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子供たちの幻想郷 の変更点


*子供たちの幻想郷 [#d04769c4]
CENTER:作者 -- [[十条]]
#ref(十条/幻想郷.jpg,354x500)
LEFT:

名前と種族
作中でも配慮するよう心がけましたが登場ポケモンの紹介をば。
種族名の頭文字や語感で覚えやすいように配慮はしてみた……つもり。

ラミ:ライチュウ
ミアン:ミミロップ
サーベナ:サーナイト
ルマーニ:ニャルマー
ミドラ:ニドラン♂
マキ:マンキー

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***プロローグ [#tb180030]

「ねえ知ってる? 夜寝ない子は怖いところへ連れてかれるんだよ」
「おまえバカだろ。そんなのただの子供騙しさ」
「だってお母さんがそう言ってたモン!」
「はぁ……あんたホントに12歳? もう子供は卒業しなよ」
「ルマーニはいつまで経っても5歳児のまんまだよな。ハハハ」
 子供たちの笑い声がこだまする夕方の公園。その一角で、少し大きな子たちがベンチの周りでおしゃべりしています。
「じゃあみんなはお母さんが嘘つきだっていうの? みんなのお母さんだって同じこと言ってたでしょ」
 お母さんが嘘つきだなんてやだ。そう言わんばかりに、ニャルマーの男の子は必死になります。
「そりゃそうだけどよ……」
 それは本当のことでした。お母さんのことが大好きなニドランの男の子は、釈然としない表情で黙り込んでしまいました。しかし、マンキーの女の子が横から口を挟みます。
「でもオトナは子供に嘘をつくんだよ。でも、子供のためなんだって」
 彼女がそんなことを言ったとき、なんという偶然でしょう、彼らの耳に一組の親子の声が聞こえてきたのです。
「どうしてあなたは意地悪するの。意地悪な子は小学校に行けないのよ! 一年生になれなかったらどうするの?」
 母親のキュウコンが息子らしい幼いロコンを叱っているのです。
 六年生の子たちは、それが嘘だということを知っています。なぜなら小学校にも意地悪な子やいじめっ子がいるから。かたくなに親は嘘をつかないと主張するニャルマーの男の子ももちろん知っていました。
「ほらね? あれとおんなじだよ」
 マンキーのマキはこれ幸いとニャルマーの男の子、ルマーニを諭します。
「でもっ……」
「小っちぇえ時はオトナが絶対正しいと思ってたんだよ、俺達は。でももう六年生さ。最高学年ってやつなんだからよ、いつまでも子供のままでいるのはやめねえか」
 ニドラン♂のミドラもマキに賛同しましたが、ルマーニはまだ不服そうです。彼は救いを求めるように、ベンチの背もたれに腰掛けるライチュウの女の子を見上げました。彼女はルマーニ達より一つ年上で、幼い頃から皆のお姉さんのような存在でした。今も三匹の会話を笑顔で見守っていました。
「私も小さい頃は言われたもんだぜ」
 満を持してライチュウのラミが口を開きます。まるで男の子みたいな口調は、彼女はお姉さんであると同時にガキ大将のような役割も担っていたからなのかもしれません。
「でもなルマーニ。子供の世界ってのは一種の幻想郷なんだ」
 ラミは彼らと一つしか離れているとは思えないくらい、まわりの子よりもずっとずっと大人びた少女でした。
「オトナの世界から切り離された世界観とルール。子供だけが知っている世界。子供達の世界だけの法律。オトナの言うことは絶対、ってのもそんな法律の一つなんだぜ」
「ラミちゃんの言ってることは難しくてわかんないよ……」
「俺も」
「あたしも」
「まあ黙って聞けよ。いつかお前らにもわかる時が来るんだ」
 ラミはライチュウの尖った尻尾を地面にとん、と挿して、構わず続けます。
「お前らの年になったら幻想郷からはほとんど出てしまってる。ルマーニだって半分はもうこっち側だぜ」
「ラミちゃんの……方?」
 ルマーニは首を傾げながら、ラミの話についてゆこうと懸命になります。
「私はとうに出てしまった。そして、一度出てしまったら二度と戻れない」
 三匹はわけもわからず、しかしラミの物言いにとても怖くなりました。そんな三匹をラミの笑顔は優しく包み込みました。
「出てからだって楽しいことは沢山あるんだぜ? 心配すんな」
「うぅ……ラミちゃんは結局、僕の話は信じてくれるの? ラミちゃんのお母さんを信じるの?」
 ルマーニにとってはラミの話はとても曖昧で、欲しかった質問の答えとは何の関係もないように思えました。だから尋ねずにはいられなかったのです。
 ラミはルマーニの頭を撫でてやりました。
「ママに聞いてみたらどうだ? それは私からは答えられない」
 しかし、具体的な答えは返しません。彼女は彼らがそろそろ幻想郷から出なくてはならないと思いながらも、少しでも長く幻想郷にいて欲しいと願っているのです。自分があまりにも早く出てしまったから。冷めた子になっても損しかしないのですから。
 日が沈むと、子供たちはそれぞれの家へ帰ってゆきました。

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「お母さん。正直に答えて」
 帰るなり、ルマーニはお母さんに尋ねました。お母さんのブニャットは料理台に向かったまま答えます。
「そうねえ。本当よ。子供は早く寝ないとどこか怖いところへ連れて行かれるの」
「それってどこなの?」
「わからないわねえ。お母さんは連れていかれたことないから」
「子供って何才までなの? 僕はまだ子供なの?」
「うふふ、どうしたのよ急に。ルマーニはまだ子供よ」
「そっか……」
 その時ルマーニは感じました。オトナの世界と子供の世界は切り離されている。ラミの言葉の意味がなんとなくわかったような気がしたのです。
 その日の晩、ルマーニは確かめてみることにしました。夜遅くまで起きていたらどうなるのか。初めての挑戦です。布団に入ってからも目を閉じないようにして、もし本当に本当だったらどうしようと恐怖に震えながらも眠い目を擦り、確かめようとしました。
 結果は失敗でした。どうしても眠気に勝てず、ルマーニはうとうとして眠ってしまったのです。
「ふぁあ……」
 変に起きていたせいで、次の日は散々でした。学校でも眠くて仕方ありませんでした。
「くぉらルマーニ! 授業中に欠伸とは何事だ! 廊下に立ってろ!」
「ひえぇ、すみませんっ」
 ハリテヤマ先生の一言で目が覚めたルマーニはとぼとぼと教室を出ます。
 廊下に出てしばらくすると、教室の中からまた先生の声が聞こえました。
「マキ、お前もかッ! 立ってなさい!」
 しぶしぶ教室を出てきたマキと顔を合わせたルマーニの頭の中には同じ考えが浮かびました。
「あはは……あんたも試したりしたわけ?」
「"も"っていうか、マキは信じてないとばかり思ってたんだけど?」
「う、うるさいわね」
 あまり喋っていてまた怒られてもいけないので、二匹はそれっきり黙り込みました。でも、時々隣のクラスの教室を見る二匹はきっと同じ期待を抱いているに違いありません。しかし、隣の六年一組からは最後までミドラは出てきませんでした。
 終業のチャイムが鳴り、掃除を終えた二匹は一緒に帰るため一組のミドラのところへ向かいました。
「ミドラ君は今日はお休みよ」
 しかし、学級委員のヒトカゲの女の子にそう告げられます。仕方なく、二匹はお礼を言って一組の教室を後にしようとしました。そこへ「あ、待てよルマーニ、マキ」と、一組のフシギダネが数枚のプリントをくわえて走ってきたのです。
「お前らミドラの家の近所だよな? コレ頼んでいい?」
「あ、うん」
 ルマーニは二つ返事で受け取りました。マキも頷きます。
 ミドラがお休みだと聞いて、嫌な予感がしたのです。二匹はすぐさま踵を返し、学校を出ました。
「マキ、もしかしてミドラ……」
「バカ。そんなことあるわけないじゃない」
 そう話しながらも二匹は早足で、次第に駆け足になり、最後は全力に近いスピードでミドラの家に走りました。家の前についた二匹はチャイムを鳴らします。
「はーい」
 大きなドアが開いて、ミドラのお母さんのニドクインが顔を出しました。
「あら、ルマーニくんにマキちゃん。学校からプリント届けてくれたの? わざわざありがとうねー」
「おばさん、ミドラは!?」
「あの子ならもう元気になったわ。熱を出してたんだけど、お昼までには下がっちゃった」
 マキはほっと胸を撫で下ろし、ルマーニも安堵のため息をつきました。二匹はミドラが夜更かしをしてさらわれたのではないかと心配していたのです。でも、杞憂でした。
「あ、そうだ」
 ――本当に杞憂だったのでしょうか。
 ミドラのお母さんは大事なことを思い出したかのように、神妙な顔つきになります。
「あなたたち、ラミちゃん知らない? 何かね、夜中に家を抜け出したみたいなんだけど……」
 胸にれいとうビームを撃ち込まれたかのような感覚。二匹は凍りつきました。二階の窓からミドラも心配そうに顔を出しています。
「し、知らない」
「うん、あたしも知らないよ!」
 二匹の妙な様子をミドラのお母さんは不審に思います。なぜなら二匹の反応が息子のミドラとまったく同じだったからです。
「そう……そうよね。あなたたちが夜中に出ていくわけないものね」
 しかし、ミドラのお母さんは頷かざるを得ません。我が子でさえ、問い詰めても何も知らないの一点張りだったのです。まして余所の子にそこまでするわけにもいきません。
「おい君たち」
 二匹の後ろから声がかかりました。ウィンディのお巡りさんです。
「君らはラミちゃんの友達だね? ラミちゃんについて知ってることがあったら話してくれないかい」
「僕たちは何も……」
「何でもいいんだ。ラミちゃんのお母さんによると、昨日は君たちと一緒に公園で遊んでたそうじゃないか。何か聞いてないかい? その、家出したいとか、何とか」
「いいえ、ラミちゃんはそんな子ではないと思います」
 ルマーニもマキも想定外の事件に混乱していましたが、お巡りさんの質問に答えることにしました。
「ゲンソウキョウがなんとかって……あたし達にそんな話をしてくれたんです」
「は?」
「よくわからないけど、コドモの世界とかオトナの世界とか」
「……何の受け売りなんだ? 今流行りの漫画か何かか?」
「違いますっ。ラミちゃんはすっごく大人っぽくて、あたし達のお姉さんなんだから!」
「ああわかったわかった。で、他には?」
「二度と戻れないとか……」
「あたし達にもいつかわかる時が来るとか……」
 ウインディは鬱陶しそうに顔をしかめました。子供の遊びには付き合っていられないというのが彼の本音なのです。
「ありがとう」
 そっけなく言い残して、ウインディのお巡りさんは去ってしまいました。
 その後心配した二匹がラミの家に話を聞きに行くと、ラミは普段から夜更かしが多く母親から再三注意されていたそうです。昨夜も遅くまでラミの部屋は明かりが点けっ放しでした。ラミと同じライチュウの母親は注意しようと部屋に入りました。
 しかし、ラミの部屋はもぬけの殻だったのです。ラミの部屋は二階にあります。窓は閉まったままでした。母親はずっと一階にいましたが、階段から一階に下りた様子も玄関から出た様子もありませんでした。悪ふざけでどこかに隠れてでもいるのかと家中を探しましたがどこにもいませんでした。
 この夜、一匹のライチュウの少女が忽然と姿を消してしまったのです。
 地域のポケモン達ははじめ、昼夜を問わず彼女を探しつづけました。それから三日が経ち、一週間が過ぎ、月が変わってもラミは見つかりません。臨時の捜索隊も次第に数が減って、しまいにはラミの幼馴染みであるルマーニ達三匹とその両親だけになってしまいました。
 子供たちの笑い声がこだまする夕方の公園。あれから二ヶ月。一匹のライチュウの少女が姿を消しても、日々は滞りなく過ぎてゆきます。
「もう見つかんないのかな」
 三匹の中でもいちばんラミを慕っていたルマーニが泣きそうな声で言います。
「何言ってんのよバカ。見つかるに決まってるでしょ」
「だってラミちゃん、夜中まで起きてたんでしょ? さらわれちゃったのかも……」
「オマエずっとそればっかじゃねーか。そんなことあるかよ」
 マキもミドラもルマーニのマイナス思考を否定します。二匹とも心の中では不安に思っていました。ですが、表には出しません。希望は捨てたくなかったのです。だからミドラはこんなことを提案しました。
「ラミちゃんがいなくなったのは夜中なんだよな? 昼間にいくら探しても見つからねえんじゃねえか」
「それは……夜に探さなきゃダメってこと?」
「えっ、でも夜は大人のポケモンたちに任せなさいって言われてるでしょ」
「大人には見つけられねえ……としたら?」
 ミドラは少しばかり頭の良い子でした。彼の遠回しの物言いにルマーニは首を傾げます。首と体の分かれていないマンキーであるマキは体ごと傾げます。
「ラミちゃんが言ってたじゃん。オトナの世界とコドモの世界は切り離されてるって。きっと俺達にしか見えない場所とか俺達にしか行けない所があるんだよ」
 彼らの両親は昼間は仕事や家事に忙しいですから、子供達の寝静まった夜に捜索をしていました。
「僕達にしか見えない?」
「あたし達にしか行けない……」
 そうです。彼らはまだ、夜の世界に繰り出したことがありませんでした。&ruby(ひと){ポケモン};通りもほとんどなく、静まり返った、黒く染められた町並み、一寸先も見えない暗闇。深夜の町はまるで同じ場所とは思えない、ともすれば本当に別の場所なのかもしれない――そんな&ruby(・・・){外れた};空間なのです。目の行きどころも変わってくるでしょう。聞こえる音も肌で感じる気温も毛先で感じる風も、すべてが一変します。
「そうさ。だから今日の夜十時、この公園に集合だ!」

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 蛍光灯に照らされた公園のベンチをニャルマーの男の子とニドランの男の子とマンキーの女の子が取り囲んでいました。三匹はそれぞれ家を抜け出して公園に&ruby(つど){集};ったのです。
「いいかルマーニ、マキ」
 ニドランの男の子、ミドラが取り仕切ります。
「この暗ーい町でラミちゃんの行きそうなところを探すんだ」
 三匹は唾を呑んで周囲をくるりと見回しました。昼間とは違う景色です。木の一本でさえ別の物に見えます。
 子供たちにはとても、とても新しい世界でした。
「ラジャっ」
「眠いよ……」
 しかし、どうやらニャルマーの男の子は乗り気ではないようです。
「何だよルマーニ。ラミちゃんを探す気あんのかよ!」
「あ、ある。あるよ。そのつもりで来たんだからっ」
「よし、じゃあ行くか! 昼間とおんなじだ。怪しい場所を見つけたら俺に言えよ!」
 そう言うと、ミドラは意気揚々と歩きだしました。その後ろをマキとルマーニがついてゆきます。三匹とも真剣な表情です。こんなことで見つかるなら苦労はしないとお巡りさんのウインディや捜索隊のポケモンたちは言うでしょう。
 それでも子供たちにはとても、とても新しい世界でした。ここなら見つかるかもしれません。ラミが消えてしまったのはこの世界の中なのです。見つかる気がしてきました。新しい世界だから。今まで探していなかった世界だから。
 でも――その世界は――子供が、決して、決して踏み入れてはいけない世界だったのです。
 そう、決して。
 しばらくして、三匹は道に迷ってしまいました。それもそのはずです。見慣れた景色でも夜は違って見えるのですから。
「おい……俺達やばくねえ?」
「だからあたし言ったじゃない! さっきの角を右だったんだよ!」
「迷子になっちゃったよう……」
 そうして本当に、昼にも見たことのない住宅街に迷い込んでしまったのです。時刻はもう十一時半を回っていました。明かりのついている家はほとんどありません。僅かに残る光も一つ、また一つと消えてゆき、最後には完全に真っ暗になってしまいました。
 そして、時計の針は零時を……

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 何が起きたんだ? 私は何をしたんだ? これは夢なのか?
 ――何度問いかけたかわからない。ミアンに聞いても答えてくれない。自分自身の中に答えがあると思ってはみたが見つからない。
 私はここでは自由だった。ただ毎日休憩を挟んで八時間、発電所で電気を吸い取られる以外は。対価は支払われる。そのお金で生活に必要な食料品を買って部屋に帰る。私の部屋は、私以外には誰もいない、私の家だ。自分で料理をして、家事もこなして。これは夢だと思った。夢じゃなかった。もう六二回ほど目を覚ましているし、あのラクライが私の前に現れる瞬間まで、私は起きて読書をしていた。最後に読んだ一文が今も、確かに記憶に残っている。
 ――&ruby(ポケモン){人};は一日に少なくとも一つ何か小さなことを断念しないならば、毎日がまずく使われ、翌日もうまく立ち行かないおそれがある。
「やあラミちゃん」
「……ミアンか。お前も仕事帰りか?」
 帰宅途中、もう少しで部屋に着こうかというところで隣部屋の住人ミアンに会った。物悲しげな哀愁漂わせる、ラミより三つ年上のミミロップの少年である。
「うん。今日はね、紅茶貰ってきたんだ。ラミちゃんも一緒に飲む?」
 ミアンは右手に提げた袋を持ち上げて笑ってみせた。笑顔はきれいなのだが、どこか憂いを帯びているのがいつも気になる。
「一匹で飲んでもつまらないんだろ? 付き合うぜ」
「ふふっ。相変わらず素直じゃないんだからキミは」
 本当は帰ったら一匹で本を読むつもりだったのだが、今日は諦めることにした。
 あの日はそうしなかった。
 どうしても読みたい本があったのだけど、中学校の帰り道で、ちょうど小学校から出てきたルマーニ達と会って。公園に行こうと誘われたから行くことにした。本は夜にしよう。その本はラミの期待していた以上に面白くて、夜が更けるのも忘れて読み進めていった。途中、何回か母の声が聞こえたが適当にあしらって無視した。
 そして、時計の針は零時を……

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 三つの影が闇に浮かび上がりました。
「誰かいるよ……?」
 しかしルマーニには一つしか見えていません。
「ここがどこなのか訊いてみようぜ」
 ミドラにも一つしか見えていません。
「バルキー……かしら」
 マキにも一つしか見えていません。
「えっ?」
 シルエットから種族を推測したマキに、二匹は首を傾げます。
「どう見てもベトベターだろ」
「ちがうよ、ピッピだよ」
 三匹の意見は一致しません。それもそのはずです。三匹の見ているのはそれぞれ別のポケモンなのですから。
「すみません、僕たち道に迷っちゃって……」
 ミドラがベトベターに話しかけました。どうやら相手もルマーニ達と同じか少し年上くらいの子供のようです。
「へっ、悪い子はこうなるんだ。お前もせいぜい頑張るんだな」
 ベトベターが言います。でもそれはミドラにしか聞こえていません。
「ごめんなさい」
 ピッピが謝りながらルマーニに手を伸ばします。
「やっと帰れるんだ……」
 バルキーが目に涙を溢れさせながらマキを捕まえました。
 ――深夜零時の出来事でした。

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 ボクの『シゴト』は子供達へ『シゴト』を斡旋することだが、新しく入った子供にここのしきたりを説明するのもボクの役目だ。ボクはどうやら女王様のお気に入りらしい。この仕事を任されるというのはそういうことだ。今日も今日とて居住区を行ったり来たり。
 昨夜は三匹のポケモンが抜け、三匹が新たに加わった。ミアンは早速その三匹に会いにきたのだ。
 居住区は何層にも分かれていて、一つの層には中央に廊下が一本走っている。層を行き来するときは両端の階段を使う。廊下の両側にはマンションみたいに扉が並んでおり、そのそれぞれが一つの部屋に通じている。一つの部屋には一匹のポケモンが居住している。
 ミアンは居住区"B区"第二層の廊下を歩いていた。長い耳と手足の白いモコモコ、褐色の体毛に全身を覆われた姿が特徴のポケモン、ミミロップ。軽やかな足取りで目的の部屋を目指す。
「B210、211……ここだ」
 ミアンは『B213』と札の掲げられた扉の前で立ち止まった。
 ミアンは静かに扉を開けて部屋に入った。六畳一間の狭い空間――とは言っても子供には十分かもしれないが――に、小さなマンキーの女の子が縮こまって震えていた。彼女はミアンを見るや否や、恐怖におののきながら部屋の角まで後ずさった。
「怖がらないで」
 ミアンは屈み込んでマンキーと視線を合わせ、柔らかい笑顔を浮かべる。
「って言っても無理な話だけどね」
 とにもかくにも、まずは安心させてあげてボクの話を聞いてもらわなくちゃならない。
「あなたは……だれ?」
 マンキーは自分の顔を覆った手の指の間からミアンを覗き込んでいる。ミアンは笑顔だし、怖がられるような容姿でもないのだが、さらわれた子供にしてみればここはとてつもなく恐ろしい世界で、皆が敵に見える。ミアンとて同じだった。
「ボクはミアン。見ての通り普通のミミロップだよ」
「普通……の?」
「そう。キミには何もしないから、お話聞いてくれるかな」
「うん……」
 マンキーは恐る恐る顔を覆っていた手を退けた。年は十一か十二くらいで、まだ完全に少女と言っても良い。
 もっともここに連れてこられる子供の中では大きい方だ。その分望みがある。
「じゃあまずキミの名前と年、教えて」
「マンキーのマキ……十二歳です」
「ありがとう。じゃあマキちゃん、ここからは良く聞いてね」
 ボクもここからはシゴトだ。
「キミは零時を過ぎてもまだ起きていたね。そんな悪い子はここへ連れてこられるのさ」
 マキがごくりと唾を飲み込むのが見た目にもわかった。構わず続ける。
「でもキミは反省なんてしなくていいんだ。ここでは遅くまで起きてたって誰にも怒られないし、もうどこかに連れてかれるコトもない。なぜならキミはもうオトナだから。零時を過ぎても起きていていいのはオトナだけだ。キミが零時まで起きていたコトを、ボク達の女王様はキミからのメッセージだと受け取った」
 ミアンはマキに背を向けた。伝えるのも辛い役回りなのだ。
「『ワタシはもう大人だ、子供じゃない』ってさ」
「そんな、あたし……!」
「でもキミがいくらオトナだって主張したところで周りの大人は認めてくれない。子供扱いされつづける。だから女王様はそんな&ruby(オトナ){子供};達のために夢の国を作ったんだ。ここでは誰も彼も自由に過ごせる」
「自由なの……? じゃあ」
 マキが後ろからミアンの足にしがみついてきた。
「帰りたいよ! ここはどこなの? どうやったら帰れるの?」
「女王様に二万P((ポケダンのお金の単位))払えばその日の深夜零時に元の世界に出してもらえるんだ。一時的にね。そこから夜が明けるまでに、起きている子供を見つけて連れてくる。そうすると晴れてキミ達の故郷に帰してもらえるってわけ」
「ちょっと待って……に、二万Pなんて持ってないよ。あたしのお小遣いなんて月に百Pだよ……」
「キミはオトナだから、自分で働いてお金を貯められるでしょ」
「そんな……」
「ボクにできるのは、キミにそのためのシゴトを紹介するコトだけ。キミは格闘タイプだから……力には自信ある?」
「自信なんて」
「土木建築ならできそうだね。今からここに行くんだ」
 ミアンは彼女の言葉を遮って簡易地図を渡した。体つきや反応を見て、いけると判断した。一匹のポケモンとゆっくり話をしている時間はないのだ。
「それじゃ、頑張って二万P貯めてお家に帰りなよ。その紙にボクの住み処と連絡先が書いてあるから、貯まったらボクに言って。女王様に会わせてあげる」
 ミアンは未だ取り縋っている少女を振り払って歩きだした。去り際に大切なことを言い忘れていたのを思い出して付け加えた。
「最後に一つ。この幻想郷には絶対にやっちゃいけない禁忌がある。破っちゃうと外に出る権利を剥奪されるから、覚えておいてね」
 元々ここには名前などなかった。子供達の噂が具現化した場所。夜寝ない子が連れて行かれる怖いところ。
「ここには子供はいない。キミもボクも、みんなオトナばかりなのさ。だから」
 幻想郷、か。ほんの二ヶ月前に来た少女の言葉だった。子供だけが持つ特有の世界観。一度出たら外からはもう入ることのできない世界。その日からボクはここをそう呼ぶことにしたのだ。
「他のポケモンを無償で養うことは禁じられている。不必要なんだ。オトナは自分の身を自分で養えるんだからね」
 泣きそうになるのを、声が揺れるのを隠すのに必死になる。理由は二つあった。
 突然の自立という環境に適応できず餓死する子供。窃盗行為に走って女王様に処罰される子供。幾人も見てきた。
 強制労働よりも監禁よりも遥かに恐ろしい。自由ということ。ルールはあっても、ルールを破って罰を受けるのだって自由なのだ。所詮抑止力でしかない。自由とは何か。子供にはまだ判らない。
 この子もいずれそれを知り元の世界へ帰っていくのだろうか。それとも……

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 二匹目はミドラというニドラン、やけに反抗的な男の子だったが物分かりは良かった。計算が得意だと言うのでそれが活かせる事務のシゴトを紹介した。
 そして三匹目。珍しい男の子のニャルマーだった。これが完全無欠の子供で、とても苦労している。
「やだよ……! 僕に働くなんて無理だよぉ!」
 自分の身は自分で助けなければ死ぬしかないと何度説明しても理解を示さなかった。こうなると、もう少し小さな子の方がまだ素直で説得しやすかったりする。
 でも、ボクには時間がない。十時までにあと五件回らなくちゃならないんだから。
「これが最後だよ。シゴトを選んで」
 ルマーニの答えはない。ミアンは部屋の隅で縮こまって前足で頭を抱えているルマーニの前に紙切れを置いた。
「ここにはボクの住み処と連絡先が書いてある。頭を冷やしてシゴトする気になったら連絡して。キミの場合、まだ直接訪問するしかないけどね」
 お腹も空いてきたら気づいてくれるだろう。そう祈りたい。
 ミアンはルマーニの部屋を出て、居住区"B区"を後にした。

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「六千、七千、八千、九千、一万。一、二……あと八千だぜ」
 あれから二ヶ月。本当に帰れるのかどうか知らないが、順調だ。
「すごいや。こんなに早く一万二千Pも貯めた子初めて見たよ」
 何故だか当然のようにミアンが私の部屋に上がり込んで紅茶を飲んでいる。よく遊びに来るのだ。居住区が同じだからか。ミアンは"A区"第六層に住んでいる。私の部屋は"A区"第四層、他の子供と同じ六畳一間だ。近いといえば近いが、隣とか一層下とか、近いだけなら他にもあるだろうに。単にライチュウが好きなだけだったりして。
「普通だろ? 支出は自分が食っていくだけありゃ残り全部貯金に回せるんだぜ。そう考えると私も失敗してるんじゃないのか。うまくやりゃひと月一万、ふた月で脱出できたはずだぜ」
「一年かかって貯められない子だって珍しくないんだけどね」
「勉強会をもっと早く始めてればなぁ……」
 深夜まで起きてる子供にも真面目なヤツはいた。帰るまでに勉強が遅れるといけないとか言って、隣の部屋のポポッコがラミに教えてくれと頼んできたのだ。これは金になると踏んで中央市場やら大通りにビラを貼ってまわったところ、予想以上に生徒が集まった。最近は評判を聞いて押しかけたポケモンで定員オーバーしているほどで、副業としてはかなりの収入を得ている。というか、時間が掛かってもいいなら発電所のシゴトをしなくても二万Pくらい軽く貯められる。
「ラミ先生の評判は他の居住区でも噂になってるよ。三つも年下には思えないな」
「お前がガキなんじゃないのか」
「そうかもねー」
 ミアンはそう言って屈託のない笑顔を浮かべる。よくもまあこんな所にいて無邪気に笑えるもんだ。
「そのラミ先生もあと三週間もすればいなくなっちゃうんだよね」
「ん? ああ、そうだな」
 ミアンの声がすこし沈んだ。もしかして私との別れを惜しんでいたりするのか。こんな所で……?
 ふと、気づいた。このミアンという少年、そう、世間一般にはまだ少年でしかないミミロップが――一体何の理由があってこんな所にいるのだろう。
「なあ、ミアンって」
 後足を投げ出して座っているミアンの小動物めいた瞳がラミを見つめ返していた。

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 蓄電池や変電機の重々しい稼動音と時々電気が漏れてスパークする音が響き渡る広い室内。種々の電気タイプポケモンが並んで体に線を繋ぎ放電している中に私はいた。
 どうせ放電する以外にやることはないからと、頭では別のことを考えていた。まあ普通のヤツは放電に集中しないと電圧が下がるらしいが。
 ラミの頭はミアンのことで一杯だった。あのままじゃあまりにも可哀相で放っておけない。何とかしてミアンを助けてあげる手立てはないのか。気づけばそのことばかりが頭の中を&ruby(めぐ){廻};っていた。
「そこのライチュウ! もっと電圧上げなさい!」
 おっといけない。考えるのに集中しすぎたぜ。
 とりあえず七万ボルトくらいにまで上げとくか。
 最低五万ボルトを維持していないと発電所の監督からゲキが飛ぶのだ。それでも五万に達しない場合は即刻クビになる。逆に五万を超えていれば、超過した分の電気と時間に応じてボーナスがつく。
 子供には厳しいが、もとよりここで年齢など考慮されるはずもない。
 ちなみに監督しているのは電気技の効かない地面タイプのポケモンで、ラミのいる部屋はサホというサイホーンの少女が担当している。二ヶ月経ってもラミの名前を覚えられないほどのどうしようもないアンポンタンだが、まぁ各ポケモンの電圧メーターを見て指示を出すだけならあれでも務まるだろう。
 シゴトがなければ死ぬしかないのがここの掟なのだと、最初ミアンに聞かされた。実際、街頭で野垂れ死にする子供などしょっちゅう見かけた。死んだら最後、ここからも消えてしまう。消えたらどこへ行くんだ、とミアンに尋ねると、ボクも知らない、と言っていた。確かなことは、消えた子供の数だけミアンを含む、女王様とやらに近しいポケモン数名が補充しなければならないということだった。
 本当は教えてはいけないことなのだという。どうして私に教えるんだと問えば、ラミはすぐに二万P貯めて出て行っちゃいそうだから、とのことだった。あの時の何かを必死に我慢しているようなミアンの顔は、思い返すと今にも溢れ出しそうな涙を堪える顔だったのだと合点がいく。
「よーし休憩! 昼休みよ!」
 大時計を見ながらサホが叫んだ。当然ながらサホ自身も休憩時間になるので、声にも嬉しさが表れている。
 ラミは引き続きミアンの顔を頭に浮かべながら、ほかのポケモンと同じように社員食堂へ足を向ける。
 少年少女ばかりとはいえ、形成される社会は大人のそれとあまり変わらない。ラミはオトナとしての暮らしに慣れるのも早かった。親兄弟や友人達と会えないことを除いては何ら不満はなかった。むしろ子供扱いされない今の方が充実してさえいるかもしれない。
 社員食堂へと続く廊下で、事務職の子達が階段から合流してきた。お世辞にも広いとは言えない廊下は瞬く間に埋め尽くされ、ラミもポケモンの流れに飲み込まれる。
「事務職……か」
 実は二つ返事で肉体労働を引き受けたことを後悔していた。事務のシゴトをきちんとこなせる子供などそうそういるものではない。聞く限りじゃ発電所の事務はまだ簡単だというが、それでも新人の残る割合はずいぶんと低いように感じる。三日程度で顔を見なくなってしまう奴なんてざらにいる。そんな場所だから、ラミのようなポケモンが肉体労働の枠を一つ埋めてしまっているのは社会として非効率だと思う。
「ま、今さらだしな」
 二万Pを間近にしてわざわざ慣れない部署に鞍替えする必要もない。
「ラミちゃん!?」
 ラミがぼそりと呟いた独り言に誰かが反応した。すぐ近くだった。真横だ。
「お前……」
 紫の体に小さな角の生えたそのポケモン。見るのは今日が初めてだった。いつもは事務の新入りなんだ、何日持つだろうか、今度こそ残るだろうか、などと考えるだけだ。だが、それが見知った顔のニドラン♂だったらどうだろう。
「ミドラじゃないか。なんでお前がここにいるんだ?」
「それはこっちの&ruby(せりふ){科白};だっての! 二ヶ月もどこ行ってたんだよ! みんなラミちゃんのこと探したんだぞ! ラミちゃ……んっ……」
「おいおい、こんなところで泣くなよ。男の子だろお前」
 でもミドラのお陰で明らかになったことがある。
 どうやら不思議で怖くて少し愉快なこの世界が夢ではないらしいということ。そして、ここにいる子供達はみな同じように、自分達の世界から、国から、町から連れてこられたポケモンだということだ。

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 その晩、四匹は二ヶ月ぶりの再会を果たした。
「ラミちゃんっ!」
「ラミちゃぁん……ぐすっ」
 居住区"B区"近くの公園は、日が沈みかけているのにも関わらず多くの子供達で賑わっていた。遊具もない、ただ草と花と木があり、それにベンチが置かれているだけの簡素な空間だが、働く子供達にとって遊ぶのはこの時間しかないのである。
「ラミちゃん……」
「もうわかったって、泣くな泣くな」
 マキとルマーニの肩を抱いてやりながらも、ラミの心はあの少年のことばかり考えていた。
 ここにいるポケモンが皆、連れて来られた子供なのだとしたら。ミアンもそうなのか? 他のポケモンより一つ二つ抜けた年上には違いないが、ラミたちの基準でいえばせいぜい高校生くらいだ。
「流石にないか」
「ラミちゃん?」
「……ミドラ。お前さ、高校生でもさらわれると思うか?」
「ねえだろそれは。俺はラミちゃんだってさらわれないと思ってたし」
「へえ。私はそんなに老けて見えるか」
「いやいやいやっ、そういうイミじゃなくってさ!」
「正直に言っていいんだぜ? 私だってまさかと思ってた」
 ラミ自身とて、百歩譲って"怖い噂"が本当だったとしてもまさか自分がさらわれるような事はあるまいと考えていたのだ。百歩どころか千歩も二千歩も譲る結果になってしまったが、今でも自分が子供だとは思っちゃいない。
「ラミちゃん……僕……どうしよう……」
 弱々しい声はラミの胸元から。ようやく泣き止んだルマーニが、涙を溜めた目でラミを見上げている。
 そんな目で見るなって。おい。ぎゅーってしたくなるじゃないか。
「自分でシゴトなんてできないのに……」
 そういえばミアンが言ってたっけか。
 三匹の居場所はミアンに聞いたのだ。お陰でこうして再会できたのだが、その時に気になることを言っていた。
 ――一匹はダメかもしれない。ここでは生きられない子かも。
「おいおい、しっかりしろよ」
 弱々しい声だと思ったのは、本当に衰弱していたのだ。丸一日何も食べないくらいでポケモンは死なないが、三日四日と続けば働く体力さえなくなってしまう。
「ここには親もいないし、私らも規則でお前を助けられない。自分で働く以外に生きる道はないんだぜ」
「そんな……僕まだ子供なのにっ」
「ミドラもマキも怒られながら今日は何とかやり切ったんだぜ? な?」
「うんっ」
「俺はミスばっかで……でも、明日も来いってさ」
 二匹の少年少女の顔は大人のそれに少しだけ近づいていた。日払いで給料を貰って、初めて自分のお金でご飯を食べて。
「働かざる者食うべからず」
 ラミ達から少し離れたところから声がした。並木を挟んで公園の外、道の方からだ。
「キミはもう、今日からオトナなんだ」
 並木の間を跳ねるように抜けてきたミミロップは、ラミ達の前で立ち止まって公園を見渡した。
「童心を忘れろとまでは言わないケドね」
「ミアン……」
 ミアンは両手に提げていた買い物袋をベンチに置くと、ラミの隣へ移動してしゃがみ込み、ルマーニの瞳を覗き込んだ。
「ね、そろそろシゴトする気になった?」
「…………」
 ルマーニはうつむいたままだんまりだ。
「しなければ死ぬしかないよ」
 ミアンの口調は優しさに溢れているが、紡ぐ言葉は残酷な現実。この世界の真理だった。
「ミアンの言う通りだぜ。私達にはお前を助ける事ができないんだし」
 言いながら、思った。もし本当にルマーニが死にそうになったら、見捨てることなどできはしないと。たとえ帰れなくなったとしても私はルマーニを助けるだろう。
「ホントはこうやって知り合いが顔を合わせるのは良くないんだけどね」
 ラミの心を見透かしたようにミアンは言った。
 一方のルマーニは沈黙を守ったままだ。
「……じゃあ、こうしよっか」
 ミアンは先程置いた買い物袋から何かを取り出した。ここでの生活がそれなりに長いラミには何なのかすぐに分かった。ラミ達の居住区"A区"近くのパン屋のカレーパンだ。それをルマーニの前に差し出して、ミアンは言った。
「キミがボクの紹介するシゴトに就いてくれたら、このパンをあげる」
「っておい、ミアン……!」
「ラミは黙ってて」
 おいおいおい。いいのかよ? 食べ物を与えるのは禁忌なんじゃないのか。
「ぅ……あっ」
 ルマーニ言葉にならない声を漏らした。朝から何も食べていないのだ。ミアンはパンを二つに割った。その音だけで揚げパンのサクッとした表面ともっちりした中身の食感が伝わってくるようだ。揚げパンの中から顔を見せたカレーの色と匂い、立ち上る湯気はこれ以上ないくらいに食欲を刺激する。端から見ているラミでさえそのカレーパンが食べたくてたまらなくなった。
「シゴトする! 僕、明日から働くから!」
「はい」
 ミアンがルマーニの前にカレーパンを置いた。
「契約成立だね。食べて」
 ルマーニは目の前に置かれたカレーパンとミアンとを何度か見比べたあと、前足で固定してかぶりついた。まだ熱かったのか、ひと口目を口に入れた途端はふはふと口を半分開けながら涙目になった。
「そんなに慌てて食べなくても……」
 ミアンはそんなルマーニの様子を見て楽しそうに笑う。そしてミドラやマキの恨めしげな視線を受けて、買い物袋の中身を全部空けた。
「キミたちのもあるから、好きなのどうぞ」
「わあ、ありがとうミアンさん!」
 ミドラが弾かれたように飛び出してメロンパンを掴む。
「ちょ、ちょっと! メロンパンはあたしの!」
「へへーんだ。早い者勝ちだっつーの」
「ミドラっ、あんたってやつは……!」
「私はこれ貰っとくぜ」
 マキが何やら揉めている間にクリームパンを取った。
「あっ、ラミちゃんそれ! あたしメロンパンの次にクリームパンが良かったのにいぃ」
「そーなのか」
 面白いから少しからかってやった。
「ひどい! そんなああぁぁぁ……」
「あれ、ラミちゃんってクリームパンなんか食べたっけ?」
 ミアンが横から突っ込みを入れる。ミアンも私もよくあのパン屋には行くから、だいたい何が好きかはよく承知している。
「冗談だぜ」
 ラミはマキにクリームパンを差し出した。ほんとうは甘い菓子パンは好まないのだ。
「んもう、ラミちゃんってばっ」
 マキは膨れながらクリームパンを受け取りつつにやけて半分笑顔になるという珍妙奇天烈な表情を見せた。ぶたざるポケモンよろしくどちらともつかぬ、どちらの要素も含む顔だ。器用すぎるだろ。
「フフッ……アハハハハハッ」
 あまりに可笑しくて吹き出してしまった。
「な、なんだよう……そんなに笑わなくたっていいじゃない!」
「そんなに面白い顔だったの? くっそ、見逃したじゃねえかよっ」
「ふん! ミドラはメロンパンに夢中になってるからでしょ!」
「二人とも、ケンカはだめだよぉ」
 いち早くカレーパンを平らげてしまったルマーニが二匹をなだめる。
「でも……ラミちゃんがそんなに笑うの、久しぶりに見たかも」
 ルマーニはぽつりとそんなことを呟いた。
「ボクは初めてでびっくりしちゃった」
 気づかなかったが、ミアンの驚きの視線がラミに注がれていた。言われてみれば。ここに連れてこられてから――いやその前から、純粋に笑うことなんてしばらく無かったように思う。追いつかない体の成長、どれだけ頭でっかちになっても子供には見えない世界にうんざりしていた。ここへ来てからも、ルマーニたちの事や家族の事を考えて人並みに不安にもなっていた。
 自分で自分の身を助けることでついに見えた世界、そして彼らとの再会が、ラミに下りていた帳を取っ払ってくれたのだ。
「私だって十三歳の夢見るライチュウの少女なんだけどな?」
 ラミは冗談めかして肩をすくめ、二つ残ったパンのうち、白砂糖をまぶしたあんドーナツをミアンに渡し、ピザパンを自分で取った。
「あのクリームパン、ほんとは自分用だったんだろ」
 マキに聞こえない声で囁いた。
「ボクは甘党なだけさ。何でもいいよ」
 なんだかんだ言って最初にルマーニにカレーパンをあげたのも計算だったわけだ。そのあと選ばせればどう転んでも菓子パンが一つは残る。
「そう。ならいいけど。ちょっと来て」
 そんなことよりずっと気になることがある。ラミはオトナの話だ、と三匹にことわってミアンを離れたところに引っ張ってきた。
「なあにラミちゃん」
「お前さ。誰かが誰かを養うのは&ruby(タブー){禁忌};だって言ってなかったか?」
「そうだけど」
 ミアンはきょとんとしながらあんドーナツにかじりついている。こうしてみると妙に子供っぽい。年上の男に抱く印象ではないかもしれないが。
「いいのかよ。私やミドラやマキはともかく、ルマーニにはまだ自分の稼ぎがないんだぜ?」
「あれは取引でしょ。モノで釣るのも一つの商業戦略ってコト。ボクはあの子を養ったりしてないし、&ruby(ほどこ){施};しでもない」
「そんな口実認められるのか? 女王様とやらに」
「たぶん」
 ミアンは考えるでもなく曖昧な返事をし、あんドーナツを口に運ぶ。まぶした白砂糖が口の周りについてるんだが。言おうと思ったが、ミアンはすぐに気づいて前足で拭いた。
「なあに、そんなにじろじろ見て。話はもう終わりなの?」
「ごまかしても私には通用しないぜ」
 私の考えが正しければ、こうだ。
「ミアン、お前ってもしか――」
 して、と言えなかった。ミアンはラミの前足に自分の前足を添えて、ピザパンを口に突っ込んできたのだ。前に尋ねたときははぐらかされた。今度はラミなりに出した結論を、本人に確認することを拒否されてしまった
「冷める前に食べちゃいなよ」
 その少年の瞳はあまりにキラキラして、透き通っていて――硝子みたいに脆くて。
 ラミはそれ以上の事を言うことができなかった。そして、いわく言い難い熱、胸の中に、小さな小さな火が点った瞬間だった。
 不思議の国の、不思議な日常のワンシーン。故郷と変わらぬ輝きを、変わらぬ光を降り注ぐ太陽が地平線の向こうに消えて、西の空が灰色ともオレンジとも青ともつかぬ色に染められた黄昏の出来事だった。

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 そこは特別な国でした。朝には律儀な太陽が、夜には気まぐれな月が大地を照らします。真ん中にが大きな大きなお城が聳え立ち、その周りにはマンションのような建物がいくつもあり、畑があり、工場があり、お店があり、蜘蛛の巣のように道が走る城下町がありました。それらは特別なことではありません。それでもそこは特別な国なのです。何故ならその国には大人がいないのです。子供だけが入る事を許され、一度入った子供もオトナになるとお城に住む女王様がその子を元の国へ帰されてしまいます。
 ですから、そこに大人はいませんでした。
 ――たった一匹のサーナイトを除いて。

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 塾の生徒が増えるにつれ身の入りも良くなり、あの日から二週間の後にはラミは目標額である二万Pを手にしていた。
 しかしこれをどうする? 貯めたはいいが、これをそっくり女王様とやらに払ってここから出してもらうのか。その為に貯めたんだから当たり前だ。だが、二ヶ月半の間にいろいろなことがありすぎた。ラミが今日でいなくなれば、残った生徒はどうする。ほかに頭の良い子供が連れて来られるのを待つか。まあ、それはそれでいい。問題はあいつらの方だ。昨日の話では、現在の貯蓄額はミドラが千、マキが六百、ルマーニに至ってはゼロだ。日々の生活を自分でまかなうのに精一杯で、貯金まで手が回らない。子供がオトナと同じ条件で生きればそうなって当然といってもいい。はじめの二週間で四桁に乗せたミドラはかなり優秀だ。まだ生活に慣れてもいないのに着実に貯金を増やしている。
 でも、本当にそれで良いのか?
 女王様に渡した二万Pは女王様の物になる。女王様はその見返りに元の世界に帰してくれる。だと考えると、女王様のやってることもシゴトには違いない。何かをサービスして対価を受け取る商業取引だ。ただし条件がある。自分の代わりに一匹、ポケモンを連れてくること。ちなみに言えば、女王様というからにはこの子供の国を治めるのが本職である。そのために給料からは税金が引かれていたし、ちゃんと消費税も導入されている。道や公園や水道や電気がそのお金で維持、まかなわれている事も知った。ラミは世の中のしくみというものをこの二ヵ月半ですっかり理解してしまったのだ。だから、である。この二万Pを素直に女王様とやらに渡すことに一抹の不信感が拭えない。姿すら見たこともないのだ。あのお城の中にいるとされているだけで、種族も名前もわからない。
「……会ってから考えりゃいっか」
 もう頭でっかちは懲り懲りだった。私は自由なんだ。二万P貯まったんだから、ミアンに言って女王様とやらに会わせてもらう。会って話を聞こう。考えるのはその後でも問題ない。
 その日の夕方、ラミはミアンの帰りを待った。ミアンは主に朝、新しく連れて来られた子供たちの部屋を回る。昼からは子供の数の確認。減った分を女王様に報告して、夜になると補充しに行く。確認のの方法も補充の方法も知らない。ミアンはそこは絶対に教えてくれなかった。
 そして女王様の事も。二万P貯めたら会わせてあげるよ。それまで待って。いつもそう言ってはぐらかされた。
 今日か明日か――それが全部、明らかになる。
 居住区"A区"の入り口に、買い物袋を提げたミミロップの姿が現れた。
「こんばんはラミちゃん。こんなところでなにしてるの」
「貯めたぜ」
 四文字で伝わると思ったので、そうした。
「……そう」
 ミアンの声は無機質で、まるで聞いちゃいない、空返事とも取れる受け答えだった。
「明日の正午、ボクの部屋まで来て。約束通り、女王様に会わせてあげる」
 続いたミアンの&ruby(せりふ){科白};は、まさしく科白だった。何十回と練習した科白みたいに流暢で、努力を讃え、ようやく元の世界へ帰ることができる、という祝福の感情が込められていた。偽りを感じさせない彼の気持ち。だが、ミアンが本当にそう思っているなんてラミには信じられなかった。
 ミアンはそのまま階段を上がっていってしまった。その背中すらも、何も語ることはなかった。
「会うだけなのに、大袈裟な奴だぜ……」
 私は何もしない。女王に会って確かめるだけだ。約束の二万Pを貯めてさえしまえば、帰ることは、いつでもできるのだから。

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 前日の事。
「ルマーニ! またオマエか!」
「ご、ごめんなさい! すぐに届け直します!」
 ミスを頻発しながらもギリギリの線でクビにはならず、ルマー二は今日も郵便配達の仕事をこなしていた。大きな荷車を引いて町中を行ったり来たり。三週間この仕事を続けたことで、道もおおよそ覚えることができた。
 届け直さなくてはならない手紙は一枚だけなので荷車は使わずに、ルマー二は手紙を口にくわえて走った。
 外に出ると、どこにいても大きなお城が見える。あそこには女王様がいて、女王様は僕達が二万ポケを溜めたら元の世界に帰してくれる優しいポケモンなんだと聞く。届け先はお城の向こう。せっかくだからお城の近くを通っていこう。
 ルマー二は走った。走って、お城の真下を通り過ぎるつもりだった。わざとスピードを落として。チラリチラリと大きなお城を見上げながら。
「危ナイッ! ソ、ソソソコノにゃるまー君、退イテェッ」
「にゃ?」
 上空からの声に、ルマーニは手紙をくわえた顔を上に向けた。何か落ちてくる。
「ダカラ止マルナッテ!」
 テレパシーか機械音か……金属質の声だ。夕陽を照り返す鋼の三角形、いや三つの丸ボディ。
 レアコイルが落下してくる。
「うわあああっ!」
 鋼の塊だ。あんなものに当たったら死んじゃう。
 ドォオオオォォン、轟音、砕ける石畳、舞い上がる砂煙、飛び散る破片。ルマーニはその全てを、耳を折り畳んで地面に伏せったことでどうにかやり過ごした。二、三粒の石ころが体に当たって少し痛かったけれど怪我はしなかった。
「――っていうか」
 ルマーニは恐る恐る顔を上げて、まだ砂煙の消えない落下地点を見た。
「大丈夫……ですか?」
「掘リ起コシテクレ」
 良かった、返事があった。ルマーニは安堵しながら、レアコイルがぶっ刺さった石畳、正確には石畳が吹き飛んで剥き出しになった土を掘った。
「アリガトウ」
 レアコイルは体が半分くらい出てきたところでそう言うと、あとは自力で飛び出した。
「フー。ヤレヤレ」
 レアコイルは磁石やネジをぐるぐると動かして復活した。
「イヤー、済マナカッタ。電磁浮遊デ飛ンデイタラ誤ッテ柵ヲ越エテシマッテネ。危ウクにゃるまー君ヲ押シ潰シテシマウトコロダッタヨ」
「僕、怪我はしてないよ!」
 ルマーニはレアコイルの前で跳ね回って見せた。
「ほらほら、元気でしょ? ねっ」
「ワカッタワカッタ。元気スギルクライダネ」
「って、心配なのはレアコイルさんの方です!」
「アア、おれノ防御力ハ最強ダカラナ。ナレバコソ女王サマノ城ノ警護ヲ任セラレテイルノダ。アノ程度ノ高サカラ落チタクライデ怪我ナドシナイ」
 レアコイルは自信満々に胸を張る。どこが胸だかわからないが。
「このお城を守ってるんですか? それで大丈夫なんだ!」
 納得してしまうルマーニもルマーニである。
「トコロデ、君ハ配達ノ途中ノヨウダガ?」
「あっ、そうだった……急がなきゃ!」
「気ヲツケテナ」
「そちらこそ!」
 二匹の出会いは偶然に偶然が重なりもたらされた。互いに名も聞かない、しかし言葉を交わした彼らは、道端ですれ違った以上の関係にはなった。少なくとも相手の顔が――ルマーニの方では三つの顔の組み合わせが――記憶の片隅に残った。

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 幾度となくこの城の前に立った。通り過ぎた。歩き去った。
 モコモコしたブラウンの背中を追って門をくぐり大扉を開け、赤い絨毯の敷かれた幅広の廊下を進み、階段を上がる。建物の屋根の上、バルコニーと呼ぶべきか城壁と呼ぶべきか、とにかく一旦外に出た。
 広い。広いが、内装に反して外装は石が剥き出しで地味、良く言えばシックで落ち着いているとも言えるが、下から見上げたこの城にはある種の不気味さを感じていた。上ってみてもあまりその印象は変わらない。しかしそこにポケモンがいれば見方は変わってくる。守衛と思しきレアコイルが陽気に(?)声をかけてきた。
「みあんカ。ゴ苦労様」
「うん……」
「ドウシタ。元気ガナイナ」
「なんでもないよ。行こう、ラミちゃん。こっちが玉座のある部屋だよ」
「ああ」
「ナンデモナイヨウニハ見エナイケドナ」
 レアコイルが正しい。ミアンは明らかに無理をしていた。おおかたラミと別れたくなくて女王に会わせるのをしぶっているのだろう。女王の間に近づくにつれ歩みも徐々に遅くなっている。
 城のほぼ中心に聳える高い塔に入ると、正面に扉、右手は上階へ続く階段になっていた。ミアンは軽やかだが気の進まない足取りで階段を上る。塔の内周に沿った緩やかなカーブだが幅は広く、隅まで掃除の行き届いたシックな赤色の階段。大理石の壁には燭台に見立てた電灯が一定の間隔で並んでいた。
 一周するたびに踊り場が現れ、そこには最初に見たのと同じ扉があった。変わったのは七周した時だ。
 派手な装飾の施された一際豪奢な扉。ラミは一目でそこが女王の間だと判った。
 ミアンはドアの前で立ち止まって、静かに扉を叩く。
「今日も一人の&ruby(・・){女性};をお連れしました」
 なるほど、合格者は大人と認められるわけだ。
 しばらくして扉が開いた。誰かが開けたのかと思ったがそうではなく、どうやらひとりでに開いたらしい。
 首を傾げながら、ミアンに続いて部屋に入った。
 扉のきらびやかさとは一転、女王の間はシックな大人の雰囲気に包まれた、落ち着いた部屋だった。照明の光量が抑えられていて薄暗い。その中に浮かび上がるようなクリーム色の長ソファー。彼女は身を横たえてこちらを見ていた。
「ミアン……良い子だ、こっちへ来な……」
 ここへ来てから初めて見る、文字通りの意味での、大人だった。緑の髪に真っ白な体と衣、胸元のルビーのような角。
「はい、サーベナ様」
 ミアンは恭しく一礼してから女王――サーナイトのサーベナに歩み寄って跪いた。その頬を女王の緑色の手がそっと撫でる。
「このライチュウの事を教えておくれ」
「……種族はライチュウ、名はラミ。十三歳」
 ミアンは淡々とサーベナの質問に答える。
「今から二ヶ月と十四日前の午前零時、彼女はベッドに入ることもなく読書に耽っていました。よって我々は彼女にその資格があるか、大人としての能力と責任を試す為に入国させました」
 そういえば、元はそれが原因だった。あの時はまさか本当に寝ない子供が何処かへ連れて行かれるなんて夢にも思わなかった。
「そして自らの力で見事に二万Pを手にし、元の世界へ帰り……」
 ミアンはそこで一瞬、言葉を詰まらせた。
「元の世界へ帰る事を望んだため、ボクが謁見許可を与えました」
「結構。では、ラミ」
 ミアンの報告を聞き終わったサーベナがラミに視線を向けた。ここへきてようやく目を合わせた。サーベナはラミ達が部屋に入ってからずっとミアンしか見ていなかったのだ。
「はい」
「ミアンの申した事に間違いはないか?」
 まるで被告人だ。しかし私も頷くばかりじゃない。
「ああ。一つを除いてだけどな」
「ほう。言うてみよ」
 ミアンは少しだけ首を傾げた。どこに間違いがあったのだろう、と。
 残念ながら早とちりってやつだ、ミアン。わかってて利用させてもらったんだけどな。
「ミアンは私が元の世界に帰る事を望んだなんて言ったけど、私はそんな事一言も言ってない」
「え……なんだって?」
 思い込んでいただけに、ミアンは驚きを隠せないようだ。
「ではラミ、お前は何故ここにいる」
「ミアンが私に言った事は二つ。あんたに二万Pを支払えば元の世界に帰してくれるって事と、二万P貯めればあんたに会えるって事。私は二万Pを溜めたからあんたに会わせてもらった」
 ラミは腰に下げた袋から二十枚の金貨を取り出してみせた。
「でもな、この二万Pをあんたに払って、元の世界に帰してもらうとまでは言ってない。な、ミアン?」
「それは……」
 ミアンは言葉を詰まらせたが、思い立ったように顔を上げた。
「そうだよ。ラミちゃんは女王様に会いたいと言っただけだ。ごめんなさいサーベナ様。ボクが早合点して……」
「よい。それよりラミとやら。このワタシに会いに来たわけを聞こうではないか。帰らないのなら、その金貨を抱えてどうしようというのだ?」
 サーベナは怒るでもなく、むしろ楽しそうに口元を緩めた。
「この国を治めているポケモンの姿ぐらい見ておこうと思ったんだよ。この金は、あんたに会うだけで二万取られるってんなら置いてくつもりだぜ」
「帰りたくはないのか?」
「私はあんたに」
 ラミはサーベナに目一杯の笑顔で答えた。
「感謝してるんだ。私は大人として生きてみたかった」
「面白い子供だこと。お前のようなポケモンは初めて見たわ」
 ラミの感謝の気持ちが嘘でないことは、サーナイトならある程度その胸の角で感じ取れるだろう。サーベナは口元を押さえてくすくすと笑った。
「ねえミアン? ワタシがお前よりもこやつの方が良いと言ったらどうする?」
「それはだめ……! サーベナ様、お願い! ラミちゃんには……ラミちゃんは、帰してあげて」
 軽い冗談だと思った。実際サーベナの方でもそのつもりだった筈だ。でも、ミアンは途端に必死になってサーベナに懇願した。
「ほう? お前がそのような事をワタシに言うとはね」
 ミアンの言葉から察するに、ラミの推測に間違いはない。
「なるほどな。ミアン。やっぱりお前も私達と同じだったんだろ」
「それは違う。ボクは……」
「ミアンは禁を犯したのさ。連れてこられる子供の中にはどうしても駄目な奴がいるんだよ。十歳にも満たぬ子供。働くにはあまりに頭の弱い奴。子供の甘え。ミアンはそれを救ってしまったのさ。自分の稼ぎで二匹のポケモンを養っていた」
 サーベナが真実を語り始めると、ミアンの否定も意味を為さなかった。黙って話を聞く以外になくなったミアンは長い耳で顔を隠すように俯いた。
「そうするとあんたにここから出る権利を剥奪されるんだって?」
「そうさ。この国と外の世界を繋ぐ事が出来るのはワタシだけ。ワタシが出さないと決めた子供は出る事ができないんだよ」
「へえ。それで」
 さっきのミアンの言いようはそういう事だったのだ。禁を犯せば物理的に脱出不可能になるということではない。全てはこのサーベナという女王次第。ラミが女王の機嫌を損ねてしまう事を心配していたのだ。
「私を脅すつもりなのか?」
「話はここまでさ。元の世界に帰らないなら下がりな。お前とのお喋りは楽しめそうだけど、ワタシも暇じゃない」
「こっちはまだ聞きたいことが山ほどあるんだ。また会いに来るぜ。会うのはタダでいいんだろ?」
「吹っかけてやってもよいが……今も言ったように、お前と話すのは悪くない。好きにしな」
「ありがたきお言葉」

 ――かくして、ラミの女王サーベナへの初めての謁見は幕を閉じました。不思議な国に迷い込んだ彼女達は、全員無事に帰ることができるのでしょうか?

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「ん? 今日はカメオはいないのか?」
 ラミ塾。我ながらひどいネーミングセンスだけど、いつまでもここにいるわけじゃ無し。考えるのも面倒だったから名前をそのままつけた。
「あー……先生聞いてないの? カメオ君は帰っちゃったよ。二万P貯めたって」
 狭い部屋に五匹ほどの小学生が座ったり立っていたり貼り付いていたり。ああ、最後のは今カメオの事を知らせてくれたベトベターだ。
「お前らもさっさと貯めて元の家に帰りたいだろ?」
 週三回で体の大きさにもよるがおおよそ六匹ずつ。自分の部屋に上げて、指導をする。といっても宿題を作ってやったり、たまにわからないところを教えてやったりするだけの簡単な仕事だ。こんな国でまでわざわざ勉強しようとする子供なのだから、教材さえ与えてやれば自分でやる。与えられなければできないところが子供なのだ。まぁ、ラミも実は成績は中の上といったところでそんなにできるわけではないから、きちんとした授業まではできないのだが。テストの点数で勝負したらこいつらに負けるかもな。
「ねえ、先生はまだ二万P貯まってないの? 貯まったら帰っちゃうの?」
「貯めたぜ。でもほら、まだ帰ってないだろ」
 生徒達は不安と疑問の入り混じった表情でラミを見つめ返してくる。もしラミが帰ってしまったら自分たちはどうなるのか。帰れるのになぜ帰らないのか。
「大丈夫だって。お前らなら私がいなくなってももう自分で出来るだろ?」
 女王にはああ言ったが、家族の事も学校の事もあるし、ラミとてこんな所からさっさと帰りたいと思っている。尻尾を引かれる((後ろ髪を引かれる))ような思いがするのはルマーニ達の事と、ミアンの事があるからだ。ここに連れ込まれたのが私一匹だったら、ミアンとの出会いがなかったら、迷うことなど何もない。
「さあ、今日も始めるよ。以降私語禁止だぜ」
 いや……女王と会って話をしたら、ミアンやルマーニ達がいなくたって同じか?
 夜更かしをした子供がどこかへ連れて行かれて、そのどこかにはちゃんと行き着く先があって……一体あの女王は何が楽しくてこんな国を治めているんだろう?
 疑問は後から後から湧いてきて、考えるほどに霧が、少しずつ晴れてゆく。
 どうかしている、と思った。私のしようとしている事は。

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「ぜんぜん貯まんないや……」
 ルマー二はその日得た給料で食事を終えると帰途についた。料理なんて自分でしたこともないからできないし、物の値段もあまり知らなかった。高い値段で安物を掴まされて損をする事も少なくなかった。そもそも仕事で失敗すると給料が減ってしまう。それで結局、三週間経った今も貯金がほとんど増えない。今、家にあるのはたった四百P。こんなの、何かあったらすぐなくなっちゃいそうだ。
 ルマー二が居住区"B区"の階段を上がって第二層へ……自分の部屋が見えたとき、ルマー二は異変に気づいた。
 扉が開いている。
 誰か来てるのかな。マキかな、ミドラかな。もしかしてラミちゃんかも。
 ルマーニの頭に浮かんだのはそんな甘い考えばかり。開きっぱなしの扉をくぐって初めて、事の重大さを知ったのだった。
「え? なに、これ……?」
 部屋が荒らされている。元々何もない部屋だったけど、布団がひっくり返っているのはさすがにおかしい。そして部屋の端っこに置いてあった大切な物がなくなっている。
「うそ」
 せっかく貯めた四百Pが。どうして?
 誰がこんな事を? 僕が悪いの? そうだ、鍵を持ってるのは僕だけだ。鍵を掛け忘れた? どろぼうなの? ほんとに? 僕の家に?
 ルマー二は信じられなくなって、いたたまれなくなって、部屋から飛び出した。
「よおルマーニ。どうかしたか?」
「ミドラ! 大変なんだ!」
「何だよ」
「そうだ、ミドラ、知らない?」
 ここへ来てまだ希望的観測を捨てきれないのも子供の甘さだったのかもしれない。
「だから何なんだよ?」
「僕の四百P! なくなってたの!」
「ええっ……お前、カギ掛けてなかったのかよ! 俺は知らねえっつーの!」
 誰かが何かの理由で持ち出して、保管しているとか。そんな事、十中八九あり得ない。
「盗まれたんだよ! こういう時は……ケーサツだケーサツ!」
 誰かの悪意とルマーニの不注意が招いた、れっきとした事件だった。
「そ、そうだよね!」
「俺も一緒に行ってやるよ。お前一人じゃ説明できねえだろ。ルマーニなんだから」
 酷い言いようだったが、ミドラの言葉には優しさが感じられた。ルマーニは急ぎ居住区を出て街の中心部へ走る。
 しかし途中であることに気づいて立ち止まった。正確にはミドラに言われて気がついた。
「ケーサツってどこにあるんだ? つか、この国にあんのかよケーサツ」
「あるはずだよ! 僕見たモン。パトロールしてるガーディの子。あと、交番みたいな場所もどこかに……」
「そうか。お前配達の仕事してたんだったな。地理には詳しいんだ。で、どこなんだよ」
「えーと……」
 ミドラの顔が期待からイライラに、そして呆れの色に変わってゆく。ああ、思い出せない。何度か通ったのに。
「あ、そうだ!」
 キャアアアアアアアアアアッーーー!
 その時、どうやら女の子のものらしい絶叫が辺りに響き渡った。
「何だ?」
「ごめん、今ので忘れちゃった」
「ちげぇよ、今の悲鳴! 向こうからだぜ!」
「行ってみる……の?」
 悲鳴が聞こえたってことは危なそうなのに、どうしてわざわざ。
「ったりめーだろ! 行くぞ!」
「ま、待ってよ~」
 ミドラについて走って、角を曲がると。そこには倒れ伏したニューラと、そこから少し離れたところで数匹のポケモンに取り押さえられているデルビル、そしてたくさんの野次馬の姿があった。
 ――あいつが殺したんだ!
 ――ポケモン殺しだ!
 ニューラの体には焦げた跡があって、デルビルの近くにはお金が散らばっている。集まった野次馬の話を総合するに……なんて難しいことはルマーニにはできない。
「おいおい、強盗殺&ruby(ポケモン){人};かよ……」
「ごーとさつ……?」
 ミドラが周りのみんなの話を聞いて考えたところによると、あのニューラをデルビルが殺して持っていたお金を盗ったというのだ。それで、警察のポケモンに取り押さえられた。先程の悲鳴はその現場を目撃したポケモンによるものだったのだ。
「来なさい。ミアンさんの所へ連行します」
 よく見ると、デルビルを取り押さえているポケモン達の中の一匹はいつもパトロールしているガーディの女の子だった。それにしても、ミアンってどこかで聞いたような。
 うーん、思い出せない。僕、頭悪いんだよなぁ……。
 多くのポケモンが見守る中、デルビルは四匹のポケモンに無理矢理に引っ張られていった。
 後に残るはルマーニとミドラを含む野次馬とニューラの遺体、そして散らばったお金。
 お金……?
「なあルマーニ、ミアンって前にラミちゃんと一緒にいたミミロップじゃねえの?」
「えーと……」
 ラミちゃんの顔は思い出せるんだけど、ミアン……ミアン……いや、そんなことより。
「お金! 僕の!」
「は? っておい!」
 ルマー二は弾かれたように飛び出して、お金を拾い集め始めた。余りの勢いに周りのポケモン達も手を出せない。
「三百……八十ニ! やっぱり!」
「何のつもりだよルマーニ。いくら自分の金が盗まれたからってダメだぞ。そうゆうの、火事場どろぼーって言うんだぞ」
 周りの視線を気にするかのようにルマーニを諭すミドラだったが、ルマーニが行き着いた考えに追いつくのは時間の問題だった。
「待てよ……そうか。わかったぞ。このニューラがお前から金持ってった犯人で、逃げる途中で盗まれたって事か? ハハ、俺って天才じゃね?」
「僕もそう思って集めたの!」
 他のポケモン達にはミドラが説明してくれた。半信半疑ながらもみんな納得してくれて、この件は片付いた。
 片付いたところで、子供達にはあまりに重い現実が急に色を濃くして圧し掛かった。
 ニューラの遺体。ここで殺されたポケモン。不気味さと残酷さと死への純粋な恐怖。まるで竜巻のように嵐のように、その場を吹き荒れた。この国でどうにか自立を保っているだけの、まだまだ子供の彼らには、嵐を跳ね返すだけの強さはない。
「ミドラ……」
「何だよ! 何泣きそうな顔してやがる!」
 泣き崩れそうになる。もう、わんわん泣き始めてしまったポケモンもいる。ミドラは同じ感情を怒りに変えて、ルマー二はそれに晒されることでどうにか自分を維持していた。ポケモンが死んだ。そこに死んだポケモンの亡骸がある。怖い。怖い。怖い。怖い。いやだ嫌だ嫌だ嫌だ! 僕は……僕は、死にたくない!
 いったいどれだけのポケモンが目撃したのだろうか?
 まるで霧に包まれたように、ニューラの亡骸が薄れてゆくのを。消えてしまうのを。あるポケモンは泣いていて前も見えなかった。あるポケモンは必死に目をそらしていた。亡骸を凝視していたミドラに言われなければ、ルマーニも見ていなかっただろう。
「そんな……バカな事」
 ルマーニは思った。ポケモンは死んじゃうとあんな風に消えちゃうんだって。でも、少し考えればわかった。ミドラの反応も見て。おばあちゃんのお葬式の事を思い出した。
「変……だよね、今の」
 今まで本当の世界と何も変わらなかった。ただその事実だけが違っていた。ルマーニとミドラの脳裏に、自分達はここに連れてこられたんだ、と。ここは自分達が元居た場所と違うんだって事。暖かい家庭で暮らし学校に通う生活を思い出して、涙ぐんだのだった。
【タダ今、午後、八時ヲ、オ知ラセシマス】
 時報が、機械的な声で夜の八時を告げた。もう一つの大事なことは忘れてしまっていた。

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 足りない。圧倒的に足りない。たった三ヶ月足らずの滞在でこの国の事なんて把握できるはずもない。あれから女王に何度か会ったが、疑問は後から後から湧いてくる。隔靴掻痒とはこのことだ。このままじゃ帰れない。
「ということでミアン。お前の知ってる事全部話せ」
 ミアンは砂糖大量のミルクティーを口にしながら、驚いた目でラミを見た。初回の謁見から先、しばらくは来なかったが、三日も経つとまた夜はラミの部屋に来るようになった。余程ここが気に入っているのか。
「と、突然だねラミちゃん」
「あのサーベナとかいう女王、怪しすぎだぜ。肝心なことは喋らない。それはミアンもだったか」
「ボクが肝心なことを黙ってるっていうの」
「私はサーベナに聞くまで知らなかったんだぜ。お前がここにいる理由」
「それは……キミにとって肝心なことじゃないからだよ。キミにとって大切なのは早く元の&ruby(うち){家};に帰ることでしょ?」
「そうだとしたらまだここに残ってるはずがないだろ。いいから話せ」
「……ラミちゃんには叶わないや」
 ミアンはため息をついて、真剣な顔つきになった。
「どこから話そうかな。ボクの過去はサーベナの言った通りだけど」
 サーベナに敬称をつけなかった。あの忠誠心はやっぱり偽物なんだ。
「まずはボクの知る限りで、サーベナのコトを話そっか。サーベナはね、ラミちゃんも気づいてると思うけど、この国でたった一匹の大人のポケモンなの。ボクがここに連れて来られたときからずっとね。そして全ての権力を握ってる。子供達を連れてくるのも帰すのも全部サーベナの指示。この国で悪いことをした子供に罰を与えるのも、裁量も彼女次第なんだ。『シゴト』には警察もあるでしょ? 捕まえられた子供はボクのところに連れて来られて、サーベナに引き渡されるんだ。その後は思い出すのも嫌だけど……再教育を受けて、ボクみたいにサーベナの下で働かされるんだ。ただし殺人とか強盗とか、大変なコトをしちゃったらそうはいかない。また別の場所に送られるとか地下牢に閉じ込められるとか。本当のコトはボクも知らない。でも『絶対に殺さない』って言ってたの。そうだ、死んだポケモンがどうなるかは知ってる?」
「ああ。この前ルマーニとミドラに聞いたぜ。消えるんだってな」
 たまたま殺人現場の近くに居合わせた二匹は、殺されたニューラの死体が目の前で消えてゆくさまを目撃したのだという。半信半疑だったが、ミアンの表情から察するに事実らしい。
「闇に溶けるみたいに、ね。この国……いや、この世界。まるで現実みたいだけど、やっぱり現実じゃないんだよね。永遠に醒めない夢みたいだって、そう思わない?」
「幻想郷ってな」
「そうだったね。誰かの幻想がこの世界を生み出したのかもしれない。本当によくできた世界だと思う」
「誰かの……&ruby(・・・・・){サーベナの};じゃないのか」
 ミアンが断言しなかったことを代弁した。
「ボクもキミと同じコト思ってた。でもね。一歩間違えたら一生ここから出られなくなるかもしれないんだよ。ボク達を外に出せるのはサーベナだけなんだから」
「どうやって出すんだ?」
「そんなの、ボクに聞かれてもわからないよ」
「見た事ないのか? 毎日数匹ずつ出て行ってるんだろ?」
「奥の部屋にまとめて連れて行かれて、次の日にはいなくなってる。サーベナの話では、まず夜の零時に魂だけを出してもらうんだって。それで別のポケモンを捕まえれば、入れ替わりに帰ることができるってわけ。こればっかりはサーベナを信じるしかないけど、信じていいとボクは思う。ボクもキミも、連れて来られた時のコトは覚えてるでしょ?」
「ああ……私はラクライに連れてこられた」
「ボクはゴンベだったかな。こっちでたくさんの子供達に話も聞いたんだ。みんな自分と同じタイプのポケモンなんだよ。きっと抜けた子供の『シゴト』をうまく穴埋めするためにサーベナがそう命令してるんだ」
「合理的だな」
「うん。ただの超常現象じゃないってコト。ここは理屈抜きに動いてる世界じゃない」
 ミアンの話を聞いているうち、ラミにふと一つの考えが浮かんだ。いや、今ある事実を組み合わせた末に導いた結論と言った方が正しいか。
「私の憶測だが、聞いてくれるか?」
「なあに、言ってみて」
 二万P。サーナイト。消える死者。閉ざされた空間。
「実はここはサーベナが作り出した夢の世界なんじゃないかと思うんだ。あの二万P……金は、子供には本当は見えなくて。子供だけの持つ幻想、夢と引き換えに得ることができる。だからここに連れて来られた子供が貯めた二万ポケはその失った幻想が具現化した物なんだ。夢喰いって知ってるだろ。夢を喰うポケモンっていや、ゴーストタイプならゲンガー、エスパーならスリープやスリーパーが有名だよな。サーナイトも夢を喰うポケモンの一種なんだぜ。二万Pそのものは形式に過ぎない。それを貯める過程で子供の中に大人の現実が目覚め、子供の夢を失ってゆく。サーベナはそれを糧にしてるんだ。そしてサーナイトには空間を捻じ曲げる能力がある。その力で現実の世界とこの夢の世界を繋いでるんだ」
「ちょっと待って」
 ミアンはここまで黙って聞いていたが、彼が疑問に思うのはラミも承知の上だった。
「確かにサーナイトにはその素養はあるかもしれないよ。でもね、たった一匹のポケモンがこんな大きな世界を作って、遠く離れた場所からたくさんの子供達を引き込んでとどめておくなんてコト、できると思う?」
「歴史を紐解きゃ一匹のポケモンが世界を揺るがすような大きな力を持つ事だって少なくない。理由は知らないがサーベナにその力があるって考えれば説明がつくんだ」
「でもそんなの」
「だから私の憶測だって言ったろ? 信じるか信じないかはミアン次第だ」
 でも信じてほしい。ミアンが信じてくれたらきっと、もっと見える。憶測が確認された事実になる。
「わかった。信じてみる」
 思ったより物分かりがいいな。
「キミの顔に"信じてほしい"って書いてあるもの」
「なっ、お前……!」
 先輩風吹かせやがって。とも思ったがここで怒ると更に自分を貶めるので、突っかかるのは止した。
 タイミングを計ったように次の質問を投げかけられた。
「一つきいてもいいかな。死んだポケモンは消えちゃった後、どこに行くと思う?」
 ラミの中で答えは出ていた。しかしそれだけは憶測の段階で他人に話してはいけない。だから答えずにおいた。代わりにと言っては何だが、私は一つの計画を考え、ミアンに話し始めたのだった……。

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 いつものあの場所よりもずっと暗くて狭いけれど、ラミ達は夜の公園に集まっていた。計画を実行に移すために。ラミの憶測はミアンの観察により補強された。サーベナの隙を見て、鍵穴から子供を連れて行った先の部屋を見た。そこにはブラックホールのように渦巻く大穴があった。普通のサーナイトが作り出す小さなそれとは非にならないが、性質は同じようなものだった。そこが入り口、いや、この世界の出口だ。
「奥の部屋への扉はすごく頑丈で壊せそうにないんだ。でも、サーベナの寝室にあった鍵を見つけたよ」
 ミアンはラミの言葉を信じ、サーベナを探ってくれた。サーベナに一番近いミアンにしかできないことでもあった。
 その結果出口と鍵の発見に至ったのである。
「じゃあ、あとはラミちゃんお願い」
 ルマーニ、ミドラ、マキ、そしてミアンの目がラミに集中する。
「家に帰る道がわかったんだ」
「えっ……ほんと!?」
「そうだルマーニ。ただし失敗したら帰れないからよく聞くんだぜ」
 三匹の目が一層真剣になる。
「難しい話をしてもわからないだろうから簡単に。ミアンが出口を見つけた。出口はあのお城の中だ」
 ラミは国の真ん中にそびえ立つ城を長い尾で指し示した。
「ただし帰るのは私達だけじゃない。ここに連れて来られた子供、全員だ」
 泥棒や殺人だって、サーベナがこんな所に子供を連れてこなければ起こらなかった。幸せに生きていれば子供が罪を犯す事なんてなかったはずなんだ。それに私の考えが正しければ、それはそんなに重大な罪ではない。
「一時間毎に時報があるのは知ってるだろ? あの機械みたいな声な、実はポケモンがやってるらしいんだ。だからまずはそれを乗っ取って国中の子供達に呼びかける」
 壮大な計画だった。成功するかどうかなんてわからない。だがやらなければならない、なんて言うつもりはない。私がそうしたいだけだ。大人に反抗したいだけの幼稚な感情なのかもしれない。
「全部で何匹いると思う? いっぺんに城に押しかけたら女王だってどうしようもないだろ。女王が対応に追われている間にミアンが鍵を奪う。それからみんなをさっき言った出口まで案内するんだ。あとは順番に脱出する。ミアン、部屋と脱出口の大きさは?」
「イワークが二匹余裕を持って入れるくらいかな?」
「だそうだ。体の大きさを考えたら平均十匹……いや、子供なら未進化一進化が多いからもっと入る。ぜんぶで千五百匹くらいいたとして、一分かかるとしたら百五十分、二時間半」
「実際はもっと早いと思うよ。部屋に入ったら飛び込むだけだもの」
「躊躇する子供もいるから、わからない」
 皆がミアンやラミのように物分かりがいいとも限らない。順番待ちをさせるのにも苦労しそうだ。
「で、お前らに手伝って欲しいのはみんなを並ばせて誘導することだ。六年生ならそれくらいできるだろ?」
「僕は駄目かも……」
「だーっ、何言ってんだよルマーニ。俺達がやってやろうじゃんかよ!」
「そうよ。任せてラミちゃん!」
 ミドラやマキはともかく、正直ルマーニには不向きかもしれない。でも、自信をつけさせる良い機会だ。見知らぬポケモンに頼むよりはすでにラミを信用しきっている彼らの方がずっといい。
「決行は明日の午前十時。お城の正門前に集まる事」
「えっ、僕、配達の仕事が……」
「バカ、もうしなくていいのよ仕事なんて!」
「ルマーニの奴、大人になっても変わらねえんじゃねえの?」
 ミドラの冗談に、その場にいた皆が笑い合った。最後にもう一度集合時間と場所を確認して、その夜は各自の部屋に戻って、明日に備えて休むことにした。

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 今日も変わらぬ朝だった。朝陽がとてもまぶしかった。城がいつもより大きく見えた。
【タダ今、午前、十時ヲ、オ知ラセシマス】
 放送元は時計塔の最上階。声の主は謁見の時に何度か会った守衛のジシャというレアコイルのものらしい。ミアンがジシャの気を引いているうちにラミが時計塔に上り、放送を行う算段だ。
「じゃあ、ボクとラミちゃんは行くね。キミ達はここで待ってて」
 三匹は三者三様の顔で頷いた。ルマーニの不安そうな顔、マキの思い詰めたような表情、胸の高鳴りを押し殺したような顔のミドラ。
 ラミとミアンは正門をくぐり、今まで何度も辿った順路とは違う、時計塔への道を目指した。
 階段を上って天井に出たところで、例のレアコイルと鉢合わせた。
「やあジシャ、お疲れ様」
「みあん、マタソノ子ヲ女王サマニ会ワセルノ」
「そうだよ」
 ミアンはさすがというべきか、完璧に平静を装っている。
「あ、そうだジシャ。キミに話があるんだけど。ちょっと来てくれない?」
「何ダ、ソノ子ニハ聞カセラレナイ話ナノ?」
「……そうだね。ラミちゃん、一匹で行ける?」
「私は大丈夫だ」
 ミアンがジシャを連れて中に入ったのを確認して、ラミは時計塔に駆け込んだ。塔の中は全体が吹き抜けになっていて、歯車の回る音がゴトゴトと響いていた。ラミは外壁に沿う階段を一段一段上ってゆく。最上階に見える網状の床。あそこから、この世界をひっくり返す大号令を発するのだと思うと笑みが零れた。
 一段、一段。もう半分まできた。入口は遥か下だ。この国での三ヶ月の事を振り返ってみた。今思えば、それほど驚くような体験はなかった。ああ、大人ってこんなものなんだ。私の中に僅かでも子供の夢が残っていたのなら、それは全て奪われてしまったんだと思う。でも、不思議の国に迷い込むなんて夢のような体験、夢そのものだったりするわけで。こんな私をここへ連れてきた事、それをしたサーベナに感謝していると言ったのは嘘じゃない。
 だがミアンに会って、ルマーニ達と再会して。これ以上彼らの夢を喰わせたくない。
 ミアン。私はお前の笑顔が見たいんだ。帰れないと言ったお前に、夢を取り戻してやりたい。
 ついに最上階。大時計のちょうど下の辺りに窓があって、マイクが備え付けられていた。
 マイクの前に立ち、深呼吸。心を落ち着けて。
「みんな、聞いてくれ! これは夢だ! ここは、夢の世界なんだ!」

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【ここは、夢の世界なんだ!】
 その瞬間、国中がどよめきました。聞いたことのない声です。
【出口が見つかったんだ! 場所はお城の中。みんなお城に集まるんだ!】
 時報ではありません。生き生きとした少女の声に、ポケモン達は目を見合わせました。この呼びかけはもちろん、ミアン達にも聞こえていました。
「何事ダ。みあん、サッキノらいちゅうカ!」
「騙してごめん。でもジシャ、ボクとラミちゃんは見つけたんだよ。この世界の出口を。キミもボクも帰れるんだ!」
「おれタチモ帰レル……ダト……?」
【みんなで夢の国から出ようぜ!】
 ラミの働いていた発電所にも放送されました。
「この声、ラミちゃんじゃね? ほら、妙に大人びたライチュウの女の子」
「あのライチュウ、無断欠勤したと思ったら……」
【悪い夢はこれで終わりにするんだ!】
 各所で働くラミの生徒達にも、聞こえました。
「先生……?」
「ラミ先生だ!」
 半信半疑のポケモン達もいました。もう少しで二万Pに達するような子は、大人しくしていようと考えました。ですが、ラミを知るポケモン達が先頭に立ち、信じる者がそれに続き、やがて大きな流れとなって、みんなが城へ向かいはじめたのです。
【今すぐ帰りたいポケモン、このゆび止ーまれっ】
 サーベナの耳にもラミの号令は届きました。
「あのガキ、何を莫迦げた事を……!」
 サーベナは急いで階段を駆け下りていました。時計塔にいるラミを止めなければなりません。止めなければ、この国が滅びてしまいます。そして彼女自身も。
「あああッ……!」
 躓いて転げ落ちて、踊り場に投げ出された彼女の前に、ミアンとジシャが現れました。

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「お前たち……! 早くあのガキを止めな! 急げ! 急いで!」
「サーベナ様……!」
 ミアンの目に移ったのは、生気を失ったようなサーベナの姿だった。
「ミアン……ジシャ……」
 いや実際、彼女の顔や体からは生気が失われていた。若い雌のサーナイトが、急に倍ほども老け込んだようだった。
「ごめんなさいサーベナ様。ボクはずっとアナタに嘘をついていました。サーベナ様のコトが好きだなんて」
「お前……あの時の……言葉は……」
「寝物語と……本気にしないでいただければ幸いだったのですが」
 サーベナは怒りに燃え上がった。それこそ鬼のような形相でミアンを睨みつけた。
「ガキがワタシを虚仮にするか! お前はいつから大人になったつもりなのだ!? ジシャ、ワタシに忠誠を誓ったお前が何故黙って見ている! ミアンを捕らえろ!」
「おれガ好キダッタノハみあんダ。さーべな様ジャナイ」
「くっ……言わせておけば調子に乗って……!」
「さよなら、女王様」
「オ世話ニナリマシタ」
 ミアンはジシャと共に階段を駆け上がる。謁見の間の一つ下の階がサーベナの寝室だ。
「待て! 待たぬか!」
 サーベナの叫び声ももはや弱々しい。力を失ってしまったみたいだ。
【もう仕事なんてしなくていいんだ! そんなものさっさと放り出してお城に来い! みんなで家に帰ろうぜ!】
 階段を上る間にも放送は聞こえてくる。彼女の声を耳にしながら寝室の扉を前に、深呼吸。
「ジシャ、手伝って」
「任セロ」
 ミアンは狭いスペースの中で距離を取り、自慢の足で跳躍、扉に渾身の力で跳び蹴りをかました。ゆがんだ扉にジシャのソニックブームがぶち当たり、豪奢な扉に大穴が空いた。
「鍵を取ってくるからジシャは先に謁見の間に行ってて! 部屋の奥の分厚い鉄扉が出口だから!」
 ふと思った。鉄扉をいかに頑丈にしていても、その鍵の保管場所がこれじゃあまるで意味がない。見かけの頑丈さに騙されていた。
 ラミの提案だってそう。ボクはどうしてサーベナの言葉を信じて、一生帰れないなんて悲観していたんだろう。こんなに簡単に……いや、まだだ。まだ成功していない。これからだ。
【希望を取り戻せ!】
「あった!」
 あの夜、サーベナが寝静まってから確認したのと同じところに鍵束が掛けてあった。ボクを寝室に入れたのが彼女の誤算だったんだ。
【悪い夢から醒めろ!】
 ラミちゃん。本当にキミのおかげだ。
 寝室を出てジシャを追った。一階層ぶん駆け上がることくらい、ミミロップの足なら一瞬だった。
【来てくれたんだなみんな! 私は嬉しいぜ!】
 謁見の間にたどり着いたところで、遠くに地響きが聞こえた。集まってくるポケモン達の足音だ。
「みあん、鍵ハアッタ?」
「うん!」
 ミアンは笑顔でジシャに鍵を見せた。
【私の友達が案内するから、ちゃんと並べよ! まだお城に来てないやつは急げ!】
「ラミちゃん、いつになくテンション高いなぁ」
 鍵穴に差し込んで、回す。
 それだけで、決して踏み込めないと諦めていた扉が開いた。
「これが……」
「コレガ出口ナノカ!? コレニ飛ビ込メバ……」
 鍵穴からのぞき見たよりも、もっとずっと大きかった。黒と白が混ざり合っているようでいて独立して渦巻いている、大きな大きな穴だった。
「ミアンさん!」
 謁見の間の入り口から声がした。振り向くと小さなニャルマーの男の子、ルマーニの姿があった。
「ルマーニ君! こっちは大丈夫だよ!」
「わかった! じゃあ僕、みんなに知らせてくるから!」
「待テ」
 ジシャが電磁浮遊で音もなく移動し、ルマーニに接近した。
「イツゾヤノ配達員君デハナイカ。アノ時ノオ礼ガマダダッタナ。おれニモ手伝ワセテクレ」
「地面に埋まったレアコイルさん!」
 地面に埋まった?
「オイオイ、ソノ話ハヤメテクレ。おれハじしゃダ」
「ジシャさんだね! 行こう! ミアンさんはここをお願い!」
「任せて」
 ルマーニとジシャはミアンにこの場を託すと階段を下りていった。
 やっと、みんなで家に帰れるんだ。
【私達が見たいのはこんな夢じゃない! 帰っていい夢見ようぜ!】
 ああ、今思い出した。お父さんの顔。お母さんの顔。進化した日のこと。
 ラミが希望を、夢をと口にする度に戻ってゆく。ボクが子供だった頃の夢が。

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「押したらダメっ! ねー並んでよー」
 子供達を誘導するのはルマーニの想像よりもはるかに困難だった。ルマー二はクラス委員みたいな仕事は一度もやったことがないのだ。いつも他人にまかせっきりで。
「コノばかものドモ、並バンカ!」
「わひっ」
 機械みたいな声だけど、まるで生活指導の先生みたいな迫力だった。いっぺんに子供たちが静まり返って整列した。ジシャさん。何歳なんだろう。すごい。
「るまーに、おれハ別ノ場所ノ様子ヲ見テクル。後ハ任セタゾ」
「ちょっ、待ってよぉ。僕一人じゃ無理だよぉ」
「子供ナンテイウノハデカイ声ヲ出セバ収マルモンダ」
「そ、そうかもしれないけどぉ。僕も子供だし……」
「おれモマダ十四ダゾ。れあこいるニ進化シタバカリダ」
 ルマーニの疑問を見透かしたように、ジシャは自分の年齢を明かした。
 ラミちゃんが言ってた。女王様の下で働かされてる子供達は事情があって帰れなくなったポケモンなんだって。誰かを養っちゃったんだって。そんな事ができるだけあって、きっと同い年の他のポケモンよりもずっと大人なんだ。
「そ……うだよね。僕、がんばるよ!」
「ソノ意気ダ。ソレト……おれノ方ガ子供ダッタ。スマナイ」
「えっ、何が?」
「おれハみあんト出口ヲ見ツケタ時、イチ早ク飛ビ込モウトシタ。並ブナンテモノジャナイ。るまーにガ来テ我ニ返ッタ」
 この言葉はルマーニにとってものすごく意外だった。ジシャは自分よりもずっと大人に見えるのに。信じられなかった。
「ヤレバデキル。頑張レ」
「う、うん!」
 いいや。今こうして手伝ってくれて、ルマーニに勇気をくれたんだから。
 謁見の間に通じる塔の入り口がルマーニの担当だけど、ここはジシャのお陰で静かになった。外にも出て、お城の一階から上がってくる子の様子も見よう。
 外に出るとポケモン達がひしめき合っていて、整列とはまるで程遠かった。
 ジシャさんもここを通ったはずなんだけど。わざとそのままにしておいたのかな。
【みんな、順番守るんだぜ。全員帰れるからな】
 ラミの放送は、ざわつきの所為で一部のポケモンには聞こえていないかもしれない。
 勇気だ。やればできる。僕は最高学年なんだぞ。僕より大きい子も少しいるけど、静かにしている。うるさくしているのは僕より小さい子ばかりじゃないか。
「放送が聞こえないだろ! 帰りたいなら静かにしろよっ!」
 自分の声が自分の声じゃないみたいだった。みんなびっくりして、急にシンとした中で、子供たちの視線がルマーニに集まった。
 一番びっくりしたのはルマーニだ。でも、ここで笑われるわけにはいかない。
「ほらそこ、並んで!」
 僕だって……やればできるんだ。

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 ルマーニのやつ、ちゃんと出来てるじゃねえか。
 時計塔の窓から屋上の様子が見える。子供達はちゃんと、指示通りに並んでくれている。
 今、ラミの心は高ぶっている。高ぶっているが、私は現実を見て、最後まで冷静でいるつもりだ。憶測……本当に憶測ばかりだが、ここでラミまではじけると失敗する。
 いかんせん他の場所との連絡が取れないのが問題か……と思ったら、階段のない真ん中の空洞を何かがものすごい速さで上がってきた。
「レアコイル……?」
「電磁浮遊ハ周リニ金属ガ沢山アルト速イノダ!」
 高速ついでにテンションも高い。
「守衛のレアコイル……ジシャだっけか」
「ソウダ。報告ニ来タ。ミアンハ次々ト子供ヲ脱出サセテイルゾ。順調ダ」
「有難いぜ。ちょっと下まで行って見てこようかと思ってたんだ」
「連絡ハおれニ任セロ。伝エルコトハアルカ?」
「聞かれたら問題ないとだけ言っといてくれ。ああ、伝えることはないが聞きたい事はある」
「何ダ」
「歯車の中をそんな強力な電磁浮遊で上がってきたら時計が狂うんじゃないのか?」
「狂ウ」
 ジシャはそれだけ答え、目だけの顔に三つの笑みを浮かべて元来た道を同じ勢いで戻っていった。もう時計が狂っても関係ないって事だ。
「よし」
 さすがにもう町に残っているポケモンはいないだろうと思いつつも、呼びかけを続けることにした。
 この放送には二つの目的がある。サーベナが出てこないところを見ると、どうやらどちらもラミの思惑の通りらしい。
「心に夢を! 希望を!」
 兵糧攻めだ。

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 躊躇する子供もいたが、その時は押し込んだ。サーベナが帰す子供をここに連れ込む事は知っている。間違いなくこれが出口なんだから。
「怖がらずに、さあ!」
 体が半分くらい穴に入ると、子供たちは渦巻く穴の中に次々と飲み込まれていった。
 ラミの号令からもう二時間は経っただろうか。子供達もまばらになって、この大脱出劇は終わりを迎えようとしていた。
「ミアンさん、最後の子だよ!」
 マキに手を引かれて走ってきたブビィの子は、目に涙を一杯溜めていた。あんな小さな子もいたんだ。
 再度穴に目をやったミアンは、ある事に気づいた。
 気づいてみれば今までどうして気づかなかったのか不思議なくらいだった。きっと、ずっと見ていたから、少しずつだったから、わからなかったんだ。
「マキちゃん、一緒に飛び込んであげて!」
「えっ……?」
「最後の子なんでしょ! キミの友達もすぐに呼んでくるから!」
「わかった! 絶対だよ!」
 不安を煽らないよう、事実を口にするのはやめておいた。
 マキがブビィの子を抱いて飛び込んだのを確認して、ミアンは部屋を飛び出した。階段でルマーニとミドラにすれ違った。
「ルマーニ君とミドラ君も急いで! すぐ穴に飛び込んで! マキちゃんはもう行ったよ!」
「は、はい!」
「マキが? どうしたんだ……?」
 二匹は階段を駆け上がっていった。
 階段の下にジシャもいた。
「ドウシタ?」
「ボクはラミちゃんを連れてくるから、キミは先に脱出して」
 ジシャの横をすり抜けようとしたミアンの前に、ジシャの体が回りこんだ。三つの瞳がミアンを直視した。
「何カアッタノナラセメテ話シテクレ。アノ穴ヲクグッテ悪夢カラ醒メタラキット、モウみあんニハ会エナイ」
「……ボクが気づかないうちに穴が小さくなってたんだ。この世界が崩れつつあるのか、つながりが薄れているのか……急がないと帰れないかもしれない!」
「オイ、ソレジャアみあんハ」
「これ以上話してる暇はないんだ、ごめん! さよなら!」
 ジシャを突っ切って、時計塔へ。
 ラミちゃんは一体、何をしてるんだ……?

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 歯車の音が聞こえなくなった。時計塔の中はとても静かだ。
 もう正午になっても良い頃合だが、時計の針と同じようにまた、太陽はいつまでも朝の陽射しを振りまき、南中に到達することはなかった。
 足音が聞こえる。足、いや、本来は二足歩行のポケモンが這っている。すぐ近くまで迫っている。
「遅いぜ、サーベナ」
「おのれ……ワタシの……ワタシの夢を……!」
 &ruby(ほ){這};う這うの&ruby(てい){体};で時計塔を上りきったサーベナがこの世の物とは思えぬほどの、地獄の業火を瞳に宿して毒づいた。
 業火は色を失くしていた。あの目はもうラミを見ていない。見えないのだ。
「ワタシの四百年を……ラミ……お前は……!」
「三ヶ月でぶっ壊したってか?」
 思ったとおりだ。サーベナは子供の夢を喰って喰って喰らいつくして、若さと力を保っていたのだ。一匹のポケモンがここまで確かなリアリティを持つ幻想の世界を作り上げ、そこへ外の世界から子供を運び込む事ができた理由もそこだ。四百年も力を蓄えれば不可能ではない。
 今や瞳と角の赤は暗い褐色に、艶やかだったグリーンの髪はくすんだ灰緑色に、真っ白な体は傷と汚れでボロボロだった。ラミはまだ見たことはないが、寿命で朽ち果てる直前の老婆のサーナイトはこういう姿をしているのだろう。
「こんなに脆くて、子供騙しの世界が四百年ももつ方が不思議だぜ」
「黙れ! まだだ……この世界は……ワタシはここにいる!」
「時の法則も滅茶苦茶になってしまったのに?」
 ラミは窓から不思議の国を見渡した。もはや幻想郷でも何でもない、生気のない廃墟だった。永遠に降り注ぐ明るい陽射しが不気味だった。
「お前が糧にしていたのは子供達の心から失われた『夢』だったんだろ。子供ってのは普通、絶望も諦観も知らないものなんだぜ。そんなもん押しつけようとしたって、水と油は混ざらない。私がちょいとスイッチを入れただけで、もうばらばらだ」
「うるさい……! お前のようなガキに何が分かる!」
「なんとなく分かるぜ」
 現実とはもはや程遠く、リアリティを失いながらも辛うじてこの世界が存在している理由。
 足音がする。
 ものすごく速い。ジシャとは違って真っ正直に階段を上っているだけなのに。速いなミミロップ。
「ラミちゃん……!」
「ミアンか。みんなは?」
 駆け上る勢いのまま最上階に飛び出してきたミアンはサーベナには目もくれずラミのところへ駆け寄ってきた。
「もう帰ったよ! それより大変なんだラミちゃん! 出口が小さくなってるんだ! 急がないと出られない!」
 できれば戻ってきてほしくなかったが、こいつの性格上それはないだろうとも思っていた。
「早く行こうよ!」
 最後にはこうなるって、わかってたんだけどな。上手な言い訳を考える暇がなかったんだ。
「それはできないんだ。私が夢を取り戻したらこの世界は終わる。お前も帰れなくなる」
 ミアンの手が、足が、表情が凍りついた。ラミが目で見て分かるくらいに全身の毛が逆立った。
「何……言って……」
「そうだ……ミアン……ラミとここに残れ……お前たちがいればワタシは……ここを立て直せる……」
 サーベナのしゃがれた声は、ミアンの長くて大きな耳に届いているのだろうか。分からない。だがサーベナの台詞は間違いじゃない。ミアン納得させなくては。本気でここに残ると言い出しかねない。
「みんな帰れるって、そう言ったじゃない! どういうことなの? 説明してよラミちゃん!」
「子供が夢を失う度、サーベナはそれを喰って力にする。その力でこの世界を維持していたんだ。失われた夢の代わりに埋め込まれたのは子供にとって醜悪でしかない大人の現実。もしくは絶望や諦観」
「同じようなこと、前に聞いたよ! それとどういう関係があるっていうのさ?」
 なんでだよ。なんでミアン、お前はそんなに悲しそうな顔をするんだ?
 私はお前の悲しい顔に明るさを取り戻してやろうと思ったんだぜ?
「今、辛うじてこの世界は在る。私の失くしたままの夢が……ここに残ることを選択した諦めが、この世界をなんとか支えているんだ」
「そんなの憶測じゃないか! キミが言ってたんだよ! 憶測にすぎないって! サーベナがここにいる限り大丈夫かもしれない! キミとボクが同時に穴に飛び込んだら二匹とも出られるかもしれない!」
 やめてくれ。
 必死になって懇願されても私は曲げない。曲げたらここまでやってきたことが無意味になるんだから。
「希望的観測を並べ立てて……私がそれに飛びついて夢を取り戻したらどうするんだ&ruby(ばか){莫迦};。サーベナの言葉も聞こえてたはずだ」
「ラミちゃん、キミって子は!」
 刹那、ミアンの大きな耳がラミの頬を打った。
 一緒に水飛沫が飛んできた。
 ああ、つくづく莫迦な男の子。私より年上のくせに。手を上げることでしか説得できないのか。
「誰かが諦めなきゃいけないならボクが諦めるよ! だから――」
「私は!」
 私も似たり寄ったりだな。大声を張り上げて相手の主張を遮るなんて最低の手段だ。
 ミアンの顔を睨みつけると、彼の目からは涙が溢れ出していた。
「お前の笑顔が見たくて! わざわざこんな計画を立てたんだ! 自分が帰りたいだけならあの時とっくに帰ってる!」
「ボクの……ために?」
 ミアンは涙を隠そうともせずに、ラミを見つめたまま、声にならない声、それでも精一杯絞り出して、答えてくれた。
「そうだ。それに……」
 言いかけて、やめた。口にしてはいけない。自分の中で何度も否定した事だ。
 この世界で死んだポケモンの行く末。ラミがこれから辿ろうとしている道の先。
 だが、ミアンはラミの言葉を待っている。
 もう一つあったっけ。心の中で何度も否定した事といえば。
「……私はお前のことが好きだった。だから最後に笑顔を見せてくれ」
 言ってしまうと、何度も何度も否定した理由がまるで見当たらなくなった。
 そうなんだ。あったんだ。私にも。
「言っちゃうんだね、そういうコト……ボクには、キミの気持ちが分かってなかった……はは、やっぱりボクの方が子供じゃないか」
 ミアンは両耳で涙をふいて、足りないと思ったのか両手でもう一度拭った。
 両手の毛玉に隠れた顔は、出てきたときには太陽のような笑顔に変わっていた。
「ラミちゃん。ありがとう! でも、ボクは諦めないから。キミの気持ち、持ち逃げさせてもらうんだから!」
 ミアンはラミの返答も待たずに踵を返して、階段を駆け下りていった。茶色と白の後姿、いや、網越しの上姿に呼びかけようとした。
 でも、もっと面白いことを思いついた。
 ラミはマイクに駆け寄ると、息を一杯に吸って、叫んだ。
【お前の笑顔が見れて嬉しいかったぜ!】
 最後の言葉は、マイクを通じて、誰もいなくなった国中にこだました。自分でも惚れ惚れするくらい気持ちの良い声だった。

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***エピローグ [#meb9b620]

 子供たちの笑い声がこだまする夕方の公園。その一角で、少し大きな子たちがベンチの周りでおしゃべりしています。
「あれから何日経った?」
「まだ三日だよ。そんなに慌てないでいいじゃない」
 イライラの収まらないニドランの男の子を、ニャルマーの男の子がなだめます。
「四日じゃなかったかしら。きっとまだ残ってる子供がいて……それを知って、あの国中を探してるんじゃない?」
 マンキーの女の子は言います。ですが不思議なことに、素直に自分を信じることができません。
「つかマキ、あの国ってどんな国だよ」
 ニドランの男の子の言葉が、今の子供たちの現実でした。
「決まってるじゃない。あたしもあんたもルマーニもいたでしょ! えっと……お城があって……あれ?」
「お城なんてあったっけか?」
「なかったような……気も……」
「あったよ! 僕覚えてるもん!」
 ニャルマーの男の子は必死になって、二匹に訴えました。二匹とも覚えていないというのです。
「ルマーニそりゃ悪い夢でも見てたんじゃね?」
「違うよ、夢なんかじゃないよ! ミドラだってあれから何日って、今言ってたじゃん」
「そりゃそうだけどよ。ラミちゃんがいなくなってからって話でだな」
「うーん……言われてみれば、お母さんもお父さんも、先生も何も言わないし」
 彼ら三匹を知る者からは、子供たちが夢の世界に迷い込んでいる間の記憶は消えていました。
 彼ら自身の中からも消えつつありました。
 子供は悪夢を体験し、それを乗り越えて大人になってゆくのです。
 目が覚めるといつもあるこの世界だけが現実なのだと、少しずつ知ることになるのです。
 ――しかし、それを知るのはもっと、ずっと、遠い遠い先の未来でいいとは思いませんか。
「親や先生が言わなくても」
 彼らの集まるベンチの後ろから、オレンジがかった褐色の、丸っこいポケモンが、先端が稲妻型になった長い尾を振って歩いてきました。
「私は言わせてもらうぜ。私の三ヶ月を勝手に三日にするな。というか、そもそも夢の国を出たのは一昨日なんだけどな」
 男の子みたいな口調のライチュウの少女です。
「ラミ……ちゃん?」
「ラミちゃんだ!」
「ラミちゃ……んっ……」
 三匹はびっくりして振り返りました。
 そこに立っていたのは、間違いありません。小さい頃から彼らのお姉さんだったライチュウの少女です。
「お、おい……一体なんなんだ。一昨日まで一緒にいたじゃねえか。泣くなよ、お前ら……」
「僕もわかんないんだよぉ!」
「でもあたし、どうしてか涙が止まらないの!」
「俺は泣いてねえ!」
 三匹が一斉にライチュウの少女に飛びつきました。
 笑い声のこだまする夕方の公園の一角には少し異様な光景でした。ですが、遊びに夢中の子供たちは誰一匹として気づくことはありませんでした。

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**今度こそホントのエピローグ [#ib2f74b0]
 時は流れ、あれから五年の歳月が流れました。
 とある大学のキャンパスを、一匹のライチュウの女学生が歩いています。
 彼女は一ヶ月前の事を思い出していました。
『おめでとうラミちゃん!』
 ブニャットとニドリーノとオコリザルの三匹。合格通知が届いたその日、昔からの幼馴染にお祝いの言葉を貰った時の事を。
「でも、三流大学なんだよな……」
 中学でも高校でも、彼女の事を学年トップに違いない、と思っていた子は少なくありません。ですが、彼女はそんなに勉強が得意ではありませんでした。
 受験勉強はそれなりに頑張って、それなりの大学に進学しました。しかし、ごく普通の少女の歩む道を進んできたかというとそうでもなかったりするのです。
 回り道をたり寄り道をしたり、時に逆戻りしたり。歩いた距離は何倍も長いのです。そのぶん彼女は、たくさんの経験と知識を身につけていました。
 今もまっすぐ食堂に向かったりせずに、普段行かない裏手に回ってみたりなどして。
 その全て、夢の導くままに。
「ん?」
 その時ラミの耳に、若い男女の声が聞こえてきました。
「教授、やめましょうよ! 本気にしないで下さいよ!」
「あら……あれは遊びだったっていうの?」
「ポケモン聞きの悪いコト言わないで下さい。ボクにその気なんて最初からないんですから!」
「単位」
 ラミが隠れて聞いていると、教授らしい女性の口からそんな言葉が漏れました。
「卒業まで少し足りないんでしょ? ワタシに食べられてくれたら、出してあげるわよ」
「悪い冗談はやめて下さい」
「ワタシは本気よ」
 これ以上は聞いてはいけないような気がします。普通の十八歳の少女であれば。
「その辺にしとけ色惚け教授」
 彼女は普通ではありませんでした。物陰から飛び出して、サーナイトの女教授を真正面から見据えました。
「何なのよ貴女……一回生でしょう?」
「ライチュウだがピカピカの一回生だ。でも、何も分からないと思って莫迦にしない方がいいぜ。まだ何も分からないのは事実だけどな。あんたを懲戒免職にする方法なんてすぐ調べてやる」
「くっ……」
「そいつから手を引いたら見逃してやるぜ」
「覚えていらっしゃい! ワタシの講義で貴女の顔を見たら後悔させてやるわ!」
 サーナイトの女教授は、大学教授失格とも言えるべき捨て台詞を残して走り去りました。
「で、お前」
「なんだよ……もう、変なところ見られちゃったな……」
 そこに残されたのは学生二匹。
 一回生のライチュウと、四回生のミミロップでした。
「私はお前を&ruby(・・){二回};も助けてやったんだ。まずは礼じゃないのか?」
 ミミロップの青年も、本当はまずお礼を言うつもりだったのです。ですが、三つも年下のライチュウのぞんざいな態度に少し腹を立ててもいました。
「ありがとう。でもキミ、ボクはこれでも四回生なんだからね。少しは……敬意ってものをさ……え? 二回?」
 その瞬間まで、彼は気づいていなかったのです。
 ミミロップの、ミアンの目が、大きく見開かれました。
「キミは……!」
「ミアン。五年間預けっ放しだった私の気持ち、返してもらうぜ」
 ラミは最後に見た彼の笑顔に負けないくらい、太陽にも負けないくらいの笑顔を、彼に投げかけました。

 不思議な国の、不思議な子供達の、不思議な幻想郷のお話はこれでおしまいです。

 ラミちゃんがどうして帰ってくることができたのかって?
 最後の謎が、その答えです。賢明な読者の皆様ならばお分かりいただけることでしょう。


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***あとがき [#a771ba5b]
後書きっていうか解説的な何か。
本当は解説はしないつもりだったんですが。
投票の際に頂いた感想を見て書いた方が良いと思いました。

不思議の国(夢の世界)で死んだ子供は現実の世界に戻るというのが答えです。
夢を見ている時、「あっ死んだ」と思った瞬間に目を覚ました経験は有りませんか?

ラミには「夢の世界で死んだポケモンの行く先」が「現実世界」だという憶測はできていたが確信できなかった。
憶測を心の中で否定し、敢えて「帰れない」という絶望に身を委ね、自分以外の全員を帰した。
子供が心に抱いている夢を失う事がサーベナに「夢を食われる」という事。
サーベナは夢を食って若さと力、不思議の国を維持している。

サーベナと二匹だけになったラミは「希望的観測」を始めます。
出口はまだ閉じていないのではないか? 夢の世界での死は現実世界への生還ではないのか?
帰ることが出来ればその先がある。
最後にラミも夢を取り戻して、糧を失くしたサーベナは完全に力を失う。
出口は閉じ、停止した夢の世界は崩れ始め、ラミとサーベナは共に夢の世界の終わりを迎える。

何だかんだ言ってこの話のテーマは「恐い夢」でしかない。
どんな悪夢も最後には目が覚めるものでしょう?


今度こそ後書き的な内容をば。

この話は僕の大学の先輩のお話から始まりました。
子供の頃「早く寝ないと恐い所へ連れていかれる」と言われたが、何処へ連れて行かれるんだろうね?
例えば10人もいっぺんに連れて行かれたら夜更かしパーティになるんじゃないかとか
連れて行かれた先でどんな仕打ちを受けるのか? 強制労働とか?
どうやって帰るのか。連れて行かれた子が今度は連れて行く側になったり?

僕なりにそのお話を一本の作品に仕上げてみたのが「子供たちの幻想郷」です。


最後になりましたが仮面小説大会という場を用意して下さったroot氏、票を投じて下さった方々、読んで下さった方々に心より感謝申し上げます。

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