠らないようにね!」 「うぅ……仕方がない。下積みが大事だってんならやってやろうじゃないか!!」 そうして、二人は最初の仕事に取り掛かるのであった。受注の仕方をメモを取りながら覚え、それを頭に叩き込んだ後は先輩達のお古を含む、探検隊としての基本の装備の数々を袋に詰める。 食料も買い込んだ二人はいざ準備万端とダンジョンに挑む。 **39:湿った岩場と、涙に濡れる恋心 [#scd510d9] **39:湿った岩場と、涙に濡れる恋心 [#u8760e72] と、言っても、二人が行くダンジョンは危険も少ないダンジョンだ。確かに、サイコパワーの商売である真珠を失ったバネブーには辛いかもしれないが、ダンジョン自体は現地調達の食料を捌くナイフさえあれば事足りる。アグニの使い慣れたナイフ一本、ユレイドルの触手をぶつ切りにして食したり、アノプスを解体して中にあるエビにも似た味の肉を二人で塩をつけて食べたりと。シデンはピカチュウの体に慣れていないのか、ナイフの扱いが思うようにいかずに悩んでいる。対して、アグニは海辺の街に住んでいるためか魚を捌く経験も多かったらしく、アノプスを捌く腕も見事なもので、堅い殻の隙間を縫うように入れたナイフが、あっという間にアノプスを解体していく。 食べる場所は少なかったが、図体の大きさを考えれば十分すぎる。 現地調達の食事会も一息ついたところで二人は再びダンジョンの中を突き進む。アグニも、以前よりかは前に出ることも多くなったが依然として臆病でシデンの後ろで縮こまってしまう事は多い。それでも、なんとか弱そうな獲物をアグニに差し出すことで自信を付けさせると、恐る恐るながらもきちんと敵に立ち向かう程度にはやってくれる。 まったく、世話の焼ける奴だと、シデンは手のかかる子供を愛しく思う母親のような目で微笑んだ。 ダンジョンを越えた先にある崖のある場所にたどり着くと、二人は早速真珠探しを開始する。 真珠探しと言っても、捨てた物も発見したものも、そう入り組んだ場所に行く用など無いので、分かりやすい位置にそれは挟まっていた。普通に飛び降りようとすれば足をくじいてしまいそうだし、登れるかどうかも不明な滑らかな崖。 アグニもロッククライムの素養はあるが、このへんは水タイプの多い湿った岩場。岩がつるつると滑ってしまうとあれば、ロッククライムも型なしだ。しかしながら、どうするかというのは考えるまでも無い。 親から譲ってもらった金づちと杭を使い、岩場にとっかかりを作ると、比較的体重の軽いシデンがロープを胴に巻いて真珠を拾いに降り立つ。 この一連の作業を二人はは以心伝心に行い、どっちが何を言うでもなくシデンは腹にロープを巻いていた。 アグニは親から教えられた経験が活きていたからある程度当然として、シデンはどこかでそれらの道具を使用した経験があるようなつつがなさ。無論、人間時代での経験が生きているのである。 真珠を引きあげて、ハイタッチした後に残る違和感に、シデンはやっぱり首をかしげる。 「なんだかなぁ……私、こういう道具を使用した事があるような……」 「ふむ……人間だった頃に、ロープで命綱してどこかに降りた経験とか? 何をやっていたんだろうね……それ」 記憶の糸をたどってみようと頑張るが、やはりシデンの脳裏に浮かぶ光景は何も無い。体が覚えているというような動作は出来ても、頭の中にある記憶は応えてくれない。 何かつかめそうで何もつかめないこの感覚はやっぱり気持ち悪くてしょうがなく、シデンは悔しげに歯を食いしばる。 「焦ることないさ、ミツヤ」 小さくなったシデンの肩を、アグニがポンと叩いた。 「でも、自分は……早く元の記憶を戻したい……」 「ねぇ、ミツヤ。記憶が無くなっちゃって良いってことは無いけれどさ……それならそれで、オイラと一緒に、思い出をいっぱい作っておこうよ。今度は忘れないようにさ……きっちり頭に刻んでさ」 「……うん、アグニ」 言い終えて、シデンは俯いたまま目を細めて首を振る。 「それは分かるんだけれど……怖いよ、アグニ……私って何なの?」 シデンは震える声でアグニにすり寄る。そうされたところで、アグニ自身何をすればいいのかは分からないだろうし、シデンも言葉をかけてもらう事を望んでいるわけではない。ただ、シデンは出会った日の夜のように優しく抱きしめて欲しかった。 どんなに不安でも、そばにアグニが居るから大丈夫だと言えるくらい抱きしめて欲しかった。 未来世界に迷い込み、コリンに親になってと乞われた際のシデンは、『自分はこの世界の住人ではない』というのを元々知っていた。その他にも、未来世界の掟というのは、『やるかやられるか、奪うか奪われるか』であり、単純でわかりやすいものだ。それだけに、『これはこういうものだ』と言い聞かすことで。存外適応も早かった けれど、未来世界と違って過去の決まりごとは複雑だ、警察が居る。食べ物は比較的豊富なので、変な物を食べると白い眼で見られる。セックスするには恋愛感情が必要と、非常にややこしい。 それでも、人間世界にいた彼女が直接過去の世界に連れてこられたのであれば、すんなりと適応する事も出来たであろう。この世界に目覚めてピカチュウの姿になっていても、記憶を失わないままであれば、『そういうものなのだろう』と、納得する事もできたはずだ。 しかし、今のシデンは自分が未来世界から来たことを失念していた。しかし、癖や常識はそのまま引き継いでしまったがために、違和感ばかりのこの世界。日常生活はアグニがいなければ困難なほどに疎外感を覚えているシデンは、こと戦闘においては自分よりも遥かに弱いアグニに頼らざるを得なくなるほど、常時神経をすり減らしていた。 そんなシデンの気持ちを知ってか知らずか、アグニはこの数日間非常によくやってくれた。それによって、シデンのアグニに対する信頼は依存と呼んでも差し支えないレベルまで成長してしまう事になる。図らずも、時空の叫びの能力を活かす事が出来るくらいには。 アグニの方はと言えば、戦闘の師匠としてシデンを頼りにしてこそいるが、日常生活においては自分が支えてあげる必要があると、しっかり自分のやる事を分かっているようで、出会って数日だというのに二人は互いが互いを想いあう仲になってしまった。 そして、今シデンはアグニを必要としている。だから、アグニはシデンを抱きしめる。涙に濡れた彼の胸には、シデンの恐れが痛いほど伝わって来た。その痛みを和らげて上げたいと純粋な気持ちで受け止めてあげると、二人の絆とシデンの恋心は急速かつ順調に育まれてゆくのであった。 ただいま、キザキの森へ向けて頑張って走っているコリンなどそっちのけで。 ◇ そうして、二人は絆を育みながら、依頼の品を持ってギルドまで戻る。始まる前はなんだかんだ文句を言っていた依頼だが、崖を降りる練習やら、暗い洞窟を二人で歩く経験。現地調達した食料を捌く経験など、探検隊らしい事を行えたためかアグニはどうやらご満悦の様子。 実は、そのご満悦の出所は、探検隊の初仕事が出来た事よりも、むしろシデンと絆を深められた事によるものなのだが、アグニはそれに気づけない。自分が嬉しい理由の『何がどうして嬉しいのか?』を勘違いしているあたり、そこはまだ人生経験の少なさゆえ幼さ故といったところか。 それだけ幼い純真さを持つというのに、シデンのして欲しい事を正確に察知して抱きしめる辺りは、プレイボーイというべきか、天然女たらしというべきか。なんにせよ、アグニは少々得な性格で、少々得な才能を有していた。 シデンに好かれた事にまんざらでもないアグニは、仕事帰り終始ご機嫌の様子。これから仕事を続けていけば、もっと仲良くなれるんじゃないかと。二人で一緒に料理をしたり、進化を祝い合ったり。そんな未来を想像したアグニは笑顔で帰り道を急いだ。 **40:報酬はみんなの笑顔(と、思えなければやっていけない) [#k7ecb0ae] **40:報酬はみんなの笑顔(と、思えなければやっていけない) [#p61f8345] 「あ、ありがとうございます!」 頭に乗せた真珠はすでにして輝きを取り戻し始め、白を基調に様々な色を淡く虹のように色を変える。 「いや、本当にありがとうございます。私、この頭の上の真珠がなかったおかげで、ここ最近落ち着かなくって……そこらじゅう跳ねまわってはあちこちぶつけてアザだらけ。タバコをいくら嗅いでも落ち着かなくって、にっちもさっちもいきませんでしたが…… でも、そんな心配も今日からおさらば……あぁ、もう貴方達のおかげです。こちら、約束の報酬です……受け取ってくださいませ」 バネブーは小声で、『声は出さないでください。包んでありますからね』と舌を出しながら悪戯っぽい目でアグニへ一言。どういう事なのか訪ねたかったが、声を出さないで下さいと言われたので、アグニはとりあえずそれに従う事にする。 「すごい……金貨じゃん、これ……」 アグニが確認した報酬は、金貨が1枚と、銀貨と銅貨で現在の金貨もう一枚分のお金を用意されていた。 「金貨……? 金貨……」 すごくない、とシデンは思う。シデンは、どこかでそれを大量に見た気がした。 「金貨だよ。はは、これがあれば何もしないでも一ヶ月はこれだけで暮らせるよシデン。たった三日の仕事でこれだもん、一ヶ月もやればオイラ立ちいきなり大金持ちだよ!! で、でも本当にこんな大金もらっちゃっていいのでしょうか?」 「どうぞどうぞ、真珠は一生もの……一生の価値に比べれば安いものですよ……うん、だからこそこのギルドのシステムは……あの、お菓子は自由に食べてくださいね。お菓子まではとられないはずですから……では、また縁がありましたらよろしくお願いします。ディスカベラーさん」 「はい、またよろしくお願いします」 「では」 シデンは口を挟むとまたいらない事を口走ってしまいそうなので、アグニがメインで応対をしたが、最後のありがとうございますと例だけはシデンも一緒に行った。さて、報酬の受け取りは終わったがまだ仕事が終わったわけではない。貰った報酬の報告をしなければならず、依頼人のサインと受注した自分達のサインが入った契約書の半券を一番弟子という名の会計係であるチャットに見せなければならない。 「ふむ、お前たちよくやったな。殆ど無傷で帰ってきたようだし、四日の予定をきっちり二日で終わらせるあたり優秀だ。今回は非常に上出来だ」 「ありがとうございます」 褒められて嬉しい気分になったアグニは、はきはきとした溌剌な声でチャットにお礼を述べる。 「でも、お金は預かっておこう」 「ほへっ?」 何か嫌な言葉が聞こえたような気がして、アグニは思わず聞き返す。先程の溌剌な声が一転、間の抜けた馬鹿みたいな声だ。 「殆どは親方様の取り分だ……お前達はうん、このくらいかな」 「……これ、十分の一だよね」 「うむ、このギルドの手取りは1割だ。残り9割はギルドで有効に使わせてもらうからな」 「ひ、酷いよぉ……何それ!?」 納得がいかないという想いを全面に押し出して、アグニは抗議を行う……が。 「これがギルドのしきたりなんだ……我慢しな」 こうかがないようだ・・・・・・。 「一応ね、そのお金で商店街の一角が割引価格だったり、無料で利用できたりするし……あぁ、それについてはおいおい教えるとするよ。それとね、アグニ……君は確かガラガラ道場で働いていたと思うけれど、気づかなかったかい? あの商店街……いや、ひいては街全体に失業者が極端に少ない事に?」 「他の街に行った限りでは……確かにこの街って豊かだよね」 一応、アグニはチャットの言う事を肯定する。 「そう、豊かなんだ」 アグニの言葉に満足しながら頷いて、チャットは続ける。 「この街は、ギルドによって経済を支えられているし、逆にこの街の潤滑な経済こそがギルドを発展させる要因なんだ。だからね、ギルドの収益の一部は、商店街の発展や、失業者の防止のために寄付をしているんだ。そのおかげでギルドも潤うし、商店街も潤う。 ……まあね、言いたい事はよくわかるよ。手取りが少な過ぎて不満だってね。でも、大丈夫……最初は少なく感じても、いつか余るくらいになる。なんせ、探検隊ってのは食事は現地調達で十分だし、ダンジョンで拾った物を売る事でも財布を潤わせる事は出来る。 それで、余ったお金を譲ることで働けない人たちに職を与えられるとしたら素敵なことだとは思わないかい、二人とも?」 しぶしぶながらアグニは頷くが、シデンは首をかしげるばかり。 「失業者……って、ようするに仕事がない人だよね? どうしてそんなのを救う必要が……」 「ちょ、ちょっと待ってミツヤ!! すみません、チャットさん……ちょっとミツヤと話をします」 何か不穏な事を言おうとしているシデンの言葉をさえぎって、アグニは慌てふためいた。 「ミツヤ……今、なんて質問しようとしたの?」 チャットから顔をそむけ、アグニは小声でシデンに向かった訪ねて見せる 「なんで……失業者が生きているのかって聞こうとして……子供ならともかく、働けない人に生きる意味なんてあるの?」 「え、いや……人を殺しちゃダメだから……」 「でも、警察に捕まるのは、殺した場合だけでしょ? 働けないなら放っておいても飢え死にするわけだし……アグニがそうなりそうだったら助けるし、食料に余裕があれば腐る前のそれを与えても構わないけれど…… でも、見ず知らずの誰かに腐ってもいない食料を与える道理なんて……ないんじゃないの? それとも、身捨てたら警察に捕まるの?」 「ミツヤ……確かに警察には捕まらないよ。でもそれは……君の住んでいた場所がどういうところだったのかは知らないけれどね、ここでは見ず知らずの人にも優しくするのが普通なんだよ……うん、普通。優しくするために過剰に無理しちゃいけないけれどさ、それでも……ミツヤ。 誰かのために頑張るとか、誰かの笑顔が自分の活力になるとか……そういう感覚も知っておくべきだと思うよ、オイラは……」 「アグニが……そう言うのなら……」 自分の中に&ruby(わだかま){蟠};る違和感はどうにもならなかったが、アグニが言うのならきっとそうなのだろうと、シデンは無理矢理納得する。口に出さないほうが良いことがあるのだって、この数日間でシデンは何度も学ばされている。 **41:働いた後のお食事 [#ef489275] **41:働いた後のお食事 [#i61b07b2] 「あー……話は終わったかい?」 「う、うん……あの、皆が豊かなのは良いことだと思います……でも、流石にもう少し高k……」 「無理」 最後まで言う前に、チャットはアグニの言葉をバッサリと切り伏せる。 「……ごめんなさい」 何か悪い事をしたのかすら分からなかったが、アグニはとりあえず謝った。 「まぁ、そうしょげるな。ギルドで食べる食事はお代わり自由なのだからな。お腹すいているんだろ……もう良い匂いが漂っている。レナが晩御飯の時間を告げるのも時間の問題だ」 くるくる変わるアグニの表情の変化が面白かったのか、チャットはクスクスと笑いながら元気づけた。食事程度で元気になるほどアグニも単純ではないが、逆に空腹を自覚させられると報酬の少なさはどうでもよくなったらしい。 「少ないけれどこれで何を買おうか?」 弟子に与えられた部屋に帰る途中にシデンに尋ねれば、シデンの答えは当然のような受け答え。 「良くわからない……」 そう、こんな答えが返ってくるのはシデンにとっては当然だ。彼女にこの世界では何を変えるのか? 物価はいくらくらいなのか? そんな事なんて分かるはずもない。 「明日は、掃除当番を任されている。午前中だけだから終わったら、一緒に買い物に行こうよ。そこで、何か欲しい物があれば、買えばいいわけだし……何が買えて、何が買えないかもわかるだろうから」 「うん……」 アグニにとってはシデンを気遣うのは当然なことなのだが、シデンには違和感に満ちあふれている事。だが、違和感の塊だらけのこの過去の世界でもそれが良いことであるならば心が癒された。自分を常に気遣ってくれるアグニの存在が、シデンの心のささくれを全て取り除いてくれる。 「ありがとう」 そんなアグニの気遣いが嬉しくて、歯が浮いているように照れたシデンが掛け値なしのお礼を述べる。 「どういたしまして」 そんなシデンに、アグニは朗らかに笑ってに簡潔にその意思を伝える。 「なに、気にしないでよ。当然のことだから」 その当然という響きに違和感を感じつつも、そう言う事なのだなとシデンは考える。アグニの言葉の一つ一つで、シデンはこの世界に適応していくのであった。 「でも、ミツヤはオシャレとかしないの? モモンスカーフ、良く似合っているけれどさ……でも、女の子なんだし、もっとオシャレしたらどう?」 「オシャレ……? 食料が足りないの?」 「はい?」 「オシャレするってことは、男の人とセックスして木の実を貰うってことでしょ……いや、この街だと貰うのはお金か?」 「いや……その、そうじゃなくってさ。ほら、美人だって言ってもらえると嬉しくない? いや、嬉しいでしょ?」 「安全なところでなら……でも、美人だと強姦されるから泥を塗ってでも醜くなろうとする人もいる……そっか、ここは安全だしそんな事を考える必要もないわけかぁ」 「あ、当たり前でしょー!! っていうか、ミツヤなんてそんだけ強いんだから、もっとオシャレに気を使う暇ぐらいあるってば。だから、さ……まぁ、可愛いスカーフでも巻いたりして、褒められてみようよ。レナだって、短冊に花びらのアートをしてオシャレしてたじゃん……ね? それに、女の子なら服を着る日((月経の事を表す隠語。局部から血が漏れるのを隠すため、元は貴族や豪商などの金銭に余裕のある女性に発達した文化。生活に余裕が出ることで、一般女性にも浸透したが、この時代はまだその日以外は着ないのが一般的。))だってあるじゃない?」 「うん……アグニがそう言うのなら……やってみる」 アグニに楽しげな物言いに、流石のシデンも心惹かれるものがあったらしい。『アグニがそう言うのなら』のセリフもはにかみながら言われると中々に可愛いもので、アグニもつられて照れ笑い。 「レナとか、誰か女の子と一緒に行こうね。オイラには可愛い服……わからないからさ」 やっぱりあの時セックスを受け入れなかったのは男としてまずかっただろうかなどと、未練がましく思いつつアグニは食事の時間まで軽く睡眠をとる。シデンは、アグニの寝顔を眺めながら、探検隊の器具の手入れを始めた。それぞれの思惑を胸に暇つぶしの時は過ぎてゆく。 そうして、二人は二回目の食事を迎える事になる。まずは、ジェイクの父親、ダグトリオのトリニア。このギルドに暮らす弟子たちの中でも屈指の怠けものという烙印を押されている彼は、よく海岸やサメ肌岩でサボっているのだとか。 アグニもまさかあの男がジェイクの父親だとは思っていなかったらしく、あんな適当に暮らしていても探検隊をやっていけるのかと、唖然とする他なかったようだ。 「ワタクシ、キマワリのサニーと申します。先日、遺跡に行って来たところですの!! それにしても……キャーッお二人さん可愛いですわ―!! こんな後輩が欲しいと思っていたところですわー!」 「は、はぁ……よろしくお願いします」 「よろしく、サニーさん……」 二枚の大きな葉っぱを組み合わせながら、その手を頬の隣に。可愛い子ぶりっこな仕草をしながらテンション高めにサニーは言う。アグニはそのテンションに圧倒されながら苦笑交じりに挨拶を返し、シデンも少々戸惑いながら挨拶を返した。 「このサニーさんだがな。ウチのギルドの中では最も印刷屋さんを利用する機会が多い。つまり、多くの本を書いておられる方なのだ」 そうしてすました顔をしているサニーを翼で指し示して、チャットは得意げに紹介を始める。しかしながら、アグニはサニーの本を何冊も読むほどのファンであるため、紹介なんてあってないようなもの。 チャットの話は殆どシデンのために話しているようなものである。 「各地で聞いた恋愛話を吟遊詩人は歌にするが、サニーは文章にして面白おかしく話すんだ。時にジョークとフィクションを混ぜ、時に大真面目にね。もし、君達が本を書きたいと思ったなら、サニーに聞いてみるといい。何でも教えてくれるぞ」 出来の良い弟子という事なのだろう。サニーを紹介する時のチャットの顔はとりわけ上機嫌であった。 「お褒めに預かり光栄ですわ。えーと、殆どチャットさんの言う通りなのです、これ以上何も言う事が無く……あとで、自己紹介代わりにお二人さんにも私の本を見せて差し上げますね。長いので無理強いはいたしませんが、楽しんでもらえると嬉しいですわー」 「それじゃあ、後で読みに行くから、部屋にお邪魔しても良いでしょうか?」 「だ、そうですわ。レナさんはどう?」 「構いませんよ、その前に掃除しておきませんとね」 サニーとレナは部屋を共同で使っている。一応同居人には許可を取るべきだろうと問いかければ、掃除をしておこうと前向きな答え。あまり掃除をしていないのだろうか。 「グヘヘ……ワシはトーマ。よろしくな」 そして、最後に何を考えているのかよくわからない、グレッグルのトーマ。必要以上の事は喋らないせいか謎も多いが、掃除をやらせればどうやったのかと思うくらい早々と終え、しかも監視していると決まってのらりくらりと象時を行うため、見られると能力の落ちる恥ずかしがり屋だと揶揄されているようだ。 実際のところ、見張られるとサボる天邪鬼具合や、視線を敏感に感じる謎の仕事ぶりは、ギルドの七不思議に指定される程皆が一目置いているとか。実際、視線を感知して周囲に気を配る能力は探検においても非常に役立っている ジェイクが父親に爪の垢を煎じて飲ませたいと思っている人物の一人であった。 こうして、このギルドの弟子全員の紹介を終えたところで今宵の夕食のメインイベントは終了した。サニーに絡まれる事がメインイベントだなんて思いたくはないのだ。 **42:お休みで炎を消して [#ia71c2c1] **42:お休みで炎を消して [#q2399367] 夜になって、アグニは尻で燃え盛る炎を消して部屋に暗闇をもたらす。もう寝る準備は出来たといったところで、アグニは不意に口を開く。 「ねぇ、ミツヤ。まだ起きてる?」 「流石に、10秒で眠れるほど寝付きはよくないかなぁ」 シデンはおどけて笑う。 「そう……この二日、色々あって忙しかったけれど……初めての仕事が上手くいって良かったね」 「うん、殆ど差し引かれたけれど、お金も貰えたし……お菓子を包んでいたリボンがまさか約2000ポケ相当とか……粋な真似をするよね」 同意するようにアグニは頷く。 「うん。それに何より依頼人に感謝されたのが、オイラすごく嬉しかったよ」 感慨深く今日を振り返るアグニに対し、シデンは疑問であった。 「感謝されて嬉しい、か。アグニは、見ず知らずの人に感謝されても嬉しいの……?」 「質問に質問で返すようで悪いけれど、ミツヤはオイラに感謝されたら嬉しい?」 少しためらいながら、シデンはうんと頷いた。 「多分、だけれど……それはミツヤにとってオイラが親しい間柄だからなんだと思う……うん。もしくは、こういうと傲慢な表現かもしれないけれど、オイラがミツヤにとって大切な人だから。だから、ミツヤはオイラに感謝されると嬉しいんだと思う」 シデンは相槌を打つ。 「じゃあさ、ミツヤ。大切な人ってなんだろうね……?」 「私は……元気でいて欲しい人。アグニには元気で居て欲しいから……」 シデンの率直な言葉を聞いて、アグニは闇夜の中で微笑む。 「そうだね。ねぇ、ミツヤ。食事の前に皆が呟いている言葉……不死鳥ホウオウに対してささげる祈りなんだけれどね、ホウオウの教えにはこんな言葉があるんだ……『社会は一つの生物であり、汝らは骨であり肉あり爪なのだ。骨が肉を失う事、肉が骨を失う事、どちらも残された者が困るものだ。なれば、汝は隣に居るものの命が失われようとしていればそれを助けよ。その者が、骨の一部なら、肉たる汝の助けとならん』 これはね、……大切な人ってのは、特定の誰かではなく……目に映る者全員であるって事を教えているんだ。オイラも、ミツヤも、街の皆も……みんな大事な存在。だから、オイラは見ず知らずの人でさえ、褒めてもらえたら嬉しいかな……」 「そんなに大切な人がいたら大変じゃない?」 「普段はそんなに意識しなくっていいんだよ。『ちょっと困っている人がいたら助けてあげよう』って感じで軽く考えれば良い……ホウオウ信仰の教えの解釈なんてその程度で良いんだ。 ミツヤは、悪人に対して怒りを燃やす心を持っているんだし……その逆もいつか分かるよ。みんながみんな大事な人なんだってさ……慈しむ物だってさ。そして、慈しもうとするその気持ちも」 「うん……アグニがそう言うのなら……きっとそうなんだよね」 月明かりの中でうっすら見えるアグニの眩しいまでの笑顔を見ていると、自分が酷く汚いものに思えてシデンは無意識に目を逸らす。 「そうだよ」 と、答えたアグニの笑顔はこれまた眩しかった。シデンはもう、何も言えない。 「だからミツヤ……自信を持って。君は、きっとこの世界に適応できる……何も憂う事なんて無いんだよ。本当の君は優しいって……オイラ信じているからさ」 「それが出来たとしたら……きっと、貴方のおかげね」 そのまま数秒の沈黙。 早くも雰囲気が微妙になってしまったが、こういう結果になるのがある程度分かっていたからこそ、アグニはこのタイミングで話しかけたのだ。 ふあぁ、と大きな欠伸をしたアグニは、一度寝返りをうつ。 「眠くなってきちゃったよ……オイラもう寝るね。また明日からがんばろう……おやすみ、ミツヤ」 沈黙しても、こうやってお茶を濁す事が出来るから。 アグニ言葉にシデンは小さく頷いた。もう目を閉じているアグニにその頷きが伝わったかどうかと言えば、当然何も伝わっていないがアグニは気にしていなかった。ただ、シデンと絆を育んだ達成感が心地よく、胸の中に爽やかな風が吹き抜ける爽快感と程良い疲労感の中で彼は眠りへと落ちていった。 **43:仕留める準備 [#w31805ca] **43:仕留める準備 [#y0ccd6c5] 4月28日 時をさかのぼって、時の守人のメンバーが過去に戻って数週間後のある日。ドゥーンと共に過去に訪れたエッサ==ボーマンダは、行商人の集まる街で適当な人物を探していた。彼は、未来世界で親友であったサザンドラのシノや、セックスフレンドであったガブリアスのフリア。さらに、上司であるケビンなどを失い、コリンとシデンに対しては非常に強い恨みを抱いている。 ドゥーンとしては、ケビンがやってしまった単独行動を考えれば、その部下である彼を起用するのは若干不安があったが、話してみればシノは案外聡い奴だ。 コリンがどれだけ憎かろうと、形勢の不利を悟れば玉砕を考えずにきちんと逃げかえるくらいの冷静さはあるし、何気に時の守人の中では足型文字やアンノーン文字などの学科においてもとりわけ優秀であった。ケビンとのパイプ役も彼であり、エリックにばれないように上手くやっていたし、あれで優秀なところもあるのだ。 そんな彼にこの世界でコリンを追い詰めさせるにあたり、彼が取る行動はコリンを恨む事。もちろん、ただ恨む事とはちょっとばかしニュアンスが違う。呪い殺すような事が出来ない彼が恨んだ所でそもそも意味は無いのだから。 恨むという事は、この世界においては未来世界とは違う意味を持つ。その違う意味を持つ要因となるのがおまわりさん――警察である。アグニが言ったように、全ての者を牢屋に放り込むわけではないが、例えば強盗殺人などを起こせばその者が指名手配にならないわけがない。 あまりにその素行が酷ければ、大陸中に国際指名手配されることだって珍しくは無い。そして、コリンをその状態に陥れれば彼は非常に動きづらくなるはずだ。 まとめれば、『恨む』というのは要するに警察に泣きつく事である。 なんせ、この世界には様々な探検隊が居て。宝を求めるトレジャーハンター、新天地を開拓する開拓者、新しい作物を遠方より伝えるシードハンター、サニーのように文化を伝える物もいれば、貿易や交易路の開通を行う者もいる。そして、その資金稼ぎのために道すがら見つけた賞金首を狩る、バウンティハンターなる者もいる。 否、この大陸ではむしろ探検隊一本で食っていける探検隊の方が珍しく、大抵は副職としてギルドに所属しバウンティハンターや便利屋稼業を行って資金を稼ぐのがふつうである。 何故って、株式やスポンサーという概念がまだ一般的に普及していないがために、リスク回避のための資金稼ぎは欠かせない。コリン達が指名手配されれば、名だたる探検家――例えばフロンティアやチャームズといった最強クラスの探検家でさえ敵として彼等の前に立ちふさがる可能性もあるのだ。 そのためには、彼を恨むに相応しい理由をともなって警察に泣きつかなければならない。そして、エッサ以外の者も警察に泣きつかせれば国際指名手配せざるを得ないだろう。 何故そんな回りくどい作戦をするのかと言えば、シャロットとエリックが原因である。彼女らは、自身の力のみで時の守人を撃退することもあったし、切り札としてセレビィゴーレムへフォルムチェンジする事も出来るような高い戦闘能力を持っていたが、真に恐ろしいのは彼女たちの作る武器である。 どこから拾ってきたのか、どうやって作ったのかもわからないクロスボウ((ボウガンのこと))をサイコキネシスで一斉射撃したり、罠を仕掛けて圧死させたり、棘のついた落とし穴に落したり。刃のように研ぎ澄まされた繊維で高速飛行するポケモンを切り裂いたりなんてのもある。 コリンやシデンがその技術を伝えられている可能性というのも十分に考えられ、特にシデンにおいては伝説上の人間という生物の、『恐ろしい兵器でポケモンを蹂躙した』という性質を考えれば危険性は高い。『歯車の祭壇に時の守人の者たちが待ち構えていれば、祭壇は守られる事になる』というのは、普通に考えればそうなのだが。歯車の周りを時の守人達が警護していてはコリン達に警戒される可能性もあるし、最悪シャロットやエリックがそうしたように。もしくはそれ以上の代物を用意して、クロスボウのような物や、足を引っ掛けると岩が降って来る兵器など何らかのお手製罠で対応されかねない。 シャロットを追い掛けたら罠で死んだなどというのはあまりに有り触れた死因で、時の守人の中ではセレビィを追ってはいけないとすら言われていた。 祭壇からあらかじめ時の歯車を回収しておくという手もなくは無いのだが、それでは悪戯に歴史を変えてしまいかねない。ある程度は未来からの訪問者が歴史を変えようとしても修正作用が働くが、取り返しのつかない事になってからでは遅いのだ。 また、回りくどい事無しで道中歩いているところを襲いかかるにしても、今は戦闘要員として運用できる隊員の大半は星の調査団の残党狩りに忙しい。更に言えば、如何にディアルガといえど、一気に大量の人員を過去へ送るのは力を消費しすぎてしまう。 道中歩いているところを襲いかかるのは、シャロットを含む残党狩りがほぼすべて終了した後となるだろう。 そういうわけで、今の所はコリンやシデンを直接捕らえるような方法は使わず、ずいぶんと回りくどい方法を使う事になってしまい、その準備に、エッサは奮闘している。 「で、ですね。それ以降、私もしばらくはこの人を預かっていたのですが……」 設定上、エッサは記憶喪失のまま親切な農夫の家に転がり込んだという事にされ、メタモンのクシャナは行き倒れていたエッサを介抱した農夫ということにした。 まずクシャナは、冬も深まり同時に仕事も食料も少なくなっていくこの時期に、自分の家も養いきれないということで、エッサには別の仕事を探してもらわなければならない。平たく言えば追い出すことになったことを説明する。 それで、荷物持ちだけでも良いし、強いから護衛代わりに連れて行けとか、もっともらしい理由をつけてエッサは行商に対してなんとか働けないかと頼んでみる。お金を持っていそうな者、人の良さそうな者。その二つの条件に合致しているのは、見るからに人の良さそうなタバコ商人のアーカード=エーフィであった。 首にかかったアルセウスの環はアルセウス信仰の証だが、その腹心であるディアルガを信仰しているエッサが受け入れてもらえるかどうか。 「ふむ……荷物持ちでも何でもやってくれる……か。ちょっと、この荷物持ってみろ」 首をひねりながら、エーフィの男はそのボーマンダを値踏みする。 「あ、はい」 エッサはエーフィが念力で持ち上げた、エッサ自身の体重ほどはあろうかという荷物を背に乗っけるが、エッサは全く苦もなく地に足付けている。 「ほう……すごいな。この状態で飛べるか?」 荷物は何の支えもないために、本当に飛ばれると大切な商品が落ちてしまいかねない。そのため、エーフィはエッサの背に乗り、そこで直接サイコキネシスで荷物を支える。荷物の重さにエーフィの重さも増したがやっぱりエッサは顔色一つ変えない。 「流石に飛ぶのは長時間はきつそうだが……この程度ならいけるぞ」 そう言って、彼は羽ばたき飛び始めた。顔を真っ赤にして、歯を食いしばりながらの全力疾翔では、なんとか飛べている――といった感じ。言う通り、長時間の飛行は不可能だろうがちょっとした小川などを迂回する必要もなく越えるには役立ちそうだ。 「……ふぅ」 「いや、これだけできれば十分だ。この先の街で橋が壊れて、谷を降りるか山を登って迂回して渡らなきゃいけない場所あるんだが……お前と一緒なら難なく越えられそうだ。だが……本当にこの荷物持ちを何日も連続で文句なしに行えるかな?」 「そんなの、決まっています。働く場所がない以上、儲かっている行商の元なんて都合のよい場所で働けるならば……」 「まぁ、儲かっているのは事実だからな……だが、一人お伴を雇ってしまえば、お前が運ぶ荷物やお前用の防寒具に食料も買いそろえなばならない。そうなると少なくとも次の街へ行くまでの間は路銀に余裕が無くなりかねん。 だから、旅についてきても良いが、役に立たなかったらすぐに俺も追い出すからな?」 「はい、ありがとうございます!!」 なんとかエッサは取り入ることに成功する。これまで二つの隊商と三つの家族、二人の個人行商に断られただけあって、嬉しさもひとしおだ。本来の目的を忘れわけではないが、純粋に仲間にしてもらった事が嬉しくて、エッサの顔は笑顔に満ちていた。 そして、居候されていた農夫役のクシャナ=メタモンとは、この場でしばらくお別れだ。彼は、もう少しこの世界に慣れるまで遊んでいてもよいとのことで、期を見て今度は処刑場でちらりと見たシデンや、進化前の姿だけは覗いた事があるジュプトル――シデンとコリンの姿となって旅人を襲う。その第一の標的は、彼――後にエッサと自己紹介をしあう事になるアーカード=エーフィだ。 人の良さそうな奴ほど、殺された時に同情を誘えるし、仲間にもしてもらいやすい。そう言う意味ではアーカードは最高の適任だ。アーカードを殺すその時まで、精いっぱい仲の良いふりをして、気を許させて、そこで二人の姿をしたクシャナに殺されるのだ。 皆、残されたエッサに同情するだろう。そして、その後もクシャナ扮するコリンやシデンの姿をした者が罪を犯し続ければ、その内ジュプトルには高い懸賞金もつくだろう。そこで時の歯車をこれ見よがしに見せつけてみれば、きっと時の歯車を盗み続ける二人と、強盗殺人の二人は同一人物とみなされるはずだ。 その時こそ奴らの最後だと、煮えたぎる憎しみを糧にエッサはアーカードに気に入られようと尽力する。彼にとっては、過去の世界の住人など道具でしかない。 ---- ドゥーン「ふむ……この店もサニーの一押しか」 ヤミラミ「あのー……本来の目的忘れないでくださいよ?」 [[次回へ>時渡りの英雄第5話:成長する二人・前編]] ---- **コメント [#gf1bdf67] #pcomment(時渡りの英雄のコメントページ,12,below); IP:223.134.158.221 TIME:"2012-01-09 (月) 00:59:04" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E6%99%82%E6%B8%A1%E3%82%8A%E3%81%AE%E8%8B%B1%E9%9B%84%E7%AC%AC4%E8%A9%B1%EF%BC%9A%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BD%93%E3%81%A7%E6%96%B0%E7%94%9F%E6%B4%BB" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/5.0)"