[[BACK >抱きつき体質]] こちらは[[抱きつき体質]]の後日談にあたる作品です。先にそちらを読んでおくと理解がスムーズになります。 &color(red){官能描写を含みます。}; ---- 私たちのカロスリーグは、ベスト8というそこそこの成績で終わった。 準々決勝の相手はけた違いの強さで、&ruby(れつき){鈴月};を破った勢いのまま優勝をさらっていった。ここまで実力差を見せつけられると諦めも潔いもので、私たちはあっけない旅の終わりを励ましあっていた。表彰台を遠目に記念メダルを受け取り、リーグ挑戦の証明書を受け取り、その日の夜にはもう、アサメタウンにある鈴月の家に帰省していた。豪華なフレンチで娘を出迎えた両親はとても誇らしげで、テレビの前にかじりついて彼女を応援していたそうだ。そんなこんなで夜遅くまで私たちにかまっていた鈴月は、リーグの疲れがぶり返したのか、気づけばソファで寝てしまっていた。ブリガロンの&ruby(かんろ){甘露};が寝室まで連れていって、その流れで私たちもボールの中で寝ることになった。 鈴月の家庭は私たち6匹を養っていけるほど裕福ではなく、初めのパートナーである甘露を残して他のメンバーは野生に返すことに決まった。彼女の気持ちに整理をつけるために、時間をかけて今まで旅をしてきたルートを逆にたどるという。 私はなんだか寝付けずに、庭の芝生に座り少し欠けた月を眺めていた。鈴月の旅の最終盤で仲間に加わった私は、5ヶ月という短い付き合いだったから、そこまで寂しくないのかもしれない。月の石で進化もできて、悪くない出会いだった。 遠くを見上げる私の肩に、湿った感触があった。 振り向けば、いつのまに近づいていたのだろう、見知ったヌメルゴンが見下ろしていた。どこかスッキリした面持ちで、私を見据えている。 「改めて言うけど、フクラム、僕はきみが、好きだよ」 「うん、知ってるよ、うるち」 ひと言ずつ、自分の気持ちを確かめるような言い方だった。リーグ戦が始まる前にもうるちに告白されていて、そのときはビックリして振り払ってしまったけれど、嫌ではなかった。むしろ嬉しかったくらい。プクリンである私の特性のせいで言い寄ってきた雄の仔はたくさんいたけれど、うるちのように私を心から好きになってくれたひとは初めてだったから。彼なら、友達よりももっと踏み込んだ関係になってもいいかなって思っていた。 「恋びとになろう。……きみが故郷に戻るまでの恋びとに、僕はふさわしいかな」 「……うん、もちろんだよ」 でも、それも時間制限つきだ。うるちの意図が見えなくて、私はすこしたじろいだ。いっしょにいられる時間はあとひと月くらいしかなく、これ以上親密になれば別れが辛くなるだろうに。歯切れ悪いOKの返事をした私に、うるちは満足そうに抱きついてきた。これまで抱き合った中でもいちばん力強い抱擁だった。 恋仲になっても、私たちの関係はあまり変わらなかった。チームのメンバーなら誰とでもハグしていたうるちが、それを私に絞ったくらいで、まだキスもしたことがない。ますます彼の意図がわからなくて、この1ヶ月ずっとどぎまぎしていた。 オーロットたちが行く手を阻む迷いの森を抜けた先、ポケモンの村。だいたい半年ぶりの、私と&ruby(わたぬき){綿貫};の故郷だ。ここでうるちたちとはお別れになる。今晩は6匹とひとりで過ごす、最後の夜だった。 ---- &size(22){抱きつき体質 それから}; [[水のミドリ]] 鈴月の手持ち(加入順) 甘露(ブリガロン♂) シンシア(サーナイト♀) マルメロ(デンリュウ♀) うるち(ヌメルゴン♂) フクラム(プクリン♀) 綿貫(ジュペッタ♂) ---- 一面の花畑が広がる北の高台で、私は山すそへ沈む夕陽を見ていた。鈴月に出会うまでここで暮らしていたけれど、以前もこうして時間を過ごすことが多かった。花畑を切り分けるように走る小川が、きゃらきゃらと小さな滝で雫を弾いていた。 「よー、なにしみったれてんノ」 「……なんだ、綿貫かあ」 「なんだってなんだよー、うるちじゃなくて悪かったなァ」 「そういうつもりで言ったんじゃないよ」 私のとなりにどっかと腰を下ろして、ジュペッタの綿貫が目を細めた。いつもより顔の近い気がする。 とりとめのない話をした。都会よりここのが落ち着くとか、シンシアはやっぱりいけ好かないとか、綿貫はいつもより饒舌だった。私を見返してくるその赤い瞳がちょっと熱を持っているような気がして、なんだか居心地が悪かった。 そわそわする私に肩をすくめた綿貫が、いたずらのばれた子供みたいな顔をする。 「……まー気づくよな。いま俺、少しばかりおめーに興奮してる」 「えぇ……」 異性が触れるとメロメロになってしまう私の特性、そのせいでオスに迫らせることが苦手な私にとって、それはあまり嬉しくない告白だった。 ずっと昔、まだ私がほかのポケモンとの距離をつかめていなかった頃。大の仲良しだったゴチミルの男の仔を、無意識に触れて誘惑してしまったことがある。ぼんやり花ぐさりを作って遊んでいたところへ、急に覆いかぶさってきて……。スカートのような下半身から覗いた彼のたちあがったものが恐ろしくて、私は泣き叫んでいた。 そのときゴチミルから襲われた私を助け出してくれたのは綿貫だし、もちろん信頼しているのだけど、やっぱり雄にぐっと近寄られるのは苦手だった。まして私はうるちと恋仲なのだ。そんな浮気みたいなこと。 勝ち気にどなりちらそうと膨らみはじめた私を、綿貫は慌ててなだめこむ。 「待て待て、そういう意味で言ったんじゃねーんだ。俺、薬を作れるように研究してるじゃんか。で、ようやく掴んできたんだヨ。寝ている間におめーの涙を拝借して、惚れ薬を作ってみた」 「そんなのいらないよっ」 「そうも言ってられねーだろ。うるちとイチャイチャするのもいいけどよー、いつかはおめーもツガイを見つけなきゃだろー? 」 「それは、そうだけど……」 うるちの住んでいたラルジェ・バレ通りは、3日雨が降り続くことも珍しくない豪雨地帯らしい。夜には月を見ないと落ち着けない私にとっては、そこでの暮らしは想像できないものだ。逆にここポケモンの村は雨なんてほとんど降らないから、うるちが住みつけば干からびてしまうだろう。小川は流れているが、ヌメルゴンが水浴びするには手狭かもしれない。 それに、1番の障害は、私とうるちではタマゴができないことだ。これ以上くっついていてもお互いを縛りつけ辛くなるだけだというのは、私たちの間で暗黙のうちの認識になっていた。 耳を垂らしてしょげる私の手を、綿貫は所在なげにむにむにしている。 「初めて作った薬のわりに効果はばっちしだゼ。むしろ強すぎたくれーだ。惚れさせたい相手の飯にスプーン1杯分混ぜ込んでやるだけで、どんな屈強な雄もおめーにメロメロよ」 「キミが優秀なのは分かったけど、なんで自分で試してるの……」 「いつか気が向いたら使ってみろって、な?」 グイグイと茶色い小ビンを押し付けられ、私はそれを渋々懐にしまった。綿貫のジッパーから漏れる息が生ぬるい。どこからかうるちに見られている気がして、気が気ではなかった。 ご飯よー、と教会の鐘のようなシンシアの声がここまで響いてきた。もうそんな時間だ。呼ばれたから、と綿貫をやんわり振り払って、私は丘の斜面を跳ね降りていった。 組み立てコンロで鍋をかき回すサーナイトから皿を受け取って、折りたたみテーブルのそばに並べていく。甘露は水浴びしているだろうし、面倒くさがりな綿貫は最後に来るから、すぐに集まったのは私とマルメロだった。……うるちはどこにいるんだろう。草食な彼のために葉物野菜がたっぷり浸されたシチュー皿を両手に抱えて、私はきょろきょろしていた。 背後のシンシアを横目で気にしながら、マルメロが身をかがめて囁いてきた。 「あの、フクラムさん」 「どうしたの?」 「明日わたし、うるちさんに告白します」 「え」 思いもよらない言葉がマルメロの口から飛び出してきて、私は危うく食器を落とすところだった。まじまじと彼女の顔を見上げても、冗談めかしている気配はない。そもそも冗談が言えない性格だ。 そのまま固まっている私に、植物の種みたいなデンリュウの瞳がまっすぐに向けられる。 「フクラムさんとうるちさんは付き合っていますけど、私だってうるちさんのことが好きなのは変わりありません。むしろあれからなにも進展なくて、見ているこっちがもやもやしているんですよ。友だちのままでいいのなら譲ってください。私は本気です」 「え、それは、その……、うるちもそんな雰囲気じゃないし……。でもなんでわざわざ……」 「今日でフクラムさんとはお別れですけど、別れたすぐあとに私がうるちさんに想いを伝えたら、なんだかずるいじゃないですか。だから、あなたにも話しておくのです」 「でも、そんな急に言われたって……」 「急なことはありません、私が告白しようとしまいと、今夜で最後なんですよ! ……本当にこのままでいいのですか? 今夜が最後のチャンスなんです。私もうるちさんを独り占めしようなんて気持ちはありません。一緒に旅をしてきたフクラムさんにも、幸せになってほしいんです」 「……」 水浴びから戻ってきた甘露が、どうしたんだ、と覗きこんできた。なんでもありませんよ、とはぐらかしたマルメロが彼の皿を差し出す。甘露と談笑しながら席をはずしてくれた彼女が、念を押すような流し目を送ってくる。 ……うるちも、同じことを思っているかな。抱き合うだけで満足している私たちだけど、せっかく恋びとに成就したのだから、それにふさわしい関係性になってみたいと、私はちょっと期待している。 気づけば、懐から取り出した小ビンを握りしめていた。慎重にコルク栓を回し抜いて、小さな銀のさじをつまみ出す。手がかすかに震える、液体はにおいもなく透明だった。うるちのシチューに入れてそっとかき混ぜる。スプーンを拭って戻そうとした私の脳裏に、マルメロの忠告リフレインする。 気づけば、懐から取り出した小ビンを握りしめていた。慎重にコルク栓を回し抜いて、小さな銀のさじをつまみ出す。手がかすかに震える、液体はにおいもなく透明だった。うるちのシチューに入れてそっとかき混ぜる。スプーンを拭って戻そうとした私の脳裏に、マルメロの忠告がリフレインする。 ――今夜が、最後のチャンス。 なにも起こらないまま終わってしまうくらいなら。強い言葉に背中を押され、私はもう2杯だけ、小さな薬さじを傾けていた。 夕ご飯の洗い物を片付けてから、一向に眠気がこなかった。脳裏によぎるのは、うるちのことばかり。 綿貫の薬の効き目がなかっったのだろうかとか、うるちの食欲がなくてあまり食べなかったのかとか、とりとめのない思考がぐるぐる回っていた。それでも彼が来てくれることを信じて、私は北の高台の茂みの中で息を潜めている。 ご飯はうるちと一緒のことが多いけど、薬を盛っている私は気まずくて、みんなと最後の夜はシンシアと食べていた。けど、当然彼女との話になんて集中できなくて。マルメロと談笑するうるちが気になって、そちらを見てばかりいた。 「……フクラム、そわそわしっぱなしね。最後の夜くらいうるちと話してきたらどう?」 「私の心の中、覗いたの」 「あら、エスパーを使わなくても分かるわ。筒抜けよ」 「……」 母親がわりの笑顔でほほえまれ、私は顔を背けていた。みんなを見守ってきたシンシアは、私がうるちのシチューに混ぜものをしたと知ったら怒るだろうか。 別れのつらい私がナイーブになっていると察したシンシアが、それとなく話題をそらす。 「夕食前、綿貫とあの丘にいたわよね。眺めがいいのかしら」 「……小さい頃からよくあそこで月を見ていたの。いつか私も月のエネルギーをもらって、進化するんだって思ってた。楽しいこととか、嬉しいことが起きるのは、いつも月が見ていてくれるときだから」 「それは素敵なジンクスね」 夕暮れの空に浮かび上がっていた月を、シンシアはウットリしたように眺めていた。聖女の笑った口のような三日月。その月はいま、ぶ厚い雲の陰に隠れてしまっている。 後ろぐらい感情が、席巻していた。 綿貫とマルメロに感化されたとはいえ、うるちのご飯に薬を混ぜたことを、後悔し始めていた。自分の意志でうるちとの関係を進められなかった私自身が情けなかったし、彼に隠してこそこそと事を進めた私はなんだか裏切っているような気がしたから。低木の陰から丘の下をうかがって、小川の方へ向き直ってため息をつく。逃げるようにここまで上ってきてから、この往復を何度しただろうか。 ねちねちとひきずったような足音が聞こえてきて、私は耳を立てた。丸い目を凝らすと、丘の裏からかがんだ影が上ってくるのが見える。うるちだ。 ――来てくれた! 跳ねあがりそうになった。安心感とともに、体じゅうを熱が駆けぬけた。これからどうなるか想像もつかなかった。 茂みから飛び出そうとして、押しとどまった。彼を誘ったのは私のほうだけれど、私が嬉々として駆け出すのは、なんだか気恥ずかしくて。告白してくれた夜のように、せっかくなら彼からそういう雰囲気にしてほしかった。偶然だね、なんて気取った調子で私が出ていくまであと3秒、2秒―― 「うるちさんっ!」 聞きなれた声が響いて、私は反射的に灌木の裏へ後ずさりした。花畑を突っ切って彼の背後に現れたのは、うるちによく似たシルエット。 少し息を切らしたマルメロが、丘の陰から見えてくる。額の赤い宝石が淡く点滅していて、これは彼女が興奮しているときのサインだった。 どうして、と頬が引きつった。予想もしていなかった邪魔者に、私は焦燥していた。マルメロが告白するのは明日のはずで――と、そこまで思い至って、察しがついた。あれから何時間経った? たぶん日付も変わっている頃だろう。彼女にしたって、夜ご飯のときあれだけ親しげに話していたんだ、結果を急いだって不思議じゃない。 お腹を抱えこんだうるちの前に、マルメロが回りこむ。デンリュウの赤いライトが、どこかぼんやりとしたうるちの顔を浮かび上がらせた。 「うるちさん私っ、ずっと、ずっとお慕いしていましたっ! 私に触れると痺れちゃうのに、嫌な顔もせずに抱きついてくださって、本当に嬉しかったんです。ですから……、?」 真摯に彼の顔を見上げていたマルメロが視線を落とし、え、と固まった。 「きゃああああぁっ!?」 花畑じゅうに悲鳴を轟かせて、マルメロが尻もちをついた。 彼女が腰を抜かして見えたうるちのお腹に、見慣れないものが貼りついていた。赤いライトに照らされて、うるちの頭についている太い触覚に似た肉々しいものが、彼の両腕に抱えられてでろりと伸び上がっていたのだ。 私が盛った薬に誘発された、彼のもの。初めて見たそれは、想像以上に――想像さえしたことなかったけど――凶暴なかたちをしていた。ぷにぷにのうるちとは似つかない、獣欲を押し固めたようないびつさ。 「マル……めろ……?」 「ひぃっ!」 心ここに在らずといった様子のうるちがうめいて、目の前でへたりこむマルメロに覆いかぶさった。もがく彼女に抱きついて、朦朧と体を揺さぶり始める。静電気にしかめた顔は、体の内側から湧き上がる衝動をどうにか押しとどめているように、見えた。 うるちを止めなきゃいけないのに、私は茂みの陰で縮みあがり、声を押し殺しているだけだった。動けない。初めて見た彼の欲情した姿が、あのとき襲ってきたゴチミルに重なって。好きなひとのはずなのに、彼の欲望を向けられると想像すると、短い尻尾の先まで身がすくんでいた。 「いやおれはちゃんと用量を教えたぞ、うるちが暴走したのにおれは関係ねー、使いすぎたフクラムがいけねーんだロ――あんぎゃあああ!!」 「あなたが変な薬を作らなければこんなことは起こらなかったんじゃないのかしら」 シンシアのサイコキネシスで捻り上げられた綿貫が、しゃがれた断末魔を響かせる。マルメロの悲鳴にテレポートで飛んできたシンシアが、まずうるちを引き剥がし、ゴミ箱あさりに勤しんでいた綿貫をひっとらえ念力で空中に吊りあげていた。ことの全容を供述させるのに、彼女の尋問は2分とかからなかった。 「ともかく、フクラムはうるちをどうにかしなさい。責任はあなたにもあるわ。それに、うるちがいちばん安心できるのも、あなたでしょう」 すすり泣くマルメロを介抱しながら、シンシアは気絶した綿貫のしっぽを掴んで丘を下っていった。甘露は鈴月のボディガードだからここには来ない。ふたりだけ残された。うずくまるうるちを傍に、私は声をかけられないでいる。月はまだ顔を出していなかった。 先に口を開いたのはうるちだった。うつ伏せに顔を下草へ押し付けたまま、溶け出しそうな声で喚き声をもらす。 「僕の……見たよね。気持ち悪いでしょ、こんな、大きくて、太くて、グロテスクなの。こんなのを体に隠したまま、フクラムに、みんなに抱きついて、いたんだよ。何も知らないふりして、本当は僕は、性欲にまみれた気持ち悪いドラゴンなのに。……引いた、でしょ」 「そんなこと、ない、よ……」 びっくり箱を開けるような引け腰で、私はうるちを見守っていた。それもうなだれた触覚を伸ばされても届かない位置のまま。花々に沈んだ彼の周りには、地面に投げつけられたトマトみたいに粘液が溜まり始めている。興奮しているんだろうか、その量がいつもより多い気がした。 「あのねうるち、聞いてくれる? ぜんぶ私がいけないの。うるちの夕ご飯に、ちょっとそういう気持ちになる薬を混ぜたんだ。本来は1杯だけなのに、いいえ、本来はそんなのに頼るべきじゃなかったのに、3杯も入れちゃったの。恋びと同士になったのに、何もないまま今日で終わりだなんて、私が焦っちゃったから……。キミは美しい思い出のままにしておきたかったのに、私の身勝手で、こんなことに……ごめんね」 「…………」 うつ伏せのまま、うるちが顔だけ持ち上げた。鼻水だか涙だか粘液だか区別のつかない汁でべたべたになった顔を、ポカンと私に向けている。一瞬その目がどうして、と訴えるように鋭く歪んで、まぶたの裏に隠れていった。 長い沈黙があって、うるちが重い口を開けた。 「本当は夕食前も、ひとりで、シてたんだ。触れば気持ちいいんだけど、頭に思い浮かべるきみはずっと我慢して僕の相手をしてくれているみたいで、なんだか申し訳なくなって、続けられなかった。……ちょうど、今のきみと同じ顔だったんだ」 「……え」 引きつっていたらしい顔を、慌てて取り繕った。心身ともにダメージを受けている恋びとをこれ以上悲しませないためにも、私がケアしなくちゃいけない。責任は、ぜんぶ私にある。 いちど大きく息を吸って膨らんでから、ふうぅ〜、と吐き出して元の体積に戻る。不安そうに見上げてくるうるちを、見つめ返して、できるだけ優しい声をかけた。 「その、ね。私もずっと、うるちとそういうこと、したいと思ってたの。うるちもそうなんでしょ。……私は大丈夫だから。やって、みよ?」 「…………」 私の声に、うるちは探るような目をしたままだった。私が目で促すと、両手をついた彼がそっと体を持ち上げる。下敷きになっていた彼のものがあらわになって、薄明かりに浮かび上がっていた。 目の前で見ても、うるちのそれは雄の体に特徴的な器官だとは思えなかった。にゅるりと先端が細く丸まった、それでいて1本芯の通ったような、彼の脚よりも長く飛びでた触手。あのときわずかに見えたゴチミルのそれは上を向いていたけれど、いま直面しているうるちのものは、それ自体の重さで下の花を押しつぶしている。染み出した粘液に赤黒く光るそれは、彼の鼓動にあわせて脈打っていた。 「その、ごめんね、うるちのそれ……、私じゃ受け入れられない、と思う」 「そうだよね……気持ち悪いから」 「そうじゃなくて、その、物理的に」 陽の光を嫌うように湿ったねぐらから這い出た大蛇のようだった。本音は、あまりに暴力的なうるちのそれが、怖かった。彼の言うように、気持ち悪かったのかもしれない。 でも私は、口許を引き上げたまま言った。 「ど、どうすればいいの? 私こういうの……ぜんぜん分からなくて」 「こう、手でこすると気持ちよくなって、たぶん最後は、白いのが……、…………」 お互い困惑した顔で、だけど私は彼を直視できなくて、そのまま数十秒が経っていた。 ふと見ると、優しげな顔のうるちがそっと両手を広げていた。気まずさを振り払うように駆け寄って――足元のそれに触れないよう爪先立ちになりながら――そのお腹に抱きついた。 旅をしたのは短いあいだだったけれど、うるちとは本当によく抱きつきあっていた。おはようの挨拶のついでに彼の胸へ頬をうずめ、夜は抱き枕がわりに抱きしめられていた。野良試合でいいところを見せられなかった時は、誰よりもいちばん近くで慰めてもらった。リーグで勝ち進むたび、バトルフィールドで、控え室のモニターの前で、喜びを噛みしめあった。 心の距離までゼロにしてきた私たちが、こうして深く抱き合って相手の気持ちがわからないはずもない。うるちから感じるのは、2割ばかりの心地よさ。私も、彼をいとおしいと思う余裕は2割程度しかなかった。それもきっと筒抜けなんだろう。お互いの残りの8割は、嫌悪感や焦燥感をひた隠して相手を傷つけないようにする気づかいだ。 今になって、行為に煮え切らないうるちの理由がわかってきた。彼は私とのそういうことに備えて、ひとりで練習していたと言っていた。 私は何もしてこなかった。いざその時になればどうにかなると慢心して、彼のものがどんななのか妄想もしなかった。性に抵抗のあるふたりがすんなりと初めてを済ませられるはずもないのに。そんな私を心配して、うるちは思い切れないでいるんだ。 相手の鼓動に耳をすませたまま、10分は経った気がする。心なしか落ち着いてきたところで、うるちが囁いた。 「爪先立ち、やめてみて」 「え?」 「嫌なら何もしないで、そのままで、いいから……」 「嫌、じゃないよ……」 痺れてきていた両足を、そっと下ろす。股と脚の内側に挟まるようにして、当たる感触があった。ぬちょりと冷たく、それでいて熱を帯びた、肉の感じ。息が詰まって、跳ね上がりそうになった。 内心を気づかれていないか心配になって彼の顔を目の端で伺うと、この接触に彼も顔をしかめていた。だけど両目は力強く私を見返していて、いくよ、とかすれた声がした。 私をつよく握りしめたまま、彼が小さく、腰を動かした。ひとりでするときの手の代わりに、私の内ももが擦り付けられている。下半身をゆっくりスライムに溶かされていくような未知の感覚、彼も、気持ちよさと申し訳なさのあいだで、慣れない腰つかいを繰り返している。 こうしていると、うるちは雄だってことを、改めて思い知らされた。種族柄体が柔らかいけれど、それでも脂肪の下に確かな筋肉質が感じられて。くちくちと股の下を擦るにつれ、彼のお腹がぴくぴくと力強く脈打って、それがひどく生々しかった。目覚めたばかりの大蛇が、私の股に挟まったままどんどん熱く、硬くなっていった。 要領を得たのか、うるちが腰をゆするペースが安定してきた。断続的にあがるくぐもった彼の声はどこか焦っているように聞こえて。あとどれくらい続けるのか分からないけれど、このままなら―― 「ごめんね、もう終わらせるから」 「え、――きゃ」 幹にしがみつくセミみたいに固まっていた私の体が、すっと持ち上げられた。色々な気持ちがないまぜになったうるちの顔、その背景の花畑が、ぐらり、とひっくり返った。――地面に寝かせられたらしい。衝撃がこないくらい優しくされて、一瞬気がつかなかった。いやな汗をかいた私の背中に、乾いた草花が潰される感触。目線が一気に低くなって、きれいに咲いている花の裏側にうごめく虫を見つけてしまい、私はぎょっとした。 「お腹、いいよね」 「……ッ」 私の返事を待たずに、うるちが覆いかぶさってくる。夜空を映していた視界は彼のお腹の暗紫色に塞がれ、垂れてきたぬめりに思わず目を拭う。 風船のように軽い体の私を気づかってだろう、うるちは右手を私の頭の上について体重を支え、丸いお腹をへこませていた。腰をもぞもぞとさせたかと思うと、私の下腹に熱があたる。重力に従った彼のものが、私のお腹に乗りあがり熱く脈打っていた。 間近で見てしまったそれは、柔和なうるちの体を裂いて現れた、手のつけられない軟体の怪物だった。赤黒い粘膜は彼の皮膚よりもぶよぶよしていて、押し付けられたところからじっとりと汗みたいに体液が染み出してくる。蛇腹のように連なる中央のふくらみが、彼の鼓動にあわせてとくとくとうごめき、先端の穴から透明の液を垂らしていた。その、彼の触覚そっくりに細まった先端は繊維を束ねるように筋ばって、周囲の肉が突っ張っている。怪物がお腹に沈みこんできて、私は喉までせり上がった悲鳴をどうにか押しとどめていた。 入れる、つもり、なんだろうか。私に入れたいんだろうか。彼の顔が見えなくて、こんなに近くでふれ合っているのに、うるちの気持ちがわからなくなって、私は身を固めているばかりだった。 縮みあがる私をよそに、彼は動きだした。私のお腹を上滑りして、怪物が何度も往復する。内臓を押される圧があって、息をするのも難しかった。お腹の白い部分を塗りつぶそうと液が絞り出され、すぐに口周りまで侵食してきたそれが私の呼吸をさらに浅くする。頭の上から聞こえてくる彼の声は、私と同じように苦しそうだったけれど、そこには聞いたことのない甘い響きがあって、ああうるちは気持ちよくなっているんだな、と遠いところで思った。 ここで悲鳴をあげてしまったら、全てが台無しだった。彼の顔が見えなくなったのをいいことに、私は思いきり顔をしかめていた。鳥肌をどうにかなだめようと心を殺す。つらかった。やっぱり、私はうるちとこうなりたいんじゃなかった。ぎゅっと抱き合っているだけで充分だった。愛にあふれたことをしているはずなのに、私の目からは涙があふれ出てくる。泣き声まで漏れそうになってようやく、すでにすすり泣く声がしていることに気づいた。頭のほうから響いてくるそれは、彼の声。 うるちも泣いて、いるんだ。 やっと理解した。さっき彼が「もう終わらせるから」と言ったのは、彼が果てるという意味ではなかったんだ。もちろんそれもあるけれど、たぶん彼は、私よりよっぽど気を使っていた。薬の興奮なんてひとりで処理できるのに、責任感にさいなまれる私を赦そうとしてくれている。もう後戻りできなくなってしまった私たちへの、善後策。これで、私との関係を終わらせたいんだ。 涙が止まらなくなった。今日でお別れだって覚悟していたはずなのに、それでもうるちに突き放されたような気がして、もうどうしようもなかった。私の目は魔法のビンのようにしょっぱい水で溢れかえり、口は夜の海で溺れたように寂しくあえいでいた。それは彼も同じだった。ふたり分の泣き声をかき消すように、うるちが腰を速くする。ぬめりが摩擦の熱で貼りつき、ずっ、ずちゅ、私のお腹で静かに弾ける音がする。 苦しくて、つらくて、この状況から早く逃れたくて、私は両手で自分のお腹の肉を左右から押して、しきりに沈みこんでくる彼のものを挟む。お腹の肉をかきわけ懸命に出入りする先端部がとぷとぷと粘液を継ぎ足して、手で防げない私の鼻をふさぎ息が詰まった。 「う、うぅぅ……ッ!」 すすり声まじりに小さくうめいて、うるちが腰をぴたりと止める。私の顔に突きつけられた彼のものの先端から、白い粘液が噴き上がった。とっさに目を閉じた私の顔めがけて、軽い往復ビンタのような衝撃が、十数回、あった。眉間にずっしりと溜まる、熱いゼリーのような感触のそれ。両手で拭おうと顔を傾けると、ゆるんで空いた口に流れこんできた。なまぐさい、腐敗の進んだ川魚のようなにおいと、煮汁が冷えて固まったような弾力。思わずえずくと、開けた私の薄目に映る、がくがく震える彼の腰と、ものの先端からとろとろ垂れ流されるそれ。工場のダクトから不法投棄される工業廃水みたいだった。ふやけた彼の声が脳裏に届いて、溺れかけていた私は死に物狂いで身をひねった。 どうにか彼の下からもがき出て、大きくえずきこむ。花々の上を転がり回って、ばしゃん、小川に墜落した。 口の中にはびこるぬめりを吐き出した。冷たい水で何度もすすいで、にゅるにゅるした感触をかき消していく。体の中まで染みこんできたような気がして、水を飲んでは吐き出した。顔を洗う、何度もこすって、彼との過ちを洗い流していく。こんなのはなかったことにしようと必死に振り払う。 ごめんね、と、背後で小さく声がした。行為の心地よさもそこそこに、うるちはさっきよりもあからさまに泣いていた。白い液だまりを隠すように身をかがめたまま、短い両手で私と顔を合わせないようにしていた。そのまま殺してくれと言わんばかりの表情。ごめんねとか、ありがとうとか、さよならとか、言うべきことはたくさんあるはずなのに、どれも言葉にならなかった。いや、私にはその資格すらないのかもしれない。うるちは最後まで気を使ってくれていたのに、私はその優しさを振り払って、逃げ出していた。覚悟がなかったのは、私の方だった。 川の中に顔を沈めて、耳も塞いでしまって。このまま水に流されていきたかった。水に流せるのなら、そうしたかった。 どどど……、と、音が迫ってくる。それが滝の音だと気づいたところで、私は宙に放り出されていた。とっさに息を吸いこんで膨らんでも、落ちる速さを抑えられずに―― べしゃっ、と潰れたような音がして、私は水柱を立てる滝壺に顔から叩きつけられていた。 頬をひっぱたかれたようなその痛みが、私の心の傷をありありと感じさせてくれるみたいで、ありがたかった。膿みを吐き出すように、私は泣いた。轟音が泣き声をかき消してくれるのをいいことに、滝壺に浮かんだまま私は延々と泣き腫らしていた。 いつ戻ったのか記憶していないけれど、シンシアの声で目が覚めたとき、私は鈴月のテントの中だった。起きがけに頬を拭うと、産毛がうっすらと濡れていた。悲しい夢でも見ていたのだろうか――楽しいものでも、うるちとの思い出だったら泣いていただろうけれど。 甘露とうるちがテントをたたみ、綿貫が火を起こし、シンシアが飯盒で米を炊いていた。ワンプレートに盛られた朝ごはんを、私が運んでいく。マルメロは水汲みを任されたみたいだった。昨日の事故が嘘みたいな、雲ひとつない東の空に朝陽が昇ってきていた。 私がひとりで朝食をとっていると、申し訳なさそうな顔した綿貫が皿を寄せてくる。 「よー、その、昨日はすまんな」 「……いいよ、私のことを思ってだもんね。ありがと」 「うるちと話さんでいいのか?」 「うん、もう気持ちの整理はついてるから。お互いにね」 「……案外ドライなんだなぁ」 「そんなことないよ」 ふたりともずっと泣いていたから、ドライなんてことはないだろう。それは言わずに、私は食べ終えたプレートを流しまで持っていった。皿洗い用のスポンジは乾いていて、強く握ってももう水は漏れてこない。 ザックにテーブルとコンロをしまい、甘露がそれを背負う。私と綿貫だけが取り残されて、自然とそういう雰囲気になっていた。 綿貫が甘露と、2言3言別れの挨拶をする。シンシアとは最後までいがみあっていて、それも彼らしいなと思った。 気遣ってくれているのか何も知らないのか、鈴月はなにも言わなかった。泣いて取り乱すこともせずに、じっと私たちを見守っている。マルメロはいちばん後ろで、そっと目を伏せていた。私のせいでうるちと彼女の恋路も潰してしまったんだ。そう思うと、喉の奥がきゅっとなった。ちゃんと順序を踏めば、ふたりは結ばれていたかもしれない。マルメロの故郷だという牧場で暮らすふたりを想像して、私は唇を噛んでいた。 かさり、と、揺れる花を押しのけて、うるちが1歩前に出る。 「フクラム、元気でね」 「うるちもね」 それ以上の特別な言葉はいらなかった。お互いに両手を開いたまま、そっと近づいた。頬とお腹に感じる、いつもの柔らかさ。いつものぬめり。温度、におい、心音。分けあってきた思い出。 お互いの心地よさを覚えこむように、私たちは長いこと抱きつきあっていた。もう泣かなかった。最後の思い出を、美しいものとして残すために。 END ---- あとがき 曖昧な関係だったふたりをくっつけて離しました。自分の性と折り合いをつけようとする年ごろの子たちはいとおしい。前作を書いて2年あいだがありますが、[[マリルリくん>幼なじみは花嫁に]]を書いてから草食系男子っていいなって思って凶行に走りました。みんな大好きヌメルゴンなのでぜひ書きましょ。 ---- #pcomment