SOSIA.Ⅵ **日陰と月影 -Shade and Moonlight- [#ubdf120d] RIGHT:Written by [[March Hare>三月兎]] LEFT: クリックすると途中まで飛べます。 #contents ---- ***◇キャラ紹介◇ [#k210cc7c] ○シオン:エーフィ 主人公。見た目は美少女な&ruby(オトコ){牡};の仔。 ○ローレル:ブラッキー シオンの弟。グラティス・アレンザのリーダー。 ○&ruby(くじゃく){孔雀};:サーナイト(ひがし) ○&ruby(かんらん){橄欖};:キルリア ○ラクート:トゲチック ○一子、二郎、三太:ゲンガー、ゴルーグ、ムウマ ヴァンジェスティ家の使用&ruby(ポケ){人};達。 ○エリオット:リーフィア 喫茶店『ウェルトジェレンク』ウェイター。 ○イレーネ:ブースター エリオットの姉、同店のウェイトレス。 ○トモヨ:ミルタンク ウェルトジェレンクのオーナー。 ○ハリー:フーディン 私立探偵。ウェルトジェレンクの常連。 etc. ---- ***00 [#sbe379be] この喫茶店の客層は本当に様々だ。 アットホームな雰囲気を求めてやってくる独り者の探偵。 戦いの日々に疲れ、休息を求めてやってくるハンターたち。 ヴァンジェスティ家の婿養子。娼館の経営者から歓楽街の会長まで。 そして、姉ちゃんの美貌に釣られてやってくるオッサンども。 「姉貴……また変な目で見られてんぞ」 「そういう視線には慣れてるわよ。エリオットこそ、気づいてる?」 「何がだよ」 姉であるブースターのイレーネはもともと娼館で身を売っていたが、ひょんな事から解雇されてしまい、オレと同じくここのマスターに雇われることになった。 「あなたにもその"変な目"、向けられてるんだからね」 「アホか、オレはもう普通に牡の格好でやってるんだぞ」 「ほら、あの辺のオバサン達とか――」 「イレーネ! 何か言ったかい?」 姉ちゃんの声に半ば重なる超速で反応したミルタンクが我らがマスター、トモヨである。 「ち、違います! 決してマスターのことでは……」 「そうかい。口には気をつけな」 どこからどうみても完璧なオバサンなのにオバサンと言われると怒る往生際の悪いオバサンだ。もっとも、オレやグラティス・アレンザの奴らにとってみれば命の恩人だし、行き場のなくなった姉ちゃんを拾ったりと根は優しい。悪いポケモンではないのだ。 「で、客がオレを見てるってか。姉バカだろ」 「自覚ないのねえ」 「べつに興味ねーよ。オレには心に決めた相手がいるんだから」 「ルビーちゃんだっけ。私より一つ下の"変な"ピジョット。私はそのポケモン、おすすめしないけどね」 「オレの勝手だろ! 弟の恋愛にまで口出すんじゃねえよ」 アットホームな雰囲気ということで、こんな具合に雑談していても叱られることはなく、客の方でも気にした様子はない。 「ハハハ。君たちは本当に仲の良い姉弟だね」 「はい、目に入れても痛くないとはまさにこの事ですね」 「ブラコン発言やめろっての」 カウンターに座ってコーヒー片手に新聞を読んでいるフーディンのハリーは常連で、ハンターが何でも屋としての地位を確立しているこの国には珍しい私立探偵だ。オレがまだ&ruby(ヽヽヽヽヽヽ){ウェイトレス};をしていた頃にいち早くその正体を見破った。口には出さないが、姉ちゃんが元娼婦だということも見破っているに違いない恐ろしい牡である。 「それにしても、まさか彼らがここに来るようになるとはね」 ハリーがちらと目をやった方に、一つのテーブル席を囲んでいる集団がいる。ブラッキー、フローゼル、オーダイル、チャーレム、ルカリオ、リザードの六匹。 「それでさ、凄かったんだよロスティリー」 「ふん。俺が本気を出せば強いということが証明されたな」 「ちぇっ、ロスティリーのくせに調子いいなあ」 「黙れメント。俺が私兵団の副隊長を圧倒している場面で気絶していた役立たずの分際で」 「へん。おれオーダイルに進化したもんね。ロスティリーがちょっと自信をつけたくらいで敵わないもんね」 「何だと。どうやら俺のヨガパワーで血祭りに上げられたいようだな」 「進化したおれのアゴパワーを見せてやるもんね!」 面白いやり取りだと思いながら見物していると、チャーレムとオーダイルが同時に椅子を蹴飛ばして立ち上がり、取っ組み合いをはじめた。 いつものことだが。 「お客様、店内ではお静かに――!」 「いい加減にしろっつーの!」 イレーネとエリオットが走るも、時既に遅し。 「ふん!」 チャーレムのロスティリーが思念の頭突きでオーダイルのメントをよろめかせた。 その隙をついて身をかがめ、強烈な飛び膝蹴りを放つ。当たれば一溜まりもないが、メントは姿勢を低くしてロスティリーを下から突き上げた。 「るぉおおおおお!」 ロスティリーはとなりのテーブルに突っ込み、振り向いたメントが大口を開けて襲いかかる。 が。 「でひっ」 首の毛に黒のメッシュを入れたルカリオに背中を蹴られ、軌道が逸れて牙がテーブルに突き刺さった。 「あがあがあが」 「隙ありィいいいいぐへっ」 メントの首筋に手刀を落とそうとしたロスティリーの手を、アクアジェットで急接近したフローゼルが掴んだ。 「二匹とも、いい加減にしなさい。道で暴れるのは勝手だけど、ここはお店なのよ?」 「あの、キアラ……」 一見まともそうに見えるフローゼルのキアラだが、まともなのは一匹席を動かなかったブラッキーくらいのものだ。 「あらら」 あららじゃねえ。 アクアジェットのバックブラストで六匹が座っていたテーブルが倒れてめちゃくちゃだ。 「ルードもさ……もっとこう、非破壊的にケンカを止められないかな?」 「そう言うローレルは何もしてねェじゃねェか」 「や、それは……」 この時、ずかずかと歩いて来る恐るべき影に気づいていたのは、テーブルと一緒に吹き飛ばされながらも終始姉ちゃんに見とれていたリザードだけだった。姉ちゃんの後ろから近づくトモヨを見て、顔が青くなったからだ。 「あんたら、わかってんだろうね? テーブル二台、グラス3つ、カップ3つ、皿、床その他諸々。キッチリ弁償してもらうよ?」 この後、オレと姉ちゃんは管理責任を問われて何故か長い長い説教を食らうのだった。 ついてねえ。 ***01 [#rb457c8f] 「シオン隊長! 敵が迫って……隊員からの連絡も途絶えてしまったっス!」 這々の体で洞窟に逃げ込んだものの、追っ手の勢いは凄まじく、ラウジと僕を残して九番隊の生き残りはいなかった。 「この辺りにいるのは間違いないんだ。探して!」 敵方から聞こえるのは実弟の声。どうしてこんなことになってしまったのか。いかなる運命の悪戯か。 「シオン隊長……俺が囮になるっス! 隊長だけは逃げて下さい!」 そんな。きみを置いて僕だけ逃げるなんてこと、できるわけない。 「待って……! ダメ!」 「隊長は絶対、生きて帰るっスよ!」 ラウジ。 どうして。それだけはやっちゃいけないって、言ったじゃないか――! &size(18){ ◇}; 「――さま。シ――さま」 声が聞こえる。 「シオンさま! 起きてください……!」 「橄……欖……?」 まただ。 「随分うなされていましたが……」 またあの夢だ。 「橄欖……」 ベッドの脇から、橄欖は何も言わずに抱きしめてくれた。 もう涙は流さないけれど。 こんな朝が何度続いただろう。 「安心しましたか……?」 「もう少しだけ」 「はい」 僕が誰に甘えていても、さすがに今はフィオーナも何も言わなかった。 僕の次に僕の心をいちばんよく知ることのできる橄欖が、僕を慰めるのに適任だということもわかっているから。 戦友を失った。彼を手に掛けたのはあろうことかローレルだった。一緒にいたヒルルカさんがそう証言しているのだから間違いない。反乱は抑えこんだのだからもう公的に仇討ちなどは行われないが、北凰騎士団の中に、特にラウジと親しかった者たちのなかにその動きがあるのだという。 どちらにもつけないシオンは、その空気についていけず休暇、現在は事実上の謹慎処分となっている。 「ありがとう」 橄欖と二匹で過ごす時間も長くなった。 フィオーナはいよいよ卒業論文の執筆に忙しくなり、最近はあまり家に帰ってこない。 「わたしはシオンさまの侍女ですから……いつでも頼って下さいね」 優しい笑顔をくれるようになった橄欖とひきかえに、孔雀さんはあれ以来気を落としたままだ。 「きみが明るくなってくれたお陰で、きみの笑顔のお陰で、癒されてると思う」 「わたしの笑顔など……シオンさまに比べれば。わたしは一日も早く、シオンさまに笑顔を取り戻していただきたいのです」 転がり落ちるようにベッドから降りて伸びをした。時計の針はもう十時を指している。ああ、こんなことでは仕事に復帰できないのではないか。 「遅めの朝食ですが……軽めになさいますか?」 「うん。先にトイレに行ってくるから」 「承知しました。食堂でご用意しておきます」 橄欖と別れて廊下を歩いていると、屋敷内を清掃中の孔雀さんとムウマの三太に遭遇した。 「おはよう」 「あ、おはようございます……」 「早くないじゃん」 「三太くん。今はもう使用人なのよ。ご主人さまに対してそのような」 「いいよいいよ。僕、堅苦しいの好きじゃないし」 「だってさ。孔雀姉ちゃん」 「そう……ですか」 二匹を横目に、お手洗いのある南の端へ。 使用人が増えて賑やかになるかと思ったのだが、肝心の孔雀さんがこの調子ではまるで太陽をなくしてしまったみたいだ。 橄欖や三太やセルアナが明るく接してくれるのは嬉しいけれど孔雀さんの代わりにはならない。 用を足して階段を降り、一階の廊下を通って食堂へ向かう途中でゲンガーの一子と会った。 「よお紫苑。さっき食堂へ入ってく橄欖を見たけど、これから朝食かい?」 「あ、うん……」 「最近のあいつ嬉しそうだね。あんたの世話をするのが楽しくて仕方ないって感じだ」 そうかな。僕の悲しみの心に感化されたりしないのかな。キルリアだし。 「それにしても、護衛だけならともかく雑用は苦手だねえ」 「無理にしなくても。もともとこっちの南館は孔雀さんと橄欖だけで間に合ってたから……ああ、でも北館もあるしね」 もともと北館には使用人がたくさんいたが、彼女たちゴースト三姉弟が来てからはかなり数を減らされたらしい。 孔雀さん以上の実力者とあって、少数精鋭で事足りると踏んだためだ。というか、数の力でどうにもならなかったサエザの反乱のことを考えると、解雇されても仕方がない。マフィナはフィオーナと違って情に厚いポケモンではない。 使用人に身をやつした護衛がこれで六匹。それに加えてセルアナが、僕たちを守ってくれる立場になった。こうなるともうびくともしないだろう。 ジルベールの大学にいるフィオーナにも、向こうの国の護衛に加えてゴルーグの二郎がついている。これで隙はない。 「あのラクートとかいうガキ、のんびりしてるのかと思ったら案外厳しくてね。気体の私でもさすがに肩が凝るよ」 「肩こりかあ。年のせいかな?」 「お前、私を何歳だと思ってるんだ? これでも孔雀と同い年なんだがね」 なんと。これは初耳である。 「ごめんなさい、もっと上だと思ってた……」 「……まったく」 「シオンさまー! 冷えてしまいますー!」 と、食堂の方から橄欖の声だ。出そうと思えば大きな声も出せるんだ、ってことを最近知った。 「はーい! すぐ行く!」 相変わらず料理の腕はアレなので、孔雀さんが作ったものを温めなおすくらいしかできないのだけれど、ね。 ***02 [#vf577efa] わたしなんていらないのではないかしら。 一子ちゃんたちが加わって屋敷の守りは心配ないし、フィオーナさまの送り迎えも二郎くんが代わってくれた方が速かったし、シオンさまには橄欖ちゃんさえいればいいし。 料理だけが最後の砦、か。 護衛なら一子ちゃんの方が強いし、使用人としての能力も二郎くんや橄欖ちゃんの下位互換だし。典型的な器用貧乏だ。 それにあの時、わたしがしっかりしていれば、ラウジさんを死なせることもなかった。 もっと早くあの場にたどり着いていれば。 それ以前に、グラティス・アレンザと私兵団の争いを止められたかもしれない。 シオンさまからローレルさまに伝えた言葉。 互いに自分の大事なものを守るんだって。 シオンさまとシオンさまの大事なものを守る立場にあるわたしを信用していたからこその言葉ではなかったか。 わたしは応えられなかった。 「ほんと孔雀姉ちゃんって昔から暗いよなー。もっと明るくいこうよ!」 「性質なんだから仕方ないでしょう」 彼らにはさほど違和感はないらしい。 そう、生まれ持った力が弱かったわたしは何事にも自信がなくて、影のような存在だった。跡継ぎとして絶対に強くなってみせるんだって、努力は怠らなかったけど、ずっと自信を持てることがなかった。巽丞の血を継承するまでは。牝に生まれてしまってエルレイドにはなれないのに、生まれつきESPが弱くて体術を鍛えるしかなかった。父からの継承でそれまでの努力が実ったのだ。いつの間にか目覚めるパワーが開花して、わたしは絶対の自信を手に入れた。 橄欖ちゃんは今とは逆に、とても明るい仔だった。あんなふうになってしまったのは、両親を亡くしてからだ。わたしは妹の分も明るくならなきゃって思っていたのかもしれない。でも、最近の橄欖ちゃんを見ているとそんな心配もなさそうだ。もとの自分を取り戻しつつあるみたいだし。 「あとはシオンさまのお部屋だけね」 「調子狂うなー」 わたしだって、明るい自分のほうが好きだけれど。 満ち溢れていた自信が突然枯れてしまったら、もう戻れない。 三太と一緒に屋敷の清掃を済ませた。 一子ちゃん達が来てから三週間。ひと通りのことは覚えてくれたし、明日から別々に回ってもいいだろう。そうすれば楽になる。 時間が余れば、わたしにもやることがある。 湯の如く、熱を与えねば元の水に返る。 もう一度熱を与えないと。わたしはまだまだ強くならなきゃいけない。そうしないと自信を取り戻せない。 「孔雀さぁん」 「……おや」 中庭で花の剪定をしているところに現れたのは、普段は花に興味を示さないラクートだった。 「元気ないですねぇ……」 「奥さまを放っておいていいの?」 「仔共じゃないんですからぁ、大丈夫ですよぉ」 ついこの間までほとんど付きっきりに近い執事だったくせに。 「そう」 会話は途切れ、鋏の音だけが響いていた。いよいよ夏も本番を迎え、お昼前ともなると暑い日差しが照りつけてくる。 シャキン、シャキン――まるで自分の心を切り裂いているみたいな音。 なんだか楽しくなってくる。どうしてかしら。 「ふふふ」 「孔雀さん……」 どうして心配そうな顔をするの。 わたし、笑ってるのに。 「やっぱり変ですよぉ。僕の中の孔雀さんはぁ、そんな笑い方するポケモンじゃないですぅ」 「ラクートの中に……わたしがいるの?」 この仔、もしかして。 「別に……深い意味はないですよぉ」 なるほど。今まで気づかなかった。 「……ごめんなさい」 「何も謝ることなんて……もしかして僕の気持ちを察してしまったり、とかぁ……そうですよねぇ、僕なんかじゃダメですよねぇ」 「違うわ。こんなわたしでごめんなさい。そう言いたかったのよ」 シャキン。 「えぇっ……それって」 「いいわよ。わたしと遊んでみる?」 シャキン。 切るところがなくなったので鋏を後ろに投げた。 「わわっ……」 ラクートをかすめたらしい。孔雀は振り向きながら立ち上がった。 驚いた表情のラクートに近づいて首に手を回した。 「う……」 自分に不思議な目力があることは知っている。こうして間近で見つめ合うと、大抵の&ruby(おとこ){牡};の仔はわたしに引きこまれてしまう。シオンさまも例外ではなかった。わたしを好きになったわけではないにしろ、その瞬間だけはわたしだけを見る、そんな目をしていた。 自分に不思議な目力があることは知っている。こうして間近で見つめ合うと、大抵の男の子はわたしに引きこまれてしまう。シオンさまも例外ではなかった。わたしを好きになったわけではないにしろ、その瞬間だけはわたしだけを見る、そんな目をしていた。 「あなたに勇気があるなら、今夜わたしの部屋に来なさい」 ましてわたしにその気があるような牡の仔ならなおさら。 ましてわたしにその気があるような男の子ならなおさら。 呆然と立ち尽くすラクートを置いて、中庭を去った。 屋敷に入る時に、地面に剪定鋏が突き刺さったままだったことを思い出した。 ***03 [#qeb10d68] パンと果物、ミルクティーだけの軽い朝食を済ませると、特にすることもないので屋敷の庭を散歩することにした。街に出る気も起こらないし、かと言って部屋で寝てばかりでは気分は沈み込む一方だし。 庭の花が以前と違って見えるのは、僕のレンズに陰りがあるからだろうか。美しいには違いないのだが、心なしか生命感に欠けるような。もっと活き活きとしてはいなかったか。 「シオンさまの気のせいではないと思います……」 「橄欖にもそう見える?」 お得意の超読心術。今はこうして気持ちを共有してくれるひとの存在がありがたい。 「花は育てる者の心を映しますから」 孔雀さんが気を病んでいるせいってことか。もしかしするとラウジのことで責任を感じているのかもしれない。 誰にも責任なんてないのに。兵士が戦で命を落としただけのこと。 「話はそれだけに留まりません。やはり生まれ持った性質というものは消せないのでしょう」 「生まれ持った性質?」 「姉さんはずっと無理をして明るく振舞っていたのかもしれません」 橄欖は一瞬ためらう素振りをみせたが、決心したように僕に向き合った。 「ラルトス系統に生まれながらESPの弱かった姉さんは、何事にも自信がなくて……決して無口ではなかったのですが、マイナス思考といいますか……」 あの孔雀さんが、マイナス思考? 考えられない。 でも一子さんや二郎や三太も言ってた。今の孔雀さんがおかしいのではなく、今までの孔雀さんがおかしかったんだって。 「わたしはこれでも物事を悪い方向には考えないようにしていますから……いいえ、シオンさまに気持ちをお伝えすることができて、吹っ切れたのかもしれません」 そう言って恥ずかしそうに微笑む橄欖は、自然体で、無口だった頃の面影を感じさせない。これが本当の橄欖の姿なんだってこと、疑う余地がないくらいに。 「両親を亡くしてわたしがあんなふうになってしまってから、姉さんはわたしの分まで明るくしようとしていたんです。だからわたしが元の自分を取り戻して、その必要がなくなったと感じているんだと思います。ひとたび負に転じてしまうと、何もかも悪く考えてしまって……たとえば一子ちゃん達が来て、護衛としての役割がなくなったんじゃないか、とか……大方そのような事を考えているに違いありません」 「そこまでわかってるなら、どうにかできないの?」 「姉さんのケアもしたいところなのですが、傷心のシオンさまを放っておくわけには参りません」 「ぼ、僕は大丈夫だよ」 僕にはフィオーナがいるし。もちろん橄欖の存在が癒しになってることは確かだけど。 「強がりを言わないでください。シオンさまがわたしを求められる限り、わたしはあなたの側にいます。その必要がなくなったら離れます」 「……橄欖には敵わないね」 僕の心なんてお見通しなんだ。どう頑張っても橄欖に嘘はつけない。 フィオーナがいない間は橄欖にいてもらわないと、また考え込んでしまって塞ぎこむのが目に見えている。 「それに……姉さんのコンプレックスの一因であるわたしが励ましても逆効果です。姉さんが自分で立ち直るか、あるいは……」 「これは……シオンさまに橄欖さん」 マフィナの執事、ラクートが花壇の間をゆらゆらと飛んできた。 「ラクート……」 「中庭にいるなんて珍しいね」 「僕もたまにはぁ、花を見たくなることもあるんですよー」 少し様子が変だった。言葉ではそう言うけれどまるで花なんて見ていない。 どこか遠くをみているわけでもなくて、そこにない何かを見つめているみたいな。 「何かありましたか……?」 「さすが橄欖さん、察しが良いですねー」 橄欖に嘘をつけないのはなにもシオンばかりではない。橄欖には感情が見えるのだから、動揺を隠しても無駄だ。もっとも、シオンの目にもラクートが何かにとらわれているのは明らかだったけれど。 「でも……橄欖さんには相談できません」 「姉さんのことですか」 鋭い切り返しだった。図星なのだろう、ラクートは辟易していた。 「……はい。先ほどぉ、庭作業をしている孔雀さんにお会いしたのですが……」 意を決して口を開いたラクートはしかし、そこまで言いかけて言葉を飲み込んでしまった。 「わたしやシオンさまが聞くべきことではない……ということですね」 「申し訳ありませんですぅ」 足早に、いや羽早にとでもいうのか。ラクートはぱたぱたと飛んで屋敷の中へ戻ってしまった。 「ラクートなら、あるいは……」 「え?」 橄欖ほどの理解者はいない。 たぶん、孔雀さんにとっても。 ***04 [#me892335] シオンさまの横で、ゆっくりとしたリズムで胸を軽く叩いている。とん、とん、と、仔共を寝かしつけるみたいに。本当は添い寝でもしてあげたいのだけれど、その一線は越えてはいけない。わたしが気持ちを伝えてしまった以上、たとえ下心がなくても相手はそうは受け取らない。 わたしも、本当に下心がないとは言えない。 やがてシオンさまが静かに寝息を立てはじめたのを確認して立ち上がった。 「お休みなさいませ……」 ここ数日、朝から晩までシオンさまにつきっきりだ。不思議と以前のような緊張を感じることはなく、自分の心の裡を明かしてから、絆は深まったと思う。 しかしわたしは本当にシオンさまを癒すことができているのでしょうか。こんな時にフィオーナさまがいて下さったら良いのに。 フィオーナさまにとってシオンさまって何なの? 彼女がシオンさまを&ruby(しゅちゅう){肢中};に収めた経緯は決して褒められたものではない。 たしかに運命的ではあったかもしれない。だからって窮地に陥っていたシオンさまをお金と権力で救い出すなんて。傷ついた相手の心の隙間に入り込むのは恋愛において一番卑怯だとわたしは思う。わたしだってその気になれば、シオンさまの心を手に入れることだってできるかもしれない。今はフィオーナさまもいないし姉さんの邪魔も入らない。でもそれはしてはいけないことだ。&ruby(ポケ){人};恋しさに冷静な判断力を失っている時に奪ってしまうのは良心が痛む。 シオンさまがあんなに苦しんでいるのに側にいないで。いくら溺愛していても、結局自分の欲望を満たしてるだけなのではないか。 ――いけない。心の声とはいえ、わたしは仮にも主に対してなんてことを。 音を立てないようにそっと廊下に出たとき、南館で見かけるはずのない後ろ姿が目に入った。 その感情から何か事情を抱えているのだということがすぐにわかったので、素早く柱の影に隠れて様子を伺うことにした。 ラクートは周囲を確認しながら、姉さんの部屋の前で立ち止まった。 姉さんに用事? こんな時間に? 部屋の前で深呼吸をなんども繰り返している。ふわりと浮かんでは着地し、妙に落ち着きがない。 やがて意を決したように、ドアをノックした。 「孔雀さ――わああ~っ」 ドアからそんな反応が返ってくるとは誰も予想していなかっただろう。 突然ドアが開いて、まるでクチートが大顎で捕食するみたいに、ラクートは部屋の中に引っ張り入れられた。同時に、橄欖の隠れているところへ向かって何かが飛んできた。 「ひゃっ……!」 何事もなかったようにドアは閉まっているが、橄欖の顔のすぐ横にはナイフが突き立っていた。 「……と。自分で治療した妹の顔をまた自分の手で傷つけようとするなんて」 それにしても、まさかラクートと姉さんがそういう関係だったとは。シオンさまにちょっかいを出しておいて今度は奥さまの執事まで食べてしまうというのですか。本当に節操のない姉さん。心配していたのが莫迦みたい。 橄欖は壁に刺さったナイフを引っこ抜いて、これ以上は介入するべきではないと、自室に戻ることにした。 &size(18){ ◇}; 見られた、か。 あの覗き魔。わたしにもプライベートがあるのだから、いちいち関わらないでほしいものね。 「来てくれたのねラクート。嬉しいわ」 「あ、あの……」 「緊張してるの? 牝の部屋に入るのは初めて?」 「いえ、ぼ、僕は奥様の執事ですから……」 「そうだったわね」 わたしのことを遊び人だと思うなら勝手に思ってなさい。どうせわたしなんて大して役に立たないただのメイドなんだから。 さて、この初心な仔をどう料理してくれようかしら。 「じゃあ、こっちは初めてなのかしら」 サーナイトとトゲチックでは体格差があるので、抱き上げるのは簡単だった。ベッドに放り投げてしまえばあとはわたしの言いなりね。 「まっ、待ってください。僕はそんなつもりじゃ」 「今更何を言っているの? あなたも仔共ではないのだから、わたしの誘いの意味をわかってここに来たのでしょう?」 「意味はわかっていました。でもぉ……僕は、孔雀さんの話を聞いてあげられたらって、そう思ってただけなんですぅ」 「わたしの話?」 ラクートをベッドに座らせた。ラクートはわたしと目を合わせようとしない。 「孔雀さん、最近元気ないじゃないですか。元の明るい孔雀さんに戻ってほしくて」 「明るいわたしに、ね……」 ラクートは知らないのだ。わたしの本当の性格を。ラクートだけではない。フィオーナさまも、シオンさまも、他の皆も。わたしが陽州にいた頃、どんな牝の仔だったのか。 「ラクート。あなたは……」 「はい」 「わたしのことが好きなのでしょう?」 「はい」 今朝は名言はしていなかったが、ラクートに躊躇はなかった。即答だった。 「……だからこそ、だめなんです。僕が好きなのはいつも明るく笑っていて、自信に満ち溢れた孔雀さんですから」 「わたしは生まれた時から自信なんてないもの」 「なんでそんな事言うんですかぁ!」 ラクートが勢い良く立ち上がった。飛んだ。目線を合わせた。いや、わたしより上に。見下ろして。 「僕は孔雀さんがいなければ今頃灰になって、海の藻屑と消えていたんですよ? あんなヒーローみたいな登場の仕方で、絶好のタイミングで命を救ってくれるなんて……孔雀さんにしかできない芸当じゃないですかっ」 「ラクート……」 何を本気になっているのよ。わたしなんかに。 「いつも北館の窓から、中庭で楽しそうに庭作業をする孔雀さんを見ていたって……知ってました? 料理だってできるし、強いし……僕の憧れを、そんな簡単に否定しないでください!」 「莫迦ね。わたしに憧れるのがそもそもの間違いなんじゃない?」 「どうして……」 両肩を掴まれた。 「どうしてなんですか? どうして……そんな風になっちゃったんですか、孔雀さんっ!」 「どうしても何も元からだって……あなたは知らないだけよ」 「じゃあ教えてください! 僕、僕……」 ラクートの両手の力が緩んだ。羽ばたきも徐々に弱くなって、再びベッドに座り込んで、目に涙を溜めて。 何が悲しくて泣いているの? こんなわたしを見ているのがそんなに辛い? 泣きたいのはこっちよ。 だめ。 ここでわたしが泣いたら何の解決にもならない。 そんなにわたしのことが知りたいのなら、教えてあげるわよ。 ――本当はわたしも、理解者がほしかったのよ。 「ラクート……」 その小さな震える肩をそっと両手で包み込んだ。 もう逃がさない。 ***05 [#faad664e] 「うぅん……やめっ……あああああぁぁっ!」 「シオンさま! シオンさまっ!」 また今日も&ruby(うな){魘};されていた。本当に添い寝でもしてあげないと治らないかもしれない。 「もう、やっぱり橄欖ちゃんはダメね。退きなさい」 「え……?」 背後からの突然の声。橄欖を押しのけて、姉さんが割り込んできた。 「朝ですよー。シ・オ・ン・さ・ま」 それだけには飽き足らず、ベッドからシオンさまを問答無用で抱き上げて、その寝顔にキスを迫るという暴挙に出た。予測不可能すぎる出現、想定の斜め上をいく行動。 「姉さんっ! 何をしているんですか!」 「ぅ~~……あらら」 すんでのところで姉さんの腕からシオンさまを引ったくり、キスは空振りに終わった。 「むにゃ……んぅ? か、橄欖? 寝てる僕を抱っこして、何するつもりだったの?」 「ち、違います! これは姉さんがですね……おや? 姉さん?」 いない。なんという神出鬼没。傍迷惑。 「孔雀さんがどうかしたの?」 「今までそこにいたのです。シオンさまも姉さんの神出鬼没っぷりはご存知でしょう?」 「や、知ってるけど。ここのところ孔雀さんって元気なかったんじゃ」 そういえば。 あまりに自然すぎて忘れていた。 さっき現れたのは以前の姉さんだった。 「どういうわけなのでしょうか……気を取りなおしたようですね」 「そうなの? 良かったぁ」 昨夜ラクートが姉さんの寝室に引っ張りこまれたのと何か関係があるのでしょうか。 十中八九それに間違いない。ラクートは一体姉さんに何をしたのだろう。 後で聞いてみれば良い話ですね。 「おはようございますシオンさま、橄欖ちゃん。あら、シオンさまを抱っこなんかして、お目覚めのキス? 最近フィオーナさまが忙しいからって浮気はいけませんよー」 「ちょ、いつまでこのままいるつもり? 下ろしてよ!」 「も、申し訳ありません」 反射的に謝ってしまったが、元はといえば悪いのは姉さんだ。全部姉さんが悪い。 シオンさまを床に下ろして、何食わぬ顔で部屋に入ってきた姉さんを睨みつけた。 「そもそもキスをしようとしたのは姉さんでしょう! 今日はフィオーナさまがいなくて暇だからって、シオンさまにちょっかいを出すなんて以ての外です!」 「わかったわかった。悪かったわよ」 「シオンさまに謝って下さいシオンさまに!」 「はいはい……シオンさま、出過ぎたことを致しました。申し訳ありませんでした」 「心がこもっていないじゃないですか……」 「や、だいたいの事情はわかったからいいよ。それより孔雀さんが元に戻ってくれて、とっても嬉しいなって」 「そうですかー。ではつづきを」 「姉さん!」 「冗談ですよー」 「姉さんならやりかねません」 何はともあれ、良かった。姉さんが昔みたいに暗いまま戻らなかったらどうしようかと思ってた。ラクートには感謝しないと。 そのまま食堂に向かい、朝食の時間。 調子の外れた鼻歌を歌いながら厨房に立つ姉さんの姿に、心の底から安堵を覚えた。 あとはシオンさまだけ。 「今日の朝食はトーストにベーコンエッグ、旬の夏野菜のサラダです」 朝の九時、昨日よりは少し早いが、食卓にはシオンさま一匹だけ。使用人の朝は早いので、皆朝食は済ませて仕事についている。 「シオンさまにはご心配をお掛けしました」 「わたしも心配していたのですよ……?」 「そうね。橄欖ちゃんにも悪かったわ」 いただきます、と食べ始めたシオンさまの姿をにこにこと見守っている。久々のこの風景に心が和む。 ヴァンジェスティ家の食卓はこうでなくっちゃね。あとはフィオーナさまがいれば完璧なのだけれど。 「でも、なんだか違和感があるな」 「違和感……ですか? 姉さんが突然戻ったから?」 「や、そうじゃなくて」 シオンさまはわたしの顔を見て微笑み、また食事に戻った。 ――前と違って、二匹とも明るいからだよ。 そういうこと。確かに、前はわたしは無口だったから。 「ふふふ。橄欖ちゃん、あなたこそ長い間、和気藹々としたこの屋敷の雰囲気をぶち壊してきたんだからわたしのコトは言えないわよね?」 「そのような事を言っていると、幼少の砌より積み重ねてきた姉さんの黒歴史を順々に公開してしまいますよ?」 「一つでも口にしてごらんなさい。その可憐なお顔を今度こそ永久に破壊してやるんだから」 「姉さんがわたしに敵うとでも?」 封印してしまえば良いだけの話。 「ほい」 姉さんがウィンクすると同時に、口元で×印を作って見せた。まさか。 「封印を封印してしまえば良いだけの話、よね? さあ覚悟なさい」 いつの間に覚えたの。 非常にまずい。キルリアの覚える技は全てサーナイトも覚えるのだ。できることがほとんどなくなってしまう。 &ruby(サイコキネシス){念動力};を駆使した驚異的な瞬発力……は、発揮できなかった。 「これは……金縛り……!」 「危ないところでした。わたしは姉さんのように力押しでは勝てませんから、補助技を多く身につけているのです。これはどうです……?」 指先に小さな黒い炎を灯す。鬼火。火力は無いに等しいが、ひとたびこの火に触れると生き物のように体表面を走りまわり大火傷を負わせるという恐ろしい技だ。 「あの、やめましょうね橄欖ちゃん。ご主人さまの食事中に喧嘩は良くないわ」 「姉さんがそう言うなら」 ふっ、と鬼火を吹き消したその次の瞬間。 「隙あり!」 影打ちで飛び掛ってきた。さすがにこれは読めなかったが、出入口の方から飛来した薙刀が二匹の間に突き刺さり、バトルを強制的に中断させた。 「遊んでる暇があるんなら掃除手伝ってくれないかい? 紫苑に二匹もついてる必要ないだろ」 そんなものを投げてくるポケモンは一匹しかいない。慣れない雑務にストレスが溜まりっぱなしの一子である。 「これはこれは一子ちゃんではあーりませんかー」 「孔雀……また調子乗り始めたのか? あのままの方が真面目で良かったのに」 一子は薙刀を引っこ抜いて身体の中に仕舞い込んだ。 「わたしはいつも真面目なのですよー」 「へえ」 「どの口で言いますか……」 「あーもぉ! 落ち着いて食事もできないよ!」 鶴の一声。 シオンさまが立ち上がると、場が静まり返った。 「僕が食事中なのに薙刀を投げる使用人がどこにいるんだよ! だいたい孔雀さんと橄欖もそう! こんなところで姉妹喧嘩なんて何考えてるの!」 返す言葉もない。 姉さんが元に戻ったのが嬉しくて、少し羽目を外しすぎたみたいだ。 「申し訳ありません」「申し訳ありません」「悪かったよ」 三匹とも小さくなるしかなかった。 「もう……」 何はともあれ、シオンさまも少しずつ元気になっているようで良かった。 願わくばこのまま立ち直ってくれるといいのだけれど。 「橄欖だけ僕についてて」 「畏まりました」 ……まだだめみたい。 「んじゃ孔雀、行こうか。さっさと掃除終わらせたら鈍らないように修行だ修行」 「望むところです!」 一子さんに負けたこともコンプレックスの一つだったはずなのだが。 ま、裏で努力は続けていたようだから、すぐにまた追いつき追い越すに違いない。 「シオンさま、わたしはいつまでもあなたの側にいますよ」 わたしは精一杯の笑顔をあなたに与え続けよう。今まであなたがくれた分にはまだまだ届かないから、いつか返しきるまで。 「どしたの急に」 「いえ。お気になさらず」 笑顔、笑顔。わたしはあなたの顔を見ているだけで幸せですから。自然と笑みも零れるというものですね。 「……僕がきみを好きになっちゃったらどうするのさ」 「えっ」 「ごめん、今のなし」 「……ですよね。そんなことあり得ませんよね」 笑顔、笑顔……。 だめ、止まらない。 「あっはははは! シオンさまったら悪いご冗談を!」 「ええー……?」 そうだ、わたし。 こんな笑い方もできたんだ。 ***06 [#f8b03e49] 「ラクート、ああラクート、ラクート……」 孔雀さんは僕を抱きしめたまま、ただただ名前をつぶやくばかり。 「どうしたんですか? 言ってくれなきゃわかりませんよぉ」 「ラクート……」 薄暗い部屋がしんとした静寂に包まれた。 想い&ruby(ポケ){人};と&ruby(ふたり){二匹};きりでこんな状況に置かれて僕が冷静だったかといえば、頷くことはできないだろう。 短い腕ではちゃんと力が入らないけれど、僕は彼女の身体を抱き返した。 絡まりながら、決して融け合うことはなく。 このひとの心に僕はいないから。 「わたし、ね」 入っていないと知りながら箱を開けて。 どうか僕に&ruby(なか){心};を見せてください。 「わたしはあなたや一子ちゃん達やシオンさまみたいにできていないの。先祖の血がなければただの欠陥品。わたしの念力じゃ小石さえ持ち上げられなかったの」 ――僕は勘違いをしていた。 孔雀さんはこれまで何一つ不自由しなかったんだって。 初めての挫折で苦しんでいるんだって。 「それにひきかえ橄欖ちゃんはみるみる才能を発揮していった。あの仔がすごいのは知ってるでしょう? あの仔は優しいから、今もわたしに気を遣って、姉のわたしを立ててくれているけど。あの仔がキルリアに留まることを選択したのはシオンさまのため、使用人としての能力を最大限発揮するためってことになっているけれど、わたしのこともあったのよ。橄欖ちゃんがサーナイトに進化したら、きっとわたしなんかと比べものにならないくらいの力を持ってしまうから。でもその気遣いが心苦しいの。わたしは思い知らされる。生まれ持ったものの大きさを。絶望的なスタートラインの差を」 「な、何言ってるんですかぁ。この屋敷で孔雀さんに敵うポケモンなんて……」 言葉だけ聞いても信じられなかった。 一子さんに負けたのも、きっと何かの環境因子が不利に働いたからだって思ってた。 「先祖の血を継承したわたしは、この弱い力を最大限に発揮するために努力した。突きや蹴りの一つ一つまで磨いて磨いて……わたしが&ruby(サイコキネシス){念動力};を使うとき、展開させるのは一瞬。爆発させて、途切れ途切れに、あとは慣性だったり自分の筋力だったり。わたしの体、あなたが思っていたよりずっと硬いでしょう? わたし、筋肉は付きやすいみたいなのね。だから仔共の頃から、牡に生まれたかったってずっと思ってたわ。そうしたらエルレイドに進化できるのにって。サーナイトになるまで、牝でもどうにかしてエルレイドに進化する方法がないかって夢見ていたんだから」 この時初めて知ったのだ。 孔雀さんは生まれ持った才能で強いんじゃない。他人の何倍も何十倍もの努力をずっとずっと続けてきた成果だったんだ。 積み重ねてきた努力を否定されて、引きずられるように、自信という牙城もガラガラと崩れ去った。 一度闇を抱えてしまったポケモンがそれを消し去ることは至難の業だ。心という泉の奥底に深く深く沈んでいただけ。&ruby(みなも){水面};に顔を出してしまった闇の塊を、僕が消してあげることはできるのか。沈めたところでまたいつか浮かんできてしまうなら、ここで片をつけてしまわなければならない。 「僕はそんなのは嫌です」 「え……?」 顔を上げた孔雀さんの瞳は、涙に揺れていた。泣き顔を見るのは初めてで戸惑ったが、もう逃げるわけにはいかなかった。 「孔雀さんは&ruby(女の人){牝のポケモン};で、こんな言い方するのも何ですけど、サーナイトなのに殴り合いが強くて、こんなにセクシーで、とても神秘的で……だからこそ、僕はあなたに恋をしたんです」 「孔雀さんは女の&ruby(ポケモン){人};で、こんな言い方するのも何ですけど、サーナイトなのに殴り合いが強くて、こんなにセクシーで、とても神秘的で……だからこそ、僕はあなたに恋をしたんです」 孔雀さんは目に涙を湛えたまま、僕の言葉に一つ一つ答えるように、やわらかく微笑んだ。 「ありがとう。でも、わたしをそんな風に評価してくれるのはラクートだけよ」 「そんなことないですよぉ。だって……」 僕は知っている。このひとが見ているのは僕じゃない。頬を伝う涙に映るのは、目の前にいる僕の姿じゃない。 「シオンさまもそう思っているはずです。橄欖さんに聞きました。シオンさまはご自分のことだけでも大変なのに、ずっと孔雀さんの心配をしているって」 「それは、シオンさまがお優しいから」 「たしかにそうかもしれません。でも僕から見ても、本当にそれだけの関係には見えません。フィオーナさまに対する恋慕の情とは異なるにしても、シオンさまはあなたのことが好きだと思います。僕があなたを想うのと同じくらい大切に想っています」 なんだって僕はライバルの援護なんてしているのか。 このまま孔雀さんを抱くことだってできたのに。 「どこにでも現れて、なんでもできて、いつも優しくて、それでいてちゃんと叱ってくれて。そんな孔雀さんを愛していないポケモンなんて、少なくともこの屋敷にはいません。一度くらい一子さんに負けたって、みんな孔雀さんを弱いだとか、いらないポケモンだとか思ったりしません。無理はしないで、ゆっくりでいいですから、どうか」 いつの間にか彼女の涙は止まっていた。虚を付かれたような、放心しているような、そんな目で僕を射抜いて。 「どうか、また僕たちに笑顔を見せてください」 窓から差し込む青い月の光。 どうして今まで気づかなかったんだろう。 孔雀さんには月明かりが似合う。橄欖さんは太陽の下に佇んでいるのが一番いい。 この&ruby(ふたり){二匹};、本当は逆だったんだって。 ***07 [#f59b0652] 不穏な空気。 べたつくような重さ。 俺達にとって夜は身を覆い包む闇のベールであったはずなのに、今はひどく心地が悪い。 闇に呑まれそうだと。 まるで日の下で生きるポケモンのような心境だった。 「来たわよ」 今回の仕事は、いわゆる襲撃ミッション。 とある闇商人のところに運び込まれる予定の陽州産の武器を奪うというものだった。 「護衛は……ウツボット一匹?」 つるのムチを車輪つきの箱に巻きつけて引いているウツボット以外に、護衛の姿は見られない。随分と無用心なものだ。 「みんな、一斉に飛び出せ!」 これなら作戦などいらない。六匹に囲まれれば逃げの一手だろう。 「待って!」 キアラが制止の声を上げた。 が、遅かった。もう全員飛び出した後だ。 「オォそこのウツボット野郎、命が惜しかったらその荷物置いてけやコラ」 セキイが火の粉で威嚇射撃をしながらウツボットを脅した。 何も問題ない、はずだ。 「この荷物が欲しいのか? くれてやるよ」 言うが早いか、ウツボットが垂直にビヨーンと跳び上がった。 「カスが」 「簡単だね!」 セキイとメントが箱に駆け寄った、次の瞬間。 「待ちなさい二匹とも!」 キアラの声に覆い被さるように、凄まじい爆発音。 ローレルは熱気と爆風に晒され、ごろごろと転がるように吹き飛ばされた。はじけ飛んだ箱の破片がいくつも体にあたった。 「セキイ、メント――キアラ!」 後ろに立っていた俺でさえこれだ。すぐ近くにいた二匹と、助けようとしたキアラの無事が危ぶまれる。 爆炎と煙で奪われた視界の裏に、あの時キアラとメントが雷の直撃を受けた映像が脳裏に再生された。 「コホッコホッ――こっちは軽傷よ!」 よかった。ひとまずキアラ達は無事らしい。 「こっちも大丈夫!」 「ちッ……またかよ!」 ルードが悪態をつくのも何度目か。 最近こんなことばかりだ。 「デアス、ボムゥを回収して下さい!」 「了解!」 煙の中、聞き覚えのある、クソ真面目を体現したような声が響いた。 先ほどジャンプしたウツボットが廃屋の上から蔓を伸ばして、大爆発により一時的な戦闘不能に陥ったフォレトスを引き上げるのが見えた。 入れ替わりにローレル達に降ってきたのは、ヘドロ爆弾だ。 「ロスティリー伏せろ!」 毒を受け付けない鋼の体でルードがロスティリーを庇った。ローレルは持ち前の耐久力で凌いだものの、キアラたちとの距離をさらに空けられてしまった。 第二撃が来る前に悪の波導を放つも、反撃のタイミングを読まれたか、ウツボットは屋根の影に隠れてしまった。 その影にオレンジの光。熱気がここまで伝わってくる。 「炎技……! ルード、離れて!」 ヘドロ爆弾に大文字を重ねた第二撃。 キアラが咄嗟にアクアジェットで合流し、ハイドロポンプとルードの波動弾で何とか相殺。しかし、向こうに残されたメントとセキイをストーンエッジが襲うのが見えた。 メントが撃ち落としもしくは軌道を反らしたが、このままでは一方的だ。 「散って! 各自撤退!」 結果的には、こうして早い段階で逃亡を選んだことが全員の生存に繋がったのだった。 それにしても。 サエザの反乱後、あのマニューラが言ったとおりにカルミャプラムのハンターには報酬が入った。 俺たちにとってみれば万事うまくいったも同然だった。それがそうではなかったのだ。 あれからというもの、任務のたびにこうして邪魔が入ったり、罠にかけられたりすることが滅法多くなった。どうやら俺たちは私兵団に狙われているらしかった。それだけではない。報酬の一件でカルミャプラムは私兵団とグルだという噂が立ち、同業者からも恨みを買っているらしい。オーナーのデッドリーが火消しに奔走しているが、噂が消えるのはいつになることやら。 それに加えて、頼りにしていたキアラの知り合いの情報屋が音信不通になったというのだ。 お陰で罠を事前に察知することも難しくなり、グラティス・アレンザはかなり危ない橋を渡らなくてはならない状況に陥った。 「みんなうまく逃げたかな……」 まあ、もとより命の危険は覚悟の上だ。 ハンターという職業は決して安定したものではない。 こんなことを続けていたらいつか死ぬ。 皆わかっていて抜けられないのだから。 あの日、孔雀を通して兄ちゃんが俺に伝えたこと。俺が兄ちゃんに伝えたこと。 俺は守ることができるのだろうか。少なくとも今はできているけれど、この先ずっと、大切な仲間を守り続けることなんて。 でも、もう戻れないんだ。今さら明るい道には。 俺は暗闇の中を、月明かりを頼りに、皆で歩いて行くんだ。 この時俺の中に、ふとある考えが浮かんだ。 我ながらなかなかいい考えだと思った。 ***08 [#t7dc9f9a] 孔雀さんが立ち直ったお陰か、ヴァンジェスティ屋敷の雰囲気も前の明るさを取り戻しつつあった。 シオン達はリビングルームでののんびりした休日のティータイムを満喫していた。 「本日の紅茶はアザトのセルスエラから取り寄せた茶葉を使ったアイスティーです」 「夏もいよいよ盛りを迎えますね。暑さは陽州ほどではありませんが」 満面の笑みでグラスに入った紅茶を運んできた孔雀さんと、よく喋る橄欖を見ているだけで心が和む。 誰かさんがいないので妙な緊張感もなく、安心して羽を伸ばせるというものだ。 「シオンさま。そのようなことを仰っているとフィオーナさまが悲しみます」 「な、何も言ってないでしょ!」 「おやおや。シオンさまは橄欖ちゃんに乗り換えてしまわれるおつもりですか? いけませんよー。駆け落ちなんてしようものならあの方はきっと地の果てまでも追っ手を差し向けてくることでしょうから」 物騒なことを言いながら、孔雀さんはアイスティーの入った深いお皿をシオンの前に置いた。 「か、駆け落ちなんてしません!」 「な、なに言ってるのさ!」 内容こそ微妙な違いはあったものの二匹の声が重なってしまい、気まずくなって顔を見合わせた。 ――って。 これじゃまるで、本当に僕と橄欖がそういう関係みたいじゃないか! 「何だい。そんなナリして案外軽い牡だったのか紫苑さんよ」 「軽いー軽いーふわっふわー」 一子と三太にまでからかわれるし。 「あーあー聞こえなーい」 「姉さん、この生意気な新人を何とかしてください……!」 「ええ。わたし一子ちゃんには勝てませんし」 「ふん。昨日手合わせしたら勝負がつかなかったじゃないか。やればできるくせに」 そうだったんだ。もしかして、孔雀さんが立ち直ったのはそれが原因なんだろうか。 「次こそは一子ちゃんに参ったって言わせて差し上げます」 「あの一回だけで調子乗ってんじゃないよ。ま、私としちゃ次負けたからってあんたにはまた落ち込まないでほしいものさね」 「気遣いは無用です。わたしが負けることなど二度とあり得ません」 わ。なんか孔雀さん、いきなり自信満々だなあ。ほんとに両極端なんだから。 「そうかい」 「孔雀姉ちゃんも強いけど、僕は断然姉さんが上だと思うよ!」 「僕は、孔雀さんが有言実行してくれればいいなって」 「紫苑は姉さんの強さを知らないからそんな事が言えるんだよ!」 「や、そりゃ一子さんが僕なんかじゃ敵わないくらい強いってのはわかってるけど……なんていうか、一度負けたって聞いてもまだ信じられないんだよね。この孔雀さんが負けるところなんて想像できなくて」 あの落ち込んでた孔雀さんが嘘だったみたいなんだもの。 というか、むしろ前よりも。 「ねえ、孔雀さん」 「はい」 「お楽しみのところ失礼しますぅ」 言いかけたところでドアがノックされた。 間延びした声の主はもちろん、お義母さまのいる北館担当のラクートである。 「一子さんは……あ、いた」 ラクートはふよふよと一子に急接近してその手を掴んだ。 「何度も言いますけど、一子さんは北館の担当です。こっちじゃないです」 「わ、わかってるようるさいねえ。ちょっとくらい皆と話しちゃいけないのかい」 「あなたがいないから、僕ひとりで奥様のお相手ですよぉ? それに北館はもう清掃の時間ですので」 「ちっ……」 「あー、ちって言ったぁ。サボるつもりだったんですね?」 何ともマイペースな会話を繰り広げながらも、ラクートは確実に一子をリビングルームの北の出入口まで引っ張っている。 一子はどうやらラクートが苦手らしい。ラクートの方が年下だし力だって強くないのに、どうしてか逆らえないようだ。完全にラクートのペースに巻き込まれている。 「どうもーおさわがせしましたぁ」 「ご苦労さま、ラクート」 バタン、と扉が閉まる前に、孔雀さんのこの言葉。 二匹がアイコンタクトを交わして微笑み合ったのを僕は見逃さなかった。 「ねえ孔雀さん」 「はい。先ほどの続きですか?」 「んーとね、さっき訊こうとしてたことと関係あるのかもしれないけど」 一子さんと互角だったから立ち直ったなんて、そんな中途半端な理由じゃなかったんだ。 「ラクートと何かあったの?」 「えーと……」 シオンの質問に対し、孔雀さんは予想外の反応を見せた。珍しく困ったような笑顔で、はぐらかそうとしているみたいな。 橄欖は真剣な面持ちで彼女の言葉を待っていた。 「違いますよ? わたしとラクートはべつに何もありませんよ?」 「違うとは……何がですか?」 「橄欖ちゃんが思っているような関係じゃないってこと」 「ではあれは何だったのでしょう」 どうやら橄欖は何かを知っているらしい。 「あれって何かしら?」 「ここで答えてもよろしいので?」 「それは……」 「えーなになに夜の密会? 僕も聞きたいなー」 「仔共は黙ってなさい!」 「まあまあ。何もそんなむきになることないでしょ。それともまさか、本当に密会でもしてたの?」 「ご、誤解ですシオンさまっ。わたしはただラクートとお話をしただけなのですから!」 「お話?」 墓穴掘ったね孔雀さん。 「えー……とぉ……」 「姉さん。この上は正直に全てを話した方が疑いも晴れると思います」 橄欖、それは自分が聞きたいだけなんじゃないのかなあ。 僕も聞きたいから黙っとくけど。 「シオンさま隙あり!」 「ゎふぅ!?」 いきなりほっぺにキスされた。 「それではわたしは一足先に南館の清掃をしておりますので! 橄欖ちゃん三太くん、あとはお願いね!」 抗議する間も、もちろん止める間もなく、孔雀さんは疾風のごとくリビングから消えてしまった。 「姉さんったら……」 「フィオーナが知ったらキレるよね! 言っちゃおっかな!」 「頼むからこれ以上話をややこしくしないで。後は橄欖に任せるから、きみも孔雀さんを手伝ってあげて」 「はーい。あとは&ruby(ふたり){二匹};っきりで楽しむんだね!」 「三太くん……それ以上言うとわたしも怒りますよ」 「ご、ごめんなさい!」 そんなこんなで三太も消え。 「結局橄欖と二匹になっちゃうんだね」 「シオンさまさえお嫌でないのなら、わたしは一向に構いませんけれど」 確かになったことが一つ。 ラクートが孔雀さんを助けてくれたんだ。 「そのようですね。不純異性交遊でなくて安心しました」 「きみもフィオーナが帰ってくる前に態度を改めないとまずいかもしれないよね」 「えっ……」 全く気づいていなかったのか、橄欖はシオンの言葉に面食らっていた。 「や、だって……僕のことが好きなのはわかったけど、最近ちょっとずつ距離が近づいてない?」 橄欖ははっと気づいたように一歩、二歩下がると、深々と頭を下げた。 「こ、これはとんだご無礼をいたしました! 使用人ごときが分を弁えず……どうかお許し下さいませ!」 「自覚してるなら大丈夫だよ」 あとは僕さえ変な気を起こさなければ。 ほんとフィオーナってば何やってんだろ。 僕だって男の子なんだよ? いくらなんでも安心しすぎなんじゃないのかな。 ---- &size(18){[[日陰と月影 -Shade and Moonlight- 2]]};へ続く ---- ---- ***コメント [#t1800f4b] #pcomment IP:115.179.90.197 TIME:"2014-08-11 (月) 04:34:43" REFERER:"http://pokestory.dip.jp/main/index.php?cmd=edit&page=%E6%97%A5%E9%99%B0%E3%81%A8%E6%9C%88%E5%BD%B1%20-Shade%20and%20Moonlight-%201" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/33.0.1750.154 Safari/537.36 Sleipnir/6.0.0"