Writer:[[赤猫もよよ]] R-18描写があります。 2018年4月のけもケット7にて頒布されたwiki本3に寄稿させて頂いた作品です。 ---- 『夜明け前、雪解けの音を聴く』 天を仰ぐ彼女のまなざしに、冬の鉛雲が愚鈍に立ち塞がっていた。 刃のように尖った寒さに葉を削ぎ落とされた巨木の上で、彼女はひとり佇んでいる。身を包む朱色の羽根外套は寒風を受けてたなびいていて、しかしそれは寒さより身を守るには些か頼りない。ルチャブルの少女の華奢な体躯は、深まる冬に押し潰されて今にも消えてしまいそうだった。 「お嬢さま。ジゼルお嬢さま」 木立の上を見上げながら、私は白ばんだ息を吐く。 「こんなところにおられましたか。探しました」 巨木の上で塞ぎ込む彼女からの返事はなく、代わりに僅かな身動ぎと、どこかで拾ったのだろう松ぼっくりが私の頭部に向かって投げつけられた。いつもより少し、虫の居所が悪いようだ。 「このような場所に居られては風邪を引いてしまいます。お屋敷に戻りましょう」 「いやよ。もう、とうさまとは顔も合わせたくないわ」 彼女はそうぶっきらぼうに吐き捨てて、口をつんと尖らせる。彼女の黄金色の双眸は僅かに潤んでいた。朝から嫌に騒がしいとは思っていたが、どうやらまた諍いがあったらしい。なんというか、難儀な家族関係だ。 「私で良ければご相談に乗りますが」 「いらない。愚痴には付き合って」 「仰せのままに」 私は大木の根元に腰掛ける。本当は彼女の隣に寄り添うべきなのだろうが、ブリガロンの巨躯に登攀は危険すぎる。そして何より、彼女と私は横に並ぶべきではない。侯爵家の一人娘とそのお付きの騎士とでは、それこそ天と地ほどの隔たりがあるのだ。互いに幼少の頃より見知った仲とはいえ、線引きは必要だった。 「それで、今日はどのような?」 「何もしていません。ただ、ちょっと街に出ただけ。それだけなのに、とうさまってば酷い剣幕で怒鳴るのよ」 「お言葉ですがお嬢様。お付きの目を掻い潜って一人で抜け出したのですから、旦那様がお叱りになられるのも妥当だと思いますが」 私の返し刃に、お嬢様は木の上から二発目の松ぼっくりを投げ付けることで反応した。 「大体、お付きの下でしか遊びに行けないなんておかしいじゃない。わたしのこの翼は空を滑るためにあるのに、これではまるで鳥籠の中にいるみたい」 少しばかり詩的な言の葉が、するすると流れるように不満を紡ぐ。尖りのある言葉にさえ知性を感じさせるところに、私と違う育ちの良さが感じられた。 「御自身の立場をお考えください、お嬢様。貴方はフォーゲル家のただ一人のお世継ぎなのです。掛け替えのない存在で――」 「『とうさまがわたしを縛るのも、愛あってのこと』でしょ。それ、もう聞き飽きたから」 「……失礼しました」 どうにも根が深い。私は悟られぬよう小さく溜息を吐いた。 どちらの言い分に対しても納得が出来るのが困りものだった。早くに妻を亡くし、最愛の妻の忘れ形見の一人娘を男手一つで育て上げてきた旦那様が、娘を手の届く場所に置いておきたいと考えるのは自然だ。しかしその愛は娘にとってしてみればいい迷惑で、どこへ行くことも許されない現状に苛立つのもまた自然なのだ。 小難しい問題が拗れに拗れ、解けない糸玉のようになっている現状。必要なのは互いを理解し合う時間だと私は思っているが、部外者、ましてや私のように身分の低い者が口を出していい問題ではないのだろう。 「ねえ、アル」 白くかすむ遠くの山をぼんやり眺めていると、お嬢様は不意に私の名を呼んだ。私の旦那様より頂いた名前はアルブレヒトなのだが、お嬢様は私の事を親しみに近い感情を込めて『アル』と呼ぶことが多い。私がまだ青っぽいハリマロンであった頃からずっとその呼び方を続け、ともすれば本名で呼ばれた回数の方が少ないのではないかというぐらいだ。嫌ではないが、何故そのように呼ぶのか不思議ではある。 「どうしましたか、お嬢様」 「わたし、お見合いをしろととうさまに言われたわ。しかも、相手はもう決めているとも。……あなた、どう思う?」 「どう、と言われましても……性急だな、とは思いますが。旦那様はいつも決断を急く傾向にありますので、さして驚きはなく――」 言い終える前に、空から三度目の松ぼっくりが飛来する。 「いたいです」 「……いい? わたしがお見合いに行くって事は、もしかしたら他の誰か、別の男に嫁ぐかもしれないということなのよ」 「存じております」 「……どう思う?」 探るようなお嬢様の声音。 私は言いたい言葉を飲み込み、そして言うべき言葉を放った。 「喜ばしい事かと。それでお嬢様がお幸せになられるのであれば」 しん、と一瞬、静けさの霜が落ちる。また松ぼっくりが飛来するのではないかと思ったが、お嬢様は奇妙なほどに押し黙り、それから少しして「そう」とだけ呟きを漏らした。 喉の奥に苦いつっかかりを覚えて、私は静かに息を吸う。鼓動が強くなり、肺を満たす空気がいやに冷たく感じた。 「……ね、アル。わたし、行きたいところがあるのだけれど」 「そこに行ったら、きちんとお屋敷に戻ると約束して下さい」 「するわ。だからもう少しだけ付き合って」 そう言って、彼女は木の上からはらりと飛び降りた。両翼を優雅に羽ばたかせ、音もなく地に足を付ける。 くるりと振り返り、私に向けて微笑みを飛ばした。 「行きましょ。エスコートしてね」 寒風が吹き抜け、枯れ果てた梢を揺らす。淡い寂寥の冬景色。 眼前のルチャブルの笑みと、それはよく似ていた。 ◇ 染み込んだ冬が色彩を奪ったのか、街並みはどことなく灰白い。外を歩く人影もまばらで、まるで街自体が眠りに入っているようにさえ思える。 綺麗に敷き詰められた石畳は冷え切っていて、荊の上を歩かされているかのような鋭い痛みが足裏を襲う。種族としても、自身の性分としても寒さは苦手だった。情けなくかたかたと震えながら、寒さなど意にも留めず堂々と歩くお嬢様の背を追う。 「お、お嬢様。どこへ向かわれるのでしょうか」 「どこだと思う?」 「暖かいところであれば、と思います」 「じじくさい! 貴方、本当に寒がりなのね」 他愛のない会話を転がす内に、私達はある場所に差し掛かった。 目に飛び込んでくるのは、華やかに飾り立てられたガラスのショーウィンドウ。と呼ばれるその中には彩色豊かな布地で織られた被服が展示されており、辛気臭い冬の街とはまるで違う、絢爛な別世界が広がっている。 「服飾店、ですか。わざわざ足を運ばずとも、お屋敷に呼びつけてしまえばよいのではないでしょうか。お嬢様にお似合いのものを見繕って下さると思いますが」 「馬鹿ね。身に着けるものぐらい自分で選ぶわ。他人に選ばせたものなんて似合う訳がないじゃない」 はあ、と呆れたような溜息。私は肩をすくめた。 「そういうものでしょうか。私には分かりかねますが」 毛や鱗を持つ我々にとって、衣服は必須なものではない。故に大抵のヒトは服飾の概念を持ち合わせず、私もその一人だ。 しかし。財を成し、人生に余裕のある者たちは、その余裕を他者に知らしめる為に必須でないものを望んだ。己の地位、財産、そして個性を表現するために、服飾を好んだのだ。 金持ちの道楽――というのは少し強い言葉になるかもしれないが、兎に角服飾文化とは高尚な身分にのみ許されたものであり、ショーウィンドウの中を別世界と表現したのもあながち間違いではない。お嬢様のように名家の出自ならともかく、私のような平民には足を踏み入れることすら許されない。 「アル、何をぼさっとしているの。着いてきなさい」 店の入り口手前で立ちすくむ姿を見かね、お嬢様は私の手を引く。 「いえ、私はここで待っています。私に構わず、ごゆっくりお選びください」 ドアボーイのミルホッグの刺すような視線を感じながら、私は小さくかぶりを振った。寒い街の中で待ちぼうけを食らうのは余り好ましくなかったが、隣に立つ愚鈍な従者のせいで、お嬢様の周囲に悪しき評判が立つなどということがあってはならないのだ。 その上、身分の差が直接感じられてしまう場に立つということが、私にとっては途方もなく恐ろしいことだったのだ。 「わたしの言う事が聞けないというの?」 「どうか御理解ください。私とお嬢様とでは、居るべき世界が全く違うのです」 力の込められた彼女の手を、私は頑なな意思で振り払う。明確な拒絶に、お嬢様は一瞬表情を陰らせた。 「……。じゃ、いいわ。せいぜい震えながら待ってなさい」 唇を微かに震わせ、彼女は沈黙を呑みこんだ。強い叱責を覚悟していたが、返ってきたのはどことなく空虚な言葉。 踵を返し、お嬢様は暖かく華やかな店の中へと向かっていく。その背が小さく、次第に遠くなっていくのを、私は寒気立った空の下で見送った。 それから一刻もしない内に、お嬢様は店の戸を抜けて外へと現れた。さぞ大量に買い込んだのだろう、という私の予想を裏切り、彼女が腕に抱えていたのは小さな紙袋ひとつきりだった。 「戻ったわ。……何よ、その呆けた面」 「い、いえ。もっと大量に買い込まれるものかと思っておりまして。小物のようですが、何を買われたのでしょう」 「マフラーよ」 「……ま、まふ?」 紙袋の封を開け、お嬢様は中から濃い柑橘色の布地を取り出した。端の裂けた幅広の帯のようだが、お嬢様の両手一杯に伸ばしても半分以上が余るほどに長い。用途が見えないが、包帯のようなものか。 「首巻きよ。ほら、ちょっと屈んで」 首元の毛をくいくいと引っ張られ、私は半ば無理矢理に屈まされた。お嬢様の吐息が掛かるほどに顔が近い。漂う淡い芳香が私の頬を撫で、じんわりと熱を帯びさせる。 「お、お嬢様……?」 「ちょっと、動かないで。……うん、よし、こんな感じ」 お嬢様は私の首に帯を巻き、たどたどしい手つきで緩く結びつけた。冷え切っていた首元がふわふわの布地で覆われ、ほんのりと暖かい。 「うん、よく似合ってるわ。大きさもバッチリね」 「あ、あの……これは一体?」 私は困惑した。お嬢様自身が身に着けるものだとばかり考えていたのに、気が付けば私の首元にしっかりと巻かれている。これではまるで、その、贈り物のようではないか。 「貴方にあげる。これなら少しは寒くないでしょう?」 「し、しかし……私が装飾品を身に付けるなど。それに、お嬢様からの贈り物など畏れ多いといいますか………」 「あら、好意を無下にするというの?」 「それは……そのようなことは……」 「ふふ、よく似合ってるわ。さ、気が重いけど帰りましょう」 ぐうの音も出ずたじろいでいると、お嬢様はつかつかと来た道を歩き出した。突っ返すことも出来ず、私は布地を指先に絡めながら旦那様への言い訳を考えることにした。 ◇ 暖炉の中で所在なさげに揺らめく焔を、旦那様は色濃い疲労を顔に浮かばせながら見つめている。帰って早々娘と屋敷中を引っくり返すような大喧嘩をしたのだから、疲れるのも無理はない。 「旦那様、紅茶をお淹れしました」 「ああ、有難う」 目じりに深い皺を浮かべ、壮年のルチャブルは僅かに微笑んだ。紅茶に口を付け、深いため息を吐く。 「アルブレヒト。君には見苦しい物を見せてしまった」 「いえ、そのようなことは」 「気を使わなくてもいい。……私はね、日に日にあの子の気持ちが分からなくなっていくんだ。仕事に明け暮れ、あの子の世話を母さん任せにしていた罰なのかもしれないね」 「旦那様……」 「あの子の幸せを願うほど、それは遠ざかっていくようだ。もう、君の方があの子を理解しているのかもしれない」 自嘲気味に呟く言葉に、私は黙ったまま視線を逸らすしかない。窓の外、少しずつ暮れに近付いていく閉塞的な冬空から、ちらちらと粉雪が零れはじめていた。 「理解など……私には畏れ多い事です」 理解とは即ち接触だ。そのヒトの心に触れ、寄り添う行為だ。あざなさえ持たない私が、フォーゲルの名を継ぐ貴い存在に寄り添って良い筈がない。互いの間の壁は、見えずとも常に感じていた。 そう、例え私が誰よりお嬢様を愛していたとしても。言いたい言葉を飲み込み、言うべき言葉を選ばなくてはならない。彼女にとっての幸せは、私と共に行く先に有りはしないと、手が触れあう度に抑えきれなくなる心に向かって頑なに言い聞かせてきたのだ。 「だがね、アルブレヒト。ジゼルにとっては君だけが頼りなんだ」 「……」 「こんなお願いをする時点で父親失格だと分かっている。でもどうか、あの子を守ってあげてはくれないか」 「……私は」 旦那様の命に、私はどうしても頷く事が出来ない。本当なら今すぐにでも抱き寄せてやりたいはずなのに、遠すぎる距離がそれを拒む。彼女を愛している筈なのに、臆病な私には勇気が足りない。 「……すみません、旦那様。私にはできません」 「そうか……。それが本心ならば、私も押し付ける訳にはいかないね」 旦那様の寂しげな笑みが、私の心を締め付ける。本当にこれで良かったのか、私にはもう分からなかった。 「……迷っているならば、アルブレヒト。結論を出す前に一つだけ思い返して欲しい。君は何故、ジゼルの護衛を請け負ったのだろう」 「それは……旦那様の命だと理解していましたが」 「覚えていないかもしれないけど、君が昔大怪我を負った時、私はあの子の護衛を外れることを提案したんだ。だが君は頑なに拒んだ。その時拒んだ理由が、今君のすべき事を教えてくれるかもしれない」 差し掛かった湖のほとりで、ジゼルは不意に足を止めた。 地面に薄く積もった雪を意にも留めず、彼女は優雅な所作でその場へと腰を下ろし、そして茫然と佇んでいる私を見上げた。 「隣にいらっしゃい」 ジゼルはそう言って、私から瞳を逸らした。 彼女の視線の先、鏡面のように凪いだ湖面には愛に染まった夜空が広がり、その中に、ちらりと降る細雪に滲んだ月が所在なさげに揺らめいている。 それを見つめる彼女の表情に、いつものような快活さはない。寧ろ、こみ上げてくるなにか苦い感情を溢れさせないよう必死に堪えるような、無理を推して気丈に振る舞うような、冷たい痛々しさに満ち溢れていた。 私は何も言えず、ただ彼女の隣に腰掛けた。底より訪れる雪の冷たさと、少し遅れてもたれ掛かってきたジゼルの羽毛の温もりが入り混じって、暖かいような寒いような、奇妙な感じだった。 「ねえ。この場所のこと、覚えてる?」 しんしんと降る雪の音に紛れ、囁くように彼女は言った。 私は無言で頷く。忘れるはずもない、私が彼女の騎士であろうと誓った場所。彼女が幸せであることが、自分に課せられた使命であると理解した場所。 私の頷きを見て、彼女は溶けるように淡く微笑んだ。美しい金色の双眸の向こうには、色褪せた美しい思い出が輝いているのだろう。昔に思いを馳せる彼女の顔は楽しそうで、しかしどこかに一振りの憐情のようなものがあった。 「あの頃は、今よりもっと馬鹿だった。お父さまと喧嘩して、家出して、追ってきた貴方にも酷い言葉を吐いて。挙句の果てに、足を滑らせて冷たい冬の湖に真っ逆さま。ほんと、今目の前に昔の私がいたなら、一発ぶん殴ってやりたいわ」 彼女は月を仰ぐ。 「溺れた時の光景を、今でも覚えているの。冷たいし、痛いし、でもそれすらも段々感じなくなって、真っ暗になって……。ああ、私はここで死ぬんだなって。何も楽しくない人生だったな、って」 ジゼルは白ばんだ吐息を吐き出して、「でもね」と続けた。 「貴方は来てくれた。全然泳げない癖に、冷たいのは嫌いな癖に」 「必死でしたから、あの時は。貴方を助けねばと思ったら、いつの間にか冷たい水の中に飛び込んでいました」 言葉を紡ぎながら、私は奇妙な感覚を覚えていた。 粉々に砕けていた記憶の破片が、急激に組み合わさって一つの形になっていく。長い冬が終わり、春の日差しが差しこみ始めるような清々しさ。無数のもどかしさの楔が、一斉に引き抜かれるような。 ――そう。助けなくてはと思った。しかしそれは何らかの感情に起因するものではなかった筈だ。弱きものを護る盾となる、ならねばならないというブリガロンのいわば本能。或いは、彼女のお父上より課せられた使命によるもの。それ以上でも、それ以下でもなかった筈だ。 「結局、私より貴方の方が大変だったものね。全然目を覚まさなくて、私暖炉の前で震えながら泣いていたわ」 ――ああ、そうだ。お嬢様は、このヒトは泣いていた。一介の護衛騎士風情の為に、その美しい顔をくしゃくしゃに歪ませて。 目を覚ましてその顔を見た時、胸の内に感じた事のない気持ちが広がっていたことを今ようやく思い出した。寒さに悴んで強張っていた筈の身体とは裏腹に、心の内は陽だまりに浸かるような温かみに満ち溢れていた。自分の為に心を痛めてくれるヒト、自分の為に涙を流してくれるヒトが世界の内に存在していたたことが、たまらなく嬉しかったのだ。 真の意味で、護ろうと決意したのはそこからだった。自分の為に泣いてくれる世界で一人の彼女が、心無いものに決して傷付けられることの無いように。護りたいから護る。そこには誰かの意志はなく、そのすべてが自分の決意の元にあった。 それ故に、私は彼女を愛していたのだ。幾度身分違いと諦めかけても、捨てきれない恋慕の情の始まりは、きっとそこからだ。 「わたしね、貴方の事が好きだった」 「お嬢様……」 何となく察していたことではあったが、いざ言葉にされるとむず痒いような気持ちになる。胸の内が早鐘を打ち、身体の内からじんわりとした熱がこみ上げてくるような。 喉の奥に砂漠が広がる。唾を飲む。ああ。言わなくては。 私を愛してくれたお嬢様を、誰よりも愛していると。 「お嬢様、私は――」 「いいの」 ジゼルの小さな指が、私の唇に触れた。視線を合わせた彼女の瞳は、私とは違う類の決意の色――諦観と、呑み切れずともそれを良しとする鋼色の覚悟――に染まっていた。 「私、見合いを受けることにしたの。出発は明日……いえ、もうすぐ今日の事になるのね」 胸が痛いほどに跳ね上がる。 動揺の風波が、一気に胸の内を憔悴に染め上げていく。冬の寒さとは違う、ただただ嫌なだけのうすら寒さが背筋に迸る。 「な――」 なぜ、どうして? 疑問は膨れ上がる。 見合いは断ると、あれ程までに高らかに宣言していたのに。 「アル、そんなに驚かないで。これでも色々考えたのよ」 彼女は澄ました表情で言葉を続ける。しかしその瞳は心痛に沈み、ふとした拍子に溢れ返ってしまいそうだった。 「初恋は今日で終わり。これ以上貴方に甘えて、振り回すのは誰の為にもならないもの。私も、そろそろ大人にならないと」 「そんな、私は別に――」 彼女は首を横に振った。今にも泣き出しそうな表情で。 私は己の臆病さを呪った。あと少し、もう少し早く自分の意志の根源に気付いていたならば。忠誠を盾に自分の欲求から逃げ続けていなければ。お嬢様に、愛していると伝えていたならば。 「ねえ、アルブレヒト。最後に一つ、お願いがあるの」 ジゼルは私の名前を呼び、向き合った。私の首に巻かれたマフラーをそっと外す。まるで、結びつけていた恋の糸を解くように。 「私を、抱いてください――ええ、すこしだけでいいの」 私は何も言えず、彼女の身体をそっと抱き上げた。 ジゼルは私の名前を呼び、向き合った。私の首に巻かれたマフラーを指先でそっとなぞる。結びつけていた恋の糸を解くように、その手つきは柔らかく、どこか物悲しいものだった。 「私を、抱いてください――ええ、すこしだけでいいのです」 追い詰められた彼女の顔。 私は何も言えず、そのちいさな身体をそっと抱き上げた。 ◇ 雪は夜半を過ぎてなおも降り続く。ほの白い靄に覆われた月が、憂いをふんだんに染み込ませた灰青の光を地に降ろしている。雪色に染められつつある湖のほとりには、温度を分かち合う二人の影。 雪は夜半を過ぎてなおも降り続く。 ほの白い靄に覆われた月が、憂いをふんだんに染み込ませた灰青の光を地に降ろしている。雪色に染められつつある湖のほとりには、温度を分かち合う二人の影の他になにもない。 「よいの、ですね」 「……はい」 真正面に抱きしめたまま、耳元でジゼルに囁く。彼女は赤らんだ顔で小さく頷いた。 真正面に抱きしめたまま、耳元でジゼルさまに囁く。彼女は赤らんだ顔で小さく頷いた。 覚悟を決めて、彼女の秘所へと二本の蔦を伸ばす。身体のどこよりも柔らかい肉を、雲を掴むかのような慎重な手つきで撫で回す。 「ん、あ……っ」 清廉潔白であれと教えられてきた彼女は、自慰など知ることもないのだろう。恐らくは生まれて初めての悦楽的な刺激に、ぴくんと身体を震わせて私の身体にしがみつく。 「大丈夫、ですか」 「ん……つづ、けて……」 まだ前戯の先駆けだというのに、ジゼルのその瞳はとろんとした熱に浮かされている。ふう、ふうと彼女は荒く吐息を漏らし、その扇情的な面持ちが私の理性を溶かしていく。 まだ前戯の先駆けだというのに、ジゼルさまのその瞳はとろんとした熱に浮かされている。ふう、ふうと彼女は荒く吐息を漏らし、その扇情的な面持ちが私の理性を溶かしていく。 彼女の、快感にあえぐ顔がもっと見たい。獣のような本能に突き動かされて、執拗に舐り回す蔦先の動きが次第に早まっていき、比例するように彼女の押し殺すような喘ぎが早くなる。 「ん、くうっ……ん、ああっ……」 蔦先に生温い粘液が触れる。彼女の口先からぽたり、ぽたりと透明な液体が垂れ、熱で融けかけている雪の白の中に吸い込まれていく。ジゼルのしがみ付く力が増しているのは、押し寄せる快感の波に抗っているからだろうか。ふう、ふうと荒い吐息が、立ち上る欲情の熱が、雪を降る度に溶かしていく。 蔦先に生温い粘液が触れる。彼女の口先からぽたり、ぽたりと透明な液体が垂れ、熱で融けかけている雪の白の中に吸い込まれていく。ジゼルさまのしがみ付く力が増しているのは、押し寄せる快感の波に抗っているからだろうか。ふう、ふうと荒い吐息が、立ち上る欲情の熱が、雪を降る度に溶かしていく。 小刻みに震える彼女の身体から漂う甘い香りが私の鼻を突いて、腰の底から、ふつふつと熱いものがこみ上げてくる。雄の本能が、彼女を、自らを昂ぶらせたいと叫びを挙げる。 「お嬢、様……!」 股座の切れ込みから、既にぬるりと滑りを帯びた肉槍が飛び出した。降る雪の寒さなど意にも介せず、彼女の小さな尻に赤黒い巨大な熱の塊が擦りつけられる。 「ん……そう、ね。あなたも、きもち良くならないと」 彼女は私にしがみついていた手を離すと、そのまま私の肉棒へと両の手を添える。冷たい爪の先が触れた瞬間、鈍い通電。 「あっ……お嬢さま、そこは……!」 「大きいのね」 恍惚とした顔でそう口走って、彼女は何かに導かれるように、小さな口を目一杯に広げて肉棒の先を頬張った。右も左も分からないだろうに、懸命に舌先を先端に這わせている。 舌の熱が触れる度に、雷に打たれるような衝撃が全身を迸る。決して上手くはない口戯なのに、愛する者が自分の為に尽くしてくれているという事実が、刺激を何倍にも膨らませていた。 ざらついた舌の感触が、槍の裏を、先端を細かく刺激する。その度にこみ上げてくる射精感が、もう臨界に達しようとしていた。 「ん、あっ……! で、出ます……ッ!」 叫んで、私は多量の精を吐き出した。視界が熱に湧き、白に染め上がる。心臓が早鐘を打ち、呼気が獣じみた荒みを見せる。 唐突な射精にも彼女は臆すことなく、むしろ母の乳を与えられた乳飲み子のように、一心不乱に喉を鳴らして私の精を飲み干していた。肉槍の先端を襲う吸精感が、再度の射精を促す。 「はあっ……ん、ああっ……!」 私は喘いで、もう一度精を噴出した。未知の刺激だった。 「ん、ぐ、ぷはっ……」 流石に息が続かなかったのか、彼女は私の肉槍から口を離した。酸素を求めて荒ぶる呼吸、開いた小さな口端からは、飲みきれず溢れた乳白の雫がつうと垂れる。 「すごい、ね……。思ったより、おっきくて……」 地面に身体を投げ出して、ジゼルは忙しなく雪夜の空気を貪り始めた。はあはあと息を荒げ、酸素の回らない顔を紅潮させるさまはさも喘いでいるかのようで、私の中の雄が昂ぶらないと言えば嘘になる。むしろ、今すぐにでも飛びつきたいぐらいだった。 地面に身体を投げ出して、ジゼルさまは忙しなく雪夜の空気を貪り始めた。はあはあと息を荒げ、酸素の回らない顔を紅潮させるさまはさも喘いでいるかのようで、私の中の雄が昂ぶらないと言えば嘘になる。むしろ、今すぐにでも飛びつきたいぐらいだった。 しかし私も、疲労困憊の女性を差し置いて自らの欲を優先させるほど愚かではない。私は蔦で横倒しになった彼女の身体を持ち上げて手繰り寄せ、そのまま両腕で抱きかかえる。 「少し休憩いたしますか……?」 私が案じると、彼女は弱々しく首を横に振った。 「ううん、つづけて……。夜があけるまでに、いっぱい、いっぱい、アルといっしょがいい……」 私は苦々しく頷いた。彼女の意志は固く、切ない。 「……ね、いれて。アルとわたし、いっしょに気持ち良くなりたいよ」 「お嬢様……」 いれる、という言葉が何を意味するのか分からないほど、私は鈍くはない。即ち、これまでのような色遊びとは異なる、正真正銘の性交。それを乞うということが何を指すのか、ジゼルは今熱情に浮かされた状態であるとは言え、理解していない筈はない。 「本当に、本当に私でよいのですか」 「あなたがいいの。――だれより愛しい、わたしのアルブレヒト」 伸ばした手が、私の首毛をそっと撫ぜる。くすぐったいような、心地よいような、なんとも言えない感触。明日にはもう遠くのものになる、誰より愛しいひとの温もり。 「仰せのままに、ジゼルお嬢様」 息を吸って、吐く。夜半の冷気が肺に滑り込み、火照った身体にある種の心地よさをもたらした。もう、後には引けない。 私は両手を彼女の脇に通し、そのまま持ち上げた。先程の刺激が忘れられず、未だいきり立ったまま萎えを見せない私の肉槍の先端に彼女の蜜まみれになった秘所を宛がう。 見立てでは半分も入らないだろう。勢い余って根元まで突きぬいてしまえば、彼女は磔刑に処されたような激痛を味わうかもしれない。そのことを察したのか、彼女の瞳にも僅かな強張りが見られる。 「……いきます」 彼女の身体ごと自分の方に抱き寄せるようにして、じれったくなるほど緩慢に、針に糸を通すような慎重さで彼女に私を沈めていく。 「ん、う……ッ」 「痛いですか」 「ん、へいき……」 敏感になった肉槍の先が、万力で締め付けられるように痛い。鬱血しているかもしれない。生きてきた中で一番の激痛に、固く縛った口端から呻きが漏れる。 しかし痛みと共に、これまでにないほどの快感の波が押し寄せてくる。昂ぶる心臓に急かされ駆け巡る血液と共に、鋭い快感の稲妻がこの身を散々に打ちのめす。 熱された肉と肉が触れあい、雫と雫が交わる。真夜中の雪湖にこだます、にちゃにちゃと粘ついた水音と二人の押し殺すような喘ぎ声。風は凪ぎ、それ以外に音はない。世界に二人だけのような錯覚を覚え、それが錯覚でなければいいのにと強く思う。 肉槍の半分ほどが沈んだどころで、私は彼女の最奥に触れた。 正確には最奥ではないかもしれないが、少なくとも、進めるのはここが限度のようだ。 熱された肉と肉が触れあい、雫と雫が交わる。真夜中の雪湖に木霊する、にちゃにちゃと粘ついた水音と二人の押し殺すような喘ぎ声。 風は凪ぎ、それ以外に音はない。世界に二人だけのような錯覚を覚え、それが錯覚でなければいいのにと強く思った。 肉槍の半分ほどが沈んだどころで、私は彼女の奥に触れる。 彼女の小柄な肉身では、これ以上に進むことは難しいだろう。 「あっ、あっ……ん、やあっ」 奥の肉に触れる度に、彼女は嬌声を漏らして身をびくつかせる。私は幾度となく押しては引いてを繰り返し、彼女の奥を執拗に攻め立てる。肉槍が肉壺に擦れる度に弾けるような淫らな音がして、雪を溶かすほどに熱を増した互いの性器は、蕩けて一緒くたに交わりつつあった。 &ref(luchabri700.png); 「アル……ッ。好きよ、すきっ……あなたのことが……ん、ひうっ」 「ジゼル……私も……っ。本当は、貴方の事を……くっ、誰よりもッ……!」 離れすぎた距離を繋ぐように、もはやそれが叶わないと知っていても、私達は互いの名前を囁く。ぐっとジゼルの身体を抱き寄せながら、私はこれまでの比ではない量の精をジゼルの中へと注ぎ込んだ。びゅく、びゅくと脈を打つ槍と膣口の隙間より、行き場を失った精液が噴き出してくる。 強烈な射精感と共に、めまいにも似た火花が視界を白く染め上げた。くたり、と力を失ってもたれ掛かってくるジゼルの華奢な身体を胸に感じながら、私は強烈な虚脱感のままに地面に転がった。 「ああ、もう夜が明けるわ。楽しい時間は、どうして早く過ぎるのでしょうね」 二人で空を仰ぐ。 歩くような速さで、東の空から薄明が迫っていた。心のどこかで終わる事がないと思っていた深い夜の闇が、少しずつ役目を終えて大地の裏側へ去っていく。夜が去り終える時が、私達の終わりだった。 「……ねえ、アル。どうか、我儘だと笑わないでほしいのだけど」 「笑いません」 「わたし、誰かの物になんてなりたくない。貴方の傍にいたい。この恋心を、十年間の愛しい気持ちを、本当は捨てたくなんてないの。貴方を愛したい。そして、貴方に愛されたい。でも、もう、それが叶わないというのなら――」 震える呼吸。黄金色の瞳から雫が垂れる。 「――最期まで、貴方と一緒にいたい。これは命令よ、アルブレヒト。どうか、わたしと一緒に死んでください」 寒い。二人抱き合っている筈なのに、怖いほどに温もりが感じられない。このまま深すぎる冬の中に埋もれて死ぬのが、私達の行くべき道なのか。それでもいいと思い、それ以上にそれが嫌だった。 私はジゼルを愛している。主として。一人のヒトとして。そして一人の女性として、誰よりも。 ――だから私は、誰よりジゼルの幸せを願わなくてはならない。 「お断りします。ジゼルさま、貴方は生きるべきだ」 私は首を振る。意思はもう揺らがない。 「……っ。そうよね、ごめんなさい。貴方の人生をわたしの我儘で台無しにするなんて――」 「ジゼルさま、どうか聞いてください。話し合いましょう。旦那様と。私は私の足で、私が愛したヒトと共に人生を歩むのだと。言わねばきっと、なにも伝わりません」 私達は皆、愛しいヒトの幸せを願って生きている。 きっと旦那様も、誰よりジゼルさまの幸福を祈っている。ならば必要なのは衝突ではなく接触で、目指すべき場所は理解だ。 「わかってくれないわ」 「どうか勇気を出して、ジゼルお嬢様。私が傍についています」 「もしダメだったら?」 「逃げましょう。どこか遠くへ、二人で」 「きっと、すぐに見つかるわ」 「どのような結果になろうとも、私は命を懸けて貴方をお守りします。貴方が愛した男を、どうか信じてほしいのです」 私は部外者だ。彼女との距離を立ち塞ぐ壁は大きく、厚い。 だがそれでも、彼女の幸福を祈り、傍に寄り添うことはできる。震える足先で冬の闇を進む愛しいヒトを、そっと支えることはできる。 今は寒く凍えそうでも、いつか春は来るのだと。頑なに立ち塞ぐ愚鈍な鉛雲の奥から、それでも確かに雪解けの音は聞こえるのだと。 立ち上がり、震える彼女の手を握る。今度はちゃんと隣に立つ。 「ジゼルさま。貴方を、お守りします」 冬はまだ深い。独りでいれば、迫りくる寒さに押し潰されそうになる。 ――ならば。 ――だからこそ。 やがて来るだろう暖かい春を、いずれ来るだろう雪解けの時を、二人寄り添って待ちたいと願うのだ。 「ちゃんとエスコートしてよ、アル」 「仰せのままに、ジゼルさま」 存在を刻むようにつよく握り返してくる、小さくやわらかな彼女の手のぬくもりを、確かな形として感じ取る。 この厳しく立ち塞ぐ冬のすべてから、命を懸けて貴方を守り抜きたい。――決意は白く吐息となって、薄明かりの雪空へと溶けていく。 もうすぐ明ける夜をふたりで見上げ、祈った。 朝が終わりではなく、新しい一日の始まりであることを。 ---- あとがき 昔かいたものを改めて上げるって死ぬほど度胸要りますねワハハ。もよよです。 生まれて初めて同人誌なるものに寄稿させて頂き、素敵な挿絵を付けて頂いた作品なので、実のところ大変な思い入れがあります。 その節はとても楽しく伸び伸びと作らせて頂き、関係者さま各位には今でも頭が上がらないですね。いやあいい経験になりました。 生まれて初めて同人誌なるものに寄稿させて頂き、しかも風人様に素敵な挿絵を付けて頂いた作品なので、自作の中でもひときわ思い入れがあります。 その節はとても楽しく伸び伸びと作らせて頂き、管理人様筆頭に関係者さま各位には今でも頭が上がらないです。いい経験になりました。改めてお誘いいただき有り難うございました! ブリガロンとルチャブルの組み合わせはもう一作品別のものを書いているのですが、そちらとはちょっと毛色が違いますね。あちらは師弟ですがこっちは主従です。 僕は主従といえば報われない恋! 身分差! 心中! といったマイナス方面のネタばっかり湧いてくるタチで、あと書いてる時期が冬だったので冬の作品を書きたいという意欲がバリバリ湧いていました。 その二つがイイ感じに重なって、本当は水底心中オチで収めるつもりでしたが、書いてみてなんとなくヤだったので修正したというちょっとした裏話があります。 ここまでお読みいただき有り難うございました。 その二つがイイ感じに重なって、本当は水底心中オチで収めるつもりでしたが、書いてみてなんとなくヤだったので修正したというちょっとした裏話があったりします。 お読みいただき有り難うございました。 #pcomment