作[[呂蒙]] 黄龍元年(西暦229年)、北方の大国、曹休率いる魏の大軍を周魴(しゅうほう)の智略で、石亭にて撃破したのが前年のことである。これで手痛い敗北を喫した魏は北へと引き上げた。魏、蜀の情勢を見た孫権仲謀は、満を持して帝位に就いた。その即位の儀が建京、石頭(せきず)城にて、盛大に行われた。 黄龍元年(西暦229年)、魏、蜀の情勢を見た孫権仲謀は、満を持して帝位に就いた。その即位の儀が建京、石頭(せきず)城にて、盛大に行われた。北方の大国、曹休率いる魏の大軍を周魴(しゅうほう)の智略で、石亭にて撃破したのが前年のことである。これで手痛い敗北を喫した魏は北へと引き上げた。 それから半月ほどした日のこと、建京に次ぐ都市、武昌に向かっていく一つの集団があった。20歳ほどの青年の乗った馬を囲むように、護衛や供の者が歩いている。 (ああ、暇だ。というか尻が痛い) 別に痔になったのではない。長時間馬に乗っていたためだ。1人ならば馬を飛ばしていけるのだが、いやそれ以上に快適は手段も無くはないのだが、このような状況ではそうもいかない。長江を舟で下る方法もあった。が、長江には時折水賊が出るので、安全とは言えなかった。また、そうでなくとも行きは楽でも、帰りは上流へ舟をこぐことになるため、陸上を行くよりも大変になってしまう。加えて、昼にもなると太陽が高くなり、じっとしていても汗が出てくる。 「ふう、おお、茶屋があるぞ。皆の者、ここで少し休憩だ」 青年は一行に言う。だれもが、ほっとした表情になる。この青年は部下や領民たちを思いやる優しい性格なため、誰からも好かれた。 しばらくして一行は武昌を目指して、歩き始めた。ここからならば、徒歩でも半日の距離だ。ひたすら長江に沿って歩き、武昌の城門前に着いたときには、斜陽が大地を赤く染めていた。 「長い道のりだったな」 「はい」 供の者との短い会話後、青年は城門を守っている兵に大声で言った。 「我は、孫子高である。只今、建京より帰還した。城門を開けられよ」 「これはこれは、お疲れ様でござる。一応決まりにより、身分証と通行手形をお見せくだされ」 子高は言う通りにし、ようやく城門が開けられた。宮城に来ると、子高は供の者に、 「今日はご苦労であった。おのおの、家に帰って休まれるがよい」 「ははっ」 部下たちは帰っていった。警備の兵も最小限に減らした。彼なりの思いやりなのだが、部下は心配だった。時々 「本当によろしいのですか?」 と聞く者があるが、子高は笑ってこう答えている。 「かの赤壁の戦いの直前、瑾(きん)殿の弟君が東南の風を吹かせたのは知っているな?」 「はい、存じております」 「それ以上の能力を持った奴が私の側にいる。ゆえに狼藉者など恐るるに足らん」 「なんと、それならば安全でございますな・・・・・・」 子高という人物、呉の皇帝 孫権の長男で名を登(とう)、字(あざな)を子高という。字とは成人した後につける名前で、成人後は字や官職名で呼び合うことがほとんどだ。 子高は自分の部屋に戻ると、椅子に座った。静寂があたりを支配する。不安になることもあるが、たまには一人だけのときというのもほしくなる。 (ふぅ・・・・・・) と、その静寂を破る声。 「そんとー、しこー」 「むむむ、来たか・・・・・・。いても構わんが静かにしてくれよ・・・・・・」 部屋の戸が開く。 「おかえりー」 「うむ・・・・・・」 青と白の細長いぷにぷに。首と尻尾(というか、どこからどこまでが尻尾なんだ?)についた水晶球。そして、宙に浮いている。 「ハクリュー、念のために聞くが、私が留守の間、変なことしてないだろうな?」 「というと?」 「竜巻起こしたりとか」 「してないよ」 「ならいい」 このあどけなさの残るハクリューは子高よりも、二つ三つ年下だという。なぜ子高のもとにいるかというと、十数年前、長江で珍しい魚が取れたというので、子高に献上されたのが出会いである。で、本当はその後調理して食べられる予定だったが、魚ではないということで、調理は取りやめになった。じゃあ何者かという話になるが、子高が水神の化身だったりして、と冗談で言ったのがきっかけで、子高が面倒を見ることになってしまった。 ミニリュウの頃は何も問題は無く、すくすくと成長していた。で、成長してハクリューになると、ちょっと問題が起きたのだ。空を飛ぶ、は良いとして、天候を自由に操る能力があると分かったときである。外に広く知れたら別の意味で問題になると、子高は恐れていた。とはいえ、その人智を超えた能力に助けられたこともあるので、信頼しているのもまた事実であった。 数年前に魏の曹丕(魏の前皇帝)が、大軍で武昌に攻め寄せたことがあった。子高は籠城して持久戦に持ち込み、相手の兵糧が尽きるのを待つ作戦を取ったが、それとて、多勢に無勢、いつまで持ちこたえられるかは分からなかった。子高もいつもの威厳と冷静さはどこへやら、人前では気丈に振舞っても、部屋では青い顔で 「曹丕がくるー、いかがしよー」 と言っていた。ある日の夜、そんな姿を見かねたハクリューは、 「要は、追い払えばいいんでしょ。それがしに任せて」 とだけいうと、長江の方へと飛んでいった。しばらくすると、急に風が強くなった。強風というよりも烈風、嵐であった。外を見ていると、城に立ててある旗がぼきりという音を立てて、折れた。 (不吉な・・・・・・) 劣勢であった呉軍の士気はさらに落ちてしまった。しばらくすると、風が弱まりハクリューが戻ってきた。 「うまくいったよ」 「え?」 「で、今から言うものを用意してもらえる?」 「ん? 何だ?」 ハクリューの口から出たものは褒美ではなかった。小舟一隻、漕ぎ手数人、明かりの松明であった。子高にとって用意するのは容易いことであったが、何をしようというのか? 「どこかへ行くのか?」 「決まったことを、長江だよ」 「降伏しに?」 「まさか、魏軍がどうなったかをだよ。少なくとも水軍は壊滅させたから、うまく行けば、そーひも魚の餌だね。あはははは・・・・・・」 笑っている。こんな窮地に立たされているというのに。まあ、でも敵の様子を見ておくのも、戦では大事なことだ。とりあえず敵に気付かれないように慎重に・・・・・・。と、長江に舟を漕ぎ出して子高は声を上げた。それは漕ぎ手も同じだった。 「う、嘘だろ・・・・・・」 松明の炎に浮かび上がったもの、それは沢山の舟の残骸であった。「藻屑」という言葉があるがまさにその通りだった。夜なので正確なことはわからないが、相当数の被害が敵に出たものと思われる。ひとまず、翌朝部下に偵察させることにして、今日の所は引き上げた。 翌朝、偵察が子高のもとに報告に来た。 「昨晩の烈風で魏軍は多数の死者を出し、撤退したようです」 「そうか」 肩の荷が下りた心持だった。 「昨日のあれはハクリューがやったのか?」 「そうだよ」 「しかし、にわかには信じがたい・・・・・・」 突然黒雲が空を覆い、間もなく雨が降り出した。 「これで、信じた?」 「ふん、にわか雨であろう」 「それ」 突然雷が、宮城の庭の樹に落ちた。轟音と共に火柱が上がる。 「じゃ、次は子高に・・・・・・」 「ま、待ってくれ」 そんなことされたら死んでしまう。 「信じるからやめてくれ」 「ところで、恩返しになった?」 「え?」 「育ててもらった、ね」 「ハクリュー・・・・・・」 とりあえず、外に知られるのは問題だけど、父上には知らせておいた方がいいかも知れぬな。しばらくして、子高は、ハクリューを連れて首都の建京へ向かった。 感想、指摘、誤字脱字がありましたらこちらへどうぞ、コメントお待ちしております。 #pcomment(東宮のコメログ,10,)