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天空へのトラベラー の変更点


[[コミカル]]

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1/11

 優しい日差しの中、瑠璃色の風が2人を包む。
木々が揺れ、葉の擦れる音、波の音。
全てが「幸せ」に色づいていた。

「気持ちいいね」
「えぇ」

 波打ち際に佇む2人――赤と黒の姿は、そろって空を仰いでいた。
視線の先……雲に隠れたシルエット。ぼんやりと、しかしはっきりと、存在が示されている。
「いつかいっしょに……行きたいね」
赤の姿、ブースターのウォルトが言った。空のシルエットを見据えながら。彼の耳に巻かれた純白のスカーフが陸のほうへはためいていた。

――天空の島――。人々はそう呼ぶ。無論この2人も。
大空から神々が見守ってくれている。そう信じられており、多くの民がその場所を崇め、その場所に魅了されていた。

 ウォルトの隣で柔和な笑みを浮かべる黒の姿は、ブラッキーのフリーダ。彼女は、この近くに住んでいたわけではなかった。不意にやってきた来訪者――。住む場所もなくさまよっていたと言い、素性もほとんど明かされなかった。それでも、ウォルトの住む小さな集落では歓迎された。過疎地域の新たな住人として。
年齢の近い2人は、とても仲良くなった。この海――集落からはずれたところにあるここによく来るようになるほどに。そして、住む場所のないフリーダを、ウォルトが自分の家に来るように言うほどに。

「ほんとうに、素敵ね……」
その澄んだ声は、吹き渡る風に乗せて運ばれた。

 そのとき、ウォルトがフリーダの方へ向き直った。その目は真剣さをたたえてフリーダを見据えていた。風が止む。
「キミのほうがもっと素敵だよ、フリーダ」
赤らむでも言いよどむでもなく、凛とした表情のままウォルトが言った。
「ふふ。ありがとう、ウォルト」
フリーダも大げさな反応をせず笑顔のまま返した。
まるで、いつものことのように。そう、いつものことではあった。

 しかし、今日のウォルトは譲らなかった。
「ねぇ、フリーダ……キミはどうしていつも、曖昧な返事しかしてくれないんだい? 僕は、こんなにもキミのことが好き……いや、本当に‘愛してる’のに」
辺りを静寂が包んだ。しばしの沈黙。空気が淀む。
フリーダの表情に悲しみの影が宿った。
「……ごめんね。なんだか、私にはまだ分からないの……そういうのが。まだ15だし、どうなんだろうって。本当にごめんなさい。わがままで」
ウォルトは肩を落として下を向いた。耳のスカーフを少しもてあそぶ。しばらくして顔を上げて言った。
「……分かった。キミの気持ちが一番だもの。だけど、いつかきっと、答えを出してほしい。僕のことがキラいなら、それでも構わないから。 ……もっと魅力のある男になりたいな。キミに認められるくらいに」

 ごめんね。フリーダが再度そう言おうとした時だった。
2人から少し離れた砂地で、何かがめり込むような鈍い音がして砂が舞った。2人共が同時に怪訝そうな表情を向けた。
「なんだろうね。行ってみようか」



 砂地に突き刺さって小さな穴を開けたそれを、ウォルトは拾い上げた。砂をはらうと、太陽の光を浴びて黄金色にきらりと輝き、2人は釘付けになった。
「これ……純金だよね……」
それに彫られた字列と思しきものの中で、2人は100という数字を読み取ることが出来た。他の文字はほとんど解読できなかったが、金……非常に稀有な鉱物が、先ほどまで仰ぎ見ていた天から降ってきたという事実は、2人の心を掴んで話さなかった。それの意味するところは、1つしかない。

「これ、お金だよ。きっと、天空の島の人たちのだ! やっぱり、あそこにはポケモン達が暮らしてるんだ!」
「素敵……。どんなところなんだろう……」

 興奮して語り合う2人に、時の流れは介入しなかった。気付けば日は沈み、ウォルトのスカーフが海の方へはためいていた。

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1/12

 雨こそ降らないものの、空にはどんよりと雲が広がっていた。もうすぐ昼頃、そうはとても思えない暗さだった。
「僕も、一緒に行きたかったな……」
もう何度目か分からないため息をつく。ウォルトは沈んだ表情で外を眺めていた。
今日は快晴だよ……僕の心に比べたら。そんなことをつぶやいていた。

「あんたが早く起きないからでしょ」
聞き慣れた声が、ウォルトの耳に吸い込まれる。ゆっくりと体を回転させて後ろを向く彼の上半身は、石像のように固まっていた。
小ざっぱりとした小さな部屋でウォルトの後ろに建っているのは、フリーダ――というのは彼の希望であり、それは実現せず――サンダースだった。ウォルトと同じように耳にスカーフを巻きつけている。

――あんなものが手に入って、眠れるほうがおかしいよ――
心の中で目の前のサンダースに悪態をつく。そして、夜の間ずっと金貨を眺めて想像を膨らませていたせいで、フリーダと買い物に行くのを寝過ごした自分自身にも。

「それにしても、いい娘よねー、フリーダちゃん。本当に助かるわー」
突如、電光石火のごとく立ち上がったウォルトは、先ほどと打って変わって澄んだ目をしていた。
「だよね!? 僕の目は間違ってないでしょ、母さん!?」
サンダースはウォルトの勢いに押されながらも、応えた。
「うん、あの娘なら文句ないわ。……でも、やっぱりちょっとひっかかるのよね」
そこでウォルトの母は首を傾げた。

「何がだよ。フリーダの悪口は許さないんだからね」
「そういうんじゃないけどね。はじめてあの娘がやって来た日に、ていうかあんたが連れて帰ってきた日に、私のコレみて『オシャレですね、よく似合ってます』って言ったのよ。その時は特に気にしないで素直に受け止めたんだけど……おかしいでしょ? このスカーフを知らないはずはないし」
ウォルトは言い返そうと思ったものの、口をつぐんだ。そういえばそんな会話があったような気がする。あの時は緊張していて、あまり覚えていないけれど。
たしかに、このスカーフを始めて見た様な言い方は妙だ。



 この世界に住むものは皆、生を受けた時に純白のスカーフを授けられる。それは携帯が義務付けられ、たとえば国境を越えたりするときに提示しなければならないのだが、ウォルトの住んでいるような過疎地域では、そのような機会はほとんどない。そのため必ずしも彼らのように着用していなければならないわけではなかった。
そのために、フリーダも身につけていないのだと思っていた。
でも、コレを知らないなんて。ウォルトは自分の耳にあるスカーフに触れてみた。昨夜から一緒に付けた金貨に指が当たる。

しばらく思案にふけっていたが、彼の単純な思考回路は、ものの数分で答えをはじき出し、笑顔になった。
「それでもフリーダはフリーダさ」



 母はキッチンにいる。もうすぐフリーダが帰ってくるはずだが……。
フリーダのいない1秒1秒は、ウォルトにとっては数時間にも感じられた。少しでもそれを紛らわせるために、彼は小さなラジオから流れる音声に耳を傾けることにした。

「……最近は、急に所在が掴めなくなる『失踪者』が増加している模様です。皆様も十分お気を付け下さい……」
よく騒がれている――といっても、もともと人の少ないここらでは、身近にそういう事件が起こった話は聞かない――
ニュースだった。

 いつも、フリーダが『失踪者』になってしまわないか心配になる。しかしそれは杞憂で、彼女はいつも明るい笑顔を見せてくれる。
それに、たとえ何があっても、フリーダの身代わりになら喜んでなってみせる。ウォルトはそう決意していた。
再び無機質な声に耳を傾ける。

「……その一方で、不意に何処からか訪れてくる『来訪者』というべき者もいるとの事です。この不可解な事件に、目下全力を挙げて捜査しておりますが……」
それを聞いて、再びフリーダが脳裏をよぎる。

 父は遠くまで出稼ぎに行っており、滅多に帰ってこない。人が少なく、気が合う友達もいない。
そんな退屈な生活に、神様がよこして下さった‘天使’。それがフリーダだった。初めて見たときの笑顔は今も目に焼きついていた。

「あぁ、そうだね。とても素敵な『来訪者』だよ。ニュースで騒ぎ立てる必要なんて全く感じないけどね……」
その時、玄関から誰かの帰宅を告げる音が聞こえた。雲の晴れ間から明るい日差しが差し込む。
ウォルトは大急ぎで玄関に向かった。彼の‘天使’に会いに。

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1/13

 木漏れ日を受けて目を細めたフリーダの笑顔を見て、ウォルトも自然と笑みをこぼした。
「空気も綺麗だし、とっても気持ちいい」
彼女の隣に居るだけで、本当に心も体もほぐれていくのを感じていた。
風がそっと過ぎていく。至福の時間だった。

 ウォルトは、フリーダに「今日はあの森を散歩してみない?」と提案したことに後悔など微塵も感じていなかった。
このときまでは。



「なっ、なんだよ……」
森の中で突如として感じた邪悪な視線。グラエナとヘルガー。
彼らは何も言わず、ウォルトとフリーダを睨み付けている。
辺りの空気が張り詰めるのを感じた。

「一体なんなんだよ……。まさか、フリーダを奪おうっての!?」
ウォルトの短兵急な脳は指令を出す。――フリーダを護れ――
「ちょ、ちょっと……。あの人たち、まだ何も言ってないよ……」
フリーダを護れ。
「フリーダには指1本触れさせないんだからね!」
ウォルトは、ねめつける様な視線を投げ続ける2人に対して戦闘体勢をとった。
このとき、「森で火事を起こしちゃいけない」と考えることが出来たのは救いだったかもしれない。

「御挨拶だな。別にお前に恨みはねぇんだが……」
どちらが言ったかはウォルトには不必要な情報だった。
グラエナとヘルガーも、流石に黙っていられなくなったらしい。
「女の前で自分からケンカふっかけるたぁ、なってねぇ奴だな」
うるさい。黙れ。フリーダを狙う悪い奴め。

憎悪の念だけがウォルトの中で渦巻く。
もう止めることはできない。自分自身にさえ。
憎い、こいつらは敵だ。倒してしまえ。
「よしなさいよ、ウォルト。ウォルトったら!」
制止も聞かずに、ウォルトは地面を蹴った。
 別にお前に恨みはねぇんだが……
うるさい! じゃあ誰に恨みがあるって言うんだよ!



 2対1。それでもひけを取らないほど、ウォルトは善戦していた。たった1つの意思、決意が、彼に火をつけ、動かしていた。
――しかし、火をつけすぎていた。
冷静に周りを見る能力が欠如するほどに。

「あぶない、ウォルト!」
フリーダの叫びを聴覚が認識できたときには、もう遅かった。ウォルトは、間合いを取るために横っ飛びに飛んだ。

彼はそこでようやく気付く。1つは、思ったよりも森の奥まで来ていたこと。
もう1つは。そこの地面に、巨大な穴が開いていたこと。
まるでそこだけ何か至大な生物にえぐりとられたようにぽっかりと口をあけた大穴。
これほどの存在に気付かぬほど熱くなり、彼は戦っていたのだ。

 理解したときにはもう、体が宙に浮く感覚に襲われていた。
「ウォルトーッ!」
その声は、彼がいつも聞いていたものより激していた、胸の中から急激に感情があふれ出てくる。無念、遺憾、悔恨、自責……。そして、死の意識。

「フリーダ、逃げろ、逃げるんだ!」
ウォルトはあらん限りの声で叫んだ。とにかくフリーダには生き残ってほしい。それだけだ。
最期なのか、何もかも。フリーダの微笑みを見ることが出来るのも、美しい声を聞くことができるのも、一緒に歩くことが出来るのも、全て終わりなのか。
そう認識したとたん、もう1つだけ伝えたいことが浮かんだ。
しかし、声にはならなかった。

 できなかった。

 ウォルトは固く目を瞑った。
――こんな情けない今の僕じゃ、‘愛してる’なんて言っても認めてもらえないよね――

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1/11

「おい、どうした。大丈夫か? おい……」
何かが聞こえる。何だろう、僕を嘲り、罵る声だろうか……。
「大丈夫か、聞こえるか?」

 誰だろう。ウォルトは目を開いた。もうすぐ沈みそうな西日が眩しい。辺りを見回すと、ウォルトのいた森よりも整えられた木や草花が目に映る。それらと共に映ったのは、1人のフーディンだった。

 彼はもう、目の前にフリーダがいることを期待していなかった。顔を見せたくない。嫌われる。いや、もう嫌われてしまっているだろう。ウォルトにはそれがたまらなく悲しかった。
「目が覚めたか。何があったか分からんが、はやく家にもどりなさい。御両親が心配しているだろう」
そういって立ち去ろうとするフーディンを見て、意識が現実にもどる。どうして、僕は生きているんだ……? あの人が誰かも分からない、そしてここがどこなのかも。

「あの、待って下さい! えっと、その……ここはどこなんですか? 僕……生きているはずが……」
振り向いたフーディンの顔は、迷惑に思っているようではなさそうだった。親切なようだ。
「む。このあたりに住んでいないのか? ここは、そうだな、天空世界の王城の近くだ。道が分からないのなら、立ち寄るといい」
「てっ……天空だって!?」
天国ではない。天空。それは、いつも少年が憧れていた場所だった。
死んだはずの僕が、生きてて、天空に……? 彼の頭は、徐々に錯乱を始める。

「之は失敬。ここではブースターは何人か見かけるので、天空の民かとお見受けしたが、どうやらいわくあるようだ。ともかく、王城に御案内しよう。 おい、ブレス!」
フーディンは怪訝そうな表情こそあるものの、当事者でも理解できない事情をあらかた察してくれたらしい。ウォルトは心強い味方ができたようで、安心した。
天空の王は、どんな人なんだろう。そこにいけば、何故こんなことになったのか分かるかもしれない。ひとまず、事の成り行きに身を任せるほうが良さそうだ。ウォルトはほっとして、小さくため息をついた。

「どうした。王子はみつかったのか? その子は?」
別の声が聞こえた。よく通る男性の声。見ると、9本のきれいに手入れされた尾が日を受けて煌いている。はっとしてしまうような美しさを放っていた。

「いいや、この辺り一帯にはいないようだ。この子は聞いたところ、天空に住んでいるわけではないらしい。目が覚めたら突然ここに、というわけだ」
「不思議なことばかり起こるもんだな、王子もそうだ。天空はどうなってるんだ。それもこれも、やはり地下が絡んでくるのか?」
「……あまり大きな声で喋るな。ともかく、この子を城まで案内しなければ。このままだと困るだろう」
「分かった。俺らの持ち場にも、王子はいなさそうだしな。一旦もどったほうがいいだろ。……大変だったな、ブースター君。安心しろよ、ちゃんと城まで連れてってやるからさ」
そこでキュウコンの彼は笑った。いきなり声をかけられて驚いたが、天空の民はみんな、こんなに親切なのかということにも少し驚いた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
フーディンとキュウコンは背を向けて歩き出した。それについていくために、ウォルトも慌てて立ち上がった。

 先ほどまでよりも木が多く、ウォルトは元居た森と風景が似ていると思った。天空でもその下の世界でも、自然は同じ姿で存在していることが少し不思議に感じられた。
しばらく歩いた後、打って変わって急に開けた場所に出た。まるで、その地域だけを木々が避けているかのように。理由はすぐに判明する。

「これは……」
「うっわ、なんだコレ。おい、気をつけろ! 落ちるんじゃねぇぞ」
またしても大穴だった。ウォルトにとっては、見覚えがある……なんてものではなかった。異なる点は、穴を隔てた下界が黒か白か。こちらの穴は後者である。それから、ここが天空であることが決定づいた。無論、すでに決定づいてはいたが。
静かに口を開け、道行く者を飲み込まんとする存在を見て、ウォルトは歯軋りした。苦い思い出。ウォルトの脳裏に、突如現れたグラエナとヘルガーが、そしてフリーダがよぎる。
フリーダは無事だろうか。無事でいてほしい。僕が元の世界に戻れたら……まずどうすればいいだろう。

「ひでぇ話だな、おい。まさか、王子はここに落ちたとかじゃねぇだろうな……?」
「笑えない冗談を言うな。戻ったら、ここら辺りも捜索しよう。まずは王城まで向かうぞ」
フーディンはため息をつき、キュウコンは困ったように苦笑する。
「あの……ごめんなさい、何だか大変なときに転がり込んじゃったみたいで……」
「いいってことよ。違うトコから誰かが迷い込んでくるってのも、前代未聞の一大事には変わりねーしよ」
その明るい声がまた、ウォルトの胸を締め付ける。ウォルトは、ただ頭を下げた。

「おい、ブレス……。ちょっと来てくれ」
その時、フーディンの低い声が聞こえた。いつの間にか少し先に進んでいたらしく、前のほうにいる。ウォルトも見に行くことにした。



「これが、落ちていた」
腕にかけて背に背負うことが出来る、リュックサック。体の構造上、ウォルトには無縁の物だが、見たことはあった。

「それ、王子のじゃねーか! 何が入ってる?」
「それが……どうやら、空だ。物が入っている感触がしない」
「空ぁ!? 王子は空のリュックもって歩いてたのか!?」
「そんなことはないだろう。しわがひどいから、恐らく何かがたくさん入った状態から全部抜き取った。悪い方を想像するなら、何者かに中身を抜き取られ、そして王子はあの穴に突き落とされ……」
「お前こそ笑えない冗談よせよ。……、さぁ、とりあえず行こうぜ。それも一緒に持ってくか。大騒ぎになるかもしれないけど、一応話の進展ってわけでさ」

 キュウコンのブレスは笑い飛ばして歩き始めたものの、今の話はあながち間違っていないかもしれないという念が感じられた。空気が少し重くなる。立ち止まっているわけにも行かないので、ウォルトも歩き出した。しばらくして、フーディンが言った。

「今更だが、さっきの冗談を真に受けるなよ」
「キングオブ今更だな、お前よぉ」
そういって2人は笑った。ウォルトもつられて少し笑った。



 歩いている間、ウォルトは考えていた。
天空では今、王子がいなくなっている。国の一大事じゃないか。大変な時にお邪魔してしまった。それに、地上でも天空でもあの穴……。明らかに異常事態。どうなるんだろう。僕、無事に帰れるのかな……。
不安を少しでも振り払おうと思って、辺りを眺めることにした。もう森はぬけ、また草原が広がっていた。西日が完全に沈まんとしていた。
暗く染まり始めた空がよく見える、切り立った崖があった。見下ろせたら、もっと景色が綺麗だろうなと思ったが、勝手にふらふらと歩くのは失礼な気がしたのでウォルトはやめる。

 その時、何かが空の中を動いているのが見えた。その飛行物体は慌てたように、辺りを見回しながら飛んでいた。色が紫に近く、背景に混じって見えにくいが、よく見ると大きな尾があり、羽は小さい。飛ぶというよりは滑空……のようだが、それでも妙な飛び方だった。羽を少ししか開かず、ほとんど閉じたまま不安定に動いている。
しばらく眺めていると、‘それ’と目が合った。紫の中に浮かぶ2つの黄色の点は、不気味に感じた。ウォルトは思わず目をそらし、前を見た。

 そこには、ウォルトが今まで見たことがないような大きな建物がそびえていた。ウォルトは息を飲む。これが、天空の城――。広い庭の中に入っていく。前をみると、庭が広いため、城の中に入るまで少し時間がかかる。手間をかけて世話をされた草花が美しく、噴水が噴出しており、庭の風景はウォルトの気持ちを高ぶらせた。こんな経験は、もう一生涯できないだろうと思った。
前にいる2人の話し声が聞こえてきた。か細い声だったが、ウォルトにはかろうじて聞こえた。

&size(8){「なぁ、やっぱりアイツが怪しいよな。今だって、何処に向かって飛んでいったのかわからねぇ」
「うむ……急に現れて、妙に慣れ親しんでいた……。王子にも近かった。やはり、ヤツは地下の一味なのか」
「絶対そうだよな。言ってみるべきだって、コレ。 ……アイツは……違うっぽいけど、どうだ?」
「無関係だろう。恐らく地上の者、そこに関しては大丈夫だ。それにまだ子供、何が出来るというわけでもあるまい」};

 怪しいアイツに違うっぽいアイツ。一体誰のことだろう。それよりも、やはり気になるのは‘地下’という言葉。初めて会った時や、大穴を見つけたときも言っていた気がするけど。だって、ここは‘天空’だし……。
‘地上’の‘地下’は‘地下’だけど、‘天空’の‘地下’は、えぇと……。

 あれこれと考えているうちに、気付けば大きな壁がもう目の前にある。入り口だ。
「門番まで全部捜索に使っちまっていいのかねぇ。入り放題だぜ」
ブレスが言い、門を開けた。いよいよ中を見ることが出来る。そう思うと、ウォルトは気分が高揚するのが分かった。

「うわぁ、すごい……」
ウォルトは感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。
見渡す限の広い空間は、いままで寂れた村に住んでいたウォルトには信じられないような光景だった。
神々しさを感じるような装飾が一面に施され、幾つも吊り下げられた大きく煌びやかな照明器具――シャンデリアという名前をウォルトが知るはずもない――に照らされている。全てが俗界を離れたものだった。

 中にはポケモンはほとんどいなかった。数人、慌しく動いているポケモンもいるが、ちらりとこちらを見てもすぐに自分の仕事に戻った。

「さぁて、とにかく報告だな。ボウヤ、ちょっとこの辺で待っててくれるか。俺達は行かないとダメだから。すぐに代わりの誰か呼んできてやるから、言うとおりにするんだぜ。
……びっくりしたか、この部屋、豪華だろ? 大人の世界には‘金’ってもんが絡んで……いや、何でもない。見たかったらその辺うろついてもいいぞ。ただ、あんまり遠くには行き過ぎんなよ」
「は……はい! あ、ありがとうございました!」
「では、失礼。またな」
ブレスとフーディン(ウォルトはここで、名前を知らなかったことに気付く)は、これも立派な階段を上って行く。

 ウォルトは1人になった。ブレスの言うように辺りを見て回りたい気持ちはあったが、流石に失礼な気がしたので大人しく待つことにした。
まるで夢のように美しい場所。それは確かだが、ウォルトは何か足りなく感じた。またしても彼の頭をフリーダがよぎる。

 僕は生きていた。喜ぶべきことだ。
夢見ていた天空に来ることが出来た。喜ぶべきことだ。
フリーダに会えない。――やっぱり、辛い。たとえ嫌われているとしても、会いたい。会って、謝りたい。
それが悪いこと。唯一にして、最大の。

 もう何日会えてないんだろう。そういえば、僕は何日眠っていたのかな。何か、今日の日付が分かるもの……
思い立ち、辺りを見回す。壁はしみひとつなく、綺麗に磨かれて輝いていた。その中に、見慣れたものをみつける。それは彼の元いた世界と同じものだった。今日の日付を示すもの。1日ごとに破っていくというのが、毎日が新しく始まるようでウォルトは好きだった。

 それと同じものが用いられているとは。天空でも、地上と同じ暦が通用することにウォルトは驚いた。
表示は「1/11」。僕がフリーダと散歩したのは、忘れやしない、1/13日。計算してみよう。11-13=-2。僕が眠っていたのは-2日間。

 ウォルトは頭を抱え、長く大きなため息をついた。
もう何が何だか分からない。誰か、僕を助けて! ウォルトは心の中で叫んだ。
死んだはずなのに天空で生きていたり、いろんなところで大穴が開いてたり、時間が狂ったり。誰でもいい、僕の身に起こった出来事を解明してくれ!

「助けてあげるわよ」
突然の声にウォルトは面食らった。飛び上がりそうになるほど驚き、鼓動が速くなる。それでも平静を装って、ウォルトは顔を上げた。
「ふふ。そんなに驚かなくてもいいのに」

 前に立っていたのは、自分と同じ系統である、エーフィだった。だが、ウォルトはもともと同じ種族だったという親近感が全く感じなかった。――あまりにもかけ離れすぎていた。
ほのかにただよってくる香水の香り。首にかけられたネックレスは、宝石など滅多に見ることのないウォルトにも高級なものだということが伝わってきた。
きれいな人だな、というのは分かる。が、ウォルトにはあまりに遠いところにいる存在だった。

「あ、何か良くないこと考えたでしょ、私のこと」
そういってエーフィは小さく微笑んだ。
ウォルトは身の毛がよだつのを感じた。全部、悟られている。
「あ、あの、ごめんなさい。失礼でしたよね」
話すとき、ウォルトは声がかすれていた。しばらく声を出さなかったからだ。慌てて咳払いをする。

「気にしないでいいのよ、ウォルト君。さぁ行きましょう。ジール、国王様が待っておられるわ」
「どうして、僕の名前を……。って、え? 王様が? 僕を?」
「ごめんなさいね、私、種族柄、相手の考えが分かってしまうの。さぁ、ついてきてください。王室まで案内するわ」

 考えを読まれる。そう思うとウォルトは、このエーフィに恐怖さえ覚えた。
しかし、それどころではない。天空の、あろうことか王様の御前に出るなんて。僕みたいな愚民が。
粗相があっちゃいけない。ウォルトは口の中が乾いていくのを感じた。

「そんなに緊張しないで。私も、王も、あなたを無事に帰してあげるために協力してあげるから」
「あ、はい……。ありがとうございます。ごめんなさい、なんだか大変なときなのに」
さすがにもう驚きはしなかったが、声を出さなくても返事がかえってくるのは変な感じがした。
ウォルトはエーフィのあとに続いて、先ほどの2人が歩いていった階段を上る。どこまでも美しい装飾が施されていて、ウォルトは浮き足立った。
徐々に遠ざかっていく階下を見て、さっきまでウォルトのことを見向きもしなかったポケモンたちがこちらをじっと見ていることに気づいた。驚いたような表情をしていた。

 ウォルトが理由を考えていると、前に立つエーフィの声が聞こえた。
「ここが王室よ」
気が付くともうたどり着いてしまっていた。厳かな空気が、部屋の中から伝わってくる。ウォルトは、エーフィが押すことによって徐々に開いていく金の扉を、固唾をのんで見据えていた。

「連れて参りました」
「ご苦労だった。ありがとう」
ウォルトは、より美しく飾られた部屋の様子を目に映しているような余裕はなかった。
部屋の中央の玉座に腰かけていたのは、一匹のライチュウだった。威厳のある声がウォルトの腹の奥にずんと降りてくる。気高く、侵してはならない粛々とした雰囲気にウォルトは身の詰まる思いがした。
エーフィはそのまま歩いて、王様の隣に立った。

「君が、違う世界から来たというブースターだね。そのスカーフは、地上の民のものだ。天空世界へようこそ」
あの王様が、優しい声で自分に話しかけてくれている。そう思うだけで、ウォルトの心臓は鼓動を速めるのだった。
「は……はい!」
そのせいで、ウォルトの頭はどんどん白に染まっていく。何を言えばいいのかが分からなかった。

「君も大変な目にあったね。このごろは良くないことが多い。すまないね、もてなしもできないが」
「いいえ、気にしないで下さい……。あの、ごめんなさい、大変な時にお邪魔してしまって。王子様が見当たらないと聞いて……」
「なに、あの息子のことだ。こうして大勢で捜索しているし、すぐに見つかるさ。全く、今日で成人、これからは息子にも真面目になってもらわないと、天空世界が大変なことになってしまうわい」

そこで王様と、隣にいるエーフィは少し笑った。そういえば、あのエーフィはどうしてあそこにいるんだろうか。
王様は続ける。

「さて、本題だが、君もいきなりこんなところに来て驚いただろう。安心しなさい、すぐに君をもとの世界に帰してあげるから。エスパーの力をもつ者を召集する。我が妻にも協力させよう」
最後の言葉を聞いて、ウォルトの頭の中に電撃が走った。咄嗟にエーフィの方を見る。ゆっくりと手を振って、こちらに微笑んでいた。
僕をここまで連れてきたエーフィは、王様の妻。それはすなわち……。

ウォルトは体中から汗が滲み出た。心の中と言えど(しかもそれは相手に筒抜けだったのだから尚更)、女王様のことをよく思わなかったのだ。1度とはいえ、王様を呼び捨てにしたのだから、その段階で気がつくべきだった。

それに、階下のポケモンたちがこちらを見ていたのも頷ける。何せ、見知らぬポケモンが女王様と歩いていたのだから。
心の中が伝わるのを良いことに、ウォルトは何度も心の中で謝った。

「ただし1つだけ、……条件がある」
王の深い声で、ウォルトは現実に戻された。王は、言いにくいことを言わねばならないと眉をひそめていた。

「申し訳ないのだが、君の記憶を消させてもらう」
ウォルトは目を見開いた。額を汗が伝う。事の重大さを再認識した。
「記憶……」
悲しみの色を湛え、遠くを見据えるように王様が口を開く。

「安心したまえ、君が天空にいたその間の記憶だけ、申し訳ないが消去させてほしい。……本来、天空と地上とは接してはならなかった。今までもそうだった。互いの存在を知り、干渉してしまえば、いつか……争いが起こる。私は、地上とはそうありたくないのだ。互いのことを知ってしまい、関わったばかりに争いが起こらんとしている今の天空のようには、なりたくないのだ……」
「えっ、今、そんなことが……」
王様は咳払いした。
「失礼、こちらの話だ。……して、君は、今すぐにでも元の世界に戻りたいか? 君が望むのなら、気が住むまで
天空にいても良い。恐らく、最後だからな」
ウォルトは、息を飲んだ。

「僕は……」
天空の記憶が消えてしまう前に、もっといろんな経験をしたいという気持ちは強かった。
しかし、それは迷惑になる。王子がいなくなり、今、争いが起ころうとしているらしい。そんなときに、部外者は邪魔なだけだ。
そして、なにより――

 ウォルトは決意し、顔を上げて言った。
「僕は、元の世界に戻って会わなきゃいけない人がいるんです。すぐにでも、会わなきゃ、
会って――謝らないといけない人が。天空はとても素敵なところだし、名残惜しいけど……。お願いします、今、帰らせてください」
ウォルトは、声がかすれながらも言い切った。

「……よろしい、ならば、急いで準備をしよう。フラット、彼を連れて行ってやりなさい」
「はい」

フラットという名の女王様、エーフィは、ウォルトにこっちへ来るように目配せした。ウォルトは王様に頭を下げて、それからフラットの方へ向かった。
「こっちよ」

 ウォルトはフラットについて、王室を出た。赤い絨毯が敷かれた廊下を再び歩く。そのまま、まっすぐ他の部屋まで行くようだった。ウォルトは緊張がほぐれ、思わずため息を漏らした。
「ふふ、お疲れ様。面白かったわよ、あなたの心の中」
まるで小悪魔のような笑みを浮かべるフラット。あの間の僕の考えていたことが全て知られていたとなると、ウォルトは自分の慌てっぷりに顔を赤くした。

「覗かないで下さいよ……。恥ずかしいです。あと、その、ごめんなさい。女王様だと知らなくて……」
「いいのよ、気にしなくて。あの時のウォルト君、かっこよかったわ。『会わなきゃいけない人がいるんだ』って」

 そう言って、フラットは1つの部屋の扉を開けた。顔が熱いのが自分で分かるほど赤面したウォルトも、何も言わずにその中に入った。
そこは、寝室だった。目を引くのは、寝具が綺麗に整えられた大きなベッド。その傍らに来て、フラットがウォルトのほうを向いた。

「ここで待っててくれるかしら。私は、他のエスパーポケモン達を呼んでくるから。疲れているなら、そこで眠っていてもいいわ。目が覚めたときには、元の世界、それから元の日まで戻っているはずよ。それじゃあね」
「あ、ありがとうございます」
フラットは手を振って、今通ったばかりの扉からまた出て行った。

 ウォルトは気の抜けたようにベッドに腰をかけた。そこで、遠慮なく座ってしまったことにたいして「しまった」と思うのだが、身体が完全に疲れきってしまっていることに気付いて立ち上がれない。
ウォルトは、後ろに倒れこむ。シーツが体を柔らかく包みこむ感覚が心地よい。
失礼だと思いながらも、ウォルトはまどろみ、睡魔の世界へ堕ちていった。

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1/13

 辺りは静かで、自分が何処にいるのか分からない。寝ている身体の感覚、草の上にいるのが分かった。
ウォルトは目を開けた。あたりは闇と木々に包まれた森の中。体を起こすと、暗い森が広がっていて不気味だった。
どうして、こんなところに。ウォルトは思案を張り巡らせる。
たしか、僕、変な2人と戦って、落ちて……フリーダの前で……フリーダは!?
ウォルトは再度辺りを見回した。ここは、間違いない、僕が穴に落ちたあの森だ。
フリーダはどこにいるんだろう。会いたい。そうだ、こっちから出られたはずだ。
ウォルトは一目散に走り出した。波の音が聞こえる。

 視界が開けた。暗闇の中、1つだけはっきりとした明かりが見えた。それに照らされる影、1、2、3。ウォルトの望む姿は、その中にはっきりと存在していた。
風が吹いて、ウォルトのスカーフがはためいた。ウォルトはそれに後押しされるように走った。

「フリーダ……フリーダっ!」
ウォルトは、むせ返りそうになりながらも必死に叫んだ。そして、光源である焚き火のところまで駆けていった。
「ウォルト……! ウォルト! 良かった! 本当に会えた! 良かった……会いたかったよ……」
フリーダも立ち上がって、走ってきたウォルトの方へ向かっていった。そして、ウォルトに抱き付いて、声を上げて涙を流した。
フリーダの行動に驚きながらも、くず折れた漆黒の体躯を支えた。熱いものが胸から溢れてくる。ウォルトの頬を同じく涙が伝った。

「僕も会いたかったよ。なんだか夢を見てたみたい……素敵な所にいた気がするんだけど、悲しかった。キミに会えなくて……。良かった……。ごめんね、フリーダ……」
二人は抱き合いながら咽び泣いた。ウォルトは、砂浜の他の影の方をちらと見た。
砂浜で眠っているピカチュウ。二人を幸せそうに見守るグライオン……。それを見て、ウォルトは何か妙なものを感じた。心に引っかかりを覚えながらも、泣いた。



 彼は、不可解な事件の真相のすべてを解き明かすことはできなかった。

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