[[時渡りの英雄]] [[前回へジャンプ>時渡りの英雄第1話:出会い・前編]] #contents **10:脱出 [#a1e456bc] そこの重苦しい雰囲気は並大抵のものではなかった。空気が淀んだまま時間が停止しているようで、深呼吸をすると思わず吐き気が襲ってくる。 その原因であると思しき物は、広めに作られたこの空間の中心にすえられた大きな柱。イワークやミロカロスのような 巨大なポケモンでも縛り付けられるであろうその柱と、その周りに散らばった血糊、肉片、そして残留思念とでも言うべきか、得体の知れない雰囲気だ。 三つ並んだ柱のうちの真ん中の柱。恐らくは見栄えの面でもっとも血を吸っているだろうその柱にエリックは縛り付けられて、麻袋を頭に掛けられて目隠しをされられている。その眼前にはドゥーンが立ち、処刑の段取りを踏んでいた。 「お前は、歴史を改変すれば我等この世界に生きる者達が消えるということを知りながら……それを正しく説明せず、この世界を破滅に導こうとした。間違いないか?」 エリックは覚悟を決めてはいたようだが、それでも震えていた。ただの斬首刑でも十分な恐怖である事は、当事者でなくとも分かる。 だが、今回の処刑方法はヤミラミたちによる乱れ引っ掻きで嬲り殺しだという。およそ想像もつかない激痛にのた打ち回って死ぬ……と言うことが、自分の眼前に迫っていると考えれば、血も凍るように体から熱が引いていくだろう。 ドゥーンの質問に答えるには、相当時間が掛かった。たった一つ、頷くだけの動作が体の震えに邪魔されて1秒・2秒・3秒……7つを数えた時点で、ようやくエリックは頷いた。 「なるほど……ならば、その罪深さはわかっているはずだ。その罪の重さを、な。楽な死に方は出来ない……だがその前に、何か言い残すことはあるか?」 「シャロット……」 いままで目をそむけていたシャロットが、か細く出されたその声をきちんと聞き取ってエリックに顔を向ける。 「私のようになるな……お前だけは何としても生きろよ」 「父さん!!」 シャロットが叫び、涙を散らす。今にも飛び出しそうだったシャロットの体には存外何の力もこもっておらず、心の拠り所として、シデンが軽くつないあげていた手を振り払う力すら無い。 「とう……さん……」 彼女は、駆け寄ったところで無駄であり、余計悲しむということを心の何処かで思っていたのか。シャロットは一度叫んだ後、下へうつむいて静かに泣くだけであった。 「娘の声を聞けた……もう、満足だ」 エリックは最後に穏やかな表情を見せる。 「……処刑、開始」 全員に聞こえるよう、太くよく通る声でドゥーンは宣言する。 「ウイィィィィ!!」 2匹のヤミラミが掛け声とともに躍り出て、縛られた縄の上に露出したエリックの顔面を……引っ掻く、引き裂く、抉る。 シャロットはその光景の全てを拒絶するように目を閉じ、耳を塞いで地面に伏せた。 ザクリザクリ、ピチャピチャ。塞いだ耳をかいくぐって、シャロットに知覚される音。聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない……その思いが彼女を叫ばせた。叫んで、自分の声で全ての音を掻き消すように。喉から血が出そうなほどに叫び続けた。 嫌だ、やめて、もう嫌…… その声は、エリックが事切れ、ヤミラミたちがその手を止めても止むことが無い。 いつしか、乱れ引っ掻きの最中で縄が切れたせいか、徐々に緩んでいた戒めからエリックは解かれ、その身を肉片と共に地面に伏した。 それでも、シャロットは耳を塞いで叫びながら伏せていた。 「シャロット……もう終わったぞ!」 コリンがうずくまるシャロットの肩を掴んで揺すり、大声を出す。ようやく以ってシャロットは父親の死を知った。 今度は、声を押さえることも無く、シャロットはコリンに飛びつき、押し倒して泣いた。 シャロットはあふれ出る悲しみと怒りをどこへ向ければいいか分からず、ただ目の前の何もかもが憎くて、コリンすら憂さ晴らしの対象に収めた。 シャロットがコリンを殴る、押し倒された。 もともと、セレビィは可愛らしい顔に似合わないほどの怪力を誇る種族だけに、コシャロットに殴られたコリンの骨が軋む様に痛む。一撃ごとに体が分解してしまいそうな衝撃をうけ、コリンは顔面を腕で守ることしかできずに呻いた。 一撃ごとに青アザが出来るそうな強力な拳が何度も、コリンの胸を叩いた。 「やめろシャロット!!」 コリンに凄まれ、その一瞬シャロットはコリンの物では無い血液が自分の拳から流れているのを見た。殴り過ぎた拳は、自分自身すら破壊していたのだ。不思議と痛みが無いことに、震える目で戸惑っているその隙に、コリンがシャロットの腕を掴んで逆に組み伏せる。 「離せ!!」 押し倒された事に気がついたシャロットがわめく。 「シャロット!! 何やっているんだよ……」 シャロットを組み伏せたコリンは、深い悲しみを込めた目で、シャロットの体に涙を落した。 「……離して。離せっ!!」 シャロットは震える声で呟くと、コリンの腕に噛み付く。 「つぅぁ……」 コリンが呻きながら顔をしかめる。 「やめろよ……シャロット……」 痛みよりも悲しみで涙を流し、コリンは懇願した。そのコリンの視界に不意に巨大な影――ドゥーンが現れてシャロット首根っこを手掴みにしようとする。シデンはその気配に気づいてその手を振り払って睨みつける。 「何のつもりよ、ドゥーンさん!?」 「無論だ。お前らを活かすなどという妄言は、エリックを葬るための方便だ。厄介者が去れば次はお前ら、という事さ。 潜入捜査に入った同胞をことごとく暗殺した手腕のある父親だ……奴を始末する手前、お前らを生かすように言ってそそのかして、死を選ばせたが……エリックが死んだ以上、人質のお前を生かす意味は無い」 実際、ドゥーンの考えは間違っていない。どうあがいても皆殺しという事になればエリックもセレビィゴーレムにフォルムチェンジするしかなかったが、責任者が一人首をくくれば許そうと言われればエリックも自分の命の一つくらいは諦めが付く。そして、大将首であるエリックを倒してしまえば星の調査団は殆ど烏合の衆。 彼らのホームであるこの場所で戦えば、時の守人達が勝つのは明白である。流石のシデンも、ここで他戦うのは得策ではないと、逃げる算段を始める。 「つまり、自分達も殺す……と? エリックさん、そんな馬鹿みたいな事に引っ掛かってしまったわけね……藁にもすがる気持ちってこういう」 自嘲気味に独り言を漏らすシデンの質問にドゥーンは全く表情を変えることなく口を開く。 「そろそろ御託は良いだろ……グァェツ」 言ったそばからドゥーンの腹にある口の中へ攻撃が放たれる。エアームドの羽根で作られた、白く輝く鋭いナイフが煌めいて、それは喉の奥に深く突き刺さった。シデンの投擲したナイフで口内をやられ激痛にひるんでいる間にシデンはドゥーンの腹に蹴りを加えて、シャロットの頭を鷲掴みにその場を脱出した。 「歴史を変えて何が悪い!! こんなくさった歴史なんて糞喰らえだ!!」 コリンも捨て台詞を残して、シデンへと追従する。ドゥーンが口の中に突き刺さったナイフを取った頃には、シデンはシャロットを連れて、道を蹴り開くコリンと共に逃げていた。 コリン達の行動から数瞬遅れて、感化された星の調査団の面々も我先にと逃げ回っており、コリン達一行は、この大混乱に乗じてドゥーンに連れてこられた建物の内部を逃げ回る。この建物の地理に疎いコリン達は迷いに迷い、たまに穴を掘ったり壁によじ登って身を隠しながら脱出経路を探す。 その過程で偶然見つけたのは、光が射す部屋であった。 「なんだ……この美しい光は……」 柱のような光が差し込むその部屋は天井が破れており、そこには青い色をした植物が青々と茂っている。 この物ではないようはあまりにも美しい光景に、コリンを含む3人は思わず言葉を失ってしまった。 シデンが、傍らに置かれてある岩に碑文のようなものが描かれているのを見て、それを読み上げる。 「『【進化の領域】 時が停止することで進化する手段が失われたこの世界において唯一進化できる場所。 ディアルガの力が働いているこの場所は、唯一時が正常に流れる場所につき、進化を可能とします。 進化する場合、以後潜入捜査は禁じ、もっぱら殲滅や暗殺任務へ就く事とする。 この部屋の施設を勝手に使用した者については食料の配給のカットなどの懲罰、場合によっては懲罰の対象とする可能性もあるため、必ず上司へ相談すること』 つまりこれって……ヨノワールが自我を持ったまま進化していたのも、これのおかげ……? コリン、進化できるかもよ?」 思いがけず訪れたチャンスに、コリンはこんな時でありながら心が躍った。 「進化……か。やつら……皆殺しにするとか物騒な事を言っているし、これから先は否応なしに戦いになるだろうからな……進化で力をつけるのも悪くはない……時間はないが、ここはやるっきゃないか」 コリンはシャロットを今田泣きやまないシャロットをシデンに預け光の柱の中に入り、目を閉じる。 不意に体がそのまま燃えてしまうのではないかと思うほど熱くなり、コリンはそのあまりにきつい感覚に耐えるため、ぐっと歯を食いしばり手を強く握った。 一瞬、ふっと体が軽くなったかと思うと、次の瞬間に見た自分の手は、見慣れたものではなかった。 顔の大きさはほとんど変わっていないのに背が大幅に高くなったために頭身が増えたようである。 頭の後ろにはポニーテールの様な葉が垂れ下がっていて、尻尾は軽い2枚の葉っぱに変化していた。 太ももの筋肉は、キモリとは比べ物にならないほどに強靭になり、重くなったはずの体が、むしろ軽く感じられる。腹には一本の赤い筋模様が入っており全体的な緑は濃い色に、赤は淡い色となる。 腕についた葉っぱは状況に応じて強力な刃となり意のままに固めたり軟化させたりできる。 いま、そんなことを考えている余裕は無いが、腕の葉は絵を描く時には少し邪魔になりそうだが、腕に巻いておけば問題はなさそうが、指が二本になってしまったことで、絵を描くのには前の方がよかったのかも知れない。 「どう、コリン?」 「力は増した気がする……だが、俺のことよりも……今更だけれどシャロットは大丈夫なのか」 シデンが抱いているシャロットは、泣き続けたまま止まらない。 「ダメでも……逃げるしかないでしょ。それより……もう一段階の進化も出来るかも知れ……」 「いや、無理だ。耳を澄ませてみれば分かるが……敵が近付いている……個々には隠れる場所も無いし、明るいから穴を掘ればばれてしまう。そろそろ強行突破して建物を脱出しなきゃ」 シデンが言い終えたと同時に、時の守人の手によって開かれた扉。扉の前で待ち構えていたコリンは扉を開いた者の首を切り裂き、外へと抜けた。 **11:自棄糞の逃走 [#h2e4725b] **11:自棄糞の逃走 [#x62ee13d] 父さんが死んだ……嫌だ。なんでこんな目に……痛かっただろうに、私のあんなふうに死ぬの? 嫌、あんな死に方したくない、怖い……怖いよ。 ドゥーン……あいつのせいだ、酷い。酷過ぎるよ……あんな殺し方して、最終的に皆殺しだなんて何を考えているの? 酷い、怖い……嫌…… シャロットは、悲しさと恐怖のあまり、震えて縮こまる。コリンの目的を叶えるためなら死んでもいいとすら思っていたシャロットだが、父親の死を目の当たりにした彼女は、打って変って死を恐れるようになっていった。 しかし、その反面で父親を失い心の支えをなくしたシャロットは、それまでに一番心を寄せていたコリンに向かっての恋心を盲信とも呼べる域まで成長させる。更に、『こんな世界なんて消え去ってしまえば良い』と、『死にたくない』という考えとは矛盾した&ruby(やけくそ){自棄糞};な思考を持つにいたる。 『死にたくない』と『死に近づいてしまう事をしたい』の板挟みにあって、シャロットはわけが分からなくなる。どちらを諦めればいいのか考えてみたが、結局どちらも捨てきれず、その内シャロットは考える事を止めた。 簡単な事よ、死にたくないなら生きる意味をなくせばいい。 心の弱った彼女は、大切な物を失う事を求め始めた。まるで、狂ってしまえれば楽になるとでもいうかのように。 この世界に立ち込めた闇を欲したシャロットに、世界はこう言う時に限って良く応える。時間も空間も世界との繋がりも常識が通じず、心さえも常識が意味を為さないこの世界で、シャロットはより一層心を壊していった。 「シデン……コリン……」 シャロットは、シデンの腕から抜け出すと背中の翅をはためかせて浮き上がり、ゆっくりと振り向いた。 さっきまで散々泣き腫らした目は赤く充血しているが、精神状態の方は少し落ち着いたようだ。血の乾いた腕で何を殴るでもなく、可愛らしい小さな歯で噛み付くこともせず、ただ悲しげには羽ばたきながら浮かぶだけだ。 コリンも一緒になって瞼を泣き腫らしていたのか充血している。シデンは、ただ悲しそうな目で以って黙ってシャロットを見ていた。 「ねぇ、二人とも……やらないかしら? 私たちだけで……」 自分の目が乾いてきたのを感じた頃、彼女は切り出した。 「私の言葉は落ち着いて聞いてね……深呼吸して、絶対にびっくりしたり挙動不審にならないって約束して。大体予想はついていると思うけれど」 「あぁ」 「う、うん……」 「私たち三人で……歴史を変えるの」 コリンは、拍子抜けしたようにため息を突いた。 「ある程度予想をしていたとはいえ……前置きを言ってくれて助かった。だがいいのか、それで? このまま目立つ行動をしようものならお前も父親のようになってしまうかもしれないぞ? それは、父親の望む所では無いんじゃないのか? 第一、俺だってヤミラミの乱れ引っ掻きなんて死に方はご免だ」 シャロットは咲った。 「あら、そういうものですか? 女は醜い死に様を晒したくないからああいう無茶はしない……と? うふふ、違いますよ。女性と言うのは本当に求めるモノのためならば、意外と&ruby(したたか){強か};に成れる物なのですよ。 例えば、産卵の辛さを男に耐えられると思いますか? 耐えられる男だっているでしょうけれど……そういうのは女性の方が強いです。それと同じ、こういう時の度胸は女に一歩譲るものですね。それに、どうせ黙っていても殺されるなら……やるだけやって、笑って戦い抜いて死にましょうよ」 目が充血して赤くなっていて、それを見ただけで泣き腫らしたと分かるのに、無理に取り繕ったような笑顔を浮かべて、シャロットは言う。 「だからって……いや、俺もそうしたいとは思っていたけれど……セレビィが……時渡りできるポケモンがいなきゃどうしようもないと思っていたから、確かにお前が居てくれて丁度いい。 が、俺はお前の気持ちを考えて、どこかに逃げてひっそりと暮らして……諦めるつもりだったんだぞ? シャロット……お前はそれでいいのか?」 「父さんの事は……大丈夫なの?」 コリンとシデンが、それぞれシャロットを気遣う。 「父さんの事なんていまさら……死んじゃったんですよ? 負担を考える必要もない……もうなにも怖くないです。私に失って恐れるべきものなんて、私の体だってその対象に入らない……もう、失いたくないモノは貴方達以外にはなくなりました。 いえ、一つだけ恐ろしい事はありますが……それは行動しないと現実になってしまうことだから。さぁ、早くしないと……手遅れになりますよ……早く行動しましょうよ」 目が座っているシャロットに見つめられながら唐突に決断を迫られた二人は、どこにもピントを合わせることなくただ目を開けていた。 不意に、シデンが自分の手を握られたのを感じると、その腕の先にコリンがいた。 「シデン……俺は行くよ。過去の世界に行けるチャンスをみすみす逃したくは無いし……それに、もう&ruby(ヤケクソ){自棄糞};だ……朝日を取り戻すとか、そんなのもうどうでもいい……あんな奴らが居る世界なんてもう嫌だ。こんな世界全部消してやる」 コリンも、今回の件でこの世界にほとほと嫌気がさしたようで、今まで自分が過去へ行きたいがために時の歯車についての情報を集めていたが、今回の件で星の調査団はほぼ全壊。コリンのコミュニティも散り散りになってしまって、もはや寄る辺も帰る場所もない。 失う物が何も無くなったコリンは、復讐に生きるのも悪くないと、難しい事を考える力を放棄した頭の中でそんな感情が芽生えた。 「そう、コリンはやるんだ……じゃあ、仕方が無いね。自分も参加させてもらうよ……二人とも、改めてよろしくね」 コリン以上に考える事を放棄しているシデンは、コリンの言葉に付和雷同する。シデンの言葉に二人は頷くと、処刑が行われた建物からくすねてきた荷物を担いだ。 「その前に……皆さん誓ってもらえますか?」 出発を目前にして、シャロットは二人を見回す。 「何をだ?」 コリンが尋ねる。 「私だけ盛大に泣いておいてなんですが、もう……泣かないって」 「いいぞ。もうこんな世界で涙を流すのすらもったいない」 「コリンもこう言っていることだし、そうしましょうかね……」 二人は頷き、それに合わせてシャロットも頷いた。 「ありがとうございます……行きましょう……時渡りをするには、時の回廊と呼ばれる場所に行く必要があります……それが、今は南に」 こうして滑り出しは順調のように思えたが、敵もそこまで間抜けではないようだ。 「まさか、逃がしちゃうだなんて、やっぱりドゥーンは甘いね。ふふ、でも父親には娘を生かしておくなんていって、それはエリックを確実に殺すためのフリ。結局全員を殺そうとしたのは、時の守人として合格だけれどね。 でも、残酷になるんなら徹底的にやらなくっちゃ……そのためには、皆殺しなんて乱暴な手段はダメだよねん。ふふ、コリンもシャロットもシデンも、敵ながら見事だよ……ドゥーン様、結構隙が無いっていうのに、それに一撃与えちゃうんだもの」 その一部始終を見ていたケビンは、独り言とは思えない声で口にすると、先程惨劇があったばかりの詰め所へ戻る。 そこで、自身の部下の中でも機動力の高い精鋭を選ぶと逃避する三人を追っていった。 **12:人質なんていなかった [#ye1ac15d] **12:人質なんていなかった [#r58441e1] 逃走中の三人は、最短ルートである空間の洞窟を通らず、入り組んだ地形の森林地帯を抜けて走りぬける。懐中時計を信じるならば短針3周分の時を歩き倒しの疲れがころあいに達したために、固くて食えたものでは無い植物の繁茂する森林地帯の草影にて体を休めていた。 火をたてれば見つかる恐れがあるために、悠長または快適に休んではいられない。 そのため、ダンジョン内で殺傷したブーピッグの肉を調理する暇も余裕もないとばかりに、内臓を滴る血に染まりながら無造作に食している。 その時不意に感じた不穏な気配に、シャロットは二人をサイコキネシスで操った小石で小突き、後方への集中を研ぎ澄まさせる。 特に、瞑想により外部にパッと見で&ruby(ヽヽ){それ};と分からないように戦う力を蓄えることの出来るシャロットは、その時点から集中して体の内に力をためる。 「はいはい、お疲れさん」 気付かれていることに気付いたのか、均衡を破ったのはケビンの声だった。その声にシデンとコリン二人が身構える。 コリンは腕の葉を硬質化させ、シデンはエアームドの羽を加工したナイフを構えた。 「無駄だよ無駄。このメンバーを見てごらんよ」 後ろに控えていたのはガブリアス、ボーマンダ、サザンドラなど、機動力の高そうな面々だ((というか、厨ポケばっかりである))。皆一様に氷タイプの技に極めて弱いが、生憎コリン達の中にそれを使える者はいない今、実質的な弱点はコリンが使える龍の波導など僅かばかり。 それらを従えているのは小さなエイパムのケビンだが、そいつはエイパムでありながら恐らくその3人より強いと言えるだけの実力はある。 「なるほど……俺たちを狩る準備は万端って訳か」 「追手が来るのは予想はしていたけれど……あのドゥーンとか言うヨノワールが居なかったのはもらいものね」 身構えたコリンとシデンは、シャロットの時間を稼ぐためになるべくゆっくりと話す。 「ほう……幸運って言うのかい? あの小うるさいドゥーンが居なければ俺が好き勝手に出来るって言うのに……むしろ君たち恵まれていないと思うよ? 俺は確かにドゥーンより弱いけれど……君達、俺を過小評価しすぎんじゃないのかなぁ? 確かに負ける確立も無きにしはあらずだけれど……例えばほら……ドゥーンが居なければこんな事だって出来るんだよ?」 お披露目するようにボーマンダが仰々しく場所を移動し、コリンたちにとっての死角に居た者が露わになる。そこに居たのは、見慣れた二人。 「ジャックさん……それに、エレン」 リベラル・ユニオンのリーダーであるスバメのジャック。女性と無節操に関係を持ちまくっている間に出来てしまったコリンの実の娘、キモリのエレン。この二人が口には猿轡腕や翼は縄で縛られている上に、サザンドラに縄を持たれて身動きできないようだ。 「人質って訳かよ……」 卑怯な……と、言いたいところだが、元々リベラルユニオンは『戦いになったら死ぬことも厭わない』って約束した仲だ。遠慮する必要なむしろない……存分にやってやればいい――ケビンの想いとは裏腹に、コリンは人質に動じないよう心がける。 それでも、実の子や世話になったコミュニティのリーダーが殺されるとあれば、完全に平静を保つことは不可能で。どうにか助けだす手段は無いものかと考えるコリンが居る。 「はいはい……ドゥーン様、こういう風に人質取るようなこと嫌いだからさ」 クスクスと笑いながら、ケビンは『結局嫌いながらもやるけれどね』と、付け加えてもう一度笑う。 「さて、どうするんだい? おとなしく自分で首を切り裂いてくれるんなら、この子達は平穏無事で返してあげてもいいよ?」 手を叩き合わせてパンパンと乾いた音を立てながら、ケビンは笑う。 「確かに仲間二人の命は大事だが、それで俺たちが諦めるわけには行かないんだよ」 「……同じく」 コリンとシデンは平静を装った。ジャックとエレンは目隠しをされたまま恐怖におののいた表情をして、猿轡のせいで何を喋っているのかも定かではないが、コリン達三人に降伏するように懇願しているような表情だ。 シャロットは最初から人質など見ていないが、シデンとコリンはたまらず目を逸らした。 「おお恐い……なかなか言うねぇ。だが、その覚悟とやらもどこまでもつんだかね?」 なんとでも言っていればいい――コリンは剣の舞の呼吸法と呼ばれる攻撃力を高める技法を用いて、一太刀の下に切り捨てられるくらい、体を作りかえる。 「能書きばかりだな……怖気づいたか?」 準備万端のコリンは安い挑発をかます。 「口しか動かない奴には私達は倒せないわよ?」 挑発するコリンとシデンに、ケビンは鼻で笑った。 「ふん……そうだね。行け!!」 コリンたちへ長い尻尾を向けてケビンは命令を下す。全員の身構えた肉体に力が籠った。 まず、最も瞬発力の高い紺色を呈する二足歩行肉食恐竜型ポケモン――ガブリアスがこちら側へ向かって突進する。 右腕が利き手らしいガブリアスは、予備動作に右手を後ろに下げる。 相手から見て左側でナイフを構えていたシデンは、視線が自分に向いていることから自分に向かってくると考え、手に持ったエアームドのナイフ――本来は投擲用では無いそのナイフを、ガブリアスの鼻めがけて無造作に投げる。 この際狙ったのは、反射的に目を瞑ったり、よしんば血が目に入って一瞬視界が不良になったりすることであり、殺傷ではない。 眼球に攻撃が当たり……と言う事になれば万々歳で、そもそも投げるモノはナイフでなく石でも木の枝でも構わない。 音速とも称されるそのポケモンの瞬発力には、必ずしも反応速度は比例するわけではない。 ナイフが一直線にガブリアスへ向かってきたとも、自分がナイフに一直線に向かっていったともいえる状況。ガブリアスがナイフが投げられたことを知るのは、自らの顔に傷を負うまで叶わなかった。 顔に当たって、僅かに傷が付いてからようやくガブリアスはその存在を知覚して目を瞑り、目を瞑ってからようやく痛みと血糊に気が付き、それを拭おうと静止した。 シデンはその一瞬の隙に右手でもう一本のエアームドのナイフを取り出し、順手に持つ。そのまま距離を詰めて腹を刺し貫こうと腕を突き出した。致命傷を負わせる自信があったシデンだったが、すんでのところでガブリアスは気が付き――しかし、血のせいで片目が塞がっていた最中に行われたシデンの攻撃に間合いを測りかねていたのだろう。弾き返す事もいなす事も難しく、半身になりながら、大げさにシデンから見て右側にサイドステップを行うことでその身を逸らした。 シデンのナイフによる一撃を大げさにかわしたガブリアスは、すぐさま回避から攻撃に切り返してアッパーカットの要領で鉤爪のついた腕先のヒレを振りぬく。 シデンは、龍の波導を纏うガブリアスのヒレを、ナイフで受け止めようとして弾き飛ばされた。持っていたナイフが頬を掠めるように頭上へ飛び、シデンの腹にはガブリアスの鉤爪が刺さっていた。しかし、ナイフに怯んだその一撃は、丈夫になめした毛皮を貫くには至らないほど弱々しい。 ダメージはシデンではなく、もっぱらガブリアスにある。彼の腕のナイフで受け止められた部分が深々と切り裂かれ、恐らくは骨まで達していることだろう。 酷いダメージを負ったガブリアスは、右腕を押さえてシデンを睨みつけた。シデンの腹にはまだ痛みが残っていたが、ガブリアスの腕の痛みに比べれば小さなもので、シデンはそのままガブリアスの腹に蹴りを叩きこむ。 ガードが甘くなっていたガブリアスは為すすべなくその蹴りをもらい、左腕を左右に振って牽制しながらたたらを踏みつつバックステップ。酷く顔をしかめた表情で、シデンと大きく距離を取った。 ◇ コリンはもう一人、青緑に赤と言う目に痛い体色の4足歩行型の四肢に翼の生えたポケモン――ボーマンダを相手にしていた。 ボーマンダ相手には相性が悪い、種マシンガンやエナジーボールでけん制するくらいしか上空に対する攻撃能力のないコリンは、上空から龍の息吹によって一方的に攻撃しする戦法に苦戦を強いられる。 コリンはバックステップで息吹を交わしたが、ボーマンダは翼によって空気の刃を生み出すエアカッターを矢継ぎ早に繰り出す。息と翼の二段攻撃に相手は特に疲れた様子もないが、必死で逃げる立場のコリンは焦りが見える。 一方ケビンは、威力の低い技を上手く扱えるエイパムの特性を活かした星型の弾丸を飛ばす技、スピードスターを放ち続けてすばしっこいシャロットを捉えようと懸命になっている。相方であるサザンドラも人質を掴んだままトライアタックの応酬で援護しているが、それでもシャロットは捉えられない。 この世界の住人には伝わらないであろうが、シャロットに攻撃を当てる事は舞い散るこの葉を掴むように難しい。 「くそ、そっちがそのつもりなら人質を軽く炙ってやれ」 ケビンは敵を動揺させてやろうと命令を下す。たった今命令を受けたサザンドラの口からは火炎が放たれ、人質二人の体の表面を軽く焼き焦がす。猿轡をされているために大声は出せないが、その分耳に長く残るような呻き声が漏れ出た。 コリンとシデンは耳を塞ぎたくなりながら、その気持ちをを堪えてボーマンダの攻撃を避け続ける。と、そこでとんでもない事が起こった。 小さな体で懸命にスピードスターの弾幕を避けていたシャロットが、サザンドラに対して彼奴の身の丈をゆうに超える直径をもつ巨大なシャドーボールを放つ。スピードもおよそ避ける避けないのレベルではなく、恐らくサザンドラは敗北を理解することすらできまい。 「な、あ……どういうことだい、これは?」 流石のケビンもこれには冷や汗ものだ。シャロットが初めて放ったこの攻撃で、サザンドラは一撃だった。人質の盾も意味をなさず、首の先にある顔は原形を失って体ごと地面に崩れ落ちる。 「人質なんて……最初から居なかった。あんなのはサザンドラの動きを制限するための足枷でしかなかったの……どうせ、私達が負けたらあの二人を父さんみたく残虐に殺すんでしょ!? なら、コリンやシデンを動揺させる前に、今ここで死んだ方が彼らのため……そうでしょ?」 ぶるぶると、遠目からでもわかるほどシャロットは震えて独り言を漏らす。 「エレン……マジかよ」 シャロットや人質の様子を見て、コリンは娘の名前を呟きながら呆気にとられていた。ケビンはその隙を見計らってスピードスターを放つ。コリンはスピードスターを放たれた事に気くと、どうせよけられないだろうと開き直って、波導の力で伸ばした腕の葉で急所をかばいつつケビンへと突撃する。 **13:血を血で洗う [#iad08e7c] **13:血を血で洗う [#w72cee69] 「てめぇ、よくもセナをやりやがったな!!」 ボーマンダにとってそのサザンドラは大切な仲間であったのか。セナという名前らしいその名を呼んでボーマンダは激しく怒り狂ってシャロットに踊りかかる。 「お互い様でしょ……」 シャロットは殆ど唇を動かすことなく舌の動きだけ音を形作ってで言い返す。そんなんじゃまともに性量も出るわけないので、彼の翼の音に其の声はかき消されて聞こえない。如何に瞑想で強化したとはいえ、最大最高の威力でシャドーボールを放ったばかりのシャロットの手は痺れ、まだ次の技を放つのは難しい。ボーマンダがエアカッターを放つが、シャロットは次の攻撃が行えるようになるまではじっと耐え忍ぶことしか出来なかった。 とでも、ボーマンダは思ったのだろうか。実際、シャロットの腕は震えて数十秒の間は使い物にはならないだろう。エアカッターと龍の息吹の隙間を縫うように迫ったシャロットは、そのユリの根のような頭部に思念の波導を集中させ、頭突きを放つ。 顎を狙ったその頭突きを、ボーマンダは首をもたげて致命傷を避けて見せる。だが、勢いそのままに前脚の付け根を攻撃されてしまい、大きくバランスを崩して彼は地面に不時着する。そうして、再度飛び上がろうとしたところを、シャロットは濡らした地面を蹴りあげて泥をかける。 あくまで、特殊技や手を使う技は一時的に使えなくなってもそれ以外なら大丈夫だと言わんばかりのシャロットの猛攻。顔を逸らしてなんとか両目が塞がれる事は防いだものの、片目が塞がって立体視が出来ないという飛行するポケモンにとっては非常にまずい事態へと陥ってしまう。 しかし、これ以上地上に留まっていてもやられるだけ。シャロットにこれ以上何かをされる前に取るものもとりあえず、ボーマンダは空に飛び出した。シャロットの腕はまだ回復していないが、それももう時間の問題。回復される前に勝ちに持ち込もうと、ボーマンダは大きく牙を剥いて炎を口の中に籠らせた。 ◇ 遠くから聞こえたサザンドラの悲鳴と、悲鳴すら上げない人質の肉片が飛び散る音にシデンは戦慄し、硬直した。冷静沈着なガブリアスはシデンの心に隙が出来たところで龍の波導を全身に練り上げドラゴンダイブの準備。駆け抜けるようにして距離を詰めて、体当たりで攻撃しようという算段のようだ。 シデンが気が付いた頃には、まともな避け方では避けることは出来ないと判断した。シデンは力こそ強いが、ポケモンのように技に&ruby(タイプ){波導};を纏う事が出来ず、それゆえに攻撃能力は存外低い。 ならば、と体ごと向かって来る捨て身の攻撃を仕掛けたガブリアスの判断は正解であった。しかし、いくらガブリアスが全身に龍の力を纏ったとて、攻撃に使用しない部分まで龍の力を纏わせるような事はスタミナを無駄に消費するだけで威力にも伸びが出ない。 つまる所、ガブリアスのドラゴンダイブは足までカバーされていない。敵の体当たりが衝突するその前に、シデンは体を丸めて受身を取りながら地面に転がる。頭突き近い形で攻撃しようとした、思いがけない行動をされて転ばないようにジャンプし、あわよくば地面を隆起させ攻撃する技――地震にシフトしようと、尻尾を地面に叩きつけるようにして下に振り、足と連携して反動で跳躍する。 跳躍したが、高度が十分になる前に、眼前に迫っていたシデンに躓いて派手に転び、背中――ひいては尻尾から地面に突っ込んで、転がりながら背びれや尻尾を存分に痛めつけた。 体の構造上、仰向けにもうつ伏せにもなりにくいガブリアスは横向きに転がっていた。 シデンは地面に転がった際に蹴り飛ばされた時の勢いを利用して、勢いを殺さぬように丸まったまま仰向けを経て半回転。 右手をついて立ち上がりつつ、一瞬でバランスを整え、クラウチングスタートの要領で低い姿勢からガブリアスと距離を詰める。ガブリアスの頭がこちらに向いていたら首や眼球を踏みつぶし、腹や股間がこちらを向いていたら、股関節を狙い金的蹴りするだけだ。 今回は背中がこちら側に向いていた。背中のヒレに切れ込みのないのを見て、そのガブリアスが雌であることが分かったが、この際そんなことは関係ない。 走る途中、失敗したドラゴンダイブの際に蹴られた場所が酷く痛んだが、歯をくいしばってシデンは耐える。 シデンは極端な前傾姿勢も収まらないうちにヘッドスライディング。転んで呻くガブリアスの左腕を掴み取る。 そのまま、シデン自身は体を捻りながら、相手をうつ伏せの体制へ持っていき、手にとったガブリアスの左腕を背中に回す。体にのしかかりながら地面に固定して、左腕を体の後ろ側に引き寄せて一思いにへし折り、腕を離した。 それでガブリアスはようやくシデンの関節技から解放された……とはいえ、腕を脱臼したガブリアスから戦意は最早感じられず、&ruby(ほうほうのてい){這う這うの体};で、逃げ去ろうとする後姿を、シデンは追う。 ガブリアスの音速と称される瞬発力は、脚と腕ヒレと背ビレが一体になって生み出されるものであり、右も左も酷く傷ついて腕の動きを失ったバランスの取れない今のガブリアスでは、シデンの足より少し早い程度であった。 それで、追いかけるシデンに恐れをなして無理に足を動かそうとすれば、当然のように彼女は転ぶ。左肩をかばうようにして、右肩を下にして倒れたガブリアスの股間を、シデンは蹴り飛ばした。 背ビレに切れ込みがなかったことから雌であり睾丸は無いものの、股関節は男女問わず弱点である事に変わりはない。卵巣を叩き潰すようなシデンの容赦の無い蹴りに、痛みをこらえようと右ヒレが股間にかざされた。 シデンはこれ幸いと、無防備になった左肩を無造作に蹴りとばし、痛みで嬌声をあげているガブリアスの喉を間髪入れずに、一番体重を込めやすい踵で踏み潰す。シデンはガブリアスに呼吸一つ許すつもりはなく、念入りに3回踏み潰した。 踏みつける事により、血を吐いて白目をむいたガブリアスにとどめを刺すべく、シデンは先ほど弾き飛ばされたナイフを回収する。意識の無いガブリアスの頸動脈めがけて、シデンは逆手に持ちかえたナイフを首に突き立てた。 高い血圧の血管から勢いよく鮮血が噴出し、ガブリアスは痙攣した。顔に浴びた返り血を腕で拭いつつ、シデンはため息をついて立ち上がる。 「コリン……シャロット……」 まずは一人を撃破したところで、ようやく仲間を心配する余裕が出来たシデンは、ナイフを傷口から抜いて仲間の元へと走った。 **14:深緑 [#k440a888] **14:深緑 [#sbdb3046] 一方ではコリンが苦戦を強いられていた。ケビンのスピードスターに向かっていったは良いものの、コリンの横薙ぎの斬撃も、逞しい太ももから放たれる前蹴りも、ケビンは簡単に避ける。 コリンに接近されたら、次は逆立ちから鋼の波導を纏った尻尾を振りおろす。コリンが右腕に付いた葉でそれをいなすと、反撃に左手でリーフブレードを出してみるが、ケビンは伏せて避ける。 伏せたケビンに蹴りをかまそうとすると、ケビンは真っ向から額で受け止めコリンの脚の甲に対してむしろダメージを与えた。更に、伏せた体勢から立ち上がりざまに尻尾の爪によるひっかき攻撃が飛び、コリンの脇腹に鋭い3本線を描く。 先程からコリンは全く攻撃出来ていないが、ケビンは的確にダメージを積み重ねる。 「酷いなぁ……死んでいった人質も君に裏切られたと思っていることだろうねぇ」 「黙れ!!」 ケビンによるスピードスターを用いての変幻自在の攻めに翻弄され、攻撃をしようと思えば足元に潜り込まれ、蹴り飛ばそうとすればすれ違いざまに腹を引っ掻かれる。シデンが善戦していた頃、コリンはすでに傷だらけだ。 「何が裏切られただ!! 元はと言えばお前らが人質を取るから悪いんだろうが!!」 「でも、シャロットちゃんがやった事は変わらないよ? 仲間や実の子をを殺す仲間なんかと一緒にいても大丈夫なの?」 ケビンがコリンに飛び掛かる。ケビンからすれ違いざまに腹を引っ掻かれたあと、コリンは後ろを振り向いてみるが、ケビンの姿はすでに地面に立ってはいない。背中に、風切る物体の気配を感じたころには尻尾が首に絡み付き、コリンの首を絞めつける。 コリンに出来るのは、相手の尻尾や、下半身に巻きつく足を引っ掻くくらいで、引っ掻かれたケビンの尻尾から確かに血は出るものの……その程度で敵が自分の体から離れてくれるとは思い難い。 活路を見いだせないコリンは、ケビンの耳を掴み、無造作に引き千切る。案外と言えばあまりにもお粗末だが、コリンの、森の中を自在に移動できる握力の高さゆえ、ケビンの耳は案外簡単に頭部と泣き別れをする。 耳を引きちぎられる耐えがたい激痛にケビンは嬌声を上げたものの、それでもコリンの首から離れるようなことはせず、そのまま締め付ける尻尾を緩めはしない。 コリンは薄れゆく意識の中、絡みついた尻尾の先端――指のような部分を掴み引っ張る。微かに鈍い音が聞こえ、尻尾の先の関節が折れる。 ようやく以って首に巻きついた戒めが緩んだ。 この、逆らえば逆らうほど痛くなる種類の痛みには流石に参ったようだ。コリンは尻尾が緩んだ隙に、体に絡みついていた足を振り払い、左手でケビンの右足を引っぱり、肘で金的を加える。 この金的攻撃で首の戒めは完全に脱力。指から指輪を引っこ抜くように尻尾をスライドさせて、尻尾の戒めは解かれた。 だが、金的の威力はたかが知れている――と、コリンが思うのは、コリンが睾丸を体外に露出させていない、哺乳類系とは違う体の構造であるからなのだが、それは奇しくも正しい判断だった。 もちろんクリーンヒットすれば睾丸を露出させている生物の雄なら誰しも悶絶するほどの痛みだが、今回のコリンの一撃は肘が掠めた程度であり、裸締めによるコリン自身の体力の低下のせいか肘打ち自体の勢いも足りなかった。それでも効果は十分にあったわけだが。 「喰らえっ!!」 戒めから解かれたコリンは、首絞めから解放されて大きく咳払いをすると、振り向きざまにバックステップを取りながら溜めなしの小さな――否、存外に大きなエナジーボールを放つ。 所詮牽制のエナジーボール程度、真っ向から受け止めて追撃に回ろう――と、考えていたケビンはその威力を正面から喰らって、吹っ飛んだ。 コリンは自分がエナジーボールを放った手を見る。手のひらには、突如として生殖器を自慰したような快感が走り、たまらず武者ぶるいをしている。 これは……俺の特性、『深緑』? ピンチの時に発動する特性とは言うが……こんなもんが発動するほど俺ってピンチだったのか? そう思い、コリンが自分の体を改めて意識すると、いつの間にか体の疲れが気になっていない。まずいな、とコリンは特性の影響で浮ついた頭の中で思う。気が付けば、コリンの体は異常に軽く呼吸も苦しくない。景色も嫌に鮮明に見え、むしろすごく気持ちいい。麻薬を吸っていたコミュニティの仲間が言っていたような光景と特徴が一致した。 だが、この状態は体に悪い聞く。早いところ決めなくてはと、コリンは深く腰を落とし待ち受ける構えを取る。 ケビンの方もこれ以上深緑の特性によって強化された攻撃を受けてはまずいと判断して、自分の体の痛みをおして、矢継ぎ早の攻撃を繰り出す。覇気を纏わせた尻尾を、矢継ぎ早に振り抜くダブルアタック。パンチの要領で突きだした尻尾を腕の葉で二回ともいなされ、今度は尻尾に鋼の波導を纏わせコリンの側頭部に叩きつけるよう切り替えす。 左脚を軸に体を時計回りにひねりながらをアイアンテールを繰り出したが、深緑の特性が働いているコリンには、ダブルアタックよりも襲いその動きなど止まって見えた。コリンは上体をエビ反らせてから、半身になりつつ地面に右肘をつくことで尻尾を避ける。ダンスで言うスウィーピングという動きのように、地面についた右手を手掛かりに右足を浮かし、反回転して切り返したところで右足・左足と、着地してからまわれ右。 一足遅れて先ほどまでコリンの背後だった位置に着地した直後のケビンはコリンに背中を向ける体制で、コリンは逆にケビンの背中が正面にあった。 これ幸いと、コリンはケビンの両脚を掴んでテイクダウン((タックルのこと。相手を転ばせる))をかまし、うつ伏せに組み伏せる。ケビンが起き上がろうと地面に着いた手は、深緑の特性で鋭さを増した腕の葉で串刺しにする。もうケビンの腕は使い物にならない。 「早いところ、死ね!!」 更にコリンは、暴言を吐きながらケビンの頭を掴んで、何度も何度も額を地面に叩きつける。血が出ても、ケビンがうめき声をあげても叩きつけるのはやめず、ただひたすらにケビンを殺すために腕を上下せる。 こうなってしまえばもう勝負はついていた。まだまだケビンは意識が残っているせいか足掻いたが、力尽きるのも時間の問題だろう。 そんな意地の張り合いをしている最中に、先程ガブリアスを倒したシデンがぬっと現れたかと思うと、腰をかがめてケビンの脇腹にナイフを突き立てた。鋭い痛みを与えられてケビンはのたうち回り、その隙にコリンはひと思いに首の骨を折る。 「コリン……少し休んでて。私はシャロットを助けてくる……」 シデンは息をつくコリンにそれだけ言って走り去って行った。コリンが息切れしながらケビンから離れると、その体は痙攣しながら血を吐いている。もはや死ぬのを待つ必要もなかろう。動かなくなるまで見届ける暇はない。現にシデンはもうすでに行ってしまっている。 幾千も見てきたシデンの動き。首を折るだけの簡単なお仕事ではあったが、進化した自分が自然と真似出来たことに、不謹慎ながらもコリンは感動を覚える。だが、彼には勝利の余韻に浸る間もないので、ケビンの頭蓋を思い切り踏みつぶす。体が動く内にまだ戦っている仲間、シャロットがいる方へと向かった。 **15:三人の絆 [#m37aad58] **15:三人の絆 [#d9bcdaaa] シャロットは最後までボーマンダと対峙していた。シャドーボールを放った際の腕のしびれもそろそろ治ってきたとはいえ、シャロット自身先程のようなシャドーボールは制御が難しく、静止しているサザンドラにならば当てられても、空を飛びまわるボーマンダに当てられる気はしない。 ならば、とシャロットは質よりも量で攻める事にして、宿り木の種を無造作に大量に飛ばす。普通なら一気にスタミナを失ってしまいかねない無謀な量だが、宿り木の種自体は小さくその分体力の消費も少ない。 確実に生気を奪い続けるこの技ならば、持久戦には有利に働く。ここまで互いに殆ど無傷の均衡を保っている状態を考えれば、先行投資としては申し分のない技の使い方であった。 ばらまいた幾百の種の内、数個の小さな種がボーマンダの体にくっついて、その段階で彼はシャロットの思惑を理解した。持久戦は阿藤的に不利だと理解したボーマンダはシャロットに接近戦を挑む。 しかし、そこでシャロットは木の影に隠れる。誰がまともに戦ってやるものかとばかりの、小回りを活かした鬼ごっこを始めるようだ。 隠れる、木をなぎ倒される。隠れる、木をなぎ倒される。その一連の流れが二回行われた所で、シャロットはようやくサイコキネシスで牙を向いた。こっちへと向かって来るボーマンダの事を睨み、木の幹へ引き寄せる。大木に首をぶつけて死ねとばかりに。 身をよじってなんとかボーマンダは木への直撃、致命傷を避けた。 身をよじってなんとかボーマンダは木への直撃、致命傷を避けた。肩に傷跡が残りそうな怪我を負ったが、命に別条はなさそうだ。 「ッチィ……なんで死なないのよ。死になさいよ」 震える声で言いながら、歩み寄るようにゆっくりとシャロットが飛ぶ。 「あんたのせいで仲間を手にかけなきゃならなかったのに……死ねよ、責任とって死ねよ、舌噛んで死ねよ。腹切って死ねよ!! 首かきむしって死ねよ!! 苦しんで死ねよ!!」 可愛らしい容姿とは不釣り合いに乱暴な言葉で、見開いた眼に涙をためながらシャロットは迫る。 「悶えて死ねよ、断末魔上げて死ねよ、首千切れて死ねよ、腹に穴開いて死ねよ、恐怖して死ねよ、絶望して死ねよ」 「ヒ、ヒィッ……」 息をするように死ねと言い続けるシャロットにおそれおののいたボーマンダはゆっくりと後ずさり。 「シャロット!! 大丈夫!?」 そこで、タイミングが良いというべきか、シデンが駆け付ける。 「えぇ、大丈夫よ……今、殺す所」 「あいつはケビン様と戦っていた……くっ……まさか、ケビン様までがやられただと!?」 正直な話、コリンはケビンの手によって確実に殺されると思っていたボーマンダは、血の気が引くような思いでコリンを見る。 「何としてもドゥーン様に……報告せねば」 分の悪さと状況の悪さをいやと言うほど悟ったボーマンダは戦う事をやめ、シャロットの注意がシデン達に逸れている間に一目散に退却をする。サイコキネシスの怪我は飛行中にバランスをとれなくなるほど酷くは無かったのが幸いだった。セレビィ、人間、ジュプトルというメンバーではボーマンダの機動力にはどうあがいても勝てない。 機動力に物を言わせ命からがら逃げかえったボーマンダは、いつもなら安全圏と思える場所まで逃げてはみたが、それでもまだ体中に悪寒が走る。 まだシャロットが追って来るかも知れないと、見えない恐怖と戦いながら彼はひたすら逃げ続けた。 ◇ 「勝った……のか。だけれど……シャロット!! お前どうして二人を……一人は一応俺の娘だぞ!?」 「どっちにしろあの二人はきっと殺されてたの!! 私達が素直に降伏すれば本当にあの二人は助かったの? ドゥーンが言っていたじゃない、皆殺しだって!! だったら……最初から死んでいれば、人質なんていなければいいのよ。そうすれば、何の憂いも無く戦えたでしょ? 違うの、コリン!? それに、機動力が少ないあの瞬間が、サザンドラを倒す事が出来る最大のチャンスだったんだよ? なのに、それも理解していないの!? 私を責めるの? コリンさん、きちんと考えてものを言ってよ」 「てめぇ、シャロット!! 調子に乗るんじゃねぇ!! 他人の子供殺しておいてその言い草か!?」 「何よ! あの場でああしなかったら全員死んでたのよ!?」 「ストップストップ!!」 大声を張り上げ喧嘩を始めた二人を、シデンは間に入って諌める。 「あんたら、喧嘩している場合じゃないでしょ……ともかく、声を荒げたら次は殴るからね」 シデンの介入によって気がそがれた二人は、シデンの表情を見て怒りを解いた 「分かったら、二人はまずはあの子たちを埋葬しなさい……私は食事の用意をするから、それまでの間にあんたら仲直りしなさいよ。 どっちの言い分だって……きっと間違っちゃいないから、だから話あえば何とかなるでしょ?」 そのままシデンは踵を返してサザンドラの死体に向かう。取り残された二人は呆然としたまま体を起きあがらせた。 「ごめん……シャロット」 「いえ、私こそ……ごめん、私怖くて……父さんの苦しみ、耳を塞いでも目を閉じても思念が私にまで伝わって……痛そうで、そんな死に方、自分がするのも誰かがするのも嫌で……嫌、嫌、いや、ぃゃ……」 話の流れなんてまるで無視した突然のタイミングに、シャロットは身を縮めて震える。コリンはシャロットを抱きしめて咄嗟に落ち付かせようと尽力する。 だが、怯えたシャロットの幻影は更に牙をむく。脳裏に浮かんだ父親の惨殺死体から覗く目が、異様に光って見えていた。その時ドゥーンが、ケビンが自分を嘲笑っている。ヤミラミもこっちを見ている。 「ドゥーンが……ヤミラミが父さんを殺して……&color(red){''嫌ぁ!!''};」 殺される――幻覚を見てそう直感したシャロットは自分の周囲を反射的に攻撃した。 「ぐぁっ!!」 だが、聞こえたのは敵の声ではなくコリンの声であった。 「シャロット、何するんだ!!」 あまりに距離が近すぎて威力に乏しかったが、それでも全身に衝撃が走るその威力。コリンは思わずうめいてシャロットを突き飛ばした。突き飛ばされて、攻撃した相手がようやくコリンだと気付いたシャロットは、マジカルリーフを放ってしまった自分の手をじっと見る。 「あ、いや……私、そんなつもりじゃ……ドゥーンから逃げようと……さっき、ここにいたよね? 居たはずだよね……なんでコリンが傷ついているの?」 「いや、いいから落ち着けシャロット……。ここにはもう敵は居ないはずだ……だから、落ち着いて周囲を見るんだ……俺も、さっきは突き飛ばして悪かったから……な、シャロット。落ち着いてくれ?」 「……ごめん」 そう言って謝るシャロットの目には、宣言通り涙が浮かんでいなかった。しかし、震えは収まっていない。 「シャロットのした事は、確かに賢明な判断だったかもしれない。人質が居たままじゃまともに戦えなかっただろうしさ……冷静に考えてみれば、子供なんて、一人や二人死んでも適当な女を孕ませて作ればよかった事なのにな……すまない」 「いえ、いいのですよ。そりゃ、子供を殺されて良い気持ちって言うのは無いでしょうし……だから、私ももう少し何か上手くやるべきでした……」 「うん、ありがとう……シャロット」 コリンが言い終えてそこから先、コリンもシャロットも互いに何も言えなかった。コリンは黙って墓穴を掘り、二人を埋葬すると盛りあがった土の前で静かに跪いた。瞼を閉じて、申し訳程度の黙祷を済ませると、コリンは気だるそうに立ち上がってシデンの元へと向かって行った。 シデンが二人を食事に呼ぶまで、死んだように静かな空気がその場を支配し、耳鳴りが命乞いの声のようだった。 **16:勝利の晩餐 [#jc423972] **16:勝利の晩餐 [#rb92f876] 「さぁ、食べましょう……泣くよりも先に、自分たちは何が何でも過去の世界へと逃げなきゃならないから……」 申し訳程度に土を掘り、仲間と我が子を埋葬した後、コリンは胃袋を加工して作られた水筒の水を布巾に浸して体を拭き、血の匂いを落とした。 そうして身を隠す準備を整えたあと、ようやくコリン達は食事にありついた。 よく燃える乾燥したキノコを火種として起こした火を囲み、先ほど殺傷した三人を食材に晩さん会に興じていた。 サザンドラの死体は鍋代わりに利用されていた。サザンドラのハラワタをくりぬいた胴体を用いて、焼けた石を放り込み腹の裂け目を閉じる。そうすることで、サザンドラ自身の肉のうまみがにじみ出て、なお且つガブリアスの旨みが閉じ込められるように調理されている。 普段なら生で食べるか丸焼にするかで済ませるのだが、ガブリアスのフカヒレの美味しさを味わうために、急遽シデンが提案した調理法だった。 「……ガブリアスのヒレって本当においしいんだな」 コリンは大口を開けて、傷を今にも治しそうな勢いでがっついている。まだ傷が癒えて居ようはずもないが、シデンに喝を入れられてしまえば踏ん張らないわけにはいかず、喰って喰って意地でも治そうとする今のコリンの様子はただの空元気だ。 「ですね、この濃厚なゼラチンの香と味。脳髄の奥から食欲を呼び覚ましますし……うん、兎に角何をどう評価しても、おいしいことには変わりありませんね」 傍らで食べるシャロットの食事風景は、おしとやかだ。 「でしょ~? 自分が頑張って作ったんだから……残すなって言うのは量が量だから無理かもしれないけれど、お腹いっぱい食べてよね」 先程まで死闘を繰り広げていたとは思えないほどに、三人は落ち着き払い、意気消沈している気分を他人へ見せないように振舞った。 この心がすさんだ世界で生きるコリン達には、キャニバリズム((人喰いの事。この物語では正気を保ったポケモンである『ナカマ』を食べることを指す))にも、殺し合いにも慣れているのが普通だ。当然、人質をとられるようなこともあったし、それを見殺しにしたのも一回や二回では数えられない。 それでも、先程のシャロットのように、自分から先に人質を始末して置く程思いきった事はした事が無かったし、仲間の死や殺害にはきちんと悲しんでいた。しかしその悲しみに対しても、時計の短針が数周するころには立ち直ってしまえるように何時しかなってしまったのだが、流石のコリンもこの短時間で立ち直るのは無理だったようで、気を抜いたら少々意気消沈意味である。 きっちりと立ち直っているのはシデンだけであった。 「さて……俺らが入手法を知っている歯車は……闇の火口と、キザキの森。それに流砂の洞窟と霧の湖だ……一つ足りない……が、そこはシデンが過去の世界で調べればいいだろう」 「その過去の世界も、もう目前ですから……とりあえずはもう追っ手の心配はしなくていいでしょう……それで、お二人に相談があるのですが」 「どうしたの?」 シデンが聞き返す。 「私は……未来に残る。事にします……」 今まで一言もそんな事を言っていなかった決意を、シャロットは唐突に二人へ告げる。当然のように二人は驚き、そして聞き返す。 「何故だ?」 「これは……予感のようなものなんですけど。この先一緒に行動していると危険な目に合いそうな気がするの……。だからね……正直なところみんなと一緒に居たいとは思いますけど、時渡りポケモンとして感じたこの予感を無碍にしたら……きっと悪い事が起こる。 そんな気がするんです。過去の世界が怖いわけじゃありませんので、そこは誤解しないでほしいのですが……」 「纏まっていたら……一網打尽にされるかもってこと? でも、せっかくの光ある世界に行かなくてもいいのかしら?」 「光ある世界には行きたいです……でも、それ以上に私は……この世界を変えてしまいたい。ほら、私が未来にいれば……援軍を送ったり時の守人のメンバーを&ruby(みなごろし){鏖};にすることだって可能ですよ」 確かに、時を操るポケモンであるディアルガが奴らの長という事は、ドゥーンが過去の世界へ来ることも考えなければならないのだ。よくよく考えればどんな罠が待ち受けているか分からない。 「なるほど、一理あるな」 となれば、二人が全滅したときに世界を救う希望となる生き残りが必要といえばそうだった。あわよくば、新たな味方を派遣するという選択肢があってもいいだろう。 「うん、だから……私は別行動を取ろうと思います。この世界に残ろうと思うの」 それは、辛いことだが、ある意味正解ともいえる判断だと、コリンは理解した。 「わかった……絶対に捕まるんじゃないぜ?」 「シャロットがそういうのなら……私は信じる事にする」 だから、二人にはその考えを否定することは出来なかった。 「分かっているわコリン。それに、私が捕まると思います? ウフフ。貴方達が鬼ごっこで勝てた試しがないじゃない……私がつかまるわけ……ないじゃないの」 「フン……気をつけろよ」 「捕まらないって貴方の言葉……信じるわよ」 コリンとシデンは、シャロットの言葉に頷いて、眼前に迫った別れを覚悟する。 「……で、自分からも話したいことがあるんだけれどね」 シャロットの話が終わって、間髪入れずにシデンが話を持ちかけた。 「お前もかシデン……?」 シデンは頷き、語り始める。 「自分たちが過去の世界に行ったら……まずは偽名を名乗ろう。私はクレア……コリンはヴァイス……即席だけれど、気に入らなければ後で変えればいいから、とりあえず話を進めるわね? 偽名を名乗る意味は、あのドゥーンとか言うヨノワール達の目を少しでも眩ます為に……」 「分かった……」 「あとは……姦計、裏切り、強盗……何をするにも躊躇っちゃダメってこと。いいわね? どんな犠牲を払ってでもやり遂げるの。さっきのシャロットのように……何も恐れちゃダメ」 「分かった……でも、何で今言う必要があるんだ?」 「シャロットが万が一過去に行くようなことがあれば……必要でしょ? 『こんな悪党がシデンたちのはずがない』……とか、『私の仲間はこんな名前じゃない』ってことになるかもしれないし」 「なるほど……シャロット、わかったな?」 「えぇ……分かりました」 シャロットが頷いたのを見て、シデンは話を続ける。 「そして、もう一つ。私達、とりあえず年齢を聞かれたらこう答えましょ……コリンは十八歳。私は三四歳((意外と年食っているシデンさんなのでした))って事で」 静かに語り終えた三人は、思い想いに食器をとり食を進める。 「私が未来に残るとなると……みんなで食事できるのもこれが最後ですね」 「そんなに時の回廊は近いの……?」 「えぇ……行くとなればこの時計の短針が一周しないでしょうね……」 三人の話が途切れた。なんと声をかければいいかも分からずに、流れる沈黙の中、シデンは黙って横になる。いつもはお伺いを取ってからシデンの横に着くコリンもシャロットも、この日ばかりは無言で肩を寄り添いあって眠りにつくのであった。 **17:もう、何も失うものなんてない!! [#ia63d906] **17:もう、何も失うものなんてない!! [#yce459ac] 処刑場から離れた場所にある時限の塔の内部。急ぎで戻ったボーマンダは、ケビンの上司であるドゥーンへと、単独行動やその失敗を報告した。 「エッサ……それで、ケビンは単独行動に走り、しかもお前以外はやられて全員取り逃がしたという訳か? 私に報告をすれば……こんなことにはならなかったというのに」 シャロットが、父親をああまで酷い目にあわされておいて、それでもなお歴史を変えようと動いたことは想定の範囲内だった。だが、こうまで早く行動に出る事まではドゥーンにとって予想外であった。 ケビンに見張りをつけるタイミングを遅らせた自分の甘さを呪いつつ、すぐさま人質を殺したシャロットの強かさを憎む。 私は殺さねばならない。過去の者のために我々未来の者が消えるなどあってはならないのだ。何よりもコリンもシャロットも、歴史という者の価値が分かっていない。奴は、大声で『歴史を変えて何が悪い』と、言い放った。あんな奴のために未来は消してはいけない。そう、この世界の――未来のため――ドゥーンは拳を握りしめる。 「恐れながら……」 エッサと呼ばれたボーマンダは頭を下げた。 ドゥーンは、自分がこの世界を守る目的によって動いているというのに、ケビンはこの世界のためと言う大義名分のもと殺しを楽しんでいるようにしか思えないのがは不愉快だった。その不愉快を発散するように、冷気を纏ったドゥーンの拳がボーマンダの顔面を捉え、ボーマンダは首をねじらせながら倒れ伏した。 「手加減したから……立てるだろう? 今すぐ私達を案内しろ!!」 ボーマンダは頬を押さえながら立ち上がると、すぐさま時限の塔の外へ出て、案内を始める。 処刑場で逃げ遅れた『星の調査団』の残党をあらかた殺した後、ドゥーンもまたコリンの絵を見た。『こんな夢叶うはずがないのに』と、嘲笑いながらケビンが見せ付けたコリンの描いた美しい絵を見て、『あぁ、叶うはずは無い』とドゥーンは言った。 それは本音。歴史を改編すると世界が消滅してしまうから、生き延びるためにも、『歴史の改編』は叶えてはいけない願い。そういう意味で、ドゥーンの言った『叶うはずもない』と言う言葉は紛れも無い本音であった。そんなコリンのたくらみなど自分が止めるから、叶うはずはないと。 しかし、呼び起されたのは光ある世界で生きてみたいと思うドゥーンの願望だった。誰も消えることなく世界を元に戻すことが出来る方法があるならば、何の憂いもなく手助けしていたであろうと思うと、ドゥーンはやるせなかった。『たられば』が不毛であることなど、誰もが分かっているはずだというのに、それをせずにいられないドゥーンは、意外にもメンタル面は弱いのだ。 ケビンが言ったとおり、ドゥーンは一応優しい所もある。敵を殺す事に躊躇はしないが、出来ることなら誰も殺したくないという程度に良心の呵責はあった。だが、コリンの絵を見た今は、それも揺らいできている。コリン達を殺すべきなのかどうか。歴史の価値が分かっていないのにこの未来世界を消そうという冒涜は確かに不快だ。 しかしながら、コリンの描いた絵から垣間見える過去の世界への憧れを見ると、どうにもその憧れのままに行動させてやりたくなる。 ドゥーンは、歴史を改編すればこの闇黒世界が消滅するとわかっていてなお、このまま監視などつけずにコリン達を為すがままにさせておきたいとすら思い始めた。矛盾をはらんだ二つの欲求が拮抗して、頭と、歯を食い縛る腹の口が痛い。 それでも、何としてでもこの世界を救わなければならない。そのためには、コリンを殺さなければならないともう一度思いなおし、ドゥーンはコリン達を追撃するために出撃する。歴史の価値を分かっていないコリンなどに、歴史を改編することなど許してはならないのだ。 ◇ 「……よし」 長い沈黙ののち、不意にシデンが動く。廃墟となった街の金庫破りをして手に入れた金貨や銀貨をシャロットの荷物からほぼ全部二人の荷物に移す。その後、シデンは無言で二人の手をとって、それぞれの手をつながせ、自分の手もそれに載せる。 強引に引っ張られて合わせられた自分たちの手を見て、二人はその手の感触を存分に味わう。コリンは、体温が最も高いシデンの手の温かみを感じて。 シャロットがコリンの鱗のスベスベな肌触りを感じて。コリンがシャロット手の柔らかさを感じて。全員が手の脈動を微かに感じて。三人は照れて目を伏せながらも微笑みあった。 「例え……俺たち消えようとも。過去を変えれば……この醜い世界も盛大に消えてくれてせいせいするな」 コリンが二人と目を合わせて、同意を求めながら言った。 「こんな世界、存在する価値もないもんね。自分達だけで過去の世界をエンジョイして、そしたら歴史を変えて何もかもおさらば。楽しそうな事じゃない……もう、失うものなんて何もないもの……簡単な事よね」 コリンの意を汲み取って、シデンが続ける。 「私は、この世界で世界が消える瞬間を目の当たりにしながら、ざまぁ見ろって笑って消えてやりますわ……。だから、お願いしますね」 息もぴったりに、三人は自分たちの目的を確認し合い、強く強く――それこそ痛みを感じるくらいに手を握る。 「約束だ」 「約束だよ」 「約束ですね」 三者三様の口調。しかし、意味するところは同じだった。無言でうなずき合って、三人は荷物を持って立ち上がる。 「行こう……これ以上休んでいて敵が追い付いたら厄介だからな」 「そうだね。自分もそう思っていたところだよ」 「うふふ……皆さん考えることは同じなのですね……行きましょう」 時の回廊へ向け三人は走り出した。もう失うものなんて何もない。ただ自棄糞のみの目的に突き動かされながら、三人の足取りはとても軽やかだ。 **18:お別れ [#m3d6a401] **18:お別れ [#ce4ddbaa] 手を取り合った後、時の回廊へ向かうためにダンジョンを突き進む間、全員が多くを語ることをしなかった。 「そっち頼むわよ?」 「任せてください……」 ただ、いつもよりも戦闘中にかわされる声は大きく、良く通った。 「行きます!! 原始の力」 シャロットが味方への誤射を防ぐための技名の宣言も。 「よっし……シャロットでかした!」 シデンが仲間を労う言葉も。 「……出口だな」 コリンがダンジョンの出口を喜ぶ声も……だ。まるで、自分の声を精一杯相手の耳に焼き付けるかのように。その出口の先には、全体が淡い青緑に輝き、三つのアーチと観音開きの城門を思い起こさせる板の様な光源で構成されものが静かに佇んでいた。 「ふぅ……これで本当に見納めですか……もうちょっと一緒に居たかったなぁ」 シャロットが、泣きたいほどに寂しい本心を隠しながら、大声で言う。 「ふん……セレビィの予感とやらはどうした? そんな事を思うのなら、そんな予感なんてしなければよかったのにな」 コリンも本当は別れが寂しいのか、強がって意地悪なことを言ってしまう。 「こら、コリン……そういうこと言わない」 それを諌めたシデンも、どことなく寂しそうな表情ではあった。 「まぁいい。シャロット、これ……小さいし、時間がないから適当だけれど……書いたんだ」 コリンが手渡したのは、シャロットが描かれた小さな絵であった。コリンの言うとおり、小さいのが少し残念ではあったが、美しい色遣いと、言葉とは裏腹に丁寧に描かれた表情は寝顔だった。 綺麗……でも、風景画と比べると少しは才能に劣りますね……ふふ、でも嬉しいな――と、シャロットは微笑んだ。 コリンが寝ずの番をしていた時に書かれたのであろうそれは、唾液やまつ毛まで可愛らしいく、細かく描かれていて、どこまで寝顔を見られていたのだろうと思うと、シャロットは恥ずかしくて顔を赤らめる。 「うふふ……乙女の寝顔をまじまじと見るなんて……コリンさんって恥がないのですね」 照れを隠すように、シャロットは憎まれ口をたたいた。 「……文句をつけるならやらないぞ」 からかうようなシャロットの物言いに、コリンは顔を赤らめる。 「あ……」 シャロットの視界がかすみ、歪み、不意に目頭が熱くなると目の下が冷える感覚を覚える。ああ、泣いているんだなぁ……と、どこか他人事のようにぼんやりと考えながらシャロットは笑った。 「……泣かないんじゃなかったのか?」 「目にゴミが入ったってことにしてください……二人とも」 その頼みこむようなシャロットの言い訳に、二人は軽く笑いあった。 「……俺が渡したかったモノは以上だ。他は……何かあるか?」 「コリンさん……眼を瞑ってくれませんか」 「こうか……?」 コリンは一度息を大きく吸い込み、首をかしげながらゆっくりと目を瞑った。 キスするって気が付いていないようね……本当にいくらなんでも鈍すぎる――女性二人の心の声が重なった。シャロットは苦笑しながら、キスをしなかった。 「もういいわ……私の寝顔をずっと見られていたから……私もコリンさんが目を瞑っている顔を見たかっただけなんです」 キスをしなかった理由は、あまりにも鈍いコリンに嫌気がさしたわけではない。 むしろ、ますます好きになってしまったからこそ、別れを辛くしないように。そして、コリンへ自分に対する余計な感情を与えることのないように、シャロットは諦めた。 「ふん……変わったことを頼む奴だな……」 全くわけが分からないよ――と、コリンの顔が言っている。訳が分からないのはお前だよ――なんて、シャロットは言えるはずもない。 「い、いいでしょ……それくらい」 コリンは何か腑に落ちないような表情をしてシャロットを見ていたが、やがて視線を移してシデンを見た。 「私は……大丈夫。さぁ、お別れね……」 最後は出来るだけ明るくするように努めて、シデンはシャロットを見つめる。 「生き残って頂戴ね……シャロット。自分も絶対に生き残るから……」 「ふふ、大丈夫ですって何度も言っているじゃありませんか」 自信に満ちた目で、二人をまっすぐ見やるのを感じ二人は微笑んで安心した。誰が始めるともなく三人は抱きあい、そして誰が話すでもなく三人は抱擁を解いた。 「それじゃあ……頼む。シャロット……シデンもそれでいいよな?」 シデンが頷く。 「えぇ、かしこまりました。シデンさん、コリンさん……万が一私がそっちへ行く時は、クレアとヴァイスでよろしいのですよね?」 「あ、そうね……」 「それじゃあ私は……万が一貴方達がこっちへ来る用事が出来たならば、貴方達のコミュニティ……リベラル・ユニオンと初めて出会った場所……黒の森でお待ちしております」 最後に恭しく礼をして、シャロットは寂しそうに笑んだ。 「では、ごきげんよう」 シャロットが手をかざすと、時の回廊が音もなく開く。扉が開いたのを確認すると、コリンとシデンはシャロットの一歩前へ出て振り返り、そしてシャロットの手に自身の手を添えた。 「お前も……元気でな」 「自分達は……離れていても仲間……いや、家族だからね」 シデンがシャロットに添えた手がするりと離れ、シャロットを見つめたまま二人は時の回廊へと落ちるようにして飛び込んで行った。 **19:胸中 [#l26d0fdf] **19:胸中 [#ba25e645] シャロットが時の回廊を閉じると、それは跡形もなく消えて、あたりは何事もなかったように静まり返る。その回廊の前で、しばらく物思いにふけりながら、どれほどの時間がたったであろうか。不意にシャロットは独り言を始める。 「コリンさん。本当に一番怖いのはね……あの、ドゥーンとか言うヨノワールじゃないの。一番怖いのは……私自身。 私がコリンさんと過去の世界にいったら、私きっと消えたくなくなっちゃって……世界を救う目的も忘れてコリンさんと一緒に光ある世界で幸せに暮らすでしょうね……コリンさんが嫌がるなら、鎖で縛って監禁してでも……貴方と一緒にいたい。 もし出来れば、子供も何人か一緒に育てたりなんかして……きっと、コリンさんと一緒に暮らすその日々は楽しいでしょうね。 シデンさんもきっとその内、誰かを愛し、そうなる……うふふ、まさにそれって一網打尽ですよね? そうなれば、過去を変える者は誰もいなくなります。ですから、ごめんなさい……私……コリンさんと一緒に居られないんです。 父さんが居ないから……もう貴方を愛するしかないのに……でも、貴方を愛し続ける事が許されないなんて耐えられないよ…… それに、私はこの世界が好きじゃこの世界を消せない。自分の生きる世界を嫌っていなければいけない……好きな世界を、消せるわけなんて無いじゃない」 シャロットは恥も外聞も無しに鳴き始める。父親が殺された時か、それ以上に鳴き晴らす。 それだけじゃない。私は怖い、何もかも怖い。さっきのように、コリンをドゥーンと間違えて攻撃してしまうことだってあり得る。 私は悪夢を見ながらいつか殺してしまいそう。そんな事にはなっちゃいけない……だからこそ私はここに残らなきゃいけない。 それにシデンさんを殺したくなる……コリンさんはシデンさんしか見ていないから……コリンさんを私のモノにするために確実に殺したくなってしまう。そんなことしちゃいけないもの。 だって、シデンさんも恋愛感情こそないけれど好きだから…… そして、もう一つ。私がこの世界を消すことが出来る条件は、この世界という揺り篭を破壊できる条件は、紛れも無くこの世界が嫌いであること。 混じりけなく嫌いじゃないと世界を消滅させるなんて出来ない。だから、嫌いな世界で生きていなきゃいけない。コリンが好きだからこそ自分はここに残るのだと言い聞かせて、シャロットは涙を流す。 しばらくして、シャロットは虚空を眺めていた視線を、左斜め前方に移す。 「……ねぇ、ドゥーンさん? 私の判断は正解でしょうか」 あまりにも予想外な話の振りに、たった今たどり着いたばかりのドゥーンは驚いた。 「気付いていたか」 セレビィが視線を向けた場所の物陰から、ヨノワールと三匹のヤミラミ、そしてボーマンダがゾロゾロと現れる。 「えぇ、独り言を始める少し前に気が付いておりました。で、質問の答えですが、どうでしょう?」 まるで、友人に話しかけるような口調で、余裕たっぷりにシャロットはドゥーンへ語りかける。 そのシャロットへ、手下である六人のヤミラミは徐々に距離を詰める。 「悔しいが、正解じゃないのか? 大人しく、過去に渡っていればよかったものを……」 「ですよね、正解ですよね……そうしていれば、私は過去の世界で仲間割れを起こして全滅。貴方達の勝利……だったんですもの。 そうじゃなかったら、私はどうしてこんな世界に残ってしまったんだかって話ですよね。あぁ、敵に褒められるなんてこの世界に残ってよかった……胸糞がわるくって、今すぐにでもこの世界を消滅させてしまいたくなるじゃない。 コリンさんと一緒に居たかったのに。私もう……こんな世界なんて嫌なはずなのに……コリンさんと一緒にいられなかったのは、全ては私の意志が弱いせい。 私の意思が強ければ、きっと過去の世界でもコリンさんと添い遂げることなく星の停止を止めることができた……消える事が出来るのに。意志の弱い私はそれを出来る自信がないのです。このままじゃ私、コリンさんを監禁してでも、氷漬けにしてでも自分のものにしたくなるから」 シャロットが涙を浮かべながら微笑んで会釈をする。 「ドゥーンさん、ありがとうございました……私は誰かに、正解の判断だって言って欲しかったんです。例え、敵であるあなたにも……いえ、敵である貴方にこそ、誰よりも言われて良かったと思います……なんだか救われました」 そう、ドゥーンさんはありがたい。貴方は大嫌いだけれど、見方を変えればこの世界を嫌いで居るために貴方が必要なの。私は、父さんがいないこの世界ならばもう生きていたって仕方がないから死にたくなったし、世界が嫌いになった。そう……死にたくなったし、世界が滅びてしまえばいいと思ったからこそ、ためらいなくこの世界を蹂躙した上で新たな歴史を築くことだって出来る。 でも、これだけじゃ『嫌い』が足りない。もっともっと嫌いにならなくちゃならない。父さんが死んだ直後の私の中で、世界全て滅びてしまえと望んだ時、唯一滅びて欲しくなったコリンさんとシデンさんが居なくなれば……この世界に何の未練もない。 シャロットが頭を起こして涙を拭うと、そのあまりに悲しげな表情に、ドゥーンは一瞬息をのんで攻撃をためらった。それも一瞬のこと。ドゥーンはすぐに心の準備を立て直し、腕を振り上げる。 「いけ、ヤミラミ!!」 距離が頃合いに達したところで、ドゥーンが命令を下す。鋭い爪を剥き出しにしたヤミラミが、奇声を上げながらいっせいに踊りかかる。 シャロットの口元が、&ruby(かすか){幽か};に歪む。目に溜めた大量の涙と、その悲しそうな目とは対照的な貼りつけたように笑う口。 「……ごめんあそばせ」 閃光が走るとともにシャロットの姿は消え、そこにはジジジと音を立てながら放電をする球体だけが残った。 「くそっ……ケビンの奴が真っ先に私に報告していればこうはならなかったというのに……」 ドゥーンが拳を握って歯噛みする。 「こ、これはどうするのですか、ドゥーン様?」 ふと、ドゥーンが声のした方向を見れば、放電を続ける謎の球体にヤミラミが恐る恐る近づいている。 「近寄るな、どうせ罠だ!」 言われた焦ってヤミラミが手を引こうとした瞬間、ヤミラミの体は無音で三日月状にえぐられた。顔の前面――眼球や口といった諸々が削り取られ、割られたドリの実のように脳漿がさらけ出された。 ほどなくして薄っぺらい紙を立てた時のようにヤミラミの後半身は崩れ落ち、じっとりと血を流す。ヤミラミの体の前半身だけが時渡りしてきたのは、その数秒後であった。脳が前後で分断されたのだ、苦しみすら感じる間もなく無く即死であろう。 この世界がもっと嫌いになるためには、誰もいなくなればいい。コリンさんと、シデンさんだけいればいい……だからみんな殺すんだ。 そうすれば、ドゥーンだって分かってくれるさ……『こんな世界、生きていても仕方が無い』って。私はもう、こんな世界に生きていても仕方が無いってわかったから――時渡りでその場から退避したシャロットは、一人狂ったように笑いながら涙を流していた。 ---- コリン「そろそろシャロットのアレかぁ……」 シデン「シャロットのアレねぇ……大丈夫なのかしら、アレ」 コリン「で、アレが来たわけだが……」 シデン「アレにどうコメントしろと?」 [[次回へ>時渡りの英雄第3話:朝日を感じて]] ---- **コメント [#gf1bdf67] #pcomment(時渡りの英雄のコメントページ,12,below);