*我ら主人の部屋事情 [#df3eb989] writer――――[[カゲフミ]] ―1― 都会のごくありふれたマンションの一室。一人暮らし用の部屋であるためかそれほど広くはない。 玄関から部屋の一番奥のベランダまでドアを介することなく見渡せてしまう程度の奥行きだった。 部屋の主は出かけているらしく、屋内に人の気配はまったくしない。玄関にもしっかりと鍵が掛けられている。 しかし戸締りを念入りに行っているのはどうやら廊下に面する側だけのようで、ベランダに通じる窓には鍵が掛かっておらず少し開いたままになっていた。 一階でもない限りベランダから泥棒が入ってくる可能性は少ないかもしれないが、それでもいささか不用心なのではなかろうか。 おや、窓のそばにある机の上にモンスターボールが二つ。ぽつんと無造作に置かれている。この部屋の主の持ち物なのだろう。 ポケモンを内部に収納することが出来るモンスターボール。本来ならば誰かが外側から開閉スイッチを押さなければ、ポケモンは出てくることが出来ない。 無人のこの部屋の中でボールに収められたポケモンが外に出る手段などどこにもない。はずだった、のだが。 ふいに窓の隙間から吹き込んだ緩やかな風が片方のモンスターボールを転がした。やがてそれは床へと落下していく。 そして、落ちた拍子に偶然にも開閉スイッチが押されてしまい、開いたボールから橙色の光が飛び出しポケモンの姿を形作っていった。 細長くてしなやかな中にも鍛えられた力強さを匂わせる体つき。すらりと長い首と胴体に、やや短めの足。 両手の部分からは振袖のような長い体毛が伸びており、ほっそりとした顔の両側から一本ずつ長いひげを携えていた。 格闘タイプの中では屈強さよりも柔軟さや身軽さを軸に置いた肢体のポケモン、コジョンドだった。 ◇ 近所の公園、あるいはポケモンセンターを想像していたのだけれど。いざ瞼を開いてみるとすぐそこにある本棚が目に飛び込んでくる。 ここはどこだろうと一瞬考えて、見慣れた光景と鼻から伝わってくるにおいでコジョンドは自分のトレーナーの家だなと認識した。 「ゼノ?」 しかしそのボールから出したであろう本人の姿がどこにも見当たらず。呼びかけてみたものの、自分の声が部屋に響いただけ。 何かおかしい。玄関の方も確認しようとしたコジョンドの足に床に転がっていたモンスターボールが当たる。 ボールを拾い上げて、もう一つのボールが残っている机。そして少しだけ隙間のある窓を見る。そこから微かな風が吹き込んできたところでようやく合点がいった。 「なるほど。そういうことね」 誰もいないのに自分がボールの外に出られたのは偶然、というわけか。ゼノは最近仕事が忙しいらしく、確か昨日も明日は出張で帰ってこられないって言ってたっけ。 窓が開けっ放しだったのも慌てていたからなのだろうか。いくらここが五階だとはいえ、仕事で一日家を空けるのに不用心ねえ。 それにしても。じっくり目を通すと汚い部屋だ。服はベッドの上や床に脱ぎ散らかされていて。使った食器は流し台に積み重ねられたまま。 どこかの店で買ってきて食べたであろう後の空の容器が机の上に置きっぱなしで、僅かながらもコジョンドの鼻をつくにおいを放っている。 部屋の隅には遠目に見ても分かるくらいに埃がたまっているときた。これも仕事のことで一杯一杯で掃除にまで気が回らないからなのだろうか。 以前部屋に入ったときも多少散らかってはいたが、ここまで酷くはなかった記憶がある。思えば自分がここに入るのも久々のこと。 昔はよく一緒にここで食事をしたりしたものだけど、最近はもっぱらポケモンセンターなどでの外食が主になってきている。 そりゃあ外でもゼノと話したりはできるけど、じっくり話が出来るのは外で食べるときよりも断然慣れ親しんだこの部屋なのだ。 トレーナーのポケモンとしては、会話する機会が減ってきているのを感じるのはやはり寂しいものがあった。 「今そんなこと考えても仕方ない……か」 ふうと小さく息をついて、コジョンドはこれからどうしようかなと気持ちを切り替えることにする。 せっかく出られたんだし、このまま自らボールのスイッチを押して中に戻ってしまうのは何だか勿体ない。 玄関の鍵を開ければ外を出歩くことも出来そうだ。でも、鍵も掛けずに出ていくのは躊躇われるものがある。家の鍵はもちろんゼノが持って行ってるだろうし。 それに、ポケモンだけで外をうろついていると野生のポケモンやトレーナーのポケモンが迷子になったものと勘違いされかねない。 となると部屋の中で過ごすべきか。と言ってもこんな汚い部屋の中でのんびり過ごす気には到底なれなかった。ベッドの上で寝転がることすらままならない。 ん、そうだ。仕事で疲れて帰ってきたゼノが気持ちよく過ごせるように部屋を掃除しておくのはどうだろうか。 コジョンドも家主ではないので何をどこにしまうのかといった細かいところまでは行き届かないかもしれないが。 机の上や床に置きっぱなしのごみや食器を片づけるぐらいは自分でも出来るだろう。偶然にもボールの外に出られたんだし、時間を有効活用しなくては。 一人で全部こなすのは大変そうだから、あいつにも手伝ってもらうことにしよう。快く引き受けてくれるとは思えないけど、たぶん何とかなるだろう。 コジョンドは机の上に残っていたもう一つのボールの開閉スイッチを押す。ぱかりとボールが開き、すぐ隣のスペースに橙の光が流れ込んだ。 やや暗い赤色をしたふさふさの鬣。その先端は黒く、数珠のようなもので纏まっており、人間でいうとポニーテールのような形をしている。 体型はコジョンドに勝るとも劣らないスマートさ。黒と灰色の毛並みが一層肉体の引き締まった雰囲気を引き立てる。 ただ、格闘タイプのように鍛え抜かれた力強さを感じさせないため、コジョンドと並ぶと些か貧弱に映ってしまうのはしかたない。 そして、長い手足の先には尖った赤い爪が三本備わっている。ボールから出てきたゾロアークはあくびをしながら軽く伸びをした。 「あれ、クオン。ゼノは居ねえのか?」 「たぶん……出張だと思う」 「じゃあお前はどうやってここに?」 クオンと呼ばれたコジョンドは、腑に落ちないと言った様子のゾロアークに自分がボールの外に出られたいきさつを手短に説明した。 まだ眠いらしく目が半開きだ。話半分に聞いているような感じだったが、どうやら理解はしてくれたらしい。 「で、なんで俺まで外に出したんだ。一人じゃ寂しくなったのか?」 「違うわよっ。ほら、この部屋汚いでしょ。だからゼノがいない間に私たちで掃除してあげない?」 「これくらいなら俺は十分生活できそうなんだが」 掃除、と聞いた瞬間ゾロアークがあからさまに顔をしかめたのが分かった。これくらいの反応は想定してはいたとはいえ、いざ前にするとため息の一つも出てくる。 ボールから出されたと思ったら掃除を手伝えと言われて、確かに気持ちのいいものではないだろう。トレーナーならともかく、同じ立場であるクオンの頼み。 悪タイプらしくお世辞にも真っ直ぐとは言えない性格のゾロアークなら、乗り気でない事柄にわざわざ協力を申し出たりはしないだろう。ここはどう出るべきか。 「ゼノさあ、最近仕事ばかりで忙しそうじゃない。帰ってきたときに部屋がきれいに片付いてたらきっと喜んでくれるんじゃないかな」 「んー」 まだゾロアークは渋い顔をしている。クオンの思いつきではあるが、根本的な部分ではゼノのため。 トレーナーの名前を出されると少し考えてしまうくらいには、ゾロアークも彼のことを慕っているのだ。 少々捻くれた性格故に、ゼノの前でそういった態度をとることは滅多にないのだが。付き合いの長いクオンはちゃんと知っている。 「私だけじゃ大変だし、手伝ってよ。お願い、ニッシュ」 そう言ってクオンは両手でゾロアークのニッシュの手を取り、懇願する。笑顔で彼の目をじっと見つめながら。 ニッシュとクオンでは身長差があるのでやや上目使いな形に。彼女が意図的に行っているかどうかはともかく、何かを依頼するには効果的な方法だと言えよう。 こんな風に雌に手を握られてせがまれれば、雄ならばついつい首を縦に振ってしまいそうなもの。 それでも当のニッシュはむすっとした表情のまま。こういった彼女からの頼まれごとには慣れているからなのだろうか。 「……分かったよ。手伝えばいいんだろ、手伝えば」 「ふふ、ありがとう、ニッシュ」 本当に嫌だと思っているならニッシュは最初から迷ったりはしない。きっぱりと断るはずだ。 別にどちらでもいいけど、何となく否定的に出てみて相手の様子を窺うのは彼の常套手段でもある。 彼に何かを頼みたいなら思い切って積極的に押してみることが大事。いい加減で投げやりな態度に逐一目くじらを立てていても仕方がない。 口ではぶつくさ言いながらも、結局は協力してくれそうな感じで一安心。斜に構えたところはあるけど、ニッシュも根は良い奴なんだよね。 ―2― ゼノがいない間にわざわざ掃除しておこうなんて物好きな奴だ。こういうのは一番部屋の勝手が分かってる本人がやった方が効率がいいと思うんだがな。 とはいえボールの外に出られたのは幸運だ。このまま一日ボールの中でじっとしているよりは退屈しないだろう。やるべきことが掃除というのが些か気に食わないが。 また今回もクオンに流されて手伝う羽目になってしまったな、と小さく息をつくニッシュ。あんな風に頼まれたらやはり断りづらい。 やってやろうかどうしようか迷っている事柄ならば、背中を押す力は十分。彼女の笑顔に釣られてしまったというわけだ。 都合良く使われている気がしないでもないが、クオンにそこまで悪知恵が働くとは思えない。おそらくは無自覚でやっているはずだ。 意図的に相手を貶めようとか利用しようとか、そんな回りくどい悪意を察するのは多少なりとも自信があるが。クオンの様に無心で来られるとどうも、弱いのだ。 「さて、どこから始めたものかしら……」 「これでいいんじゃね?」 右手を高々と上げて、ぱちんと爪を擦り合わせて見せるニッシュ。途端、彼を中心にうっすらと光が広がっていく。 暗闇を照らすフラッシュのような眩しい光ではなく、意識して目を通していないと見落としてしまいそうなくらいの発光だ。 光に包まれた床やベッドの上の衣類、机の上の空容器、流し台の食器が見る見るうちに消失していく。 やがて残るのは無駄なものは何一つ転がっていない、きっちりと整頓しつくされた部屋。おそらくクオンの目にはそう映っているはずだ。 ゾロアークの特性、イリュージョン。そこにあるものを無いように、また無いものをあるように。幻影を見せることができる。 もちろん自分で自分の目まではごまかせないので、ニッシュには散らかった部屋の光景しか見えていない。 クオンは口を開けたまま部屋を見渡した後、ニッシュに視線を移す。呆れているのが大半だったが、少しだけ感心の色が窺える。うまく幻影を見せられていたらしい。 「あのね、きれいになったつもりだけじゃ意味がないでしょ!」 「分かってるって。冗談だよ」 ニッシュが肩を竦めたのとほぼ同時に室内を覆っていた光が小さく弾け飛び、部屋は元の煩雑とした状態に戻っていく。 床に落ちているごみを誤魔化すくらいなら、この部屋の範囲ならば自身の意志で自由自在に幻影を出したり解除したりできる。 部屋をまるで別の建物のように見せたり、誰か別の人物を登場させて動かしたりするのはちょっと厳しくなってくるかもしれない。 ニッシュが特別な力を持っているわけではなく、一般的なゾロアークならばこの程度の能力は持ち合わせていると思われる。 「で、どっから始めるんだ?」 「そうね。まずは流しをきれいにしましょ」 散らかっている衣類やごみを踏まないようにクオンは流し台の前まで歩いていく。使った後の食器が台の縁と同じくらいの高さまで積み重なっている。 流し台を見たニッシュもこれは少々汚いと感じたのか思わず眉をひそめてしまっていた。そして、汚い分だけ片付けるのが大変ということになる。 「水は……ええと、こうだったかな」 クオンが水道の蛇口に手を伸ばして軽くひねると、先端から細い枝のような太さの水が流れ出る。曖昧ながらも使い方は覚えていたらしい。 水を出すくらいならゼノと一緒に出掛けた公園の水飲み場で何度か利用したことがある。おそらくクオンもその時の記憶を頼りにしたのだろう。 彼女は流し台を占領している食器を一旦隣のスペースに移動させると、上から一枚を取って水で万遍なく濡らしていく。 そして、台の隅に置いてあったスポンジも水で湿らせると、すぐ傍の細長い容器を傾けて透明な液体を染み込ませる。 独特の粘性があったから、水じゃなさそうだ。クオンが何をやっているのかニッシュには見当もつかない。 彼女から数歩下がった位置で、立ったままじっと事の成り行きを見守っている。クオンがスポンジを何度か揉むと、瞬く間に細かい泡が現れてそれを包む。 「よかったー。合ってた」 「なあ、なんだ……それ?」 「んー、私も仕組みは知らないんだ。前にゼノがこうやって洗い物してたの見てたから」 そう言ってクオンは泡まみれのスポンジを食器に押し当てて擦る。なるほど、この泡は食器の汚れを落としやすくするためか。 人間の技術は大したものだなと改めて実感する。イリュージョンで相手を化かすニッシュでさえ驚かされることも少なくないのだ。 「ほら、ニッシュも突っ立ってないで手伝って」 「俺はお前ほどここの勝手に詳しくないし、下手に動くと足を引っ張っちまいそうだ。クオンが何か指示をくれ」 ゼノがどうやって家事をやっていたかなんてニッシュが覚えているはずがない。覚えようともしていなかったのだから。 ニッシュの頭におぼろげながらも残っていることと言えば。昔、この部屋でゼノとクオンと駄弁りながら食事をして。 食事が終わった後はもっぱら床の上に寝っころがってぐうたらしていた気がする。そんな中、クオンは熱心に彼が食器を洗う様子を見ていたというわけか。 その時は変な事に興味を持つ奴だなと大して気にかけなかったが、まさかこんなところで生かされてくるとは思いもよらなかった。 てっとり早く掃除を終わらせたいニッシュとしては非常にありがたい。ひとまずは彼女のやり方に沿っていけば間違いはなさそうだ。 不慣れ、というかやる気のない自分があれこれ考えて動くよりも、クオンの指令をこなしていく方が効率的だろうと判断したのだ。 「うーん、じゃあ。私がこうやって食器の汚れを落とすから、ニッシュはこっちの蛇口ですすいでくれる?」 「りょーかい」 クオンが使っているのは右側。左隣に水道はもう一つあるのだ。ニッシュは流し台まで近づくと、まずは手だけを伸ばしておそるおそる爪先で蛇口をひねる。 直後、ちょろちょろと水が流れ出始めた。慣れないものに対しては慎重になるニッシュ。彼にクオンほどの思い切りや度胸は備わっていない。 「泡で滑るから落とさないようにね。ほら、ちゃんと流し台の前に立って洗わないと」 「ああ」 言われてニッシュは一歩前へ。蛇口は二つあってももともと一人暮らし用。流し台はそんなに広くない。必然的に隣で洗っているクオンが近くに来るわけで。 彼女と肩や足が触れ合ってニッシュは少し気になってしまう。ただ、クオンは特に意識している様子もなく、着々とスポンジで食器を洗っている。 同じトレーナーの元に長く一緒にいるとはいえ、クオンからすればニッシュは異性だ。こんなに体を寄せていて、何も感じていないのだろうか。 「ん、どうかした、ニッシュ?」 「いや、なんでもねえ」 掃除のことしか頭になさそうなクオンの声で、ニッシュは現実に引き戻される。彼女にそういった感情を期待するだけ無駄なのかもしれない。 ちょっとくらい反応してくれたら面白いのに、つまらないな。心の中でひそかに落胆して、ニッシュは止まっていた手を動かし食器についた泡を落としていく。 時折肘やら腰やらが当たるのもしだいに慣れてくる。慣れてくれば別にどうということはないのだが、いつもより近くにクオンがいる事実が何となく嬉しかった。 最近は家の中で一緒に出てくる機会なんてほとんどなかったし。今は狭い家の中。クオンとの物理的な距離は自然と近くなるはずだ。 「さて。残りの食器も持ってくるね」 いつの間にやら積み重なっていた食器をすべて洗い終えたらしく、すすぎをニッシュに任せてクオンは流し台を離れた。 まだまだ部屋には洗うべき皿が散在していたんだっけか。洗うのはここにある分で終わりじゃないんだと思うと気が重くなるが。 今のようにクオンが主になってくれていれば。指示を聞いて動く分には割と楽。あんまり自分で考えたり工夫しなくても何とかなりそうだ。 それにしても率先して掃除するなんて本当にまめな奴だな、と。手では食器をすすぎながら、ニッシュは振り向きざまにクオンを見る。 机の上、下。床。ベッドの脇。食器は想像以上にあちこちに散らばっていて、さすがのクオンも苦労しているようだ。 ただ、散らばっていた食器を集めて運んでいる彼女は、何となくではあるが普段よりも生き生きしているように思えた。 食事のときとも、バトルのときとも、笑顔で自分に頼みごとをしているときとも違う。 付き合いの長いニッシュでさえ、初めて目の当りにするような明るく快活な顔つき。クオンもあんな顔することあるのか。 正直、気乗りしなかった掃除だが。こういう方面で楽しむのもありか。クオンは楽しんでるみたいだしな。 疲れない程度でなら頑張ってやってもいいかなと、ニッシュは小さな笑みを作ると前に向き直る。そして、食器のすすぎを再開させたのであった。 ―3― クオンの働きで部屋にあった食器は一通り片付けることができた。洗い終わった皿やコップは流し台の横のスペースにきっちりと整列している。 もちろん並べたのはクオン。ニッシュはと言えばひたすら食器についた泡をすすいでいただけ。彼女と違ってほとんど手だけしか動かしていなかった。 それにも関わらず、こうした成果を上げられたのはクオンの指示が的確だったからか。あるいは、皿洗いは家事の中では簡単な部類だったのか。 どちらにせよこの後もクオンに続く感じで掃除が滞りなく進んでくれればいい。 ついでに、自分に回ってくるのはさっきのような単純作業なら猶更良し。というのがニッシュの切実な願望だった。 「次は……服を片付けましょ」 床や机の上を占領していた食器がなくなったせいか、部屋も幾分かはすっきりしたように思える。 おかげで先ほどはあまり目立たなかった衣類が目につくようになってきた。食器ほどではなくとも主にベッドの上や周りに集中して脱ぎ散らかされている。 これではお世辞にも整頓されているとは言い難い状況。やるべきことはまだまだ残っているらしい。 クオンはまずベッドの上の衣類を次々と拾い集めていく。シャツやトレーナー、ズボン。靴下やらパンツまで混じっている。 「こんなにたくさん身に付けてるなんてすげえな。俺だったら面倒でやってらんねえよ」 散らばった服の種類の多さに少々驚いたのか、ニッシュがぽつりと呟いた。 ゼノが普段何を着ているのか、今まで意識したこともなかったしどうでもいいと思っていたが。 これだけの衣服があって、毎日のように身なりを整えているとしたら結構な労力に感じる。 「人間とポケモンは違うしね。あ、スカーフとかリボンつけた仔なら私見たことあるよ」 ポケモンセンターか公園だったか。ニッシュも何度か見覚えがあった。ああいう装飾品はたぶんトレーナーの趣味なのだろう。 そしてそうしたおしゃれは割とポケモンを選ぶのだ。シママやハーデリアがスカーフを巻いているのはなかなかさまになっていた記憶がある。 しかし、ガントルやギギアルのような無機質系のポケモンにリボンを付けるトレーナーの感覚はニッシュには良く分からなかった。 あいにくゼノはそういった事柄に無頓着だろうから自分たちが着飾る機会はおそらく来ることはないだろう。 首周りにもさもさした毛の多いニッシュはまだしも、すらっとしたクオンならばスカーフを巻くとなかなか似合うかもしれない。 「はい、ニッシュ」 ニッシュがポケモンの装飾品について考えているうちに、両腕に抱えるほどに衣類をかき集めていたクオン。持ちきれなくなったそれを彼に手渡す。 とりあえず受け取ったニッシュだが、想像以上の重さにうっかり落としてしまいそうになって慌てて持ち直した。 一つ一つは軽い服でも嵩張ると重量があるものだ。それに、ニッシュはクオンより腕力があるかと言われればまったくもって自信がない。 彼女はああ見えても格闘タイプ。悪タイプのニッシュとでは基礎的な力の差はやはり存在するわけで。 とはいえクオンが持っていたものを渡されて、重いから自分には無理だと床に散らしてしまうのはあまりにも情けない話だ。 「おい。これ、どうすんだよ」 「先に洗面所に持って行ってくれる? 確か服を洗う機械があったと思うから」 「……分かった」 クオンは残りの衣類を片付けてから来るようだ。ニッシュは再び服を持ち直すと、落としてしまわないよう慎重に洗面所へと向かう。 抱えた衣類が邪魔になって足元が見え辛い。先に食器を片づけておいたのは正解だったな。危なくて歩けやしない。 半開きになっていた洗面所のドアと、大した広さのない家に救われた感はあった。どうにか指定の場所まで服を運びきることが出来たようだ。 ニッシュはどさりとやや乱雑に服を床に下ろす。折り重なった服に赤や青のような原色はなく、落ち着いた感じの地味な色合いが多い。 ゼノが着ていた服なんてよく覚えてはいないが。服を持ったときに鼻先から伝わってきた匂いは間違いなく彼のものだった。 自分のトレーナーの匂いを少し懐かしい、と感じてしまうのはそれだけ顔を合わせる機会が減っているからなのかもしれない。 「お待たせ、ふう」 ニッシュに手渡した服の塊と同じくらいの大きさのものを抱えて洗面所に入ってきたクオン。 腕を震わせていた彼とは違い、涼しい顔をしたままそれを床に置く。こんな細身の体のどこに力があるのやら。 「ゼノはこれを使って服を洗ってたと思うんだけど」 「ふうん。使い方は分かるのか?」 ニッシュの腰より少し高い大きさの縦長な箱。開いていたふたから中を覗くと、丸い筒のような形で空洞になっている。 ここに服を押し込めばきれいになって出てくるのだろうか。どうにも人間の作り出した機械は勝手の分からないものが多い。 しかし積み重なった服の量を考えてみても、すべてこの中に収まるとは到底思えなかった。 「この辺の何かを押してたような気がするのよね」 確かに箱の縁にはいくつものボタンらしきものが並んでいた。おそらくそれらが何らかの機能を果たしているのだろう。 ボタンの横には人間の使う言葉で何か書かれているようだが、ニッシュには何のことやらさっぱりだった。 ゼノと日常生活を送る上では、彼らの言語を読み書き出来なくても特に不便だと感じたことはない。 会話がコミュニケーションのほとんどを占めていたので、文章に頼る必要性がなかったのだ。 もしこれを読めるのならクオンはすげえなと思いきや、連なったボタンを前にしてどれを押すか迷っている。 さすがにここまで大がかりな機械となると、台所で食器を洗っていた時とはかなり勝手も違ってくるわけか。 「おいおい、そんな調子で大丈夫かよ」 「適当に押すのはまずいかなあ?」 「まずいだろ」 分からないから適当に。なかなかの思い切りの良さだ。しかしそれで何か問題が起こった場合、きっと誰も対処できないだろう。 万が一壊してしまうようなことがあれば、ただでさえ忙しいゼノの手間を増やしてしまうことになる。 もともと彼のために掃除を始めておきながら、逆に迷惑をかけてしまったら本末転倒極まりない。 「ボタン多すぎなのよ、もう!」 少々苛立った様子でクオンは機械のふたを閉める。彼女もここは無理をする場面ではないと判断したのか、強行突破は断念したようだ。 この箱はその場しのぎの知識で手に負える相手ではなかったらしい。これでは服を洗うのは諦めざるを得ないか。 「どうしよっか、ニッシュ?」 「俺に聞かれてもな」 俯き気味に頭を掻きながらニッシュは気だるそうに肩を竦める。基本的にクオンに沿って動くポジションで在りたいのだ。 自分で何か考えろと言われた途端になけなしのやる気が吹き飛びそうになる。とはいえ、足元に積み重なった服をこのままにしておくのもまずいか。 帰ってきたゼノに部屋がきれいになっていると思わせて、洗面所を見た途端にがっかりさせてしまいそうだ。 乱雑に積み上げているから見栄えが悪い。無造作に折り重なった服とかズボンを畳んでみれば多少はごまかせるのではないだろうか。 「んー、とりあえず服を畳んでみるか?」 「そっか……そうね。このままよりはいいか」 計画通りに行かなかったせいか、少し陰りが見えていたクオンの表情が再び明るくなる。気持ちの移り変わりの忙しいやつだ。 思い立ったらすぐ行動、というのは彼女らしくもある。さっそくついさっき持ってきた服の山に手を掛けようとしていた。 ん、これはもう片方の洗濯物は自分が片付ける流れなのか。クオンは何も言わなかったが、何となくそれを期待されているような気がした。 仕方ない。ここで投げだしたらわざわざ重たい服を運んできた意味がなくなってしまう。自ら仕事を増やしてしまった感はあるが。 やるべきことが見つかって上機嫌で服を畳んでいくクオンとは対照的に、ニッシュは小さく息をついて衣服に手を伸ばす。 服を爪で傷つけないようある程度は慎重に。畳み方は、クオンが畳んだものを見よう見まねで適当に。畳み終えたものを洗面所の隅に積み重ねていく。 面倒事を早く片付けてしまいたい気持ちはもちろんまだあった。しかし、食器を洗って衣服も洗おうとしたところまで手伝ったのだ。 途中で投げ出したらわざわざ食器を片付けたことまで無駄になってしまうようにニッシュには感じられて。 部屋の状況もニッシュの精神的にも乗りかかった船状態だ。部屋が一通り片付くまでは、クオンに協力してやるとしよう。 ―4― とりあえず山積みになっていた服は一通り畳み終えることができた。不慣れな作業で綺麗になったかどうかはともかく見栄えは良くなっただろう。 残念ながら服を洗うことはできなかったものの、かなり部屋の中は片付いてきたのではなかろうか。 後は床や机の上に落ちているごみを拾ってしまえば、あらかた掃除は終了だとニッシュは思っていた。 とはいえクオンのことだ。もう少し細かいところまできれいにしたいとか言い出すかもしれない。もしそうなったら面倒だが。 まあ、それはその時考えればいいか。と、ニッシュは皿に盛られたポケモンフーズをつまむ。働いた後の食事は格別だ。 休憩がてらなんか食おうぜというニッシュの提案にクオンも乗ってくれた。食料の在処はにおいで探り当てられたものの、普段使っている皿までは見つからず。 結局さっき洗った中で一番大きな皿を一つ持ってきて、そこにポケモンフーズをあけたのだ。 二人分には少々物足りない量ではあったが、一息入れるための間食と考えればこれくらいが丁度いい。 机の上はまだ散らかっているので皿は床に置いて、ニッシュとクオンも床に座って食べている。 「またゼノとも一緒にゆっくり食事したいねー」 「なかなか難しいんじゃねえか、あいつも忙しいみたいだし」 こうやって部屋で食事をするのも考えてみれば久しぶりのこと。最後にゼノと食事をしたのは、クオンがコジョンドに進化した少し後のことだった記憶がある。 確かその頃、彼の務める会社での担当する部門が変わったと聞いていた。多忙になった原因はおそらくそれだろう。 忙しくなればなるほど、自分たちをボールから出す余裕がなくなって。その結果、外の空気に触れあう機会が減ることになる。 多少の不満はもちろんあったが、ニッシュももう子供ではない。ゼノにはゼノの事情があるから、と納得はしていた。 モンスターボールの中は中で居心地はそんなに悪くなかった。ただ、ずっとしまわれっぱなしだとどうしても退屈さ、味気なさを感じてしまうのは仕方ない。 今回クオンが偶然にも外に出られ、そこから自分も出してくれたのはかなり幸運なことだった。 「あ……」 「おっと」 気が付けばポケモンフーズは最後の一つ。双方が手を伸ばしたために爪先がぶつかってしまう。 慌てて手を引く二人。一つの皿から何かをつまんでいると時たまこういう事態になりうるのだ。 微妙な沈黙が流れていく。こんなとき人間ならじゃんけんでもすればいいが、彼らがそんなシステムを知るはずもなく。 お互いに目を合わせた後、再び皿の上に視線を戻す。食べたい気持ちはある。しかし、このまま手を付けてしまってものいいものだろうか。 ニッシュもクオンもおそらくは同じ考え。だからこそ躊躇しているのだ。 「クオンが食えよ」 「え、でも」 「お前の方が俺より動いてるはずだろ。遠慮すんな」 運動量はもちろん自分より多いし、頭を巡らせていたのもそうだ。これはクオンが食べるべき。ニッシュは皿を彼女の方へ押しやる。 そんな彼の気遣いを受け取ったのかクオンは小さく微笑む。そして、それでもやや控えめにポケモンフーズへと手を伸ばしていく。 「ありがと。もらうわ」 最後の一粒をつまむと、彼女は口の中に放り込んだ。盛り付けた時点では結構あると思っていたフーズも、二人で食べていると減るのが早いものだ。 空になった皿が示すのは休憩時間が終わりだということ。クオンは次にどこの掃除をするつもりなのだろうか。何にしてももうひと頑張りしなければな。 「次はどうすんの?」 「ごみを、片付けたいわね」 食器や衣類ほどではなくとも、主にベッドの脇や机の上にぽつぽつと点在している。主に食べ物が入っていたと思われる容器や袋。 皿とは違い洗って再利用出来そうにはないのでごみとして処分することになるのだろう。しかしこの量だとごみ箱に収まりそうにない。 そもそも部屋に置いてあるごみ箱自体、中身が溢れかけている状態だった。クオンはどうやって片付けるつもりなのか。 「ゼノはごみを大きな袋にまとめて入れてた。たぶん袋が部屋のどこかにあると思うから、私はそれを探すね。ニッシュはごみを一か所に集めてくれる?」 「おう」 先に立ち上がったのはクオン。食べた皿を流し台まで持っていく。ああそうか。それも洗うのか。細かいところまで気が回るというか律儀だな。 やはり運動量の違いを痛感させられる。彼女に少し遅れてニッシュも腰を上げるとベッド脇のごみをひょいひょいと拾い上げていく。 集める場所は、そうだな。机の上でいいか。まだスペースには余裕がある。机の縁で袋を広げてごみを流し込む形にすれば楽だろうし。 と、いつの間にか掃除の効率を考えて行動している自分に気付く。どうやらクオンに付き合っているうちにかなり感化されてしまったらしい。 部屋を片付けるのが楽しいとまでは行かないものの、ため息や気だるさはほとんど浮かび上がってこない。 ごみが散らばっている場所を確認したときも、実際に拾い集めているときも、掃除を始めたときに覚えた煩わしさはなかった。 このペースで進めば想像以上に手早くごみの片づけは終わらせられるのではないだろうか。 「きゃっ……!」 ごみがあらかた集まったところに、突如背後から響いたクオンの悲鳴。何事かと振り返ってみれば彼女が尻餅をついている。 身体能力の高いクオンらしからぬ姿。何かにつまづいたにしては体勢が妙だ。気になったニッシュは彼女の元へと向かう。 「どうした?」 「な、な何なのよこれ……」 明らかに狼狽えているクオンの足元には何かが落ちている。流し台下の扉が開きっぱなしになっており、おそらくそこに収納されていたのだろう。 地味な色をしたものが二つ、これは本だろうか。表題や表紙絵らしきものもない、ただ単に灰色一色で彩られている。 遠くからでは本だと判別がつかなかったくらいに地味だ。ぱっと見た感じではどんな内容なのかさっぱり分からない。 クオンは何をそんなに騒いでるんだかと、ニッシュはその片方を手に取る。そしてぱらぱらとページを捲ってみて、目を疑った。 彼女のように声を上げこそしなかったものの、頭の中が真っ白になる。まだ途中のごみ集めのことなんて吹き飛んでしまった。 見間違いかじゃないのかとちゃんと目を凝らせば凝らすほど、それらはどんどん鮮明になっていくばかり。 「何だ……これ」 本にはポケモンの写真がほぼすべてのページに渡って掲載されていた。それが普通の写真なら、クオンもニッシュもここまで驚きはしない。 この写真に写っていたのは雌のポケモンたちのあられもない姿。股を開くような形で、恥じらう様子も見せずに股間の部分を露わにしていたり。 自分の尻尾を性器に擦りつけて善がっていたり。おそらくこれはポケモンのそういった姿に焦点を当てた趣向の本なのだろう。 性的な事柄には大して馴染みのないニッシュには刺激が強すぎたのか。何ページも行かないうちに思わず本を閉じてしまっていた。 しかし、捲ったその先のページもやはり同じようにポケモンが寝そべっていたような気がする。 「分からない……。ごみ袋を探してたらここの奥から出てきたのよ」 「たぶん、隠してたんだろうな」 「隠してたって、誰が?」 「いや、ゼノしかいねえだろ……」 普通、本は本棚にしまうもの。部屋の本棚はまだまだスペースが空いており、いっぱいで入らなかったというのは考えにくい。 ニッシュやクオンに本の存在がばれるとまずいため、比較的人目に付きにくい流し台の下に隠していた。そんなところか。 隠蔽を行っていたということはゼノ自身この本が危ないものだという認識はあったのだろう。 「で、でもどうして?」 「そりゃあ……俺たちに内緒でこっそり見てた、とか?」 ニッシュにも断言はできない。しかし本が隠されていた状況からすると、そう判断するのが最もであるように感じるのだ。 見つけてしまったのが人間の女性の裸が載った本なら話はややこしくなかった。クオンはともかくニッシュは笑って済ませていたはずだ。 一般的な独り身の成人男性ならば、そうした本の一つや二つ隠し持っていたとしても別に不思議ではない。 だが今自分たちの目の前にあるのはポケモンの雌の卑猥な写真。そう、対象がポケモンであるということが事態をとてつもなく複雑にさせている。 クオンもニッシュも。お互いにどうしていいか分からずに、呆然と流し台の前で立ち尽くす。 何気なく始めた部屋の掃除がきっかけで、自分たちはどうやらとんでもないものを見つけてしまったようだ。 ―5― 正直、見なかったことにしてしまえたらどんなに気が楽になるだろうか。きっと滞りなく掃除を続行できていたはずだ。 クオンが流し台の下の扉なんて開けなければこんなことには、なんて彼女に責任を押し付けても何も解決しないだろう。 とはいえ一旦見つけてしまった以上、これを放置してはおけない。ゼノが隠していたものは運悪く発見してしまった。 自分たちが本の存在を知ってしまったことくらいは隠しておいた方がお互いのためだろう。今以上に気まずい空気を味わうのはごめんだ。 ニッシュは再び本のページをぱらぱらと捲ってみる。どんな内容かあらかじめ分かっていれば結構見られるもんだ。しっかし見事に雌の写真ばかりだなこれ。 「んー、やっぱりさあ。ゼノは人間じゃなくてポケモンの雌が好きなんじゃね?」 「ちょっと何言ってるのよ、ゼノは人間でしょ。そんなわけ……」 「じゃあ何でこんな本があるんだよ。あからさまに雌のポケモンしか載ってないエロ本だぞこれ」 クオンからすれば認めたくない部分もあったのだと思う。今まで何の気なしに接してきたゼノがポケモンをそういう目で見ているだなんて。 しかし、彼女の足元にある現実は消えてなくなったりはせず。灰色の表紙と共に存在感を誇示し続けていたのだ。 ゼノがそういう趣味だったなら、こうした本が隠されていた説明がついてしまう。 見て見ぬふりばかりしてはいられない。クオンは黙ってもう一冊の本を拾い上げた。 当然こっちにも、ニッシュが持っているのと同じような雌の写真がぎっしりと詰まっているとばかり思っていた、のだが。 「ね、ねえ、ニッシュ。こっちの本、雄の写真なん、だけど……」 「……勘弁してくれ」 うんざりしたような顔つきでニッシュはクオンから半ば強引に本を奪い取ると、恐る恐るページを開いてみる。 全体的な雰囲気としてはクオンが最初に見つけた方と大差がない。似たような写真の背景に、似たような恰好のポケモン。 唯一にして最大の差異はどのポケモンも股間に立派な一物を携えているということだけ。興奮した状態のものばかりを写真に収めたようだ。 中には雄のポケモンが達した直後の、白濁液をまき散らして恍惚とした表情を写したのものまである。 頭を抱えたくなるというのはこんな状況のことを言うのだろう。一体ゼノは自分たちをどこまで困惑させれば気が済むのか。 本のページの端が若干擦り切れていたり反り返っている所を見ると、どちらも同じくらいの頻度で読んでいたのだろう。雌の本も、雄の本も。 「雌だけが好きならこんなの一緒に置いてないよ、ね」 「性別関係ねえのかよおい。もしかして俺たち危ないんじゃねえか……貞操とか」 写真が雌のものだけだったならば、クオンを心配することはあっても雄である自分の心配をすることはなかっただろう。 しかし、雄の写真もあったとなれば話は別。本の内容を見る限りだと、おそらくゾロアークもゼノが好むポケモンのタイプに入っていても不思議ではなかったのだ。 普通に考えればゼノは男性で、対象となるのは女性。彼の場合はポケモンの雌ということになる。 だが、そもそも対象が対象なだけに彼を一般的な枠に当てはめようというのが無謀な話なのかもしれない。 「ゼノって私たちのことそんな風に見てたのかな……」 「こんな本を隠し持ってるくらいだ。可能性は無きにしも非ずだろ」 今まで何の迷いもなくトレーナーとポケモンの関係でゼノと接してきたつもりではいたが、もう知らなかった頃には戻れない。 彼の言動に不審なところがなかったかどうか、ニッシュもクオンもそれぞれの頭の中で一つ一つ思い返していく。 いくら自分たちのトレーナーでもこれは無視できない問題だ。今後のためにも用心しておくに越したことはない。 「うーん、私は思い当たる節がないかな。ニッシュはどう?」 「俺もだ。俺たちが知る限りだと至って普通のトレーナーなんだよな、あいつ」 もしもクオンが偶然本を見つけてしまわなければ、ゼノの隠れた性癖は永遠に分からないままだったのではないだろうか。 それほどまでにニッシュとクオンの前だと彼は一般人の枠の中にきれいに収まっていたのだ。 手持ちのポケモンに悟られないよう必死に隠蔽し続けた結果なのだろうか。心の内は完璧に隠し通せても、本の隠し場所が甘かったのがゼノの敗因である。 「私たちに手は出さないって決めてるのかなあ」 「さあ。少なくともあいつに俺たちを無理やりどうにかするような度胸があるとは思えねえ」 「そうかな。……そうかも」 少し首を傾げたクオンもほんの数秒で納得してしまうくらい、基本的にゼノは穏やかで時にはそうした態度が頼りなく感じられることもある。 感情を荒げることなんて滅多にない。悪乗りが過ぎたニッシュを窘めるのはゼノではなく、大抵はクオンである。 真面目なクオンはともかく、不真面目なニッシュでさえゼノに怒られた記憶がほとんどなかったのだ。 そんなお人良しの塊のような彼が嫌がるパートナーのポケモンを強引に、なんてまったくもってイメージに合わないし想像し難い。 それにポケモンと人間では身体能力がまるで違うのだ。生身の人間がコジョンドやゾロアークに立ち向かって勝てる見込みはまずないだろう。 これらの理由からひとまず我が身は大丈夫だろうとクオンもニッシュも結論付けた。 何よりゼノは今まで信頼を置いてきたトレーナー。その辺りは杞憂であることを願いたかったのだ。 「いやあ、しかしすげえなこれ」 同性に興味がないニッシュは雄の本をぽいと床に投げ出すと、雌が載った方の本を開く。今度は流し読みではなくじっくりと眺める感じで。 レパルダスにチラチーノにタブンネに、自分と同じ種族のゾロアークまでいる。イッシュ地方の綺麗どころを取りそろえた感じか。 もしもゼノがポケモンの雄だったらならば、なかなかいい趣味してるなと褒めていたことだろう。 野生での生活とは違い、トレーナーの元での暮らしは他のポケモンとの出会いの機会が限られてくる。 そこへゼノの忙しさも加わって、ニッシュはクオン以外の異性と接したことがほとんどなかったのだ。 クオンとの間に長い付き合いで育まれた絆もありはしたが、人間で言うところの親友のような関係であり雄と雌とのそれとは違っていた。 雌を知らないニッシュにとってこの本は相当刺激的であり、興味をそそられるには十分すぎるものだったのだ。 「……っ」 ページを進めていくうちニッシュが思わず釘付けになってしまったのは、コジョンドのページ。 部屋の片隅で壁にもたれかかり、艶めかしく笑いながら自らの手を股間に這わせて割れ目をぐっと広げている。 写真を撮った人物の技術もあるのだろう。まるで本当にコジョンドが自分を見て微笑んでいるような錯覚をしてしまいそうになる。 もちろんこのコジョンドはクオンではない。クオンではないと分かっていても、同じ種族なら外見はある程度似ている。 どうしても姿を彼女に重ねてしまい、ニッシュは胸の高鳴りと動揺を隠せずにいた。 「ちょっと、なんでコジョンドのページを開いてるのよ!」 「あ、いや悪いつい……な」 突然ニッシュがそわそわし始めたものだから、どうしたのだろうと横からクオンが覗いていたらしい。写真に夢中になりすぎていて全く気が付かなかった。 そそくさと本を閉じて、ごまかすかのように苦笑するニッシュ。だが、クオンの視線は冷たいままだ。 自分とよく似た姿、それもあんな卑猥なものを異性に目の前で嬉々として眺められていたのだ。クオンが憤慨するのも無理はない。 ニッシュにしてみれば気になって仕方のない内容なのかもしれないが、雌の前で堂々と読むものではないだろう。 それだけ彼女に気を許していることの裏返しとも取れなくもない。しかし、いくらなんでもデリカシーがなさすぎる。 「出来心だって、そう怒るなよ。ちょうど雄の本もあるみたいだしお前も読めば?」 「だ、誰がそんなもの……!」 極めつけのニッシュの発言にクオンは声を荒げてぷいと背中を向けてしまった。 とはいえ、過剰なまでにむきになっているところを見ると彼女も全くの無関心というわけではなさそうだ。 異性の体を詳しく知らないのはお互い様。ニッシュほど直球でなくとも、クオンだって少なからず興味はあるはず。 真面目な彼女のこと。こんな俗っぽい物を誰かの前で目にするなんて、自尊心や羞恥心が許さないのだ。 下手に押し付けようとしても意地になって拒むであろうことは容易く予想できる。クオンの方から折れるのを待った方がいい。 彼女が必要ないと言い張るのならそれはそれで構わない。ニッシュの本能は今この本を求めているのだから、それに従うまで。 もっとコジョンドが載ったページを眺めていたかったところだが、これ以上彼女を怒らせるのは控えておくべきだろう。 まだ読んでない部分もあるし、じっくり楽しめそうだな。ニッシュは閉じていた本を開いて続きのページに目を通していった。 ―6― 「いつまで眺めてるつもり?」 締まりのない表情で本を食い入るように読んでいるニッシュを、クオンも最初は白い目で見ているだけだった。 しかしあまりにも彼がこっちの世界に戻ってこようとしなかったため、やむなくため息交じりの声を掛ける。 さすがにニッシュに掃除の続きをやろうという提案が出来るほど、クオンも気持ちの余裕がなかったようだ。 「ん、ああ」 振り返りはしたものの、未だに視線は本に張り付いているニッシュ。だからこそ、自分の体がどうなっていたのか気が回らなかったものと思われる。 「え、ちょっと、やだっ……もう!」 彼が前に向き直ってから数秒後、ぎょっとしたようにクオンは慌てて後ろを向く。そんな彼女の反応でニッシュはようやく自分の状況を理解した。 いつの間にやらニッシュの股間からは肉棒が顔を覗かせていたのだ。やや赤み掛かった桃色。鬣の赤い部分よりは薄い。 彼の灰色の毛並みに良く映えるため、クオンも無意識のうちに目がそこへ行ってしまったのだろう。 二足歩行であるため、膨張すると毛で覆い隠せなくなったものがすぐに自己主張し始めてしまう。 「あー、すまん」 ニッシュも自分の一物がこうなっているとは気づいていなかったようで、咄嗟に持っていた本を前にかざして股間を隠す。 別にクオンに見られてしまったから恥ずかしい、なんて感情はあまり湧き上がってこなかった。彼女の前で堂々と卑猥な本を読む図太さがあるくらいなのだ。 ただ自分は良くてもクオンは良くないらしく、彼女の少し震えている背中からしても憤っているのが分かる。 配慮せずに曝け出していたのではますますクオンの神経を逆なでしてしまうだろう。 「いやまあ雄はさ、興奮するとこうなっちまうしな。もう大丈夫だぜ」 恐る恐るニッシュの方を振り返り、ちゃんと股間が隠されているのを見て一安心するクオン。 確かに雄が元気になってしまうのは正常な体の反応だ。実際に見てしまったのは初めてでも、クオンも何となくは知っていた。 とはいえ、そんな状態になるまで本を読んでいたのは紛れもないニッシュ。文句の一つや二つ飛ばしたい気分ではあったが。 大して悪びれる様子もない彼を責めても効果が薄いだろう。それなら早いところ気持ちを切り替えてもらった方がいい。 「じゃ、じゃあ早く落ち着かせて、もう本のことはほっといて部屋を片付けましょうよ」 「んー、このまま本を無かったことにするのは惜しいっていうか出来ないっていうか。なんかさあ俺、むらむらしてきちゃってさ……」 「えっ……」 ニッシュに向けられた視線にただならぬものを感じ取ったのか、クオンはさっと身を退く。両手を前に持ってきての構え、いつでも拳を前に出せるポーズだ。 ニッシュだって雄であることに変わりはない。場合が場合なのだ。下手に興奮した勢いで、なんて考えたくはなかったが。 そんな彼女の行動を見たニッシュは苦笑いを交えながら片方の手で自分の頭を掻いた。まさかここまで警戒されるとは。 まあ、こんな状況を作ってしまったのは自分自身だし弁解の余地はないと思っている。彼女はニッシュよりもずっと繊細だろうから。 「別にお前をどうこうしようとかは考えてねえよ」 「どうかしらね」 「そもそも俺は力じゃお前に敵わないんだがな」 「ま……それもそうか」 タイプの壁は大きい。元々悪タイプは格闘タイプの技に弱いこともあって、本気でクオンに蹴りでも入れられたらニッシュはひとたまりもないだろう。 その辺りはクオンも重々承知しているらしく、構えていた両手を下ろす。それでも距離は置いたまま。 本当に拳をぶつけるつもりだったかどうかはともかく、ニッシュに対して攻撃の姿勢を取るのは気が咎める部分もあったのだ。 いつものように彼の悪乗りが行き過ぎただけ。そう前向きに解釈しておいた方が気持ちは楽になる。 「……ちょっと気分落ち着かせてくる」 「どこ行くのよ」 本を片手にニッシュが向かったのは洗面所の方。歩いていく彼の股間からちらりと見えた桃色から素早く目をそらしつつクオンは尋ねる。 「こいつを扱いてくるんだよ。出すもの出せば落ち着くだろ」 ニッシュが指先を当てたのは前を隠した本の上。クオンにそれを直接見せるわけにはいかないから。と、彼なりの配慮のつもりだった。 ただ、ニッシュがこれから何をしようとしているのか分かってしまったクオンはそんな気遣いを受け止められるはずもなく。 目を大きく見開き、とても信じられないようなものを見るような顔つきでニッシュに視線を送る。 「え、い、今から?」 「何だクオン、気になるのか?」 「じょ、冗談じゃないわよっ。やるならさっさと済ませてきなさいよね!」 ニッシュがにやついて見せると、やはりクオンは声を荒立てて反論してくる。分かりやすい奴だ。 こんな状況だし、雌なら雌で気にならないはずはないとは思うんだが。ひとまずは彼女の意見を受け止めておくことにした。 「へいへい」 クオンに背を向けたままやる気のない返事を返し、ニッシュは洗面所のドアを開けて中に入る。 戸がきちんと閉まったのを確認すると、せかせかと待ちかねていたように本の一ページを開く。 そこにはさっきのコジョンドが変わらない表情でニッシュに笑いかけてくれていた。眺めれば眺めるほど胸の鼓動が早くなっていくのを感じる。 そう言えばコジョンドのページの右上に小さく折り目が付いていて、簡単にここを探り当てることが出来た。 折り目を付けた人物と理由は簡単に憶測できてしまうが、今は深く考えるのはやめにしておく。 クオンの目がないから遠慮はいらない。とことんまで味わってやる。床を汚しちゃ悪いし、どうやって使うかは風呂場で考えるとしよう。 ◇ 声を張りすぎたのと頭に血が上りすぎたのとで、何だかどっと疲れてしまったクオンは流し台を背にして床に座り込んでいた。 部屋の掃除をしていたはずなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。自分があんな本を見つけてしまったから、か。 そうじゃない。隠すには不十分すぎる場所に本を置いているゼノが――――と、なると大本を辿れば彼が原因ということになってしまう。 未だにゼノがあんな趣味を持っていただなんて、クオンには信じられなかった。ニッシュはそんなに深刻に受け止めてない雰囲気だったけど、自分は。 ゼノが帰ってきたらどんな顔をすればいいのだろう。正直、今までと同じように接する自信がなかった。 これは、後から考えればいい。ここで思い悩んでいても答えは出そうにない。まずは掃除をちゃんと終わらせることが先決。ところでニッシュはまだ、なのか。 彼が洗面所に向かってからどれだけ時間がたったかは覚えていない。雄が行為を終えるのにどれだけ掛かるのか、クオンには見当もつかないが。 今から処理する、なんてわざわざ言わなくてもいいのに。いや、彼にお茶を濁すような言い方をされたら結局気になって問い詰めてしまったと思う。 ニッシュがあんな状態じゃ確かに掃除にならない、主に自分が。興奮したのを治めるには最も効率のいい手段ではあるのだろうけれど。 待たされる身としてはあまり気分の良いものではない。このままじっとしているのも手持無沙汰だ。 先に掃除を始めてしまおうか、と立ち上がろうとしたクオンの目に。足元に落ちていたもう一冊の本が留まる。 雄には興味がないと言ってニッシュが置いていった方か。最初、少しだけ見てすぐにニッシュに渡してしまったからあまり内容は覚えていない。 ニッシュの手前拒みはしたものの、クオンも本の内容は気になってはいた。雄の体がどうなっているのか、初めての情報に対する好奇心。 思わず手を伸ばしてしまいそうになってクオンははっと洗面所の方を振り返る。ドアは閉まったままだった。 もし自分が本を読んでいるところを見られてしまったら、ニッシュにどれだけおちょくられることか。想像もしたくない。 彼が出てこようとしているなら物音くらいするはず。その時は素早く本を閉じればいいんだ。 何も全部読むわけじゃないし最初の数ページ見るくらいで構わない。気になるから、ちょっとだけ。 と、自分自身への言い訳を必死に並べ立てながら。クオンは恐る恐るページを捲ったのだ。 ―7― 洗面所から風呂場に入ってドアを閉める。おそらくは一人用に作られたもの。身体を洗うであろう場所や湯船もそれほど広くはない。 それでもニッシュが腰を下ろし、力を抜いて壁にもたれかかるくらいのスペースはあった。床に残った水滴が毛に吸い付いて少し冷たい。 本が濡れてしまわないよう、湯船の縁の外側にそっと立てかける。開いた本がちょうど自分の真正面に来るかたちだ。 ページのコジョンドをじっくり眺めながら行為に及べる体勢だ。こんなことをしてるとクオンの顔を直視できなくなりそうだが。 まあ、ここできっちり処理すれば異様なまでに高ぶった気持ちも落ち着くはず。そんな心配は後で考えればいいこと。 軽く息を吸い込んで、ニッシュは自分の股間に手を伸ばしていく。本を眺めているうちにいつの間にか元気になっていたそれ。 クオンの悲鳴を挟んだので一旦気持ちの興奮は中断されていたが、ここならば阻むものは何もない。 目の前のコジョンドを舐め回すように見つめながら、三本の爪の付け根辺りで肉棒を挟むように。尖った爪だと愛撫するときも一苦労。 間違って爪の先端部分を当ててしまっては痛みで処理どころではなくなる。デリケートな場所、扱いは慎重に行わなければ。 軽く力を込めた手を一物の根元から先っぽまで持っていき、再び根元まで戻す。まずは単純な動作の繰り返し。 そのはずだったのだが、大して時間が経たないうちにニッシュのそれは見る見るうちに強度を増していく。 あっという間に膨張しきってしまった愚息にニッシュ自身も驚いたくらいだ。中途半端に毛の隙間から顔を出していたのとは違う。 にゅっと飛び出して元気に斜め上を向いている。この状態なら役目をちゃんと果たしてくれそうだ。 今の肉棒をクオンが見たらどんな反応をするのか、ふとニッシュは思った。やはり悲鳴を上げてそっぽを向いてしまうだろうか。 いっそのこと興味を持ってくれたならそれはそれでおいしい。クオンだって気になってないわけじゃなさそうだしな。 この流れでクオンに扱いてもらえるとか最高だが、いくらなんでも高望みしすぎか。自分でしっかり慰めてやるとしよう。 竿を擦っているのがクオンの手だと妄想してやるのも悪くないかもしれない。今のテンションならきっと行けるはず。 もうニッシュには目の前のコジョンドがクオンなのかそうでないのか分からなくなってきている。 張りつめた肉棒の先端から透明なしずくがじわりと滲み始めた。おかずがあるのとないのとでこんなにも違ってくるとは。 普段よりも気持ちがぐんぐん上り詰めていくのが分かる。待ちわびていた瞬間が訪れるまで、もう一息だった。 ◇ 最初の数ページ目からもう一般向けの写真ではなくなっていた。普通のポケモンの写真集を装うつもりなどこの本には毛頭ないようだ。 エンブオーやワルビアルなど体格のあるポケモンはもちろん、エルフーンなど可愛らしいタイプのポケモンまでも。 竿の大きさはポケモンの体格に左右される傾向にはあるが、こうした本に取り上げられるくらいなのだ。きっとそれなりには立派なのだろう。 写真とはいえ元気な状態の雄を目の当たりにしてクオンは胸の高まりが収まらなかった。無意識のうちに呼吸が荒くなっている。 ニッシュのようにへらへら笑いながら楽しむ余裕なんてありはしない。一旦本を閉じて、自分の目も閉じて。クオンは胸に手を当てて軽く息を吸い込んだ。 「はあ……ふう」 写真にここまで気持ちを掻き乱されるなんて。幾分かましになったものの、まだ頭がくらくらしているような感覚がする。 ニッシュがあんなにも本を眺め続けられることが不思議でならない。途切れることのない雄の写真はクオンには些か刺激が強すぎるようにも感じられた。 まだ本のページは半分以上残っている。もちろん気にはなっていたがこのまま見続けたとして、洗面所から出てきたニッシュとちゃんと口を利けるかどうか。 ただでさえ細かいところの察しがいいニッシュだ。クオンの態度や口調の変化など容易く見破ってしまうことだろう。 彼のいない間に本を読んでいたことだけは隠し通さなければ。もしばれたらどんな冷やかしを受けるか想像もしたくない。 何度か息を整えて、また本に手を伸ばすクオン。休み休み早いところ読み終えてしまわないとニッシュが戻ってきてしまう。 やはり読み始めたからには最後まで目を通しておきたかったのだ。震える手で、それでも目は反らさずにページを読み進めていく。 本の半分くらいまで差し掛かった辺りだろうか。ある程度元気な雄にも見慣れてきたクオンが思わずぎょっとしてしまったのは、ゾロアークのページ。 ベッドの上に横たわったゾロアークが股間から立派な一物を伸ばして何とも気持ちよさそうに目を細めていたのだ。 雌の本にはコジョンド、雄の本にはゾロアーク。しっかり手持ちのポケモンと性別を揃えている辺り、ゼノにも抜かりがない。 ニッシュがコジョンドを見つけてしまったときもこんな気持ちだったのだろうか。違うとは分かっていても、どうしても彼の姿を重ねてしまう。 顔つきや毛並みなど、細かい部分はやはり差異は感じられるが。ぱっと見た感じではニッシュが寝転がっていると錯覚してもおかしくはなかった。 股間からせり出したそれはニッシュのよりも一回りくらい大きく思える。ニッシュのが小さいのか、それともこのゾロアークのが大きいのか。 あるいはちらりと見えてしまったニッシュのはまだ不完全で、完全な状態になればこれくらいになるのか。 と、自分は何を考えているんだとクオンは慌ててぶんぶんと頭を振る。しかし何度頭を振ってもゾロアークのそれが目に焼き付いてしまっていて。 今のニッシュもこの本みたいな状態になっているんだろうか。それにしても全然物音がしないな。声すらも聞こえてこない。 本の刺激があまりにも強すぎて気絶してるとかは、さすがにないかな。ニッシュだし。クオンはちらりと洗面所の方を見やる。 ニッシュが向かった後、振り返りさえしなかったので気が付かなかった。洗面所のドアが少しだけ開いていることに。 慌てていたニッシュが閉め忘れたのだろうか。隙間から中の様子が見える、ような見えないような。 いやいや覗きに行くなんていくらなんでもそれは。でも、やっぱり。気になってしまうものは仕方がない。 クオンはおもむろに立ち上がって洗面所の方へ歩いていく。一歩進むたびに頭の中で声がしていた。 お前は何をやっているんだ、引き返せ今ならまだ間に合う。己の自制心やプライドが必死で引き留めようとしてくれていたのだ。 本のゾロアークを見つけてしまう前ならば、クオンも踏みとどまっていたかもしれない。 しかし一度あの写真が目に留まってしまうと、今ニッシュがどんな状態になっているのか。自分の目で確かめてみたくてたまらなくなったのだ。 心の声の懸命の呼びかけも、好奇心には勝てなかったらしく。クオンはしっかり洗面所のドアの前まで来てしまっていた。 ニッシュがいるのはお風呂場だからこの奥。少しだけ開いた隙間からそっと覗いてみたものの、中に誰かがいる気配はない。 クオンは洗面所のドアを慎重に開く。中にはさっき畳んで積み重ねた洗濯物と、動かせなかった箱型の機械が静かに佇んでいる。ニッシュはやっぱり風呂場か。 ごくりと生唾を飲み込むと足音を立てぬよう忍び足で風呂場のドアの前まで。生まれ持った足腰の筋肉がこんなところで役に立っている。 自分でも驚くくらい静かにドアの前まで来ることが出来てしまった。風呂場のドアは擦りガラスも嵌め込まれておらず、中の様子は全く分からない。 だが耳を澄ますと微かに何かの物音と呼吸の音が聞こえてくる。もう少しはっきり分からないものか。 おや、風呂場のドアも中途半端に閉まり切っていない。ニッシュは相当焦っていたらしい。数センチだけ隙間が出来ている。 覗けなくはない。どうする。いや、ここまで来た時点で今更何を躊躇う必要があるというのだろう。自尊心は洗面所のドアの外に捨ててきた。 身体を伸ばして恐る恐る風呂場の中を覗きこむクオン。隙間が小さいため全体像は確認できなかったが、確かに見えた。 本を湯船の縁に立てかけて、倒れないようにしているのだろう。この角度からではニッシュの足先しか見えないが、何やら小刻みに揺れている。 そして先ほどよりも明確にクオンの耳に飛び込んでくる、彼の呼吸音。ニッシュの息が上がっているのはバトルの後などで、何度か聞き覚えがある。 それなのにどうしてこんなに胸がどきどきするのだろうか。ニッシュに対してこんな感情を抱くなんて絶対ないと思っていたのに。 この位置からでは肝心なところが見えないのがもどかしい、いっそのこと自分で少しドアを開けてしまえば――――。 「そんなに俺が扱いてるの気になるわけ?」 クオンがはっとしたのと同時に勢いよく風呂場のドアが開く。空の湯船の中に立ったニッシュがドアに手を掛けてにやにやしながらこちらを見ていた。 突然の出来事にクオンは開いた口が塞がらない。え、そんな。おかしい。だってニッシュはさっきまでそこで。 「な、え……あ、あんたいつの間にそこに」 「イリュージョン。俺ならこれくらいごまかすの楽勝だって。わざとドア開けっ放しにしてみたけどこうもあっさり引っかかるなんてねえ」 嘘。これは何かの間違い、ああきっとこれもニッシュが見せている幻、そうでしょう。と、現実から逃げ出してしまいたくなったクオン。 しかし何度目瞬きをしても目を擦ってみても、目前にいるニッシュは消えてくれない。そうしているうちにクオンも徐々に冷静になってくる。 ああ、そういうことか。さっき見ていたニッシュは幻で、本物の彼は湯船の中にいてドアの隙間から必死に覗く自分を見て笑っていたのだろう。 確かに洗面所と風呂場と、片方ならまだしも両方ともドアが少し開いていたというのは明らかに不自然だ。 好奇心に突き動かされすぎるあまり、そんな簡単なことにも気づかなかったなんて。すべては自分をここまで誘い出すための作戦だったのだろう。 気が付いた頃には時すでに遅し。あの本のゾロアークに興奮させられ、こっちのゾロアークにクオンはまんまと釣られてしまったというわけだ。 ―8― 「あ、あのね、ニッシュこれはその」 この期に及んでの弁解など何の意味もなさないことはクオンにも分かっていた。分かっていても自分が覗いていたことを素直に認めてしまうのは悔しくて。 ニッシュに何かを伝えようとするも、言葉が引っかかって何も出てこない。この場を切り抜ける巧みな話術など彼女は持ち合わせていなかった。 もっとも、どんなに口が上手くても今の状況を打破するのは不可能に近かったのかもしれないが。 「言い訳とかいいから。お前も興味あるんだろ、隠すなって」 「う……」 そんなことは、と反論しそうになって。たとえイリュージョンだったとしてもニッシュの行為を覗こうとしたのは紛れもない事実。 クオンが言い逃れできる理由なんてどこを探しても見つからないだろう。自身の行動を指摘されれば認めざるを得なかったのだ。 「せっかくの機会なんだ。協力してくれよ」 「協力って……何を」 「つい覗いちまうくらい気になってしょうがないんだろ。実物に触れて体験させてやる」 空の湯船から出てきたニッシュは股間のそれを隠そうともせず、まるでひけらかすかのように腰に手を当てる。 雄の本で嫌というほど実物を目の当たりにしてきたせいかクオンにも若干の耐性はついたようだ。もうニッシュのを見てもひどく動揺したりはしなかった。 彼の言う協力が何を指すのか。少々遠まわしな言い方だったがクオンにも理解できた。 もしここで自分がとぼけてみたところで、ニッシュは堂々と何をして欲しいのか言ってのけるだろう。羞恥心も何もあったもんじゃない。 「わ、私はそんなことしたいなんて一言も……」 ふん、と横を向いて目を反らそう反らそうとしつつも。ぐるぐるとあちこち泳いだクオンの視線は最終的にニッシュの股間に落ち着いてしまう。 灰色の毛の隙間から少しだけ顔を覗かせているそれ。まだ完全な状態ではないのか、写真で見たゾロアークのと比べると大分小さい。 それでも健康的な色合いをしていて、クオンとしてはなかなかそそられるものはあったのだ。本人がいいと言うなら、触れてみたいと思えるくらいには。 「……どうすればいいのよ」 暫しの沈黙の後、結局クオンはニッシュの誘惑に逆らえずに彼の申し出に乗っかる形になってしまった。 これがニッシュの作戦なんだろうとは薄々感づいてはいたものの、湧き上がってくる欲望と好奇心には逆らえず。 ニッシュのそれはどんな感触なのだろうか、触れたらどんな反応をするんだろうかと密かに期待している自分がいたのは紛れもない事実だったのだ。 ◇ 風呂場にクオンも加わるとなると湯船に面した壁側では狭すぎた。ドア側の方が直線距離としてはやや長い。 先にクオンに入ってもらって、続いてドアにもたれる形でニッシュが腰を下ろす。それでもスペースはぎりぎりだったがどうにか収まった。 まさかこうもうまくいくとは。彼女を風呂場に招き入れた辺りからニッシュの顔は無意識のうちににやけていた。 半ば強引にクオンをこちら側へ引き入れてしまった感はあったが、本人の意思はそれなりに尊重したつもりだ。 腑に落ちないといった表情をしつつも、クオンはここに来てくれたわけで。後はその場の流れに乗ってしまえばどうとでもなる、たぶん。 とはいえこんなことはニッシュも初めて。少なからず緊張はしていた。体が強張っていては十分に楽しめないので何度か息を吸い込んで呼吸を整える。 その間もクオンは立ち尽くしたままじっと彼の体の一点を見つめていた。物欲しそうなというよりは、ひどく物珍しそうな好奇の目で。 「そんなに気になるのか?」 「うん……だって私にはないものだし」 自分が持ってないものはどうなっているのか気になる、それはニッシュも同じだった。クオンのように表に出してないだけで。 写真で散々脳裏に焼き付けていた雌の部分が本当はどんな風になっているのか。もちろんニッシュはこの後確かめるつもりでいた。 いい感じに昂ぶってくればきっとクオンも受け入れてくれると踏んで。ただ、今はそれよりももっと優先すべきことがある。 「そうか。じゃあ、最初は揉む感じでゆっくりやってくれ」 「わ、分かった」 風呂場の床に膝をついて前かがみになると、クオンは遠慮気味に股を開いたニッシュの一物に触れる。 あれだけ頭の中で想像した瞬間が実際に目の前で起こっている。雌から直接ご奉仕なんていいシチュエーションじゃないか。 そのまま手先を動かしてくれるのだと思いきや。クオンはただそれを持っているだけ。微かに指先が動きはするが、その程度の刺激では何も伝わってこない。 「へえ……こうなってるのか。あ、動かしてみるね」 どうやら初めて触る肉棒をどんなものなのかチェックしていただけらしい。全く手を動かさずにいられたのでは生殺しもいいところ。 もう少しこの状態が続いていたら、ニッシュもクオンに注文を付けていたことだろう。とりあえずは一安心だった。 クオンは竿に触れている方の手に徐々に力を込めていく。ぐにゅ、と表面が凹む程度の力加減。自分で弄るよりも若干弱い感じはしたが、悪くない。 そして何よりも重要なのが、相手がクオンだということ。ちょっと刺激が足りない分の埋め合わせは十分すぎるくらいだった。 ぐにぐに、ぐにぐにと何度も揉まれていくうちにニッシュの中で燻っていたものが再び燃え上ってくる。股間にどんどん熱が集中していくのを感じていた。 「すごい、こんなに硬くなって、大きくなって……」 少々頼りなさげだったそれはいつの間にやら見違えて。弾力と大きさを兼ね備え、ニッシュの呼吸に合わせるかのようにぴくぴくと揺れている。 毛の中から中途半端に顔を出しているだけだったときとはまるで違う。今や完全にその存在を露わにして、ぴんと天井の方を向いてそそり立っていた。 まだ柔らかい状態から触れていたクオンならば違いが目に見えて分かるのだろう。万全な肉棒を前にして微かに震える彼女の呼吸音が聞こえてきた。 「写真のゾロアークにも負けてねえだろ?」 「なっ、なんでそれを」 「雌の本にコジョンドがいたんだ。雄雌どっちも好きなゼノなら、あっちにゾロアークがいてもおかしくねえ。見てたんだろ、クオン?」 目の泳ぎ具合と声の上ずり具合で本当かどうかは大体判断が付く。分かりやすい。自分が風呂場で下準備してる間に、やっぱり読んでたんだな。 他の誰かの目がないところだとどうしても気になってしまったわけだ。もっと堂々とすりゃいいのに。思ってたよりもむっつりなんだな、クオン。 別に幻滅したりはしない。どちらかというと歓迎するくらいだ。真面目も度が過ぎるとただのつまらない奴になっちまう。 「ふふ、お見通し、か」 ニッシュの言葉に対して、大げさに否定したり声を荒げたりはしなかったクオン。彼女の中で何かが吹っ切れたのだろうか。 恥ずかしがったり照れたりする様子もなく、むしろ清々しい表情をしているようにさえ思えてくる。良い顔つきだ。 「そうね。いい勝負だと思うわ」 言いながらニッシュの竿の先端から根元に向かってすっと手を滑らせていくクオン。 指先の一本一本が絡み付いてくるような彼女の手の感触。手の爪が短いクオンだからこそ出来ること。 伝わってきた確かな刺激にニッシュは思わず身震いしてしまっていた。ようやくクオンも乗ってきてくれたってことか。 「へへ。じゃあ今度は今みたいな感じで上下に手を動かしてくれよ」 ああした写真集に選ばれる雄といい勝負、とか言われたらやはり気を良くしてしまう。 もしかしたらクオンが合わせてくれたのかもしれないが、それならそれでもいいさ。自分のが立派かそうでないかはこの際大した問題じゃない。 今のままでも十分頑張れそうな気はした。でもせっかくだしクオンにはもうひと頑張りしてもらうことにしよう。 ただ、状況が状況だけに結構良いところまで来てしまってるのが分かる。危なくなったら一旦中断した方がいいだろう。 ニッシュの要求にクオンは頷くと、黙って手を上下させ始める。もちろんニッシュの一物はしっかりと握りしめたまま。 「お、おお……」 ニッシュの口元から悦に浸った声が零れ落ちる。自分で動かさなくていいってのは想像以上に楽なんだな。 手で頑張って扱く労力がいらない分、より妄想に集中できるってもんだ。まあ今は妄想しなくても目の前にクオンがいる。 興味津々で自分の肉棒を扱いてくれてる姿はなかなかに興奮を掻き立ててくれていた。もう少し眺めていたいところだったがこれ以上はまずい、か。 いい加減危なくなってきた。そろそろ止めておくか、とニッシュが思い始めた矢先。突如クオンがもう片方の手を添えて竿を擦りはじめたのだ。 片手で弄られるだけでも満ち足りるほどの感触だったところにもう片方の手が加わって。単純に考えて伝わる刺激は倍に。これは確実に許容範囲を越えている。 「お、おいクオンそれ以上は」 余裕ぶってへらへらとしていたニッシュから表情が消える。クオンに呼びかけてみても返事はなく、これは自分のものと言わんばかりに一物を握って離そうとしない。 知らぬ間に染み出した先走りの汁も加わり、滑りの良くなった彼女の手がますますその動作を加速させていく。 「く、クオンっ……や、やめっ」 自分の意志とは無関係に容赦なく刺激が与えられてくる。そのことに初めてニッシュは恐れを抱いた。 咄嗟に彼女の両手を払いのけようとするも、下半身ががくがくとして腕にまるで力が入らない。 ニッシュに出来たのはせいぜい手を震わせながらクオンの頭に添えることくらい。もちろんそれで何の抑止力になるはずもなく。 クオンの動きは止まらない。ほっそりとした指先にも着実に力がこもっている。一度掴んだ相手は離さない。何もこんなところで格闘タイプを発揮しなくても。 写真のコジョンドを眺めていた時から気持ちの昂ぶりは感じていた。そこへ本物のクオンも加わって相乗効果。要するに普段よりも早い。 そして何よりも彼女の格闘技は悪タイプに効果抜群だったわけで。もう、ニッシュが耐え抜ける要素など何一つ残されていなかったのだ。 ―9― 「ぐ、がっ……あああっ!」 悲鳴と共に限界を迎えたニッシュの雄の先端から、溜まっていた欲望の塊が勢いよく飛び出していく。 白く濁ったそれは肉棒に顔を近づけていたクオンの顔に、そして触れていた彼女の手にぴちゃりぴちゃりと付着していく。 勢い余った分が自分のお腹にも降ってきた気がするが、そんな小さなことを気にしていられる状況ではなかった。 発射に伴って訪れる心地よさは下半身からじわじわと全身を蝕んでいく。焦点が定まらなくなって頭がくらくらする。 ぐったりとドアにもたれかかり、荒い息を上げながら項垂れるニッシュ。クオンがしきりに自身の手と顔を気にしているような姿が見える。 ああそうか。思いっきりぶっかけちまったもんな。だけどこうなる前に止めようとしたのに、勝手にやったのはクオンだ。 顔が汚れたのは自分のせいじゃねえな、とニッシュは暫し目を閉じる。もちろんクオンをほっとくわけじゃない。 自分の世界に浸るのは少しの間だけ。後から来るであろう倦怠感が快感に勝ってしまう前に、快楽に浸っておこうと思ったまで。 「ねえ、ニッシュ。これって……本に載ってた白いやつ?」 「俺は雄の本なんて見てねえから知らんが、そうなんじゃねえか」 少々投げやり気味にニッシュは答える。雄メインのエロ本にある白いやつなんて言われれば、それくらいしか浮かばない。 「俺は雄の本なんてじっくり見てねえが、そうなんじゃねえか」 少々投げやり気味にニッシュは答える。雄メインのエロ本にある白いやつなんて言われれば、それくらいしか思い浮かばない。 薄目を開けてクオンを見てみると、顔や手に付いたニッシュの残滓を不思議そうに眺めたり匂いを嗅いで顔をしかめたりしている。 独特の生臭さや粘性などあまり気持ちのいいものではないとニッシュは思っていたが、クオンは別段嫌そうな顔はしていなかった。 「こんな風に、なるんだ」 感慨深げに言うクオン。その表情はどこか満足げだった。自分が見たかったものを写真でなく実物で見ることが出来たからだろうか。 だが、ニッシュにしてみれば無理やり暴発されられたようなもの。己の意志とは無関係に次々と刺激が襲ってくる感覚は案外悪くはなかったが。 ここで終わらせてしまうつもりなんて毛頭ない。気持ちよくなったのが自分だけだと不公平だしな。幸い、幾分か頭もすっきりしてきた。 所々を白く濁したクオンの顔をそこそこに堪能しながら反撃の機会を窺うニッシュ。冷静に考えれば格闘タイプのクオンに攻め入ろうなど無謀もいいところ。 単純な力比べではどう足掻いても彼女には勝てない。しかしこのまま床にダウンしていたのでは気持ちは萎えていく一方。 タイミングを見失うとせっかくのお楽しみの時間が短くなってしまう。ここは勢いに乗れるうちに乗っておいた方がいい。 「次は俺の番だな」 「え?」 ニッシュはおもむろに立ち上がるや否や、戸惑い気味で隙だらけだったクオンを反対側の壁へと押し倒す。 みしりと床と壁の軋む音。ニッシュの鬣とクオンの長い腕の毛が一瞬宙を泳いだ。今度はクオンが腰を下ろして壁にもたれ掛るような体勢になる。 自分の肩をがっしりと抑えているニッシュのぎらぎらした瞳を、クオンは何が起こってるのか分からない様子でぽかんと見つめていた。 「ああまでされちゃ黙っていられねえんだよ」 「ちょ、ニッシュ、んっ……」 床に膝をついて彼女の肩を掴んだままニッシュは顔を近づけていき、半ば強引にクオンと唇を重ねた。彼女の顔に僅かに残った自分の残り香が鼻を突く。 柔らかい口元だった。表面だけでは事足りずニッシュは中まで舌を侵入させていく。口の端から漏れる、彼女の震えたような吐息がひどく心地よかった。 抵抗されれば簡単に突き飛ばされてしまうことくらいニッシュにも分かっている。それを承知したうえでも、ここは大事な勝負所だったのだ。 せっかくクオンをここまで引き込んだんだ。萎えてる暇なんてない。圧し掛かってくる倦怠感を払いのけながら、ニッシュは無心に彼女の口内を貪った。 反撃覚悟で挑んだにもかかわらず、意外にもクオンは強く抗う気配を見せない。 迫りくるニッシュを押しのけるように彼女の両手が肩に押し当てられてはいたが、彼の勢いを阻むほどではなかった。 クオンが本気を出せば華奢なニッシュを振り払うくらい造作もないことのはずなのに。少し虚ろになった瞳でクオンはニッシュの接吻をただ受け入れているだけ。 やがて、ニッシュに触れていた彼女の手は力を失ってだらりと床に投げ出されてしまった。それを横目で見たニッシュはにやりと口元を釣り上げる。 「気分はどうだ、クオン?」 存分に彼女の口内を味わった後そっと顔を離して、口元を腕で拭いながらニッシュは尋ねる。いつの間にか自分の口の中に収まりきらないくらい涎が溢れ出ていた。 わざわざ聞かずとも少し蕩けたクオンの顔つきを見れば、大体は分かりそうなもの。確認する意味合いでもニッシュはあえて問いかけてみたのだ。 「もう、強引なんだから。でも、ちょっとどきどきしたかな……」 口の端に手を当てて不思議そうな表情でニッシュを見上げるクオン。初めてのキスで勝手など分からず本能のままに突撃する結果となったが。 途中からクオンが受け入れてくれたことや満更でもなさそうな彼女の表情を見る限り、そこそこ上手くやれたのではないだろうか。 「今度は俺がお前を気持ちよくしてやるよ」 クオンの首から下を舐め回すように眺めながらニッシュは言う。先ほどのキスは準備運動のようなもの。まだまだ本番はこれからのつもりだ。 もちろんこっちもニッシュは初めてなわけで、口では豪語してみたものの正直なところあまり自信はない。 まあ初めてなのはクオンも一緒だろうし、自分が下手でも分かりづらいってのは助かるな。とにかく痛みは感じさせないよう慎重にやらねば。 「ふふ、分かった。お願いね」 別段緊張している様子もなく、クオンは割といつも通り。ただ、熱を帯びた眼差しで何かを期待している風なのはニッシュにも分かった。 心なしか自分で自分のハードルを上げてしまった感も否めないが、今更後に引きさがれるわけもなく。初めては初めてなりにやってみるしかない。 ニッシュは再びクオンの肩の辺りに手を伸ばすと、そこから徐々に下へと手を滑らせていく。彼がぴたりと手を止めたのは彼女の胸にあたる部分。 クオンは格闘タイプなんだからもっと筋肉質なものだとばかり。しかし肩も胸も意外と柔らかい。ニッシュがもっと触っていたいと思えるくらいには。 そこを掴むようにして爪を動かしてみたが、表面の毛の上を滑っていくだけ。やっぱり掴める程の膨らみはないか。でも何となく他の個所よりも柔らかいような気はした。 「そんなに胸が気になるの?」 「まあ、な」 クオンに胸の大きさを求めてるわけじゃない。そもそも人間の雌とは身体のつくりが違うだろうし。 ポケモンでもニドクインやミルタンクなど、一部にはふくよかそうなのが居るにはいるが。今はこのクオンの体が何よりも愛おしい。 爪の先で胸の辺りを何度も探っているうちに、ニッシュはついに見つけた。毛に隠れて外からでは分からないくらいの小さな突起。 膨らみはなくてもこっちはちゃんとあるんだな。皮膚に爪を立ててしまわないよう慎重に、ニッシュはその突起をきゅっとつまんでみる。 「んっ」 微かに漏れたクオンのくぐもった声。そこを爪の先でくりくりと弄ぶうちに彼女の肩や足先がぴくぴくと震えはじめる。 痛がってる感じじゃない。むしろ悦んでいるような。一旦場所が分かってしまえば話が早い。とりあえずはここ、でいいんだろう。 今度は顔を近づけ、ニッシュはそこへ直接舌を這わせる。小さくとも感度は悪くなさそうだ。それならば重点的に攻めてやるまで。 爪と違って傷つけてしまう心配がないから遠慮はいらないな。ニッシュは舌先を突起に密着させて執拗に舐め回していく。 「あ、んぅ……」 すぐ上にあるクオンの口元から艶のある声が零れる。いつの間にか彼女の両手はニッシュの頭の両側に当てられていた。 これは刺激が強すぎて辛いから離れて欲しいということなのか。あるいはもっと激しくしてほしいから抱き寄せているのだろうか。 どちらにしても、もうしばらくは顔を離すつもりはなかった。ようやくクオンに手が届いたのだから。 遠慮なく彼女に触れられる機会など今を逃せば次にいつ来るか分からない。十分なほど愛撫はしたし別の場所に移ってもいい頃合いな気もしたが。 自分が満足するまではもう少しだけクオンの胸を、体を。隅から隅までしゃぶりつくしておきたいとニッシュは思ったのだ。 ―10― 無心に舌を動かすうちに気が付けば左右両方、隅から隅までクオンの胸を舐めつくしていた。彼女の胸元はニッシュの唾液でべっとりと濡れている。 随分と長い時間クオンの胸元に顔を埋めていたような気がした。執拗に舐め続けても拒否はしなかった所を見ると、そこまで悪くない感触だったということか。 ニッシュが顔を上げると、目を細めて微かに息を荒げているクオンと目が会う。なかなかに素敵な表情だ。 読んでいた本に胸を弄られている雌の写真があったからそれを見よう見まねでやってみたが、想像以上に上手くやれたように思える。 とはいえこうした技術に関してニッシュは素人同然。割と胸でも感じてくれたクオンの体質に助けられた部分も大きかった。 「さあて、次は……っと」 もう他に弄るような場所も思いつかないし、いいだろう。ニッシュはさっきよりも姿勢を低くしてクオンの股に顔を近づけていく。 あれだけ準備運動したんだ。どうなっているか気になって仕方がない。爪の先で優しく撫でるように短めな毛を掻き分けて、目的の場所を探索する。 写真のコジョンドはどの位置だったか。正直、表情と股しか見てなくて位置関係を把握する余裕がなかったんだよな。手探りで行くしかない。 普段は毛に隠れてるし、そんなに凝視もしたことないしでクオンのがどうなっているか見たことがない。 まだ大事な個所には直接触れていないのに、クオンの体がびくりと震えたように見えた。もしかして緊張しているのだろうか。 見られるのが初めてだってことならお互い様。自分の場合は大して羞恥心はなかったので、肉棒を曝してしまうことにあまり抵抗はなかったが。 やっぱりクオンはそうじゃないのか。まあ個人的には堂々としてるよりは恥じらいの仕草があった方がそそられるものがある。 彼女が恥ずかしがってるなら控えめに、なんてするつもりはもちろんなかった。苦痛を与えてしまわない程度にクオンの反応を楽しむつもりだ。 「ん」 毛並みに沿って爪を動かしているうちに、とある場所で引っかかる。他とは明らかに違った柔らかさ。縦にすっと切れ込みが入ったような筋。 そこへ触れた瞬間クオンの足先がぴくっと動いたようにも見えたしおそらくはここだろう。両手を筋の左右に押し当てて軽く力を込め、左右に広げてみる。 微かな湿った音。それと共にクオンの割れ目が明らかになる。瞬間、ニッシュは自分の心臓がどきんと鳴ったような気がした。 確かに事前に本で確認はしていたつもりだった。写真のコジョンドの雌があんな感じだったから、きっとクオンもそれに近いのだろうと。 それでもいざ現物を前にしてみると。広げたクオンの雌から伝わってくる肉感や生々しさはニッシュの想像を遥かに越えていたのだ。 まだ直接内部には触れてもいないというのに胸の高鳴りを抑えきれない。やはり現物は写真とは違うということなのか。 「に、ニッシュ……あんまりじろじろ見ないでよ」 「今更何言ってんだ。お互い様、だろ?」 自分のも見せたんだからクオンも、という強引な理屈ではある。ニッシュの場合半分くらいは自ら進んで曝していた気がしないでもない。 ただクオンも好奇心から彼の一物を食い入るように眺めていたこともまた事実。その自覚があったせいかニッシュの言葉に反論できなかったのだ。 ニッシュに観察されている、という状況を確認してしまうのが恥ずかしいのかクオンは目を閉じて横を向いてしまう。それでもいいさ。 クオンが自分を見てくれなくとも触れれば何らかの反応はしてくれるはず。視線は繋がっていなくても神経はしっかり繋がっているんだからな。 目的の場所は発見できたがどうしたもんか。爪だと力加減が分からない。こんな時はクオンみたいに短い爪が羨ましく思えてくる。 とりあえずは傷つける心配がない舌でやってみるか、と顔を近づけようとしたニッシュ。だが、床にだらりと横たわっているクオンの尻尾を見てあることを閃いた。 そういえば写真には尻尾を使っていた雌もいた。とはいえクオンの尻尾を勝手に使うわけにもいかないよな。 あいにく自分に尻尾はない。あるのはこの長い鬣ぐらい。尻尾みたいに自由に動かすのは難しいが、たぐり寄せれば毛先をクオンの股間まで持ってこられなくはなさそうだ。 やってみるか。ニッシュは右手で長く伸びた鬣の先端、数珠にも似た丸い部分を持つ。そして左手で広げられたままのクオンの秘所に、毛先をゆっくりと撫でつける。 「ふぁ」 柔らかい鬣とはいえ、体の中でも敏感な個所に押し当てられればもちろん刺激は伝わるわけで。クオンの口元から細い声が漏れた。 直接的な愛撫というよりはくすぐっているような感覚に近いか。舌や爪のような力強さはなくとも焦らしとしては意外と効果がありそうだ。 ニッシュが毛先を小刻みに動かすたびに目を閉じたままのクオンの肩や腰が小さく揺れているのが分かる。 時間が経過するにつれて、鬣の先が少しずつ少しずつ重くなっていく。毛先が濡れそぼっているのは風呂場の湿気だけのせいではない。 そっぽを向いたままのクオンの気持ちとは裏腹に、体はしっかりと反応を示してくれているようだ。 割れ目から毛先を離そうとすると糸を引いてしまうくらいにクオンのそこは濡れている。いい具合なのではなかろうか。 ニッシュが鬣を掻き上げて元の位置に戻すと、ようやくクオンは目を開けてくれた。やや虚ろな定まらない目線をニッシュに向けてくる。 息を荒くしてどこか物欲しそうな表情をしている、ような気がした。少なくともニッシュにはそう映ったのだ。 柔らかい毛先だけだと物足りないはず。次はちゃんと触れてやらねば。意を決したニッシュはクオンの雌へ顔を近づけていく。 片手で筋を広げていたときと違って、今度は両手が使える。奥までしっかり見渡せるのは素晴らしい。 鬣の毛先に弄ばれて表面を濡らしたクオンの雌。ぬらぬらと光る様子がとても艶めかしい。湧き出した雫を舐め取るかのようにニッシュは舌を這わせた。 「んうっ、あぁ」 鬣に比べると押し当てる強さも表面への刺激も比べ物にならないはず。毛先と違って細かい部分まで自分の意志で潜り込ませられるのだから。 クオンからはさっきよりも遥かに甲高い喘ぎが聞こえてくる。ニッシュが何度舌を動かしても彼女の割れ目は乾くことを覚えずに。 次から次へといやらしい蜜をとめどなく溢れさせて。鼻先や口元に付いたそれはニッシュの気持ちも加速させていく。 もういいところまで来てるような感じはするが、このまま単調に舐め続けてるだけじゃ芸がない。 まあ今のクオンから察するに刺激を持続させれば気持ち良くはさせられそうだ。ただ、鬣の時みたいに何か変化が欲しい。 体勢を立て直そうとして舌から細い糸を引かせたままニッシュは少しだけ顔を離す。ん、筋の上部分にちょっとした出っ張りがあるな。 真ん中辺りを舐めてばかりで気が付かなかった。クオンは胸の突起も割と感度が良かったし、こっちも打診してみる価値はありそうだ。 胸に比べるとあまりにも繊細そうなそれは爪で触れてしまうのが憚られる。まずは無難に舌でつついてみるか。 舌先で小さな雫を絡め取るかのように。ニッシュはクオンの突起に舌を密着させて優しく包み込む。 「ひぁっ」 随分控えめに触れたというのに、クオンは下半身をびくりと硬直させて悲鳴にも似た声を上げる。やっぱりこっちの突起も弱いのか。 割と感じてくれる個所が多くて助かる。この場所を重点的に攻めていけば、はずれはないと見た。 今度はさっきよりも早く。舌の先端で小さな豆を転がすかのごとく。ニッシュはちろちろと舐め続ける。 「あっ、だめっ、やぁっ……」 クオンの肩が、背中が、足が。電撃でも受けたかのようにがくがくと震える。ニッシュを制しようと彼の頭に両手を伸ばそうとするが、震えて力が入らない。 そんな彼女の反応に味を占めたニッシュの動きは止まらない。弱点を察したならそこを徹底的に叩く。悪タイプの名に恥じない立ち回り。 ニッシュの唾液とクオンの蜜とで、普段は風呂場で立つことがないであろう濃厚な水音が響き渡る。 十分に豆の味を堪能したニッシュは、仕上げと言わんばかりに突起を唇で摘まむようにしてきゅっと軽く吸い上げてやった。 「ひっ、あっ、あああああっ!」 これまでにない程の一際激しいクオンの叫び。甲高い声が風呂場に反響してニッシュの耳に突き刺さった。 それと同時に彼女の腰がびくんと跳ねると、割れ目から勢いよく愛液が溢れ出す。当然至近距離にいたニッシュの顔にもそれはぴちゃぴちゃと降りかかる。 顔に付く不快感は全くなかった。それよりも雌が、クオンが果てた瞬間どうなるのかをこの目でちゃんと見ておきたかったのだ。 喜んで彼女の愛液を浴びていたと言うと語弊があるかもしれないが、雄の精液と違って粘りや匂いがそれほど強くないというのが大きい。 とにかくクオンも楽しませるという目標はどうにか達成できたことになる。本当はこの後爪の先で摘まんだりすることも考えていたのだが、意外と早かった。 ニッシュは立ち上がって床に崩れ落ちかけているクオンをじっくりと眺める。はあはあと激しく上下する彼女のお腹が刺激の強さを物語っていた。 焦点が定まらずどこを見ているか分からない虚ろな瞳。それでも口元だけは不自然なまでに吊り上ってだらしない顔つき。 一足先に自分が果てたときもこんな表情をしていたのかもしれない。ニッシュはちらりと己の股間を見やる。 クオンに対する一連の流れでそれなりに元気になってはいるが、まだまだ本調子ではない。もし暴発していなかったら迷わずに第二ラウンドに突入していたはず。 まあ、お互い初めてってことでこれくらいで幕を引くぐらいが丁度いいか。自分はともかくクオンは今それどころではなさそうだ。 次の機会が来るかどうかは分からないが、ニッシュは十分なまでに楽しめたのだから。 「良かったぜ、クオン」 まだ快感の余韻が引かないらしく蕩けきっているクオンの顔をゆっくりと自分の方へ向けると、ニッシュはそっと唇を重ねた。 ―11― 風呂場のドアを開き、足元に置いていた大きなタオルを拾い上げてニッシュは体の水気を拭き取っていく。 タオルは洗面所に引っかけてあったものから適当に拝借した。洗濯物が一つ増えてしまったがこればかりは仕方がない。 ニッシュもクオンも体をあのままにして外に出るのは耐えられなかった。単純にべたべたして不快だというのが一つ。 そして行為を終えてしまえば気持ちが冷静になってくるため、情事の残り香を身にまとっているのが恥ずかしいと言うのがもう一つ。 どちらかといえば後者の影響の方が遥かに大きい。クオンが水道の蛇口の使い方を知っていて本当に良かったと思う。 水が少々冷たかったがこればかりは文句を言っていられない。体を洗えただけでもありがたいと思わなければ。 クオンは先に体を洗って風呂場の外に出て行った。二人で使うにはこの空間は狭すぎる。彼女が体を洗っている間、ニッシュは浴槽の中で待ちぼうけ。 水浸しのクオンも独特の色気があって良いなとは思ったが、さすがに派手に出した後だとニッシュの雄も大人しい。 何となく眺めているうちに自分の番になり、黙々と体を洗い終えて今に至るというわけだ。 クオンよりも体毛が多いせいか拭き取るのに時間が掛かる。特に鬣が曲者でタオルを当てても当ててもなかなか水気が取れない。 短時間で完全に水分を拭うのは無理そうだ。床に水が滴らない程度まで乾かすということでニッシュは妥協することにした。 使い終わったタオルは適当に畳んで洗濯物の山に加えておく。ゼノに怪しまれたりはしないはずだ、たぶん。 洗面所のドアを開けようとしてニッシュはふと、どんな顔をしてクオンに向き合えばいいのだろうと立ち止まった。 それぞれのあられもない姿をお互いに知ったわけだ。クオンは風呂場でのことをどう受け止めているのか気になる。 体を洗っている間にそれなりの言葉は交わしたものの。行為の内容についてはクオンも、ニッシュでさえも触れなかった。 彼女を風呂場に招き入れたときと、出ていくのを見送ったときとの温度差が激し過ぎて苦笑せざるを得ない。 正直、雌の本を見つけてしまった気持ちの昂ぶりで無理やり押し切ってしまった自覚はあった。彼女が不満を抱いているようなことがなければ良いのだが。 なんて、心配を膨らませていくのもらしくないか。クオンに何か思うところがあれば言ってくるだろうし、顔を見れば伝えたいことがあるかどうかは大体分かる。 とりあえずはいつも通りで問題ない。そう信じてニッシュは洗面所のドアを開ける。途端、ごみ袋のがさがさという音が聞こえてきた。 どうやらクオンは残りの片付けに勤しんでいたらしい。ああ、掃除の途中だったなと今更になってニッシュは思い出した。 ゼノが隠していた本を見つけてからは自分もクオンも掃除どころではなくなってしまっていたし。 気持ちが落ち着けばちゃんと掃除に戻っているのはいかにも彼女らしかった。洗面所から出てきたニッシュを見るなり、クオンは目を丸くする。 「ん。なんだ、俺の顔に何かついてるか?」 「あ、なんかいつも以上にほっそりして見えたからびっくりして。水に濡れると別のポケモンみたい」 元々上半身や腰つきは細身なニッシュ。ふさふさの鬣があることで外見のバランスが取れていたのだ。 水を浴びて濡れそぼった鬣は随分と萎んでしまっている。体を拭くのに夢中になっていて気付かなかったが、確かにこれは貧相だ。 毛の長いポケモンが水浸しになると雰囲気が変わると言うが、ニッシュもその例に漏れなかったらしい。 「乾けば元に戻るだろ。時間は掛かりそうだがな」 「そうね。これでおしまいっと」 机の上にあった最後の空の容器をごみ袋に放り込んで、クオンは袋の口をきゅっと縛る。あれほど部屋に散在していたごみはきれいさっぱりなくなった。 最初の乱雑な部屋の様子からは想像もつかないくらいには片付いている。洗濯物などまだやり残した部分もあるにはあったが。 だが、クオンやニッシュにしてみればあまり勝手の分からない人間の住居での掃除。それを考慮すればかなり善戦した方だ。 「悪いな、仕上げを任せちまって」 「いいのよ。私は毛が短いから洗うのも楽だったしね」 クオンはごみ袋を部屋の隅まで持っていくと、自身の腕をなぞるように手を当てる。 多少水気を帯びてはねている部分もあるもののニッシュと比べると体毛のざわつきはかなり大人しい。水を被っても見た目はいつものままだった。 「何とか終わらせられてよかったわあ」 中途半端になっていた掃除を片付けられたクオンにしてみれば肩の荷が下りた気分なのだろう。 服もごみもなくなって本来の役目を取り戻したベッドの縁に腰掛けると、そのまま後ろに倒れこんで仰向けになる。 弾力があってなかなか心地よさそうだ。ニッシュも彼女にならおうとしてふと湿った自分の鬣のことを思い出した。 このまま寝転がってはベッドが濡れてしまう。ふかふかを堪能できないのは残念だが、ニッシュは腰掛けるだけにしておいた。 こうして見回すと確かに部屋は見違えた。散らかっているときは何とも思わなかったのに、片付いた部屋を知ってしまうと戻れなくなってしまいそうだ。 最初から率先して掃除を始めたクオンの気持ちが今なら少しは分かるかもしれない。 と、しみじみと部屋を見渡すうち、ニッシュはあるものが見当たらなくなっていることに気付く。 「そういやさ、あの本はどうしたんだ?」 風呂場にクオンを呼び寄せてからは邪魔になるから洗面所に置いていた本。ニッシュが風呂から出たときには既に見当たらなかった。 ということはクオンが洗面所から出るときに持って行ったはず。まさかまとめてごみ袋の中、なんてことになったらゼノが嘆く。ニッシュもちょっと嘆く。 「とりあえずは元の場所に戻したけど。それでいい、よね?」 「いいんじゃねえか。見せしめに机の上に置いといても面白そうだが」 「やめて。気まずいのはもうたくさんだわ」 とんでもない、と激しく首を横に振るクオン。ニッシュも冗談のつもりだった。いくらなんでもそれは悪ふざけの度が過ぎる。 何事もなかったかのように本を元の位置に戻しておくのが、おそらく最も波風が立たない平和的な方法だろう。 「ねえ。ニッシュ」 寝転がったクオンがニッシュの方を見上げる。体勢はともかく、何やらひどく真面目な顔つきだった。 「ゼノが帰ってきたらさ、どう接すればいいのかな」 「んー、ゼノが一人でポケモンのエロ本読んで悶々としてるところ俺たちはいちゃついててすいませんって」 もちろん本気で言っているわけではなく、むしろクオンの指摘を見越した発言だ。 浮ついた意見を出せばちゃんと考えてよ、と彼女から小言が飛んでくるものだとばかり。それを心のどこかでニッシュは期待していた面もあった。 しかし当のクオンは浮かない顔をして黙り込んだまま。ニッシュと違ってかなり事態を重く受け止めているらしい。 自分の言葉が一方通行で拾ってもらえないというのも案外寂しいもの。ニッシュも少しは真剣に考える気持ちになった。 「今まで通り振る舞えるか自信がなくて……私」 「俺は極力今までと同じでいくつもりだけど、全く同じようにってのは無理だろうな」 いつから隠していたかは知る由もないが、ゼノが秘密にし続けていたことを偶然にも自分たちは知ってしまった。 彼の性的嗜好にクオンもニッシュも含まれている可能性が高いというデリケートな問題。事実を知らずにいた頃へはどんなに頑張っても戻れそうにない。 「もし俺たちが知ってることがばれちまったらその時に何とかするしかねえよ」 「そうなったら私、絶対頭の中が真っ白になっちゃうよ。その時はニッシュが何とかしてくれる?」 「なんとかできそうだったらな」 咄嗟の言い訳や誤魔化しは間違いなくニッシュの方が得意だ。ニッシュ自身もクオンが巧みな弁解が出来るとは思っていない。 もしもの時は自分の立ち回りが今後の明暗を分けることになるわけか。なかなか気が重いなこれは。 「まあ、あいつに限って俺たちが身の危険を感じるようなことはしないと信じてる。お前だってそうだろ?」 「……うん、そうだね。ちょっとだけど気が楽になった。ありがと、ニッシュ」 自分が信頼しているトレーナーだからこそ、クオンは思い悩んでいたのだ。 性癖を知ってしまったからいきなり距離を置くなんて出来そうにないし、したくない。クオンも分かっていたはずなのだ。 隠された一面があったとしてもゼノはゼノ。自分たちが信頼を置いてきた大事なトレーナーであることは変わりがない。 クオンはその想いを後押ししてくれる言葉が欲しかったのだろう。ニッシュも彼女と同じ気持ちだった。 「ふあぁ、なんだか疲れちゃったな」 小さくあくびをして目を擦るクオン。いつの間にやら窓の外はすっかり暗くなってしまっている。 ニッシュも何となく手足が重いような感覚があった。ただ、この疲労感は掃除のせいではなく風呂場での行いが原因だろう。 「いい運動にはなったんじゃねえか。お互いに」 にんまりと笑いながらニッシュはクオンに視線を送る。あえて掃除とは言わない含みを持たせて。 一連の行為がどうだったか、どう思っているのか。どうしてもニッシュは聞きだしておきたかったのだ。 直接聞くのは身も蓋もないのでクオンを揺さぶる形になる。ここで話に乗ってくれればニッシュの作戦通り。乗ってくれないならば諦めるつもりだった。 「……ま、まあ。たまにはああいうのも悪くない、かな」 微妙に目を反らしながらのクオンの言葉。だが確かに聞こえた。悪くなかったと。 肯定的な答えが返ってくると思っていなかった。なにかしら非難が飛んでくるものだとばかり。 風呂場で体を洗っている時クオンが極力無言を保っているように見えたのはもしかすると恥ずかしかったから、なのか。それなら一安心だ。 「クオン、お前ってさ。結構むっつりなんだな」 「き、切っ掛けはあんただったんだから、私は巻き込まれただけなんだからね!」 突き放すように言うとクオンはニッシュにくるりと背を向けてしまう。 切っ掛けを作ったのはニッシュで間違いないが、三割くらいは彼女自ら巻き込まれに来たような気がしないでもない。 わざわざ風呂場まで覗きにきたくらいなのだ。きっとクオンにも自覚はあるはず。認めてしまうのが堪らなく耐えられないのだろう。 まあ、今回は意外にもクオンが色好みだと分かっただけで十分だ。掃除を中断して情事に走ってしまったのも全部自分のせい、そういうことにしといてやってもいい。 ベッドに横たわっているクオンの細い背中をぼうっと眺めながら、ニッシュは小さくほくそ笑んだのだ。 END ---- -あとがき ネタばれを含むので物語をすべて読んでから見ることをおすすめします。 ・この話について ケモナーのトレーナーが持っている薄い本がポケモンにばれてしまったらどうなるか、で思いついたのが今回のお話です。 トレーナーがいない状況で見つかるという流れにするつもりだったので、風で偶然モンスターボールが転がって開いてしまったということに。 本を見つけるのに丁度いいきっかけとしてポケモンたちに掃除をしてもらいました。 トレーナーの元で暮らしているポケモンとは言え、人間の文明を詳しく知りすぎているのも違和感があると思い、どのくらいまで部屋周りの描写を細かくするかは常に気を配りました。 この界隈で薄い本を持ってる方もそれなりにいると思われますが、隠し場所には十分お気を付けください。 ・ゼノについて 作中では名前だけしか登場しませんでしたが今回の物語の元凶。雄も雌も行ける割と雑食系ケモナーです。 出かけるときにちゃんと窓を閉めていれば、部屋を普段から片づけておけば本が見つかる可能性は低かったでしょう。お部屋の片づけは計画的に。 ・クオンについて BW発売時からふつくしさに定評があったコジョンド。いつか登場させたいと思いつつ結局発売二年近く経ってからになりました。 お姉さん的なイメージもありますが、彼女は割と普通の女の子を意識して描写しました。 自ら進んで掃除をしてくれるようなクオンが手持ちにいるゼノは幸せ者ですね。 ニッシュ程ではありませんが色事に対する興味も満更ではないご様子。&color(White){個人的にですがコジョンドはひんぬーな方が好みです(}; ・ニッシュについて 物語のほとんどがニッシュ視点なので、今作の主人公と言っても過言ではなさそうです。 BW発売前からwikiでも結構見かけたゾロアーク。ルカリオやコジョンドとの組み合わせをよく見かけた気がします。私も今回ゾロコジョで登場させました。 今回一番書きやすかったキャラ。私のイメージするゾロアークの雄は軽めで適当だけど根は割といい奴。 セリフや行動は書いていくうちに勝手にニッシュが動いていたような感覚でした。 クオンにも言えることですが二足歩行のポケモンは全体的に動かしやすかったように思えます。 &color(White){へたれてしまいがちな私の登場させる雄にしてはかなり積極的な方だったのではないでしょーか(}; 【原稿用紙(20×20行)】124.9(枚) 【総文字数】41047(字) 【行数】891(行) 【台詞:地の文】9:90(%)|3946:37101(字) 【漢字:かな:カナ:他】32:62:7:-2(%)|13178:25723:3272:-1126(字) 最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました。 ---- 何かあればお気軽にどうぞ #pcomment(お部屋のコメントログ,10,) IP:61.194.181.58 TIME:"2013-08-05 (月) 20:57:01" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E6%88%91%E3%82%89%E4%B8%BB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B%E4%BA%8B%E6%83%85" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/28.0.1500.95 Safari/537.36"