#contents Title--怪しいパッチ written by--[[リング]] **-1- [#r712b108] 私は、1週間の缶詰((部屋にこもる事))から、久しぶりに外の空気を味わっていた。時間は日も暮れて数時間たった夜。本当はこんな時間に外に出るつもりはなかったのだが、気がつけば家の食料が尽きたのだから仕方がない。 今日は空腹に耐えて、明日の朝に買い物をするという手段も、昨日の夜から何も食べていないのだから使えない。なぜなら、今の時間は20時……実に28時間の断食だな。もう、こんな僻地のスーパーマーケットは閉まっているかもしれんから、ビタミンの補給は出来るかどうか怪しいかもしれない。炭水化物の補給だけで我慢するしかないのだろうか。 全く、私の脳の空腹を訴える機構のぐうたらぶりを疑うな。 アスファルトの道路がそれと分からないほどに深々と降りつもった雪は、月明かりを反射して周囲を幻想的に照らす。隣を歩くキタキュウコンの足跡だって100m先まで鮮明に見えるのだ、こんなに明るいのならばライトを点けなくともよさそうなのだが、道路交通法と言うのはうるさい。まぁ、車の免許を持っておらず、徒歩で街に向かう私には関係のない事か。 だが、両脇を針葉樹の森に囲まれたこの夜の道を車のようなもので高速で駆けるのはさぞ気持ちよかろう。もし免許を持っているのならば一度はやってみたいものだ。 時折横を通るチェーンを巻いて走る車の音だけがひたすらうるさく不快だが、それを紛らわすための音楽をかける媒体はCDもレコーダーもカセットすらも持っていないし、買うのも面倒だ。なんだ、結局私の脳が怠け者なのは私自身が怠け者だからに他ならないという事か。 いいや、脳が怠け者だからこそ私も怠け者と言う可能性もあるぞ。ふん、卵が先かバシャーモが先かなど不毛な議論か。仕方がないから退屈しないようにシマヨルノズクの声を聞きながら考え事でもして先を急ごう。 しかし寒いな……いつの間にやら夜はこんなにも寒くなっていた。パソコンと人の脳を研究し続けて二十余年。街の喧騒も人間づきあいも嫌いで、こんなところにスーパーコンピュータを持ちこんだのはいいが、ふむ……住処はもう少し街が近いところにしておけばよかったか。 四十路を迎えてからは冷え症で冬の移動時間が厳しい。 分厚い毛皮のコートを羽織り、フードをかぶり、マスクをしてゴーグルも付けたし雪も止んでいる。それでも、露出した顔に吹きつける風は痛いくらいで、気道を通る空気は胃の中から縮み上がる気分だ。あぁ、タバコでも吸えば、胃が縮み上がる思いはしなくてもよいのであろうか? しかし、それもまたそんなことのためだけに肺を侵すのは野暮と言うものだ。ニコチンで血管が縮み上がっては費用対効果が悪すぎる。 全く、やはり私の家は街から遠すぎだな。だが引越しも面倒だ。食料からこっちに来てくれればよいのにな……そんな都合のよい事は起こりえようはずもない。 いや、本当に食料がこちらにやってきたかもしれないな。血の跡が遠くに見える気がするぞぉ……そこらへんにユキミミロルやエゾヒメグマあたりが車にひかれたりでもして、命からがら安全な場所に逃げようとした森の中で冷凍肉として保存されている……というシチュエーションならば楽だな。 ミミロルやヒメグマは料理したことはないが、料理してみるのも悪くなさそうだ。なぁに、きちんと焼けば寄生虫も病原菌もなんのそのだ。まぁ、キタキュウコンに寄生するエキノコークスは炎タイプの寄生虫だから焼いてもどうにもならんがな。 しかし、焼いてしまうとビタミンの補給は限られそうだな……いや、炭水化物と脂肪が取れるだけありがたく思おう。毛皮や角はどうしようか……用途も無いし、皮をなめす時間も無い。いくら使う用途がないからと言って流石にスタリのエサにするわけにはいかなかろう。 ふむ、取らぬ&ruby(ジグザグマ){狸};の皮算用をしながら森の中に来てみれば、これは面白い。昏睡状態のシンオウオオキタニューラの隣に、居てはならないポケモンがいたぞぉ……このぬいぐるみのような小さな体にメロンパンのような頭。まさしくこれはあのポケモンではないか。エイチ湖から抜け出してきたか? なんにせよ、この散弾銃のようなもので撃たれた傷はよくない。弾丸に使われている素材によっては金属中毒を起こすであろうからな。 とにもかくにも、冷たくなっているから暖めてやらねば。よく物臭して石油を切らす私のために、暖房代わりとしてキタキュウコンを飼っていてよかった。 「スタリ……お前の尻尾は温かい。尻尾に包んでポケモンセンターまで温めてやれ……いや、ここはヒッチハイクと言うのもよかろう」 「クゥ?」 あぁ、なるほど。ヒッチハイクなどと言う言葉を使ったのは初めてか。スタリは餌の入ったバケツを神通力で簡単に開閉する割には、食べ過ぎて太りすぎたりせず自己管理が出来たり、自由に出入りできる扉を設けても迷子になったり逃走したり警察のお世話になったりもしない。そんなふうに、私に似て賢い子であると自負しているが、流石に本を読んだりテレビを見るような賢さは持ち合わせてはいない。 「ヒッチハイクと言うのはな。他人の車に頼んで乗せてもらうことだ。まぁ、スタリよ。お前に言って意味が正確に伝わる期待はしていない……とにかく、これで歩く必要無く街まで車で行ける口実が出来たというわけだ。あぁ、だがその子の体を温めることを止める必要はない、思う存分に尻尾に包んでやれ」 ふむ、これでなんとなく気が引けるヒッチハイクも気兼ねなく行う事が出来る。血まみれのポケモンを抱えている者が車への相乗りを求めていたら、これは止まらざるをえまい。 それがこの地で伝説とされる存在ならば文句なしだ。うむ、実によいものを拾った。しかし、帰りは帰りで歩きとなるのだろうか……ふむ、贅沢をいうのはよそう。今日はもう遅いからともかく、明日の朝には運動不足の解消にはちょうどいいからな。 **-2- [#r758c0d9] 「やあ、ジョーイさん。見ろ、すごい物を拾ったぞ」 ここに来るのも久しぶりだ。フィラリアのワクチンやらダニ防止用の首輪やらで年に数回は来ているが、やはりスタリはこの匂いが嫌いなのか九本の尻尾がすべて縮こまっている。トレーナーのポケモンにとっては、注射や検診を行う施設としてよりも、軽傷を治療装置によって回復したり宿泊施設だったりという印象が高いのであろうから、むしろポケモンは怪我を治そうと入りたがるのだと言う。 スタリもそういうふうになってくれれば楽なのだがな。そう上手くは行かないか。だが、尻尾が丸まっているのはロコンの頃の尻尾の形を思い出して若干かわいらしくて味がある。たまにはこういうのもよいかもしれない。 私は、この整然とした雰囲気や、生き物が行き交う場所でありながら、生き物の匂いよりも薬品の匂いに埋め尽くされた矛盾にエクスタシーを感じるのだが、ポケモンにはやはり注射を打たれる恐怖というのが染み付いているものなのだな。 さて、受付のジョーイさんは患畜を見て面食らったぞ。全く、こんなものメノクラゲかメロンパンと同じようなものだと思って軽く受け流せばよいものを。 「ちょ、このポケモン……」 「野性だぞ。私とて、この子を捕まえるほど畏れ多くはない」 無粋な質問攻めは、あらかじめ今のように突き放すことで障壁を張っておこう。なぁに、私はただこのポケモンをダシにヒッチハイクの理由を見つけたかっただけなのだから聞いても何も出てくるわけがない。 「院長、大変です」 おや、ジョーイさんは慌てて駆けて行ってしまったよ。 さて、私はどうするか……何かをジョーイさんに聞かれようとも答えることなど何もないのだから何処かへ行ったって構わんだろう。『待っていて下さい』とでもあらかじめ言われていれば別だがな。 お、そういえば……ここのポケモンセンターはただの超獣病院ではなく、旅するトレーナ用の宿泊施設もあるはずだ。ならば、食事を出す施設も内部にあって然りと言うものだろう。ふむ、ビタミンを取るあてが出来たぞぉ。いや、どうせ昨日からロクに寝ていないのだ。今日はここに止まると言うのも悪くない。 これで、荒れた肌もビタミンCと睡眠で元通りになるとよいのだが……ふむ、四十路を過ぎたこの年ではたかが1日ではお肌の回復など到底無理であろう。せめてもの抵抗として食後にビタミンCの豊富なお菓子でも食べて、それをを補給しておこう。 さて、さすがに食堂で血のにおいを振りまいていたら料理が台無しになって&ruby(ひんしゅく){顰蹙};を買いそうだ。その前にトイレで手を洗っておくべきかな。 「さて、行こうかスタリ。血の匂いを洗い流さねばならんのでな……」 しかし、スタリの奴はあのポケモンの血を美味しそうに舐めていたな。いつ喰ってしまうのかと冷や冷やしてしまったぞ。こんなシンオウの最北端に位置するこの地域で冷や冷やさせるのは凍死してしまいそうだから、願わくば自重して欲しいものだ。 まぁ、そこは賢いスタリの事、傷口を舐めることであの子の傷口を綺麗にしてあげたのだと考えてあげることにしてやろう。 それに人間の唾液にはモルヒネの数倍の力を持つ鎮痛作用のある物質が含まれているとも言うしな。キュウコンの唾液にもそれが含まれているのならば、なんともロマンがあるではないか。 さて、血の匂いは粗方とれたかな? しかし、コートが汚れてしまったな……これは後で干しておかねばなるまい。 兎に角、胃袋は悲鳴をあげている……腹の底から鳴り響く断末魔のような『グゥゥゥ~~ッ』という音は、私の胃袋が出したというのには信じられない音だ。 そろそろ実に29時間の断食。ふむ、もう21時を過ぎたか……食堂が閉まっていたら売店にでも行って何かを食おうかな。食堂は……現在位置がここだから、ふむ……あちらか。 「あの、すみません……この子を拾ったのは何処ですか?」 おっと、行こうと思ったらジョーイさんか。何だ、何のようなのだか? 私はここに飯を食べに来たのだ。邪魔をするなと言いたいところだが……歩きながら相手をしてやろう。 「道端だ。まっすぐな車道を歩いていたら偶然森へと続く血の跡を見つけたのでな。ほら、何と言ったかな……あの道路。すまない、私は生活感がない物でね、道路の名前などいちいち覚えてはいられないのだよ。 しかし、だ……以前この街へ来た時は夕日を背に帰っていた。と、言う事はこの街から東へ延びる道路で、且つ道路の脇は森林。それでいて……外はまだ雪など降っていない、つまり血の跡が残っている。 そこから推理したまえ。それに、私があの子を見つけた場所など怪我の具合とは無関係だと思うがな。なんにせよ、そんなものはあの子本人から聞けばよいだろう。密猟者には気をつけろ」 「いや、あの……ちょっと待ってもらえますか」 ふむ、歩きながらメモを取るのは苦手かな? だが、今言った内容など有って無いようなものなのだから、別にメモするほどの事でもない。 おや、なんだかダジャレのようになってしまったではないか。 「ふむ、そのセリフはそのまま君達に返そう。私は今猛烈に空腹なのだ。事情聴取ならばあとからでも出来るだろう? そもそも、その子の事は……現代では実行するに少々気が引けるヒッチハイクのダシに使うために拾っただけなのでな……利害が一致していたのだよ。だがしかし、この街にヒッチハイクで来てしまった以上、もう用済みなのだ。あのポケモンに付き合ってやる義理など無い。 まぁ、義理は持ち合わせていないが、人並み以下ではあるが人情は持ち合わせている。事情聴取をすればあのポケモンの回復力や生存率が高まると言うのならば、考えてやらんでもないがな、そんな都合のよい事は起こらぬのだろう?」 「え、いや……はい。そうですね」 認めたか。そこで認めないで『いえ、数倍生存率が高まりますので付き合ってください』とか言うような奴だったら面白いというのに、普通すぎてつまらない奴だな。 「とにかく、事情聴取をしたいなら食堂まで付き合え。食事が私の前に届くまでは付き合ってやろう。だが、食事が届いたらそちらに専念させてもらうぞ」 私は息を吸って、断言する。 「なぜなら、私の腹は悲鳴をあげているのだからな」 **-3- [#t13d3db6] おや、13時か。確か職員からいろいろ質問をされてベッドで横になったのが23時だから、かれこれ14時間も寝ていたという事か。ふむ、寝不足の私にはちょうどいいかもしれない。 はは、スタリよ。くすぐったいぞ……起きたとたんに私の顔を舐めるな。とはいえ、私は朝起きても顔を洗わないから、お前がいてくれないと顔を洗う切っ掛けすらもつかめないから一応感謝はしているのだがな。 洗うと言えば、そういえば……昨日は久しぶりに風呂に入ったかな。かれこれ一週間近くか、汗は掻かなくとも呼吸と鼓動が意思とは関係なしに続いていく限り、新陳代謝は起こるから垢はたまる。 昨日の風呂で流れおちた垢はすさまじいものだったなぁ、うむ。心なしか体が軽くなった気分すらするぞぉ。 さて、昨日拾ったあの子はスタリ程ではないがなかなかにかわいらしい見た目をしていた。心の三妖精とも三&ruby(クラゲ){海月};とも呼ばれる存在で、一部ではマニアもいると聞いた。 そういえば、昨日運びこんだ時は結構な重症だったが、生きているのだろうか? 一応、社交辞令程度に安否を気遣って、もし死んでいたら線香の一つでもあげてやろう。もし死んでいた場合、このポケモンセンターに線香が売っているとよいのだがな。 とにもかくにも、カツラをつけてコートを羽織り、さっさとチェックアウトをしようではないか……。 「よう、ジョーイさんよ。昨日野性のユクシーを拾ったものだ。その後、ユクシーの容体はどうなったのだ?」 「あ、えっとですね……峠は越えたようですので、後は容体を見ながら少しずつ検査を続けていく方針のようです」 「なるほど、線香を買わないで済んだか。ポケモンセンターに御線香が売っているかどうかを心配するのは杞憂であったな」 なんだ、ジョーイさんは私の言葉に呆気に取られている。こんな言葉、私が本気で言っているか否かにかかわらず軽く笑って聞き流せばよい物を。全くどいつもこいつも……医療の現場ではイレギュラーがつきものだと言うのに、イレギュラーな現象である私に対する耐性の低いことだ。 こんなんで、このポケモンセンターは大丈夫なのだろうか? 早急に新人の教育が必要だと思うがな。 「せ、線香……あはは、気が早いですよ。あ、え~……それと、もう一つなのですがね……あのユクシー喋るのです」 「ふむ……まぁ、驚きはしないよ。テレパシーでしゃべるポケモンなど、珍しいが何処にでもいる。そうか、喋るのか……しかし、それがどうしたのだ?」 「貴方の……助けてくれた人物の名前を……尋ねておりまして……」 「ふむ……確かに名乗っていなかったな。どれ、読めるかどうかわからんがこいつを渡してやれ」 バッグの中に、あれは常備している。 「チクナミ大学、システム情報工学研究科ドクターライセンス。『前田&ruby(エミナ){愛美奈};』だ。あぁ、覚える必要はないぞ……ただ、三年程前カントーに赴いた時、大学の学園祭でプログラムバグ慰霊祭((情報科学類において、自ら生み出しそれを滅したということに対する免罪の意味から、実地されるイベント。プログラムバグ慰霊祭(通称「バグ祭」)))に参加して以降、久しく自分の名前を名乗った事が無かったから、たまには言ってみないと忘れそうなのでな。だから言ってみただけだ」 「は、はぁ……ではユクシーに渡しておきます。というか、渡しても何か意味があるのかな……」 知るか。 「ふむ、それでは達者でな」 さて、今日は私と同じくエサが尽きかけていたスタリの食料も一緒に購入してさっさと家に帰ろう。私の食料も合わせて12kg近くある重量は運動不足の私には堪えるが……まぁ、良いか。 &size(18){ ◇}; 「ただいま、自宅警備員達よ」 言うなり、私のもとに群がってきたのはポリゴン2。角ばった情報生命体のポリゴンにアップグレード用のプログラムを打ち込んで、なめらかなボディを獲得した可愛らしい奴だ。 バトルには興味が無いとはいえ、5匹も家に飼っていればそれなりに警備効果が気になるところだ。なんでも、特殊面に優れたポケモンだとかで、ノーマルタイプゆえに攻撃範囲も広くいろんなポケモンに対して潰しがきく、万能型のポケモンなのだと言う。 さて、このポケモン。訪問者を見て見知らぬ人物であれば近寄らないように警告して、それでも近付くようならば威嚇射撃。それでさえひるまなければ一斉攻撃を行うように調教されている。 もちろん、来訪者がインターホンを押すくらいならばそのような行動を起こす事はないが、以前庭の地面が一部えぐれていたことがあったから、少なくとも威嚇射撃を行うべき事態があった事だけは間違いないのだろう。 近所の子供が『ボールが入っちゃったんで取らせて下さい』と言いに来るような場所ではあるはずもないので、威嚇射撃を行った対象が泥棒だと言う事になるのならば頼もしい奴らである。 「さて……トゥプに変化はないのだな。ふむ、再アップグレーダーは失敗作か……ならば、今からまた新しいプログラムを作成しようぞ、自宅警備員たち。トゥプは後で元の状態にダウングレードだ」 **-4- [#h7c54684] 500万をはたいて購入した簡易喜怒哀楽メーターに刻まれた成果はゼロだ。私がいない事で寂しいという感情が芽生え『哀』に傾くでもなく、私がいない間に何かよからぬ事をたくらんで『楽』に傾くでもない。 全く、スタリがこの家にいるとスタリの感情を受信してしまうから毎回外に連れて行って計測している私の身にもなってほしいものだな。購入するための金も安くはなかったというのに。 人の脳には解明されていない部分が多い。脳神経なども、全か無かの法則((筋線維や神経線維に加えた刺激が弱いと反応しないが、限界値(閾値)に達すると最大限度に反応するといったことを示した法則。閾値を越えた刺激を与えたとしても、神経の反応状態は変わらない。))の考え方は、コンピューターの信号である0と1のデジタル信号と同じようなものだと言うのに、その実態をなかなか掴ませてくれない。いろんなソフトを見て、それがどんなプログラムによって成り立っているのか、プログラムのソースコードを見なければわからない事が往々にしてあるように、きっと脳を解剖してこまごまと覗かなければ、脳の構造という物はきっと明らかにはならない。 しかし、脳を覘く事が物理的に出来たとして、それを機械言語としてディスプレイへ表示することは不可能である。それでも、小脳は作れる。記憶装置は作れる……感情のまねごとをする機構は作れた。 しかし、所詮は真似ごとなのだ。ポリゴン2をどれだけ虐待してもキルリアやムウマが何の反応も示さない。そんなものは、感情とは言えない。 私の知り合いが研究を重ねた末に書きあげた論文である、『感情やそれを向ける方向が素粒子のスピンと指向性に与える影響』において実際に観測された事象と同等の結果が出なくては感情と呼ぶのはおこがましい。 全く、無知な者どもはポリゴンをアップデートすることで感情を手に入れたとぬかよろこびをしているが、そんなものはプログラムの領域から抜け出せていないただの偶像にすぎないというのに。 強さを求めるトレーナーにはただアップグレードするだけで有意義なのだろうから問題はないのだろうが、技術者にとっては不満の塊だ。チューリングテスト((人間Aが人間B・Cやコンピューターと会話して、そのコンピューターが人間と区別がつかなければ合格と言うテスト。&br;声などによって判断されないように、会話はテキスト形式で行う))もまともにクリアできない個体が多いポリゴン2は感情の存在など全くないと断言できる。 愛玩用としてポリゴンを飼う者が、珠に感情があると信じる者がいるが、そいつらほど滑稽なことなど無い。ただのぬいぐるみ萌えとしてポリゴン2を見るのならば全く問題はないというのに、何故そこに感情があると信じるのか私には理解できない。 付喪神の存在を本気で信じていると言うのならば、あるいはそれも宗教の一種として納得できない事は無いのだが。 しかし……この不毛な研究を続けて、もう12年か。日常の変化が乏しいものだ。昨日は、ユクシーなどが倒れていて少し面白い事もあったが、やはり地下にばかりこもっていて少し健康面が心配だ。太陽の光に当たらないのは少しばかり不味い事なのかもしれないな。 だが、陽のもとでパソコンをいじるわけにはいかないし、今は少し外でやるには寒い……いや、サンルーフにすればよいのか? 天窓から太陽光が入るという家も悪くない。 &size(18){ ◇}; さて、そうこうしているうちに日にちが経って試作プログラムの完成だ。思えばあれから8日か……ユクシーは今ごろどこでどうしているであろうか? 「レプ、こっちへ来い。アップデートプログラムの試作品を試してみる」 レプ。シンオウの古い言葉で『3』を意味する言葉。何のことはない、1から5までの数をそろえただけであり深い意味はない。前回、&ruby(2){トゥプ};にアップデートプログラムを試したのだから、次はこいつというだけである。 アップグレードしてから再起動までの間、レプは眠っている。起きたら再起動完了ということだな。その時はちょうどよい機会だ。簡易喜怒哀楽メーターを起動させて何か食料を買いに行くとしよう。現在食料の備蓄が尽きて実に22時間の断食だからな。非常食やポケモンフーズを食べるというのもありだが、そこまで腹は減っていなかったらとりあえず我慢することにした。 とりあえず、今は猛烈に海産物が食べたい気分だ。しかし、魚は腐りやすいからほっといて腐らせる可能性も考慮して街で食べるだけに留めておこう。なぁに、このシンオウの街なら寿司屋なんて探せばいくらでもあるさ。 スタリを連れて歩む道。今日は晴れてはいるものの寒いものは寒い。ふむ、やはり歩いて片道2時間というのはいただけない距離だな。夏は自転車が使えるからよいものの、やはり車の免許を取っておくべきか。 そうしてたどり着いた久しぶりの寿司は上手い。やはり私はトロなんかよりもサーモンの方が性に合っている。ボールの中で待っていたスタリにも、美味い缶詰を買っておいてやろう。 まぁ、私にとって美味いポケフーズがスタリにとって美味いかどうかは分からぬがな。 そうこうしているうちに帰り道だ。聞く話によるとユクシーは昨夜病院を抜け出したらしい。全く、行動的なことであるなと思いつつ、肩に背負う食料が重い。年を重ねるにつれて辛くなってくることだし、そろそろ犬ゾリでも買って、荷物を積み込みスタリにソリを引かせてみるのも悪くないかもしれない。 なあに、この子は賢いから、ポケフーズの供給源である私のために、それくらいは喜んで役立ってくれるだろう。スタリが運動不足にならないためにも、スタリが自由に出入り可能な神通力によって開閉出来る扉を設けてやったのだからな。 さて、我が家だ。レプはどうしているのであろうか? 感情メーターや、それが出力した情報を記録する装置に何か変化があればいいのだが……ふむ、なるほど。 これはあってはいけない事が起こっているぞぉ。私の家の囲いにユクシーが座っているではないか。まったく、スイクンやフリーザーなどと違って格好良い見た目ではないから、囲いに乗っているからと言って『かっこいー』と言えるような見た目ではないから、ダジャレも言えない。 あのユクシーはまさか新聞の勧誘に来たわけでもなかろう。罠から助けてやったチルタリスが人間に化けて羽衣を折るお話があるが、こいつもチルタリスよろしく恩返しにでも来たのであろうか? 恐らく、スタリの神通力など比べ物にならないエスパーポケモンとしての能力もあるだろう。最初からユクシー姿での恩返しを慣行するつもりならば、色々なこき使い方があるはずだ。 喋ることで意思の疎通も出来るのであればなおさらのこと。それこそチルタリスの羽衣よりも私にとって役立つものになる可能性もあろう。まぁ、役に立たなかったらエイチ湖に追い返せばよいことだ。いや、あのメロンパンのような頭をスタリにかじらせてみるのも良いかもしれんな。とにもかくにも、あのユクシーに話しかけてみようではないか。 **-5- [#xe23b014] 「よう、メロンパンよ。ウチになんの用だ?」 おや、硬直している。ふむ、流石にいきなりメロンパン呼ばわりは馴れ馴れしすぎたかな? まぁ、いいか。ユクシーもお喋りで混乱させるのは何もペラップだけではないという事がわかって、また一つ賢くなれたことだろう。 「あ、え~……なんと言うか、その……すみません。メロンパンって何のことでしょう?」 ほう、テレパシーによってとはいえ流暢に喋るではないか。だが、自分が人間にどのように呼ばれているのかをよく知っていないようだな。これはいけない。 「メロンパンと言うのは、レモン色の表皮にメロン風の香料と砂糖をまぶしたパンのことで、丁度君の頭と似たような形をしているもののことだな。君らユクシーは人間からそのようなあだ名で呼ばれているのだよ。なぁに、心配するな。 ライチュウというポケモンもコッペパンと呼ばれているし、成長に応じて覚える技にコッペパンチ((ポケモンカードにおいて30のダメージを与える技))という名称を付けられるほどなのだぞ。ユクシーもいつか、パンチ技を覚えてメロンパンチという技名を付けてもらえるといいな」 「は、はぁ……そうですか」 おや、暫く黙って咳払いか。相当メロンパンと呼ばれたことが堪えたらしいな。 「あ、あの……ここに来た目的はですね。命を助けてもらった恩があるので……その……恩返しでもと思いましてね」 「ほう、予想通りか。ならば話が早い。毎日私のために味噌汁を作ってくれ」 ふむ、これでは一昔前……いや、三昔くらい前のプロポーズだな。まぁいいか。 「え? えぇ? あの……それって、炊事を私に行えと?」 「ふむ、役不足かな? では洗濯と掃除も任せようか」 「いや、あの……その……」 「なんだ、知識ポケモンと言うだけあって研究に付き合えるとでも言うのか? それならば、そっちを頼んでみるのも悪くない……が、先に上げた三つは物臭な私には少々必要な仕事でな……優先順位は高めの仕事だよ。まぁ、ダメならダメで別のこき使い方を考えるまでだ」 ふむ、なんだ。何も言い返せないでは無いか。やはり、湖に引きこもりをしていたから私と同じように社交的とは対極における性格になるのだろうな。 「あ、いや……それでいいです。というか、自宅で研究していたのですね」 「確かに私は自前の研究所を持っているとは言っていなかったな。まぁ……いいか。とりあず、了承してくれたならばとても喜ばしい。最初は料理がまずくっても掃除が不十分でも怒りはしない。なぜなら、私自身がそうなのだからな。だからこそ、時間の削減が出来るだけでも儲け物だ」 「あ~……もっと優しそうな人を想像していましたが……」 ふむ、おかしなことを言うメロンパンだ。 「なに、優しくなくてもユクシーが倒れていたら拾ってあげることがあってもいいと思うがな。散弾銃か何かで撃たれていたが、密猟者にでもやられたか?」 「は、はい……ちょっと外出していた時に、鉢合わせして。密猟者は目が合ったものの記憶を消してしまう能力を持つ私の目を見ないように、カメラ越しで私を見るバイザーを通していましたね。連れているポケモンも目をつむったまま攻撃できるルカリオで……」 ほう、なるほど。ユクシーは目を合わせた者の記憶を奪い取ると聞くが、きちんと密猟者はその対策をきちんとしているのだなぁ。 「で、そいつらはどうしたのだ? あぁ、殺したと言っても驚かんよ。お前は知識の神であって不殺生の仏様ではないのだからな」 「逃げ回って……最終的には主人共々氷河に投げ込みました……」 「ほう、すると死因は溺死かな? 顔に似合わずむごいこともできるようでなによりだ」 「あ、あの……はい、どうも。ポケモンもろとも……今頃コイキングのエサです……はい。しかし、その際あの傷……散弾銃のを負ってしまって……血の匂いを嗅ぎつけたのか、湖への帰り途中でニューラに襲われて……貴方に拾われました」 「ふむ、殺したのは賢明な判断だ。もし仮に、私の元に密猟者が追ってきて散弾銃を構えて詰め寄ってきたのならば迷わずお前を引き渡してしまうところだったぞ。そう言えばお前は優しい者をご所望か……優しい者だったらお前を庇って散弾銃に撃たれて死ぬのかな?」 「い、いえ……確かにそうですね。別に優しくなくっても、普通ならいいです。はい、贅沢は言いません」 なんだ、控えめで可愛い奴だな。そんな事を言われると必要以上にこき使う事に良心の呵責が生まれるではないか。 「まぁ、確かに私は優しくはないが……ふむ、お前が死んでも私は困らないが、エイチ湖へ続く山道に店や宿を構える者たちが観光資源不足で困るであろう。運がよければユクシーが飛び回る場面がみられるエイチ湖と言えば、雪に閉ざされない夏の季節は、受験生が祈願に訪れる観光名所では無いか。 そこに、ユクシーがいなくなってみろ? 観光客が失われ、経済効果も連鎖的に失われて、財政のやりくりが大変になる。 ほら、なんといったかな? シンオウにあるタバリメロンと言うオレンジ色のメロンが名物の街……確かユウバリシティと言ったかな? あそこが昔一度財政破綻をしたではないか。私は、街の経済とは無縁の暮らしをしているから困らんがな。この街がそういう事の槍玉に挙げられるのを指をくわえてみているというのは忍びない。 そのように……一応私も人並み以下ではあるが人情のようなものも持っている。だから、私が優しくないと言っても安心してくれたまえ。人道的に見て外道と言われるような事は恐らくしないだろうからな。 知識ポケモンと呼ばれるようなポケモンならば賢いと察するが、ここまでのお話は理解できたかな?」 「あ、はい。理解出来ました……その、まぁ……頑張ります」 ふむ……良い答えだ。しかし、こいつは口が疲れる奴だ。しばらく人間と話していないせいで私の口のスタミナが落ちているのもあるのだろうが、それでもこれはひどい。まぁ、話の長い私に最たる原因があることは否定しないがな。 「よし、ならば早速掃除をしてもらおうか。なぁに、何処に何をおいたか分からなくなるから、物を片付ける必要はないぞぉ。埃を取ってくれるだけで十分だから、頑張ってやれよな」 「えぇ、誠心誠意……やらせていただきます」 ほう、頼もしい答えだな。しかし、どうしようかコイツ、何を食べるのか分からないが、変なものを食うのだとしたらいちいち取り寄せるのは面倒だぞ。いや、スタリのように勝手に外に行かせて勝手に食ってきてもらえばいいのか。 それだけじゃない、よく考えればこいつに買い物の荷物持ちを手伝ってもらうと言う手段があるではないか。なんだ、"こき使ってください願望"の持ち主が現れただけで人生の展望が広がった気がするぞぉ。ようし、今日から素敵な『伝説の無駄遣いライフ』の始まりだ なんだ、メロンパンよ? 私をちらりと見て、もの欲しそうな表情をするな。何か言いたい事があれば言えば良いというのに……ふむ、少し私もダーテングになって喋りすぎたかな? よし、ここは場を和ませる話でもしようか。 「ところでだ、メロンパンよ」 **-6- [#t94cc356] この人は……いったい何者なのでしょうかね。喋り始めると一言が長いわ、言うことが常軌を逸しているわで……。 看護師からの情報によれば彼女はチクナミ大学の出身でしかも博士号だとか。チクナミ大学と言えば、街ごと教育機関が点在するような巨大な大学だと聞きましたが、その学校で博士号を取った方は皆がこのように変な性格をしているのでしょうか? こんなことなら恩返しに来なければよかったかもしれません……が、せめてこの人の満足いくように頑張らなくっては、知識の神としての示しは付きません。その上、途中で投げ出したらアグノム連中に笑われるでしょうし……ここは、初志貫徹、有言実行と行きましょう。 「ところでだ、メロンパンよ」 「は、はい!!」 「お前の本名は何だ? 無いならこのままメロンパンと呼ばせてもらうが」 い、今さらですか? 私の名前の有無にかかわらずメロンパンと呼び続ける雰囲気すら漂っていたというのに……この人はもう!! 大体、名前を知らないならばユクシーって呼べばいいじゃないですか 「私の名前は、ラマッコロクルです。シンオウの古い言葉で……」 「『知恵者』、という意味であろう? ふむ、相当昔の生まれかな? それとも代々その名前を受け継いできたのか……お前はどれほど長く生きてきたのだか……という話だな」 「かれこれ1000年ほど……代々名前を受け継いできました……私で6代目です」 「ほう、なるほど。流石に神話に登場するだけの事はある。1000年で6代とは長い寿命だな。まぁ、私はお前ほど長い寿命は持たぬから、私が年老いた時はきっちり介護してくれよな」 ちょっとぉ! 私、貴方の介護するところまで計画されているのですかぁ? そりゃ恩を返すとは言いましたけれど、そこまで長い目で見るのって厚かましい気がするのですけれど……えぇい、有言実行だぁ。あんたの短い寿命ぐらい最後まで付き合ってやろうじゃないか。 「よし、メロンラマッコロクルよ」 訳の分からないパンの名前と私の名前をくっつけないでください!! 「それでは、さっそく家に入るがよい。汚い家だから気兼ねなく土足で構わないからな」 いや、私は浮いていますけれど……床を汚す土も付いていませんが。 「さぁ、ただいま自宅警備員達よ」 おや、この人はポリゴン2を大量に飼っているのですか……1・2・3……5匹。ポリゴン2に挨拶したエミナは冷蔵庫ほどの大きさがある謎の機械のディスプレイを覗いて溜め息をつきましたが……いったいあれは何でしょうか? 「レプの感情は……ふむ、ダメか。これは私達が家に来てから私達の感情を捉えたに過ぎぬな」 レプ……という事は、このポリゴン達の名前は&ruby(1){シネ};・&ruby(2){トゥプ};・&ruby(3){レプ};・&ruby(4){イネプ};・&ruby(5){アシク};……ですかね? 感情がどうのこうのと言っていましたが……あのポリゴン2に一体何をなさっているのでしょうか? いや、それよりもこの家…… 「どうだ、メロ……ラマッコロクルよ」 コラッ!! いつまでメロンパンを引きずる気なんですか。 「そうだ、すごい家だとは思わないか? 見ろ、この家はお前の足で汚れるどころか、お前の足のほうが汚れるだろう? いやぁ、かれこれ一カ月以上掃除していなかったかな? みろ、冬のスタリの毛はかなり長いからな、真っ白なので落ちているとよく目立つ」 そう思うならば、掃除してください! まぁ、今日から私が掃除するのですけれどっ!! 『'''いやぁ、言っている場合かって話しですよね?'''』 そう思っていると、スタリさんが私に話しかけてくる。あぁ、本当にスタリさんの言う通り。馬鹿な飼い主を持ちましたねぇ。 「で、では掃除します……掃除機や雑巾などがある場所はどこでしょうか」 「雑巾はあっちだ。掃除機はあの棚の中に入っているよ」 エミナがスッと指さした先に洗面所がある。とりあえず、バケツや雑巾での掃除も大事だけれど、真っ先にやるべきは掃除機をかけないと。この汚すぎて不衛生すぎる家は、私の住処の澄んだ湖とは似ても似つきません。 パルキアのように喘息などで呼吸に支障をきたすと、自身の能力が低下する……というような事はありませんが、仮にも伝説のポケモンが喘息でダウンとあっては示しがつきませんから、可及的速やかに掃除せねばなりませんね。 「ふむ、それではお掃除を頑張ってくれたまえ。私はスタリを連れて作業室にこもるのでな……何かあったら声をかけてくれよな、メロンパン。おっと、その前に食料が凍らぬ((寒冷地では、冬の間食料を凍らさないために冷蔵庫を使う))ように冷蔵庫に入れねば」 あの、私はメロンパンではなく……ラマッコロクルですけれど。 『'''よろしくね、ラマッコロクル。私はスタリ'''』 「あぁ、スタリさん。私を歓迎してくれるのですね、ありがとうございます。これからよろしくお願いします」 やはり、エミナに比べるとこのキュウコンは幾分かましなようで、常識的な面があるようです。しかし、いくら常識的な事が欠け落ちているとしても、スタリさんが特に不満を抱いている様子が無いということは……このエミナという人間、やはり悪い者ではないのでしょう。 『'''貴方の血、美味しかったから機会があったらまた舐めさせてね'''』 スタリさん……怖いのですけれど。やっぱり、飼い主ともどもまともではない御様子。 さて、コンセントは……何処でしょう? この生活感の無い家ですからコンセントは少なそうですが……コンセントが……無い、無い……どうなっているのですか!! コンセント探すのに2分かかる家なんて、あり得るのですか全く!? えぇい、埒が明きません。このまま探し回るよりも、聞いた方が早い!! そうに違いありません。 「ふむ、コンセントとな? 確かに……私ですら何処にあるか忘れるくらいだ。お前が見つけられぬのも無理はない」 どんな生活しているのですか貴方は? 確かに使わないものは忘れるでしょうけれど、それにしたって自分の家のコンセントの位置を忘れるなんてひどすぎるでしょうに。 「まぁ、案内してやらんでもない。どうせ、少し放っておいたくらいでは食材は凍らないのだからな」 まったく……この人の生活感の無さにはほとほと呆れますよ。 「ふむ、コンセントは何処にあったかな?」 探さないでください!! もうちょっと迷わずに差し込むくらいのすばやさを見せてください。 「よし、あったぞ。そら、ラマッコロクルパン」 パンじゃないです……しつこいです。っていうか、家具と壁の隙間どころか家具と床の隙間にあるってどういう事ですか? イレギュラーすぎるでしょう!! 「これで何の憂いもなしに掃除機を起動できるはずだ」 ほ、やっとですか……ってこの掃除機…… 「あの、フィルターを取り替えろってランプがついてありますが……」 「ふむ、フィルターか……そんなもの家にあったかな? コーヒーのフィルターならあるのだがな……そういえば掃除機のフィルターは何年前に取り換えたかな?」 ブラックハウスのお手伝いをしていますが、私はもう限界かもしれません。 **-7- [#db933056] 「そうだ、名案が浮かんだぞぉ」 どうせろくでもないこと請け合いの気がするのは気のせいでは無いでしょう。『名案』ではなく『迷案』の間違いでは? 「さぁ、ラマッコロクルよ。この金で掃除機のフィルターを買ってこい。お釣りは自由に使っていいぞ」 あのですねぇ……5千円札を渡されても困ります。 「私が、街のスーパーマーケットに行って『すみません、掃除機のフィルターは何処でしょうか?』などと言ったら騒ぎになりますよ。私は、みだりに人間界に姿を現す事は出来ない存在です!! 何を考えているのですか全くもう!?」 「なんだ、そうなのか。連れないことを言うなぁ……ではしかたがない、雑巾とバケツだけで何とか頑張ってくれ」 えぇぇぇぇぇぇ!? そうなってしまうのですかぁ? 私って本当にとんでもない人に恩返しをしに来てしまったんじゃ……あ~あ、本当に止めておけばよかった。 と、兎に角気を取り直しましょう。床が汚いと言う事は拭いた傍から綺麗になるということ、終わった頃にはかなり気持ちよくなるはずです。 床を拭いて10秒立たずにバケツへ雑巾を放り込んで洗って絞ってはまた拭いて10秒立たずにバケツに放り込んで……あの、どれだけ汚いのですかこの家は。 バケツの水も、見る見るうちに底が見えないくらいに汚くなってしまって……えぇい、水を捨てましょう。こんな不衛生なところでどうして暮らしていられるのでしょうかね、エミナは。 &size(18){ ◇}; やっと……半分くらいか。この家に入ってからまだ数時間しか経っていないはずですが、なんだかすでに1週間は経過しているような気分です。今まで、気ままに飛び回ったりしながら食料を採集して、のんびり暮らしていたツケですかね。ぐうたら生活が板についてしまうとは情けないものです。 ともかく、ちょっと休みましょう。念力の使いすぎで頭が痛いですし、糖分の一つや二つ(?)取らなくっては……何か食べたいですね……近くの川からコイキングでも捕まえてきますかね…… 『'''お疲れ様、ラマッコロクル'''』 いや、スタリさん。『お疲れ』……ではなく本音としては貴方にも手伝って欲しいくらいなのですが。神通力ならば貴方だって使えるでしょうに。でなければ、貴方のその豊かな体毛を抱える尻尾で床を拭いてもらいたいくらいです。全く、飼いポケは飼い主に似ると言うのは本当なのですか。 おや……スタリが神通力で何かを取り出して……これはコラッタの死体ですか。狩りたてのようで、まだ死後硬直も始まっていない新鮮な物のようです。 『'''これ、差し入れだから遠慮なく食べちゃって'''』 差し入れ……ですか? そういえば、スタリの体毛に僅かですが雪の結晶が残っていますし……外に狩りでも行って来たのですかね? 「ありがとう……ございます」 『'''なぁに、気にしないで。お口に合うかどうかは分からないけれど、私の好物だからまぁ、いいか'''』 やはり、スタリはエミナのポケモンのようです。口癖まで似ていて、どんな教育を受けていたのやら…… 『'''あのご主人に仕えるのは大変だろうけれど……一緒に頑張りましょうね。私はまたご主人の暖房になってくるわ'''』 スタリは、すれ違いざまに2本の尻尾で私の体を撫でて行った。これは、歓迎と受け取ってよいのでしょうかね? エミナはロクでもないやつだけれど……スタリも……いや、あいつもある程度ロクでもないか。でも、エミナよりは幾分か気の利くところもあるようですし、キュウコンには雄は少ないですから、野生ならモテたのでしょうねぇ。 とりあえず……飼い主からも、その手持ちからも歓迎を受けたわけですし……恩返しも気兼ねなく出来るのでしょうか。なんと言うか、スタリさんもこの家と言うか、ここでの暮らしが気に入っているようですし……私も頑張って恩を返してみましょうかね。さて、土足で上がるのを躊躇するくらいになるまで掃除の続きをしなくっては。 &size(18){ ◇}; ふう……埃だらけの書斎。洗濯物が散乱している居間。洗い物が食べ残しの腐った匂いと共に朽ち果てている食卓兼台所。すでにスタリの部屋と化している2階の応接室。 掃除は作業室を除いて終わりましたし、たまっていた洗濯物もベッドのシーツも洗えました……粉石鹸があってよかった……乾燥機がないから干さなければなりませんが、外に干すと凍るから今日はスタリに頑張ってもらうとしましょう。 後は、作業室なのですが……入っても良いのでしょうかねぇ? というかものすごく入りたくないのですが……これまでも吐き気がするほどひどかったと言うのに、作業室なんていったらどれほどの惨状が広がっていることなのやら。想像の範疇の外にあります。 いや、もしかしたら『作業中は入ってくるな』と追い返されてしまうかもしれませんから、行くだけ行って後回しにしましょう。そうだ、それが良いに決まっています。 恐る恐るドアノブを回す念力には否が応にも力がこもります。深呼吸で心を落ち着かせねば……こういう時でもエムリットならばリラックスできているのだというから、こういう時エムリットが羨ましくなります。 「失礼します……」 綺麗だ。なにゆえにここまで綺麗なのでしょうか? この家の中に在って台風の目のごとく、嘘のようにゴミも埃も落ちておらず、資料は整然としている。先ほどまでは、人間の住処とは到底思えずベトベトンの住処と形容するに違和感を感じさせないほど醜悪な場所すらあったというのに。この部屋は一体? 「おや、掃除は終わったのか? だが、この部屋に掃除は必要ないぞ。なぜなら、スタリの炎が燃え移らないように常に綺麗にしているのだからな」 なるほど……この部屋の綺麗さは暖房代わりのスタリさんが火事を起こさないための配慮なのですね。それにしたって極端に綺麗過ぎてなんというか、眼が眩む気分になります。と、それよりも……この作業室での彼女の髪は異常に薄く見える……というか、傍らにはカツラが置かれている。 「あぁ、そのカツラは見ての通り私のだよ。通気性がよくってなかなかの優れものなのだ」 なぜ髪が薄いのか……それは分かりませんが、一応見た目を気にするような常識は持ち合わせているのですね……少し安心しました。 「そうだ、この作業室から続く地下にも部屋があるが、そこも掃除する必要はない……というか、万が一入るときはスーツを着てから頼むぞ。毛も埃も例え一粒でさえ入れてはいけない機器が入っているのでな。そこはスタリも立ち入り禁止だ。 あぁ、そうだ……この部屋に掃除が必要がないのだから、お前の次の仕事はお洗濯だな。私の洗濯物を全て片付けておいてくれるかな?」 「いえ、洗濯はすでにベッドのシーツに枕カバーや布団カバーも含めてきちんとやっておきました……後でスタリに乾かしてもらおうかと」 「ほう!」 いや、あの。手をポンと叩いて感心されると嫌な予感がするのですが……そうやって思わせぶりに不安な精神状態にさせるのは少し控えていただけると嬉しいのですが…… 「仕事が早いことだ。では、次は料理だな。味の期待はしないでおくが、なるべく美味しいものを頼むぞ」 『'''私のポフィンもお願いね'''』 ちょ、二人揃って!? ……えぇい!! これも恩返しです……恩返しの一環としてやりますよ。やればいいのでしょう! **-8- [#ld6b853b] 「クオゥ♪」 珍しい、スタリがご機嫌そうに鳴き声を上げたぞ。 ふむ、それにしてもこれは良い奴隷を手に入れたぞぉ。スタリのやつはこの家にいる時、いつも埃がつかないように尻尾を立てていたが、今は床に尻尾を置いているではないか。キュウコンの尻尾は恐ろしく長い上に太いからあれで支えるのは結構疲れるのだろうな。食事の時くらいは尻尾を寝かせたいのだろう。 しかし、今までは床が汚れているから嫌だっようで尻尾を立てていたと……ふむ、思えばスタリは作業室と自分の部屋以外で尻尾を寝かせていたためしがなかったような気がするな。思えば酷な事をしていたなぁ。とは言え、その長い尻尾をモップ代わりに掃除してくれればいいのに、スタリの奴もケチンボだ。 それに、スタリは何を食べても美味しそうにしているが、今のように嬉しそうな声を出す事は外食した時に限るからな。意外に美味しいラマッコロクルの料理には、私も舌鼓を打ちたい気分だ。 「よぅ、ラマッコロクルよ。いつの間にかもうすぐ夜と言う時間帯になってしまったが、遅くまでご苦労。これからもよろしく頼むが……そのためにはまずせねばならぬことがあるな」 ほら、ラマッコロクルよ。何故そこで嫌そうな顔をする? 私はこういうことを言うたびに無理難題や理不尽な要求を突きつけるほど外道では無いぞ。確か、酒は床下収納にある。&ruby(さかずき){杯};は……食パン用の平丸皿で代用するか。 ふむ、まだ疑い深い目で君は私を見ているな? 今日の私の印象はさしずめ最低ランクと言ったところか。まぁ、私は確かに優しい&ruby(たち){性質};では無いのだから仕方がない。 「さて、あまり上等な酒では無いが……カムイノミ((神々に御神酒をあげて行う祈とうの儀式))でもしようではないか。さぁ、ラマッコロクルよ。存分に飲むといい。トウモロコシで作った結構強い酒だが、少量ゆえに水割りは無しだ」 それまで、私のすることを黙って見守っていたようだが、ラマッコロクルはようやく以って私のしようとした事を理解したらしい。 「あ、はい……有り難く……いただきます」 「はは、なぜ謙譲語を使う? 私は昔、6年の仕事で会社に300億……一人当たり60億の利益を上げたが、お前は1年間に1人でどれだけの経済効果を生み出しているのだ? 街の活性化に役立っているお前と比べれば、私が生み出す金など微々たるものだよ。 金だけで人の価値は測れんが、私の価値なんて金を産むくらいしかないものでな。お前が謙譲語を使ってしまうと、私は自分の事を蛆虫かゴミムシと呼ばねばならない事になってしまうではないか。それは勘弁して欲しい」 なんだ、ラマッコロクルは照れてしまったぞ。はにかんだ顔も少し可愛いな。湖の近くの売店などで縫いぐるみが売れる理由や、三クラゲ愛好家がいるのも分かる気がするぞぉ。 「味は、悪くないです……ありがとうございます」 ふむ、結局丁寧語や謙譲語をやめようという気にはならぬのだな? まぁ、私も元から自分の事を蛆虫と自称するつもりはなかったがな。 「クゥ!」 おや、これは珍しい。スタリがお座りの姿勢をして私の体に頬擦りをしてくるとはな。私が寝酒を飲むときには全く酒に興味を示さないくせに、どういった風の吹き回しなのか。 「なんだ、スタリ。お前も飲みたいのか? だが、杯に注いだものを飲めるのは&ruby(カムイ){神};だけなのでな。まだ11年しか生きていないお前には89年ほど早いぞ。この杯代わりの平丸皿で飲むのはあと90年ほど生きてからだな。そういうわけで、お前には違う皿で飲ませてやろう」 「クゥ!」 そういって食器を床に置いたら……ふむ、ペロリと私の腕を舐めるとは、貴様もしやご機嫌だな? ご丁寧に尻尾も9本全部振られている。全く、このキュウコンは酒の味が分かるのであろうか? いや、明らかに嫌な臭いを嗅いだ時にするフレーメン反応をしているな。なんだ、やっぱり酒はダメなのではないか。しかし、それならば何故スタリはこの酒を飲んだのか……ふむ、脳内で論じるまでもないな。ラマッコロクルの影響なのは間違いなかろう。 「クオゥ!」 「あ、はい……構いませんよ」 ほう、これは面白い。スタリは私のみならずラマッコロクルの頬も舐めたではないか。あれは、スタリが気を許した相手にしかしない行動か……ふむ、私はまともにスタリに構ってやれなかったからな。さしずめラマッコロクルという仲間が出来て嬉しいと言ったところか。 キュウコンは群れを形成しないポケモンだと思っていたが、意外なこともあるものよ。なんにせよ、仲が良いのは結構なことだ。しかし、ラマッコロクルは律儀にも私の分かる言葉で喋るだけに、スタリがなんと言ったのか気になるところだな。 「さて、食事は終わったが……ラマッコロクルには勿論皿洗いを頼もうぞ。私はまた作業室にこもるから、何か用があったらいつでも尋ねに来い。スタリは、暖房のほうはもういいから洗濯物を乾かしておいてくれ。 洗濯物を乾かし終わったら、後で肉の缶詰を宛がおう」 ふむ、しかし……いくら恩返しに来たからといって、これではあまりにスタリとラマッコロクルとの待遇に差がありすぎるか。よし、注文の品を買うのは面倒だが先行投資と思って聞いて置こう。 「さて、ラマッコロクルよ。お前は何かスーパーで買える食べ物で好物はあるか? これからも私に仕えてくれると言うのならば、お前にも何かを宛がってやらねばならないからな」 おや、目を見開いたり出来ない代わりに口をあんぐり開けて驚いたぞぉ。だから、『私は優しくないし人並み以下ではあるがきちんと人情のようなものは持ち合わせている』と何度言ったらわかると言うのか。 人並み以下でも人情を持ち合わせてさえ入れば、この程度の質問をしたところで違和感はなかろうというのに。全く、知識しか持ち合わせていないというのは悲しいことだな。 「え、えっと……それでは、私は……ホイコーローなどが好きですが……」 「何故そんな微妙なものを私に頼む? そこは普通、チョコレートや金平糖辺りが妥当であろうに」 「すみません。なら、ドゥルセ・デ・レチェ……というか、ミルクジャムで……甘くて大好物なんです」 なんだ、謝る所では無いというのに。変わったやつだな。そして、&ruby(ミルクジャム){ドゥルセ・デ・レチェ};か……そんなものこの近くに売っていただろうか? 「まぁ、いいか……インスタントのホイコーローを大量に買い付けて、床下収納に保管して置いてやろうぞ。よろしくな、新しい家族よ」 私が差し出した手を、ラマッコロクルは中々とろうとしなかった。ふむ、照れ屋と言うか警戒心が強いと言うか、なんというか。なんにせよじれったいやつであることには変わりがないな。 「どうした、手の平に画びょうはついていないぞ? 安心して握ると良い」 やっと緊張がほぐれたのか、おずおずとラマッコロクルは私の手に二本の尻尾を絡めた。ほう、行き倒れて冷たくなったとき以来触っていなかったが、これは中々暖かいではないか。 ふむ、きちんとベッドで眠る時は、ラマッコロクルの腹を枕にするのも悪く無さそうだ。 **-9- [#k5fac596] エミナ、結構優しいところがあるかもしれません。ただ人付き合いが苦手と言うかなんというか……歯に衣着せぬ言い方や独特な言い回しは人を遠ざける力がある事は間違いないでしょう。 スタリは、『今日一緒に寝よう』とのことですが……特に何もないですよね? しかし、それよりも何よりも気になるのが……あの部屋です。 あの部屋でエミナは一心不乱にキーボードを叩いていました。そして、バーチャルポケモンのポリゴン2……その内容は目を殆ど閉じている私には遠目に分かりませんでしたが、何かの実験をしている事は間違いがないようです。 そういえば、作業室に入る事について『何かあったら声をかけてくれよな』が次は『何か用があったらいつでも尋ねに来い』に変わっていましたね。今思えば、前者は声をかけると言う事は、実質あまり部屋に入ってほしくないと言っているように聞こえます。しかし、食後に言った言葉は、とどのつまり……私にも作業室に入ることを認めてくれたという事で、よろしいのでしょうね。 でしたら……彼女が何をしているのか、少し調べてみたい。 「こんばんは、エミナさん」 「ほう、来たか? だが夜食を届けに来たわけではなさそうだな。それとも、実はそんな見た目でも炎を吐けるから私を温めにでも来たか?」 振り返って開口一番にこの独特な口上。最初は圧倒されるばかりであったけれど、慣れて見るとエミナの喋りかたはちょっとおかしくさえ思える。 「いや、アグノムならば炎を吐けますが、生憎ユクシーは炎を吐けませんねぇ」 「そうか、いつもスタリに炎を吐かせるのは酷だと思ったが、それなら仕方がない。ユクシーが炎技を使えなかった事をスタリに泣き寝入りさせるとしよう」 そういう問題じゃなくって、何の用で来たのか尋ねるべきでしょうに。 「ところで、炎を吐きに来たのでなければなにしに来たのだ?」 あぁ、やっとその質問ですか……なんと言うか面倒な人ですね。 「えっと……作業室でどんな作業をしているのか気になって……私、視力は悪くないのですが、人前では無闇に目を開けられないので、よく見えませんでしたから……」 「ふむ……知識ポケモンと呼ばれるお前ならば……あるいはな」 何か思うところでもあるのでしょうか、エミナは意味深な事を言うなり立ち上がり、一つのノートパソコンを取り出した。横の長さが私の身長と同じくらい、縦の長さはその3/4くらいでしょうか。 エミナはおもむろにノートパソコンを開き、それを起動してから完全に起動するまでそれを放置。メインで使っていると思われる据え置き型のパソコンから、作業中のデータをUSBフラッシュメモリに保存しノートパソコンに差し込む。 「今年のフォルダの、12月4日午後のファイルに今保存した最新のデータが入っているよ。テキスト形式のファイルで保存しているから見てみたまえ」 「テキストファイル……という事はソースコード((人間がプログラミング言語を用いて記述したソフトウェアの設計図。そのままではコンピュータ上で実行することはできないため、コンパイラなどのソフトウェアを用いてオブジェクトコード(ネイティブコード)と呼ばれるコンピュータの理解できる形式に変換され、実行される。))でも書いているのですか?」 「そういうことだ。パソコンに向かってキーボードを打っている私は小説家でも新聞記者でもなく、フリーのプログラマーなのだよ。中学から大学まで色々学んでね、プログラミングの大会でもカントー地方で一位。世界へ羽ばたいてもトップクラスの成績を収めたことだってあるのだぞ」 「は、はぁ……」 エミナは口が休まるところを知らない。そして、こんなにもべらべらと自慢の口が動いているというのに手はテキパキと動いていて、キーボードをタッチする音は豪雨のように鳴り止まない。 「おっと、そろそろそのパソコンは起動したんじゃないのか? 液晶画面を見てみたまえ。左上の端にテキストエディタへのショートカットがあるだろうから、そこから進め。あぁ、そうだ……これは私が使っているコンピューター言語の説明書だ。読んでおかないと多分理解できんぞ」 こっちに返答の暇を与えないマシンガントークの間に、エミナが言うとおりパソコンは起動していた。私はデスクトップにショートカットが作成されたエディタを開き、言語の概要の片手間にテキストを見る。 最初は、ただの斜め読みのつもりであった。コードを理解しないものにとってはただのアンノーン文字の羅列でしかないそれに、私は見る見るうちに引き込まれて、無言になる。 1回見ただけでは頭の整理が出来ないし、まだ読み途中ではあるがエミナがやらんとしている事は大体分かった。 「これは……コンピューターに搭載する人工知能でしょうか? それも、故意に無駄を&ruby(ヽヽヽヽ){多くした};ような……そんな印象を受けるコードですが」 「読み始めてから……7時間か。その程度の時間で私の9年を理解してくれるとは、やはり知識ポケモンと言うのは素晴らしい」 「まだ……半分くらいしか読んでいませんが……」 エミナは振り向かずに言う。ですが、これはエムリットでなくともわかります……嬉しそうで、笑っている。 「物事はシンプルイズベスト。私も大体の事柄についてそう思っている。例えばラマッコロクルよ。お前が最も美しいと思うゲームソフトは何だ? 私はテトリスだ」 上機嫌なエミナは唐突にそんな話を始めた。テトリスと言えば、彼女が作っているコードとは全く方向性の違う……本当にシンプルで簡単なゲームだ。音楽さえこだわらなければ、プログラミングに慣れていれば1時間で作れる代物だ。 「シンプルイズベスト……という意味でですか? 極力無駄を削られ、それでいて誰にでも出来ていつまでも愛される……マインスイーパーです」 「ほう、お前とは旨い酒が飲めそうだな。そのゲームもテトリスと共に、一度暇つぶしに作った事があるゲームだよ。ふむ、今度は一方的に酒を送るカムイノミではなく、共に同じ酒を飲み同じ&ruby(さかな){肴};をつまんでみるのも悪くない。と言っても、私は寝るとき以外に酒を飲むことはないのだがな。まぁ、いいか。 ならば逆に、無駄が多く、それでいて……美しいモノとは何が浮かんでくる? 今、お前が私の作品から感じ取ったものを見れば自ずと答えは導かれようぞ?」 「それは……生物の脳……じゃないでしょうか? エムリットに聞かれたら絶対に怒られそうですが……感情なんてものがあるから人は悩まなければならないから……と、嘆く人もいますし、その感情は無駄なのだと思います。 現に、とある宗教においては煩悩から&ruby(げだつ){解脱};して&ruby(ねはん){涅槃};にたどり着くという行為が、『苦しみも無く、また快楽も無い』というほぼ感情をなくすことと同意義のような文面ですから。具体的には違うとはいえ、初見では私もそう解釈してしまったのですから。 でも……エムリットじゃないけれど、私は感情こそ尊いものだというのは分かります……ですから、私は……生物の脳を無駄が多くて、そのくせ美しいモノだと思います」 **-10- [#if0fa8d8] 「君と私は所々似ても似つかないが……少しばかり似ている部分もあるのだな。そうだ、私が作ろうとしているのはテトリスやマインスイーパーとは全く異なるベクトルの産物だよ。難産な上に、まだ受精し立ての受精卵のようなものだがね。 どうだ? 無駄を入れつつ、なおかつバグを少なくという難題への挑戦は蛮勇と言うには相応しいだろう? 私はね、ポリゴン2を虐待した時にムウマが。ポリゴン2を撫でたり褒めたりした時にキルリアがきちんと反応を示すような、ポリゴンの新バージョンを作りたいのだよ」 「それはつまり、感情を持った……人工生命体ですか?」 それは、人間の一般的な倫理観では禁忌の領域では? いや、まさか……冗談でしょう。 「あぁ、そうだ。ポリゴンの自己再生用に使うナノマシンもわざわざ改造してね。現在使用されているポリゴン2のナノマシンは&ruby(相同染色体){相同自己修復用データ};……つまりは私達にとって遺伝子が乗っかっている染色体のようなデータを元に自己を修復するだけの機能しか持たないのが既存のナノマシンでね。 私は外部からの命令に応じて自己を修復するだけではなくポリゴンに新たな機能を設けることが出来るように、ナノマシンのプログラムを改造したのだよ。この改造だけで実に3年だ。そして、先ほど見せたソースコード。それは実に9年かかったぞ。 実はこのナノマシンの機能……まだどこにも公表していないのだが、発表すれば研究者や企業にとって喉から手が出るような代物でな。私が何か費用や施設などの関係で外部の協力が必要になり、研究者達との交渉が必要になった時のために武器として公表を控えているのだ。 これと引き換えならば、企業は土下座して研究成果を引き渡してくれるだろうよ。 この作業室から続く基本立ち入り禁止の部屋には、そのナノマシンを統括する量子コンピューター((処理能力が現在のコンピューターよりもずっと速いコンピューター))が置いてある。最近安くなったとは言え、4億の出費は痛かったな。貯金の2/3を使ってしまったデリケートな代物だから、めったなことじゃ業者以外は立ち入り禁止だ」 ひとしきり、研究機材についての自慢というか説明をされましたが、肝心な事が聞かされていません。 「ここには……他に誰もいませんが、ネットか何かを通じて協力者でもいるのでしょうか?」 「いいや」 嘘……でしょう? この糞長いプログラムをたった一人で!? 「パートナーや協力者といえるのは、スタリだけだな。だが、実はスタリのやつはキーボードを打つ事が出来ない。それゆえに、私以外は実質何もしていないと言えるな」 『実は』でもなんでもない事はひとまず置いておきましょう。私は速読には自信がある上に、読んでいるうちにいつの間にか7時間経っていた。それでいて……まだ半分くらいしか読み終えておらず……それでいて、明確なミスと思える部分が一つもない。僅かに気になる点が少しばかりあるのみでした。 こんなの、人間業じゃないです。いや、人間は思ったよりも進化していた……カントー1位にして世界のトップクラス……そういえば、どんな年齢の部門に出場したのか? もし、大人に交じってだとすれば……天才というより鬼才と言った方が正しいくらいです。 「ところで……私は夜更かしには慣れているが、お前はずいぶんと疲れた顔をしているぞ? まぁ、無理もない。ただの雑巾掛けとはいえ家中の掃除をした上に料理を作り、こうしてテキストを読みふけったのだ。体にストレスがかかって体調を崩す前に、寝たほうがいい。スタリもとっくに眠っているぞ」 「あ……」 大切なことを忘れていました。スタリからは『一緒に寝よう』と言われていたのでしたっけ……それにしても、ストレス……ですか。エミナの髪はこの生活が原因なのでしょうかね? 「どうした? お前が『あ……』と言ったら私が『い……』と言えばよいのか?」 「そ、そんなわけないでしょう。ちょっとスタリの部屋に行って来ます」 いけない……スタリ怒っていなければいいけれど。いや、でも……怒るくらいならばこっちの部屋に呼びに来ますよね? で、あれば眠っているのでしょうかね……主人のエミナと同じく『まぁ、いいか』で済まして寝ているかもしれません……それならまぁ、いいか…… 「そうか、ちょっとか。ちょっとならば、その用が終わったら夜食を作ってくれ。眠るのはそれからでお願いな」 ちょっとではなく、『スタリと寝て来ます』と言えばよかった……というか、料理作ってからスタリの部屋に行きますよ!! えぇ、料理作ってからにしますとも!! 「えぇ……その、分かりました」 もう、ヤケクソです。手間掛けて美味しいもの作って度肝抜いてやる。 &size(18){ ◇}; 「ほほぅ、時間が掛かったな。スタリの寝顔が美しくって見とれていたか? スタリのやつ、ポケモンバトルの経験は少ないが、よく餌を買い忘れるせいで狩りの経験が多くなって体付きもよくなってな。お陰でえさ代と餌を買いに行く回数の減少に加え、見た目もよくなってな。 いやぁ、放任主義でありながらまともな子が育つ妙もあるものよ。飼い主に似たのかな」 いいから、味の評価をしてください。頑張って作ったのですから。 「そうそう、この料理のことだがな……」 来た……今回も美味しいと言ってもらえるでしょうか? 「ふむ、あんな粗末な材料でよくまぁここまで美味しく作れるものだ。料理に対する知識も一人前以上のものを身につけているのであろうな」 ほ、よかった。あれだけ頑張って美味しくなかったら私もショックと言うしかないですし。 「短時間でここまで味がよく染みているとは……どんな魔法を使ったのやらな? 水蒸気を液体に戻す過程で容器にラップでもまいて陰圧を利用したか?」 なに、美味しさの秘密がばれた!? エミナ……こいつは侮れません。情報関係が専門の割にはやたらと他の部門にも詳しすぎる……恐らくは、人工知能の作成のために他の部門の勉強も相当真面目に行っていたとかそんなところでしょうか? 「お口にあったのならば……恩返しに来た甲斐もあるというものですから。光栄です」 「ふむ、だから謙譲語や丁寧語を使うのは止せと言っている。私は誰かにへりくだる気などゼロだが、誰かにへりくだられたところで面白くもなんともない」 「それでも……命を助けてもらった恩がありますし……その相手に敬意を払わないのは……」 「私が知ったことでは無い。どうしてもと言うのならば、会話時間の短縮こそ礼儀と弁えろ」 それだけぴしゃりと言い放ち、エミナは食事へと集中し始めました。その様子を私が黙って見ている事にようやく以って気がついたエミナは、私の事を『仕方のないやつだ』と言って呆れながらも、しっかりと笑みを浮かべました。 「うろついたり浮かんだりして余計な体力を使うな。お前の作った料理は全部、小細工なしでも美味いから安心してくれ。皿洗いは起きてからで構わん。お前はさっさと寝るといい」 「は、はい……分かり……いや、分かった」 これで、いいのでしょうか? 今まで敬語を使っていた相手にそれを使わないのはかなり……勇気がいることですが。 「ほう、ちゃんと普通の言葉も使えるのでは無いか。だが、言い直すくらいなら謙譲語を使ったほうが短いくらいだな」 私の去り際、エミナは上機嫌な声でそう言うのが、私には嬉しかった。 **-11- [#j733c934] ふう……考えてみれば、今まで夜更かしなんてする事は本当に稀だった。いつも気ままに飛んで、気ままに食べて、気ままに眠っていたから……こんな風に意地になって何かに打ち込んだりすることなんて久しく忘れていた。 疲れたけれど凄く充実していたような…… スタリの部屋に忍び込んでみると、スタリは案の定眠っていた。安らかな寝息は小さい音だが、この人里から遠く離れた家ではよく響く。扉をゆっくり開けるとその音に目覚めたのか、スタリは僅かに目を開けて私を確認して、尻尾で手招きするとそのまま眠ってしまった。 丸まっている彼の体に寄り添うように腰を掛ける。恐る恐る慎重に背中をくっ付け合わせると、尻尾に優しく包まれてなんとも暖かい。 せっかくのキュウコンの高い体温も、体毛が長いせいでその熱が中々伝わってこないが、こうして尻尾の中に包まれると彼の熱がじわりと伝わってくる。スタリは起きているのか眠っているのかも分からないような意識の中で、明確に私を歓迎してくれているのでしょうか。 上等な絨毯のように滑らかな毛皮と、スタリの熱。人間には小さすぎても私にとってはキングサイズのベッドよりもよっぽど寝心地が良い。 今日は……といっても天辺をとっくに過ぎちゃっていますから今夜が正しいのでしょうか。今夜は疲れましたから……お休みなさい。 スタリ、エミナ。 &size(18){ ◇}; 『'''おはよう……というか、この場合は『おそよう』かしらね、ラマッコロクル。もう昼だからそろそろ起きなさいよ'''』 もう、昼ですか……でも、まだ……眠い。 『'''ラマッコロクル。もう夜だからそろそろ起きなさいよ……'''』 え? 『'''ラマッコロクル……もう朝だからそろそろ起きなさいよ'''』 「うわぁぁぁぁぁ!!」 あまりの気味の悪さに発狂しそうな剣幕で起きてみれば、もう太陽は最も高い位置に上っていた……また昼を迎えてしまったのですか!? 確か最後に寝たのは12月5日の深夜と早朝の境目あたり……今は何月何日!? 『'''あ、起きた。冗談よ、まだ最後に会話した次の日のお昼よ'''』 「い、意地悪……」 心臓が思いっきり高鳴っている私に対し、スタリはひたすら面白そうにケラケラと笑っていた。と、それよりも私には仕事があるのだ。 「まずい、ごはん作らなきゃ……」 サイコキネシスを発動して、ふわりと体を浮かせ部屋の外に出ようとしたのもつかの間。スタリの神通力によってそれは止められた。 これは……あまり強い力ではありませんね。まぁ、タイプや素養そのものの差に年季も違いますから、スタリの神通力が私より強い力だとユクシーとしての面子が立ちませんが……それ以上にスタリには本気を出す気が無いようですね。 「あの……」 『'''ご主人なら、本当に集中すると1日くらいなにも食べなくっても平気だから。何かで集中が途切れると、突然腹が減ってくるみたいだけれどね。だからまぁ、触らぬ神にたたり無しって言うでしょう? 放っときゃ良いのよご主人なんて。'''』 そんなんで良いのかとも思いたくなるが、私よりも遥かに長く暮らしているのであろうスタリがそういうのだから間違いないでしょう。なら、ここはスタリの言うとおりに従っておくべきでしょうか。 『'''私はこれから、外に遊びに行って来るわ。貴方も、暇を持て余しているのならば何かをやってみたらどう?''' 狩りとか、楽しいよ?』 言うなり、スタリは窓を神通力で開けて2階から飛び降りて外へと降り立った。暇を持て余していると言えばそうですが……私はどうすればいいのでしょう? 昨日に張り切りすぎてしまったから、もう疲れのとれた今日に暇となると、なんだか拍子抜けですね。皿洗いもすぐに終わってしまった。 今、やるべき事があるとすれば……暇を潰す方法があるとすれば、昨日のコードの続きを読む事でしょうか。あまりエミナの気を散らして食事の用意をしろなどと言われないように気をつけて、ノートパソコンを貸してもらいましょう。 「失礼」 申し訳程度の小声でラマッコロクルは作業室へ入る。 「おや、メロ……ラマッコロクルか」 なんだか、その呼び方猛烈に懐かしい気がしますが、その呼び方は嬉しくないのでやめてください。 「どうした、今スタリは出て行ったばかりだからこの部屋は暖かいだろう? 温まりに来たならば、あそこの棚の上に乗るといい。上の方は暖かい空気が集まるからな、むしろ暑いくらいだぞぉ」 お断りします。切実にお断りさせていただきます!! まったく、言う事がいちいち鼻につく人ですね、貴方は。 「いや、そうじゃなくって昨日のノートパソコンとフラッシュメモリを貸してもらおうと思って……」 「ほう、タメ口が板についてきたなぁ、いい調子だ。そうだな、ノートパソコンはそこにあるから今のうちに起動しておけ。USBには、今からデータを保存する……よし、これを読め」 私は念力を使い、エミナの手の平に乗せられたフラッシュメモリを受け取り、ノートパソコンに差し込んでパソコンの起動を待つ。間違っても私の目を見られないようにそっぽを向いて、起動したパソコンを操作して、コードを読み進める。 やっぱりだ……この人は、エミナは天才だ。こんなにほとんど無駄なく、上手い所に無駄が多いという何とも矛盾したプログラム……これが、たった一人で人間の脳や思考に極限まで近づけようとした研究成果なのでしょうか? ですが、一体なぜこんな研究を? そりゃあ、損得計算抜きの直情的な行動が出来るというのは、人間の最も特徴的な性質ですが……そんなもの、ポリゴンに搭載してしまえば、この新バージョンへのアップデーターは商品として成り立たないのではないでしょうか? ポリゴンの商品としての価値を大幅に下げてしまうような…… ポリゴンをポリゴン2へ進化させるアップグレードは、ポリゴンの強化や行動の多様化による可愛らしさの増大というように、愛玩用としても戦闘用としても優れた性能を発揮しましたが……これでは、愛玩はともかく、戦闘にはいささか問題ありと言わざるを得ないです。 ならば……新しいポリゴンを愛玩用に特化させるため? ですが、愛玩用のポケモンだったら見た目の改良や、さらに多くの仕草を自動でプログラムできるようにすれば済むだけ。感情を作る必要までは無いはず。 「読み終わっ……たので。もう一回読んでさらに理解したいところですけれど……一つ、質問よろしいでしょうか?」 パソコンの内部の時計はまともに合わせられていなかったが、ちょうど読み始めた時から7時間半ほど経っていたから今はもう夜の時間帯だろう。エミナは脳への糖分の補給のつもりなのか、何処で買ってきたのかブドウ糖の粉末を舐めているだけでこの時間まで腹を持たせていたらしい。エミナは何とも自身の体の悲鳴に鈍感だ。 「おぉ、どうした? しかし、結局丁寧語が直らんなぁ……まぁ、いいか」 後ろを振り向くことなくエミナは私に応じてくれた。それでも、暴風雨のような指づかいや減らず口は相変わらずで、返答するまでの早さも衰えている様子はない。大体、この人はいつ眠ったのだろう? 「この人工知能……何を目指して、作ったのでしょうか? この無駄なく無駄が多いという何とも矛盾したプログラムは……人間の脳を目指して作ったとか、感情を持ったポリゴンを作りたいとも言っておりましたが……昨日というか、今日の深夜聞いた時はまさか……冗談でしょうと思いましたけれど……」 「そのまさか、なのだよ。考えても見ろ。私が今までお前に嘘をついたか? まぁ、この短い交流期間の間に嘘を一つ吐く方が珍しいのかも知れんがな」 違う、そんなことは分かっていたようなものだ。私が訪ねたかったのは、多分こっちだ……まるで、アグノムを見ているようなこの人の執念じみたこの思考錯誤の孤軍奮闘を行えるバイタリティは、どこから来るのか……と。 「では、なぜ人間の脳に似せた物を作りたいと思ったのですか?」 「ふむ……それはだなぁ……ちょっと失礼」 スタリがいなくなって数時間。密閉された空間とはいえどかなり寒くなってきている……というのに、エミナはおもむろに下半身の服を脱ぎ始めた。一体何の意味があるといのでしょうか? **-12- [#eb742b1c] おもむろに下半身の服を脱ぎ、ついに下着まで取ってエミナの下半身は完全に露わになる。不摂生な生活を続けているせいか下腹部がたるみ、みすぼらしい見た目をしている。言っては悪いですが、見事に魅力ゼロです。 しかし、相手がポケモンだからという事で遠慮をしないのは分からないでもないが、いきなりこれはどういう風の吹きまわしなのか……いや、エミナの女性として&ruby(ヽヽヽヽヽ){大事な部分};の近くに傷がある。目立たない、よく見なければ気付かないようなものだけれど、あれは何? 「ほう、眼が開いていないかと思ったが、きちんとこの傷に気がついたか? これはな、子宮癌の摘出手術の跡だよ……もう少し早くに発見していれば、部分摘出の手術も出来たのだがね。やたら危険な状態だったとかで……手術に使った麻酔の副作用がきついわ、抗がん剤の副作用がきついわで大変だったぞ。髪も治療の時だいぶ薄くなってしまってな……今は知っての通りカツラでごまかしている。 だがまぁ、分かるだろう? 私が辛かったのは、副作用の事でもカツラの事でもない……子供が出来ない体になってしまったことだよ」 それで……カツラをかぶっていたのですか。いや、それよりも……子供が出来ない事であの執念が生まれるものなのですか? 「私が、感情を実際に発するポリゴンを作りたいのは……私の手で子供を作りたいという願望なのだよ。なぜなら、子供を育てることなんて男でも出来る。女にしかできない子どもを産むという権利を剥奪されるのには、個人的に我慢がならないのだよ。 もちろんのこと、『私の手』というのは比喩表現だ。本当ならば、子宮で作るのが1番楽なのだからな……養子をとって満足できる性格ならば楽だったのだがなぁ……生憎、私は普通ではない。他人の子など育てられる気がせんよ」 「協力者がいないのは……」 「あぁ、それはだな。私が手術後に会社でこの企画案を出した時……それは一笑に伏されたのだ。他の案が多数出た中で、私の立案した開発プロジェクトには、研究員が私1人しかつかない事になってしまったのだ。当然、そんな事では会社からも資金もでないというわけだ。 他の研究員は、ポリゴンを異次元でも活動できるように……と、ポリゴンFだかZなる物を作ろうと躍起になってな……私が研究を続けるには、個人的にやるしかなくなってしまったからだよ。 まったく、友達がいないというのは辛いものだね。昔は1年に3回か4回は家に同僚を招いたし、招かれたものだが……これでも恋もしたんだぞ? ここに越してきてからは、スタリ以外を家に入れた記憶も無いし、公共施設や店舗以外の建造物に入った覚えもない。あぁ、だが家に招いたといえばお前がいたか……」 エミナはだんだん寒くなってきたのか、脱いだ服を着直して、また画面に向かいキーボードを叩きはじめました。 この人が、こうして一人で研究するようになったのは……子供を産みたいから? ある意味女性なら至極真っ当な、当たり前の感情ですが、それが歪んだ形で発言するとこうなるのでしょうかね。 それで、あのコードを開発したというのだとしたら、なんて純粋な人。それが、良い事なのか悪い事なのかは抜きにしても……純粋な想いを以って、開発に取り組んでいるのですね。私は感情や意志の強さを測ることはできないから、そういう点でアグノムやエムリットとは違うのが少し悔しい気がします。 しかし私には、私にしかできない事がある。でも……それをやってしまえば、流石にアレなしではアルセウスに顔が立たない。 私は、この人間に興味がわいた。だから……エミナをもう少し長い時間見ていたい。だから……ユクシーの能力の行使はしたくない。でも、ただの賢いポケモンとしての後天的な能力ならば……アルセウスの意向に逆らう事も無いはず。 「ラマッコロクルよ」 そんなことを考えながら、私はずっと彼女の作ったコードを読み返していた。現実に引き戻されたのはラマッコロクルのこの呼び掛けだ。 「何ですか?」 「なぁに、簡単なことだ。お前は私の作ったものを無駄なく無駄が多いと賞賛したが……これ、ここの部分だ」 そして、その後天的な能力を使う機会は、意外な事にエミナ自身が与えてくれた。 「これは本当に無駄な部分なんじゃないかな、と思っているのだ」 エミナが指差した場所は、私も少し違和感を覚えた場所であった。大胆不敵そうなエミナも、自分が作ったものを消すことが何となく怖いのか。 「いや、なに。ただ無駄なだけならばよいのだが、これがバグというか不具合の原因になっているならばぜひ消しておかねばならぬだろう? 悩んだり、迷ったりする、人間にもありうるような愛嬌のあるバグは歓迎だが、思考が停止してフリーズするバグ、処理が不可能になるバグはいただけない……人間だって、凍り付き症候群((突然の出来事に体が動かなくなる状態。いわゆる、蛇に睨まれたカエル状態))なんてモノがあるが、コンピューターの場合はそうなったら、最悪再起動しないと回復しないからな」 それにしても、一人での作業という事は……作ったものを消すのが怖いとか、ここは間違っているんじゃないだろうとか、そういった創作に関わる者ならだれもが抱える不安を……エミナはどれだけ長い時間抱えていたのでしょう? 『誰にも相談できなかったのか?』などとも思ったが、それは、彼女の事情から察するに最初から無理な相談なのだから。 このコードは例え、一から共同で作ったとしても、一握りのプログラマーしか解読できないような校正職人泣かせの変態かつカオスなプログラムだ。それだけで彼女のプロジェクト案が排斥されて然るべきだと納得が行く。 例え、最初から同僚だったという研究チームがプロジェクトの協力を申し出たとしても、きっとついてこれはしなかったであろうと。 なら、彼女に協力できるのって……もしかしたら、彼女の知り合いの中では私しかいない? 「どうした? 何か意見をくれ」 「あ、はい。えっと……お恥ずかしい話、私も違和感があるのですが……まだ、全体図を整理し切れていないので……1日ほど、時間を……」 「構わんよ、それにこれだけ複雑なものなら、1度や2度読んだくらいでは超一流のプログラマーでさえ理解できなくても恥ではない。だからゆっくりやってくれ。だが、その前に……お前のメロンパン頭を見ていたら腹が減ってきた。何か作ってくれ」 また、メロンパンと……しかし、もう目くじらを立てるのはやめましょう。 「わかりました……美味しいものを作りますから、貴方はその続きを頑張ってください」 ここまでユクシーの能力を行使したい気分になったのは久しぶりですね。とにもかくにも……美味しい食事を作ってあげねばなりませんね。 **-13- [#xd033e28] 「エミナさん……例の部分ですが……修正案を注釈つきで……」 ふむ、まだ早朝か。日付が変わっても必死で読みふけり読解していたのか、ラマッコロクルは私に尋ねられた箇所の修正案を思ったよりも早く叩きだしたようだ。流石と言わざるを得ないな。 作業室には、スタリが炎を吐くでもなく居座っていて、豊かな体毛を持つ上にやたら長く、それでいて9本ある尻尾で狭い作業室は半分が彼に占領されている。ラマッコロクルはその圧迫感が好きではないようだが、なあに……すぐに慣れるさ。 「おぉ……御苦労」 ラマッコロクルからUSBメモリ受け取ると、すぐにもう一つの窓でエディタを開いてコードを覗く。さて、どれほどの出来なのだろうな……ラマッコロクルの読解能力の高さは驚異的だが、新たにコードを作る能力はどの程度のものなのだろうかな? その傍らで、ラマッコロクルが暇そうに浮きつくしていると、触手のようにスタリの尻尾が絡みついたようだ。まぁ、無視してもいいか。 「クオゥ!!」 キュウコンが尻尾で縛りつける力はお世辞にも強いとは言えないはず、簡単に抜けられる。しかし、作業とスクリプトの熟読で疲れ果てた体は抵抗する気にはとてもなれないらしい。ラマッコロクルは特に抵抗するでもなく尻尾にしゅるしゅると巻き取られた。 「あぁ、なるほど……そんな手があったのか。流石だ――」 私がそこまで言ったところで、防音の扉が閉じられる音がした。 「ちょっと参考に色々改変するから……おっと、スタリの奴め……ラマッコロクルもつれていったのか。まぁ、よいか」 まったく、スタリは相変わらずのマイペースだな。そして、ラマッコロクル……正直、一日でこんなものを作るとはな。もし、私がアグノムかエムリットのようなクラゲ仲間であったなら、ぜひ婿として奴を迎えたいくらいだ。 &size(18){ ◇}; スタリは、からみついた尻尾から解放しようとはしてくれなかった。抵抗すれば簡単に抜けられる程度ではあるが、善意から行われたこの縛りに抵抗するのは少々気が引ける。 そのまま2階まで連れて行かれ、解放されたのはスタリの部屋の中であった。 『'''御主人が楽しそうにしているのはいい事なんだけれど……ちょっと無理しすぎよぉ。御主人、眠る時間がさらに減っているような気もするし……'''』 「……眠る時間が少ない、ですか。確かにそうかもしれませんね」 『どうするの? 眠ってくれって言って聞くようなご主人だったら楽だけれど……私が服を噛んでベッドに引っ張っていこうとしても、従ってくれるのは大体2回に1回なのよね。キュウコンの個体によっては使える催眠術も、私は使えないから……あまり御主人を無理させたくないのだけれど』 そういえば、スタリは熱風や催眠術のような、血統で覚える技は使えないようだ。一応、洗濯物を乾かす時には熱風の真似ごとのような事もやっていたが、誰かに威力の高い熱風のコツを教えてもらわなければ戦闘に使用することはできないでしょう。 「無理を……ですか。確かに彼女は無理が過ぎる面がありますからね……分かりました。大分食事の感覚も開けているようですので、今から食事の準備をします。 それで、食事が終わったら私なりの方法で眠らせてみます。ですので……スタリさんは御心配なさらず」 私がそんな提案をするとスタリはほっと息をついて、神通力で私を引き寄せたかと思うと、顔をペロリと舐める。 『'''ありがとう。まだ1週間もたっていないのに、御主人の事を心配してくれるほど仲良くなったみたいで嬉しいわ'''』 はにかみながら、スタリは頭を下げる。 『'''それとね……御主人が楽しそうなのは嬉しいんだけれど……たまには私と一緒に狩りでもして遊ばない? 御主人……全然構っていないから退屈でさ。今は疲れているでしょうからいいけれど……暇が出来たら、一緒に外に出かけましょう?'''』 こうして、気がつけば私はこの家族二人に必要とされていた。それはとても嬉しい事なのだけれど……少し休む暇が少なくって疲れてしまいそうですね。 でも、ここは暖かい。スタリがいるから……という物理的な熱もあるけれど、言葉では説明しづらい心の温かさ。それが、エムリットがその尊さを伝えていた喜びなのでしょうか。 そして、エムリットの言う至高の感情……『愛』というものがあるとしたら、多分この家族の元で感じるのが初めてとなるのでしょうか。いや、もしかしたら……今感じている感情こそがそうなのかもしれません。 愛……か。そういえば、この大事な感情をエミナはどう考えているのでしょう? 彼女ならばきっと答えを用意しているはず……というよりは、ソースコードに愛らしき感情と思えるがあったような…… &size(18){ ◇}; そんな事を考えて数日がたった。相手と自分の呼吸のペースを合わせ、精神の表層の波長や波形、波の大きさを一体化させ、それにより相手と自分の意識が&ruby(シンクロ){同調};した隙を狙って一気に深層意識にまで侵入して眠らせる技、『&ruby(あくび){欠伸};』。 それを用いて乱暴に眠らせたりなどしても、エミナはちょっと文句を言うだけで褒めもしなければガミガミと叱りつける事もしなかった。エミナは表面上では無頼の徒を気取っていても、きっちりと体に気を使ってくれた事を嬉しがっているのが何となくわかる。そんなエミナの気持ちを嬉しく思ったのを、私は胸の中で感じている。 「エミナさん」 数日前のスタリとの会話を思い出しながら、私は思わず尋ねていた。 「なんだ、ラマッコロクルよ?」 「感情をプログラミング言語で再現しようとしている貴方なら考えた事のあることだと思いますが……愛ってなんでしょうか?」 エミナは答えずに、窓の右端にあるスクロールバーを動かした。言葉で説明するのは難しいと言いたいのは分かりますが、これじゃあ私にしか理解できませんね。そんな事を思うと、なんだか幼少期にアグノム達としていた秘密の内緒話を思い出した。ちょっとした優越感と、話し相手との親近感が楽しかったのが不意に脳裏によみがえってきた。 「見ろ、この部分だ……見ろ、ここの処理の返し方が、他の感情とは明らかに仕様を異にするものだ」 「……予想はしていましたが、本当にこんな風に説明しますか? 誰も理解できませんよ?やっぱりそこは……貴方なりの愛を描いていたのですね」 真面目な顔でそんなこと言うものだから、私は思わず笑ってしまった。 「なんだ、笑うなら押し込まないで盛大に笑え。それでな、愛と言うのは他の感情を連鎖的に派生させると共に、行動に多大な影響を与えるのだ そこには……ほら、このコードを見てみろ。愛する対象を防衛しようとするもの、独占しようとするもの、育てようとするもの……親子愛、友愛、師弟愛、偏愛、性愛……&ruby(アガペ){神の愛};だって持ち合わせているぞ。それら色々な形の愛があるが、共通しているのは、好意と、大事にしたいと思う気持ち。 その気持ちを……こんな風に0と1で表すのは非常に難しいことだが……やって見せるさ」 エミナは嬉々として、水を得たネオラントのように上機嫌だった。マウスの右ボタンと左ボタンに挟まれたドラムを操る手も楽しそうだ。 「おぉ、あったあった。ここはな、乱数の幅を多めにしてみたんだ。素体となるポリゴンの性格によってきちんと抑制も助長もされるが、『愛はイレギュラー、愛は予想外』という事を端的に表したくってな。改良の余地はあるかもしれないが……なかなか刺激的だと思うぞ。 憎しみについても、愛と似たような作りになっている。負の愛とでも言うべきかな、絶対値を同じにして対極にある感情を割り振ると言う訳ではないが……基本的な構造は同じにしているよ。まぁ、こんなことは君には言わなくても理解できる事だろうがな」 そんなふうに、自分の作ったプログラムを紹介する時のエミナは、親馬鹿なお母さん顔負けの自慢ぶりであった。彼女が子供を作るためにこの研究を始めたという事がなんとなく伝わってくる。 「私と考え方が似ていて……ホッとしました。個体ごとの乱数上限値の設定方法や、別の感情との相互的な分岐・転換・相乗効果……数値までは、これで正しいのかどうか測りかねるところがありますが……随分と色々考えているのですね……本当に素晴らしいと思います」 「机上の空論だけではわからないこともある。まだまだやるべきことは沢山さ」 「ですね」 こうして、私達はいろんな質問をしあいながら作業を進めて行った。エミナは私の今までよりもずっと作業がよく進むと喜んでいる、そういわれると私も嬉しく思えてきます。恩返しに来て、本当によかった。 **-14- [#f347e3b4] 「ところで、ラマッコロクルよ。そろそろ腹が減ったから、食事の用意をしてくれ」 「あの、そういうセリフは冷蔵庫を空にした状態で言わないでください。私は何もないところから食料が出せるような魔法使いではないのですが」 自己管理が下手だとは思っていましたが、やはり……なのですか。こういう所は恩返しに来ない方が良かったと思える…… 「おや、それならば言ってくれればよいのに」 「貴方はジュースをとるために何度も冷蔵庫を開けたでしょう。それで気がついて下さい」 こんな漫才のようなやり取りが、本当にあるなんて常軌を逸しすぎている気がします。 「ふむ、確かにそうだな……あと一日でシネに試作コードを試してやれるところまで漕ぎつけたというのにな……このまま買い物に行くのはいささかもったいないな」 さて、そんな事を言いながらエミナは考え込んでしまいましたが、どんな迷案が飛び出してくるのやら…… 「ふむ、では仕方がない。スタリ用の缶詰でも食すとするか」 「いや、あれ……おもに肉食ポケモン用のポケフーズでしょう? ていうか、スタリ用って自分で言っていますし……」 「大丈夫だ。あれはあれで、避難民の配給食などよりよっぽど美味いと聞くぞ。というか、スタリ用の缶詰は私が食べてうまいと思ったものを選んでいるからな。 あぁ、地下収納で保存しているから冷たくなっているからな。缶詰のまま電子レンジで加熱することはいけないから皿に開けて温めなくてはな。頼んだぞ」 スタリから聞いた時は信じられないと思いましたが、やっぱりこの人常軌を逸しすぎています。こういう事をやっているうちにスタリの餌までが尽きてしまった事もあるとかで……スタリが趣味にしている狩りもその時に切羽詰ったから覚えたと彼は言いますが……納得ですね。 スタリがしっかり者になる理由もわかる気がします。同時に変わり者になる理由も……ですが。 こんなエミナですが、私への気遣いは何があっても忘れない……私がこの家に来てから最初に街へ行く時は家で待機を命じられましたが、今は最高級のゴージャスボールに入れて持ち歩いてくれますし、インスタントホイコーロや&ruby(ミルクジャム){ドゥルセ・デ・レチェ};もきちんと買ってきてくれますし……だらしないけれど、本当に悪い人じゃないのですよね。 それだけに……辛い。 彼女はやはり紛れもなく天才……いや、鬼才ですが、このペースで人間の感情を作るには後50年以上は完成に時間がかかる。私が彼女の周りを飛び回り、力を行使すれば一息に完成させられるほどの閃きを彼女に与えられる……けれど、それは普通は許されない。 許されるためには『自身の能力でオーバーテクノロジーの知識を与えた者に対し、自分が接触した記憶を一切残してはならない』事が原初の神より与えられた条件だから。 もし、私が彼女に新しい『モノ』を生み出すひらめきを与えるならば、彼女と私が共同生活をした記憶を全て消さなければならない。今更、彼女の記憶を消してしまう事なんて、私には出来ない。私は……家族の一員になったような気がして、もう彼女たちと離れたくなくなっているから…… &size(18){ ◇}; スタリから狩りの誘いを受けた私は、誘われるがままについて行った。その時私は上の空で、狩りに集中できていないのは誰の目にも明白で、それをスタリに見破られて、気がつけば私は悩みを洗いざらい話していた。 「私……もうどうすれば良いのか、分かりません……私、エミナさんの記憶を消したくないです」 『'''そっかぁ……それを御主人に話したらしたら何と言うか、寂しくなりそうね'''』 私は、スタリの言葉にしばらく言葉を返せなかった。 「それってつまり……エミナは、記憶を消して目的を果たすのと……私と一緒にいるのを天秤にかけた時……ほぼ確実に『記憶を消して閃きを得る』方を選ぶって……事でしょうか?」 『'''御主人ね、めったに涙を見せないわ。でも、私にだけは愚痴も泣き言も打ち明けるの……ポケモンはどうせ喋られないからってタカをくくっているのでしょうね。そんなご主人がね、漏らしてくれたの。自分が子供を作れない体になった時……まだ彼氏もいなければ男性経験も無いというのに、一生独身かもしれない癖に、盛大に泣いたそうよ。それで、この研究を立案して、それに賛同が得られなくって……現実逃避するように&ruby(シンオウ){ここ};へ来た。その時私は、生後2カ月で電柱に張り付けられた里親募集の張り紙を通じて出会ってね……今話しているのもその時に漏らしてくれたお話''' '''でも、研究を始めて5年目……だったかしらね。ソースコードだとか言う訳の分からないものの新しいバージョンを作り始めてから2年ね。この研究を生きているうちに完成させるのは多分無理だって悟っていた……'''』 主人との出会いを懐かしみながらスタリは続ける。私は、何も言い返す事が出来ずにその言葉をただ聴いていた。 『'''悟って、それでも意固地になって『なあに、奇跡が起これば完成させられない事はないさ』と言って……主人はあの家の作業室に籠り続けた'''』 奇跡が。奇跡ってそれは…… スタリが立ち止り、私の閉じられた目をまっすぐに見る。 『'''そして今、貴方に出会うという奇跡が起こった。まだ、御主人は貴方のことをただの賢いポケモンとしか認識していないと思いますけれど……別れが辛いならば、ご主人には話さない事ですよ……ほぼ確実に、御主人が選ぶ道は決まっていますから'''』 確かにそうなのであろう。エミナはきっと、私と一緒にいる道を選びはしない。だとすれば……私が恩返しとして彼女へ報いるためには、彼女の記憶を消して閃きを与えることが正解なのでしょうか? 分からない……いや、私が考えてわかるはずもないのだ。恩を受け取るべき人間に聞くのがきっと一番早い。 けれど……私はエミナと一緒にいたいのに。暗にそれを許さないと宣告するであろう彼女の返答が私はひたすら怖くて、何も手につかない。この日私がスタリの狩りを手伝う事はとうとう出来なかった。 **-15- [#ifcb309d] 「ほう、そんな力を持っていたのか。『ユクシーが飛び回ったことで、人々に物事を解決する知恵というものが生まれた』という伝説が残るだけの事はある……意外と高い能力の持ち主なのだな」 私が、こうしてエミナに全てを話そうと思った理由は、アグノムに笑われないためにも……という初志貫徹の誓いからだけではないでしょう。彼女の幸福の形が子供を産むことでしたら……私の幸福の形が、エミナの幸福によってもたらされるのでしたら……こうすることが一番良い方法だと思いましたから。私は、辛いですが……エミナが喜ぶのならばそれも良いかと思う自分がいます。 **-15- [#h048af95] 「ほう、やはりお前はそんな力を持っていたのか。『ユクシーが飛び回ったことで、人々に物事を解決する知恵というものが生まれた』という伝説が残るだけの事はある……メロンパンのような見た目に反して意外と高い能力の持ち主なのだな」 私が、こうしてエミナに全てを話そうと思った理由は、アグノムに笑われないためにも……という初志貫徹の誓いからだけではないでしょう。彼女の幸福の形が子供を産むことでしたら……こうすることが一番良い方法だと思いましたから。 私は、辛いですが……エミナが喜ぶのならばそれも良いかと思う自分がいます。 「しかし、それを話すのは……勇気が必要だったろうな。私はね、お前達神々の事情については詳しくないし、もし私から今のお話を持ちかけてしまえばお前を追い詰めてしまうような気がした。それだけではなく……私がお前に『恩返しをするつもりならば、このコードを完成させてくれ』と言い、もしお前が私をおいてけぼりにする勢いで完成させてしまったら……それでは、私が子供を生み出した事にならない。 私の手で子どもを産みたいのだから、それでは意味がないからな」 「でしたら、私が閃きを与えてしまっては……それも意味がないのでは?」 「しかし、それを話すのは……勇気が必要だったろうな。私はね、お前達神々の事情については詳しくない……『ユクシーが宙を飛びまわれば、モノを生み出す閃きを与える』どうのこうのと言う伝説は知っていたが……もし私からそのお話を持ちかけてしまえばお前を追い詰めてしまうような気がしたから、私からは言えなかった。 それに……私がお前に『恩返しをするつもりならば、このコードを完成させてくれ』と言ったりなんかして、もお前が私をおいてけぼりにする勢いで完成させてしまったら……それでは、私が子供を生み出した事にならない。そう言う事もあるだろうからと思って……このコードの開発はお前が自発的に手伝うに任せたが……いやはや、本当にそんな能力を持っているとはな」 「でしたら、私が閃きを与えてしまっては……それも意味がないのでは? 自分で生み出したことにはならないのでは?」 「そうだな。ふむ、確かにそうかもしれないが……『お前がキーボードを叩いて完成させる』のと、『お前から与えられた閃きを私が受け取り、自身の知識と合わせて私がキーボードを叩き完成させる』の……似ているようで違うと思わないか? 前者は、お前が完成させ生み出した事になるだろう。だが……後者は、何かに似ていないか?」 「何か……ですか?」 私は見当がまるで付かずに、オウム返しに尋ね返しました。 「『子作り』だよ。男から与えられた精子を受け取り、自身の卵子と組み合わせて女が腹を膨らませ子を産む。これと似てはいないか? そうだよ、私は大切な事を忘れていたのだ……子作りとは本来二人でするものだとな。 お前は無条件で人間に技術を与えることはできない。人間はお前なしでは技術を生み出す事が出来ない……まるで男と女だ……だからな、私は思うのだよ。 ラマッコロクル……お前がユクシーの力を行使することこそが、このプログラムの完成への最も自然な道であるとな」 お前は無条件で人間に技術を与えることはできない。人間はお前なしでは技術を生み出す事が出来ない……そう、一つだけでは何かを為せないのは子作りと同じ。だからな、私は思うのだよ。 ラマッコロクル……お前がユクシーの力を行使することこそが、このプログラムの完成への最も自然な道であるとな……いいじゃないか、自然な形なら」 あぁ、ついにエミナはその言葉を言ってしまいました。でも、それにまるで反論できない不甲斐ない自分がいます……それとも反論できないのではなく納得しているのでしょうか? 分かりません…… 「でも、記憶を……貴方は、私との記憶を……」 「ふむ、案ずるな。悩む事が恥とは思わない……今日の夕食をどうしようかと悩むよりもいいことだと思うぞ。私一人の人生を……いや、もっともっと多くの者の人生を狂わせかねない決断だ。悩まない方がおかしい。 それにな……私も、お前がいる生活は好きだ。このポリゴンに感情を与える機構を作った後に私の生活のリズムが改善されるとは限らない。そう考えると、お前がいてくれた方が長生きできるかもしれない。 それにポケモンが夫というのも悪くないな。しかもそれが神と呼ばれるポケモンならば尚更だ。『人と結婚したポケモンがいた。ポケモンと結婚した人がいた。昔は人もポケモンも同じだったから普通の事だった』シンオウにはこんな伝説もあるくらいだ。 お前の一生分を私は救った。ならば、お前は私の一生分の恩を返すのが筋というものだ。では、一生分の恩とは。どうやって返せばよいのか……私を残りの一生分幸福にするか、一生かかっても叶えられない夢をかなえてやるか……2倍長生きさせるか。正解かどうかは価値観によるであろうが、私は大体こんなところだと思っている お前が出来るのはこのうちの前二つかな? 私への恩返しについて考えているのであれば……どちらでもよい。お前の好きな方を選べ。私は、どっちを選んだとしても私は構わんぞ。 お前の一生分を私は救った。ならば、お前は私の一生分の恩を返すのが筋というものだ。では、一生分の恩とは。どうやって返せばよいのか? 私を残りの一生分幸福にするか、一生かかっても叶えられない夢をかなえてやるか……2倍長生きさせるか。どれが正解かは価値観によるであろうが、私は大体こんなところだと思っている。 お前が出来るのはこのうちの前二つかな? 私への恩返しについて考えているのであれば……どちらでもよい。お前の好きな方を選べ。どっちを選んだとしても私は構わんぞ。 なぜなら、私はお前のその気持ちが嬉しいのだからな」 ぴしゃりと言い放ち、エミナはまたパソコンへと向かっていきました。私は、浮きつくしていました。 まだ。一ヶ月かそこらの付き合いしかないというのに、どうしてこんなにも気にかけてしまうのか。どこか似ているところがあるのかもしれないとエミナは言いましたが、それだけでは説明がつかない。 だとしたら……エミナもスタリも私も認めてしまっている、『私達は家族である』と、言う認識が気にかけさせているのかもしれません。 思えば私は……この日々を忘れることはないというのに、エミナは忘れてしまえる。そんなの不公平だ。けれど……エミナが幸せならそれでいいと思える自分もいる。そして、それに踏み切る事が出来ない私は……未熟者なのでしょうか? それとも、当然のことなのでしょうか? 分からない…… 「私は……こんな能力を持たなければ……悩む事なんてなかったのに」 私は、いつの間にか泣き言を吐きだしていた。防音壁で周囲から隔絶されたこの部屋は恐ろしく静かで、自分の声がよく響いた。気がつけば、エミナがキーボードを叩く音が止まっている。 「自分の体を嘆くな。私は、若くして禿げ頭の女性になっても、子供が産めない体になってもあきらめなかったのだぞ。ラマッコロクルよ……お前の頭に詰まっているのはメロンパンではなく味噌だ。 「ラマッコロクルよ。いいか? 自分の体を嘆くな。私は、若くして禿げ頭の女性になっても、子供が産めない体になってもあきらめなかったのだぞ。ラマッコロクルよ……お前の頭に詰まっているのはメロンパンではなく味噌だ。 だから、私の言った言葉の意味が分かるはずだ。嘘いつわりのない正直な気持ちとして言うぞ。聞く準備は出来ているか?」 「……はい」 私も、嘘偽りのない言葉で頷いた。 「私は私の幸せを喜ぶ。お前はお前の幸せを喜ぶだろう。そして……私はお前の不幸は嫌だし、お前の幸せは嬉しい。お前もきっと同じなのだろうな……だからこそ、私は……お前がどちらの道を選んでも構わないのだ。お前が私の記憶を消すことで不幸になっても……私は素直には喜べないからな。例えお前の存在を忘れるから後味は良いとしても、なんだか釈然としない。 「私は私の幸せを喜ぶ。お前はお前の幸せを喜ぶだろう。そして……私はお前の不幸は嫌だし、お前の幸せは嬉しい。お前もきっと同じなのだろうな……だからこそ、私は……お前がどちらの道を選んでも構わないのだ。お前が私の記憶を消すことで不幸になっても……私は素直には喜べないからな。私はお前の存在を忘れるらしいから、後始末が良いとしても……今、この瞬間においての私はなんだか釈然としない。 私も……少し意外だったぞ。以前の私ならば……迷わず『閃きをくれ』と言っただろうにな。なるほど、これが愛なのだろうな。『愛は予想外、愛はイレギュラー』……とな。ふむ、私は私自身がイレギュラーであるためにイレギュラーに強い存在だと思っていたが……どうやら、私もイレギュラーに弱かったようだ」 私は、溶けるように胸のつかえがなくなっていくのを感じていた。 そのエミナの言葉を聞いて私は、溶けるように胸のつかえがなくなっていくのを感じていた。 **-16- [#zdb7d0cd] 「やっぱり……ユクシーなんかに生まれなければ良かったですね。生まれ変わるなら他のポケモンになりたい……」 気の抜けた声色で、私はそんな事を呟いていた。エミナは黙ってキーボードを叩いている。 「ねぇ、エミナ。貴方は生まれ変われるなら何になりたくないですか?」 「……そうだな。まぁ、生まれた喜びを感じられるものなら何でもいいから、特に要望は無いかな。ミツハニーは女王に仕える事が喜びで、男全般は女に種付けをする事が喜びで……」 身も蓋もねぇ!! もう少し風情のある言い方をしてください。 「そして女は子供を産み、育てる事が喜びだ。そうだな、ニドクインにはなりたくないかもしれないが、その他であればユクシーになろうとキュウコンになろうと構わないと思うぞ。もちろん、人間でもな。私からは以上だ。ところでラマッコロクルよ。君がポケモンに生まれ変わるなら決してなりたくないポケモンは自身の種族であるユクシーだと言ったが……そう思った理由はなぜだ?」 エミナ……貴方の答えは、ものすごく突っ込みどころ満載でしたが。要は何に生まれ変わってもなるようになる、生きたいように生きる。だから何でもいいという、とても納得しやすい答えでしたね。だから、私も納得しやすい答えを用意しておきました。 「胎内で殺し合いをしてから生まれてくるキバニアや、自分以外の生まれ遅れた王台の女王候補を殺さねばならないミツハニーの雌はなりたくありませんね。そういう風に、分かりやすい理由で生まれ変わりたくないポケモンは数あれど……私が一番生まれ変わりたくないポケモンと、その理由なんて決まっているじゃないですか。 愛する家族の記憶を消して、別れなければいけない人生を歩むことになるかもしれないからです」 「そうだな。確かにユクシーは私達のようなシチュエーションでは辛そうだ……ふむ、生まれ変わりというものが、もしあるのならば、参考にしてみよう」 投げやりになったわけではないのに、なんだか私の心はひどく落ち着いていて……もっとエミナと会話を楽しみたいとか、そんな風に思うばかりだ。でも、そう……気分が乗っているうちに色々楽しんでおいたほうがいい。きっとそうに違いありません。 「なんだ、エミナさんって生まれ変わりとか……以外とロマンチストなのですね。生き物の感情を数値にしたり、あまつさえそれを再現しようとか言う蛮勇振りを誇っているのに」 私の言葉にエミナは鼻で笑う。まぁ、そんな反応だと思っていました。 「そうでもないぞぉ。例えば、人間は空を飛べないがポケモンは空を飛べる。それが覆される日をだれが想像した? 外に出てみろ、顔をあげれば飛行機が飛んでいる。身近な例でもそうだ……例えば野球で一試合全打席ホームランなんて記録を打ち立てるのは不可能だと思わないか? しかし、それを成功させる事が出来ると言うのはロマンなのだよ。 私のやる事だってそうだ。今まで生物にしか持ち得なかった感情をバーチャルポケモンのポリゴンに持たせる……それがどれほどのロマンなのか。『夢は夢のままのがいい』という意見は否定はしない。感情を数値に表すなんてなんだか幻滅という意見も否定しない。 だがな……不可能を可能にする事をロマンじゃないとは思えない。故に私は、ロマンチストなのだ。生まれ変わりについてだって、存在しない……ことを証明する論文が発表されたわけでもあるまい。だから……在ってもいいと、私は思うよ」 何と言うか、こういう他愛のない語り合いは……本当に貴重なものだったのですね。知識ばかり知っていて、私が知らなかった大事な大事な嬉しいという感情を……愛という感情を貴方は与えてくれた。 また、恩返ししなければいけない内容が増えてしまったではありませんか。ですから……その……その恩を返すためには、私は私の能力を駆使しなければならないと思うのです。 どれほど、語り明かしたでしょうか。キーボードを叩きながらでも会話を続けれらるはずのエミナが、いつの間にか画面から目を離して椅子をこちらに向けて喋っている。それだけで不思議な感覚だ。 寒くて、手がかじかんできた様子でエミナは袖の中に手をひっこめ体育座りをし始める。それを見計らったかのようにスタリが現れて熱風で部屋を暖める。スタリはそのままひとしきり眠ったかと思うと、お腹がすいたのか防音の扉を開けて出て行った。その時一瞬見えた空は……話し始めた時が夕方だったというのにもう朝だ。 意外と時間がたっていた事に気がつくと、私は眠くなってきてしまいました。……そのまま起きて、また他愛もない話をして……なんて惰性でこの生活を続けるなんてことはしてはいけない。 ですから、そろそろ終止符を打ちましょう。これ以上この家に居ても、きっと辛くなるだけですから 「はは、それにはあと百年はかかるんじゃないか? ……おや、どうした。急に俯いたりなどして?」 豚型ロボットアニメでがよく使われる何処へでもドアの実用化についての談義をしている時に、私は決心した。 「エミナさん……単刀直入に言います。私の目を見てもらえますか?」 エミナは少し寂しそうに。そして嬉しそうに笑う。どうやら覚悟は決まっていたようですね。 「あぁ、もう終りなのか? ふむ、以外とつれないのだな、ラマッコロクルは……」 「そうかもしれませんね……でも、これくらいがちょうどいいと思うのです……長くいたって、別れがつらいだけですから」 「ふふ……もう少し話していたかったが、記憶は消し去られてしまうのだったな。では、私はこれ以上話しても私は意味がない事になる……が、お前はそれでも満足なのだな? いいのだぞ、もう少し話していても」 「えぇ……」 迷いなく私は頷いた。私も寂しくないわけでは無いけれど……それでも、この人は嬉しいと感じてくれました。 エミナが嬉しいという感情を感じている事が分かったのは、肌で実感できたのもあるけれど……さりげなく感情メーター(正式名称が長すぎて覚える気にならない)を作動させて、その感情の揺れ方を調べていました。いつもはポリゴン2に使われるそれで感知したエミナの感情は、嬉しい。 だからきっと信用できるデータです。エミナ曰く、『あれは、ラルトスレベルの感知能力しかない』と言っていたのに……それでもあれだけ揺れてくれたのです。トイレに行った時にそれを見て、私はそれがたまらなく嬉しかった。勿論『寂しい』という感情もきちんと機械は感知していましたけれど……それはきっと私の目を見れば寂しさは忘れてもらえるから大丈夫。 そして、ポリゴンの新バージョンを作れれば、きっとエミナはもっと満たされてくれるはずだから。私などいなくても、彼女は満足してくれるでしょう。 「ふむ……それなら、まぁ、いいか。目を開けてくれ。ラマッコロクル」 だから、私は貴方に能力を行使して、その後を全て貴方に託します。二度と会うこともないでしょうが、ありがとう。エミナの姿が涙ににじむ。私の眼をまじまじと見つめるうちに、ぱたりと倒れたエミナの周りを飛んで、私は彼女に奇跡ともいえるような閃きを与えた。 さよなら &size(18){ ◇}; 私達に家族が4人増えた。 「&ruby(1){シネ};・&ruby(2){トゥプ};・&ruby(3){レプ};・&ruby(4){イネプ};・&ruby(5){アシク};……全員健康状態も精神状態も良好。感情メーターも元気いっぱいに稼働しているな」 本当は、もう一人いるはずだったのだけどその家族とはお別れしてしまったのが残念でならないね。ラマッコロクルが私の記憶を消していかなかったのも何故なんだか……? まぁ、良いわ。 今でもラマッコロクルの事は思い出しちゃうけれど……今の家族は形こそポリゴン2のまま変わってはいないけれど……確かな感情を備えた生命体だから結構楽しいし。 思えば、この5人が感情を持ち始めてから御主人は自己管理もある程度出来るようになり、寝食の時間帯はある程度規則的になっていったからいいこと尽くめだ。 「だが……やはり現状のポリゴン2ではナノマシンも量子コンピューターも処理能力不足だな……まだ感情はひどく不完全だ。まだ改良の余地がある……が、流石に一人では難しい。と、なればここであれを使わない手はないな。そうは思わないか、スタリよ。そして息子達もな」 相変わらず、御主人は何を言っているのかよくわからないけれど、何か迷案を思いついているような気がするのはなんとなくわかる。 「お前らに使った、まだ誰にも公開していないナノマシンの新技術の特許を無料で引き渡す代わりに、色々な条件を飲んでもらうというカードを切るのだよ。かつての同僚及び、その会社のお偉いさんを相手にな。 あれの特許を取れば、私は一生遊んでいられるだろうがな。だが、私はお前達息子のためにそれを投げ捨てて、金よりも大切なものを手に入れようと思っているのだよ。どうだ、スタリは関係ないから喜ばなくても構わんが、他の5人は喜んでも構わんぞ」 ふふ、前半は何を言っているのかは全く分からなかったけれど、お金よりも大切なものを手に入れるために色々やると言うのは分かったよ。それって、家族の心がもっともっと本格的になるってことなんだから、私も喜んじゃうよ。 ポリゴン達も「すげー」とか「俺達パワーアップゥ!!」とか言いながら、皆が皆それぞれ思い思いの反応を見せていてかわいらしい。 こんなの……今までなかったことだ。これがパワーアップなんてしちゃったら、もっと騒がしくなるんだろうなぁ……ホント、喜ばしい限りね。 「クオゥ」 だから、私は御主人に肯定の意を示すために上機嫌で鳴いた。 「なんだ、スタリ? お前も喜ぶとは意外だな……ふむ、まぁいい。そのためには、この街を離れてカントーという地方に行かねばならない。しかも、シンオウのキュウコンはエキノコークスだとか言う炎タイプの寄生虫がいるとかでカントーに行く前に検疫を受けねばならぬからな、今日はポケモンセンターに付き合ってもらうぞ。 ふむ、そういえば自分自身の検診は久しく受けていなかったな……ガンが再発していなければよいが」 げぇ、ポケモンセンター? それはちょっと嫌なんだけれどな…… 「ふむ、そう嫌そうな顔をするなスタリよ。カントーに滞在中は家を空ける事が多く世話もろくにしてやれない上に、シネ達は大学へ同行せねばならんからな、その間は育て屋に預けるから嫁探しでもするとよい。なぁに、心配はいらん。この世にはベルクマンの法則というものがあってだな、カントーのキュウコンは皆お前より小さいから、きっと育て屋で大威張り出来るぞ。雌にもモテるのではないのか? 他にもアレンの法則というのもあるが……まぁ、いいか。 ふむ、まだ不満そうな顔だな……あぁ、そうだ。良い事を考えたぞぉ」 大威張りや雌にモテるのは美味しい思いが出来るからいいとして……育て屋って何かな? それよりも、また何か迷案? 「インスタントのホイコーロやミルクジャムを買って、エイチ湖にお参りに行こうではないか。私が去年の冬に思いっきりいい案を閃いた時は、知識の神様の御加護の一つや二つもあったような気がするからな。実際にユクシーの夢まで見てしまったものだぞ……そういえば、ミシンは穴の開いた槍に襲われた夢を見て完成形を見出し、ベンゼンの構造は尻尾を咥えてグルグル回るハブネークを見て思いついたのだと言うな。それと同じような物か。 私が買っていくのは、同じように夢を見た時、夢の中でユクシーが好物であると宣言した食料だ。そんな夢まで見せられた以上、お供え物の一つくらいしないと罰が当たる。どうだ、スタリよ? 久々に私と遠出しようではないか」 御主人にとってはあれで遠出なのかぁ……ま。うん、それにしてもユクシーの記憶を消す技はすごい技だけれど、完全じゃないのか、それともユクシーが見せた人為的な夢なのかは知らないけれど……記憶がそのままの私には、こうやって出会えるチャンスが巡ってきたのはすごく嬉しい。 ポケモンセンターでの健康診断だか何だかという負のおまけつきではあるけれど、負のおまけがその程度ならお釣りがくるくらい嬉しい。 「クオゥ、ウォウ」 だから、私は御主人の提案に嬉しいと意思表示するために上機嫌で鳴いた。 そうして、私はポケモンセンターでの検疫……とか言うのを終えて、その次の日にはエイチ湖へ。春先のエイチ湖は来年の受験に備えての願掛けをする者や、受かった事の報告のために来た者が多い。 受験など関係のない私には、景色を楽しむ場所でしかないけれど、私の心は景色に向けられてはいなかった。 ユクシーが魂を湖の底から飛ばして姿を見せる事は今までも何度かあったことらしい。けれど、ユクシーの本体が出ると言うのは本当に珍しい事らしい。ならば、ユクシーが私のもとに翔けてきて、一介のポケモンに話しかけると言うのはどれだけ珍しい事なのかな? 「なんだ、このメロンパン。随分と人懐っこいではないか?」 『御主人は幸せかしら?』 ポケモンにしか分からない上に、かなりの小声でラマッコロクルは私に尋ねた。私が黙って頷くと、ラマッコロクルは目を閉じていても微笑んでいると分かる表情をして、おまけにエミナのバッグに入っていた二つの好物を奪い、それを抱いて湖の底へ潜って行った。 あっけにとられる観光客の横で、主人は冷静であった。 「む、なぜバッグの中にこれが入っているのがバレたのだ? しかし、まさかお供え物を盗んだ相手が供えるべき相手だったとはな……これは供える手間が省けて助かるという、稀有な強盗の例だな。それに、お供えを渡すべき相手に直接渡せた事で、エテボースや神社の従業員のエサにならずに済んだのだから好都合この上ない」 まぁその通りなんですが、面白い解釈をするよね……御主人は。でも、不機嫌じゃないみたいだしまぁ、いいか。 「ところで、スタリよ……あのユクシーと何か話していたような気もするが……知り合いか?」 うん、その通りよ。だから私は、その言葉の意思表示のために鳴こうと思う。今のラマッコロクルと私達のやり取りで騒然とした民衆にも負けない声で…… 「クオゥ!!」 と鳴く。 「なんだ、知り合いか。有名人とコネを作っているとは流石スタリ、飼い主に似て優秀だな」 そう言って笑った主人の顔が、私は何よりも嬉しかった。 **後書き [#y931d197] ***タイトルについて [#z9f42591] 今回の作品ですが……『タイトルに偽りあり!!』ですねw 物語が終わった時点ではまだ怪しいパッチは完成していません。エミナはこの時点ではおかしな行動を行うプログラムを開発しただけであり、この物語の後で異次元でも活動できる機構を得て変形する事で処理能力も上がり、晴れて完全な感情を得ることが出来るような事を言っております。 完成させなかったのは、流石に一人では無理なことがたくさんあるだろうことも一つの理由ですが、それ以上に怪しいパッチの製作者は完成直後に死ぬと言う私の認識によるところが大きいですね。道具の説明が『製作者不明の怪しいパッチプログラム』なので、そういう認識になってしまいました。 子宮ガンという設定は研究の目的にも、ガンの転移による死因にも繋がると言うわけです。ですので怪しいパッチの完成まで書くとすると、エミナがガンによって弱っていく過程を書くことにもなるでしょうし、病院が舞台ではハピナスやラッキー以外のポケモンが殆ど出せる気もしないから非常につまらなくなり、なおかつ暗いので…… そのため、死亡フラグがいくつか立っている程度に留めてあります。 ***キャラについて [#cb32f59b] ――スタリ さて、今回ポケモンの名前は全員アイヌ語ですが、スタリの名前の由来は唯一説明されていませんね。スタリはそのまんま『狐』と言う意味です。 スタリの役回りは、ラマッコロクルとエミナだけだと絶対に息が詰まるので、物語の大筋には必要なくとも萌え要員や息抜き要員に登場させました。暖房代わりなので燃え要因でも間違いではないかもです。 最初は感情を作るという目的からキルリアも考えましたが、主人がだらしなければ暖房用の灯油もよく切らしそうなので炎タイプに。ポケダン赤青の影響か、個人的にもっともシンオウ地方に似合うキュウコンを起用しました。神通力が便利なことも理由の一つですね。口調が女だけれど、『彼』というセリフや『雌にモテる』という発言から、一応男です。 ――ラマッコロクル そして、ラマッコロクル。怪しいパッチを開発するのに関わるポケモンはメロ……ユクシーしかいないということで、こっちは簡単に決定。 恩返しに至る過程は物語で説明されたとおりに。目を開けるときは向きに気をつけたりするなど、やたらアクションが面倒なポケモンでした。 これを書いているときにトリビアの泉の景品としてもらえる金の脳がメロンパン入れになっていたのをなんとなく思い出しました。だからなんだって話なのですが、やっぱり頭がメロンパンみたいなポケモンだと思います。 しきりに他のクラゲを気にしたりするなど、微妙に種族意識は高い様子。エムリットにしかできない事も簡易感情メーターなる機械で補うなど、知識ポケモンらしさは出せた……というよりか出しすぎました。&size(5){ミュウツーには負けるけれどね}; ――エミナ 今回の主人公ですね。ハゲていてカツラをかぶっている事は誰も気にしてくれませんでしたorz 40代の女性がハゲているって結構珍しい事ですからね……注目して欲しかったのですがw もっとうまく伏線を張れるように精進せねば…… さて、この主人公異常なまでに生活感が薄く、食料を切らしたらまずスタリのエサに手を出します。犬の缶詰って結構うまいんですよ~……と、実際に食べてみた私が言ってみます。ドライフードは美味しくないのですけれどね、缶詰はそれなりですよそれなりw そんな生活をしているせいか、スタリは変わり者且つしっかり者に成長……と。ポリゴンの感情が完成してからは規則正しくなったので、元はそこまで不健康な生活をしていたわけではなかったわけですね。 ***この物語を描いたきっかけ [#jb098215] 16の冒頭のセリフ「やっぱり……○○なんかに生まれなければ良かったですね。生まれ変わるなら他のポケモンになりたい……」このセリフが頭に浮かんできたのですが……セリフを言ったキャラは本気で悲しんでいる様子がない。そんなイメージが突然頭の中に湧きました。当初とはかなりセリフが変わっていますが……『生まれ変わるならば~~』という流れは最初からあったものです。 後は、とあるチャットルームにて情報系の話が錯綜していたところからポリゴンZのイメージ。その開発の風景と上記のセリフのイメージが繋がって、このお話の流れが出来上がりました。修正を大量に加えたとはいえ4万字越を1週間足らずで書き終えたので、私は勢いが大事みたいです。 **端書&コメント [#c0680b61] ---- 短編……と言いつつ中編くらいの長さになります。今日から一日一回、16日連続で更新しようと思います。どうか最後までお付き合いお願いします。 12/3:台詞長ぇ……。どうでもいいことだけれど、『愛のコッペパンチ』という同人誌を読みたいです。 12/4:今日はパソコン使えないために有言実行するべくこんな時間(午前5時)に更新。あらかじめ休むといっておけばよかったかな。 12/9:ポケモンレンジャーの対ディアルガ戦のパロディを。あれは怖かったぁw 12/10:人間が服を脱いだらこのサイトではエロフラグだなんて知らない。っていうか、四十路女性のエロなんて需要ないだろうしw 12/13:日付が一カ月ほど間違っていても気がつかなかったorz 次回の更新で最終回となります 12/14:完結となりました。 ---- #pcomment() IP:223.134.160.149 TIME:"2012-04-03 (火) 20:14:00" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E6%80%AA%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%81&id=ifcb309d" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/5.0)"