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嵐は康寧 の変更点


#include(第九回帰ってきた変態選手権情報窓,notitle)



 風の中へと身を投げ、宙を蹴る。触角を左右へ広げ、月明かりを帯ぶ。雲一つない星空の下、満ちた月は煌めきを降り注がせて、一帯を力場へと変えている。
 呼吸一つ、瞬き一つに鼓動が沸き立ち、身体の内へと蓄えられる。触角を振えば軌跡を表す、心地のいい夜。
 しかし、駆り立てるものは、飢えと、肌恋しさ。漂うだけで満たされはしない。

 眼下には、草原を歩く姿が一つ。四本足の草食者の姿。成体となったばかりであろう若々しい姿。
 足取りが覚束ない様相。定まらない意識のまま歩く様相。盛りの雌に当てられでもしたのだろう。神経を張り巡らせているかのようでありながら、上空に気付く気配もない。格好の餌食。

 触角を後ろへ流し、滑り落ちる。纏った風と一緒に、単に全身で殴りつける。一回り小さな姿が、あっけなく弾き飛ばされる。
 一瞬の接触、その残滓が入り込んで来る。獲物の感慨。反撃と逃走の意思が綯交ぜになっている。ただ、体勢を立て直し身構えようとしている。
 正気を取り戻すことのない、半狂乱の意思。
 きみをそこまで狂わせる存在は、どこに居るのだろう。その所在を教えてはもらえないものか。聞き出す理由もないが。

 その姿へ飛び込み、腹部を踏み締める。前肢と前肢の間に顔を潜り込ませて、その喉を噛む。牙を引っかけ、顎で締める。立て直せないままの姿から、息を奪う。
 その前肢が折りたたまれ、蹴り返してくる。退けるため抵抗、しかし、大した力ではない。
 触角をその頭と胴体に絡ませ、波導を注ぐ。その鼓動が弱まっていく。身動ぎが止む。

 おやすみ。

 首から顎を外し、その顔、その頬へと顔を寄せる。力を失って軟化した姿へと、軽く口を添える。静まった命を崩し、少しだけ吸い上げる。その上澄みが実に美味しい。
 腹部に牙を刺し、前足でその胴体を押さえる。顔を横へと大きく振って、表皮を引きちぎる。動きのない核を見捉え、前足を伸ばし、触れ、爪を刺す。何の動きもない。致命に至ったことは疑いようもない。

 頭を下げ、塊の下へと潜り込ませる。触角で軽く持ち上げ、頭上から背中へと移し、乗せる。
 すぐに平らげるような行儀のよさはないし、食べ残しを捨て置く行儀のよさもない。これは貢ぎ物で、そして、もっと貪欲。

 風の中には、香りが流れていた。
 甘い匂い。木や花のもの。雪の隙間から芽吹いたものたちが、季の移ろいを表している。鋭い匂い。獲物の血肉。身に付着し、常に鼻を掠め続ける。
 風が草原を撫でる中、地を蹴って、宙を滑りゆく。獲物を背に乗せて。

 〝あれ〟が寒気の眠りから覚める頃――そう思い立ってから、果たして、幾日、幾夜が過ぎただろうか。

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 砂の粒が散らばっている。岩の地面を踏み締める。小さな横穴、洞窟未満の巣穴、捕食者の寝床。そんな入り口へと降り立った。
 背負いの獲物を、降ろしやすい形にずらしながら、中を窺う。変化を感じる。昨夜までとは異なる感覚。昨夜持ってきた獲物が、置いた位置から確かに消えている。動きがあった様子。

 期待が沸き立つ。想いを馳せる。三つの頭を持つ――そんな一つの幻視を、暗がりの黒い中に浮かび上がらせる。
 両腕の口で獲物を咥え上げて運ぶ。何度も見ている光景の一つ。昨日持ってきた獲物に対しても、果たして、同じような光景があったのだろうか。
 それ以前に、目覚めているのかがまだ定かではない――目覚めているとして、今は、奥で就寝中だろうか、あるいは狩りに出ていて不在だろうか。

 一つ欠伸を浮かべつつ、足元へと獲物を落とす。ずっと獲物を支えていて、疲弊で感覚が薄れつつあった。解す必要を感じていた。触角を振り、風のない宙で靡かせて、感覚を引き戻す。
 声を上げる。〝あれ〟へ向ける、間延びした呼び声。それは何度か巣穴の中で響いて、大きく跳ね返り、戻って来て後ろへと流れ出ていく。
 静けさが数瞬。
 砂がすり潰される音が聞こえた。巣穴の先、月明かりの入らない奥部から。
 風が吹く。血肉の色を帯びたもの。馴染みある吐息。
 前足を軸としながら身を捩る。後ろ足で岩肌を踏み、そのまま蹴って飛び上がる。
 触角を伸ばしつつ、風に乗る。宙で身を揺らめかせる。存在が飛び来る。空気を押し出しながら、こちらへと。
 直前に居た空間をその存在が通り抜ける――通り抜けようとするその存在の、その腕に触角を絡める。宙に浮かんだまま身を委ねる。地に足付かずに引っ張られる。

 元気そうで何よりだよ。

 巣穴から飛び出し、その姿が身を止めた。勢いそのままに振り解かれ、すぐに投げ飛ばされた。
 一面の星空が視界に入り込む。それはすぐさま視界の端へと追いやられる。代わりに暗い地面が映る。
 足を伸ばし、地に付ける。着地する。ただ視線を上げ、その存在を見上げる。
 それは、一つの咆哮を放った。低く響く、殺気立ったものを、明確に向けてきていた。

 寒季の眠りから覚めたばかりで、飢えていて、気が立っている。
 だのに、動かない貢ぎ物より、動く貢ぎ物に興味を持ってもらえるのだ。喜ばしい。

 幻視した通りの、三つの頭を持つ姿。細く小さな翼を三対、宙ではためかせる姿。強い力を持つ捕食者の姿。
 月明かりの下、青と黒による毛並みの変わり目が辛うじて見て取れる。
 その姿へ、間延びした声を向ける。認める視線を返してくれる。
 一つ大きく、息を吸って、吐く。
 その姿が身を翻し、背を向けて、巣穴へと戻っていく。ただ歩き、追った。
 戯れるのは、まだ、あと。

 巣穴に戻って来ると、その姿は、すぐに獲物を咥え上げた。噛み応えを確認し、滴る血の匂いを吸った。腕を引き、その皮を食いちぎって、その内へと牙を刺した。数瞬を置いて、こちらへと、血肉の塊を投げてきた。
 食事を妨げられないための契りの分け前であり、また、飢餓感に苛まれていてもなお貢ぎ物を独占する気にはならない、そんな性分の表れ。
 それを快く受け取って、投げられた血肉から塊を噛む。咥え上げ、その姿からもう少し離れる。岩肌の壁まで歩み、一度落としてから前足で抑える。まだ熱の残る塊を噛み直し、小さく引きちぎって口に運ぶ。
 飼い馴らされたものだ。
 久しい感覚。康寧。独りで生き延びる寒季は、過ぎたのだ。もう。疾うに。――喜ばしい。
 前足に触角を絡ませる。有り余る波導を循環させながら、意識を静める。逸る気を、もう少しだけ抑える。
 口の中にある肉片を飲み込みつつ、姿のほうへと意識を向ける。表皮をちぎる音と、水気のある塊をしきりに潰す音と、硬く軽いものを岩肌に落とす音が飛び入ってくる。貢ぎ物を解体しつつ、咀嚼して、残った骨を捨て置いている。
 粗暴な様子を隠しもしない。信頼がある。
 一つ大きく息を吸って、吐いた。

 その姿が最後の肉片を飲み込んだ。刺し込む月明かりを通して、確かに目視した。
 まだ飢餓感を残しつつ、しかし空腹感自体は収まりがついた――そんな様子で一息ついている。
 こちらへと視線を向けてくる。視線が合う。
 真ん中の大きな顔が、顎を開いて欠伸を浮かべた。一つ、わざとらしく。翼をはためかせつつ、身を降ろし、腹這いの形に伏していく。
 その姿へと歩み寄る。隣に残っていた肋骨の一片を、触角で拾い上げ、巣穴の外へと放り投げる。空間の用意。
 岩の地面を蹴って、その背中へと飛び込む。翼たちの付け根へと乗り上げつつ腹這いになる。
 両前足で大きなその胴体を軽く挟む。大きなその背中に抱きつく。触角を垂らし、その腕に絡ませつつ波導を送る。
 目を瞑る。心地のいい眠気。
 奥底にまで染み込んだ血の匂い。いつか一つとなる姿の、その温もり。
 静かな呼吸に合わせて、その背中が押し上げられ、そして元に戻る。
 何の抵抗もない。振り落とされも、投げ飛ばされもしない。

 触角の一つを伸ばし、片腕の顔へと迫り上げさせる。軽く口元を撫でる。
 その口が開かれて、触角をゆるく噛んでくる。ぬるいものが塗られるような感覚。唾液。
 委ねたまま、別の触角を伸ばす。真ん中の頭、その大きな顔へと。
 その頬に触角の面を添える。波導の廻りをずらす。
 心地のいい感覚。

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 触角を一旦解き、重心をずらす。その背中から転がり落ちる。
 目を瞑ったまま。温もりのある姿に触れたまま。
 四肢で軽くその横腹を握る。その姿が重心をずらし、後ろへと寝返り、腹部をこちらへと向けてくれる。呼応するように。

 その腹部へと首を伸ばす。顔を埋め、頬を押し付ける。
 濃い匂い。温もり。
 軽く口を推し当て、舌で舐め繕う。
 被毛の奥に、脈打つ鼓動がある。愛おしい。

 腹部から顔を離して、身を迫り上げる。横になったまま、両前足でその首元を抱く。喉元に頬を添える。
 その両腕が、取り押さえてくる。両脇を挟んでくる。ただ、もう少し迫り上げさせられる。
 目を開かずとも分かる。顔同士をくっつけられる位置まで動かされた。

 望まれるままに首を伸ばし、その頬に頬を添える。軽く押して、離す。
 その頬へと口を重ねる。軽めに、その内にある力、感覚を、吸い取る。温かい。
 その口が、噛んでくる。耳元を、お返しとして。
 小さな痛み。鼓動の跳ねるような感覚。

 両腕が、取り押さえてくる。そのままもう一度寝返る。その姿が仰向けになり、乗り上げさせてくる。
 その頬に頬を添え直し、首に触角を絡ませ、両前足を添える。重心を預けたまま、両方で抱く。絞めないように、しかし、強く。
 呼吸を一つ、二つ。どちらともなく頬を擦り付け合う。
 鼓動が噛み合う。それぞれ、そこにある姿を食いちぎろうとしているかのよう。

 抱く足を緩め、身を横へと転がす。
 触角を離し、代わりにその腕と胴体へと絡ませて、軽く、引き寄せる。微弱な力。それだけで、動く。その姿が、意図を汲んでくれる。
 その身がこちらへと身を傾け、再び横向きになる。腹を向き合わせたそのまま、その腕で背中を捉える。
 丁寧に抱き起される。上半身が地面から離される。仰向けにされる。その上に覆い被さられる。

 ゆっくり、落ちていく。落ちてくる。
 抱き締められたまま、その身の重みを、少しずつかけられる。
 熱を帯びて、柔らかく、硬く、退かしようもないもの。痛く、苦しい。
 喉の奥から絞り出されるかのように、息が抜けていく。しわがれた声。潰れゆく身のもの。
 外の触角を、大きなその身に絡ませたまま。穏やかな波導を巡らせ続けたまま。
 恍惚とした中で、その匂いと温もりに心を寄せる。

 ありがとう。

 その身が退き、再度、横向きになる。
 大きく空気を吸い込む。美味しい風。
 血が巡るにつれて、温かくなっていく。冷たくなっていたことを実感する。身体の末端、四足の痺れを実感する。
 その腕の中で、身体から力を抜く。
 後ろ首をいたずらに噛んで来る。その感覚が愛おしかった。

 いつか、その姿の糧となる。なりたい。恐らくそれは、心地のいいこと。
 〝その時〟は突然来るだろうが、今ではない。しかし来てしまうのなら、きっと、抵抗なく受け入れられる。

 軽く目を開く。
 幾回りも大きな捕食者の姿。生きたままの獲物を抱いて、無防備にも眠る姿。骨のない腹部をこちらへと向ける姿。
 飼い馴らされたものだ。全く、ほんと。
 弾む心の中で、目を瞑り直した。

 小さく喉を鳴らす。どちらともなく。
 安堵の感情を表され、表し、落ちていく。その只中で、睡夢へと。



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 飛び上がった先で、触角を広げる。力を抜くと、風に靡いて後ろへと流れていく。
 空高くに位置する日が、陽光を降り注がせる。身を隠すには向いていないし、月明かりの力も引き寄せられない。
 望ましい環境ではない。しかし困り事にはなりえない。

 下方に広がる草原、跳ね回るいくつもの姿を、一つ一つ、目視していく。
 捕食者はまだ飢えている。なんでもいい。捕らえられるものなら。だが、可食部が多くあるなら、そのほうがよい。

 一つの姿に目を止める。空高いこちらへと注意を払う様子はない。気付いていないか、気に留めていないか。
 そこそこの大きさ。右前足を庇うような歩みが見える。老いか傷を負っているのかは定かではないが、恐らくは、その辺り。
 すぐ下の姿も、また、同じ姿を見定めていた。
 最も捕らえやすい相手ではないだろうが、十分。

 行ってくるよ。

 足先で、その背中を突く。足元が傾く。軽く蹴って、宙へと身を投げる。その背中から飛び降りる。
 風を呼ぶ、いくつもの方向から引き寄せた渦の束。身体全体を覆いつつ、触角に厚く纏わせる。
 宙を蹴る。身を捩って、獲物の進む先を見据える。
 視線が返ってくる。気付いた。
 触角を開く。大きく横へ伸ばして、風を切る。
 降下する中で得た勢いそのままに、進路を曲げる。重力に逆らい、地平に向けて。
 身を翻そうとして、獲物の前足が一瞬もたつく。
 その胴体を触角で打ち、渦の束を押し付けた。
 一瞬、恐怖の感慨が入り込んできた。

 心配ない、すぐに心地よくなるから。

 纏っていた風を失って、草原に転がり込む。すぐに受け身を取って、四肢で身を支える。すぐに、過ぎた方向へと視線を向ける。
 風の渦、強く巻き、空へと昇る、小さな嵐。三つ首の姿が迫っていた。巻き上げられて支えを失った貢ぎ物へと。
 その身が突き刺さる。叩き落とされ、草原へと落ちる。
 息を奪ってから失わせるまでを、一瞬足らずで済ましていた。



 草原に立つ他の姿たちは、一様に、こちらへと視線を向けてきていた。警戒の色を浮かべるものだけでなく、残留物を狙うものや、奪取を目論んでいそうなものもある。
 飢えている最中の〝これ〟は、獲物を残すほど行儀よくはないし、気が立っている。余計な干渉はされたくない。
 自ら進んで貢ぎ物となってくれるのなら気楽なのだが。

 当の捕食者は、周囲を気に留めず、新しい貢ぎ物を解体し始める。片腕で抑え、骨のないところ、腹部から噛みちぎる。
 邪魔が入らないよう、代わりに周囲へと視線を配る。

 ――甘美な血の匂いを漂わせながら、血肉を取り込まれる。いずれ、こうなる。
 貢ぎ物として、あの血肉と混ざり合う。とても素敵なこと。

 その姿が声を上げた。視線を引き戻すと、小さな血肉の一片を放り投げてきた。
 触角で取りつつ口まで寄せて、咥える。

 食べるのはまだあと。食べられるのは更にあと。
 だけれども、ただ、心が弾んだ。嬉しかった。



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