ポケモン小説wiki
幸せの在り処 の変更点


*幸せの在り処 [#sf8f6c40]
writer――――[[カゲフミ]]

 僕がふと顔を上げると、部屋の中にうっすらと赤みを帯びた光が差し込んできていた。
正面にある窓にはブラインドが設置されているとはいえ、隙間から入ってくる光だけでも少々まぶしいくらいだ。
机の上に置かれた本は開いたまま。どうやら僕はまた読んでいる途中で居眠りしてしまったらしい。
空いていることが多いからいいけど、もし混んでいたら図書館の人に注意されてもおかしくない。それくらいの頻度で寝ているような気がする。
今日僕が読もうとしていた本は木の実図鑑。それぞれの木の実が写真入りで、育て方や利用法などが詳しく解説されているというもの。
文字だけじゃなくて写真が入ってるなら読みやすいかなと思って手に取ってみたのはいいけれど、結局このざまだ。本によだれを垂らすようなことがなくてよかった。
どうも僕は何時間も読書に没頭するのが苦手らしい。読書が嫌いなわけではなく、毎日少しずつ読み進めていくのが性に合っているのだ。
今のところはこれと言って興味ある本もないし、今日は何も借りなくていいか。さて、図鑑を元の場所に戻してこないとな。
僕は椅子から立ち上がって軽く伸びをする。睡眠をとったおかげでなんだか頭がすっきりだ。
これは図書館で感じるべきことじゃないよなあと自問自答しながら。図鑑が並べられている本棚の場所まで歩いていく。
いくつも並んでいる六人掛けの四角い机もがらんとしていて、ぽつぽつとまばらに人がいる程度。閉館時間が近いのだから無理もない。
おや、そういえばセネはどこにいるんだろうか。本を棚に戻したのとほぼ同時に僕は気が付いた。
本が大好きな彼女の要望で良く図書館には来ているけど、お互いに読みたい本の種類まで一緒になることは少ない。
そういうわけで、入館してからはそれぞれが別々に好きな本を読むことがほとんどだった。
きょろきょろと周りを見渡してみても彼女らしき姿はどこにもない。確か、今日はあんまり物語を読みたい気分じゃないって言ってたか。
ベストセラーの小説や新作小説が置いてあるのは一階。図書館に入ってすぐの目立つところに配置されている。
セネは割とその場所にいることが多いのだけど、彼女は幅広いジャンルを読むのでいつもそこにいるわけではなく。きっと今日も別の分野の本を読んでいると思われる。
一階にいないとなると、残るは二階か。僕は一階の受付の隣にある階段を上っていく。
大きな図書館ではないので二階までしかなく、誰かを探すときに困ることはなさそうだ。
人の数は二階も大して変わらず、そのおかげでセネをあっさり見つけることが出来た。一番奥の机で本を閉じたまま頬杖をついている。
椅子に座って肘をつく、なんて動作が出来るのも彼女が人間に近い姿をしているサーナイトだからなのだろう。
サーナイトが少し気だるそうな表情で遠くを見つめて物思いにふけるというのはなかなか絵になる姿ではあるけれど。
それにしても、難しい顔をしているなあ。ひょっとするとまた何か読んだ本に影響されたんだろうか。
彼女は僕なんかとは比べ物にならないくらいのスピードで次々と本を読破していく。そして読んだ本の内容を八割がたは記憶しているというから驚きだ。
おそらくそれも知能の高いエスパータイプだからこそなせる技。読みかけた途中で居眠りしてしまう僕とは雲泥の差。
ただ、読んだ本の内容が次々と頭の中に入ってくるせいか、書いてあることに感化されすぎるきらいがあるのだ。
哲学の本を読んでいたときは、あれこれ聞かれて困惑したこともあった。人やポケモンはどこからきてどこへ行くのか、なんて僕に答えられるわけがないよ。
今回もまたそうなのかなあ。もしそうだったら、今日もまたお茶を濁すような曖昧な受け答えしかできないとは思う。
一抹の不安を感じながらも僕は彼女の元まで歩いていき、声をかけた。
「そろそろ閉館だよ、セネ」
「あ……リベル」
 僕の呼びかけで顔を上げるセネ。やっぱり何となく浮かない顔をしているような気がする。
「今日はどんな本を読んだんだい?」
「この辺りを一通り」
 セネは机の上に視線を移す。ハードカバーのしっかりした本が三つ並んでいた。僕が図鑑の半分で力尽きていた間に三冊もか、さすがだ。
見てみると、幸福論、幸せを知るにはなど、タイトルからして頭が痛くなりそうな本。僕が読み始めたら、幸せじゃなくて夢についての勉強になってしまいそうだ。
「リベル、幸せって何だと思いますか?」
「え……」
「幸せってはっきりと目に見えないですよね。でも私はそれを理解してみたいんです」
 なるほど。今日のセネは幸せについて深く調べてみたい気分だったらしい。きっと今彼女の頭の中は幸せに対する疑問でいっぱいなのだろう。
何の本を読むかはその日の彼女の気分次第で変わる。小説の場合は物語の感想だったり、あるいは登場人物が取った行動の理由などを聞かれることが多い。
それくらいなら僕も滞りなく受け答えできるのだけど。幸せ、か。今日はかなり難しい部類だ。
「そうだねえ……。とりあえず、外に出てから話そうよ」
 ここでお互いの意見を交わし合っていたのでは、間違いなく閉館時間を過ぎてしまう。ことに、今回のようなテーマなら尚更のこと。
彼女もそれは察したのか、僕の幸せに対する回答を気にしつつも席を立って椅子を戻してくれた。
「分かりました。本、戻してきますね」
 机の上の本を抱えたセネの後を僕はついていく。その無言の間にも彼女に対する返答を考えることは忘れない。
僕としては休みの日にこうしてセネと一緒に図書館に出かけて、帰りに本の内容を語り合う。彼女が喋ってばかりいることが多いが、それは置いといてだ。
そんなありふれた日常も結構幸せなんじゃないかと思ってはいる。おそらくセネが望むように白黒はっきりはさせられずとも、幸せってそういうもの。
もちろん僕の独断と偏見ではあった。ひょっとしたら彼女は幸せだとは思っていない可能性も無きにしも非ず。
今の生活で僕に言えない不満があるから本を見せて遠まわしに伝えようとした、とはいくらなんでも考えすぎか。
セネの場合、不服とすることがあればその場で遠慮なく口にするタイプだ。嫌味や皮肉を態度に出すようなことはまずない。
おそらくはそうした立ち回りが出来ないのだろう。知識は僕よりずっとずっと上だけど、柔軟な対応が苦手で小回りが利かないところがある。
優れた知能を持つエスパータイプ故の欠点とも言えよう。読んだ内容に刺激されやすいのもそのせいなのかもしれない。
さて、図書館を出るまでにセネを納得させられる答えは確実に出そうにない。閉館後に図書館前のベンチでまた話し合うことになりそうだな。
彼女の知的好奇心に振り回されていると言えば聞こえは悪いが、僕自身は特に苦痛を感じたりはしていなかったりする。
セネからは僕が考え付きそうにもない意見が聞けることもあって、頭が回らない僕なりに会話を楽しんではいるのだ。
図書館を訪れた後、彼女と話があんまり噛み合っていない議論をする。きっとこれも幸せの一部、なのかもしれない。

      ◇

「目には見えないし形もない。でも、幸せってとても大切なもの。そうですよね?」
「うん……そうだね」
 閉館になった図書館の前。木製のベンチに並んで座り、僕らは幸せについて語り合っていた。
いや、語り合うと言うよりはセネの意見に僕が相槌を打つくらいしか出来ていなかったのが正しい表現なのだが。
そもそも幸せが何なのかを深く考えたことがない僕が、彼女と同じ土俵で話し合うのは無謀と言っても過言ではない。
「どうすればそれを明白に実感できるんでしょうか……」
 実感、かあ。僕が普段意識していないだけで、案外身近なところに幸せなんてものは転がっているように思える。
今、セネと同じ時間を過ごしているこの瞬間も。僕が幸せだと思えば幸せになるし、別に大したことじゃないと思えば幸せではなくなる。
例えば自販機でジュースを買ったときに当たりが出たとする。どうせ大した額じゃないなと感じるか、ただでもう一本飲めてラッキーと感じるかの違い。
ようは本人の捉え方次第で何が幸せなんてものかは変わってくる、というのが僕の持論。
頭の中で結論はまとまってはいる。でも、それをうまく言葉にしてセネに伝えられるかどうか自信がなかった。
自分の考えを要約して相手に伝えるのはどちらかと言えば苦手だ。こういう時にこそ、少しは彼女の頭の回転の速さを分けてほしいなと痛感する。
「そうだねえ。じゃあセネ、君が幸せを感じるのはどんなときだい?」
「え……それは、ええと」
 僕に自分の意見を滞りなく話していたセネの勢いを挫いてしまったのだろうか。
冷静な彼女の表情に少しだけ焦りの色が窺えた。僅かながら目が泳いでいるようにも感じる。
一通りの固まった意見を述べるのは得意。ただ、咄嗟の切り返しに対応しきれない所はあるんだよね。
でもまあ、幸せを探ろうと必死なっているセネにはちょっと意地悪な質問だったかもしれない。
「僕と一緒にいるのは不満かい?」
「いえ、そうじゃないです。そういうわけじゃなくて」
 小さく首を横に振って、否定するセネ。僕に幸せがなんなのかを聞いてきたのは遠まわしに不満を訴えるためなどではなく、単なる興味からだろう。
杞憂かなとも思いつつも、気になっていたので彼女に確かめるような形に。もし何かあったのならちゃんと言ってくれた方が今後のためにも良いしね。
彼女の返答や態度を見る限りでは、僕が心配しているような事柄はなさそうな雰囲気で一安心だ。
「リベルは私のことを考えてくれている良いトレーナーだと思ってます。感謝してますよ」
「それは……どうも」
 嬉しいことをさらりと言ってくれるね。ただ、面と向かって真っ直ぐな瞳で唐突にそんなことを告げられると。
照れくさいやらくすぐったいやらで、どんな反応をしていいのかちょっと分からなくなる。セネが何を考えているのか、何を伝えたいのか。
直接言われる前でも、それとなく察することはできる自負はあれど。今回のような変化球は想定しきれていなかったのだ。
「でも、感謝の気持ちは幸せではないですよね」
 セネの見解はそういうものか。彼女からありがとうの気持ちを受け取っただけでも、僕は十分幸せを得られたと感じていたのだが。
僕からもありがとうと伝えるだけでは、きっとセネは納得しないだろう。こうした幸せをセネに分かってもらうのはどうすればいいのかなあ。
頭を巡らせている間に、ふとある考えが僕の中に舞い降りる。しかし、ひどく突拍子もないやり方だ。
セネが頑張って試行錯誤しているというのに、僕の出した答えがこんな形なのはどうなんだろう。
いやいやそれは何か間違ってるだろという意見と、とりあえずやってみてから考えようぜという意見が頭の中でぶつかり合っていたが。
他にいい案も浮かばなかったので実行してみることに。僕は隣に座っているセネの肩にそっと手を伸ばしていく。
「じゃあ、こういうのはだめかい?」
「……リベル?」
 人間のそれと比べると随分と華奢なセネの肩。僕は静かに彼女の肩を自分の方へ抱き寄せていた。セネの頭がちょうど僕の肩に寄り掛かるような形になる。
僕と体温はあまり変わらない。触れていればお互いの温もりが伝わりあうような絶妙な温度。
突然の僕の行動にセネは驚く様子もなく、黙って身を任せてくれていた。どうしたのリベル、と不思議そうな表情をしてはいたけれど。
僕とセネが肩を寄せ合ったまま、少しだけ時間が流れていく。あまり彼女に触れるようなことがなかったので新鮮な感覚ではあった。
マッスグマやグラエナなどの四足のポケモンと、フーディンやサーナイトなど人型をしたポケモンとでは接し方も変わってくる。
何気なく頭や背中を撫でたりするのは圧倒的に前者の方が頻度が高いだろう。同じポケモンでも雰囲気の違いは大きいのだ。
さて、いつまでこうしていようかなと僕が思い始めたとき。先に口を開いたのはセネの方だった。
「温かいです。ですが、これも幸せとはちょっと違うような気がします……」
「うん、そうなるよね」
 僕は苦笑しながら、セネの方へ伸ばしていた手を引っ込める。彼女も僕から身を離して元の位置へと戻った。
もしも僕らが深い愛を誓い合った恋人同士、あるいは夫婦だとすれば。きっとお互いにこの上ない幸せを感じていたのではなかろうか。
どこか遠い地方の大きな図書館では、昔は人とポケモンが結婚していたと記録された書物が見つかって話題になったと聞いたことがある。
それを考えると、人間とポケモンが一緒になるのは僕が思うよりもずっと身近なことだったのかもしれない。
確かにセネはポケモンの中でもかなり人間に近い姿をしてはいるけれど。やはり僕の感情はポケモンに対するもの。それ以上の気持ちは浮かんでこなかった。
夕暮れ時のベンチで二人肩を寄せ合って、となかなか良いムードではあった。それでも、恋人が隣にいるような感情は即席で湧き上がってくるものではないのだ。
「難しい質問なら無理に答えてくれなくても」
「うーん……」
 以前、哲学書を読んだときのように僕に答えられる範疇ではなさそうだと分かれば。物わかりがいいセネ。さらなる追及をしようとはしてこない。
ただ、あまりにも答えられない分からないばかりだと、僕もトレーナーとしてちょっと情けなくなってくる。
前回みたいにセネが疑問を抱いたまま家に戻るのはなんだかなあ。疑問は一時的なものだから、明日か明後日にでもなればセネもすっきりはしてるんだけど。
僕が詰んだ場合、最悪その解決法に逃げることになる。答えられなくてもセネは別に不満がっている様子はなかった。
しかし、どうしても僕の中に釈然としないものが残ってしまう。今回は何とかしてそれを回避したいところではあるが。
再び考えようとしたところで、僕のお腹の虫の音に中断させられてしまった。これにはセネも少々呆れ顔。
普段使わない方向性の思考をしたせいだろうか。夕飯の時間にはまだ早いのにお腹が減った気がする。
「そろそろ、戻りましょうか」
「はは、すまないね……」
 これ以上座っていても僕のお腹が鳴るだけだと判断したのか、話に区切りをつけてくれたのはセネの方だった。
結局今日も答えられず仕舞いか。出てこないものはいくら粘っても出てこない。無い引き出しは開けられないものだ。
それにしても、一旦意識し始めると空腹感が襲い掛かってくるな。ベンチから立ち上がった僕の頭は既に夕食をどうしようかに切り替わっていた。
幸せについて手探りしていた状態から食事のことへ意識を移した途端。とある方法が唐突に浮かび上がってきたのだ。
もしかすると、これなら上手くいくかもしれない。仮に失敗したとしても、セネが気を悪くしてしまうようなことはないはずだ。
正直煮詰まってた感はある。何か手段があるのならそれを試さない手はない。彼女にはもうしばらくの間、僕の見解に付き合ってもらうことにしよう。

      ◇

 図書館を出てセネを連れて歩くこと数分。もう辺りは薄暗くなり始めていて、街灯や民家の明かりがぽつぽつと灯り始めている。
いくつもの店が立ち並ぶ華やかな商店街からは少し外れた細い路地。僕とセネが横に並んで歩くといっぱいになってしまうくらいの道幅だ。
家から図書館までの道のり以外は、あまりセネに馴染みがない道だ。極力僕から離れないようにしているのが分かる。
最初の狭い交差点は真っ直ぐ、そのまま進むと見えてくる二つ目の街灯を左に曲がると……あったあった。
道が細くて見通しが悪いうえに入り組んでるから、慣れないうちは向かおうとして何度か迷子になったものだ。
「セネ、ここだよ」
「ここは……喫茶店、ですか?」
 そう、セネの言うとおり僕らがやってきたのはちょっとした喫茶店。表通りから少し離れたところにあるのでそんなに目立たない。
この街にある数々の店の中ではおそらくマイナーな部類に入るだろう。僕が昔、商店街をぶらぶらと散歩していたときに偶然見つけたのだ。
普段は僕だけで来ることがほとんどなんだけど、扉から中に入れる大きさならばポケモンと一緒に入ることもできる。
ポケモンセンター以外でポケモンとゆっくり食事がしたい、という人にはうってつけの喫茶店なのであった。
「ポケモン同伴でも大丈夫なお店さ。たまには一緒に外食も悪くないだろう。さ、入ろう?」
 図書館からここに至るまでの僕の行動が唐突に思えたのか、どこか腑に落ちない様子でセネは首を傾げている。
彼女からすれば幸せと喫茶店とに何の関連性があるのだろうかと、そんなところだろうか。僕だって何の意味もなく彼女をここに連れてきたわけじゃない。
僕が咄嗟に思いついた、幸せを探し出すための手段。入る前からネタばらししてしまっては効果が薄れるように思えて。
ちょっとだけ強引に、僕はセネの手を引いて喫茶店の中へと足を踏み入れる。彼女も拒んだりはせずに、僕の後に続いてくれた。
もともとそこまで大きな店ではない。ひっそりと静かに経営している様子。夕食時なのにお客さんは店内にぽつぽつと。
それでも所々にポケモンの姿が窺えるので閑散とはしていない。大通りにある賑やかさはなくとも、落ち着いて食事が出来る利点がここにはある。
ざらっと店内を見渡して、空いていた一番奥のテーブルに僕とセネは向かい合って座った。椅子も机も木で出来ていて、木目が独特の美しさを醸し出している。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
 水とおしぼりを持ってきた若い男性の店員さんが訪ねてくる。僕はお馴染みでも、セネにとっては始めて来る店だ。
喫茶店にどんなメニューがあるのかじっくり選んでみたいかもしれないけれど。僕が喫茶店に来ようと決めたときから何を注文するかは既に決定していた。
「ラボンのスープを二つ、お願いします」
「かしこまりました。ラボンのスープ、二つですね。少々お待ちください」
 彼は僕に軽く会釈をして、新たに注文があったであろう他のテーブルへと移っていった。
セネは興味津々といった様子で店の中をじっくりと見回している。初めての喫茶店、初めての空気、色々と気になるところがあるのだろう。
考えてみればセネと図書館以外の建物に行くことなんてほとんどなかった。図書館にいれば彼女は満足なようなので、あまり行こうとしたこともなかったのだ。
これを機に、セネと様々な場所に出かけてみるのも悪くないかもしれないな。本だけの知識じゃなくて、実際に見て触れることで新しく分かることもありそうなもの。
「静かな雰囲気のいいお店ですね。ちょっとだけ図書館を思い出しました」
 とりあえずこの喫茶店の空気はそれなりに気に入ってもらえたようだ。それにしても、図書館を引き合いに出して店の印象を語るなんていかにもセネらしい。
この店なら図書館前のベンチで話していた時と同じくらいの声でも十分会話できる。人で溢れかえる表通りのお店の喧騒とは無縁だった。
もちろん他のお客やポケモンの話し声も聞こえてはくるにはくるが、僕らの声の伝達を妨げるほどのものでもない。
もちろん他のお客やポケモンの話し声も聞こえてくるにはくるが、僕らの声の伝達を妨げるほどのものでもない。
セネとお互いの意見を交わしながら話し合いを続けるには、少なくともこれくらいの環境は必要になってくる。
「ここなら、幸せが分かるんですか?」
「確証はないよ。でも、もしかしたらきっかけが掴めるかもしれないと思ってさ」
 そのきっかけが何であるかはまだセネには教えていない。含みのある言い方をする僕に、彼女はすっきりしない様子で視線をテーブルの上に落とした。
ここまで来たら種明かしはしないでおきたかった。もうすぐなのだ。僕の説明なんかよりも直接実感してもらった方がきっと早い。
「お待たせしました。こちら、ラボンのスープでございます」
 まるで見計らったかのように、丁度いいタイミングで声が掛かる。店員さんがスープの皿を慎重にテーブルの上に一つ、もう一つと置いていく。
黄色を少し薄くしたような色合いで、ほかほかと湯気が立っている。ラムとオボンを合わせてラボンのスープ。
材料にじっくり煮詰めたラムの実とオボンの実が使われており、ポケモンにも飲みやすい味付けらしい。
僕が初めてこの喫茶店に来たときに安直なネーミングだなあという印象を抱きつつも、当店のおすすめメニューということで注文してみたのだ。
今やすっかりその味が気に入り今や喫茶店の常連客と言っていいほど訪れている。もちろんこの店の他の料理も悪くない。
悪くはないのだが僕の中での一番を一つ選ぶとなると、やっぱりこのスープに落ち着くのだ。
「セネ、食べてみてごらん」
 僕の行動の意図が掴み切れないらしく、表情に疑問符を浮かべながらも。僕の顔をちらりと見た後にセネはテーブルの上のスープに視線を移す。
テーブルと同じく皿やスプーンも木製で温かみのあるデザインだ。僕はスプーンを手に取ると、スープをセネに分かるように掬って見せた。
普通、ポケモンフーズを食べるのに食器は必要ない。おそらくスプーンを使うのは初めてであろう彼女への見本だ。
少々ぎこちない手つきでスプーンに手を伸ばすと、セネは僕がやったのと同じようにスープを掬い取る。
人間と同じように食器が使えるのも人型をしたポケモンの特権かもしれない。まあ仮に四足のポケモンでもエスパータイプなら超能力で難なくこなせそうな感じではある。
「熱いから気を付けて」
「はい」
 セネはスプーンを口元まで持っていくと、吐息で何度か冷ました後口に運んだ。スープを口に含みゆっくりと瞬きを繰り返す。
おそらく、じっくりと味わっているのだろう。自分が作ったわけでもないのに、セネがどんな評価を下すのか。妙な緊張感が僕の体に走る。
「……おいしい」
「よかった。君の口にも合ったみたいだね」
 僕の見立てに狂いはなかったらしい。やっぱりラボンのスープは良いスープなんだ。小さく息をつきながら僕は微笑む。
スープ本来の旨味と塩味の中に、ほんのりとした甘みが見え隠れする。深く煮込まれたラムとオボンとの兼ね合いも絶妙だ。
僕の好きな味をセネが気に入ってくれるかどうかは率直に言って賭けだった。彼女のことはもちろん良く知ってはいるが、味の好みまで掌握しているわけではない。
僕の好きな味をセネが気に入ってくれるかどうかは率直に言って賭けだった。彼女のことはもちろん良く知ってはいるが、味の好みまで把握しているわけではない。
まずは好感を抱いてくれたようで一安心。もしもセネの感想がいまいちだったら話を先に進められなくなるところだった。
「でもリベル、どうしてこのスープを?」
「このメニューなら君にも飲みやすいかなってね」
 僕はスプーンを一旦テーブルの上に置く。前置きが長くなりすぎた感じは否めない。
だけどこの議題はどうしてもセネにこのスープを味わってもらう必要があった。さあて、ようやく本題に移れる。
「セネは今スープを飲んでおいしいと感じただろう? どんな人でもどんなポケモンでも、何かを食べておいしいと感じたそのときはきっと幸せな瞬間だと思うんだ」
 例えばこのラボンのスープの場合。口の中に広がる温かさと旨味、そして喉を通した後からほんのりと存在感を露わにしてくる甘み。
それらを感じ取ったとき、僕の中に何とも言えない安心感と喜びが沁みわたるのだ。
ほんの一瞬で消えてしまう、触れることすら叶わない。それでもなぜだか愛おしいと思えてしまう不思議な感覚。
「幸せの定義が何か、なんて僕には到底説明できそうにないけど……。このスープが僕なりの幸せの形なんだ」
「そうですか。これが、幸せ……」
 テーブルの上のスープを食い入るように眺めるセネ。そんなことをしても幸せがはっきり浮かび上がってはこないよ。
入ったこともない喫茶店で出てきた初めて見るラボンのスープが幸せの答え、なんてちょっとイメージしにくかったかな。
「もちろんこれは僕の意見。絶対的な答えじゃない。一つの考えとして受け止めてもらえればいいよ」
 セネはスープに視線を落としたまま押し黙っている。やっぱり手放しでそうですか、と同意してもらえはしないか。
僕の理論で完全に彼女を納得させられるかどうか、最初からそんなに自信はなかったものの。
一般的にも明確な解答を探すのが難しい幸せの定義。具体的な例を前に解説することで、僕なりに分かりやすくしてみたつもりだけど。
「……実を言うと、まだまだ幸せが何なのか分からないことがたくさんです。でも」
 頭の中で僕の言葉を整頓していたのだろうか。暫しの沈黙の後、顔を上げるセネ。僕と目と目が合う。
ここに来てからずっと、どことなく思いつめたような難しい顔をしていた。その硬さが僅かながら和らいだように感じる。
「このスープのおかげで幸せについて、ちょっぴり分かったような気がします。……ありがとう、リベル」
「少しでも力になれたのなら嬉しいよ」
 セネの感想はかなり曖昧な表現だったけど、それでいいと思うんだ。はっきりした形がなくて触れられない、どこまでもあやふやな存在。
きっと幸せは空気のように周りを漂っていて。ふとした切っ掛けや瞬間に、何となく僕らの心を温かさで満たしてくれるもの。
堅苦しい理論や定義のしっかりした土台を探すより、雰囲気で察知する方がきっと近くに感じられる。きっとね。
「さ、スープが冷めないうちにいただこう」
「はい」
 僕もセネも再びスプーンを手に取って、スープを味わっていく。話している間に飲みやすい温度になっていたみたいだ。
うん、やっぱりここに来たらラボンのスープを注文しないとね。独特の深みのある味わいは僕が知る限り他では得られないもの。
いつしかセネの顔にも柔らかい表情がほころび始めている。よかった、このスープで少しでも彼女が幸せを感じてくれればいい。
今日僕が改めて実感したことは、おいしいものは一人で食べるよりも二人で食べた方が幸せだってこと、かな。

 END
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-あとがき

今回の物語を思いついたのはポケモンではないのですが、とある四コマ漫画を見たときでした。
幸せって見えないから探すの難しいよね、と言われたもう一人がメニューを二つ注文して「今、幸せかい?」と尋ねる。
そしてもう一人は「さっきより、ほんのちょっと」と答える、という内容。
短いながらもなかなか深いな、と思いそこから話を膨らませて小説にしてみました。
幸せについて悩む役は、知能はとても高いけど柔軟な物の見方が苦手という設定でエスパータイプのサーナイト。
幸せを諭す役は、図書館や喫茶店などの施設を登場させなければならないのでトレーナー男に決まりました。
ちょっとした小話のつもりだったのですが、書き終わる頃には一万字越えに。
幸せについて普段使わないような表現をしたので、その辺りはかなり進めるのが難しかったですね。

【原稿用紙(20×20行)】31.6(枚)
【総文字数】10360(字)
【行数】223(行)
【台詞:地の文】11:88(%)|1184:9176(字)
【漢字:かな:カナ:他】33:63:5:-2(%)|3425:6629:526:-220(字)

最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました。
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何かあればお気軽にどうぞ
#pcomment(幸せのコメントログ,10,)

IP:43.244.102.134 TIME:"2012-04-22 (日) 20:43:45" REFERER:"http://pokestory.rejec.net/main/index.php?cmd=edit&page=%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E5%9C%A8%E3%82%8A%E5%87%A6" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/5.0)"

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